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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-12-10

スピーチに思う


 最近つとにじていることだが、スピーチの半分ほどが過去に話された内容とダブっている。また、全体的に記録として残す目的がじられてならない。戸田先生が亡くなってから、間もなく50年となる。釈尊説法も通説では50年とされる。無庶民を励まし続けてきた先生の言葉を綴れば、それこそ八万法蔵に匹敵する量になるだろう。遂に、弟子が自立する時が来たのか……。師に寄りかかり、甘える気持ちを叩き出せ。

多田富雄氏までもがリハビリ難民に


 多田富雄氏は免疫学の世界的権威で、国際免疫学会連合会長も務められた。数々の賞にも輝いている。かような人物をリハビリ民にしたのは、政府与党の政策だった。公明党後出しジャンケンみたいな格好で法改正をしたのは、数多くのリハビリ民を“製造した”後だった。私の地区にも、既にリハビリを受けられなくなった重度の障害を持つ婦人部がいる。


 今までの公明党は、庶民ウケする政策で何とか面目を保ってきた。しかし、与党入りしてからというもの、どうも冴えない。またぞろ、「下駄の雪」になっているような気がするのは私だけであろうか。


 まともな政党であれば、防衛問題・景気対策と本気で取り組むべきだ。自分達で党勢を拡大しないから、学会の言いなりにならざるを得ないのだ。


 果たして公明党に、真の政治家が何人いるだろうか? 「殆どいない」というのが私の実だ。

「診療報酬改定 リハビリ中止は死の宣告」多田富雄


多田富雄 東京大学誉教授》


 私は脳梗塞の後遺症で、重度の右半身麻痺に言語障害、嚥下障害などで物も満足には食べられない。もう4年になるが、リハビリを続けたお陰で、何とか左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送っている。


 ところがこの3末、突然医師から今回の診療報酬改定で、医療保険の対象としては一部の疾患を除いて障害者のリハビリが発症後180日を上限として、実施できなくなったと宣言された。私は当然リハビリを受けることができないことになる。


 私の場合は、もう急期のように目立った回復は望めないが、それ以上機能低下を起こせば、動けなくなってしまう。昨年、別な病気で3週間ほどリハビリを休んだら、以前は50メートルは歩けたのに、立ち上がることすら厳しくなった。これ以上低下すれば、寝たきり老人になるほかない。その先はお定まりの衰弱死だ。


 私はリハビリを早期に再開したので、今も少しずつ運動機能は回復している。


 ところが、今回の改定である。私と同様に180日を過ぎた慢期、維持期の患者でもリハビリに精を出している患者は少なくない。それ以上機能が低下しないように、不自由な体に鞭打ってしい訓練に汗を流しているのだ。


 そういう人がリハビリを拒否されたら、すぐに廃人になることは、火を見るよりも明らかである。今回の改定は、「障害が180日で回復しなかったら死ね」というのも同じことである。実際の現場で、障害者の訓練をしている理学療法士の細井匠さんも「何人が命を落とすのか」と325日の本紙・欄(東京本社版)に書いている。ある都立病院では、約8割の患者がリハビリを受けられなくなるという。リハビリ外来が崩壊する危機があるのだ。


 私はその病院で言語療法を受けている。こちらはもっと深刻だ。講音障害が運動まひより回復が遅いことは医師なら誰でも知っている。1年たってやっと少しが出るようになる。もし180日で打ち切られれば一生はなせなくなってしまう。口蓋裂の子供などにはもっと残酷である。この子らを半年で放り出すのは、一生しゃべるなというようなものだ。言語障害のグループ指導などできなくなる。


 身体障害の維持は、寝たきり老人を防ぎ、医療費を抑制する目的とするなら逆行した措置である。それとも障害者の権利を削って医療費を稼ぐというなら、障害者のためのスペースを商施設に流用した東横インよりも悪質である。


 何よりも、リハビリに対する考え方が間違っている。リハビリは単なる機能回復ではない。社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復である。話すことも直立二足歩行も基本的人権に属する。それを奪う改定は、人間の尊厳を踏みにじることになる。そのことに気がついて欲しい。


