Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2007-10-31

民主党・石井一副代表の情報


 見落としていた。既に沖浦さんが、掲示板に書いていた。


 沖浦さんによれば、新進党時代は学会の全面支援を受けておきながら、前回の総選挙では、日蓮正宗を含む、あちこちの寺院に電話をかけまくり、「和尚、応援してください。創価学会やっつけます」と語っていたとのこと。選挙に勝つためであれば、何でもしでかす人物のようだ。

民主党・石井一副代表の国会質問


 知らなかったよ。いくつかニュースを抜粋しておこう――


民主・石井氏 公明党創価学会の関係追及


 民主党・石井一議員は、16日の参議院予算委員会で、公明党創価学会の関係について追及した。審議が数回にわたって中断するなど、緊迫したやり取りとなった。

 石井議員は、公明党の国会議員が「創価学会」池田誉会長に献金をしているなどと指摘して「政教一致だ」と批判した。しかし、公明党・冬柴国交相はこの献金を否定した。


 石井議員「『P献金』というのがある。プレジデント創価学会の)池田誉会長を指す。国会議員一人当たり30万円徴収。公職選挙法違反なのか。これは、政治資金規正法違反なのか」

 冬柴国交相「『P献金』が何物か知らないが、そういうことはしていない」

 石井議員「よくその閣僚の席に座っていられる。この言葉は重いですよ」

 冬柴国交相「もし(P献金が)ないとなったら、あなたも(予算委員会の)委員を辞めますね?」

 石井議員「常軌を逸した発言だ。公明党というのは創価学会なんです。票を通じて今の政府を支配している。こんな構図があっていいのか」


 石井議員は「政教分離を定めた憲法20条に抵触する問題だ」と指摘し、公明党を離党した福本潤一前議員の国会招致を求めた。公明党創価学会の関係を明らかにしていきたいとの考えで、「必要に応じて池田誉会長らに国会に来ていただきたい」と強調した。


日テレニュース 2007-10-16】動画あり


「政教分離」与党にくさび、参院予算委で民主・石井氏


 16日の参院予算委員会で、民主党の石井一氏が公明党と支持母体の創価学会の「政教分離」問題を取り上げ、創価学会池田大作誉会長らの参考人招致に言及する一幕があった。公明党が嫌がるテーマを取り上げることで、自公関係にくさびを打つ狙いとみられるが、公明党は猛反発している。

 石井氏は「自民党の公明党への依存体質は目を覆うばかり」と挑発。公明党議員の党や池田氏への資金の上納の有無などを調べるとして、参院選直前に公明党を除された福本潤一前参院議員の参考人招致を求めた。さらに「池田誉会長なり、学会本部の責任者に出てきていただきたい」と揺さぶった。


【日本経済新聞 2007-10-17】


民主・石井氏の「献金」指摘、公明幹事長「曲解」と反論


 公明党の北側幹事長は17日の記者会見で、民主党の石井一副代表が公明党と支持母体の創価学会の関係を批判したことについて、「曲解、誤解に基づく質問だ」と反論した。

 石井氏は16日の参院予算委員会の質問の中で、【1】公明党の国会議員は党本部に「上納金」を納めている。【2】議員が創価学会池田大作誉会長に献金をしている――などと指摘した。

 北側氏は「上納金」について、「(候補者は)党費として党に納める。(党本部は)それを財源に選挙活動の費用を賄っていく。政治資金収支報告もきちんとしている」と、正当を強調した。池田氏への献金に関しては「一切ない」と否定した。


【読売新聞 2007-10-17】


公明に“上納金”存在せず


 16日の参院予算委員会で、公明党山口那津男政務調査会長代理は、同日の同委員会で民主党の石井一副代表が、公明党の国会議員が党本部に“上納金”を納めているかのような事実誤認の発言をしたことについて、公明党の選挙資金は「党で選挙費用として掛かる分の一部を(議員本人が)党費として納めて、その費用に充てている。きちんと収支報告をしており、何ら異議を挟まれる余地はない」と反論した。

 石井氏が発言した資金は党営選挙の自己負担分であり、“上納金”なるものは公明党に存在しない。

 また、山口氏は、石井氏が公明党創価学会の関係を「政教分離に抵触する問題ではないか」などと述べたことに対して、「宗教団体には政治活動の自由、選挙の支援活動の自由が保障されている」と強調。憲法上の解釈を政府に確認した。

 これに対して宮崎礼壱・内閣法制局長官は、1970年331日の春日一幸議員に対する政府答弁書で、政教分離の原則について「宗教団体または宗教団体が事実上支配する団体が、政治活動をすることをも排除している趣旨であるとは考えていない」と答弁。宗教団体の政治・選挙活動は憲法上、保障されているとの政府見解を改めて確認した。


【公明新聞 2007-10-17】


石井質問は全くの誤解、曲解


一、(16日の参院予算委員会での民主党の石井一氏の質問について)まったくの誤解、曲解の質問だとっている。“上納金”の話は、選挙の際の(候補者の)自己負担分だ。比例区候補は党費として党に納めている。これは政治資金の収支報告も、きっちりとしている。

 公明党創価学会との関係についても、これまで何度か議論され、政府側も一貫した見解を述べている。憲法20条の「信教の自由」を担保するために政教分離規定があり、その味は国家が宗教に介入しないということだ。従って宗教団体が政治活動をしてはならないとは、どこにも書いていないし、そのことが政教分離に反するわけでもない。

 憲法21条の「表現の自由」には、政治活動の自由もある。宗教団体であれ何であれ政治活動の自由はある。

 石井氏もかつて新進党だったと記憶しているが、当時、創価学会の支援を受けて当選されたこともあったのではないか。

(民主党副代表という)立場があって、ああいう質問をされたのかなと理解している。しかし、テレビの前で質問するのだから、誤解、曲解された認識に基づいて質問するのはいかがなものか。もっと実りのある議論をしていただければいいとっている。


一、(創価学会池田大作誉会長に対する献金の有無について)一切ない。


【公明新聞 2007-10-18


 どうやら、公明党から除処分を受けた福本潤一氏(参議員2期/比例区選出)の証言を根拠にしているようだ。学会としては、特に抗議を行ってないのだろうか? こういう時こそ、「紙上座談会」で高な主張を繰り返す幹部の面々に登場してもらいたいもんだね(笑)。それとも「紙上」でしか、ものを言えないのかな(笑)。


 冬柴大臣はお話にならない。喧嘩の仕方を全く知らないようだ。突然、脈絡のない話をして失笑を買ったことに気づいているのだろうか?


 兵庫の青年部諸君は、直ちに石井氏の事務所に問い合わせをして、面談の上、抗議を行ってもらいたい。まさか、「上から動くなと指示されている」なんて言いわけをして、黙っているんじゃあるまいな。


 民主党の石井副代表は、兵庫1区(神戸市東灘区・灘区・中央区)から選出されている。

高知白バイ衝突事故:証拠捏造疑惑が浮上

 警察側が証拠として挙げた「ブレーキ痕」が捏造された可能が高い。乗車していた高校生や、バスの真後ろで事故を目撃した学校関係者の証言を完全に無視して、控訴は棄却された。

2007-10-30

「橋の下」山本周五郎


「あやまちのない人生というやつは味気ないものです。になんの傷をもたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗をくり返したりするのがしぜんです。そうして人間らしく成長するのでしょうが、しなくても済むあやまち、取返しのつかないあやまちは避けるほうがいい」

日日平安 (新潮文庫)

2007-10-29

「物事に間違っていなければ頭を下げてはいけない」


 牧口先生は、よく言われた。

「物事に間違っていなければ頭を下げてはいけない。悪に対して負けてはいけない」と。

 たとえ相手がどんなに社会的地位が高く、力のある人であっても、自分が間違っていなければ、絶対にへつらったり、馬鹿にされたりしてはならない――この毅然たる強さを学会精神の骨髄とせよ、との牧口先生の遺志であると受け止めたい。

 かつては、日本国中が軍国主義という「悪」に負け、国家神道に頭を下げていた。国家権力の言いなりにならなければ、大変な目に遭(あ)うという時代であった。

 しかし、牧口先生戸田先生の師弟は、何と言われようとも絶対に屈しなかった。神札を受けることにも応じなかった。信教の自由を踏みにじる暴挙に対して敢然と抵抗し、謗法厳誡を貫かれた。これが「学会精神」である。

 また、「持妙法華問答抄」に、「上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、下根に望めても・慢ならざれ上根も・もるる事あり」(466頁)――上根の人に対しても(自分を)卑下してはならない。下根を見捨てないのがの本懐である。下根の人に対しても驕慢になってはならない。上根の人でも得道の道から漏れることがある――と仰せである。

 牧口先生はこの御文を拝されて、「門の人や高位・高官だからといって、へつらうのも法を下げる。いばって、信用をなくすのも法を下げることになる」と言われた。

 上根とは、法を信解し果を成(じょう)じてゆくための素地、機根が整っている人である。下根とは、そうした生命の素地が弱く、中々法を信解できない人のことを指している。

 この御文では、たとえ自分が下根だとっても、卑下してはならない。が見捨てることはないからである。逆に上根であっても、驕慢なになってしまっては、成がかなわないこともある、と戒められている。

 この義を拝された上で牧口先生は、肩書や社会的地位など、表面的な世法の次元にとらわれて、へつらったり、反対に威張ったりしては、法を下げることになる、と厳しく言われたのである。

 ゆえに、学会の中においても、幹部だから、社会的地位があるから、有人だからといって、その人に対して変に従順になったり、何も見が言えなくなるようではいけない。特別扱いの人を絶対につくってはならない。

「法」のために行動し、広布のために働く人が最も偉いのである。その人にこそ三世十方菩薩、諸天善神の賛嘆がある。この、学会の永遠の変わらざる精神を断じて忘れないでいただきたい。


【第11回関西総会 1989-10-12 関西文化会館


 殆どの会員は、幹部にものを言えない。遠慮しているとも考えられるが、最大の理由は「理論的な根拠が弱い」ことに尽きる。つまり、教学的な裏づけがなく、“自分の言葉”できちんと反論することが手なのだ。幹部が威張っているのか会員がおとなしいのかという問題は、鶏と卵のようなもので、どちらが先とも言いい。


 宗門問題については、関西で大事な指導がなされている。この指導もそう。権威に強い地域の代表といえば、大阪と東京下町だろう。しかしながら東京下町の場合、本気で上に文句を言うと飛ばされてしまう(笑)。その点、大阪を中とする関西の場合、学会本部が人事に介入する可能も低い。


 魚は頭から腐る。腐った部分を切り取らなければ、全身が腐敗するのは時間の問題だ。どんな立場であろうとも、この指導を実践できなくなった途端、「広布を阻む存在」となっていることを戒め合いたい。


 原島嵩は、理事長の子ということで特別扱いされた。山崎正友は、学会初の弁護士となって特別扱いされた。今だって、特別扱いされているのはたくさんいるだろう。おっと、具体的なことを書きそうになってしまった(笑)。危ない、危ない。


 幹部の子が幹部に、職員の子が職員になりやすいのは、多分、「組織の論理」を弁えているためだろう。「一々説明しなくても、わかってるだろ?」ってな世界だろう。ま、便利なんだよ。


