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2007-12-31

戸田先生「人生も信心も強気でいけ」


 私どもの前途には、権力の迫害もあれば、様々な妨害もある。しかし、決して驚くことではないし、恐れる必要もない。信仰ゆえのであれば、それはむしろ信仰者の誉れであり、大いなる喜びである。少なくとも私は、戸田先生の弟子として、そうしたいで今日まで生きてきたつもりである。

 戸田先生は晩年、「人生は強気でいけ。信も強気でいけ」と指導された。いかなる事態にも、いささかも動ぜぬ強さ、大きさがなければ、広宣の荒波を乗り切っていくことはできない。弱々しい自分ではも破れない。敵も倒せない。結局、人生の戦いに敗れ、不満の人生で終わる。

 ゆえに、この戸田先生の指導を改めてに刻み、明年へ「強き」で前進していきたい。


【第24本部幹部会 1989-12-20 創価文化会館


 先ほど、こんな話をにした。近隣に引っ越して来た方から、「以前、お宅に公明党のポスターを貼ってあったのを見たのですが、学会の方ですか?」とを掛けられた。「はい、そうですよ」と答えると、「引っ越して来てから数ヶが経って、やっと統監のカードを回してもらえることになりました。内は、主人が信に猛反対で本当に大変なんです。何とか信の話を聞かせてもらえないでしょうか?」とのこと。取り敢えず、携帯電話の番号を教えてもらったという。相手の方は、既に70代だそうだ。


 いつ、入会したのか知らないが、こんな話を私は鵜呑みにしない。所詮、自分の弱さを亭主のせいにしているだけだろう。厳しい状況に置かれた人ほど、自分に都合のいい修飾を施す傾向がある。ま、信の粉飾決算といってよい。


 こんな人物が、三類の強敵に勝てるわけがない。大体、俗衆増上慢(=亭主)に負けているじゃないか(笑)。


 家族が未入会だったり、未活動だったりすると、必ず何だかんだと言いわけをする人が多い。明らかな証拠を示していないだけだとうのは、私一人であろうか?


 ある調査によると、自尊の強い人ほど詐欺に引っ掛からないという結果が出ている。弱気の人ほど騙(だま)される可能が高い。


 信とは、我が内なるを信ずることである。弱々しい信であっては、爪楊枝や割り箸で釣り鐘を叩く程度の功徳しか出ない。反動をつけて、撞木(しゅもく)を打ち込む強気の姿勢が大事だ。


 ただ注したい点は、戸田先生の指導は人生と信に関してであって、人間関係にあって妙な強気は発揮しない方がいいだろう。亀田兄弟みたいになりかねないからね(笑)。


 青年部時代、「命懸けで――」なあんて決発表するメンバーを時折見かけたが、信頼に足る人物は一人もいなかったよ(笑)。


 師弟共戦の2007年が幕を閉じる――。

2007-12-30

妙法曼陀羅供養事


 女人よりも男子の科はををく男子よりも尼のとがは重し尼よりも僧の科はををく破戒の僧よりも持戒の法師のとがは重し、持戒の僧よりも智者の科はをもかるべし(1306頁)


 責任が大きくなるほど、罪も重くなる。幹部は襟を正せ。

忘恩・反逆の道を歩む古谷博は「ミニ山友」だ


守銭奴、借金、不倫、虚言など山友に酷似


山崎正友、大草一男に操られる哀れな退転者


【『フェイク』第885号 2007-12-30】


 古谷博学会攻撃を本格的に始めたのは平成14年からだが、これは山崎正友、妙観講の大草一男にそそのかされたからだと言われている。山崎は攻撃の弾を撃ち尽くし、大草は宗内でも毛嫌いされている上、盗聴犯である事実が知れ渡った。事実、その盗聴裁判で今年は大惨敗し、信用度はゼロだ。万策尽きた悪党どもが、約20年前に退転していた古谷を担ぎ出したという次第。古谷は、山崎とは比較にならないほどの小物だが、不議なことに二人は格も生き方も酷似している。


 その第一点は金の亡者で、二人とも39歳で自らが事実上、経営する会社を設立したが失敗して借金を負った。山崎はシーホースを、一方、職員であった古谷は就規則に違反するため、親族の義で「昴商事」を設立した。ところが、山崎は40数億円の負債を抱えて倒産し、学会を恐喝して除処分となった。


 古谷は東京・世田谷区深沢に小さな中華料理店を開き、職員の同僚や学会員を掛けて「身内の店」に行くよう頼んでいた。


 だが、工事費4800万円を支払えず、本部まで督促の電話がきていたという。逃げ回っていた古谷は者に訴えられて敗訴、昭和60年に退職した。当時は「学会に迷惑をかけた」「一からやり直す」と反省の態度を見せていたが、山崎や大草に取り込まれ、反逆者の道を歩んでいる。


 今、古谷が駄本を書き、マスコミに顔を出すのは食うためである。哀れな奴だ。


 共通する二点目は冷たい人間だ。古谷は「クール」と評されていたが、同僚が言うのは「冷めた奴」との味だった。職員採用時の池田会長の面接も動がなかったと言い、また青年部時代に広布のロマンを語る部員を嘲笑したほどだ。


 だが、冷血さでは山崎は桁違い。手形詐欺など数々の悪事に利用した仲間を使い捨て、また富士宮市議の殺人まで依頼した(本紙 第407、415号に詳述)。殺人を実行に移そうとした奴は、山崎の他には藤原行正くらいである。


 三つ目は不倫問題。山崎は正信会を煽動して学会を攻撃させていた頃、大分へ通っては住職の妻やスナック経営の女とダブル不倫を続けていた。古谷も出張先の鹿児島県の女幹部であった中園球子と不倫関係になった他にも醜聞はあるが、これは改めて詳述する。


 四点目は二人とも今は社会的には何の存在価値もないため、山崎は「元顧問弁護士」、古谷は「元芸術部書記長」と学会にいた昔の肩書きを悪用してマスコミに登場している。


 五点目は二人が大ウソつきという点だ。山崎は裁判所公認だが、古谷も退職の経緯など己の正当化を図るためウソを並べている。


 ついでに大学を4年間で卒できず、7年間、在籍したのも同じだ。古谷は日大芸術学部を中退。その理由を『週刊新潮』(1227日号)は「学会活動に没頭するあまり」と書いているが、真っ赤なウソだ。


 学会学生部では当時も今も「勉学第一」を強調している。己の怠惰を学会のせいにするのは退転者の常である。山崎も昭和30年から7年間、大学に在籍した。


 古谷は「ミニ山友」とも言うべき小悪党である。

オスバルド・プグリエーセ氏「『平和』を願うだけでは足りない」


プグリエーセ氏●民衆が大事です。平和が大事です。「平和」なくして「文化」もあり得ません。かつて私は広島の原爆資料館にも行きました。“ヒロシマ”を断じて繰り返してはなりません。人類を滅ぼす機械に“歯止め”をかけねば……。

 どこの国でも人々は平和を願っています。しかし、願いだけでは足りません。現実の「対立」を解消しなければならない。

 その味でSGI会長は、偉大な“平和の守り手”です。世界の人々を「友好」で結んでおられる。ゆえに私は尊敬するのです。


SGI会長●平和と友情の――それは人間の真髄です。また、芸術と文化の真髄です。ゆえに“大音楽家”は“大平和主義者”でもある。その証明を今、目の前に見るいです。そして戦争と核兵器は、人間幸福の破壊者です。悪の存在です。文化の対極にあるものです。だからこそ私は、「文化」の興隆と交流によって、磐石な「平和」をつくり上げようとしているのです。


【アルゼンチンタンゴの巨匠、オスバルド・プグリエーセ氏と会談 1989-12-10 聖教新聞社】


 オスバルド・プグリエーセ氏は、タンゴ発祥の地・ブエノスアイレスの生まれ。アルゼンチンは独裁者に翻弄された国家である。平和への強靭ないが、氏の革新的なタンゴを生むに至ったのだろう。


 何となく平和な日本に住んでいる我々とは違い、海外の識者は「世界の現実」を知っている。甘ったれた弟子が師匠を慕う情とは異なり、切迫した緊張を持って先生を見つめている。


 音楽は国を超えて人と人とを結びつける。米ソの冷戦構造下にあってすら、ソ連はロックンロールの侵入を阻止することができなかった。


 智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。


【『草枕』夏目漱石】


 私は、『草枕』の冒頭の一節が大っ嫌いである。詩が生まれなければ、ホームレスになりそうな気がする。また、画(え)ができたとしても、決して売り物になることはないだろう。日本の文芸界を、しみったれた私小説がリードしてきた理由もこの辺にあるのではなかろうか。


 東海の小島の磯の白砂に

 われ泣きぬれて

 蟹とたはむる


【『一握の砂』石川啄木】


 私が蟹(かに)だったら、ハサミで啄木の身体を切り刻んでやるところだ。死ぬまで蟹と戯(たわむ)れるがいい。


 弱々しい日本のセンチメンタリズムとは異なり、タンゴやブラックミュージックのリズムは力強い。家族や仲間が殺されても殺されても、失われることのなかった「叫び」が込められている。

2007-12-29

そして間もなく


 NHKで「絶景エベレスト街道をゆく」(19:30)が放映される。決して偶然ではあるまい(笑)。

ヒラリーとテンジン


 エベレストの登頂の成功は1953年(昭和28年)。“発見”から約100年、最初のアタック(攻略)から32年の後である。

 成功したイギリス隊は、何と9度目の遠征であった。成し遂げるまでは断じて負けない不屈の英国魂であろう。

 さて、世界中の登山家の“夢”であったエベレスト。誰が初めて、その山頂に立ったのか?

 それは、イギリス隊のヒラリー(ニュージーランド人)と、現地人のシェルパ(案内人・荷運び)であるテンジンであった。

 人々は驚いた。「ヒラリーはともかく、荷かつぎ風情(ふぜい)のテンジンが、この栄光を分かつとは!」。当時、シェルパへの認識は低かった。

 高地民族であるシェルパ族は、ヨーロッパ人がヒマラヤ登山に訪れるようになると、山の案内や登山の手伝いに活躍するようになった。シェルパとは本来、彼らの部族である。

 しかし、彼らは常に冷遇された。彼らがいないと現実には登山できないにもかかわらず――。

 実際に労している人、労働している人、その人をこそ大切にし、尊敬しなければならない。しかし、社会の現実はその反対であることがあまりにも多い。これまでの歴史もそうであった。その逆転のために私は戦っている。また、そこに諸君の使命もある。


 重い荷物は全部、シェルパたちが持つ。危険も同じである。むしろ彼らの方が多かったかもしれない。にもかかわらず、登山家とは食事も衣服・寝所(しんじょ)等も別。立派な装備も与えられなかった。

 しかも成功すれば、栄光はすべてヨーロッパ等の登山家のものになる。

 ある味で消耗品のような扱いであった。もちろん、友情の芽生えもあったが、“利用するだけ利用する”という態度には、次第に不満を持つ者も増えていった。

 このままではヒマラヤ登山も、「民衆を犠牲にしたエリートのスポーツ」と言われても仕方なかったと厳しく見る人もいる。

 こうした中でも、多くのシェルパたちは勇敢に働いた。健気(けなげ)であった。時には自らの命を捨ててまで、登山家を救った。彼らは絶大の信頼を得たが、その待遇は変わらなかった。


 1947年、テンジンの前にデンマンという英国育ちの登山家が現れた。

 デンマンは言った。

「君とエベレストに登りたい。ただし、主人とポーター(荷運び)としてではなく、友人として」

 対等の“山の仲間”として一緒に登ろうというのである。テンジンは動した。

「行きましょう!」

 この時のチャレンジ(挑戦)は失敗に終わったが、テンジンはデンマンの友情を生涯忘れなかった。

 6年後、彼がエベレストに登頂した時、かぶっていた帽子(毛糸製の防寒ヘルメット)はデンマンがくれたものであった。

 あるいは彼は、「友人」と一緒に登り、その喜びを二人で分かち合いたかったのかもしれない。


「同志」のが大切である。その麗しいの交流から限りない力が湧いてくる。異体同が一切の勝利のカギなのである。

 広布の遠征にあっても、彼らは御本尊の御前(おんまえ)に、皆平等である。

 志を同じくする友である。“山友”であり、“岳友(がくゆう)”である。

 口に異体同を唱えながら、最も大切な子を下に見、その健気さ、真剣さをいいことに、利用するだけ利用し、社会的地位を得たり、自分は楽をしようというのでは、そこには、もはや信のかけらもない。権力のに破れた姿である。

 私どもは永遠に「異体同」という広布と信の要諦を忘れてはならない。また、子を利用しようとする悪を見破り、打ち破っていかねばならない。


 次第にテンジンは、「エベレストに最も詳しい男」になっていた。彼なしで登頂は不可能と言われた。彼は実力でこの評価を勝ち取ったのである。

 1953年。イギリス隊、9度目の遠征である。この時は背水の陣であった。

 これに失敗すれば、まず間違いなく他国に先んじられる。北極・南極点到達も他国に越されており、必死であった。エベレストは発見以来、縁(えにし)の深い山でもある。

 また、エリザベス女王の戴冠式に、「最高峰登頂」を贈り物にしたかった。


 イギリス隊は再三再四、テンジンの参加を依頼した。テンジンは迷った。何より体力に自信が持てない。彼はもう39歳になっていた。大病から回復したばかりでもあった。

 しかし、熱な懇願と期待に、彼は遂に決めた。「エベレストで死のう。エベレストなしに自分の人生はないのだ」と。

 エベレスト登頂への夢――これがいつしか、抜き去りがたい彼の「原点」なっていたのである。魂の「原点」のままに生き、死んでいく。ある味でこれほど幸福な人生もない。


 この第9次遠征隊でも、シェルパたちの待遇は悪かった。そのために、いざこざもあった。怒って引き返した者さえいた。しかし今更、目標は変えられない。テンジンは彼らをなだめた。

 そして、不満を抑え切れないと見るや、“秘密”を打ち明けた。

 ――実は山頂には、イギリス人だけが登るのではない。自分も登る。隊長は、登攀隊(とうはんたい)の一人に自分も入れているんだ。我々の旗も頂上に立てられるのだ。

 シェルパたちは喜んだ。そして、生き生きと働き始めた。彼らが不満を持ったままでは、成功はあり得なかったかもしれない。その味でテンジンの登頂は、もはや不可欠の要件であった。


 そして、1953年529日、午前11時半。ついに二人の男が「世界の頂点」に立った。

 その一人は言うまでもなく、“民衆の代表”テンジンであった。敢えて言えば、エリートと庶民のそれぞれの代表が、あらゆる違いを乗り越え、手を携えて頂点を極めたのである。画のような情景であった。

 ――「エベレスト、世紀の登頂!」

 ニュースは全世界を駆け巡った。

 報がロンドンに届いたのは、エリザベス女王の戴冠式の直前であった。これ以上の祝福もなかったであろう。


 欧州の報道では、その多くがヒラリーのみを主役とし、テンジンは完全に脇役であった。眼中になかったのかもしれない。

 しかし実際は、テンジンの力なくして成功はあり得なかった。

 そして、テンジンの存在こそが「世界最高峰」を極めるという“人類の快挙”を、真に義づけた画竜点睛であったと私はう。

 それは、「民衆の実力」を絶対に無視することのできない〈新しい時代の夜明け〉を象徴していたからである。

 広宣流布のエベレストもまた、その登頂の栄光を抱くのは、真に労した民衆自身でなければならない。また、世界のすべての分野においても同様である。この「民衆の時代」登頂のために諸君がいる。


 ヒラリーとテンジンは、世間の惑とは関係なく、互いに深い尊敬と友情で結ばれていた。極限の労を共にした“岳友”に隔てはなかった。

 テンジンは語った(1964年)。「山には友情がある。山ほど人間と人間を結びつけるものはない」と。

 下界のわずらわしさは、“世界の高み”では塵のようなものである。何より“境涯の高み”にを据(す)えれば、小さな利害や情など、ものの数ではない。

 だから――とテンジンは提案する。

問題があったら、山で解決すればいい。(ソ連)のフルシチョフも、(アメリカの)ジョンソンも、そして(インドの)ネールも、(中国の)毛沢東も……」

 文字通り、サミット(山頂)会議の提唱である。

 実際に山に行くかどうかは別にして、指導者が小さな利害や立場を乗り越え、「高山」「境涯のエベレスト」に登って、広々とした気持ちで率直に対話することこそ、人類の悲願であるに違いない。

 私が、米ソ首脳会談をはじめ、人類の課題についてはトップとトップが腹蔵なく語り合っていくことが先決であると主張してきた理由の一つもここにある。


 ともあれ、社会の変化のスピードは速い。問題は、その変化が人間にどのような「生き方の変化」を要求しているのか――それを自覚することなく、百万言を費やして時代を語ろうとも、所詮は流転の波間に溺れゆくに違いない。

 日本も、また個人も団体も、そうであってはならない。

 ゆえに今こそ、人間としての見識を高め、境涯を高めゆく時なのである。


人間主義」「生命主義」の時代。その主役は、若くして最高の哲学を持った諸君である。諸君以外にあり得ないことを確信していただきたい。

 そして、「正法流布」こそ、万年永遠の山であり、民衆勝利への遠征である。

「平和」と「文化」という、その高峰(こうほう)を極めゆくために、「諸君よ、『我が人生のエベレスト』『我が青春の最高峰』に勇んで挑戦せよ」と私は願しておきたい。

 一日一日の山、一つ一つの課題を着実に越えながら――。

 最後に、若き諸君が常に日蓮大聖人の御書を深く深く拝読されることを望みたい。

 そして、最高に有義なこの一年を全員が勝利で飾り、また、創価学会の先駆となり、大原動力となって走り抜いていただきたい。


【第19回全国青年部幹部会 1990-01-08 創価文化会館


 シェルパが置かれた環境はいまだに劣悪だ。アルピニスト野口健氏が「シェルパ基金」(NGO)を立ち上げている。


 現在でも、登山家が亡くなった場合はニュースとなるが、シェルパが死亡しても記事になることはない。


 広宣流布という山は、エベレストよりも壮大で険しいことを我々は自覚する必要がある。


 野口氏によれば、エベレストの山頂近くには人ひとりがやっと歩けるほど狭いルートがあり、凍死して凍ったまま放置されている遺体を踏まないと辿り着けないそうだ。文字通り、「屍(しかばね)を乗り越えて」頂上を制覇するという。