 今回の改定によって、何人の患者が社会から脱落し、尊厳を失い、命を落とすことになるか。そして、一番弱い障害者に「死ね」といわんばかりの制度をつくる国が、どうして「福祉国家」と言えるのであろうか。


【「私の視点」/日新聞 2006-04-08】

わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか

アグネス・チャン


 いやあ、新聞で見た時は吃驚(びっくり)させられたが、衛星放映を見て、もっと吃驚したよ。ご主人が公の場に姿を現すのも珍しい。


 そうそう、アグネス・チャンの公式サイト掲示板がてんやわんやになっている。よくもまあ、「衛星中継」とか「同時中継」とか書けるもんだ。空いた口が塞がらない。「民音文化賞」にしても、ご本人がダイアリーで書いているとはいえ、相手の立場やファンの気持ちを慮(おもんぱか)るべきだろう。自分の気持ちを一方的に押し付ける学会員が目立つ。


ピースフル ワールド-Peaceful World-

「深き理想」には「深き人生」が、「大きな目標」には「大きな自分」が


「深き理」には「深き人生」が、「大きな目標」には「大きな自分」が伴っていく。理目標のない人生は、努力も労もないが、向上への喜びもない。そこには虚(むな)しい自分しか残らない。

 私どもは、「広宣流布」という人類未聞の理に向かって、日々努力を重ねているのである。ゆえに、人に倍する忍耐も労もいるが、真実の「満足の自分」を築くことができるのは間違いない。

 人がどう評価するか、それはどうでもよい。また、一時の姿がどうかということでもない。要するに、最後の最後に会の笑みを満面に浮かべられる人生かどうかである。生涯を振り返り、「自分は人生に勝った。楽しかった。悔いはない」と言える人が勝利者である。

 特に青年部の諸君は、悪戦闘の境遇であるかもしれない。華やかな栄誉とも無縁であろう。それでよいのである。それぞれの使命の天地で、理へと努力し続けていただきたい。そこにこそ、我が胸中に永遠に崩れぬ「勝利の砦」が築かれてゆく。


【11.18記合同幹部会 1989-11-12 創価文化会館


「蟹(かに)は甲羅に合わせて穴を掘る」という。近頃は、甲羅が小さ過ぎてケツの穴みたいになってる幹部が多い。


 会員のために貢献してない幹部は寄生虫だ。役職というものは、組織の中で自分を大きく見せるための鎧兜(よろいかぶと)ではないのだ。のみあって実無き者は、ことごとく師子身中の虫であると断じておこう。


 昨今は手本を示す幹部がいない。特に顕著なのは家庭指導である。末端の幹部の多くは、「会合に参加することが戦い」と錯覚していて、「会合参加を促すこと」が家庭指導の目的と化している。


 ところが、その会合がつまらない。せっかく連れ出しに成功しても、相手の期待を裏切る羽目となる。未活動のメンバーから見れば、「どうして、あんな価値のない会合のために、この人は動いているのか?」という疑が湧く。そこで気づくのだ。「ああ、役職があるから、仕方なくやらされているのだな」と(笑)。


 会合が楽しい雰囲気に満ち、充実していれば、必ず結集はよくなる。これがソフトパワーだ。結集が悪いのは、参加者が喜ぶような会合になってない証拠である。しかも、結集の努力をしているのは末端幹部であって、中堅幹部は何もしてないのだ。


 では、会合を充実させるのが先かというと、そうでもない(笑)。家庭指導で磨かれたセンスがものを言うからだ。要は、人々の機根を知ることが大切だ。


 皆が求めているものを鋭く察知しながら、きちっと応えてゆけば、必ず信頼関係が結べる。理を高く掲げていれば、目先の成果に振り回されることもない。また、成長している人には、人を引きつける力がある。


 でもね、修羅場をくぐらないと本当の力はつかないんだよ。日常の活動でヒイヒイ言ってる内は30点だ。