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2006-09-11

君でなければならない君のイメージを抱け


 時とともに

 革命の厳しき河は流れる

 今日も そして明日も――


 若き君よ

 清新の光を放つ君よ

 君でなければならない

 君のイメージを抱き続け

 山河鮮かに

 強靭な 堤防を築くことだ


 君よ 走れ

 民衆のために 走れ

 君の無辺の限界を探(たず)ねて 走れ


【「革命の河の中で」/1971-09-05】


 詩の冒頭部分。言論問題を乗り越えた生命力が、詩のあちこちに横溢(おういつ)している。前年(昭和45年)に書かれた「青年の譜」とは一線を画す何かをじる。


 理情の融合。先駆者のみが知る悩と、後継者への万の期待。詩を貫いているのは「生命と生命の紐帯(ちゅうたい)」だ。師のに触れて、私の血はたぎる。毛細血管の隅々(すみずみ)まで脈々と血潮が流れ通う。


 理を求め、希望に生きる中で、「清新の光」が放たれる。大人は計算高く、野とエゴで動く。未来を託すことができるのは青年だけだ。見通しが悪い時代であればあるほど、希望に燃える人は光り輝く存在となる。


 そして、10年、20年後の自分自身のイメージ(理像)を抱き、更には、学会と社会のイメージを描き、具体的な広宣流布の軌道を、まだ見ぬ地図の上に記すのだ。「堤防」とは、「生命の安全地帯」である「学会の組織」だ。革命の河は岸辺を洗い、大地を肥沃(ひよく)にする。氾濫(はんらん)させてはならない。いかなる暴風雨・増水にも耐える、磐石な堤防が必要だ。


「一身の安堵」(31頁)を願う青年は、革命の担い手たり得ない。マイホームを手に入れて満足する程度の人生しか歩めないだろう。青年であれば、動なき人生を拒絶せよ。ドラマなき日常を断固として拒否すべきだ。もなき人々から絶賛され、「あの人ありて」と口々に謳(うた)われる自分を志向するのだ。


 それにしても、この詩を書かれたのは、43歳の時である。現在(いま)の私の年だよ。わずか数行の中に四菩薩義すら窺える。「嗚呼(ああ)――」とためをつくまい(笑)。


 大を乗り越えて前に進む人間――私はその人をと呼ぼう。


【※指導は、近藤氏の投稿によるもの】

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