 その上、登攀(とうはん)した後の方が大変で、事故の大半が下山する際に起こっている。つまり、「進むも地獄、退(ひ)くも地獄」という状況なのだ。


 広宣流布の山並みも同様だ。草創の先輩が切り拓いた道を、後から歩くのは楽チンだ。青年ならば、誰よりも厳しいルートを選べ。

そして謎は残った―伝説の登山家マロリー発見記

登山は、敢えて「困難に挑もう」とする文明人の行為


 単に「生きている」だけなら、わざわざしい山登りなどする必要はない。登山は、敢えて「困に挑もう」とする文明人の行為であり、「不可能を征服すること」(フランスの登山家ヤニック・セニュール)である。いわゆる原始人は、「狩り」はしても「登山」はしない。言い換えるなら、登山は自己の可能を探る冒険といってもよい。

 宗教もまた、単に「生存している」だけなら必要ないかもしれない。しかし、「よりよく生きよう!」「より高い境涯に登ろう!」とした時、正しい宗教が必要となる。登山が文明人の行為であるごとく、宗教も文化人・文明人の証なのである。


 アルプスのあるガイドは書いている。

「まずなによりも、わたしたちは生命が、真の生命が好きなのだ。そして4000メートルの空気には、特別の味わいがある」「真の人間は、自分に対して、きびしい者でなければならない。彼のをしずめ、その運命に満足させるには、テレビでは事足りない。志があれば、道は通じる。彼は生存しているだけでは満足できない。彼は自ら生きたいのだ。彼には肉体と魂があるのだ。高嶺は、彼に、行動と瞑を与えてくれることだろう」(ガストン・レビュファ『星と嵐』近藤等訳、白水社刊から)

 つまり、彼は言うのだ――真の生命を戦い取るために山に登る。私は、テレビを眺めるだけの“受動的な人生”“生きながらの死”を拒否する。労の道を進んだ方が自身のためになる――と。

 この「困への愛」に「真の人間」の証明がある。

 烈風に吹かれながら、ナイフのように鋭き山稜を進む。絶壁に足掛かりを刻み、一歩一歩、更に次の一歩と踏み出す――。

 山との格闘は、そのまま自分との格闘である。


【第19回全国青年部幹部会 1990-01-08 創価文化会館


 本日付の聖教新聞に掲載された「随筆 人間世紀の光」を読んで、予定が変わった(笑)。呼吸は合っているのだが、書くタイミングが少し遅れてしまった。


 人間の種類を大きく分けると山派と海派になるらしい。私は札幌の地で、手稲山を見つめながら育ったので完全な山派である。上京してからというもの、関東平野には目印となる山がないため、今でも方角がわからなくなることが多い。


 ガストン・レビュファの『星と嵐』は最も好きな本の一つ。山好きでなくとも手にした人は多い。フランスのクライマーが紡ぎ出す言葉がこの上なく詩的で美しい。


 天に近い場所は、人間を斥(しりぞ)けようと険の峰で立ちはだかる。そこを制覇した者にしかわからない世界が確かにある。

星と嵐―6つの北壁登行 (集英社文庫)

永遠に朽ちぬ生命の日記を綴れ


 ペトラルカは、先人の書から、「自己自身を知れ」という呼びかけを聞き取った。

 時代や社会は様々に変化する。だが、幸福も不幸も結局は、「自分自身」に帰着する。

 御書に「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(563頁)と。つまり、「八万四千」とも形容される膨大な経典も、すべてことごとく「一人」の生命について記した「日記」の文書である、と仰せになっているわけである。

 自分を取り巻く現実の世界で日々、刻々と起こり、展開されてゆく出来事は、すべて自分自身の生命が綴っている「日記」ととらえることもできる。

 宇宙より広大な我が内なる「の世界」に、どのような“日記”を記していくか。三世永遠に続いてゆく、この我が生命を、どのような人生の“文字”で綴ってゆくか。喜び、あるいは悲しみの色の文字となるか。幸福、あるいは不幸のページとなるか。それは、時代や社会がどうかで決まるものではない。すべて「自分自身」に帰着するのである。

 青年部の諸君は、今は悩み多き時かもしれない。試練の人生の季節かもしれない。しかし、その闘の時代に、自分自身の偉大なる広布の日記を綴っていただきたい。永遠にして不朽の生命の日記を記していただきたいと強く願する。


【第18回全国青年部幹部会 1989-12-09 創価文化会館


 人生とは、何かを探し続ける旅路のようなものだ。「何を」「どのように探すか」で幸不幸は決まるのだろう。


 間もなく2007年も終わろうとしている。今年の決はどの程度達成できたであろうか。学会員は振り返ることを知らぬタイプが多いが(笑)、静かにこの一年を顧みることも大切だ。


 人生の折々に様々な目標がある。それに向かって怒涛の如く進んでゆくと、知らぬ間に人間革命が進んでいる。これを化城即宝処という。


 化城とは、同行者を奮い立たせるための詐欺的神通力っていたのだが、人生を欲的に過ごすための目標と捉えれば腑に落ちる。それが単なる欲望によるものであれば、化城のままで終わってしまうだろうし、智を発揮できれば人間革命が伴う。


 ということは、目標は何でもいいのだ。問題は「歩き方」だ。


 闘のさなかにいる同志は、起承転結の“転”に向かっていることを確信せよ。偉大なる劇の主人公として、不屈の魂を燃やせ。

『官僚病の起源』岸田秀


 個々の官僚を道義的に非し、官僚が道義的になりさえすれば問題が解決するとっている人がいるようであるが、そういう人は、無能な上官の排除のシステムが欠けていることや、兵器の改良より兵士個人の熟練を重視することや、補給や情報を軽視することなどの、組織的欠陥のために敗北を重ねる日本軍の弱さの問題を、個々の兵士の勇気の問題にすり替え、個々の兵士が勇敢になりさえすれば勝てるとい込んでい叱咤激励するしか能がない司令官をわせる。

 道義や勇気などの個人のレベルに問題を見ることは、真に問題にすべき組織のレベルの欠陥から目を逸らし、かえってその欠陥を温存することになりかねない。


 たとえば、十何年か前、山本七平との対談『日本人と「日本病」について』のなかで指摘したことであるが、幕府が江戸に北町奉行南町奉行の二つの司法機関を設けえ毎に交替させていたのは実に賢明にして巧妙な処置であった。幕府は奉行所というものが自閉的共同体となりがちなことを知っていたのである。自閉的共同体となった奉行所は身内や身近な人の犯罪は見逃すであろうし、仲間が誤判をしてもそのことを隠して、正しい判決だと強弁しつづけるであろう。しかし、1ヶ後には別の奉行所が事件を審理することになっていれば、そこに歯止めがかかる。

 組織が自閉的共同体化しがちな日本においては、立法、行政、司法の三権分立制度よりも、同じ機能の組織を二つつくって交替させるこのような制度のほうが、権力の乱用を防ぐのに向いているかもしれない。


 特権識がよくないのは、官僚が国民に対して威張っていい気分になるからではない。官僚がいい気分になるだけですむなら、大した害はない。特権識が危険なのは、官僚が国民の犠牲において多大の利益を享受することを正当化する根拠として使われるからである。官僚の不正の背景には、必ず、おれはとくに選ばれた優秀な人間で、国のためにこんなに働いているのだから、これぐらいのことはいいんだというような、不正を正当化する特権識がある。腐敗官僚は気が咎めながらコソコソと不正をしているわけではない。だから、逮捕されたりすると、運が悪かったとしかわないのである。

官僚病の起源 歴史を精神分析する (中公文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2007-12-28

明年は「人材・拡大の年」


 現場の人材も足りないのだが、ネットの人材はもっと足りない(笑)。Webの可能は、距離を越えた見交換、人間関係の広がり、情報収集、情報蓄積などにあるとうのだが、ネットにおける学会勢力は全く形成できてないのが現状だ。


 理由がいくつかある。まず、実際の学会活動や仕事が多忙を極めていること。次に、ネット情報を引用することを禁じているお達しがあること。そして、Web上では傍観者的態度を決め込んでいる学会員が多いことなどが挙げられよう。メールすら満足に使えてない人が多いようにじる。


 そこで、2008年はWeb上の人材を広く求めて参りたい。私が孤軍奮闘している場所は以下の通り――

 これが中々大変なんだ。「じゃあ、手伝ってやろう」という殊勝な方がいらっしゃれば、是非ともご連絡願いたい。


 創価系のポータルサイトを誰か作ってくれないかしら? 登録型リンク集と掲示板、及び分科会(好き勝手なグループ)みたいなものがあれば十分だとう。分断されたままの状態で、情報を蓄積することは不可能である。こうした試みが自発的に行われない限り、広宣流布の次の展開は望めない。


 ある程度の人数が集まれば、情報交換、見交換、教学研鑚、広布史、教史、学会指導、資料収集はしくはない。学会本部ですら、まだ戸田先生の指導のデータベース化も出来てないのだ。

偉人は苦難の中で歴史を残す


 トインビー博士は、大著『歴史の研究』の中でも、ダンテに多く言及されている。博士の叔父さんも、有ダンテ学の権威であった。

 博士は書いている(『歴史の研究』第3部「文明の成長」)。

「フィレンツェに於ける生得権を失うことによって、ダンテは世界の市民権を獲得した」(『歴史の研究』刊行会版第6巻)

 すなわち、追放によってはじめて、ダンテは狭い「フィレンツェの市民」から「世界市民」となった。また、時間・空間に縛られた現世の枠から解き放たれて、「永遠」を祖国とする人間になっていった――と。

 それは、運命の「挑戦」に対する、最高の「創造的応戦」であった。ここに“偉人”と呼ばれる人に共通する“人生の軌道”がある。

 存在が大きければ、当然、圧迫も大きい。しかし、圧迫が大きければ、より大いなる知恵と力を振り絞って活路を開いてゆく。迫害の嵐をも、上昇への気流へと変えてゆく。

 この執、この創造的精神をもって一生を戦い抜いた人こそ偉人である。


 書くこと、語ること、歌うこと――ダンテにとって、それは全生命を賭けた「戦い」であった。

 中国最大の歴史家・司馬遷は、権力による理不尽な迫害に耐えて耐えて、不朽の『史記』を完成した。彼は言った。

 ベートーベンの「第九交響曲」が多く聴かれる年末となったが、彼がこの「歓喜の歌」を作った時、彼の生活には何ひとつ歓喜といえるものなどなかった。しみの底にあって彼は、「歓喜の歌」を自らの“胸中から取り出し”、人類に示したのである。

 ダンテ亡命の悲哀の中で死の直前に、執の書『神曲』を完成した。

 トインビー博士は、こうした“人類文化の法則”を知り抜いておられた。

 私に対しても一貫して、“一時の非など当然である。歯牙にもかけず、歴史における重大な使命を果たしてほしい”との態度であられた。

 私は今、4年前の病気という“挑戦”を機に、本格的にスピーチに取り組み、“創造的応戦”を続けている。それもすべて、後世の歴史家と人類に向かっての叫びである。


 さて、ダンテが『神曲』で図したものは何であったか。彼はある手紙の中で、その目的をこう書いている。

「この世に生きる者を悲惨から救い出し、至福へ至らしめることである」と。

 法でいえば、菩薩的精神ともいえよう。

『神曲』には「なぜ人間は、しく、みじめな状態に堕ちてしまうのか」「いかに生きれば、幸福へと上昇できるのか」という大いなる問いかけが、はらまれている。


『神曲』の「地獄篇」には、大きく九つの地獄が描かれている。それぞれ、「欲望にとらわれた者」「暴力者」「反逆者」などが地獄に堕ちてしむ姿を、極めてリアルに表現している。

 ちなみにダンテによれば、「反逆」の罪を犯した者の地獄が最も下部の地獄である。中でも、人(主人)に反逆した人間は、地獄の最低の場所で、氷の中に永遠に閉じ込められている。また、王に食べられ続けている。

 彼が、どれほど「裏切り」の罪を重くみていたことか。

 もとより、主としてキリスト教的な世界観の範疇(はんちゅう)ではあるが、ダンテは彼なりに、厳しき「生命の因果律」を垣間見ていたといえよう。

 イギリスのある詩人は『神曲』について、「永遠の正義の法則」を表現しているとし、それは東洋の言葉でいえば「カルマ)」の法則であると論じている。


 尚、『神曲』の元々の原題は、「喜劇(喜曲)」である。「神聖な」という語は後世に加えられた。

 なぜ、「喜びの劇」なのか――。それは、始めと途中は悩の劇であっても、最後の幸福な結末(至高天への上昇)を迎えるからである。

 ここに、“しみから喜びへ”という「宿命への挑戦」のを読み取れるかもしれない。


【第18回全国青年部幹部会 1989-12-09 創価文化会館


 最初に余計なことを書いておくと、「おじさん」には3種類の表記がある――


 1.伯父さん(父母の兄)

 2.叔父さん(父母の弟)

 3.小父さん(縁戚関係ではない)


『神曲』の原題は「Commedia(コメディア=喜劇)」だった。これに、ボッカチオが尊称をつけ「La Divina Commedia(神聖なる喜劇)」となった。


 編集者の松岡正剛氏がこのように綴っている――


 ここには人文の地図があり、精神の渇望があり、文芸のすべてに及ぶ寓が集約されている。それは宇宙であり、像であり、国家であり、そして理の実践のための周到なエンサイクロメディアの記譜なのだ。また、あらゆる信と堕落の構造であり、すべての知の事典であって、それらの真摯な解放なのである。


 私はまだ読んでない。来年の目標の一つに入れることにしよう。


 という溶鉱炉は、ありとあらゆる虚飾を剥(は)ぎ取る。絶望と懊悩(おうのう)の果てに裸の自分がさらされる。深淵(しんえん)の底から、偉人達が発した光は何だったのか。それは、経済的成功や利とは無縁のものだった。生命の本然から発する創造が、希望の光となって人類を照らしたのだ。


 この光を、万人の胸に灯(とも)そうとされたのが釈尊であり、日蓮聖人だった。


 池田門下生であるならば、最もしい時に最大の福運を積んでいることを確信しながら、堂々と一生を歩み抜こう。


神曲〈1〉地獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) 神曲〈2〉煉獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) 神曲〈3〉天国篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

福田首相の謝罪は重い


福田首相、薬害肝炎原告らに「からおわび」と謝罪


 福田首相は25日夕、薬害C型肝炎集団訴訟の原告らと首相官邸で会い、「からおわびを申し上げます。私自身も一日も早くこの問題を解決したいとっていた」と謝罪した。


【読売新聞 2007-12-25】


 福田首相の謝罪は重い。官僚は絶対に謝らないため、かような場合「お詫びしたいといます」と言うのが常。細かい部分に政治的メッセージが隠されている。厚生労働省は省益を守り、天下り先の薬品メーカーの利益を守るのが仕事だ。人間の皮をかぶった畜生といってよい。

「人権」は人類の根本的課題


SGI会長●「人権」は人類の根本的課題です。今後ますます緊要となるでしょう。

 端的に言って、歴史の流れは、「平和」が実現すれば、個々の「人間」の問題が前面に出てくる。「人間」に光が当てられれば、次はその「」、また「生命」に焦点が絞られてくる。私は根本的には、この「生命」の視座から一切を見ています。

 もちろん時代が直線的に、こう進むというわけではない。また、これらすべてが不可分であることも言うまでもない。その上で、これからの時代は、「平和」「軍縮」は当然として、様々な「人権」の確立が一段と重要になってくると見ています。日本もその味では、まだまだ人権識が低い。いわんや世界への貢献は、これからの段階です。


【ラフューディン・アーメド、ヤン・モーテンソン、国連事務次長と会談 1989-12-05 聖教新聞社】


 昨日、パキスタンのブット元首相が暗殺された。犯人は銃撃した直後に自爆。同国の民主化が遠のいた。


 民主主義と人権はセットである。切っても切り離せない。これが、「単なる制度」となっているところに問題がある。大体において普通の人は、自分の人権には関があっても、他人の人権は平然と無視するようなのが多いからね(笑)。


 薬害肝炎訴訟にしても、戦っているのは被害者の方々だけだ。何かしようと立ち上がった薬品メーカーは皆無で、糾弾のを上げた作家もいない。三菱ウェルファーマ(現・田辺三菱製薬)製品の不買運動すら起きなかった。誰も何もしてない。遠巻きにして見物しているだけだ。そう、あなたも私も。


 我々は公然と人殺しが行われる社会に生きている。交通事故なんか、その典型だろう。本気で根絶しようとうなら、歩道と道路に1メートルぐらいの段差を設ければいいのだ。そして、信号は全てスクランブル交差点にして、歩行者が横断する場合は車を全部ストップさせる。これだけで、交通事故死は70%以上減るだろう。


 米ソの冷戦構造はなくなったものの、米国は世界のあちこちで巧妙に軍事的緊張を演出している。これこそが、「テロとの戦い」の本質だ。米国が目指しているのは、民主化した上で資源を奪い、米ドル(外貨)を必要とする国家を増やすことなのだ。


 まあ間違いないのは、イラク国民に対して人権を認める米兵はいないってことだ。


「一人を大切にする」ことは至(わざ)である。そう簡単にはいかない。

2007-12-27

人間として評価されよ


「鮨屋へ来て、鮨ができるようになるのは当たり前なんだ。要はそういうことではない。しょせん鮨屋というものも、男女ある人間の、その半分の男の、そのまた無数にある職のなかの一つでしかない。そういう狭い範囲のなかで一人前とか、二人前だとかいうような小さな評価はよしなさい。それよりも人間としての評価の方に比重をおいてものを考えるようにしたほうが、のちのちおまえのためになるよ。人間としての評価ということになると、鮨屋だから鮨をにぎっているというだけでは足らないんだ。目を大きく外に開いて、いろいろ知識を身につけておけば、将来、おまえがお客様のお相手をさしていただくときになって、ったよりも役立つことに気がつくことがあるよ」


