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2006-06-28

牧口先生「大善の光明に照らされると、悪の正体は暴露される」


 牧口先生は、“大善の光明に照らされると、悪の正体は暴露される”と述べておられた。

 小善の前では、悪の存在は大して目立たない。しかし、大善を前にすると、その狂いが明らかになる。

 それはあたかも、人が暗闇から急に太陽の下に出ると目がくらみ、強烈な光を正視できないようなものである。

 それと同じように、絶大なる妙法の光明に照らされると、それまで潜伏していた悪があぶり出され、追い出されていくのだ──牧口先生は、こう喝破されたのである。

 皆さま方は、妙法という不滅の太陽を胸に抱いた、「善の中の大善」の闘士である。ゆえに、いかなる悪も、不幸も、すべて打ち破って進んでいくことができる。

 そのためにも、強盛に祈り抜いていくことだ。学会活動に励むことだ。正義のを燃やして、勇敢に戦い抜いていくことだ。

 学会の組織で戦い切った人は強い。何があっても崩れない。

 反対に、どんなに偉くなり、社会的な地位を得たとしても、学会活動を軽視し、学会の組織から離れた人は、最後は惨めである。

 その本質は、要するに見栄っ張りである。そこから信がおかしくなっていく。これは戸田先生が言われていたいことである。

 学会の中で「」を磨き、「人間」を鍛える──そこに人生の勝利の王道があることを忘れてはならない。


【神奈川・静岡合同協議会 2006-01-12 神奈川文化会館


 牧口先生は俗衆増上慢を現し、最後は軍部権力によって三畳一間の獄舎に囚(とら)われ、殺された。戸田先生は道門増上慢を現し、宗教界を動揺せしめた。池田先生僣聖増上慢を現し、日蓮法がもつ普遍を世界へと宣揚した。


 虐げられる側が我慢を強いられる社会では、差別が当たり前のようにまかり通る。例えばアメリカにおいては、黒人がバスの座席を白人に譲ることが“常識”だった時代があった。それを打ち破ったのは、若きローザ・パークス女史が発した「No!」の一言だった。


 中学生や高校生の頃、友達からの「悪への囁き」は日常的に行われる。「煙草を吸おうぜ」「万引きしようぜ」などなど。仲間外れにされることを恐れて、つい同調してしまう場面も多い。だが、これに対して「嫌だね」と言った瞬間、相手の悪が暴露されるのだ。


 善は、悪を照らし出す光である。


あなたは組織内のどんな問題も見逃さないですか?」とのアンケートに対して、38.8%の人が「どんな問題も見逃さないし、実際に解決してきた」と答えている。しかし、ハッキリ言って自己採点が甘過ぎるとうよ。


 一番厄介なのは、悪のないダラ幹なんだ。一見すると、真面目で人柄もよい。しかしその実態は、惰に流され、燃え上がるような広布への情熱もなく、現実に広布を推進する気概も持ち合わせていない。こんな連中が大半だよ。小さな問題が見過ごされ、大問題にまで発展する。地元幹部はあたふたするだけで、上の幹部に全部おまかせ。一区切りつくと、何事もなかったように涼しい顔をしている。


 これじゃあ、組織も役職も無味なものになってしまう。


 大聖人の精神は「立正安国」に尽きる。正義を立てずして、安国はない。小さな悪と妥協するところから、組織は腐りはじめる。


【※指導は、NON氏の投稿によるもの】

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