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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-09-24

「円天」が配当停止

 被害者が5万人ってことは、学会員が5000人ぐらいいてもおかしくない。上手い話には乗るな。


 現在、米国債10年物の金利が4.5〜5%である。これを上回る金利は、十分疑ってかかるべきだ。

不条理と戦う人々


 いつの時代も不条理と戦う人々がいる。正当な理由もなく、恐るべきマイナスを背負わされ、ひたすらゼロを目指す闘争が強いられる。


 例えば、係争中である山口母子殺害事件の被害者・本村洋氏。幼子(生後11ヶ)の目の前で母親が殺され、遺体と行為に及び、挙げ句の果てに幼児を殺害したとされる事件である。

 本村氏は、メディアの前で自分の殺を表明した上で法廷闘争に望んだ。像を絶する悲哀を引き摺りながらも、彼の言葉が理知的であることに驚かされる。彼は絶対に、自分から家族を奪った少年を許さない。少年が死ぬまで彼の闘いは続く。本村氏の復讐はグルカ兵よりも恐ろしい。少年は必ず殺されることだろう。


 あるいは、拉致被害家族会の方々。我が子を誘拐した犯人が判っているのに、何もしてもらえないのだ。例えば、薬害エイズの被害者。または、医療事故の犠牲者


 宿命や運命などといった安易な言葉で、解決できる次元の悩ではあるまい。


 私は問う。「お前は、本村氏よりも戦っているのか?」と。「果たして、本村氏よりも戦っている人が、学会に何人いるだろうか?」と。

『ウエスト・ポイント流 最強の指導力』ラリー・R・ドニソーン


 伝記作家サー・バシル・リデル・ハートが、「現代覚を持った最初の将軍」と称したシャーマンは、間違いなく部下に対するいやりを持った将軍だった。焼けつくような日ざしから部下を守るため、行進は夜間行なった。隊列をつくって行進している部隊の横を馬に乗って通るときは、兵士たちを道から追い落とさないようにと、野原を駆けた。

 さらに重要なのは、彼が過酷な要求をするのは、実は、犠牲者を多く出さないようにするためなのだということに、兵士たちがすぐに気がついたことがある。リデル・ハートによれば、シャーマンが兵士たちに多くのことを要求できた――彼らはシャーマンのためなら、命令一つで即座に行動し、乏しい食糧でも持ちこたえた――のは、彼が戦場でいつも兵士のことを考えていたからなのだ。部下は、自分たちの命を守ってくれる彼の能力に全幅の信頼を置いていた。そのため、戦うよう命じられれば、自信を持って戦った。一言で言えば、シャーマンは部下にいやりを持っていたので、より多くの任務を遂行できたのである。


 この本を読むのは二度目だが、何と『生きぬく力』(ジュリアス・シーガル著)で紹介されていたジェームズ・B・ストックデールについて書かれていた(「情報は力」を参照されよ)。


 仕事にどれほど打ち込んでいたとしても、高潔さを守るためには、その仕事さえも潔く捨てる勇気を持っていたいとう。他の仕事や職など、どこにでもあるのだ。

 75歳になって、ベランダの揺り椅子に座っているときに、

「私は出世と金儲けのために自分の誉を傷つけてしまった」

 と認めなければならないとしたら、それは耐えられないことだ。後悔はしたくないといういが、誘惑に直面したとき、何度となく私を救ってくれた

 高潔さを守った事例の中で、最も極端なものの一つはベトナム戦争の最中に起こった。

 ジェームズ・B・ストックデール提督は、北ベトナム上空で、間違いなく捕虜になると知りつつ落下傘降下をしなければならない状況に追い込まれた。人生という壮大なドラマの中で、ストックデールは、一度として捕虜の役など演じたいとったことはなかった。だが、その役が彼に割り振られたのだ。彼はその役を力の及ぶかぎり演じようと決した。あるとき彼は、これ以上拷問されれば、国民を裏切ることになる情報を漏らしてしまうかもしれないと悟った。そこで彼は、敵にそうせないため、独房にあった椅子でわが身を殴りつけ、気絶したのだ。

 ストックデールは、経歴を命を捨てても、道徳的責任は全うしなければいけないということを身をもって示したのだ。


 幾度となく、「これは」とう新任幹部にプレゼントした本である。


ウエスト・ポイント流 最強の指導力―アメリカ陸軍士官学校ウエスト・ポイントはリーダーシップをどう教えているか

「いじめ」の事実を隠す学校の官僚体質


神戸・高3自殺、学校が一転いじめを認める


 神戸市須磨区の私立高校で、7自殺した同高3年の男子生徒(当時18歳)が同級生らから金を要求されていた事件で、同高は21日、記者会見を開き、恐喝未遂容疑で逮捕された少年(17)以外に、フットサル仲間の同級生2人が、生徒に金銭を要求するメールを送っていたとする再調査結果を公表した。校長らは、生徒に対するいじめを否定していたこれまでの説明から一転、いじめがあったことを認め、「亡くなった生徒の冥福(めいふく)を祈り、遺族におわび申し上げたい」と謝罪した。

