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2006-06-28

牧口先生「大善の光明に照らされると、悪の正体は暴露される」


 牧口先生は、“大善の光明に照らされると、悪の正体は暴露される”と述べておられた。

 小善の前では、悪の存在は大して目立たない。しかし、大善を前にすると、その狂いが明らかになる。

 それはあたかも、人が暗闇から急に太陽の下に出ると目がくらみ、強烈な光を正視できないようなものである。

 それと同じように、絶大なる妙法の光明に照らされると、それまで潜伏していた悪があぶり出され、追い出されていくのだ──牧口先生は、こう喝破されたのである。

 皆さま方は、妙法という不滅の太陽を胸に抱いた、「善の中の大善」の闘士である。ゆえに、いかなる悪も、不幸も、すべて打ち破って進んでいくことができる。

 そのためにも、強盛に祈り抜いていくことだ。学会活動に励むことだ。正義のを燃やして、勇敢に戦い抜いていくことだ。

 学会の組織で戦い切った人は強い。何があっても崩れない。

 反対に、どんなに偉くなり、社会的な地位を得たとしても、学会活動を軽視し、学会の組織から離れた人は、最後は惨めである。

 その本質は、要するに見栄っ張りである。そこから信がおかしくなっていく。これは戸田先生が言われていたいことである。

 学会の中で「」を磨き、「人間」を鍛える──そこに人生の勝利の王道があることを忘れてはならない。


【神奈川・静岡合同協議会 2006-01-12 神奈川文化会館


 牧口先生は俗衆増上慢を現し、最後は軍部権力によって三畳一間の獄舎に囚(とら)われ、殺された。戸田先生は道門増上慢を現し、宗教界を動揺せしめた。池田先生僣聖増上慢を現し、日蓮法がもつ普遍を世界へと宣揚した。


 虐げられる側が我慢を強いられる社会では、差別が当たり前のようにまかり通る。例えばアメリカにおいては、黒人がバスの座席を白人に譲ることが“常識”だった時代があった。それを打ち破ったのは、若きローザ・パークス女史が発した「No!」の一言だった。


 中学生や高校生の頃、友達からの「悪への囁き」は日常的に行われる。「煙草を吸おうぜ」「万引きしようぜ」などなど。仲間外れにされることを恐れて、つい同調してしまう場面も多い。だが、これに対して「嫌だね」と言った瞬間、相手の悪が暴露されるのだ。


 善は、悪を照らし出す光である。


あなたは組織内のどんな問題も見逃さないですか?」とのアンケートに対して、38.8%の人が「どんな問題も見逃さないし、実際に解決してきた」と答えている。しかし、ハッキリ言って自己採点が甘過ぎるとうよ。


 一番厄介なのは、悪のないダラ幹なんだ。一見すると、真面目で人柄もよい。しかしその実態は、惰に流され、燃え上がるような広布への情熱もなく、現実に広布を推進する気概も持ち合わせていない。こんな連中が大半だよ。小さな問題が見過ごされ、大問題にまで発展する。地元幹部はあたふたするだけで、上の幹部に全部おまかせ。一区切りつくと、何事もなかったように涼しい顔をしている。


 これじゃあ、組織も役職も無味なものになってしまう。


 大聖人の精神は「立正安国」に尽きる。正義を立てずして、安国はない。小さな悪と妥協するところから、組織は腐りはじめる。


【※指導は、NON氏の投稿によるもの】

2006-06-27


 長の一が策となる時、呼吸は単なる政治と化す。

2006-06-26

真っ直ぐに師弟の道を歩め


 他の人々の目には、子路(しろ)の「利害」を度外視した純粋な生き方は、「一種の不可解な愚かさ」に映った。

 しかし、師匠・孔子だけは、この弟子の生き方の「無類の美点」を知り、誰よりも高く評価していたのである。

 一方では、子路ほど叱られる弟子もなかったという。

 それは、常に師匠に体当たりでぶつかっていったからである。

「他の弟子たちのように、嗤(わら)われまい叱られまいと気を遣(つか)わない」。それが子路であった。

 自分が偉くなりたい。また、偉く見せたい。そのために、へつらったり、威張ったり、気取ったり。相手によって態度を変え、いつも他人の評判に右往左往する──そんな生き方では、あまりにも虚(むな)しい。

 そのような浮ついたでは、未来に残る仕事を成すことはできない。必ず行き詰まる。

 一度、「我が道」を決めたならば、人が何を言おうと、人がどう変わろうと、忍耐強く、誠実に、変わらずに「我が道」を進む。

 それが人間として偉大な生き方である。最後には勝つ。

 また、そういう人を登用していくべきである。

 何千何万の人生を見てきた私の結論である。


【神奈川・静岡合同協議会 2006-01-12 神奈川文化会館


 偶然にも、私が中島敦の「弟子」(『山月記・李陵 他九篇』岩波文庫)を読み終えた直後に、この指導がなされた。


 子路は武勇に富み、質実剛健で鳴らした人物だった。師匠の孔子に対してもズケズケとものを言い、その軽率さを嘲笑う弟子も多かった。子路は、邪が栄え、正が虐げられる世の中に我慢がならなかった。彼は地団駄を踏むいで、天を睨(にら)み上げる。運命というものを司っているのが天であるならば、天に反抗しないではいられない。


 時代の先頭に立ち、新たな歴史の幕を開く人物には、必ず逆風が伴う。言うなれば、歴史が動く時に起こる摩擦のようなものであり、過去にしがみつく人々はどんな時代にも存在した。孔子もまた世間からの中傷にさらされた。


 子路は怒りの人でもあった。街角で師の悪口をにするや否や、満身に力を込め、裂けるほどに見開かれたまなじりで歩み寄った。得々と弁じ立てていた輩は顔色を失い、そそくさと逃げ出す始末だった。それからというもの、子路の姿が現れると、人々は孔子を誹(そし)る口を噤(つぐ)むようになった。


 阿部謹也氏によれば、「個人」という言葉が日本で誕生したのは1884年(明治17)年のことだという。


 明治17年ごろに、individualという言葉が日本語に訳され、個人となった、それ以前に日本には個人という言葉は存在しなかった。


【『日本社会で生きるということ日文庫]】


 日本には欧米で言われるような「個人」はない。欧米で言う「社会」は、「個人」が成立していることを前提にしており、つまり日本には「社会」もない。極端に言えば、あるのは特定の集団に個人が埋没した「世間」である。


【『「世間」とは何か』講談社現代新書】


 出自によって一生のレールが決まる不自由な時代から、個人という概は生まれない。真の自由とは、選択する自由なのだ。不幸な時代にあって、“学ぶ”という行為は自由そのものだったに違いない。師弟とは自由の異でもある。


 個人という概があろうとなかろうと、屹立した個人は確かに存在した。子路もまたその一人だった。義に生きることを選んだ子路は、壮絶な最期を遂げる。


 大聖人は御書の中で何度も何度も「日蓮一人」と仰せになっている。また、虚空会の儀式では、無数の地涌の菩薩が登場するが、リーダー格の四菩薩常楽我浄四徳を表している。つまり、個豊かな個人が陸続と現れることを味しているのだ。


 組織に埋没してはいけない。そして、個人を埋没させる組織であってはいけない。弟子とは、“偉大なる責任を担った個人”のことである。

 私のいを勝海舟の言葉に託しておく。


「全く人がいない。出来る奴はいる、策の立つ奴もいる。智の溢れる奴もいる、外交折衝の巧みな奴も――。が、赤誠の人物がいない。今の世の中あ、智や策ではいけねえのでんすからねえ、素っ裸で、対手(あいて)にぶつかって行ける人間、それがいない」


『勝海舟』(全6冊)子母澤寛(新潮文庫)

【※指導は、NON氏の投稿によるもの】

悩む姿


 悩む姿、行き詰まった姿を隠す必要はない。むしろ、赤裸々に見せるべきだ。しかし、逃げる姿、あきらめる姿を晒(さら)してはならない。それは、「祈りとして叶わざるなし」の妙法を否定することになるからだ。