 このままいけば、組織は自浄能力を失い、学会も内部告発によってしか不正を糾弾できなくなるだろう。最も不幸な結末である。

小田実氏(訂正版)


 いやあ、昨日の随筆にはたまげたよ(笑)。だってこの間、悪口を書いたばかりだったからね。聖教新聞社に電話しようかとったが、またぞろ怒鳴る羽目になりかねないので、ネットを調べてみた。


 あった、あった。大阪市議会の辻よしたか氏が書いていた。私が読んだのは、刊『文藝春秋』に掲載された「絶対帰依の美しさのなかで」という一文のようで、1964年10号のもの。先生と初めて会ったのが1974年だから、10年も経過していた。


 このテキストは、『お笑い創価学会 信じる者は救われない』(佐高信、テリー伊藤共著)でも引用されているというから、同書のデマは一段と高くなった。


 先生と会った小田氏ので何がどう動いたのか。興味を掻き立てられる。


 民衆の

  実(まこと)の響き

    君が


 小田氏と初めて会った際に、先生が贈られた一句である。市民運動に邁進する小田氏に対して、「民衆」と書かれたところに、先生の破折精神が垣間見える。

『池田大作の軌跡』第2巻 


佐藤●今、発刊された、池田先生の評伝『平和と文化の大――池田大作の軌跡』第2巻(潮出版社)が好評だ。


金沢●その通りだ。各界も絶讃しているようだ。芥川賞作家の又吉栄喜氏も賞讃していた。「真剣に生きた人生はドラマになる。引きずり込まれるように一気に読みました。生きる希望を与えられた」と語っておられた。


河西●外務省元主任分析官の佐藤優氏も述べている。ロシアについて描かれた章を読んだ所だ。「池田大作氏が日ソ(露)関係でまさにキーパーソンとして重要な役割を果たしていた事実が明らかにされた義は、とても大きい。私自身が目撃証人であるが、1991年4ゴルバチョフソ連大統領の訪日は、池田氏の尽力なくして実現されなかった」。明確に証言していた。


聖教新聞 2007-10-25

池田大作の軌跡 2―評伝平和と文化の大城 (2)

2007-10-28

1989年(平成元年)の指導について


 現在、「創価スピリット」で1989年の指導を丹に連載している。後世の歴史家が「創価ルネサンス」を総括する時、その幕開けは1987年(昭和62年)であり、本格的なスタートは1989年と綴ることだろう。


 日顕による宗門問題が起こったのは1990年(平成2年)の暮れであることから、万全の機根を調(ととの)える指導が織りなされた。基調となっていたのは、「権威に負けない人間」「三類の強敵に打ち勝つ信」である。


 1989年、私は副部長兼任の地区リーダーだった。振り返ると、この頃からややこしい問題と関わる機会が増えている(笑)。若く純粋な生命に焼き付けられた指導の数々は、今尚、記憶に新しい。殆どの指導を覚えていて、当時の熱気や、拠点の空気までもがい出される。さしたる力も経験もなく、ただガムシャラだった。ひたすら、先生の指導にしがみつくようないで戦い抜いた。これが私の人生の根っことなった。


 当時を知るメンバーが、先生滅後の学会を支える使命があると深く自覚しておきたい。


 学会は、信ではなく会則で「永遠の師匠」を定めた。これほど惰弱なことはない。私はの底から呆れ果てた。このままいけば、組織形骸化し、会合は会議となり、民衆のも知らぬ本部職員に牛られてしまうような学会になることを私は恐れる。そうなれば、多造塔寺堅固も同然だ。釈迦法が、形式化の波に飲まれて滅び去ったことを忘れてはならない。


 その一点にホシがあることを信じ、「会員を大切にする創価学会」を築くために私はキーを叩く。

200万ヒット達成


 こんな、むさしいところに、よくもこれだけの人が来てくれるものだ。100万ヒットが昨年の12月16日なので、平均すると一日3000アクセス。最近は5000前後。


 相変わらず少年部の比率が高くて、現在は6.7%(笑)。女子部の比率が、婦人部よりも少ないところから、ネットを活用できていない現実が浮かび上がってくる。


 今は5:30に起きて、昼寝を二度ばかり。蛇に追いかけられる夢を見て、うなされっ放し。昨夜から作り出したカレーを完成させ、舌鼓を打つ。夕方、かみさんから電話があり、「私のカレーを残しておいて! あのルウを選んだのは私だよ!」と泣き叫ぶ。食い地を張るレベルを軽く凌駕していて、「(ごう)」のようなものをじた。私は、「鍋は洗わないでおくから、鍋底を舐(な)めるがいい」と電話を切った(笑)。切る寸前まで、叫びが続いた。もうね、阿鼻叫喚だよ(笑)。フリーデンのスパイシーカレー(中辛)は、グリコのZEPPINカレーより美味である。その分だけ値段が高い。


フリーデン スパイシーカレー 中辛150g (4入り)

2007-10-26

「あの荒れ地の中に宝がある」


 こんな昔話がある。

 ――父の遺言で「あの荒れ地の中に宝がある」と、子達が聞いた。

 怠け者の子達だったが、“宝”が欲しいばかりに、毎日、一生懸命、荒れ地を掘った。人間は“宝物”に弱いらしい(笑い)。

 中々宝は出ない。しかし、真面目な父の言うことである。どこかにあるはずだ。

 こうして一年たった。いつの間にか荒れ地は立派に耕されていた。

 ある人がそれを見て、「こんなに見事に耕された土地なんてね、他にはない。どんな作物でもできるだろう。すごい財産だ」とほめた。

 子達は、初めて悟った。父親は、自分達に「労働」という“宝”を教え、土地を耕させるために財産の話をしたのだ、と。

 父の話は嘘ではなかった。探していた宝は、まさに“土の中”にあったのだ。

 父のがわかった子達は、謝しつつ、以来、いつまでも仲よく、栄えた――という物語である。


 この話からは様々な教訓が引き出せるとう。

 読書についていえば、“読む”ことも「を耕す鍬(くわ)」といえる。実は、本そのものの中に、知恵や幸福があるわけではない。本来、それらは全部、自分の中にある。

 しかし、読書という鍬で、自分の、頭脳、生命を耕してこそ、それらは芽を出し始める。

「文化」すなわち「カルチャー(culture)」の語は、「耕す」すなわち「カルチベイト(cultivate)」からきていることは有である。

 自分を耕し、自分を豊かに変えてゆく。そこに「文化」の基本がある。

 ともあれ、あらゆる賢人が読書を勧めている。人生の“実りの秋”に、大きな大きな精神の果実をつけるために、今こそ、あらゆる良書に“挑戦また挑戦”していただきたい。


【関西創価学園・第8回健康祭 1989-10-10 関西創価学園池田記講堂】


手塚治虫氏」に続く指導。


 先日、テレビでアジア学院のことが紹介されていた。アジアやアフリカから農村指導者を招き、有機農法を9ヶ間かけて実践的に教えている。そして、日本で学んだ彼等が、今度は祖国で農民に有機農法を伝えるのだ。それはもはや単なるノウハウではなく、“知恵”そのものである。


 空気が多く含まれるほど微生物が増え、土壌は豊かになる。堆肥やミミズも欠かせない。つまり、雑多な“生命の連環”が機能し始めて、豊穣な実りがもたらされるのだ。


 振り返ると、「昭和型の幹部」は農薬そのものだった(笑)。農薬幹部の指導が散布されると、微生物は死に絶え、害虫も近寄らない農作物は人体を侵(おか)した。見栄えのいい野菜は、おしなべて水っぽくて味が薄かった。そんな活動家が多かったよ(笑)。


 土壌が豊かな組織とは、端的に言えば「出たり出なかったりする人が、たくさんいる組織」だとう。内外に限らずだ。活動家と未活動のメンバーがきっちりと色分けされている組織は、“農薬&化学肥料型組織”といってよい。人間を2色にしか分けることができないのは、どう考えても不健康だ。白と黒しか存在しないのだから。色とりどりの人材群がいて、百花繚乱の功徳の花が薫るのだ。


 読書も同じだ。雑多な知識と小さな動が、自分自身の経験と複雑微妙に絡み合って“連環”を形成する。その積み重ねが、“魅力的な対話”という果実をもたらすのだ。人々の興味を掻き立て、目を集めることがなければ、ま、「雄弁」とは言えませんな。

2007-10-24

資本主義の論理(あるいは成果主義)が間違っている理由


 これは簡単な話だ。資本主義の論理でいけば、詐欺や犯罪で儲けることができれば正当化されてしまう点である。資本主義で問われるのは、飽くまでも「コストとパフォーマンス」なのだ。つまり、「楽して金を儲ける」のが理となる。かような基準の世界では、「労して損をする」ことが最も反価値とされる。


 犯罪の場合、コストパフォーマンスはいいのだが、リスクが高過ぎる(笑)。往々にして、人生を棒に振る結果となる。世の中に完全無欠なものは存在しないから、「完全犯罪」という言葉は存在するが、その実体はないと言い切って構わない。


 犯罪が許されるのは、より大きな悪を対治するケースのみであろう。例えば、囮捜査など。囮(おとり)ってえのあ嘘なんだから犯罪が高くなるのは至極当然話だ。


 成果主義というのは、資本主義の論理に則っており、内容はどうあれ、報告すべき数字が求められる。例えば、労を重ねて劇的に決まった本尊流布と、犬小屋に御安置された御本尊とは、同じ得点となってしまう(そんな例がないことを信じたい)。


 もう少しまともな例を示してみよう(笑)。昔であれば訪問座談会というのは、座談会に参加できなかった方のお宅を訪ね、壮婦の地区幹部以上、あるいは男女の部幹部以上が御書講義をして報告対象となった。今時は、道端で擦れ違っただけでカウントしている奴がいるよ(笑)。たとえ、その道路が6車線あったとしてもだ。


 組織革命を手っ取り早くするためには、報告内容を検討し直す必要がある。賛成の人は、パソコンの前で挙手して欲しい。


 ハイ、じゃ、賛成多数ということで可決(笑)。手を挙げなかった貴様は、学会の少数派であることを知れ!

