Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2007-05-29

内部告発


 村上龍の番組(テレビ東京)を偶然、チラッと見た。ゲスト出演した弁護士の久保利英明氏が興味深いことを話していた。


「平(社員)がシャッポを切る」と。社員の不祥事によって、企のトップが退陣に追い込まれることを巧みに表現している。


「なぜ、内部告発が増えたのか?」――村上龍の質問に久保利氏はこう答えた。

  • 昔の会社は家族だった。社長が父親。身内識が強かったので、社内の問題が外に漏れることはなかった。
  • バブルが弾けてから、企という企リストラを断行した。これによって、会社=家族という関係が破壊された。つまり、もう家族ではなくなった。
  • のリストラによって内部告発が増えた。
  • 内部告発は単なる密告ではなく、社員の悲鳴である。
  • 問題が外部に発覚してからでは遅過ぎる。
  • の内部で、問題を吸い上げるシステムづくりをすることが優先されるべきである。

 結局、自浄能力が働かなくなった時、内部告発という形でしか組織の腐敗を防げなくなっている現状がある。何ともやり切れないいに駆られるのは、本来、仲間であったはずの同僚に対して、敵へと変貌せざるを得ないほどの我慢を強いているためだろう。

2007-05-28

安斎伸


教の普遍を現代に証明


◎卓越した指導で社会に有為な人材輩出

師の気高き信仰に賭けた半世紀

 池田誉会長は、創価学会を国内においてのみならず、SGI創価学会インタナショナル)として千波万波のごとく世界に拡大され、大宗教教団に発展させられました。しかも、創価学会SGIを一つの信共同体として一致結束せしめた、その指導力はまさに驚嘆に値するものです。


 なぜ、このような発展が可能だったのでしょうか。


 アメリカの社会学者・リースマンは、現代人をの故郷を失った「孤独なる群衆」と呼びましたが、現代における教団形成には、こうしたの故郷を失った現代人にの故郷を与え、理を持たせ、欲を喚起させ、信共同体を結成、拡大させることが求められているのです。そして、誉会長はこれらを見事に実現されたのです。


 更に教団形成には一致した教え、教義が必要ですが内に対しては日蓮聖人法を研究、理解、実践され、会員の宗教を高めるのみならず、現代日本において宗教の再生に貢献されました。


 また外に対しては、世界的な反核平和運動をグローバルに展開し、教の普遍を現代に見事に開花されています。これらは誉会長の現代的な見識によってなされたものです。


 SGIは、また国際的な文化活動を積極的に展開しています。こうした学術・文化活動に対し、誉会長が国連平和賞をはじめ、各国、各大学から数多くの誉称号を受けておられるのは、その方面における貢献が高く評価されているからです。


 更に学問の振興と学者の育成にも力を注がれている点は注目されます。例えば東洋哲学研究所の発行する『東洋哲学研究』は、国際的にも高いレベルにあります。


 創価大学所属の研究者が国際学会において発表する機会も多くなっています。先、フランス・トゥルーズで行われた国際宗教社会学会においても創価大学教授、東洋哲学研究所研究員が活躍し、ポワイエ会長、ドベラーレ博士、ウィルソン博士、アイリンバーカー博士らからも高い評価を得ていました。


 また誉会長は自らも、世界的な歴史家トインビー博士、平和学の創始者ガルトゥング博士などの学者、文化人等との対話も重ねられ、数多くの対談集を刊行されています。これら多くの学者が誉会長に接し、創価学会を高く評価していることを忘れるわけにはいきません。


 誉会長の績はこれら様々な点から論じられますが、なかでも学会の将来を展望しつつ、青年、学徒の育成に情熱を注がれていることを見逃すことは出来ません。青年、学徒に期待し、彼らを育成する誉会長の熱は、青年に贈る詩、また近刊の『青春対話』などからも明らかです。


 時は過ぎゆくものであり、21世紀は現在の青年に託す以外にありません。誉会長が語るように青年を鍛えることが盤石な21世紀を築くことになるのです。その味でも、学会が優れた青年たちを世界に輩出していることは、頼もしいかぎりです。