「女子部の育成」を高に叫びながら、全く育てることのできない婦人部幹部が山ほどいる。未活動のメンバーに手を入れることなく、女子部の折伏を推進しようと頑張っている幹部も多い。まるで、成果主義に踊らされるピエロみたいだ(笑)。

のこいのこ


 昨日付の新聞に、のこいのこさんの体験談が掲載されていた。話題となっているCDは以下――


のこいのこ大全

のこいのこ大全』

2006-06-25

「人をつくる」ことは「未来をつくる」こと


 人材を見つける。人材を育てる。新しい人に、どんどん光を当てていく。

この一点に、私は今、全力をあげている。

「人をつくる」ことが「未来をつくる」ことだからである。


【神奈川・静岡合同協議会 2006-01-12 神奈川文化会館


 人材育成といっても具体的には、家庭指導をすることと、責任を与えることの二点に尽きる。


1ヶ月間であなたの家に何人の幹部が訪れますか?」のアンケート結果を見て私は愕然とした。「0人」と答えた人が57.5%もいたからだ。「1人」と合わせると、実に74.2%になる。中には、自宅で行われる会合に訪れる幹部までカウントしている人がいた。恐るべき識の低下といってよい。その背景には当然ながら、ご機嫌伺いしかしてない幹部の存在がある。


 B幹部や地区幹部は、日常的な連絡をしっかりと行っていれば、それでよいとう。人材育成が進むかどうかは、所詮、支部幹部以上の動きで決まる。


 人が育ってない組織に未来はない。先生の呼吸は今、女子部と未来部に向けられている。これが将来に対する先手となる。


 親子という関係が破綻しつつある時代である。核家族化・少子化によって、家族が家族として機能しなくなっているのが現実だ。学会員であろうと避けることはできない。


 子供にとっては生きにくい世の中だ。幼い頃からノルマを課せられ、自由に外で遊ぶこともかなわない。現代は、子供社会が失われた社会といえよう。テレビゲームよりも、木登りの方がはるかに刺激に満ちている。しかもその中で、年上の子が幼い子に手を貸し、社会を身につけた。今の子供は、脳味噌への刺激が多過ぎて、身体的な刺激があまりにも少ない。


 満たされない何かが孤独を形成する。孤独とは、自分しか知らないの闇である。最も身近にいる両親が理解してくれないことによって、孤独は更に拡大してゆく。


 こうしたことが避けられない時代なのかも知れない。しかし、多様な人間関係があれば、そこに光を差し入れることは可能だ。


 未来部に手を入れよう。少年少女の一生涯を見守る覚悟で。


【※指導は、NON氏の投稿によるもの】

2006-06-24

幻灯事件


 父を病気で亡くした魯迅青年は、最初、医学を志していた。

 弘文学院を卒した後、1904年9、仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に入学。

 東北大学でも、この魯迅青年の留学の歴史を大事に留められ、後世へ伝え残しておられる。

 この仙台時代に、生涯を決める「幻灯事件」が起こったとされる。

 ――医学の授が終わると、日露戦争で日本が勝つ様子を伝える幻灯(スライド)が上映された。その中で、中国人が、ロシア軍のスパイとして、日本軍に殺されるシーンがあった。

 殺される中国人も、それを取り巻いている中国人の群集も、薄ぼんやりした表情をしていた。

 あまりにも強烈な光景だった。当時の境を、こう綴られている。

「愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人になるだけだ」「むしろわれわれの最初に果すべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった」

 今、必要なのは精神の改造だ。そのためには文学しかない――魯迅青年は決断した。


【第2回特別文化講座 革命作家・魯迅先生を語る(上)/聖教新聞 2005-03-16付】


 創大生に対して行われたこの講座は、聖教紙上で発表された。


 魯迅が幻灯事件によって、医学の道を捨て、文学を志したのは23歳の時。仙台医学専門学校(現東北大学医学部)での出来事だった。暴力ではなく、文学の道を選択したところに、魯迅の深き精神が表れている。


 人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている。


【「迷える小鳥」/『タゴール著作集 第1巻』所収/藤原定訳(第三文明社)】


 タゴールの言葉は、まさしく魯迅の人生そのものだった。辛亥革命が起こり、魯迅は挺身するものの、新たな権力下で、またしても妥協と欺瞞が繰り返された。魯迅は更なる力を込めてペンを握りしめた。


 侮辱に甘んじる生命は畜生界だ。野獣の前で食べられるのを待つ動物と変わりがない。尊厳と誇りを傷つけられた時、猛然と反撃するのが人間に与えられた権利である。


 彼が見ていた「暗黒」とは何であったか。あるとき、小説の執筆を勧める友人に対し、魯迅は「仮に鉄の部屋があったとする」と一つの譬えを語る。――窓は一つもない。壊すこともできない。なかには大勢の人間が熟睡している。後は窒死を待つばかりだ。昏睡状態なので悲哀はじないだろう。それを大を出して起こすことは、助からない人間にわざわざしみを与えるだけではないか、と。

 多年の沈黙を破って発表された魯迅の処女小説『狂人日記』は、このような内省と葛藤を経たものであった。魯迅は、すでに37歳になろうとしていた。そして、『阿Q正伝』で彼が描こうとしたのは、暗黒のなかに翻弄されて生きる民衆の「原像」であった。


【『続 若き日の読書』(第三文明社)】


 皆が無気力に死ぬのを待つ中で、魯迅は終生にわたって鉄の扉を叩き続けた。真の勇気とは何なのか――魯迅の生きざまは雄弁にそれを教えてくれる。

【※指導は、NON氏の投稿による】

2006-06-22

戸田先生「団結第一でいけ!」


 戸田先生は金剛不壊の組織をつくるために、「団結第一でいけ!」と叫ばれた。

「一人ひとりが自分の力を最大に発揮して、目的のために強く伸び伸びと前進していけば、おのずから深い団結がなされていく。そうすれば、この世で恐れるものは何もない」

 窮屈な形式で縛るのではない。それでは、皆のは離れてしまう。

 広宣流布のため。

 世界平和のため。

 大目的へ、信の団結で進むのだ。

 一人ひとりの「成長」と「前進」と「勝利」に真剣にを砕きながら、欧州は、模範の「異体同」の連帯を築き上げていただきたい。


【欧州代表協議会 2006-01-07 東京牧口記会館


 団結といえば、中国四大奇書の一つ『水滸伝』をい起こす。汚職まみれの官吏がはびこる時代に、真っ向から異を唱えた豪傑たち。人が人を呼び、男が男を集め、その数108人に上る。一人ひとりが各種の武器に精通していた。その中にあって、2代目の首領・宋江(そうこう)は驚くほど凡庸な人物だった。だが、宋江は一癖も二癖もある荒くれ者を見事にまとめ上げた。


 男子部の人材グループとして戸田先生のもとで「水滸会」が結成されたのは、会長就任の翌年(昭和27年/1952年)のこと。梁山泊(りょうざんぱく)に集った英雄豪傑の如き人材群の育成を目指されたに違いない。後年、「国士十万の結集」を遺言されたのも、全く同じからであるとわれてならない。


 戸田先生は、「宋江に人を見抜く才があった」と指摘された。長所も短所も知り抜いた上で、宋江は部下をこよなく愛した。「士は己を知る者のために死す」――。


 団結とは、リーダーと一人ひとりの結びつきのことである。の通い合う対話がなければ、団結のしようがない。祈りの深さ、広布への情熱、真剣なる研鑚において、皆をリードしてなくては、リーダーとは認めい。絶えざる行学の前進あるところ、人間は深まり、何とも言えぬ魅力が輝く。


 信の団結は広宣流布を根本としている。ゆえに、幹部の功を満たすような指示に従う必要はない。家庭指導をしてない幹部も、相手にするだけ無駄だ。役職を笠に着て威張るようなのがいれば、一発見舞ってやった方がいいよ(笑)。


