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2008-01-12

審判という絶対性が揺らぐ時


 ハンドボールのオリンピック予選が騒がしい。近年、アジアのハンドボール界は、中東寄りの不可解なジャッジが多く、「中東の笛」と呼ばれるほど問題視されてきた。世界的には人気がないため、開催費用の多くをクウェートなどの中東マネーに頼っているという背景があるようだ。こうなると、審判というよりは信販問題になりそうな気がする(笑)。


 スポーツの国際試合は、いずれも国威発揚を煽られているようで、あんまり好きじゃない。無識の内に「日本人」であることを強制されているような覚となる。単なる地縁を超えて、敵国に向かうスクラムの一員にさせられてしまうのだ。


 ハンドボールの問題にしても、絶対に審判個人の問題とはならない。「まったく中東ってえのあ、しようがねー国だな」とその辺の飲み屋でクダを巻くオヤジがいそうだよ(笑)。酩酊状態の脳ミソでは間違いなく「中東=イラク=全員フセイン」という構図になっているはずだ。


 一方、同じ誤審でも国内のゲームとなれば、全く様相が異なる。例えば、昨年の夏の甲子園で行われた「広陵vs佐賀北」。広陵・中井監督の球審批判に対し、高野連から厳重注が下った。しかいながら、広島県民の大半は球審と高野連に対して憎悪の炎を燃やしたはずだ。


 昨年のボクシング界の話題をさらった内藤vs亀田大毅の試合では、亀田を応援するような実況が問題視されていた。だが冷静に考えて欲しい。相手が外国人なら、臆面もなく日本人の味方をするのが通常の実況だ。


 バレーボールなんか、もっと酷い。日本で行われるゲームの場合、客席は全て帝国主義に覆われる。日本代表チームには「勝つこと」のみが求められる。スポーツマンシップなんてどうでもいい。


 審判の絶対が揺らぐ時、国家や共同体を背景にしたマイナス情が噴出する。戦争という人類の宿もこのあたりに原因があるようにう。


 そして今、国際社会の審判を務めているのは米国である。そのミスジャッジぶりは、「中東の笛」どころではない。

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