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2007-12-29

登山は、敢えて「困難に挑もう」とする文明人の行為


 単に「生きている」だけなら、わざわざしい山登りなどする必要はない。登山は、敢えて「困に挑もう」とする文明人の行為であり、「不可能を征服すること」(フランスの登山家ヤニック・セニュール)である。いわゆる原始人は、「狩り」はしても「登山」はしない。言い換えるなら、登山は自己の可能を探る冒険といってもよい。

 宗教もまた、単に「生存している」だけなら必要ないかもしれない。しかし、「よりよく生きよう!」「より高い境涯に登ろう!」とした時、正しい宗教が必要となる。登山が文明人の行為であるごとく、宗教も文化人・文明人の証なのである。


 アルプスのあるガイドは書いている。

「まずなによりも、わたしたちは生命が、真の生命が好きなのだ。そして4000メートルの空気には、特別の味わいがある」「真の人間は、自分に対して、きびしい者でなければならない。彼のをしずめ、その運命に満足させるには、テレビでは事足りない。志があれば、道は通じる。彼は生存しているだけでは満足できない。彼は自ら生きたいのだ。彼には肉体と魂があるのだ。高嶺は、彼に、行動と瞑を与えてくれることだろう」(ガストン・レビュファ『星と嵐』近藤等訳、白水社刊から)

 つまり、彼は言うのだ――真の生命を戦い取るために山に登る。私は、テレビを眺めるだけの“受動的な人生”“生きながらの死”を拒否する。労の道を進んだ方が自身のためになる――と。

 この「困への愛」に「真の人間」の証明がある。

 烈風に吹かれながら、ナイフのように鋭き山稜を進む。絶壁に足掛かりを刻み、一歩一歩、更に次の一歩と踏み出す――。

 山との格闘は、そのまま自分との格闘である。


【第19回全国青年部幹部会 1990-01-08 創価文化会館


 本日付の聖教新聞に掲載された「随筆 人間世紀の光」を読んで、予定が変わった(笑)。呼吸は合っているのだが、書くタイミングが少し遅れてしまった。


 人間の種類を大きく分けると山派と海派になるらしい。私は札幌の地で、手稲山を見つめながら育ったので完全な山派である。上京してからというもの、関東平野には目印となる山がないため、今でも方角がわからなくなることが多い。


 ガストン・レビュファの『星と嵐』は最も好きな本の一つ。山好きでなくとも手にした人は多い。フランスのクライマーが紡ぎ出す言葉がこの上なく詩的で美しい。


 天に近い場所は、人間を斥(しりぞ)けようと険の峰で立ちはだかる。そこを制覇した者にしかわからない世界が確かにある。

星と嵐―6つの北壁登行 (集英社文庫)