 が合っていれば、打ち合わせも短時間で済む。何といっても、勤行の呼吸がピッタリして、地いい。集合離散が軽やかなリズムとなる。


 団結は中者の資質に左右されるので、その責任ゆえ、功徳も大きいことを知るべきだ。

2006-06-20

三代会長の年齢差


 牧口先生戸田先生の年齢差は、28歳8ヶ戸田先生池田先生は、28歳1ヶ。ちなみに大聖人と日興上人は、24歳。

2006-06-19

先輩幹部を訪ねる


 以前、お世話になっていた幹部の方を訪ねる。度肝を抜く話を聞かされた。私如きでは、全体像をつかむことすら不可能だ(笑)。「そんな、チマチマ金儲けをしたって駄目だよ。どうせやるなら、世の中の仕組を変えるぐらいの大きい仕事をしなくっちゃ」と言われる。更に、「僕は僕の立場で、平和提言の一つの分野の実現を目指す」と断言した。「小野君だから話したんだぞ。誰にでも言える話ではない」とも。立派な幹部だとはっていたが、こんなに凄い人だとはわなかった(笑)。


 吉川英治の『新・平家物語』を買う。先日、読んだ指導に引用されていたため。


戸田城聖全集』の件。クレヴ氏とウルトラパパ氏により謝申し上げます。本当に、ありがとうございました。

2006-06-18

立正安国論と公明党


 大聖人が「立正安国論」を著したのは39歳の時。公明党が衆議院に進出した時、先生の年齢は同じく39歳。

2006-06-17

悪に対して勇敢な声で責めよ!


 えば、中国の周来総理は、「永遠に革命」の精神で生き抜かれた人物であった。

 私がお会いしたとき、総理のお身体は、すでに重い病に侵されていた。

 〈1974年125日に会見。1976年1に逝去〉

 しかし、“愛する民を必ず幸福にしてみせる! 発展の軌道を厳然と敷いておく!”との烈々たる気迫が、全身から発せられていた。

 その眼光は鋭かった。ピンと張りつめた精神で、国家のあらゆる分野に目を配り、指揮を執っておられた。

 ほんの少しでも気を抜けば、一瞬にして崩壊が始まってしまうことを、周総理は深く知悉(ちしつ)しておられた。

 まさしく、「永遠に革命」の精神を体現しておられた。

 私もまた、この気迫で進んできた。責任あるリーダーの皆さんも、同じ精神でなければならない。そうでなければ会員の皆さまが可哀である。

 今、創価学会という偉大なる民衆のが、壮大に築き上げられた。

 この善なる民衆の連帯を、絶対に悪に乱されてはならない。

 建設は死闘。破壊は一瞬である。

 悪が盛んになれば、善が滅びる。

 不惜身命で悪と戦う勇者がいる限り、善は守られる。しかし、もしその精神が失われれば、崩壊はすぐに始まってしまう。このことを、よくよくに留めていただきたい。

 学会利用、信利用の、醜い利己の輩を許してはならない。また、皆がおかしいとっても、それを口に出せないような特別な存在をつくってはならない。学会は、峻厳な師弟の精神に貫かれた、平等な同志の世界である。

 悪に対しては勇敢にを上げることだ。徹して強く責めることだ。臆病ではいけない。臆病はずるい。ずるいのは「悪」である。

 悪を見ながら、放っておいて戦わないと、自分が悪と同じになってしまう。積んできた福徳も消してしまう。

 今年は、敢然と悪と戦う一年としたい。

 なかんずく、結成55周年を迎える男子部には「次の学会を背負う一騎当千の指導者たれ!」と叫びたい。


【第2総東京最高協議会 2006-01-02 牧口記会館


 我々はどのような世界にいるのだろうか?


 此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の王の眷属なり(1081頁)


 天は人(にん)の上にあり。第六天の魔王他化自在天ともいう。「他を化(け)すること自在」とは、権力者の本質を明かしたもの。つまり、強い権力をもった者が牛る世界ということになろう。民衆は権力者に額(ぬか)づき、ひれ伏すだけの存在だ。「無始已来」との一語に、人界の本然(ほんねん)に具(そな)わる一凶を見るいがする。


 民主主義は古代ギリシャで産(うぶごえ)を上げた。だが、その実態は、限られた自由市民に参政権を与えただけのものだった。女や奴隷は完全に無視された。以後、民主主義は衆愚政治の代詞となった。


 中世を経て近代となり、民主主義は再び頭をもたげた。市民革命がそれである。イギリスのピューリタン革命、アメリカ独立戦争、フランス革命など。


 現代に至り、議会制民主主義となって結実する。


 まあ言ってみりゃ、民主主義ってえのあ、哲学の海から誕生し、キリスト教の風の中で育ってきたようなじだね。でもって結局、社会制度を変える原動力にはなったものの、参政権という段階で民主主義は足踏みをしている。


 大体ね、会社の中に民主主義はないよね?(笑) 少しばかり景気が上向いてきたのは、大手企が社員のクビを切るだけ切って、乾いた雑巾を絞って水を出すようにしてコスト削減をしてきたからだ。まあ、どんなに頑張ったところで、部下が上司のクビを切るこたあできないわね。自由競争を支えているのは、こうした不平等であることを見逃すわけにいかない。


 つまり、民主主義はまだ小学生か中学生ぐらいの段階だ。日蓮法を吹き込むことによって、民主主義は完成するだろう。一人の尊厳を説き究めた宗教を、民主主義は足踏みをしながら待っていたのだ。


 一方、民主主義を完成させる使命をもつ学会の中にも、「皆がおかしい」とっている幹部が少なからず存在する。しかも、放置されたままになっている。もはや、自浄能力は全くないと言っていいだろう。問題があっても、幹部が動かず、学会本部すら無視するようになってしまえば、手段としては内部告発しかなくなってしまう。こうなれば、学会もおしまいだね。


 私はうところがあって、本年第1号の創価スピリットで「少数精鋭主義」の指導を配信した。近頃、御守り御本尊を乱発し、統監の減処理を繰り返す地域もあるやに聞く。味がないどころか、厳然たるが下ることは間違いない。今再び、少数精鋭主義に徹してゆくことが大切だ。本当にの合った同志のみが、真の和合僧であるからだ。


 皆がっていることを言ってのければ、それだけで学会は一変する。学会の魂は折伏である。折伏とは、“悪を破折屈服する”実践である。鋭く悪を見抜き、徹して悪と戦え。傷つくことを恐れず、謗法与同を恐れよ。沈黙する羊になってはいけない。池田門下を乗るのであれば、師子となって立ち上がろう!

2006-06-16

桜梅桃李


桜梅桃李」に出典はあるのか? 以前、鯖さんが質問していましたね。私も気になって調べていましたが、出典らしきものは見つからず。


 今回、たまたまネット検索をしてみましたら、新たな発見がありました。同様の質問と回答がありました。

 これによると、『法然上人行状絵図』巻第二十一「つねに仰せられける御詞」に「極楽の荘厳を観ずとも、桜梅桃李の花果程も、観じあらわさん事かたかるべし」とあるようです。


 更に、『法然上人行状絵図』を調べてみると、国宝で京都・知院の寺宝だそうです。

 1307年(皇紀1967年)徳治2年から後伏見上皇の勅命で、比叡山功徳院の舜昌法印(知院9世)が十数年費やして制作されたといわれる。


 桜梅桃李の言葉は、御書では「御義口伝」にしか出てきません。ネット検索しても現状では「御義口伝」と『法然上人行状絵図』の2件しか見当たりません。私の探し方が下手なだけの可能もありますが(笑)。


 御義口伝の日付は、弘安元(1278年)年正一日になっていますので、こうしてみると桜梅桃李という言葉は、経典や中国の古典などのどこかに出典はあるのかも知れませんが、平安末期から鎌倉知識人の間では一般教養として常識になっていたのかもしれません。中国・唐の文化を吸収し、法華経文化も華開いた平安時代に誕生した言葉かも知れませんね。