2007-10-23

手塚治虫氏


 日本を代表する漫画家に手塚治虫氏がいる。「日本人は、なぜこんなにマンガが好きなのか?」と聞かれて、「外国には手塚治虫がいなかったからだ」と答えた人がいる。それほど手塚氏の「パイオニア」としての存在は大きかった。

 氏は、本年2死去。60歳であった。潮出版社の『コミックトム』にも、ベートーベンの電気をもとにした『ルードウィヒ・B』を連載中だった。

 彼は関西出身である。昭和3年、大阪の豊中(とよなか)市に生まれた。3歳頃、兵庫の宝塚市に移る。小学校は池田市の師範附属小学校。

 学園生にも電車通学が多いが、彼も宝塚から池田まで電車通学であった。その間、いつも本を読んでいた。

 彼はマンガも好きであったが、徹底した“本の虫”でもあった。文学の全集や科学の本など片っ端から読んだ。後年も、この“本の虫”は続いた。

 世界にを成した人の多くは、青春時代に読書にいそしんでいるものだ。彼の厚みのある作品は、こうした読書体験が背景にある。

 勉強も抜群の成績であった。大阪大学医学部を卒医学博士でもある。

“マンガ”のパイオニアも、マンガの中から生まれたのではない。読んで読みまくった「本の世界」から生まれたのである。

 また、彼は小学生時代、マンガを読む時も、常に他のものと比較し、批判し、研究しながら読んだという。


【関西創価学園・第8回健康祭 1989-10-10 関西創価学園池田記講堂】


 豊中には、私がお世話になっている同志がいるので紹介させてもらった(笑)。


 漫画は私もよく読む。生まれて初めて買ったのは、『トイレット博士』である。小学校2年の時だった。さすがに、「『ハレンチ学園』を買って欲しい」とは母親に言えなかった(笑)。


 それ以降、『アストロ球団』、『おれは直角』、『男組』と成長の足跡を刻んだ。ストーリーを重んじる格なので、『爆風スランプ』の類いは読んでない。その上、小学生の頃から反権力的な体質が強かったため、漫画週刊誌は『ジャンプ』を避けて、『マガジン』『サンデー』を好んだ。


 高校生となり、私の歩みは少女漫画の山なみに向けられた。諸君、像して見給え。男子校の運動部に所属する坊主頭が、『別冊少女マーガレット』を真剣に読む姿を(笑)。くらもちふさこの『いろはにこんぺいと』が連載中だった。私はひと目で、クンちゃんとチャコの虜(とりこ)になった。


『ガラスの仮面』『生徒諸君!』『パタリロ』『エースをねらえ』も読み漁った。私の情緒の50%は、少女漫画によって形成されたものだ。


 漫画は日本の秀でた文化である。教育現場に、漫画とゲームの要素を取り入れれば、絶大な効果があることだろう。

世の中、偽装だらけ……


 いやあ凄いことになってますなあ。耐震構造偽装に始まり、牛肉(ミートホープ)・鶏肉(比内地鶏)・洋菓子(白い恋人)から和菓子(赤福/オオ、漢字変換できる!)など食品表示の偽装、偽装殺人に至るまで、世の中は偽装だらけだ。自衛隊のインド洋での給油量も偽装と言えそうだ。プロボクサーの亀田大毅選手も、何となく偽装っぽい(笑)。


 人の命や健康に関わる事柄は、速やかに解決してもらいたいが、それ以外はあまり目くじらを立てる必要はあるまい。赤福の和菓子を食べて、お腹をこわした人っているのかしら?


 よくよく考えると、偽装というのは人類の文化である。女の化粧に始まり(笑)、カツラ、シークレットブーツ上げ底しているヤツね)なんかが、その典型だろう。服装全般も偽装だな。アルマーニのスーツでりゅうとした身なりをしているサラリーマンなんぞは、さしずめ「虎の威を借る」と言えそうだ(笑)。


 これらはまだ序の口だ。コスプレなんぞ、全身これ偽装ずくめである。もっと凄いのは、整形・豊胸手術・脂肪吸引の類いであろう。既に肉体がコスチュームと化している。偽装の究極は多重人格かもね。


 学会にも偽装が多いね。成果の報告なんて、かなりデタラメだろう(笑)。対話数に至っては、野良猫と話しても報告に加算されている気がする(笑)。一番多いのが、「戦ってるフリ」だね(笑)。やめろやめろ、そんな信は。自分に嘘をついている人間には、絶対に功徳が出ない。「広布の営マン」とづけておこう。

2007-10-22

『仏教のなかの男女観 原始仏教から法華経に至るジェンダー平等の思想』植木雅俊


 読んだのは二度目である。税別で7000円するので、何度も読んでおかないと損をしてしまう(笑)。「そんなに高い本があるとは……」というが聞こえてきそうだが、実は安いのだよ(笑)。


 例えば、『漢訳対照 梵和大辞典』は25200円で、『パーリ語辞典』は4725円である。これらの辞書を買う可能は皆無どころか、マイナス200%程度の確率であろう(笑)。私だって、今初めて見たぐらいである。


 この本は、植木雅俊氏の学位論文(お茶の水女子大で、男としては初の人文科学博士となった)を加筆補正したもので、サンスクリット語パーリ語の原典をつぶさに探究した労作なのだ。引用された著作や論文を考慮すれば、きっと「ジャパネットたかた」の社長も、電子辞書と同程度の気合いを入れて販売しようとするだろう(笑)。


 次に、ジェンダー論というものに私は全く興味がない。「女差別するな!」というを聞けば、私は「ケッ、女子供に何ができるって言いやがるんだ!」とすかさず言い返すタイプの男だ(笑)。というよりも、むしろ「差としての女」という存在は、単なる幻だとっている。大体、「女人権」と聞いて、ジャガー横田やギャル曽根像する人は一人もいないはずだ。つまりそこには、「か弱い存在としての女」(出来たら、なるべく美人で若い方が望ましい)という勝手ない込みが隠されているのだ。ざまあみろ、私の勝ちだ(笑)。


 ところが、本書を二度ばかり読んで、私のジェンダー嫌いは呆気(あっけ)なく敗北を喫した。植木雅俊氏が本書で取り上げたテーマは、「差別の代表としてのジェンダー論」であったのだ。人類史には様々な形をした差別があったが、その中で最も伝統的かつ一般的な差別であるジェンダー(差)を通して、教の平等のを見事に宣揚している。


 フェミニズム(男女同権主義)理論は喧(やかま)しい。ゲバ棒を振り回す学生の議論にどこか似ている。どうも、「始めに理論武装ありき」といった印象を受けてしまう。


 フェミニストは叫ぶ。「『変成男子』という自体が、既に差別である」と。原始典では、あからさまに「皆の目の前で竜女にはオチンチンが生えました」と記述しているそうだよ(笑)。


 著者は用周到にじっくりと確実に切り込んでゆく。私は、スローモーションでギロチンが落下する様を見ているような印象を抱いた(笑)。原始典から釈尊を学んだ著者は返す刀で、教学者の菅野博史氏や平川彰氏まで斬り捨てている。


 後世の教に盛り込まれた女差別(五障三従など)は、教の権威化を画策する手合いによるものだった。差別というものは一旦でき上がると、すかさず進化し、細分化する運命にある。インドのカースト制度は3000もの階層があるという。最低の階層は放っておくと暴動を起こしかねない。だから、日本においても士農工商の下に「エタ、非人」を設けた。


 まあ、男女平等と言ってみたところで、実際は“かかあ天下”のお宅の方が多いだろう。特に学会は(笑)。奥方と戦うためにも本書をしっかり学ぶべきである。


 植木雅俊氏や山中講一郎氏の著作は、末法における大乗運動を促す画期的な教学研鑚であり、孫子の代まで伝えるべき代物である。


 蛇足になるが、気づいた誤字を挙げておく――

  • 供儀→供犠(24ページ1行目、19行目)
  • 依り所→拠り所(31ページ)

仏教のなかの男女観―原始仏教から法華経に至るジェンダー平等の思想

2007-10-21

昨日、10.20


 毎年書いているが、初の小選挙区で大敗を喫した日である。大量の酒を呑んで、悔しさを誤化した次第である。私にとっては祟(たた)りの日だ。後輩が亡くなった222日と共に、生涯忘れることはないだろう。

学会幹部は世雄たれ


 組織で訓練を受け、社会で使命を果たしてゆく。これが基本である。学会幹部は世雄(せおう)でなくてはならない。しかし残なことに、まあ世間知らずが多いね(笑)。例えば、「米国のサブプライムローン問題」を説明できる本部長が果たして何人いるだろうか? 試しに訊いてごらんよ(笑)。「風が吹けば桶屋が儲かる」という。社会の因果関係を巧みに説き明かし、そこに法哲理を打ち込んでこそ、学会幹部といえよう。


 例えば、小麦の高騰である。原油先物が高くなることによって、エタノールの原料であるトウモロコシも連れ高となる。このため、世界中の農家がトウモロコシの栽培に力を注ぐあまり、小麦の作付面積が減ってきているのだ。受給のバランスが崩れ、品薄状態となれば高値になるのが当たり前だ。


 更に本質的な問題は、実体経済を金融経済が上回る資金量となっていることである(2003年時点で3.6倍)。近頃では、ヘッジファンドよりも政府系ファンドの動向に注目が集まっている。


 米国はこれから、日本の大企の買収に取り掛かることだろう。貿易赤字を買収によって緩和する魂胆である。これを可能にしたのが、今年導入された三角合併である。


「世界は経済によって統一されるであろう」とは戸田先生の教え。世界の現状は、経済戦争に傾きつつある。日本は金融後進国だ。今誕生した「ゆうちょ銀行」のマネーは、そっくり持ってゆかれることだろう。

守屋前防衛次官:ゴルフ交際の山田洋行、防衛省OB丸抱え


 防衛省の守屋武昌・前事務次官(63)とのゴルフ交際が明らかになった防衛専門商社「山田洋行」(東京都港区)の元専務(69)が、同省幹部OBの天下りを積極的に受け入れていたことが分かった。同社元幹部によると、多い時で8人前後に達し、同省幹部の家族の採用にも力を入れていた。民主党の東祥三・元衆議院議員(56)も顧問として採用しており、高額の受注を維持してきた裏で行われた政官界対策の一端が浮かんだ。


 同社元幹部によると、元専務は人事を含む実務の一切を取り仕切っており、150人程度の社員数(05年当時)に対し、多い時には8人前後の同省OBを顧問として受け入れていた。別の商社幹部は「規模に比べOB採用数は多い」と言う。


 同社に天下りした複数の同省OBによると、通常は退官時と同程度かそれ以上の給与が支払われ、将官クラスなら個室もある。大半は週2、3回の出勤で、務はほとんどないが、同省が導入予定の装備品に関する情報入手や、同省に営をかける際のアドバイスを求められるという。


 同社顧問を務める同省OBは「会社の仕事には直接はタッチしない。出勤したらパソコンでメールをチェックする程度」と話し、別の元顧問は「個室に電話もコンピューターもあるので、好きな時に好きなことをしていた」と明かした。


 OB採用は、グループ会社でも行われ、元専務は同省幹部の家族ら親族の採用も指示。元社員は「お金を渡すと贈収賄になるが、身内の採用は問題ない。貸しを作っていたように見えた」と語る。一方、元専務は「受け入れはお付き合い。OBには役所にあいさつに行く時、口添えしてもらう程度」と説明した。


 東元議員は、政治家の紹介で10年ほど前に顧問に就任。12日、取材に「政治活動の報告や世界情勢の分析が私の仕事。将来、私が力を持てば便宜を図ってもらいたいという企理はあるとう」と話した。


 東元議員は元国連職員。90年に公明党から衆院選(旧東京6区)に出馬・当選し、4期(4期目は自由党、後に民主党)を務めたが03年、05年の衆院選で落選した。


【毎日新聞 2007-10-21】

2007-10-18

星落秋風五丈原の心


孤忠の胸ひとつ」――この気概を持つ青年が、まだ残っていた。

創価大学最高栄誉賞


本社多田社長らに創価大最高栄誉賞


 創価大(東京・八王子市)は6日、文化の向上などへの尽力があったとして西日本新聞社の多田昭重社長ら5人に最高栄誉賞を授与した。民間企経営者らを対象にした同賞は2001年に設けられ、これまで、マスコミ関係7人を含む46人が受賞している。