 また青年だけでなく、一般会員の教学の深化にも力を注がれています。これは宗教として非常に大切なことです。ただ単に説教を聞かされるだけでなく、会員が自ら教学を研究するなかに、宗教にとって大切な個々人の新鮮な動が生まれるからです。しかもそれらは決して解な教学論ではなく、だれにでも理解しやすいものであります。


 注目すべきは、このような会員への指導を広く浸透させるなかで、創価学会における婦人層の活動を高められたことです。誉会長は折々の指導のなかで、広宣流布における婦人の使命と希望への道を示されています。


 誉会長のこれらの期待に応え、婦人が広宣流布に惜しみなく力を注いだからこそ、今日の学会があると言っても過言ではありません。これはまた、21世紀に更に学会が発展する大切な基盤でもあります。


 平和・文化・教育と多分野に及ぶ誉会長の50年にわたる広宣流布の努力を見るとき、それは戸田第二代会長に賭けた人生と見ることができるのではないでしょうか。


「信仰は賭けである」とは、フランスの哲学者パスカルの言葉ですが、“信仰に生きる”とはまさに一つの“賭け”であり、そこに一身を投ずることでしょう。


 誉会長の原点には、戸田会長と出会い、獄中でもなお屈しない、その人の気高き信仰に自らの人生を投じる19歳の青年の純粋な賭けがあったと私にはえるのです。


 生命を賭して、時の軍部政府に抗い、信仰を貫いた牧口初代会長。その志を継ぎ、戦後の荒野に一人立たれた戸田二代会長。そうした希有(けう)な指導者が賭けた信仰に、誉会長も賭けられ、その初、生き方を貫くことで信仰を深化させ、また深めていくことで揺るぎない信仰の基盤を築かれたのでしょう。


 それが誉会長の50年間の信仰を決定づけるものになっているのではないでしょうか。


 創価学会SGIの活動を実際に目にすると、その活動は非常に開放的であることがわかります。また世界の平和を訴え、各国の文化を尊重していることに気付きます。現代は多様化、多元化の時代です。誉会長自らSGI会長として他国の文化に深い理解を示すからこそ、各国が厚い信頼をSGIに寄せているのです。


 近年、創価学会は宗門と離れ在家教団としての道を歩み始めましたが、開放的、革新的な学会と、閉鎖的、保守的な宗門とを比べれば、これは避けがたい必然的な結果であったと私は見ております。


 平和・文化・教育の価値も理解できず、伝統に固執し、権威と力で信徒を押さえ付け、時代錯誤に陥った宗門。そこから独立しなければ、創価学会もやがては独善的、閉鎖的な教団として終わってしまい、未来も世界も絶たれていたことでしょう。


 この事実を日本の識者、ジャーナリストらは知らなければならないのですが、全く理解していない。宗門も然りですが、私はそこには一種の嫉妬があるからではないかと見ております。


 かつて私自身、「なぜ、創価学会を支持されるのですか」との質問を受けたことがあります。


「学会には倫理があるからです。を敬うがあるから、私は学会に惹(ひ)かれるのです」と答えました。


 宗教倫理なき時代に学会の果たす社会的責任はますます大きくなっていると申し上げたい。


 誉会長には、これまで通り、学会としての宗教を押し出しながらも、他国の文化を尊重し、これらと協力し、平和運動を進めていかれることを望んでおります。またこれを通じ、会員はもちろんのこと、日本人の宗教の育成につとめていただきたいと願するものです。(談)


上智大学 安斎伸誉教授(あんざい・しん)/1923年生まれ。東京大学文学部宗教学科卒。ウィーン大学社会学科博士課程修了。主にキリスト教の立場から、宗教と社会の関わりなどについて研究を重ねてきた。著書に『宗教と社会変動』『南島におけるキリスト教の受容』等がある》


創価新報 1997-08-20付】


 清水紀行氏のサイトより転載させて頂いた。より謝申し上げる次第である。

2007-05-27

産経新聞の犯罪


 産経新聞の匿コラムで、先生を誹謗したものが過去にあった。


斜断機「“世界史上まれな”勲章の王様」


 間誌「潮」をはじめ創価学会の一般向け出版物はいろいろあるが、そのひとつ「創価学会ニュース」を見ていつも驚くのは、その大半が一個人の宣伝に当てられていることだ。8号を例にとれば「世界的彫刻家と語らい」「モンゴル国立大学の哲学博士に」「世界百都市が顕彰」「中国蒙古文学学会誉顧問に」などなどの目次のもとに扱われているのは、「上、御一人」池田SGI創価学会インターナショナル)会長のみ。例えばこんな調子だ。

