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2008-04-01

法要について


グライド


 早速質問なのですが、先16日に、実父がなくなりました。家族は全員が学会員ですので、友人葬で執り行いました。


 本題なのですが、四十九日の法要(家に集まって勤行をする程度だといます)を行うべきなのでしょうか? 未活動の姉や妹が言うには、法要を行う事を前提に、三越しの四十九日は縁起が悪いから早めるだの、三十五日にすればいいだのと言っております。母は姉達に任せているじです。


 個人的には毎日の勤行で追善供養しているので、法要など行わなくて構わないとうのですが、どのように考えるべきなのでしょうか?


 ご教授の程、宜しくお願い申し上げます。


天狼星


「どのように考えるべきなのでしょうか?」と問われるなら、


 個人的には毎日の勤行で追善供養しているので、法要など行わなくて構わないと


 でいいといます。


 相談者の立場が不明ですが、法要を行うかは地域の慣習やご家族で決めることなので喪主(お母様?)の判断でなされるべきで、信とは別のことだといます。


 形式が重視されるほど本質が忘れられがちになるので、それさえ違えなければ大らかに考えればいいのでは。


 法要の機会は親戚や関係者も多く集まるでしょうから、良い面もあります。


小吉


 少し長くなりますが、「私の場合」を具体的に綴らせていただきます。ご参考にしていただければ幸いです。


 父の死後、友人葬で葬儀を済ませ、会葬のお礼や関係各所への諸届け等の事後処理をしているうちに、時間はどんどん経過しました。


 私の周辺の慣習や、実際に見聞してきた葬儀後の様子から、四十九日までに納骨を済ませるものだと判断したので、四十九日を迎える前の日曜日を選んで、法要を行い、納骨しました。日曜日を選んだのは、親類縁者が集まりやすいようにしたかったからです。


 私は横浜在住で、親類も横浜・川崎に多くいます。自宅に集合してもらって、貸切バスで往復しました。


 納骨する場所、即ち墓所が「富士桜墓地公園」だったので、法要は、同所の礼拝所で、地元の儀典部の方の導師により、方便〜自我喝の読経および唱題をしました。途中で、係の方の案内に従って、参列者全員が焼香しました。


 礼拝所での法要後に墓前で、母を中に題目三唱し、納骨しました。清清しい法要と納骨をすることができました。納骨後は、園内のレストランで、粗餐を供しました。


 さて、私が以上のように仰々しく、法要を行ったのは、我が家以外の親類が、創価学会を正しく理解されていないからでした。


 往復の車中では、池田先生や体験のビデオを見てもらいました。池田先生の長編詩を朗読もしました。学会の墓苑の素晴らしさも見てもらいました。別れ際には、返礼品を渡したのですが、SGIグラフを一冊ずつ贈呈しました。


 亡くなった父に対して、毎日の勤行で追善供養するのはもちろんですが、この機会をとらえて、学会理解の輪を広げることができました。


 当時、39歳独身でしたが、我が家は功徳をいただきました。直後に、妻と巡り会い、3人の子供に恵まれ、地区部長・地区婦人部長として、戦わせて頂いております。


壮年部くまおー


 はじめまして、壮年部くまおーと申します。お父さんがお亡くなりになってさぞ、あなたも、お母さん、ご姉妹もつらいいをされているでしょう。しっかりと家族を支えてあげてください。


 私の地域(大阪府)の学会員は、ほとんど四十九日法要を行っているようです。


 あなたの姉妹さんのおっしゃるとおり、三(みつき)越しは縁起が悪いということで三十五日、あるいは二に収まるように日を繰り上げて法要をおこなっています。四十九日も三十五日も教の教義と関係なく、あなたのおっしゃるように毎日の追善供養こそがすべてなのですが、それを行うことで遺族の方たちの新たな決の場になるならば、味のあることになるといます。


法要をするかどうか」ではなく、どうすれば皆が希望をもって生きることができるかを真剣に考え、行動しているあなたの振る舞いが、お父様の成、ご家族の宿命転換につながることを確信いたします。


大勝利


 No.3の小吉さんのご見を大変に有義なものと拝しました。私の方からは拙い見を申します。参考程度にしていただければといます。


 大聖人が追善供養を行ったことは間違いないだろうと御書からは推測出来ます。これをどのように捉えるかを個人的に申しますと、時代や状況に合わせて採用したものと拝します。


 十王賛嘆抄と八大地獄抄という御書がありまして(まず間違いなく偽書)、日蓮宗系が“僧侶による法要”が必要であり過去に執り行ってきた根拠となってきたものといます。なぜこのような偽書が作られたかと言いますと、“僧侶の生活の為”であることは像に容易(たやす)いですね。


