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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-12-06

良心


 権威や権力に従った分だけ、良は磨り減ってくる。そして、「良呵責」という言葉を知らぬ人種が二つだけ存在する。犯罪者と官僚だ。

「創価スピリット」明日で第1000号に

 毎日、先生の指導を配信しているが、これは私自身のために行っているものである。最近は、携帯電話で受信している方々も多いようだ。


 多くのメールマガジンやブログが長続きしないのは、「反応を期待する」からだ。で、期待通りの反応がなかったり、に反するが増えてくると、キーボードを打つ力が萎(な)える。


 以前、舎衛の三億に関する私見を書いた。現在、このブログのアクセス数は1日6000ヒットとなっている。好的に見ている人が2000(3分の1)としよう。言ってみれば「普通の学会員」だ。そこそこ戦っているのは、その3分の1ということで600人。責任を果たしているメンバーは200人と計算する。更に、ネットを駆使できる人は60人程度となろうか。そして、私に情報提供をしてくれる人が20人で、日常的なやり取りをしている方は6人となっている。これが現状である。


 例えば、配信した指導にを打たれて、全文を読むために書籍を開く人が何人いるだろうか? 殆どの人は受信だけで終わっているはずだ。ただ、ありがたがって受け身になっている人も多く見受けられる。


 私が、学会の将来を憂える根本原因はここにある。「打ち出しをこなすだけの活動」に慣れきってしまい、随自意の精神が失われているのだ。「何か、しでかしてやろう」というぐらいの気がなければ、とてもじゃないが“青年”とは呼べない。


 もしも私が20代で、このようなメールマガジンに遭遇したら――多分、直ちにブログを立ち上げ、配信された指導の所や決を記し、「創価王道」を上回る内容を目指すことだろう。更に、トラックバックを使って論争を挑むところだ(笑)。


 受け身の人は奴隷だ。十界論で説き明かされた境涯は、上に行くほど自由度が増す。元々、「聞」とは説法を聞く弟子を示す言葉であった。釈尊の弟子が受け身で聞いていたはずがなかろう。三悪道・四悪趣とは、欲望に支配された境涯を味する。


 日常生活の瑣末(さまつ)さにかまけて勉強しない人は、まず魅力がない。生命がくすぶっている。が澱(よど)んでいる。そんなことは、目つきだけでわかるものだ。


 ネットやパソコンを武器にせよ、成長の道具として駆使せよ、と言っておきたい。


 その内、書く予定だが、ネットを駆使しなければ、ピラミッド型組織を脱却することは不可能だ。組織の理の一つに軍隊が挙げられるが、イラク戦争における米軍は、既にピラミッド型の指示系統を経てないのだ。