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2007-12-29

『官僚病の起源』岸田秀


 個々の官僚を道義的に非し、官僚が道義的になりさえすれば問題が解決するとっている人がいるようであるが、そういう人は、無能な上官の排除のシステムが欠けていることや、兵器の改良より兵士個人の熟練を重視することや、補給や情報を軽視することなどの、組織的欠陥のために敗北を重ねる日本軍の弱さの問題を、個々の兵士の勇気の問題にすり替え、個々の兵士が勇敢になりさえすれば勝てるとい込んでい叱咤激励するしか能がない司令官をわせる。

 道義や勇気などの個人のレベルに問題を見ることは、真に問題にすべき組織のレベルの欠陥から目を逸らし、かえってその欠陥を温存することになりかねない。


 たとえば、十何年か前、山本七平との対談『日本人と「日本病」について』のなかで指摘したことであるが、幕府が江戸に北町奉行南町奉行の二つの司法機関を設けえ毎に交替させていたのは実に賢明にして巧妙な処置であった。幕府は奉行所というものが自閉的共同体となりがちなことを知っていたのである。自閉的共同体となった奉行所は身内や身近な人の犯罪は見逃すであろうし、仲間が誤判をしてもそのことを隠して、正しい判決だと強弁しつづけるであろう。しかし、1ヶ後には別の奉行所が事件を審理することになっていれば、そこに歯止めがかかる。

 組織が自閉的共同体化しがちな日本においては、立法、行政、司法の三権分立制度よりも、同じ機能の組織を二つつくって交替させるこのような制度のほうが、権力の乱用を防ぐのに向いているかもしれない。


 特権識がよくないのは、官僚が国民に対して威張っていい気分になるからではない。官僚がいい気分になるだけですむなら、大した害はない。特権識が危険なのは、官僚が国民の犠牲において多大の利益を享受することを正当化する根拠として使われるからである。官僚の不正の背景には、必ず、おれはとくに選ばれた優秀な人間で、国のためにこんなに働いているのだから、これぐらいのことはいいんだというような、不正を正当化する特権識がある。腐敗官僚は気が咎めながらコソコソと不正をしているわけではない。だから、逮捕されたりすると、運が悪かったとしかわないのである。

官僚病の起源 歴史を精神分析する (中公文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

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