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2008-04-30

原油相場、200ドルに上昇する可能性排除せず=OPEC議長


 石油輸出国機構(OPEC)のヘリル議長(アルジェリア・エネルギー・鉱相)は、原油相場について、たとえ供給が潤沢でも1バレル=200ドルに到達するシナリオを排除しないとの見方を示した。ドル安が原油高を主導していることを理由に挙げた。

 28日付の政府系エルムジャヒド紙が報じた。

 同紙はヘリル議長の記者団への発言を引用し、「200ドルへの上昇の可能について質問を受けたエネルギー・鉱相は、可能を排除しないと述べた。その上で、現行水準からの上昇は、ドルの下落に連動すると説明した」と伝えた。

 同紙はさらに、「ドルが1%下げるたびに、原油は1バレル当たり4ドル上昇する。もちろん、逆もまた然りだ」との議長の発言を報じた。


ロイター 2008-04-28】


揮発油暫定税率期限切れ間近 与党、道路財源に穴危ぐ」のニュースが懐かしくい出される。ガソリンが1リットル/300円になる可能も否定できない。電気自動車へのシフトを考えた方がよさそうだ。

 『現代思想としての日蓮』松岡幹夫(雄茂)


現代思想としての日蓮


日蓮考法を知るために」。デリダ、アドルノ、レヴィナス、ダライ・ラマ、西田幾多郎、丸山眞男――現代論客たちに気鋭の日蓮研究者が挑み、新たな「中道」の社会哲学を展望する話題の書。

『予言体系 釈迦と日蓮 やはり世界は予言で動いている』五島勉


 やや不正確な記述も目立つが、よく調べている。助師・青年3級のメンバーで、『小説 日蓮聖人』(湊邦三著)を読んでいない人なら、そこそこ勉強になるとうよ。


 しかしここで、「立正安国論」をい出してみてください。あの中で、またあの前後の訴えの中で、日蓮が何度も強く警告したのは、「外国から日本への大侵略がある」、「蒙古の大軍が日本を襲ってくるぞ」という予言ではなかったか。

 つまりそれは日本と蒙古、2国だけが関係する危機だった。蒙古の先兵になって襲ってきた高麗を加えても、その2国対日本、3国だけが関係する危機だった。そしてそれが当時は、日本はじまって以来の民族存亡の危機とされたのだ。

 ところが、それがこの「撰時抄」では、日蓮予言が示す範囲は日本一国をはるかに越え、蒙古や高麗も越えて、「えんぶだい」全体が予言の対象になっている。


 そして何と、撰時抄では9.11テロも予言されていることが紹介されている。三島由紀夫は「寺=TERRA(地球)」だと五島氏に語っていたそうだ。


カルマの法則 生命転生の秘密 あなたは死後どうなるか』よりは、チト、レベルが落ちる。尚、五島勉氏には、『生命の若者たち 池田会長と一千万人の記録』と『池田大作という人 その素顔と愛と生き方』という著作もある。

やはり世界は予言で動いている (予言体系―釈迦と日蓮)

2008-04-29

僧侶ら二人に無期懲役=ラサ暴動で初判決−中国


 新華社電によると、中国チベット自治区ラサで314日に起きた大規模暴動で、ラサ市中級人民法院(地裁)は29日、チベット仏教僧侶ら二人に無期懲役を言い渡した。ほかに僧侶5人が懲役20年〜15年の判決を受け、抗議行動を主導した僧侶に厳で臨む姿勢が示された。ラサ暴動で判決が出たのは初めて。

 無期懲役となったのは僧侶のバサン被告と不動産会社の運転手で、いずれもチベット族。バサン被告は、今回判決を受けた僧侶5人を含む10人を率い、政府庁舎の破壊、商店の焼き打ちと略奪、警官襲撃などを行ったとされる。運転手は市中部のジョカン寺近くで車両に放火、派出所を襲った暴徒の一人という。

 この日、計17被告に判決が言い渡され、最も軽い被告で懲役3年だった。


時事通信 2008-04-29】

公明党に騙された


ガソリン暫定税率 来1日「復活」 再議決、与党が正式表明


 自民党の大島理森、公明党の漆原良夫両国委員長は25日の記者会見で、揮発油税(ガソリン税)の暫定税率を復活させる租税特別措置(租特)法改正案を30日に衆院で再議決し、成立させる方針を正式表明した。政府は同日中に、施行日を41日から51日に変更する政令を決める。

 これにより、ガソリン1リットル当たり約25円の暫定税率が、1日の製油所出荷分から再び課税される。30日で期限が切れる自動車重量税の暫定税率は1日以降も維持される。

 大島氏は会見で、同法改正案が30日以前に参院で採決される可能がなくなったことを受け、「国民生活や地方財政の混乱を最小限に抑えるために再議決を行わざるを得ない」と強調。「参院みなし否決」の憲法規定に基づき、衆院再議決に踏み切る考えを示した。


北海道新聞 2008-04-26】

 3年前、どうやら我々は友人に嘘をついてしまったようだ。公明党マニフェストは二度と信用しない方がいいだろう。今から公明新聞の購読をやめたのは正解だった。


 企は死に物狂いでコスト削減に取り組み、家計はギリギリまで切り詰めている。その中で物価が上がっても、国民は忍耐に忍耐を重ねて日々の生活を営んでいるのだ。200兆円以上の予算がありながら、なぜ2.6兆円の税源にこだわるのか?


 75歳以上の方で保険金を滞納し、病院へ行けずに死亡する人が出たら、自民・公明は吹っ飛ぶことだろう。「恨み」という情を侮れば、必ず墓穴を掘ることになる。与党は国民からの趣返しを恐れるべきだ。

『人間の本性について』E・O・ウィルソン


 この奇妙な選択を理解し、人間の利他行動にまつわる謎を解くためには、我々は、協力的な行動の二つの基本的な形態を区別しておかねばならない。まず第一に、利他的な行動は、非理的な形で、一方的に行使されることがある。この場合行為者は、識の上で等価的価値見返りを望んでいないばかりでなく、同時に、無識的な振舞いにおいても、結果としてそういった報いを望むのと同じ効果を示すような行動は、示さないのである。このような形態の行動を私は、「芯の堅い」利他主義 hard-core altruism と呼んでいる。これは、子供期以後の社会的賞・によっては、あまり影響を受けない一群の反応である。仮にこのような行動が見られるならば、それはおそらく、血縁選択、すなわち、競争関係にある家族または部族そのものを単位として作用する自然選択に基づいて進化したものと考えられる。「芯の堅い」利他主義は、非常に近縁な血縁者に向けられるものであり、相手との近縁の程度が薄まるに従って、その出現頻度や強度は急激に減少するものと予される。

 これに対してもう一つ、「芯の柔らかい」利他主義 soft-core altruism と呼ぶべきものがあり、こちらは本質的には利己的な行為である。この場合、「利他的行為者」は、社会が、彼自身あるいはそのごく近縁な親族に、お返しをしてくれることを期待しているからである。彼の善行は損得計算に基づいており、この計算は、しばしば完全に識的な形で実行されている。彼は、うんざりする程複雑な、各種の社会的拘束や社会的要請をうまく活用しながら、あの手この手を行使するのである。「芯の柔らかい」利他主義の能力は、主として個体レベルの自然選択に基づいて進化したものと考えられ、同時に、文化進化のきまぐれな変動にも大幅な影響を受けているものとわれる。「芯の柔らかい」利他行動の理学的媒介項となるのは、嘘、見せかけ、欺瞞などである。欺瞞には自己欺瞞も含まれている。自分の振舞いに嘘いつわりはないと信じ込んでいる行為者は、最も強い説得力を示すだろうからである。

  • 人間において、「芯の柔らかい」利他行動は、極端に発達した姿を呈している。
  • 血縁選択に基づく「芯の堅い」利他主義は、文明の敵といえる。

 例を三つ挙げておく。(1)集団が貧しいほど、その代償の一形態として、集団ナルシズムを使う傾向が強い。(2)集団が大きいほど、それと同一化することによって個人の得ることのできるナルシスチックな満足は低下し、集団のきずなは弱まり、さらにまた、個人がその集団内の下位集団に同一化してしまう傾向が強くなる。(3)国家の一部分にとどまっている際には均質なように見えるある地域に、実は何らかの形の小集団が既に存在しているとすれば、仮にその地域が独立してしまうと、もはやかつての均質は維持できなくなる。独立によって政治的境界が一段せばめられたことに反応して、当該地域の人々は、さらにもう一段下位の集団に、自己同一化しようとするからである。

 以上を要約すると次のように言える。すなわち人間にみられる「芯の柔らかい」利他主義には、強烈な情緒と同時に、忠誠関係形成の変幻自在という特徴が備わっているのである。人間は、社会的道徳を所持するという点では常に一貫しているのだが、その道徳を誰に適用するかという件に関しては、この上なく移り気な存在なのである。絶対不変と信じられている道徳的規則に対して強い情緒的な訴えを行ないながら、同時にいとも簡単に同盟関係を形成し、破棄し、そしてまた別の相手と結び直すという事実の中にこそ、人間の社会の、たぐいまれな格があるのである。おそらく氷河期以来ずっと同じだったのであろうが、今日においても、仲間集団とよそもの集団の区別は大変重要である。

 しかし、この両者を分かつ境界線は簡単にあちこちへ移動してしまう。プロスポーツは、このような基本的現象がいまも消滅せずに我々につきまとっていることを土台にして栄えているのだ。


人間の本性について (ちくま学芸文庫)

2008-04-28

ネットで宗教施設や高校の爆破予告 都立高校職員を逮捕


 堺市の創価学会の施設を「爆破する」などとインターネットの掲示板に書き込んだとして、大阪府警は28日、東京都足立区西新井栄町3丁目、都立上野高校職員上川内幸(かみかわうち・みゆき)容疑者(43)を威力務妨害容疑で逮捕した。上川内容疑者が使用したのと同じハンドルネーム(ネット上の通称)で、3中旬以降、府立高校などに対して爆破予告がネット掲示板で数十件あり、府警が関連を調べている。

 捜査1課の調べでは、上川内容疑者は42日夜、足立区のインターネットカフェで、匿掲示板「2ちゃんねる」に「44日に創価学会堺池田講堂を爆破する」などと書き込み、職員らを警備で巡回させるなどして務を妨害した疑い。上川内容疑者は「爆破予告をすれば職員らがおびえるとい、困らせてやろうとった」などと供述しているという。

 府警によると、上川内容疑者は高校の図書館で司書として勤務。出勤途中などにネットカフェに立ち寄り、爆破予告などの内容を繰り返し書き込んでいたとみられる。

 2ちゃんねるではほかに、同じハンドルネームで、府内の職訓練校に対して「爆破する」などと書き込みがあったほか、北京五輪の聖火リレーの出発地を辞退した善光寺への爆破予告もあったという。


日新聞・関西版 2008-04-28】

創価学会施設の爆破を予告 容疑で高校職員の男逮捕


 創価学会施設の爆破予告をインターネットの掲示板「2ちゃんねる」に書き込んだとして、大阪府警捜査1課などは28日、威力務妨害容疑で、東京都立上野高校図書館司書上川内幸容疑者(43)=東京都足立区西新井栄町=を逮捕した。

選挙の時に創価学会から応援要請がありうっとうしかった。困らせてやろうとった」と容疑を認めている。2ちゃんねるには、同じハンドルネーム(ネット上の前)で長野県の善光寺や大阪市内の高校を爆破するとの書き込みもあり、同課は余罪が数件あるとみて追及する。

 調べでは、上川内容疑者は42日午後10時25分ごろ、足立区千住のインターネットカフェ「まんがランド北千住店」で、2ちゃんねるに「44日に大阪創価学会堺池田講堂を爆破する」と犯行予告を書き込み、43日午後2時ごろから約4時間、同施設の職員らを警戒させ、務を妨害した疑い。


共同通信 2008-04-28】

ネットに爆破予告、容疑の都立高職員を逮捕…大阪府警


 インターネット掲示板「2ちゃんねる」に、大阪府内の創価学会施設の爆破予告を書き込んだとして、府警は28日、東京都立高校職員・上川内幸(みゆき)容疑者(43)(東京都足立区)を威力務妨害容疑で逮捕した。府警関係者が取材に対し、明らかにした。上川内容疑者が書き込んだとみられる爆破予告は3以降、100回に上るという。

 府警関係者によると、同容疑者は42日夜、都内のネットカフェで、掲示板に「44日に大阪創価学会堺池田講堂を爆破する」などと書き込んだ疑い。堺市北区の同講堂では、務を中止して不審物を捜したが、見つからなかった。

 同容疑者は、府内に実在する男前を「ハンドルネーム」として使用。このハンドルネームで府立市岡高校(大阪市港区)や近畿職能力開発大学校(岸和田市)などの爆破予告も書き込まれており、府警は同容疑者と男との接点や動機などを追及する。

「2ちゃんねる」側が、違法な書き込みと判断し、発信元のネット上の住所にあたるIPアドレスを公開。府警は、この情報をもとにネットカフェを割り出し、同容疑者を特定した。


【読売新聞・関西版 2008-04-28】

民主、山口補選に勝利・福田政権に打撃


 福田政権で初の国政選挙となった衆院山口2区補欠選挙は27日に投開票され、民主公認で前衆院議員の平岡秀夫氏(54)=社民推薦=が自民公認の山本繁太郎氏(59)=公明推薦=を2万票を超える差で破った。福田康夫首相にとって大きな打撃で、一段の求力低下は避けられない。民主党は早期の衆院解散・総選挙に向け対決姿勢を強めていく。

 投票率は69%で2005年の前回衆院選に比べ3.45ポイント下回った。

 民主党はガソリン税の暫定税率の復活阻止とともに、後期高齢医療制度を争点化。鳩山由紀夫幹事長は27日夜の記者会見で、勝因について「後期高齢者医療制度への大きな批判。暫定税率を復活させるべきではないという国民の審判だ」と指摘した。自民党の伊吹文明幹事長は敗因について記者団に「長寿(後期高齢者)医療制度の説明が不十分、不適切だった」と述べた。

【日本経済新聞 2008-04-27】


▽衆院山口2区補選(開票終了)

当116348 平岡秀夫  民前

 94404 山本繁太郎 自新

【産経新聞 2008-04-28】


 福田首相は初の国政選挙で敗北を喫し、求力の一段の低下は避けられない情勢だ。

ロイター 2008-04-27】


 敗北は内閣支持率下落に歯止めが掛からない福田康夫首相には大きな打撃で、一段と厳しい政権運営を強いられるのは必至だ。

時事通信 2008-04-27】


 自民は米軍岩国基地の民間空港再開など地域活化という「アメ」で、高齢者医療や道路問題をめぐる政府与党批判をかわそうとしたが、有権者の怒りは収まらなかった。選挙結果を受け、揮発油税などの暫定税率復活を目指す福田政権に対し、世論の圧力が強まるのは必至だ。

【西日本新聞 2008-04-28】


 年金保険料からの天引き開始が告示の15日に重なったことから、75歳以上の高齢者が対象の後期高齢者(長寿)医療制度が争点化。同制度に対する批判が政府・与党を直撃した形となった。

【毎日新聞 2008-04-28】


 暮らしへの不安が、8人の首相を輩出した保守王国に逆風となって吹き荒れた。

【読売新聞 2008-04-27】

中国で放映されたテレビ番組「人間 池田大作」


 2007年5に中国の国営放送で放映された番組とわれる。漢字の字幕を読むと何となく味は理解できる。リアルプレーヤーの最新版をインストールすれば、ダウンロードも可能。映像の一部は、木村恵子さんがプロデュースし、日米のテレビで放送された『人間 池田大作』のものを使用している。共産国で宗教指導者を取り上げた味はあまりにも重い。人間は、イデオロギーが違っていても信頼し合えるという稀有な証拠だ。

人間池田大作―私の見た素顔

2008-04-27

『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール


「畜生界」の定義が変わるかも知れない、とわせる内容。取り上げられているのはチンパンジーとボノボ。同じ類人猿でも全く格が異なっている。わかりやすく言えば、チンパンジーは暴力的な策略家で、ボノボはスケベな平和主義者。社会構造も違っていて、ボノボはメスが牛っている。

  • 動物の世界は力の強い者が君臨している。
  • 食べる目的以外で殺すのは人間だけ。
  • 動物は同種同士で殺すことはない。
  • 動物には時間の概がない。
  • 動物は「会話する言葉」を持たない。
  • 快楽目的の行為をするのは人間だけ。

 これらは全て誤りだった。丸々一章を割いて、ボノボの大らかなの営みについて書かれているが、まるでエロ本のようだ(笑)。ビックリしたのは、ディープキスもさることながら、オス同士でもメス同士でも日常的に的な触れ合いがあるとのこと。


 あまりの衝撃に翌日まで脳味噌が昂奮しっ放し(笑)。知的ショックは脳を活化させる。読めば読むほど、「ヒト」はチンパンジーからさほど進化してないことをい知らされる。ボノボはエッチだが、穏和なコミュニティを形成していて、人間よりも上等だ。


 メガトン級の衝撃は、「“いやり”も本能である」という考察だ。我々が通常考えている「人間=非動物的、あるいは非本能的」という図式がもろくも崩れる。全ては、コミュニティを存続させるため=種の保存のための営みであることが明らかになる。


 今世界は、米国というボスチンパンジーに支配されている。日本は自民党チンパンジーが支配し、大企チンパンジーが後に続いている。ヒトがボノボに進化しない限り、滅亡は避けられない。そんな気にさせられる。


 野生チンパンジーに対する先入観は、さらにくつがえされる(1970年代、日本人研究者によって)。それまでチンパンジーは、平和的な生きものだとわれており、一部の人類学者はそれを引きあいに出して、人間の攻撃は後天的なものだと主張していた。だが、現実を無視できなくなるときがやってくる。まず、チンパンジーが小さいサルを捕まえて頭をかち割り、生きたまま食べる例が報告された。チンパンジーは肉食動物だったのだ。


「ベートーヴェンエラー」とは、過程と結果はたがいに似ていなければならないというい込みである。

 完璧に構成されたベートーヴェンの音楽を聴いて、この作曲家がどんな部屋に住んでいたか当てられる人はいないだろう。暖房もろくにない彼のアパートメントは、よくぞここまで臭くて汚い部屋があると訪問者が驚くほどで、残飯や中身の入ったままの尿瓶、汚れた服が散乱し、2台のピアノもほこりと紙切れに埋まっていた。ベートーヴェン本人も身なりにまったくかまわず、浮浪者とまちがわれて逮捕されたこともある。そんなブタ小屋みたいな部屋で、精緻なソナタや壮大なピアノ協奏曲など書けるはずがない? いや、そんなことは誰も言わない。なぜなら、ぞっとするような状況から、真にすばらしいものが生まれうることを私たちは知っているからだ。つまり過程と結果は、まったくの別物なのである。


 2対1という構図は、チンパンジーの権力闘争を多彩なものにすると同時に、危険なものにもしている。ここで鍵を握るのは同盟だ。チンパンジー社会では、一頭のオスが単独支配することはまずない。あったとしても、すぐに集団ぐるみで引きずりおろされるから、長続きはしない。チンパンジーは同盟関係をつくるのがとても巧みなので、自分の地位を強化するだけでなく、集団に受けいれてもらうためにも、リーダーは同盟者を必要とする。トップに立つ者は、支配者としての力を誇示しつつも、支援者を満足させ、大がかりな反抗を未然に防がなくてはならない。どこかで聞いたような話だが、それもそのはず人間の政治もまったく同じである。


 ふだん動物と接している人は、彼らがボディランゲージに驚くほど敏なことを知っている。チンパンジーは、ときに私自身より私の気分を見抜く。チンパンジーをあざむくのは至のわざだ。それは、言葉に気をとられなくてすむということもあるのだろう。私たちは言語によるコミュニケーションを重視するあまり、身体から発信されるシグナルを見落としてしまうのだ。

 神経学者オリヴァー・サックスは、失語症患者たちが、テレビでロナルド・レーガン大統領の演説を聴きながら大笑いしている様子を報告している。言語を理解できない失語症患者は、顔の表情や身体の動きで、話の内容を追いかける。ボディランゲージにとても敏な彼らをだますことは不可能だ。レーガンの演説には、失語症でない者が聞いても変なところはひとつもない。だが、いくらざわりの良い言葉と色を巧みに組みあわせても、脳に損傷を受けて言葉を失った者には、背後の真が見通しだったのである。


 下の階層に属する者が、力を合わせて砂に線を引いた。それを無断で踏みこえる者は、たとえ上の階層でも強烈な反撃にあうのだ。憲法なるもののはじまりは、ここにあるのではないだろうか。今日の憲法は、厳密に抽象化された概が並んでいて、人間どうしが顔を突きあわせる現実の状況にすぐ当てはめることはできない。類人猿の社会ならなおさらだ。それでも、たとえばアメリカ合衆国憲法は、イギリス支配への抵抗から誕生した。「われら合衆国の人民は……」ではじまる格調高い前文は、大衆のを代弁している。この憲法のもとになったのが、1215年の大憲章(マグナ・カルタ)である。イギリス貴族が国王ジョンに対し、行きすぎた専有を改めなければ、反乱を起こし、圧政者の生命を奪うと脅して承認させたものだ。これは、高圧的なアルファオスへの集団抵抗にほかならない。


 民主主義は積極的なプロセスだ。不平等を解消するには働きかけが必要である。人間にとても近い2種類の親戚のうち、支配志向と攻撃が強いチンパンジーのほうが、突きつめれば民主主義的な傾向を持っているのは、おかしなことではない。なぜなら人類の歴史を振りかえればわかるように、民主主義は暴力から生まれたものだからだ。いまだかつて、「自由・平等・博愛」が何の労もなく手に入った例はない。かならず権力者と闘ってもぎとらなくてはならなかった。ただ皮肉なのは、もし人間に階級がなければ、民主主義をここまで発達させることはできなかったし、不平等を打ちやぶるための連帯も実現しなかったということだ。


