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2008-07-31

早くも歴史修正主義か?


 本日付の紙上座談会より――


正木●先日、広島県の壮年から便りがあった。学会員ではないが、この座談会を愛読しておられるそうだ。そこには、こう綴られていた。「学会のような立派な団体でも、過去に何人か愚劣な裏切り者が出たんですね。どうしてでしょうか」とあった。


棚野●僕も同様の質問を、若い男子部員から、受けることがある。「なぜ、あんな下劣な連中が学会にいたのか。不議でならない」と(笑い)。


原田●誰のせいでもない。みなに負け、自分の弱さに負けた。それだけのことだ。日蓮大聖人が「ある人が道を作る。その道に迷う者がいる。それは道を作った人の罪となるであろうか」と仰せの通りだ。


西山●そもそも法に障が競い起こるのは当然のことだ。そのに食い破られて正道を踏み外した。清浄なる学会の世界に、いられなくなった。無様で哀れな敗残者にすぎない。


 わざわざ、「この座談会を愛読しておられるそうだ」と紹介しているところを見ると、不人気ぶりが手に取るようにわかる。私は殆ど読んでないよ(笑)。棚野氏の「(笑い)」も味不明。毎度のことながら、自省的な視点が欠如している記事である。西山氏の発言に至っては、「おかしな幹部が出るのは当然であって、上位幹部の責任じゃないからね」とも読める。大体、脱会者を障と捉える視点は、どうなんだろうね?


正木●戸田先生の時代には、矢島周平というやつが出た。一時は理事長まで務めた。そいつが戸田先生を裏切り、学会を乗っ取ろうとしたんだ。


西山●その動きを直弟子の池田先生が、鋭く見破られ、厳然と打ち破られたのです。だからこそ、戸田先生は晴れて第二代会長に就任なさることができたのです。


 これは重大な発言だ。そもそも、正木・西山両氏の世代でわかるはずがないのだ。しかも、直前に用周到な発言が盛り込まれている。


正木●学会の歴史も同じだ。牧口先生の時代には、軍部政府による弾圧で、当時の学会幹部21人が逮捕された。そのうち19人までもが退転した。


 実は矢島氏も投獄された一人だったが、退転していないのだ戸田先生が生前、矢島氏を糾弾したという事実を私は知らない。歴史というものは、常に勝者によって美化されるものだが、事実関係のほころびがあれば必ず破綻する。かような記事を掲載する以上、何らかの図があることは明らかだが、歴史を修正するものであれば、誤っていると言わざるを得ない。

内閣改造、1日にも断行=政権立て直しへ決断−福田首相


 福田康夫首相は31日午後、政権発足後初めてとなる内閣改造を81日にも断行することを決断した。併せて自民党役員人事も行う。同日午前に公明党太田昭宏代表との党首会談を開き、こうした向を伝え協力を求める。これを受け、首相は直ちに人選に着手。臨時国会召集をめぐり同党との関係がきしむ中、政権の立て直しに向けどのような陣容を組むかが焦点となる。

 自民党幹部は31日、今後の段取りについて「首相が改造をやるとすれば、1日午後に党役員人事、内閣(改造)の順だ」と明言した。

 首相は同日午後、甘利明経済産相と若林正俊農水相から世界貿易機関(WTO)非公式閣僚会合の報告を受けた。29日の2009年度予算の概算要求基準(シーリング)の閣議了解や社会保障に関する「5つの安プラン」策定を終え、「重要課題に一区切りが付いた」として内閣改造に踏み切ることにした。


時事通信 2008-07-31


 公明党からは浜四津代表代行の入閣が噂されている。多くの学会員の本音は「冬柴以外なら誰でも……」といったところか(笑)。

『脳は美をいかに感じるか ピカソやモネが見た世界』セミール・ゼキ


 多くの動物、特にネズミやモグラの視覚は極めて原始的であり、実際のところ視覚がないに等しいにもかかわらず、環境の中で自分の進む方向をかなりうまく見定め、進化的味での生存を可能にする一般的活動を行うことができる。

 筆者がうに、この問いの答えはもっとずっと単純で、より深い味を持つものなのである。すなわち、「視覚は、この世界についての知識を得ることを可能にするために存在する」のである。無論、視覚という覚が、唯一の知識獲得手段ではない。他の覚も同じことをしているが、視覚がたまたま最も効率的な機構だっただけである。視覚は知識を得る能力を無限に広げてくれるとともに、顔の表情とか表面の色のような、視覚を介してしか得ることのできない知識をも提供してくれる。(中略)

 この定義こそが、おそらくは神経科学と美術とを結びつける唯一の定義なのである。


 つまり、視覚は能動的な過程なのであり、長い間考えられてきたような受動的な過程ではない。樹木、正方形、直線といった最も単純な対象を捉える視覚でさえも、能動的な過程なのである。

 近代の神経生物学者であれば、画家アンリ・マティスの「見るということはそれ自体で既に創造的作であり、努力を要するものである」という言葉にから敬を払うであろうし、あるいは少なくとも敬を払うべきであろう。マティスのこの言葉は、生理学的な見地からではなく美術的な見地から語られたものだが、視覚生理学に適用しても十分に通用する表現である。


 このように、ミケランジェロは作品をノン・フィニート(未完成)にしておくことによって鑑賞者の像力をかきたて、作品を見た鑑賞者が、それぞれの脳の中にある多くの概、すなわち蓄積されている表象を当てはめることができるようにしたのである。


脳は美をいかに感じるか―ピカソやモネが見た世界

2008-07-30

BBCに「視聴者欺く」と罰金命令 8500万円


 英国のメディア監視機構は30日、英国放送協会(BBC)の番組に視聴者を欺き、信頼を損なわせる行為があったとして、40万ポンド(約8550万円)の金支払いを命じた。放送倫理の逸脱をめぐるBBCへの金額としては過去最高額という。

 金支払い命令を報じたBBCによると、2005年11放映の子供向け番組や06年7のスポーツに関する視聴者参加番組などで、参加者が既に決まっているのに、参加希望者に番組への電話を呼び掛けたり、収録済みの番組にもかかわらず、生番組だと称して電話での参加者を募ったりした。また、番組関係者が視聴者を装って参加した事例もあった。


共同通信 2008-07-30】


 テレビの公共を踏まえれば、高額の金も致し方ないとう。日本もこれぐらいの金にすればいいんだよな。

『漢字がつくった東アジア』石川九楊


 まず歴史とはいったい何でしょうか。歴史というのは、過去の出来事にとどまらず、現在に連なり、現在を絶えずつくり出している力ですから、結論的にいえば「文体(スタイル)の積畳である」と私は定義したいといます。言葉のスタイルや言葉以外のさまざまな文化ジャンル、また言葉の前段階での表現のスタイルを人類史は蓄積してきました。そういうスタイルの積み重なりを歴史と考えるのが一番いいといます。


 そういう味で人間は「言葉する存在」です。

 その言葉は、世界を切り取って付けていく単語つまり語彙と、文体(スタイル)からなり、これらのあり方が人間の考を決定づけています。文体というのは語彙を載せる船のようなもので、その船が考の枠組みとして、あるいは文化として一番大きな力を持っています。われわれはその船を離れて考することはできません。考や行動は具体的な言語のなかに微粒子的に存在し、これと一体のもので、自分たちの文体のあり方をどのように変えていくかを考えないかぎり歴史が変わっていくことにはなりません。またこのことは、人間の歴史が、言葉(語彙と文体)から離れられず、したがって言葉の枠組が変われば、歴史もまた異なった姿であらわれる事実を味します。


 結局、人間ひとりひとりが生きていくなかでの表出と表現の積畳が歴史です。表出というのは自覚されないまま外側へ出ていくものです。じつはこの部分の方が大きいのです。それから識的に表現する部分があり、この二つの蓄積が現在の文化的な状況、すなわち歴史をつくっています。

 その人間の表出と表現を生み出すのは、――ここが一番大事なところですが――、人間の識下の識、つまり無識、自覚されない識です。表現といえども無識が原動力になっています。怖いのは何かぽろっと漏らした言葉にじつは本があったり、あるいは自分が自覚しないでついつい反復して使っている言葉にスタイルが宿ることです。頑張って識的に小説を書いたとか詩を書いたとか、そういうところよりも、むしろ普段何気なくしゃべっているときに、いつもあの人はこういう言葉を使うとか、あるいはこういうふるまいをするというところに本があって、そういう自分自身すら気づいていないような本の積み重なりが歴史をつくっています。


 言語学という学問があります。最近あまり聞かなくなりましたが、80年代の日本ではソシュール(Ferdinand de Saussure)という人の言語学が大流行しました。ただ、この学問は西欧で生まれた学問なので、文字に対する観点がまったく抜け落ちています。なぜそうなったのかというと、西欧にはアルファベットという発音記号のような文字しか存在しないからです。西欧人には文字のことがわからないから、漢字の文明と文化の構造は理解できないのです。

漢字がつくった東アジア

2008-07-29

ドライバー殿御返事


 車を運転する全ての方々へ――。学校が夏休みの間は、「路地から子供が飛び出してくる」と考えよう。交差点、横断歩道、駐停車している車など見通しが悪い所は要注。あらゆる危険を予測する安全運転をお願いしたい。

『夜』エリ・ヴィーゼル


 私のうしろで一人のユダヤ人が溜をもらしながらこう言っているのが聞こえた。

「しようがないじゃないですか。戦争だもの……」

 移送囚たちのことはすぐに忘れられた。彼らが出発してから数日後、彼らはいまガリチアにおり、そこで働いていて、自分たちの境遇に満足してさえいる、という噂がたった。


 人びとはこんなふうに話していた。

「(ロシア戦線において)赤軍巨人のような足どりで前進している……。ヒトラーはたとえそうしたくても、われわれに害を加えることができないだろう……。」

 そう、彼にわれわれを絶滅する志があるのかどうかさえ、われわれは疑っていたのである。

 彼は、一民族すべてをみな殺しにしようというのか。かくも多くの国に散らばっている民を絶滅しようというのか。何百万、何千万もの人たちを! どんな手段をもってするのであろうか。しかも20世紀のさなかだというのに!

 それゆえ人びとは、あらゆることに――戦略に、外交に、政治に、シオニズムに――関を寄せていながら、自分自身の境遇には無関だったのである。


 過越祭(すぎこしのまつり)の7日め、幕があいた。ドイツ人がユダヤ人共同社会の重立った(ママ)人たちを逮捕したのである。

 このとき以後、いっさいが非常に速やかに伸展した。死へむかっての競争がもう始まっていた。

 最初の措置――ユダヤ人は3日間自宅を離れてはならない、もし離れたならば死刑に処する。


ゲットーがつくられてから)生活は少しずつ平常どおりに戻っていった。鉄条網が壁のように私たちをとりまいていたが、それはほんとうの畏怖をよびさましはしなかった。私たちはかなり居地がよいとさえじていた。まったく仲間同士だったからである。ささやかなユダヤ共和国……。ユダヤ人評議会、ユダヤ人警察、社会援助局、労働委員会、衛生部が――政府機関のすべてが――つくりあげられた。

 だれもがすばらしがっていた。もう目の前に、あの敵にみちた顔や、あの憎しみのこもったまなざしを見なくてもよいのだ。畏怖も不安も、これでもうおしまいだ。ユダヤ人同志(ママ)、兄弟同志(ママ)で暮らしているのだ……。


 明け方には、この憂鬱な気分はもうあとかたもなくなっていた。まるで休暇旅行にでも来たようなじであった。人びとはこんなふうに語っていた。

「わかったものじゃない。われわれを流刑にするのは、われわれによかれとってのことかもしれないよ。前線はもうあまり遠くない、いまに砲が聞こえるようになるよ。そこで一般市民が撤退させられるのさ……。」

「たぶん彼らは、われわれがパルチザンになるのを恐れているんだね……。」

「ぼくの考えでは、この移送騒ぎはすべて、大がかりの道化芝居以上のなにものでもないんだ。そうなんだよ、笑わないでくれ。ドイツ野郎どもはわれわれの宝石をくすねたいだけの話。ところで連中は、なにもかも埋めてあって、掘り返しさえすればいい、ということを知っているんだ。家主が休暇旅行に出かけているときのほうがやさしいものね……。」


 私たちは目から鱗が落ちたが、もう遅すぎた。


 彼らは姿を消した。ドアがふたたび閉ざされた。私たちは首まで罠に落ち込んでいたのである。ドアは釘づけにされ、帰り道は決定的に断ち切られた。世界とは、いまや密閉した貨車のことであった。


 私ははじめて反抗が身うちに高まるのをじた。なぜ私が御を聖とせねばならないのであろうか。〈永遠なるお方〉、〈宇宙の主宰者〉、〈全能にして恐るべき永遠のお方〉は黙っているのに、どうして私が〈彼〉に謝を捧げることがあろう。


〈タルムード〉を勉強する学徒であり、子どもでもあった私は、炎のなかですっかり燃え尽きてしまったのである。私に似ているものとては、もはや形しか残っていなかった。黒い焔が私の魂のなかに入り込んで、それを喰らい尽くしたのであった。


 戦争はいまにも完了しそうだ、というのがみんなの見であった。


 ここでは子どもたちは同愛者どうしで、まったくの人身売買の対象をなしていたのである。


 私はもはや、日々の一皿のスープと一きれの古くなったパン以外には関を向けなくなっていた。パン、スープ――これが私の生活のすべてであった。私は一個の肉体であった。おそらくはそれ以下のもの――一個の飢えた胃。ただ胃だけが、時の経ってゆくのをじていた。


 3人の死刑囚は、いっしょにそれぞれの椅子にのぼった。3人の首は同時に絞索の輪のなかに入れられた。

「自由万歳!」と、二人の大人は叫んだ。

 子どもはというと、黙っていた。

「神さまはどこだ、どこにおられるのだ。」私のうしろでだれかがそう尋ねた。

 収容所長の合図で三つの椅子が倒された。

 全収容所に絶対の沈黙。地平線には、太陽が沈みかけていた。

「脱帽!」と、収容所長がどなった。そのは嗄れていた。私たちはというと涙を流していた。

「着帽!」

 ついで行進が始まった。二人の大人はもう生きてはいなかった。脹れあがり、蒼みがかって、彼らの舌はだらりと垂れていた。しかし3番めの綱はじっとしてはいなかった――子どもはごく軽いので、まだ生きていたのである……。

 30分あまりというもの、彼は私たちの目のもとで臨終しみを続けながら、そのようにして生と死のあいだで闘っていたのである。そして私たちは、彼をまっこうからみつめねばならなかった。私が彼のまえを通ったとき、彼はまだ生きていた。彼の舌はまだ赤く、彼の目はまだ生気が消えていなかった。

