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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-09-30

“不純物との戦い”に挑め


 今日、申し上げたいことは、純一なる信仰の世界を守り抜くために“不純物との戦い”に、ともどもに挑んでいかねばならないということである。清純であればあるほど、わずかの“不純”でも、大きな“乱れ”の因となり、やがては広布を破壊しゆく重大な要素となってゆく。ゆえに、信の世界の“濁り”に対しては、徹底して戦い、排除していかねばならない。


 最先端の科学の世界においても、完璧なる“純度”を達成する研究・技術から画期的な進歩がもたらされた歴史がある。

 20世紀最大の発明ともいわれる「半導体」。コンピューター、電卓、時計、テレビ、ラジオ等々、身の回りのあらゆる電子機器に応用されている重要な技術であり、私どもの今日の生活は半導体抜きには考えられない。では、半導体とは何か。

 物質には、電気をよく伝える「導体」と、電気を極めて伝えにくい「絶縁体」がある。「半導体」は、その中間程度の質をもつ物質を指す。こうした特から、電気の流れをコントロールするのに優れ、電子機器の高度化に不可欠なものとなっていった。

 その半導体が、トランジスタとして実用化されたのが、約40年前。そのための絶対条件となったのが、素材の超高純度化であった。小型で丈夫なトランジスタ製造のためには、素材のゲルマニウムやシリコンから混じっている異物を徹底して取り除き、「99.9999999%」といった限りなく100%に近い純度が必要とされた。この要求により、「9」の数字が10も11も並ぶ「テン・ナイン」「イレブン・ナイン」という超高純度を達成する技術が開発され、それが契機となって半導体の処理技術が急速に進歩し、今日の隆々たる電子産の基(もとい)となった。

 素材から繰り返し繰り返し不純物を取り除く労作の果てに、半導体の抜群のパワーが発揮されたのである。


 また、金属が超高純度ゆえに、その本来の能力・パワーを遺憾なく発揮する場合がある。例えば、私どもに馴染みの深い鉄も、混じっている不純物を除き、純度を高めていくと、際立って耐食が強くなる。つまり、サビにくくなってくる。

 世界には、1000年、1500年という歳を経ても、サビて朽ちることなく、美しい輝きを放ち続ける古代の鉄剣や鉄柱が残されている。この“長寿”の大きな要因として、極めて高い純度の鉄が使用されていることが指摘されている。

 古代人の精錬技術の高さは、しばしば、我々現代人を驚嘆させずにおかない。


 御書の有な御文に「うるし(漆)千ばいに蟹の足一つ」(1056頁)――1000ばいものたくさんの漆も、わずか蟹の足一つ混じっただけで質が変わってしまう――と仰せである。

 個人においても、和合僧組織にあっても、「信」という一点では、いささかの“濁り”も許されない。わずかでも不純なものがまぎれ込めば、信仰の世界全体が侵され、変質し、やがて堕落してしまうからだ。

 不純なる悪と戦い、信の純度を限りなく高めてゆく、そこに福徳が限りなく増幅され、更に広布の勢力がますます拡大してゆく。


 文永元年(1264年)、大聖人南条時光の父・南条兵衛七郎に送られたお手紙に、次のような一節がある。

「いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵(かたき)をだにも・せめざれば得道ありがたし」(1494頁)

 ――いかなる大善をつくり、法華経を千万部読み、書写し、一三千の勧の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ得道(成)はできない――と。 これは、末法今時における天台法の修行を破折された御文であるが、私どもの信のあり方をも示されている。

 日々道修行に励み、多くの善根を積んでいるという人がいる。また、教学の研鑚に励み、法のことはよく知っているという人もいるかも知れない。しかし、いくら善根を積み、法を深く究めているといっても、正法正義を破壊しようとする敵と戦わなければ、全て無味なものとなる。成は絶対にできない、との厳しい仰せなのである。

 それはあたかも、「につかふる人の十年・二十年の奉公あれども・君の敵をしりながら奏もせず私にもあだまずば奉公皆うせて還つてとがに行はれんが如し」(1494頁)――廷に仕える人が、10年、20年と奉公しても、主君の敵を知りながら奏上(報告)もせず、個人としてもその敵を憎み、責めなければ、長年の奉公の功績も皆、消えてしまい、かえって罪に問われるようなものである――と。

 ゆえに私は、信の世界、妙法の世界を破壊しようとする敵と戦っている。そのために数々の迫害もあった。非、中傷も受けている。しかし、それが御聖訓通りの正しき信の道と知っているがゆえに、私は行動している。

 たとえ、信の年数も長く、幹部になったとしても、法の敵を見ながら、知りながら、戦いもせず、せめようともしなければ、本当に法を知ったことにはならないし、真実の信の実践とはならないことを教えられた御書である。

 それでは、「成」などいもよらない。大聖人が仰せの正しき信の道に連なってこそ「成」はあることを、よくよく銘記しなければならない。

 いずこの世界にあっても、悪人を放置しておけば、内側から破壊されてしまう。これほど怖いことはない。また、そうした悪がはびこるのを黙って許しておくことも、重大な罪である。いわんや法の世界は、より峻厳である。

 御書に「師子の中の虫師子をくらう、教をば外道はやぶりがたし内道の内に事いできたりて道を失うべしの遺言なり」(1271頁)――師子の身中の虫が師子を蝕む、という通り、教を外道は破りがたい。教の内部に事が起こってきて、道は失われてしまうだろう。これはの遺言である――と仰せである。

 清らかな、麗しいこの正法の世界に、悪が巣食うようなことは、断じて許してはならない。そうでないと「師子の中の虫・師子をくらう」とのとごとく、内部から妙法の世界が蝕まれ、永遠なる広宣流布の道がふさがれてしまうからである。

「有」の人がいる。「栄誉」の人がいる。「功績」の人がいる。人は往々にして、これらの「飾り」に幻惑されやすい。

 しかし、それらは信とは何の関係もないことである。これまで学会にも、「有」や「栄誉」「功績」の「仮面」をかぶって、学会を利用しようとしたり、増上慢となり退転していった者が出た。これからも、そのような利の人物が出るかも知れない。しかし私どもは、絶対にこうした「悪」の蠢動(しゅんどう)を許してはならない。

 正法の「敵」を鋭く見抜いてゆくことだ。仮面の策略に翻弄されてはならない。そして、信の世界で「悪」の働きができないように、責め出してゆかねばならない。


【第8回親善文化祭 1989-10-01 創価大学中央体育館】

2007-09-28

北朝鮮と6ヶ国協議


 6ヶ国協議が上手く進んでない。最大の理由は、北鮮の地下資源(ウラニウムやタングステン)にある。言ってみれば、将来の分捕り合戦が繰り広げられているわけだ。核は大した問題ではない。なぜならば中国・ロシア・韓国は、北鮮に核を持ってもらった方が都合がよく、これに反対する日米との妥協点を見出せるわけがないからだ。


 米国は、資本主義陣営に取り込むことで、地下資源を奪おうと目を光らせている。で、日本は拉致問題に固執している現状である。


 各国の惑が、それぞれ異なっているのだから、そもそも上手くゆくわけがない。


 かようなことを見越した上での政治判断が求められている。

「新聞啓蒙の戦いが大変だ!」


 よくにする科白(せりふ)だ。「大変だ」と言っている内はできないよ(笑)。聖教新聞の部数は地域格差が大きく、時折、妙なノルマを押しつけられることがある。取り敢えず、「頑張ります!」と会合では言っておくに限る(笑)。幹部からの追及を、華麗な闘牛士のようにかわしてゆこう(笑)。


 妙案を教えて進ぜよう。不当なノルマを課せられた場合、足りない分は幹部に購読させればよし。地域内に住んでなくても構わない。金だけ払わせて、地域内に配達すりゃいいのだ。支部長、本部長、区長、総区長と、どんどん頼もう。副会長だって遠慮することはないよ。それでも間に合わなかったら、2部ずつ頼めばいい(笑)。

V9時代の巨人軍


「あの頃の巨人は、ちゃんと2軍から選手が育っていた。あと、子供から大人までレギュラー選手全員の前を言えた」とは桂米助の指摘。昨今は、金にものを言わせて、他チームから選手を引き抜いている有り様。我が組織においても、派遣幹部が多い地域は、他人事じゃないよ。かような組織は、任命権を有する幹部が間抜けなのだ。B長→支部長、地区部長→本部長、支部長→区長という図式。遠慮することなく、どんどん幹部に情を申し立てるべきだ。

2007-09-27

ミャンマーの武力弾圧、日本政府が駐日大使に「遺憾の意」


 ミャンマー軍事政権による反政府デモへの武力弾圧に関し、木村仁外務副大臣は27日、フラ・ミン駐日ミャンマー大使を外務省に呼んで遺憾のを伝え、事態の穏便な収拾を求めた。

 ただ、日本政府は米国や欧州連合(EU)が主張するミャンマーに対する経済制裁の実施には慎重な構えを崩していない。

 福田首相は27日夜、首相官邸で記者団に「(ミャンマーで)遺憾なことが起こっている。解決するには何をしたらいいのか考えていかなければならない」と述べた。

 町村官房長官は記者会見で、同国への経済制裁について「まだ(国連などで)具体化しているわけではない。直ちに制裁ということを、我が方から言及する必要は無い」と慎重な姿勢を見せた。これに関し、外務省幹部は「経済制裁でミャンマー国民を困窮させるよりも、軍事政権に早期の平和的解決や、民主化を促す方が現実的な対応だ」との考えを示した。

 日本の対ミャンマー援助は、経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)の統計で世界1位(2004年)。ただ、日本は1988年の軍事政権発足以降、援助を大幅に削減しており、「最大の支援国は(DACに加盟していない)中国」(町村長官)としている。

 一方、同国情勢の混乱を受け、外務省は26日付けで、ミャンマーへの渡航の是非を検討するよう求める危険情報を出した。同国には25日現在、615人の在留邦人がいるという。


【読売新聞 2007-09-27


 何が「遺憾の」だ! 何が「穏便」だ! 私が首相だったら、直ちに軍事介入していることだろう。無責任極まりない。

ビルマで日本人ジャーナリストが死亡


 長井健司さんという方が死亡したようだ。APF通信社の社長によれば、「パレスチナやアフガニスタンなど危険な場所にも果敢に飛び込む記者で、『誰かが情報を日本人に伝えないといけないから』と言っていた」とのこと。尊い志が、日本で安閑と過ごすことを許さなかったのだろう。ビルマの大地に染み込んだ彼の血が、民主化への力となりますように。南無妙法蓮華経――。


 私は日本政府と違って、安易に軍事政権を認めたくないので、今後、ミャンマーと記すことを潔しとせず、「ビルマ」と表記することにした。


 既に100人以上の死傷者を出しているにも関わらず、国連安保理は「懸」を表明するにとどまっている。米国とEUが、「制裁を含むさらなる措置」の検討を求める明を出したが、中国が真っ向から反対したためだ。


人の命は地球より重い」と福田赳夫首相は言ったが、「人の命は国益よりも軽い」とみえる。そして当然の帰結として、「国益は地球よりも重い」。


 国家という人為的な枠組みが、内政干渉になるという理由で、殺戮(さつりく)に追い風を送っている。我々は傍観者だ。何もできない。


 私は喜んで国益を放棄しよう。だから、最低限度で構わないから「世界共通の法律」をつくって欲しい。そして願わくは、国連警察と国連軍を創設してもらいたい。人類益といっても、所詮、人命に尽きるのだから、人命を守るシステムが必要だ。罪なき人々が暴力にさらされているのを、じっと眺めている世界は、どう考えたっておかしい。

揺れるビルマ


 燃料費値上げに端を発した反軍制デモが、24日には10万人規模と拡大した。治安当局が武力行使で鎮圧を図った結果、僧侶3人と市民1人が死亡し、100人以上が負傷した。


 アウン・サン・スー・チー女史が自宅軟禁されたのが1987年のこと。日本は2002年に至るまで軍事政権を援助してきた。デモ行進に向けて発砲された銃弾や催涙弾は、ひょっとしたら我々の税金で買われたものかも知れない。


 社会から尊敬を集めている僧侶が立ち上がった。日蓮正宗の坊主どもとは大違いだ。


「はにゅうの宿(『ビルマの竪琴』)」をわずにはいられない。デモ行進が、民主化への胎動であることを望む。

新記録で「青春の金メダリスト」と輝け


「教育」にかけるいが、今ほど熱く、高鳴ったことはない。今こそ「教育」のために走り、「教育」に全魂を注いでおきたい――これが私の偽らざる境である。

 その味から、今日も少々長くなるかも知れないが、ここで記のスピーチをし、諸君への真の贈り物とさせていただきたい。

 今日は、海外5ヶ国からも来賓の方々が出席されている。お忙しい中、参集された皆さま方に、まずから謝申し上げる。


 諸君は、まさに「青春」の真っ只中にいる。私も、常に「の青春」を生ききっているつもりである。

 真実の「青春」とは何か。絶えず「の青春」を輝かせてゆく要件とは何か。

 それは「挑戦の魂(チャレンジ・スピリット)」である。「挑戦」なきところに青春はない。それは既に老いた「生」であり、飽くなき「挑戦」の気概にこそ「青春」は脈動する。

 樹木でも、若竹のようにぐんぐん伸びゆく姿には、「若さ」の輝きがある。天を目指し、風雨に洗われて逞しさを増す若木には、爽やかな「挑戦」のがみなぎっているかのようだ。

 ある味で人生の価値とは、“記録への挑戦”から生まれる。先人が築いたあの記録を、どう破るか。自分のこれまでの最高記録を、どう更新し、書き改めるか。その“挑む”姿勢から、勝利と満足の人生が開かれてゆく。ゆえに、一人ひとりが何らかの“我が新記録”をつくり、積み重ねていかねばならない。記録は次々と打ち破られ、塗り替えられてこそ味があるからだ。


 かつて陸上競技に「1マイル(約1.6km)4分」という“壁”があった。どんな一流選手が挑み、走っても破れない。これが「人類の限界」とさえ考えられていた。

 しかし、1940年代に記録は向上。ついに、イギリスの選手・バニスターが、この“鉄壁”を突破する――。不議なことに、一人が“壁”を破ると相次いで3分台で走るランナーが現れた。

“4分の壁は破れない”との“通”“常識”。これを壊した途端、堰(せき)を切ったように人間の能力は伸びていった。

 現在では、「1マイル4分」は当たり前になっている。言い換えれば、大脳が「無理だ」と命令している限り、「力」はでない。

 これが先入観の恐ろしさである。

 スポーツの世界でも、技や体力の向上がもちろん重要である。が、「最後は精神力の勝負だ」といわれる。その一つの理由がここにある。

 未聞の道を開く「一人」の先駆者。その大切さをこのエピソードは雄弁に物語る。


 新記録を生む条件は総じて二つに分けられるであろう。

 1.本人の「・技・体」の充実。

 2.用具、施設、気候など、環境のよさ。

 この内、2については、棒高跳びの「棒」、ランナーの「靴」などの改良によって記録が伸びた例がある。

 だが、問題のポイントは当然のことながら、1にある。では、「新記録を生む人間」の条件とは何か。


 ウィナー(勝者)達は、一人の例外もなく“練習の虫”であった。

 むろん、先天的な才能、体質も大事である。しかし、陸上であれば0.01秒縮める、野球であれば守備可能範囲を一歩広げる、そのための人知れぬ労と猛練習なくして、栄光を手にした者は、絶対にいない。


「人間機関車」と呼ばれた、チェコスロバキアの選手・ザトペック。

 諸君は彼の活躍の様子を知らないかもしれないが、教職員の皆さまなら必ずや聞いたことがあるとう。知る知らないで、年代が判明してしまうかもしれない(笑い)。

 彼は別「世界記録破り」と呼ばれた。1949年から1955年にかけて、5000mから3万mまで、公認される世界記録を全て書き換えた。1万m、2万m、1時間走行距離、10マイル、15マイル、2万5000m、3万m、6マイルの各競技である。

 また、ヘルシンキ・オリンピック1952年)では、何と5000m、1万m、マラソンと、3種目で優勝。

 この時、彼は言った。

「必ず勝とうとって、その通り勝った。とてもうれしい」と。彼には勝つ確信があった。なぜか? 常に彼は言っていた。「世界中で、僕より練習している人間はいない。だから勝つ」と。

 また、「他人と同じことをやっていては、他人を抜くことはできない」が彼の信条であった。

 世界一の猛練習――彼は練習の時に、既に“勝っていた”。


 彼の“自らをいじめ抜く”ような練習は有であった。

 ザトペックは10代の頃から、靴の製造工場に勤めていた。その通勤の行き帰りにも、彼は練習を重ねた。

 をもたせるために、ポプラ並木に沿って進みながら、1日目は4本目までを止めた。翌日も同じ。3日目からは5本目までを止める。これを、どんどん延ばしていった。

 最後のポプラまで来た時、彼は気を失って倒れた(『ザトペック』FR・コジック著、南井慶二訳、日新聞社)。

 ――練習は、特別に時間や場所をとって行うものばかりではない。いつでも、どこでもできる練習、鍛えというものがあるものだ。勉学もまた、同じではなかろうか。

 ともあれ、ザトペックは仲間から、「彼は走りすぎる」「もういいかげんにしろよ!」と言われるほど、走って走り抜いた(『人間機関車 E・ザトペックの実像』スデニェク・トーマ著、大竹國弘訳、ベースボール・マガジン社)。


 他にも、一流選手の壮絶な鍛錬の話は多い。

 一世を風靡(ふうび)したあるプロ野球選手。大学時代、彼は練習終了後、更に一人で毎日2時間の練習をした。その姿を見て、“彼は必ずや超一流のプレーヤーになるに違いない”とった――と、かつて彼の友人が話していた。その予言は、まさに的中した。

 私も、「人生の選手」「人生のランナー」を目指して、生命の錬磨、魂の錬磨に徹してきた。法者として、また一個の人間として、誰にも負けない数々の“記録”もつくり、歴史に印してきたと自負している。ゆえに、記録に挑む“一流”のは、私なりに熟知しているつもりである。


 記録への挑戦――その人生のドラマを栄冠で飾りゆくために、いかなる鍛錬が大切か。

 何より、「基本の繰り返し」ではなかろうか。

 野球のバッターや剣道の選手なら「素振り」。ランナーなら「走り込み」。この、たゆみない繰り返しが勝利の基盤を固め、栄光のゴールへのエネルギーとなる。

 8に行われた関西吹奏楽コンクールで、関西創価小学校の「アンジェリック・ブラスバンド」が金賞を受賞した。願の関西代表に選ばれ、11の全国大会への出場が決まった。見事なる“記録”であり、輝く栄冠である。

 担当された田口秀男教諭が、聖教新聞の連載「我が青春の曲」で、その勝利の原因について語っている(91日付)。

「みんなでを一つにして始めた基礎練習の成果だった。とにかく始式も終式の日も休みなく繰り返した単調な基礎練習。それでも児童達は、嫌な顔一つせず、私についてきてくれた。そんな児童達の晴れやかな受賞の姿に、まさに『基礎は力、持続は力なり』のを深くしている」

 平凡な言葉かもしれない。しかし私には、一言一句が“金の光”を放って見える。


 勉学にも王道はない。基礎を地道に学び、基本を自らのものとしていく以外にない。教科書もろくに読まないのに、ある日、突然“悟り”を開き(笑い)、どんな問題でもスイスイと――そんなことはあり得ない(爆笑)。

 何事であれ、基礎のある人は強い。時の流れに朽ちることがない。時とともに向上し、不滅の輝きを放っていける。

 諸君は若い。決して目先のことばかりにとらわれてはならない。多少、成績が落ちたとか(笑い)、家庭環境がどうとか、一喜一憂する必要もない。まず、人生の基礎を、学問の基本をガッチリと固めていけばよいのである。


「基本」とともに大切なのは、あれこれと「迷わないこと」である。

 我が国も戦前は「陸上日本」の呼びが高かった。多くの人々の期待も集めていた。が、今やその面影は薄れ、一部でしか世界に伍する活躍がみられない。

 戦後の方が設備においても、指導者層においても恵まれている。練習量が格別に減ったわけでもない。

 では、戦前の勢いと比較して、なぜ戦後の方が世界に負けないだけの力を発揮できないのか。

 その理由を、ある人はこう指摘する。

 ――今は、指導者(コーチ)が手取り足取り教え過ぎる。しかも、たくさんの練習法が開発されているため、次々に新しいものを導入する。そこで、選手に迷いが生じる。

 昔は、よきコーチもなく、がむしゃらに一つの練習法で自分を鍛えた。誰も頼れないから、自分なりに“伸びる方法”を見つけるしかなかった。そして、一度決めた練習法をとことんやり通し、そう簡単に変更したりはしなかった。

 コーチの本来の役割は、選手の自主をどう引き出し、いかに自信をもって練習に打ち込めるようにするか。ここにを砕くことではないか――と。

 この説が実際に当たっているかどうかは別にして、万般に通じる真理の一面を語っているとう。

 勉学の道も同じではあるまいか。工夫は当然であるが、あれやこれやと策や方法のみにとらわれ、目移りしていては着実な向上はない。熟慮の上でいったん決したことは、しっかりと腰をすえて取り組むことである。ザトペックも、いつも「何だあの練習法は」と批判されながらも、自分の方法を貫き通した。


 また一方、人生においても小さな自己を乗り越え、常に自身の「新記録」を達成しゆく生き方ができるかどうか――これは、よき指導者につくかどうかが重要であるともいえよう。


 では、選手の自主を引き出し、力量を伸ばすためには、コーチとして具体的にどのような点を得て、選手に接してゆけばよいのか。

 その一つは、コーチは選手を上手にほめてあげなくてはならない、ということである。

 競技に敗れたり、伸び悩んでいる選手を叱ってばかりいたのでは、ますます萎縮してしまう。自信を失い、本来の力すら発揮することはできない。叱られて伸びる選手もいるが、多くは的確にほめられて伸びるものである。もちろん、それは選手自身が真剣に練習している場合に限ることは言うまでもない。