「池田SGI会長に対する世界最高学府からの「誉博士」「誉教授」の顕彰は、これまで45を数える。決定通知があったものを含めると50を越え、全世界の歴史上、極めて、まれである。50もの大学からの「英知の宝冠」……それは何より雄弁に、世界が認めたSGI会長の績の普遍(ユニバーサリティー)を物語っている」

「『世界市民』としてグローバルな平和行動を展開する池田SGI会長には、これまで海外107都市から顕彰が行われている。最高賓客/特別顕彰誉市民/勲章/市の鍵など、その栄誉は多彩。そのうち誉市民に相当する称号は、70余都市から贈られている」。まことにおめでたいことと申し上げたいところだが、この礼讃記事を文面通り受けとる者は、忠実なる信者以外にあまりいないことを、そろそろ編集者は理解したほうがよかろうとう。

 第一に、掃いて捨てるほど与えられた誉博士/誉教授は「英知の宝冠」などではなく、信者の汗の結晶である莫大な「寄付金の宝冠」である。第二に、教授や博士の称号をかくも有りがるということは、池田会長個人学歴不足、学問不足の抜きい劣等があると見透かされること。第三には、勲章や顕彰の多さをこれほどまでに喜ぶということは、誉欲の旺盛な俗物を宣伝するようなものであって、教指導者としての深い自覚に欠けることの証明でしかないこと。日本は大転換期。この大教団もいよいよリストラの時を迎えたようだ。(治)


【産経新聞 1997年98日付夕刊】


 このコラムに対して、何とクリスチャンである安斎伸氏(上智大学誉教授/当時)が反論を寄稿した――


斜断機へ


 最近、産経新聞の夕刊が「宗教/こころ」の特集を大きく組み、連日これを掲載し始めたことは、宗教無関時代に快挙とも英断ともわれ、筆者も貴紙を購読するようになった。特に現代の宗教指導者たちがテーマごとに「語る」欄は、筆者の愛読するところであり、この頁を評価してきた。

 ところがさる98日付けの「斜断機」に、現代日本の大教団である創価学会の池田誉会長に対する憶測からする誹謗記事が掲載されているのを読み、驚いた。「斜断機」は匿コラムとはいえ、一個人の勝手な放言欄ではなく、いやしくも世界にグローバルな平和運動を展開し、現代人のの再生と拡充を目指している大教団の指導者に対して頭から侮蔑の論説を浴びせてよいはずがなく、当事者及び関係者に対しても礼を失するばかりでなく、同紙の中立的、協力的な宗教特集にも大きく矛盾する。この欄の当日の筆者は、「創価学会ニュース」を引用しながら、これまで池田誉会長がアジアの哲人として各国から顕彰され、多くの大学からの誉博士号や誉教授号を贈られたことを、あたかも金で買い取ったかのように述べているが、邪推としか言いようがなく、ご本人のみならず、顕彰を行った各国、各大学に対しても非礼であろう。まして、「学歴不足、学問不足の劣等」があり、「誉欲の旺盛な俗物を宣伝する」などと書くにいたっては、憶測の域を出ないものであり、論説者の公に口にすべきことではない。

 劣等誉欲と俗物で大教団の指導、統率ができるなどと、この筆者は本当に考えているのであろうか。長年にわたり、宗教を研究してきた一人として「宗教蔑視」ともいえる誹謗を看過できず、一文をしたためた次第である。


【上智大学誉教授(宗教社会学安斎伸/産経新聞 1997年922日付】


 産経新聞を購読している学会員は、直ちに購読を中止すべきであると言いたい。外と知られてないが、新聞購読は実は「契約」ではない。それが証拠に、契約書とい込んでいるものは、「購読申し込み」となっているはずだ。これが契約書であれば、長期購読で合計金額が3万円以上となった場合、収入印紙を貼る必要があるのだ。それ故、新聞という新聞はいつでも購読を解除することが可能である。