 私のうしろで、さっきと同じ男が尋ねるのが聞こえた。

「いったい、神はどこにおられるのだ。」

 そして私は、私ののなかで、あるがその男にこう答えているのをじた。

「どこだって。ここにおられる――ここに、この絞首台に吊るされておられる……。」

 その晩、スープは屍体の味がした。


 ある日、私たちが停車していたとき、ひとりの労働者が雑嚢から一片のパンをとりだして、それを貨車のなかに投げ込んだ。みんながとびかかった。何十人もの飢えた者が幾片かのパン屑のために殺しあったのである。ドイツの労働者はこの光景をひどく面白がった。


 私たちはこうしてしばらく議論した。自分が議論している相手は父ではなくて死そのものだ、父はすでに死を選んでしまっており、自分はそいつと議論しているのだ、というじがした。


 私は129日の明けがたに目覚めた。父のいたところには別の病人が横たわっていた。父は夜明け前に連れ去られて、焼却炉へ運び込まれたのに違いない。おそらく、まだがあったのかもしれぬ……。

 父の墓のもとでの祈りはあげられなかった。父の霊のための蝋燭は点されなかった。父の最後のことばは私の前であった。呼ばれた、そして、私は答えなかったのである。

 私は涙が出なかった。そして涙を流すことができないのが、私にはつらかった。しかし、私にはもう涙がなかったのである。そのうえ、もし自分のひ弱い良の奥深い所を掘り返したならば、おそらく私自身の奥底に、なにかこうも呼べるようなものが見いだされたことであろう。――とうとう自由になった!……


 自由人となって、私たちがまっさきにしたふるまいは、食糧にとびつくことであった。そのことしか考えてはいなかった。復讐のことも、両親のことも考えてはいなかった。ただパンのことばかり。

 そして、腹がくちくなってからでさえ、だれひとり復讐のことを考える者はいなかった。翌日、数人の若者がヴァイマールに駆けつけて、馬鈴薯と衣服とをかき集め、――そして売春婦と寝た。しかし、復讐はといえば、影も形もなかった。

夜 [新版]

2008-07-28

怪文書「1995年9月24日、東京牧口記念会館で開催された牙城会全国大会での長谷川副会長の指導」について


  • 問題とされているのは、「1995年924日、東京牧口記会館で開催された牙会全国大会での長谷川副会長(当時)の指導」と言われるもので、別を「15年後の青年部へ」とされるものである。
  • 長谷川副会長(当時)が、当該会合に出席されたのは事実だが、「その会合でそのような話はしていない」とし、完全な“デマ”であることを明言されている。
  • すなわち、本文のうち「しかし、実は先生と私しか知らない話がある」以下の話は完全にデマである。具体的には、「途中で車を下車」したこともなければ、「土下座」したこともない、「15年後云々」の話も、一切が“デタラメ”である。
  • 長谷川副理事長は、当時も今も、当該発言は一切なさっていないし、当該事実も一切存在しないことを明言されている。
  • 本文書は、当該会合に出席したある地方都市の男子部員(当時)の“創作(デマ)”で、当初は私信のメールとして発信されたものが、その内容が動的なこともあって転送に次ぐ転送を繰り返し、全国の青年部を中とする各種会合で紹介されたものである。
  • 本件については、どの地方都市に住む如何なる人物が、当初どのような目的で“創作”されたかまで掌握されている。
  • 本件がネットを中に出回ったことにつき、当時の青年部最高幹部は、「ネットに踊らされるな(趣)!」と叱責さえ受けている。

 以上


【文責・プリン

『プロカウンセラーの聞く技術』東山紘久


 神や聖人でないわれわれでも、話すことよりも聞くことをよしとするのは同じです。その証拠にわれわれは「しゃべりすぎた」という反省はよくしますが、「聞きすぎた」反省はほとんどしません。

 これは情報の発信者と受信者の行動を考えるとわかりやすいでしょう。情報の発信者は、受信者の反応が返ってこないことには、相手が情報をどうったかわからないのです。受信者は、情報の受け取りも放棄も、自分の気持ちしだいです。情報がいらなければ捨てることさえできるのです。いらないダイレクトメールのように。その味で発信者が情報をコントロールしているように見えますが、じつは本当にコントロールしているのは、受信者のほうだといえるでしょう。


 まず、第一の修行は、相手の話を「素直に」聞くことです。相手に反論したいときも、話をよく聞いてあげると、相手の見も自然とおだやかになり、反論しなくてすむことのほうが多いのです。これが聞き上手のだいご味なのです。


 臨床理士は「人間のは究極的にはわからない」ことをよく知っている人なのです。

 だからこそ、プロの聞き手なのです。


 相づちとは読んで字のごとくで、鋼を鍛えるときの相方の打ち出す槌です。タイミングが狂うと鋼ではなく相手に槌を打ちつけるはめになりかねません。


 井戸端会議という言葉は死語になりました。井戸がなくなった現代では、ゴミ端会議がそれに取って替わったのかもしれません。ゴミの日には近所の主婦がゴミをもって集まってきたついでに、いろいろ話をし、情報を交換していく光景はよく見かけます。でも井戸端とゴミ端では、雰囲気が違いますね。井戸端が生産活動の場であるのに対して、ゴミ端は消費のなれの果てといったじだからでしょう。清潔も違いますし、前者が生活の営みであるのに対して、後者は生活上の義務だからかもしれません。


 新米のカウンセラーほど、何かをしてあげたくてサービス過剰になり、最終的には相談者の自己解決をさまたげてしまいがちです。一方、人級のカウンセラーになると、それこそ聞くこと以外は何もしません。それが結果的には、相談者にとっていちばん役に立っているのです。聞く以外に何もしていないのに、不議なことに「カウンセラーは何もしてくれない」などと相談者は言いませんし、じません。本当は何もしていないのではなく、最大ののケアをしているからです。聞くことが最大のケアになるような聞き方をしているからです。


 相手の話に興味がもてるときは、話を聞くのも楽です。興味のもてない話のときこそ、相手を理解するチャンスなのです。


 カウンセラーを長年していますと、いつも人の話を聞いているからでしょうか、言葉と事実の区別がつくようになります。「ペーパー商法」で、豊田商事という会社が摘発されたことがありました。社会的に大事件だったのでおぼえておられる方も多いでしょう。

 当時、あの会社から私のところへも電話がかかってきました。私は、電話の向こうの個人的な情がほとんどじられないを聞いていました。数分間の話は、「いま買えば必ず儲かる。早く買わないと損をする」ということのくり返しでした。私は話に間ができた一瞬のタイミングをとらえて、「必ず儲かるのですね」とを入れました。そのセールスマンは「ハイ、絶対儲かります」と興奮ぎみので返答しました。私は「それなら、あなたが買うといいですよ」と言いました。彼は一瞬、私の言ったことの味をとらえることができませんでした。私は、「絶対に儲かるのでしょう。それならセールスなどしないで、自分が買うのが最適ですよ」とくり返しました。彼は電話を切り、それ以後私のところへ電話がかかってくることはありませんでした。

 絶対儲かる話は、他人には内緒にするものです。絶対儲かるのなら、人には言わずに自分が買う、これは常識です。自分が儲けようとせずに、人に勧めるときはほとんど詐欺です。そうでないならば、利益誘導かインサイダー取引です。

プロカウンセラーの聞く技術

2008-07-27

脳神経科学を学ぶ学生部殿、あるいはドクター部殿御返事


 視覚を「妙の三義」で読み解こうと試みたが、どうも私の手に余る(涙)。どなたか上手く説明できる人はいないだろうか? 上手くいったら、「脳の三義」とづける予定(笑)。視覚情報を後頭葉で「統合」していることは判ったが、「蘇生の義」を上手く説明できない。目は開いているから「開の義」。そこから「開目抄」にまで展開できれば面白いのだが。

博士も知らないニッポンのウラ:上杉隆


 上杉隆が登場。宮崎哲弥と二人で言いたい放題。地上波では放送できない内容。政界再編となれば、「小沢が公明党を担いで、太田総理が実現する可能もある」と。視聴する場合、ブラウザはインターネットエクスプローラーで。

ランディ・パウシュ氏死去 「最後の授業」で知られる米カーネギーメロン大教授


 ランディ・パウシュ氏(「最後の授」で知られる米カーネギーメロン大教授)ロイター通信などによると25日、米東部バージニア州の自宅で、すい臓がんによる合併症で死去、47歳。

 専門はコンピューターサイエンス。末期がんを告知された後の昨年9に行った、自分の夢や生きる味について語った最後の講義が、インターネットで話題を呼んだ。この講義は「最後の授」として出版され、日本など世界各国で翻訳された。


共同通信 2008-07-27】


 7月7日に紹介したばかりだった。ご冥福を祈る。

坂東眞理子×柴田理恵


 実にいい対談である。柴田理恵の武器は「警戒されない人柄」であり、それが遺憾なく発揮されている。富山県出身ということで最初っから気投合している。


柴田●でも、個というものはもともとあるものなんじゃないですか。


坂東●そこはね、ちょっと古いかもしれませんが、私は個というのは生まれつきあるというよりも、むしろやらなきゃならないことがあって、けれどもそのなかに納まり切れない自分というものがある。そういうなかで「これが私の個なんだ」というのがわかってくるんじゃないか。逆に「何でも好きなことをやっていいよ」なんて言われたら、かえって「私の個は何でしょう?」ということになるんじゃないかとうんです。


柴田●わかります、わかります。


坂東●たとえば、私は芝居のことはよくわからないんですけども、おそらく「悲しいときはこう泣け」とか「怒るときはこう怒れ」という型があって、初めはその型どおりに演(や)る。ところがそれでは自分を表現できない。「私はこうしたほうが自分のいを表現できる」というものが出てきて初めて、自分らしい表現に結びつくんじゃないでしょうか。


柴田●そうです、そうです。おっしゃるとおりです。


柴田●私の母は小学校の先生だったのですが、女の地位がまだ低いころですから、職員会議では何も決まらない。そのあと男の先生だけで飲みに行ってそこですべてが決まっちゃう。それが不満で、飲み屋にもついていく、マージャンも一緒にやる、という人だったんです。


坂東●おばあさんはいらしたの?


柴田●祖母は亡くなっていて、父はサラリーマンだから夜が遅いし、母は働いているし、私は一人っ子ですから平日の夜ご飯はおじいちゃんと二人で。だから小学2年生ごろからご飯を炊いたり、家事をさせられました。


坂東●だから自立した、パワフルな女になったんですよ。


柴田●小さいころから、「おまえは一人で生きていけ」と言われて、アハハハハ。(笑)


坂東●私、強いな。「働くお母さん」の子どもがこんなに立派に育っているという、いい実例ですよ。


柴田●最後に、ステキな女になるために、先生が「これだけは忘れないでね」とわれることは何でしょうか。


坂東●やっぱり、与えられた運命のなかでベストを尽くしなさいということですね。与えられた運命というのはね、美人に生まれてくるとか、才能豊かに生まれてくるとか、100パーセント恵まれている人はいない。

 そのなかで、この顔とこの才能とこの健康を、自分に与えてくれた条件として受け入れてベストを尽くしていく。そういう生き方のなかに新しい出会いもあるし、新しい可能も開けていくとうんですね。だからそれを受け入れて、勇気をもって一歩を踏み出してほしいですね。


【「柴田理恵のワハハ対談!」30/『潮』2008年7号】


 才色兼備で一世を風靡したヴィヴィアン・リーも、晩年は不幸だった。


潮 2008年 07月号 [雑誌] 女性の品格 (PHP新書)

2008-07-26

見えてきた自殺大国日本の実相


 日本人の自殺が一向に減らない。先発表された自殺統計では、07年の自殺者の数が前年を上回り、過去2番目に多い3万3093人に達していたことが明らかになった。これで、日本の自殺者数は、10年連続で3万人を超えたことになる。

改造で冬柴国交相「留任」は公明にとって最悪のシナリオ


 笑っちまったよ。


 内閣改造をめぐり、公明党が頭を痛めている。冬柴鉄三国土交通相を交代させたいのに、クビに鈴をつける役がいないのだ。

「冬柴氏は支持母体の創価学会員からまったく人気がない。ガソリン税や道路特定財源で盛り上がった頃、官僚以上に官僚的な冬柴答弁にブーイングの嵐が起きて、なだめるのが大変でした」(公明党中堅議員)

弁当が脳を活性化させる


 新たな人類史的テーマを発見してしまった。ひょっとしたら、私は天才になっているかも知れない。


 先日、私の誕生日にかみさんが寄越したものは、何と弁当箱だった。前にも書いた通り、色々な事情があって結婚当初より別居している。つまり、弁当箱の文底(あるいは箱底)に込められたメッセージは、「どうぞ、ご自分で弁当をおつくりあそばせ」という味だ。しかも、見逃すことのできない重要なファクターとして、かみさんは料理ができないことを指摘しておかねばならない。


 今から、私の人生には「弁当づくり」という文字が燦然と輝くことになった。いやはや弁当づくりは凄いよ。頭がよくなるのだ。


 女の弁当づくりは「義務」である。一概には言えないが、取り敢えず断言してしまおう。でもって、料理が手な女ほど義務度が強くなる。「冷凍食品が弁当の生命線だ」という主婦も多いことだろう。


 しかし、男の弁当づくりは違う。まず、の仕事が増えるため自然と早い時間に目が覚める。中身は自分が食べるものだから、妥協の余地がない。その上、見てくれはどうでもいい。私の場合だと、二品(ふたしな)もあれば十分だ。


 早、今まで使ってこなかった脳の回路が次々とつながり始める。シナプスの散らす火花が、弁当箱の上に降り注ぐ。胚芽麦が混ぜられたご飯は、コンビニ弁当よりも量が多い。ざまあみろってえんだ。


 料理とは、自由な素材の組み合わせによる芸術作品である。たとえそれが、皮なしウインナーのみであったとしてもだ。ウインナーの焼き加減、ドバッとかける黒コショウの量は私に委ねられているのだから。料理の腕が上がってくると、人をも料理したくなってくるから不議だ。料理には人材育成の秘密が隠されている。


