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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-09-18

松の意義


SGI会長●ところで、画伯が2年前、贈ってくださったのは「」の絵でした。この「」は、私ども法者にとっても、ひときわ深い義があります。法には「は霜が降りて、他の木々が枯れたあとに『木の王者』として風格を現す」との言葉がある。

 更に法に、「は万年の長寿をたもつゆえに、枝を曲げられる。法華経の行者は久遠長寿の如来である。ゆえに、修行の枝を切られ、曲げられることは疑いない」ともあります。

 偉大な生涯に様々な風雪、障害があるのは当然です。「」はそうした幾多の試練にあっても、凛々しく我が王道を貫く「勝利王」「幸福王」「人間王」の象徴となっている。

 ともあれ私は、画伯の絵から、私どもに対する絶大な未来への期待をじてならなかった。


画伯●「」を描く義は、中国においても全く同じです。複雑に屈曲したの枝ぶり。それは、外部の圧力を受けても、頑強に抵抗し、強く生き延びてゆく姿であり、最も迫力ある形態です。無論、私もを選び、描く際は、そうした義を託している。


【中国の著な書画家・董寿平氏と会談 1989-09-11 国際友好会館


 打てば響く対話は、が奏でる共鳴音である。それは、音叉のように共振し、余韻を残す。信頼から生まれるハーモニーのタイトルは「友情」だ。


 竹梅を慶事の象徴とする風習は中国から伝わった。正に門を飾る習慣は平安末期から広まったというから、きっと大聖人も目にされたことだろう。「」は常緑樹であることから不老長寿を示し、「神を待つ」という掛詞(かけことば)もあるようだ。


 前や地に「」の字がつく人は、しっかり頑張るように(笑)。


御書に出てくる「

  • 蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿頭に懸りて千尋を延ぶ(26頁)
  • 諸木は枯るると雖も柏は萎まず衆草は散ると雖も鞠竹は変ぜず法華経も亦復是くの如し(47頁)
  • 澗底の長未だ知らざるは良匠の誤り闇中の錦衣を未だ見ざるは愚人の失なり(170頁)
  • 但し歎ずるは田舎に於て邪正を決せば暗中に錦を服して遊行し澗底の長匠を知らざるか(184頁)
  • 青山峨峨として常楽我浄を奏し前には碧水湯湯として岸うつ波四徳波羅蜜を響かす深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕し広野に綻ぶる梅も界如三千の薫を添ふ(478頁)
  • 西には紅葉常葉に交ればさながら錦をおり交え荻ふく風閑かにしての嵐ものすごし過ぎにし夏のなごりには沢辺にみゆる螢の光あまつ空なる星かと誤り虫鈴虫の涙を催せり(492頁)
  • よりよ桜よと起るは切なり、是は法に約する義なり(826頁)
  • 栄れば柏悦ぶ芝かるれば蘭なく情無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり(934頁)
  • 高ければ藤長く源深ければ流れ遠し(975頁)
  • さかふれば柏よろこぶ芝かるれば蘭なく情なき草木すら此くの如し何に況や情あらんをや又父子の契をや(1047頁)
  • 木にすむ虫は木をはむ水にある魚は水をくらふ芝かるれば蘭なくさかうれば柏よろこぶ、草木すら是くの如し(1088頁)
  • 喩へばのしもの後に木の王と見へ菊は草の後に仙草と見へて候(1095頁)
  • 女人はたとへば藤のごとしをとこはのごとし須臾もはなれぬれば立ちあがる事なし(1115頁)
  • 大風吹けば求羅は倍増するなり、は万年のよはひを持つ故に枝をまげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられまげられん事疑なかるべし(1136頁)
  • されば山門と王家とはと栢とのごとし、蘭と芝とににたり、かるれば必ず栢かれらんしぼめば又しばしぼむ(1353頁)
  • 余の木ひの木の浮木にはあひやすく栴檀にはあひがたし(1391頁)
  • 藤はにかかりて千尋をよぢ鶴は羽を恃みて万里をかける此は自身の力にはあらず(1430頁)
  • 竜馬につきぬるだには千里をとぶ、にかかれるつたは千尋をよづと申すは是か(1553頁)
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