 また、御義口伝には、天台本覚の言葉がみられるから後世の偽作説がありますが、

『法然上人行状絵図』の制作期間は、1307年(徳治2年)から十数年。御義口伝の日付は1278年(弘安元年)なので、必ずしも後世の偽作とは言い切れませんね。


 まして、大聖人は天台本覚を全否定などしていません。もちろん、後世でも桜梅桃李が知識人の教養であった可能も当然ありますが、安易な偽作説より、中身の・哲理が重要です。


【「創価仏法研鑽掲示板」より転載】

お願い


 大変、恐縮ですが、『戸田城聖全集』の第4巻をお持ちの方がいらっしゃったら、以下のフォームからご連絡下され。

2006-06-15

「議員特権」廃止は公明党の実績


◆先日、ある大手新聞社が投書欄で“弁明”していた。以前に掲載した、国会議員の永年勤続表彰制度への疑問のに誤りがあったからだ◆投書の主は、25年勤続で表彰された議員の前を挙げた上で「永年表彰されると、毎年かなりの額が典として支給されると理解している」「永年在職者は特別な費用でも必要なのだろうか」と書いた。さらに「『歳費の上乗せ』に他ならない」とも◆国会議員の“典”とは勤続25年以上に支給される30万円の特別交通費と100万円の肖像画作製費、勤続50年以上に対する年500万円の憲政功労年金(終身)のことである。確かに現職には“歳費の上乗せ”となる◆では、なぜ“弁明”したのか。なんと制度は2002年に廃止されていたのだ。今は国会議員を25年勤めようと表彰状のみ。金銭の典など一切ない。実現したのは公明党である◆「旧態依然とした議員特権は廃止せよ」。01年5の衆院代表質問で、神崎武法代表が改正を提唱し、小泉純一郎首相も賛同。トントン拍子で決まったのだ◆「議員特権の廃止」は公明党の国会改革の実績として、これまで小紙やパンフで何度も紹介してきたが、投書の主も、さらには全国紙の編集者までご存じなかったとはチト残。これは今後も大いにPRする必要があるだろう。もちろん公明党の実績として。(流)


【「北斗七星」/公明新聞 2006-06-15付】

2006-06-14

「記憶」考


 新しい記憶は海馬に収められ、古い記憶は大脳皮質に蓄えられる。この部分に極度の衝撃を受けると記憶喪失になる。ビタミン不足、アルコールの過剰摂取、動脈硬化による脳細胞の死滅などから、記憶喪失になるケースもあるようだ。


 また、海馬というのは大変デリケートで、強いストレスを受けると、破壊する質をもっている。幼児期のトラウマや、PTSD(的外傷後ストレス障害)による部分的な記憶の欠落というのがそれだ。


 記憶は大きく分けると、長期記憶と短気記憶になる。更に、長期記憶は、宣誓的記憶(言葉で表現できる記憶。陳述記憶ともいう)と手続き記憶(身体で覚える記憶)とに分かれ、宣誓的記憶は、味記憶(知識)とエピソード記憶個人的な体験の記憶)に分かれる。ドラマや小説に登場するのは、殆どの場合、エピソード記憶の喪失である。


 日本は2002年(平成14年)の時点で高齢社会(高齢者=65歳以上の人口比が14〜21%)となり、2010年(平成22年)には超高齢社会(21%以上)となることが予されている。これに伴い、高齢者の認知症が社会問題となっている。推計だと現在、180万人前後

 記憶障害が進行すると、人間関係が崩壊する。とすれば、人間関係は記憶によって支えられているといえるだろう。しかし、記憶が自分の全てを形成しているわけではない。


 こうして、記憶について考えてみると、“自分”というのは過去の集積によってつくられていることが、よくわかる。これが(ごう)だ。記憶は失われても、は生命に刻印されているのだ。


 地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云(231頁)


 この御文の味は重い。人生に臨む姿勢が「過去の因を知らんと」と欲しているのか、それとも「未来の果を知らんと」と欲しているかで、幸不幸が逆転することまで示唆されている。


「自分が何者かわからない」――この恐怖は、実は日常の陰に潜(ひそ)んでいるだけの話だ。ともすると、過去の記憶を頼りにして自分の存在証明をしてみせるだけで、多くの人々が常にこうした実存的な不安を抱えている。


 井上靖が描いたモンゴルの英雄・ジンギスカン(『蒼き狼』新潮文庫)は、生まれながらにして父親がいなかった。戦乱の時代で敗れることがあれば、婦女子は皆、陵辱される。ジンギスカンはい悩む。「自分は、ひょっとしたら敵の子なのか、それとも、“蒼き狼”の子なのか」と。そして彼は、“蒼き狼”の子として生きてゆくことを“決めた”のだ。(“エンジの狼”じゃなくって残だったな、牙会諸君!)


「決めて、祈って、動いて」というリズムが、よりよきを形成してゆく。


 記憶がなくなったら困る。だが、嫌な記憶に悩まされることもある。はたまた、過去の記憶に縛られて、挑戦の欲を欠いてしまうことだってある。つまり、記憶自体が幸不幸を決定するわけではないということだ。


「慈悲があれば、記憶が鮮明になる」とは師・戸田先生の指導。信の一は、脳をも活化させる。


 何だか、取りとめのない文章になっちまったが、要は、“記憶”は過去に過ぎないってことを言いたかったんだ(笑)。物忘れが激しくなっても構わないから、未来に向かって生きたいもんだね。

2006-06-13

すべては「一人」に帰着する


「一人」を大切に──ここに、創価学会の原点がある。法の根本精神も、ここにある。

「一人」の人間は、かけがえなく尊い。世界中、どの一人ひとりにも、尊厳なるがある。そう見ていくのが法である。

 一人の尊さを無視し、軽んじて、人間を「集団」で見ていこうとするのは、権力者の発である。それでは、独裁者のヒトラーと同じになってしまう。

 ヒトラーに、一人ひとりの尊厳はわからない。「大勢」「集団」にこそ“価値”があった。

 それはなぜか。

 権力者にとって、人間は「手段」に過ぎないからである。

 権力は人間を、銃弾のように武器にする。金銭のように使いこなす。

 己の欲望のために、大勢の人間をうまく動かし、全体を操作しようとする。

 学会の行き方は、これに真っ向から反対する。

 一人ひとりの幸福こそが、広宣流布の「目的」だからである。

「一人」の人間がもつ計り知れない可能を信じ、その力に目覚めさせ、発揮させ、連帯を広げてきたのが、創価の民衆運動の歴史である。

 まず、一人ひとりの人間があって、強く団結してゆくのである。

 この根本を間違えたら大変なことになる。権力者の発をする人間が現れたら、それは学会を利用する極悪人である。

 すべては「一人」に帰着する。

 私どもは、もう一度、「一人を大切に」との原点を確認し合いたい。

 そして、一段と「一人ひとり」に光をあて、励ましのをかけながら、宝の人材を大切に育ててまいりたい。

 一人ひとりが強くなる。賢くなる。それでこそ、2倍、3倍、10倍の力を発揮していけるのである。


【第56回本部幹部会 2006-01-06 東京牧口記会館


 この5年が「100年に匹敵する」と先生は何度も言われた。その開幕ともいうべき本部幹部会で、「一人を大切に」と指導された味は重要だ。


 男子部の本部長をしていた時、こんなことがあった。


 転職を何度も繰り返す男子部がいた。彼は、男子部の活動に参加すると、どうしても帰宅が遅くなり、に勝てなかった。自分の判断で活動を減らした。しかし、またしても寝坊を繰り返し、職場をクビになった。落ち込んだ彼は「郷里に帰る」と言い出した。それ以降、ドアも開けず、電話にも出なくなった。


 皆、足繁く通った。独り暮らしの彼を配して、弁当や煙草を差し入れる同志もいた。やっと私が会えた。ドアが開き玄関に入ると、私の胸に蹴りを入れてきた。彼は酔っ払っていた。少々手荒な真似をして目を醒ましてやった。詳細は書けない(笑)。閉ざしたは中々開かなかった。