 と言うわけで、頭をよくしたい男諸君は、自分で弁当を作るべきだ。買い物時の視線や、メディア情報の注目度がガラリと変わることは間違いない。これぞ人間革命。

『自殺死体の叫び』上野正彦


 また、原因別に見てみると、病等1万1499人、経済生活問題6058人と続く。実は、この数字にはトリックがあり、自殺そのものには犯罪がないために警察の入りな捜査による真相究明ができず、家族などの「そういえば病気をにしていた」といった曖昧証言がそのまま自殺原因とされるケースがほとんどだ。この問題については、後ほどあらためて詳しく取り上げたいが、そんなことを割り引いて考えれば、実質的には、経済生活問題が一番の原因となる。

 昔から、自殺者数の推移は、世の中の状況と密接にかかわってきた。不景気になると自殺者が増え、景気がよくなると自殺者が減るという繰り返しで、まれに見る激増を示した平成10年のデータも、なかなか出口が見えない。長引く平成不況の影響なしには語ることはできまい。


 人は生まれるとき、自らの志とは無関係に生を受ける。どこの世界や家庭に生まれるか、選択の余地はない。人生の始まりからしてそうなのだから、作為的に死を選ぶのは邪道であると私は考える。


 日本の昔話には、鬼というのがよく出てくる。その容貌はすさまじく、人々にとっては恐怖の対象である。ただ、鬼の風貌に関する描写を見ると、このような腐乱死体そっくりで、昔の人は水死体をモデルにして鬼を描いたのではないかと私はっている。


 3年間の調査で、私自身も外だったのは、自殺に追い込まれた老人の家庭環境別の比較である。当時はこれを、三世代同居、夫婦ふたり暮らし、子どもとふたり暮らし、ひとり暮らしなどの項目に分類し、整理した。

 その中で最も多かったのは、外や外、三世代同居の老人で、全体の60パーセント強を占めていた。以下、子どもとふたり暮らし、夫婦ふたり暮らし、ひとり暮らしの順に続いた。

 当時は、先入観として、家族と同居の老人こそが最も幸せと考えていたが、必ずしもそうではなかった。むしろ同居の中で、信頼する身内から理解されず、冷たく疎外されているわびしさこそが、老人にとって耐えられない孤独だった。これが一番の自殺動機になっていたことを見逃すことはできない。

 その逆に、ひとり暮らしだから孤独かというと、そうでもない。ひとり暮らしの老人は、それはそれで自分のを持ち、訪れる身内や近所の人たちと交際し、それなりに豊かさを持っている。


 もうひとつ子どもに強く根づいていたのは、医者は貧乏であるというものであった。父が活躍した当時はまだ貧しい時代で、田舎ではたとえ病気になっても、治療費が払えないので医者にもかかれない時代であった。保険制度がなかったからである。

 ところが、小さな村では、だれが病気で寝ているかなどすぐにわかる。父はそんな家を訪れては、

「なんですぐに連絡しないんだ」

 と叱責しながら治療を施した。

 相手が、

「うちには医者にかかるようなお金がありませんから……」

 と言おうものなら、

「馬鹿なことを言うんじゃない! 金と命とどっちが大事なんだ」

 としかりつけもする。その上で、金も取らずに帰るから、地元の人たちからはだれからも謝されていたようである。

 おかげで我が家は、昔から貧乏そのものだったが、医者というのはそういうものだという考えが私には根づいてしまった。だからこそ、医者が裕福な生活をしてるなどと聞くと、今でも違和じるのである。

 父はすでに亡くなってしまったが、記憶に残っている赤十字精神そのものの姿は、今でも私の誇りである。


自殺死体の叫び (角川文庫)

2008-07-25

『心からのごめんなさいへ 一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦』品川裕香


累犯障害者 獄の中の不条理』の書評を読んだ読者から薦められた本。少年院には軽度発達障害LDADHDアスペルガー症候群)と似た症状の子供達が多く、それと真っ向から取り組んだ宇治少年院・向井義氏を巡るルポ。末尾に山下京子さんのが引用されていて、見事な締め括り方となっている。品川裕香さんが少年達に自分の春期をだぶらせて記す「あとがき」も素晴らしい。少年達は、宇治少年院と出会ってなければ、間違いなく『累犯障害者』や『レッサーパンダ帽男』と同じ運命を辿ったことだろう。


「自分が殴られているときは痛かったですよ。もちろん。殴られて血が出て、つらかった。でも自分が殴っている相手が痛いとっているとはわなかった。全くわなかったですね。だって、殴っている自分は痛くないし、自分が痛くないんだから、相手がどうおうが興味なんかなかったというか、宇治に来るまで、相手の気持ちなんて考えたことはありませんでした。だって、自分がいじめられていたとき、だれ一人自分の気持ちなんか考えてくれなかったし、自分が痛かったとき、だれも自分が痛いとはわなかったからやったわけでしょう。なのにどうして、自分が相手に暴力振るうときは、相手が痛いかどうか考えるんですか?」

 そう一気に言って、タダシは、はあ、とためをついた。

 私には言うべき言葉がなかった。いつくのは陳腐な正論で、それもここでは無味のようにえた。

 じゃあ、相手が痛いかどうかって関係ないんだ。そう言って、タダシを見た。タダシは笑った。

「前はね。相手の気持ちには興味なかったっすから。ここに……宇治に来るまで自分の考えは正しいとずっとっていました。でも、ここに来てそれが間違いだったとうようになったんです」


 聞き返すことで、少しだけ前向きになれたナオヤが、さらに大きく変わるきっかけになったのは分数計算ができるようになったことだった。

 ナオヤが宇治少年院に送られてきた15歳当初、学力は小学校3年生程度だった。

 ひらがながなんとか書ける程度で、漢字はよくわからなかった。(中略)

 そんなある日、教官から「寮全体の分数の平均点を上げる」という課題が出された。(中略)

 しかも課題は「寮の平均は85点以上、最低点は50点以上」というものだった。つまり、勉強のできる子が100点を取って、できない子は0点でもいい、というわけにはいかなかったのだ。

「どうしようといました。僕がみんなの足をひっぱるのはわかっていたから」

 とても焦った、と眉を寄せた。やっと集団生活に慣れてきたのに、ここで失敗したらまた小学校時代みたいに、みんなからのけ者にされるんじゃないかとったと言う。

 テストの日まで2週間しかなかった。

 最初は自分でドリルをやっていたが、どうにもお手上げだった。ナオヤは、分数がほんとうにわからなくて、テストをすればいつも一桁か、せいぜい10点だったのだ。

 ある日、教官が「私語は厳禁だが、勉強でわからないことがあれば他生に教えてもらえばいい」とナオヤにアドバイスする。だが、ナオヤとしては、そのアドバイスもしんどかった。

「あの……他生に教えてもらっても、どうせわからへん。それに、一度教えてもらったことを何度も聞き返すのは申し訳ない。だからわかってもいないのに、わかったふりをしていました。でも、先生が“何度でもいいから聞き返せ”と言ってくださった。勇気を出して他生に聞いたらほんとに何度でも教えてくれたんです。他生に教わるほうが先生に教わるよりわかりやすくて、僕は、ああ自分も分数がわかるんだとって……その、なんていうかすごく動しました。があったかくなったっていうか……」


(宇治少年院の歴史を変えた大縄跳び)

 それでもやはりうまくいかない。運動神経の悪い子が足をひっぱっていた。だれもがそう考えていたそのとき、一人の院生がこんなことを言いだした。

 自分は跳べなかったら(与えられた課題は150回)、下(中間期)からやり直さなあかん。ホントにダメなら、下に行く。それでもやってやるってうヤツは、出院間近の証である白いバッジを捨てるくらいの気持ちやないと、あかんのとちゃうか。俺はバッジを捨てる。

「それを聞いていた院生みんなで、バッジを外してバッと地面に捨てました。それからはほんとうに真剣になった。それまでも真剣だったけど、なんていうか、気持ちが一つになったんです」

 縄を回す手も腫れ、跳ぶ足も腫れあがっていた。

 全員、極限状態だった。

 そんなとき、「もういいんじゃないか。よくがんばった」という教官のが聞こえてきた。

 もう、ほんとうにこれが最後、やっぱり跳べないんだ……。院生も教官たちもそうった瞬間だった。

「ちょうどそのときに、跳べたんです。24人で241回! あんなに嬉しかったことはなかった。みんなで抱き合って喜びました。泣いている子もいましたよ、僕も涙が出て止まらなかった」

 向井先生も、ほかの先生たちも泣いていた。その場にいた全員が、わーっと抱き合って、ほんとうに跳べたことに興奮し、謝し、涙した。

「これが、僕の原点なんだ、とそのときいました。自分はここから始まるんだって。そして、人と気持ちを合わせることはすごく大事で、しかもすごく気持ちのいいことだということも知った。気がついたら、ずっとわからなかった“いやり”ということが、自然とわかっていたんです。そのことも嬉しかったですねえ」(中略)

 その日、い出の大縄跳びは山本善博企画統括(現・京都医療少年院庶務課長)のはからいで24等分に切られ、全員に配られた。めいめい結び目をつけて、これからの宝物にしようということになった。イナモト君が私に見せてくれたのは、逡巡し悩した末に獲得した、ほんとうの宝物だったのだ。


「ADHDやアスペルガー症候群、LDをもっているということがわかっただけでは、それは犯罪社会学が言うところのラベリングにすぎません。生物学的なものはリスクファクターに過ぎず、触法行為に至った直接の原因ではないんですから。そこのところを履き違えないようにしてください。

 大事なことは、個々の子どもたちの特をよく理解したうえで、どう指導していくかということ。自分たちの犯した罪をどのように理解させ、から反省させ、二度としないように更生させるか……われわれに問われているのはそこです。発達障害は子どもたちを知るうえでの一つの物差しに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないことを忘れてはならないのです」(宇治少年院の小澤元院長)


「大事なことは深い受容だ。言葉を受け止めるといった作だけではこの深い受容にはならない。宇治少年院の指導は非常に厳しく、理技官のセオリーからすると“ありえない”方法だった。ところが、子どもたちはみるみる変わっていき、表情も豊かになり素直になっていった。これまでの指導にある種の限界をじていたので、画期的な方法だとった」


 脳の機能障害を無視して、の問題を受容するだけではダメだ……。

 これは、実は向井の口癖でもある。取材中も、しょっちゅう「理学的なアプローチだけではあかんねん」と繰り返すので、あるとき、なぜそこまでいうのか突っ込んだことがあった。

 一瞬、「あっ」という表情をして私を見た向井は、しばし沈黙したあと、慎重に言葉を選びながらこんなことを言った。(中略)

「当時、LDと診断された院生がいたんですが、非行に走った大きなきっかけは親から恒常的に受けていたひどい虐待でした。ここで理学的なアプローチを取ると、子どもにの内を自己開示させ、ひたすら受容するということになります。当時の矯正教育はそうすることが当然だったということもあり、僕は実際にそうしたんです……」

 普段、ジッとこちらの目を見て、大きなではっきりと話す向井だが、このときばかりは、のトーンが下がり、一瞬にせよ目を逸らすことさえあった。

「すると、どういうことが起こったか……。まず、自己開示が止まらなくなりました。悲惨としか言いようのない虐待の記憶、親への言い知れぬ恨み、その裏返しである親への愛情など、複雑な情がどんどん出て来て止まらなくなってしまったんです。それくらい虐待がひどかった。少年院に来る子には、そんな経験をしている子がたくさんいます。決して珍しい存在ではないんですね。

 でも、少年院は一定期間が過ぎると出院する場所でしょう。つまり、どれだけ内情を吐露させても、長期にわたって支援ができる場ではないんです。だけど自己開示した彼らには長期的な支援が必ず必要になります。自己開示すればするほど、これまでの奥底に抑え込んでいた情が識に上ってきます。すると、親に虐待されるダメな自分という識も強くなり、セルフエスティームはどんどん下がっていきます……。ところが、少年院は病院ではないから、必然的に時期が来たら出て行くことになります。もちろん、情報として伝えることはできてもきめ細やかなフォローはしたくてもできませんし、少年の管轄も変わります。

 それに人として許せない行為をした親への見方も変わってしまうんですよ。だって、そこまでの虐待を親がわが子にするなんて、人間としても割り切れないですから。院生に対しても、かわいそうな子だとった瞬間から妙な情が入ってきて公正に指導できなくなるし、保護者に対しても怒りの情が沸いてきて支援しにくくなります。つまり、理学的なアプローチは、僕にしてみれば、問題を複雑にこそすれ解決策にはならなかったのです」


 あくまでも可能の話だが、例えば、こういうことが考えられる。

 IQがどれだけ高くても、自閉傾向のある子のように対人関係やコミュニケーション能力に弱さがあると、警察での事情聴取味がよく理解できないまま肯定してしまう可能がある。

 理解しないまま肯定するというのは、聴覚情報の処理、つまりから聴いたことを理解したり、理解したことを言葉にしたりする力が弱いLDの子にもみられる傾向だし、ADHDがあれば、質問を最後までじっくりと聞くことができないまま肯定することもあるだろう。

 いずれにしても、こういった特があると、警察でぺらぺらとしゃべったり、やってもいない犯罪を認めてしまったりする可能がないとは言えない。


 向井は個別処遇の時間を利用して、徹底的な個人面接を開始した。当時をい出して細井は笑する。

「ちょうどそのころ、当時の宇治のなかで“逆の味で”いちばん優等生だった少年の仮出院が決まりました。仮出院前に首席が最後の面接をするんですが、その少年の最後の面接を行ったのが向井首席だったんです。その面接から出てきたとき、少年は見違えるような表情で僕にこう言ったんですね。“仮出院の最後の面接に、こんなすごい先生に会えて僕は嬉しい。なんで自分が少年院に入ったのか、どうして勉強しなければいけないのか、とてもよくわかりました。でも、なんでもっと早く来てくださらなかったかといました”と。この彼の言葉と表情は今でも忘れることができませんね」

 向井の面接後、態度だけでなく表情まで変わってしまう少年たちが一人また一人と増えていった。そういった少年たちの変化に気づいた職員たちの間では、「どうして首席が面接すると少年たちは変わっていくのか?」という疑問が少しずつ湧き、やがて、やる気のある職員たちは向井が個人面接をするときには聞きを立てるようになる。


 向井が十数年取り組んできたLD、ADHD、アスペルガー症候群など軽度発達障害をもつ少年たちを含む院生たちへの指導は、あくまでも「発達障害に似た状態を示す子どもたちがいる」という視点から出発している。向井はそのことをこう説明する。

「LDにしてもADHDにしてもアスペルガー症候群にしても、共通しているのはメタ認知能力が弱い傾向にある、ということです。そして、これは専門の児童精神科医がLD、ADHD、アスペルガー症候群などの発達障害はないと診断した、一般の在院生にもみられる傾向だったのです。この共通項に気がついたとき、僕は少年たちが何につまずいているのか、ヒントがつかめたようにいました。