 産経新聞に反省を求めたい学会員は、地元販売店よりも、産経本社に電話で「購読中止」を申し出るべきである。

2007-05-25

「試写室」


 テレビ欄に「試写室」というコラムがある。切れ味のいい短文で、テレビ番組の見所を紹介していて参考になる。聖教新聞に掲載されているコラムの中では、抜きん出た文章だと密かにっていた。


 今日付で取り上げられたのは、「山田太一ドラマスペシャル 星ひとつの夜」(フジテレビ系列)。


 3年ぶりのドラマ出演にしては地味な役にもえるが、渡辺(謙)の存在に陰りはない。笑いの表情一つに、人生の辛酸をなめてきた男の胸の内を克明に描いてみせた。


 こんな秀逸な文章を目にすると、見ないわけにはゆかない。


 いいドラマだった。前半の展開が少々もたついたものの、エピローグの余韻といい、ありきたりのハッピーエンドで完結させなかった点といい、巧みなストーリーテリングだった。


「試写室」の見出しは、「拝金主義はびこる世相をえぐる」となっているが、これは完全な読み間違いだ。株式のデイトレード(日計り取引)で巨額の資金を操る青年を詰(なじ)ったのは、彼の母親だけである。主役の渡辺も、青年の彼女も、彼の投資を否定するような発言はしていないのだ。


 そもそも、資本主義社会を動かしているのは投資である。経済は、実態に伴って動いているわけではなく、投資と惑によって振り回されているのが現実だ。しかしながら、そのこと自体を善悪で判ずることはできない。


 サラリーマン労働力を投資することによって対価=賃金を受け取っている。親は子供に投資をし、子供は時間を学校に投資しているのだ。


 大体が、株取引で稼いでいる人物を悪とするならば、その前に銀行や保険会社、はたまた郵政公社を批判するのが先だろう。銀行なんぞは、ゼロに近い金利で預金者から金をかき集め、それを貸し出しては10倍以上の利をせしめているのである。


「試写室」の【さ】氏が経済音痴であったことは、まことに残である。せっかくの調子が台無しだ。

ゆは殿御返事 その二


 私の稚拙なコメントに対し、お返事大変申し訳ないです。“ストレス発散”というご指摘はまさしくその通りだったと反省するばかりです。今後情が先走ったコメントはいたしません。本当に申し訳ありませんでした。

 私がいる地区の幹部との問題は去年の秋までさかのぼります。副会長含む幹部より、ちゃんとした説明会もなされないままある事柄への決定がされました。それでは納得がいかないので説明を求めましたが、不可解な返答しか得られません。本部へ手紙も書きましたが、手紙を届けた数日後には副会長が次々と家に来て「本部へ手紙を書いたのはあなたですか?」と聞きにきました。激励にきたじではありませんでした。

 幹部不信になり、納得していない方たちと幹部に詰め寄ったのが今回の件です。“組織局”に連絡してみます。情報ありがとうございました。【ゆは


 味のあるやり取りとするために、私のいを率直に綴っておこう。


 ゆは殿は自分の行為を「ストレス発散」と認めた。これが一つ。次に、副会長クラスが訪ねてきたにも関わらず、事態が進展してない。


 この事実から、間違っているのは、ゆは殿自身であると明言しておく。貴殿の正義は偽物だ。正義と錯覚しているが、自分の情を正当化しているだけであろう。既に、人の話にを傾けることも出来なくなっているに違いない。


 組織局に連絡しても、何一つ状況が変化することはないだろう。


 昨日、一昨日の指導を読んでも、い上がった増上慢の生命(いのち)に気づかないようなら、退転するのは時間の問題だ。

心の師とはなるとも心を師とすべからず


 まず、自分自身を支配せよ。次に環境を支配せよ。ただし、人を支配するなかれ。

2007-05-21

発展し、勝ち栄えゆく組織の条件


 1.師弟を根本として、皆が学会精神に燃えていること。

 2.リーダーが、絶対勝利の大確信に立っていること。

 3.異体同で、互いに仲良く励まし合って進んでいること。

『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』


 何と、オーランド・ブルームとチョウ・ユンファが競演しているではないか! こりゃ凄い。二人で、ジョニー・デップを折伏すれば、もっと面白くなるのだが(笑)。

ゆは殿御返事


 チト、見逃すわけにいかないコメントがあったので応じておこう。


 今の座にて本幹中にガムを食べる県幹部をよび、地区のみんなで一喝しました。会員を惑わせ、混乱させ、しめ、役職で呼ばれることに生きがいをじているような副会長を中とした幹部連中の実態に気づき、怒りが涌くなか「創価王道」に出会いました。【ゆは