 ある日、副部長が私のところに来た。「本部長、彼を何とかして下さい。お願いします!」。既に30代半ばを超えた副部長が深々と頭を下げた。10年間の退転を経て、他区から転入してきた労人だった。部のメンバーの懸命の努力もかなわなかった。


 再び足を運んだ。一緒に勤行をしてから、じっくりと話をした。「田舎の母親と妹からも借金をしていて、もう東京では暮らしていけない」と彼は言った。「だけど、田舎に帰ったって、その借金がなくなるわけじゃねえだろうよ。帰る、帰らないじゃなくって、もっと自分のことを真剣に考えろ」と私。「帰る! 絶対に帰る!」と彼は言い張った。を煮やした私は馬乗りになって彼の首を絞めた(笑)。「てめえ、こんだけ言ってもわからねーのか!」。口から泡を吐きながらも彼は、「か、か、か・え・る……」と言い続けた。


 翌日の深夜に副部長から電話があった。「本部長、明日、○○を連れていきますので、宜しくお願いします」と。


 副部長に連れられてきた彼の表情は真剣だった。私の眼を見据えて、「もういっぺん、ここで戦わせて下さい。お願いします!」と泣きながら大でハッキリと言った。「そうか、よく決した!」と私は手放しで喜んだ。聞けば、前日に副部長が部のメンバーを10人ほど率いて彼のもとに行き、皆で切々と訴えたという。「皆のに負けました」と。「勝ったり負けたりを繰り返しながらよ、段々強くなっていきゃいいんじゃねえか? 完全に行き詰まった中でお前は決できたんだから、もう強くなっているんだぞ」と私は励ました。副部長が満面の笑みを浮かべていた。


 このメンバーは数年後に副部長となり、逞しい成長を遂げた。


 戦いの中で、一人ひとりの宿命を炙(あぶ)り出す。そして、一つ一つに完璧な決着をつけて、組織が強くなっていった。組織のために皆がいるのではない。皆のために組織があるのだ。


【※指導は、NON氏の投稿によるもの】

2006-06-12

権威主義は必ず行き詰まる


 学会は権威主義、ならびに利であっては絶対にならない。それでは必ず行き詰まってしまいます。自分の単なる情で、下からの見を抑制しては絶対にならない。伸び伸びと皆が見を述べられるようにしてあげ、それで、よい見は取り上げて、実行に移す。よい見をいった人は褒めなくてはいけない。尚、支部員や地区員を自分の部下のようにって、命令で動かそうとってはならない。それでは権威主義であり、信ではない。学会の根本的な行き方でもありません。所詮、絶対に威張らぬことです。そして、特に陰で労している人に温かいいやりをもっていただきたい。


【夏期講習会/壮年大幹部会 1966-08-03 総本山大石寺・大客殿】


 先生、38歳の時の指導。今、「下から上を動かせ」シリーズをお送りしているが、先生の指導は昔から一貫して変わらない。「古い指導は、時代が異なる」という見もあろうが、私はそうはわない。法という、宇宙と生命の法則を根本にしていればこそ、その普遍は今尚、無限の輝きを放っている。


 権威主義と利はセットになっている。権威主義の幹部が頑張るのは、自分の点数を稼ぐ時だけだ。役職を笠に来て威張る愚か者は、虎の威を借るといってよい。


 最近になってわかるようになったのだが、動いてない幹部ほど、言葉を巧みに飾る傾向が強い。大したことでもないのに、「創価家族の」とか、「凄い戦い」とか平然と言ってのける。要は、自分が全く関わってないことを隠蔽(いんぺい)し、愛を振りまいているだけの内容になっているのだ。結局のところ、学会の役職にぶら下がっているだけだ。


 一方的に話す人、偉そうに話す人、志の疎通ができない人――これらは全部、権威主義の人である。権威主義は押し付けとなって、皆をしませる。権威主義は、上の幹部には弱く、下の人々に対しては威張り散らす。つまり、畜生界だ。これが官僚の正体だ。


 女子部を育てることが学会全体の呼吸となっている。それは皆が知っていることだ。だが、婦人部の打ち出しをみると、「若い女以外は折伏してはいけない」といった雰囲気が出てきている。闘争の舞台を狭(せば)めるような方針は、単なる点数稼ぎに過ぎず、悪しき成果主義の見本といってよい。


 個人としてみれば、さほど悪い人物はいないだろう。ところが、幹部として指揮を執ると、無能になる人物が多い。これは、個人の力量と役職が一致してないためだ。愚将の下(もと)では、どんなに頑張ったところで、皆の力は発揮できない。


 最前線で戦う方々が少しでもやりにくかったとすれば、それは、本部長以上の正役職が無能な証拠である。幹部が現場に入ってない。そして、人事を誤る。こうした結果が、現場に色濃く影響しているからだ。


 組織リコール制を導入して欲しいもんだね(笑)。いずれにせよ、組織内の謗法払いが必要だ。

2006-06-11

1987年(昭和62年)


 創価ルネサンスの原点は、1987年(昭和62年)であったと考えられる。


 まず、14日に行われた第2東京新春代表者会議で先生は、戸田第二代会長、北条第四代会長が共に58歳で亡くなったことに触れ、「宿命にも似た年齢」と指摘。2日前に59歳の誕生日を迎えた事実を通して、「完全に学会の宿命を転換したと確信している。ともあれ、昨年は58歳という大きな節を乗り越えたことは事実である」と指導された。


 この年の主要な激励行は以下の通り――

  • 21日〜28日 北・中米を訪問
  • 416日〜20日 関西指導
  • 421日〜23日 中部指導
  • 511日 九州指導
  • 524日〜68日 ソ連・フランス訪問
  • 73日〜7日 東北指導
  • 727日〜84日 北海道指導
  • 89日〜16日 長野・群馬指導
  • 820日〜22日 神奈川指導
  • 920日〜21日 中部指導
  • 922日〜28日 関西指導
  • 1016日〜23日 九州指導
  • 1123日〜24日 静岡指導
  • 1125日 『今日より明日へ』1を刊行

 初めての米ソ首脳会談が実現したのが、1985年(昭和60年)1119日(スイス・ジュネーブ)のことである。ソ連はその後、1991年(平成3年)12に崩壊した。米ソの冷戦構造が激しく揺れる中、先生が両国を訪問された義は計り知れない。更に、世界広布への布石を打ちながらも、全国各地を精力的に回られている。会長勇退から既に8年が経過していた。満を持して、翌1988年(昭和63年)から、全国で電話回線を利用した同時中継が始まった。


 私が江東区へ引っ越したのが、この年だった。運命の不議をじてならない。

2006-06-10

民衆の声


 民衆のほど、強きものはない。

 民衆の怒りほど、恐ろしきものはない。

 民衆の叫びほど、正しきものはない。

 かのフランス革命も、ロシア革命も、不当なる権力、横暴なる支配者に対する民衆の怒りより発した革命であった。近くは安保条約をめぐって、岸政権が崩壊したのも、大いなる民衆の叫びがあったからである。また、韓国の学生の叫びは、それ自体が、今日の国際政局を左右する、原動力となっているではないか。

 実に、これら民衆のこそ、いかなる権力も抗しきれぬ真実のであり、歴史を変動する、偉大な力である。したがって、民衆のを度外視した、民主政治の存在はあり得ない。

 いまや創価学会は、その数、490万世帯の会員となった。この事実は、より正義を求め、かつ、永遠の平和と真実の幸福とを願って立ち上がった民衆のめざめであり、誰人も聞かねばならぬ民衆のであり、叫びであると確信する。

 しこうして、この叫びは、一波が二波に、また、三波、万波になるごとく、全日本、全世界の人々に動を与え、大平和運動が展開されることは必然であろう。

 御書にいわく「一身一法界に遍し」(412頁)と。いわんや、千万人の一身一が、異体同に繋(つな)がり、民衆の叫びとなって、全世界にとどろくことは、絶対に間違いない法理である。

 しかし、この民衆のが、日本の支配者には、聞こえぬのであろうか。まったく知らぬのであろうか。無慈悲なる権力者、慢せる評論家、頑迷なる宗教家、利己的な大資本家等々、いずれも責任ある地位にありながら、我らをいじめることは、不勉強きわまる姿である、と断ぜざるをえない。