「他者の痛に対するラットの情動的反応」という興味ぶかい標題の論文が発表されていた。バーを押すと食べ物が出てくるが、同時に隣のラットに電気ショックを与える給餌器で実験すると、ラットはバーを押すのをやめるというのである。なぜラットは、電気ショックの痛に飛びあがる仲間を尻目に、食べ物を出しつづけなかったのか? サルを対象に同様の実験が行なわれたが(いま再現する気にはとてもなれない)、サルにはラット以上に強い抑制が働いた。自分の食べ物を得るためにハンドルを引いたら、ほかのサルが電気ショックを受けてしまった。その様子を目の当たりにして、ある者は5日間、別のサルは12日間食べ物を受けつけなかった。彼らは他者にしみを負わせるよりも、飢えることを選んだのである。


 霊長類は群れのなかにいると、大いに安する。外の世界は、外敵がいるわ、地悪なよそ者がいるわで気が休まらない。ひとりぼっちになったら、たちまち生命を落とすだろう。だから群れの仲間とうまくやっていく技術が、どうしても必要なのである。彼らが驚くほど長い時間――1日の活動時間の最高10パーセント――をグルーミング(毛づくろい)に費やすのもうなずける。そうやって相手との関係づくりに努めているのだ。野生のチンパンジーを観察すると、仲間と良好なつながりを保つメスほど、子どもの生存率が高いことがわかる。

あなたのなかのサル―霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源

2008-04-26

偽装請負、直接雇用と認定 松下子会社告発の男性勝訴


 下電器産の子会社で請負社員として働いていた吉岡力さん(33)=大阪府高槻市=が“偽装請負”を内部告発した後に雇い止めされたのは違法として、職場復帰や600万円の慰謝料などを求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は25日、直接雇用の成立を認め、90万円の慰謝料や未払い給与の支払いを命じた。

 判決理由で若林諒裁判長は「請負社員の時期から下側と黙示の労働契約が成立していた。雇用関係はある程度の継続が期待されており、雇い止めは解雇権の乱用に当たる」と指摘した。

 吉岡さん側の弁護士は「工場労働者の偽装請負で直接雇用を認めた高裁判決は初めて」としており、同様の事例にも影響を与えそうだ。

 判決によると、吉岡さんは「下プラズマディスプレイ」茨木工場(大阪府茨木市)で、務請負会社の社員として2004年1から勤務。05年に偽装請負を大阪労働局に申告し、労働局は是正指導した。

 その後同社は吉岡さんを有期で直接雇用したが、ほかの従員と隔離された部屋で必要の低い作を命じられ、06年1に実質的に解雇となる雇い止めをされた。


共同通信 2008-04-25】


 税負担を優遇されているはずの企が、労働者を酷使している。ホワイトカラーエグゼンプション導入を前提とした「マクドナルド店長裁判」と根っこは同じだ。雇用環境が大きく変わりつつあるのかも知れない。格差社会とは、社会の再分配システムが不公平であることを示している。これにブレーキをかけたり加速させたりするのは、政治である。

国政補選はしばしば政局を左右する


 国政補選はしばしば政局を左右する。87年には、売上税反対を掲げた社会党公認候補が大勝し、法案が廃案に追い込まれた。今回も、福田首相はガソリン税の暫定税率を復活させる法改正案について、衆院で再可決する方針を示したが、大敗すれば考え直すかもしれない。一方、民主党が検討する福田首相への問責決議案提出も、結果次第では凍結することもあるだろう。


【毎日新聞 2008-04-22夕刊】

壮年本部長がプライバシーを無視



 皆様、お世話になります。大阪在住の新米壮年部員、畑と申します。


 最近、私の悲願ともいうべき事がついに突破口を開け、歓喜の前進をしている次第です。最終的な悲願の“達成”に到達するには、これからの更なる精進が不可欠でありますが、ひとまず喜び勇んで歩んでおります。


 そんなさなか、 先日、本部長(壮年部)が地区の会合で突然「○○さんが○○をついに○○したそうです。ささ、ひと言どうぞ」。……私は呆然としました。この私が抱えていた問題は、本部長と地区部長しか知りません。 長らく自分一人の胸に抱えて戦ってまいりましたが、やはりちゃんと指導を受けて戦ってゆこうとい、このお二人にだけ打ち明け、「他言だけは決してなさらないで下さい」と伝えていたのです。


 つい先日も地区部長から早速「体験発表をして欲しい」との依頼がありましたが、「それでは私が“○○で困っていた”という“事実”が地区の皆さんに明らかになってしまう。それでは困る」とお断りしました。 そこまでして自分の生活細部を公開しなければいけないのは納得がいかないのです。


「それで誰かか元気になれば」と言うのは理解できます。できればそうしたい。しかしながら、それもケースバイケースではないでしょうか? 「“○○の件”を伏せてならいいです。題目をいくらあげた……、どれほどあきらめなかったか……、どれだけ逆境があったか……。それならば、喜んで発表させて頂きます」とも申し上げた次第です。これには今度は地区部長が色を示し、保留となっており

ます。


 そういう状況で、今回本部長が私のなどまるで考慮に入れず、多くの方の前で“発表”してしまったのです。 「他言なさらないで下さい」というは、願いがかなった今でも変わらないのに……。まったく裏切られたいです。願いがかなったとはいえ、次なる新たな目標も明確にあり、それをかなえてこそ本当の悲願達成であり、「いよいよ、これから!」とのっているさなかで、この事件。全く憤慨しております。


体験談として“格好のネタ”が来た……」とわれたのかどうかは知りませんが、“慶事だから(発表したって)イイじゃん”的な発は、約束の「なし崩し」であり、個人情報ともいうべきものへの軽視です。ましてや、“本当のゴールへふんどしを絞め直している”私の決に水を差す愚行です。


 できれば本部長への怨嫉などしたくはありません。 しかし、取り返しのつかないことになり、 私はどう自分を納得させられるのか……。その言葉を見つけ出そうと相談をさせて頂いております。ご多忙の中、大変申しわけありませんが宜しくお願い致します。


joypops


 この本部長さん、幹部として失格です。先生は明確に指導されています。「秘密は絶対に守れ。口の軽い幹部は失格だ」と。私は、この指導を先生から直接、伺う機会があったので断言できます。これは時代が変わっても、学会の方向が変わっても絶対に守らなければいけないことではないでしょうか?


「話せるようになったときに話す。話したくないことは話さなくとも良い」先生は、こうも仰いました。今から18年前のことですが、これは年に関係のないことだといます。


 また、学会は「社会の縮図」とも言われますよね。現実社会でも、その本部長さんのされたことは明らかにルール違反です。


 直接、本部長さんにお話しにくいといます。その時は、分区(圏)の幹部・総区、総県の幹部・方面の幹部ときっちりお話されることを、お勧めします。怨嫉しないことと同時に、ご自分にとっての「落としどころ」を見つけるためにも。


小野不一


 プライバシーについては、以下の指導を参照されたい。

 まず目立つのは、畑さんの文章の長さとわかりにくさである。問題の本質を理解してない上、葛藤を抱えている様子が窺える。畑さんの怒りに乗せられてしまったのがjoypopsさんで、最悪のアドバイスになっている。否、アドバイスというよりは、婦人部同士の陰口と同じタイプのもので、畑さんの怒りを強める結果となっている。


 指導というのは、相手の話をよく聴けば、おのずから答えが見つかるものだ。


 できれば本部長への怨嫉などしたくはありません。 しかし、取り返しのつかないことになり、 私はどう自分を納得させられるのか……。その言葉を見つけ出そうと相談をさせて頂いております。


 何もせず、他人の言葉に救いを見出そうとする姿勢が弱々しい。自分にとって都合のよい答えを探しているのだろう。この中途半端さこそ、畑さんの一凶である。


 その場で本部長を糾(ただ)さなかったことが全ての敗因だ。「今頃、泣き言を言われても困る」というのが私の本音である。



 joypops様、早速のご回答ありがとうございます。「落としどころ」という表現は、私には的を射た言葉です。


 正直なところ、学会は人間社会の縮図ですから、時には憤慨することもあります。自分が作り出したにならないよう、これも訓練だとってゆこうといます。そして、ご紹介頂いた先生の指導。先生がそのようにおっしゃっていたという、その事実。それで十分です。何よりの言葉です。ありがとうございました。


 さて皆様に引き続きご相談になりますが、小野さんより以下ご指摘頂きました。


 何もせず、他人の言葉に救いを見出そうとする姿勢が弱々しい。自分にとって都合のよい答えを探しているのだろう。この中途半端さこそ、畑さんの一凶である。その場で本部長を糾(ただ)さなかったことが全ての敗因だ。「今頃、泣き言を言われても困る」というのが私の本音だ。


 真摯に受けたくいます。弱点は指摘されてこそ克服できます。ただ、「他人の言葉に救いを見出そうとする姿勢」は誤解といます。ならば、このような相談室が敷居の高いものになってしまいます。学会における「何でもまず指導を受ける」という姿勢にも影響があるかもしれません。


 また、“その場”というのは「会合のさなか」です。果たして「場を凍らせない」ゆえの忍耐は間違っていたのでしょうか? むしろ、私はこれまで何でもズケズケと見や指摘を言う格でした。自分の小さな正義観の愚かさを知り、時に人を抱擁する境涯の大きさを学会の先輩方に学んだのです。幹部に遠慮するつもりはありません。ですが、会合参加の皆さんに気持ちよく帰って頂けるための私のいは間違っているのでしょうか?


 その場で指摘して謝罪させる行為ができたとして、果たしてそれに応える(“答える”ではなく)ことができる幹部かも疑問です。正義は一つではないのも学会の現実です。“イレギュラーな出来事”は参加の皆さんも困惑するでしょう。現実の場で、学会幹部の権威主義を指摘したとて、皆さんの個人の士気に水を差すかもしれません。私が恐れるのはその現実です。


壮年部くまおー


 お疲れ様です。No.28のご見に対する私の見です


 また、“その場”というのは「会合のさなか」です。果たして「場を凍らせない」ゆえの忍耐は間違っていたのでしょうか? むしろ、私はこれまで何でもズケズケと見や指摘を言う格でした。自分の小さな正義観の愚かさを知り、時に人を抱擁する境涯の大きさを学会の先輩方に学んだのです。幹部に遠慮するつもりはありません。ですが、会合参加の皆さんに気持ちよく帰って頂けるための私のいは間違っているのでしょうか?


「『場を凍らせない』ゆえの忍耐」とは? 上位幹部の誤解や不見識に基づく発言を聞いた場合、創価学会員の私は会合中であっても間違いは糾(ただ)すのが礼儀であり、慈悲であるといます。私は、正義かどうかその場では判断できませんが、「おかしい」とったら、場がどうであれ相手が誰であれ、忍耐せずに見を言うようにしています。忍耐は、家庭指導や折伏の時のためにとっておくようにしています。


ku


 文字でのやり取りですから、細かなところは像するしかありません。小野さんが指摘されているのは、一念の姿勢というか、のありようの部分ではないでしょうか、行動は一念から起こるものだと考えると、本部長を糾(ただ)せなかった姿勢へのアドバイス=叱咤、だといます。


 また、“その場”というのは「会合のさなか」です。果たして「場を凍らせない」ゆえの忍耐は間違っていたのでしょうか? むしろ、私はこれまで何でもズケズケと見や指摘を言う格でした。自分の小さな正義観の愚かさを知り、時に人を抱擁する境涯の大きさを学会の先輩方に学んだのです。幹部に遠慮するつもりはありません。ですが、会合参加の皆さんに気持ちよく帰って頂けるための私のいは間違っているのでしょうか?


 畑さんの文は、学会を楯に自分のいを正当化しようとしているようなところがあるのでは? とじます。このような場合は終わってから、本部長に言えばいいのではないでしょうか? 言いたいことは直接話して、はっきりさせればいいのです。


 私自身の場合は、プライベートな悩みや問題・目標も全て皆の前で語ることにしています。そのような場を提供してくれているのが学会だとうし、語ったことによって腹が決まるからです。語る→腹が決まる→祈れるようになる→実践がともなう→結果が出るというじでしょうか。この過程にの入る隙はありません。これは飽くまでも私のやり方です(笑)。


 畑さんも結果を勝ち取られているのですから、些細なことに振り回されないことが大事なのではないかといます。


ume2


「その場」と言う言葉に対して飛躍的な質問になっているようにえますね。


 質問を見る限りでは、畑さんが言われている「現場」では、本部長に対して何一つアクションがなされていないようにわれます。「その場」と言うのは、畑さんが言われている「会合のさなか」から、こちらに質問をするまでの時間的流れを「その場」と言うのではないかと私はじましたが? 「その場」という言葉で、そこまで疑問をじてしまうことに違和があります。


 私でしたら、それほど話してほしくない内容(相談)でしたら、終了後便所の裏へ呼び出します。当事者が当事者と問題解決するのが一番ではないでしょうか。


 ある中学生が言っていました。「いじめは黙っていないで文句を言い返すと、それは【イジメ】ではなくなり、【ケンカ】になる」と。


 その場で指摘して謝罪させる行為ができたとして、果たしてそれに応える(“答える”ではなく)ことができる幹部かも疑問です。


 とありますが、そんな幹部によく指導を受けられましたね。


 現実の場で、学会幹部の権威主義を指摘したとて、皆さんの個人の士気に水を差すかもしれません。私が恐れるのはその現実です。


 起こってもいない現実(過去に起こした現実かもしれませんが)をご配されるより、一日も早く問題を解決し、現場で会員の皆さんの指揮を鼓舞されることを期待いたします。


joypops


 畑さんが納得されたのならば、もうこれ以上、他の方の見に反応されるのは得策ではないといます。小野さんからのご指摘ですが、一理あるとはいます。しかし、私は畑さんがとられた行動を支持します。


 私も、以前、総区部長会で、とある方面幹部の一言にぶちきれてその場を立ち去ったことがあります。あとで、「どうしたのか?」と聞かれたので、「あなたのあの一言がどれだけの人間にいやないをさせたかお分かりか?」と、問いただしたことがあります。何も言わなくとも、黙って立ち去ることで、場は充分、凍ってしまいました(笑)。その後、その幹部は私に土下座して謝りましたが、私は受け入れませんでした。それは、あの場にいた方々全員に、不適切だったと謝罪してもらいたかったからです。


 ただ、私もそのとき、先生のご指導をい出し、自分の落としどころを見つけたんです。


 現実の場で、学会幹部の権威主義を指摘したとて、皆さんの個人の士気に水を差すかもしれません。私が恐れるのはその現実です。


 これは、学会の幹部たるもの、常に肝に銘じることだと、私もいます。たまたま、私が畑さんの答えになるご指導を知っていた。それで納得された……。これでいいのだといます。


 ちなみに、ご紹介したのは神奈川文化(1990年115日)でのご指導です。これは残ながら、詳細は活字になっていません……。


小野不一


 ネガティブな者同士が奏でるハーモニー。これを怨嫉と付けよう。もう、これ以上のやり取りはムダだ。親切が仇となりかねない。死ぬまで、「場を凍らせないよう」配慮をし、問題がある度に「落としどころ」を探すがいい。子供じみた正義は極めて厄介だ。どこをどう突っつけば組織が動くのかも理解できないのだろう。今のままでは、誰に何を言ったところで解決することは不可能だと言っておこう。



 ご回答くださった皆様、ありがとうございました。まず第一に厚く御礼を申し上げます。


 さて、今回の往復は非常に考えさせられました。私の相談内容については、自分の中での気持ちの解決は着いております。joypopsさんに師匠池田先生のお言葉をご紹介して頂き、弟子としてこれ以上の納得はありません。


 そもそも、私の相談の主旨は“落しどころ”を見つけたい事なのです。組織をどうこうさせたいであるとか、この(約束を破った)幹部を糾弾したいとか、そういったものではありませんでした。


 一部の方の回答には、どちらかというと、私の悩み(しみ)の解決をはかるというより、正論でもって“正しきことを”論ずることに重きを置いておられるようにじました。「ネット相談室」の主旨が“議論”にあるなら、それでもいいといます。 議論でもって、「何故そのとき幹部に詰め寄らなかったのか」というような、私への叱責は議論上は正しいことかもしれません。ですが、それは相談者のしみに、それこそ“火に油を注ぐ結果”になりませんか?  学会同志が「慈悲」の絆であるならば、相談における往復が相談者のしみを取り除くことに重きを置くべきだと個人的にはいます。 「慈悲」はご存じの通り、「抜苦与楽」であり、その根底には「同」です。 このことを忘れていては、信の場の相談にふさわしくないといます。


 さて、更に私がその場で糾弾することによって、“場が凍ること”への配が、「起こってもいない現実」と一蹴されたことには正直、失笑しました。まるで、“信号無視しても事故にあうとは限らない”ような理屈にじました。多くの現場担当者は私と同じ配をしていますよ。悪く言えば自分を殺している。幹部に遠慮しているのじゃなく、部員さんの混乱があってはならないという一念だとう。だから“落としどころ”をみんな自分なりに探しているんです。これを「悪しき習慣」であると知っていても、自分が“改革派”などと傲慢になる人は少ない。学会自体も“環境”に過ぎないから。私が無役職時代には、それこそ何の配も、何の空気も読まず、“私の正義のまま”にその場で抗議しました。「腫れモノ」のような存在だったかもしれませんw。でも、多くの諸先輩の懐の大きさが私を育ててくれました。


 仮に「悪しき習慣」も、法の深い味においては、「学会に何故縁したか?」の理由だといます。「それからどう成長したか」を生むための。ゆえに問題解決も大事だけども、“落としどころ”も非常に大事だとうんです。それは、前進へのエンジンだから。


“敷居の高い”相談室にならないために、是非「2ちゃんねる化」(“突く”という議論モード)は一考かと。ましてや主宰者への配慮も。


 最後に、ネット上である方からも個人的に激励くださったものを抜粋してご紹介したいといます。全文では、私のしみを理解してくださった上で、「この幹部をいかに糾弾するか」の組織論に終わることなく、信の指導として書いてくださっています。今は晴れ晴れした気持ちでいます。


以下、ご紹介文

 まず、件(くだん)の地区部長・本部長の事ですが、そういう人は、信の世界とは別に、人間として大いに問題がありますから、いずれ厳しい指導を受ける時が来る事でしょう。 ですからそれは置いておきます。


 牧口先生以来、我学会は座談会を活動の原点として、拡大をしてきました。 その座談会の中は体験発表です。 代々の会長は、なぜそうして来たのでしょうか。様々な義があります。 細かくは書きませんよ、畑氏なら義だけ書けば、深い味を理解されるでしょうからね。


 一つには、「体験を語る事イコールご本尊の賛嘆」であるからです。それは即自分の功徳、家庭の繁栄に繋がります。体験発表そのものが、(輪円具足とも功徳珠とも表現する)御本尊功徳の偉大さの新たな証明の出発になるのです。一つには、座談会は地湧の菩薩の集まりですから、報告をするのは当然であるからです。体験発表は地湧の菩薩同志が互いに行う、功徳の現証の報告なのですね。最高の指導であり、最大の激励なのです。一つには、「せめてもの報の行為」です(個人的にはこれが一番重要かな)。もう、わかりましたよね。 結局、しなきゃならないのさ、やんなきゃだめなのさ。どうせ、しなきゃならないのだから、やんなきゃだめなのだから、堂々とやればいいんですよ。



 小野不一氏がこの相談室での一連のやり取りを、当事者が反論できない自身のブログ(創価王道)に無断で載せ、コメントまで載せている。前々回の私のレスで、そのブログでの氏の文章を引用し、相談室での回答諸氏への返答と併せ反論を載せた。驚いたことにその後、またまた相談室ではなくブログにおいてjoypops氏と私のやり取りを評し、辛らつなコメントを寄せている。ご紹介しておこう。


ネガティブな者同士が奏でるハーモニー。これを怨嫉と付けよう。もう、これ以上のやり取りはムダだ。親切が仇となりかねない。死ぬまで、「場を凍らせないよう」配慮をし、問題がある度に「落としどころ」を探すがいい。子供じみた正義は極めて厄介だ。どこをどう突っつけば組織が動くのかも理解できないのだろう。今のままでは、誰に何を言ったところで解決することは不可能だと言っておこう。


【1】何故、ブログなのか? 相談室の存在義に問題が生じまいか? また、相談室だから書いたのであって、ブログに転載するなら書いていない。ルール違反、モラルに反すると抗議しておきたい。ましてや、一方的な価値観による皮肉まじりのレッテル、侮辱を受ける筋合いはない。きわめて不愉快だ。


【2】何を指して「子供じみた正義」か?ご説明頂きたいところだ。


【3】「どこをどう突っつけば……(中略)……解決することは不可能」……と仰せだが、そもそも“改革者”として自負されている方とは相談の出発点が異なる。このことは前レスにて述べたので省略するが、何やら「相談室」というものを議論の場と勘違いしているのであろう。これ以上多くの提起をすることも無駄とえる。このような相談室は主宰者のブログのオカズに過ぎない無味な存在と断じておこう。


joypops


 ほう。それは知らなかったですね、ブログの件。小野さん、あなた、完全にルール違反ですよ。


 何を指して、ネガティブだというのかお聞きしたいところですよ、小野さん。方法論は、それぞれ、その組織によって違っていいんじゃないかな? それを画一的な考えで一刀両断される覚えはない。また、画一的な方法論しか唱えられない方が逆に哀れだ。


 小野さん、では伺うが、畑氏、joypops両の場合どうすればよかったお

か? あなだだって、所詮、師匠を守りきれなかった東京の人間ではないか。そのような人間にとやかく言われる筋合いもないが、とりあえずは聞いておこう。


 私は、幹部に対してだって言いたいことも言うし、行動も起こす。変に改革者ぶったりせずにですよ。


 小野さん、あなたは確かにすばらしい人かもしれない。しかし、他人を貶めるようなことを言う資格も権利もどこにもないことだけははっきり申し上げておこう。


joypops


小野不一


 まず目立つのは、畑さんの文章の長さとわかりにくさである。問題の本質を理解してない上、葛藤を抱えている様子が窺える。畑さんの怒りに乗せられてしまったのがjoypopsさんで、最悪のアドバイスになっている。否、アドバイスというよりは、婦人部同士の陰口と同じタイプのもので、畑さんの怒りを強める結果となっている。


 怒りにになんか乗っていませんよ。しかも、この発言には更なる非常識さが。師匠が一番戒めている、婦人部へ信熱がありますねぇ。しかも、人の文章を分かりにくいと断罪。あなたは何様のつもりですか、一体?