 今回の他の受賞者は、大成建設会長の葉山莞児氏、三菱製紙社長の佐藤健氏、日本IBM最高顧問の北恪太郎氏、税理士の佐藤秀一郎氏。


【西日本新聞 2007-10-07】

2007-10-17

大草一男は「紀元会」を盲信していた


妙観講は淫祠邪教に染まった者の吹き溜まり


身延の僧「日如は親の仇も討てないダメ男」


【『フェイク』第864号 2007-10-16】


 日顕宗の法華講大講頭で、妙観講の講頭・大草一男が、若い頃にはまっていた邪宗教が「紀元会」(大和神社)である。この邪教は先日、リンチ殺人事件を起こして長野県警小諸署捜査本部によって15日、15歳から80歳までの女信者21人が傷害致死容疑で逮捕された。


 紀元会は、長野県小諸市に本部を置く邪教団体。井健介という香具師昭和45年(1970年)に設立。京都や群馬など10ヶ所に拠点を置き、現在、信者は約400人といわれている。「紀元水」という、いかがわしい水を飲むと不治の病が治るなどと宣伝していた。


 小諸市の隣の佐久市内で、子どもができないことに悩んだ母親が「お百度参り」をして産まれたのが大草一男である。長じるにつれて、生来の香具師体質が増長し、大和神社の教祖と感応した。


 高校生の時から、この設立されて間もない怪しげな宗教に入れ込み、杉並区内の学生寮で、同じ寮生たちに「これは、長野の大和神社という霊験あらたかな宗教のありがたい水だ。えらい利益があって、効き目があるから飲めよ」と皆に勧めていた。


 ところが、差し出されたビンの底には黒いものがたまっていて、見るからに水が腐っているようだった。


 それで、気味悪がって、だれも飲もうとしなかった。すると、大草は「じゃあ、俺が飲んでやらあ」と言って、ゴクッ、ゴクッと飲み干した。


 それから、下痢と嘔吐で、数日間、大草が七転八倒のしみを味わったことは言うまでもない。


 大草が教祖から聞いた話といって、周囲に吹聴していたのが「天の川というのは本当にあるんだ」という与太話。


「その証拠に、教祖が夢の中で天の川を渡る夢を見て、起きたら、腰から下がビッショリと濡れていたんだ」と、大草は大まじめに語っていたという。


 普通に考えれば、変な夢を見て、お漏らししたにすぎない現象が、大草にとっては「天の川に水が流れている」証拠になってしまう。


 こんな頭の程度だから、芸者写真はクビのすげ替えだの、シアトル事件はなかった、正本堂の大理石が腐食していた等々と「妙」で、大嘘のキャンペーンばかり張って、宗門の足を引っ張ってきたのである。


 大草は学会の婦人部に折伏されて入会したが、学会の清らかな世界に水が合わず、一年足らずで脱会し、法道院から理境坊へと流れていったのである。


 現在の妙観講は、統一教会の霊商法にはまって、鮮の高僧の霊が宿っているという壺を磨き続けた支部長、妹が高稲荷に取り憑かれていた支区部長、大和神社の「紀元水」に凝っていた講頭など、淫祠邪教に染まっていた人間の吹きだまりとなっている。


 宗内でも異端視され、毛嫌いされているのは、この辺の臭みが本能的に察知されているからかもしれない。


 先日、身延派の僧が、こんな話をしていた。「大石寺の日如はダメな男だ。妙観講の大草は大講頭になってのさばっている。いくら隠尊の日顕がいるとはいえ、自分の父親の早瀬日慈(故人)をしめた大草らに対して、仇討ちすら出来ないとは余りにも情けない」と。

プロの文章


 まあ、素人の私如きが褒めても東氏は喜ばないだろうが……(笑)。東晋平氏は、山下京子さんの著作に関わってきたフリージャーナリスト。実は一度会ったことがある。

『国家の自縛』佐藤優


 この本で、池田・ゴルバチョフ会談の舞台裏が紹介されている。著者の佐藤優氏は、「外務省のラスプーチン」と呼ばれた実力者だった。以下のページも参照されよ――

国家の自縛

映画『蒼き狼 地果て海尽きるまで』

 見てもいないクセにレビューを書くことを許されよ(笑)。別のテレビCMに、チンギス・ハーンが女を尊重するシーンがあった。これだけで見る価値はないと断言してよい(笑)。モンゴルを中としたアジアには、チンギス・ハーンと同じY染色体を持つ男が1600万人もいるのだ。史上空前の強姦と指摘する学者もいる。


 しかしながら、井上靖氏の『蒼き狼』は傑作である。地涌の菩薩の使命について、深く考えさせられる。日蓮聖人が生まれた時、チンギス・ハーンはまだ生きていた。


蒼き狼 (新潮文庫)

2007-10-16

本部幹部会再放映に参加


 仕事の都合で本日の参加となった次第。血沸き肉躍る言葉に終始、圧倒された。広布第二幕は、過去の“師弟観”から脱却する必要あり。幹部の下で戦っている内は官僚である。全軍が師匠に直結する“新しい創価学会”の構築が求められているのだ。師の金言に違背する者は、次々と落伍する時代となった。

イラク特措法(新テロ法案)〜インド洋給油問題から見えるもの


 時事通信社が13日に行った世論調査の結果が以下――

  • 賛成 43.7%
  • 反対 28.0%
  • わからない・その他 28.4%

 公明党支持層の反対はわずか3.8%で、共産党支持層は63.0%が反対と答えている。どうやら、政治問題から政党間問題へと変わり始めたような印象を受ける。私は断固反対の立場だ。


 アメリカという国は、経済政策として戦争を行ってきた。そもそも、9.11テロ自体に数多くの疑惑が投げかけられており、ニューヨークの世論調査でも「政府はテロ発生が近づいていることを知りながら、故意に防止策を怠った」と答える人々が49.3%もいるのだ。


 なぜ、無料でアメリカの船舶に給油をしなければならないのか? また、既に100億円とも200億円とも伝えられているが、その油はどこから購入しているのか?


 米国防総省の一部門が発注した油を、米政権中枢とつながる企と関連の深いバーレーンの国営製油所が生産し、自衛隊がインド洋上に運んで、アメリカなどに無償で給油している可能がある。

【週刊日 2007-10-19号】


「企」というのがシェブロン社で、ライス国務長官が2001年まで役員を務めていた

 時事通信社の世論調査に答えた“公明党支持者”は、このような事実を知っているのだろうか? 「日本へ輸送している原油タンカーを守ってもらっているのだから」という見もあるが、アメリカの肩を持てば尚更標的になる可能が高まる。


 エドワードリンカーン氏(モンデール駐日大使の元特別補佐官)は、「給油活動はアフガニスタンでの対テロ戦争関連任務であるとはいえ、ブッシュ政権を支援するのは破綻したイラク政策を支持することと同義だと見られている。アフガン復興を支援するなら他に方法があるとう」と述べている。(日本経済新聞 2007-09-28)


 こうしたことから見えてくるのは、日本に本物の政治家もいなければ、まともなジャーナリズムも存在しないという事実である。


「インターネットはダメ」なんて言っている頭の悪い婦人部幹部がいるが、既にネットを駆使できるかどうかによって“情報格差”が生まれていることを弁えるべきだろう。


 公明党が政権与党となってから、何度も“複雑な合”を強いられてきた。学会幹部の多くは、政治の質問をされたらお手上げ状態だろう(笑)。挙げ句の果てには、「公明党本部に電話をすればいい」と責任を放棄する始末だ(笑)。


 末端の会員は、信の二字で我慢に我慢を重ねている。幹部革命なくして、次の大いなる勝利を勝ち取ることはできない。


【追伸】「インド洋」と政府は言っているが、実際はペルシャ湾の入り口に近い場所で給油を行っている。


9・11―アメリカに報復する資格はない! (文春文庫)

2007-10-15

国、和解協議に前向き姿勢 大阪高裁C型肝炎訴訟


 出産時の止血剤などで血液製剤を投与された後にC型肝炎ウイルスに染した患者が国と製薬会社に損害賠償を求めている「薬害C型肝炎大阪訴訟」で、国は15日、大阪高裁の和解提案に前向きに応じる考えを同高裁に口頭で伝えた。患者側は同日、和解案を書面で提出し、国側も今後の協議次第で案を示すとみられる。全国で患者170人余りが係争中の集団訴訟で和解に向けた動きは初めて。だが、謝罪や賠償を求める患者側と法的責任を認めない国との隔たりは大きい。


 この日、舛添厚生労働相は東京報道陣に「大阪高裁の求めに応じ、国の考えを伝えた」と述べた。具体的な内容については「話を前に進めるためにも外に出さない」と明らかにしなかった。厚労省内部などには和解に慎重なもあり、調整は航が予される。


 一方、原告13人が総額約8億円の賠償を求めている患者側は、和解案の骨子を高裁に出した。高裁の要望で具体的内容は明らかにしなかったが、これまで原告側は、国の法的責任▽原告全員への賠償▽患者への恒久対策などを求めており、和解案もこれに沿った内容を盛り込んだとみられる。


 他方、今1日に三菱ウェルファーマ(旧ミドリ十字と合併)が田辺製薬と合併して発足した被告の田辺三菱製薬(大阪市)は高裁の和解提案に対し、代理人弁護士が「発足直後で回答はしい」と高裁に伝えた。和解案を出すかどうかは「引き続き検討する」としている。


 大阪高裁の横田勝年裁判長は先14日の口頭弁論で「和解による解決を望みたい」と述べ、少しでもまとまる可能があれば和解勧告する方針を表明。今15日を期限とし、当事者双方に和解案の提出を求めていた。


 C型肝炎をめぐる集団訴訟は、血液製剤を投与された患者らが、ウイルス染は国の対策が遅れたためだとして5地裁に提訴。先の仙台地裁を除き、大阪、福岡、東京、古屋の4地裁が国の責任を認め、原告患者が勝訴している。控訴した国は各地の控訴審で、改めて「法的責任はない」と主張して争っている。


日新聞 2007-10-15】


 C型肝炎訴訟の被害者は、輸血や血液製剤(出産や手術の際の止血剤)によって染した。何の罪もないのは当然である。患者の方々が訴えた裁判は、4勝1敗の結果となっている。ところが国は控訴を行って、被害者救済を遅らせているのだ。そして、いまだに国の責任を認めてないのである。こんな馬鹿馬鹿しい話があるだろうか。国家には、国民の生命と財産を守る義務があるというのは、最早まやかしといってよい。


 公明党のサイトを見たところ、「C型肝炎」での検索結果は7件しかなかった。


 この国は国家の体(てい)をなしてない。法治国家とすら言いい。国に対して不利な判決を下した裁判官は、地方へ飛ばされることが通例となっている。しかも、裁判所は年々減っているのだ。

