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2006-10-26

昭和17年2月1日に行われた幹部会


☆牧口会長総論、「依法不依人」の精神を以て、一家も一社も各支部も専制的指導を誡めよ。

☆新支部長決定 かくて支部数は二十五となる。

☆野島理事の提案に基き、次の如く決定

 一、折伏強化運動 各支部は会員を倍加すること。各支部毎に一人が一人以上を折伏すること、第一期は六末とし、増加会員を理事長に報告する。各支部は地域的に会員を定めること。各支部長は各支部会員簿を整理し、三一日までに理事長に報告する。

 二、挺身隊の設置 各支部より挺身隊員候補者男子二以上を推薦し、本部理事会により決定する。

  目的

   1.各職域の指導的地位にある者を折伏する

   2.特別会員の獲得

   3.退転者の再折伏

   4.当宗の害虫的信仰者の再折伏

   5.僧侶の諫暁

 三、婦人部の活躍

    婦人部も挺身隊に準じて、各支部より挺身隊二以上を推薦する。

 四、地方支部は右に従う


【『価値創造』第6号(昭和17年210日発行)】


 当局による弾圧が始まったのが、この頃(昭和17年/1942年)だった。戦前の創価教育学会は、教員達が牧口先生を慕って自然に会員数が増えていったものと勝手にい込んでいたが、大間違いであることが判った。先師牧口先生は一人立ち上がって、宗教革命の火の手を上げた。既に前年の昭和16年(1941年)暮れ頃から、牧口先生は政府との対決姿勢を明らかにされていた。齢(よわい)七十を過ぎて、まさに三類の強敵を呼び起こす闘争をし抜かれた。機関誌の『価値創造』はこの後、510日に発行した第9号をもって、当局の指示によって廃刊に追い込まれた。


 1010日、日蓮正宗宗務院は、伊勢神宮を遥拝するよう「院達」を出した。更に1119日には、日蓮正宗で報国団が結成される。宗門も法華講も、戦争への協力を惜しまなかった。このような状況下にありながら、牧口先生座談会を開き、折伏を推進された。既に特高刑事が座談会を監視するようになっていた。そして遂に、翌昭和18年(1943年)76日の逮捕劇となる。


 法華講員は、「害虫的信仰者」だった。これが歴史の事実である。更に、「僧侶の諫暁」とは、日蓮正宗の坊主に対するものであろう。これが他宗であれば、「破折」と表現するはずだ。日蓮正宗は既に邪宗と化していた。

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