【『神田鶴八鮨ばなし』師岡幸夫〈もろおか・ゆきお〉(草思社、1986年/新潮文庫、2003年)】

神田鶴八鮨ばなし (新潮文庫)

2007-12-26

英人口、60年後に日本を逆転・英政府推計、移民増で高出生率


 現在は日本の約半分にすぎない英国の人口が60年後に8000万人を超え、日本を逆転する見通しであることが英政府の人口推計で明らかになった。急ピッチの移民流入に加え、出生率が高位で安定するためだ。人口増は英国の潜在経済成長力を押し上げ、将来の国民の社会保障費負担も抑制される。人口減が確実視される日本とは対照的な展望だ。

 英政府が改定した人口推計(中位)によると、移民流入の影響で今後15年間に総人口は毎年43万〜44万人増加。子だくさんの移民の増加に伴い英国全体の合計特殊出生率(1人の女が一生に産む子供数)は1.9前後で安定する。総人口2028年に7000万人を突破。66年に約8100万人と現在の 1.3倍に膨らむ。

 一方、日本の政府人口推計(中位)では総人口は現在の約1億2770万人から46年に1億人を割り込み、65年に8000万人を下回る。


【日本経済新聞 2007-12-26】

ダンテ『神曲』の主題


SGI会長●彼が『神曲』を著した主題は何であったか。ある書簡の中で彼は言う。この作品の目的は「この世に生きる者を悲惨から救い出し、至福へ至らしめることである」と。

 悩める人をいかに幸福へ導くか。地獄しみにある民を、どうやって幸の天上へといざなうか。ここにダンテの透徹した視点があり、後世まで人々のを魅了してきた秘密がある。

 しかし、彼の生涯は迫害の連続であった。故郷を追放され、放浪の20年間の後に、遂に帰郷できぬまま世を去っている。

 ミケランジェロはうたった。

「彼の母国は正当な願望に門を閉ざした。/まさに忘の国、しかも困ったことに/彼の悲運の乳母だ。このことは示している/最高の完成者こそ最大の侮蔑をもって遇されることを」「彼に比肩する者、彼より勝れた者がかつてこの世に生まれたこともなかった」(土岐慎二訳)と。


女史●SGI会長の指摘は全く正しいものです。ダンテの偉大さは、彼が人類のために一生を捧げたことであり、その考えを変えずに生涯を貫いたことです。


SGI会長●「民衆のため」「人類のため」との精神は、法で説く「」のにも通じ、ダンテの生き方は慈悲の道に生きる法者の精神と響き合うものとう。私がダンテを愛読し、敬愛するのも、そこに大きな理由があります。


フランチェスカ・ボッキ、イタリア・ボローニャ大学教育学部長と会談 1989-12-03 聖教新聞社】


 ボローニャ大学は世界最古の大学である。1088年の創設というのだから凄い。ダンテも学んだ。1994年61日には池田先生が「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」と題して講演。その際、誉博士号が授与されている(ドクター・リングが贈られたのは世界で二人目)。


 ダンテは大聖人と同じ時代を生きた。文永2年(1265年)生まれである。もっとわかりやすく言えば、小松原の法難の翌年に当たる。


 当時、書物はラテン語で書かれていた。庶民はイタリア語を話していたが、無数の方言に分かれていて、統一した形がなかった。そうした中で、ダンテは敢えて俗語であったイタリア語(トスカナ語)で多くの著作を記した。(対談より)


 女史は語っている。「つまりダンテは、イタリア語で考え、信ずることを私達に教えてくれました」と。


 その上、迫害多き人生であったことを知ると、大聖人の御一生と重なるところが多い。さしずめ現代であれば「ガンジー、キング、池田」ということになろう。

2007-12-25

満4周年


創価スピリット」はこの指導から始まった――

 私が八王子に引っ越して来てから半年が経過していた。江東区とはあまりにも勝手が違っていた。まず、会合が少なかった(笑)。次に、幹部が家庭指導をしてなかった。そして、組織の動きが緩慢だった。にも関わらず、幹部の連中が妙な自負を抱いていた。まあ、田舎といっていいだろう(笑)。


 私がメールマガジンを発行したのは、「これが平均的な組織だったら、大変なことになる!」という危機からだった。


 既に壮年部となっており、暇なことも手伝って、駄文を記すことにした。だが、どの程度の影響があるかは全くわからない。アクセス数はあるが、外と大したことないかもね(笑)。


 それでも一向に構わない。ここに綴っていることは全部、青年部時代の覚え書きみたいなものだから。私の中に燃え盛る“江東男子部の魂”が、少しでも伝われば満足である。


 振り返れば、私が折伏した遠隔地のメンバーとやり取りするために設けたのが「創価学会ML」だった。2001年1228日より開始して、2006年331日まで続いた。5年3ヶの間に1万504通のメールが飛び交った。ここで私は、初めて組織以外の知遇を得た。


 MLと比較すると、ブログというのは実に味気がない(笑)。それでも、悩み事を相談されると身体が動く。実際は、キーボードを叩く指しか動いてないのだが、覚としては身体が動いているのだ。


 私の生命(いのち)の中には、師匠と多くの先輩から寄せられた“い”が駆け巡っている。その一分でも伝えられればと願している。

“魂の自由”を拡げよ


 ともあれ、広布に邁進しゆく我々は真の子である。ゆえに、大聖人の御振る舞いを深く生命に刻み、子としての使命と誇りに、豁然(かつぜん)と目覚めていかねばならない。

 世の中は矛盾に満ちている。しかし、御本尊の功力は宇宙大であり、三世永遠である。この御本尊を受持した我々に何を恐れるものがあろうか。いかなる権威権勢にも、いかなる邪悪な勢力にも、断じて臆してはならない。臆病であっては、すべてにおいて損をしてしまう。

 何ものにも奪われない“魂の自由”――ここに、今や世界の良識の眼は注がれている。“民衆の時代”への新たな動向も、“魂の自由”を広げゆく胎動に他ならない。いわんや信仰は、最も深く、最も強い“魂の自由”である。“魂の自由を守れ!”。この叫びこそ、私どもの信仰実践の精髄であると、強く申し上げておきたい。


【第9回全国婦人部幹部会 1989-11-29 創価文化会館


魂の自由ってえのあ、界のことだな」――当時はその程度にしか考えられなかった。


 1985年(昭和61年)にゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長に就任。ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ情報公開)を断行した。これが、東欧の民主化革命の導火線となり、ベルリンの壁をも崩壊させた(1989年119日)。この指導がなされたのは、チェコスロバキアでビロード革命が起こっている真っ只中のこと。


 次々と、世界各地で「民主化」が産(うぶごえ)を上げていた。大いなる時代の変化をじながらも、日本はまだバブルに酔いしれていた。僧・日顕の謀略が発覚するのは一年後のことである。


 真の自由は、束縛を解いた人にしか味わえない。束縛が常態と化すと、人は環境に従う。例えば、劣悪な労働環境で働く少年少女は世界中にいるが、親は食い扶持(ぶち)が減るだけでも助かっているのが現状だ。


「衣の権威」という束縛に我々が気づいたのは、1990年(平成2年)1227日以降のことである。この日、先生が法華講総講頭を罷免(ひめん)された。それまで、広宣流布の先頭に立ったこともなく、学会の後ろから付いてきた坊主が、突然斬りつけてきたのだ。皆が唖然とした。金魚の糞が、金魚を襲おうとしたのだ。吃驚(びっくり)するわな。

 当時はまだ、血脈相承という秘密の儀式を重んじていたこともあり、学会は直ちに反撃するような真似はしなかった。秋谷会長(当時)が幾度となく、法主に対して話し合いを求めた。ところが日顕は、これを拒絶。「お目通りかなわぬ身」などと時代錯誤も甚だしい言い草だった。


 創価学会が反転攻勢の狼煙(のろし)を上げたのは、「破門通告書」(1991年1128日)以降だと記憶する。ファックス通信「地涌からの通信」が、日顕を呼び捨て表記にしたのが、これに先立つ1011日のことだった。

 我々は宗史を学ぶことによって、魂が鎖で縛られていたことに気づいた。そして、ここから本化(ほんげ)の池田門下生が陸続と登場したのだ。学会は、「会長勇退」(1979年)という“迹”をはらい、いよいよ本地を顕(あらわ)す時代となった。


 あれから既に17年が経過しようとしている。宗門問題を知らない世代も増えている。また、宗門問題の義を知らず、組織悪の奴隷となっているメンバーも多い。


 本日、「創価スピリット」を発行してから4周年となった。この指導を綴ったことが偶然とはえない。不議な使命をじる。

2007-12-24

週刊現代、矢野氏 に賠償命令


公明議員OBが全面勝訴


虚偽の記事で誉毀損


謝罪広告掲載も命じる/東京地裁


 公明党議員OBの大川清幸(元参院議員)、伏木和雄(元衆院議員、元党副委員長)、黒柳明(元参院議員、元党副委員長)の3氏が、講談社発行の「週刊現代」で2度にわたり悪質な中傷記事を掲載されたことについて誉を毀損されたとして、発行元の講談社(野間佐和子代表取締役)と、出樋一親・同誌編集長(当時)、矢野絢也元公明党委員長らの3者に対し、損害賠償請求と同誌への謝罪広告掲載を求める民事訴訟を起こしていた裁判で、東京地方裁判所は21日、一連の記事の虚偽を認め、大川氏らが「精神的痛を被ったことが認められる」として連帯して原告3氏それぞれに対し、講談社と出樋元編集長が220万円ずつ(合計660万円)、矢野元委員長が110万円ずつ(合計330万円)支払うとともに、3被告全員に同誌への謝罪広告掲載を命じる判決を言い渡した。


 一方、矢野元委員長が求めていた手帖返還については請求を棄却。大川氏ら議員OB3氏の全面勝訴となった。


 問題の記事が掲載されたのは2005年86日号と同13日号の同誌。6日号では、矢野氏の“極秘メモ”を記録した衆議院手帖100冊について、大川氏らが矢野氏に執拗に強要して同氏宅の本棚から押し入れ、妻の部屋まで家捜しし、資料を「奪い」「持ち去った」と中傷。13日号では、「公明党OB議員からの提訴は笑止 矢野絢也氏が『手帖強奪』の真相激白」との見出しを付け、同元委員長のコメントを中に虚偽の記事を掲載。このため、大川氏らは6日号、13日号の発行後、それぞれについて矢野氏らを相手取り提訴していた。


 判決で東京地裁は、「被告矢野は、原告らの求めに応じ、自らのに基づき、本件手帖等を交付し、被告矢野宅内を案内したことが認められ」「被告矢野の強い抗議にもかかわらず家捜しを2回にわたって強行したとの事実は認められない」と、大川氏らとの合の上で手帖が渡されたものと認定した。


 裁判では、矢野元委員長や妻が3氏に脅迫されたなどと記事を裏付ける供述をしていたが、原告側から矢野元委員長らの虚偽を決定的に裏付ける証拠として、大川氏らが矢野宅を訪れた際の一連のやり取りを録音したテープを提出。被告側はテープは改ざんしたものと抗弁したが、判決では、テープは改ざんされておらず、矢野元委員長らの供述は虚偽であるとして、大川氏ら3氏を全面的に勝訴させたものである。


【公明新聞 2007-12-22】

古谷博


【『フェイク』第883号 2007-12-20)】


金銭問題で転落の人生


「小多仁伯」こと「古谷博」の品格なき素顔


飲食店経営で失敗、多額の借金を背負って逃げ回る


 日新報道という三流出版社から、また学会誹謗の本が出たことを「週刊新潮」(1227日付)が報じている。本の著者は「小多仁伯」となっているが、本は「古谷博」(65歳)である。この本の音読みをペンネームにしているのだ。


 古谷は学会の元職員であったが、女問題と金銭問題を起こして退職せざるを得なくなり、転落の人生を彷徨っている。


 今では極悪ペテン師・山崎正友の子分になり、大草一男ら妙観講が作っている「妙」、それに乙骨正生の「フォーラム21」に登場し、短期間だけ勤めた芸術部の元書記長の肩書きを悪用して学会批判を繰り返しており、更に「週刊新潮」の情報源にもなっている。


 この駄本の著者、出版社、それを紹介する週刊誌と、いずれも反学会系のオンパレードといったところだ。


 今週発売の「週刊新潮」が紹介している本の内容は、古谷が、これまで述べてきた与太話に妄を加えて虚飾した陳腐なもので、一読にも値しない。こんな本が定価1680円では買う人などいない。


 退転してを受け、現在、生き地獄の日々を過ごしている山崎正友や原島嵩、既に地獄に堕ちた竜年光らに共通するのは、己自身が引き起こした問題を棚に上げ、学会に責任転嫁して批判する点であるが、この古谷も、その例外ではない。


 まず、この古谷が退職したのは多額の借金が原因だった。古谷は職員でありながら昭和56年、同族会社の「昴(すばる)商事」を立ち上げた。これは服務規程違反だが、古谷は自らの氏は登記せず、陰から会社を動かす事実上の経営者になっていた。そして東京・世田谷区内に中華料理店「敦煌」を開店したものの、工事代金の四千八百万円を支払うことができずに逃げ回っていた。


 だが、者に訴えられて昭和60年4に敗訴して学会にいられなくなり、同年7、退職したのである。


 退職した後は、既に退転していた藤原行正(元都議)などの脱会者を頼り、その後、学生部の先輩であった山崎正友に接近して関係を深めた。これが真相であるが、古谷は平成16年11、学会本部に抗議文を送りつけて「私は、自分の関係する飲食店のことで、右翼団体や暴力団の嫌がらせを受けつつ、民事で係争中」と述べた上で、厚顔無恥にも、学会が「弱者」を守らなかったと癖をつけた。そして、その抗議文を平成16年121日付「妙」に掲載した。


 だが、考えても見よ、借金を踏み倒して逃げる古谷のような奴を「弱者」とは言わない。「盗人猛々しい」とは古谷、お前のことだ。


 まさしく、古谷は飲食店を経営して失敗し、多額の借金を背負い、債権者の取立てから逃げ回って、学会にいられなくなった品格なき下劣な男である。


 また、古谷の女問題だが、これは鹿児島県に出張した際、同県の女幹部であった中園球子と不倫関係になったのである。


 こんな絶対、あってはならない醜態を晒すのが古谷である。この二人は最近の121日付の「妙」紙上でも「小多仁」「中園」の前で小川頼宣、小川洋美らと一緒に学会の悪口を言っている許しい奴らだ。




【『フェイク』第884号 2007-12-23】


悪党に共通する自己弁護と逆恨み


山崎正友の下働き男・古谷博のウソを暴く


己自身の退職年を間違う奴の昔話が信用できるか


 退転・反逆の悪党に共通するのはウソを並べて己自身の失態を学会に責任転嫁して逆恨みすることである。


 前号で述べた通り、古谷博の退職は借金問題だが、それを「学会を見限った」故に退職したと書いている。腐りきった根である。


 小多仁伯(こたにはく)のペンネームで古谷が書いた学会批判本の内容も取るに足らない昔の戯言だが、いかに姑な奴であるかを、具体例を上げて指摘する。


 その第一は古谷が平成16年1118日、当時の秋谷会長に宛てた「抗議文」に見られる。その抗議文とは同年1018日付の聖教新聞の紙上座談会で「山崎にくっついている悪党は、まだいる。退転者の古谷博と小川頼宣というやつだ」「古谷というのは、飲食店を経営して失敗。借金を背負った揚げ句、債権者の取り立てから逃げ回って、学会にいられなくなった男だよ」と指摘されたことに対し、古谷が学会本部に無礼千万な一文を送り付けたものだ。


 その駄文を「妙」が平成16年121日付で大きく取り上げていた。


 その中で古谷は「山崎にくっついている悪党」との指摘が「著しく私の誉を侵害している」として「山崎師団」に触れたあと、「私も小川頼宣氏も、それには当てはまりません」と弁解。また「学会在籍の頃は、私にとって山崎氏は雲の上の人」と書いた後、今は「からのパートナー」と述べている。つまり「くっついている」のではなく、山崎と同格だとでも言いたいのか? 古谷や小川に「師団」を構成するような実力・能力がないのは百も承知だが、山崎の下で蠢いていたのは事実である。


 その証拠に今年94日、東京地裁で山崎自身が「古谷さんとは時々、会っている」「古谷さんはパソコンに堪能な人なので手伝ってもらった」と証言していたではないか。


 山崎は失明寸前で、字も下手クソだから、裁判所への提出文書の作成などを古谷にやらせていた。それを「山崎にくっついている」というのである。その指摘が「誉の侵害」ならば、山崎と決別すればよいだけの話である。


 次に、故か、悪か、己の退職の「年」を間違えている。これも抗議文の中で「私が貴殿に本部職員の辞表を提出しましたのは、忘れもしません、昭和62年6のことでございます」「私が本部職員を退職した本当の理由を、一番良く知っているのは、秋谷さん、あなたではないですか。おさらいのために、もう一度退職した理由を申し上げます。私が退職した翌昭和62年7は、東京都議会議員選挙があり、いくつかの区で二立候補して戦った激戦の年でした」と書いていた。


 古谷は何を寝ぼけているのか。昭和62年に都議会議員選挙は実施されていない。古谷が退職したのは昭和六十年だ。何が「忘れもしません」だ! 「おさらい」しなければならないのは、古谷自身だ。


 今回の『週刊新潮』では、素知らぬ顔で「私は昭和60年に学会本部職員を辞めて……」と修正しているが、一事が万事、己の退職した年を偽る、或いは間違うような奴のカビの生えた昔の戯言など信用できるか!