上司の暴言と自殺の因果関係認める 東京地裁判決


 上司から「お前は給料泥棒だ」「目障りだから消えてくれ」などと言われ続けた会社員が自殺した。暴言が自殺の引き金になったかどうかが争われた訴訟の判決で、東京地裁は15日、自殺と暴言との因果関係を認め、会社員の死を労災と認める判断を示した。渡辺弘裁判長は「理的負荷は、人生でまれに経験する程度に強度だった」と指摘した。被告の国側は「自殺務によるものではない」と主張していた。


 原告側によると、パワーハラスメント(職権を利用した嫌がらせ)を原因とする自殺を労災と認めた司法判断は初めて。代理人弁護士は「これまで上司の暴言も『指導上の範囲だ』とされ、労災認定から放置されてきたことに一石を投じる判決だ」としている。


 03年3自殺した医薬品販売会社「日研化学」(現・興和創薬)の男社員(当時35)の妻が、労災に対する給付金を不支給とした静岡労働基準監督署の処分を取り消すよう求めていた。


 判決などによると、男は静岡県沼津市などで病院への営などを担当。02年4に営成績の改善を図るために赴任した係長が、同年秋ごろから男に暴言を浴びせたほか、相談に応じないなどのパワーハラスメントを繰り返した。


 渡辺裁判長は、係長が「お前は会社を食い物にしている。給料泥棒だ」「存在が目障りだ。お願いだから消えてくれ」「車のガソリン代がもったいない」「どこへ飛ばされようと、おれはお前が仕事をしないやつだと言いふらしたる」などと発言したと認定し、「言葉の内容自体が過度に厳しい」などと指摘。男が暴言をきっかけにうつ病を発症し、正常な認識や判断力が低下して自殺に及んだと認めて不支給処分を取り消した。


日新聞 2007-10-15】


 学会は社会の縮図である。だから、必ず同様の問題が起こると予言しておこう。学会幹部からパワハラ行為を受けている人は、きちんと記録を残しておくこと。


 このニュースで最も不可解なのは、自殺との因果関係を認めながらも、加害者が傷害、あるいは傷害致死で起訴されてないことだ。一体全体、法律ってえのあ、どうなってんのかね?

小諸の女性死亡は宗教法人施設での集団暴行


 小諸市荒町2のすし店で9下旬、経営者奥野元子さん(63)が家族に暴行され死亡し、家族4人が逮捕された事件は、小諸署などのその後の調べで、同市内の宗教法人「紀元会」の施設内での信者らによる集団暴行だったことが15日、分かった。

 県警は同日、同署に捜査員400人態勢の捜査本部(本部長・吉沢敏彦刑事部長)を設置し、傷害致死容疑で同会施設の強制捜査を開始した。同会幹部や信者ら十数人を任同行し、事情を聴く方針。

 事件は925日未明、市内の病院からの通報で発覚。同署などは、奥野さんの夫(35)と長女(37)、二女(26)、二女の夫(30)の同居家族4人から事情を聴いた上で、4人が奥野さんに暴行して死亡させたとして、傷害容疑で逮捕し、傷害致死容疑に切り替えて送検していた。

 だが、その後の調べで、すし店で奥野さんに暴行した――との4人の話が作り話だったことが判明。奥野さんを含む家族5人は同会信者で、実際には奥野さんが同会施設内で、信者ら約20人に集団暴行されたことが分かった。

 同会施設はすし店から約1.5キロ離れた場所にある。県警は捜査車両約50台、捜査員100人以上を動員。午前7時ごろ施設内に入った。


【信濃毎日新聞 2007-10-15】


 宗教には、人間を盲目にする側面がある。常識と知を重んじているかどうかが問われる。会員が口を閉ざし、を閉ざしているとすれば、学会組織であっても邪宗教だ。誰人が参加しても、楽しく自由に語り合うことが出来て、普通の組織といえよう。常識を無視した途端、狂気が芽生える。

最高幹部殿御返事


 最高幹部は未活動のメンバーの家を回れ。文句ばかり言ってる会員を訪問せよ。そして、会合の入場券を配布し、民音のチケットを購入し、党員となって党費を払い、聖教新聞の配達をしろ。


 それが出来たならば、少しぐらい信用してあげてもいいよ(笑)。

創価学会会則はコンプライアンスである


 企コーポレートガバナンスの一環として、コンプライアンス(法令遵守/ほうれいじゅんしゅ)という概が生まれた。簡単に言えば、「企活動をしてゆく上で、世間様にはご迷惑をお掛けいたしません」との表明である。


 創価学会の会則第14章第72条にはこうある――


 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除の処分を行なうことができる。


 これこそ、会則がコンプライアンスである証拠である。「上」が「下」を処分するという一方的なものとなっており、「下」から「上」を処分する“弾劾規程”が欠けているのだ。


「犯罪者を首にする」というのは企の論理である。競争原理に対するマイナス要因を削除するということだ。逆から考えると、「創価学会に入会するには資格を必要とする」ことになる。つまり、社会から爪弾きにされる人は、御本尊を信じることも許さないし、妙法を唱えることも認めないと言っているようなものだ。“幸福になる権利を奪う創価学会”って一体何なのさ?


 釈尊日蓮聖人が、信を求める人を拒絶した史実はあるのだろうか? 現在の会則は、あまりにも政治的色彩が強過ぎる。

2007-10-14

正木理事長殿御返事


 本部幹部会における正木理事長の指導について――


 まず、本気で言ってるように聞こえない。学会本部が本気であれば、会長指導として行った上で、具体的な窓口を設けるはずだ。ところがいまだに、指導監査委員会が設置されているのは方面単位である。方面というのは、都道府県よりも大きな範囲だ。ということは、小さな問題は挙げて欲しくないというを表明したも同然である。


 つまり単なる宣伝工作であり、その本質は、全国から寄せられるおびただしい数の情に対するガス抜きを目的にしている可能が高い。


 私の元には、全国各地から様々な相談が寄せられているが、方面レベルでも判断がつかず、学会本部に指導を仰いでいる地域もある。「判断できない」というのは、「判断を避けている」だけであり、責任を放棄しているのだ。


 日本の権力構造にメスを入れたジャーナリストとして勇を馳せたのは、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏。彼が糾弾したのは、日本の権力者に「責任がない=権力がない」ということであり、権力構造がシステム化しているという事実であった。


日本 権力構造の謎〈上〉 (ハヤカワ文庫NF) 日本 権力構造の謎〈下〉 (ハヤカワ文庫NF)


 実は、学会の役職もこれと大変似通っていて、「権力=幹部による自己決定権」があるようでないのが現状だ。


 端的に言えば、権力とは金と人事の決定権である。わかりやすい例を挙げると、組閣の場合、首相が全ての人事を掌握する。ところが学会の場合、新任幹部は選出されるだけで、全く人事権がない。つまり、他人が決めた組織で指揮を執る羽目になるのだ。また、本部長の人事権が地区部長以下に限られていることを踏まえると、平均的な組織(4支部4地区)においては16分の1以下の権力しか持たされないのである。


 問題のある幹部がいれば、正木理事長に手紙を出してみることを勧めておこう。その結果次第で本気度が判るというものだ。多分、返事も来ないとうけどね(笑)。


 私が知っている全国各地の問題も、一度報告書を提出しようと考えている。

『Change Is Gonna Come』


字の言


▼最近発売されたCDを聴いて驚いた。「チェンジ・イズ・ゴナ・カム(変革の時は近い)」。人種差別に抗議する黒人たちを写した報道写真が付いていた。首には「私は人間だ!(アイ・アム・ア・マン)」と書かれたプラカード。横には、軍用装甲車の上から、彼らを機関銃で狙う白人兵士たちの姿。40年前のアメリカの現実だ▼1963年、公民権運動の結果、法の上での黒人差別は終わったかにみえた。しかし、猛烈な逆風が吹く。キング博士は暗殺。運動のリーダーたちの多くが投獄、暗殺された。その「逆風の時代」に歌われた歌を集めたCDだ▼ジェームス・ブラウン、オーティス・レディング等、世界的歌手がずらりとならぶ。「変革の時は近い!」「真の革命はテレビでは報道されない!」。数々の世界的大ヒット曲の内容は、このような烈火のごとき言葉の連続だったのか、と不明を恥じた▼逆風に抗し、差別や暴力への怒りを、語り歌い続けた不屈の魂。それが歴史を大きく変えると同時に、「ソウル」という音楽の一大ジャンルを作った▼暴力と対立が横行するかにみえる現在の世界。しかし、あきらめず、を上げ続けたい。信仰者としての、その不屈の魂こそ、永遠の変革の源泉といえよう。(哉)


聖教新聞 2007-10-14】


 プロパガンダ色の少ない、まともなコラムだ。書き手の動を率直に綴っているためだろう。「仕事で書いている」聖教記者の顔ではなく、個人としての人間の顔が窺えて好ましい。い返せば、ネルソン・マンデラ氏の解放をいち早く叫んだのもミュージシャン達だった。私が氏の前を知ったのは、ファン・ボーイ・スリー(ザ・スペシャル・AKA)というバンドの「ネルソン・マンデラ」という歌だった。


Change Is Gonna Come: The Voice of Black America 1964-1973 

「臓器移植法改正案」与党合意へ


 自民党の二階俊博、公明党の漆原良夫の両国会対策委員長24日、国会内で会談し、議員提案されたままになっている2本の臓器移植法改正案について、今国会で採決することで合した。衆院厚生労働委員会の下に、両案を集中的に審議する小委員会を設置。見集約を図ったうえで、党議拘束を外して採決するとしている。


 現行法は臓器移植をする場合に限り、脳死を人の死と認める。臓器提供者は15歳以上とされているが、これに対する改正案は、


 1.脳死を一律に人の死とし、15歳未満の臓器提供や本人の拒否がない場合の家族同による臓器提供を認める。

 2.現行法の枠組みを維持し、表示を認める年齢を現行の15歳以上から12歳以上に引き下げる。


 の2案が提出されている。


 衆院厚生労働委員会はこれから社会保険庁改革関連法案の審議に入る。その先には雇用関連法案の審議も控える。このため、委員会の自民党議員からも「いくら小委員会を設けても、この日程ではしい」とのが出ているほか、民主党理事は「国論を二分する問題であり、1週間程度審議して採決するような話ではない」と反発している。


日新聞 2007-04-24


 チト、古いがご勘弁を。選挙に紛れて、こんなニュースがあった。公明党の全議員はまず、福岡伸一氏の『もう牛を食べても安心か』を一読するべきだ。更に、『セカンドブレイン 腸にも脳がある!』(マイケル・D・ガーション)も読んでもらいたいね。


 脳死は、法上の定義すらしい問題である。また、脳死認定の目的が臓器移植にあるため、問題を複雑にしている。不可逆(再び元の状態に戻れないこと)が必ずテーマとなるが、脳死を認めれば「治る見込みのない患者は死んだ方がまし」という風潮を生みかねない。


 ドナー(提供者)の臓器を待ち望む患者の方々は、知らず知らずの内に「他人の死を願う」ようになってしまうことも見逃すわけにいかない。


 進化の過程を無視することによって、必ず何らかのツケが回ってくるような気がしてならない。


セカンドブレイン―腸にも脳がある!