 つまり、少年院には、発達障害の子が多いのではなく、“メタ認知能力が弱い傾向にある”という少年が多いのです。そこのところを間違って理解している人が非常に多い。メタ認知能力というのは、発達障害をもっている人だけに特徴的なことではありません。そのことは多くの論文で指摘されています」(中略)

 メタ認知とは「知識の認知」(Flavell,J.H.)のことで、これはかみ砕いて言うと、「自らの学びについて自ら考える力であり、一人ひとりがもっている考過程に関する知識や、考過程をモニタリングしたり制御したりする力」(Thinking for themselves:Developing strategies for Reflective Learning;Jeni Wilson and Lesly Wing Jan)のことである。

 もっと簡単に言うと、「自分がどういうふうに物事をとらえるのか、自分自身でちゃんと理解していて、かつ、何かを“知る”ときに自分がどういうふうに知ろうとしているかチェックできる力、さらにすごく大雑把に言えば「自分で考える力」だ。

心からのごめんなさいへ―人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦

2008-07-24

新着エントリー


 相変わらず「人気エントリー」はアンチに軍配が上がっている。そこで、初めて訪れた方は、「新着エントリー」を参考にしてもらえば幸いである。ブックマークされた最新記事がピックアップされている。

ワイド書評『平和と文化の大城 池田大作の軌跡』を読んで


 これは永久保存版といってよい好企画だ。私は手っ取り早く、196〜209ページを破り取ってファイリングした。刊誌『潮』の健闘が光る。きっと『大白蓮華』の特集に化されたのだろう(笑)。


 もう一つ印象に残ったのは、日中国交正常化の提言と訪ソのくだりである。「中国は不気味な国だ」「ソ連は怖い国だ」という当時の日本人の対中、対ソ観からすれば、ある味で日本中を敵に回すようなものであり、「よく提言されたものだ」「よく行かれたものだ」とう。しかも批判されても批判されても友好の橋を架けるために何度も訪中訪ソする。これはよほどの信がなければできることではない。「なぜソ連へ行くのか」「そこに人間がいるからだ」。なんと重い言葉だろうか。

 私は1994年、中国各地を訪れた。驚いたのは、敦煌の入り口に「敦煌の遺跡保全に貢献された方」という説明書きとともに、私たちの大先輩である平山郁夫先生と池田会長の肖像画が、一人のドイツ人の写真とともに掲げられていることだった。日本人として誇らしくうと同時に、この一事に、中国の人たちがいかに池田会長に対しての敬愛のを抱いているかを知った。

 フランスの学士院やハーバード大学での講演はよほどのことがないかぎりできるものではない。アンドレ・マルローやルネ・ユイグとの対談集の出版もフランスを知る者として驚嘆の一語に尽きる。彼らは命を張ってナチスと戦ったレジスタンスの闘士である。偽者は絶対に許さない。芸術を観る目も厳しい。「きみのオリジナリティは何だ? コピーじゃないか」。それで一刀両断である。そういう人たちと池田会長は対談されている。それは彼らが会長を本物と認めたからだろう。


《宮島達男/東北芸術工科大学副学長、現代美術家》


 この本は、そういう現代の傑出した人間の評伝である。だが、政治家にしろ宗教家にしろ、小物(こもの)ばかりがひしめいている現代にあっては、傑出した存在は存在自体が否定され忌避されるのがこの国の風土である。池田大作氏はこれまでの永い年、そういう扱いを受けてきた。情けないとしか言いようがない。

 傑出した人物――言いようによっては英雄的な人物から学ばずして、人はいったいなにから学ぼうとするのか。ことわっておけば、それは宗教家になるためでもなければ、政治家になるためでもない。


《高崎隆治/評論家》


(ロシア連邦友好勲章の授与について)

 注目すべきはバブーリン氏だ。

 ロシア国家院前副議長のバブーリン氏は、「クリル擁護同盟」の代表者で、北方領土に対して、非常に厳しい立場を取っている人物である。ロシアにおける右派保守派の中で非常に有力な政治家でもある。このバブーリン氏が推薦者としてを連ねているということは、ロシアが党派を超え、イデオロギーを超えて、池田会長を評価していることの表明でもある。その評価の表れの最たるものがプーチン大統領の発した大統領令と読み解くことができる。




 問題は、日本の有識者や、ロシアの専門家たちが、池田会長とSGIソ連・ロシアとの関係において果たした役割を等身大で見られなくなっていることである。創価学会の関連することになると、なぜ色眼鏡で見るのか。なぜ、事実関係をもとに正当な評価ができないのか。

 今後は、創価学会がやってきた事実を文書に残し、日本全体で共有することが重要になる。私はキリスト教徒なので創価学会に阿(おもね)る必要はない。しかし、以下のことは一人の日本の宗教人として指摘したい。「日本の宗教団体である創価学会績は、創価学会の遺産であると同時に、日本全体の遺産でもある。だからたいせつにしたい」と。

 このようなごく当たり前のことを創価学会に関してはいえなくなっている状況がおかしい。

 宗教的偏見によって人を貶(おとし)めるようなことは絶対に許してはならない。そんな国は国際社会で絶対に尊敬されない。具体的な反社会的事実や行動があるとしたら、批判すればいい。だが創価学会という組織であるが故に、偏見にさらされ、不当に評価されるのは絶対におかしい。


佐藤優/作家、起訴休職外務次官


【『潮』2008年7号】


潮 2008年 07月号 [雑誌]

池田大作の軌跡―評伝 平和と文化の大城〈1〉 池田大作の軌跡 2―評伝平和と文化の大城 (2)

『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ


 それよりもはるかに大事なのは動機、正当化の理由である。あなたはなぜそれをしたのか? あなたは犯罪を犯していたことを知っていたのか?

 この二つの質問への答え、あるいは同様の質問への答えは、非常によく似ている。それは尋問される個々の人物には関係がない。たとえそれがシュペーアのように、野的で、頭の良い専門家であっても、アイヒマンのように冷酷な狂信主義者であっても、トレブリンカのシュタングルやカドゥクのような愚鈍な野獣であっても。言い回しは異なり、知的水準や教養程度の差で傲慢さに強弱はあるにせよ、彼らは実質的に同じことを言っていた。私は命令されたからそれをした。他のものは(私の上司たちは)私よりもずっとひどい行為をした。私の受けた教育、私の生きていた環境では、そうせざるを得なかった。もし私がそうしなかったら、私の地位に取って代わった別のものがさらに残忍なことをしただろう。こうした自己正当化を読むものが、初めにじるものは嫌悪の身震いである。彼らは嘘をついている、自分の言うことが信じてもらえるなどとははなからっていない、自分たちがもたらした大量の死や痛と、彼らの言い訳の間の落差を見て取ることができない。彼らは嘘をついていることを知りつつ、嘘を述べている。彼らは悪を持って行動している。


灰色の領域


 私たち生き残りは自分の経験を理解し、他人に理解させることができたのだろうか。私たちが普通「理解する」という言葉で了解していることは、「単純化する」という言葉と一致している。根本的な単純化なしには、私たちの世界は際限のない、不明確なもつれあいと見えるだろう。それは私たちの方向覚や、行動を決める能力に立ち向かってくることだろう。要するに私たちは認知可能なことを図式化するよう強制されている。私たちが進化の過程で作り上げた、人間に特有の素晴らしい道具、つまり言葉と概考はこの目的を目指している。

 私たちは歴史も単純化しようとする。しかし様々な歴史家たちが、互いに矛盾するような形で、歴史を理解し、再構成することも起こり得るのである。しかしながら、おそらくさかのぼれば、私たちの起源が社会的な動物であることに理由があるとえるのだが、私たちの中には、我々と彼らという形で領域を分ける必要が強固に存在している。であるから、この図式、つまり敵と味方という二分法はすべてのものに優先している。人々の間で語られる歴史、そして学校で伝統的に教えられる歴史は、この二分法的な傾向を非常に強く見せていて、あいまいな分け方や複雑な混成を忌み嫌っている。それは人間の様々な出来事を抗争に、抗争を対決に帰する傾向を持っている。つまり我らと彼ら、アテネ人とスパルタ人、ローマ人とカタルゴ人といった具合である。サッカー、野球、ボクシングといった見世物的なスポーツが非常な人気を集めているのは、確かにここに理由がある。そこで競い合うのは非常にはっきりとした、見分けやすい二つのチーム、あるいは二人の人物で、試合の最後には勝者と敗者が決まる。もし結果が引き分けなら、観客は期待を裏切られ、がっかりする。観客は多少なりとも無識的に、勝者と敗者を望んでいて、それを善人、悪人と同一視してしまう。なぜなら善人が最良のものを得るべきで、そうでなければ世界は立ちゆかなくなるからだ。

 この単純化の「希望」は正当なものであるが、単純化自体は常にそうあるわけではない。それは作仮説であって、そうであると認められる限りは有益であるが、現実と混同されてはならない。大部分の自然現象、歴史的現象は単純ではない。あるいは私たちに好ましい単純さを備えたようなものではない。ところで、ラーゲル内部の人間関係の網の目は単純なものではなかった。それを犠牲者と迫害者という二つのブロックに還元することはできなかった。今日ラーゲルの歴史を読むものには、次のような傾向が見られるし、そうした必要がじられる。つまり善と悪を区別し、一方に味方し、善人をこちらに、悪人をあちらにと振り分ける、最後の審判の時のキリストの行為を繰り返すことである。特に若者がそうで、明晰さを、はっきりとした切り口を求める。若者は人生経験が少ないので、あいまいさを好まないのである。それに彼らの期待は、若いか否かにかかわらず、ラーゲルに到着したばかりの囚人たちの期待を正確に再現している。似たような経験をしたものは違っていたが、それ以外のすべてのものは、恐ろしくても、味が分かる世界があることを期待していた。つまり私たちが先祖代々受け継いできた、単純なモデルに一致する世界、はっきりとした地理的な境界線で、「私たち」は中に、敵は外に、分かれている世界があることを期待していたのだ。

 しなしながらラーゲルへの入場は、それに伴う驚きのためにある衝撃となった。私たちが落ちたとじた世界は確かに恐ろしかったが、また理解不可能でもあった。それはいかなるモデルとも一致せず、敵は周りにいたが、内部にもいた。「私たち」は自分自身の境界を失い、敵対する側は二つではなく、境界線は見分けられず、数多くあり、混乱していて、おそらく無数にあり、個人個人の間に引かれていたのだ。そこには少なくとも、同じ不幸な境遇にいる仲間たちの連帯を期待して入るのだが、期待した同盟者は、特別な場合でない限り、存在しなかった。そうではなくて無数の密封された単子(モナド)がいて、その単子の間で隠された、絶え間ない、絶望的な戦いが行われていた。収容所に入れられた直後になされるこの不の啓示は、しばしば同円的な攻撃という直接的な形で、将来同盟者になってほしいと期待する側からなされた。この啓示はあまりにも厳しいもので、すぐに抵抗する能力を崩壊させた。多くのものにとってそれは直接的であれ、間接的であれ、致命的なものであった。予期していない打撃から身を守るのはとてもしいのである。


 普通は、喉の渇きをいやすには、夕方のスープと、の10時ごろに配給される代用コーヒーで十分だった。しかしそれではもはや十分でなかった。渇きは私たちを責めさいなんだ。それは飢えよりもずっと切実だった。飢えは神経の言うことに従い、小康状態になり、痛、恐怖といった情で一時的に覆い隠すことができた(私たちはイタリアから汽車で運ばれて来た時、このことに気がついた)。渇きはそうではなくて、戦いを決して止めなかった。飢えは気力を奪ったが、渇きは神経をかき乱した。そのころは昼も夜も、渇きがつきまとって来た。


 ここで繰り返すが、真の証人とは私たち生き残りではない。これは不都合な考えだが、他人の回録を読んだり、年を置いて自分のものを読み直して、少しずつ自覚したものである。私たち生き残りは数が少ないだけでなく、異例の少数者なのだ。私たちは背信や能力や幸運によって、底にまで落ちなかったものたちである。底まで落ちたものは、メドゥーサの顔を見たものは、語ろうにも戻って来られなかったが、戻って来ても口を閉ざしていた。だが彼らが「回教徒」、溺れたものたち、完全な承認であった。彼らの証言が総合的な味を持つはずであった。彼らこそが規準であり、私たちは例外であった。別の空の下で、似ていながらも異なった隷属状態を生き延びたソルジェニーツィンは、同じようなことに気づいている。


 この「話しかけられない存在」であることは、迅速で破壊的な影響をもたらした。人は話しかけてこないものに対して、わけの分からない叫びだけを投げつけてくるものに対して、あえて言葉をかけないものである。もしかたわらに同じ言葉をしゃべるものがいる幸運に恵まれたら、それはとてもいいことだ。自分の考えを言えるし、助言を求められるし、いを吐き出せる。もしだれもいなかったら、言葉は数日のうちに枯れてしまい、言葉とともに考もしぼんでしまう。

 それに直接的な面では、(※ドイツ語を理解できなければ)命令や禁止が分からないし、無用なものや人をばかにしたものもあるにせよ、基本的な規定を理解することができない。要するに虚無の中にいるのであって、疎通が情報を生み、情報なしには生きていけないことを、自分で犠牲を払って理解するのだ。ドイツ語を知らなかった囚人の大部分は、つまりほとんどすべてのイタリア人は、収容所に着いてから10日から15日で死んでしまった。一見すると、それは飢え、寒さ、労、病気のためだった。しかしよく調べてみると、情報の不足のためだった。彼らがもしより古参の仲間たちと疎通ができていれば、よりよく対処できたことだろう。


 ユダヤ人には、つまり不潔で、不純さをまき散らし、世界を破壊する、敵の代詞であるユダヤ人には、最も重要な疎通が、祖国との、家族との通信が禁じられていた。数多くある中で、いかなるものであれ、流刑を経験しているものは、この神経の糸が切られるとどれだけしいか知っていることだろう。それからは、捨てられたという致命的な印象と、不当な怒りが生まれる。なぜ私に手紙を書いて来ないのか、なぜ助けてくれないのか、自由の身でいる彼らは。当時私たちは、自由という大きな大陸の中で、通信の自由が、ある重要な領域を占めていることを十分に理解した。それは健康と同じで、失ってから初めて重要が分かるのだ。しかしそれは単に個人レベルでのしみではない。疎通が妨害された国々、あるいは時代では、すぐに他の自由もしぼんでしまう。倦怠から議論は死に絶え、他人の見への無知が広がり、押し付けられた見が勝利を収める。その有な例は、ソ連でルイセンコが唱えた、狂った遺伝学説で、論議がなされなかったため(反論したものはシベリアに流刑になった)、20年間、作物の収穫を損なったのであった。不寛容は検閲を生み出し、検閲は他人の論理への無知を増大させるから、結果として不寛容を増大させる。これは硬直した悪循環で、断ち切るのはしい。


