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2007-10-29

「物事に間違っていなければ頭を下げてはいけない」


 牧口先生は、よく言われた。

「物事に間違っていなければ頭を下げてはいけない。悪に対して負けてはいけない」と。

 たとえ相手がどんなに社会的地位が高く、力のある人であっても、自分が間違っていなければ、絶対にへつらったり、馬鹿にされたりしてはならない――この毅然たる強さを学会精神の骨髄とせよ、との牧口先生の遺志であると受け止めたい。

 かつては、日本国中が軍国主義という「悪」に負け、国家神道に頭を下げていた。国家権力の言いなりにならなければ、大変な目に遭(あ)うという時代であった。

 しかし、牧口先生戸田先生の師弟は、何と言われようとも絶対に屈しなかった。神札を受けることにも応じなかった。信教の自由を踏みにじる暴挙に対して敢然と抵抗し、謗法厳誡を貫かれた。これが「学会精神」である。

 また、「持妙法華問答抄」に、「上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、下根に望めても・慢ならざれ上根も・もるる事あり」(466頁)――上根の人に対しても(自分を)卑下してはならない。下根を見捨てないのがの本懐である。下根の人に対しても驕慢になってはならない。上根の人でも得道の道から漏れることがある――と仰せである。

 牧口先生はこの御文を拝されて、「門の人や高位・高官だからといって、へつらうのも法を下げる。いばって、信用をなくすのも法を下げることになる」と言われた。

 上根とは、法を信解し果を成(じょう)じてゆくための素地、機根が整っている人である。下根とは、そうした生命の素地が弱く、中々法を信解できない人のことを指している。

 この御文では、たとえ自分が下根だとっても、卑下してはならない。が見捨てることはないからである。逆に上根であっても、驕慢なになってしまっては、成がかなわないこともある、と戒められている。

 この義を拝された上で牧口先生は、肩書や社会的地位など、表面的な世法の次元にとらわれて、へつらったり、反対に威張ったりしては、法を下げることになる、と厳しく言われたのである。

 ゆえに、学会の中においても、幹部だから、社会的地位があるから、有人だからといって、その人に対して変に従順になったり、何も見が言えなくなるようではいけない。特別扱いの人を絶対につくってはならない。

「法」のために行動し、広布のために働く人が最も偉いのである。その人にこそ三世十方菩薩、諸天善神の賛嘆がある。この、学会の永遠の変わらざる精神を断じて忘れないでいただきたい。


【第11回関西総会 1989-10-12 関西文化会館


 殆どの会員は、幹部にものを言えない。遠慮しているとも考えられるが、最大の理由は「理論的な根拠が弱い」ことに尽きる。つまり、教学的な裏づけがなく、“自分の言葉”できちんと反論することが手なのだ。幹部が威張っているのか会員がおとなしいのかという問題は、鶏と卵のようなもので、どちらが先とも言いい。


 宗門問題については、関西で大事な指導がなされている。この指導もそう。権威に強い地域の代表といえば、大阪と東京下町だろう。しかしながら東京下町の場合、本気で上に文句を言うと飛ばされてしまう(笑)。その点、大阪を中とする関西の場合、学会本部が人事に介入する可能も低い。


 魚は頭から腐る。腐った部分を切り取らなければ、全身が腐敗するのは時間の問題だ。どんな立場であろうとも、この指導を実践できなくなった途端、「広布を阻む存在」となっていることを戒め合いたい。


 原島嵩は、理事長の子ということで特別扱いされた。山崎正友は、学会初の弁護士となって特別扱いされた。今だって、特別扱いされているのはたくさんいるだろう。おっと、具体的なことを書きそうになってしまった(笑)。危ない、危ない。


 幹部の子が幹部に、職員の子が職員になりやすいのは、多分、「組織の論理」を弁えているためだろう。「一々説明しなくても、わかってるだろ?」ってな世界だろう。ま、便利なんだよ。


 このままいけば、組織は自浄能力を失い、学会も内部告発によってしか不正を糾弾できなくなるだろう。最も不幸な結末である。

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