 先日、おかしな幹部の行動を叱責した地区部長が役職を解任された。腐った幹部の行動は単純にして愚か。これで自分を責める議論の場がなくなったとうなら大間違い。地区の結束は更に高まりました。【ゆは


 一方的な話であるため、どこまで信用していいものか、にわかに判じい。事実関係から推察すると、座談会週間が先週であるから、開催してから数日後には地区部長が解任された計算になる。


 最大の疑問は、これほどの短期間で解任されることが、まずあり得ない点である。通常であれば、事実確認にだけでも数週間は要する。考えられるのは、この地区部長に以前から問題行動があったか、幹部から睨(にら)まれていたかの、どちらかであろう。


 次に、ゆは殿の文章が気になる。情が先立ち、まるで「やり込めてやった。ざまあみろ!」といった内容になっている。かような人物は、他人から煽られると乗っかってしまう傾向が強い。万が一、事実であったとしても、Web上に書くような事柄ではない。単なる、ストレス発散になってやしないだろうか。


 更に、やり方が稚拙極まりない。幹部をやっつける時は、必ずそれよりも上位役職を証人として用しなくてはならないのだ。そうでないと、情報操作される危険が高くなるためだ。そんなことは基本中の基本であり、鉄則といってよい。また、地区部長が解任されても地区の団結が強いということは、派閥識が強い可能も否定できない。


 仮に、衛生中継の席でガムを噛んでいる幹部がいたとしたら、それを見逃している周囲の幹部の方が問題である。


 いずれにせよ、ネット上の情報であるため、事実関係を確認する術(すべ)がない。地区部長に全く問題がないのであれば、学会本部の組織局へ連絡するといいだろう。

2007-05-18

憲法9条に関する私見


 組織が弱くなった原因は、議論がなくなったところにある。自由な見が言える組織は、限りなく発展し続ける。議論がなければ、単なる上下達(じょういかたつ)しか存在せず、法の根本である平等の精神を否定したも同然だ。


 先日、憲法改正の手続き法案が参院で可決された。北鮮の不穏な動きによって、国内では右寄りの勇ましい主張が大衆受けするようになった背景があり、世論調査を見る限りでは憲法改正を支持するが多いようだ。【リンク1リンク2


 通常、「変えてはいけないもの」とは精神や魂に関する部分であって、制度や法律なんぞは、いくら変えたって構わない。むしろ、時代や社会の変化が激しくなればなるほど、どんどん変えるべきかも知れない。


 日本国憲法といえば9条という話になるのが相場だが、果たしてこれは正しい態度なんだろうか? 私にはわからない。だって、憲法を読んだことがないからね(笑)。現行憲法の問題としては、例えば私学助成が憲法違反に該当するという見もあるようだ。


 そこで敢えて一石を投じたい。9条だって変えても構わないんじゃないか、と。私が不議でならないのは、公明党の議員の間でこうした議論がなされてないことだ。大体、公明党も当初は、「安保反対・自衛隊は違憲」と主張していたと記憶している。


 学会は学会、公明党公明党である。学会はイラク戦争に「反対」を表明したが、公明党は自衛隊のイラク派兵を支持した。これでいいのだ(バカボンのパパ風に読んではいけない)。


 始めに宗教的理ありきでは、国民が納得するような政治判断ができないとう。飽くまでも政治の世界では、漸進主義で進めばよい。また、大所高所から世界と国家を論じることがなければ、いつまで経ってもキャスティングボートの立場に甘んじる羽目となろう。


 政治の技術とは利害調整に尽きる。政策とは妥協の産物である。だから、互いに歩み寄る必要がある。どこかの政党みたいに、反対ばかり叫ぶのは一番簡単であり、子供じみている。