 法では次のように説かれている。

 ――ほめられれば、我が身がどうなろうと構わずに頑張り、そしられる時にはまた、我が身が破滅することも知らず、振る舞ってしまう。これが凡夫の常である――と。

 一人の人を温かく包み、ほめ称えてゆく。そこから、その人の新たな発と成長が始まる。そして、その蘇生の姿は、周囲に新鮮な活力と潤いを広げるに違いない。


 さて、コーチによる選手への接し方として、もう一つ大切な点について考えてみたい。

 それは、選手の成長を阻んでいる「一凶」、すなわち根本的な「欠点」を直させることである。たくさんの欠点があるようでも、それらは一つか二つの“元凶”に根があることが多い。

寝坊ばかりしている”(笑い)、“算数が手だ”――これも、生活や勉学の上での「一凶」となる場合がある。小さな欠点であっても、大きなつまずきの原因にならないとは限らない。しのぎ合いの中では、それが致命傷になることさえあり得る。

 そんなことになっては、あまりに可哀だ。何とか「一凶」を取り除いてあげたい――こうした気持ちからの適切なアドバイスによって、見違えるように力を発揮し、“壁”を突破する選手も多い。

 また、いくつかの欠点の中で、“伸び”を止める「一凶」となっている欠点を見抜くのも、コーチの持つべき“眼(まなこ)”だといえよう。

 これは、どのような団体や組織にも言えることである。「ほめて長所を伸ばすこと」と「克服すべき欠点を自覚させること」の両方がバランスよく噛み合ってこそ、一人ひとりの能力を最大限に引き出すことができるのである。


 次に、記録の向上・更新を妨げる理的要因について述べてみたい。

 その第一は、「慢」である。

 慢といっても、自分でそうっている人間はいない。ましてや、厳しい勝負の世界にいれば、慢は続けられるはずもない。

 ここでいう慢とは、「もう、これでいいのではないか」という闘争の衰えのことである。自分の現状に甘んじ、進歩を忘れた停滞の姿である。大切なことは、実はそれ自体が既に「敗北」の姿であるということだ。

 これまで、世界記録を樹立した選手の内、約3分の2は、二度と記録を更新していないという。

 これは能力の問題というよりも、「もう、ここまでやったのだから」と、無識の内に「挑戦の魂(チャンレジ・スピリット)」を失うからであろう。

 いったん、限界を突破した人間は、あとは「自分との闘争」といえる。


 北欧・フィンランドのヌルミ選手は、オリンピックの金メダル9個を獲得。また、21の世界新記録を樹立し、“超人”と呼ばれた選手であった。

 彼はやがて、競争相手がいなくなってしまった。

 そこで、いつもストップウォッチを持って、トラックを回った。自分のペースをつくるためでもあったが、もはや自分自身の記録との戦いしか、彼にはなかったのである。

 すなわち彼は、絶対に「もう、これでいい」という慢には陥らなかった。

 そして、彼もまた“練習の鬼”であった。

 彼は言う。「上達する努力とは、一にも二にも練習です。もう自分は練習なんかしなくっても負けやしないとったとき、その人は下り坂にかかっているということをわすれないでください」と――(『記録をうちたてた人々鈴木良徳著、さ・え・ら書房)。

 自分の「慢の」に打ち勝った強い人のみが、人生の凱歌の「記録」を残すことができるのである。

 私もこれまで、「もう、これでよい」などとったことは一度たりともない。あらゆる艱(かんなん)の嵐に一歩も退(ひ)くことなく、諸君のため、社会のために前進を重ね、厳たる勝利の歴史を残してきたつもりである。

 一人の平凡な人間が、どれだけの仕事ができるか、どれだけの力を出せるか。その人間としての「証」を後世に示しておきたい。偉大なる「人生のランナー」として走り、また走り続けたい――。その信のまなに、これからも今までの10倍、20倍と働き続けてゆく決である。

 若き諸君も、どこまでも謙虚に自身を磨き、あくなく“自己への挑戦”を重ねていっていただきたい。そこにこそ、かけがえのない“青春の新記録”が刻まれてゆく。


 一流の選手ほど、こう言う。「上には必ず上がいるものだ」と。そして、「自分より真剣な奴がいる」と言った人もいる。“これほど、やっているのだから”と自分でっても、世界は広い。像もつかないほど努力している人間が必ずいる。

 ゆえに、自分より上の人を常に見つめながら、「それ以上に練習しよう」「その何倍も勉強しよう」――この努力に次ぐ努力が、勝負の世界の鉄則である。

 人間として、社会人として、力をつけていかなければ、結局、誰からも信用されない、わびしい人生となってしまう。

 他人が何と言おうが、自分は自分の内にある“王者の力”を信ずる。そして、その力をどこまでも発揮してゆく――これが人間としての本当の勝利への道である。

 剣の達人・宮本武蔵は「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と、『五輪書(ごりんのしょ)』に書いている。これは、いわば武蔵なりの“人生の書”であり、“勝負の哲学”ともいえるとう。

 鍛錬によって、人は自らを縛る自身の欠点から解放される。自分自身を鍛錬し、培った力こそが、自身の勝利を支える土台となる。要するに、「鍛錬が人を『自由』にする」のである。

 鍛錬なき青春時代は、一見、楽なようで、うらやましく見えるかもしれない。しかし、やがては、現実という激しい“風雨”に耐えきれず、敗北の実態をさらけ出してしまう。

 私も60年の人生経験から、このことははっきりと断言できる。

 より高く、より遠く、より速く、より美しく、より大きな世界へと飛びゆくための使命の翼は、暴風雨の中で鍛えられてこそ、自在に大空へと羽ばたけるのである。


 記録を阻む理的な要因には、もう一つ「強制されてやっている」とう圧迫がある。

 何事も「いやいや」やるのでは力が出ない。「好き」でなければ上達しない。

 オリンピックの水泳は今や、「10代のスポーツ」と呼ばれる。10代の、しかも半ばぐらいの若い選手が優勝することが多い。

 陸上競技ではそのようなことはない。

 また、人間の筋力は20代がピークとされている。なのに、なぜ「水泳は10代」なのか――。

 ある人は言う。

 ――一流の選手は毎日、何と9時間も水の中にいる。睡眠を除いて、起きている時間では、水の中の方が長い。陸に住む人間にとって、陸上選手以上に“非人間的”トレーニングである。

 10代も終わり頃になると、こうした生活に疑問を抱くようになる。嫌気(いやけ)が差してしまう。そして、異との交際が始まるなどして、“陸に上がってくる”(笑い)。そこで、水泳選手の年齢は若くなる一方なのだ――と。

 この説が正しいかどうかは別にして、「好き」であるという一、「夢中」になってやる勢い――これが能力を引き出す要因であることは間違いない。


 勉学でも、クラブでも、「好き」になってゆこうとする自分の決と姿勢が大切であろう。

「好き」ということは、まず自分なりに「納得」することである。それを前提に「自主的に」労し、修練を重ねることである。そこに、やがて本当の地力(じりき)がついてゆく。本番でも実力を出しきる「精神力」も培われてゆく。

 そのような人は、「労」している時にも「不幸」をじない。全てを向上のバネとして、みずみずしい生命力で、自分の「の世界」を、そして人生そのものを大きく開いてゆくことができる。

 ゆえに諸君は、手な科目や嫌いな分野にも勇んで取り組み、どうせやるならば、何とか「好きになっていこう」と努力していただきたい。

 中には、お母さん方から「勉強しなさい」と、いつも“強制”されて(笑い)、少々いやになる場合もあるかもしれない。

 母親の「勉強しなさい」は、テレビのコマーシャルのように(笑い)、のべつまくなしで(大笑い)、うるさいとうかもしれないが、決してなくなりはしない(爆笑)。

 要するに、それに「嫌々」従おうとするのではなく、自分から一歩踏み込んで、「勉強を好きになろう」と決めていけばよいのである。それが“強い”である。

 ともあれ、諸君は10代までの、生命の輝きに満ちた年代である。この時期に、徹底して勉学に励み、また、大いに身体を鍛えて、新しい世紀を担うための基礎を、深く強く、築いていただきたい。


 また、「慢」「強制」とともに、「不安」も大敵である。

 最後の土壇場の緊張の中で選手を支えるものは何か。

 それは、「あれだけ練習したのだ。やるべきことは全てやり切った」との自信だという。

 諸君も経験しているように、学校の試験の時も同じことがいえよう。「やれる勉強は全てやった。さあ、何でもこい」と、自信をもった人は強い。動揺もない。しかし、試験勉強も中途半端だと不安が残る。

 イギリス人はよく言う。ともかく「ベストを尽くす」ことだと。

 自分がしい時には、相手もしい。勝負を決するのは、この「私は、やり切った」との自信なのである。

 人と比べたり、何かあったりして、直ぐに崩れてしまうのは、真の自信ではない。渾身の努力もなく抱いた自信――それは一種の「幻」に過ぎない。


 さて、アメリカの黒人選手に、「褐色の弾丸」といわれたオーエンスがいる。

 それは、1935年525日の競技のことであった。彼はたった1時間15分の間に、三つの世界新記録と一つの世界タイ記録を出した。「彼がベルリン・オリンピックでとった四つの金メダル以上の価値がある」と言われた。ところが、この奇蹟ともいうべき日、オーエンスの体調はベスト・コンディションだったわけではない。実は最悪の体調だったのである。

 彼は背中を痛め、競技場にも自動車でやっと着いた。ユニホームへの着替えも、人に手伝ってもらうほどであった。

 当然、コーチをはじめ、周りの人達は棄権させようとした。

 しかし、オーエンスは、“せっかくここまで来たのだから出場する”と、痛みをこらえてスタートラインに立った。“私には使命がある。多くの競技に勝ち抜いてきた。練習もやり抜いた。今、身体の調子は全く悪い。しかし、走ろう。魂だけでも走り抜いてみよう”とのいであったかもしれない。

 だが、「ヨーイ」のを聞いた途端、背中の痛みはウソのように消え去った。本当に人間の生命は不議なものである。あとは夢中で走った。そして、4種目の競技に出場。三つの世界新と、一つの世界タイ記録をつくった。最後のレースが終わるや、激痛が再び彼を襲い、彼は歩くことさえできなかったという(このエピソードは、前掲『記録をうちたてた人々』による)。

 これは、極端な例かもしれないが、ベスト・コンディションとは何かを考えさせるエピソードである。


 他の例でも、「いつもより不調」とわれる時に、かえっていい記録が出ている場合も少なくない。

 私の経験でも、そういう場合はよくある。私は、決して体調のいい日ばかりではなかった。むしろ、悪い日の方が多かった。だが、その中で“やり抜こう、勝ってみせる”との強いいで戦い抜いた時、歴史に残る仕事をやり遂げることができたし、人生の「価値の道」を切り拓くことができたとっている。一の力は不可議である。マイナスをもプラスに転ずるパワーがある。

 体調の不調の時の勝利の理由を挙げて「無欲の勝利」という人もいる。それはともかくとして、どんな悪条件でも、“やり抜こう”との執と根が、いもよらぬ力で、日頃蓄えた地力を爆発させることがあるものだ。決してあきらめないこと、それが新記録への飛躍台である。


 新記録といっても、中には「自分には何も得なものがない」という人がいるかもしれない。しかし、長い人生である。一生の勝負である。最後に何かで勝てばよい。人生というマラソン・レースで勝利者となればよいのである。

 スポーツの記録においても、「長距離ほど記録は伸びる」という“法則”がある。

 1896年から1984年までの約90年間にオリンピックの記録は、どの程度伸びたか。

 100m走では約20%の向上、1500m走では約30%の向上、マラソン(42.195km)では約40%の向上となっている(『疲労と体力の科学』矢部京之助、講談社)。

 諸君は仮に、「人生の短距離走」で勝てなければ、「中距離走」で勝てばよい。それでも勝利に届かなければ、「長距離走」で勝てばよいのである。

「最後には勝つ」――この決で、逞しく、また逞しく生き抜いてほしい。


 ともあれ、諸君は何らかの「青春の記録」をつくっていただきたい。何でもよい。自分らしい何かを打ち立てることだ。

 寝坊の新記録とか(大笑い)、お母さんに叱られた記録(笑い)、落第の記録保持者(爆笑)などというのは困るが……。

 輝く「人生の新記録」は、自分のためばかりでなく、多くの人の喜び、誇りともなってゆくものである。

 エチオピアの“裸足の王者”といわれたアベベ。彼はオリンピックのローマ大会(1960年)と東京大会(1964年)の2回、マラソンで連続優勝している。かつて誰人もなし得なかった偉である。

 東京大会でも、日本を挙げての拍手喝采を浴びたが、初優勝のローマ大会は、まさに劇的であった。

 エチオピアは、かつてイタリアの独裁者ムッソリーニに征服された(1936-1941)。皇帝はイギリスへ涙の亡命。オリンピックは、その24年後である。

 アベベは、この皇帝の親衛隊の一兵士であった。かつて皇帝を追い出したイタリア。その首都ローマでのオリンピック。アベベには、“この地で皇帝の無いを晴らしてみせる”との深い決があったに違いない。

 アベベはローマで見事に優勝した。勝った。しかも、「オリンピックの華」マラソン競技である。世界中が沸いた。

 アベベは言った。「私は皇帝のために走った」、「我が祖国が初めて手にした、このメダルは皇帝に献上したい」と。

 人々はその情に涙した。「エチオピアはその一兵士によって、ローマに雪辱した」と、ある新聞は書いた。

 アベベ「一人」の勝利は、エチオピアの「全ての人々」の勝利であった。

「一人」が立てばよい。「一人」が勝利すれば、それは「全員」の勝利へと通じてゆく。私は、諸君に「その一人」となっていただきたい。

 自分なりの「青春の金メダリスト」「青春のチャンピオン」「トップランナー」、真の「勝利者」の栄冠をつかんでいただきたい。諸君がその“挑戦また挑戦”の道を歩みゆくことを私は信じ、祈っている。

 最後に、どうか、お父さん、お母さんに、くれぐれも宜しくお伝えください、と申し上げ、本日のスピーチとしたい。


【創価中学・高校、東京創価小学校合同 第2回学園祭 1989-09-30 東京・創価学園講堂】

2007-09-26

NHK「その時歴史が動いた」


 失礼、フライングでした(笑)。でも、いい番組でしたな。




 今晩、22:00から放映される「その時歴史が動いた」(NHK総合)で、先生のことが紹介される予定。


番組紹介


 昭和47年に実現した日中国交正常化。わずか4日間の日中間の交渉は、一度は暗礁に乗り上げながらも合にたどり着いた。詰まる交渉の舞台裏に関係者の証言から迫る。


詳細


 昭和47年925日、中華人民共和国との国交正常化のため、田中角栄が北京を訪れた。しかし、交渉は航。日本の戦争責任の謝罪をどう表現するのか? 中国が認めない台湾との関係を日本はどう清算するのか? 4日間を予定した交渉は2日目で暗礁に乗り上げた。それがなぜ、残り2日の話し合いで合にたどりついたのか? 「その時歴史が動いた」300回記は、日中国交正常化交渉の舞台裏を当時の関係者の証言を軸に描く。


放送日時


 09/26(水)総合22:00〜

 10/01()総合16:05〜

 10/12(金)総合02:35〜

(変更や一部地域別番組の場合あり)

声と耳の関係


 さて、「事を為す之を称して経と為す」とは、私どもがしばしば口にする文である。法の大切な法義の一つを示す要文といってよい。しかし、聞いてわかったつもりでいても、自らその深い義を掘り下げ、自分のものとして理解している人は少ないのではないか。

 何事も、ただ鵜呑みにするだけでは身にならない。自分なりに索し、とらえ直してこそ、精神の糧・滋養としていけるのである。

 この「事を為す……」の言葉は、天台の「法華玄義」に弟子の章安が記した「序分」(玄義私記縁起)の一節である。

事」とは「の仕事」であり、人々を成へと導く働きを指す。

 また、「経」には、実に多くの義がある。

 元々、ヨコ糸(緯)に対する、「タテ糸」のことで、そこから「教えを貫く“基本線”」「古今を貫き変わらない三世常恒の真理」「(ヨコ糸と縫い合わせて織り包むように)あらゆる衆生をもれなく摂し包むこと」「聖人と口を経由してくる真理」、その他の味を表す。

 要するに、衆生をにするという「事」を行うために、永遠の「法」を正しく表現したものが「経」である。


 私どもの世界で「経」とは、広義の「」を中としたものである。御書には「此の娑婆世界は得道の国なり」(415頁)――この娑婆世界は(の働きが鋭く)法を説くを聞いて成の利益を得る国である――と。

 しかし、興味深いことに、他の国土(天体)では、必ずしもそうではないと説く。「法華玄義」では、「天衣身に触(ふ)るゝを以て即ち道を得(う)、此れ偏に触(しょく)を用(も)つて経と為すなり……衆香土の如きは香を以て事と為す。此れ偏に香を用つて経と為す」(巻第八上)と。

 ――天衣が身に触れて成する。これはひとえに「触」をもって経としている……衆香土のような国土では「香」をもって事としている。これは、「香」をもってひとえに経としているのである――。

 つまり、手ざわりや香りなどが「経」となり、衆生を成させてゆくことが説かれている(笑い)。

 しかし同時に、根は当然として、この娑婆世界では「経典の文字を見ること(眼根)」「法を惟(しゆい)すること(根)」で成することはあっても、他の器官では役に立たないと述べている。

 すなわち、「鼻に紙墨(しぼく)を臭(か)ぐに則ち知る所無く、身の経巻に触るゝも亦た解すること能はず、舌に文字をくらふも寧(いずく)んぞ是非を別(わか)たんや」。

 ――鼻で紙や墨の香りをかいでも知るところはない。身が経巻に触れても理解することはできない。舌で文字をなめても、どうして是非がわかるであろうか――。

 つまり、経巻を鼻でかいでも(鼻根)、身でさわっても(身根)、舌でなめても(舌根)、法のことは少しもわからないではないかと、道理に即して論じられている。

 これは、私どもの実からも、たやすく納得できるところである。


 私どもについては、とりわけ「根」が鋭いということについては、様々な例証がある。例えば、人間の五官の中では最も早くから、最も遅くまで活動する器官とされる。

 胎内の赤ちゃんは、ほぼ6ヶで聞く器官と神経ができ上がる。おなかの中で赤ちゃんは、じっと“を済ましている”。

 ゆえに、「生まれた時には、既にお母さんのを覚えている」ともいわれる。また、赤ちゃんにお母さんの臓の音を聞かせると、理的に安定したり、泣きやんだりするとの報告がある。更には、胎内で聞く、お母さんの音、血液が流れる音などを録音したレコードまで発売されている。

 赤ちゃんは、お母さんの唱題の響きも、ちゃんと聞いている。夫婦喧嘩のも全部、聞いている(爆笑)。

 初代会長の牧口先生は、「子供はお腹にいる時が一番の安住の所です。その時信することが子供にとって幸いになります」と指導された。赤ちゃんが胎内にいる時に唱題し、妙音を響かせてゆくことが、いかに大切であるか。

 これも、牧口先生の指導にいかに先見があったかの一つの証左とう。


 最後まで機能するのも、実は「」である。

 死が近づき、昏睡状態になっても、周囲の音は聞こえている場合が多いという。ただ、聞こえていることを周囲に知らせる力がないだけのことである。

 こんな笑えない実話もある。識不明の病人の枕元で、つい、本人の葬式の話をしてしまった。あとで、奇蹟的に一時、識が戻った時、ひどく恨まれたという(笑い)。

 また、ある植物人間化した壮年は、娘の「お父さん!」というにだけ、かすかに反応したという。この方の場合は、奥さんでは、どうも駄目だったらしい(笑い)。


 臨終の時に唱題のを聞かせてあげることにも深い義がある。

 日寛上人は「臨終抄」で次のように仰せである。

「已(すで)に絶へ切つても一時ばかりへ唱へ入る可し、死しても底あり或は魂去りやらず死骸に唱題の聞かすれば悪趣に生るる事無し」

 ――が絶えたあとも、しばらくの間(約2時間か)、に唱題のを入れてあげなさい。死んでも、生命奥底の識は残っている。あるいは、生命が死の状態に完全には移行してない場合がある。死を迎えた身体に唱題のを聞かせたなら、地獄・餓鬼・畜生・修羅界などの悪しき世界に生まれることはない――と。

 ここにも、「」と「」の妙なる働きが明かされている。


」は誕生以前から死に至るまで、常に“開いている”。目や口を閉ざすことはあっても、「」を閉ざすことはできない。しかもや音は、いわば直接、生命の深みに響き、影響を与えてゆく。

 その味で「」は、世界と宇宙に開かれた「生命の窓」である。また、そこから様々な音が真っ直ぐに“いのち”の奥底に入ってゆく「魂の門」である。

 ゆえに、「」にどのような「」と「音」を聞かせ、響かせてゆくか。ここに、生命と人生への重大な影響がある。

 絶えず、尊い英知と慈悲のを聞かせてゆくならば、その高貴な精神が、いつしか魂に移り、染まって、かけがえのない人間の向上をもたらすに違いない。よき師、よき指導者に出会い、教えを受けることの幸福がここにある。また、至高の音(おんじょう)である南無妙法蓮華経を唱え、響かせてゆくことが、いかに尊貴なことであるかを知ることができる。

 反対に、卑しい低俗な言葉ばかりをにしていれば、魂そのものが低下し、汚れていってしまう。例えば、人の悪口ばかりを口にし、悪の会話を好む人は、やがて自らその悪に染まり、卑劣な“いのち”となってゆこう。

 信の戦いも、ある味で「」の戦いである。広布を妨げる悪の「」に対し、いかに正義の「」で対抗してゆくか。

 激しく攻撃されながら、ただ黙っていれば、戦いは破れ、広布の前進は止まる。「」に対しては「」で反撃し、打って出てこそ、悪を破ることができる。一の暴言に対しては、十の正論で言い返してゆく。ともどもに、それぐらいの気概法の正義を高く主張し、広布の言論戦を堂々と展開してゆきたいとうが、いかがだろうか。


