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2007-12-26

ダンテ『神曲』の主題


SGI会長●彼が『神曲』を著した主題は何であったか。ある書簡の中で彼は言う。この作品の目的は「この世に生きる者を悲惨から救い出し、至福へ至らしめることである」と。

 悩める人をいかに幸福へ導くか。地獄しみにある民を、どうやって幸の天上へといざなうか。ここにダンテの透徹した視点があり、後世まで人々のを魅了してきた秘密がある。

 しかし、彼の生涯は迫害の連続であった。故郷を追放され、放浪の20年間の後に、遂に帰郷できぬまま世を去っている。

 ミケランジェロはうたった。

「彼の母国は正当な願望に門を閉ざした。/まさに忘の国、しかも困ったことに/彼の悲運の乳母だ。このことは示している/最高の完成者こそ最大の侮蔑をもって遇されることを」「彼に比肩する者、彼より勝れた者がかつてこの世に生まれたこともなかった」(土岐慎二訳)と。


女史●SGI会長の指摘は全く正しいものです。ダンテの偉大さは、彼が人類のために一生を捧げたことであり、その考えを変えずに生涯を貫いたことです。


SGI会長●「民衆のため」「人類のため」との精神は、法で説く「」のにも通じ、ダンテの生き方は慈悲の道に生きる法者の精神と響き合うものとう。私がダンテを愛読し、敬愛するのも、そこに大きな理由があります。


フランチェスカ・ボッキ、イタリア・ボローニャ大学教育学部長と会談 1989-12-03 聖教新聞社】


 ボローニャ大学は世界最古の大学である。1088年の創設というのだから凄い。ダンテも学んだ。1994年61日には池田先生が「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」と題して講演。その際、誉博士号が授与されている(ドクター・リングが贈られたのは世界で二人目)。


 ダンテは大聖人と同じ時代を生きた。文永2年(1265年)生まれである。もっとわかりやすく言えば、小松原の法難の翌年に当たる。


 当時、書物はラテン語で書かれていた。庶民はイタリア語を話していたが、無数の方言に分かれていて、統一した形がなかった。そうした中で、ダンテは敢えて俗語であったイタリア語(トスカナ語)で多くの著作を記した。(対談より)


 女史は語っている。「つまりダンテは、イタリア語で考え、信ずることを私達に教えてくれました」と。


 その上、迫害多き人生であったことを知ると、大聖人の御一生と重なるところが多い。さしずめ現代であれば「ガンジー、キング、池田」ということになろう。

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