小野不一


 ネガティブな者同士が奏でるハーモニー。これを怨嫉と付けよう。もう、これ以上のやり取りはムダだ。親切が仇となりかねない。死ぬまで、「場を凍らせないよう」配慮をし、問題がある度に「落としどころ」を探すがいい。子供じみた正義は極めて厄介だ。どこをどう突っつけば組織が動くのかも理解できないのだろう。今のままでは、誰に何を言ったところで解決することは不可能だと言っておこう。


 ほう、怨嫉ね……。それをいうなら、小野さんあなたが一番怨嫉してますよ。確かに内容を拝見しました。ブログからの削除を求めます。


のり


 ルール違反は貴殿らですね。


 質問&アドバイスには、必ずハンドルネームを書いて下さい。いずれの場合も、メールマガジンに返信すれば届くようになっております。またアドバイスに関しては、「○○(ハンドル)殿御返事」というタイトルでお願いします。尚、掲載につきましては、私の一方的な判断で行いますので、怨嫉してはいけません。更に、質問もアドバイスも寄せられない場合は、発行できないまま私が不貞腐れることになります。発起衆(ほっきしゅ/質問する人)に一番功徳があることは間違いありません。


「○○(ハンドル)殿御返事」というタイトルでお願いします。


 これさえも守れない。


 尚、掲載につきましては、私の一方的な判断で行いますので、怨嫉してはいけません。


 小野さんはこのように明記されているではありませんか。しっかり読んでおりませんね。ダメだな。小野さんに、いちゃもんつけるのが目的ならば、迷惑なので書き込み遠慮願います。気に入らなければ、自分達でやればいいじゃありませんか。


 じゃあね、公爵……じゃなかった、畑殿&joypops殿。


Sky


 せっかくのネット相談室が、なんだか読んでいてしい状況になってますね。


 確かに、小野さんのコメントは、相当辛らつで断定的ですけど(笑)。そして、「学会では当たり前」になっているとらえ方を、根底からくつがえす見が多いですよね。でも、それが小気味良くて、小野さんのブログ等を読まれていたのではないかしら。


 幹部や学会員の惰弱さを切る文章を読んで「その通り!」とはっても、いざ自分を責められると、なかなか受け入れられないものかもしれません。つまり、きっとどこかで「自分は、そうじゃない」とって読んでいるんですよね。


 実は私も以前、小野さんから厳しいお返事をいただいてビックリしたことがあります。確かに今までにない衝撃でした。小野さんのブログを読んでいて、なぜか「自分のことも、きっとわかってもらえるかも……」なんてってしまっていたのもしれません。私の場合は、自分の方がおかしかったことにも気付かせていただきました。


 ただ、それを大勢の人に向けて指摘されたら、更にショックかもしれませんね。確かに、「相談室だから書いた」「ブログに載せるとは聞いていない」というのはその通りだといます。小野さんのコメントも、相談室で送信されたほうがよいようにいますが、いかがでしょうか。


「相談室」としての持ち方は検討していただくとして、内容としては、「相談」が、“相談者の求める形・気の済むように終わる”ことが望ましいのか、“皆でアドバイスし合うことで義ある形で解決する”ことが望ましいのか。決着(?)がしいですね。


 私は、これまでの皆さんのご相談やアドバイスで学ぶところも多くありましたが、「相談」をする方は、どんな回答がかえってくるかを考えると、勇気が要ることかもしれませんね。もちろん、回答を真摯に受け止めるという勇気も含めて。


S


 しばらく見させていただいておりました。何の価値も創造しない議論は2ちゃ

んねる以下です。それぞれ自分の価値観からお互いを蔑んでいる。


 題目あげてをお開きくださいませ。それぞれの立場や価値観をその広い広いという境涯で、受け止めてくださいませ。こんなところで下らない議論をするのであれば題目・家庭訪問でも行きましょうよ。


シビック


「○○(ハンドル)殿御返事」というタイトルでお願いします。


 これさえも守れない。


 こんな細かい事にいちいちつっこみを入れるのは、どうかといますよ。ブログに掲載された事に対する返事なので、どのように表現するか迷っただけではないでしょうか?


 尚、掲載につきましては、私の一方的な判断で行いますので、怨嫉してはいけません。


 この「掲載」っていうのは、ブログへの掲載のことだったんですか? 私は、ネット相談室として発行されることだとってましたが。



 小野さんに、いちゃもんつけるのが目的ならば、迷惑なので書き込み遠慮願います。


 ネットでは、決め付けの論調が多いですよね。「いちゃもんつけるのが目的」と判断するのは、早すぎるような気がします。畑さん、joypopsさんは、小野さんに対する気持ちを率直に書かれただけだといます。


 気に入らなければ、自分達でやればいいじゃありませんか。


「僧侶の言うことを聞けないなら、御本尊を下付しないから、勝手にやりなさい」という言葉と同じようにじてしまいます。



 アンカーの“仕様”が些細な事とっているのは今も変わらぬ正直ない。しかし、既定に沿うようにした。


 さて、「掲載」とは何処のことを指すのですか? ブログも含むの? はっきりさせてよ! それが認められるなら、この相談室はブログのオカズだね! と申し上げているんですよ、私は。


 傍流議論で数珠つなぎ……。「2ちゃんねる」のように、だんだんと本筋から離れるのはよくないw


 No.35(2008-05-06)が私の言いたいこと。ここに見があるならを立てますよ。



 掲示板のようになりましたが、干されている相談もないようなので一筆。掲載するかは管理者さんにお任せしますが、読んでおられることは間違いないw。「掲載」する“場所”をお間違えないように願いたいものです。


 さて、「落としどころ」を「妥協」「泣き寝入り」と捉えている方も多いのでは? 起こっている“事象”だけでは判断できないのが法。でも、人には受け入れい辛さも伴う。“納得”には長い時間が必要なことも多い。「ああ、味があったんだ……」。そんな体験は学会の“特産物”ですね。そんな辛い初期段階の痛みの“冷湿布”が「落としどころ」だといます。


 私は一部学会の悪習慣に何の反発もないわけではありません。ですが学会も個々の人間革命のための「環境」なんです。地域差もあるでしょう。ですが、そこに生まれ逢わせた全てに味がある。そして起こった事象さえも。


 ブログ「創価王道」には痛快な内容も多い。また、「創価法研鑚掲示板」はディスカッションモードだそうです。自信あふれる切り込みは管理人の得分野でしょう。でも法にふさわしい慈悲(抜苦与楽、同)あふれる「相談(室)」はそのモードだけでいいのでしょうか? ここを創設したのは管理人ご自身です。ですが法の味からすると、自覚は無いでしょうが、実は管理人こそが、“弱点”を克服する「縁」「機会」「味」を御本尊から頂いたと私はうのです。


 唐突ですが、「子育て」は簡単ではないですね。自分がそうだったからといって、我が子の代で簡単に通用するものでもない。一刀両断で済まない。学会員であること、この信に縁していること、全てがつながっているようにえてならない。だからこそ勇ましい“演説”だけでは危険ですね。


joypops


 なるほど。しかし、投稿に際し「〜殿御返事」とタイトルをつけていないことは、なぜご存じか?


 別に、いちゃもんなんかつけていないですよ。大体、あなたの文章の終わりかたは何だろうか? まじめに議論する気がない。だったらあなたこそ、間接的に小野さんにいちゃもんをつけているのでは?


 2ちゃんねる以下だと言う指摘がありましたが、2ちゃんねる以下にしているのは、小野さん自身ですから。


大勝利


 シビックさんの発言を引用させていただきます。


 この「掲載」っていうのは、ブログへの掲載のことだったんですか? 私は、ネット相談室として発行されることだとってましたが。


 このネット相談室の配信部数は現在270部ほどになっていますし……。メンバーの誰かが自分のブログで紹介することは有得ることだといますし、止められないでしょう。そもそもネット相談室のメールを受信しているメンバーでなくとも、バックナンバーのURLへアクセスすれば誰でも見れるのですから、例え最初に細かな説明がなかったとしても、「ネットでの公開」は周知の事実だったといます。


 NO-0

 http://www.emaga.com/bn/bn.cgi?sodan


 ここで、「すべて公開される」とは、当然「メール上」ではなく「ネット上」でのことを指すという事をよく理解すべきだといます。学会員だけが見ているのではありませんので、回答者の方々も公開されていることをよく識した回答をがけるように期待したいといます。


のり


 これは面白いこと仰いますね(笑)。私はね、この件での書き込みは、ちょっと迷ったんですよ。というのは小野さんにあらぬ迷惑がかかるのではないかとったからです。つまり、こうしたやりとり。


 シビック殿は私に対するレスを何の躊躇もなく書き込めましたか。


 尚、掲載につきましては、私の一方的な判断で行いますので、怨嫉してはいけません。


 この「掲載」っていうのは、ブログへの掲載のことだったんですか? 私は、ネット相談室として発行されることだとってましたが。


 私は当然プログだといましたよ。既にメール登録している者に、何でネット相談室として発行する必要がありますかね。

 小野さんに、いちゃもんつけるのが目的ならば、迷惑なので書き込み遠慮願います。


 ネットでは、決め付けの論調が多いですよね。「いちゃもんつけるのが目的」と判断するのは、早すぎるような気がします。畑さん、joypopsさんは、小野さんに対する気持ちを率直に書かれただけだといます。


 私も率直な気持ちを書いたまで。決め付けの論調と言いますが、相談を持ちかけた者が、小野さんのネット相談室を利用して小野さんに論争を挑む。これって、当相談室の趣旨から逸脱しておりませんか。論争したければどこかの掲示板でおやりになれば良い。実際に対面しての相談室ではないので限界もあろうというもの。それぞれの方のアドバイスに対して、論争を目的としてはいけませんな。


 気に入らなければ、自分達でやればいいじゃありませんか。


「僧侶の言うことを聞けないなら、御本尊を下付しないから、勝手にやりなさい」という言葉と同じようにじてしまいます。


 飛躍しすぎですね。私は相談室の主催者ではありません。権限などないのです。勘違いなさらないで下さいね。そういうのを「決め付けの論調」っていうんじゃないですか。座談会週間でもありますし、こうしたやりとりは不毛です。よってこの件に関する論議は、以後スルーします。


joypops


 またこんなの載せる……。火に油を注いでいるのはあなただ、小野さん。それを否定するなら、この文章も流してください!!!


壮年部くまおー

 お久しぶりでございます。 No.29の自分の見について少々言い訳をいたし

ます。


 一部の方の回答には、どちらかというと、私の悩み(しみ)の解決をはかるというより、正論でもって“正しきことを”論ずることに重きを置いておられるようにじました。


 私のレスNo.29に対するご見でもあると勝手に解釈しています。私の地域の創価学会では私の見は正論ではありません。畑さんがNo.26で紹介された体験は、私も詳細は違いますが経験した事があります。そして今まさに自分自身の人事を任命前に幹部に他言され、担当地域の会員さんと私は迷惑を被りました。先輩幹部でありましたが、皆の前で謝罪していただきました。別にわたし一人が正しいとか、悪い幹部は糾弾すべしとかって行動しておりません。 私の地域の創価学会池田先生の手作りの組織であると言われています。それゆえ、池田先生のご指導と違う事はしたらあかんやろ−という考えです。


 先生は明確に指導されています。「秘密は絶対に守れ。口の軽い幹部は失格だ」と。私は、この指導を先生から直接、伺う機会があったので断言できます。これは時代が変わっても、学会の方向が変わっても絶対に守らなければいけないことではないでしょうか?


 Joypopsさん勝手に引用してごめんなさい。 しかし口の軽い幹部は失格にならないし、絶対に守らなければならない事も守られていないのが、私の地域の創価学会です。だからこそ池田先生のご指導を具現化できる自分になりたいといます。


 自他共に師匠に対するええかげんな姿勢は許さん! 青年のとはこんなんでないやろか?


ご立腹


 まったくその通りだといます。ここの管理人は、自分本位的な内容しか書けないようである。今まで読んできてじたことは、常に他力本願である。良識ある会員さんであれば、なんということもない出来事ではあるが、新入会員さんが見てるとうとゾッとする内容の書き込みもある。


 あまりにも無責任極まりないサイトであることは間違いないようだ。書くのは最初で最後になりそうだが、小野不一という男には呆れた。どうか、会員全員が利用したくなるような運営をお願いします。


学生書記長


 みなさん、初めまして学生部で書記長させていただいております_(._.)_

 いつもネット相談室を楽しみに拝見しておりましたが、最近楽しくありません。なぜかわかりますよね? 本来はネットの相談室、このメールは壮年部男子部女子部はモチロン、学生部など色んな方が拝見しているといます。最近の内容を見た人はどういますか? もっと仲良く楽しくしましょうよ! ものすごい相談しにくくなってしまってるじゃないですか! ここは「相談室」ですよね? 相談して、相手の事をって返事しましょうよ! よろしくお願いします_(._.)_


photochika


 はじめまして。学会二世の婦人部です。職は写真家です。

 もうみっともない事はやめましょうよ。読んでいて情けなく、そして嫌悪の情に鳥肌が立ちます。まったく男ってどうしようもない。黙って引っ込むことはできませんか?


 そもそも、最初のご質問自体が情けないですよ。その場で、あるいは会合終了後に直接その本部長に言えばすむ話をこんなにグダグダ引きずるなんて。


 随分気の弱い人だとっていたら、なんだか最近は威勢の良いこと。本当に同一人物なのかしら?

 

 小野さんの言葉――


 死ぬまで、「場を凍らせないよう」配慮をし、問題がある度に「落としどころ」を探すがいい。子供じみた正義は極めて厄介だ。どこをどう突っつけば組織が動くのかも理解できないのだろう。今のままでは、誰に何を言ったところで解決することは不可能だと言っておこう。


 これが全てですね。


 畑さんの言葉――


 このような相談室は主宰者のブログのオカズに過ぎない無味な存在と断じておこう。


 あなたが強い態度で向かっていかなくてはいけないのは、本部長でしょう? このくらいの勢いで現実も頑張ってくださいね。それから「オカズ」という言い方は非常に不愉快です。


関西・岡本


 この「ネット相談室」の最初のとっかかりは次のようなことでしたね。


※この度、「ネット相談室」なるメールマガジンを発行することとなりました。その理由と動機は以下の通りです――

 1.組織に相談できる先輩がいない。

 2.Web上で情報発信できる学会員が極端に少ない。

 3.まともな学会員同士の交流の場がない。

 4.私の頭が固くなってきている。

 5.私が結構暇である。

 6.自由に参加でき、尚且つ刺激的な場がない。


 私も、「そう! その通り!」とい購読申込しましたが、最近は“子供の喧嘩”状態になっていることを憂えてます。色んな見を出すのはいいといますが、見が違うことに対して、相手を指摘し合うのはどうかといます。 

 組織の中でも、その人の為とって「指摘」することはあります。面と向かって言っても本人にはうように伝わらないことも、ままあります。まして、ネットでは自分のいなんて伝わらないといます。同じ国土世間で池田先生のご指導のとおり戦っているもの同士なら解りあえるといますが、中々しいでしょうねえ。


 せっかくの機会なんですから、今後も長く続くよう、「前向き」に相談、アドバイスをしていきましょうよ。「先生ならどうされるのだろう、どう言われるのだろうと……」と。


Sky


 畑さんの当初のご相談が、皆さんのアドバイスを受け止められた上で「落としどころを見つけられて完了」という旨、確かに了解いたしました。“味”を見つけられ、が晴れたご様子、本当によかったですね。


 私自身は、ご相談内容に対しては何も見を述べられませんでしたが、皆さんのご見を拝見し、色々考えることができました。お辛いなかで、勇気のご投稿をありがとうございました。


 ただ一点だけ、「その幹部のかた、自分のしたことに気付かないままで、また他の人にも同じことを繰り返して、辛いいをさせてしまうのではないかな……」という配だけは残ってしまいました。


 さて、No.44【Sky殿ご返事+α】の、他のお書き込み部分は私宛ではないようですのでコメントはできませんが、


「実は管理人こそが、“弱点”を克服する『縁』『機会』『味』を御本尊から頂いたと私はうのです」等、小野さんへご見があるようでしたら、この「相談室」ではなく、ご本人に直接メール等でお伝えしていただければありがたいです。


 それでは、横から口をはさんですみませんでした。失礼いたします。


シビック


 私はね、この件での書き込みは、ちょっと迷ったんですよ。というのは小野さんにあらぬ迷惑がかかるのではないかとったからです。


 そうですね。書き込まない方が良かったのかも知れませんね。畑さんが「件の本部長」に対して何らかの行動を起こした方が良かったのかどうかもやってみなければわからないことかも知れません。もしかしたら、行動を起こした後に、のりさんのように後悔したかも知れませんしね。


 ただし、後悔するかどうかは別にして、味のあるものになると信じて行動するしかないのだといます。この相談室も始まったばかりですので、様々な見や要望が出て、小野さんが反映してくださったりすれば、ありがたいのかなといます。


 私は当然プログだといましたよ。既にメール登録している者に、何でネット相談室として発行する必要がありますかね。


 私が言ったのは、そういう味ではなくて、我々が「質問」や「返信」をした内容がネット相談室として採用されるかどうかという味です。現に私は、今回の相談内容以外にもメールを何件か送ってますが、採用されませんでした。小野さんが価値的なものかどうかを判断し、取捨選択して発行しているのではないでしょうか。そういう味での「掲載につきましては、私の一方的な判断で行います」なのだといます。ただ、大勝利さんの発言も、もっともかなとったりします。


 私も率直な気持ちを書いたまで。決め付けの論調と言いますが、相談を持ちかけた者が、小野さんのネット相談室を利用して小野さんに論争を挑む。これって、当相談室の趣旨から逸脱しておりませんか。論争したければどこかの掲示板でおやりになれば良い。実際に対面しての相談室ではないので限界もあろうというもの。それぞれの方のアドバイスに対して、論争を目的としてはいけませんな。


 確かにそうかも知れませんね。ただ、この相談室で疑問を呈するのが、手っ取り早かったのかなといます。


 飛躍しすぎですね。私は相談室の主催者ではありません。権限などないのです。勘違いなさらないで下さいね。そういうのを「決め付けの論調」っていうんじゃないですか。


 権限があるかどうかが問題ではなくて、小野さんの側に立って、相手を追い出すような論調の部分に日顕宗じたので、一言いわせてもらっただけです。


 座談会週間でもありますし、こうしたやりとりは不毛です。よってこの件に関する論議は、以後スルーします。


 このあたりにも「対話拒否」や「日顕宗の(秋谷会長に対する)お目通り叶わぬ身」発言と同じようなものをじてしまうのです。「以後スルー」するのであれば、No.47のご返事自体を出さない方が良かったのではないでしょうか。もっと言えば、No.39の畑さん、joypopsさんへの喧嘩を売るような発言がなければとさええてしまいます。でも、全部味があるんですかね。のりさんと話ができてよかったと私はいますから。

第三代会長の辞任を告げる新聞


 三十余年間、聖教新聞の配達を続けてくださった関西の母が語られていた。この間、最もつらかったことは何か。それは、第三代会長の辞任を告げる新聞を配ったことである。そして、その、涙ながらに誓った。わが地域には三代の師に直結する正義の連帯を大発展させてみせる、と――。こうした母たちのが、創価の大を護り広げてくださったのだ。


【巻頭言/『大白蓮華2008-05号】


 迷った挙げ句に書いておく。この一文を読んで、私の胸はキリキリと痛んだ。弟子に裏切られた師匠が、どうして謝を述べなければならないのか。「母たちの」なんか全然関係ない。会長の座を追いやられた先生ご自身が、末端の会員を激励し抜いて、今の創価学会があるのだ。


 今頃になって、「昭和54年は――」なあんて話している幹部もいるが、そんなものはたわ言だ。所詮、悔しいいをしながら何もできなかった連中だ。自分が残してきた歴史に、「仇討ち」というスパイスをまぶして、我が身を飾っている幹部もいることだろう。


 実際にこうしたが先生のに入ったのは確かだろう。だが、私は敢えて言っておきたい。「関西の母」は先生己の弟子であると。その上で、「東京」ではなかったことを深く受け止める必要がある。

2008-04-25

本日、『新・人間革命』第18巻が発売


新・人間革命 第18巻


 戸田城聖の後を継ぎ、創価学会第三代会長となった山本伸一の峻厳な「弟子の道」が綴られている。日蓮大聖人の法のヒューマニズムの光をかかげて、世界を舞台に繰り広げられる民衆凱歌の大河小説。


各章の概要


師子吼の章

 1973年(昭和48年)7、小説『人間革命』が待望の映画化に。脚本・橋本忍、監督・舛田利雄。第一部の圧巻は、戸田先生獄中の悟達。第二部のテーマは十界論。2時間40分の大作は、「師弟のの交流、人間の精神の世界がよく表現され、動できる芸術作品になっている」と、伸一も高く評価。「青少年映画審議会」の推薦を受け、秋の芸術作品にも決定。「原水爆禁止宣言」の98日から東京・有楽座でロードショー公開。全国の主要都市でも封切られ、日本映画の興行収入の記録を塗り替える大ヒット作となった。「続・人間革命」も同51年6に公開され、大好評を博す。