2007-05-17

変わりつつある「社会と人間」


 何と大仰(おおぎょう)なタイトルか(笑)。内容は、さほどでもない。


 戦争に明け暮れた20世紀。日本は、鮮特需〜高度経済成長〜バブル崩壊〜空白の10年をもって世紀末にピリオドを打った。


 21世紀が近づくにつれ、不吉な予兆が現れ出した。安全神話の崩壊、キレる子供達、老々介護、猟奇殺人、引きこもり、の病……。


 それまで、教育の目的は「社会のための人間」をつくることだった。大人が用した鋳型(いがた)を拒む若者はドロップアウトせざるを得なかった。


 ところが、いじめリストラが日常化することで、不登校転職が当たり前となった。「自分の将来のため」「会社の繁栄のため」に頑張ることは、さほど味がなくなった。


 子供達がおかしくなってきたのは、時代と社会の歪(ゆが)みを体現しているからだ。


 今、「社会のための人間」から「人間のための社会」への変革が求められている。


 第二次宗門問題が明らかにしたことは、「衣の権威に隷属する愚かさ」であり、「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への跳躍だった。


 であれば、「組織のための人間」から「人間のための組織」へと学会は変わらなければならない。


 おかしなやり方に対して沈黙を保っている幹部が、学会を腐らせる。

関西の同志と出会う


 昨日、関西の同志と新たな出会いあり。私にとっては、諸天善神の働きとして現れた人物である。旧知の間柄のように語り、笑う。再会を約し、別れる。

2007-05-15

無知の段階


 今、読んでいる本に書かれていた言葉。


 無知の第一段階 本当の無知。自分が無知だと知らないこと。

 無知の第二段階 自分が知らないということを知っていること。

 無知の第三段階 自分が知らないことを知り、知らないことが何であるかを知ること。

 無知の第四段階 以上のことをすべて知り、向上するための行動を欲するが、どうすべきかわからないこと。

 無知の第五段階 自分が知らないことを知り、それについて何をすべきか知っているが、行動できないこと。

 無知の最高段階 自分が知らないことを知り、それについて何をすべきか知り、行動をとるという、望ましき無知

2007-05-14

不信


「これだけ祈ってるのに、なぜ?」――時々、こんな科白(せりふ)をにすることがある。私は大いに戸惑う。一度もそんな風に考えたことがないからだ。


「これだけって、どれだけ祈ってんだ?」と訊ねると、1時間とか2時間とか3時間という答えが返ってくる。何だか、御本尊に金でも貸しているような言い草だ。


 大体が、普段はおとなしく、目立った戦いもせず、小ぢんまりとしているタイプが殆どである。


「お前みたいのを、“サラリーマン”って言うんだ。エ、そうじゃねえか? 『8時間働いているんだから、ちゃんと給料を支払って下さい』って言ってるようにしか聞こえねえよ。お前は賃上げ闘争でもやってんのか?」と私は答える。


 目指すべき目的地がありながら、走っては立ち止まり、立ち止まっては、また走る。そんな真似をしているから、ロクでもない考えを起こすのだ。走り続けていれば、不信を起こす隙(すき)など生じない。

2007-05-13

今日は母の日


 一輪のカーネーションを十数の婦人部の方に配る。最初は独り暮らしの方に限定していたのだが、大半の方が該当するため、昨年から60歳以上の活動家全員にプレゼントすることにした。


「こんなことしなくていいのに!」

「よかねーよ」


 私がぞんざいな口を叩けるのも、がつながっていればこそである。カーネーションを持っていった時は殆ど話をしない。「今日は母の日なんで、ハイ」以上である。


 25歳の時から行っているので、早18年になる。男子部の本部長をしていた頃は、地区リーダー以上のメンバーに300円の寸志を願って、毎年、260本のカーネーションを配ったものだ。そういや、一度だけ情が寄せられたことがあった。ある支部の婦人部長から、「未活動のメンバーでもらってない人が、寂しいと言っている」というが出た。婦人部本部長から聞いた私は、「活動してない人にはあげないよ。だって、男子部が世話になってないからね。いいチャンスだから、活動するよう促したらどうだ?」と言っておいた(笑)。東京の下町はね、やりやすいよ。タメ口、利き放題だ。