 だが、いつまでも彼らが自己の安逸をむさぼっている時代ではない。やがて、彼ら自身の考態度を猛省すべき時代が到来するであろう。

 権力者は、権力によって滅び、財閥は金銭によって滅びる。有人は、有の二字が去ればなんの価値もない存在となる。栄枯盛衰は、世の常という。だがここに、永遠に栄えゆく法がある。すなわち、正法を信ずる、我ら創価学会員の姿がそれである。

 我らは、ただ御一人、真の民衆の味方であられる、日蓮聖人法を信じて前進するものである。

 我が同志よ、民衆とともに戦おうではないか。

 民衆とともに進もうではないか。

 そして、民衆とともに生きようではないか。

 一人でも、孤独になって、悩みしむ者があってはならぬ。民衆のなかにあって、ともに語り、ともに励まし、幸福を築き、社会に貢献していかなくてはならない。

 これほど清く、これほどたくましく、これほど尊い団体が、いずこにあろうか。これこそ広宣流布の実現の姿であり、本有常住国土の実相なのである。

 我らは、真面目である。誠実である。真面目であるが故に、悪に対しては激しいのだ。

 しかし、軍は、常にの軍に対し、誹謗し、軽蔑しきってきている。これこそ民衆をあなどり、自己の墓穴を掘るがごとき愚かな態度といわざるをえない。社会にあっては、我らこそ民衆の真実の味方であることを、誇りとすべきである。

 我らは、労働者だけの民衆でもない。政治家だけの特権階級でもない。また、資本家だけの集まりでもない。全ての階層の人々が入りまじっているのだ。そして、老いも若きも、男も女も、学者も学生も、農村、都会の人々も、全部、妙法の光に照らされて、自己にめざめ、個人の確立と、社会の繁栄と、世界の平和実現を目指して進むものである。

 かくして、正法によってめざめた民衆のは、新しい民衆の吹きとなり、大行進となって、永久に栄えゆくことであろう。

 御書にいわく「事を為す」(708頁)云云と。地涌の菩薩の言語音こそ、広宣流布への大原動力であり、これこそ、新しき時代の民衆のなのである。


【「民衆の」/『新時代』第3巻 1964-08-01】


 37歳の会長が書いた文章は、烈々たる気魄(きはく)に満ち、民衆を断じて守らんと仁王の如く立つ姿が浮かんでくる。


 此の四菩薩は下方に住する故に釈に「法之淵底玄宗之極地(ほっしょうのえんでいげんしゅうのごくち)」と云えり、下方を以て住処とす下方とは真理なり、輔正記に云く「下方とは生公の云く住して理に在るなり」と云云、此の理の住処より顕れ出づるを事と云うなり、又云く千草万木地涌の菩薩に非ずと云う事なし、されば地涌の菩薩を本化と云えり本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり、此の菩薩は本法所持の人なり本法とは南無妙法蓮華経なり、此の題目は必ず地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非ず(751頁)


 これは、御義口伝巻上の最後に書かれている御文。地涌の菩薩は大地を破って下方から登場した。つまり、“生命の大地”を打ち破り、“民衆の大地”の中から現れたのである。


 人類の歴史を振り返ると、民衆は常に利用され、搾取(さくしゅ)され、虐げられてきた。戦争を始めるのは権力者だが、戦地で殺されるのは庶民だった。主権在民の世となってからも、権力は政治家どもが握ったまま手放そうとはしない。世界では、飢餓状態にありながら放っておかれている人々が8億人もいる。1日に2万4000人もの人が餓死し、実にその4分の3が5歳未満の児童だという。民衆は今も尚、不平等に喘ぎながら沈黙を保っている。


 その沈黙を破って、叫びを上げ、立ち上がったのが日蓮大聖人であり、創価学会なのだ。


 我々は無冠の民であることを誇りとしながら、民衆とスクラムを組んでゆく。忍耐強い対話によって、民衆の強固な連帯を築いてゆく。迂遠なようでも、一人の人間革命を通して、世界の平和を着実に推進する。それぞれの持ち場で友情と信頼の輪を広げ、偉大なる使命を果たしてゆく。


 えば、大聖人が認(したた)められた御書の大半も、市井(しせい)の庶民に与えられたものだ。重書中の重書である「開目抄」も「観心本尊抄」も、そうだ。多くの教団のリーダーが時の権力者に媚(こ)びへつらい、おもねる中で、大聖人は「立正安国論」をもって鎌倉幕府を諌(いさ)めた。


 総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守り候べし、其れさへ尚人人の御中は量りがたし(989頁)


 人のは計りい。学会に身を置きながら、権威主義に陥る者も多い。に背く罪は消せるものではない。己(おの)が生命に紅蓮地獄じて、永劫にわたる悔いを残す結果となるだろう。


 かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か利我慢偏執有るべきや(1439頁)

苦情殺到


 ある幹部の情が私のもとに殺到している。この幹部、自分の発言に責任を取らないどころか、「そんなことを言った覚えはない」と断言する始末。そのため、「今度から、録音しようかと考えている」と言い出す婦人部まで出始めた。「そこまで、することはありませんよ」と笑いながら答えておいたものの、今後、全国的にこうした風潮を止めることはしいだろう。それほど、一部の幹部は無責任である。


 本当に酷(ひど)い幹部がいれば、“証拠”として録音や録画はしておいた方がいい。組織というのは、上位役職の見がまかり通る仕組みになっているからだ。先生がいなくなった暁には、全国各地で裁判が起こると私は予している。


 ただ、注すべき点は、個人的な趣返しであれば、破和合僧の罪を避けることはできないことだ。飽くまでも、皆が困っている場合に限られるのは当然。

2006-06-09

一対一の対話によって血が通う


 組織にせよ、人間関係にせよ、一対一の直接の対話によってはじめて、生き生きと血が通うものだ。


【全国最高協議会 2005-12-24 信濃文化センター】


 短いが、絶対に見逃すことのできない指導。これが、わかるかわからないかである。まあ、わかってない幹部が多いわな(笑)。関係ってのはね、一対一なのよ。で、一対一ということは、平等ってことなの。つまり、一方通行は一対一に非ず。


 頭の悪い単細胞の幹部は、「どうせ、数を出せばいいんだろう」となりがちだ。私が言う“頭の悪い”とは、他者への像力が働かない人物を指す。自分が言われて嫌なことを、平気で後輩に言うような奴。そこここにいるでしょ?(笑)


 昔、傲慢を絵に描いたような幹部がいた。「傲慢」というの教科書があれば、巻頭カラーページで紹介されたことだろう(笑)。何を話しても、低いで「あっ、そう」と応じ、。「ズレている」というのが口癖だった。私はこの幹部の物真似が巧かった(笑)。散々、皆の前で物真似をした後、「ズレてんのは、てめえの方だよ!」と言って、皆を笑わせた。悪い人物ではなかったが、あまりにもがなかった。この幹部に指導を求める後輩は皆無だった。


 若い私達は会合がある度に、物真似のネタを探し続けた(笑)。我先に新ネタを披露すると、「そうそう、あそこなんだよ。俺も気づいてたよ」と呼吸を合わせたものだ(笑)。


 それでも、総区1位の成果を出したんだから、我々の闘争は評価されるべきだね。そんじょそこいらの総区じゃないよ。当時、全国制覇をした総区だったんだから。


 人間として不真面目な幹部は絶対、信用してはならない。例えば私の場合、留守電に「電話を下さい」とメッセージを入れて、電話がかかって来なければ、二度と相手にしない。これは徹底している。最前線では何があるかわからない。私の電話に同様のメッセージがあれば、「すわ、一大事か。はたまた、事故かトラブルか悩みか宿命か」と、あわくったものだ。その程度の緊張もないような幹部は、相手にするだけ時間の無駄だよ。


