Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2007-12-30

妙法曼陀羅供養事


 女人よりも男子の科はををく男子よりも尼のとがは重し尼よりも僧の科はををく破戒の僧よりも持戒の法師のとがは重し、持戒の僧よりも智者の科はをもかるべし(1306頁)


 責任が大きくなるほど、罪も重くなる。幹部は襟を正せ。

忘恩・反逆の道を歩む古谷博は「ミニ山友」だ


守銭奴、借金、不倫、虚言など山友に酷似


山崎正友、大草一男に操られる哀れな退転者


【『フェイク』第885号 2007-12-30】


 古谷博学会攻撃を本格的に始めたのは平成14年からだが、これは山崎正友、妙観講の大草一男にそそのかされたからだと言われている。山崎は攻撃の弾を撃ち尽くし、大草は宗内でも毛嫌いされている上、盗聴犯である事実が知れ渡った。事実、その盗聴裁判で今年は大惨敗し、信用度はゼロだ。万策尽きた悪党どもが、約20年前に退転していた古谷を担ぎ出したという次第。古谷は、山崎とは比較にならないほどの小物だが、不議なことに二人は格も生き方も酷似している。


 その第一点は金の亡者で、二人とも39歳で自らが事実上、経営する会社を設立したが失敗して借金を負った。山崎はシーホースを、一方、職員であった古谷は就規則に違反するため、親族の義で「昴商事」を設立した。ところが、山崎は40数億円の負債を抱えて倒産し、学会を恐喝して除処分となった。


 古谷は東京・世田谷区深沢に小さな中華料理店を開き、職員の同僚や学会員を掛けて「身内の店」に行くよう頼んでいた。


 だが、工事費4800万円を支払えず、本部まで督促の電話がきていたという。逃げ回っていた古谷は者に訴えられて敗訴、昭和60年に退職した。当時は「学会に迷惑をかけた」「一からやり直す」と反省の態度を見せていたが、山崎や大草に取り込まれ、反逆者の道を歩んでいる。


 今、古谷が駄本を書き、マスコミに顔を出すのは食うためである。哀れな奴だ。


 共通する二点目は冷たい人間だ。古谷は「クール」と評されていたが、同僚が言うのは「冷めた奴」との味だった。職員採用時の池田会長の面接も動がなかったと言い、また青年部時代に広布のロマンを語る部員を嘲笑したほどだ。


 だが、冷血さでは山崎は桁違い。手形詐欺など数々の悪事に利用した仲間を使い捨て、また富士宮市議の殺人まで依頼した(本紙 第407、415号に詳述)。殺人を実行に移そうとした奴は、山崎の他には藤原行正くらいである。


 三つ目は不倫問題。山崎は正信会を煽動して学会を攻撃させていた頃、大分へ通っては住職の妻やスナック経営の女とダブル不倫を続けていた。古谷も出張先の鹿児島県の女幹部であった中園球子と不倫関係になった他にも醜聞はあるが、これは改めて詳述する。


 四点目は二人とも今は社会的には何の存在価値もないため、山崎は「元顧問弁護士」、古谷は「元芸術部書記長」と学会にいた昔の肩書きを悪用してマスコミに登場している。


 五点目は二人が大ウソつきという点だ。山崎は裁判所公認だが、古谷も退職の経緯など己の正当化を図るためウソを並べている。


 ついでに大学を4年間で卒できず、7年間、在籍したのも同じだ。古谷は日大芸術学部を中退。その理由を『週刊新潮』(1227日号)は「学会活動に没頭するあまり」と書いているが、真っ赤なウソだ。


 学会学生部では当時も今も「勉学第一」を強調している。己の怠惰を学会のせいにするのは退転者の常である。山崎も昭和30年から7年間、大学に在籍した。


 古谷は「ミニ山友」とも言うべき小悪党である。

オスバルド・プグリエーセ氏「『平和』を願うだけでは足りない」


プグリエーセ氏●民衆が大事です。平和が大事です。「平和」なくして「文化」もあり得ません。かつて私は広島の原爆資料館にも行きました。“ヒロシマ”を断じて繰り返してはなりません。人類を滅ぼす機械に“歯止め”をかけねば……。

 どこの国でも人々は平和を願っています。しかし、願いだけでは足りません。現実の「対立」を解消しなければならない。

 その味でSGI会長は、偉大な“平和の守り手”です。世界の人々を「友好」で結んでおられる。ゆえに私は尊敬するのです。


SGI会長●平和と友情の――それは人間の真髄です。また、芸術と文化の真髄です。ゆえに“大音楽家”は“大平和主義者”でもある。その証明を今、目の前に見るいです。そして戦争と核兵器は、人間幸福の破壊者です。悪の存在です。文化の対極にあるものです。だからこそ私は、「文化」の興隆と交流によって、磐石な「平和」をつくり上げようとしているのです。


【アルゼンチンタンゴの巨匠、オスバルド・プグリエーセ氏と会談 1989-12-10 聖教新聞社】


 オスバルド・プグリエーセ氏は、タンゴ発祥の地・ブエノスアイレスの生まれ。アルゼンチンは独裁者に翻弄された国家である。平和への強靭ないが、氏の革新的なタンゴを生むに至ったのだろう。


 何となく平和な日本に住んでいる我々とは違い、海外の識者は「世界の現実」を知っている。甘ったれた弟子が師匠を慕う情とは異なり、切迫した緊張を持って先生を見つめている。


 音楽は国を超えて人と人とを結びつける。米ソの冷戦構造下にあってすら、ソ連はロックンロールの侵入を阻止することができなかった。


 智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。


【『草枕』夏目漱石】


 私は、『草枕』の冒頭の一節が大っ嫌いである。詩が生まれなければ、ホームレスになりそうな気がする。また、画(え)ができたとしても、決して売り物になることはないだろう。日本の文芸界を、しみったれた私小説がリードしてきた理由もこの辺にあるのではなかろうか。


 東海の小島の磯の白砂に

 われ泣きぬれて

 蟹とたはむる


【『一握の砂』石川啄木】


 私が蟹(かに)だったら、ハサミで啄木の身体を切り刻んでやるところだ。死ぬまで蟹と戯(たわむ)れるがいい。


 弱々しい日本のセンチメンタリズムとは異なり、タンゴやブラックミュージックのリズムは力強い。家族や仲間が殺されても殺されても、失われることのなかった「叫び」が込められている。