 さて、私どもに馴染み深い「聖」の字も、味の中は「」にある。「天のを聞き分ける」のがその本義である。

 また、「聡明」の「聡」という字も、「」が味の中である。「がよく通じている」、つまり“聞き上手”というのが原義である。

 すなわち、宇宙の森羅万象の「」をよく聴く力と徳を「聡」といい、その人を「聖」という。

「聞く」「を傾ける」ことが、いかに大切であるか。

 信仰の同志に対しても真摯にを傾け、言いたいことを聞いてあげることが、激励・指導の出発点である。ただ、ガアガアと(笑い)、しゃべってばかりいて、一向に人の言葉を聞かない幹部は、既にリーダー失格である。


 更に中国医学では、を人体の縮図として、の各部位が全身の諸器官に対応しているとする。興味深いことに、の形は逆さまになっている胎児の形とそっくりである。

 ちなみに喉には、人間の形をした「のどぼとけ」がある。

 また、日本語の「みみ」は、「身の中の身(身身)」、あるいは「実実」に通ずるとの説もある。

 古来、「根」が、一般にもどれほど重要視されてきたかの、ほんの一例である。


 宇宙の万物がをあげ、言葉を発している。宇宙の全体が、歌うたう大いなる生命である。

 これは、単なる詩的な直観にとどまらない。現代科学の最先端が明らかにしつつある新しい宇宙像でもある。

事を為す」――その深い義を人類が見直すべき時代に入ったといってよい。


 もちろん、中にはの不自由な方もいらっしゃる。しかし、大聖人法は結局、全て信の「」と「行動」がどうかで成が決まる。堂々と幸の大道を進んでいただきたい。

 ともあれ、「」を発すること自体が、生命の証の一つである。そして広布も、生き生きとした「」を原動力として進んできたことを忘れてはならない。


【第17回全国青年部幹部会 1989-09-24 埼玉池田文化会館

2007-09-25

給食制度


「給食制度を始めたのは牧口初代会長」と信じている学会員も多いが、これも誤り。日本で最初の給食を行ったのは山形県鶴岡町私立忠愛小学校で、1889年明治22年)のこと。牧口先生が給食制度を導入したのは1920年大正9年)である。しかしながら、私費を投じた牧口先生の偉大さが色褪せることはない。昨今は、組織内での都市伝説が多いので、お気をつけ遊ばせ。

阪神大震災


 阪神大震災で、真っ先に救援活動を行ったのは学会青年部だとっている人が多いが、実は違う。一番最初に動いたのはキリスト教の団体と、山口組である。山口組については、暴力団という理由で殆どのメディアが報じなかった。

「北斗七星」殿御返事


◆「この野郎!」。ドスの利いたが区役所のロビーで響いた◆中年の男職員が、へっびり腰で対応する。机に目を伏せる他の職員たち。暴漢が机をたたく。罵を上げる。モノを投げる。扉を蹴る。「ぴょん」、応対の職員も後ずさり。「ピーポ、ピーポ」、隣接の警察署から、やっとパトカーが3台到着した◆こんな恐怖を経験した公務員は、3分の1とか。警察庁などが711日に公表した「行政対象暴力に関するアンケート」(2007年度)を見よう。全国の都道府県、市・特別区の合計852自治体から得た3018通の回答に対し1010件(33.5%)、このうち「最近1年間に不当要求を受けた」ケースは529件に及ぶ◆襲われたり殺されたりするケースも多い。象徴的な例が、415日の長崎市長銃撃殺人事件である。同市では前任の市長も銃撃、一昨年5生活保護絡みで職員が殺された◆厚労省は06年330日付で「暴力団員に生活保護を支給しない」方針を通達。が、通達の実施に「精神的な負担をじる」人は76.1%、4分の3に達する。東京・町田市で起きた立てこもり事件から暴力団員の公共住宅への入居を拒むも高い◆しかし誰が「ノー」を突きつけるか。職員は暴力に“丸腰”だ。郵便、車検、福祉、住宅、環境、産廃、公共事まで、警察や社会の本腰を入れた対応を望む。(芙)

【公明新聞 2007-09-25


 与党になると、こんなコラムも書くようになるんだね。いやはや驚いた。暴力団をダシにして、公務員を擁護するとは。「公務員削減」「高過ぎる給与の見直し」を先に書くべきじゃないのか?

「現場」をおろそかにしたところは滅ぶ


 ともあれ、このエピソード(ベルリン天文台のJ・G・ガレが海王星を発見。しかし、ガレより、234年も前にガリレオが海王星を観測していた。その上、現代天文学よりも正確な位置を記録していた)が印象的に物語っていることは何か。それは、「現場」を第一に大切にしなければならないということである。

 現場には、計算上「こうなるはずだ」「こうなっているだろう」というような先入観や、利口げな理屈を超えた複雑があり、豊かさがある。

 実際に見てみなければわからない。これが「現場」である。予もできない“未知の力”が働いている場合も多い。

 ゆえに、「第一線の人」「その地域の人」「長い活動体験を積んできた人」、そうした方々の見に徹底してを傾け、最大に尊重してゆかねばならない。

 その「足を運び」「を澄まし」「考え抜く」努力が不十分で、いかに会議や打ち合わせを重ね、様々な企画を立てても効果は生まれない。

 それどころか、的外れの“机上の空論”となり、“観の遊戯”となっては、むしろマイナスである。人々をしめてしまう。その罪は大きい。

現場を大切にしたところが勝つ」。これは、いかなる組織、いかなる企・団体でも不変の鉄則である。

現場」をおろそかにしたところは、必ず次第に衰微してゆく。


 どんなに精巧なコンピューターを導入したとしても、それが価値を生むかどうかは、使う人間の「知恵」次第である。そして、人間を相手とする以上、必ず機械や理屈のみではとらえきれない面が出てくる。人間は生きものである。社会も生きものである。刻々と変化している。

 その変化を知らずして、これまでの小さな見聞や経験を過信し、「最前線」を軽視することは敗北の因となる。

 ゆえに私は、常に第一線に飛び込み、最前線の友と肩を組み、そのを聞き、ともに進んできた。これが青春時代から一貫して変わらない私の信条であり、人生の歩みである。

 端的に言えば、ある味で「現場こそ師匠」なのである。そこに学ぼうとしない指導者には成長がない。必ず行き詰まる。

 広宣流布の最もホットな「現場」。そこで真剣に戦った人が一番、偉大である。一番の勇者である。一番、功徳を受ける人である。

 常に自身を「現場」という師匠に照らして、軌道修正しなければならない。そうでなければ、ロケットがとんでもないところへ飛んでゆくように、迷走飛行の人生となる。


 いずれにしても、“自分流”の計算や考えのみで、勝手に行動する人は、かみ合わない歯車のように、広宣流布の邪にさえなってしまう。

 そういう人についた人も同じく軌道を誤る。やがて、墜落し、与同罪(同じ罪をともに受ける)になってしまう場合もある。つくべき人を間違ってはならない。

 また、成長しない先輩が前にいるのは、ノロノロ運転のトラックが前につかえているようなものである(爆笑)。速く走ろうにも走れない。伸び伸びと動けない。成長も抑えられる。その味で、どうしても組織新陳代謝が必要になる場合も出てくる。

 ノロノロ運転どころか、止まっていたり(笑い)、バック(後退)していたのでは(大笑い)、あとに続く人はしむばかりである。「過去の経歴」や「立場」が偉いのではない。今、どれだけ成長しているか、前進しているのか。その現在の事実が大切なのである。


 一方、停滞している先輩のもとで、ただ批判し、愚痴をこぼしていてもつまらない。自分が損である。まして、それで一歩退(ひ)いてしまえば、あとでしむのは自分自身である。

 たとえ、いかなる環境にあったとしても、自分は厳として「正しい指導」を学び、信の「正しい軌道」を歩んでゆく。そして、他の人をも、その方向へ向けてゆく。また、“和”を尊重しつつも、言うべきことは明確に言ってゆく。そうした、強く、賢明な皆さまであっていただきたい。

 そして、私とともに、広宣流布の確たる軌道を歩みながら、全員が“素晴らしき人生”を満喫し、見事に飾っていただきたい。


【第17回全国青年部幹部会 1989-09-24 埼玉池田文化会館

2007-09-24

「円天」が配当停止

 被害者が5万人ってことは、学会員が5000人ぐらいいてもおかしくない。上手い話には乗るな。


 現在、米国債10年物の金利が4.5〜5%である。これを上回る金利は、十分疑ってかかるべきだ。

不条理と戦う人々


 いつの時代も不条理と戦う人々がいる。正当な理由もなく、恐るべきマイナスを背負わされ、ひたすらゼロを目指す闘争が強いられる。


 例えば、係争中である山口母子殺害事件の被害者・本村洋氏。幼子(生後11ヶ)の目の前で母親が殺され、遺体と行為に及び、挙げ句の果てに幼児を殺害したとされる事件である。

 本村氏は、メディアの前で自分の殺を表明した上で法廷闘争に望んだ。像を絶する悲哀を引き摺りながらも、彼の言葉が理知的であることに驚かされる。彼は絶対に、自分から家族を奪った少年を許さない。少年が死ぬまで彼の闘いは続く。本村氏の復讐はグルカ兵よりも恐ろしい。少年は必ず殺されることだろう。


 あるいは、拉致被害家族会の方々。我が子を誘拐した犯人が判っているのに、何もしてもらえないのだ。例えば、薬害エイズの被害者。または、医療事故の犠牲者


 宿命や運命などといった安易な言葉で、解決できる次元の悩ではあるまい。


 私は問う。「お前は、本村氏よりも戦っているのか?」と。「果たして、本村氏よりも戦っている人が、学会に何人いるだろうか?」と。

『ウエスト・ポイント流 最強の指導力』ラリー・R・ドニソーン


 伝記作家サー・バシル・リデル・ハートが、「現代覚を持った最初の将軍」と称したシャーマンは、間違いなく部下に対するいやりを持った将軍だった。焼けつくような日ざしから部下を守るため、行進は夜間行なった。隊列をつくって行進している部隊の横を馬に乗って通るときは、兵士たちを道から追い落とさないようにと、野原を駆けた。

 さらに重要なのは、彼が過酷な要求をするのは、実は、犠牲者を多く出さないようにするためなのだということに、兵士たちがすぐに気がついたことがある。リデル・ハートによれば、シャーマンが兵士たちに多くのことを要求できた――彼らはシャーマンのためなら、命令一つで即座に行動し、乏しい食糧でも持ちこたえた――のは、彼が戦場でいつも兵士のことを考えていたからなのだ。部下は、自分たちの命を守ってくれる彼の能力に全幅の信頼を置いていた。そのため、戦うよう命じられれば、自信を持って戦った。一言で言えば、シャーマンは部下にいやりを持っていたので、より多くの任務を遂行できたのである。


 この本を読むのは二度目だが、何と『生きぬく力』(ジュリアス・シーガル著)で紹介されていたジェームズ・B・ストックデールについて書かれていた(「情報は力」を参照されよ)。


 仕事にどれほど打ち込んでいたとしても、高潔さを守るためには、その仕事さえも潔く捨てる勇気を持っていたいとう。他の仕事や職など、どこにでもあるのだ。

 75歳になって、ベランダの揺り椅子に座っているときに、

「私は出世と金儲けのために自分の誉を傷つけてしまった」

 と認めなければならないとしたら、それは耐えられないことだ。後悔はしたくないといういが、誘惑に直面したとき、何度となく私を救ってくれた

 高潔さを守った事例の中で、最も極端なものの一つはベトナム戦争の最中に起こった。

 ジェームズ・B・ストックデール提督は、北ベトナム上空で、間違いなく捕虜になると知りつつ落下傘降下をしなければならない状況に追い込まれた。人生という壮大なドラマの中で、ストックデールは、一度として捕虜の役など演じたいとったことはなかった。だが、その役が彼に割り振られたのだ。彼はその役を力の及ぶかぎり演じようと決した。あるとき彼は、これ以上拷問されれば、国民を裏切ることになる情報を漏らしてしまうかもしれないと悟った。そこで彼は、敵にそうせないため、独房にあった椅子でわが身を殴りつけ、気絶したのだ。

 ストックデールは、経歴を命を捨てても、道徳的責任は全うしなければいけないということを身をもって示したのだ。


 幾度となく、「これは」とう新任幹部にプレゼントした本である。


ウエスト・ポイント流 最強の指導力―アメリカ陸軍士官学校ウエスト・ポイントはリーダーシップをどう教えているか

「いじめ」の事実を隠す学校の官僚体質


神戸・高3自殺、学校が一転いじめを認める


 神戸市須磨区の私立高校で、7自殺した同高3年の男子生徒(当時18歳)が同級生らから金を要求されていた事件で、同高は21日、記者会見を開き、恐喝未遂容疑で逮捕された少年(17)以外に、フットサル仲間の同級生2人が、生徒に金銭を要求するメールを送っていたとする再調査結果を公表した。校長らは、生徒に対するいじめを否定していたこれまでの説明から一転、いじめがあったことを認め、「亡くなった生徒の冥福(めいふく)を祈り、遺族におわび申し上げたい」と謝罪した。

 同高は、少年が逮捕された翌日の18日から3日間、同級生ら約40人に改めて聞き取り調査やアンケートを実施。クラスメート34人中11人が「(生徒は)フットサル仲間の同級生にいじめられていた」と回答した。

 同高によると、同級生2人は、逮捕された少年に「(メールに)自分の前と金額を入れておいて」などと頼み、金を要求するメールを送らせていたという。また、この3人が数回にわたり、生徒の机の引き出しやかばんの中に紙粘土を詰め込んでいたことも明らかにした。

 一方、少年や同級生らが生徒から金を受け取っていた事実はわからないといい、生徒がブレスレットを買わされていたことが、恐喝にあたるかどうかは確認できなかったという。

 校長は記者会見で、「いじめ自殺の要因の一つだったとう」と唇をかみ、紙粘土を使ったいたずらがあった際、担任教諭が気づいて生徒にをかけていたことに触れ、「教師との信頼関係があれば、サインを見落とさずにすんだかもしれない」と肩を落とした。

 生徒が自殺した直後や、少年の逮捕後に、「いじめはなかった」としていたことに関しては、「1回目の調査は不十分だった」と調査の甘さを認め、「逮捕がなければ、いじめと認識できなかったかもしれない」と述べた。ただ、メールやインターネットを使ったいじめについては、「いじめの方法としては定していなかった」と釈明した。

 生徒が同級生らの実を挙げ、「(要求された)金を払えない。死ぬしかない」などと記していた遺書については、同高は、少年が逮捕された直後の記者会見で、「遺書めいたものがあるということは聞いていたが、子どもプライバシーに配慮し、白紙の状態で調査しようと考え、内容は知らないままだった」と説明。現在も確認していないという。

 同高は今後、外部の有識者を含むいじめ防止対策委員会を設置するほか、メールやネットトラブル防止についての生徒の講習会や教師の研修会を開き、再発防止を講じる。

 兵庫県は21日、いじめの存在を認めた背景や、同級生らに対する再調査の内容について詳細な聞き取りが必要と判断し、週明けにも校長から事情を聞くことを決めた。


【読売新聞 関西版 2007-09-22】


“死”をもって放ったメッセージも、大人達には届かない。否、そんな大人ばかりだから、子供達は死を選んだのだろう。


 こうしたニュースが報じられるたびに、「いじめに気づかなかった」というが聞こえてくる。「知らなかった」と言えば責任を回避できるとい込んでいる節(ふし)が窺える。


いじめがあったという事実は確認できておりません」――最初の記者会見での決まり文句だ。これが官僚主義である。「いじめがあった可能もありますので、速やかに調査します」とは絶対に言わない。私だったら、いじめを見逃すことはあり得ない。


 学会本部や聖教新聞社に電話をすると、同様の対応が多い。木で鼻をくくったような物の言い方をする。彼等が見知らぬ学会員に対し、電話で本音を話すことはないのだ。録音して、Web上にアップしたくなるほど酷い(笑)。


 官僚は“問題”を嫌がる。面倒を避ける。責任を下の者に押しつけ、自分は近づかないようにする。我が身を守るためなら、平然と嘘までついてみせる。


 こういう幹部がいたら、ぶん殴っても構わないよ。

コワレンコ氏(ソ連)


 コワレンコ副会長は、1974年に誉会長が初めてソ連を訪問し、コスイギン首相と会見した折の模様を述懐。

誉会長との会見の後、首相は『これほど賢明で、優れた指導者には今まで会ったことがない』と賛嘆し、『創価学会との友好交流が更に深まるよう、あらゆる努力を重ねていくべきだ』と語っていた」とのエピソードを紹介した。

 そして同副会長は、「この時から、ソ連は日本にとって一段と開かれた国となったといえるし、この時こそが、ソ連と日本の民間外交の原点ともなったとう」と述べた。


【コワレンコ・ソ日協会副会長と会談 1989-09-20 聖教新聞社】


 本当の前は「怖レンコ」氏である(笑)。その立ち居振る舞いは傲然+憮然。連載中の『新・人間革命』にも、ソ連訪問の模様が描かれている。当然ではあるが、書けないことも多い。相手は共産党宗主国の政治家だ。一筋縄で行くはずがない。


 我々は気軽に「人間外交」などと言っているが、我が身を振り返ると、仕事で付き合う人との友好すら困な有り様だ。


 大言壮語は控えて、まずは隣人を大切にしよう。

2007-09-22

幸福には「強さ」が必要


 幸福には「強さ」が必要である。勝利には「強さ」が不可欠である。個人も家庭も、団体や国家も、強くまた強くあってこそ、堂々と胸を張って幸福と繁栄の道を進める。弱ければ惨めである。

 強い人のみが、人々を守ることもできる。自分も楽しい。皆も安である。弱さは後退と敗北に通じる。頼りないリーダーには人もつかない。子を守りゆく使命も果たせない。

「道理」の上に立っての透徹した「強さ」。そこに信の表れもある。真実の信仰者の姿がある。学会も、経文と御書の仰せのままに、何ものも恐れず、「強く」「賢明に」戦ったからこそ“奇蹟”ともいわれる発展を実現できたのである。


【栃木県記勤行会 1989-09-18 栃木研修道場


「弱い」というだけで損をする。弱さそのものが不幸ともいえる。強くなるためには、鍛えることである。


 きたはぬかねはさかんなる火に入るればとくとけ候、冰をゆに入るがごとし、剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり、まへにかう申すはきたうなるべし(1169頁)


 10kgほどの鉄の塊が、熱せられ、叩かれ、冷やしてはまた焼きを入れる。これを何度も繰り返すことによって、1kgほどの刀となる。ということは、不純物が90%もあることになる。我々だって、そんなもんだろう(笑)。


「不利な立場になることを避ける」「出る杭は打たれるからなあ」――これ、まさしく不純物である。根っこにあるのは、「自分さえよければいい」とする保身根だ。「身を保つ」ために平然とを死なせる。羊千匹グループに共通する質である。


 上の幹部と喧嘩のできないリーダーは革命児たり得ない。師のを見失った組織人など必要ない。有能な事務方を求めているのは“職場としての学会本部”であって、先生も会員もそんな人物は求めていない。


 私の先輩は一人の後輩を守るために、分区男子部長を率いて、時の男子部長に土下座したことがある。その事実を私は後で知った。後輩というのは、同じ部で戦ったメンバーだった。私はで泣いた。何とありがたい先輩だろう、と。


 その先輩は、学会本部で男子部長の机を蹴飛ばしたこともある人だった(笑)。


 これが私を育ててくれた先輩だ。私も同じ道を歩む。

水谷修


 またまた、プリン君からの情報。水谷修氏のことを何度か書いてきたが、私の見た番組がアップされていた。プラグインをダウンロードすれば視聴可能。


いいもんだよ、生きるって 〜夜回り先生・水谷修のメッセージ〜

【ETV特集 第66回 2004年94日(土)放送 90分】


生きていてくれて、ありがとう 〜夜回り先生・水谷修のメッセージ 2〜

【ETV特集 第115回 2005年115日(土)放送分の再放送 90分】

2007-09-21


 さて、今日は満でもあり、暑い日が続いているので、ここで涼しい「」の話をさせていただきたい。

 といえば、よく戸田先生は“光を浴びながら、人生や哲学、未来を、夜中まで語り合い、論じ合ってこそ青春である”と言われていた。

 ともあれ、地球の衛星である。それは古来から“かぐや姫の宮殿”と親しまれてきたように、私達にはいつも何かを語りかけてくれる“おとぎの世界”でもある。


 また、義は、ロマンの世界にとどまらない。大聖人は御自身のお前について、こう仰せである。

「明かなる事・日月にすぎんや浄(きよ)き事・蓮華にまさるべきや、法華経日月蓮華となり故に妙法蓮華経とく、日蓮日月蓮華との如くなり」(1109頁)

 ――明るいことは太陽と以上のものはない。清浄なことは蓮華以上のものはない。法華経は「日月」と「蓮華」が象徴である。ゆえに妙法蓮華経とづける。日蓮もまた日月蓮華のようである――と。

 この御文には甚深の義があると拝するが、大聖人も御自身を「日月」のごとしと仰せのように、太陽とは切り離せない。

 私どもも常々、「太陽の法」とたたえるが、太陽だけではない。をも包摂する義を持つ法なのである。


 また一般的には、太陽とは互いに相対するものとして考えられている。だが、実は、相対するものの「調和」が価値を生み出す。それは、陽と陰、男と女、火と水、外向と内省等の関係にも見られる非常に大事な原理である。

 人間もまた同じである。いつも「太陽」のようにギラギラ燃えてばかり(笑い)、大で激励ばかり(笑い)では、自分も疲れる。第一、周りが迷惑である(大笑い)。

 皆が疲れている時には、「今日はベートーベンの曲でも」(爆笑)と穏やかに、疲れを癒すことも必要であろう。ともあれ、「」の光が包み込むように、静かに語りかけてゆくことも大切である。

 ある時は「太陽」のような満々たる生命力が必要である。とともに、ある時は「光」のように、清浄で穏やかな「精神の光」と円満な「知恵の光」を持たなくてはならない。

 特にこれからの高齢化社会、成熟社会には、この両面が必要になってくるようにう。

 また、学会にあっても、これまではいささか偏りのある“ミニ太陽”のような人が多かったかもしれない(大笑い)。今後は、「太陽」の力と「満」の光とが、見事に調和されたような人材の成長を目指してゆくべき時代といえよう。


