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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-11-29

中途半端は、青年の大敵である


 現代にあっては、トルストイの言う「青春の力」の喪失の傾向は、あまりにも強くなってしまった、と言えるかもしれない。

 自分の殻(から)に小ぢんまりと閉じこもることが、利口な生き方にさえ見える世相になってしまった。しかし、それは自分で自分の首に軛(くびき)をはめ、これでいいんだと自己満足している姿に他ならない。それではわびしい。自分が哀れである。

 青年の無気力を嘆くは、いよいよ強い。そこには様々な背景もあるとう。だが私は、あえて言っておきたい。

「中途半端は、青年の大敵である」と。

 ぼんやりと過ごした「不完全燃焼」の青春は、大きな悔いを人生に残すに違いない。

 何より、それでは「新しい自分」への扉、「新しい世界」への扉を、みすみす閉ざしてしまうようなものである。

 ゆえに、ある味で何でもよい、全力で打ち込める「自分の道」を見つけ、「自分の使命」「自分の理」を見つけることだ。それに向かって、持てる「青春の力」をい切り発揮し、爆発させてゆくことである。

 それでこそ青春である。それでこそ悔いなき人生となる。二度と返らぬ青春を完全燃焼で飾れ、と重ねて申し上げておきたい。


【第2回創価栄光の集い 1989-11-03 創価大学中央体育館】


 青春時代は、人間としての核を築く季節である。長年にわたる私の研究によれば、17〜23歳までの期間を指す。俗に「三つ子の魂百まで」と言われるが、3歳の子が環境の影響を受けやすいのに対して、青春時代は人生の進むべき方向を、自分で選択している側面が強い。


 これは、信仰を持っているか否かは全く関係ない。「どう生きたか」だけが問われる。ロクでもない大人が掃いて捨てるほど存在しているが、周囲に流され、さしたる努力もしてない青春時代を過ごしたことが明らかだ。


 トルストイの言う「青春の力」とは以下――


 トルストイの若き日の作『コサック』に、“青春”を論じた忘れ得ぬ一節がある。

 トルストイによれば、人間は一生にただ一度だけ、「青春の力」をもつことができる。

「青春の力」――それは、自分という人間を、自らのうままに創りあげてゆく力である。

 更に、全世界をも自分のうままにしてゆけるとさえ確信する力である。

 この「青春の力」は、爆発的なエネルギーを秘めている。しかし、それを発揮するチャンスは、若き日にしかない。ひとたび手放してしまえば、チャンスは二度と戻ってこない。


 何と親切なブログだろう! 我ながら驚いている。不勉強な青年部に手を貸してやるのが私の趣味だ(ニヤリ)。


 便利な生活は、人間から“生きる力”を奪い取った。我々の鼻や舌は、既に毒物を選別することができなくなっている。どんなにクンクンと鼻を嗅がせてみても、食品表示の偽装も見抜けない。まあ、腹を痛めなければよしとしよう。


 動物園で飼い馴らされた動物たちは、餌の配が要らない。にも関わらず、檻(おり)の中が快適そうに見えないのはどうしたことか。食べるだけなら、彼等は幸せなはずだ。だが実際は、“与えられる餌”と交換に“野”を失う羽目となる。


 野生の動物は絶えず闘っている。食べることに始まり、天敵からの攻撃や縄張り争いもある。戦いに敗れることは死を味する。


 その味で、「満たされない飢餓」こそ青春のエネルギーであると断言しておこう。以下は、吉川英治氏が裕福な青年に語った言葉である――


 君は不幸だ。早くから、おいしいものを食べすぎ、美しいものを見すぎているということは、こんな不幸はない。喜びを喜びとしてじるが薄れていくということは、青年として気の毒なことだ。


【『吉川英治とわたし 復刻版吉川英治全集報』(講談社:絶版)】


 徒手空拳で理に向かって突き進むことが、青春の特権である。

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