 711日、聖教新聞は創刊4千号を刻み、伸一は、前年秋から、足繁く新聞社を訪れ、記者一人一人を激励。生涯を広宣流布に捧げ、学会と共に生き抜く、一騎当千の職員・リーダーの育成に全力投球。伸一の生命を削るかのような指導によって、聖教に永遠不滅の精神の柱が打ち立てられ、言論に赫々たる師弟の太陽が燦然と昇ったのである。


の章

 師弟の呼吸が合致してこそ、広宣流布は永遠なる大河の流れとなる。伸一は、後継の人材の育成のため、728日から1カ間に及ぶ夏季講習会に力を注ぐ。13期、約10万人が参加。彼は、講義担当者会、全体集会、代表との懇談会、記植樹、記撮影などに相次ぎ出席。「白糸会」の集いにも出席し、釣りや懇談を通し、入魂の指導・激励。その間、811日からハワイに完成した第二ハワイ会館、マウイ会館の開館式、「パン・アメリカン連盟」の結成式に出席。日蓮法を基調とした平和と人道の波は、大潮流となって南北アメリカに広がっていった。

 帰国後も9から全国への激励行を。8日には戸田の故郷・北海道厚田村での「村民の集い」に。翌日は、第1回北海道青年部総会に出席。更に北海道女子部の基礎を築いた故・嵐山春子の13回忌法要に。帰京するや、埼玉県の上尾市で行われた県幹部総会で、今後の埼玉の役割を熱く語る。連続闘争は、関西・中国方面へ。島根では、盛大な「'73山陰郷土まつり」に。翌日は鳥取県幹部総会へ。10には、正本堂建立1周年行事に参加、来日した世界各国のメンバーを激励。11の第1回栃木県幹部総会では、尋常小学校時代の師・檜山先生夫妻と旧交を温め、深い義に真で応えるのだった。


前進の章

 学会は宗教界の王者となった。その学会を永遠ならしむるために、各方面・県・区を微動だにせぬ黄金柱にと、各地を回り続けた。なかでも、11には、関西から、空路、山に向かい、四国に全魂を注いだ。愛媛県幹部総会(11日)、徳島県幹部総会(13日)に。7年ぶりの訪問となった愛媛では、地域への新聞購読の推進に尽力する無冠の友を、更に、会館、新居浜会館に立ち寄り、管理者の家族、地元の同志と勤行し懇談。また記撮影などして激励。県総会のあと、地域広布の推進のために発足した山、新居浜の市協議会の結成式に出席。山長、新居浜長を任命。改革と創造なくして進歩と前進はない、と行動。四国文化会館では愛媛で学生部グループ長をしていた岡島喬雄の遺徳を偲び“一人のために”誠を尽くす。

 徳島に向かう途中、津田の原ではグラビアの撮影をすると共に、懐かしき同志と再会し、純真な信を貫いて頑張っている姿を賛嘆。1年ヶカぶりとなった徳島の県総会では御書を拝し、信仰への“不変”の重要を講演。徳島文化会館の建設用地の視察、四国合同会議への出席など、四国の新しい飛躍のために力を尽くし抜く。地方指導を終えると、1123日には、東京・品川区幹部総会、12には同じく中央区、墨田区、台東区の幹部大会に出席。そして掉尾を飾る第36回本部総会が初めて東京以外の大阪・中之島の中央公会堂で開催され、伸一は、明年「社会の年」の未来展望と世界広布の展開に言及した。


飛躍の章

「社会の年」(昭和49年)は、第4次中東戦争、石油危機に始まった世界経済の激動の中で幕が開けた。元日の勤行会は「世界平和祈願広布勤行会」を兼ねて行われ、伸一は“如説修行”の大切さを力説。2日は新年の集い、3日は東京未来会第4期、静岡未来会第1期の合同の集いに出席。年頭からフル回転で活動を推進。特に、民衆の連帯を築く学会の縮図として重視する座談会の充実にを砕く。聖教新聞でも座談会特集の連載を開始。19日からは九州指導へ。九州大学会総会、九州で初の第22回青年部総会、本部幹部会に臨む。青年部総会では反戦出版や核廃絶1千万署などの運動を採択。伸一は帰りがけ県長の要請に応じ田川会館を訪問。会場では、炭坑閉山で住民が減る中、懸命に信の炎を燃やす婦人部員たちを激励。鹿児島に舞台を移し、「水俣友の集い」や離島本部の第1回代表者会議に集ったメンバーに渾身の指導を重ねた。

 26日には、10年ぶりとなる香港訪問の旅へ。記撮影会の諸行事や香港大学、香港中文大学への公式訪問と多忙を極めた。「歓迎の夕べ」では、メンバーの、この10年間の敢闘に最大の讃辞を贈った。また「東南アジア教者文化会議」の第1回会議では、『諫暁八幡抄』を通し“法西還”とは、法の人間主義に基づく平和の哲理をアジアの人々のに打ち立てること、と語り、伸一の世界平和への闘争が、いよいよ本格的になるのだった。

ミランカ


 動画サイト。登録すれば視聴できる。「博士も知らないニッポンのウラシリーズ」が面白い。トップページにもリンクを追加。

民意を理解してない政権与党


 民は「ねじれ国会」だ。昨年の参院選挙において、国民はそのような選択をした。だから、民主党のい上がりは許されてよい。問題は政権与党である自民・公明だ。「お前達に勝手な真似はさせんぞ」という民を全く理解してないんじゃないか? 参議院の過半数を野党に与えたということは、「与党は妥協すべきだ」という国民のの表れであろう。


 問題は、自公が小選挙区制(=二大政党制)に対して明らかな態度を示していないところにある。既に両党から中選挙区を懐かしむが聞こえている。「小選挙区は死票が多い」なあんて、まことしやかに言っているが、結局のところ党利党略だよ。


 学会員は、もっと公明党に対して批判をするべきだ。与党であるということは、民衆と対峙する関係なのだから。与党入りしてからというもの、自民党から一方的に選挙協力だけ頼まれ、“カード”として使う素振りも見せないのが何とも情けない。このままいけば学会員は、組織の支持に従うロボットと化してしまうだろう。


 政局になる前に、政界再編が行われるという噂も囁かれている。いつまでも、キャスティング・ボートの立場に甘んじていれば、必ずや泡沫政党となることだろう。


「ねじれ国会」となっていなければ、イラク給油法案やガソリン暫定税率は、国会を素通りし、年金問題も発覚しないまま放置されていたことだろう。いみじくも、民の正しさを証明する結果となっている。

2008-04-24

参院民主から一部離党?=自民・矢野氏が見通し


 自民党の矢野哲朗前参院国対委員長は23日夜、宇都宮市内で講演し、参院民主党の動向について「今、何人かわれわれと一緒にやっていこうという人たちが出てきた。近々、そういう人たちが独立するだろう」と述べ、一部議員が同党を離党するとの見通しを示した。

 また、矢野氏は「そういう人たちがコアになり、民主党と自民党の『中の島』をつくる。政府提案の法律に是々非々で臨み、参院らしい独自が確保できることになるのではないか」と述べた。


時事通信 2008-04-24

モアハウス大学キング国際チャペル、ローレンス・E・カーター所長のインタビュー


 シンガポールのチャンネル・ニュース・アジアTVで放送されたインタビュー。『大白蓮華』5号の21ページで紹介されている。fwik氏からの情報による。どなたか翻訳をお願いしたい。「ドクター池田」以外はチンプンカンプンだ(笑)。

巡り来る4月24日


 今年もまた424日が巡ってきた。29年前の歴史を知る弟子が少なくなりつつある。上京してからというもの、数多くの先輩に尋ねてきたが、全体像をつかんでいる人は皆無だった。日達上人に直接、インタビューをした経済ジャーナリストから話を聞く機会もあったが、「模刻本尊をつくった池田先生が悪い」と言い出す始末だった。まだ、日顕による宗門問題が起こる前のことだ。私は御書を引用しながら反論を述べた。世間の裏表を知り尽くした50代のジャーナリストは言った。「今までどの幹部の話も聞くに値しないものだったが、君の見には確かな根拠がある。だが、私の考えは変わらないよ」と。25歳の夏、私は地区リーダーになったばかりだった。


 私は祈りじた。「どうしても歴史の真実を知りたい」と。一体全体何が起こったのか? 多くの学会員が知っているのは、「先生が会長の座を追いやられた」という事実だけだった。何も知らなかったに等しい。私が聞き及ぶ限りでは、怒りのすらなかった。多分、呆然としながらも、日々の活動にいそしんでいたのだろう。


 私の祈りがかなったのは1994年のこと。長谷川副会長(当時)、秋山総合婦人部長(当時)が歴史を語り出したのだ。ありとあらゆる人脈を駆使し、情報を集めて書いたのが「聞き書き4.24」である。

 1994年424日の早に書き終えたことを、ありありと覚えている。30歳の私は涙に掻き暮れ、嗚咽を漏らしながらペンを執った。


 尚、このテキストが色々なところで勝手に流用されている。見つけた方がいれば、私の署とURLを明記するよう注してもらえれば幸いである。尾ひれがついて、改竄(かいざん)された情報が出回ると大変なことになってしまう。10年ほど前に、「牙会大会での長谷川副会長指導」なるものがWeb上に出回ったが、デマ情報だった。長谷川副会長が土下座する内容のもの。往々にして、激した情は利用されやすい。

 第二次宗門問題で学会は同じ轍を踏まなかった。日顕との闘争は、創価学会の宿命転換そのものだった。それ以降、創価学会は世界宗教へと本格的な飛躍を遂げることになる。


愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。されば君よ、三代会長が築いた歴史を、生命に刻む覚悟で学び抜くことだ。

2008-04-23

内閣支持率19%に低下 暫定税率、上乗せ反対48% 全道世論調査


 北海道新聞社は22日、全道世論調査(18-21日実施)の結果をまとめた。福田康夫内閣の支持率は19%で、322-24日の前回調査から3ポイント下落し、内閣発足以来、最低となった。不支持率は前回より3ポイント上昇し、62%に達した。日銀総裁人事ガソリン税の暫定税率問題などで国会が混乱したことに加え、75歳以上を対象に4から始まった後期高齢医療制度をめぐるごたごたが影響したとみられる。暫定税率の復活については「暫定税率を上乗せしない方がよい」が48%を占め、「上乗せした方がよい」の13%を大きく上回った。

 福田内閣の支持率は発足間もない昨年10に44%だったが、発足から半年の3には22%に半減。さらに今回調査で20%を割り込んだ。全道世論調査で内閣支持率が20%割れしたのは、2000年6の森喜朗内閣の14%以来。

 年代別では、後期高齢者医療制度対象者や対象となる直前の70歳以上の支持が前回調査から8ポイント落ち込み、26%にとどまったのが特徴だ。

 支持政党別では、自民党支持層の支持率が53%と過半数に達したのに対し、同じ与党の公明党支持層では38%に低迷。民主党支持層では8%、支持政党なしの「無党派層」でも10%にとどまった。

 政府・与党が衆院での再議決で目指している暫定税率の復活については、「どちらとも言えない」と態度を保留する回答も38%に上り、復活の是非を判断しかねている有権者が多数いることが分かった。

 支持政党別では、自民党支持層で暫定税率上乗せ支持派(30%)が反対派(27%)をわずかに上回った。公明党支持層は態度保留が6割強を占めた。民主党支持層では上乗せ反対派が60%、支持派が6%だった。

 一方、道路特定財源を道路整備以外の医療や福祉などにも使えるようにする「一般財源化」に関しては、賛成が61%、反対が14%で、前回調査と大差がなかった。支持政党別では、自民党支持層、民主党支持層とも63%が賛成した。

 政党支持率では、民主党が29.5%で前回調査に続いてトップ。自民党20.5%、共産党3.8%、公明党3.5%、新党大地3.1%、社民党1%、国民新党0.4%と続いた。無党派層は36.5%だった。


北海道新聞 2008-04-23】

1979年1月


 グラフ『SGI』5号の36ページに、会長勇退3ヶ前の写真が掲載されている。先生の表情はいつもと異なっている。どれほどのご労があったことか。

2008-04-22

古謝美佐子さん


 日曜日の聖教新聞「トーク21」に古謝美佐子(こじゃ・みさこ)さんが登場。いやあ嬉しかったね。言わずと知れたネーネーズの初代リーダー。古謝さんがいた頃のCDは全部持っている。


 私は音楽や本の趣味に大変うるさい。そう、「違いがわかる男」だ。ネスカフェゴールドブレンドのコマーシャルに起用されるのも多分、時間の問題だろう。その私が、かつてないほど涙しながら聴いた曲が「童神(わらびがみ)」である。夏川りみのはダメだ。人生経験が少な過ぎる。私に子供ができたら、最初に聴かせる音楽と決めている。


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天架ける橋


沖縄 作の舞台

21世紀の子守唄/古謝美佐子「童神」


愛超え未来託す


 2001年920日。高視聴率を続けていたNHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」で一曲の新しい沖縄民謡が流された。主人公の古波蔵恵里と子の和也が小浜島へ渡るシーンの挿入音楽として、数分間オンエアされた。


 天からの恵みを受けて、この世に生まれたわが子よ。私がお守りして、育てるからね。

 愛しのわが子よ、泣いちゃいけないよ。

 太陽(てぃだ)の光を受けて、どうか良い子に、どうかすくすく育ってね。


 沖縄方言の歌詞に、こんないが込められた。民謡歌手・古謝美佐子(元ネーネーズ)が、情たっぷりに歌い上げる「童神」(わらびがみ)だった。放送終了後、この歌は静かな反響を呼び、島唄関連のホームページ上で「何という歌?」「誰が歌っているの?」といった質問が、飛び交った。この新しい子守歌は、老若男女を問わず瞬く間に人々のをとらえた。

「童神」は、美佐子の夫で作曲家の佐原一哉が1996年暮れに作曲した。孫の誕生を4カ後に控えていた97年2、美佐子がその曲に歌詞をつけ、作品が完成した。


孫へのプレゼント


 その年の6初旬。沖縄市内の病院で、美佐子の長女・絵里奈が初孫・脩也を出産した。産を上げたばかりの赤子を、美佐子はやさしく抱き上げた。「童神」を、幼いころ十分に構ってやれなかった愛娘(まなむすめ)と新しい命・脩也のために歌った。孫へのプレゼントのため作った歌だった。

「この子(娘)も、私と同じ母親として歩んでいくんだな」「母は、私や弟たちを育てるのに、どんないをしてきたのだろう」。美佐子のの中で、いろんないが去来した。しばらくして、「童神」を舞台でも歌うようになった。

 最近はほとんど使われなくなったが、「童神」はれっきとした沖縄ことばである。子どもは天真爛漫(てんしんらんまん)で、神のように穢(けが)れがなく清いの持ち主であるという、子どもをほめたたえる言葉だ。

 八重山諸島や本島の一部には、海の彼方(かなた)から五穀豊穣(ごこくほうじょう)をもたらす存在であるミルク(弥勒)神を待望する民俗信仰が受け継がれている。豊年祭で、ミルク神は稚児(ちご)、村人を引き連れ、集落を練り歩く。

沖縄の祭りの中で、子どもが集団で出るのは子孫繁盛を祈する場合が多い。子孫繁盛は、五穀豊穣に直結する。清浄無垢(せいじょうむく)な稚児には、神が託宣される」

 こう話すのは、「新民謡の系譜」の著者で、民俗習慣にも詳しい大学(国立劇場おきなわ運営財団企画制作課長)だ。

 大里村古堅にも、ミルク神と子どもたちが練り歩く「ミーミンメー」という祭りがある。大は「ミーミンメーの子どもたちが、まさに童神。子どもは神のお供でもあるが、神のご利益を得る存在でもある」と言う。ミーミンメーの時、子どもたちは大人から尊敬され、祝福される。両を引っ張りながら「ミーミンメー、ミーミンメー」(わらべ歌、赤田首里殿内」)と歌う子どもたちのしぐさは愛らしく、「童神」そのものだ。

 島唄事情に詳しい東京在住の音楽プロデューサー藤田正は、「人の始まりそのものである子どもは、大人たちに見守られ祭りに参加しているようでありながら、半面、主催者たる大人たちによってみれば、村と島の命の“円環”を完成させるためのまさしく「童神」である」と評する。美佐子の「童神」については、「“母なる大地”とは単なる言葉ではないことを歌いきる、それがこの歌の命だとう。生命の“円環”を未(いま)だに女がしっかりと司(つか)さどり、それを現代の沖縄の女(古謝)が自分の原点回帰として歌える、作れるのは大したものだ」とし、「最も新しく作られた作である」と惚(ほ)れ込んでいる。

「童神」にとっての舞台は、新しい命を生み育てる女の母愛そのものである。それだけでなく、子どもたちを温かく包み込む村落共同体や海の彼方を含む「小宇宙」であると言えようか。


普遍的な親ごころ

  

 大は、「この歌は21世紀のわらべ歌だ」と力を込める。子や孫に対する愛情、村落共同体を未来へとつなぐ子どもたちの成長を見守る普遍的な親じるのだという。「今の社会は、親が子どもたちをコントロールしすぎだ。大人の物差しではなく、子どもたちが主体的に動ける環境づくりをしないと……」とも話した。

 5年ほど前から、美佐子は作家・五木寛之の講演会にゲスト出演し、全国各地で新旧さまざまの島唄を披露している。「童神」を歌うとき、いつの間にか赤子を抱いて、あやすようなしぐさをするようになった。

 舞台の袖(そで)から、古謝に熱いまなざしを送る五木。「わず涙がでそうになった」と、コラムに記した。「ポピュラーと芸術とが、これほどこん然一体となっているアーチストを私はほかに知らない」とも書いた。孫のために作られた子守歌は、広く、深く人々のに染み込んでいっている。


【琉球新報 2002-06-26】

2008-04-21

日本通信、IP携帯電話を実用化・世界初、7-9月期めど


 通信ベンチャーの日本通信は2008年7-9期をメドにインターネット技術を使う携帯電話サービスを始める。音をデジタル化しネットを通じて通話する「IP(インターネットプロトコル)電話」の携帯版で、IP携帯同士なら定額制で通話し放題になる。企内で一斉導入すれば通話コストを大きく下げられる可能があり需要が見込めると判断した。

 日本通信はNTTドコモの回線を借りて携帯事に参入した。携帯網を使うIP電話の導入例はなく、実現すれば世界で初めてになるという。


【日本経済新聞 2008-04-21】

2008-04-20

会長勇退の歴史を風化させるな


 青年部諸君は、以下のページにあるリンクの全てに目を通しておくこと。

 更に、時系列を辿って再読しておくこと。

聖教新聞九州版「地区革命」


九州で地区部長をされているUさんからの


 小野さんが、九州版まで読んでいたとは(笑)。


 地区強化のホシも長編詩にあることを痛しますとあるが、もうそれは皆さんが読まれ実行しているから色んな課題が出ているわけで、そんなのは百も承知で、現場はその世界と違う所で悩んでいる情況をよくよく協議していただきたいものです。


 特に婦人部の「打ち出し主義」はすさまじく、自分で考える余裕すら与えないハードな活動となっている。また、九州長が交代してから、打ち出しのタイミングが悪すぎる。熊本は総県長も交代しているのでなおさら悪くなっている。


 協議会に関しても行事予定・打ち出しを連絡するので手一杯。協議する事もないので人はどんどん来なくなる。時間があれば雑談になるのが関の山


 地区が母港というのであれば四者一体の戦いであるはずが、戦いの打ち出しは婦人部長会で話され、協議会では婦人部長が仕切らざるを得ない。地区部長はその流れを聞いていると言うのが大半ではないか。青年部が来ても何もすることがないし、発言しようと言う気配がない(これも問題だが)。上の幹部に、四者という壁がある限り末端がしむだけだ。


 新聞での九州長に関しては……。「三つのS……。この軸がぶれない限り……。私の軸は『師弟』です」。どうも上から目線にしか聞こえないのです。九州の男子部時代……。来るかどうかは相手の自由。私は絶対連れ出すと決めます。「100%案内運動」。連絡は私たちの責任・使命。部員の半数以上。

そんなの関係ねえ! と言いたいですよ(笑)。壮年部一発結集8割のわが地区ですが、「結集に信はいらない!」と上の幹部には言いまくっています(笑)。問題はその先と、来なかった人。


 地区を称えているところで、なぜ「(笑い)」が入るのか? 理解にしむ。「一生懸命の企画を笑うのか?」と言いたい。


 地区部長・地区婦人部長の皆さんが、あの長編詩でどれだけ激励されたか。そのがわからない幹部はいらない。尚、九州長が持ち歩いている、A4小冊子の長編詩は地区幹部の方が作ったものだ。


 乱筆乱文にて申しわけありません。

2008-04-19

聖教新聞九州版「地区革命」10


 最終回は田村九州長へのインタビュー。特に取り上げるべきところもなく、読むだけ時間のムダだ。


 九州版で連載された「地区革命」の企画それ自体は好ましいものだった。だが、結局のところ幹部の官僚主義を再確認する結果となった。最大の功績はアンケートを通して「会員の生の」を掲載したことである。い切って、アンケート内容をそのまま掲載した方が、幹部にとってはインパクトの強いものとなったことだろう。


 私が最も配しているのは、この程度の記事で「決する地区部長」がいるかも知れないことだ。かような人物は、詐欺やマルチ商法の類いに気をつけた方がいい。「乗せられやすい格」であることが明らかだ。九州学会員がまともな覚を持っていれば、必ずや聖教新聞社に情を入れたことだろう。


 最後に、私から地区部長に対していくつか具体的なアドバイスをしておこう。


 1.まず、地区部長であれば真面目に動くことだ。動きもしないで、踏ん反り返っているタイプがいまだに多い。連載記事からも明らかだが、地区部長に求められているのは「機能すること」である。「地区革命をするなら、まず地区部長を代えて欲しい」という婦人部のが聞こえてきそうだ(笑)。