 役職を笠に着て、後輩を軽んじる幹部は、信利用であり、組織利用になるのだ。さしたる力もないクセに、幹部面するような手合いを私は絶対に許さないよ。


 こうした傾向は、本部職員、大学職員、創大・学園出身者に多い。この辺りの連中が、現代の二乗かもね。

2006-06-08

我が心を「広宣流布一筋」に固め抜け


 大切なのは、リーダーの「一」である。同じ話をするにしても、信の「吹」があるかどうかで違ってくる。リーダー自身の成長が、組織の発展と会員の成長に直結していく。

 学会は、戸田先生が「命より大切」と言われた広宣流布の組織である。仏勅和合僧団である。

 この妙法に則った組織を、私利私欲のために利用したり、自分の権威の手段とするような人間を、絶対に許してはならない。

 こうした人間を野放しにすれば、広宣流布の未来は破壊されてしまう。

 大事なことは、リーダー一人ひとりが、常に「師弟」という原点に立ち返り、信行学の基本に徹し抜いていくことである。

 我がを「広宣流布一筋」に固め抜いていくことである。

 学会のために行動すれば、その功徳は大きい。

 自身はもとより子孫末代まで、その功徳に包まれていく。何ものにも負けない人格ができる。永遠に崩れない幸福の骨格を、固めていけるのである。


【全国最高協議会 2005-12-24 信濃文化センター】


 信が前進している人には、清らかな人間の光がある。停滞している人は腐臭を放っている。ま、春の小川とドブぐらいの相違がありますな(笑)。


 汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る(31/494頁)


「汝、腐臭の幹部に交わりて、ドブのとなる」なかれ(笑)。栄(ば)えのいい人と交わることだ。悪の人、策の人、功の人と交われば、自分の生命が汚れてゆく。まともな信があれば、晴朗な人柄となって現れるのが当たり前だ。


 私は普段から、やる気のない幹部とは口を利かないようにしているよ(笑)。信だけは潔癖でありたいからね。一点の染みや陰があれば、そこから信が崩れてゆく。


蘭室の友」を待っていてはいけない。積極的に自らぶつかってゆくのだ。ここに、信指導を求める理由がある。


 もちろん自ら祈り、学びゆくことは大切だ。だが、それだけでは我見を打ち破ることができない。どうしても独りよがりになる。自分の殻(から)を破るためには、誰かとつながる必要があるのだ。


 自分の周囲に和合僧をつくり、広げてゆく。これ以外に広宣流布の方法はない。

校正


 私の拙文は、いつもいつも衣女史に校正してもらっている。より謝申し上げる。

2006-06-07

墨田区


 阿部日顕こと彦坂信夫は、現在の墨田区向島1丁目〜3丁目に生まれた。池田先生が会長就任した日大講堂は、同じ墨田区内の両国2丁目にあった。

2006-06-06

今、人材を育てておかなければ、間に合わない


 ナポレオンの栄光は、わずか20年であった。

 100年、200年と栄えていく組織をつくることが、いかに至の事であるか。

 いわんや、「末法万年尽未来際」の広宣流布に挑んでいるのが創価学会である。

 戸田先生は強く訴えられた。

組織を陳腐化させてはならない。官僚主義で機械的に上がっていくような、また、そつなくやっていればいいというような、退嬰的(たいえいてき)、保守的な組織になってはいけない。

 人材が、どんどん抜擢されるような、生き生きとした組織でなければならぬ。

 学会は、人材で築かれたなのだ。

 広宣流布を唯一の目的とする一つの生命体だ。

 そして日進歩、常に生々発展する生命そのものなのだ」

 今、各地で新しい人材が躍り出てきた。私は本当に嬉しい。

 次の世代がどうなるか──これは、今のリーダーの責任である。その決の深さで決まる。

 絶対に、若い人を上から抑えつけてはいけない。それでは、人は伸びない。この一点を間違えたら怖い。

「抑える」のではなく「育てる」のだ。

 後輩たちが「本当にお世話になった」「厳しかったけど、楽しかった」──そうえるような良き先輩であっていただきたい。皆が「張り合い」をもって進めるよう、励まして励まし抜いていただきたい。

 今、人材を育てておかなければ、間に合わない。「次の50年」を担う青年の陣列を築き上げたい。どうか、よろしく頼みます!


【創立75周年記本部・海外最高協議会 2005-11-11 信濃文化センター】


 今、労してない人、インチキをしている人は、次の時代で必ず堕ちてゆく。まあ、見ててごらんよ。組織がグルッと引っくり返るほどの激動の時代が訪れるから。


 その時、本物の池田門下生が何人いるかで、広宣流布の命脈が決定される。


 釈尊滅後、二乗によって小乗教の時代を迎える。エリート主義の台頭が、民衆から法を奪い取った(インド仏教滅亡の要因は「民衆からの遊離」に)。民衆の中から澎湃(ほうはい)と大乗教が起こるまでに500年を要した。しかしながら正法1000年間は、付法蔵の二十四人によって辛うじて法の命脈は保たれた。


 天台大師滅後は、章安大師に受け継がれ、少し空白期間をおいて妙楽大師が出現。その後、やはり形骸化を免れていない。


 伝教大師滅後は、第3祖の慈覚が真言の悪法を取り入れ、謗法まみれとなった。


 日蓮聖人滅後は、五老僧が次々と師敵対し、天台宗乗り、御本尊を死体と一緒に地中に埋め、御書を燃やし、大聖人の墓参さえ怠った。これによって、日興上人は身延を離山するに至った。また、門下の多くが御本尊を粗末に扱うようになってしまった(1606頁)。興師から目師へと伝えられた清流は、目師が美濃の垂井(たるい)で遷化(せんげ)したことによって途絶えてしまう。日道(新田五郎重綱の弟である頼綱の子)が後継者となったが、相承の記録はどこにもない。日道の時代となるや、教団の内紛が絶えなかった。


 新田五郎重綱(妙法尼の子)の夫人が南条時光の姉(蓮阿尼)である。つまり、目師は時光の甥(おい)に当たる。そして、日道は目師の甥になる。南条家の経済的支援に頼らざるを得ない背景もあってか、その後も、日時・日影・日有と南条家出身の法主が次々と誕生している。日興遺誡置文の精神は廃(すた)れ、出自や血縁によってリーダーが決められていた。これが、日蓮正宗の歴史である。