2007-12-23

首相、薬害肝炎の一律救済法案提出を表明…全面解決へ


 福田首相は23日午前、薬害C型肝炎集団訴訟で原告の求める一律救済に応じるため、救済策を盛り込んだ法案を議員立法で国会に提出すると発表した。

 首相官邸で記者団に語った。民主党など野党にも協力を呼びかけ、今国会で成立を図る方針だ。


【読売新聞 2007年1223日11時42分】


 遅まきながらというか、やり方が下手過ぎ。この間、原告団から逃げたばかりだから、何かあったのかも。「一律救済」だって別に褒められた代物ではない。当たり前の話だ。罪もない国民に毒を盛っておきながら、許認可の責任が問われなければ、国家が犯す犯罪は全て正当化されてしまう。

メールマガジンとメールに関するあれこれ


 時々、「メールマガジンがカラですが……」というメールが寄せられる。面倒臭いので一々返事は出さないようにしている。いずれもネット者だとわれるが、そんなことは「バックナンバー」で確認してもらいたい。無料で発行してるんだから、エラーだってあるだろう。つまらぬことでケチをつけられると、こっちのモチベーションが下がって仕方がない。


 ついでにもう一つ。私のもとには、一方的なメールが毎日寄せられている。まず、日常の活動に関する相談は地元組織で行うべきだ。毎回、同じ返事を出すのが煩わしいので、今後は一切返信しない予定。次に、挨拶メールも不要。それから、「私と同じ考えだ」という人は、自分でブログを立ち上げるべきだろう。「同じ考え」なら、私のブログを読む必要はない。


 文字だけであっても、強がったり、自分を大きく見せようとする姿勢は、直ぐわかる。

時に「知らない」ことが悪に通じる


 以前、ある副区長に10年前の問題を質(ただ)したことがあった。その人が当時の地区部長だったからだ。私は、何度か会合で顔を合わせた程度で、さほど知っている幹部ではなかった。


 私は開口一番、「○○さんの○○の件なんですが、何かご存じありませんか?」と言った。一瞬戸惑った顔をしながら、「それが……、全くわからないんだ」と答えた。相手の無知を指摘するつもりで、私は本人から聞いてる話を伝えた。それでも、「わからない」「確認しようがない」を連発してたよ。


 全くもって話にならない。10年を経ても尚、責任回避に汲々としている姿が情けない。親切のつもりで、少しばかり地の悪いことを二つ、三つ言っておいた。さほど効果はなかったが(笑)。


 家庭指導をする度に、酒にありつこうとしていた人物だ。その程度のことは既に知っていた。ま、個人的に会うことは金輪際ないだろう。


 無責任な幹部は必ず「知らぬ存ぜぬ」を決め込む。誠実なリーダーは、「知らなかったこと」を詫びる。「知らなかった」ということ自体がエラーなのだ。蟻の一穴(いっけつ)を恐れよ。

発行ミス


 大変、失礼した。誤って2通発行してしまった。しかも、順序が逆という失態。予約画面がカラだったので慌てて発行したところが、このザマ。

2007-12-22

ヤングミセス&ヤングでないミセス殿御返事


 数ヶ前から、衛星放映は大広間で見るのをやめた。狭い部屋の方が画面に近く、よく見えることに気づいたからだ。ただ、点が一つある。子供が騒がしいことだ。


 はっきり言っておくが、私は殺を抱いている。最初は舌打ちをして睨(にら)みつける程度だが、直接注することもある。


 私は全神経を傾けて先生の指導を拝している。ちょっとした物音で妨げられても、修羅界が200%を超える。学会の会合は全て法座である。ならば、その場を乱す行為は一切がこれ謗法となる。


 戸田先生は、質問会で赤ん坊が泣くと、「子供を泣かせるな!」といつも怒鳴っていた。


 これは、私が地区リーダーの時の話である。地区担もB担も幼い子供を抱えていた。しかし圧倒的な違いがあった。B担の子供は、幹部指導になると必ず騒いだ。しかも、よりによって二人一緒にだ。一方、地区担の子供は、いつも会合が始まった途端、スヤスヤ眠り出すのだ。そして、会合が終わると同時にすっきり目を覚ましていた。


 ま、B担の子がまともに育つはずがなかろう。愚かな母親は、子供が手のつけられない状況になるまで、自分の誤りに気づかない。「幼いから仕方がない」と決め込んでいる馬鹿親は、「周囲に迷惑をかける子供」を育てているようなもんだ。


 会合前にしっかりと祈しておけば、子供は絶対に騒がない。その程度のことは、婦人部でしっかり教えてくれ。

闘病中の後輩


 昨夜、私が留守の間に来ていた。短いメモには「9ヶ間の闘病を経て、やっと歩けるようにまでなりました」と書いてあった。若き後輩の死闘に涙――。


【※追伸/既に退院したとのこと。仕事もできるまでに復活した模様】

2007-12-21

「折伏」「指導」の本義


 一人の人間の生命を揺さぶり、動かしながら、正しい成への軌道へと導いてゆく――これが「折伏」の道であり、学会の「指導」の本義である。


【第9回全国婦人部幹部会 1989-11-29 創価文化会館


 たったこれだけのことが出来るか出来ないかで、地涌の菩薩かどうかが決まる。


 友の生命を揺さぶるためには、を開かせ、を通わせ、をつかむ必要がある。テクニックではダメだ。所詮、自分の生き方の問題である。


 まともな折伏、きちんとした指導ができる幹部は少ない。


 創価学会広宣流布の団体である。最も広宣流布に貢献した人が幹部になっていくべきだ。ところが現実は、そうなっていない。このまま行けば、本部職員は職坊主と成り果てることだろう。


 問題がありながら、不問に付されている職員が少なからずいる。学会本部は情報漏洩(ろうえい)を恐れているのだろう。これが第二、第三の山友や原島を育てる温床となるに違いない。


 生命の交流にこそ、本物の幸福がある。互いが互いを必要とする関係が真の団結だ。境涯の拡大とは、より多くの友とを通い合わせることに尽きる。組織のために会員を手段にし、選挙のために友人を利用するような姿勢は邪道だ。創価の王道は、この指導が全てである。

2007-12-20

私が最も好きなスポーツ


 それは、バドミントンである。江東区にいた時は一年ほどやっていた。引っ越してからは全くやってない。チームがあれば、是非とも参加したいところ。バレーボールの経験があるせいか、どうしてもレシーブでフォアハンドになってしまう。バドミントンのレシーブはバックハンドが基本だ。しかしながら、私はフライングレシーブができる(笑)。卓球でもできるよ。


 バドミントンの魅力は、敏捷と騙し合いにある。どんなスポーツでもフェイントはあるが、バドミントンとは比較にならないだろう。「コートのボクシング」と言われるほどの運動量がある。そして何と言っても、シャトルの音がたまらない。

全ページ修正完了


「はてな」の仕様が変わったのが8の頭だった。以前、指導の部分は太字にしてあったが、1行目しか太字で表示されなくなった。そこで、囲み線をつけることにしたんだが、やっとその作を終えた。まだ、少しおかしなページがあるかも知れぬ。妙な箇所を見つけた方がいらっしゃれば、ご連絡頂けると助かる。今後の予定としては、「創価クロニクル」に指導のリンクをつける予定。

一律救済案は受け入れ困難 薬害肝炎訴訟、舛添厚労相が会見


 薬害肝炎訴訟で、舛添要一厚生労働相は20日、同省内で記者会見し、原告側が求めている「全員一律救済案」をそのままでは受け入れられないとの考えを示し、血液製剤の投与時期で患者を線引きする内容の大阪高裁の和解骨子案を支持する方針を表明した。同日中に大阪高裁に伝える。

 その後記者会見した原告・弁護団は「要求が受け入れられない」として舛添厚労相が示した案を拒否し、和解協議を打ち切る方針を表明した。

 大阪高裁の骨子案は、東京地裁基準で責任の範囲内の患者については国と製薬会社の責任を認め1200万〜4000万円の補償を求めている。舛添厚労相はこの基準の対象外となる被害者も救済するため計30億円を新たに支払う向を示した。和解金が支払われる対象は、原告約200人、未提訴者約800人の計1000人との見通しを示し「事実上、全員救済になる」と述べた。


東京新聞 2007-12-20


 で、どうして米軍再編には191億円も出すんだろうね。これで、来る衆院選での自民敗北は決定的になったと見ていいだろう。全員救済すれば、一気に支持率が上がったのにねえ。やっぱり、この国にまともな政治家はいない。足し算、引き算もできないのだから。

『不肖・宮嶋 メディアのウソ、教えたる!』宮嶋茂樹


 報道カメラマンの宮嶋茂樹氏が、中学生向けにメディアリテラシーを説いた本。実にわかりやすく丁寧な文章が著者の人間を表している。未来部担当者、教育部は必読。中学の教科書に採用してもらいたいぐらいだ。巻末では、自分がカメラマンになった経緯を紹介し、将来の職をどのように選択すればよいかまで書かれている。


 気をつけてください。メディアから発信される情報の「もっともらしさ」というのがクセモノなのです。

 テレビに顔を出してしゃべっている人の中には、ニュースキャスターとか、コメンテーターと言われている人たちがいます。


「人を人ともわない凶行。このような凶悪な犯罪を許してはいけないといます」

「犯人は死をもって償うしかないでしょう」

被災者の住民のみなさんには、一日も早く立ち直ってほしいですね」


 そんなことを流暢(りゅうちょう)にしゃべっている人たちです。

 それはそれはごもっともなご見です。文句も言えません。反論の余地がありません。

 でも、こういうことは若い皆さんでもいつくような内容です。ほとんど味のあることとはえません。もっともらしすぎて、を傾けるのも損な気がしてきます。

「これからは同じことがくり返されないように、みんなで注し合いましょう」というような発言は、学級会レベル。いや、学級会以下のコメントではないでしょうか。


 テレビ日なんぞは、あらゆる犯罪を「格差社会に結びつける」傾向がありますな。コメンテーターで反対見を言ってるのは、私が知る限りでは橋下弁護士だけである。見の良否はともかく、そうした姿勢が好ましい。


 タレント化が進んだ挙げ句、ニュースキャスターは情的なコメントを発し、女子アナウンサーは正確な発音よりも容姿が重んじられるようになった。フジテレビの女子アナを見ると、私は吐き気を催す。若い内から、あれほどの“あざとさ”が身につくのだから、まともな世界じゃないだろう。もしも彼女達が、高額所得のタレントやスポーツ選手との結婚目当てで職を選んだとすれば、長期的展望による売春行為と断じてよい。


(ニュースキャスターが)サーッとヘリコプターで飛んできて、快適なワゴン車で現場に乗りつけます。お付きの人をたくさん引き連れ、ワーッと現場を見て、そのまま嵐のように去っていく。お忙しいので仕方がありません。

 でもそんなふうに、ササーッと表面しか現場を見ていなかった人に限って、「現地で徹底取材した」なんてテレビで堂々と語っているわけです。

 私が同じ番組に出演したら、

「徹底取材って言うけど、あなた、現地にいたのはたったの1日だけやないか!」

「おまえが取材したわけやないやないか!」って、ツッコミ入れますが。

 現場で徹底した調査や取材ができないコンプレックスがあるから、あたかも徹底取材したように言いたがるのではないでしょうか。

 キャスターはキャスターとして、おとなしく、記者が書いた原稿を読んでいればいいのです。


 もう一つ――


 みの(もんた)さんは、ついその場の勢いで不二家をズバッ!と斬ってしまったのでしょうが、その根拠が捏造(ねつぞう)報道では、どうしようもありません。だいたい、から晩までスタジオにいるような人が、ズバッ!とニュースを斬れるだなんて、い上がりです。現場も見ない、自分で調べもしない、スタッフから与えられた情報だけを頼りにズバズバものを言うから、ああいう間違いを起こすのです。


 古舘伊知郎氏には、放送作家が4人、スタイリスト、ヘアメークが1人ずつ、担当マネジャーが2人、広報が1人、付き人が2人の総勢11人が付いているそうだよ。ついでに言っておくと、私は筑紫哲也も嫌いだ。リベラルさを担保しようとするあまり、どっちつかずで何を言いたいんだかわからなくなることが多い。


 イスラエルとの国境付近では、イスラエルとレバノンのテロ組織「ヒズボラ」が激しい戦闘をくり広げていました。

 その時、本当に危険な最前線にいた日本人ジャーナリストは、私を入れて3人だけでした。でも戦闘が終了すると、「そこにいた」というジャーナリストがたくさん出てくるのです。


 わず笑ってしまったよ。


 アメリカと戦争中のイラク国内に滞在するには、イラク政府の許可が必要です。イラク側としては敵国籍のジャーナリストであろうと、アメリカがどんなにひどいことをしているのかを世界に知らしめるために、メディアを利用したいと目論んでいます。そうなると、ジャーナリスト、カメラマンともに、イラクに協力するために招かれたゲストと言ってもいいくらいです。


 これは知らなかった。アメリカも当然、メディアを利用している。しかももっと巧妙に。


 メディア側は公正中立な報道という看板を掲げていますが、あくまでそれは報道する側の理でしかないのです。

 ニュースや報道番組が「真実」を放送していると、勝手にい込むのもやめましょう。あくまで伝わってくる情報は、あなた自身が考えて結論を出すための「素材」ぐらいの役割しか果たさないのです。つまり、ひとりでじっくり考え、判断することが、情報に惑わされないための方法であると言えます。


 例えば、アフガニスタンで自動車が爆破されたとしよう。すると、犯人=テロリストという考が自動的に働く。パブロフの犬さながらに我々は条件反射をしてしまうのだ。アフガニスタン政府がこの手を利用しないとは断言できない。


 大体ね、「テロとの戦い」なんて言葉は信用しちゃダメだよ。実際問題、大量破壊兵器を持っているのはアメリカなんだから。暴力団が拳銃を突きつけて、民間人からハサミを取り上げようとしているのが、アメリカの覇権主義の実態だ。


 メディアから垂れ流される情報は、全て図が隠されている。しかも、許認可事であるがゆえに、権力の言いなりになる傾向が顕著だ。


 日本は農耕民族型村社会であるがゆえに、「噂」という文化がある。そして、噂話を鵜呑みにして、他人を黙って白い目で見つめる。村では、一度レッテルを貼られると取り返しがつかない。そんなどうしようもない国で、創価学会が発展した事実は重い。


不肖・宮嶋 メディアのウソ、教えたる! (14歳の世渡り術) (14歳の世渡り術)

2007-12-19

天英院


 いやあ、今日放映された「超歴史ミステリーロマン 大奥III」(テレビ東京)は凄かった。大奥が陰で徳川家を動かしてきたことが、よく理解できた。天英院は大石寺三門供養した人物。チト、呑みながら見ていたせいもあって、正確な内容をい出せない(笑)。ご覧になった方がいれば、どうか私宛に内容を書き送ってもらいたい。徳川吉宗を擁立し、赤穂浪士の討ち入りまで操っていたという話で、最終的には倒幕まで導いたという。これが事実であれば凄い話だ。文字通り、世の中を引っくり返したと言ってよい。番組で紹介された人物は以下の通り――

少女パレアナは何にでも喜びを見出した 


 パレアナは、どんな人に会っても、何かしら「嬉しいこと」「喜べること」を見つけた。誰だって、自分に会ってから喜んでいる相手に対し、悪い気持ちを持ち続けることはしい。だから皆、いつしかパレアナの味方になった。

 は不議である。は微妙である。こちらが悪い情を抱いていると、たいていは相手にもそれが伝わっている。こちらが笑顔のいで接すれば、相手にも微笑みのが宿る。こちらが粘り強く手を差し伸ばせば、相手もいつしか手を差し伸ばす――相手はいわば、自分にとって「鏡」のような存在なのである。

 パレアナは、自分がまずから「喜ぶ」ことで、「鏡」である相手からも、少しずつ「喜び」を引き出していった。

 また、どんな人に会っても“素晴らしい人だ”とまず決めて、その“信頼”を率直に表現した。だから、多くの人が何とかその信頼に応えようと動いた。

“あの少女のようになりたい”――見えない「の力用」が人々のを揺さぶり、大きく開花させていったのである。

 ――パレアナの物語は、アメリカ中に広まった。そして、ある辞書には「パレアナ」のが「喜び」を味する言葉(普通詞)といして載せられるまでに定着した。


 パレアナのように、「何にでも喜びを見出す」ことは、呑気(のんき)な気休めではない。「義務」や「愚痴」で日々を灰色におおうよりも、よほど創造的な「強さ」が要求される。

 また、「何にでも喜びを見出す」――これは、一歩間違えれば、単なる現状肯定の、お人よしになりかねない。

 それはそれとして、同じ一生であるならば、喜んで生きた方が得である。同じ行動をするのなら、楽しんで行動した方が価値的である。

 まして、法では「一の妙用」と説く。また、「一念随喜」(随喜とは、随順して歓喜すること)」と説き、「随喜功徳」(随喜の一念に広大な功徳が備わる)と教える。

 にあふれる喜びの光――そこに信仰の証明があり、境涯のバロメーターもある。

 ともあれ、「生き生きと生きよ」――自身のため、愛する家族のため、友のために、私はそう申し上げたい。その人には、悩みをも希望へと変えゆく勇気が湧く。のみならず、多くの人々のに希望の灯(ひ)をともしてゆくことができる。その味でどうか、厳しい現実の生活も、豊かなで楽しみながら、強くまた強く、価値ある人生を創っていっていただきたい。


【第9回全国婦人部幹部会 1989-11-29 創価文化会館


 青年部のメンバーは、以下の御書を全部、大きな拝読した上で、『少女パレアナ』(エレナ・ポーター)を読んで頂きたい。ま、人間革命が30%ほど進むことだろう。

少女パレアナ (角川文庫クラシックス) パレアナの青春 (角川文庫)

2007-12-18

箕面文化会館(大阪)


 1214日に箕面(みのお)文化会館の開館式が行われた(1215日付聖教新聞)。寡聞にして知らなかったのだが、東海自然歩道で八王子までつながっているそうだ。今度、是非とも歩いてみたい。途中まで(笑)。