 2.動いている地区部長であれば、地区の問題が明確になっていることだろう。その点について、地区婦人部長と一緒に指導を受けに行くべきである。


 3.座談会以外の会合や家庭指導の際も、幹部に入ってもらう。


 4.地区婦人部長と、どんなことでも言い合える関係を築く。


 5.に一度ぐらいはB長と飲みに行く。


 これだけできれば十分だ。できない人は、今直ぐ地区部長を降りた方がいい。辞めることで、皆に希望を与えることが可能だ。

後期(長寿)高齢者医療制度

 一つの見識だとう。その辺の政治家や評論家よりも、はるかにまともな見だ。ただし、論じられているのは「保険制度のあり方」となっており、政治手法の良し悪しを判じているわけではないため注が必要。根本的な改革は既に何度も書いている通りで、現行の賦課方式を積立方式に変えるしかない。要は、ツギハギだらけの保険や年金制度が破綻しかかっているということだ。それにしちゃ、政治家の連中はのんびりしてますな。

「Coarsen Roof」日華 feat.Metis


 で、これが日華Metisコラボレーション沖縄と広島のヤング男子部は、是非ともこの歌を広めてもらいたい。


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V.O.W.-Victory Over War-




 日華体験談SGIのサイトに掲載されていた。

 Fさんが翻訳してくれた。深謝。


を大にして叫べ


 私は1980年に香港で生まれました。私の父は中国人で母は日本人とのハーフでした。私達は生活の為に私が10歳の時日本に来ました。私のスケートボードに興味を持った事が、ストリートカルチャーにのめりこむきっかけとなり、気ままにダンサーやDJをやる中でラップを始めました。


 最初は日本語のラップには大して興味もなかったのですが、15歳の時RINOというラッパーに合い触発を受けて、世界に対する自分のいを日本語のラップで表現する事に挑戦し始めました。


 創価高校を卒し、1999年にNY州立大学へ進学しましたが、毎日酒とドラッグ漬けの日々で幻覚症状まで出るようになりました。3度目の自殺未遂の後、精神科に入院しました。


 うつ病しみ衰弱しきった私は、治療の為に日本へ戻りました。私が真剣に信にうちこんだのはこの時からでした。唱題すると自分の中から力が湧きあがってくるのを実しました、そしてこのエナジーは確信へと変わりました。医者からは、治るのに少なくとも3年はかかるだろうと、また、今後も重大なトラウマに悩まされるだろうと言われました。でも事実、皆が驚くことに私は半年て治ってしまったのです。


 その翌年は、工場で働き、再び小さなイベントでパフォーマンスをやりながら、O'LIONZ PROJECT ("Only Life In Our NecessitieZ";必然をもって真実は生活の中にある)を現実のものとするためにスタートしました。日本語と広東語と英語をミックスした3ヶ国語での曲を作るのに挑戦し始めました。


 ラップにもいろいろがありますが、私は、ラップは囚人達が、何の楽器もなしに大で互いに呼び合う事からはじまったものだと理解しています。だから、ラップは人々に真実を語るように呼びかける、ひとつの道具なのです。ラップは言論闘争の一つの方法であるとじています。希望をもって困に立ち向う、最も人間的な方法であると。ラップのリズムと法の読経唱題のリズムがとても似ているように聞こえるのが、私にはとても興味深くえます。


 ヒップホップでは「リアルを保ち続けろ」ということがよく言われます。歌を作る時、私自身の経験と真実と教の哲理を自分の音楽にこめます。O'LIONZの前の由来は、真実はあなたの生活の中に必然的にあるんだという事、それを本当に保ち続けることを表現しようとすることからきています。いかなる話題も生命のコア(奥底、深層?)と源に関連していますし、我々が経験するいかなる現象も、人生の真実を見出す縁となります。私にとって法は、宇宙を貫く道理であり、基本的な原則に関することです。


 2003 年2に、私は友人や知人達とO'LIONZ11と呼ばれるグループを結成しました。私たちの最初のギグ(ライブ)を1,000人の観客の前でやりました。 2005年3に、私たちはインディーズレーベルのCDをリリースし、そしてその7、Diesel-U-Musicの大会でベルギー、イタリア、日本、イギリス、およびアメリカ5ヶ国にまたがる参加者を相手に、アーバン部門で日本人として優勝しました。


 2005年8、O'LIONZ PROJECTはインドネシアの"the Hug the World with Music"(音楽で世界を抱きしめよう)というイベントに出演、2005年3のスマトラ地震の犠牲者のために基金を集めるチャリティー・コンサートで、インドネシア中で放送されました。そして私は2006年の始めに、仕事をやめて、音楽一本のアーティストになることができました。


 その年の8、私は中国への創価学会の青年交流団200の一員として参加し、その際上海と北京で公演することができました。


 2007 年、私たちO'LIONZ PROJECTはUniversal Recordsからメジャーレーベルでデビューすることができました。そして、私たちのシングル「大丈夫」はテレビ番組のテーマ曲(テレビ東京「モヤモヤさま〜ず2」エンディング)に採用され、そして6に、私たちは最初のフルアルバムをリリースしました。 私は現在、北京の2008年のオリンピックのために作詞しようとしています。


 私は、哲学を実行に移すことによって、私の日常生活の中でポジティブな効果として帰ってくる(必ず結果が出る)とわかりました。 私は今、私の人生におけるこの原動力が将来どれくらい大きくなるかを予測するのがただ不可能であるとじます。(自分の未来はってもいなかったほど無限に開けていくことを確信しています)。


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2008-04-18

「No.1」日華


 映画『マトリックス』をわせるPV。2分16秒の背景に注目。3ヶ国語を駆使した歌詞で、内容は北京五輪讃歌。


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NO.1

2008-04-17

聖教新聞九州版「地区革命」9


者のあり方


 組織発展のホシ――それは一(いつ)に中者の“境涯の拡大”にかかっている。これまでの取材とアンケートをもとに、中者に求められる姿勢を10項目に分析してみた。


 で、その10項目というのが以下――


 1.強盛な祈り

 2.明確な目標

 3.率先垂範

 4.に顕(あらわ)す

 5.先入観を捨てる

 6.一緒に動く

 7.事前の準備

 8.小事が大事

 9.勝利への執

 10.常に生き生きと


 姑極まりない文章である。なぜはっきり「地区部長」と書かないのか? また、「アンケートをもとに」「分析」とあるが、どこをどう読んでも「分析」になってない。地区部長に対する「リクエスト」の間違いだろう。何から何までへっぴり腰だ。


 どうすれば地区革命ができるか?→答え「地区部長次第」。9回の連載を通して書かれているのは、たったこれだけのことだった。大半の記事から空しい印象を受けるのは、記者が現場労も知らず、高飛車に結論を押し付けるものとなっているせいだろう。


 人材育成で最も大切なことは「具体的な指導」である。ところが多くの幹部は勘違いしていて、ともすると「精神論」を振り回しがちだ。精神論は“闘争の端緒”とか“ここ一番”という呼吸合わせの時に行うべきものである。


 にやすやすとなる事の候ぞをしへまいらせ候はん、人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし、又二つなき物を人にあたへ命のたゆるに人のせにあふがごとし(1574頁)


 次回が最終回となるが、悪口だけで終わってしまっては格好が悪いので、具体的なアドバイスも綴っておこう。

空自イラク活動「違憲」 名古屋高裁判決


 自衛隊のイラク派遣武力行使の放棄などを定めた憲法に違反するとして、元外交官や市民ら約1100人が国に派遣差し止めや慰謝料などを求めた訴訟の控訴審判決で、古屋高裁は17日、米軍兵士など多国籍軍の武装兵士を輸送する航空自衛隊の活動について、違憲との判断を示した。司法の違憲判断は初めて。慰謝料など請求そのものは棄却された。

 青山邦夫裁判長に変わって代読した高田健一裁判長は判決理由で「多国籍軍の武装兵員を戦地であるバグダッドに空輸した行動について、憲法9条に違反した活動といえる」として、自衛隊のイラク活動について違憲の判断を示した。さらに、空自の輸送は「イラク特措法にも違反している」と述べた。


【中日新聞 2008-04-17夕刊】

北京五輪チベット騒動の深層


 欧米の市民運動系の分析者の中には、今回のチベット系の国際的反中国運動に胡散臭さをじ、運動に参加しない方が良いという志を発表する人が出てきた。パレスチナ問題に詳しい分析者は、チベットは独立する権利があるとしながらも、アメリカが敵視する中国が弾圧しているチベットの運動は大々的に喧伝され、アメリカが強く支持するイスラエルが弾圧しているパレスチナの運動は無視される現状を批判的に書いている。


田中宇 2008-04-16】

幹部は氣志團のサービス精神に学べ


 ここだけの話、氣志團の「One night carnival」が好きだ(笑)。しかも、最近になってはまっている有り様である。芝居じみた風体(ふうてい)、アンバランスな振り付け、青臭い歌詞……。ともすれば、そういったものに目を奪われがちだが、彼等の音楽を支えているのは“わかりやすいメロディー”である。リードギターがしっかりしていて、その上哀愁を奏でているのが見事。「真面目に歌うのは恥ずかしいから、祭りの様式を取り入れました」といった真情が窺える。見事なエンタテイメントといってよい。歌謡ロックの趣があるが、結構ストレートなロックである。幹部は、氣志團のサービス精神に学んでもらいたい。今度から友人を座談会に誘う時は「俺の地区に来ないか?」と言うことにしよう。

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2008-04-16

本日付の『新・人間革命』


 トウ小平は、文化大革命では「走資派」(資本主義に進む反革命分子)と批判され、失脚した。

 それは、過酷な、屈辱の日々であった。大衆の前で吊し上げられ、軟禁・監禁生活を強いられた。また、3年余にわたって下放された。

 累は家族にも及び、長男は迫害を受け、下半身不随となった。次男も農村に送られ、厳しい労働に従事させられた。

 誰もが、これで、トウ小平の政治生命は絶たれたとった。

 しかし、周総理はトウ小平を陰で庇護し、じっと時を待って、彼を政府の中央に引き戻したのだ。

 その復活から1年後に、山本伸一はトウ副総理と会談し、さらに、周総理と会ったのである。

 周総理は、伸一と会談した18日後の1974年(昭和49年)1223日、毛沢東主席のいる湖南(フーナン)省の長沙(チャンシャー)に向かった。

 トウ小平に、さらに大きな権限を与える了解を求めるためである。

 病身の周総理にとって、この長旅は命がけであった。総理の足はふらつき、手は震えていた。

 飛行機に搭乗するにも、服務員の補助が必要であった。機内で出されたアメの包みをむくことも困であったという。

 だが、なんとしても毛主席に会って、未来のために、四人組を抑える流れをつくろうと必死であった。

 周総理は毛主席の了承を得た。そして、翌の第四期全国人民代表大会でトウ小平は第一副総理、軍事委員会副主席などの要職に就いたのである。

 自由に動けない周総理に代わって、トウ副総理は、あらゆる責任を担って、懸命に働いた。

 総理が亡くなる4カ前の1975年(昭和50年)9の手術の折のことであった。

 総理は言った。

「トウ小平同志は来ているか」

 トウ副総理が急いで側によると、総理は彼にじっと視線を注ぎ、やっとのいで差し出した手で、トウの手を握った。

 総理は、力を振り絞るようにして語った。

「この一年、よくやったな。私よりも強くなった……」

 動がトウを貫いた。

「士は己を知る者の為に死し……」とは、『史記』に書かれた有な一節である。


【「人間外交」38/聖教新聞 2008-04-16】


 先生のの深さに恐れおののく。今、チベット問題で中国を批判することはある味でたやすい。誰にでもできる。トウ小平氏が迫害された事実は知っていたが、まさかこれほどとはわなかった。おしなべて国家というものは、何らかの矛盾を抱えているものなのだろう。ロシア国民に自由を与えたゴルバチョフ大統領は、その国民によって追いやられた。「人間外交」という、たった四文字の何という重みだろう。友情とは何と深いものなのだろう。私は溢れ出る涙を抑えることができなかった。胡錦涛国家主席の来日予定は56日。本日より無事故、大成功を真剣に祈る。

高齢者の人口


「後期高齢者」と付けられた75歳以上の人口は1208万人(総人口の9.8%)で、65歳以上の前期高齢者は1432万人(11.2%)。人口の20%を占める方々の大半が、次の衆院選で与党にノーを叩きつけることだろう。どのような対話をもってしても、これを防ぐことはしい。

『科学者は神を信じられるか クォーク、カオスとキリスト教のはざまで』ジョン・ポーキングホーン


 このような(科学実験による)事実を解釈しようとうなら、あなたは世界について、すでにあらかじめ何かを知っていなければならない。この世界をただ凝視しただけではだめで、ある立場から世界を観なければならない。さて、ある立場に立つということは、ひとつの選択をするということを味している。このことは知的な「かけ」のようなものである。科学では、このように事実と解釈、すなわち実験と理論は、切っても切り離せないような表裏一体になっているのである。


 科学と宗教のもう一つのちがいは、科学的知識、宗教的理解が我々に与える影響のちがいである。私はクォークとグルーオンの存在を信じており、そのことに知的な満足をおぼえるが、そのことが私の生活に直接影響することはない。これに反して、神の存在を信ずることは、ただ単に、私の好奇を満足させるだけではない。神と出会うことによって私の精神が照らし出されるだけではなく、神に従うように呼び出されるのである。科学的知識とは異なり、宗教的知識は我々に何かを要求するのである。見出した真実に応答することが求められるのである。


 我々は、死んだ星くずからできているのである。


「祈り」は行為の代わりではなく、行為をなすために必要なものなのである。

 私の身の回りに、孤独な、しかし退屈している老人がいて、いつも繰り言ばかりいっているとする。この隣人のために祈ったからといって、私は責務を果たしたことにはならない。私は彼のところへいき、彼の青年時代の物語にを傾けてあげねばならぬだろう。

 我々は、同じ目的に向かって、ともに祈ることが良いことだと、本能的にじている。この力は、どこから生まれるのだろう? 天国の扉を強くたたいた方が神の注をより引きつけるのだろうか? 私はそうはわない。しかし、多くの人の志と神の志が同じ方向を向き、その結果、人間と神の共同作が強められるとすれば、これが我々がともに祈ることの味である。


科学者は神を信じられるか―クォーク、カオスとキリスト教のはざまで (ブルーバックス)

仏法は性善説か?


こいたろう


 私は男子部の部長をしています。昨年任用試験に受かった入会3年目の部員さんから、「法は善説ですか?」という質問を受けました。その時の私の答えは、「いや、法は一念三千を説く(この部員さんは勉強熱で知っています)。色々な生命がすべて内在されているので、どっちでもない」ということを言いました。しかしその後自分の中で、色々と疑問が湧いてきました。


 九識論から言えば、さまざまなの奥底に最高の善のがあると説くことを考えると善説といえるのか? とか。


 善悪というのをベクトルとして捉えると、「の闘い」というように、生命には向上しようという「」の作用と、停滞・堕落しようという「」の作用がある。「なんにもしない」というのは「」の働きに他ならないので「悪説」ともいえるんじゃないか? とか。大体この場合の「善悪」を単純に当てはめようとするところが間違っているのかな? とか。


 もう自分の頭の中が判らなくなりました(笑)。そこでどのように考えたらいいのか教えていただけたらといます。よろしくお願いします。


壮年部くまおー


 男子部部長の連日の奮闘ありがとうございます。


 善説・悪説についての見をいいます。そのどちらでもないというのが私の今の所です。


 こいたろうさんは、様々な先輩後輩の中でに広布拡大に尽力されているとうのですが、人々の言動にしばし「信じられない! なに考えてんの?」とわされる場面があるのでは? そのたび「この人は前世なにやったのか?」と変な像することもあるではないでしょうか?


 醍婆、阿闍世王の故事を考えると、どのような悪人でも善人(成)になると言うのが法(創価学会)の立場ではないでしょうか? 善説・悪説、どちらでもええんとちゃうん?


大勝利


「善と悪とは無始よりの左右の法なり権教並びに諸宗のは善悪は等覚に限る若し爾ば等覚までは互に失有るべし、法華宗一念三千善妙覚の位に猶備われり元品の法性梵天帝釈等と顕われ元品の無明第六天の魔王と顕われたり」(997頁)


 ご質問された会員さんの「善説」とはどのような説を図しているかによって、様々な考え方ができるとうのですが、「治病大小権実違目」の御文を挙げてみました。ここで大聖人は「にさえ善の両義が備わっている」と説いています。


 儒教善説、悪説を教上どのように捉えるかは、教が中国に渡って以来、天台でも多くの議論がなされてきたテーマだったようです。


 しかし基本的には中国天台も、悪説を外道の典とし、「九界=悪」「界=善」と見た一念三千から、いかに悪を滅し善を観じるかの修行法に終始していったようにいます。最終的は「十如是の如是、本末究境等」ですので、教は善説だったと言っても良いかもしれません。


 つまり「人間の本は善である」ことの肯定に向かっていた、との味からですが……。


 しかし、大聖人の法は先に挙げた御書のように、字即から悪そのままの成と更に展開しますので、こいたろうさんがお答えした「いや、法は一念三千を説く色々な生命がすべて内在されているので、どっちでもない」とのお答えでよろしいのではないかいます。


壮年部ikemo


 私がうに善悪ともに具わっているといます。なぜかといいますと池田先生は善悪一如とおっしゃいました。これは元品の無明と法が生命に具わっているからだといます。も常に一緒にいるといます。縁に触れて無明とするのか法とするのかの違いによって、善悪になるのだといます。


のり


 様々な御書からも拝されるように善と悪は、世法、国法、法の上から判断しなければなりません。大勝利さんも述べておられましたが、善説や悪説は儒教から興ったです。私達一般市民がこの言葉を使用する場合、様々なケースが考えられ、必ずしも儒教の教えに則った形で使用するとは限らないようです。


 世法、国法で考えた時、欧米などは訴訟国家等と揶揄する方がおられますが、現今の日本も、日常身近なところで、裁判沙汰になっているケースが頻繁に見受けられます。


 例えば裁判沙汰とまではいかなくとも、道路交通法では、信号が赤である場合、車も人も停止しなければなりませんね。しかし、人命を救助する為にあえてこの法律を無視しなければならない事態が発生したとしたら、どう判断すべきでしょうか? 人間の命を救うことを優先したとすると、法律ではルール違反となりますね。つまり悪となるわけです。


 社会規範やルールはむしろ、ああしちゃいけない、こうしちゃいけないという悪説に基づいているようにいます(そうしないと社会が混乱する。悪がのさばる)。核を持たなければ世界秩序が守れないとする、どこかの国の考えにも似たところがあります。


 昔、小学校の授の科目に修身というのがあったそうです。いわば道徳を学ぶ科目ですね(親孝行をしようとか、礼儀を重んじよとか、約束は守れとか、基本的な当たり前の教え)。しかし、儒教による道徳だけでは推し測れないほど、現代社会は複雑を極め、病んでおります。善説や悪説だけでは抗しきれないほど問題を抱えた社会に私達は生きているのですね。


 人類に光を与えられるのは、善と悪を止揚したこの法以外にはありません。


こいたろう


 壮年部くまおーさん、お返事ありがとうございます。


 善説・悪説ともに間違っているというのがやはり法の考え方ですね。相手のもともとの質がどうかということではなく、どんな人でも成できる(がある)と信じ切るこちらの行為こそが大切なのですね。どうもありがとうございました。




 法は善説でも悪説でもない。そもそも法は、人間を枠にはめ、固定化する視点と無縁だ。釈尊にも地獄界が具わり、提婆達多にも界が具わる。十界互具・一念三千は境涯の流動を示しているともいえよう。冥伏(みょうぶく)することはあっても、なくなることはない。

聖教新聞九州版「地区革命」8


拡大の最前線


 弘教や聖教拡大の喜びは、何ものにも代えがたい。“この歓喜を、皆に味わってほしい”との願いと、広布の展望の上から、目標は設定される。

 ところが、地区の現場ではこんな光景も。

目標まで、あと5部」。地区新聞長の。締め切りは近い。マイ新聞の提案もあるが、まだ届かない。皆が目線をそらす……。

 アンケートには「全員が喜んで取り組める目標に」「数とともに、取り組みの内容も評価を」とのがあった。


 で、書かれているのは新聞啓蒙の話のみ。私の友人には絶対に読ませたくない代物だ。「九州版でよかった」と胸を撫で下ろした(笑)。“記者”の立場を忘れ、“幹部”の目線から目標推進を促す内容になっていて、学会員が新聞拡張員に見えてくる。


 公開しているブログのため詳細は省くが、赤旗並みのデマゴーグが盛り込まれている。幹部の都合で「美しい世界」を語っている内は改革が進まない。なぜなら、現実から目を逸(そ)らしているからだ。アンケートにはもっと過激なが多数寄せられたはずだ。


 配達員さんは皆、雨の日も風の日も使命に燃えて聖教新聞を配っている。旅行へ行くのも我慢しながら「配達最優先」の生活を送っている方も私は知っている。聖教関係者は、会員の負担に支えられて、自分達の務が成り立っていることをもっと自覚してもらいたい。

東京の人口、28年ぶり全国の10%に・07年10月時点、総務省推計


 総務省は15日、2007年101日現在の都道府県別、年齢別の推計人口を発表した。都道府県別では東京都が1275万8000人(前年比0.78%増)で、全人口に対する比率が10%に達した。東京都人口の比率が10%台に乗せるのは28年ぶり。東阪の三大都市圏(1都2府8県)合計の人口が全国に占める割合も50.6%と過去最高となった。


