Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2007-12-24

週刊現代、矢野氏 に賠償命令


公明議員OBが全面勝訴


虚偽の記事で誉毀損


謝罪広告掲載も命じる/東京地裁


 公明党議員OBの大川清幸(元参院議員)、伏木和雄(元衆院議員、元党副委員長)、黒柳明(元参院議員、元党副委員長)の3氏が、講談社発行の「週刊現代」で2度にわたり悪質な中傷記事を掲載されたことについて誉を毀損されたとして、発行元の講談社(野間佐和子代表取締役)と、出樋一親・同誌編集長(当時)、矢野絢也元公明党委員長らの3者に対し、損害賠償請求と同誌への謝罪広告掲載を求める民事訴訟を起こしていた裁判で、東京地方裁判所は21日、一連の記事の虚偽を認め、大川氏らが「精神的痛を被ったことが認められる」として連帯して原告3氏それぞれに対し、講談社と出樋元編集長が220万円ずつ(合計660万円)、矢野元委員長が110万円ずつ(合計330万円)支払うとともに、3被告全員に同誌への謝罪広告掲載を命じる判決を言い渡した。


 一方、矢野元委員長が求めていた手帖返還については請求を棄却。大川氏ら議員OB3氏の全面勝訴となった。


 問題の記事が掲載されたのは2005年86日号と同13日号の同誌。6日号では、矢野氏の“極秘メモ”を記録した衆議院手帖100冊について、大川氏らが矢野氏に執拗に強要して同氏宅の本棚から押し入れ、妻の部屋まで家捜しし、資料を「奪い」「持ち去った」と中傷。13日号では、「公明党OB議員からの提訴は笑止 矢野絢也氏が『手帖強奪』の真相激白」との見出しを付け、同元委員長のコメントを中に虚偽の記事を掲載。このため、大川氏らは6日号、13日号の発行後、それぞれについて矢野氏らを相手取り提訴していた。


 判決で東京地裁は、「被告矢野は、原告らの求めに応じ、自らのに基づき、本件手帖等を交付し、被告矢野宅内を案内したことが認められ」「被告矢野の強い抗議にもかかわらず家捜しを2回にわたって強行したとの事実は認められない」と、大川氏らとの合の上で手帖が渡されたものと認定した。


 裁判では、矢野元委員長や妻が3氏に脅迫されたなどと記事を裏付ける供述をしていたが、原告側から矢野元委員長らの虚偽を決定的に裏付ける証拠として、大川氏らが矢野宅を訪れた際の一連のやり取りを録音したテープを提出。被告側はテープは改ざんしたものと抗弁したが、判決では、テープは改ざんされておらず、矢野元委員長らの供述は虚偽であるとして、大川氏ら3氏を全面的に勝訴させたものである。


【公明新聞 2007-12-22】

古谷博


【『フェイク』第883号 2007-12-20)】


金銭問題で転落の人生


「小多仁伯」こと「古谷博」の品格なき素顔


飲食店経営で失敗、多額の借金を背負って逃げ回る


 日新報道という三流出版社から、また学会誹謗の本が出たことを「週刊新潮」(1227日付)が報じている。本の著者は「小多仁伯」となっているが、本は「古谷博」(65歳)である。この本の音読みをペンネームにしているのだ。


 古谷は学会の元職員であったが、女問題と金銭問題を起こして退職せざるを得なくなり、転落の人生を彷徨っている。


 今では極悪ペテン師・山崎正友の子分になり、大草一男ら妙観講が作っている「妙」、それに乙骨正生の「フォーラム21」に登場し、短期間だけ勤めた芸術部の元書記長の肩書きを悪用して学会批判を繰り返しており、更に「週刊新潮」の情報源にもなっている。


 この駄本の著者、出版社、それを紹介する週刊誌と、いずれも反学会系のオンパレードといったところだ。


 今週発売の「週刊新潮」が紹介している本の内容は、古谷が、これまで述べてきた与太話に妄を加えて虚飾した陳腐なもので、一読にも値しない。こんな本が定価1680円では買う人などいない。


 退転してを受け、現在、生き地獄の日々を過ごしている山崎正友や原島嵩、既に地獄に堕ちた竜年光らに共通するのは、己自身が引き起こした問題を棚に上げ、学会に責任転嫁して批判する点であるが、この古谷も、その例外ではない。


 まず、この古谷が退職したのは多額の借金が原因だった。古谷は職員でありながら昭和56年、同族会社の「昴(すばる)商事」を立ち上げた。これは服務規程違反だが、古谷は自らの氏は登記せず、陰から会社を動かす事実上の経営者になっていた。そして東京・世田谷区内に中華料理店「敦煌」を開店したものの、工事代金の四千八百万円を支払うことができずに逃げ回っていた。