リハビリ難民・介護難民の声を募集


 遂に、私の地区でリハビリ民が出てしまった。リハビリの担当医が語気を強めて、「とにかく、今の与党ではダメだ。次の衆院選で野党を勝たせるしかありません」と語っていたそうだ。リハビリを打ち切られる多数の人々を目の当たりにし、凄まじい怒りが病院内に充満していたとのことだった。


 というわけで、リハビリ難民介護難民を募りたい。法改正の問題点、賛否の見も受け付ける。以下のフォームから――

 ちなみに、各政党のサイト内検索の結果は以下の通り――

  • 公明党/リハビリ民=0、介護民=0
  • 自民党/リハビリ民=0、介護民=0
  • 民主党/リハビリ民=0、介護民=6
  • 共産党/リハビリ民=4、介護民=54
  • 社民党/リハビリ民=0、介護民=9

 与党サイトの検索結果がいずれも「0」というのが、何とも象徴的である。

2007-10-13

路上生活児からノーベル賞学者へ=カペッキ博士の波乱人生−米


 ストリートチルドレンからノーベル賞学者へ――。ノーベル医学・生理学賞の受賞が8日に決まったばかりの米ユタ大のマリオ・カペッキ博士(70)=米国籍=の波瀾(はらん)万丈の経歴に全米の注目が集まっている。

 報道によると、博士はイタリア生まれ。第二次大戦中の3歳の時、詩人だった母親は、反ファシスト運動に参加したとして秘密警察に連行され、強制収容所へ送られた。母親は未婚で、マリオ少年は農家に預けられたものの、程なく農家の困窮した生活から脱出、4歳半で「路上に飛び出した」という。物ごいや盗みを働き、必死に生き抜いた。

 転機は9歳の時。栄養失調で運び込まれた病院に、終戦で収容所から生還した母親が迎えに現れた。母子は親族の招きで渡米。マリオ少年が生まれて初めて登校したのは米国に到着した翌日だった。

 ハーバード大で博士号を取得したカペッキ博士はその後、特定の遺伝子の機能を失わせた「ノックアウトマウス」を作ることに成功。病気の原因解明などに幅広く貢献する技術を確立し、今回の受賞につながった。

 博士と旧知の教授は米紙に、博士は実現困と批判されても、「重要課題を追究する強靱(きょうじん)な志を持っていた」と語った。「不可能なことは何もない」が博士の信条という。


時事通信 2007-10-11

2007-10-12

ブライアン・ウィルソン博士


 イギリスのブライアン・ウィルソン博士は、宗教社会学の第一人者で、宗教セクト論や世俗化論の提唱者でもある。「フランス政府が、創価学会をセクト認定している」と騒ぎまくっている馬鹿どもがいるが、その前に『社会と宗教』を読めと言っておきたい(笑)。また、フランスには「スカーフ問題」があることも、しっかりと見極めるべきだろう。フランス政府のお墨付をありがたがっているような連中は、単なる「フランス教」であろう。

2007-10-11

思い込みが功徳を奪う〜信心のボトルネック理論


 ボトルネック理論をご存じだろうか? ボトルネックとは、文字通り“ビンの首”を指す。

 水道に例えるとわかりやすい。水道をさかのぼると、蛇口→水道管→河川→ダムとなる。小学生でも理解できるだろう。つまり、様々な経路を通過することによってダムの広大な水が、“蛇口”という限られた水量になっているのだ。


 ダムに当たるのが御本尊である。ところが、“自分の祈り”というフィルターを通すことによって、蛇口程度の功徳しか流れ通わないのだ。男子部の多くは、断水状態の水道と化していることだろう(笑)。


 水源におられる大聖人は、こう仰せだ――


 叶ひ叶はぬは御信により候べし全く日蓮がとがにあらず(1262頁)


「どうせ、ダメだろうな……」。その弱い一御本尊感応して、「どうせ、ダメ」な結果となって現れる。つまり、祈りは常に100%かなっているのだ。


「病気が治りますように。でも、医者は五分五分といってたな」――とった瞬間に、功徳は半額になっている(ニヤリ)。「友人が信しますように。でも親と同居しているから、簡単にはいかないだろうな」――というわけで、“しい折伏”の完成となる(笑)。


 余計ない込みや勝手な先入観が、不信に直結していることを知るべきだろう。功徳全開とするためには、ビンの首を叩き割るしかない。

2007-10-10

「まず 自分が変われ!――勇んで登攀を! 断じて勝利の峯へ」


 私の永遠の師匠は、戸田城聖先生である。

 その弟子として、師匠と共に、三世永劫にわたる人間の極地、そして大宇宙の本源まで説き明かした大法を知った喜びに、私は涙にむせんだものだ。

 ともあれ、大切な人生だ。大切な一生だ。

 長い長い価値ある旅路を、永久不滅の正義と大勝利の金字を打ち立てゆく天地まで、歩み走りゆくのだ。

 嵐が何だ! 怒涛が何だ! 中傷批判が何だ!

 が何だ! 財宝が何だ! 権力が何だ! 偉ぶった、嫉妬深い畜生どもが何だ!

 私には大法という金剛不壊の宝の中の究極の宝がある。

 な夕な、常に語り、常に励ましてくださる師匠が胸に生きている私は、最高の幸福者だ。永遠に幸福者である。

 私は勝利者だ。三世にわたる祝杯を上げながら、光り輝く“不滅の正義”という明(たいまつ)を高く掲げているからだ。


【「随筆 人間世紀の光」/今後、掲載される予定】


 次の闘争の火蓋(ひぶた)を切る指導である。無限の生命力からほとばしる言葉の数々に、ただただ圧倒される。凄まじい勢いだ。


 若き君よ! 青年たちよ!

 君もまた山本伸一となって、私に続いてくれ給え!


【同】

創価系サイト、及びブログの傾向


 立て続けにネットの話題を。私が定点観測しているサイトは、全てトップページにリンクをしている。これ以外のサイトやブログを見ることは、まずない。


 以前なら、様々なキーワードで探し回ったが、いつしか徒労と化していることに気づいた(笑)。


 まず、活動家は多忙を極めているため、ネットに接続する時間が限定されている。あるいは、ネットの使い方がわかってない(笑)。学会員は、驚くほどアナログタイプが多い。


 個人のブログにおける情報発信とは、自分のいを綴ることだ。にも関わらず、多くの創価系サイトは、聖教新聞の一部抜粋に終始している。これは全く味がない。例えば、指導をひたすら入力してデータベース化するなら、まだわかる。だが、聖教新聞のサイトにアップされたものをコピーすることに、何の味があるのか全く理解にしむ。指導の一行でも入力しておきながら、自分のいや決すら書かないで、弟子を乗る資格があるのだろうか?


 次に目立つのは、読むに値しない日記の類いである。「だから、何なの?」といったものが殆どだ。参考になるものは一つもない。


 以上のことを踏まえると、ネット学会員は情報発信手と見える。文章が手というレベルではない。「発信する何ものも持ち合わせてない」ということである。


 私のブログにしてもそうだが、一方的な情報を受信して何が楽しいのだろうか? 受け身の人は、本質的に奴隷的要素が強い。かような面々が、組織の中で官僚を支えているのだ。


 折伏とは、人間究極の発信であり、真実のメッセージであることに気づくべきだ。

2007-10-09

ネット上で擦れ違う人々


 私がインターネットに接続したのは1999年のこと。昨今とは異なった雰囲気があり、試行錯誤しながらコンテンツが形成されていた。学会系サイトも同様である。まだ、NIFTYが幅を利かせていた頃だ。


 しばらく傍観していたのだが、一旦書き込むと、そのスピードはアップしていった(笑)。最初の書き込みは、丸山健二のファンが集う掲示板だったと記憶している。その後、この掲示板は私のネット知人を誘ったことが原因で閉鎖に至った。


 それ以降、自分で運営するサイトを三つ立ち上げ、現在、ブログを4つと、掲示板を二つ設けるに至っている。


 学会員の場合、いくつかのパターンがある。

  • 掲示板で擦れ違う程度。
  • 瞬間的にメールのやり取りをする。
  • 情報交換のみ。
  • メールにプライベートなことまで書くような関係。
  • 直接、会う。

 大体、こんなじだろう。ネットの特筆としては、成住壊空のリズムが速いことが挙げられる。既に閉鎖した「創価学会ML」では、一日のメールの量が100通を越えた時期もあった。


 私の場合、学会員はあまり会ってないが、仕事関係だと100人以上の人々と会ってきた。実際に金になる話もあれば、貴重な人脈を築けたこともあった。使い方次第で人脈を開拓できるツールといえよう。


 インターネットの世界は、まだまだ成熟しているとは言いいが、実は革命的な要素をはらんでいる。それは、情報のベクトルが、垂直方向から水平方向に変わったことである。瞬時に情報を共用することが可能となった。


 ところがこれに先立って、学会では情報寡占となった(笑)。分区幹部であっても、「つれづれの指導」の入手がしくなった。今から15年ほど前のことだ。


 しかしこの考えは、ネット社会に反するものだった。「情報は隠せない」という現実を知らなさ過ぎた結果だとう。世間においては、有力な内部告発のツールとしてネットは活用されるようになった。


 学会員の間では、組織を超えた人脈が形成された。


 ここからが問題である。ネットの関係と現実の関係とが一致することは、今のところあり得ない。例えば、知遇を得た学会員を、私が家庭指導することはない。つまり、日常の組織活動とネット上の活動とは、乖離(かいり)したものとなる。


 そう考えると、やはり実際の組織ネットを取り入れることが、最も有効な手段となるだろう。連絡は一瞬で出来るし、見のやり取りや相談事も可能である。


 ネット知人の場合、本当の友情を築ける人は、1%いるかいないかである。Web上に存在する学会員で、まともなのは5%程度というのが私の持論だ。95%は、おかしな連中である。「これ」とった人物には、直接メールを出し、やり取りをしてきたが、そう結論せざるを得ない。

2007-10-08

傲慢な幹部が和合僧を乱す


 物事を成し遂げるために大事なのは、人数ではない。役職や立場でもない。を一つに合わせられるかどうかである。を一つにする時、そこに確かな未来の建設への「核」が生まれる。

 物事が成就しないのは、異体同がないからである。

 特に、幹部が“自分は偉い”“私はこうなのだ”とって、他の人とを合わせていこうとしないのは、自分の“わがまま”にとらわれた姿である。それは、自分の利害のために組織を利用するになりかねない。妙法の世界では、そのような生き方は絶対にあってはならない。


【第10回SGI総会 1989-10-04 創価文化会館


「核」というのは凄まじい力で結び合っている。この力の分裂を利用したのが原子爆弾や原子力発電であり、融合する力を放っているのが太陽だ。


 既に何度も書いているが、私がリーダーとして最も労をしたのは男子部の部長時代だった。分区の足を引っ張るほどの部に派遣となった。とにかく、6歳年上の副部長に私自身を知ってもらう努力をした。ひと経った頃だったと記憶している。副部長が、「俺、部長のこと、誤解してたよ」と言った。ここから組織が動き出した。地区幹部のをつかむまでには、9ヶを要した。それ以降、分区でトップレベルの結果を出せるまでになった。


 まず、一人の味方をつくることである。


 汝只正理を以て前とすべし別して人の多きを以て本とすることなかれ(493頁)