オーランド・ブルームさんが創価学園を訪問


 昨日午後3時過ぎ、映画俳優のオーランド・ブルームさんが創価学園を訪問。次のように学園生の前で挨拶した。


 私は学園生のファンです。今日は先生の学園を見学させていただき、嬉しいです。学園生の皆さんは、先生の学園で学ぶことができて本当に素晴らしいです。私は、このような学校で学ぶことはできませんでした。わたしにとって学校はしい所でした。


 しかし俳優になることはあきらめませんでした。17歳で折伏され、法に出会いました。今では、法は人生の核のようなものです。そして、私はたくさんの功徳をもらいました。永遠に尊敬し、謝申し上げたい。

 皆さんも自分の夢をあきらめないで、先生と同じで進めば、必ず夢が実現します。


 昨年の夏、軽井沢で池田先生から私に直接頂いた御指導を学園生の皆さんに贈ります。

「人生は長い。大きな目標に向かって人生を貫いてほしい。この法はまるで人生を、太陽のように真っ赤に輝かすためにある。

 そのためには一年一年が戦いであり、一年一年が挑戦である。今日の成功は将来の成功を約束するとは限らない。人生は最後に勝利することが大事だ。最後に勝つんだ」


 オーランド・ブルームさんは、児童・生徒の歓に包まれながら3時45分に帰路についた。

  • Wikipedia 【※既にこの内容が書かれている】

『セブン-イレブンおでん部会 ヒット商品開発の裏側』吉岡秀子


 セブン-イレブンの礼賛本。褒めるからにはそれなりの理由がある。


 1974年、江東区の豊洲に第1号店をオープン。6年後の1980年に1000店舗を達成し、2003年には遂に1万店舗を突破したというのだから凄い。破竹の快進撃だ。


 小売績がいい会社は、必ず緻密なマーケティングを行っている。貪欲(どんよく)なまでに消費者と向き合う。そしてマーケティングの成否が売り上げにそのまま現れる。


 今では当たり前のように売られているが、当初、おにぎりがヒットするとは誰も予してなかった。では、どのような商品開発が行われていたのか。いい素材を使用するのは当然だが、人に握ってもらったおにぎりの空気含有量、握る圧力まで調べた。手づくりにこだわった製造機は、ご飯をクルクルと回して丸く整形し、直系1センチほどの棒で穴をあけて、そこに従員が具を挿入する。手づくりと何ら変わりがない。この機械を開発したことで、初めて年間10億個を超える販売数を記録した。


 雑誌を読むような気楽さですいすい読める。取り上げられた商品は、おにぎり、メロンパン、調理めん、おでん、サンドイッチ、カップめん、アイスクリーム、お菓子&デザートの8品目。


 1998年に鈴木敏文会長が近所のセブン-イレブンで冷やし中華を買って食べた。役員試食会で味見はしているものの、おいしくない。

「今すぐやめろ!」

 販売中止が商品本部へ伝えられ、店頭から冷やし中華が消えた。その後、鈴木会長から11回のダメ出しを食らって、やっとのいで新製品が完成した。現在では、スープの味も春は甘め、夏はさっぱり、秋はコクを深くして変化をつけている。


 そして白眉はタイトルにもなっている「おでん部会」だ。それぞれの具によって部会が存在するのだ。大根部会、豆腐部会、つゆ部会などなど。全国からベンダー(販売者)や専門メーカーが毎週、ミーティングを行って、デビューさせる具を決定する。その上、2006年からは全国を6エリアに分けて、異なるつゆが使われている。確かにセブン-イレブンのおでんは美味しい。


 商品開発のためには高額の機械をつくり、工場まで建ててしまう。今では全体の6割が自社製品だという。そして、何と言っても見逃すことができないのは、同一地域に一気に店舗展開する「ドミナント出店戦略」だ(驚くべきことに青森・秋田・富山・石川・福井・鳥取・島根・香川・愛媛・徳島・高知・鹿児島・沖縄にはまだ出店してない)。これは配送時間を短縮して、食品の鮮度を保つのが目的で、工場からセブン-イレブンには1時間で届いている。


 最後に鈴木会長の痺れる言葉を――


(競合店の視察は)しません。見る必要がないからです。もう30年以上、社員に言い続けていることですが、競合店がどうかなんてことはまったく関係ない。ぼくらが見なきゃいけないのはお客様です。お客様の立場に立って考える。そしてコンビニとは何かを正しく理解し、基本を押さえていかなくては、いい商品開発はできません。


セブン-イレブンおでん部会―ヒット商品開発の裏側 (朝日新書 34) (朝日新書 34)

2007-12-17

激闘の人生に真の幸福が


 さて、「幸福観」について一言述べておきたい。

「人生の幸福」といっても、もちろん人によって様々なイメージがある。それぞれの価値観により、幸福像は大きく異なるものである。

 ただ平穏無事に過ぎる一生を「幸福」とする人も少なくない。ひたすら、「安定」と「快適」を求め、そこに人生の価値を見出す。描かれる幸福像は、例えば「何も困ったことが起きない生活」(笑い)であり、「夫婦で手をつなぎ“カフェ”に入る」(笑い)光景であろうか。

 一見、いかにも「幸福」にえるかもしれない。しかしそこには本当の「深み」も、人生の「味わい」もない。

 それに対し私どもの広布の旅路には、さながら劇の如く次から次へと試練の嵐が来る。悩の高波もある。悪の突風が吹く。しかし、それらに耐え、戦い、乗り越えてこそ、自身の深まりと充実があり、向上がある。人と人との信頼が生まれ、絆が強まる。つまり、人生の確かな「価値」が創造され、花開いてゆく。


【第9回全国婦人部幹部会 1989-11-29 創価文化会館


 この指導を婦人部のEさんに捧げよう。


 彼女から初めてメールをもらったのが4のこと。新入会とのことで、悩みを打ち明けるまでに随分とためらいもあった。のた打ち回るような悶の中で、ひと以上考える時間を要した。あらいざらいを打ち明けたのは、1ヶ半後のこと。


 私はやきもきしながら、手厳しいメールを手裏剣の如く放ち続けた。事態に一区切りついたのは8だった。ところが、任用試験に挑戦している最中に、全く別の問題に遭遇した。新入会のメンバーにとってはあまりにも過酷な状況だった。


 しかし彼女は、戦って、戦って、今も尚戦い続けている。その中で任用試験に勝利し、何と一昨日、妹さんの折伏を決めた。御守りじゃないよ。私はわず、パソコンの前で万歳を叫んだ。


 一時は自殺まで考え、自分の悩みを打ち明けることすら出来なかった彼女が、悩める人のために行動している現実は、見事な人間革命の姿である。モロボシ・ダンがウルトラセブンに変身したようなもんだよ。私はM72星雲から見守るウルトラの父だ(笑)。


 平穏無事な時に望む幸福は、所詮「淡い期待」に過ぎない。自分に都合のいいことばかりで、欲得づくの内容である場合が多い。一方、の中で鍛え抜かれた幸福観は、人生の真実の姿をくっきりと浮き彫りにする。


 真の幸福とは、「恵まれた環境」ではない。冬の酷寒に耐え、打ち破っていくことができる生命力そのものにある。


 法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる(1253頁)


【※追伸/私に相談メールが来た時、Eさんは既に御本尊を支部長に返却していた】

2007-12-16

「Cold Water」Damien Rice


 ダミアン・ライスはアイルランドを代表する歌い手である。ヨーロッパ中でストリート・パフォーマンスを行った後、友人達から借金をして制作したシングルがヒット。ファーストアルバムがプラチナヒットを記録した。


 映画『アイ・アム・デビッド』に挿入されていたこの曲によって、私はダミアン・ライスを知った。

 先ほど、ライブ動画を見つけて驚いた。5分28秒から題目を唱え始め、遂には唱題会と化している。ダミアン・ライスって信してんの? イギリス創価学会からの情報を求む。

O(オー)

「Consolidation Song」Def Tech

 コンサートで定番となっているラストナンバー。「Consolidation」は「強化」という味。つまり「強くする歌」。Def Techの最もピースフルな曲でもある。深々とお辞儀する姿が美しい。それにしても、解散が惜しまれる。2分24秒で「妙法」と歌っている。


Def Tech OKINAWA LIVE

2007-12-15

越年国会 「再可決ありき」は困る


 臨時国会の越年が決まった。与党は3分の2以上の勢力を持つ衆院で給油新法案を再可決する方針だが、その権限行使には、世論も見極めた慎重な検討が必要だ。初めに再可決ありきでは困る。


 来年115日までの会期31日間再延長が自民、公明両党の賛成多数で衆院で議決された。越年は細川内閣時の1993〜94年以来、14年ぶりだが、この再延長国会で半世紀ぶりの歴史的出来事が起きようとしている。


 憲法59条に規定されている「衆院の再可決」だ。衆院で可決した法案が参院で否決、または60日以内に議決されない場合は、衆院に法案を戻し3分の2以上の賛成で再可決、成立させることができる。


 インド洋での給油活動を再開させる新テロ対策特別措置法案は衆院通過後、参院で審議中だ。与党は野党が否決したり、採決を引き延ばしても60日規定を使い、再可決という「宝刀」を久々に使う方針だ。


 2005年郵政総選挙での自民圧勝、07年参院選での自民惨敗に伴う「ねじれ国会」ゆえの産物だが、権限行使は慎重であってほしい。


 自民党単独では3分の2以上の勢力を確保できないので、カギを握るのが公明党ということになる。


 もともと同党内には直近の民が反映された参院のを衆院でひっくり返すことに慎重論が根強く、世論調査で給油再開の賛成がよほど多数を占めなければ、再可決はしいとの空気が支配的だった。予は当たり、最近の各種調査でも賛否はほぼ半々で、賛成派は決して増えていないのが実情だ。


 年金公約違反問題や防衛省スキャンダルに国民の怒りが高まる中、給油新法案への関は依然として高くない。給油活動の中断以降、日本が国際社会から後ろ指をさされているわけでもない。再可決への条件は整っているといえるのだろうか。


 再可決ありきではなく、日本が取るべき国際貢献策は何か、給油再開が治安悪化の著しいアフガニスタンの復興に結びつくのかどうか、あらゆる面からの論議を深めるべきだ。


 公明党が再可決方針を容認した最大の判断材料は、参院で野党が福田康夫首相の問責を決議しても、衆院解散に踏み切るつもりはないとの触を首相から得たためだとされる。


 統一地方選、参院選と続いて支持母体の創価学会が選挙疲れしている事情はあるとしても、政党が選挙を恐れては話にならない。小泉政権の後、安倍、福田の両政権下で、国民に信を問う機会がないことの方を、むしろ重く受け止めるべきだろう。


【「社説」/中日新聞 2007-12-15】

「修羅場」とは


 先日、「修羅場をくぐらないと本当の力はつかない」と書いた(「深き理想」には「深き人生」が、「大きな目標」には「大きな自分」が)。すると、青年部のメンバーから「修羅場って、どういう味なんですか?」との質問が寄せられた。修羅場=修羅界とわれると困るので(笑)、いつくままに書いておこう。


 世間でいう修羅場とは、血みどろの離婚劇とか、強欲な兄弟間で繰り広げられる遺産の奪い合いなどが頭に浮かぶ。最も一般的なのは、経営者による資金繰りだろう。銀行に泣きつき、支払い先に頭を下げ、挙げ句の果てに不渡りを出す。眠れぬ夜が続き、血尿が出ることも珍しくない世界だ。


 修羅場とは、人間を踏みにじる理不尽な仕打ちともいえる。事件・事故の被害者は、のた打ち回り、悶(もだ)えしむ人生を強いられる。


 人生最大の修羅場は「死」である。大病を乗り越えた人は、病後の人生を全く新しい世界として受け止める。「死」を自覚した時、人は初めて「生」の味を知る。


 私が関西に期待する理由は、あの阪神・淡路大震災を乗り越えて、いや増して雄々しく学会をリードしている姿にある。震災があった地域から必ずや、21世紀を照らすような人材群が輩出されることを確信する。同じ理由で新潟にも期待している。


 薬害、拉致問題、公害病などは、加害者と国を相手に戦う羽目となり、二重の味で大変ないをさせられる。また、近年に至るまでハンセン病患者は、家族からも人間扱いをされてこなかった。


 人類にとっての修羅場は戦争である。国が違うというだけの理由で、殺戮(さつりく)し、破壊し、拷問・強姦の類いは日常茶飯事と化す。また、経済格差による南北問題も恐ろしい修羅場となっていて、一方的に奪われる立場に追いやられている。


「世界広布」を叫ぶことはたやすい。だが、世界中のしみを引き受ける覚悟の人は稀(まれ)だ。とは、最も地獄を知る人なのかも知れない。

2007-12-14

「慈愛」のリーダーは「知恵」が湧く


 自分がどうなろうとも、「同志」のため、「後輩」のため、そして「悩める人」のために尽くし抜く。また、戦いに臨んでは、常に自ら先頭を切って行動し、活路を開き、同志に「勇気」と「希望」を与えてゆく――。ここに人間としての偉さがある。人格の輝きがある。

 学会でいえば、日々地道に広布の第一線で活躍されるリーダーの方々こそ、その尊(たっと)き実践の姿であると実する。


 学会は、真に人間を錬磨し、変革しゆく「大地」である。そのリーダーである皆さま方は、決して「組織悪の指導者」であってはならない。どこまでも「法と信の指導者」として、自らを鍛え抜いていただきたい。

 組織上の役職でも、社会的地位でもない。一人の人間として、どれほど偉大であるか。どれほど豊かな「慈愛の」の指導者であるか。これこそが肝要であると申し上げたい。

「無慈悲」の人には「知恵」は出ない。「慈悲」の人には、限りない「知恵」が湧く。友の幸福と、社会の平和・安穏のための「知恵」が、生命の奥底からこんこんとあふれ出てくるものだ。今、求められているのは、そうした慈愛と知恵のリーダーである。


【第23回本部幹部会 1989-11-18 創価文化会館


「あ、こうすればいいんだ!」と手を叩くようなアイディアが知恵である。視点や表現を変えてみたり、予外の組み合わせなどによって、同じ景色が全く新しく見える瞬間だ。


 指導者が慮すべきことは、「どうすれば、皆がやりやすくなるか」という一点に尽きる。


 人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり(1574頁)


 悪はなくても、「車にブレーキをかけ」たり、「船を山に運ぶよう」な結果になっている幹部が目立つ。力不足を認めながらも平然としていられるのは、「結局、上からの指示だから仕方がない」という逃げ口上があるためだ。組織官僚主義に毒されてくると、木っ端役人みたいな幹部が増えてくる。


 政治学習会を担当した第2総東京の方面幹部(青年部)に呆れたことがある。公明新聞の職員ということで、政界の裏事情を盛り込みながら、立て板に水を流すようにまくし立てた。私は「何て、愚かな奴だろう」とで罵った。会合の目的を見失い、ただ自分の話に酔っている姿が歴然としていたからだ。背の低い、眼鏡をかけた野郎だ。


 責任がないから知恵も出ない典型である。政治学習会とは、「語り口」を教えないと味がないのだ。参加者の誰もが自信を持って語れるフレーズを具体的に示すことが最大の目的である。


 また、選挙時期に政策のことで質問をすると、「とにかく言い切っていこう」とか、「祈れば何とかなる」みたいな馬鹿げた指導をする連中も多い。お釜に米と水を入れて題目を唱えれば、ご飯が出来上がるとでも言うつもりなのだろうか? あるいは、御本尊法使いとでもっているのだろう。


 更に面倒なのは、政権与党入りした公明党の複雑な立場によって、いよいよ説明しにくい事態が続出していることだ。公明党がリードしてつくられた「年金100年安プラン」(2004年)は、わずか3年で木っ端微塵となった。社会保険庁の実態がわからなかったことを踏まえたとしても、失点は避けようがない。


 ちょっとい出してごらんよ。あなたが、3年前にどれだけ自信満々で言い切っていたかを(笑)。山本リンダじゃなくても「困っちゃうな」。


 これはね、本当にしい局面に達しているのだ。私なんぞは、既に何度も表明している通り、新テロ特措法案には個人的に反対している。だが、公明党は賛成しているのだ。友人に対しても、率直にその旨を語ってゆくつもりだ。「で、ほとほと困り果てているんだよ。本当の友達はお前しかいない」と情に訴える予定である(笑)。私の政治的信条は衆参のようにねじれている。


 これだけ問題が発覚しても社会保険庁は誰一人、処分されていない。国が告訴しただけである。また、渡辺喜美行政改革担当相が、独立行政法人の整理合理化計画で奮闘しているが、各大臣からはゼロ回答という惨憺たる結果となっている。これを見ても官僚支配が明らかだ。戦後、半世紀以上にもわたって官僚支配が続いているのだから、政権交代したぐらいで打破できる問題ではあるまい。


 号令や精神論で乗り切れる状況ではないことを、よくよく自覚してもらいたい。更に、末端幹部の知恵でどうにかできることでもない。総区長・県長、方面長レベルで知恵を発揮しなければ、惨敗は避けられない。

揮発油暫定税率期限切れ間近 与党、道路財源に穴危ぐ


 政府・与党が先週、道路特定財源の見直し案で暫定税率の10年間継続を決めたのに対し、民主党は、あくまで揮発油税(ガソリン税)の暫定税率の廃止を目指す方針だ。総選挙をにらみ、「道路」をめぐる与野党間の綱引きが今後、激しさを増しそうで、国土交通省も対応に慮している。


「民主党の動きが読めない」


 道路特定財源の見直しをめぐって政府・与党が合したものの、国交省幹部は焦りの色を隠さない。3末、ガソリンにかかる揮発油税の半分を占める暫定税率の期限切れを迎えるためだ。


 来年1に始まる通常国会に政府は暫定税率を継続するための法案提出を予定しているが、参院で野党が過半数を占める現状では、3末までに法案が成立しない可能がある。暫定税率が期限切れとなると、上乗せされている一リットルあたり、約25円分が市販価格でも安くなる可能が大きい。