 法の正当を受け継ぐ和合僧であっても、指導者を失った途端、形骸化は避けられず、崩壊の憂き目にあっていることが理解できよう。


 師に対する依存――これこそ、弟子の生命に巣食う一凶である。ともかく、自分の周囲に“本当の創価学会”を築いてゆくしかない。


 今日は牧口先生のお誕生日。

2006-06-05

篠原誠さん


「わが忘れ得ぬ同志」の第4回は篠原誠さん。第2総東京の重鎮であられた。


 死の前日も、人材育成に全力を注いでいた彼。


 私はその場にいた一人だ。篠原さんを喪った翌の会合で私は司会を務めた。「最後に指導を受けた我々が、“水滸の誓い”を継承していこう!」と叫んだ。


「先生と一緒に50年、戦ってきた。この間、140回叱られて、7回褒められた」と淡々と語っておられた姿が忘れられない。飄々として威張るところの全くない方だった。


 篠原参議について触れたものは以下――

2006-06-04

理想の組織をつくり上げる急所


 どうしたら、理組織をつくり上げることができるか。

 その急所は何か。

 それは、リーダーが成長することだ。手を打つ人間が、人の何十倍もしみ、題目をあげて、考え抜くことである。

 会合でいい話をすることも大事だ。だが、それだけでは人は動かない。

 一対一で語り、がつながってこそ、徐々に大回転が始まっていく。

 改革は必要である。しかし、安直に進めれば、かえって混乱をもたらす場合もある。

 だからこそ、現場を聞くことだ。皆が納得して進んでいけるよう、よく打ち合わせ、対話を重ねることである。

 特に若くしてリーダーになったならば、皆の見に謙虚を傾けねばならない。

 労しなければ、人のはわからないものだ。

 また、挑戦のを失えば、硬直した官僚主義に陥ってしまう。

 格好はいいが、血が通わない。慈愛がない。いやりがない──そういうリーダーであったならば、皆がバラバラになってしまう。

「皆、大変な中、本当によく戦ってくださっている」──そう謝するがあるか。ともに戦い、同するがあるかどうかである。

 どうしたら、皆が安して広布へ進み、勝利と幸福をつかんでいけるか──その一点を、私は祈り、全魂を注いできた。そこに呼吸を合わせなければ、師弟は「不二」でなくなる。

 決して上から押しつけるのではなく、皆から「よくやってくれた」と言われる指揮を、よろしくお願いしたい。

 何でも言える雰囲気が大事である。そういう組織が伸びる。

 立場があるほど、自分から皆の話を聞いて、一つ一つ応えていかねばならない。

 疲れるかもしれないが、それが指導者の責任であるからだ。

 何も言えないような雰囲気では、最低の組織である。

 そうならないために、まずリーダーが真剣に、一生懸命、戦う。たゆみなく人間革命していくのだ。これをに刻んでいただきたい。


【創立75周年記 本部・海外最高協議会 2005-11-11 信濃文化センター】


 要は、“法民主主義”になっているのかどうか、という一点に尽きる。


 現在、大半が“打ち出しを落とす”だけの組織と化している。上下達(じょういかたつ)の一方通行では、どうしても下の人達は受け身になってしまう。ここに、人々の主体を奪う最大の元凶がある。


“打ち出しを落とす側”に悪はない。それどころか、真面目に伝達している幹部が殆どだろう。だが、ここに問題があるのだ。“打ち出しを受ける側”に対する像力が全く働かない。自分は動きもしないで、報告を取ることに終始する。そんな幹部が多すぎやしないか?


 末端の人々は、鋭く幹部の信を見抜いている。民衆から信頼を失ったリーダーには、必ず厳しき審判が下ることだろう。それ以前に、生命を覆う空虚さを断じて誤化すことはできない。


 海外だけならまだしも、本部の最高幹部が集いながら、こんな指導を先生にさせていること自体が問題だ。

ルフは走り続ける!


 先日、またぞろ、ルフの話を聞いた。今年は既に3世帯の弘教を成し遂げたそうだ。恐るべし、学会犬ルフ!

2006-06-03

熱原の法難と学会弾圧


 熱原の法難で捕らえられた農民信徒は20。学会が弾圧された際、逮捕されたのは21

2006-06-02

改善


 改善すべきことは

 いち早く

 価値的に手を打て!

 官僚主義を排せ!


【「わが友に贈る」/聖教新聞 2005-11-08付】


 現在、「改善」という言葉は世界で通用するまでになった。


「世界のトヨタ」の目覚しい発展の要因は、どこにあるのか。

 様々な角度から論じられるが、“常勝トヨタ”を支える特徴として、「着実な経営方針」「危機管理の高さ」「改善に改善を続ける自己変革能力」などが指摘されている。

 トヨタでは「3年間、何も変えなければ会社は潰れる」とまで言われる。奥田碩(ひろし)会長自らが、「変えないことは悪いことだ」と言い切り、社員が常に問題点を指摘し合って、改善への努力を続けている。

 凄いことである。

 ここに「変化の時代」を生き残るための道がある。企のみならず、あらゆる団体が学ぶべき姿勢であろう。

 トヨタでは、各現場から、実に年間60万件もの改善の提案がなされる。そして、そのうちの90%以上が、実行されているという。

 トヨタの合言葉である「カイゼン(改善)」は、今や世界中に知られる国際語となった。自身を常に変革していく勇気──それが、トヨタの世界的な躍進を可能にしているのである。

 トヨタの張富士夫副会長も、「人間の知恵には限りがない。だからカイゼンも永遠に続く」と述べておられた。


【代表幹部協議会でのスピーチ 2005-11-25 創価文化会館


 あらゆる企、団体、組織が生き残りを賭けて、様々な努力を必死に積み重ねている。油断したところは生存競争に敗れる。激しい変化に対応できない組織は、どんどん淘汰されてゆく。


「改善」は“善く改める”と書く。「改良」は、あるベース(土台、基準)があって、それを発展させるイメージがあるが、「改善」は、“悪しき欠陥”への認識が前提となっている。


 では、ここでいうところの“悪”とは何か? 一言でいえば、“非合理”ということに尽きる。企であれば、無駄な時間やコストが発生し、労働欲を削(そ)ぐ要素であろう。学会であれば、広宣流布を遂行する会員のモチベーションを低下させる要因といってよい。


 本来であれば、上の役職になればなるほど、労がつきまとうのが当然だ。しかし、私の周囲を見渡す限りでは、それが逆転している。上になるほど、楽そうに見えるよ(笑)。支部長・本部長・区長は人を集めて、打ち出しを落としていりゃ、それで済む。だが地区部長・B長は、そうはいかない。


 後輩が困っている、やりにくそうだ――そこに改善する余地が生まれる。なきを澄ませる人でなければ、改善に着手することは不可能だ。


 日本の組織は、決定に時間がかかるといわれる。中間管理職の無責任にその原因がある。責任を押し付け合い、なすり合い、責任を取らない――そんな連中が改善を阻害している。


 官僚菩薩を見極める眼が必要だ。

2006-06-01

富士一跡門徒存知の事


一、御筆の本尊を以て形木(かたぎ)に彫(きざ)み不信の輩に授与して軽賎する由・諸方に其の聞え有り所謂日向(にこう)・日頂・日春等なり。

 日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信の有る輩に忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり。(1606頁)


 日向日頂六老僧のメンバーであり、いずれも10代前半から大聖人門下となっている。彼等は最高幹部でありながら、大聖人が認(したた)められた御本尊を形木に彫刻し、不信の輩に与えた。


 五老僧は皆、御本尊を軽視していた。彼等は「釈迦如来を崇(あが)め奉るべし」(1605頁)と主張し、実際に堂舎を造って像を安置した。そして、あろうことか、御本尊像の背後に掛けたのだ。そればかりではない。五老僧の影響によって、御本尊を遺体の上に載せたまま葬ったり、売却する信徒まで出始めた。


 この御文の前には、「或は親には強盛の信を以て之を賜うと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も弟子等之を捨つ、之に依つて或は以て交易し或は以て他の為に盗まる、此くの如きの類い其れ数多(あまた)なり」(1606頁)とあり、信の継承が困な状況まで記されている。


 師亡き後、五老僧は次々と裏切っていった。「富士一跡門徒存知の事」は、大聖人亡き後の弟子の姿をダイジェストしたもので、淡々と事実のみが記されている。しかし、その行間には、日興上人の紅涙(こうるい)が滴り、一人立つ吹が焔(ほのお)の如くあふれている。


入会三原則は守られていますか?」とのアンケートに103の方々にお答え頂いた。「守られている」と答えたのは、わずか17.5%である。クリアすべき課題を避けて、立派な信仰者が育つはずもない。それどころか、新入会メンバーが安易な折伏をする要因になるだろう。少し長い目で見れば、御本尊を粗末にする結果となることを互いに戒め合いたい。


 入会三原則を軽んじ、踏みにじっている組織は、壮年本部長に問題がある。また、これを推進しているのは、成果主義を煽(あお)る婦人部幹部と相場は決まっている。いずれも五老僧の眷属と得られよ。


 日興上人の仰せに従えば、私のところの御本尊も取り上げられてしまいそうだ(笑)。


 大聖人が魂を墨に染め流して認められた未曽有の大曼荼羅である。当時だって、門下というだけで頂けたわけではないのだ。絵画の価値を知らない人に、ピカソ直筆の画をあげる人物がいるだろうか? いるわけないよね(笑)。


 御本尊授与に至る判断や経過に、信の厚薄が象徴されている。


 蛇足になるが、この御文からわかることは、日興上人は、不信の輩に御本尊を授与したことを責めておられるが、御本尊を形木にしたことは問題視されてない事実である。このことからも、御本尊を書写することが法主に限った権能でないことが明らかである。