 私は、まず御書講義を行った。まだ20代だったから、多分、稚拙な講義だったとう。しかし、その時叫んだ動は今よりもはるかに新鮮な力があった。御書には誰人も逆らえない。正しい叫びは、必ず人のに届く。


 ある時、一番厄介な地区幹部が私に悩みを打ち明けた。家庭のことだった。「指導を受けたい幹部はいるか?」と尋ねると、「いない」という答えだった。「じゃあ、一緒に学会本部に行くか?」「俺も、そうしてもらえればとってたんだ」。私は嬉しかった。


 本部へ行ったところ、なぜか私が気合いを入れられまくった(笑)。大事な指導になると必ず、「なあ、部長!」と相槌を求められた。私は背筋を正して元気一杯、「ハイっ!」と返事をし続けた(笑)。


 あの頃は今と違って、まだまだ気合いの入った爺さん幹部が多かったんだよね。今は殆どが、ヨレヨレのオジサン・オバサンになってるけど(笑)。


 衆院選を睨んで人事が見送られている模様。動いてない幹部がこれほど多いのだから、方面長以外はあまり関係ないような気もする。相手を動かそうとすると失敗する。一緒に動いて、動を与えることが大切だ。

2007-10-07

高齢化


 一般的には、高齢化率(65歳以上の人口が総人口に占める割合)によって以下のように分類される。

 日本は1970年(昭和45年)に高齢化社会に、1994年(平成6年)に高齢社会になり、2007年(平成19年)には超高齢社会となる。

【Wikipedia】

人口動態統計


 戸籍法に基づく全国の市区町村への届け出から、出生や死亡、婚姻数などをごとに把握、調査の2ヶ後に出る「速報」と5ヶ後の「概数」のほか、最終的に12までの1年分が翌年9ごろ「確定数」としてまとめられる。自然増加数は1970年代から減少を続けており、国立社会保障・人口問題研究所の推計では、日本の人口2006年の1億2774万人をピークに07年から減り始めるとしている。

【東奥日報】

2007-10-06

空気を読むな


 ギャル語の「KY」(空気を読めない人の)がもてはやされている。ギャルの遺伝子にも、厳然と“横並び識”が具わっていることに驚かされた。


 ギャルという存在は、幼さを逆手にとって大人へのプロテスト(抵抗)を試みる手合いと私は考えている。幼稚というの鎧(よろい)をまといながらも他人の顔色を窺うところに、彼女達の依存がよく出ている。親に依存し、友人に依存し、金に依存するような種類の子供だ。


 農耕民族の場合、「出る杭(くい)は打たれる」。徳川300年の歴史は、家父長制というシステムを完成させ、反体制運動の芽を摘んだ。日本に革命は存在しなかった。抵抗運動はあっても一揆止まりだった。明治維新の場合、下級武士の活躍は評価できるが、所詮、地方の権力対中央の権力という構図である。


「民は知らしむべからず、依らしむべし」というのが江戸時代の行政手法であった。知れば、権力への不信が生まれる。知れば、自分の頭でものを考えるようになる。知れば、情報が拡散してしまい世論を形成する。まさしく、「知は力」である。


 情報公開の時代にありながら、周囲の顔色を窺って自分の見も言えないのは、あまりにも愚かだ。空気を読むな。空気をつくれ。強靭な生命の威光勢力を発揮しながら、登場しただけで愉快な雰囲気にしてみせよ。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

2007-10-05

「騒音問題」が騒がしい


公園の噴水遊びは「騒音」――訴え認める/東京地裁支部


 東京都西東京市緑町3丁目の「西東京いこいの森公園」にある噴水で遊ぶ子どもやスケートボードの音がうるさいとして、近くに住む女が市に対して噴水の使用とスケートボードで遊ばせることをやめるよう求める仮処分を申請し、東京地裁八王子支部がこれを認める決定を出していたことが分かった。決定は1日付で、市は2日から両施設の使用を中止している。

 市によると、噴水は地面に埋め込まれた噴水口から水が断続的に噴き出し、水の間を縫って遊べる構造になっている。女の家は公園に隣接し、噴水からは数十メートルの距離にある。都条例で同地域の騒音規制基準は日中で50デシベルと定められているが、市が女宅付近で測定したところ、噴水で遊ぶ子どものが60デシベル、スケートボードの音が58デシベルと、ともに基準値を上回っていたという。

 女臓などを患い療養中で、噴水で遊ぶ子どものなどが精神的痛をもたらすと主張。これに対し、市は、子どものは基準値を超えても受忍限度を超える騒音にはあたらないと主張していた。

 決定書では、基準値を約10デシベル上回る現状は女痛をもたらしていると認め、市は工夫次第で子どもたちが歓を発することのない形の噴水を設けることは可能だったとした。

 市は「決定に従って使用を中止したが、今後については弁護士と協議して、対応を検討していく」としている。

日新聞 2007-10-05】


2階の騒音に賠償命令=「子供のしつけ当然」東京地裁


 マンション上階で子供の騒ぐ音がうるさく、精神的痛を受けたとして、東京都板橋区の男が子供の父親を相手に240万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は3日、「騒音は受忍できる限度を超えている」として、36万円の支払いを命じた。

 中村也寸志裁判官は、当時3〜4歳だった男児がほぼ毎日、廊下を走ったり、跳びはねたりして大きな音を出していたと認定。深夜に及ぶこともあったとして、「騒音が夜間、階下に及ばないよう、父親は男児をしつけるのが当然だ」と述べた。

時事通信 2007-10-03】


 会館・拠点の近隣に迷惑をかけるな。特に男子部。自宅でも、夜間の唱題は小さなで。学会がこれだけ大きくなった以上、社会に迷惑をかける行為は大謗法だ。他者への像力を欠いた人物に、世界平和を語る資格はない。

2007-10-04

沖縄戦の検定問題 研究機関の新設を/太田代表が政府に訴え


集団自決 旧軍関与は事実。史実は正確に


 教科書検定で太平洋戦争末期の沖縄戦において旧日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が高校日本史の教科書から削除された問題について、公明党太田昭宏代表は2日昼の政府・与党連絡会議で、「旧日本軍の関与は否定できるものではない事実だ」との認識を示した上で、「後世に(沖縄戦の)歴史を残す味からいっても、冷静かつ客観的な調査・研究が必要ではないか」と述べ、新たな研究機関の設置などの検討を提案した。さらに、太田代表は「沖縄の皆さまの痛み、に重きを置いて、善処してもらいたい」と要請した。


 教科書検定問題について、町村信孝官房長官は「政治が教育に介入しないという原則の下において対応したい」と応じ、文部科学省に対応の検討を指示したと述べた。


白保氏ら 文科相にも要請


 一方、公明党白保台一沖縄方面議長は同日夕、文科省で渡海紀三朗文科相と会い、この問題に対する沖縄県民の気持ちを十分にくみ入れ、善処するよう申し入れた。東順治副代表、斉藤鉄夫政務調査会長、富田茂之文科部会長(衆院議員)、遠山清彦参院議員、池坊保子文科副大臣(公明党)が同席した。


 白保氏は「正しい歴史を残しておかないからこうした話になる。きちんと研究して真実を後世に残すべきという点で県民の気持ちは皆同じだ」と強調。


 また白保氏は、929日に沖縄・宜野湾市で行われた、検定撤回を求める超党派の沖縄県民大会には、先島諸島で同時開催された大会を含めると主催者発表で12万人超もの県民が参加したことに触れ、「県民のいをしっかりと受け止めていただきたい」と情を訴えた。渡海文科相は「明日(3日)、県知事に会うことになっている。県民の皆さまの気持ちは受け止めなければならない。このことと中立、公平、公正という教科書の検定制度をどのように守っていくか。その中で自身の職務を果たしていきたい」と述べた。


 教科書検定問題については、他党に先駆けて党沖縄県本部(糸洲則代表=県議)が本年410日、記述削除は極めて遺憾として伊吹文明文科相(当時)あてに申し入れを実施。その際、白保氏は「住民が日本軍の配った手榴弾で命を絶ったという多くの事実がある」と、軍主導の集団自決は紛れもない事実であると指摘。教科書検定委員と沖縄県民による沖縄戦の共同研究機関の設置や、教科書検定委員が沖縄戦の犠牲者の証言を直接聞く機会を設けること――を求めている。


 29日の沖縄県民大会には、白保、遠山両氏、糸洲県代表をはじめ、公明党の議員、党員・支持者ら多数が参加。県民を代表し、仲井真弘多知事が検定見の速やかな撤回と記述の回復を求める決議を採択している。


 2日の閣議後記者会見で渡海文科相は、教科書会社から訂正申請があった場合、「中身を審議会で検討してもらわなければならない」とする一方、「検定後に新たな事実や証言が出ている」と述べ、内容次第で記述の復活が承認されることもあり得るとの考えを示した。


【公明新聞 2007-10-03】


 いい提案だ。しかしながら、もう一歩突っ込んで「教育権の分離独立」を明示すべきだった。更に、教育国連の構まで発表できれば100点満点だった。でも、よく考えると、やっぱり遅過ぎるね。なぜ、ニュースになる前に動かないのか? そこが疑問だ。情や見は必ず伝えられているはずだ。

『人生論ノート』三木清


 入力したテキストを探すのに、とんでもない時間を要した。同じ目に遭うことを避けるために、アップすることにした。


 実際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病気の恢復)としてしか健康をじることができないのではなかろうか。


 幸福について考えないことは今日の人間の特徴である。現代における倫理の混乱は種々に論じられているが、倫理の本から幸福論が喪失したということはこの混乱を代表する事実である。(中略)今日の人間は果して幸福であるために幸福について考えないのであるか。むしろ我々の時代は人々に幸福について考える気力を失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのようにじられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。(中略)その極めて自識的な人間が幸福について殆ど考えないのである。これが現代の精神的状況の格であり、これが現代人の不幸を特徴附けている。


 愛するもののために死んだ故に彼等は幸福であったのではなく、反対に、彼等は幸福であった故に愛するもののために死ぬる力を有したのである。日常の小さな仕事から、喜んで自分を犠牲にするというに至るまで、あらゆる事柄において、幸福は力である。徳が力であるということは幸福の何よりもよく示すところである。


 幸福は人格である。ひとが外套(がいとう)を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃(たお)れてもなお幸福である。


 機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人ではない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。


 虚栄はまず社会を対象としている。しかるにはまず自己を対象とする。虚栄が対世間であるのに反して、は自己の品位についての自覚である。


 個人であろうとすること、それが最深の、また最高のである。


 今日、愛については誰も語っている。誰が怒について真剣に語ろうとするのであるか。怒の味を忘れてただ愛についてのみ語るということは今日の人間が無格であるということのしるしである。

 切に義人をう。義人とは何か、── 怒ることを知れるものである。


 もし私に人間のの善であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間のにおける嫉妬の存在である。嫉妬こそベーコンがいったように悪に最もふさわしい属である。なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向かって働くのが一般であるから。


