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2007-06-25

開眼について


 チト、時間がないので走り書きとなることを許されよ。


 沖浦氏と樋田(とよだ)氏の法論動画を見て、少しばかりじた点を。


 まず個人的な所になるが、私は以前から樋田氏に対して、ある種の敬を抱いてきた。さほど彼のことを知っているとは言えないが、出家僧侶ですら回避する「学会員との対話」を行っていることは評価に値する。しかも、抑制の効いたやり取りで、物怖じするところがない。やはり、場数を踏んできた分だけ鍛え抜かれた何かがある。私が人間を評価する場合、党派性は全く問わない。日顕宗や共産党にだって、人間として尊敬できる人はいて当たり前。学会にだって、おかしいのが結構いるよね?(笑)


 ただ、沖浦さんとの法論を見る限りでは、樋田氏の法論テクニックが裏目に出たと言わざるを得ない。沖浦さんは組織人ではない。つまり、広宣部の論法と異なっているのだ。「こう言われたら、こう切り返す」などといったマニュアルとは無縁の率直な言葉には確かな力がある。樋田氏が戸惑い、ペースを崩された原因はここにある。


 樋田氏の発言が一々あざとくじる理由は、「本尊の開眼」を論じることに終始し、「信」を不問に付しているからだ。これは、殆どの法華講員に共通している。


 御書の中で「開眼」という言葉は、14ヶ所(御書題名は除く)にわたって書かれている


 この内、実に9ヶ所が真言宗を破折した内容となっている。ということは、真言宗において大日如来などの像を開眼することは、当時の人々の常識だったに違いない。中には彫(ほ)り師が彫刻したものもあっただろうから、これを採用するに当たって坊主どもが「霊験新(あらた)かな」儀式を発明することは容易に像できよう。


 そうした行為を破折したものと考えなければ、大聖人自体が謗法となってしまう(笑)。「されば画像木像の開眼供養法華経天台宗にかぎるべし」(1144頁)。実際にやったという学会員は一人もいないだろう。法華講員だっていないはずだよ(笑)。大体、「天台宗でいいの?」ってレベルの話になっちまうよ。


 つまり、「開眼」に関した多くの御指南は、与奪の法門の「与えた」立場から論じられたものであることが明らかである。更に、真言宗破折の御文を挙げて、「御本尊開眼」の文証とすることは無理があり過ぎる。


 また、「但しの御開眼の御事はいそぎいそぎ伊よ房をもてはたしまいらせさせ給い候へ」(950頁)という御文があるが、これまた、富木常忍が「釈迦像を造立」したことに対する指導である。これをもって僧侶(伊予房とは六老僧日頂)による開眼を必要と読むことも極めて不自然である。そもそも開眼とは、法華経読誦に重きを置いていると私は受け止める。当時は読み書きの出来ない弟子も数多くいたことから、法華経の読誦は僧侶と一部信徒に限られた行為だったはずだ。


作って魂入れず」「作っても開眼せねば木の切れも同然」、「作って眼(まなこ)を入れず」などという諺(ことわざ)も多分、真言宗がベースになっているのではないだろうか。そこから敷衍(ふえん)して、「画竜点睛を欠く」なんてのも生まれたのだろう。


 御書のどこにも、「御本尊開眼」については書かれていない。そして、開眼については「法華経で行うべし」と御指南されているのみである。所詮、御本尊を受持した真実の日蓮門下が朗々と唱える題目こそ、正真正銘の開眼であろう。その味では、「毎日が開眼」であり、唱題なき人の御本尊開眼されてないと言えよう。


 樋田氏を始めとする法華講員が主張する「開眼論」は、あたかも功徳論であるかの如く論じられているが、これに過ぎる欺瞞(ぎまん)はない。功徳は「信の厚薄による」のであって、開眼など全く関係がないからだ。


 最後に、大聖人が説かれた「開眼」は、「開目抄」に尽きることを知るべきだと言っておこう。

呼吸


 本部幹部会の衛生中継が平日に行われているにも関わらず、日曜日に集まっている組織がある。師の呼吸を無視した愚かな組織と断じておこう。そんな会合は無視せよ。何も考えずに集う“羊千匹”になってはいけない。「戦いのホシ」を見失うな。

 『アングロサクソンの金融支配戦略』高橋雄二+アングロサクソン金融戦略研究会


 国債は「不況対策」と言える。戦後の復興期、高度成長期、80年代のバブル期を除いては、国債の発行が景気の振興に不可欠だったのが日本だ。国が歳出をカットすると需要減につながり、景気には必ず悪影響が出る。この点を忘れて、歳出減は財政赤字減って国が良くなるとの先入観を持つ人がいる。国の財政事情がよくなるとは、国民の生活レベルが下がる事を味する。バブル期、国の税収が増えて財政が好転し、国民も大層リッチになった。しかし、バブル崩壊後の日本を見れば、その様な事態こそ実は異常な状況だったという事実がわかる。

 その味では、無理に需要を作り出さずとも済んだ高度成長時代が理ともえる。但(ママ)、あの時代の生活レベルと、現在の生活レベルとを比較して欲しい。一人の人間としてどちらを選択するかとなると圧倒的多数の人が現代を選択するはずだ。安定成長時代には、財政赤字を減らせば国民の生活レベルを落とす事になる。豊かさに慣れ親しんだ日本人が我慢できるだろうか。少し景気が落ち込むと政府に不況対策を迫る。96年の3.5%成長はその典型例だと知って欲しい。公共事の不況対策効果に少し翳(かげ)りが出てきたとわかってきた現在は「所得税減税」の大合唱になる。減税の結果景気が回復し、減税がなくなると再び景気が悪化し始め再び……というくり返しになると考えるのが妥当だ。もうこうなると答の解っている芝居と同じで、建て前の財政改善と本音の景気対策との戦いが果てしなくくり返され、結果的には常に景気対策優位の図式が成立する。

 何故こうなるのか? 実は答えは外に簡単だ。そのヒントは日本の貯蓄率にある。日本の貯蓄率が14%台でアメリカの貯蓄率は4%大だが、貯蓄とは消費しないという事だ。景気が悪くなるのは当然だ。アメリカは、貯蓄が少ないがゆえに好況が続き易い。参考までにいうと、97年のアメリカの貯蓄率は3.8%となり、1939年以来58年ぶりの低水準となっている。96年も4.3%と低かったが、それをさらに大幅に上回るのだから好景気もうなづける。もっともデータの取り方に問題があるという識者もいるので、個人ローン中の破産者の数で比較するのも一つの方法だ。日本の場合、近年まで5万件以内だった破産者数が6万件、7万件となり、金融不安を説明している。ところがアメリカは論外だ。85年に40万件が、91年には80万件、96年には110万件となり97年も20%以上の伸びになりそうだ。人口比で考えれば異常といえる。


【オーエス出版社】


 日本の財政赤字は先進国の中でも最も深刻だが、実は純負債残高は一番少ない。政府が保有する金融資産(社会保障基金、外貨準備、国の預金・貸出金)が多いためだ(95年時点で378兆円)。


 アメリカの経常赤字は世界経済を支えるもので(アメリカが黒字になるいうことは、多くの国が赤字となる故)、ドルが世界の基軸通貨であるため損をしない仕組みになっている。


 尚、国債については「2008年問題」が憂慮されている。


アングロサクソンの金融支配戦略 ドル本位制がつくり出した世界支配の罠

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