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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-08-06

優先すべきことをなせ


 群馬出身の日寛上人も文段の中で、徒然草を引用されている。

「妙法尼御前御返事」の文段で、「老いたるも若きも定め無き習いなり」(老いた者も若い者も、いつどうなるかわからないのが世の常である)との御聖訓に関して、次のように記されている。

「徒然草の四十九段に云く『速やかにすべき事をゆるくし、ゆるくすべき事をいそぐなり』と」

 すなわち、早急にすべきことを後回しにし、後にすべきことを先にしている。そのうちに、一生は過ぎ去ってしまい後悔する──というくだりである。

 優先すべきことは何か。それを知れ。まず、それをなせ。さもないと、悔いを残すぞ。そう戒めているのである。

「一生のうちで、とくに望むことの中でどれがたいせつかと、よくい比べて、いちばんたいせつなことをい決めて、それ以外は断して一つの事に励むべきである」

「一つの事をかならずし遂げようとうなら、他の事がだめになるのを残がってはならない。人の嘲りを気にしてもならない。万事を犠牲にしないかぎり、一つの大事が成るはずがない」(第188段)

 人生の一大事とは何か。

 それは、永遠に崩れない、絶対的幸福をつかむことだ。嵐にも揺るがない、不動の自分を築くことだ。その根本の力は、妙法である。

 妙法を唱え、広めて、自分も、人も、幸福になる。全人類の宿命を転換する。それを広宣流布という。

 戸田先生は言われた。

「人間は、権力や金のために汲々とするか、信のために死ぬか、どちらかである。

 大理に生きて、そのもとにわれ死なん、というすがすがしい気持ちで諸君は行け」

 何のために生きるのか。その一点を忘れてはならない。


 第92段に有な一文がある。

「ある人が弓を射ることを習うのに、二本の矢を手にして的に向かった。

 すると、その師が『初者は二本の矢を持ってはならない。後の矢をあてにして、初めの矢を射る時に油断が生ずるからだ。毎回、失敗せずに、この矢一本でかならず当てようとえ』と言った。わずか二本の矢しか持たず、しかも師匠の前で彼が一本の矢をおろそかにするつもりはあるまい。

 しかし、二本の矢に現れたのゆるみは、本人は気付かなくても、師匠がそれと洞察したのである」

 師匠は、弟子のがよくわかるものである。

 これは万事に通ずる。師匠ありてこそ、本物となる。その道の“達人”となれるものだ。

 いわんや、法は、最高の人間道である。師弟こそ、法の根幹であり、学会の土台である。

 師匠の一言一言を大事にして、将来にわたる指針とするのだ。そこに、師の精神は永遠に生きていくのである。

 第92段は、こう結ばれている。

「ただ今の一において、ただちにする事のはなはだ(かた)き」

(その事をい立った瞬間にすぐに実践するということは、なんとむずかしいことだろう)

「あとでやろう」と先延ばしにするな。やるべきことを、今、この時に直ちになせ、というのである。

 創価学会は、「臨終只今」の一で、真剣勝負の行動に徹してきた。

 だから、ここまで発展してきたのである。


【徒然草と師の指導を語る 2006-08-11 群馬多宝研修道場


 優先順位の内容が(ごう)を決定する。「好きなこと優先」では堕落するに決まっている。かといって、嫌なことを我慢しながらやってもストレスが溜まるばかりだ。


「仕事と学会活動」――これも多くのメンバーにとっては一生の課題であろう。闇雲に「学会活動を優先させる」愚かな幹部が多いから、お気をつけあそばせ(笑)。


 優先順位は時と場合によって変わってくる。病気であれば、健康を勝ち取ることが一切に優先する。無理と強信を履き違えるな。


 人生の季節においても優先順位は異なる。壮年であれば、家族を食べさせることが最優先だろうし、青年ならば訓練と勉強が第一である。


 結局、ホシ(急所)がわかっているかいないかである。近視眼でも遠視眼でもダメだ。優先順位を誤ると、人は必ず不幸になる。二乗は「自分の悟り」を優先した。提婆達多は「権力」を優先した。


 闘争にもホシがある。組織にもホシがあり、育てるべき人材にもホシがある。中者に、血を流すような決がなければ、戦いを起こすことは出来ない。