 次に大聖人の時代はどうだったのかと考えますと、中国で道教との習合により十王信仰というものが出来上がって10世紀頃に「預修十王生七経」という偽経が作られ、これが日本に持ち込まれます。さらにこれを元に「地蔵十王経」などの偽経が日本でも作られるようになります。しかも始めは十回忌までだったのが、空海の時代に入ると、大日如来をプラスする為もあり十三回忌、さらには三十三回忌と、ありがた〜く増えて行きます。それでもまだ、大聖人の時代は、逆修という考え方も強かったはずですが(例えば入道殿など)江戸期に入り、日本の教がゆっくりと、逆修(死後に備えて逆〈あらか〉じめに修める)傾向から、預修(死後に修める)傾向へと変化して行きました。よって僧侶にとっては亡くなられたあとも何年間にも渡って儀典の収入を確保でき、檀家の安定というメリットができあがったんですね。


 私は、年忌法要は信仰上は不必要であるが、習慣上は必要と考えています。つまりメモリアルな式典としての通過儀礼(例えば卒式など)は、人間が生活していく上でどうしても必要不可欠な要素だとうからです。ですから、年忌法要も生きている人間の区切りの儀礼として学会でも「会員の為に」行っていくべきだといます。


 乱文で御免なさい。

 敬具


小野不一


 まずは、「ネット相談室」の立ち上げに際し、発起衆(ほっきしゅ)である質問者と、影響衆(ようごうしゅ)となる回答者に謝申し上げる。


「三越しの四十九日は縁起が悪い」ということを私は知らなかった。北海道は伝統的な風習が殆どないので、道産子はこういうのに疎(うと)い。

 学会員は、宗門問題を経験してからというもの、いたずらに伝統・風習を軽んじる傾向が強い(笑)。しかし、風習といっても、結局長い期間に渡る人々の境が反映されているのは確かだろう。その「人の」にいを馳せることができるかどうかが最も大切だとう。


 葬儀法要というものは「遺族のために行っている」と私は考えている。故人を偲(しの)び、悲しみを共有し、謝を再確認する作ではないだろうか。


 お父さんを亡くしたばかりのグライドさんには酷なようだが、私は「学会員特有の身勝手さ」をじてならなかった。結局、自分のことしか考えていないのではないか? 姉妹が未活動ならば、勤行・唱題する機会をつくろうとするのが当然だろう。


 他の質問者もそうだが、誰一人としてお礼の言葉すら述べていない。見を寄せて下さった方々は少なからず配していることだろう。その程度の像力も持ち合わせていないのだ。常識がなさ過ぎるとう。


グライド


 グライドです。ご回答を頂きました、天狼星様 小吉様 壮年部くまおー様、大勝利様、また、このような質問の場を設けて頂きました、小野様に深く謝を申し上げます。大変にありがとうございました。


 お礼の返事が遅くなりましたことを、深くお詫び申し上げます。大変申しわけございませんでした。どのスレに書き込もうかとなどと、のんびり構えすぎてしまいました。返事はメールでよかったんですね……。なぜか、メールは質問と回答オンリーとい込んでいました(ほんと馬鹿です)。ともあれ、返事が遅くなりまして、大変申し訳ございませんでした。


 質問時に詳しく書き込めば良かったのですが、少々焦っていたため説明不足になってしまいました。


 元々、姉夫婦(旦那さんは未入信)の手前、四十九日は行うべきだろうとは考えてはいたのですが、三越しの話が出てき、語呂合わせ云々で縁起が悪いとなんて云うのはおかしいと、疑問にい、ネットで色々調べている内に、三越しを否定するサイトにはたどり着いたのですが、そこはたしか浄土真宗のサイトだったのです。


 そこでまたひとつ疑問が湧いてきました。大聖人様はどのよに説かれているんだろうと。そんな時に、タイミングよく、「ネット相談室 No.0」が届き、「発起衆(ほっきしゅ/質問する人)に一番功徳があることは間違いありません」を読み(笑)、い切って質問させて頂く事になった次第です。


 で、結局どのようにしたかと申しますと、姉と妹の見を尊重し、三十五日(322日)に繰り上げて、四十九日法要を行いました。 皆の仕事の段取り上、38日には日を決定せざるを得なかったため、繰り上げるべきか云々については、ご回答頂いた皆さんのご見を参考にすることは出来なかったのですが、その後、お寄せ頂いたご見を拝見し、これでよかったのだと確信いたしました。誠にありがとうございました。

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