【日本経済新聞 2008-04-16】

2008-04-15

賢者は歴史に学ぶ


 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。


ビスマルク(ドイツの宰相)】


 類い稀な将軍学だとう。「歴史」と訳されているが、実際の言葉は「他人の経験」。

東名高速タイヤ直撃事故 バスガイドが当時の様子語る「音と爆風が続けてきた」


 観光バスにトラックのタイヤが直撃した事故で、同乗していたバスガイドが緊迫の瞬間を語った。

 13日、運転手の関谷定男さん(57)の妹は「バカがつくほど、優しい兄でしたので。人がいいねえ。本当に残です。お客さんと話すのも好きやったのかな」と話した。

 温厚で面倒見がよく、お客さんからも人気があったという観光バス運転手の運転手・関谷定男さん。

 告別式が13日に行われ、およそ200人が最後の別れを惜しんだ。

 関谷さんの知人は「一生懸命働いている人が、なんでこんな無な死に方をしないといけないのか」と話した。

 11日、東高速道路で11トンの大型トラックのタイヤが外れ、対向車線を走っていた観光バスを直撃した事故。

 重さおよそ100kgのタイヤの直撃を受けた運転手の関谷さん。

 その時の様子を、横にいたバスガイドが語った。

 乗務していたバスガイドは「ものすごい音と爆風が続けてきて、振り返ってすぐ運転士さんを見たら、グダッとなっていたんで」、「(窓の外の)景色が動いてたんで、バスを止めなきゃってって、(わたしが)サイドブレーキを探した」と話した。

 しかし、バスガイドがサイドブレーキを引く前に、バスはおよそ60メートル走ったところで停止した。

 バスガイドは「(関谷運転手は)衝撃とともにフットブレーキを踏んでいたんだといます。止まった時が、もう(ブレーキを)い切り踏んだ状態で。(関谷さんが)すべて受け止めてくれたんだといます」と話した。

 最後までブレーキから足を離さなかった関谷さんは、横転するなどの2次被害を防ぎ、乗客39人の命を救った。

 またトラックの運転手は、12日に営まれた通夜に参列し、祭壇の前で突然、土下座をし、遺族に謝罪した。

 トラックの運転手は「申し訳ない気持ちでいっぱいです。わたしは、とんでもないことをしました」、「わたしが悪いといます。わたしが運転したというのは、変えられない事実ですから」と話した。

 トラックの運転手は、タイヤの脱落には、まったく気づかなかったという。

 トラックの運転手は「外れたって、まったく気がつきませんでした。ガガって音がして、初めてその 時に運転席側のミラーをのぞいたら、タイヤが転がっていたと」と話した。

 外れたタイヤと車軸をつないでいたボルト8本がすべて折れ、うち2本の断裂面がさびていたことなどから、警察は整備不良の疑いがあるとして、自動車運転過失死傷などの疑いで調べを進めている。


【FNN 2008-04-14】


 自分が死ぬ間際で、果たしてブレーキを踏むことができるかどうか。営々と積み重ねてきた「無事故への配慮」が(ごう)と化していたのだろう。謹んでご冥福を祈る。

『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ


 不勉強を恥じておこう。既に紹介した『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』は本書のパクリだった。ただし、読みやすさではマーク・ブキャナンに軍配が上がる。いずれにしてもこの2冊の作品は、グローバリズムを避けられない現代にあっては不可欠のテキストとなることだろう。それにしても、世界には恐るべき才能が存在するものだ。著者のアルバート=ラズロ・バラバシ氏は1967年生まれというのだから驚かされる。


 大好きな玩具をばらばらにしてしまった子供を見たことはあるだろうか? 元通りにできないとわかって、その子供は泣き出したのではないだろうか? ここで読者に、決して新聞記事にならない秘密の話を教えてあげよう。それは、われわれは宇宙をばらばらにしてしまい、どうやって元に戻せばいいのかわからないでいるということだ。前世紀、われわれは何兆ドルもの研究資金を注ぎ込んで自然をばらばらに分解したが、今はこの先どうすればいいのか手がかりのない状況なのである――何か手がかりがあるとすれば、さらに分解を続けていくことぐらいだ。


 スイスに生まれたオイラーは、ベルリンとサンクトペテルブルグで研究を行い、数学、物理学、工学のあらゆる領域に絶大な影響を及ぼした。オイラーの仕事は、内容の重要もさることながら、分量もまた途方もなく多い。今日なお未完の『オイラー全集』は、1巻が600ページからなり、これまでに73巻が刊行されている。サンクトペテルブルグに戻ってから76歳で世を去るまでの17年間は、彼にとっては文字通り嵐のような年だった。しかし、私的な悲劇に幾度となく見舞われながらも、彼の仕事の半分はこの時期に行われている。そのなかには、の運動に関する775ページに及ぶ論考や、多大な影響力をもつことになる代数の教科書、3巻からなる積分論などがある。かれはこれらの仕事を、週に1篇のペースで数学の論文をサンクトペテルブルグのアカデミー紀要に投稿するかたわらやり遂げたのだ。しかし何より驚かされるのは、彼がこの時期、一行も本を読まず、一行も文章を書かなかったことだろう。1766年、サンクトペテルブルグに戻ってまもなく視力を半ば失ったオイラーは、1771年、白内障の手術に失敗してからはまったく目が見えなかったのだ。何千ページに及ぶ定理は、すべて記憶の中から引き出されて口述されたものなのである。


「どんな社会階級にも、友人や知人を作る並はずれたコツを身につけた人が少数存在する。そういう人たちがコネクターなのだ」


 ネットワークのノードはどれも平等であり、リンクを獲得する可能はどのノードも同じである。しかしこれまで見てきた実例が教えているように、現実はそうなっていない。現実のネットワークでは、リンクがランダムに張られたりはしないのだ。リンクを呼び込むのは人気である。リンクの多いウェブページほど新たにリンクを獲得する可能が高く、コネの多い俳優ほど新しい役の候補に挙がりやすく、頻繁に引用される論文はまた引用される可能が高く、コネクターは新しい友だちを作りやすい。ネットワークの進化は、優先的選択という、デリケートだが情け容赦のない法則に支配されている。われわれはこの法則に操られるようにして、すでに多くのリンクを獲得しているノードに高い確率でリンクするのである。

新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く

2008-04-14

聖教新聞九州版「地区革命」7


時間があるので、一言発言をお願いします」

 一人の参加者を、司会が指した。うつむいた壮年。話したくなさそうだ。雰囲気を察知した地区部長が、「頑張りましょうね」と“助け船”を。会釈して壮年は座り直したが、重い空気が漂う。

 ――座談会で時折見られる光景だ。「参加者には何か発言してほしい」と運営側は願う。一方、参加する側には「あれが重荷で行きたくない」と考える友もいる。

 参加者が何を求めているか。どんな状況で会場に集っているか――。ツボを押さえていない企画は、共が得られないこともあるという一例。


 いやはや笑わせてもらった。私が参加する座談会で、そんな「光景」は見たことがないよ(笑)。


 この記者は座談会を全くわかってない。「ツボを押さえていない企画」の一言で完全に馬脚を露わしている。全員発言が盛り上がらないのは、中者が家庭指導をしてない証拠である。ちゃんと回っていれば、皆の信状況(すなわち功徳の現証)を知っているはずだ。それをやり取りすればいいだけの話。


「時折見られる光景だ」なあんて、何の危機も抱いてないようだが、これが折伏現場だったらどうする? 結局、そういうことなんだよ。学会活動は一切が折伏精神で推進されなければならない。大体、「頑張りましょうね」という程度のしか掛けられないような地区部長が「悪を討てる」はずもなかろう。


 記事ではこの後、開催単位を小さくして成功した例が挙げられている。これまた、地区の弱さを認めたも同然でできない。


 座談会の結集がよくないのは、ただ単に面白くないからである。それ以外の理由はない。面白くないというのは、地区部長・地区婦人部長の人間に魅力がないことを示している。さっさと人事で代えた方がよろしい。

『繰り返す世界同時株大暴落 自民崩壊・生活壊滅の時代』藤原直哉


 波風を立てないリーダーシップでは、波風に対応できません。いつか波風はやってくるのですから、早く小さな波風を起こして、みんなに気づいてもらうのがリーダーの重要な役割です。

 今の日本を見ると、こうした前向きな行動力と像力、そして危機を察知し警告する能力のある人は、みんな現場から離れているとえます。

 選挙ひとつ見ても、本当の実力を持っている人は政治家になろうとしていません。大企でも役所でも次の時代を担うべき人が、小泉―竹中路線の抑圧的な時代に、みんなしかるべきポジションから追われて、外部にいます。

 そういう人たちには時代の流れがわかっていますから、遠く離れたところから見物しているじです。

 残されているのは、やりたい放題をやってきた無能なリーダーたちと、自分から次のステップに踏み出す勇気がなかった人たち、そして、事態が理解できずにただ追従してきた人たちでしょう。


繰り返す世界同時株大暴落―自民崩壊・生活壊滅の時代

2008-04-12

後期高齢者医療制度が問いかけるもの


 既に1と2に書いた後期高齢者医療制度(改め長寿医療制度)が今から施行され、波紋を投げかけている。

 若い方は知らないだろうが、1982年(昭和57年)まで老人医療は無料だった。そして、1983年以降少しずつ負担が増え続けている。

 これは小泉内閣の「聖域なき構造改革」の一環として決められた法律だ。超高齢社会に向かう中で社会保障費を抑制することを目的としている。


 簡単に言えば「国民皆保険を維持するために、なるべく病院には行かないでくれ」という代物。「死ね」とまでは言ってないが、「長患いするなら死んでもらいたい」という図が見え隠れしている。政府にとっては、保険制度の維持が第一で、国民の命は二の次ということ。それが証拠に、保険料を一年以上滞納すると保険証を取り上げられてしまう。つまり、「病院には行かせない」という脅しだ。


 75歳以上のお年寄りは、直ちに抗議行動やデモ行進を断行すべし。更に、「高齢新党」か「日本長寿党」を結成して、次の政局に備えるべきだ。

聖教新聞九州版「地区革命」6


 第6回目の見出しは「地区協議会の充実」。


 協議会は、地区の伸展を決する生命線と言えよう。

 一方、現実の課題もある(アンケート)。

「伝達や説明に追われて、協議を深める時間が取れない」「参加者の顔ぶれが同じ。新鮮味がない」「見や要望が出ない。活気がない」……。

 協議が浅いと、見を言う機会も減る。それが恒常化すれば、“私が行かなくても……”と、参加への欲も減退する。やがて、参加者は決まった顔ぶれに――突き詰めれば、各人が主体的に地区建設にかかわる識、環境の有無が、地区発展の分水嶺となろう。


 視点が同じなので、多分同一記者の手による記事だろう。私の鼻は敏だ。悪臭に直ぐ反応する。鼻の穴がヒクヒクと動くぞ(笑)。


 書かれているのは「協議会は重要→課題もある→でも結局、地区の問題だ」ということだ。まるで小学校の先生が児童に対して、「勉強は大事だ→だが君の成績は最低だ→だから、しっかり勉強せよ」と言ってるのと一緒。具体的に問題を解決しようという姿勢が全く見受けられない。記者自身が現場覚を失っている。


 大体、「環境の有無」って何なんだ? 「分水嶺となろう」だって。まったく反吐(へど)が出そうな文章だよ。記者が書かないこと。それは、「地区の現状を知りながら、何もしていない支部長以上の責任」だ。「協議する時間がない」という事実を知りながらも、執行部に対して「打ち出しを減らすべきだ」とすら書けない。ここに機関紙の弱点がある。聖教新聞ジャーナリズムではないから、仕方がないか(笑)。


 具体策を一つ教えて進ぜよう。各単位の執行会議に現場の幹部を招き、“生の”を伝えてもらえばいい。組織の問題は、おしなべて役職がヒエラルキー(階級)と化すことに起因している。諸天善神を待ち望むよりも、組織の仕組みを変える方が手っ取り早い。

2008-04-11

聖教新聞九州版「地区革命」5


 冒頭部分を紹介しよう。


副役職の大使命


 地区の底力を発揮するには、副役職の友の支えが不可欠である。ところが今、最前線では埋もれている“副”も少なくない。高齢、仕事が多忙などの理由もあるだろうが、要は最前線にが向いているかどうか。

“正”の率直な見。「年上には言いづらい」「自分よりも経験があるように見える」「を開いてくれない」「文句が多い」

“副”の言い分。「連絡がない」「話が一方的」「真正面からぶつかってこない」「遠慮が伝わってくる」

 結局、が通い合っていない。互いに尊敬の絆が結べていないのではないか。


 ね、面白いでしょ(笑)。正vs副のバトルが繰り広げられている模様。その辺のサラリーマンが上司にケチをつけているのと変わらないね。前回にも書いたが、こんなものは「単なる事実」に過ぎない。


 問題の根っこは、男子部幹部の受け入れ人事にあるのだ。本来であれば、男子部時代の役職は無視して、同じスタートラインから競争させるべきだとう。すると、見事に化けの皮がはがれるメンバーも出るだろう。とんとん拍子で男子部の役職を上がっていった連中が、支部長や地区部長の責任を果たせるわけもない。


 大体だな、見出しに嘘があるよ。何が「大使命」だ。そういう表現をしなければ動かない、という惑が丸見えだよ(笑)。


 第5回目の連載はとにかく面白い。内容はダメなんだけど(笑)。


 一方、あまり共を得られない担当幹部への見方を分類すると――。


自由奔放型

 自分勝手に動いて、地区に報告がない。


独演型

 語り出したら止まらない。会合の終了時間を守らない。


指示型

 指示を出しても自ら動かない。地区協議会に来ない。成果しかみていない、との厳しいも。


成り変わり型

 中者に成り変わる。自らの見を押し通す。


 これも実はしい話。広布第一章の時代は、完全に担当幹部が中者となった。若き先生が派遣された様子を見れば一目瞭然。ところが広布第二章に入ってから、座談会を中とする会合が式次第中の風潮となった。その頃から「担当幹部=ゲスト」的要素が強くなったとじる。


 法は勝負であり、会合もまた勝負である。参加者全員に「来てよかった」と言わさしめなければ負けだ。要は、会合の勝敗を担うのは誰かという問題になるのだ。組織の中者に、“担当幹部を使う”ほどの力量があれば、ゲスト扱いで構わないが、それほどの人物はあまりいない。であれば、組織の中者は中者として、会合の成否は担当幹部が責任を負うべきであろう。それを「成り変わり型」と揶揄すれば、担当幹部は手本の示しようがなくなる。もう一つ。「成り変わり」ではなく「成り代わり」じゃないのか?


 ただし、九州という国土世間には独特の傾向がある。その点を踏まえた上での深慮遠謀があるならよしとしておこう。


 役職の違いとは、役割の違いにすぎない。広布の使命や宿命転換への願い、そして池田門下の誇りは全員に共通である。

 弟子に“副”はない!――このいを皆が共有した地区は、強くなる。


 これまた詭弁。副役職が死んでいるのは、正役職のリーダーにすべての責任がある。問題の本質は「正役職に力がない」ことに尽きる。副役職に対する配慮も全くない。それが証拠に、人事の相談もなければ、見すら求められない。その上、事前に知らされることも少ない。学会の役職における権力とは人事権である。金がついてくるのは、総区長以上。詮ずるところ、人事ミスが組織を破壊しているといってよい。


 力あるリーダーが全軍を牽引してゆくのが理ではあるが、力のない者は副役職の方々に頭を下げて「力を貸して下さい」と頼んで回れ。

2008-04-10

「Yukiyanagi 雪柳 〜We're watching you〜」Micro


 白血病と闘う少年との交流から生まれた歌。キッズ・セーバーのテーマ曲となった。「踊れ」は蒼井優の初主演となるドラマ「おせん」の主題歌。521日発売。


D


踊れ

2008-04-09

党首討論:首相、懇願調で逆質問「日銀人事なぜ不同意か」


 福田康夫首相と民主党の小沢一郎代表による党首討論が9日、行われた。福田首相は日銀人事が4度も否決されるなど、政策が決まらない弊害を強調、「日銀人事はなぜ不同なのか。ガソリン税廃止による2.6兆円の財源不足をどうするのか、(人事など)民主党の誰とお話ししたら信用できるのか」などと逆質問を連発した。小沢代表が「総理の質問に答えたい」と笑顔を浮かべながら余裕たっぷりに“答弁”し、立場が逆転したような討論となった。  

 福田首相は「(国会対策で)かわいそうなくらい労しているんですよ、審議を促進して欲しい」と懇願調で協力を呼びかけ、ガソリン税の財源不足について小沢代表に質した。これに対し小沢代表は「道路特会に繰越金1兆円、一般予算の繰越金もある、そこから市町村に交付してもいっこうに差し支えないのではないか」などと持論を展開、「地方の方は喜んでおり、政府の言うような混乱はなかった」などと述べた。


【毎日新聞 2008-04-09】

特定財源と一般財源の違い


 道路特定財源というのは、道路に特定した事だけに使われる。しかし現実は、地方にばらまかれた税金は教育・医療介護などに当てられている。一般財源は使途が自由だ。


 道路特定財源の何が問題かというと、国土交通省に許認可権が集中し、道路族議員の利権となっている点である。また、道路の整備状況は地域差があることも見逃せない。


 民主党やマスコミが、福田首相の一般財源化を評価するのは、こうした背景があるため。


 ところが国民の側から見ると全くおかしな話で、「なぜ、カーユーザーが高い税負担を強いられるのか」という説明が完全に欠落している。ま、タコツボ議論といっていいだろう。


 もう一つのメリットは、一般財源化した方が政治のチェック機能が働くこと。これまた妙な話で、自分達で集めた税金のチェックもできないとあっては、おこづかい帳をつけている小学生以下となってしまう。


 この国は、やはり「国家の態(てい)」をなしてない。

聖教新聞九州版「地区革命」4


 タイトルに大笑い。「“男の連帯”築く挑戦」(笑)。九州男児は「男」という言葉に弱いのか?


 紙面は完全に官僚モード。行間から漂ってくるのは「命令」の臭いだ(笑)。鼻をつまみながら読んだ。


「婦女一体の戦いは成功した」という前提で、壮男の取り組みについて書かれている。


 課題も見えてきた。

 アンケートにも、「活動時間が合わない」「地区で打ち合わせができない」「生活体験の違いから話が合わない」「男子部が何役も兼務しており、一緒に動けない」「信の継承ができていない」等の見は多い。


 当然ではあるが、引用されるアンケートは記者の向に沿ったものである。記者子は「見」としているが、こんなものは見でも何でもない。事実を書いているだけで、「起きて歯を磨いた。夜寝た」という小学生の下手くそな日記と変わりがない。こうしたは、本気で戦っていない人物が発するものだ。わずかな一言に「できていない事実を正当化する」姿勢が垣間見える。本来であれば、紹介すべき代物ではないのだ。


 連載のトーンは、現状を打開できない地区幹部に対して、「頑張れ」と呼び掛けるものと化している。会話が成立してないし、そもそも会話をしようとすらってないのだろう。


 10項目にわたってポイントらしきことが書かれている。いずれも男子部を骨抜きにするような内容でできない。基本的に私は壮男一体に反対の立場だ(笑)。

 結局のところ、「男女青年部は自分達で人材育成ができないから、壮婦でテコ入れする必要がある」というのが本音だろう。今時は区男クラスでも、おかしなのがたくさんいるからね(笑)。


 組織として壮年部が男子部に手を入れれば、どうしても男子部の自発が失われてしまう。ここがしいところだ。全体の底上げを狙うよりも、男子部の中者をしっかりと育成するのが先だ。

2008-04-08

2008-04-07

『長谷川恒男 虚空の登攀者』佐瀬稔


 二人で登る場合、トップがルートを切り開き、セカンドはその間、下で確保する。トップが転落したら瞬間的に反応し、ザイルを操作しなければならない。ザイルが延び、確保点を作るとそこでワンピッチということになり、トップが確保の体勢に入ってセカンドが登っていく。トップがすでに登っているから、ルートを探す必要はない。セカンドが行きづまったら、屈辱的なことではあるがザイルにつかまってひっぱりあげてもらうこともできる。極端な例でいえば(プロのアルパイン・ガイドがしばしばやっているが)ロック・クライミングの経験ゼロの人でも、優秀なトップにひっぱってもらえば日本有数の岩場、北アルプス穂高岳・滝谷や屏風岩のルートだって完登することができる。

 ルートを選び、みつけ、開拓し、確保点にハーケンを打ち込み、カラビナ、シュリンゲ(捨て縄)を通し、ザイルをかけ、必要とあれば足場にするための「あぶみ」と呼ばれる短い縄梯子をとりつける。そういう作を、誉あるザイルのトップは上部からの確保なしにやらなければならない。微妙なバランスを維持しつつ、火花が散るほどの緊張の連続である。頼りは技術と経験、筋力、抜群のバランス覚、運動神経、ルート・ファインディングと呼ばれる鑑識眼。何よりも不屈の闘志と勇気、度胸。消耗の作の報酬として、ザイルのトップには誇りと自負、他者からの尊敬、そして、登攀が成功したときの完璧な達成が贈られる。


 学会の正役職も、こうあるべきだ。


長谷川恒男 虚空の登攀者 (中公文庫)

内閣支持率27.8%、初めて3割切る


 下落傾向が続く福田内閣の支持率は最低記録を更新し、初めて3割を割り込んだことがJNNの世論調査で分かりました。

 調査はこの土日に行いました。福田内閣を「支持できる」と答えた人は、先の調査から7ポイント余り減って27.8パーセントと、政権発足以来、初めて3割を割り込みました。一方、「支持できない」と答えた人は、先より7ポイント余り増えて71.4パーセントでした。

 内閣支持率が3割を割り込んだのは昨年8の安倍前内閣の時以来です。

 支持政党別に見ると、公明党支持者のうち、61パーセントの人が、そして、自民党支持者でも45パーセントの人が福田内閣を「支持できない」としており、与党支持者の間でも福田政権に対する評価が下がっています。

 支持できない理由では、「政策に期待できない」が最も多く42パーセントでした。

 先末で切れたガソリン税の暫定税率について、政府・与党は衆議院の再可決で復活させる方針ですが、「暫定税率をこのまま廃止すべき」と答えた人は53パーセントと、「復活させるべき」と答えた人を13ポイント上回りました。

 一方、空席が続く日銀総裁については、国民の6割が政府案の受け入れを民主党に求めています。

 政府・与党が打診した白川副総裁の総裁昇格と渡辺前財務官の副総裁就任という案を、民主党が「受け入れるべき」とした人は60パーセントと、「受け入れるべきでない」の24パーセントを大きく上回りました。


【TBS 2008-04-07】

ドコモ、シェア50%割れ


 電気通信事者協会が7日発表した2008年3末の携帯電話契約件数によると、携帯・PHSの合計契約数が1億733万9800件だったのに対し、NTTドコモの契約件数は5338万7700件でシェアは49.7%となり、50%を割り込んだ。

 06年10に番号継続制が導入されて以降、KDDIau)やソフトバンクモバイルの追い上げを受けて顧客が流出した。

 採算割れが続いていたPHS事から今年1に撤退し、携帯事経営資源を集中。巻き返しを図ったが、料金割引などで後れを取った。


【スポーツ報知 2008-04-07】


 驕る平家は久しからず。

国交省職員、タクシー代が年490万円


 道路特定財源からの支出で、国土交通省の職員が深夜帰宅のためのタクシー代を去年1年間におよそ490万円使っていたことが分かりました。

 峰久国土交通事務次官が会見で明らかにしたもので、関東地方整備局道路部に在籍する職員が去年4から今年2までの間に深夜帰宅のタクシー代、190回分およそ490万円を1人で使用していたということです。

 この職員は各地の国道事務所や国交省道路局との連絡などを担当していたということで、タクシー代は道路特定財源から支出されていました。

 国土交通省では使用済みのタクシー券などを確認したところ、連日深夜勤務が続いていて、職員が不正に利用したのではないとしています。

 ただ、ほぼ連日のタクシーによる深夜帰宅は異常で、務管理の観点からも問題があるとして、改善を進めていく考えを示しました。


【TBS 2008-04-07】


国交省、特別会計から職員用タクシー券5年で81億円


 国土交通省は27日午前の参院財政金融委員会で、同省が所管する7つの特別会計から、職員のタクシーチケット代金として2002〜06年度の間、総額約81億円を支出していたことを明らかにした。

 タクシーチケット代を巡っては、全国8か所の地方整備局に対してこの5年間で、道路特定財源(道路整備特別会計)から約23億7800万円を充てていたことが判明している。これに加えて、空港整備特別会計、治水特別会計など六つの特別会計からもチケット代に支出していた形だ。

 民主党の大久保勉氏の質問に、国交省の桝野龍二総括審議官が答えた。

 チケットの半券が保存されていないなど管理がずさんとの指摘を受け、国交省は今年4以降、タクシーチケットの使用を当面、禁止する方針を決めている。


【読売新聞 2008-03-27】

グループウェア

 私が仕事で使っているグループウェア。複数メンバーでのスケジュール管理が可能。個人の日記として使う手もある。無料。

2008-04-06

聖教新聞九州版「地区革命」3


リーダーの育成


 一人の百歩前進より、百人の一歩前進!

