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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-10-14

表彰の意義


 晴れがましく、記表彰の栄誉に浴された全国の功労者の皆さん方に、から“おめでとう”と申し上げたい。表彰のつくものは、一般世間においても、一つの儀式として数多く行われてきている。しかし、これまでも大勢の識者から指摘されている通り、それらの多くは、時とともに色褪せてゆく利の表彰ということができよう。

 これに対して、皆さん方に対する表彰は、御本日蓮聖人の三世通暁の法理にのっとって行われるものであり、もったいなくも日蓮大聖人、三世十方菩薩から称賛されるのと同じ義を有することを確信していただきたいのである。

 言うまでもなく学会表彰は、この世で誰人もなし得なかった不幸な友の救済と、人間革命運動を推進してきた最も尊い功労者に贈られるものである。したがって、我が学会の顕彰こそ、まさしく“生命の勲章”ともいえるものであり、後世に顕彰されゆく最も誉ある福運の象徴であることを、ともどもに銘記し合ってゆきたい。


【会長就任17周年記表彰式 1977-05-01 創価大学体育館】


 こういうことは、きちっと踏まえておきたい。私は、「広布の語り部」「創価の伝承者」として余生を過ごすつもりである(あと30年ほど)。


表彰ったって、どうせ一部の幹部で選んでいるんだろう?」というも聞こえてきそうだが、そんな浅いレベルのものではない。もちろん因果倶時だから、自分が祈り、行動した瞬間に、“生命の勲章”は決定されている。その上で、「和合僧である学会から表彰された」という事実が因となり、次の果につながってゆくのだ。軽々しく考えてはいけない。


 私が高校生の頃のこと。何の気なしに本棚の上にあった丸い筒を開けてみた。それは、父がもらった表彰状だった。「池田大作」と書かれていた。既に、父とは断絶状態にあったが、何とも誇らしげな気持ちになったものだ。丸い筒に入った表彰状はいくつもあった。それを部屋に飾ってないことに、私は更なる動を覚えた。「男ってえのあ――やっぱり、そうだよな」と。


 私は表彰状こそもらってないが、金褒章を始め、数々の激励品を頂いてきた。書籍は30冊あまり。その他、メダル、短冊、押印入り和紙多数、原稿の復刻版多数、小説『人間革命』の挿絵の有田焼、写真、ネクタイ3本、ネクタイピン、ワイシャツ、3色のサンバイザー、ステーキ皿、海外のジャム、テレフォンカード等々。お小遣いを頂いたことも。


 今、振り返って、「本当に自分は頂く資格があったのか?」と疑暗鬼に駆られる。「今日、果たして、そのに報いたのか?」と我が身を責める。


 広宣流布労を知った分しか、先生のことは理解できない。衛星中継を見て、涙を流す人を時折、見かける。厳しいことを言わせてもらうが、涙にも十界があり、境涯によって味が異なる。


「先生!」と皆が言う。しかし、十人十色、千差万別の「先生」がいるのだ。いずれも、「自分」というフィルターを通して理解していることを自覚したい。


 北京師範大学から200番目の学術称号となる「誉教授」を授与された先生は、水の如く淡々と挨拶をされていた。不謹慎なことを書かせてもらうが、やはり先生はカッコイイ(笑)。

二木啓孝(ふたつき ひろたか)という人物


 イエロージャーナリズムで飯を食ってる連中の一人。いわば、「ミスター醜聞」。人が吐いたゲロを食ってるような手合いだ。先日も、関西のローカル放送で、先生の悪口を言ってた模様。まあ、以下のページをご覧あれ。どんな種類の人間なのか一目瞭然。

中国は文字の国


 伝承文化の歴史からいいますと、中国文学は早くから文字化してしまったということのため、むしろ口承文学としての格の叙事詩を残す機会を失ったのではないかとう。文字が早くからできすぎた、逆説的な言い方になりますが、そのようなことではないかとうのであります。

 文字以外の伝え方として、いくらか興味のある話がございますので、ご紹介しておきますと、文字のなかった時代を未文字社会という。文字が未だ生まれなかった社会として、そのように呼ぶわけです。人間の歴史を50万年として、未文字社会は49万5000年ですかね。その長い間が未文字社会ということになるわけでありますけれど、その中で古い伝承を、のちまでも残しているという民族も、まだいくらかおるのですね。