 その味でこれからは、いわば「日月調和の時代」である。

 それは一つには、「自分を見つめる力」が要求される時代である。これまで我が国は「日本株式会社」(笑い)と言われるように、豊かな生活を求めて誰もが皆、せわしなかった。しかし、人間を犠牲にした経済的発展、氾濫する情報を前に、もはや外にばかり目を向ける時代ではなくなっている。今や、内なる自己を見つめる力が強く求められているといってよい。

 もう一つには、従来の男社会に対し、「女」の特質がより重要になる時代である。政治の分野でも、女の発言が重みを増しつつある。ここ東北にあっても、これまで以上に女見を尊重しながら進んでいただきたいとう。


 もちろん、太陽が男が女とは限らない。当然、その反対であってもよい(笑い)。事実、太陽が女詞、が男詞とする言語もある。女を太陽、男とする文化もある。

 かつて、社会運動家の平塚らいてう女史が、「元始(げんし)、女は太陽であった」と語ったことは有である。また私も、婦人は「家庭の太陽」と申し上げてきた。

 要は、「太陽」と「」、両者の絶妙な調和が必要となる時代を迎えていることを知らねばならない。


 かつて私はこう記した。

「昼は太陽と共に謳いながら 生命を燃やそう 夜は静かな光の道で 友の休むのを待って 自分という人間を考えよう」と。

 多くの詩人や歌人がを通して人生を詠み、それはまた日本人、東洋人の一つの精神史を綴ってきた。

 いわばは、を映す鏡である。古来、人々はいを託し、と語り、に我が人生を映して、の内を見つめてきたのである。

 人は、「自分を見つめる」ことを忘れた時、必ず進歩がなくなる。また、自分を見つめない人は、人間的な魅力も出てこないし、最後は枯渇せざるを得ない。

 だからといって、ただ自分を見つめてばかりいて(笑い)、行動のない人には前進も成長もない。大切なことは、実践の中で自分を凝視しつつ、そこで深められた精神を、更なる価値創造へのバネとしてゆくことである。

 その味で私どもは日々、御本尊に向かい、唱題することによって自らを照らし、境涯を深めながら、限りなく前進してゆくことができる。これほど偉大な世界はないし、価値ある人生もない。


 大聖人は妙一女(みょういちにょ)に「御身は忽(たちまち)に五障の雲が晴れて覚を詠(なが)め給うべし」(1262頁)――あなたは、たちまちに五障の雲が晴れて寂光の覚をながめられることでしょう――とのお手紙を認められている。

 五障とは、爾前経において、女人が1.梵天、2.帝釈、3.王、4.転輪聖王、5.になれない、とされた五つの障りのことである。しかし、たとえそのような身であっても、三大秘法御本尊に真剣に題目を唱えるならば、「寂光の覚」をながめられる自分になってゆく。すなわち、界の悟りの智が輝いてゆく。

 己の「界」の満に照らされた、その「智」の光は自身を見つめさせ、同時に他の人をも導く根源の力となる。そして、自身を照らす光が強ければ強いほど、他人への洞察や尊敬が深くなり、慈愛も深まってゆく。指導の力も深まる。

「守護国家論」の中で大聖人は、「内界を知らざれば外の諸も顕われず」(67頁)――自身の界を知らない内は、外の諸も姿を顕さない――と仰せになっている。

 この御文は「十界互具」の義を説かれたものである。また、私どもの信の一についても重要な示唆を与えてくださっていると拝する。すなわち己の「界」の光が強まれば強まるほど、他の人の「界」も確信できる。本来、であるという本源的な尊敬のが起こってくるのである。

 反対に、権威をカサに子を見下し、“我尊し”と威張っている人間は、それ自体、己界を現じていない証拠である。

 当然、「自分を見つめる」力もない。成長も止まる。堕落が始まる。人からも信用されない。

 そして、表では立派そうに振る舞いながら、中には裏で学会を利用しようと策動する者さえ出てくる。まことに「偽りの精神生活」である。それが、責任ある立場にありながら退転し、反逆した人間の正体でもあった。

 信の世界は全部、「自分」の内実がどうかが根本である。表面的な“組織の論理”で決まるのではない。大切なのは、いわゆる「話のうまさ」でも、多くの人を動かしてゆく「立場」でもない。どこまでも信である。一個の人間として、信仰者として偉大なる境涯を開いてゆくことである。それが自身の成を決定してゆく。また、実質的に広宣流布を進めてゆくのである。この原理・原則を私は厳然と言い残しておきたい。


 さて、再びの話に戻ることにしたい。

 アポロ計画以来、の研究は飛躍的に進んできている。その中で最も身近な天体であるに、太陽系全体の歴史が刻み込まれていることもわかってきた。ちょうど「一人」の人間に、「人類」の進化の歴史が集約されているのと似ている。また、「一人」をから味方にすることが「万人」に通じていくのである。

 最近の研究によると、の誕生は約46億年前。太陽系や地球とほぼ同じである。では、はどのようにしてできたのか。これには、地球と一緒にできたとする「兄弟説」、地球から分かれてできたとする「親子説」、地球が漂うをとらえたとする「捕獲説(他人説)」、その他がある。

 原始のは、燃えたぎるマグマの海であった。その後、次第に冷えて、軽い物質が表面の方へ、重い物質は中へと分かれて、地殻とマントルが形成された。

 約44億年前から40億年前までの間、激しい隕石の嵐や雨がを襲った。この時期、地球も含めた太陽系全体が、無数の隕石が飛び交う激動期にあった。

 宇宙においても、また、人間の世界においても、形成期には必ず激しい嵐があるものだ。戸田先生はよく語っておられた。“ある味で、学会も第三代が最も大変だよ。一番、嵐にあうだろう。だが、それを乗り越えれば、あとは永遠に安定していくであろう”と。

 初代、二代も熾烈な建設の闘の連続であった。それにも増して重要な時期が第三代であるならば、未聞の嵐はむしろ当然である。広布の磐石な未来を決する学会の“形成期”を第三代で総仕上げせよとの、先生のおに応える以外に、私の人生はないとっている。


 太陽系の激動期の中で、地球にも多くのクレーター(くぼみ)ができた。が、後の火山活動によってその痕跡はほとんど消されてしまった。

 一方、にはクレーターがそのまま残っている。いわゆる、“のあばた”である。なぜなのか。

 それは、が39〜32億年前まで火成活動をし、「の海」(他より低く、黒く見える部分)などをつくった後、深部まで冷えきり、活動を停止してしまったからである。このことはに、31.5億年より若い岩石がないことからも推定されている。

 つまり、は32億年前に、ほぼ死んでしまった天体である。その寿命は14億年。天体として出発した時のエネルギーが小さく、尽きてしまった。そのため、激動期の状況、いわば傷跡をそのまま表面に残しているのである。

 人生も、活動を止めてしまえば、理を実現し、完成させることはできない。ともかく生きて生きて生き抜いてゆく――その中でこそ様々な傷や痛みも時とともに癒され、人間としての円満な境地も築かれてゆくものだ。美しい緑に包まれた地球のように――。

 また、妙法を信じ、広布へと進んでいる今こそ、三世永遠の幸の旅路への出発の時である。ゆえに大きなエネルギーが必要である。題目を唱えに唱え、“満タン”のエネルギーを蓄えながら、私どもは悠々と幸福の軌道を進んでゆきたい。


 さて、静寂な「死の世界」であるには、ほとんど大気も水もない。大気は地球の10兆分の1。ほぼ真空の世界である。

 大気がないということが、どれほど悲惨なことであるか――。大気に守られないの表面は、「直(じか)に」宇宙空間からの脅威にさらされている。無防備の裸の状態である。

 太陽からのX線や紫外線、帯電粒子すなわち、いわゆる太陽風。また、その他のあらゆる宇宙線や隕石等々、そうした宇宙の“暴力”に何十億年も、は痛められ続けてきた。

 大気がないため、昼夜の温度差も激しい。昼は130度、夜はマイナス170度にもなる。その差、何と300度である。

 これに対し地球は、オゾン層など厚い大気の層や地磁気で保護されている。ゆえに、人類をはじめとする生物が生きてゆける。


 しかし、こうした無数の“宇宙のギャング”達の害に、人間が気づいたのは、つい最近のことである。「大気に守られている」という事実に、長い長い間、誰も気づかなかった。

 あまりにも大きな恵は、人は忘れがちである。あまりにも、すっぽりと身近に包まれているので、空気の偉大さに「謝」することがなかった。

 その大気がない世界の無残さを見て、初めて「地球の素晴らしさ」がわかったのである。地球に住むことが、どれほどありがたいことか。緑したたる宇宙のオアシス地球を、皆で大切にし、皆で真剣に守らなければならない。


 学会も、宇宙の中で最高に幸福な「信の世界」である。

 絶え間なく降り注ぐ物の攻撃から信仰を守り、諸天の力を増幅させながら、福徳の華を繚乱と咲かせている。

 確たる軌道もなく漂うのみの人生が多い中で、自他ともに人生を最も充実させて歩むことができる。

 その味で、正法を守りゆく組織が絶対に必要である。人々を守りゆく指導者が必要である。また、ありとあらゆる社会の分野で活躍しゆく同志がいなければならない。

 一人になってしまったなら、無防備ののようなものである。無数のから信仰を守ることは困である。広宣流布も進めることができない。


 学会の存在が、どれほどありがたいか。大切であるか。あまりにも大きく守られているゆえに、その恵を当たり前のようにい、忘れてしまう場合がある。それでは浅はかである。また、守られ過ぎて、ひ弱になってもならない。


 謝のがなければ、もはや信もない。その人の周りの空気は濁り、福徳と歓喜に満ちた新鮮な空気を味わえない。それのみならず、不満と嫉妬で環境をも汚染してゆく。絶対にそうさせてはならない。

 また、そうした人間から、信の世界の清浄な空気を断固、守り抜いていかねばならない。


 にも始めは少しの大気があった。しかし、の重力が小さいため、結局、どんどん宇宙に逃げていってしまった。福運も、それを引きつける信の引力が弱まれば逃げていってしまう(笑い)。

“幸いを万里の外より集める”強盛な信一年で、汲(く)めども尽きぬ満々たる福運と生命力を私どもはたたえてゆきたいものである。


 ところで、は「死の世界」であるにも関わらず、地球に巨大な影響を与えている。

 それはあたかも、宇宙には「生」の力のみならず、「死」の力も存在していることを象徴しているようでもある。

 宇宙に溶け込んだ「死」の状態の生命も、実は様々な面で人間に影響を与えている場合がある。そこに法の追善供養の背景の一つがある。

 御書には「妙は死法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり」(1336頁)――(妙法の)妙は死、法は生である。この「生死の二法」が(地獄から界までの)十界の全ての当体である――と。

 生死、生死と永遠に繰り返していく生命。その「生死の二法」からは誰人も免れない。この生と死を貫く大法が妙法である。ゆえに妙法を持(たも)ち続ける人は、自身も三世にわたって幸福である。また、先祖をも救ってゆくことができる。

 反対に、妙法の世界を破壊しようとすることは、そのまま自身の生命を破壊することに通ずる。ゆえに、生死、生死と永遠に悩の極限の境涯となる。


 の引力が、太陽の引力とともに、海の潮汐(ちょうせき)――満ち潮、引き潮を起こしていることは常識である。

 それに加えて、最近ではが人間の行動や理・生理にも大きな影響を与えているという研究も注目されている。

 それによると、満や新の時に、人間の情緒が不安定になり、犯罪件数も増加するという。もちろん、これは主にアメリカでの統計であり、異文化の各国にそのまま当てはめることはできないかもしれない。

 ただ、人間の身体にも「海」がある。すなわち、体液は海水と似た成分である。その「内なる海」が、の変化に応じて何らかの影響を受ける――そうした見方に関が高まっていることは事実である。

 昔からよく知られているように、女の妊娠期間の平均も、満から満までの期間(29.5日)の、ちょうど9倍である。

 このように人は、太陽とともに時を刻む以上に、実はとともに生命の時間を生きている。

 ちなみに日本語の「つき」の語源は、「尽きる」であるともいう。形が段々欠けて尽きてしまうからである。

 しかも、「とき(時)」も、古くは「つき」と同じ味で使われた。例えば、「あかつき(暁)」を「あかとき」と表現した。

 英語の「ムーン(moon)」も「測る」という味が語源にある。「メーター(meter)」「メジャー(measyure)」などの語も親戚である。

「時を測る」ものがであった。「タイム(time)=時」と「タイド(tide)=潮」も同語源である。


 人間はをはじめとする宇宙とともに生きている。その事実は時代とともに、いよいよ明らかになってきている。

 大聖人は常に、日天よ、天子よ、あらゆる諸天よと呼びかけておられた。

 元東京天文台長・広瀬秀雄氏は、大聖人が「天体の活動と不離不可分の生活をしていた」(『年・・日の天文学』中央公論社)ことに注目され、「依智(えち)の星下り」が“最大光輝の金星”に、「竜の口の光り物」が“エンケ彗星による流星”によると推定しておられる。

 このことは対談『「法と宇宙」を語る』の中でも触れておいた。

 広瀬氏は結論して、日蓮大聖人のいうように「その身と天体との一致まで堅く信じた人は他にほとんどいないとう」(前掲書)と述べておられる。大聖人の広大な御境界の一端に、一流の科学者も関を寄せているのである。

 ともあれ、全宇宙を我が「人生空間」とし、宇宙の運行のリズムに合致して生きる、その妙法受持者の生き方の正しさを、「と人間の関係」をはじめ、科学もまた証明しつつあるといえよう。


 法では「天」を様々なたとえに用いている。「三昧(がつあいざんまい)」もその一つである。

 父を殺した悪逆の阿闍世王が、提婆達多にだまされ、乗せられて、悪を犯したことを悔い、に「悔熱(げねつ)」を生じた。

 地獄しみ、身体にも悪のできもの(瘡/そう)が出る。誰も治せない。自自得とはいえ、あまりにも悲痛な姿である。

 病気にも「身の病」と「の病」がある。の病の方が治すのはしい。

 この時、釈尊が王の後悔の姿を見て、彼を懺悔させ、そのを癒した。その様子が「太田入道殿御返事」には、次のように描かれている。

「世尊・大悲導師・阿闍世王のために三昧に入りたもう三昧に入り已つて大光明を放つ其の光り清凉にして往いて王の身を照すに身の瘡即ち愈えぬ」(1010頁)

 ――大悲の導師である釈尊は、阿闍世王のために三昧に入られた。そのあと大光明を放たれた。その光は清涼であり、阿闍世王のもとに行って王の身を照らすと、悪瘡(あくそう)はたちまち治った――。

 これは、「の病」を治したの慈悲の光を、優しい光にたとえた話である。


 軽度の「の病」の人は、いよいよ増加している。そういう人には強烈な激励は逆効果になる場合が多い。

 むしろ、粘り強く、静かに話をよく聞いてあげ、同してあげる包容力がポイントとなる。

 一般的にいっても、何か相談すると、話も聞かない内に、いつも「とにかく、題目をあげればいいんだ!」(爆笑)では、やり切れない。たとえ、真実ではあっても、相手が納得できなければ仕方がない。

「真理である」ことと、「説得力がある」ことは違う。どう、その人に「信の力」「唱題の力」を確信させ、発させてゆくか。そこまでに至る力が「指導力」なのである。


 釈尊が「三昧」に入ったということは、深い義があるとう。すなわち、これは妙法の「生命を癒す」力の一分を表している。

 宇宙は妙法の当体であり、日天、天の働きもまた妙法の力による。大聖人は、この妙法即御自身の御境界を御本尊として御図顕された。御本尊には大日天王を、大天王をも厳然とお認(したた)めである。

 ゆえに、「三昧」といっても、全て御本尊のお力に含まれる。

 また、妙法を信受し、修行する私どもの生命にも、日天・天の働きが分々に顕れてくる。


 涅槃経には「」の働きを通して、三昧の六つの義が説かれている(梵行品/ぼんぎょうほん)。

 第一に、光が3000年に一度咲く優曇華(うどんげ)を開花させるように、人の善を開かせる。

 第二に、光が道ゆく人を照らして喜ばせるように、道をゆく人を照らして喜ばせる。

 第三に、新から満へと次第に成長するように、煩悩によるしみが次第に減ってゆく――宿命転換してゆく。

 第四に、十六夜(いざよい)から次第に形が小さくなっていくように

煩悩によるしみが、次第に減ってゆく。――宿命転換してゆく。

 第五に、暑い盛りの時、光に涼(りょう)をとるように、人間の「貪り」の悩みの「熱」を冷やし、取り去る。

 第六に、星々の王が満であるように、あらゆる善の「王」である。すなわち大善中の極善が妙法である。


 日月といっても、実は「我が胸中」にある。その明るい光を大きく周囲に放ちながら、日のごとく、のごとく慕われゆく人でありたい。

 そして、素晴らしき「我が家」を、「我が地域」を、「我らが社会」を、その「生命の光」「人間の光」で照らし、輝かせてゆくことが私どもの使命なのである。


は犬が吠えるのを気にしない」(The moon does not heed the bark of dogs)というイギリスの諺(ことわざ)がある。

 いかなる卑しい吠えにも、は悠然と高みに澄んで、皓々(こうこう)と地上を照らす。

 これこそ、「信仰者」の姿である。人間の「王者」の姿である。私どもも、この気で進んでまいりたい。


【第21回本部幹部会 1989-09-15 東北文化会館

2007-09-20

人材を求む


 Web上の人材が非常に少ない。その理由は三つほど考えられる。第一に、活動家は多忙を極めているため、ネットに接続する時間がない。次に、「用心すべきネット社会」にも書いた通り、学会員同士の衝突を避けて、既にクローズドされたスペースのみで発信している人々もいる。そして最後に、最も憂うべき理由となるが、発信する何ものも持ち合わせていないことが挙げられる。自分のいや考えを書かないサイトやブログは全く味がない。


 学会系ブログでは多分、私のところが最もアクセス数が多い。これ自体が問題である(笑)。私よりも“書ける”人物はもっとたくさんいるとう。しかし実際は、書ける書けないよりも、熱いメッセージを発信できるかどうかが問われるのだ。


 例えば、「創価思想を考える」というブログがある。元々は、「創価思想ウォッチング」というタイトルだったが、掲示板私がたしなめたところ、変えたようだ。ここの主は、私よりもはるかに文章が上手い。その上、事情通である節(ふし)も見てとれる。


 しかしながら残なことに、私はこのブログを見ると、反吐(へど)が出そうになる。この人物は完全な傍観者だ。学会員でありながら、学会を論じるような手合いである。彼(彼女という可能は考えたくない)が、ああいった文章を書けるのは、“権力の側”に身を置いているからに他ならない。つまり、本部職員か公明党職員、あるいは創大職員だとわれる(文章力を踏まえれば、聖教記者か公明記者)。外郭でないのは確かだ。所詮、安全な位置から発信されている“たわ言”に過ぎない。


 あそこに書かれているのは、自分の考えであって、他人に対するメッセージではない。彼は、単なる二乗である。誰かに関わり合おうともしていないし、関わり合うつもりもないようだ。ミスター官僚よ、二度と更新するな。私が指摘した以上、更新すればが下ることだろう(笑)。


 文章というのは、確かに書ける人と書けない人がいる。そこで求めたいのは、音ファイルで勝負できる人材だ。公開しても差し障りのない幹部指導やインタビュー、もしくは雑談だって構わない。幹部の物真似でもいいよ(笑)。


 音ファイルは、「ケロログ」で簡単にアップすることが出来る。


 情報量は多ければ多いほど、受け手にインパクトを与える。テキストよりも音、音よりも動画に強味がある。試行錯誤しながらで構わないから、青年部の奮闘を望みたい。いつでも相談に乗るよ(笑)。

自己愛の強いワガママ上司


 私はパーソナリティー理論を専門としているが、この理論は「職場にありがちなタイプ」にうまく対処するために、とても役立つとう。

 たとえば、やたらもったいぶる上司をごらんになったことはないだろうか。私は、ある。

 とにかく物事をすんなりとはゆかせてくれない。簡単な備品の購入申請届1枚を前にして、やっとのことで深刻で重大な決断をしたかのように、ふうっと大きなためをついたりして、ものものしくはんこを取り出したりする。

 自分の重要を少しでもアピールできるようなチャンスがあれば、小さなものでもそれを使おうとする。やたら自分のことばかり話したがる。彼らは、自己愛パーソナリティーなのだ。自分に対する評価が高すぎるのである。うぬぼれが強く、自分の失敗を合理化する。「部下が、手をぬいたからだ」等、とにかく自分以外の要因に罪が帰せられ、決して自分の非を認めないし、反省もしない。

 私が実際体験した例では、職場は「自己愛上司がひとりで素晴らしいビジョンを語りまくっているだけで、他の人々は、みんなしらけきっており、巻き込まれないように遠巻きにしている」という状態になっていた。組織の生産を下げることだが、ワガママな自己愛上司に対し、部下が「距離を取る」という形で身を守ろうとするのはやむを得ない。組織がこんな人物を上司に抜擢(ばってき)しないように願うしかない。ただし、残なことに、彼らは個的な人間に見えるので、短期決戦型の人材評価では高得点を叩き出す特殊能力がある。


矢幡洋(やはた・よう)/聖教新聞 2007-04-15】


 典型的な「自己愛性人格障害」である。婦人部幹部に多く見受けられるタイプだ。

「爆笑」の意味知らぬ聖教記者


紙上座談会」を全く読んでないので気づかなかった(笑)。


「(爆笑)。」というのは誤り。句点の左側にあるのだから、発言者の情を示すことになる。「爆笑」とは大勢の人が一気に笑うという味である。「爆笑」と書いて笑われる羽目になるとは、まるで落語みたいだ(笑)。