溺れるものと救われるもの

2008-07-23

「胃ろう」入所の足かせ


「戦争や戦後のしい時代を過ごしてきた世代の親が、なぜこんなひどい仕打ちを受けるの?」

 1DKのマンションで、87歳の母親を介護する愛知県の女(57)は、そう憤る。

 母は脳梗塞(こうそく)のため寝たきりで、の疎通ができない状態だ。2006年、母は4か入院した病院から退院を求められ、長期入院が可能な療養病床を探すことになった。

 当時、鼻から胃に通した管で栄養を取っていたが、腹部に開けた穴から栄養剤を入れる「胃ろう」を作った。病院から「療養病床に受け入れてもらうために必要」と勧められたのだ。

 高齢になると、ものを飲み込む機能が落ちる。特に脳梗塞などになると、食べ物が誤って気管から肺に入り、肺炎を起こすことも少なくない。

 こうした患者にとって、鼻からのチューブ栄養は簡単に挿入できる利点があるが、患者が自分で引き抜いて食べ物が肺に入り、肺炎を起こしてしまうことがある。母が胃ろうを付けたのは、こうした危険が少ないからだ。

 女は、療養病床がある病院のリストを病院から渡され、36か所に電話した。ところが、どこも「満床」と、入院を断られた。

 次に、介護が必要な高齢者のための老人保健施設数10か所に当たると、今度は「胃ろうを付けている人は、管理がしいので入所できない」と拒否された。

 胃ろうへの栄養剤注入や器具交換は、医師看護師が行う「医療行為」。施設の介護職員は行えない。このため、医師や看護師が少ない老健施設では、胃ろうの患者を断ったり、受け入れ人数を制限したりする場合が少なくないのだ。

 在宅療養では、胃ろうへの栄養注入を家族が行うことが認められており、女は在宅に切り替えた。

 利用している介護サービスは入浴介助だけで、ほぼ一人で母を介護する。たまには老健施設の短期入所を利用して母を預け、身を休めたいが、胃ろうが原因で、短期でさえ受け入れ先が見つからない。

 国は、35万床ある療養病床を、2012年度末までに半減する方針だ。高齢者に退院を促すなら、栄養注入を行うことを介護職員にも認めて老健施設の機能を強化したり、在宅介護サービスを充実させたりする必要がある。


【読売新聞 2008-07-15】


 脳に最大の刺激を与える動作は、「食べること」と「立つこと」である。この二つができなくなると、一気に痴呆が進む。嚥下機能は条件反射であるため、自分の唾を飲み込める人であれば、チューブを外せる可能がある。また、立つことがしくても、座るだけでも身体機能が促進される

『老人介護 常識の誤り』三好春樹


 ではなぜ従来の専門が、高齢社会と呼ばれる現代の人々のニーズに対応できなくなり、逆に寝たきりや呆けを作り出すに至って結果的に介護の台頭を許すことになってしまったのか。

 その最大の原因は皮肉なことに近代医療の発達なのである。病院の始まりは、野戦病院である。そこは死を待つ場所であった。抗生物質のない時代に、病人とケガ人は、染の予防も治療もできず、死に至った。医師にできることはわずかの治療、それも現在の知識レベルでは効果があるとはえないような薬が与えられていただけであった。しかし看護には有効な方法があった。安静を保ち、栄養を補給することである。安静と栄養と“治療”を受けたという暗示によって、回復力のある運のいい若い患者は治癒することができた。

 当時の看護師は、安静の技術を持っていればよかった。栄養を補給することを考えればよかった。だから、いまだに老人に鼻からチューブで栄養を摂(と)らせようとし、そのチューブを老人が嫌がって抜いてしまうから、と、手を縛って安静を強制してしまうのである。それが老人を寝たきりと呆けに追いやってきた。そういったほう法論だけではなく、問題となるのが、医療者、看護職の頭の中で「安静を必要とする病人」というイメージが固定化されてしまったことにある。


「昔、家で看(み)取っていたときにはしまないですんだんだ。弱ってくると人間は生理的脱水になる。つまり体中の水分が少なくなる。すると痛みやしみをじなくなって、少しずつ、ちょうど飛行機が着陸するみたいにを引き取った。ところが病院では脱水にしないために点滴を絶やさない。すると痛みをじたまま、飛行機が墜落するように死ななきゃいけなくなった」

 これはある年老いた開医の溜めまじりの言葉である。先生はこう続ける。

「そうした死にかたよりももっと残なのは、家族や本人がそれを望んでいることだよ。死に対して近代科学で抵抗しようとするんだなあ。気持ちは判るけど結局無駄な抵抗で、本人がしむだけなんだが。死に対してちゃんとふつうにつき合うということができなくなってるんだなあ」


 科学に管理されるに至ったのは死だけではない。誕生もそうだ。現在ではほとんどの赤ちゃんは病院で生まれる。ところが、ある大病院の産科では、の9時から夕方の5時の間にしか生まれないという。産婦人科の学会のある日には一人も生まれなかったりするのである。つまり、生まれてくる日も時間も、陣痛促進剤によってコントロールされているのだ。

 今、若者や子どもが荒れていると言われている。すぐキレる、待てないというのが特徴だという。これは無識が荒れているとしかえないではないか。

 人の無識はいつ形成されるか。母親の胎内にいるときと2歳までだと言われている。子供たちは体内にいるときから待ってもらってないのだ。ちゃんと成熟して母親の産道をしみながら出てくるという体験をさせてもらえないのである。

 陣痛促進剤に無痛分娩、帝王切開という専門的で科学的な出産方法が都会で急に増え始めたのが、荒れる若者たちが誕生した頃からではないか、というのは門外漢である私の推論であるが、この説を聞いた関係者の多くが「そのとおりなんですよ」と言うのである。


 そもそも、寝たきりと呆けではその原因は全く違うはずである。寝たきりは身体機能の問題である。それに対して呆けのほうは精神の問題だとされている。だから例えば保健所でも、寝たきりと呆けでは担当が違っているくらいだ。デイサービスセンターも寝たきりと呆けの人では受け入れるところが違っていたりする。

 ところが、寝たきりと呆けはセットなのである。もしあなたが寝たきりになったとしよう。すると、どんなインテリであったとしても、3年後には呆けてしまっている可能が高い。


 呆けが深くなるほど、「自発的外出」(※徘徊を指す)のとき、曲がり角を左に折れていくことが多いというのが法則のようなのである。


 つまり、呆け老人が寝たきりとセットになってしまう原因は、家の中に閉じこめられること、さらに部屋の中に閉じこめられること、そしてベッドに縛りつけられることにあるということが判る。しくいえば、生活空間の狭小化、ということになる。


 体を使わないでいると筋肉が細くなるというのは誰でも知っている。廃用筋萎縮である。しかし精神機能も使わないでいると低下していくものである。体も精神も、生活の中で使うことで維持、再生産されているからである。


 寝たきりにならないためにはどうしたらいいか、寝たきりになったときにどうすればいいのか。呆けにならないためにはどうしたらいいのか、呆けたときにどうすればいいのか。この二つの問題さえ解決すれば、「老人問題」なんて言葉から深刻さがかなり消えるはずである。


 介護とは、こうした、口には出せないが、その表情によって雄弁に語る老人の願いと、それを引き出したいという介護者のいとが交差する試行の中に生まれてくる。


 バランスは訓練より慣れだと言われている。つまり、識的に行なわれるバランス訓練などよりも、無識な生活動作の繰り返しによって獲得されるのである。

 従って機能訓練の時期にPTやOTが行なう最も大切なことは、この経過に根気強く付き合い、励ますことなのである。


 すでに批判がなされているように「早期発見、早期治療」とは「早期選別、早期隔離」に他ならなかった。障害児たちは、家庭という生活の場から、治療と教育の場である施設に収容された。そこで彼らは、リハビリの専門家から訓練を受ける対象と見なされた。治癒を願う母親までがPTやOTの指示で、泣き叫ぶ子供を押さえつけて訓練したのだった。


 専門の医師たちは、全国からやってくるこうした特殊なケースばかりを診察しているものだから、そうした特殊な食事方法を他の老人にまであてはめてしまうのである。つまり、「病理」は知っていても「生理」は知らないのだ。


 オムツにしない工夫こそが介護なのである。オムツに出た便を処理するのは、介護ではなく“後始末”にすぎない。


 いわば、痴呆の原因は、老いを巡る「関係障害」だと言っていいのではなかろうか。老いに私たちがうまく関われない、そして老人自身が老いた自分とうまく関われなくなるということである。


 関係障害を治癒するとは、老人自身が老いた自分との関係を取り戻すことにある。そのために必要なことが、じつは家族的関係と社会的関係の二つの種類の関係の中にあるのだ。

老人介護 常識の誤り (新潮文庫)

2008-07-22

聖教新聞に後輩の名前が


 今日付の一面に後輩の前が掲載されていた。最初に出会ったのは、彼が創価班大学校の面接を受けた時のこと。私は総区団長だった。彼は親から入会を反対され、高校卒と同時に家を出て御本尊を安置した。20代で本部長となり、現在は分区男子部長として指揮を執る。個人折伏も10世帯以上成し遂げている。後輩の大いなる成長は実に嬉しく、また誇らしい。

会合の遅刻・欠席について


 創価班と部長会で徹底して叩き込まれた。万が一という場合は、中者に指導を受けた。それでも認められることは殆どなかった(笑)。「必ず馳せ参じよ」と。「どうにもならない状況」の中で「何とかすること」が訓練だった。本山担当・本部担当においては、苛烈の度を増した。


 そんな訓練を受けてきたために、私は後輩に対しても同じように教えた。「遅参そのを得ず」と。男子部の本部長時代、私は部長会こそ生命線であると考え、それはそれは真剣な姿勢で臨んだ。連絡なしで遅れた者は立たせた。発言権もなし。部長会が終わると立ちくらみを起こして、ふらつく連中もいたよ(笑)。私は常に30分以上前に拠点に着いて、題目をあげて皆を待った。


 ある時、部長メンバーの同僚という人物から拠点に電話が入った。「○○さんと飲んでいるんですが、ぐでんぐでんで行けないため、連絡して欲しいといわれまして……」。礼を述べて私は唱題を続けた。「部長会の欠席はマイナス因子だが、電話ができないほど酔い潰れている中で他人を使っても連絡してきたのはプラス要因だ。今度会った時は褒め称えることにしよう」――胸の中でそんなことをった。


 ところが彼は、ここから転落していった。当初は仕事の多忙を理由にしていたが、毎晩飲み歩いていることが判明した。連絡もつかなくなり、姿が全く見えなくなった。ずっと一緒に戦ってきたメンバーだった。何度かつかまえて腹蔵なく話し合い、区男にもつないだ。涙ながらに再起を誓ったこともあったが、結局堕ちていってしまった。その間の事情を私は全部知っている。真面目な彼の格は、弱い自分を許すことができなかった。


 たった一度の遅刻が人生の明暗を分けることもあるのだ。


 本部担当で私が部長をしていた時のこと。若いメンバーが仕事でどうしても任務に就くことができなかった。二人で運営指揮に指導を受け、題目もあげにあげた。彼は運営指揮の指導通りに戦った。それでもダメだった。彼は本部任務のの出発に駆けつけ、皆に詫びた。私は立ち上がり、彼がギリギリのところまで戦ったことを紹介し、「部長である私の責任です。申しわけありませんでした!」と泣いて謝った。その時、「いいよ、いいよ。もう、いいよ」というがした。総括が立っていた。「今回のことは、僕の責任でもある。申しわけありませんでした!」――罵倒されてもおかしくない場面で、総括は我々のために頭を下げてくれた


 法勝負の厳しさをい知らされた。しかし、負けた時に勝つ原因をつくることもできる。

『決断力』羽生善治


 対局者同士で一つ一つの場面での判断の違いは小さな差であるとう。しかし、それが10個になり20個、50個となると大きな差になる。作戦の考え方、組立て方では大きな違いがなくても、ちょっとした判断の違いが積み重なると、局面に棋士の個が出てくるのだ。


 私が深く集中するときは、スキンダイビングで海に潜っていく覚と似ている。

 一気に深い集中力には到達できない。海には水圧がある。潜るときにはゆっくりと、水圧に体を慣らしながら潜るように、集中力もだんだんと深めていかなければならない。そのステップを省略すると、深い集中の域に達することはできない。焦ると浅瀬でばたばたするだけで、どうもがいてもそれ以上に深く潜っていけなくなってしまう。逆に、段階をうまく踏むことができたときには、非常に深く集中できる。

 これ以上集中すると「もう元に戻れなくなってしまうのでは」と、ゾッとするような恐怖に襲われることもある。


 実は、将棋では、勝ったケースのほとんどは相手のミスによる勝ちである。本当のことだ。拾い勝ちというじなのだ。テニスなども、自分の強烈なショットがダウン・ザ・ラインに決まって勝つというより、相手のミスに「救われた!」というゲーム展開が多いのではないか。

 ミスには面白い法則がある。たとえば、最初に相手がミスをする。そして次に自分がミスをする。ミスとミスで帳消しになるといがちだが、あとからしたミスのほうが罪が重い。そのときの自分のミスは、相手のミスを足した分も加わって大きくなるのだ。つまりマイナスの度数が高いのだ。だから、序盤から少しずつ利を重ねてきても、たった一手の終盤のミスで、ガラガラと崩れ去る……そこが将棋の面白いところでもあり、逆転も多く起きる。プロ同士の対戦でもそういうことで決着がついていることが多い。


 そのためにも、「自分の得な形に逃げない」ということをがけている。自分の得な形に持っていくと楽だし、私にも楽をしたいという気持ちはある。しかし、それを続けてばかりいると飽きがきて、世界が狭くなってしまう。しくなって、アイデアも限られてしまうのだ。


 私は、日常生活では、将棋から離れ、自然体を保つことをがけている。

 一局終わると体重が2〜3キロ減ってしまう。頭を使っていると水分をどんどん取られていくようで体重が落ちてしまうのだ。それを戻すのが最初。もうひとつ、頭の疲れは休めばとれるが精神的な疲れはなかなかとれない。だから、次の対局に臨むまでに、いかに頭の中をクリアにして、新鮮な気持ちを取り戻せるようにするかが一番しい。