 嫉妬は平生は「考え」ない人間にも「考え」させる。


 嫉妬はつねに多忙である。


 偽善者とそうでな人間との区別は、その証明の誠と熱情をもっているかどうかにある。人生において証明するということは形成することであり、形成するということは内部と外部とが一つになることである。ところが偽善者にあっては内部と外部とが別である。偽善者には創造というものがない。


 自己を知ることはやがて他人を知ることである。私達が私達の魂がみずから達した高さに応じて、私達の周囲に次第に多くの個を発見してゆく。自己に対して盲目な人の見る世界はただ一様の灰色である。自己の魂をまたたきせざる眼をもって凝視し得た人の前には、一切のものが光と色との美しい交錯において拡げられる。(中略)自己の個の理解に透徹し得た人は最も平凡な人間の間においてさえそれぞれの個を発見することができるのである。かようにして私はここでも個が与えられたものではなくて獲得されねばならぬものであることを知るのである。私はただ愛することによって他の個を理解する。分ち選ぶ理智捨てて抱きかかえる情によってそれを知る。場当たりの印象や気紛れな直観をもってではなく、辛抱強い愛としなやかな洞察によってそれを把握するのである。


1941-08(創元社)/新潮文庫を参照した】


人生論ノート (新潮文庫)

2007-10-02

ペットと人間


 動物であるペットと人間ですら、を通わせることが可能だ。の通わない幹部はペット以下の存在だ。

四者の仲が悪い組織


 壮年と婦人、男子部と女子部、この仲が悪いと何をやっても上手くゆかない。連係が取られるのは、「何か問題があった場合」と「伝達事項」に限られてしまう。“仲が悪い”という因によって、こうした果となるわけだが、果がまたしても因となるため、険悪のスパイラルとなる(笑)。所詮、自分が「好かれる人」なのか、「嫌われる人」なのかといった単純な問題である。基本的には、婦人部が傲慢な組織は手のつけようがない。

「このまま」「KONOMAMA」Def Tech


 間奏で、「妙法」と歌っている。Microのコーラスが原始教をわせる。

 こちらはアップテンポの「KONOMAMA」。私の勤行よりも速い(笑)。

Lokahi Lani

2007-10-01

ビルマへの対応


「今後、国際機関などの場での議論も進んでいくだろうから、そうした結果を踏まえ、強い措置を含めて、さまざまな方策を考えたい」


時事通信 2007-10-01】


 これは、町村官房長官の言葉。日本人が射殺されたのを知りながら、他国の顔色を窺う馬鹿者だ。公明党は、なぜ黙って聞いているのだろう?


 先日、東京新聞の「発言」(投書欄)のトップに、「弱者に負担増 公明にも責任」という投書が掲載された。やや情的ではあるが、もっともな見だ。

沖縄の死者を冒涜する文部科学省


 沖縄研究者の林博史関東学院大教授は、日本軍が駐留しなかった前島や浜比嘉島などでは「集団自決」が起きていなかった事例を指摘。「『集団自決』には日本軍が決定的な役割を果たし、渡嘉敷、座間味、慶留間の三島は軍の論理が最も典型的に表れた例だ」と強調し、教科書に軍の強制を明記する必要を説明した。


沖縄タイムス 2007-09-28夕刊】


 沖縄戦研究者の林博史関東学院大学教授は、文部科学省が「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述修正を求める根拠に自著を挙げたことについて「集団自決が日本軍強制であったことを否定する研究は全くない。あまりにひどい検定だ。文科省の論理は全く根拠がない」と述べ、恣(しい)的な引用をされたことに強い不快を示した。集会には260人以上が参加した。

 文科省の教科書調査官は2006年12に執筆者や教科書出版社に対して検定見を通知した際、林教授の『沖縄戦と民衆』を挙げ、記述修正を求めた。

 林教授は「日本軍が目指していたのは、命令しなくても自ら死ぬような皇民をつくることだった。自決を素直に受け止める素地がつくられていた。生きるという選択肢がないとわされた全体のプロセスを明らかにしたのが、これまでの沖縄戦研究だ」と強調。「日本軍の存在は決定的役割を果たしている。部隊長命令の有無を根拠にして、教科書の記述を変えるのはおよそナンセンスな話だ」と話し、これまでの沖縄戦研究の積み重ねを無視した検定見を厳しく批判した。


【琉球新報 2007-09-28】


 津嘉山さん(高校生)は「体験したおじぃ、おばぁたちが嘘(うそ)をついていると言いたいのか」と訴え、照屋さん(高校生)は「60年以上を過ぎた今になって、記述を変える必要があるのか」と憤った。最後に2人で「たとえ醜くても真実を知りたい、学びたい、伝えたい」とを張り上げると、会場を埋めた参加者から賛同の大きな拍手がわいた。


【読売新聞九州版 2007-09-30】


 高校の教科書検定で、沖縄戦の集団自決に日本軍が直接関与したとする記述が削除された問題。教科用図書検定調査審議会で近現代史のメンバーは4〜5人だという。先ほど、テレビのニュースでその一人がインタビューに応じていた。


 当初、伊吹前文部科学大臣は否定したが、その後、文部科学省の関与が確認されている。官僚が、昔の官僚の罪を誤化そうってわけだ。


 沖縄県議会は全会一致で「集団自決に軍関与」との見を可決した。30日に行われた県民大会には11万人が参加している。


 軍の関与を否定しようと企(たくら)んだ官僚が根拠にしたのは、林博史の著作のわずか一行であった。しかも、それ以外の多くの箇所で林氏は「軍の関与があった」と記述しているのだ。


 公明党には、まず文部科学省の“誰”が、どのような経緯で指示を出したのかを明らかにしてもらいたい。腐ったリンゴが一個あれば、周りのリンゴも腐ってしまう。


 ニュースもへっぴり腰だ。本気で追求しようとしているところは、一つもないよ。

恩師「幹部が自らを指導し、幹部自らが自己を磨いてゆけ」


 師・戸田先生は、昭和33年211日、すなわちご自身が迎えた最後の誕生日の折に、お祝いに集った弟子達に向かって遺言のごとき厳しき口調で言われた。

「幹部が自らを指導し、幹部自らが自己を磨いてゆけば、会員は自然と育ってゆくのである」と。私はこの指導を決して忘れなかった。常に率先して実践してきたつもりである。

 いくら熱に説き、言葉巧みであっても、口先だけでは人は動かない。後輩は成長しない。これまで幹部となりながら、退転・反逆していった人々の姿は、この根幹の指導を忘れ、自らの「慢」に溺れ、「策」に走った結果であった。それは本当の法者の姿ではない。

 大切なのは、リーダー自身の懸命な実践の姿である。謙虚に自らの人間革命に励むところに後輩は安し、ついてくるのである。


【第10回SGI総会 1989-10-04 創価文化会館


 組織のどこに身を置くかで決まる。楽な位置から先輩風を吹かしているのか、それとも誰よりも厳しいところで戦っているのか。例えば、家庭指導を奨励する幹部は、まず現場に入ってない(笑)。まして、自分の決として述べた場合、今までやってないことを白状したも同然だ。


 わかりやすい例を示そう。副会長があなたの組織に家庭指導で入ることになった。予定は2時間。この場合、どういうコースを組むかというと、頑張っているメンバー、家に上がれるお宅を優先する。間違っても、ドアの空かない家には連れていかない(笑)。多忙を縫って来てくれるのだから、ムダがないように配慮をする。副会長は、家庭指導をしたという既成事実に満足する(笑)。


 このように現場の配慮が、幹部を甘やかす結果になっていることが珍しくない。どこの組織においても一番切実な問題は、「会えない部員に会う」ことであり、「出ない部員を出す」ことなのだ。上の幹部が、そこに気づいていない。


 こうした背景もあって、組織の厳しいところは、地区部長やB長任せになっているきらいがある。


 更に、担当幹部が半年から一年ほど入っているにも関わらず、活動家が増えないとなれば、必然的にB幹部・地区幹部がお手上げ状態となる。


 先生の指導は素晴らしい。皆、そうっている。だが、指導を体現する人がいない。


 幹部カードの本尊流布数は、既にいい加減なものとなっているので、人材育成数を記すことを提案したい。

“自由”の意味を知るための教科書


 自由には2種類ある。freedomとlibertyだ。フリーダムは束縛からの自由を表し、リバティは選択の自由味する。


 人生とは中々奥深いもので、不自由をくぐり抜けた人ほど、自由を享受する資格が与えられる。私は自由だ。しかし、出獄したネルソン・マンデラは、もっと自由であったことだろう。


 自由とは幸福の異でもある。とは、宿命の鉄鎖を断ち切り、自由自在の人間境地を示したものだ。地獄とは、環境や宿命、はたまた欲望などに束縛された不自由極まりない最低の境涯を指す。


 釈尊や大聖人が法を説いた目的は、民衆を自由にするためであった。ところが、組織というものは人を束縛する質が強い。どうしても、目的のために構成員に犠牲を強いる側面がある。


「自由に何でも話せる組織」があれば、完璧な組織といってよい。


 以下に紹介するのは、いずれも「自由の教科書」ともいうべき作品である。出来ることなら、順番を厳守されたい。宗門問題を考える上でも、必須のラインナップである。


 まずは、「学ぶ自由」を勝ち取れ――


書籍


 未来社会を描いたSFの傑作。本を読むことが禁じられた世界。「ファイアーマン(消防士)」は焚書(ふんしょ/本を燃やすこと)が仕事だった。繰り返されるコマーシャル。「書物」は、自由への扉だった。


華氏四五一度


 中世の暗黒時代。ライプニッツやニュートンといった科学者ですら女の存在を信じていた。告発さえあれば「女と認められた」ため、叱られた子供が、母親を女と訴えたケースすら受理された。また、処刑に必要な経費は全て本人の財産から支払われた。プロテスタント女狩りを推進したことが見逃せない。


魔女狩り (岩波新書)


 ナチスドイツが、ユダヤ人の自由をどのようにして奪ったのか。著者は、強制収容所から生還した理学者。


夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録


遠い夜明け


 ネルソン・マンデラが戦ったアフリカの現実。人間として扱われない黒人の悩。


魔女狩り (岩波新書)


 自由のために戦い、死んでいった人々の遺書。彼等こそ、真の自由を勝ち取った人々であった。


イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8‐1945.4.25


映画


「選択する自由」を見事に謳い上げた作品。オーウェルと共通するテーマだ。「自分で選択すること」が幸福の要素であることがわかる。


トゥルーマン・ショー(通常版)


 現代にあっても、同じ状況さえつくり出せば、ナチスに迫害されたユダヤ人と同じ理状態になる。閉ざされた世界が、人間を狂わせる。


es[エス]


 ネルソン・マンデラが戦ったアフリカの現実。人間として扱われない黒人の悩。


遠い夜明け


 スコットランドの史実に基づいている。


ブレイブハート



 こちらも史実に基づいた作品。イエス・キリストが生まれる少し前の話。奴隷剣闘士が立ち上がり、自由を求めて闘う。会長就任の昭和35年に封切りされた洋画。


スパルタカス スペシャル・エディション


 これは、今日見たばかりのビデオ(笑)。1984年の東ドイツが舞台。「選択する自由」は社会状況によって、これほどの危険が及ぶ。


善き人のためのソナタ スタンダード・エディション