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2007-12-28

偉人は苦難の中で歴史を残す


 トインビー博士は、大著『歴史の研究』の中でも、ダンテに多く言及されている。博士の叔父さんも、有ダンテ学の権威であった。

 博士は書いている(『歴史の研究』第3部「文明の成長」)。

「フィレンツェに於ける生得権を失うことによって、ダンテは世界の市民権を獲得した」(『歴史の研究』刊行会版第6巻)

 すなわち、追放によってはじめて、ダンテは狭い「フィレンツェの市民」から「世界市民」となった。また、時間・空間に縛られた現世の枠から解き放たれて、「永遠」を祖国とする人間になっていった――と。

 それは、運命の「挑戦」に対する、最高の「創造的応戦」であった。ここに“偉人”と呼ばれる人に共通する“人生の軌道”がある。

 存在が大きければ、当然、圧迫も大きい。しかし、圧迫が大きければ、より大いなる知恵と力を振り絞って活路を開いてゆく。迫害の嵐をも、上昇への気流へと変えてゆく。

 この執、この創造的精神をもって一生を戦い抜いた人こそ偉人である。


 書くこと、語ること、歌うこと――ダンテにとって、それは全生命を賭けた「戦い」であった。

 中国最大の歴史家・司馬遷は、権力による理不尽な迫害に耐えて耐えて、不朽の『史記』を完成した。彼は言った。

 ベートーベンの「第九交響曲」が多く聴かれる年末となったが、彼がこの「歓喜の歌」を作った時、彼の生活には何ひとつ歓喜といえるものなどなかった。しみの底にあって彼は、「歓喜の歌」を自らの“胸中から取り出し”、人類に示したのである。

 ダンテ亡命の悲哀の中で死の直前に、執の書『神曲』を完成した。

 トインビー博士は、こうした“人類文化の法則”を知り抜いておられた。

 私に対しても一貫して、“一時の非など当然である。歯牙にもかけず、歴史における重大な使命を果たしてほしい”との態度であられた。

 私は今、4年前の病気という“挑戦”を機に、本格的にスピーチに取り組み、“創造的応戦”を続けている。それもすべて、後世の歴史家と人類に向かっての叫びである。


 さて、ダンテが『神曲』で図したものは何であったか。彼はある手紙の中で、その目的をこう書いている。

「この世に生きる者を悲惨から救い出し、至福へ至らしめることである」と。

 法でいえば、菩薩的精神ともいえよう。

『神曲』には「なぜ人間は、しく、みじめな状態に堕ちてしまうのか」「いかに生きれば、幸福へと上昇できるのか」という大いなる問いかけが、はらまれている。


『神曲』の「地獄篇」には、大きく九つの地獄が描かれている。それぞれ、「欲望にとらわれた者」「暴力者」「反逆者」などが地獄に堕ちてしむ姿を、極めてリアルに表現している。

 ちなみにダンテによれば、「反逆」の罪を犯した者の地獄が最も下部の地獄である。中でも、人(主人)に反逆した人間は、地獄の最低の場所で、氷の中に永遠に閉じ込められている。また、王に食べられ続けている。

 彼が、どれほど「裏切り」の罪を重くみていたことか。

 もとより、主としてキリスト教的な世界観の範疇(はんちゅう)ではあるが、ダンテは彼なりに、厳しき「生命の因果律」を垣間見ていたといえよう。

 イギリスのある詩人は『神曲』について、「永遠の正義の法則」を表現しているとし、それは東洋の言葉でいえば「カルマ)」の法則であると論じている。


 尚、『神曲』の元々の原題は、「喜劇(喜曲)」である。「神聖な」という語は後世に加えられた。

 なぜ、「喜びの劇」なのか――。それは、始めと途中は悩の劇であっても、最後の幸福な結末(至高天への上昇)を迎えるからである。

 ここに、“しみから喜びへ”という「宿命への挑戦」のを読み取れるかもしれない。


【第18回全国青年部幹部会 1989-12-09 創価文化会館


 最初に余計なことを書いておくと、「おじさん」には3種類の表記がある――


 1.伯父さん(父母の兄)

 2.叔父さん(父母の弟)

 3.小父さん(縁戚関係ではない)


『神曲』の原題は「Commedia(コメディア=喜劇)」だった。これに、ボッカチオが尊称をつけ「La Divina Commedia(神聖なる喜劇)」となった。


 編集者の松岡正剛氏がこのように綴っている――


 ここには人文の地図があり、精神の渇望があり、文芸のすべてに及ぶ寓が集約されている。それは宇宙であり、像であり、国家であり、そして理の実践のための周到なエンサイクロメディアの記譜なのだ。また、あらゆる信と堕落の構造であり、すべての知の事典であって、それらの真摯な解放なのである。


 私はまだ読んでない。来年の目標の一つに入れることにしよう。


 という溶鉱炉は、ありとあらゆる虚飾を剥(は)ぎ取る。絶望と懊悩(おうのう)の果てに裸の自分がさらされる。深淵(しんえん)の底から、偉人達が発した光は何だったのか。それは、経済的成功や利とは無縁のものだった。生命の本然から発する創造が、希望の光となって人類を照らしたのだ。


 この光を、万人の胸に灯(とも)そうとされたのが釈尊であり、日蓮聖人だった。


 池田門下生であるならば、最もしい時に最大の福運を積んでいることを確信しながら、堂々と一生を歩み抜こう。


神曲〈1〉地獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) 神曲〈2〉煉獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) 神曲〈3〉天国篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

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