 しかし、勝ちにこだわる将棋は、将来的にはマイナスになりかねない要素でもある。勝つことだけを優先していると、自分の将棋が目の前の一勝を追う将棋になってしまう。今はいいが、将来を考えると「よくないな」と気づいた。

 勝負に勝つことは、企でいえば目先の利益である。目先の利益も大事だが、先行投資的な勉強もしなければならない。長く将棋を続けていくためには、目先の勝負以外のところで何かしなければならないのだ。


決断力 (角川oneテーマ21)

2008-07-21

『インテリジェンス 武器なき戦争』手嶋龍一、佐藤優


佐藤●そこをどう分析するかで、各国の情報に差が出てくる。だからこそ、われわれが扱う「情報」は「インフォメーション」ではなく「インテリジェンス」なんです。


手嶋●そういう味でも、『自壊する帝国』は味わい深い作品でした。実をいうと、読んでいて愕然としてしまったんです。僕はこれまで「自分はラスプーチンとは全然似てない」と言い募ってきたのです。しかしながら、この本を読んで、不気味なほど共通点が多いことに気づきました。たとえば、佐藤さんは外務省、僕は公共放送と、お互い巨大組織にいた。しかも、その組織にあって、僕は明らかにマイノリティでした。佐藤さんも、決してマジョリティじゃない。


手嶋●(東京は)これだけ生活コストがかかる街にもかかわらず、これはという情報組織は一級の人材を送り込んできている。外な、とわれるでしょうが、ヴァチカン市国は、隠れた情報大国です。近世の対日諜報報告は、古典に挙げられるほどの水準です。軍事力は皆無に等しいのですが、彼らが全世界に張り巡らしている聖職者のネットワークは、実に整ったものです。そのインテリジェンス能力にはいまも侮りがたいものがある。


佐藤●では、ニュースソースは誰か。この種の話はきちんとしておいたほうがいいとうので、あえて踏み込んでお話ししますが、ロシアには科学アカデミーという組織があります。ロシアの最高学府はモスクワ大学で、そこでは東京大学よりもエリートの絞り込みが行われていますが、そのモスクワ大学よりもさらに絞り込んでいるのが科学アカデミーですね。たとえば民族学人類学研究所なら研究員は600人、大学院生は6〜7人しかいない。年によっては入学試験合格の該当者なしということもあります。つまり、そこの大学院(3年制)に入学すれば研究者もしくは大学講師の道が保証される。大学は教育研究機関ですが、科学アカデミーはそれより一段上の研究機関なんです。

 その科学アカデミーの中に、東洋学研究所というのがあるんですね。日本の教研究などを行っているのですが、それと同時に、いわゆるオリエンタリスト(東洋学者)というのは各国の植民地支配の手先になったので、常に諜報と深く関係している。諜報員が擬装に使う研究所でもっとも多いのは、科学アカデミーの東洋学研究所なんです。


佐藤●インテリジェンスの世界は情報を外に漏らさないのが原則ですが、しかし自分がやっていることについて、仮に現時点では嘘をついたとしても、後世に対しては絶対に嘘をついてはならない。そのためには記録を残しておかなければいけない。それが、国家や歴史に対する責任なんです。ところが今は、記録なしのメチャクチャな外交が行われている。


手嶋●インテリジェンスは常に「錯誤の連続」です。

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

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 日禅を調べていて見つけた。真摯に研鑚されてます。見習わなくては……。

国際治安支援部隊が誤爆、アフガン警官9人死亡


 アフガニスタンからの報道によると、同国西部ファラ州アナルダラ地区で20日、北大西洋条約機構(NATO)主導の国際治安支援部隊(ISAF)がアフガン警察の隊列を空爆し、警察官9人が死亡、5人が負傷した。

 現地の警察幹部によると、現場で別々にパトロール中だった警官隊とアフガン陸軍部隊がそれぞれ相手を旧支配勢力タリバンの兵員と誤認して戦闘を開始。ISAFは陸軍の要請を受けて、誤爆した模様だ。

 また、ISAFは20日、東部パクティカ州バルマル地区で19日深夜、ISAFの部隊が目標を誤って迫撃砲を2発発射し、アフガン民間人4人が死亡、4人が負傷したと発表した。さらに3人が死亡しているとの未確認情報もあるという。


【読売新聞 2008-07-20】

アフガニスタン:誤爆で民間人47人死亡 米軍機が結婚式車列を


 アフガニスタン東部ナンガルハル州で6日米軍機による空爆があり、アフガン政府は11日、結婚式の車列が誤爆されて女と子供39人を含む計47人が死亡したと発表した。米軍側は「死んだのは武装勢力」と主張しているが、政府の調査チームは「(旧支配勢力)タリバンや(国際テロ組織)アルカイダとは全く関係のない民間人が誤爆された」と断じた。東部ヌリスタン州で4日にあった米軍の空爆でも、多数の民間人が死傷したとする地元当局に対し、米軍側は「死者は武装勢力」と反論。米軍の空爆などで死んだ民間人は今年1から半年間で過去最悪の698人に上っている。


【毎日新聞 2008-07-12 東京夕刊】

2008-07-20

翻訳能力を磨け


 佐藤優小田嶋隆の本を読むたびに唸(うな)らされるのは、彼等の「翻訳能力」が高いためだ。様々な現象をスッキリとわかりやすく表現するには、情報を再構築し直す作が不可欠だ。つまり、「翻訳能力」とは「物語を再構成する力」ともいえよう。


 一読して自分が天才になったような錯覚を覚える本がある。最近読んだものでは、『人間 この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』、『反社会学講座』、『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』、『青い空』、『なぜ美人ばかりが得をするのか』、『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』、『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』などなど。いずれも、自分の仕事や、歴史、あるいは主張を見事に翻訳した作品といってよい。


 そう考えると、釈尊大聖人法をわかりやすく民衆に翻訳してくれたと見ることも可能だ。


 私が「創価王道」で、指導の所を綴っているのも、一つの翻訳作である。ま、大した翻訳にはなってないが(笑)。


 通常の翻訳とは、「わからない言語」を「わかる言語」に変換する作である。私が言う翻訳とは、「わかりにくい物語」を「わかりやすい物語」に変換することだ。物語に必要なのは「何かと何かをつなぐ」こと。ほほう、法の縁起っぽくなってきたぞ(笑)。では、翻訳能力を高めることを「縁起を担ぐ」と表現しようかな(笑)。


 例えば、私なんぞはダラダラと駄文を認(したた)めているが、どうしても文章を書くのが手だとか、書く時間がないという人もいることだろう。しかし、その中には「情報と情報をつなぐ」能力に長(た)けている人もいるはずだ。かようなメンバーには、学会系サイトや宗教系サイトの記事をカテゴライズするようなブログをつくって欲しいとう。私自身、記事の量が多過ぎて、どこに何を書いたかすら覚えていない有り様なのだ(笑)。


 いずれにせよ、これからのリーダーには「翻訳能力」が不可欠になることを明言しておく。

『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人


 1970年代に端を発した環境・野生動物保護運動は、ことごとく成功を収めた。成功者グリーンピース、WWF(世界自然保護基金)などの巨大環境保護団体である。彼らはマスメディアを利用して、説得力ある訴えと目を引きつける映像を一般大衆に送り、国際世論を創り上げた。だが、その訴えの多くが事実に反していたし、映像も創作されたものがほとんどだった。


「環境ファッショ」という言葉がある。「環境帝国主義」や「環境植民地主義」と同じく、過激で独善的な自然、環境、動物保護運動に対する表現である。この環境帝国主義の犠牲者は、アザラシと共に生きるイヌイットや、象の利用で潤うアフリカ民族以外にも、いくつも指摘できる。また捕鯨の禁止で伝統的食文化を奪われたのは日本人だけではない。韓国、トンガ、フィジー、アイスランド、カナダ、ブラジル、ペルーなどの人々も同じだ。

 日本はさらに、母船式サケ・マス漁とアカイカ、カジキを対象にした公海流し網漁も、環境保護団体のキャンペーンで禁止に追い込まれている。


 環境帝国主義とは、一般的には環境問題に関する自己の主張を相手に強要する行為を指すが、ここでは次のように定義しておく。

「自国以外に生する動・植物の利用を、自国の法律または国際条約によって一方的に禁止しようとする考え方並びにその行動」

 このようなことが実際にあり得るだろうか。いぶかる人々も多いとうが、環境帝国主義は堂々と罷り通っている。

 アメリカには「海産哺乳動物保護法」と「絶滅に瀕した動植物保護法」という二つの国内法がある。いずれも1970年代の初めに制定されている。前者は、クジラを初め、オットセイ、イルカ、アシカ、アザラシ、トドなどすべての海洋哺乳類の保護を決めた法律で、殺すことはもちろん、虐待いじめることも禁止している。更にその製品の輸入までも禁じられている。例えば、クジラのベーコンやアザラシの毛皮はアメリカ国内には持ち込めない。そして、後者の「絶滅に瀕した動植物保護法」は、絶滅の恐れのある動植物の利用だけでなく、その生、繁殖地の開発あるいは利用までも禁じている。

 信じられないことだが、アメリカのこの二つの国内法は、全世界を対象にしている。「海産哺乳動物保護法」に基づき、アメリカは国際捕鯨委員会IWC)の場で全面禁止を実現した。同法はニクソン大統領時代の72年に制定されたが、このアメリカ大統領は「私はこの法律の効果を世界中に広めたい」と署時に語っている。

「絶滅に瀕した動植物保護法」で、保護すべき動物としてリストアップされている種は全体で900にのぼるが、そのうちの600が、なんとアメリカ以外に生する動物である。


 アメリカは前述の国内法「海産哺乳動物保護法」と「絶滅に瀕した動植物保護法」以外に、さらに二つの国内法を持つ。「パックウッド・マグナソン法」(PM法)と「ペリー正法」(PA法)である。

「PM法」と「PA法」は「国際捕鯨取締条約」と「ワシントン条約」という二つの国際法の“番犬”的な役割を担う。

「PM法」は『「国際捕鯨取締条約」の規制の効果を減殺した国に対して、米国200カイリ以内の漁獲割当てを、初年度50%削減し、2年目にゼロにする』という内容である。また「PA法」は『「ワシントン条約」の効果を減殺する国に対し、その国からの製品の輸入を禁止する』ことをうたっている。

「PM法」も「PA法」も明らかに国際条約あるいは国際協定に反する。「PM法」は、国際条約の定に反する国内法の制定を禁じた「ウィーン条約」に違反するし、「PA法」も当時のガットいまのWTO条項に抵触する。だが、アメリカはこの二つの国内法を振りかざして日本に圧力をかけてきた。

 1982年のIWCの年次会議で、商捕鯨のモラトリアム(全面中止)が採択された。これはIWC・科学小委員会の勧告を無視したものであったため、日本は条約の規定に基づいて異義を申し立てて従わない方針を取った。しかし、アメリカは「PM法」の発動をちらつかせて、日本政府に異議申し立ての撤回を強要してきたのである。わが国は米国200カイリ内でのサカナの割当てがなくなることを恐れて、IWCへの異議申し立てを撤回し、モラトリアムをのんだ。

 1989年のワシントン条約国会議で、タイマイを含む海亀の国際取引禁止が採択された。日本のべっ甲界は、主にキューバからタイマイの甲羅を輸入している。キューバではタイマイの資源管理を国家が行ない、増殖に力を入れているので、資源は豊富。世界のすべての海亀をひっくるめて絶滅種にリストアップする非合理に異義を表明する味から、日本政府は海亀の国際取引禁止に留保の表示をした。クジラのケースと同じである。

 ここでまたアメリカがクジラの時と同じ手を打ってきた。留保を撤回しなければ「PA法」を発動して、日本から車や半導体の輸入を禁止する、と脅しをかけてきたのである。

 べっ甲産は車や電子産とは比較にならないほど小さい。通産省は91年6に、タイマイの留保を94年7で取り下げるとアメリカ商務省に伝え、この問題に決着をつけた。


 環境帝国主義の本家アメリカは、環境問題に関する行動を、表面上は一応法律に基づいて起こしている。そのパターンを整理すると次のようになる。

 1.まず、保護したい動物を大げさに美化する。そして資源が絶滅しかけているという危機を打ち上げて国際世論を喚起する。

 2.IWCや「ワシントン条約」の会議で、多数派工作をして数の力で狙いを達成する。

 3.決定に対して異議を申し立てたり、留保をして抵抗を試みる国には、国内法による制裁発動を持ち出し、無理矢理に従わせる。

 環境帝国主義の犠牲になっている民族が、日本人、イヌイット、アフリカ人など、ほとんどが有色人種である点も見逃せない。

 ところで、アメリカ政府関係者も環境保護運動家たちも、当然のことだが自分たちが環境帝国主義者との認識は全くないのである。むしろ優れた価値観や文化を理解させたとの宣教師的な満足を持っている。


 反捕鯨キャンペーンは日本人へのレイシズムの現れ、と指摘する人は少なくない。アメリカのジャーナリスト、ポール・ジェイコブは76年119日付けの「デトロイト・フリー・プレス」紙に次のような署記事を寄せている。

「クジラを救おうというキャンペーンの提唱者たちは、アメリカ人に内在する日本人への偏見を刺激している。第二次大戦中の日系米人の強制収容と現在の反捕鯨キャンペーンとの間には、同じ東洋人を対象にしている点で類似がある。日本が獲っている鯨種の資源状態は減少に向かっていないのに、アメリカが過去に乱獲した鯨種のことには目をつぶっている。また、日本製品ボイコット運動は、他の白人捕鯨国に対しては向けられていない。アメリカ社会には人種に対するぬぐい切れない偏見がある」


 国際捕鯨委員会(IWC)の年次会議の場では、日本に対するレイシズム的行動が何回も見られた。

 78年6にロンドンで開かれた年次会議では、赤い染料が日本代表団に浴びせられた。(中略)

「マーダー!(クジラ殺し!)」「バーバリアン!(野蛮人め!)」「お前たちの殺したクジラの血だ!」

 こんな罵と共に降ってきた赤い染料は、日本代表団の頭や肩や膝に、あかたも血糊のように染み付いた。

 日本経済新聞社の元論説委員で、当時社会評論家として活躍していた故大和勇三は、オブザーバーとして取材を兼ねて出席している。帰国後、大和は講演のたびに次のように糾弾している。