最前線で懸命に戦う友を讃えよ


 信の立派な人とは、役職の高い人ではない。役職がなくても、どういう立場であっても、信を深めてゆく人こそ尊いし、立派なのである。

 地道に絶え間なく道修行に励み、広宣流布のために戦っている人が偉大な人である。

 家庭訪問する、個人指導に歩く、弘教に励む、同志の面倒をみる――こうした基本の活動が、信の基礎体力をつけてゆく。したがって、いくら役職を持ち、巧妙に組織の中で戦っているような姿を見せても、基本となる道修行を怠り、広布の組織活動をないがしろにする人は、結局、行き詰まり、信の軌道から離れてゆく。それは、信を退転し、学会に造反した幹部の姿を通して、皆さま方もよくご承知のこととう。

 ともあれ、たとえ役職がなくても、組織の第一線で日々懸命に活動している人を最高に尊敬し、大事にしてゆくことが、信の指導者のであることを忘れてはならない。


【第21回本部幹部会 1989-09-15 東北文化会館


 信の立派な人とは、役職の高い人である――これが現実だわな(笑)。


 初対面だと、どうしても役職で判断してしまう。私もそうだ。「失礼ですが、役職は?」「あ、私、副会長です」「ハハァアーーーッ」とひれ伏すのが普通(笑)。


 通常、信行学は“修行のスタイル”と受け止められているが、実はそうではない。信行学とは“力”のことである。つまり、信力・行力・学力。力とは負荷に対抗するものであるから、筋肉が必要となる。だから、祈らない人は祈れなくなる。動かない人は動けなくなる。そして、学ばない人は学べなくなるのだ。これを身口意の三業という。瞬間最大風速みたいな成果など、全く当てにならないことが理解できよう。地道な人間革命の中にしか、法勝利の実証はない。


 真面目に戦っている婦人部幹部が一様に嘆くのは、「壮年が動かない」ことである。そんなことで悩んではいけない。壮年が動かないのは久遠元初以来のことだ(笑)。「動くのが当前」とっているから頭に来る。「動かないのが普通」とえば、世界は明るくなる(笑)。


 家庭指導が楽しくなってくれば、幹部として一人前である。あとは、何でも出来るようになる。後輩と一緒に回ると、どの程度戦っているかが瞬時にわかる。「わかる」というよりも、「見えて」しまうのだ。


「あの人は会合に出ないから厳しい」などと、相手を向こうに見ている内は対岸の火事だ。“相手側からの関わり方”を問題にするのは随他である。人間関係は、“自分の関わり方”で全て決まる。これが随自意哲学であり、依正不二・三変土田・一三千もここから始まる。


 折伏もしなければ、家庭指導もしない。そんな人間ばかりが集まる会合に、果たしてどのような味があるのか?(笑)


 聖教新聞は、会長・理事長が家庭訪問する様子を報じるべきだ。

2007-09-19

「はとバス 涙と笑いの新人ガイドデビューに密着」


 先日、「当たり前の人間性」で紹介した番組の動画があった。プリン君からの情報。何度見ても、信じられないほどの涙が溢(あふ)れてくる。是非、ご覧あれ――


「はとバス 涙と笑いの新人ガイドデビューに密着」

 http://www.ntv.co.jp/news/asx_dai2/070914063_300k.asx

(放送日 2007年913日/公開:2007年1018日22:00まで)


「生放送終了後の生キャスターCatch!」913日分

 https://al.ssl.dai2ntv.jp/blog/realtime/2007/09/post_297.html

学会本部への手紙の出し方


 事件・事故・トラブルなど、込み入った問題の場合は、宛を「学会本部 指導監査委員会」と書くこと。これがないと放置される可能が高い。情を排して、時系列順に客観的な事実を記すのがコツ。

2007-09-18

外交力とはプレゼンテーション能力


 去る参院選で自民党が敗北した理由の一つに「安倍首相のプレゼン能力の欠如」を挙げるがあった。一言でいえば説明下手。


 日夜、プレゼン能力を磨いているのは営マンである。「なぜ必要なのか」「どれほどお得なのか」「いかに効率アップが図れるか」などを、しっかりと顧客に説明しないと物は売れない。


 学会幹部はどうだろう? まともなプレゼンが出来る幹部は、まずいないね(笑)。副会長以下、支部長に至るまで、殆どが“スポークスマン”だ。上で決まったことを発表するだけ。


 先生の指導を咀嚼(そしゃく)しているのは、正木理事長ぐらいじゃないか? あとは見た試しがない。ただ、「先生は凄い!」を連発しているだけだ。


 カレル・ヴァン・ウォルフレンが「アカウンタビリティ説明責任)」という言葉を使用してから、やたらと政治の世界でこの言葉が聞かれるようになった。更に、インフォームド・コンセントという概につながり、コンプライアンスのバックボーンとなっているようとわれる。


 昔は個人折伏の数が問われた。そこには、「個人折伏もできない幹部は、家庭指導で部員を立たせることもできない」という暗黙の了解があった。ところが、いつしか幹部の子弟や、本部職員、創大出身者が重用(ちょうよう)されるようになった。これは今尚、引き継がれている。純粋な実力主義があったのは、広布第一章(1972年)までだろう。


 また、教学部長を務めた原島嵩の退転も大きな打撃となった。原島本人はいてもいなくてもいいような存在だったが、学会全体に“教学不信”が蔓延(まんえん)したのだ。


 このような背景があって、「外交のできない幹部」がはびこるようになった。


 学会が、真の池田門下生の集団として、生き生きと発展してゆくために必要なのは、マーケティングリサーチ(市場調査)であると私は考える。


「三代会長を永遠の師匠とする」ということは、今後、師匠は現れないという味である。であれば尚のこと、マーケティングリサーチが必要となる。会員が何を求め、欲しているのかを、トップが具体的に知る必要がある。


 とは言うものの、顔が知られている会長は、水戸黄門みたいな真似はできないだろうから、アンケートをとったり、会員との対話の場を設けることを提案しておきたい。このような実践がなければ、口先だけの「会員第一」となってしまう。


 その上で、全幹部にプレゼンテーション能力が求められるのである。学会には“議論を避ける風潮”があるが、まずこれを打破しなければならない。


 更なる理を言えば、地区やブロックの協議会がブレインストーミングとなるこが望ましい。


 絶対に無理だとはうが(笑)、希望だけは持っておこうっと。

松の意義


SGI会長●ところで、画伯が2年前、贈ってくださったのは「」の絵でした。この「」は、私ども法者にとっても、ひときわ深い義があります。法には「は霜が降りて、他の木々が枯れたあとに『木の王者』として風格を現す」との言葉がある。

 更に法に、「は万年の長寿をたもつゆえに、枝を曲げられる。法華経の行者は久遠長寿の如来である。ゆえに、修行の枝を切られ、曲げられることは疑いない」ともあります。

 偉大な生涯に様々な風雪、障害があるのは当然です。「」はそうした幾多の試練にあっても、凛々しく我が王道を貫く「勝利王」「幸福王」「人間王」の象徴となっている。

 ともあれ私は、画伯の絵から、私どもに対する絶大な未来への期待をじてならなかった。


画伯●「」を描く義は、中国においても全く同じです。複雑に屈曲したの枝ぶり。それは、外部の圧力を受けても、頑強に抵抗し、強く生き延びてゆく姿であり、最も迫力ある形態です。無論、私もを選び、描く際は、そうした義を託している。


【中国の著な書画家・董寿平氏と会談 1989-09-11 国際友好会館


 打てば響く対話は、が奏でる共鳴音である。それは、音叉のように共振し、余韻を残す。信頼から生まれるハーモニーのタイトルは「友情」だ。


 竹梅を慶事の象徴とする風習は中国から伝わった。正に門を飾る習慣は平安末期から広まったというから、きっと大聖人も目にされたことだろう。「」は常緑樹であることから不老長寿を示し、「神を待つ」という掛詞(かけことば)もあるようだ。


 前や地に「」の字がつく人は、しっかり頑張るように(笑)。


御書に出てくる「

  • 蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿頭に懸りて千尋を延ぶ(26頁)
  • 諸木は枯るると雖も柏は萎まず衆草は散ると雖も鞠竹は変ぜず法華経も亦復是くの如し(47頁)
  • 澗底の長未だ知らざるは良匠の誤り闇中の錦衣を未だ見ざるは愚人の失なり(170頁)
  • 但し歎ずるは田舎に於て邪正を決せば暗中に錦を服して遊行し澗底の長匠を知らざるか(184頁)
  • 青山峨峨として常楽我浄を奏し前には碧水湯湯として岸うつ波四徳波羅蜜を響かす深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕し広野に綻ぶる梅も界如三千の薫を添ふ(478頁)
  • 西には紅葉常葉に交ればさながら錦をおり交え荻ふく風閑かにしての嵐ものすごし過ぎにし夏のなごりには沢辺にみゆる螢の光あまつ空なる星かと誤り虫鈴虫の涙を催せり(492頁)
  • よりよ桜よと起るは切なり、是は法に約する義なり(826頁)
  • 栄れば柏悦ぶ芝かるれば蘭なく情無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり(934頁)
  • 高ければ藤長く源深ければ流れ遠し(975頁)
  • さかふれば柏よろこぶ芝かるれば蘭なく情なき草木すら此くの如し何に況や情あらんをや又父子の契をや(1047頁)
  • 木にすむ虫は木をはむ水にある魚は水をくらふ芝かるれば蘭なくさかうれば柏よろこぶ、草木すら是くの如し(1088頁)
  • 喩へばのしもの後に木の王と見へ菊は草の後に仙草と見へて候(1095頁)
  • 女人はたとへば藤のごとしをとこはのごとし須臾もはなれぬれば立ちあがる事なし(1115頁)
  • 大風吹けば求羅は倍増するなり、は万年のよはひを持つ故に枝をまげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられまげられん事疑なかるべし(1136頁)
  • されば山門と王家とはと栢とのごとし、蘭と芝とににたり、かるれば必ず栢かれらんしぼめば又しばしぼむ(1353頁)
  • 余の木ひの木の浮木にはあひやすく栴檀にはあひがたし(1391頁)
  • 藤はにかかりて千尋をよぢ鶴は羽を恃みて万里をかける此は自身の力にはあらず(1430頁)
  • 竜馬につきぬるだには千里をとぶ、にかかれるつたは千尋をよづと申すは是か(1553頁)

配達員さんの絶対無事故を祈ろう


 秋田岩手で大雨。沖縄には台風12号が近づきつつある。配達員さんの絶対無事故を祈ろう。また、現場と店主が緻密な連係を取り、場合によっては配達時間をずらすことも必要となろう。絶対に無理をすることなく、賢明な判断をお願いしたい。

2007-09-17

純粋な人事を遂行させるために


 会合の担当幹部を確認した上で参加することを勧めたい。で、好きな幹部の時だけ、会合に参加すればよし。まあ、民音のコンサートみたいなもんだわな(笑)。それだけで、少しはまともな人事が行われるようになるだろう。

公明党の党員を辞める


 党員の件で早速、地区を担当している副区長から電話があった。私は理路整然と、自分の見を伝えた。


「俺は、小野さんを説得しようとはってないから」

「こっちは説得されるつもりもありませんから」


 10対0で私の勝ち(笑)。相手は元公明党職員である。何度か私が怒鳴ったことを付け加えておこう。

“恨み”という感情について


「恨(うら)めしやぁ〜」と出てくるのは幽霊である。怨とか怨霊という言葉は、“恨み”が人間にとって最も強い情であることを示唆している。


 法では“怨嫉”と言い、功徳を消す最大の因とされている。開目抄には「障(さわ)り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉とく」(201頁)とある。


 これが、幹部批判を封ずる金科玉条となっているのだが、果たして正しいのだろうか?


 この御文は妙楽大師の言葉で、他では全く引用されていない。むしろ「怨嫉」という概は、「世間の人から怨(あだ)まれる」との味合いが強い。ただし、一ヶ所しかないからといって、大聖人が日常的に指導されてなかった、と決めつけるわけにもいかない。


 御書拝読に必要な留点として、大聖人が“組織”を前提として書かれてないことことが挙げられる。和合僧とは“自然発生的に寄り合う人々”のことであって、ピラミッド型の組織ではあるまい。つまり、大聖人の眼差しは、常に一人の人に注がれているとわれる。


“恨み”がマイナス情であることは誰もがわかっているとうが、“単なるマイナス情”ではないことを知る必要がある。“恨み”は、必ず“仕返し”というベクトルに傾く。


 人間には欲望がある。裏を返せば、常に不平不満があるということだ。満たされてしまったら、既に成だわな(笑)。マイナス情を受け止める幹部がいなくなると、不平不満がWeb上に登場してくる(笑)。その水かさが増してゆくと、取り返しのつかないことになる。


 創価学会が、問題を起こした幹部を、迅速かつ厳正に処分できないのは、“情報漏洩”を防ぐためであろう。ここに学会本部の臆病さがある。裏表があればあるほど、それが弱味となる。


 今はまだ、“師匠の存在”という一点で団結が可能となっている。しかし、その軸がなくなれば、一挙に“恨み”が噴出するであろう。


 人間は“社会的動物”である。そして、一人の人間の社会は一つではない。夫婦、親子、兄弟、家族、友人、恋人、地域、職場、趣味など、ありとあらゆる関係が社会そのものである。ということは、ダブルスタンダード(二重基準)が宿命づけられていることになる。


 簡単な例を示そう。通常の法律だと殺人は罪になるが、戦時においては罪とならない。これは一般法が適用されず、軍法会議にかけられるためだ。そうでないと、戦争をする度に犯罪者をつくることになってしまう。根っこにあるのは、「普段は人を殺しちゃいけないけど、戦争になったら構わないよ」という了解事項であろう。


 社会にはルールがあり、社会の数だけルールが存在する。しかし、そのルールが崩れた時、人は“恨み”を抱くのである。“仕返し”というリスクは大きく、ヘッジするためには構成員を除外する他なくなる。これが、「除」の基本である。一人を切り捨てて、組織を守るのだ。ところが、組織防衛を優先した瞬間から、その組織は崩壊してゆく。


“恨み”を“見”として受け止める度量が幹部からなくなれば、学会は間違いなく崩壊する。

2007-09-16

公明党の党員について


 現在の組織に移ってから、2年間だけ党員となった。私の信暦四十数年間で始めてのことである。私は若い頃から、味不明な経済的負担を強いられる民音の責任者と党員だけは「断じてやらない決」で臨んできた(笑)。今年から、過去の信い出し、キッパリと断るつもりだ。


 公明党の党員になると、自動的に3000円の党費を支払わされる。まず問題なのは使途が不明なことである。また、党員になるために、こうした負担を必要とすることが、きちんと説明されていない。更に、一度党員になると、安易に毎年更新されてしまうことが最大の問題である。


 本来であれば、議員や公明党職員がお願いするのが当たり前だとうが、一度も見たことがない。もっと突っ込んで論じることも出来るのだが、オウンゴールになってしまうので、ここまでにしておこう。


 公明党サイトの「あなたの声を公明党に」から見しようかなあとったが、「必ずしもお答え・返信するものではありません」と書かれていたので、やめておいた(笑)。「必ずしも」とあるが、「絶対に」来ないだろう(笑)。こうしたことから、「党員党友のが届かない」実態がよく理解できる。


 つまり、党員になっても何のメリットもないということだ。3000円払うなら、せめて1500円程度のメリットは欲しい(笑)。半分は御供養でもいいよ。


 経済的な負担は、税金と一緒で「取りやすいところ」から取られる。そこに、「3000円ぐらい……」という油断が生まれるのだ。


 20年ほど前になるが、当時の青年部最高幹部と懇談する機会があった。その方は、「本来であれば、外郭はどんどん社会に打って出て、外から学会を守らなければならない。ところが、学会にしがみついたダニのような存在となっているところに問題がある」と語っていた。


 公明党も、学会に依存する体質を改める時に差し掛かっているとう。そろそろ、「創価学会のための政党」から「国民のための政党」に変わるべきではないだろうか。


 具体的には、候補者・党員を広く内外から集め、宗教色を消す努力を図るべきだろう。宗教団体の政治参加を否定するつもりはないが、運動量に対するコストパフォーマンスが悪過ぎるのだ。


  現実に学会から公明党に対する政策要望は、「信教の自由を死守すること」が眼目であり、あとは「大衆のため」といった緩やかなものであろう。そうであれば、学会から政治家を出す味はさほどない。本当なら、各地域で是々非々の立場から候補者を選べばいいとうのだが、政党政治がそれを許さない。そして公明党はいつまで経っても、目の敵(かたき)にしている共産党と大差がない勢力のままだ。


 公明党が、学会の下部組織に甘んじている内は、国民からの信頼を得ることはしいだろう。

2007-09-15

『攻防900日』ハリソン・E・ソールズベリー/大沢正訳


歴史に厳然とそびえる不屈の民衆劇


 決して面白い本ではない。事実を一つひとつ積み重ねることによって全貌を現す労作が、異様な重さとなって読者に覆い被さる。ドイツ軍に包囲されたレニングラードを舞台に、第二次大戦における独ソの熾烈な戦闘が克明に綴られる。


 前半はレニングラード侵攻の端緒から全面戦争に至るまでが、かなりの量で記されている。ドイツが攻め入ってからソ連が応戦するまでに恐ろしいほど長い時間を要している。ドイツの攻撃により四個師団が壊滅状態に陥っても、ソ連首脳は誰一人指示を出さない。スターリンが巻き起こした粛正の嵐の中で、ソ連首脳は完全なる官僚と堕落してしまった。人の命が枯葉のように翻弄される社会にあっては、責任を全うしようという人間などいるはずがなかった。次々と撃破される現状にようやくスターリンは動き出す。情報化社会の現代から見れば、のどかな印象すら受ける。ファシストの周囲には忠臣がいない。恐れることなく諫言できる忠臣は既に抹殺されていた。ところどころにスターリンが登場するが、全く人間としての顔が見えて来ない。不気味な存在として描き出される権力者は狂気に操られる傀儡を紛(まが)うことなく演出してみせる。権力欲に躍らされたスターリンはまさしくオーウェルが描いた“ビッグブラザー”そのものだった。


「ある日、軍に納品されるT28型戦車の検査中、ボルトが抜けていることが発見された」(上巻176p)上からは「“手抜き工事をした敵”をひっぱり出せ」(同ページ)との命令がくる。工場長のオッツは「これは一人の機械工がボルトを打ち込むのをわすれただけのことだ」(同ページ)と訴えた。その結果「工場内の党員の粛正が行われ、数百人が姿を消した」(同ページ)。こんな風にソ連という国はタコが自分の足を食べるみたいに国民を殺戮し続けた。ドイツに攻められている渦中にもそれは滞りなく行われた。像を絶する狂気!


 こうした状況下であるにも関わらず、レニングラード市民は生き生きと輝く。ぐうたらオヤジに賢夫人が付き添っているようなバランスシートである。闇が深ければ深いほど光が眩しくじられる。神はレニングラード市民に国家元首とは正反対の美しい生き様を与えた。


 ペオストロフ防衛線が木っ端微塵に撃破される。手榴弾の破片を受けて倒れた若い兵隊が識を取り戻すとドイツ将校が立ちはだかっていた。「『勇敢なドイツ軍部隊がもうレニングラードの並木道を行進しているんだぞ』とその将校はロシア語でいった」(上巻322p)。「『ソヴィエト・ロシアは破滅なんだぞ』」(同ページ)と言われても「ミーシャ・アニシーモフというの若者は、キッと首をあげた。口から血が流れ、顔に垂れていた。『ヒトラー一味の狒狒(ひひ)どもめ!』と彼は叫んだ。『お前らにツバをひっかけてやる。早く殺せ』」(同ページ)。足蹴にされた青年はアッと言う間に射殺される。将校はそれを見ていた他の若者に言う。「『お慈悲に一言だけいっておくが、命を救ってやってもいいんだぜ』」(同ページ)カナーシンという青年は立ち上がりざま、この将校の顔にツバを吐いた。直ぐさま彼の首に鎖が巻かれ、鎖のもう一端を結びつけた車が走り出した。


 そうこうする内に最大の敵がやって来た。飢えと寒さである。


 第1日あるいは2日目それとも3日目ぐらいが一番こたえる、ということをニコライ・チュコフスキーは知った。薄っぺらなパン一片しか口にいれるものがなかった場合、人はまずその第1日に、うずくような激しい飢えに襲われる。2日目も同様。だがそのあとはこの痛は次第に消えていって、静かな虚脱に変る。終ることのない鬱状態、それと無力が、おどろくべき速さで進む。あなたはきのう出来たことがきょう出来なくなる、乗越えられない障害物で身の周り全体を取巻かれたようなじになる。階段はあまりにも急で、とても登れない。薪を割ろうにも、木は堅くて刃が立たない。棚の上のものをとろうとしても、高くて手が届かない。トイレの掃除などとても手に負えない重労働になって来る。この脱力状態は日に日に進む。それでいて識ははっきりしている。あなたは自分自身を距離をおいてながめている。なにが起っているのかよくわかっているが、止められない。(下巻150p)


 人々は代用物でしのごうとあらゆる物に手をつける。ある人は壁紙を剥(は)がしてその糊(のり)を削り落として食用にした。また紙を食べる人、更には壁土を食べた人までいたという。胃を通過させるだけの目的で。


 餓死者が続出。食べ物を巡る争いが刃傷沙汰にまで至り、人々は血眼になって口にできるものを探す。その窮乏振りは、ペットはもちろんのこと、あらゆる動物が食べられ、遂に人肉を食らう人種を輩出せしめた。


 スターリンの後継と目されていたジダーノフ党書記がある日、学童の食事に立ち会った。「昼食はパン50グラムにバターをひとなすり、冷凍ビートのスープ少々にオートミール、といっても、その内容物は大方、亜麻仁かすらしかった」(下巻199p)。多くの学童が乏しい食事の一部をジャーに入れていた。ジダーノフは後で食べるために残しておくのだろうとっていた。が、そうではなかった。子供達は親兄弟のためにそれを自宅に持ち帰るのだった。一方に人の肉を食らう人間がいて、もう一方には人のために自らの食を削る子供達がいた。飢えた子供達がジャーに食べ物を移すしぐさを像する。その強靭な優しさに涙を禁じ得ない。


 死はレニングラードを大手を振って歩いていた。(下巻198p)