 友を奮い立たせるリーダーの使命は大きく、尊い。一部には「先駆長が不在」「白ゆり長は仕事で動けない」(アンケート)等の現実もある。“宝の人材”を育むカギはどこにあるのか……。


 未活動の壮年が、小さな懇談会を通して先駆長(=B長か?)へと成長する軌跡が紹介されている。もう一つは、病院の介護士をしている白ゆり長が、不規則な勤務時間の中、支部副婦人部長に応援してもらいながら頑張っている様子も描かれている。


 記事としてはそつなくまとまっているのだが、散漫な印象が拭えない。「結局、地区部長とB長で何とかするしかない」と書いているようにすらえる。


 実は、引用したリード部分に記者の惑が表れている。「宝の人材=機能する末端幹部」という前提になってしまっているのだ。


 実際問題、動けない、あるいは動かないブロック幹部は多い。また、B長が動けば地区部長が動かない場合もある。つまり、組織としての地区の機能は、どちらかが動いていればさほど問題はないのだ。


 ところが、5年、10年と同じ役職に就いていると、活動が形式的なものとなり、ルーティンワーク(決まりきった仕事)と化す。本来であれば、友のを傾けながら、指導・激励を通して信血脈を吹き込むべき家庭指導が、単なる「伝達」に変貌してしまう。


 最大の原因は、動いていない幹部に対して手が入ってないことにある。これは支部幹部以上の責任だ。更に、動いている幹部に対して、“成長するリズム”をつくってやれない先輩に根本的な問題がある。


 要は、地区という現場と、支部幹部以上が乖離(かいり)しているのだ。こんなことは、B幹部・地区幹部の方々は皆知っている。支部幹部以上は「知らぬが」とでも言いたいのだろうか(笑)。


 具体的な解決法としては、B幹部・地区幹部が担当幹部をしっかりと使いこなすことである。「○○さんを半年以内に必ず会合に出して下さい」「○○さんを一年以内に活動家にして下さい」と“指示”すればよい。で、それができない幹部なら、二度と相手にしなくていいよ。

離合集散


 和合僧は集合して呼吸を合わせ、離散して社会と融合する。信が即生活の原動力となり、一人ひとりの生命力が即社会を発展させる源泉になってゆかなければ「死せる宗教」と化す。


 信即人生、信即人類史という観点で考えると、師亡き後は弟子が世界中に分散して、創価を広めゆく時だとう。私が「個人の時代」と考える理由もここにある。各人が池田大作とならねば令法久住はない。

2008-04-05

自由と束縛


 人間には二種類ある。自由を求める人と、束縛を望む人だ。自由になるためには戦わなくてはならない。戦えない人々は他人に合わせて自分の形を変える。日本は自由を求める人が極端に少ない。占い好きであることも、束縛を好む一例だとう。

天台宗トップがチベット問題に抗議


 関西テレビの「ぶったま!」という番組(45日放映)。青山繁晴氏は放送前から自分のブログでぶち上げていた。僧侶は、書寫山圓教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)執事長の大樹玄承氏。

『野村ノート』野村克也


 長く監督をやってきてわかったことは、選手時代に悩んだり労していない、創工夫していない、頭を使わずにプレーしてきた、そういった選手はコーチをやってもろくな指導ができないということである。


 久万オーナーがだんだんかっかし始めた。

「じゃあ、きみは今、巨人がやっていることが正しいというのかね」

「ある味では正しいといますよ。時代に合っています」

 そういうと、まるで怒りに火がついたようにオーナーの顔が真っ赤になった。

「きみはいいにくいことをはっきりいうね」

 オーナーを激怒させるつもりはなかったが、ここで黙っていては何も変わらない。よけいなことだといつつもいきっていってみた。

「オーナー、生気なことをいうようですが、“人間3人の友をもて”といういうじゃないですか。原理原則を教えてくれる人、師と仰ぐ人、直言してくれる人。オーナーには直言してくれる人がいないんじゃないんですか。みんなオーナーが気持ちよくなるような話しかしてこないでしょう。人間偉くなるとそうなるものです」

 そうしたら久万オーナーは、ぼそっと「それはそうだなあ」とおっしゃった。

 私は続けた。「私は経営のことはわかりませんよ。でも野球に関してはオーナーより私のほうが詳しい。専門家です。野球界を知るという味での経験もオーナーよりはずっとあります。今日は阪神のために、ファンのために、このままじゃ阪神は絶対にいけないとって、いきって提言にきました。まずオーナーが変わってもらわないと、阪神は変わりません。生気をいわせてもらいますけど、我慢して聞いてください」

 それから順に例を挙げながら話した。なかでも組織論については時間をかけて説明した。

組織もチームも中がいないと機能しないといいます。これは大原則です。オーナー、私に監督要請に来たときに何とおっしゃったか、もうお忘れですか。“野村くん、全面的なバックアップをするから”とおっしゃったじゃないですか。だから私はいちばん最初にエースと4番を獲ってくれとお願いしました。ところがこれまでのドラフトは何ですか。1年目は高校生の藤川。2年目はひざを故障していた的場寛壱。3年目はひじを壊している藤田太陽。何が全面的なバックアップですか。外国人だって同じです。10年以上低迷してきた阪神だからこそ、即戦力が必要なのではないですか。せめてドラフトの1位、2位ぐらいは即戦力、即レギュラーを取れる選手を獲らないとこのチームは変わりません」

(中略)

 こういうこともいった。

「4番とかエースとかは育てられませんよ」

 久万オーナーはこの言葉に不満をもったようだ。

「野村くんのキャリアと実績があれば育てられるでしょう」

 そういわれて、私もを大にして反論した。

「阪神70年の歴史で、4番バッターをい起こしてください。最近ではバースだ、(ピーター・)オマリーだ、田淵(幸一)だ……。彼らは阪神が育てたのですか。連れてきたんじゃないですか。唯一、掛布だけは育てたといってもいい。ならば次の掛布が育つまであと60年、70年待ちますか」

 これが私の本音であり、持論である。


野村ノート

聖教新聞九州版「地区革命」2


 活動者の拡大は、家庭訪問にかける時間と労力の結晶と言えよう。一方で「会合に追われて会員を回れない」「玄関先での連絡で終わる」(アンケート)との課題も。


 連載は早くも2回目で失速する。模範の地区部長と地区婦人部長の活動状況が紹介されている。図らずも編集者の現場覚のなさが露呈している。冒頭で挙げられたアンケート内容は完全に無視されている。


「会合に追われて会員を回れない」という現状は、「会議が多くてお客さんを回れない」営マンと変わらない。その恐ろしさに気づいてないようだ。活動そのものが、第一線幹部の行動を束縛し、会員から遠ざけているのだ。


 多くの地区幹部が行き詰まっているのは、「手本を示す先輩がいない」ためである。地区部長にはなったものの任命しっ放し。支部長・本部長が全く手を入れてない。そのため、地区幹部は単なる連絡役と化しているのが実状だ。


 広布第一章にあって、「大幹部」とは支部長以上の立場を指した。それがどうだ。今時の支部長は、婦人部からのクレームに慮するだけの事務屋に成り下がっている。


 今、最も必要なのは地区革命ではない。副会長革命であり、総県長革命であり、総区長革命だろう。殿様みたいに踏ん反り返って、呼ばれた時だけモソモソと動くような連中が組織をダメにしているのだ。


 地域差はあるとうが、組織の現状を見る限りでは既に手遅れである。皆がギョッとするような人事が横行しているのだから仕方がない。人事任命者の責任が不問に付されている以上、防ぎようがないのだ。


 少なからず決しているメンバーは、いたずらに幹部を当てにすることなく、一人で頑張れ。それしか道はない。

2008-04-04

聖教新聞九州版「地区革命」1


 九州版で10回に渡って連載された「地区革命」の特集記事が完結した。地方版といえば、各地のダイジェスト記事や人事紹介で紙面が埋められているのが普通だが、九州の新たな試みに注目したい。


 昔であれば、幹部用小冊子『前進』などで、こうしたテーマは取り上げられてきたが、昨今は皆無。「臭いものに蓋(ふた)をするのか!」というが聞こえてきそうな現状だった(笑)。九州版の連載記事は、組織新風を送る内容で始まり、完全な尻すぼみで終わった(大笑)。


 せっかくなんで、各回の内容と私の所を綴っておきたい。


 広布第二幕における地区の役割はますます重要となっている。「その一方で、少子高齢化や働く女の増加、生活リズムの多様化など、社会の激しい変化は、広布の最前線に新たな対応を迫っている。学会伝統の『の絆』を堅持しつつ、新しい人材を輩出するには、全リーダーが地区を舞台に、力を合わせて『地区革命』を断行する以外にない」と冒頭に記されている。


 何といっても素晴らしいのは、アンケートを実施した点である。皆のを聞きたいのであれば、家庭訪問をするよりもアンケートの方がはるかに手っ取り早い。私も青年部時代に何度か実施したことがある。記事中では「リーダー」としか書かれていないのが腰砕け(笑)。


 通勤時間や働く女の増加で、協議会に同志が揃わない。さらにアンケートでも「徹底事項が多く、討議時間も確保できない」とのが多い。


 打ち出し主義に毒されている現実を書いた勇気に敬を表したい(笑)。執行部は、自分達の決定事項が末端幹部をしめている事実を知れ。「徹底事項」とは仕事を押しつけていることに他ならない。


「指摘ばかりでなく、地区部長や先駆長と一緒に家庭訪問を」「担当する期間が短いと、せっかくの人間関係が途切れてしまう」「協議会に入って一緒に考え、勝利の方向を示してほしい」

 幹部への要望は、取材した各地区で聞かれた。広布第二幕の完勝は地区革命、幹部革命にあることを痛する。


「地区革命」は余計だろう。幹部が動いてない実態がよく理解できる。現場覚は極めてまともだ。


 こうしたことは九州だけの問題ではない。結局、「上が下のを傾けていない現状」が浮かび上がってくる。各回の記事を読むと、執行部の図が透けて見えてくる。そこを私が破折しておきたい(笑)。


 九州の同志は、どんどんご意見を寄せて頂きたい

共産党職員の異常さ(2006年分)


 自民民主公明共産社民国民新
議員数(人)3892245216128
職員数(人)18882390790275
議員一人あたりの職員数0.50.47.545.62.30.6
人件費(億)113322914671
支出に占める人件費率20%20%15%25%23%11%


 柳原滋雄コラム日記より(2008-04-04/日本経済新聞 2008-03-27)。公明党も職員数が多い。ただし、人件費はさほどかかってない。以下に「人件費÷職員数」を記録しておく。

  • 自民党 6010万6383円
  • 民主 3902万4390円
  • 公明 743万5897円
  • 共産 1848万1012円
  • 社民 2592万5925円
  • 日本新 2000万円

 コストパフォーマンスは公明党が一番いい。




 先ほど日本経済新聞社に問い合わせをした。「飽くまでも政治資金報告書のデータであって、単純に職員の給与と考えることはできない。当然、アルバイトも含まれているだろうし、議員が個人的に雇っている人物がいることも考えられる」とのこと。公明党の場合、支持者の手弁当だから、その分有利。

デジカメで新聞や縮刷版を保存する方法


小野不一


 コピーの代わりに、デジカメで新聞や縮刷版を保存することは可能でしょうか? またデジカメを選ぶ際は、画素数などどこを重要視すればよいのでしょうか? 更に、ファイルの保存形式についても教えて頂けると幸いです。欲を言えば、画像をPDFファイル化したり、OCR(文字読み込み)できれば完璧なんですが……。取り敢えず、以下のページは既に参照しました。


こいたろう


 デジカメで文章を写すのはできないことはないですが、なかなかしいといます。電子化する味の一つは規格化です。その時に、被写体との距離、明るさなどを常に一定に保つのはしいことだといます。


 お望みのことはやはりドキュメントスキャナーと呼ばれる専用の機器を導入するのが一番かといます。

 大体の機器にはPDF化やOCRソフトが付嘱で付いているので、ソースによって(普通の資料、表罫線になっているもの、新聞等々)処理が若干ことなりますが、少しコツを覚えればそれほどしくないといます。


 ただ、これらの製品で手頃な物はたいていA4版までなので、池田先生の指導のように新聞のほぼ全面にわたるようなものには適していません。


 また、単純にソフトウェアだけで何とかしたい場合、ソースネクストの「いきなりPDF」シリーズ


 で、「JPEG、BMPから透明テキスト付きPDFを作成」という機能があるものを買えば何とかなるかも知れません。


小野不一


 ドキュメントスキャナーというのは初めて知りました。ご教示に謝申し上げます。


 ただ、私の言葉足らずだったんですが、基本的には図書館が所蔵している新聞をデータ化するのが目的でした。


 再び検索したところ、以下のソフトが見つかりました。これで何とかなりそうです。


ふれーむ


「デジカメで新聞や縮刷版を保存する方法」に関して、おそらくおさえておいたほうがいい点があります。参考にしていただければ幸いです。


1.解像度は高いほうがよい

 カメラ解像度が高いに越した事はないですが、それに加えて接写する範囲は狭いほうがよりよい結果が得られるといます。理論上は、OCR系のソフトが画像を文字と認識するために、文字と背景の境界を算出するのですが、解像度が高ければ高いほど正確な境界検出ができます。結果として認識精度も上がります。


2.縦横は正確なほうがいい

 2次元の情報をパソコンに取り込む際、コンピュータというのは画像の回転が手な特徴があるため画像の縦横と紙の縦横は平行である事が望ましいです。


3.BMPとJPEGでは、BMPのほうがいい

 JPEGは圧縮過程で情報が欠損し、前述した「境界」の情報がぼやけます。これはJPEGの仕様的に仕方がないため、記憶媒体の容量が許すのであればBMPが理的です。


4.光が均一に当たる環境がいい

 新聞を取り込まれるとの事ですので、対象物のサイズは嫌でも大きくなるのかなとっております。光源に対して平行であれば画像全体の情報(主に明るさの量)のヒストグラムが平均化されるため、コンピューターは文字を文字と認識しやすくなります。できれば四方から光が降り注いでいる平行な机で取り込みをされると良いのではないでしょうか。


 参考になれば幸いです。

2008-04-03

一人ひとりと本末究竟して等しい指導者が新しい指導者


 世に認められ、または世の中に先駆として多大な影響を及ぼしていく指導者は、これまでも多数ある。だが、それを支えていくべき民衆のから離れている。同じ哲学、同じ信、同じ目的をともにもって、一人ひとりの庶民と、本末究竟して等しい指導者が、新しい指導者であるといえる。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


『指導メモ』を続けて配信している。これは、広布第一章を総仕上げする段階で聖教新聞に掲載された折々の指導である。私は10代の頃から何度となく読み続けてきた。広布第二幕がスタートした今、最も大切なことは「信の基本に徹すること」であろう。組織の生命線は指導主義であったが、昨今は力量のない幹部が多く、行政判断がまかり通ってしまっている。少しでも草創の吹きをじてもらえば幸いである。


 革命は常に新たな支配階級を誕生させてきた。権力の六道輪廻といってよい。また、革命は旧勢力を打倒した瞬間に目的を失う。これに対して広宣流布は連続革命であり、永遠にとの闘争である。


 本末を違(たが)えると、民衆は必ず利用される。政治家は本来公僕であるが、「庶民に何がわかる」とっている。庶民は庶民で、政治家に尻尾を振って「先生、先生」と持ち上げる。召し使いの方が偉くなってるんだから、たまったもんじゃないよ(笑)。


 然れば釈迦は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うとひしに、さにては候はず返つてに三徳をかふらせ奉るは凡夫なり(1358頁)


「諸法実相抄」の御文だが、と凡夫のベクトルが逆転している。何だか、凡夫の方が偉いような気になってくる(笑)。


 御書をひもといて時々うことは、大聖人が双方向を重んじていることである。例えば、民衆が仰ぎ奉り、額(ぬか)づくような一方通行のの姿は全く見られない。「我並びに我が弟子」(234頁)という一言に、庶民と同じ地平に立つ大聖人の姿が偲(しの)ばれる。


 草創期の学会は「貧乏人と病人の集まり」と世間から馬鹿にされた。だがこの言葉は「最も悩んでいる民衆を学会が救ってきた」事実を雄弁に物語っている。


 宿命と戦うメンバーと同しなくなった途端、学会幹部の覚は狂ってゆく。過去にどれほどの戦いをしていようが関係ない。しみ喘ぐ後輩がいればこそ、我が胸中の菩薩界が発揮されるのだ。最前線から離れてしまえば、二乗六道輪廻

心の病を抱えているメンバーについて



 我が地域には、の病を持っている方専門の病院があります。そこには自立のための寮があって、学会員のメンバーが常に2〜3います。ここから退院して他の地域に行くことがあるのですが、統監カードを送ると、受け入れ拒否をされる地域がたまにあります。出向いて行って先方の組織へ願いをしても、後から電話で「面倒を見きれない」というようなことを言われます。話を聞いてみると、変な指導がまかり通っていることがわかります。「の病のある方には、題目をあげさせてはいけない」「不敬することが多い」等というものです。全国的にはどうなのでしょうか?


joypops


 こころの病の場合、確かにお題目を唱える時期については配慮が必要です。実際に私がそうでした。本人がお題目をあげたいとうまでは、強要はいけないといます。


 こころの病の場合、「強制」「強要」が病気を治す最大の敵だからです。しかし、お題目以外に治す方法がないのも厳然たる事実です。


 さて、組織上のことですが、偏見はまだまだありますね……。しかし、これだけ組織が大きくなってくるとこころの病が原因で入会される方も多いですよね。「不敬することが多い」というのは偏見です。


 学会も、早くこころの病に理解のある組織になってもらいたいといます。『潮』に特集が組まれました。書いたのは、私の所属する組織の総区書記長です。2007年7号をご一読ください。


kazu


 私は作療法士として働いています。こころの病といっても、疾患、重度は様々で一概に言えるものではないのですが、共通する目的は「社会復帰」です。社会においても精神疾患への偏見は多く、働ける能力があるにもかかわらず、受け入れてもらえない人もいます。そんな方達にとって、疾患を理解し、受け入れてくれる人との出会いはとても大切です。社会復帰の足掛かりにもなります。


 精神にかぎらず疾患や障害を抱える人は、必ずといっていいほど「不安」をかかえています。それを解消できるのは、やはり「人」であるといます。


 こころの病はあくまでも疾患であり、人間の問題ではないことを理解する必要があります。こころに病を抱えた方がいる組織では尚更です。今は一般向けの書籍も多数出版されていますので、参考にされるといいといます。


壮年部くまおー


 くさんのご労は大変なものであると像いたします。


 統監上の“法律”では「受け入れ拒否」は原則できないとうのですが……。統監部の義や実務を研修することもなく、カードの受け渡しと増減処理のみになっているのが現在の壮年の悲しい現状です。


 空前のストレス社会の中であるにもかかわらず、の病は誰でも、いつでもなってしまうものだとういう認識をもつ活動家は少ないといます。


 私の住む関西には、高な学会員の精神科医がおられます。その方の診断で症状によっては「唱題はしない方がいい」と言われた人はいます。しかしすべてのの病の方に「唱題はしない方がいい」とは言ってないといます。


 統監の受け入れを拒否した方は、実際の病に罹(かか)った家族や友人、部員さんと正面から向き合った事があって、そのような発言をされているのでしょうか?