 法案は参院で否決されても衆院で再可決することができるが、民主党側は、一時的にでも値段が下がったものを上げれば、与党側に打撃になるのではないか、とみる。


 与党側は「民主党にも地方出身の議員は多い。道路整備の重要さは同じだ」とし、歩み寄りができる着地点を探る。


 一方、国交省が描く道路整備計画は暫定税率の向こう10年間の維持が前提だ。同省首脳は、「暫定税率の期限が切れ、一時的にも税収に穴があけば予算執行に支障が出てしまう」と気をもんでいる。


 ただ、多くの議員は総選挙に向け走り始めている。ある自民党の若手議員は、「選挙の争点は道路だ」と言い切り、年末年始は、国交省の道路整備計画を地元で丁寧に説明するつもりだ。道路整備について、与野党妥協がなるのか、決裂か。先行きはまだ見通せず、関係者の困惑は続きそうだ。


東京新聞 2007-12-11】


 で、昨日、与党の税制改正大綱がまとまった。


 消費税を「社会保障給付や少子化対策の費用をまかなう重要な財源」と位置付け、社会保障目的税化を検討する方針を打ち出した。


【産経新聞 2007-12-14】


 政局を睨(にら)んで逃げ腰と見える(笑)。「いつ」「何パーセント」上げるのかが全く明らかにされていない。あるのは「方針」のみ。


 一方、「暫定税率の10年間継続」だが、原油が更に高騰すれば困となるだろう。NYMEX原油先物は100ドル手前で調整となっているが、超えるのは時間の問題だ。中国の経済発展や、米国が原油の輸入に傾いている事実を考慮すると、まだ上がると見るのが妥当だろう。マーケットの値段は、資金の量に左右される。つまり、原油先物がもっと上がると見込めば、新たな投機マネーが入ってくることによって、もう一段高くなるという構図である。本質的な問題は、世界的な「カネ余り」にあるのだ。+

2007-12-13

サンデートーク


 そうそう、この間のサンデートークに奥村さんが登場していた。白髪(しらが)が増えたねー。でも、顔は相変わらず精悍。北区に異動した時は吃驚(びっくり)した。元々は荒川の区男だった。同じ総合本部ということもあって、私も一方ならぬ世話になった。個人折伏も10世帯以上やっていて、現場に滅法強い幹部である。しかし何と言っても凄いのは、栗原さん(元創価班東京委員長)、上沢さん(元牙会委員長)、竹内さん(現青年部長)など、荒川から人材群を輩出したことに尽きる。サンデートークの内容も素晴らしかった。

指導者観の革命=“リーダーは、民衆に奉仕する者”


 ところで大聖人は、指導者が「親」として敬うべきものとして、「民」とともに、あるものを挙げておられる。それは「道理」である。

「国主は理を親とし非を敵(かたき)とすべき人にて・をはすべきか」(1524頁)――国主は「正しき道理」を親として従い、「あやまれる考え」を敵として排する人であるべきではないか――と仰せになっている。

 指導者は、人数の多さとか、時の勢いとか、ましてや自分の利害などを“親”として従ってはならない。それが正しい道理にかなっているかどうか、それを根本として現実を見極め、判断していくべきである。

 誰が何と言おうとも、非は非とし、「敵」として排除すべきである。絶対に従ってはならない、との指導者論である。


 ここには重大な味がある。すなわち、「民を親とする」民主主義の原則も、単なる“数の暴力”や、“権利の乱用”“自由の乱用”に陥っては、衆愚の社会となり、崩壊してゆく。

 社会の根底に、「正しき道理」に従うという大原則がなければ、“民主”を貫くことすらできなくなる。

 例えば、「言論の自由」にしても、その権利を正しき道理に基づいて使っていくのでなければ、人権を無視した「言論の暴力」がまかり通ることになりかねない。

 結局、ある人々の信用を失って、先人の尊(たっと)き血と努力の結晶である「自由」を貶(おとし)め、民衆の「権利」をも狭(せば)める口実を、権力に与えてしまう。

 自分で自分の首を絞(し)めているようなものである。また、親の築いた財産(権利)を守るどころか、それを浪費し、食いつぶしている子供にも例えられるのではないだろうか。

 あるいは、自分が努力してつかみ取った「権利」ではなく、いわば“与えられた自由”であるゆえに、大切にしないのであろうか――。


 ちなみに「権利」とは、本来「正しさ」という味に基づく。

 英語では「ライト(right)」、ドイツ語では「レヒト(Recht)」、フランス語では「ドロワ(droit)」が元の言葉であるが、すべて「正しい」ことを味する。

権利」とは、正当、すなわち人間としての「正しき道理」にのっとった資格であるという考えが、こうした背景にあるといえるかもしれない。

 ゆえに日本でも初めは、これらの語を「権理」と訳した。この方が元の味に近い。

 いつしか「権利」としてしまったところに、「正しさ」を無視して、私利をのみ主張する風潮が象徴されているようにもわれてならない。


 ともあれ大聖人の法は、こうした「道理に基づいた民主社会」の基礎を与えるものである。それは民衆を蔑視する「権力の」と真っ向から対立する。ゆえに、常に弾圧されるのである。

「権力の」については、生命論の上から、「他化自在天」「元品の無明」との関係など、いつか論じたいとうが、本日はただ、「人間をバカにし、子をバカにする、利用しようとする、それは権威と権力のに魅入られたである」とのみ言っておきたい。


 日本の卑屈な精神風土。その“根”は何か。どうして、そうなってしまったのか。

 様々な歴史的要因、また議論があろうが、端的に言えばそれは、民衆を自立させるべき「宗教」が、「権力」に取り込まれ、骨抜きにされてきた結果である。

 この一点を、特に青年部諸君は厳しく見つめていただきたい。日本において、宗教は常に権力の僕(しもべ)として、飼い馴らされてしまったのである。

 広宣流布の運動は、この忌まわしき“根”を断ち切り、民衆が厚き大地の殻を打ち破って、続々と立ち上がってゆく革命運動である。ある味で、法華経に説く「地涌」の姿どおりの実践である。

 ここに初めて、兆民の言う「哲学なき社会」を変革する現実の方途もある。一国の精神風土をも変えてゆく哲学とは、現実には民衆に根差した宗教による以外にないからである。


 この「地涌」の革新運動には、「指導者観の革命」を伴う。“リーダーは、民衆に奉仕する者”とのの徹底である。

 この指導者観の「文化革命」「革命」を広げ、定着させねばならない。民衆が賢明になって、決然と立ち上がり、指導者を厳しく監視し、変革させてゆく波また波を起こしていくべきである。

 それでこそ日本も世界も、初めて「民衆の時代」へと扉を開けてゆくことができる。

 また、広布の世界も、大聖人の御にかなった、麗しき「民主」の世界を広げていけるのである。

 戸田先生の「指導者は民衆の小使い」との指導は、こうした味で、文化史的、社会史的にも重大な義をもっていた。

 先の先まで見通した、本当に鋭き、偉大な先生であられた。この先生の遺言を今、私もを限りに叫びきっている。


 私どもでいえば、いわゆる「権威の指導者」であるのか、それとも「信の指導者」であるのか。

 また、組織の力に安住した「組織悪の指導者」なのか、それとも法の力を身に体した「法の指導者」なのか――自分に絶えず問いかけ、謙虚に自身を磨き、成長していかねばならない。

 また、他の世界の指導者も同様である。


 もはや、「権威」で人を引っ張ることはできない。そうした時代は終わった。また、終わらせねばならない。世界の大きな民主化のうねりも、独裁に対する、傲慢な権威に対する反撃であったと多くの識者は見ている。


 それでは何をもって人々を正しい方向にリードしていくのか。それは、「人間」しかない。指導者論も、要するにその人の「人格」に帰着する。

 それでは、「人間」とは何か。

 法の世界においては、その根本は子への「深き祈り」である。

 友に「本当に幸せになってもらいたい」「安穏であっていただきたい」「健康であり、長寿であっていただきたい」と、真から祈りに祈ってゆく。そして、行動してゆく。その「信」が、最高の「人間」であり、指導者の要件となる。また、その「信の深さ」が、自身の「福徳の大きさ」になってゆくのである。


【第23回本部幹部会 1989-11-18 創価文化会館


 薬害肝炎訴訟を見ていると、つくづく官僚主義の恐ろしさをじる。死人を出しても自分達の責任を回避する姿は、もはや人間ではない。組織の利益を守るロボットと化している。


 米国では1977年12にフィブリノゲン製剤が製造承認を取り消されていながら、どうして日本では1994年まで使用されていたのかという批判がある。1978年1の時点で、ミドリ十字には承認取り消しの事実が伝えられていたのだ。この点を究明しなければ、またぞろ薬害の犠牲者を出す羽目となるだろう。


 資本主義は経済効率を目指す。善悪を無視しながら。例えば、BSE(狂牛病)が発生したイギリスは、原因が肉骨粉にあることを知りながら、自国では規制した後も隣国へは輸出をし続けていた(『もう牛を食べても安心か』)。


 また、1999年のNATO軍(90%は米軍)によるコソボ空爆は、古くなった爆弾の在庫処分が目的だったという指摘もある。


 官僚主義は、人間から魂を奪う。


 学会の草創期は清流の時代だった。それでも官僚は存在した。参謀室の足を引っ張り続けた理事室である。『若き日の日記』をひもとけば、その一端が窺える。


 だが戸田先生は、若き先生を甘やかさなかった。


 午後2時より、輸送会議。最高首脳(理事)たちは、その実態を知らず、現場の青年のやりにくきことを配する。


 先生のおられぬ間の責任は、理事長であり、理事だ。怒りたいい、激し。


 夕刻、先生とお目にかかる。


「やりづらくとも、君たちが、学会を支えてゆくのだ」と、厳しき指導あり。先生の胸中……。


昭和33年118日】


 富士美術館や創価高校・大学をつくる際にも、最高幹部は反対した。挙げ句の果てには、坊主から言われるがままに師匠の首を斬ったのだ。


 そこで、私は敢えて官僚部門を設けることを提案したい(笑)。ブロックから方面に至る各組織に事務方のポストを用する。ブロック事務長とかね。この連中に、報告全般と打ち出し伝達を任せる。折伏も家庭指導もしなくていいよ。その方が、はるかにスッキリするとうんだけどねえ(笑)。本部職員で構成すれば、もっとスッキリするわな(笑)。給料が出ているんだから、文句も出ないだろうよ。


 そして、ラインにおいては「役職番付制」を導入する。これで完璧だ(笑)。

2007-12-12

権威への崇拝と盲従、現状容認と独立心のなさが日本の精神風土


「リーダーは、民衆の小使いである」との戸田先生の指導者論は、実は日本において革命的なものであった。

“お上には逆らえない”“長いものには巻かれろ”“寄らば大樹の陰”――。権威への崇拝と盲従、現状容認と独立のなさが、長き伝統に培われた、日本の精神風土だったからである。

 かつて、その卑屈な精神を撃ち、変革しようとしたのは、明治の啓蒙家達であった。いわゆる「官」(政府権力)と、「民」(民衆の権利)の争いである。

 福沢諭吉は言う。「官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂(へつら)い、毫(ごう/みじん)も独立の丹(たんしん/偽りのない)を発露する者なくして」「日本には唯政府ありて未(いま)だ国民あらずと云うも可なり(言うこともできる)」(『学問のすゝめ』)と。

 また、歴史についても、「日本国の歴史はなくして日本政府の歴史あるのみ」(『文明論之概略』)と断じている。

 明治日本を代表する啓蒙家・福沢諭吉。さすがに的を射た言葉とう。

 また、大学を創立する際など、彼が「私立」の語に込めたいは、「官」に対する「私」の独立――すなわち「独立した個人」の育成であった。

 それなくして、“一人の時には弱く、集団になると強い”精神風土を引きずっていては、「徳川の世」、封建時代と同じではないか、と。

「独立した個人」を育むことの弱かった日本。それは、世界へ向かう姿にも色濃く反映していた。

 かつて述べたこともあるが、戦前は軍事が先に走り、その後を人間がついていった。戦後は経済の後を人間がついていった。いずれも、「集団」や「力」が先行しての進出であり、「個人」、つまり「人間」は“二の次”にされていた。

 これに比べてヨーロッパの人々などは、是非はともあれ、まず「個人」である。「個人」が世界に飛び込み、道を開く。自らの信に従い、「個人」としての責任をとり、行動する。

 こうした精神が太く骨格をなしている。まことに残なことだが、日本にあっては、そうした志、人格、独立精神が深く根づくことはなかった。


 それではどうして「独立した個人」が出てこないのか。指導者の「悪」に従順な人間が多くなってしまったか。

“東洋のルソー”と呼ばれた中江兆民は言う。

「我日本古(いにしえ)より今に至る迄哲学無し」「其(その)浮躁(ふそう/浮かれ騒ぎ)軽薄の大病根(大きな病気の原因)も、亦(また)正に此(ここ)に在り(哲学がないところにある)」「一種小怜悧(しょうれいり/小利口)、小巧知(しょうこうち/小才子)にして、而して偉を建立するに不適当なる所以也(偉の建設に向いてない理由である)」

 また、「我(わが)邦人(ほうじん)は利害に明(あきらか)にして理義(道理)に暗(く)らし、事に従うことを好みて考うることを好まず」(『一年有半』)と。

「哲学」がなく、軽薄で目先のことのみを考え、「考えることが嫌い」なため、愚かな指導者におとなしく従ってきたのだ、というのである。

「哲学」なき人生は不幸である。「考えること」なき人は惨めである。私が現在、様々な角度から長時間のスピーチを行っているのも、一つには皆さま方に、この「考えること」の尊さを知っていただきたいからである。

 ともあれ、こうした文化人の努力も、それなりの義はあった。しかし、抜本的に日本の精神風土を変えるには至らなかった。――その一例が、“大東亜戦争”で権力の前に次々に転向していった文化人といわれる人々の姿であり、権力に迎合したマスコミであった。

 そして今尚、「地位」「人気」「富」にとらわれ、「利害に明るく、道理に暗し」という無原則な生き方をしている人があまりに多い。“あの人には地位がある、お金がある、がある”。だから“を惹かれる”。だから“ついていこう”等――と。しかし、地位や富があることと、人間的偉さとは全く別である。この点を一人ひとりがの眼を開いて、よくよく見極めていかねばならない。そうでなければ、日本自体が国際社会でも決して尊敬されないであろう。


【第23回本部幹部会 1989-11-18 創価文化会館


 哲学とは、物事の善悪を自分で判断する力のことだ。日本漢字能力検定協会が毎年暮れに発表している「今年の漢字」には「偽」の字が選ばれた。本年1の不二家に始まり、政治家の事務所費に至るまで、偽装のオンパレードだった。


 そこに見え隠れしているのは、「皆がやっているから大丈夫だろう」という甘え、「消費者にバレなきゃ構わない」という身勝手、そして、「上からの指示だから仕方がない」という無責任であろう。


 農耕民族は団体戦である。皆で協力しなければ生きてゆけない。波風を起こす行為が毛嫌いされるのは当然だ。こうして「村の掟」が出来上がる。それに従わない者は村八分となる。


 日本に「個人」という言葉が登場したのは、明治17年頃といわれる。それまでは、「個人」という概すらなかったに違いない。


「赤信号、みんなで渡れば怖くない」――これが日本人の精神風土である。「赤信号は危険だ!」と言う人物がいれば、「余計なことは言わないで、皆に従え」というのが世間のルールなのだ。


 大聖人鎌倉時代にありながら、国主諌暁を断行された。この一事だけでも革命のに値する偉だ。例えば、100人以上従員がいる企で、社長を折伏できる青年部が果たして何人いるだろうか? その上、社長の誤りを指摘するのだ。


 日本の悪しき精神風土は、学会組織にも蔓延している。本来であれば、善悪の基準は御書であるはずなのに、いつの間にやら「組織の論理」がまかり通っている。


 悪いことに対して「悪い」とも言えず、おかしなやり方に対して「おかしい」と叫ぶこともできない人が殆どだ。判断力を失った人々は義務の虜(とりこ)となり、知らず知らずの内に生命力を失ってゆく。「動けば動くほど疲れる。ストレスが溜まる一方だ」――そんなあなたは退転というの崖っ淵に立っているのだ(笑)。


 我が地区、我がブロックに、大善の哲学を打ち込め。役職の権威を叩き伏せよ。

冬柴大臣殿御返事


 公明党のマニフェスト2005年)をないがしろにする理由を説明してもらいたい。


ユーザーの立場で、自動車関係諸税を見直し


 自動車関係諸税は、公共事5カ年計画や道路特定財源のあり方の検討にあわせ、見直します。

 その際、特に自動車重量税については、その財源が本来の道路整備事に活用されていない現状にかんがみ、例えば、暫定税率の引き下げにより納税者に還元することや、その使途のあり方を検討することなど、見直します。


 公明党関係者で説明できる方がいれば、是非とも教えて欲しい。

共産党ビラ配り、僧侶に逆転有罪


 ドアポストに共産党のビラを配布する目的で分譲マンションの廊下に無断で入ったとして、住居侵入罪に問われ、1審東京地裁で無罪になった東京都葛飾区の僧侶、A被告(60)の控訴審判決公判が11日、東京高裁であった。池田修裁判長は住居侵入罪が成立すると判断し、1審判決を破棄、金5万円(求刑金10万円)の逆転有罪判決を言い渡した。


 マンション玄関ホールには「パンフレットの投函(とうかん)、物品販売は厳禁」などとの張り紙がされていた。1審判決は「政治的なビラ配りを禁じていたことが来訪者に伝わるように表示されていなかった」としていた。


 判決理由で池田裁判長は、住民の総としてマンションへの無断立ち入りを禁じていたと判断した上で、張り紙の内容や張り方を検討。「各戸のドアポストへのビラ配布のための立ち入りが予定されていなかったことは明らか。そのことを来訪者に伝えるための措置がとられていなかったとはいえない」と述べ、住居侵入罪が成立すると結論付けた。


 A被告側は「立ち入りを処することは、表現の自由を保障した憲法に違反する」などと主張していた。これに対し池田裁判長は「表現の自由は絶対的に保障されるものではない。を外部に発表するための手段でも、他人の財産権を侵害することは許されない」と述べ、この主張を退けた。