 同高は、少年が逮捕された翌日の18日から3日間、同級生ら約40人に改めて聞き取り調査やアンケートを実施。クラスメート34人中11人が「(生徒は)フットサル仲間の同級生にいじめられていた」と回答した。

 同高によると、同級生2人は、逮捕された少年に「(メールに)自分の前と金額を入れておいて」などと頼み、金を要求するメールを送らせていたという。また、この3人が数回にわたり、生徒の机の引き出しやかばんの中に紙粘土を詰め込んでいたことも明らかにした。

 一方、少年や同級生らが生徒から金を受け取っていた事実はわからないといい、生徒がブレスレットを買わされていたことが、恐喝にあたるかどうかは確認できなかったという。

 校長は記者会見で、「いじめ自殺の要因の一つだったとう」と唇をかみ、紙粘土を使ったいたずらがあった際、担任教諭が気づいて生徒にをかけていたことに触れ、「教師との信頼関係があれば、サインを見落とさずにすんだかもしれない」と肩を落とした。

 生徒が自殺した直後や、少年の逮捕後に、「いじめはなかった」としていたことに関しては、「1回目の調査は不十分だった」と調査の甘さを認め、「逮捕がなければ、いじめと認識できなかったかもしれない」と述べた。ただ、メールやインターネットを使ったいじめについては、「いじめの方法としては定していなかった」と釈明した。

 生徒が同級生らの実を挙げ、「(要求された)金を払えない。死ぬしかない」などと記していた遺書については、同高は、少年が逮捕された直後の記者会見で、「遺書めいたものがあるということは聞いていたが、子どもプライバシーに配慮し、白紙の状態で調査しようと考え、内容は知らないままだった」と説明。現在も確認していないという。

 同高は今後、外部の有識者を含むいじめ防止対策委員会を設置するほか、メールやネットトラブル防止についての生徒の講習会や教師の研修会を開き、再発防止を講じる。

 兵庫県は21日、いじめの存在を認めた背景や、同級生らに対する再調査の内容について詳細な聞き取りが必要と判断し、週明けにも校長から事情を聞くことを決めた。


【読売新聞 関西版 2007-09-22】


“死”をもって放ったメッセージも、大人達には届かない。否、そんな大人ばかりだから、子供達は死を選んだのだろう。


 こうしたニュースが報じられるたびに、「いじめに気づかなかった」というが聞こえてくる。「知らなかった」と言えば責任を回避できるとい込んでいる節(ふし)が窺える。


いじめがあったという事実は確認できておりません」――最初の記者会見での決まり文句だ。これが官僚主義である。「いじめがあった可能もありますので、速やかに調査します」とは絶対に言わない。私だったら、いじめを見逃すことはあり得ない。


 学会本部や聖教新聞社に電話をすると、同様の対応が多い。木で鼻をくくったような物の言い方をする。彼等が見知らぬ学会員に対し、電話で本音を話すことはないのだ。録音して、Web上にアップしたくなるほど酷い(笑)。


 官僚は“問題”を嫌がる。面倒を避ける。責任を下の者に押しつけ、自分は近づかないようにする。我が身を守るためなら、平然と嘘までついてみせる。


 こういう幹部がいたら、ぶん殴っても構わないよ。

コワレンコ氏(ソ連)


 コワレンコ副会長は、1974年に誉会長が初めてソ連を訪問し、コスイギン首相と会見した折の模様を述懐。

誉会長との会見の後、首相は『これほど賢明で、優れた指導者には今まで会ったことがない』と賛嘆し、『創価学会との友好交流が更に深まるよう、あらゆる努力を重ねていくべきだ』と語っていた」とのエピソードを紹介した。

 そして同副会長は、「この時から、ソ連は日本にとって一段と開かれた国となったといえるし、この時こそが、ソ連と日本の民間外交の原点ともなったとう」と述べた。


【コワレンコ・ソ日協会副会長と会談 1989-09-20 聖教新聞社】


 本当の前は「怖レンコ」氏である(笑)。その立ち居振る舞いは傲然+憮然。連載中の『新・人間革命』にも、ソ連訪問の模様が描かれている。当然ではあるが、書けないことも多い。相手は共産党宗主国の政治家だ。一筋縄で行くはずがない。


 我々は気軽に「人間外交」などと言っているが、我が身を振り返ると、仕事で付き合う人との友好すら困な有り様だ。


 大言壮語は控えて、まずは隣人を大切にしよう。