 御本尊を不敬することが多いというのは、実際にその現場を見た人がいっているのでしょうか? これも伝聞の類いといます。


 地区の現状は自転車操で、大変なのはわかるのですが……。


 創価学会組織は、いつから部員さんを選ぶようになったのでしょうか? 統監が増えると分母が増える。分母が増えると戦いの目標が負担になってしまう。目標が高いとなかなかクリヤーできない。幹部から問い詰められる。


 結果、戦えない部員はいらない。そんなんで、ええんかな?


ume2


 私の住む地域では、「無理してお題目はあげさせない」と言うことは、個人指導として聞いたことがあります。しかし、「不敬することが多い」とは聞いたことがありません。


 実際に通ったり、電話で話したりして、関わり合っていたメンバーが副県長に指導を受けたところ、「お題目を毎日一時間、頑張ってあげなさい!」と言われ、その後、不安定な状態になってしましました。


 統監を回しても受け入れを拒否される地域があるとのことですが、そのような指導を通して「面倒を見きれない」と言うのが本当のような気がします。その他、面倒な人は、紹介者の下へと回されることが、私の住む地域では最近見受けられます。根は同じようなものではないかといます。


joypops


 追伸です。


 私の組織では、こころの病になると一切の役職を解任されます。それは、創価班などの人材グループも同様です。


 私は、総区委員長に直談判して、創価班だけは現場復帰させていただきましたが、役職は解任されたままです。これってどうなんだろう?といます。元気に復帰したら、役職は元に戻すべきだとうのです。役職で信するわけではないのですが、何か釈然としないいがあります。


 もちろんこの件で指導を受けました。全国幹部にもです。答えは、その地域地域でのやり方があるので従ってくださいと言うものでした。


 全国的にはどうですか?



 アドバイス、ご見、参考資料の紹介、本当にありがとうございます。自分も、もっと学んでいこうと決を新たにしました。


の病」についてはやはり、いろいろな偏見があるのでしょうね。実際は「無理してお題目を上げさせることはない」という指導が、だんだん変質していって「上げさせてはいけない」というものになっているのかなあといます。「不敬」に関しては、完全に偏見が入っているのでしょう。


 私の担当している地域では、病院で働いている方に半年に一回程度、座談会で「の病」について話していただいています。自立のための寮におられる学会員さんは、家族からも諦められてしまっている人がほとんどで、頼る人が学会員しかいないこともあり、地域のメンバーの協力が不可欠だからです。


 でも、なかなか理解していただくことはしいですね。総県で一つでいい。「の病」について、専門的に相談できる窓口があればなあとよくいます。


小野不一


 これは質問の仕方がよくない。問題は「統監カードの受け入れ拒否」であり、「の病を抱えている方を拒否する組織の体質」である。それが、組織内でまかり通る都市伝説を確認する内容になってしまっている。


 学会は上下達型の組織であるため、上の幹部に見を伝えた方が効果的だ。例えば、統監カードの受け入れに関する問題であれば、現場の責任者である地区部長・支部長は避けて、本部長・区長に言うべきだろう。


 ちょっと理解にしむのが「入院先に統監カードがある」という事実だ。普通は考えられない。地元か親元にカードを置いておくのが当然である。


 また、精神疾患が原因で役職を解任された事例を私は知らない。活動を休ませた上で、役職はそのままにしておくのが通常の組織の慣例だろう。


 精神疾患は一筋縄ではいかない。だが逆から考えれば、の複雑が人間の豊かさを象徴しているようにう。


 私は青年部時代、精神疾患をもつ8人のメンバーと関わってきた。全員が社会復帰を勝ち取った。本人とはもちろんだが、ご家族とも深く関わることなくして、病状がよくなることはない。


 資本主義成果主義が横行するあまり、精神疾患と同様、身体障害者の方々は組織から顧みられることがないのが現実だ。結集でカウントできないメンバーは、人間扱いされない組織となってしまった。組織があるゆえに孤独を強める結果となっている。


シビック


「面倒を見きれない」なんて言う組織があるとは驚きです。確かに「題目をあげさせない方がよい」というようなことは聞いたことがあります。が、面倒を見きれないから統監を受け取らないとは……。


 私の後輩での病が原因で自殺未遂をしたメンバーがいます。彼が発する前から面倒を見てきたメンバーなので、担当組織は変わってしまいましたが、定期的に家庭訪問しています。本人が無理にならない程度で題目も自主的にあげるようになっています。まだ、薬を服用し通院してますが、仕事もできるようになりました。ケースバイケースでしょうが、面倒は見てあげて欲しいですよね。本来は、家族や元々知っている方が近くにいてあげるのが一番良いのでしょうが。


一支国


 統監カードを送ると、受け入れ拒否をされる地域がたまにあります。出向いて行って先方の組織へ願いをしても、後から電話で「面倒を見きれない」というようなことを言われます。話を聞いてみると、変な指導がまかり通っていることがわかります。「の病のある方には、題目をあげさせてはいけない」「不敬することが多い」等というものです。全国的にはどうなのでしょうか?


「面倒を見きれない」とは「自分のい通りにならない」からかな? そういう組織の人達は、自分の家族が「の病」になると家から追い出すんでしょかね?


 実際に通ったり、電話で話したりして、関わり合っていたメンバーが副県長に指導を受けたところ、「お題目を毎日一時間、頑張ってあげなさい!」と言われ、その後、不安定な状態になってしましました。


 その副県長は骨折した人には「足を骨折するのは弱いからだ。毎日一時間、頑張って骨折した足で歩きなさい!」って指導するのかな?


 私の組織では、こころの病になると一切の役職を解任されます。


 これも対応を誤ると症状を悪化させます。「寝たきり老人が本当に起きれなくなる」ようなものです。本来、学会の組織がリハビリの場にならなくてはならないはずです。逆に奪ってどうする気?


 本人とはもちろんだが、ご家族とも深く関わることなくして、病状がよくなることはない。


 一番危険なのが「誰も存在を認めてくれない(自分は必要とされてない)と気付いた時」です。間違いなく自殺します。あと「誰かが自殺した」とニュースで流れた場合、それに共鳴して自殺者がでます。たった一人でもいいからその人の存在を認めてあげてください。


小野不一


 失礼。読み違えておりました。入院ではなく、「自立のための寮」だったんですね。具体的なアドバイスとしては以下の通りです――


 1.まず、寮で生活する方の統監カードが来た場合の「取り決め」を総県に決めさせる。

 2.決められないのであれば、統監カードの受け入れを拒否する。

 3.1が決まった場合は、統監カードを送り出す際に、総県から必ず送付先の組織に連絡を入れさせる。


 尚、最近の医学では、精神疾患は「脳の病気」とされてます。服薬とカウンセリングで治療するのが基本です。

2008-04-02

映画『靖国』の上映中止運動に火をつけたのは『週刊新潮』だった


 柳原滋雄さんのコラム日記で知った(2008年42日)。篠田博之氏(雑誌『創』編集長)のコラムを見つけたので紹介しておこう。


 で、何だかなあと私がうのは、元々この騒動に火をつけたのが『週刊新潮』の昨年1220日号「反日映画『靖国』は『日本の助成金』750万円で作られた」という記事だからだ。「反日映画に助成金を出していいのか」という主張は、この記事で書かれていたものだ。そうやって煽っておいて、「騒動になっている」と、今回報道しているのだ。


篠田博之の「週刊誌を読む」

一日の生活は朝が勝負


 社会へ雄飛する諸君の将来にとって、「現実」の課題となる点を語っておきたい。

 それは第一に、会社勤め等にあって「遅刻をしてはならない」という点である。何回も話したことだが、簡単なようでしいことなので、改めて申し上げておきたい。

 私は10年間、戸田先生のもとで働かせていただいたが、先生も出勤に関しては厳しかった。私自身も激務の日々にあって、2〜3回体調を崩して遅刻した以外は、休んだことはなかった。

 一日の生活はが勝負である。遅刻をすれば負けである。毎、元気に出勤して「おはようございます!」という姿が大切である。まず人生、「に勝つ」ことが勝利の基(もとい)である。

 その点、結婚している人にとっては、夫を送り出す夫人の姿勢が大事となる。御書では、「夫」を「矢」に、「妻」を「弓」に譬えられている。弓が弱ければ、矢が遠くへ飛ぶことはできないのが道理である。

 戸田先生は、「寝坊は人生の敗北である。そうさせるのは、夫人が悪い」と厳しく指導されていた。

 また、「廷」(天子が政治をとるところ)という言葉があるが、この語の元々の味も、“に仕事(政務)をする”ということから来たとされている。

 同志を裏切り、退転したり、我々に迷惑をかけた連中のほとんどが、の乱れ、生活の狂いから堕落していっている。勤行をしない、何かと理由をつけて、出勤しない等々――不議と共通した姿である。

 ともあれ、毎日を清々(すがすが)しくスタートし、日々に勝利し、楽しくも晴れ晴れと人生に勝利しゆく一人ひとりであっていただきたい。


【神奈川県、青年・学生部代表者会議 1990-01-15 神奈川文化会館


 札幌でのこと。冬ではあったが地区で早勤行を行うことを決め、地区拠点をお借りした。当時、私は班長(現在のニューリーダー)。主要メンバーは3人で、活動家は10人ほどいた。ところが、実際にやってみると3人揃えばまだいい方で、一人ということも珍しくなかった。しかも、この一人が同じメンバーじゃないときたもんだ(笑)。わざわざ、よそのお宅での勤行をするってえのも、中々辛かったよ(笑)。そして、遂に悪夢の日が訪れた。誰も来なかったのだ。拠点の主から厳しく注された。「ストーブだって、タダじゃないんだよ!」と。い出だ。


 大きな闘争になると男子部はやたらと早勤行を行う。その図は「どうせ、普段やってないんだろう? だったら、皆で一緒にやろうじゃねーか!」という浅はかなものだ(笑)。典型的な暴走族型活動。一人になると全滅(笑)。


 上京してからは、寺でやっていたもんだから、もっと大変だったよ。


 男子部はとにかくが弱い。最大の原因は夜が遅いことにある。当たり前だよね。何となく帰りずらくて遅くなるメンバーや、ダラダラと話して皆を帰さない幹部は、流されやすい傾向がある。夜になればなるほど元気がいいのは、起きてない証拠だ。


 活動で遅くなるから、自宅で題目もあがらないし、勉強もできない。その悪しきリズムが、デタラメな幹部をつくる。


 毎、30分の余裕をつくりたい。例えば、30分散歩したとしよう。それだけで健康という財産を手にすることができよう。読書にいそしめば、ものを深く考える癖がついてくる。たった30分間が人生を大きく左右する。唱題や御書拝読と狭く考えると長続きしない。好きなことに挑戦すれば、持続しやすい。


 今日は戸田先生の命日。二代会長亡き後、池田先生は50年間にわたって、一人学会を支えてこられた。先生は戸田先生から10年間訓練された。先生から50年間も訓練を受けてきた我々の中に、本物の弟子はいるのかいないのか。「に報いる」と口で言うのは簡単だ。

期末株価、5年ぶり大幅下落=サブプライム直撃で27%安――時価総額159兆円減


 多くの企の決算期末となる2007年度末31日の東京株式市場は、景気の先行き懸から幅広い銘柄が売られ、日経平均株価の終値は前週末比294円93銭安の1万2525円54銭と急反落した。前年度末との比較では27.5%安となり、02年度以来5年ぶりの大幅な下落率を記録した。米国の低所得者向け高金利型(サブプライム)住宅ローン問題の直撃を受けた株安は、企金融機関の決算にも悪影響を与える。

 東証1部全銘柄の値動きを示す東証株価指数(TOPIX)は前年度末比29.2%低下の1212.96。市場規模を示す時価総額は389兆3052億円となり、1年間で国家予算の2倍弱に相当する159兆円余りが吹き飛んだ


時事通信 2008-03-31】

2008-04-01

公明新聞


 今から公明新聞の購読を中止。理由は既に書いた通り(公明新聞「六」殿御返事)。やると言ったら私は必ずやるよ(笑)。販売店の店主には、「公明新聞社のしかるべき人間に連絡を寄こすよう伝えておいて欲しい」と言ってある。

紹介者の責任について


 新入会のメンバーが活動しなくなったり、退転すると、「紹介者の責任」にする馬鹿者がいる。勘違いも甚だしい。例えば、入会直後からダメになった場合は、壮年本部長と支部長の責任である。そのための面接と家庭訪問なのだから。次に、初めは活動していたが徐々に出なくなったというのは、組織の責任だ。


 折伏を決めるのは、当然紹介者一念である。だが、紹介者の責任は「入会させるまで」である。入会したメンバーの責任も取れないような組織であれば、折伏する味がない。

法要について


グライド


 早速質問なのですが、先16日に、実父がなくなりました。家族は全員が学会員ですので、友人葬で執り行いました。


 本題なのですが、四十九日の法要(家に集まって勤行をする程度だといます)を行うべきなのでしょうか? 未活動の姉や妹が言うには、法要を行う事を前提に、三越しの四十九日は縁起が悪いから早めるだの、三十五日にすればいいだのと言っております。母は姉達に任せているじです。


 個人的には毎日の勤行で追善供養しているので、法要など行わなくて構わないとうのですが、どのように考えるべきなのでしょうか?


 ご教授の程、宜しくお願い申し上げます。


天狼星


「どのように考えるべきなのでしょうか?」と問われるなら、


 個人的には毎日の勤行で追善供養しているので、法要など行わなくて構わないと


 でいいといます。


 相談者の立場が不明ですが、法要を行うかは地域の慣習やご家族で決めることなので喪主(お母様?)の判断でなされるべきで、信とは別のことだといます。


 形式が重視されるほど本質が忘れられがちになるので、それさえ違えなければ大らかに考えればいいのでは。


 法要の機会は親戚や関係者も多く集まるでしょうから、良い面もあります。


小吉


 少し長くなりますが、「私の場合」を具体的に綴らせていただきます。ご参考にしていただければ幸いです。


 父の死後、友人葬で葬儀を済ませ、会葬のお礼や関係各所への諸届け等の事後処理をしているうちに、時間はどんどん経過しました。


 私の周辺の慣習や、実際に見聞してきた葬儀後の様子から、四十九日までに納骨を済ませるものだと判断したので、四十九日を迎える前の日曜日を選んで、法要を行い、納骨しました。日曜日を選んだのは、親類縁者が集まりやすいようにしたかったからです。


 私は横浜在住で、親類も横浜・川崎に多くいます。自宅に集合してもらって、貸切バスで往復しました。


 納骨する場所、即ち墓所が「富士桜墓地公園」だったので、法要は、同所の礼拝所で、地元の儀典部の方の導師により、方便〜自我喝の読経および唱題をしました。途中で、係の方の案内に従って、参列者全員が焼香しました。


 礼拝所での法要後に墓前で、母を中に題目三唱し、納骨しました。清清しい法要と納骨をすることができました。納骨後は、園内のレストランで、粗餐を供しました。


 さて、私が以上のように仰々しく、法要を行ったのは、我が家以外の親類が、創価学会を正しく理解されていないからでした。


 往復の車中では、池田先生や体験のビデオを見てもらいました。池田先生の長編詩を朗読もしました。学会の墓苑の素晴らしさも見てもらいました。別れ際には、返礼品を渡したのですが、SGIグラフを一冊ずつ贈呈しました。


 亡くなった父に対して、毎日の勤行で追善供養するのはもちろんですが、この機会をとらえて、学会理解の輪を広げることができました。


 当時、39歳独身でしたが、我が家は功徳をいただきました。直後に、妻と巡り会い、3人の子供に恵まれ、地区部長・地区婦人部長として、戦わせて頂いております。


壮年部くまおー


 はじめまして、壮年部くまおーと申します。お父さんがお亡くなりになってさぞ、あなたも、お母さん、ご姉妹もつらいいをされているでしょう。しっかりと家族を支えてあげてください。


 私の地域(大阪府)の学会員は、ほとんど四十九日法要を行っているようです。


 あなたの姉妹さんのおっしゃるとおり、三(みつき)越しは縁起が悪いということで三十五日、あるいは二に収まるように日を繰り上げて法要をおこなっています。四十九日も三十五日も教の教義と関係なく、あなたのおっしゃるように毎日の追善供養こそがすべてなのですが、それを行うことで遺族の方たちの新たな決の場になるならば、味のあることになるといます。


法要をするかどうか」ではなく、どうすれば皆が希望をもって生きることができるかを真剣に考え、行動しているあなたの振る舞いが、お父様の成、ご家族の宿命転換につながることを確信いたします。


大勝利


 No.3の小吉さんのご見を大変に有義なものと拝しました。私の方からは拙い見を申します。参考程度にしていただければといます。


 大聖人が追善供養を行ったことは間違いないだろうと御書からは推測出来ます。これをどのように捉えるかを個人的に申しますと、時代や状況に合わせて採用したものと拝します。


 十王賛嘆抄と八大地獄抄という御書がありまして(まず間違いなく偽書)、日蓮宗系が“僧侶による法要”が必要であり過去に執り行ってきた根拠となってきたものといます。なぜこのような偽書が作られたかと言いますと、“僧侶の生活の為”であることは像に容易(たやす)いですね。


 次に大聖人の時代はどうだったのかと考えますと、中国で道教との習合により十王信仰というものが出来上がって10世紀頃に「預修十王生七経」という偽経が作られ、これが日本に持ち込まれます。さらにこれを元に「地蔵十王経」などの偽経が日本でも作られるようになります。しかも始めは十回忌までだったのが、空海の時代に入ると、大日如来をプラスする為もあり十三回忌、さらには三十三回忌と、ありがた〜く増えて行きます。それでもまだ、大聖人の時代は、逆修という考え方も強かったはずですが(例えば入道殿など)江戸期に入り、日本の教がゆっくりと、逆修(死後に備えて逆〈あらか〉じめに修める)傾向から、預修(死後に修める)傾向へと変化して行きました。よって僧侶にとっては亡くなられたあとも何年間にも渡って儀典の収入を確保でき、檀家の安定というメリットができあがったんですね。


 私は、年忌法要は信仰上は不必要であるが、習慣上は必要と考えています。つまりメモリアルな式典としての通過儀礼(例えば卒式など)は、人間が生活していく上でどうしても必要不可欠な要素だとうからです。ですから、年忌法要も生きている人間の区切りの儀礼として学会でも「会員の為に」行っていくべきだといます。


 乱文で御免なさい。

 敬具


小野不一


 まずは、「ネット相談室」の立ち上げに際し、発起衆(ほっきしゅ)である質問者と、影響衆(ようごうしゅ)となる回答者に謝申し上げる。


「三越しの四十九日は縁起が悪い」ということを私は知らなかった。北海道は伝統的な風習が殆どないので、道産子はこういうのに疎(うと)い。

 学会員は、宗門問題を経験してからというもの、いたずらに伝統・風習を軽んじる傾向が強い(笑)。しかし、風習といっても、結局長い期間に渡る人々の境が反映されているのは確かだろう。その「人の」にいを馳せることができるかどうかが最も大切だとう。


 葬儀法要というものは「遺族のために行っている」と私は考えている。故人を偲(しの)び、悲しみを共有し、謝を再確認する作ではないだろうか。


 お父さんを亡くしたばかりのグライドさんには酷なようだが、私は「学会員特有の身勝手さ」をじてならなかった。結局、自分のことしか考えていないのではないか? 姉妹が未活動ならば、勤行・唱題する機会をつくろうとするのが当然だろう。


 他の質問者もそうだが、誰一人としてお礼の言葉すら述べていない。見を寄せて下さった方々は少なからず配していることだろう。その程度の像力も持ち合わせていないのだ。常識がなさ過ぎるとう。


グライド


 グライドです。ご回答を頂きました、天狼星様 小吉様 壮年部くまおー様、大勝利様、また、このような質問の場を設けて頂きました、小野様に深く謝を申し上げます。大変にありがとうございました。


 お礼の返事が遅くなりましたことを、深くお詫び申し上げます。大変申しわけございませんでした。どのスレに書き込もうかとなどと、のんびり構えすぎてしまいました。返事はメールでよかったんですね……。なぜか、メールは質問と回答オンリーとい込んでいました(ほんと馬鹿です)。ともあれ、返事が遅くなりまして、大変申し訳ございませんでした。


 質問時に詳しく書き込めば良かったのですが、少々焦っていたため説明不足になってしまいました。


 元々、姉夫婦(旦那さんは未入信)の手前、四十九日は行うべきだろうとは考えてはいたのですが、三越しの話が出てき、語呂合わせ云々で縁起が悪いとなんて云うのはおかしいと、疑問にい、ネットで色々調べている内に、三越しを否定するサイトにはたどり着いたのですが、そこはたしか浄土真宗のサイトだったのです。


 そこでまたひとつ疑問が湧いてきました。大聖人様はどのよに説かれているんだろうと。そんな時に、タイミングよく、「ネット相談室 No.0」が届き、「発起衆(ほっきしゅ/質問する人)に一番功徳があることは間違いありません」を読み(笑)、い切って質問させて頂く事になった次第です。


 で、結局どのようにしたかと申しますと、姉と妹の見を尊重し、三十五日(322日)に繰り上げて、四十九日法要を行いました。 皆の仕事の段取り上、38日には日を決定せざるを得なかったため、繰り上げるべきか云々については、ご回答頂いた皆さんのご見を参考にすることは出来なかったのですが、その後、お寄せ頂いたご見を拝見し、これでよかったのだと確信いたしました。誠にありがとうございました。