「彼らがなぜ日本代表団にだけ染料水をかけたのか、私には察しがつく。彼らは退場する時に、ソ連、ノルウェー、アイスランド、スペインなどの白人捕鯨国の席には目もくれず、唯一の有色人捕鯨国である日本の代表団だけに向かって染料水をかけた。人種差別の現れに他ならない。アメリカが第二次大戦中に日本に原爆を落とし、白人交戦国のドイツ、イタリアに落とす図が全くなかったのと同じことだ」


 アスペンの弟分にあたるのがローマクラブである。このシンクタンクが展開したゼロ成長運動は、兄を上回って世界中に影響を及ぼした。ロックフェラー・グループがスポンサーとなって68年に設立されたローマクラブは、アスペン研究所より人材が国際的で、しかもアカデミックである。

 イタリアのベロギオにあるロックフェラー一族の私有地で最初の会合が持たれ、本部がローマに置かれたのでこの称になったが、中メンバーはアメリカの東部エスタブリッシュメントである。アスペンと異なるのは、メンバーが日本を含む25か国から集まっていること、また70人のメンバーの中には政治家は皆無で大学教授と財界人が多いことである。設立当初、日本からは大来佐武郎(日本経済研究センター理事長)、大島恵一(東大教授)、小林宏治(日本電気社長)、植村甲午郎(経済団体連合会会長)がメンバーとして参加している(肩書はいずれも当時)。


成長の限界」の主張を端的に言えば、地球の収容力と資源は無限ではないので、人口と経済の成長率をできるだけゼロに抑えなければ、人類は危機を迎える――ということである。これはマルサス主義に通じる考えだ。


 70年前後にアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどのアングロ・サクソン国家で発生した環境保護運動の背後には、アスペン研究所、WWF、ローマクラブなどのアングロ・アメリカンのエリート集団がいた。アングロ・アメリカンのエリートは、世界の経済発展を望まない。なぜなら有色人国家や途上国の経済発展が継続すると、アングロ・アメリカンのエリートたちが世界状勢を取り仕切る力が弱まる。

 しがたって、環境保護の面から世界の経済成長を抑える政策を推進している。


 彼ら(アメリカの東部エスタブリッシュメント)が行動を起こした背景には、有色人種国家の成長に対する脅威があった。戦争が起こらないと仮定すると、そんな現象を招かないようにするにためには地球環境保全を大義分に掲げ、環境保護面から経済と人口の抑制を図る――。これが彼らの本と戦略だった。


「アメリカが環境会議でクジラの問題を全面に押し立てたのは、ベトナム戦争に焦点が当てられるのを避ける目的があった。主催国スウェーデンのパルメ首相が、ベトナムでのアメリカ軍の枯れ葉作戦を非し、環境会議で取り上げることを予告していた。アメリカはIWC加盟国だが、それまで一度もIWCに捕鯨モラトリアムを提案したことはない。それをいきなり環境会議の議題として提出してきたのは、ベトナムからクジラに焦点を移す作戦だったと見てよい」

 こう語るのは日本代表団の一員として72年のストックホルム会議に出席した米沢邦男(水産庁調査研究部・調査官)である。


 環境会議で超大国アメリカに一人で立ち向かった気骨の政治家パルメの最後は悲惨だった。14年後の86年228日夜、ストックホルムの中街で暗殺されたのである。76年に首相の座を降りたが、85年10に4度目の首相に選ばれて4か目のことだった。その夜のストックホルムは零下10度の寒さだったが、暗殺の報に接した市民が花束を持って続々と現場に集まり、たちまち花束の山ができた。大勢の市民がその周りに集まり、未明まで人溜りが消えなかった。その模様はテレビで全世界に流されている。警備員をつけずに、一般市民と同じ行動を取るようがけていた庶民派政治家の59歳の死を、ストックホルム市民はから悼んだ。犯人はいまだに逮捕されておらず事件は長い間謎に包まれたままである。


「アメリカがストックホルムの環境会議ですべての関を集めたのは、核廃棄物の処理問題を避けるためだった。アメリカは核廃棄物を海中に投棄しているが、容器の破損による放射能汚染が深刻な問題になりつつあった。

 捕鯨問題のせいで、核廃棄物のほうは事実上避けられたが、その政治的配慮について、環境会議のアメリカ代表団の一員であったジョージ・ケナンは、その後の上院外交委員会で“軍事関係者たちが、核廃棄物の処理問題が討議されることを望まなかったからだ”と述べている」(マーチン・デイビッドソン/味の素株式会社のPR誌「マイ・ファミリー」75年6号に寄稿)


 98年68日に放映された、アメリカの「ナショナルパブリックラジオ」の番組「地球に生きる」に出た、アメリカの元IWC代表代理のM・ティルマンは、反捕鯨団体が、いくつかの国に資金を提供してIWC加盟させ、モラトリアムを決議させたことを正式に認めている。

 グリーンピースなどは豊富な資金力にモノを言わせて小さな国をIWCに加盟させたが、驚くのは西ドイツ(当時)を82年に加盟させたと責任者が言っていることだ。当時グリーンピースの会長で、現誉会長のデイビッド・マクタガートは、アメリカ・CBSテレビの人気番組「69MINUTES」(85年5放映)で、そのいきさつを次のように語っている。

「われわれはシュミット首相夫人にアプローチした。夫人はランの花の愛好者だ。そこでまず世界のランの権威と接触し、その人たちからシュミット夫人にクジラの保護への協力を要請する手紙を書いてもらった。もちろん手紙と一緒に折紙つきのランも送った。われわれの活動に協力を求める時は、国のトップだけでなく、その夫人や家族にも接触するのが、われわれの戦略である。西ドイツの場合は、これがうまくいったひとつの例である」

 西ドイツがグリーンピースの要請だけでIWCに加盟したとは考えられないが、それにしても巧みな戦略だ。このようにして、IWCはNGOと非捕鯨国によって乗っ取られていった。


 国際取引を禁止すれば野生生物が保護されるという考えは、必ずしも当たっていない。アフリカ象の章で触れたが、捕獲、輸出を禁止している東西アフリカ諸国の資源は激減し、逆に禁止していない南部アフリカ諸国の資源は増えている。前者は害獣として敵視し、後者は収益資源として賢明に管理している結果だ。

 タイマイを含む海亀の場合、動物権を主張する反利用派が利用派ををワシントン条約の場で押さえているが、海亀の専門学者の中には賢明な利用法を支持する人もいる。


 この問題(アメリカからの圧力で、きちんと生産管理をしているキューバのタイマイが輸出禁止となった)で重視すべきは、べっ甲加工技術者の中に下肢の不自由な人が多いことだ。長崎県には53人の下肢不自由者が、腕に誇りを持って仕事に励んでいる。正義を捨ててアメリカの圧力に屈し、小さな産を見殺しにしようとしている政府は、転職のきかない障害技術者まで見殺しにしてはならない。


 サフィーナ(アメリカの有力な環境団体であるオーデュポン協会の海洋資源部長)の言うとおり、過去にキャンペーンの対象になった動物は確かにその条件を備えている。クジラ、アザラシ、象、海亀、イルカ、海鳥、オットセイ……。しかし、これらの動物に共通しているのは、皮肉にも資源が絶滅の危機に瀕していないという点であった。環境団体のキャンペーンの目的は、そもそも動物の保護が第一ではない。有色民族の経済成長を環境保護面から減速させることが第一で、次には組織力を強化するための資金集めである。環境団体はキャンペーンの対象にした動物の保護のために資金を投じたことは、過去に一度もない。調査捕鯨への参加を呼びかけても応じない。クジラ、象、海亀などの資源を独自で調査したこともなかった。


 20世紀末のこの運動の底流には、ゼロ成長と人種差別の二つのイデオロギーがしっかりと流れている。82年にアザラシ毛皮の市場を潰してアザラシをイヌイットの手から保護した動物権者たちは、次の攻撃目標として畜産、医学用の動物実験、そして毛皮産に狙いを定めた。いずれも動物保護を目にしているが、真の狙いは経済と人口の成長にブレーキをかけることである。畜産、毛皮産の成長を低下させ、また医学用の実験をやめさせることによって、医学と科学技術の進歩に歯止めをかけたいのである。それは人口の成長にマイナスに作用することになる。また、毛皮産の原料供給地はアジア、アフリカ、北欧、ロシアが中で、アングロ・サクソン国家とはあまり関係がない。動物権運動はゼロ成長主義者によって周到に仕組まれたものだった。


 そもそも動物権という言葉を使うこと自体が、人種差別につながるのである。これまでに述べてきた動物権運動を見ても分かるように、動物権の主張は、野生動物を利用せざるを得ない人たちの人権を否定することによって、成り立っている。


 イギリスには、19世紀の初めごろまで牛いじめ(ブル・ペイティング)という遊びがあった。ブル(牡牛)を杭につなぎ、犬を仕かける遊びだ。このために開発されたのがブルドッグである。この犬は、牛にかみついても呼吸ができるように鼻が口よりも低く、鼻穴はつぶれて上を向いている。教の影響の強い東洋人には、考えもつかない動物虐待といえよう。

動物保護運動の虚像―その源流と真の狙い

女子部最高幹部殿御返事


 失敗した。昨日の女子部結成記日に書く予定だったんだよなあ。ま、いいや。


 数年前から「女子部を大切に」という指導が前面に出てきた。それ以前から、婦女一体という体制も組まれてきた。つまり、独立した“部”としての存続すら危うい状況がある。


 昔から、女子部には閉鎖的な体質があり、幹部も小生気なのが多い。男子部幹部と比較しても年齢が若く、経験不足を補うための強気が裏目に出てしまうのだ。そもそも、女子部全体が組織の態(てい)をなしてない。ビックリするほど若い本部長や区女子部長がぞろぞろしている。本部職員というだけでトントン拍子で役職の階段を駆け抜けてゆく連中も、女子部が一番多い。


 与えて論じれば、部員の絶対数が不足しているため、可哀な側面もある。だが、その現状に甘んじてしまえば、いつまで経っても女子部の体質は変わらない。同世代のメンバーを増やすには折伏するしかない。ある女子部は、嵐子さんの後に続け。


 余談が過ぎた。学会本部に勤務する女子部最高幹部に告げておく。見栄を張るのはやめなさい。野を持つのもやめなさい。妙なしきたりに従うのもやめなさいよ。


 君等は、南青山の「オアシス」で髪を切り、「マギースポーツ」というブランドの洋服に身を包む。若い身でありながら、髪を切るのに1万円以上もかけ、パーマには2万円も支払っている。洋服の値段も分不相応だとうよ。お店の人達が、「学会本部の方は高給取りなんですね」と噂をしている。


 世間にあっても若い女の間には、おかしな不文律がある。だが、そういうものと戦ってきたのが創価学会なんだよ。君等が新たな不文律をつくってしまえば、ゆくゆくは坊主の嫁みたいな人間になってしまうことを私は恐れるのだ。


 法は生活法である。ならば、倹約美徳といってよい。美しく着飾りたい気持ちも理解できるが、大人から見れば「清楚」に勝(まさ)る美しさはない。


 また、給与は同じであっても、人それぞれの生活がある。家族のよんどころなき事情で、支出の多いメンバーだっていることだろう。かようなメンバーをしめるような真似はして欲しくないのだ。


 組織というものは、人を画一化させる力が働く。そこをしっかりと見極めて、自由に乱舞する乙女の集まりこそ、創価の女子部であらねばならない。

2008-07-19

ベッドの記事


 書くのを忘れてた。この間、ベッドに関する記事が掲載されていた。通販の広告ページかとったよ(笑)。「ベッドの方が埃(ほこり)を吸わないで済む」みたいなことが書かれていたが、具体的なデータは一つも示されていなかった。ベッド協会も大したことないね。


 介護を要するようになったとしても、布団にするかベッドにするかは、本人の生活スタイルに合わせればいいだけのこと。ただしベッドの場合は、本人の足が届かない高さになると、あっと言う間に歩けなくなるから注が必要だ。


 一般紙だと、情を寄せるとそれなりに謝されるものだが、聖教新聞社の場合、組織の延長線上でものを考える連中が多く、まず謝されることがない。多分、読者のを拾い上げるシステムが全くないのだろう。私自身、電話代がもったいないので、昨今は情を控えるようにしている(笑)。気づいた人がブログなどで注する方が効果的だとわれる。

公明との連携、排除せず=「協力なら有り難い」−民主・鳩山氏

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は19日午後、岡山市内で記者会見し、次期衆院選後の政局に関し、「公明党を排除することを最初から考えるつもりはない。民主党の考え方に協力していただけるなら大変有りい」と述べ、公明党との連携もあり得るとの考えを示した。

 鳩山氏は「公明党は今までの考え方と現実の政策運営があまりにずれていると、本では悩んでいるのではないか。政党としての政策を守る責務があり、ぜひ自問自答してほしい」と語り、自民党との連立を見直すよう促した。


時事通信 2008-07-19】

『ホテル・ルワンダ』『ルワンダの涙』


『ホテル・ルワンダ』は封切りで見た時と大きく所が変わった。「そんな生やさしい殺され方ではなかったはずだ」と。『ルワンダの涙』も同様。どちらも国連軍に守られたエリアからの視点になるので、“塀の外”で起こっている出来事を表面的になぞっただけで終わってしまっている。実際にあったことをフィルムに収めるともなれば、仮に100分の作品だとすると、1分間で1万人を殺す必要が出てくる。実際には100日間で100万人が虐殺された。辛うじて生き残った人々の手記を読めば、映画作品の中途半端さを否定できない。100分の1程度の真実すらないことだろう。

ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション ルワンダの涙

足りないもの


 足りないものは何か――ビタミン、鉄分、カルシウム、亜鉛、あるいは題目(笑)。

遠山清彦殿御返事


 全国で20万隻の漁船が一斉休漁(ストライキ)した件について書かれた最新のテキストを批判しておく。

「金の延べ棒」なら投機対象でもこれほどの影響はないでしょうが、原油(または食料)は、今やどの国においても庶民生活に直結した一次産品であり、私は投機対象から除外するか、少なくとも一定の規制をかけるべきだといます。

 投資機関を多く抱える米国政府は色示しているとも伝えられますが、是非日本政府は外務省を先頭に国民の立場に立った外交活動を強化してもらいたいといます。


 これでは、大学生見と変わりがない。政治家経済音痴なのは既に常識だが、知ったかぶりの見が馬脚を露わす羽目となっている。


 日本の商品先物は1620年代に始まり、大阪の「堂島相場会所」が設けられたのが1730年。現物を取り扱う生産者商社・問屋が、天候異変・為替変動・需給状況などによる価格変動リスクをヘッジするのが最大の目的である。