 とまあ、偉そうなことを書いているが、自分の母親には一ぺんもあげたことがない(笑)。

2007-05-10

2007年5月10日付「寸鉄」


 金銭問題・異問題には厳格に処断。広布の組織を乱せば、は厳然だ。


 まず、前半の文章がおかしい。

 とするべきだ。


 更に、が厳然であるならば、「処断」の必要が薄らいでしまう。また、どこか任せにしているような無責任な印象を受ける。


 そもそも、処断なんかされてないのが現実だ(笑)。会則にも明記されてない。


創価学会会則 第14章 懲戒


 第72条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除の処分を行なうことができる。


「行動」「振る舞い」とは書かれてない。ただ、金銭問題・異問題以上に、この会則の方が問題だとう。しかも、この判断を下す最終責任者に問題があるのだ(笑)。これ以上書くと、私が除になってしまう(笑)。

書くべきか、書かざるべきか


 そうい悩むことが増えつつある。そろそろ潮時か、ともう。「書いてはいけないこと」は瞬時に判断できる。しかし、信行が進めば理解されるであろうとわれる内容についてはが揺れる。一昔前の漫談じゃないが、「わかるかな? わかんねーだろーなー」ってなじ(笑)。


 信とは主観の世界である。人それぞれの世界(境界)があり、信があり、師弟がある。これ、“世間の義”なり。


 その“違い”を生かすのが、組織の本来の目的であり、訓練・育成が必要な所以(ゆえん)であろう。


 多くの場合、批判は弱さの裏返しである。現実を変革できないから批判となるのだ。


 組織が、人と人とのつながりである以上、“恃(たの)むべき人”が必要となる。一人立つ精神は、独善ではないのだ。本当であれば、自分よりも上の幹部が皆、頼りになるのが望ましい。だが、現実は厳しい(笑)。


 私も含めて一般的なレベルでいえば、区長クラスまでで信頼できる人物がいなければ、完全に組織が崩壊しているか、あるいは自分がおかしいか、のどちらかである。


 今、書けないことはたくさんある。なぜ、書けないか? それは、先生がご健在であるからだ。先生がいらっしゃる間は、まだまだ希望を捨てるわけにいかない。


 ブログの評価は、アクセス数とコメントに現れる。アクセス数は申し分ないのだが、コメントを見る限りでは、私の図が半分も伝わってないようなを覚える。殆どのコメントに対し、「お前なんかに、何がわかるんだ?」「利(き)いた風な口を利くなよ」とってしまう。


 私の駄文が少なからず、会員のマイナス情を助長する結果になれば、SNSにでも引っ込むしかあるまい。

2007-05-09

ノルマが組織をフラット化させる


 タイトルは、トーマス・フリードマンのパクリ(笑)。


 この間、ブロック員さんから聞いた話。近所に住む脱会者の婦人が、「私はね、本音じゃ、学会でも宗門でも構わないのよ。でもね、学会の組織にはノルマがあるでしょ? ないって保証してくれるんだったら、いつでも学会に戻るわよ」と言ってたそうだ。


 で、その話を教宣部の支部唱題会でしたところ、幹部から色々な見があったらしいが、ノルマを否定する人は一人もいなかったようだ(笑)。私はそれを指摘して、大笑いした。


 役職に対する責任や自覚の喪失が著しい。最近の幹部は、まるで“地域のまとめ役”である。打ち出しや伝達事項を正確に落とすのが主な仕事と化している。


 どんな戦いでもそうだが、総区や分区の目標がある。んなのあ、組織である以上、当たり前の話だ。問題は支部・地区で、どのように伝えられているかである。


 一昔前なら、単なる数字をそのまま現場に伝えることはなかった。地区部長・地区婦人部長がしっかりと打ち合わせをして、皆の発を引き出すような格好で、打ち出された目標とすり合わせた。


 それがどうだ。今では、「“地区いくつ”という打ち出しです」と涼しい顔で伝えている。


 ノルマが、支部長・地区部長・B長・部員の責任をフラット化させているのが現状だ。しかも、末端になればなるほど、具体的な成果を求められるため、ストレスが溜まる仕組みになっている。