 1210日ウズベクの詩人アリシェル・ナヴォイ生誕500年祭が行われた。2日後には第2回ナヴォイ集会が。「アカデミー会員B・B・ピオトロフスキーが『古代東洋神話のモチーフとアリシェル・ナヴォイの創作』と題する講演をした。次いでレーベディエフが、詩『七つの惑星』の抜粋を朗読した」(下巻219p)。レーベディエフはその場で倒れた。倒れた後も彼は最後の力を振り絞って詩の一節を口ずさんだ。彼はそのまま死んだ。


 12半ばになると餓死者の数は日に6000を数えるまでになる。道端で倒れたまま死にゆく人の姿が日常的な光景となる。死体を運んで、そのまま力尽きて死ぬ人も。ふと会話が途切れると既に亡くなっている。死体と化した親とそのまま生活を共にする子供があちこちにいた。死、死、死……。


 その中にあってレニングラード市民の間では詩が詠じられ、美術が語られ、トルストイドストエフスキーが読まれる。


 文化の底力が死と拮抗(きっこう)する。たとえ死が訪れたとしてもそれは安らかなものに違いないと私は信じる。


 エルミタージュ美術館の地下では学究達が仕事を続けていた。彼等は「小さな手燭やろうそくで書物やものを書く黄色い原稿紙(ママ)の上を照らし、インクは凍りそうになるのでたえずで暖めなければならなかった」(下巻p221)。毎日2〜3人が死んでいく中で、生き残った研究員は死ぬまで仕事をし続けた。


 Z ジェーニャは、1941年1228日昼12時半に死にました。

 B バーブシカ(おばあさん)が1942年125日に死にました。3時に。

 L レーカは1942年317日5時に死んだ。

 D デャーデャ(おじさん)ワーシャは1942年413日夜中の2時に死にました。

 D デャーデャ・レーシャは1942年510日、午後4時に死にました。

 M ママは1942年513日、7時半に死にました。

 S サヴェチェフの一家は死にました。みんな死にました。ターニャだけ残った。(下巻289p)


ターニャの日記」である。当時11歳だった彼女は1942年の春に疎開。ゴーリキー地区のシャフティ村、第48「子供の家」に送られる。その後、赤痢に罹(かか)り、医師の努力も空しく1943年夏に死亡した。巻末にターニャの肖像と日記の原文の写真が掲載されている。こんな愛くるしい顔の少女が家族の死をアルファベットの練習帳に淡々と書き記した。鉛筆の芯にどれほどの悲しい力が込められていたことか。「ターニャだけ残った」この一言に、ぽっかりと空いた広大な穴に湛(たた)えられている涙が見える。


 タス通信のレニングラード通信員ルクニーツキーは記した。


 この市を去らなくてよかった。この都と運命をともにし、それに参加し、この前例なき困の目撃者となれた私は幸せである。そしてもし私が生きることがあれば、このことは決して忘れることはあるまい。1941年、42年冬の愛するレニングラードを。(下巻288p)


 美しい都市を愛する市民情が幾度となく書かれている。愛国とは違う。言うなれば恋愛情に似たようなものであろうか。私の中には全くそういうものがないだけに何とも羨ましい限りだ。長い時間を費やしながら都市そのものを築き上げた市民の歴史と伝統が、そうしたを育むのであろうか。


 ドイツは900日の攻防の末、撤退を余儀なくされた。それはスターリンに負けたのでも、ソ連軍に負けたのでもない。また、冬将軍に敗れたのでもなかった。レニングラードという、生きた人間と一体になった都市に負けたのだ。一読後そんな気がしてならない。


 スターリンの粛正の嵐はその間、全く止むことがなかった。更にレニングラードが解放されるや否や、公式文書の大半が破棄されたという。推定死亡者数150万人。その後、歴史はソ連流に書き換えられる。


 数年を経てピスカレフスキー共同墓地に墓碑銘が刻まれた。


「だれひとり忘れまい

 なにひとつ忘れまい」(下巻p333)

 テロ特措法に反対する


 テロ特措法とは端的に言えば、「お前の国を守ってやる用棒代として、インド洋(ペルシャ湾を含む)で給油しろ」という話である。


 安倍間もなく元首相は盛んに「テロとの戦い」を強調してみせたが、これはとんでもないミスリードである。なぜなら、「テロかどうか」は米国が判断するからだ。


 2001年、米政府は「報復はテロリストに限らず、テロリストをかくまった国も含まれる」と宣言した。これによって、米国が「テロリストをかくまっている」と判断すれば、どこの国とでも戦争をすることが可能となったのだ。たとえ、テロリストが潜伏していただけでも、「いや、かくまった」と言われたら、アウト。ヤクザ者の恫喝よりも恐ろしい。


 米国がなぜ戦争をするか? それは、国の基幹産が軍需産であるため、経済政策の一環として行われているのだ。兵器で破壊し尽くし、そして再び建設をする――ここに米国企が関わることで、膨大な利益を生む。


 米政府が、9.11の首謀者をビンラディンだとってないことだけは確かである。もしも、ビンラディンが犯人だとすれば、とっくに暗殺されているはずだし、そもそもイラクと戦争をする味がなくなってしまう。また9.11以降に、米政府高官がビンラディンの見舞いに行ったという話すらある。


「ボスには逆らうな」という言葉が、政治用語だと「国際協調」となる。


 このまま行けば、民主党の反対によって、テロ特措法は廃案になる可能が高い。その後は、自公が時間をかけて再議決するか、あるいは政局に発展する可能がある。あまり考えたくはないが、もしも民主党が政権与党になった場合は、テロ特措法を廃案にした上で、国連決議を取り付けてから自衛隊派遣することになると予する。


 米国主導の世界では、いつまで経っても貧富の差がなくならない。


攻防900日〈上〉―包囲されたレニングラード 攻防900日〈下〉―包囲されたレニングラード

2007-09-14

「学会精神」の筋金を背骨に入れよ


 インドはなぜ独立できたのか? 複雑ないきさつや議論は、時間の都合もあり、本日は省(はぶ)かせていただく。その本質の一点のみ、触れておきたい。

 初代の首相ネルーは言った。「ガンジーはわれわれの姿勢を正し、背骨に筋金を入れた」(ルイス・フィッシャー著『二十世紀の大政治家2 ガンジー』古賀勝郎訳、紀伊國屋書店)と。

 背に真っ直ぐ筋金を入れ、胸を張り、立ち上がった民衆。卑屈に、かがめた背中には、侵略者もやすやすと乗ることができた。しかし、もはやそうはいかなかった。

 今、私も学会員の背骨に、鋼鉄の「筋金」を入れようと努力している。これが現在の私の眼目の作である。

 そのためには、私は妥協もしない。何ものも恐れないし、屈しない。卑劣な策謀等には目もくれない。純粋にして強靭なる金剛のごとき「学会精神」の筋金。それを背骨に叩き込んだ「勇者」を厳としてつくり、厳として残してゆく。それこそが、広宣流布の死命を決する最重要事であるからだ。


 イギリスのチャーチル(1874-1965年)は、最後までインドの独立には反対した。

 彼は1940年から1945年まで首相を務めた(1951-1955年も)。もしも当時、彼が政権の座にあったなら、インドの独立は果たせなかったかもしれない。

 チャーチルとガンジー。二人とも20世紀の歴史にを残す指導者である。両者を比較した言葉がある。

 二人は「生涯を唯一の目的に捧げたことが似通っている。偉人は立派な彫像のように全く首尾一貫しているものだ」(前掲書)。

 しかし、「チャーチルは老いるにつれますます保守主義者になり、ガンジーはますます革命家になっていった」(前掲書)と。

 ある味で極度に対称化した表現かもしれない。ただ、人生の真理の一端を示唆していると言えまいか。

「権力」に生きる人間は時とともに硬直化し、保守化し、自らを狭い世界と視野に閉じ込めてしまう。一方、「精神」を我がすみかとする人間は、年とともに、いよいよ熱き情熱で理を追求し、自らの世界を高め、深め、拡大してゆくことができる。

 ひとたび、に権力や財力の甘い蜜を染み込ませてしまえば、もはや、その力から脱することはしい。堕落と保身への汚染が生命を蝕む。

 よどんだ川のゴミがたまるように、保守の弱さに「」や「鬼」がつけ込み、巣をつくってしまう。そうであってはならない。

 ひとたび、広宣流布という革命の同志として立ったならば、一生涯、最後の最後まで、「首尾一貫」していなければ、「同志」とはいえない。

 そのためには、年とともに、ますます若く、「ますます革命家」になっていく以外にない。「永遠の革命家」こそ、真の信仰者の姿なのである。


【第8回全国婦人部幹部会 1989-09-06 創価文化会館


 日顕問題が起こる一年前の指導である。この年の824日からは待望の衛星放映が始まった(主要会館のみ)。参加するごとに眼が開かれ、信の姿勢が一変した。それほどのインパクトがあった。毎の“先生との出会い”は衝撃といってよい。


 歴史にを残した人物は数多くいるが、ガンジーは別格である。ガンジーの本も読んでない上、映画『ガンジー』も見てないが、そう断言しておこう。欧米列強の覇権主義に、非暴力主義を貫いて国家独立を勝ち取った人物は、ガンジーただ一人である。あのチャーチルをして、「たった一人の粗末な白衣をまとった小男にイギリスが敗れた」と言わさしめた。


 マハトマ(=偉大なる魂)を生んだインドは、その後どうなったか? 1974年には核実験を行い、今尚、カースト制度が撤廃されていない。軍事的にも、社会構造から見ても、完全な暴力の国である。


 数奇な運命を生きたプーラン・デヴィの自伝を読めば、誰もが理解できる。幼い頃から暴力にさらされ、10歳の頃に父親の目の前で強姦される。彼女が生きてゆくためには、暴力をもって立ち上がるしかなかった。後年、盗賊の首領となり次々と報復をする。民衆は喝采を上げ、溜飲を下す。投降後、刑務所で勉強をし、出獄後に議員となるも、凶弾に斃(たお)れた。これは昔の話ではない。プーランは私と変わらぬ年齢であった。(2001年725日死亡)


文庫 女盗賊プーラン 上 (草思社文庫) 文庫 女盗賊プーラン 下 (草思社文庫)


 インドにはガンジーの精神もなければ、非暴力のもなくなっていた。そこへ先生が乗り込んで、再びガンジーの魂にを吹き込んだのだ(「世界不戦を目指してガンジー館)。


 そして現在、アメリカ公民権運動の大指導者、マーチン・ルーサー・キングの母校である、ジョージア州アトランタのモアハウス大学が、「ガンジー、キング、イケダ展」を行うに至っている。

 巨人と巨人の魂は軌を一(いつ)にする。それは、“人間主義”という宗教である。あらゆる指導者が理として果たせなかったことを、先生が現実のものとしている。

2007-09-13

当たり前の人間性


 今日、夕方のニュース番組(日本テレビ)で、はとバスの新人研修の模様が放送されていた。地方から出てきたお嬢さん達が、短期間の内に東京の地所を丸暗記しなければならない仕事である。厳しい研修を経て、いよいよ初乗務となった。時々言い間違える度に、見ているこちらが肝を冷やす(笑)。無事、初仕事を終えたガイドさんが挨拶をした。「私事ではございますが、この3に高校を卒し、釧路から上京して、本日が初めての乗務となりました。お聞きしいところがあったことをお詫び申し上げます――」。母子家庭で育った彼女はを震わせ、涙を流しながら語った。お客さんの拍手を聞きながら、私の涙腺も全開となった。バスが最終地点に着き、乗客が降りる。皆が、ガイドさんに励ましの言葉をかけた。「よかったよ」「頑張ってね」「私も北海道なのよ」――。


 長い人生を考えれば、擦れ違った程度の出会いである。だがその一瞬に、人それぞれのいを交錯させながら、情が流れ通う。「あ、人間っていいな」と青臭い情が湧いてくる。


 悪しき組織主義は、こんな当たり前の“ふれあい”すら学会から奪い去ってしまった。組織の都合で会員をコントロールしようとする幹部には、唾を吐きかけろ!

2007-09-12

『もう牛を食べても安心か』福岡伸一


 面白みのないタイトルに騙(だま)されることなかれ。狂牛病(著者は敢えてBSEとは書かない)という象徴的な“事件”を通して、類い稀な身体論、文明論、生命論が説かれている。著者が振るうのは「分子生物学」というのメスだ。よくもまあ、これだけの内容を惜し気もなく新書で刊行したものだ。


 もう一つ特筆すべきことは、評価らしい評価をされてこなかったルドルフ・シェーンハイマーの学説に光を当てたことである。福岡氏は、学問の権威におもねることなく、ノーベル賞を受賞した「プリオン説」の功罪にも言及している。


 狂牛病の犯人は、恐るべき進化を遂げていた。そして、羊から牛へ、牛からヒトへとテリトリーを拡大しつつある。そもそも、動物にとって「食べる」味とは何か? 米国産牛肉輸入の裏側にある政治的図とは? 臓器移植の身体的な義、人為が環境に与える影響、分子生物学から見たカニバリズム、そして狂牛病が象徴しているものは何か?――まるで、手に汗握るミステリーさながらだ。


 福岡氏の近著『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)がベストセラーになっているのも大いに頷ける。


 仮諦(けたい)の世界がどれほど不安定なものかがよく理解でき、五陰仮和合の本質を見事に描き出している。


 彼(シェーンハイマー)は、当初、食物を構成する分子のほとんどは、生物体内で燃やされて排泄(はいせつ)されるだろうとっていた。ところが実験結果は違った。分子は高速度で身体の構成分子の中に入り込み、それと同時に身体の分子は高速度で分解されて外へ出ていくことが判明したのだ。つまり、生命は、全く比喩ではなく、「流れ」の中にある。個体は覚としては外界と隔てられた実体として存在するようにえるが、ミクロのレベルではたまたまそこに密度が高まっている分子の、ゆるい「淀み」でしかない。その流れ自体が「生きている」ということである。


 ルドルフ・シェーンハイマーがその短い生涯をもって明らかにしたことは、生命は流れの中である、あるいは、流れこそが生きているということである。このような観は、翻って考えれば、むしろ私たちにとってなじんできた、ある味でうけいれやすい生命観でもある。それは通奏低音として様々なところに現れている。たとえば、鴨長明の『方丈記』の冒頭などあらためて引くまでもないほどである。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」


 食物としてのタンパク質は、その起源が牛や豚、鳥などの動物タンパクであるにせよ、大豆や小麦に含まれている植物タンパクであるにせよ、それがもともと他の生物の一部であったことに変わりはない。そして、それらのタンパク質はその生物体内で個々に特有の機能をもっていた。タンパク質の機能は、そのアミノ酸配列によって決定される。つまり、アミノ酸配列は情報を担っている。しかし、他の生物のタンパク質情報は、捕食者にとっては必要がないばかりか、有害ですらある。なぜなら、外部から入ってくる情報はノイズとして、自らの情報系に不必要な影響をもたらすからである。したがって、消化とは、食べ物を吸収しやすくするため細かくする、という機械的な作用よりも、もともと生物がもっていたタンパク質の情報をいったん解体して、自分の体内で自分に適合した形で情報を再構成するための出発点を作る、という重要な味をもっているわけである。これが消化の生物学的義である。

 この情報解体のプロセスが十分でないと、本来、別の生物がもっていた情報が自分の身体に干渉することになる。そのため、動物の消化システムは、非常に多種類の消化酵素を用して臨戦態勢を敷いている。特に、タンパク質の構造には最も多くの情報が含まれるので、これを速やかに解体するために、特異の異なる消化酵素、つまり違う攻撃部位をもつタンパク質分解酵素が準備されている。


 生命の連鎖が絶え間ない情報の解体と再構成の流れによる平衡状態である、という生命観をさらに敷衍(ふえん)していくと、臓器移植という考え方は生物学的に非常な蛮行といえることになる。消化などの情報解体プロセスを一切経ることなく別の人間の肉体の一部をまるごと自分の体内に取り入れるわけだから、究極のカンニバリズムでもある。

 そこに存在する一切合切の情報はそのまま私の身体に乗り移ってくるのだ。宮崎(哲弥)氏の言葉を借りていえば、臓器移植とはそこに宿るすべてのカルマを引き受ける覚悟がなければできない行為なのである。


 環境に対する人為的な組み換え操作は、一見、その部分だけをとるとロジックが完結し、人間にとって便利になったように見える。たとえば牛に高タンパク食を与えれば効率的に肥育できる。あるいは、大豆に農薬耐の遺伝子を導入すれば、強力な除草剤を散布しても大豆だけは生き残るようになる。しかし、動的な平衡系には部分のロジックは通用しない。すべてのことは繋がっているのである。

 操作の本質、それは多くの場合、効率を求めた加速である。早い肥育、大きな収穫、加速には必ず余分なエネルギーの投入があり、そこには平衡の不均衡が生じる。不均衡の帰趨はすぐには現れることがないし、現れるとしてもその部分に出現するとは限らない。乱された平衡は、回復を求めて、新たなバランスを求めて、ゆっくりとリベンジを開始する。どこかにためられた不均衡は地下にもぐって目に見えない通路を分岐しながらわぬところに噴出してくるのだ。狂牛病が変幻自在に種の壁を越えて、様々な場所に現れたことは、まさにそういうことだった。

もう牛を食べても安心か (文春新書)


身体に関するオススメ本


悲鳴をあげる身体 (PHP新書) ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)

 安倍首相が辞意


 安倍首相が複数の与党幹部に辞を表明。


安倍首相、辞任へ 麻生幹事長ら与党幹部に向伝える


 安倍首相は12日、麻生太郎幹事長ら複数の自民党幹部に対し、退陣する向を伝えた。12日は午後1時から衆院本会議で代表質問が予定されていたが、「私は辞任するので、代表質問に答えるわけにはいかない」などと伝えた。臨時国会の実質的な論戦が始まる前に、辞任するべきだと判断したと見られる。午後2時から記者会見し、正式に表明する。

 首相は7の参院選で自民党が惨敗した後も続投した。9日には訪問先のシドニーでの記者会見で、111日に期限が切れるテロ対策特別措置法に基づく海上自衛隊のインド洋での給油活動の継続について「国際的な公約となった以上、私には大きな責任がある。職を賭して取り組む」との強い決を表明。活動が継続できなければ退陣する向を示していた。


日新聞 2007年0912日13時07分】

2007-09-11

一人ひとりの意欲が一切の原動力


 組織といっても根本は人間である。一人ひとりの欲こそが一切の原動力である。それを忘れた時に、すべては行き詰まってしまう。


【『新・人間革命』「友誼の道」32/聖教新聞 2007-06-07


 参加者全員の欲を掻(か)き立て、引き出せる会合でなければ、参加する必要はない。池田門下生としての訓練の最終段階を迎えた今、「会合参加型信」というスタイルは見直すべきだろう。小学生のラジオ体操と変わりがないよ。


 厳密に言えば、会合には参加しただけで功徳がある。会場まで歩いた分だけでも凄い功徳がある。だが、帰宅する道すがら、「近頃の幹部という幹部は、全くどうでもいいような話ばかりだなあ」と言った瞬間、の方が大きくなる(笑)。「無益の事には財宝をつくすにおしからず、法僧にすこしの供養をなすには是をものうくふ事これただごとにあらず、地獄の使のきをふものなり寸善尺と申すは是なり」(1440頁)。


 そもそも会合の精神は、「寄り合う」ところにある。「佐渡の国は紙候はぬ上面面に申せば煩(わずらい)あり一人ももるれば恨(うらみ)ありぬべし此文(このふみ)をざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候てなぐさませ給へ」(961頁)。師のいを分かち合うために“志を同じくする”人々が集まる。また、「寄り合う」のだから、自然に“寄り添う”があるかどうかが問われよう。


 大聖人は、極寒の佐渡に流されながらも我が身を顧(かえり)みることなく、ひたすら弟子のことを配された。迫害の不安におののきながら生活していた同志は、師の熱きメッセージに胸を震わせ、口々に不退転を誓ったに違いない。


 一方、迫害のなんぞこれっぽっちもない現代にあっては、「盛り上がらない組織にいるのは、あなたの宿命よ。それを打開するのが先」などと馬鹿げた指導をする幹部もいる。婦人部に多い。そもそも、「信で受け止め、信で開く」というのは、本人が自覚することであって、他人から強要されることではない。


 それなりに力のある人は、組織を改革すべく努力をする。力のない人は、さっさと避する。これが賢明な選択だ。個人折伏さえ、しっかり出来ていれば、何も配することはない。

中にはこんな学会員もいる


 「聖教新聞」宝さがしというサイトがある。ここに、山崎敏子さんの体験談がアップされた。私はすかさず、「個人情報を公にするのは問題がある」とコメントした。その後、削除されたところをみると、サイトの主はまともな学会員のようだ。


 ところが、BBSを見たところ、以下の書き込みがあった――


「体験談が削除されて残です」tomyくん


 昨日まで山崎敏子さんの体験談が掲載され、動しながら拝見させていただきました。たった一人の「個人情報うんぬん」の書き込みのため、最後の部分を見る前に突然削除されて悲しくいます。体験発表は、大きな会合で皆さんの前で発表されたもので、個人情報うんぬんは当てはまらないとうのですが、このプログをご覧になっている皆様はどうっていいるでしょうか? 今この話題で全国に動を与えている体験だといます。ぜひ復活を希望します。


 学会の会合で発表された体験談は、飽くまでも学会員を対象にしたもので、それがそのまま公になってしまえば、非学会員から誤解されかねないのは当然である。この「tomyくん」なる人物は、それすら理解できていない。自分が知りたい情報を入手するためであれば、個人情報すら無視してみせる。願わくは、こんな人物は学会から去って欲しいものだ。


 上記サイトは、本人からの承認を得ることなく、様々な講演のテープ起こしをアップしている。相手の方にどのような迷惑がかかるのかも像できないようだ。よって、「創価ネットワーク」のリンクから外すことにした。


 件(くだん)のサイトでアップされた情報を私は全て持っているが、アップしないのは、それなりの理由があるのだ。

中等部を侮るな


 ある中等部員会でのこと。男子部の担当者がこう語った。「一般紙であれば誤植があるが、聖教新聞には殆ど間違いがない」と。その場にいた私は中学1年だったが、既に聖教新聞の誤植を二度ほど見つけていた(笑)。13歳の私は、この男子部幹部から“盲信”ということを学んだ。

2007-09-10

フェイク殿御返事


 911日付で発行された『フェイク』(856号)の内容がよくない。


 日顕宗総監の八木日照が、教師講習会でキレた→ニセモノとはいえ現法主の日如、隠居した前法主の日顕も同席している中での異常なキレ方だった→(の病であるという)噂が真実であることを露(あら)わにした→NHKの「クローズアップ現代」で、「キレる」という行為が「鬱病」と関連していると報じられていた→勿論(もちろん)、鬱病の人は全部がキレる訳ではなく、キレる人は全てが鬱病というわけでもないだろうが、そういう研究結果があるという番組だった。


 どうしようもない文章である。要は、八木氏に鬱病の可能があり、そうだとすれば、「“”だ、ざまあみやがれ」と言いたいのだろう。ところが、書いている途中で、学会員にも鬱病のメンバーがいることをい出して、腰砕けになったという体裁だ。


『フェイク』は、公では“怪文書扱い”をされていて、『地涌からの通信』と比べると、書籍化もされてなく、光が当たってないといえる。だが、営々と積み重ねてきた功績は広布史に燦然と輝きを放つもので、今尚、貴重な情報を学会員に提供している。


 だが、いくら何でもこれはないだろう。私が敵だったら、「いよいよ、ネタが尽きてきたか」とってしまうよ。


 読者の見を受け付ける窓口を設けることもなく、一部のメンバーで一方的に発行しているから、こんなことになるのだ。身分を明かせないことは理解できるが、せめてメールアドレスぐらいは用すべきだろう。


 それと前々から気になってしようがないのだが、やたらとしい漢字を使うのはしない。それとなく、身分がわかってしまうので(笑)。

リーダーは真剣勝負の師子吼を


 リーダーの話は

 真剣勝負であれ!

