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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-12-28

明年は「人材・拡大の年」


 現場の人材も足りないのだが、ネットの人材はもっと足りない(笑)。Webの可能は、距離を越えた見交換、人間関係の広がり、情報収集、情報蓄積などにあるとうのだが、ネットにおける学会勢力は全く形成できてないのが現状だ。


 理由がいくつかある。まず、実際の学会活動や仕事が多忙を極めていること。次に、ネット情報を引用することを禁じているお達しがあること。そして、Web上では傍観者的態度を決め込んでいる学会員が多いことなどが挙げられよう。メールすら満足に使えてない人が多いようにじる。


 そこで、2008年はWeb上の人材を広く求めて参りたい。私が孤軍奮闘している場所は以下の通り――

 これが中々大変なんだ。「じゃあ、手伝ってやろう」という殊勝な方がいらっしゃれば、是非ともご連絡願いたい。


 創価系のポータルサイトを誰か作ってくれないかしら? 登録型リンク集と掲示板、及び分科会(好き勝手なグループ)みたいなものがあれば十分だとう。分断されたままの状態で、情報を蓄積することは不可能である。こうした試みが自発的に行われない限り、広宣流布の次の展開は望めない。


 ある程度の人数が集まれば、情報交換、見交換、教学研鑚、広布史、教史、学会指導、資料収集はしくはない。学会本部ですら、まだ戸田先生の指導のデータベース化も出来てないのだ。

偉人は苦難の中で歴史を残す


 トインビー博士は、大著『歴史の研究』の中でも、ダンテに多く言及されている。博士の叔父さんも、有ダンテ学の権威であった。

 博士は書いている(『歴史の研究』第3部「文明の成長」)。

「フィレンツェに於ける生得権を失うことによって、ダンテは世界の市民権を獲得した」(『歴史の研究』刊行会版第6巻)

 すなわち、追放によってはじめて、ダンテは狭い「フィレンツェの市民」から「世界市民」となった。また、時間・空間に縛られた現世の枠から解き放たれて、「永遠」を祖国とする人間になっていった――と。

 それは、運命の「挑戦」に対する、最高の「創造的応戦」であった。ここに“偉人”と呼ばれる人に共通する“人生の軌道”がある。

 存在が大きければ、当然、圧迫も大きい。しかし、圧迫が大きければ、より大いなる知恵と力を振り絞って活路を開いてゆく。迫害の嵐をも、上昇への気流へと変えてゆく。

 この執、この創造的精神をもって一生を戦い抜いた人こそ偉人である。


 書くこと、語ること、歌うこと――ダンテにとって、それは全生命を賭けた「戦い」であった。

 中国最大の歴史家・司馬遷は、権力による理不尽な迫害に耐えて耐えて、不朽の『史記』を完成した。彼は言った。

 ベートーベンの「第九交響曲」が多く聴かれる年末となったが、彼がこの「歓喜の歌」を作った時、彼の生活には何ひとつ歓喜といえるものなどなかった。しみの底にあって彼は、「歓喜の歌」を自らの“胸中から取り出し”、人類に示したのである。

 ダンテ亡命の悲哀の中で死の直前に、執の書『神曲』を完成した。

 トインビー博士は、こうした“人類文化の法則”を知り抜いておられた。

 私に対しても一貫して、“一時の非など当然である。歯牙にもかけず、歴史における重大な使命を果たしてほしい”との態度であられた。

 私は今、4年前の病気という“挑戦”を機に、本格的にスピーチに取り組み、“創造的応戦”を続けている。それもすべて、後世の歴史家と人類に向かっての叫びである。


 さて、ダンテが『神曲』で図したものは何であったか。彼はある手紙の中で、その目的をこう書いている。

「この世に生きる者を悲惨から救い出し、至福へ至らしめることである」と。

 法でいえば、菩薩的精神ともいえよう。

『神曲』には「なぜ人間は、しく、みじめな状態に堕ちてしまうのか」「いかに生きれば、幸福へと上昇できるのか」という大いなる問いかけが、はらまれている。


『神曲』の「地獄篇」には、大きく九つの地獄が描かれている。それぞれ、「欲望にとらわれた者」「暴力者」「反逆者」などが地獄に堕ちてしむ姿を、極めてリアルに表現している。

 ちなみにダンテによれば、「反逆」の罪を犯した者の地獄が最も下部の地獄である。中でも、人(主人)に反逆した人間は、地獄の最低の場所で、氷の中に永遠に閉じ込められている。また、王に食べられ続けている。

