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2007-08-09

破折精神を忘れた者は生ける屍だ


「悪と戦う」について、戸田先生は厳しくおっしゃった。

「破折精神を忘れた者は生ける屍(しかばね)だ。破折精神を忘れた者が幹部になれば、会員が可哀だ」

 悪を悪と言い切る。敢然とをあげる。その勇気なきリーダーは「生ける屍」だ。

 その本質は見栄であり無責任だ。しむ人を見ても“知らん顔”をする。これほど“ずるい”ことはない。

 悪と戦い、ずるいと戦う。これが人生勝利の根本である。

 ある時には幹部に対して、「広宣流布の途上にあって、絶対に五老僧のごとき存在にだけはなるな!」とも危惧されていた。

 五老僧とは、師の教えを軽んじ、自分の身の上だけを考える増上慢の存在である。

 どんなところにも「中」がある。リーダーは「中」を重んじなければならない。学会の中は会員である。師弟である。

 増上慢は、この中を認めようとせず逆に破壊する。そうした存在とは断固、戦わねばならない。

 広布のリーダーは一面から言えば、自分自身との厳しき戦いが不可欠である。そしてその戦いに勝利すれば、境涯も大きく開ける。宿命転換も実証も大きい。


【徒然草と師の指導を語る 2006-08-11 群馬多宝研修道場


 この指導がなされた群馬総県に悪党がいる。学会本部が掌握してないため、のうのうと役職を汚(けが)している。


 何度も同じ指導を繰り返されているので見落としがちだが、「学会の中は会員である」との指摘は重要だ。先生は、「中幹部」とは言われなかった。ここに、宗門問題以前の“組織が主で、会員を従としてきた”悪しき組織主義からの脱却がある。


 ハッキリと書いておくが、組織が弱くなるのは、「上もダメなら、下もダメ」だからだ。つまり、マイナスの呼吸が一致しているのだ。無責任、無慈悲の境地冥合といえよう。


 幹部の陰口を叩く者は山ほどいるが、直言できる人は少ない。末端の会員は評論家と化し、傍観者になっているのが現状ではないか。


 会員の覚は鋭い。しかし、それをきちんと説明できない。その上、幹部に対する遠慮がある。


 私は面白くない会合には出ない。例えば、毎1回、分区の壮年勤行会が行われているが、全く参加してない。区長を家に招き、その旨も伝えてある。「内容を充実させたので、是非来ていただきたい」と区長から言われたら、まあ、見学に行ってやってもいいよ(笑)。


 欧米では音楽コンサートであっても、興味を引かなければ1曲目で席を立ち、帰ってしまう人が多い。「お金は損をしても、時間までは損をさせない」という自立の精神の表れであろう。


 全ての会員が、学会の諸会合に同じ姿勢で臨めば、幹部という幹部は本気で動き出すことだろう(笑)。


道修行とは我慢することだ」と勘違いしている人が多過ぎやしないか? 自分で価値判断ができなければ、私はそれを“盲信”と呼ぼう。


 仕事を押しつけてくるような内容の会合は、全て拒否して構わない。“を死なせながら”そんなものを我慢しても全く味がないからだ。


 多少なりとも力があるメンバーであれば、徹底して上の幹部と戦え。大切な後輩のために。

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