 渾身の師子吼を!

 幹部革命から

 勝利の吹を!


【「今週のことば」/聖教新聞 2007-05-28付】


「“手を打つ”よりも、“を打て”」と、秋谷会長が幾度となく指導されていた。今となっては、“手も打てない”幹部だらけ。


 叫べば叫ぶほど言葉が虚(むな)しく響くという場合がある。幹部は、往々にして「皆にやらせよう」と押し付けがましい話をすることが多い。本人は一生懸命のつもりで、皆の反応を見落としていると厄介なことになる。一昔前だと、担当幹部やベテランの副役職が、きちんと注をし、それがそのまま訓練となっていた。


 昨今は、とにかく壮婦の仲が悪い。連係も取られていない。地区協議会で打ち出しを知る地区部長も山ほどいる。事前の打ち合わせが全くない上、支部長から地区部長への連絡が甘い現状がある。このため座談会で、地区部長やB長が全く見当違いな話をしていることも多い。


 私が男子部本部長となった時の話である。本部で最初の部長会を行うに当たり、「全員が新聞啓蒙をして集おう」と訴えた。私は副本部長の経験がなく、部長から本部長になったため、非常に緊張していた。


 で、蓋(ふた)を開けてみたら私以外、誰一人やって来なかった。私は最初の部長会で怒りを全開にした(笑)。「大体ね、部幹部全員が私よりも年上で、こっちがどれほど遠慮してるのかわかってんの? 一旦、『やる』って言って、出来ないんなら、部幹部なんかやめてしまえ!」と。翌週までに全員がやってきたよ(笑)。


 それからというもの、まず副本部長の顔色が変わった。本部の部長会は毎週行っていたが、終了後になると一番弱い部の部長にを掛け、「さっきの本部長の話を、どう受け止めましたか?」と、詰めまくっていた。


 日々、真剣に戦っていると、真剣さが(ごう)となる。遊んでいれば、遊びがとなるのだ。八億四千の中で、どこに自分の一を定めてゆくかである。


 毎、直接、先生から指導を受けておきながら、雄弁でない幹部がいるとすれば、幹部の資格が全くない。

2007-09-09

光久日康の日顕批判で内紛状態の宗門


「宗門の疲弊は学会の破門が原因」


正論を言った光久住職、本山で謝罪文を棒続み


【『フェイク』第853号 2007-09-05】


 日顕宗の全国教師講習会が829〜30日、大石寺で行われたが、能化の光久日康・妙縁寺住職が飛び入りで謝罪するハプニングがあった。これは同住職が日顕の「C作戦」断行を批判したことに関して「反省とお詫びの言葉」の一文を読み上げたもので、当初の予定には全くなかった。


 ところが読み上げる際、同住職は何度もつっかえて、自分で書いた謝罪文ではなく、信彰あたりが書いた物を読まされているのが参加者にも伝わったという。


 光久住職の「お詫び」は隠居した日顕、総監の八木日照、庶務部長の阿部信彰が仕組んだ猿芝居で、早瀬日如は蚊帳の外におかれて、結果だけを知らされた。


 講習会初日の29日、日顕は例によって隠居の身でありながら出しゃばって講義。いつもはダラダラと下手の長話の日顕が珍しく、「宗務院から早めに終わるよう言われている」と言って2時間で終了。すると、庶務部副部長の斎藤栄順が「只今より妙縁寺住職・光久日康師よりお詫びの言葉がございます」と発。ここで信彰が経過を説明したあと、前述の通り、光久住職が「反省とお詫びの言葉」を読み始めたのであった。


 日顕を批判すれば能化でも容赦しないとの見せしめなのだが、これまでにも雑誌「道」で日顕を痛烈に批判した花野充道、また、日顕の「大御本尊偽物発言」を記録したうえ、それを敢えて暴露した河辺慈篤が日顕から睨まれた。だが、この二人とも大衆の面前での謝罪はさせられていない。それどころか、河辺は東京・新宿区の大願寺に栄転まで果たした。


 それでは、能化の光久住職が、何故、教師講習会の場で謝罪を強いられたのか。その「お詫び」に至るまでの経過を述べることにする。


 今年5、日如の台湾旅行に同行した光久住職は、坊主達を呼び寄せて日顕が学会を破門した愚挙を非。「今のままでは広宣流布はできない。宗門の未来のためには学会との関係修復が必要だ」等と自分の情を吐露し、この後も講員に同趣旨の話を繰り返していた。


 その発言内容を要約すると、1.現在の宗門の疲弊を招いたのは日顕が学会を破門したことに起因する、2.宗門のトップはその非を謝り、学会首脳と話し合うべきである、ということになる。


 同住職の話は間違ってはおらず、法華講の中にも同調する講員が現れ、日如はにしても静観していた。だが、日顕だけが異常なまでに激怒し、八木と信彰を使って追及させた。


 宗務院は89日に光久住職を本山に召喚。この日は日顕が蓮葉庵に滞在しており、早くから八木、信彰と謀議。そこでは、1.光久を罵倒して関東大布教区の大支院長と東京第一布教区の支院長を辞任に追い込む、2.全国教師講習会の席で謝罪をさせる、3.妙縁寺に八木が行って講員に光久の日顕批判が大問題であると徹底する、等を決定した。


 その翌日付で大支院長、支院長を辞任。後任に鈴木譲信(江東区・妙因寺)が任命されたのを知った妙縁寺の講員は「住職は正しいことを言ったのに処分はおかしい」とのを上げた。


 今回、謝罪させられた事実を講員が知ると、日顕への憎悪のが強まることは間違いない。


「万死に値する」のは日顕、お前だ!


達師が光久師に「次はお前がやらないか」


【『フェイク』第854号 2007-09-07】


 光久住職の日顕批判の背景に何があるのか――昭和42年、お仲居になった同住職は日達法主から全幅の信頼を受けていた側近中の側近だった。その達師のもと、同住職は長年、学会と共に僧俗和合して広宣流布の道を歩いてきた体験があるだけに、学会への認識も深いとわれる。今年になって日顕の「C作戦」断行を批判したのも単なるい付きではなかった。


 それは光久住職が最近も「以前からこういういでいた。言わずに死んだら悔やまれる。いたたまれないいで話した。単純に批判しているのではない」と語っている通りである。


 光久住職が謝罪させられた際に「私の発言は誤りで、万死に値する」と読み上げたが、これは本音ではなかろう。同住職は相承詐称の日顕こそが「万死に値する」とっているに違いない。


 一方、「反日達」の情を抱く日顕は、光久住職が日達法主の側近ナンバーワンだったからこそ、怒りも倍増したのである。日顕日達法主の弟子「妙観会」メンバーの大勢を追放し、日達時代に完成した正本堂、大客殿、大化、プレス・センターなどの建物を相次いで破壊した。


 それら建物ばかりか、日達時代に植樹された桜までも伐採した。そして今回、側近だった光久住職の大支院長などの役職を解いて、全国の坊主が集まった講習会で恥を掻かせた。これで一件落着どころか、内紛は激化すると見る向きがある。


 もともと、光久住職は日顕の相承詐称に批判的で嘲笑していた。日顕が「昭和53年415日に大石寺の大奥で相承を受けた」と真っ赤なウソを言った時、光久住職は「415日にしていいのか? あの日は達師が忙しい日だが……」と揶揄日達法主の行動を詳細に知っていたからだ。


 光久住職が「達師が忙しい日」と漏らした裏付けとして、昭和53年415日の日達法主のスケジュールを記しておこう。

  • 00:00 大客殿にて丑寅勤行。
  • 01:30 丑寅勤行を終え、大奥に戻って就寝。
  • 06:30 起床。徒歩にて御影堂へ。
  • 07:00 御影堂で日目上人の御講日の法要を奉修。
  • 09:30 誕生日の祝賀のため3人の僧が大奥にて目通り。
  • 10:00 原田篤道が婚約者、双方の両親、媒酌人の細井珪道らとともに結婚の挨拶。
  • 11:00 東京の大石寺出張所(文京区西片)に向けて出発。到着後、同出張所にて休憩。
  • 18:00 千代田区のホテル・グランドパレスで誕生祝賀パーティー。
  • 21:00 西片の出張所に戻って就寝。

 この行動を見ても大石寺で相承する時間的余裕が全くなかったことは明白だ。


 ついでに、正信会の菅野憲道の話を紹介する。昭和54年2、菅野らが日達法主に目通りした際、山口法興が「猊下、ご相承を阿部さんにだけは渡さないで下さい」と直言。日達法主は「よく分かっているよ。大丈夫だ」と答えたという。


 その後、日達法主が光久住職に「次はお前がやらないか」と言ったこともあり、当時は「次は光久師か菅野慈雲師かと噂されていた」ということだ。


「なぜ学会と争う必要があるのか」


大客殿破壊の時も「どうなっているんだ?」


【『フェイク』第855号 2007-09-09】


 日達法主は日顕に相承する気がなく、宗内では「次は菅野慈雲(日龍)か光久諦顕(日康)だろう」と囁かれていたことは前号で述べた通り。それを物語るのが、日達法主の逝去(昭和54年722日)直前の指示だ。達師は「明、どんなことがあっても本山に帰るから、大奥の対面所に布団を敷いておけ。その時、御仲居(光久)と大宣寺(菅野)は必ず来い」と厳命した。当時、総監だった阿部信雄(日顕)も観妙院(故・早瀬日慈)も呼ばれてはいなかった。達師は大奥の寝所ではなく、敢えて対面所と指示したうえで御仲居と大宣寺を呼んだということは、この二人のうち、どちらかに相承するつもりだったのは間違いない。


 だが、容体が急変して相承できないまま他界。これ幸いとばかり、日顕が虚偽の自己申告。日慈(日如の父)が生前、「私が我慢したからそうなったのです」と述べていたが、光久住職はこうした経過を知り尽くしている。日顕にしてみれば、既に退座した今、己の相承詐称について、光久住職が暴露することはないと高(たか)を括(くく)っているようだ。


 しかし、光久住職の師匠は以前、妙縁寺住職だった本日仁。晩年、宗門を離れて顕正会に身を寄せた僧である。その弟子・光久住職も開き直ったら何をするか分からない一面もある。


 というのも、光久住職はことごとく日顕に批判的であるからだ。平成五年の頃、日顕の「芸者写真」の件で、光久住職は、大布教区の会合で次のよう述べていた。


「この(芸者写真)問題ですけどね、考えてみますと、こういった問題で私たちが議論し合うこと自体に抵抗がありますよね。皆さんもそうだといます。信者さんも、第一こんな問題で何故、宗門と学会が争わなければならないかということは誰もがっている」


 光久住職は何故、日顕の肩を持って学会と争う必要があるのか、と不信を募らせて「芸者写真」について話し合うことに抵抗があると言い放っていた。


 また、日顕による本山の建物破壊にも疑問を呈した。特に、大客殿の取り壊しについては高野日海と共に口を揃えて反対。日顕が日海を怒鳴りつけた時、光久住職は「いったい、どうなっているんだ?」と、周囲の者に不満を漏らしていた。


 今回、形式的に詫びた光久住職だが、日顕に対する憤懣の根は深く、親類・法類の今後の動向が注目される。参考までに主な親戚・縁者を列記しておこう。


 光久日康師の妻・寿美江は故・高野日深の長女で、兄に高野日海(墨田区・本行寺)、高野法尊(熊本市・涌徳寺)、高野法雄(大阪市・妙栄寺)がいる。甥には高野千道(横浜市・宣法寺)、高野道督(和歌山市・教妙寺)、高野正節(妙栄寺)がいて、姪の夫に村上節道(埼玉・宣行寺)、西岡雄信(高槻市・妙恵寺)、近藤恒道(筑後市・諦聴寺)もいる。法雄の前妻・衣江と尾林日至の妻・操は姉妹である。


 光久師の子二人は長男が光久顕道(埼玉・妙乗寺)、次男は光久信涌(福島・正徳寺)。弟子には高野顕昇(尼崎市・大妙寺)、長谷顕光(小市・唯成寺)などもいて、子飼いに末房宰道(三原市・開妙寺)、小原玄道(盛岡市・得道寺)などの住職が揃っている。

テロ特措法延長に期待 米下院が日本評価決議


【ワシントン5日共同】米下院本会議は5日、日米同盟の重要を認識し、「テロとの戦い」に対する日本の貢献を評価する決議案を全会一致で可決、議会としてテロ対策特別措置法延長への期待をにじませた。

 下院本会議は7、第2次大戦中の従軍慰安婦問題で日本政府に公式謝罪を求める決議を可決したが、日本側が反発するなど日米関係への悪影響が指摘されたことから、今回の決議でバランスを取った側面もある。

 決議は「日米両国の強力な安全保障同盟を認識し、日本がアジア太平洋地域の安定向上に果たしている役割や、地球規模でのテロとの戦いにおける日本の取り組みを評価する」とした。

 共和党のロスレティネン議員は本会議で、北鮮核問題の解決に向けた日米協力継続の必要を強調。テロ特措法に基づき、日本がインド洋で行っている米軍艦船などへの給油活動に「謝」を表した。


【中日新聞 2007-09-06


 アメリカはプレッシャーを与えるのが上手い国だ。そもそも、「ならず者国家」を指定できるのは、ならず者であると相場は決まっている。アメリカは“世界の警察”であると共に、“世界一の暴力団”でもある。民主党の小沢党首は元々反米ではない。つまり一連の振る舞いは、飽くまでも政権交代のためのパフォーマンスに過ぎない。テロ特措法の延長が可決されなければ、外圧によって安倍政権は解散に追い込まれることになる。小沢党首の狙いはそこにある。しかしながら、安倍政権が何とか乗り切ったとしても、来年中の解散は免れそうにない。

2007-09-08

Def Tech解散


 デビューアルバムが約220万枚の大ヒットとなった2人組ユニット「Def Tech(デフテック)」が解散したことが6日、分かった。

 デフテックは、日本人のMicro(27)と、米ハワイ出身のShen(26)の2人組。解散について「活動再開を待ってくれたみなさん、ごめんなさい。私たちShenとMicroは音楽的な方向の違いからDef Techを解散することにしました」とコメントしている。

 デフテックはロックバンド「RIZE」のJESSE(27)の仲介で01年に結成し、05年1にデビュー。CMソングに起用された「My Way」の効果で、アルバム「Def Tech」が爆発的にヒットした。同年NHK紅白歌合戦に出演し、翌年には全国ツアーを成功させたが、ツアー中から2人の間に溝ができ始め、終了後にShenが故郷のハワイに帰国。以降、活動休止状態となっていた。

 昨年11東京で行われたShenの披露宴には、Microも駆けつけ「デフテックは解散しません」と宣言。再開に向けて準備も進めていたが、考え方の違いは埋まらず、今初めに解散を決した。これまで発売したCDの総売り上げは約500万枚を超える。

 今後は互いにソロ活動する予定。Microは今春設立したレーベルの代表として、自身の活動と並行して所属アーティストの育成も手掛ける。Shenは来年メジャーデビューを予定している。


【スポーツ報知 2007-09-07】


 無としか言いようがない……。

新入会メンバー


 昨日、こんなやり取りがあった――


「そろそろ、学会に入って一年が経つんだけど、ちょっと色々とうところがあるんだよね……」

「エ、何ですか?」

「入会する時にちゃんと話したんだけど、俺はね、仕事の付き合いがあって、元々民社党支持なんだよ。それから、石原慎太郎の秘書だった人とも知り合いなの」

「あ、そうなんですか」

「でね、入る時に、『政治活動は一切やらない』って言ったのよ」

「そりゃ構いませんよ。投票だって自由ですよ」

「でしょ! でもさ、選挙の時、うるさくって仕方がなかった」

「そいつあ、すみませんでしたね」

「それとさ、ハッキリ言って、入会前は色んな人が来てくれたけど、入った途端、誰も来なくなったよね」

「エー、私が行ってるじゃないッスかー!」

「お宅しか来ないよ」

「わかりました。みんなにも伝えておきます。○○さんから見りゃ、私なんぞ子みたいな年なんですから、何でも言って下さいね。でも、学会を辞めちゃ、ダメですよ(笑)」


 婦人部が強引に決めた折伏だった。その上、壮年部はノータッチ。こんなことになるのは容易に像できた。ま、私がいるから大丈夫だけどね。

2007-09-07

“発想の転換”は“一念の転換”


 よく発の転換ということが言われる。人類の進歩は、絶えず発の転換、もしくは新しい着眼点を発見しつつ、それを起点としてなされてきたといってよいとう。

 科学の世界においても、近世においても天動説から地動説へと変転したのも、また20世紀においてアインシュタインの相対理論が生まれたのも、そこには大きな発の転換がありました。

 人間というものは、とかく既存の枠の中に生きようとする習のようなものがあります。そして、その習は頑としての奥に根をおろしていて、いったんそこから脱皮しようとすると、ものすごい勢いで引き止めようとする。これは個人においても、また社会のメカニズムにおいても、同じようなことが言えそうであります。

 日本という社会は、とかくこれまで、日本から世界を見てまいりました。個人においても、自分を中に据(す)えて他人を見ようとするものですが、他人の目をもって自分を見るということも、大切なことであります。これは、地球を中として考えた天動説から、太陽という他の天体を中として地球を見直した発の転換に通ずるものがあります。日本を中にして世界を見るのではなく、世界の客観的な目で日本を見つめ直すという発の転換が、いまほど必要な時はないと、私は考える。

 発の転換とは、的確にいうならば「人間の一の転換」であります。この生命の一の狂いが、実は日本をこれほどまでに駄目にしてしまった。いったい誰の一であったのか――ある人は派閥と私利私欲の葛藤に明け暮れ、ある人は学問の権威の座に坐して民衆を嘲笑し、ある人は経済的利益のみを追い求めて諸外国の顰蹙(ひんしゅく)を買い、ある人は評論家と称してもっともらしい言葉で自分を粉飾し、ある人はエリートという気位に立って弱き人々をいじめ抜いてきたのであります。この一切のエゴの激突のルツボと化した日本の姿を、再び鏡に照らして見直すべきではないかとうのであります。

昭和元禄”と呑気(のんき)に構えていた脆弱(ぜいじゃく)な一が昨今にいたって、脆弱な精神構造として白日の下(もと)にさらけ出されてしまったといってよい。

 ともあれ、あらゆる指導者たちが、正しい一に転換することが、今ほど緊急な時代はありません。しかし、それは単なる反省とか識変革などで変わり得るものではない。を支配するものが生命の働きである以上、もっと根源的ななにものかを必要とするのであります。それを私どもは知っている。現代の最も正鵠(せいこく)な一は、法の真髄による生命哲学に帰着しなければならないとうのであります。


【第36回本部幹部会 1973-12-16 大阪市・中央公会堂】


 いやあ、痺(しび)れますなあ。このような指導を読むたびに、身体がブルブルと震えてくる。先生、45歳の時の指導。当時のの勢いは凄まじかった。それこそ、威風堂々としてナポレオンを彷彿(ほうふつ)とさせる姿だった。現在、連載中の『新・人間革命』で描かれている前の年である。1972年には日中国交正常化を果たし、創価学会の存在はいや増して重くなった。また、1973年は「教学の年」と銘打たれており、750万世帯の学会員に哲学の楔(くさび)が打ち込まれた。


 本来であれば正本堂の完成を期して、法を世界へと展開してゆくことが、先生の構であったとう。だが、強欲な坊主どもと悪徳顧問弁護士によって、先生の足は引っ張られた。


 30年以上も前の指導でありながら、昨今の政治家に対する警鐘の響きがある。

本部幹部会


 スピーチの大半を長谷川副理事長が代読。喉の調子でも悪いのだろうか。先日の正木理事長の手記に続いて、今日、学園の話をされたところに深い味がある。会長勇退後、学会から締め出された先生に、「あなたには学園生がいるではありませんか」と奥さまが言われたことは、余りにも有なエピソードである。今回の本幹より、実質的な広布第二章第二幕のスタートとなった。師匠から直接受ける訓練の最終段階である。


 それにしても、幹部という幹部の言葉が空(むな)しい。何も出来ないクセに威勢だけは一人前だ。竹内さんが信教の自由云々という話をしていたが、当時、先生の証人喚問を阻止したのは、ある政治家の力によるところが大きい。草創期と比べると、明らかに“幹部の覚悟”が弱くなっている。命を懸ける姿勢が全くじられない。