 彼が、どれほど「裏切り」の罪を重くみていたことか。

 もとより、主としてキリスト教的な世界観の範疇(はんちゅう)ではあるが、ダンテは彼なりに、厳しき「生命の因果律」を垣間見ていたといえよう。

 イギリスのある詩人は『神曲』について、「永遠の正義の法則」を表現しているとし、それは東洋の言葉でいえば「カルマ)」の法則であると論じている。


 尚、『神曲』の元々の原題は、「喜劇(喜曲)」である。「神聖な」という語は後世に加えられた。

 なぜ、「喜びの劇」なのか――。それは、始めと途中は悩の劇であっても、最後の幸福な結末(至高天への上昇)を迎えるからである。

 ここに、“しみから喜びへ”という「宿命への挑戦」のを読み取れるかもしれない。


【第18回全国青年部幹部会 1989-12-09 創価文化会館


 最初に余計なことを書いておくと、「おじさん」には3種類の表記がある――


 1.伯父さん(父母の兄)

 2.叔父さん(父母の弟)

 3.小父さん(縁戚関係ではない)


『神曲』の原題は「Commedia(コメディア=喜劇)」だった。これに、ボッカチオが尊称をつけ「La Divina Commedia(神聖なる喜劇)」となった。


 編集者の松岡正剛氏がこのように綴っている――


 ここには人文の地図があり、精神の渇望があり、文芸のすべてに及ぶ寓が集約されている。それは宇宙であり、像であり、国家であり、そして理の実践のための周到なエンサイクロメディアの記譜なのだ。また、あらゆる信と堕落の構造であり、すべての知の事典であって、それらの真摯な解放なのである。


 私はまだ読んでない。来年の目標の一つに入れることにしよう。


 という溶鉱炉は、ありとあらゆる虚飾を剥(は)ぎ取る。絶望と懊悩(おうのう)の果てに裸の自分がさらされる。深淵(しんえん)の底から、偉人達が発した光は何だったのか。それは、経済的成功や利とは無縁のものだった。生命の本然から発する創造が、希望の光となって人類を照らしたのだ。


 この光を、万人の胸に灯(とも)そうとされたのが釈尊であり、日蓮聖人だった。


 池田門下生であるならば、最もしい時に最大の福運を積んでいることを確信しながら、堂々と一生を歩み抜こう。


神曲〈1〉地獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) 神曲〈2〉煉獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) 神曲〈3〉天国篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

福田首相の謝罪は重い


福田首相、薬害肝炎原告らに「からおわび」と謝罪


 福田首相は25日夕、薬害C型肝炎集団訴訟の原告らと首相官邸で会い、「からおわびを申し上げます。私自身も一日も早くこの問題を解決したいとっていた」と謝罪した。


【読売新聞 2007-12-25】


 福田首相の謝罪は重い。官僚は絶対に謝らないため、かような場合「お詫びしたいといます」と言うのが常。細かい部分に政治的メッセージが隠されている。厚生労働省は省益を守り、天下り先の薬品メーカーの利益を守るのが仕事だ。人間の皮をかぶった畜生といってよい。

「人権」は人類の根本的課題


SGI会長●「人権」は人類の根本的課題です。今後ますます緊要となるでしょう。

 端的に言って、歴史の流れは、「平和」が実現すれば、個々の「人間」の問題が前面に出てくる。「人間」に光が当てられれば、次はその「」、また「生命」に焦点が絞られてくる。私は根本的には、この「生命」の視座から一切を見ています。

 もちろん時代が直線的に、こう進むというわけではない。また、これらすべてが不可分であることも言うまでもない。その上で、これからの時代は、「平和」「軍縮」は当然として、様々な「人権」の確立が一段と重要になってくると見ています。日本もその味では、まだまだ人権識が低い。いわんや世界への貢献は、これからの段階です。


【ラフューディン・アーメド、ヤン・モーテンソン、国連事務次長と会談 1989-12-05 聖教新聞社】


 昨日、パキスタンのブット元首相が暗殺された。犯人は銃撃した直後に自爆。同国の民主化が遠のいた。


 民主主義と人権はセットである。切っても切り離せない。これが、「単なる制度」となっているところに問題がある。大体において普通の人は、自分の人権には関があっても、他人の人権は平然と無視するようなのが多いからね(笑)。


 薬害肝炎訴訟にしても、戦っているのは被害者の方々だけだ。何かしようと立ち上がった薬品メーカーは皆無で、糾弾のを上げた作家もいない。三菱ウェルファーマ(現・田辺三菱製薬)製品の不買運動すら起きなかった。誰も何もしてない。遠巻きにして見物しているだけだ。そう、あなたも私も。


 我々は公然と人殺しが行われる社会に生きている。交通事故なんか、その典型だろう。本気で根絶しようとうなら、歩道と道路に1メートルぐらいの段差を設ければいいのだ。そして、信号は全てスクランブル交差点にして、歩行者が横断する場合は車を全部ストップさせる。これだけで、交通事故死は70%以上減るだろう。


 米ソの冷戦構造はなくなったものの、米国は世界のあちこちで巧妙に軍事的緊張を演出している。これこそが、「テロとの戦い」の本質だ。米国が目指しているのは、民主化した上で資源を奪い、米ドル(外貨)を必要とする国家を増やすことなのだ。


 まあ間違いないのは、イラク国民に対して人権を認める米兵はいないってことだ。


「一人を大切にする」ことは至(わざ)である。そう簡単にはいかない。