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2007-08-03

阿久悠氏、死去


阿久悠さん死去 詞主導の歌追い求め、時代すくいとった旗手


 歌謡曲からポップス、アニメソング、童謡と幅広いジャンルで、ヒット曲を量産し、“怪物”“言葉の術師”などさまざまな異を取った阿久悠さん。旺盛な創作活動の原点にあったのは「言葉が光る時代にしたい」との熱いいだった。 


 広告代理店時代に培ったコピーライターとしての力量と、豊かな、鋭い観察眼。音楽界からも「時代をすくいとる力」を高く評価されていた“時代の旗手” 阿久さんは、作詞家生活31年を迎えた1998年、東京・銀座で、自筆の詞やレコード大賞のトロフィー、写真、履歴書などを集めて展覧会を開いた。自らの存在を誇示するかのような催しをあえて開いたのは、「今の歌謡界には、聴く人のの琴線に触れる歌詞が少なくなってしまった」との危機からだった。


「今はサウンド中の音楽が全盛で、歌詞を吹き飛ばしている。僕は歌詞に重きを置いたソングを復活させたい。日本人に西洋風の踊りは似合わない」。本紙のインタビューに阿久さんは熱い口調で胸中を明かした。


 曲主導から、かつてのような作詞主導へ。このいの結晶が、自作の百編の詞を収録した「書き下ろし歌謡曲」(岩波新書)の出版だった。


 99年の紫綬褒章受章の際には、「今の音楽は言葉より音中。詞がすてきとう人がどれくらいいるのか。聴いて、人に伝えたくなる歌も必要」と言を呈す一方、「常に一番新しい、面白いものを歌の言葉で表してきた」と自負をにじませながら喜びを語った。


「阿久悠の前でこんなに長く活動するとはってもみなかった。気が付くと自分でも驚くほどの作品が後ろにあった」と、しみじみ述懐していた阿久さん。725日には、芸能生活55周年を迎えたペギー葉山から懇願されて作詞した「神様がくれた愛のみち」(宮川彬良作曲)がリリースされたばかり。長い歌手人生に謝のをささげるような情豊かな詞。病と闘いながら最後の力を振り絞って生み出されたであろう詞は、自身の創作人生も重ね合わせてのものだったのかもしれない。


東京新聞放送芸能部・安田信博)


【中日新聞 2007-08-02


 誰よりも高校野球を愛し、見事なまでに謳い上げた阿久悠氏が、夏の甲子園を前にして亡くなった。「甲子園の詩」を毎年、待ちにしていたファンは多い。私もその一人だ。関東は81日に梅雨が明けたばかりだが、の中を無の風が吹き抜ける。だがきっと、甲子園の青空に舞う白球の上から、球児達を見守っていることだろう。


 野球が好きな人も、そうでない人も、是非一度読んで頂きたい。「阿久悠公式サイト」の左下にリンクがある。

創価高校、決勝戦でのエピソード


 東京ではNHK(総合/首都圏)と東京MXテレビ(独立UHF局)がテレビ中継を行った。7回裏の創価高校の攻撃が始まろうとした時、東京MXのアナウンサ−が「さあ7回裏、創価学会の攻撃です」と言い間違えた(笑)。そうだ! 創価学会の攻撃はこれからだ!