読書の衝撃


学会指導と私」にも書いた通り、私は本が大好きである。「読書が手で……」と言う男子部と遭遇する度に、「お前、頭がおかしいんじゃないのか?」と本気で配したものだ。私の場合、それだけでは収まらない。強制的に本を買わせ、を伝えるよう促すのだ。失敗した試しは一度もない。全員が口を揃えて「こんな面白い本があるとは知りませんでした!」と涙にむせんだ(やや誇張)。


 若い時分は、どんなにしい本でも読了することを掛けた。30代後半になった時、人生の残り時間がそれほど無いことに気づいた(「オンライン古書店の風景」)。私は大体、年間100冊弱の本を読んでいる。最も多忙を極めた男子部本部長時代には、年間150冊以上読んだ。当時は、まだサラリーマンで同僚と車に乗り合わせて会社に通っていた。帰宅する際など、後部座席に座りながら、後続車のヘッドライトで本を読んでいた。今でもテレビを見ながら、CMの時間帯に本を読むことが珍しくない。もちろん、トイレには十数冊の本が常備してある。


 多読するにはコツがある。10冊ほどの本を同時に読むのだ。「わけがわからなくなりませんか?」と訊かれることがあるが、絶対にない。「テレビの連続ドラマをいくつか見ているようなものだ。曜日のドラマと、金曜日のドラマを間違えることはあるまい」と答えている。


 メディア(媒体)の中では、やはりテレビが抜きん出ているとわれるが、一過の情報であることが弱点である。その点、活字は保存に優れている。何てったって、“読み返すこと”が可能なところが長所である。


 振り返ると、青春時代にあって、我が人生を振り回すほどの衝撃を受けたのは、よき人物との出会いと読書が殆どを占めている。スポンサーによって運営されているテレビは、所詮人気商売に過ぎない。俳優やタレントなんぞは、温泉芸者と変わりがないよ。金を積まれれば、どんなことでもやってのける類いの人間だ。基本的に、濡れ場やラブシーンは売春行為だと私は考えている。


 人間は刺激を求める動物である。欲望とは刺激の異に他ならない。アルコールは皮膚を泡立たせ、煙草の香りは鼻腔を刺激する。風という刺激もある。オートバイからジェットコースターに至るまで、膚(はだ)を刺激する風を人々は求めているのだ。シャワーも似たようなもの。


 しかし、身体的な刺激よりも、もっと強烈なものがある。それが、読書なのだ。


 3日前、「先月は40冊ほどの書籍を購入」と書いた。だが、私を侮ってはならない。毎週、図書館から10冊の本を借りているのだ(笑)。

2007-09-06

本部幹部会衛生放映に遅れてくる幹部は信用するな


 今気づいたのだが、よくよく考えると、「衛生中継」という言葉はおかしいね。「中継」じゃないから、言葉としては「衛星放映」「衛星放送」が正しい。いまだに「同時中継」と言ってる学会員もいるが、その言葉のセンスを疑う。


 我々にとっての「いざ鎌倉」は、師匠の下(もと)に馳せ参じる時であり、それは衛星放映の場をおいて他にない。そうであれば、衛星放映に遅刻をしたり、欠席するような幹部は、絶対に信用してはならない。自分の環境に負けてる人間に、会員をリードする資格はないからだ。


 私の組織の本部長と区長は仕事が忙しいようで、土日以外の日だと姿を見ることがない。

メールマガジン「創価スピリット」が2000部に


 本日、「創価スピリット」の発行部数が2000部となった。より謝申し上げる次第である。「労(96日)の日」と覚えておくことにしよう(笑)。2003年12月25日にスタートしたので、足掛け4年となる。E-Magazineのランキングでは40位となっている。上には上がいて、創価系メールマガジンでは、「人に尽くす励ます」が3343部で16位。「ようし、もっと頑張ろう」と励みになっている。私の後に続いているのは鯖君の「毎日御書を!」であろうか。今日現在で1424部となっている。

2007-09-05

遠慮をすれば必ず負ける


 私はが大きい。道を尋ねる時に、「すみません」とを掛けると、「ああ、吃驚(びっくり)したぁー」と言われることが、よくある。


 更に私はよく怒鳴る(笑)。最もよく怒鳴る場所は病院だ。医師から看護婦、事務員に至るまで、横柄(おうへい)かつぞんざいな態度が目立つため、怒鳴らないとの疎通がしいと判断している。


 対応の悪い店でも、必ず怒鳴る。先日も、郵便局ATMから振替口座に入金しようとしたが上手く行かず、十数人の客の頭越しに、「オイ、これはどうなってんだ!」とシャウトした。私はロックンローラーだ(ウソ)。郵便局員は一瞬凍りついた直後、対応がスピーディーになった。


 が大きくて困ることは、内緒話が出来ないことぐらいか。


 元気印の創価学会においては、が小さいと生きてゆけない(笑)。基本となるのは唱題の響きである。昔の男子部の部長会では、が小さいということだけで、気合いを入れられる羽目となった。の響きが弱いのは、自分の殻(から)を打破してない証拠である。ま、10回ぐらい喉を潰すまで題目を唱えれば、それなりのになるよ。


 が小さい人は、自信のない人が多い。遠慮や奥ゆかしさが、日本では美徳とされるが、常態と化すと損をすることが多い。


 例えば、嫁と姑(しゅうと)の関係だ。必ず、遠慮をした方が負ける。私には全く理解できない。どうせ、ストレスまみれになるのがわかってるんだったら、少しばかりの勇気を奮い起こして、ハッキリと見を伝えるべきだろう。それを、相手に言わないで亭主に言う。今度は、亭主が何もしてくれないと愚痴をこぼす。こうしてストレスは倍加する(笑)。


 DVドメスティックバイオレンス)もそうだ。自分や子供に命の危険をじたら、直ちに逃げるか、逆襲するべきだろう。私が女だったら、反撃するね。旦那が寝静まったところを見計らって、い切りバットで膝頭を砕いてやるよ。それでもダメな場合は、もう一つの膝頭を攻撃する。暴力というのは、恐怖を抱いた方が負ける。我が身を守るためなら、何の遠慮も必要なかろう。殺されるまでじっとしてるのは、絶対におかしい。


 組織における怨嫉も、また同様である。遠慮をしている方が怨嫉するのだ。せっかく信していながら、自分で功徳を消しているのだから、これほど損なことはない。青年部時代に、私はよく「文句があるなら、やめりゃいいだろう」と後輩に言ったものだ。そこには、こちらが否定的な発言をすることによって、相手を肯定的な方向へ誘(いざな)うという高等戦術が隠されていた(笑)。だが今、本気でう。文句が多い人は会合を休めと。


 時折、「嫌なことの方が多いけど、功徳が欲しいから学会活動を頑張る」という婦人部がいる。「嫌だ」とっている時点でであることに気づいてない(笑)。「手」とかいうレベルではなくて、ただもう「負担」と化しているのだ。それはあたかも、奴隷が重たい荷物を背負わされているような姿である。


「先生のにかなってないな」とう会合は、全部出なくていいよ。家で唱題した方が、ずっとお得だ(笑)。


 会合がつまらなくなったのは、幹部の力不足によるところが大きい。で、活動全般もつまらないから、折伏が進まなくなる。面白くない世界に、友人を入れたがるような人はいないよ。


 活動が楽しいと、折伏はバンバン決まる。私は24歳の時に、3ヶで4世帯の弘教を成し遂げたことがある。最後に本尊流布をしたのは2001年のこと。ということは……(笑)。

2007-09-04

縮刷改訂版『キーワード別・日蓮大聖人御書要文集』植木雅俊


 願かない、遂に入手することが出来た。植木雅俊氏は、中村元博士の下(もと)でインドを学び、お茶の水女子大学から男としては初の人文科学博士号を授与された人物。巻を開くや「はしがき」に胸を打たれる。初稿が出来上がったある日のこと、植木氏は足の甲の骨を折ってしまう。「延べ6000時間もの間、正座しての作であったために足腰が弱っていたのであろう」――文字通り机と一体化した作が、知らず知らずの内に身体を痛めつけていたのだ。だが、あっけらかんとした書きっぷりからは、晴朗な境が窺える。い返せば『「三重秘伝抄」論考──人間主義仏法の探究』によって、長年にわたる“教の疑問”が氷解した。偉大な先輩なくして法を知ることは出来ない。御書に云く、「さればになるみちは善知識にはすぎず」(1468頁)と。

 先は40冊ほどの書籍を購入。勢い余って、『日本宗教史年表』まで買ってしまったよ(笑)。


日本宗教史年表

小林参院議員が辞職へ 出納責任者の選挙違反で引責


 7の参院選で自民党公認で神奈川選挙区から当選した小林温議員(43)は4日、陣営の出納責任者が公選法違反(買収)容疑で逮捕、起訴された責任を取り、議員辞職する向を固めた。自民党関係者が明らかにした。小林議員は同日、記者会見し、正式表明する。遠藤武彦前農相らの辞任に続く、小林議員の辞職で、安倍改造内閣のイメージダウンは避けられない。野党は秋の臨時国会で攻勢を強める方針。

 小林議員の辞職に伴い公職選挙法の規定により、神奈川選挙区で次点だった公明党あきら前参院議員が繰り上げ当選する見通し


【産経新聞 2007-09-04】


 神奈川、おめでとう!!!

2007-09-03

公明党殿御返事


参院選大敗「党存亡の危機」と太田代表=地方議員懇談会を開催へ


 公明党太田昭宏代表は30日の中央幹事会で、参院選大敗を受けて「公明党も存亡の危機にあるというような認識を持って、党の立て直し、党勢拡大に努めていきたい」との決を示した。その上で「国会議員、各県本部もそうした気持ちを共有してともに戦っていくことをお願いしたい」と求めた。


時事通信 2007-08-30


 公明新聞は報じなかった。不吉な言葉を嫌ったか(笑)。あるいは、太田代表の危機・決は、党上層部だけが理解し、下々の者どもは黙って従えということやも知れぬ。


 太田さんがそこまで言った以上、私も黙っているわけにはいかない(笑)。何てったって、もう20年以上も支持し続けているのだから。


 まず第一に、「公明党は身の程を弁(わきま)えよ」と言いたい。現在、衆議院における公明党の勢力は、480議席中31議席となっている。たった6.5%である。因みに、自民党は306(63.8%)、民主党が113(23.5%)だ。政権与党とはいえ、これで「中選挙区制に戻すべき」と叫んだところで、誰もを貸さないだろう。


 次に、これは前々から気になってしようがないこと。「生活者の視点」が大切なのはもちろんだが、「国家百年の大計」はもっと大事だとう。公明党に最も欠けているのは、「国家としてのグランドデザインを描く姿勢」ではないか。その点において、自由党は確かな存在があった。


 例えば憲法問題だ。公明党の立場は「加憲」である。これがまた、わかりにくい。世論が改憲に傾き出すと、あやふやな態度になる。現行憲法の草案がマッカーサーの手によるものであることが、明らかになっている。GHQは日米安保を定した上で、第98条2項を盛り込んだ。憲法に明示された以上、日米安保は法律でどうこう出来る代物ではなくなってしまった。更に日米地位協定で、公務中の米兵が犯した犯罪については、日本の司直が裁けないことになっているのだ。こんな一文は憲法から削除すべきだと私は考える。


 今、「日本人であることに誇りが持てない状況」が続いている。そのバランスを取ろうとして、右傾化した主張がまかり通る世情となっている。だがその主張は、米国に向けられることはなく、アジア蔑視という安易な方向に傾く。


 憲法の拡大解釈によって、既に自衛隊が海外へ派遣されるようになった。国連決議があればオッケーという論調も見られるが、そうであっては、憲法よりも国連決議の方が上ということになる。


 私が公明党の代表だったら(笑)、憲法9条改正に賛成する。自衛隊を軍隊と位置づけ、アメリカにもどんどんものを言い、国連安保理の常任理事国入りを果たす。それから、再び平和憲法に戻す(笑)。その際は、軍備放棄をちらつかせながら、アジアを中とした近隣諸国と平和条約を結ぶ。更に、アジアに共通通貨を導入し、EUの向こうを張る。アメリカが不穏な動きを見せたら、中国と共同でドル基軸通貨を崩壊させる。ドル保有国1位が中国で、2位が日本だから、力を合わせてドルを売ってしまえばいいだけの話だ。これだけで、アメリカは完全に滅びる。


 欧米は基本的に覇権主義である。今、イギリスが環境問題に力を注いでいるのも、「環境問題が金になる」からであり、覇権争いが本格化している。階級社会だから、「皆で仲よく」というわけにはいかないのだ。


 大体ね、世界の富豪達が、財産の半分を寄付してくれたら、世界中から貧困なんかなくなるのだ。でも、誰もやろうとしない。なぜなら、自分達が折角つくり上げた“秩序”が崩壊してしまうからだ。どう考えたって、おかしいよ。先生が相手にしているのは、こんな赤鬼みたいな連中なんだよ。


 キリスト教は既に2000年が経過している。つまり末法だ。新たな統合原理として法が宣揚されなければ、平等な世界は実現しない。


 公明党は、そこまで考え抜いた上で、明確な戦略を持つべきだ。

遠藤農相きょう辞任、補助金不正で引責


 遠藤武彦農相(68)は2日、自らが組合長を務めていた農共済組合が国から補助金を不正受給していた問題の責任を取り、辞任する向を固めた。

 3日午前、安倍首相に辞表を提出する。首相も受理する考えだ。

 また、坂本由紀子外務政務官(58)も自らが支部長を務める自民党支部が政治活動費を多重に計上していた問題で引責辞任する。

 人一新を掲げ先27日に発足した安倍改造内閣での閣僚と政務官の辞任は、再出発を期した首相にとって大きな打撃になることは必至だ。

 農相が辞任の向を固めたのは、10日召集の臨時国会で野党側が農相の問責決議案を提出する構えを見せていることを受け、政府・与党内に農相交代により国会の混乱を回避すべきだとの判断が強まったためだ。

 公明党太田代表は2日、NHKの番組で「次から次とこういう問題が出ることは情けない。会計検査院から指摘を受けて、3年間も放置しておいた国や県のあり方も含め、国民から何をやっているんだということになる」と述べ、農相を厳しく批判した。自民党の麻生幹事長も同じ番組で「農相は1日に自分できちんと説明していたが、その説明が世間で通用する内容なのかどうかが、これから一番大事な所だ」と指摘した。

 一方、民主党の菅代表代行は同番組で「必要なら証人喚問とか関係者に聞いた上で、疑が晴れない場合は問責も出てくる」と述べ、臨時国会で農相の問責決議案提出の方針を明言した。

 こうした情勢を受け、与謝野官房長官は同日午後、都内のホテルで麻生氏、大島理森・自民党国会対策委員長と会談し、対応を協議した。与謝野氏は同日夜、都内の別のホテルで農相と会い、事情を再聴取するとともに与党内の情勢を伝えた。与謝野氏と農相の会談後、政府関係者は「(厳しい情勢は)農相もじているのではないか」と述べた。

 与謝野氏は同日、坂本外務政務官からも事情聴取を行っており、引責辞任を促したものと見られる。坂本氏をめぐっては、同氏が支部長を務める自民党支部や、同氏の後援会が同一の領収書を流用し、架空の会議費を政治資金収支報告書に多重計上していたことが明らかになっている。

 農相の後任には、自民党の武部勤・元幹事長、中川昭一・前政調会長、保利耕輔・元文相らの前が挙がっている。安倍政権では昨年9の発足以降、佐田玄一郎行政改革相、岡利勝農相、久間章生防衛相、赤徳彦農相(肩書はいずれも当時)の4人が内閣改造とは別に交代した。今回の農相と坂本外務政務官の辞任で、安倍首相は厳しい立場に置かれそうだ。


【読売新聞 2007-09-03】


 農林水産大臣ってえのあ、鬼門なのかね。安倍首相はどんどん追い込まれてゆく。何とはなしに、衆院解散が早まりそうな予。願わくは、不正受給と泥棒の違いを説明して欲しいもんだ。


「アメリカが安倍を見限った」という話もチラホラ聞こえてくる。6ヶ国協議では日本が完全に無視され、G8では「洞爺湖環境サミット」のキャンペーンを張ろうとして失敗。挙げ句の果てには、G8を報じるイギリスのタイムズ紙の写真から日の丸と安倍首相がカットされる始末。


 福運のないリーダーについてゆけば、公明党も危うい立場になるのは必然。

2007-09-02

『書の宇宙 16 知識の書・鎌倉仏教者』石川九楊編集


 日蓮神国王御書は、猛烈な速度の回転運動で疾走しているものの、漢字平仮交り文がもっとも安定した書きぶりで書かれており、逆に速度の安定した立正安国論の方が、書としてはおさまりの悪い顔立ち、仮の姿をしている。「墨蹟」の中では異質な宗峰妙超や一休宗純の書も、親鸞や日蓮のような、こなれた漢字、あるいは伸びやかな片仮や女手(男手)となることなく、中国風に日本風(和様)を接木した複合体(キメラ)となるしかなかったのである。

 そして、漢字片仮交り文に本領をもつ――片仮漢文注釈のための文字である――上昇的な親鸞と、狂走する漢字平仮交り文に本領をもつ、どこまでも下降的な日蓮の違いが、書にそっくり残されているのである。

 藤原定家において近代秀歌のような批評の書が中央にあるように、親鸞や日蓮においても、漢字仮(片仮・女手=平仮)交り文が、和歌(仮)の書や漢詩・漢文(漢字)の書よりもはるかに所を得、安定のある表現と化している。

 このような漢字仮交り文の書、「書きつける書」――平安時代のように匿の優美な和歌の書ではなく、実をもって「書きつける」姿を露出する書――が書史の中央に躍り出たというのが、日本中世の最大の書史上の出来事である。


 神国王御書は、日蓮の歴史・社会批評書。立正安国論と比較すると、まるで水を得た魚という面立ちで、書きぶりにも安定がある。宮澤賢治にせよ、岡本かの子によせ、法華経信者には、いささか熱狂的(ファナティック)なところがあるが、その謎を解く鍵は、この書にある。

 とてつもない速度で回転する筆蝕運動が全体の基調となっているが、第4行の〈鷹〉のように、水平・垂直の筆蝕運動も見えている。書字の臨場(現場)に重きを置く書法が、このような次々と調子にのって上昇的に、また下降的に縮閉する蠕動運動のような書を生んでいる。

 これほど狂おしい書は、日本書史上唯一。「熱狂」の書である。


 こころみに、釈文に合わせて指でなぞってみるがよい。めくるめく速度が、まざまざと浮かび上がるだろう。そして、確実に狂おしくなっていく。書に、四次元の速度という美的要素は確実に、ある。

知識の書―鎌倉仏教者 (書の宇宙)

2007-09-01

バージニア・パウエルさんが学会本部へ


 アメリカSGIのバージニア・パウエルさんが30日午前、創価学会本部を訪問。原田会長、池田副理事長らが歓迎した。

 パウエルさんは世界陸上大阪大会の女子100メートル障害で決勝5位の成績を収めた。本年の全米陸上では同種目で優勝するなど、陸上界で期待を集める選手である。

 女子地区リーダーを務めるパウエルさんは、「関西での池田先生の戦いをに描いてレースに臨みました。北京オリンピックでは、さらに活躍して師匠に報告したい」と語った。

 また創価世界女会館、戸田記国際会館を訪れた。


聖教新聞 2007-08-31】

党派性を打ち破れ


 既に何度も書いている通り、私は党派性が大っ嫌いだ。党派性というのは仮面であり、人間の顔を捨てる行為だとう。組織や団体に拠(よ)って立つのは、自分に自信がないためだろう。哲学とは、“自分で”考えることだ。宗教とは、“自分を”生きることだ。共通しているのは、疑って、捨てて、否定しても尚、信ずるに値する何かを求めることである。


 学会員だから、法華講員だからというスタンスこそ、党派性そのものである。そうであっては、どんな議論をしようとも、信仰の生命線である教義までが、政治目的のために利用される結果となる。これが恐ろしい。本来は、大聖人の真が奈辺(なへん)にあるかを論じるはずが、大聖人を利用して自分の正統高に主張する羽目となるのだ。本と末を違(たが)えてしまえば、折伏プロパガンダになってしまう。


 い切ったことを書いておこう。“党派性”という観点から、私が最も保守的だとう新聞は「聖教新聞」と「赤旗」である。敵と(おぼ)しき人物は絶対に登場しないし、「敵の敵は味方」といったえげつのなさがある。


 例えば、千葉敦子さんというジャーナリストがこう書いている――


 聖教新聞が、私の闘病について「異文化の国でひとりがんと格闘するという極限の孤独な状況下で……」と書いている(423日付)。本欄の読者の中にもそうじておられる方があるかも知れないが、この表現は、私の実から遠くかけ離れている。(中略)

 私は独りきりで闘っているつもりはない。世界中のガン患者および、その家族とともにガンとの闘いを生きている、という強い連帯を抱いている。(中略)

 自分のことだけを四六時中配してくれる人が、べったりとそばにいてくれないと寂しい、という幼児を私は持ち合わせていない。会ったこともない私の病状を配して下さる方が日本にも何人もいるのだから、「極限の孤独」などに陥るわけがない。


【『よく死ぬことは、よく生きることだ 』(文藝春秋)1987-04-15発行】


 これは、読売新聞に連載されたコラムのようだ。聖教新聞の記事は、「字の言」か書評のどちらかだと推察する。


聖教新聞が」と書いてあるところを見ると、千葉さんは学会が嫌いだったのかも知れない。あるいは、宗教そのものに嫌悪を抱いていた可能もある。しかし、別の見方をすれば、ただ単に自分がじた“違和”を表明しただけかも知れないのだ。


 このように様々な見方ができるのだが、きっと千葉さんがこの記事を書いてからは、“聖教新聞の敵”になったような気がする。宗教団体なんだから、もっと度量を広く持つべきだとうが、どうだろう?


 千葉さんは46歳で他界した。私は、『よく死ぬことは、よく生きることだ 』しか読んでないが、いい本だとう。


 本当の善悪とは、党派性とは別ものである。