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2007-08-27

人間として心が通じ合うかどうか


 リーダーは、どこまでも同志のことを祈ってゆくのだ。

 具体的に祈り、誠実に尽くしていけば、必ず反応がある。法は「依正不二」なのだから。

 とにかく祈る。

 そして、じよく接してゆくことだ。

 自分の「大きい」ができ上がっていけば、自然と「大きい結果」が現れてくる。

 大事なのは、の奥で本当に信頼し合えるかどうかである。

「あの人は好きだ」「あの人となら一緒にやっていきたい」となっていかなければ、本当の異体同ではない。

 権力でも、権威でも、組織でもない。

 人間としてのが通じ合うかどうかである。

 偉大な御(ごぶっち)のままに、本当の人間の絆を学会の中に築いてきたのが、牧口先生であり、戸田先生であり、その直系の弟子の私である。


埼玉池田研修道場でのスピーチ 2007-05-08】


 牧口先生の価値論では、「好き嫌い」が最も低い価値観である。であればこそ、万人に共通する情といえる。友人から、「学会は素晴らしいとうが、お前は嫌いだ」と言われるよりも、「学会は嫌いだが、お前は好きだ」と言われるのが好ましい。


 昔は副役職の幹部が嫌われ役だった。長が言えば皆のが離れてしまうような厳しい指導をし、団結の要となっていた。


 今はどうだろうね? 「好きでも嫌いでもない」幹部が一番多いね(笑)。ま、「いてもいなくても」いいような連中だ。


 一方、人材育成に当たっては、まず相手を好きになるかどうかが決定的な要素となる。「生気だ」「顔が気に食わない」「なめてんのか、この野郎」なあんてっていたら、そりゃあ絶対にが通わないよ(笑)。っていることは、言葉の端々や、ふとした表情に必ず表れるものだ。


 例えば、訪問すると快く話ができるのだが、一向に活動しないメンバーがいる。よく見られるケースとしては、「貴様、このクソ忙しい時に時間を割いて足を運んでいるのに、どうして会合に出ないんだ?」とを煮やす人が多い。私はそのようにわない。話ができるのであれば、こっちの話次第だろう。会話が可能であれば、絶対に何とかする自信がある。ドアが開くだけでも御(おん)の字だよ(笑)。


「好きになる」とは、相手に興味を抱くことである。すると、自然に「相手を知ろう」と努力するようになる。妙なことだが、相手を知れば知るほど、向こうもこっちを理解するようになるのだ。


 仍(よっ)て法界が法界を礼拝するなり自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり云云(769頁)


 全幹部が会員を礼拝すれば、組織は一変する。今時ときたら、上には礼拝して、下には命令ばかりしているのが多い。