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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-10-30

「Rydeen」YMO

「あんまり信とは関係ないことを紹介するなよ」とった君は甘い。甘過ぎる! この曲が収録されたアルバム『Solid State Survivor』は、1979年925日に発売されたのだ。つまり、会長勇退の年ってこと。時代が大きく変わることを象徴していた曲である。

「生死一大事血脈抄講義」抄録 6


 十界といっても、決して固定した環境、客観的な情勢をいうのではない。自己自身の生死の山河の中に十界の当体があるということであります。

 借金取りに追われるとか、受験勉強しむなどということが地獄界の生命の一つとして考えられてまいりました。しかし、より本源的には、地獄しみも、生死にかかわるしみであります。生きたい、死にたくないというあがきから、地獄しみが生まれてくる。様々なしみは、その派生的なものといってもよい。餓鬼界も、生死にかかわる「貪り」の生命でありましょう。言い換えれば、日々の生活はその奥深くに「生死」というテーマが常にかかわっているのであります。病気でしむのも死にたくないからであり、誉や地位を追求するのも、学問の道を目指すのも、その人の人生へのかかわり方からくる問題なのであります。

 日常の些細な事象、それをただそのままでとらえていれば、生命の本義はわからない。些細な喜怒哀楽のようにみえても、奥深くで生死ということ、生命・人生ということと結びついているのであります。世の人々はそれを識的にか、無識的にか、避けているに過ぎないのであります。    

 この十界の変遷(へんせん)の奥に横たわる、深刻な生死の課題、生命自体の問題に取り組み、それを昇華させていってこそ、初めて境涯の転換もある。六道から四聖へ、二乗から菩薩道へ、また界へという人間革命は、生死とかかわる姿勢、人生への態度、そして生命の究極法を求めることによってしか、なし得ないともいえるのであります。


【『「生死一大事血脈抄」の池田会長講義』/聖教新聞 1977-04-18、20、22、25、27、30日付】


 メールマガジンの指導が短過ぎたので、大幅に付け足しておいた。


 ためが出るほどの指導である。以下、要暗記のこと――

  • 自己自身の生死の山河の中に十界の当体がある。
  • しみ」は生死と関わっている。
  • 日々の生活の奥深くには「生死」というテーマが常に関わっている。
  • 楽」とは、その人の人生への関わり方が現れたもの。

 先生は、人生と生命の天才であられる。私の持ち合わせる貧しいボキャブラリーでは、そうとしか表現のしようがない。ただただを飲んで、「凄い!」と叫ぶ以外にない。多分こういう覚を抱かせる人を、古(いにしえ)の衆生は「」とづけたのだろう。


」とは世間でいう位とは異なる。釈尊も大聖人も「私はだから拝め」なんて一度も言ってない。だから尊敬されたのではなく、尊敬されたからなんだとうね。さしずめ、「諸法実相抄」の倶体倶用の如し。


 十界論ってえのあ、やっぱり凄いね。生命の変化相、固有と尊厳、平等と可能、方向と志向、垂直の時間と水平の空間、環境と主体、因果応報と縁起……。生命をあますところなくすくいとった上で、切り取られた境涯の断面図が十界なのだ。


 もっともっと、十界論から派生した研究・索が必要だ。