 だが、者に訴えられて昭和60年4に敗訴して学会にいられなくなり、同年7、退職したのである。


 退職した後は、既に退転していた藤原行正(元都議)などの脱会者を頼り、その後、学生部の先輩であった山崎正友に接近して関係を深めた。これが真相であるが、古谷は平成16年11、学会本部に抗議文を送りつけて「私は、自分の関係する飲食店のことで、右翼団体や暴力団の嫌がらせを受けつつ、民事で係争中」と述べた上で、厚顔無恥にも、学会が「弱者」を守らなかったと癖をつけた。そして、その抗議文を平成16年121日付「妙」に掲載した。


 だが、考えても見よ、借金を踏み倒して逃げる古谷のような奴を「弱者」とは言わない。「盗人猛々しい」とは古谷、お前のことだ。


 まさしく、古谷は飲食店を経営して失敗し、多額の借金を背負い、債権者の取立てから逃げ回って、学会にいられなくなった品格なき下劣な男である。


 また、古谷の女問題だが、これは鹿児島県に出張した際、同県の女幹部であった中園球子と不倫関係になったのである。


 こんな絶対、あってはならない醜態を晒すのが古谷である。この二人は最近の121日付の「妙」紙上でも「小多仁」「中園」の前で小川頼宣、小川洋美らと一緒に学会の悪口を言っている許しい奴らだ。




【『フェイク』第884号 2007-12-23】


悪党に共通する自己弁護と逆恨み


山崎正友の下働き男・古谷博のウソを暴く


己自身の退職年を間違う奴の昔話が信用できるか


 退転・反逆の悪党に共通するのはウソを並べて己自身の失態を学会に責任転嫁して逆恨みすることである。


 前号で述べた通り、古谷博の退職は借金問題だが、それを「学会を見限った」故に退職したと書いている。腐りきった根である。


 小多仁伯(こたにはく)のペンネームで古谷が書いた学会批判本の内容も取るに足らない昔の戯言だが、いかに姑な奴であるかを、具体例を上げて指摘する。


 その第一は古谷が平成16年1118日、当時の秋谷会長に宛てた「抗議文」に見られる。その抗議文とは同年1018日付の聖教新聞の紙上座談会で「山崎にくっついている悪党は、まだいる。退転者の古谷博と小川頼宣というやつだ」「古谷というのは、飲食店を経営して失敗。借金を背負った揚げ句、債権者の取り立てから逃げ回って、学会にいられなくなった男だよ」と指摘されたことに対し、古谷が学会本部に無礼千万な一文を送り付けたものだ。


 その駄文を「妙」が平成16年121日付で大きく取り上げていた。


 その中で古谷は「山崎にくっついている悪党」との指摘が「著しく私の誉を侵害している」として「山崎師団」に触れたあと、「私も小川頼宣氏も、それには当てはまりません」と弁解。また「学会在籍の頃は、私にとって山崎氏は雲の上の人」と書いた後、今は「からのパートナー」と述べている。つまり「くっついている」のではなく、山崎と同格だとでも言いたいのか? 古谷や小川に「師団」を構成するような実力・能力がないのは百も承知だが、山崎の下で蠢いていたのは事実である。


 その証拠に今年94日、東京地裁で山崎自身が「古谷さんとは時々、会っている」「古谷さんはパソコンに堪能な人なので手伝ってもらった」と証言していたではないか。


 山崎は失明寸前で、字も下手クソだから、裁判所への提出文書の作成などを古谷にやらせていた。それを「山崎にくっついている」というのである。その指摘が「誉の侵害」ならば、山崎と決別すればよいだけの話である。


 次に、故か、悪か、己の退職の「年」を間違えている。これも抗議文の中で「私が貴殿に本部職員の辞表を提出しましたのは、忘れもしません、昭和62年6のことでございます」「私が本部職員を退職した本当の理由を、一番良く知っているのは、秋谷さん、あなたではないですか。おさらいのために、もう一度退職した理由を申し上げます。私が退職した翌昭和62年7は、東京都議会議員選挙があり、いくつかの区で二立候補して戦った激戦の年でした」と書いていた。


 古谷は何を寝ぼけているのか。昭和62年に都議会議員選挙は実施されていない。古谷が退職したのは昭和六十年だ。何が「忘れもしません」だ! 「おさらい」しなければならないのは、古谷自身だ。


 今回の『週刊新潮』では、素知らぬ顔で「私は昭和60年に学会本部職員を辞めて……」と修正しているが、一事が万事、己の退職した年を偽る、或いは間違うような奴のカビの生えた昔の戯言など信用できるか!