2007-05-05

最前線がマイナーリーグとなる懸念


 師の厳しき指導がある度に緘口令(かんこうれい)が布(し)かれ、参加者は黙って言いなりになる。よくあることだ。


 首脳の考えは明らかであろう。まず、先生の図が誤って伝えられる可能がある。そして、正確に伝えられたとしても、その厳しさ故に会員が不信を起こす危険がある。


 つまり首脳連中は、参加者も会員も信じてないことになる。更に厄介なのは、参加者にエリート識が芽生えることだ。


 安易な批判を展開するつもりはないが、それが正しい判断であるとするならば、学会内にメジャーリーグとマイナーリーグを設けるべきだ。


 こうした事実から、組織内における“信血脈”は既に断絶していることが窺える。師の言葉を伏せて、師のいを伝えることは困極まりない。

小林ハル


 少し前の「字の言」で小林ハルさんに触れていた。


 一昨年の425日、人間国宝・小林ハルさんがなくなった。享年105歳。1900年、新潟県に生まれたハルさんは、生後すぐに失明。5歳の時、盲目の女旅芸人である瞽女(ごぜ)の修にだされた▼瞽女たちは、三味線を手に、乗り物に乗らず歩く。かすかに目の見える仲間を先導に、人跡途絶えた山奥、急な崖(がけ)、豪雪の中を、来る日も来る日も歩く。ハルさんは延べ50万キロを歩いた。地球10周以上だ▼冷たい差別にさらされたハルさんだが、人に分け隔てなく温かく接した。「目のみえるもんは、壁の向こうが分からない。目のみえんもんは、壁がなくてずっとつながってる」とハルさんは言う(下重暁子『鋼の女』)▼水上勉さんの小説『はなれ瞽女おりん』にも、差別的な態度をとる憲兵に食い下がる瞽女の姿が描かれる。「世の中に、いったいどげなさかい目があるのかわかりませぬ」▼人は皆平等。人を蔑み「壁」や「さかい目」を設けるこそ卑しい。対し「壁」を取り払ったの、なんと広く強いことか▼御書に「石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる」(1083ページ)と。困は真金の人を作り、人生の価値を高める。さあ、きょうも挑戦。勇気を出して、わが人生に黄金の足跡を刻もう。(哉)

聖教新聞 2007-04-25付】


 寡聞にして知らなかったので、少しばかり調べてみた。

 このテキストを読んで、涙を禁じ得なかった。多くの人々が貧しい生活を強いられ、生きてゆくこと自体が困を伴った時代である。生後、数ヶにして光を失った我が娘を自立させるために、母は鬼と化した。甘えも妥協も許さない厳しさは徹底したものだった。今の世であれば、「虐待」と非されたことだろう。


 しかし母にとっては、娘を生き延びさせるために不可欠な躾(しつけ)であり、訓練だった。「どんなに不遇であっても、生きよ、生きよ、生き抜けよ!」という叫びにも似たメッセージをじてならない。


 私は「厳しさ」の味を問い直す。いともたやすく「厳しい、厳しい」を連発する言動の軽さを恥じる。


 辛酸をなめ尽くした者のみが、幸福を深く味わうことができる――これが、人生の方程式なのだ。


小林ハル―盲目の旅人 最後の瞽女―小林ハルの人生


 私は早速、この2冊の本を買い求めた。だが、恐ろしさのあまり、まだページを開けないでいる。小林ハルさんの人生に強いられた忍耐が、私の許容範囲に収まり切らないことがわかっているからだ。


 しっかりと唱題して、準備ができてから読む予定である。

鋼の女―最後の瞽女・小林ハル (集英社文庫) 最後の瞽女 小林ハル 光を求めた一〇五歳 越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん (新潮文庫)

2007-05-03

フォント変更


 数日前から等幅フォントに変更した。個人的にこっちの方が好み。

2007-05-01

竹中平蔵・慶応大学教授「公明党は“日本の良心”」


太田代表●5年5ヶの間、ともに改革に取り組んだ公明党を、改めてどう評価されますか。


竹中教授●公明党には「一途に国民のため」という基盤がある。まさに「日本の良」という言葉が当てはまります。しかも公明議員の皆さんは、大学院で専門を極めた方や、弁護士や会計士などの方が多く、政策の細部まで司(つかさど)る能力と姿勢を持っている。「戦略は細部に宿る」という言葉がありますが、官僚は細かいところまで牛っているから力を持つ。その官僚に逃げる隙(すき)を与えないという味からも、公明党の役割は大きいといます。


【公明グラフ 臨時増刊号 2007-04-10】