【産経新聞 2007-12-11】


 公明党のチラシを配布する際にも、十分気をつけたい。幹部は世間知らずが多いから、しっかりとこのニュースを伝えておかれよ。

2007-12-11

本日付聖教新聞の長編詩


 君は

 人々のを斬りつけている

 邪悪な友と戦ってきた。

 愚劣な友は

 人を傷つけ

 正義の人を陥れようと

 陰謀の日々となってきた。

 浅ましき友だ。

 鉄槌を下す必要がある。(中略)


 悪逆な嘘つきどもは

 断じて倒さねばならぬ。

 お前の財宝は

 極悪と愚昧のだ。

 私の財宝は

 正義と平和と友情のだ。


【「わが同志(とも)とは三世永遠! 完勝の歴史を刻まむ」/2007-12-08 東京牧口記会館にて】


「友」とは「内部」である。この一節を実践し、の底から納得できる学会員が果たして何人いることか。まあ、100人に1人もいないだろう。ひょっとしたら、1000人に1人もしいかも知れぬ。


 精一杯の背伸びをしたところで所詮、真似事に過ぎない。事実関係の掌握を誤って、組織を撹乱(かくらん)する結果となることは火を見るよりも明らかだ。


 先日、悩み続けてきた同志のために私は一つの結果を出した。3年もかかってしまった。そして今日、師匠からのメッセージをしかと受け取った。私は「ミスター鉄槌」だ。増上慢われるほどの自信に満ちながら、地響きを立てて堂々と歩みゆくことを決した。

中学生文化新聞殿御返事


 2007-12-12付で紹介されたCDは以下の通り――


アニタ・シングス・ザ・モスト ブルースの花束 マック・ザ・ナイフ~エラ・イン・ベルリン


 いくら何でも、中学生にこのラインナップはねーだろーよ(笑)。しかぁーーーしっ、周囲の視線を気にすることなく、自分の好みを真っ向から押し付ける姿勢は見上げたものだ。その気を買っておこう(笑)。スタンダードな本物志向であるのは確かだ。

幹部は“会員の小使い”


 今、世界を「民主」の風が嵐のごとく吹き巡っている。先日も「ベルリンの壁」の崩壊という象徴的な出来事があった。民衆を抑圧する権威や権力を打ち破り、“我らの民主の時代を”との潮流が渦巻き始めている。

「民主」とは何か。それを考えさせるこんなエピソードがある。

 アメリカの開拓時代のこと。ある蒸気船が出発しようとしていた。乗船のため多くの人が列をなして並んでいる。その時、一人の男が列を無視して船に飛び乗った。自分が先に乗るのが当然という素振りである。それは、ある州の議員であった。“何てやつだ”と多くの乗客が怒(おこ)った。男は威張った。「俺は議員だ! 『人民の代表』だぞ!」。人々は言い返した。「何を! 俺たちは『人民』だぞ!」(笑い)。

 議員は言葉に詰まって、並び直さざるを得なくなった――という話である。

「民主」主義である以上、民衆のために指導者がいるのである。指導者のために民衆がいるのではない。

 だが、この道理がいつの間にか転倒されてしまう。

 夏目漱石は『吾輩は猫である』の中で、猫にこんなことを言わせている。

「役人は人民の召使である。用事を弁じさせるために、ある権限を委託した代理人のようなものだ。

 ところが委任された権力を笠に来て毎日事務を処理していると、これは自分が所有している権力で、人民などはこれについてなんらの嘴(くちばし)を容(い)るる理由がないものだと狂ってくる」と。

 漱石は、こうした社会に充満する“狂った人”のことを「泥棒根」と呼んでいる。

「公僕」の自覚をなくし、本来、自分のものでもない権力(立場)を、私用、つまり自分のために使うのだから、「泥棒」と言ったのである。


 戸田先生は、こうした転倒の指導者に厳しかった。昭和29年3度の本部幹部会では、このように語られている。

「幹部は絶対にいばってはならない。抑えてはならない。支部長がどれほど偉いか。会長がどれほど偉いか。みな凡夫である」

「(ただ会長は)絶対の確信にたって、大臣がなにものぞ、天なにものぞという、天波旬も恐れない確信をもっているが、なにも偉くない。もし偉いというならば、それは力をもっているからである」

 そして、「会長は会員の小使いであり、支部長は支部員の小使いである」と。漱石の言う「役人は人民の召使」と同様の“民主の”である。

「小使い」「召使」という言葉は、時代を反映した表現であるが、その本は、人間は一切平等であるとの主張にあったことは言うまでもない。

 学会の幹部も、あくまでも「会員のための幹部」である。会員に奉仕し、献身する存在でなければならない。私も徹底して、この精神でやってきた。これこそ、どんな立場になっても、絶対に忘れてはならない学会の根本精神であると強く言っておきたい。


【第23回本部幹部会 1989-11-18 創価文化会館


 どんぴしゃりの呼吸。小野不一、1ポイント獲得!


 役人も学会幹部も勘違いしているのは、皆さんご存じの通り。


 政治家官僚も世論には勝てない。世論が最も強いのだ。


 今日存在する最も強い政治力は、機関銃でもなく、銃剣でもなく、世論である。


【『クーデンホーフ・カレルギー全集 5』(鹿島研究所出版会)鹿島守之助訳】


 これは米国においても同様で、戦争を開始する際には、世論を誘導する大掛かりな情報操作を行っているのが歴史的事実である。9.11テロですら、そう見る識者が多い(米国の自作自演)。愛国を煽るためなら、自国の犠牲者も厭(いと)わないところに特徴がある。


 今求められているのは、「民主」から「衆賢(衆愚の反語)」へのステップアップである。一人ひとりが聡明になり、一方的に垂れ流されるメディア情報を賢明に読み解く作(情報リテラシー)が必要だ。そろそろ、義務教育から導入すべきであると私は考える。


 学会幹部は、おしなべて「広布の御用聞き」であれ。しっかりと掃除をして、どんな話でも真剣にを傾けよ。それだけで、人は育つ。

村八分


 なぜ、「村十分」ではないのか? 葬式と火事の時だけ、村で面倒をみるからである(二分)。残りの八分は、成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行となる。関係が完全に切れていないところに、いやらしさをじてならない。日本社会における“社会的抹殺=制裁”とは、村八分のことである。小中高生が織りなすイジメの現場では、「シカト」という行為で受け継がれている。村八分は過去の歴史ではなく、現在でもしっかりと行われており、今でも時々裁判が行われている。

2007-12-10

スピーチに思う


 最近つとにじていることだが、スピーチの半分ほどが過去に話された内容とダブっている。また、全体的に記録として残す目的がじられてならない。戸田先生が亡くなってから、間もなく50年となる。釈尊説法も通説では50年とされる。無庶民を励まし続けてきた先生の言葉を綴れば、それこそ八万法蔵に匹敵する量になるだろう。遂に、弟子が自立する時が来たのか……。師に寄りかかり、甘える気持ちを叩き出せ。

多田富雄氏までもがリハビリ難民に


 多田富雄氏は免疫学の世界的権威で、国際免疫学会連合会長も務められた。数々の賞にも輝いている。かような人物をリハビリ民にしたのは、政府与党の政策だった。公明党後出しジャンケンみたいな格好で法改正をしたのは、数多くのリハビリ民を“製造した”後だった。私の地区にも、既にリハビリを受けられなくなった重度の障害を持つ婦人部がいる。


 今までの公明党は、庶民ウケする政策で何とか面目を保ってきた。しかし、与党入りしてからというもの、どうも冴えない。またぞろ、「下駄の雪」になっているような気がするのは私だけであろうか。


 まともな政党であれば、防衛問題・景気対策と本気で取り組むべきだ。自分達で党勢を拡大しないから、学会の言いなりにならざるを得ないのだ。


 果たして公明党に、真の政治家が何人いるだろうか? 「殆どいない」というのが私の実だ。

「診療報酬改定 リハビリ中止は死の宣告」多田富雄


多田富雄 東京大学誉教授》


 私は脳梗塞の後遺症で、重度の右半身麻痺に言語障害、嚥下障害などで物も満足には食べられない。もう4年になるが、リハビリを続けたお陰で、何とか左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送っている。


 ところがこの3末、突然医師から今回の診療報酬改定で、医療保険の対象としては一部の疾患を除いて障害者のリハビリが発症後180日を上限として、実施できなくなったと宣言された。私は当然リハビリを受けることができないことになる。


 私の場合は、もう急期のように目立った回復は望めないが、それ以上機能低下を起こせば、動けなくなってしまう。昨年、別な病気で3週間ほどリハビリを休んだら、以前は50メートルは歩けたのに、立ち上がることすら厳しくなった。これ以上低下すれば、寝たきり老人になるほかない。その先はお定まりの衰弱死だ。


 私はリハビリを早期に再開したので、今も少しずつ運動機能は回復している。


 ところが、今回の改定である。私と同様に180日を過ぎた慢期、維持期の患者でもリハビリに精を出している患者は少なくない。それ以上機能が低下しないように、不自由な体に鞭打ってしい訓練に汗を流しているのだ。


 そういう人がリハビリを拒否されたら、すぐに廃人になることは、火を見るよりも明らかである。今回の改定は、「障害が180日で回復しなかったら死ね」というのも同じことである。実際の現場で、障害者の訓練をしている理学療法士の細井匠さんも「何人が命を落とすのか」と325日の本紙・欄(東京本社版)に書いている。ある都立病院では、約8割の患者がリハビリを受けられなくなるという。リハビリ外来が崩壊する危機があるのだ。


 私はその病院で言語療法を受けている。こちらはもっと深刻だ。講音障害が運動まひより回復が遅いことは医師なら誰でも知っている。1年たってやっと少しが出るようになる。もし180日で打ち切られれば一生はなせなくなってしまう。口蓋裂の子供などにはもっと残酷である。この子らを半年で放り出すのは、一生しゃべるなというようなものだ。言語障害のグループ指導などできなくなる。


 身体障害の維持は、寝たきり老人を防ぎ、医療費を抑制する目的とするなら逆行した措置である。それとも障害者の権利を削って医療費を稼ぐというなら、障害者のためのスペースを商施設に流用した東横インよりも悪質である。


 何よりも、リハビリに対する考え方が間違っている。リハビリは単なる機能回復ではない。社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復である。話すことも直立二足歩行も基本的人権に属する。それを奪う改定は、人間の尊厳を踏みにじることになる。そのことに気がついて欲しい。


 今回の改定によって、何人の患者が社会から脱落し、尊厳を失い、命を落とすことになるか。そして、一番弱い障害者に「死ね」といわんばかりの制度をつくる国が、どうして「福祉国家」と言えるのであろうか。


【「私の視点」/日新聞 2006-04-08】

わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか

アグネス・チャン


 いやあ、新聞で見た時は吃驚(びっくり)させられたが、衛星放映を見て、もっと吃驚したよ。ご主人が公の場に姿を現すのも珍しい。


 そうそう、アグネス・チャンの公式サイト掲示板がてんやわんやになっている。よくもまあ、「衛星中継」とか「同時中継」とか書けるもんだ。空いた口が塞がらない。「民音文化賞」にしても、ご本人がダイアリーで書いているとはいえ、相手の立場やファンの気持ちを慮(おもんぱか)るべきだろう。自分の気持ちを一方的に押し付ける学会員が目立つ。


ピースフル ワールド-Peaceful World-

「深き理想」には「深き人生」が、「大きな目標」には「大きな自分」が


「深き理」には「深き人生」が、「大きな目標」には「大きな自分」が伴っていく。理目標のない人生は、努力も労もないが、向上への喜びもない。そこには虚(むな)しい自分しか残らない。

 私どもは、「広宣流布」という人類未聞の理に向かって、日々努力を重ねているのである。ゆえに、人に倍する忍耐も労もいるが、真実の「満足の自分」を築くことができるのは間違いない。

 人がどう評価するか、それはどうでもよい。また、一時の姿がどうかということでもない。要するに、最後の最後に会の笑みを満面に浮かべられる人生かどうかである。生涯を振り返り、「自分は人生に勝った。楽しかった。悔いはない」と言える人が勝利者である。

 特に青年部の諸君は、悪戦闘の境遇であるかもしれない。華やかな栄誉とも無縁であろう。それでよいのである。それぞれの使命の天地で、理へと努力し続けていただきたい。そこにこそ、我が胸中に永遠に崩れぬ「勝利の砦」が築かれてゆく。


【11.18記合同幹部会 1989-11-12 創価文化会館


「蟹(かに)は甲羅に合わせて穴を掘る」という。近頃は、甲羅が小さ過ぎてケツの穴みたいになってる幹部が多い。


 会員のために貢献してない幹部は寄生虫だ。役職というものは、組織の中で自分を大きく見せるための鎧兜(よろいかぶと)ではないのだ。のみあって実無き者は、ことごとく師子身中の虫であると断じておこう。


 昨今は手本を示す幹部がいない。特に顕著なのは家庭指導である。末端の幹部の多くは、「会合に参加することが戦い」と錯覚していて、「会合参加を促すこと」が家庭指導の目的と化している。


 ところが、その会合がつまらない。せっかく連れ出しに成功しても、相手の期待を裏切る羽目となる。未活動のメンバーから見れば、「どうして、あんな価値のない会合のために、この人は動いているのか?」という疑が湧く。そこで気づくのだ。「ああ、役職があるから、仕方なくやらされているのだな」と(笑)。


 会合が楽しい雰囲気に満ち、充実していれば、必ず結集はよくなる。これがソフトパワーだ。結集が悪いのは、参加者が喜ぶような会合になってない証拠である。しかも、結集の努力をしているのは末端幹部であって、中堅幹部は何もしてないのだ。


 では、会合を充実させるのが先かというと、そうでもない(笑)。家庭指導で磨かれたセンスがものを言うからだ。要は、人々の機根を知ることが大切だ。


 皆が求めているものを鋭く察知しながら、きちっと応えてゆけば、必ず信頼関係が結べる。理を高く掲げていれば、目先の成果に振り回されることもない。また、成長している人には、人を引きつける力がある。


 でもね、修羅場をくぐらないと本当の力はつかないんだよ。日常の活動でヒイヒイ言ってる内は30点だ。

2007-12-09

宗教施設内トイレで刺される=軽いけが、傷害容疑で捜査―警視庁


 8日午後3時45分ごろ、東京都板橋区常盤台の宗教法人顕正会」東京会館1階のトイレで、神奈川県座間市の会社員男(42)が、男に刃物のようなもので背中を刺された。男は軽いけが。警視庁板橋署は、傷害容疑で逃げた男の行方を追っている。

 調べによると、刺した男は身長約170センチで、映画「スパイダーマン」のようなマスクをし、ジャンパー姿。若い男のようだったという。


時事通信 2007-12-09


 プリン君からの情報。

組織的戦略で広宣流布はできない


 衝撃的なタイトルの工夫に余がない今日この頃である(笑)。


 創価学会は、公明党の存在によって極めて政治的な宗教団体とわれている。学会員っているよね(笑)。これは完全な誤解だ。


 多くの学会員が政治にコミットするのは選挙の時だけで、日常的な政治活動は全く行っていない。市民運動的要素すら皆無である。


 例えば、先ほど「北九州市を初めとする生活保護行政の実態」と題して動画を紹介したが、北九州市の学会青年部が抗議行動を起こすことはないし、起こそうとすらしないだろう。そうした発も出てこない。


「大学校運動」が華やかだった時には、色々なことが出来た。しかし、国際的な問題を取り上げようとして大使館などへ連絡すると、後で本部職員から厳しくたしなめられたこともあった。


 つまり、「出過ぎた真似はやめろ」ってこと。こうしたことから、「自分達の行動が、先生や学会に傷をつける可能があり、それを判断する基準が自分達にはない」という共通認識が分区・総区幹部に芽生えたのだ。特に、情報不足の民間人には不利な状況があった。


 組織から主体が奪われてゆく背景には、こんな事情もあった。


 先生が第35回本部総会(1972年112日)で発表された世界広布の展望によれば、次のような経過となる――


平和勢力の拡大

聖人の生命哲学時代精神、世界精神にまで高める

平和基盤の確立


 勢力を拡大するためには、組織的戦略が不可欠となる。しかしながら、広宣流布が大河の時代となった現在、急激な組織拡張は社会との軋轢(あつれき)を生みかねない。まして、日本の人口は減少傾向にあるのだから尚更だ。


 よって、第二段階を睨(にら)めば、「個人としての創価学会員」がどのように地域・社会の中で貢献してゆくかが大切になってくる。ここにおいて最も重要となるのは、常識・良識・見識であり、そのバックボーンとなる教学だ。


 社会のあらゆる問題に対して、高い見識から解決策を提示し、庶民の依怙依託(えこえたく)となってゆくことが求められる。こうした日常の実践を通して、学会員一人ひとりが「地域の相談役」「会社のキーマン」と成長することこそ、現実的な広宣流布の姿であろう。


 これは、組織的戦略で行うことが不可能だ。飽くまでも、一人ひとりの自覚と責任によるものである。


 幹部を含めた学会員は団体戦には強いが、個人戦に弱い傾向がある(笑)。会合では勇ましい決発表をしておきながら、会社に行った途端、小さくなっている男子部がぞろぞろいるよ(ニヤリ)。


 学会は広宣流布の団体である。どこにあろうとも、たった一人で広宣流布を成し遂げることができる人のみが、真の人材である。

北九州市を始めとする生活保護行政の実態

 既にご存じの方も多いことだろう。その後、生活保護問題対策全国会議が立ち上がり、窓口に弁護士が同伴することで、大幅に改善されるに至った。公明党の北九州市議や福岡県議は何をやってるんだろうね? 知ってる方がいれば、是非とも情報をお寄せ願いたい。セーフティネットなんか幻だわな。貧しい国民を見殺しにしながら、インド洋ではタダで数百億円規模の給油をしているってえのあ、一体どういう料簡(りょうけん)なんだ?