【『白川静 文字講話 I』(平凡社)】


 文字に関する覚え書きを――


 世界最古の文字は、エジプトのヒエログリフである。紀元前3200年前につくられたというのが定説。ナポレオンがエジプト遠征の途中で発見したロゼッタ・ストーンによって解読が可能となった。


 これより随分と後になるが、インド奉献石板浮き彫り絵に書かれたサンスクリット文字がインド最古のもので、紀元前3世紀。


 一方、漢字のルーツとされる甲骨文字(亀甲獣骨文字)は占いの結果を書くために使われ、殷代後期(紀元前14〜11世紀)とされる。ということは、御書に度々書かれている「殷の紂王」の時代(紀元前11世紀)も含まれている。【甲骨文字の写真


 日本最古のものは、4世紀前半に書かれた三重県片部遺跡出土の土器墨書「田」、という文字。


 現存する最古の書物「古事記」が712年。620年に、「天皇記」「国記」が聖徳太子によって書かれているが、645年の大化の改新時に焼失。


 釈迦法を止揚し、体系化したのは中国の天台大師である。しかし、こうしたテキストを読むと、漢字が果たした役割も大きいようにじる。釈尊の時代に文字は存在したが、法を文字化することはなかった。天台は文字をもって再構築した。大聖人は、更に文字で曼荼羅を顕した。「文理真正の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり」(383頁)。


 中国の文字は基本の字形がそのまま後にまで残っておって、基本形がわかっておれば、その延長戦の上で、すべて理解することができる。ところが、ヒエログリフがヒエロティックになり、デモティックになるというような段階は、大変に省略が激しくて、とてもその推移のあとがわからないのです。


【同】


 つまり、法がヨーロッパに伝わっていれば、文字の変遷(へんせん)によってが混乱した可能がある。というよりはむしろ、堀堅士氏の「イエスが説いたのは大乗仏教だった」という説が補強されることになりそうだ。


 三国四師の「三国」についても、しっかりと学ぶ必要あり。

幹部のマナーがなってない


 昨夜、本幹衛中に行く。先々に副B長になった方と、3ヶぶりに参加する方を伴って。


 私の組織は東京都下の田舎のため、幹部の携帯マナーがまるでなってない。前任の区長自ら、衛星中継の合間によく携帯電話を使用していた。いつか、首を絞めてやろうとっていたのだが、知らぬ間に組織が異動となっていた。幹部が話している最中、前に座っている婦人部が携帯メールを打っている姿も決して珍しくない。


 このような常識のない幹部が非常に多い。できることなら、一度脱会して、世間で常識を学んでから、再入会して欲しいもんだ。


 前々から私はを煮やしていた。すると昨日、こんなことが起こった。衛星中継の受信状況がよくなかったのか、担当役員がやたらとデカイで内線を使って話をしていた。私が二度ばかり、舌打ちをして睨(にら)み付けた。効き目なし。と、私が連れ出した副B長が普通ので「うるさいな」と言った。これまた効き目なし。副B長は叫んだ。「前の方、うるさいぞ!」。婦人部の目が私の後方に集まっていた。振り向くと、立ち上がった副B長が男子部の役員に止められていた。すかさず私が歩み寄り、「いいよ、いいよ」とを掛け、内線で話している幹部に「もっと、小さなで!」と伝えた。


 帰り際に、「いやあ、○○さんが暴れるのかとったよ。どうせやるなら、ぶん殴ってやってもいいよ。殴った後で私が止めるから」と言うと、ケラケラと笑っていた。彼と私だから、よかったようなものだ。このように、最前線での戦いを、デタラメな幹部が木っ端微塵にしてくれる。私が7回ほど足を運んで、やっと連れ出しているのだ。


 最前列の青年部に先生がを掛けられる。女子部の一人が出身校を尋ねられ、「名桜大学です」「エッ、何大学?」「前のに、桜と書きます。沖縄です。先生、ありがとうございました!」という、やり取りがあった。


 ご存じのように、沖縄は去る910日に統一選があり、見事完勝した。時を合わせるように、91日から再び連載が開始された『新・人間革命』は、沖縄を舞台とした「虹の舞」の章だった。一人の女子部と先生のやり取りで、沖縄いも寄らぬ最高の総括をすることができた。決して偶然ではない。の所作とは、こういうものなのだ。


 海外のメンバーによる「五丈原の歌」は全く悔しい限り。実は、いつの日か先生の前で歌おうとに決め、私はずっと練習を重ねてきたのだ。でも、いいや(笑)。