2007-12-08

仕事を一つ終える


 今日、長年にわたって携わってきた問題が一つ解決した。この間(かん)、自分の責任を回避しようと逃げ回る幹部を何人も見てきた。本来、デタラメな組織など存在しない。ただ、デタラメな幹部が多いだけの話だ。それにしても、婦人部幹部には問題が多過ぎる。

「苦労してきた人ほど報われ、顕彰される」世界を築け


 ドローゴの場合は、長年務めた挙げ句、いざ“栄光の時”を向かえた途端、労知らずの連中に放り出されてしまった。

 我が創価の世界には、そうした不当な無慈悲の振る舞いは、片鱗だにもあってはならない。私も絶対に許さない。

 陰の労もなく、若くして、トントン拍子で幹部になりながら、そうした真の子を下に見るような言動は、学会の精神に反する。道理にも反する。人間としても卑しい。

 むしろ、「労してきた人ほど報われ、顕彰される」――我が学会は、そうした麗しい世界でなくてはならない。


【11.18記合同幹部会 1989-11-12 創価文化会館


 ドローゴとは、『タタール人の砂漠』(ディーノ・ブッツァーティ著)の主人公。


 どんな組織でも人数が増えれば増えるほど、一人ひとりの自覚と責任が弱まる。これは避けられない。川の上流は清冽な水がほとばしっているが、海に近くなればなるほど、ゆったりと濁った流れとなる。


 学会が75万世帯となったのは昭和32年(1957年)1225日のことである。そして、750万世帯を達成したのが昭和45年(1970年)128日。わずか12年で10倍の勢力となった。この当時の学会員が最も折伏をしたことは疑う余地がない。所謂、「広布第一章世代」である。


 昭和47年(1972年)、正本堂の建立をもって広布第二章に入るわけだが、750万世帯を達成した直後に「言論問題」(月刊ペン事件)が起こり、昭和54年(1979年)には、先生が会長を勇退されるという前代未聞の事態となった。社会との融合を図りながら前進した隙(すき)を突いて、味方に背中から斬りつけられたも同然だった。


 先生の指導が再び聖教新聞に掲載されるようになったのは、創立55周年(昭和60年/1985年)の少し前ぐらいからだったと記憶している。その後、創立60周年(平成2年、1990年)・第二次宗門問題を経て、現在の前進につながっている。


 会長勇退以前の学会員を「広布第二章世代」としよう。会長勇退から第二次宗門問題までを「文化祭世代」、それ以降2001年までを「創価ルネサンス世代」と付けておこう。中々上手いネーミングだ(笑)。


 当たり前だが、新しい世代になればなるほど、広宣流布労をしてない。例えば、若くして本部長・区長・総区長・副会長に登用されている面々は、さほど折伏をしてないはずだ。「広布第一章世代」は、自分が折伏をして組織を築いた(タテ線組織)。あらゆる活動(当時は「闘争」と言っていた)が、人材育成に結びついていた。それがいつしか、運営型・調整型・事務型の便利な幹部が重用されて、現在に至っている。


 役職と広布推進度は全く関係がない。それを知る幹部が殆どいない。

2007-12-07

“死”は虚飾をはぎ取った「生命それ自体」の戦い


 いわゆる世間的に「偉くなりたい」と願う人は多い。しかし、人間として「偉大になろう」とを定める人は少ない。

 人の称賛と注目を浴びたいと願う人は多い。

 しかし、「死」の瞬間にも色褪せぬ「三世の幸(さち)」を、自分自身の生命に築こうとする人は少ない。

「死」――それは人生の総決算の時である。も富も地位も学識も、それのみでは何の役にも立たない。虚飾をはぎ取って裸になった「生命それ自体」の戦いである。厳粛にして、公正な勝負の時である。

 この戦いの勝者こそ、真の勝者なのである。


【11.18記合同幹部会 1989-11-12 創価文化会館


タタール人の砂漠』(ディーノ・ブッツァーティ著)を引用しての指導。私は未読。


 欲望には際限がなく、決して満たされることはない。幸福の鍵は「少欲知足」にある。また、理と野望は異なる。タッチの差だ。理とは自分の信に恥じない生きざまであり、野望は自分以外のすべてを手段にする狡猾(こうかつ)な生き方である。


 どんなに財産があったとしても、病はどうすることもできない。いくら有であっても、人間関係で悩む人は多いものだ。


 先日、NHKの「おはよう日本」から取材を受けた。私は界の裏事情を説明した。すると再び連絡があり、「上司と相談したところ、小野さんの話の方が面白そうだってことになったんですよ。お忙しいとはいますが、番組に出てもらえませんか?」と言われた。私は直ぐに断った。幹部をいじめ過ぎて、最近人相がよくないのだ(笑)。「実は、指手配犯なんだ」と煙(けむ)に巻いておいた(笑)。


 個人的に、賞状やメダルの類いを部屋に飾るのも好きじゃない。間に掲げてあるのは、先生の写真と「創価班」の揮毫、それから結婚式で頂戴した短冊だけである。


 私は、「無冠こそ青年の魂」という箴言(しんげん)をこよなく大切にしているのだ。人生最大の贅沢(ぜいたく)は、書物を堪能し、音楽に躍らせ、時々絵を見にゆくことである。これに過ぎるものはない。

2007-12-06

良心


 権威や権力に従った分だけ、良は磨り減ってくる。そして、「良呵責」という言葉を知らぬ人種が二つだけ存在する。犯罪者と官僚だ。

「創価スピリット」明日で第1000号に

 毎日、先生の指導を配信しているが、これは私自身のために行っているものである。最近は、携帯電話で受信している方々も多いようだ。


 多くのメールマガジンやブログが長続きしないのは、「反応を期待する」からだ。で、期待通りの反応がなかったり、に反するが増えてくると、キーボードを打つ力が萎(な)える。


 以前、舎衛の三億に関する私見を書いた。現在、このブログのアクセス数は1日6000ヒットとなっている。好的に見ている人が2000(3分の1)としよう。言ってみれば「普通の学会員」だ。そこそこ戦っているのは、その3分の1ということで600人。責任を果たしているメンバーは200人と計算する。更に、ネットを駆使できる人は60人程度となろうか。そして、私に情報提供をしてくれる人が20人で、日常的なやり取りをしている方は6人となっている。これが現状である。


 例えば、配信した指導にを打たれて、全文を読むために書籍を開く人が何人いるだろうか? 殆どの人は受信だけで終わっているはずだ。ただ、ありがたがって受け身になっている人も多く見受けられる。


 私が、学会の将来を憂える根本原因はここにある。「打ち出しをこなすだけの活動」に慣れきってしまい、随自意の精神が失われているのだ。「何か、しでかしてやろう」というぐらいの気がなければ、とてもじゃないが“青年”とは呼べない。


 もしも私が20代で、このようなメールマガジンに遭遇したら――多分、直ちにブログを立ち上げ、配信された指導の所や決を記し、「創価王道」を上回る内容を目指すことだろう。更に、トラックバックを使って論争を挑むところだ(笑)。


 受け身の人は奴隷だ。十界論で説き明かされた境涯は、上に行くほど自由度が増す。元々、「聞」とは説法を聞く弟子を示す言葉であった。釈尊の弟子が受け身で聞いていたはずがなかろう。三悪道・四悪趣とは、欲望に支配された境涯を味する。


 日常生活の瑣末(さまつ)さにかまけて勉強しない人は、まず魅力がない。生命がくすぶっている。が澱(よど)んでいる。そんなことは、目つきだけでわかるものだ。


 ネットやパソコンを武器にせよ、成長の道具として駆使せよ、と言っておきたい。


 その内、書く予定だが、ネットを駆使しなければ、ピラミッド型組織を脱却することは不可能だ。組織の理の一つに軍隊が挙げられるが、イラク戦争における米軍は、既にピラミッド型の指示系統を経てないのだ。

2007-12-05

アンチもどきとの対話


 以前、アンチの連中がたむろする掲示板の主催者と対話を試みたことがある。その際に私は、相手と全く同じスタンスで臨んだ。彼等がどれほど、安易な立場で学会批判を展開しているか一目瞭然である。ご参考までに――

『オフレコ!』Vol.5


『オフレコ!』は田原総一朗氏責任編集の雑誌だ。最新号に、川田洋一副会長(東洋哲学研究所所長)と斉藤克司・前教学部長のインタビューが掲載されていた。聞き手である田原氏の癖の付け方が見事である(笑)。例の如く、歯に衣着せぬ舌鋒が鋭い。何となく、折伏現場を彷彿(ほうふつ)とさせる雰囲気が漂うものの、このお二方、どうも理に傾きがちで面白くない。それでも、一読の価値はある。


オフレコ!Vol.5 (AC MOOK)

2007-12-04

九州広布の原点


 牧口初代会長が出席して、初の九州総会が開催されたのは、昭和16年(1941年)の秋11。ちょうど今頃の季節であった。場所は福岡県二日市の武蔵旅館。もちろん、学会会館などなかった時代である。

 その時の参加者は約40人。太平洋戦争勃発(昭和16年128日)の直前であり、社会に暗雲がたれ込めていた中での開催であった。時に牧口先生、70歳。総会には、奥さまとお嬢さまとともに出席されている。

 最晩年に当たるこの時期に、牧口先生は毎年、九州に足を運ばれている――昭和13年夏、鹿児島へ。14年春、福岡の八女へ。15年11には福岡、久留米、八女、長崎の雲仙(うんぜん)、更に島原から荒尾、熊本を経て大分の別府へ――。そして、翌16年11に、この九州総会への出席となるのである。

 東京から九州へ、今なら飛行機で1時間半ぐらいだが、当時は列車を乗り継いでの長旅であった。旅費も大変な中で工面されていた。

 行く先々で、3里(約12km)、4里という交通の不便な田舎道を、折伏の先頭に立って歩かれた牧口先生。ご高齢にもかかわらず、その足取りの勢いたるや、同行の人達も中々ついていけないほどであったという。

 このように牧口先生の行動は、「大聖人の仰せ通りに、必ず広宣流布をしてみせる」との“大情”に貫かれていた。要領や策など微塵もなかった。愚直なまでに、どこまでも「一人」のために尽くされた。これが、私ども学会の創立者である。そして、この初代会長が、まさに五体をぶつけるようにして切り開かれたのが、九州広布の誉れある天地なのである。

 本日、九州総会にお集まりの方々をはじめ、九州各県の同志の福運に満ちあふれた姿を、牧口先生もどれほどお喜びくださっていることであろうか。どうか、このことを強く確信し、最大の誇りとしていっていただきたい。


 人生に偉大な目的をもつ人は強い。偉大な仕事、偉大な道に生き抜いた人は、自らをも偉大にしてゆける。いかなる困も悠々と乗り越え、常に大きく境涯を広げてゆくことができる。

 牧口先生の時代も、戸田先生の時代もの連続であった。その中から何としても活路を開かんとの、初代・二代会長の死闘によって、今日の学会の基礎が築かれたのである。

 その「大」が胸中深く刻まれているがゆえに、私はどのような困にも、またどのような試練にも負けなかった。師匠が偉大だったからこそ、私はひたすら学会に仕えてきた。この信は、これからも絶対に変わることはない。更に更に勢いを増しながら、報の誠を尽くしてゆくのみである。


 さて、牧口先生を迎えての九州総会――この総会それ自体が、いわば波乱の劇でもあった。

 会場に着かれた牧口先生。総会の準備にあたっていた役員が顔色を変えて報告する。「大変なことになりました。特高刑事が3人もきています。総会ができるかどうか……」と。特高とは特別高等警察のこと。戦前の警察制度で、政治関係を担当し、人々に恐れられていた。この頃、既に牧口先生、学会への弾圧の手が伸びていたわけである。

 この報告に牧口先生は、「なに、大丈夫だよ」と悠然と応えられる。

 役員や周囲の人は、“いや、危ないです。行かれない方がいいです”と、牧口先生を止めたいであったかもしれない。だが牧口先生は、何の恐れる風もなく、平然と会場へ入ってゆかれた。

 その時である。会場にいた一人の男が牧口先生に向かって、大で怒鳴るように言った。「国がすすめている天照太神を悪く言うのは、けしからんではないか」。

 いつの時代にも、時流に流される人がいる。何が真実かもわからず、権威に媚び、形勢のいい方につこうとする。こうした信のない臆病な人ほど、哀れな人はいない。

 居丈高(いたけだか)にまくしたてた男は、「どうだ、答えられないだろう」と得気であった。しかし牧口先生は、気迫のこもった目でその男を見つめ返された。男は気圧(けお)されたように沈黙してしまった。

 牧口先生は会員の方に笑顔を向けながら、開口一番「天照太神とは、法華経の行者を昼夜にわたって守護する諸天善神なのです」と。まことに鮮やかな反撃であった。御書に照らして本質を鋭く突いて、パッと切り返す。これが信の戦いである。

 こうして総会は始まり、牧口先生は諄々(じゅんじゅん)と宗教の真実の道について語られた。あの権威を借りた居丈高の男は、いたたまれなくなったのか、いつしか姿を消していた。

 70歳の牧口先生自らが、国家権力を後ろ盾にした妨害の徒との戦いの矢面に立たれ、厳然と会員を守り抜かれたのである。私にはその光景が絵のように浮かんでくる。

 これが広布の「将」の姿であり、代々の会長の精神であった。

 私は、青年部の諸君にこそ、この精神をしっかりと受け継いでもらいたい。いかなる権力、悪の勢力に対しても、厳然と我が身を挺(てい)して立ち向かう学会精神、青年部の魂を忘れないでいただきたい。


 九州総会は、体験発表、質問会と進んだ。「時間だ」とストップをかける特高刑事。牧口先生は2時間、淡々と指導を続けられたのである。

 私も現在、機会あるごとにスピーチをしている。これは後世のために、悪を打ち破り、広布の大道を幾重にも開き、残しておきたいからである。私の命のある限り続けてゆく決でいる。


 ともかく、初の九州総会は終始、牧口先生の勇気ある学会精神に貫かれたものであった。ここに、「創立者」の手づくりによる、信の「原点」が刻み残されている。

 いかなる波乱があっても、毅然と、また悠々と乗り越えていかれた牧口先生。この創価精神さえ忘れなければ、九州は絶対に負けることはない。永遠なる発展を遂げてゆくことができる。否、牧口先生の戦いをえば、九州は負けられない、負けてはいけない法戦の地であると、強く申し上げておきたい。


 交通の便もよくない当時、牧口先生高齢をおして、遠く九州まで何度も足を運ばれた。東京から博多まで、途中の地を訪れながら4日目に到着されるということもあった。今のように飛行機もないし、新幹線もない。汽車の硬い座席に長時間、揺られながらの旅である。高齢の先生にとって決して楽なものではなかったはずである。

 しかし、なぜ九州に行くか――牧口先生はその情を一人の婦人に、こう言われている。

「私は、あなたが本物になれば、こうしてはるばる来た甲斐がある」と。

 本物の信の人を育てたい。そのためには、いかなる労もいとわない。これが初代牧口先生の切なるいであった。

 いずこの地にあっても、「本物の信」の人が一人いればよい。広宣流布の命脈は、その「一人」によって厳然と守られ、幾重にも広がっていくからである。

 私も戸田先生のもとで、その「一人」になることを決して、立った。そして今は、皆さま方一人ひとりが、その「一人」となっていただきたいことを願し、日々広布の戦いに挺身している。


【11.18記合同幹部会 1989-11-12 創価文化会館


 今、草創期と同じ労をしているのは海外である。その味で、世界広布はまだ草創期といっていいだろう。その中から必ずや本物の弟子が陸続と現れることを確信する。日本の学会員が、海外の同志に教えを請うようになるのは時間の問題だ。広布を語る資格もなければ、師弟を語る資格もない幹部を一掃しよう。人知れず地道に戦い続ける庶民を、と崇(あが)め称(たた)えよう。

2007-12-03

作戦決行


 実は先、ある作戦を決行した。ま、軽く学会本部を突っついたとってもらえばよい。で、今日、ある副会長と会った。副会長は全面的に私の見に賛同してくれた組織の地域的な傾向慮していることも教えてもらった。真剣に会員のことをえば、不議とが一致するものだ。

「私は永遠に諸君を見守ってゆく」


 私も諸君を見守る。創立者として、我が大学、我が学園に集い、馳せ参じた諸君の人生の“勝利の栄冠”を、ただひたすら祈っている。日々祈り抜いている。そのいの深さは誰人にもわからないであろう。

 仮に諸君が、一旦は社会で敗北し、また、人生の境に陥ることがあろうとも、すべての人が見放すような事態になろうとも、私だけは絶対に諸君の味方である。

 誰が知らなくとも、誰が見ていなくとも、私は生涯、否、永遠に諸君を見守ってゆく決でる。常に諸君を守り、諸君のために戦う一生でありたい。これが創立者としての私の情であり、一である。

 そして、やがて諸君一人ひとりの頭上に、勝利の証の桂冠をこの手で飾り、この手で祝福してあげたい。その時、私はどれほど嬉しいか。どれほど誇らしいか。そのことを人生最大の楽しみとし、私は生き抜いてゆきたい。


創価教育同窓の集い 1989-11-05 創価大学中央体育館】


 忘れようにも忘れられない指導の一つ。私はメイン会場にいた。創大OBだった先輩が、自分の入場券を私にくれたのだ。「俺は周辺会館で同時中継を聴くから、遠慮しなくていいよ」と。


 先生は、「たとえ犯罪者になろうとも」と仰せになられた。創大を出たとか、出てないとかはどうでもいいことだ。こういうを持つ人が、世の中に存在するという事実を私は知った。人間の極地がであることを悟った。


 私は男子部の地区リーダーだった。この日の夜、地区大会を開催した。私はこの指導だけ紹介して語った。「とにかく今後の私を見ていて欲しい。今は多くを語りたくない。多くを語ると嘘になるから」と。


 師のから受けた衝撃の数々は、轟くような余韻となって今も尚、胸の内に響き渡っている。死ぬまで消えることはない。

決意


 さあ、今日も戦うぞ。幹部と(笑)。私は何歳になろうとも、壮婦に巣食う“詐親”と戦い続ける。これが私にとっての「生涯青春」だ。