 ヘッジとは、商品の現物取引を行っている者が、将来の価格変動によって損失を被らないように保険を掛ける機能である。具体的には、アルミニウムを10,000トン輸入した商社があり、船で輸送して日本に到着するまでに1箇かかるとする。仮に1箇の間にアルミニウムの価格が1kgあたり10円下がったとすると、商社は1億円の損失を出すことになる。このような場合、商品先物取引を利用して10,000トン分のアルミニウムを売っておけば値下がりによって利益が出るので、現物の損失と相殺することが出来る。


Wikipedia


 今回の一斉休漁の場合だと、原油の高騰は昨年からわかっていることなんだから、漁協が漁関係者から資金を募り、商品先物の原油を買っておくべきなのだ。すると、原油高騰によって漁の利益が減ったとしても、先物市場で利益を出すことが可能となる。


 また、輸出がメインの中小企であれば、円高が死活問題となる。これまた同様で、為替相場においてドルを売り円を買っておけば、為替差損をヘッジすることができる。


 大体、「投機対象」なんて書いているが、投機と投資のどこが違うと言うのか? 投機の1万円と投資の1万円のどこが違うんだ? 利益というリターンを見込んでいる以上、投資も投機も変わりがないのだ。


 本質的な問題は「世界の金余り」である。信じられないでしょ?(笑) 金が余ってんの。で、余ったお金が行き場を失い、しようがないからわかりやすいマーケットに流れ込む。で、相場が高くなっているのだ。これは、市場原理主義者のネオコンが招いた結果だよ。小泉政権も同罪


 尚、再三書いている通り、私は遠山清彦氏に好を抱いている。遠山氏に批判の矛先を向けているのは、他の公明党議員が見を発信していないためだ。

2008-07-18

ガセネタメール事件の永田元議員を立件へ 創価学会への名誉毀損で


 民主党の永田寿康元衆院議員(38)が議員在職中に行った国政報告会で、公明党支持母体の創価学会が不正な選挙活動を行ったと虚偽の発言をしたとして、千葉地検は18日、誉棄損容疑で永田元議員を立件する方針を固めた。同日中にも千葉地裁に略式起訴するとみられる。

 調べによると、永田元議員は平成17年828日、習志野市内の事務所で国政活動について報告した際、参加者を前に「過去3回の東京都議選で、創価学会は都外在住の学会員の住民票を不正に都内に移させ、公明党の候補を当選させようとした」などと虚偽の事実を語り、創価学会側の誉を棄損した疑い。

 永田元議員は平成18年、衆院予算委員会で、ライブドア粉飾決算事件にからみ、同社元社長の堀江貴文被告(35)=証券取引法違反罪で2審公判中=が自民党の武部勤幹事長の二男への送金を指示するために送ったとされるメールのプリントを示して追及したが、その後偽物だったことが判明し、辞職。民主党執行部が引責辞任した。


【産経新聞 2008-07-18】

2008-07-17

涙が止まらない! 感動の実話本BEST3


 昨夜の「ザ・ベストハウス123」(フジテレビ系列)で放映されたもの。選定は、『ダ・ヴィンチ】編集長の横里隆氏。映像や音を駆使して書籍を紹介するナイスな企画。以下、番組サイトより――


第1位:娘に残した天国からの伝言/『ゆりちかへ』


ゆりちかへ―ママからの伝言


 著者は、テレニン晃子さん。晃子さんとともに表紙を飾っているのが、娘の「ゆりあちゃん」。ガンと闘う母が、2歳の娘に残した本だ。2002年、4……。晃子さんはロシア人のテレニン・レオニドさんと国際結婚。そして……愛の結晶を授かる。しかし、妊娠5ヶ目…激しい痛みが襲う。歩けないほどの腰の痛み。病理検査の結果……脊髄がん。体全体の神経が集中する脊髄がガンに冒され、全身に障害がでやすいうえ、転移の可能が非常に高い。薬や放射線を使えば、お腹の子へのダメージは免れない。自分の命か……子供の命……究極の選択……。そして晃子さんは、治療ではなく、子供を選んだ。晃子さんの希望……「ゆりあちゃん」が誕生。1200g、小さな小さな命だった。晃子さんは抗ガン治療を開始する。だが、病気の進行で、愛する娘を抱く事もできない。抗ガン剤を服用していたため、お乳を飲ませてあげる事も出来なかった。晃子さんは、自分の体験をもとに、女の子として、人として大切にして欲しいことを、よそいきの言葉でなく、綴りはじめた。娘に伝えたいことが、次々と浮かぶ晃子さん。だが病は、晃子さんから、伝言を書く力も奪ってしまう。残された手段は……。晃子さんは、ゆりちかちゃんへの伝言をテープに録音した。今年225日。晃子さんは、眠る様にを引き取った……享年36歳。それから、およそ半年。ゆりちかちゃんを訪ねた。現在2歳5ヶ。とても笑顔の可愛い女の子、お母さんに似ている。晃子さんは、本の最後で、こう語っている。「ゆりあ、あなたはママが生きる目的です」。この本には、娘への愛に生きた一人の女の人生がつまっている。


第2位:母を励ます、9歳の少年/『がんばれば、幸せになれるよ』


がんばれば、幸せになれるよ―小児がんと闘った9歳の息子が遺した言葉 (小学館文庫 や 6-1)


 著者は、母親の山崎敏子さん。小児ガンと戦ったわが子の姿を、母が記した本。子、直也君の病は、ユーイング肉腫という骨のガン。全身に転移しやすく、強い抗ガン剤での治療が必要な、病。子供には過酷な治療が、始まった。しむわが子に、何もしてやれない。直也君は、痛みに耐え、必死に病と戦っていた。しかし、ガンは、ついに全身に転移。もはや、なすすべもない状態だった。この後、直也君は、9歳の子供とはえない、力強い言葉を発する。「お母さん、さっきナオがあのまましんで死んだら、おかしくなっていたでしょう。だからナオ、頑張ったんだよ」。辛さの限界の中でも、直也君はお母さんを気づかっていた。2001年72日。直也君は、静かに天国へと旅立った。享年9歳。あと半日という医師の宣告から、2週間がたっていた。直也君の死から7年。敏子さんを訪ねてみた。現在、妊娠中の敏子さんは、こう言う。「育てていたつもりが、自分が育てられていたのかも知れない」。死の直前、直也君はお母さんに、こう言った。「お母さん、ナオが死んでも、暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃ、ダメだよ。分かった?」

第3位:200万人が涙した、あの日記/『1リットルの涙』


1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記 (幻冬舎文庫)


 著者は木藤亜也さん。1962年、愛知県に生まれた、ごく普通の女の子だ。始まりは、14歳の誕生日。夢は、お医者さん。人の役に立ちたいと願う、優しい子だった。だが! 中学3年生の亜也さんを、突然の病が襲う。突然、膝がガクっとなって、ずっこけた。優しい少女を襲った、病の正体。それは、脊髄小脳変症。小脳が、徐々に縮み、立つ、食べる、話すなど、全てが出来なくなりやがて死に至る病だ。治療法は……ない。高校2年の春、ついに一人で歩くことが出来なくなった亜也さんは、高校から養護学校へ編入した。亜也さん直筆の日記には、その時のいが字とともに残されている。この言葉が後に本のタイトルにもなった。病状は日増しに悪化。文字を書こうとしても、手に力が入らず、歪んでしまう。直筆の日記には、亜也さんの悔しさが、にじみ出ていた。ずっと書き続けた日記も、うように書けなくなり、入院。そんな或る日。母が、病室に戻ると、亜也さんは何かを懸命に書いていた。その時、目にした娘の悲痛な叫び……。母は決する。娘が、必死に書いた日記を本にしよう。母は、人の役に立ちたいという娘の願いを、少しでもかなえたかった。出来上がった本をみた亜也さんは、目を丸くして喜んでいた。それから、1年。亜矢さんは亡くなった。生きた証となる、一冊の本を残して。その死から20年。亜也さんの自宅を訪ねた。亜也さんの母、潮香さんに、今でも大切にしている、宝物を見せてくれた。本にも載せられていない、最後の手紙。そこには、母への謝の気持ちが、切々と綴られていた。この本には、人ををなくさず、死の病と向き合った、優しい少女からのメッセージが詰まっている。

2008-07-16

『反骨の導師 日親・日奥』寺尾英智、北村行遠


 鎌倉時代の東国にあって、日蓮法華経の教えを弘めた。日蓮の滅後、その教えは弟子たちによって各地へと伝道されていく。南北時代になると、京都をはじめ西国へも次第に教えが広まり、室町時代には京都の町中は「法華経の巷(ちまた)」と化していく。町衆(ちょうしゅう)の中に大きく受け入れられるだけではなく、公家の中にも教えを信奉する者が出てくる。その一方で、ともすれば祖師日蓮の求めた信仰のありようが見失われるようなことも、また生じてくる。日親はそのような時代にあって、努めて日蓮の生き方に忠実であろうとした。そのために、教団のエリートから一転して追放の憂き目に値う。かつて日蓮が開宗の宣言をしたときに、自ら敢えての道を選んだというが、日親も同じ道を進んだのである。


 この時代、東国の武士たちは、一族の拠り所ともなる氏寺をもち、その住持には一族の出身者がついた。さらに子弟を住持の弟子として、氏寺の一族による相続が行われた。


 ところで、法華経寺という称は、戦国時代末になってみられるものであって、当時は若宮の法華寺と中山の本妙寺という2カ寺からなっていた。法華寺は、日蓮の有力な信者である富木常忍が、日蓮の入滅後に出家して日常と称し、自分の館を寺としたものである。日常の跡を継いだのは、日蓮の弟子であった日高(にちこう)である。日高は、富木氏と同様に日蓮の信者であった太田乗明の子であると伝える。太田氏は館を日高にあたえて本妙寺としたところから、日高は本妙寺に住んで法華寺の住持も兼職した。この制度を両山一主の制といい、代々引き継がれることになった。日高の時代には、下総国の有力武士であった千葉胤貞(たねさだ)の帰依を受け、日高の跡を継いで三世貫首となった日祐の時代に大きく発展することになる。


 日親が押し込められた獄舎の状態は、誠にひどいものであった。『埴谷抄』に記されたその様子は、

 四畳敷に卅六人入れられたるつめ籠(ろう)に入れさせ給き。余りに不便なりとて、翌日彼の越前守(えちぜんのかみ)余の者を廿八人出して六角の大籠に移し、八人ばかり留め置かれたりき。籠の高は四尺五寸(約136センチ)、上より打たるる釘はさきを返さず中に流すなり。

 というもので、立つこともままならず、横になって体を休めることもできないようなありさまであった。それは「洛中(らくちゅう)においてその隠れ有るべからず」と述べられているように、万人の知るところであった。

 こうして日親は一年半を獄舎につながれ、さまざまな法を受けた。江戸時代に本法寺日匠が著した『日親上人徳行記』には、次のように列挙している。

(一)炎天に日親を獄庭に引き出し、薪(まき)を積んで火を付け、これに向かわせて、悩耐えがたければを唱えよと強要した。(二)凍りつくような寒夜に獄庭に引き出し、裸のまま梅の木に縛り付け、夜通し笞(むち)打った。(三)日親を浴室に入れて戸を閉じて、三時ばかり火をたき続けた。(四)梯子(はしご)に日親を縛りつけ、堤子(ひさげ)に水を汲んで口から流し込んだ。三六杯に至るまではこれを数えたが、その後いくらになったか数えきれないほどであった。(五)竹串をもって日親の陰茎(いんけい)を突き刺し、あるいは焼鍬(やきくわ)を両脇の間にはさませたりしてしめた。(六)まっかに焼いた鍋を日親の頭の上にかぶせた。髪は燃え肉も焼けただれたが、大きな悩もなく、しばらくの後本復した。(七)将軍が獄吏(ごくり)に命じて日親の舌を抜かせようとした。ところが獄吏はこれを憐れんで舌頭を少し切り取った。

「火あぶり」や「なべかむり」の刑は、死刑といってもよいものであったから、日匠が記すような法が、果して実際に行われたものであるのかどうかは、疑問の余地もある。しかし、『埴谷抄』に「水火の責」「禁獄強(拷)問の責め」と記されるように、相当に重い肉刑を加えられたことは事実であろう。このような法にも屈せず、法華経信仰を貫き通したところに、後世「なべかむり日親」の姿が形作られ、人々に広まっていったものであろう。


 ここでは戦国教のひろまる基盤としての社会を、“「郷村」社会”なる言葉で表しておきたい。15世紀に村や町が自立してゆくことは確かだが、しかしそれがそのまますぐ、社会の基盤となるわけではない。もちろん村が史料上に確認される場合もあるが、いくつかの村を含みこんだ領域や人間の結合を基盤に持つ“郷”が多くの場合、地域社会の核として存在していた。市場や宿(しゅく)といった町も、ほとんどはこうした郷のなかに包摂される存在であった。ここではこうした存在を、史料上多く確認される用語である「郷村」として捉え、「郷村」によって構成されている社会を、“「郷村」社会”と呼んでおきたい。


 高山樗牛(ちょぎゅう)は、日蓮信仰者として有である。明治35年(1902)、31歳で生涯を閉じるが、その年に病床にて『冠鐺(なべかむり)日親』の短編集も著している。その著書の中で、「忍力試験」「一条戻橋の辻説法」「将軍義教への上書」「捕縛」「冠鐺日親」「義教の現」等の章を追って論じている。この原点はやはり『日親上人徳行記』であった。法華経の絶対的信仰の中に日親の宗教行動があったとしており、近代の日蓮信奉者にも日親が位置付けられていったのである。


日蓮不受不施派」とは、京都の日蓮宗寺院である妙覚寺の19世日奥(1565-1630)を派祖とする日蓮系の一派をいう。もともとは、不受不施の教えを主張する日奥に共鳴した僧俗のグループで、不受不施派という日蓮宗のなかの一つの派であった。

 しかし江戸時代になると、幕府はこの不受不施派の活動を警戒し、その布教活動を禁止するようになる。そのため、「かくれキリシタン」と同じように地下に潜って秘密教団を形成するようになっていった。ふたたび地上に姿を現して公(おおやけ)に布教活動を行うようになるのは、明治になってからのことである。

 明治9年(1876)、明治政府によって宗の公称を許されると、岡山県御津(みつ)町の金川(かながわ)に祖山妙覚寺を創立して、「日蓮不受不施派」を公称するとともに、独立した宗派として教団の再興をはかった。これが、今日の日蓮不受不施派である。


 受不施派の僧侶たちは、日奥らの行動を抑えようとして秀吉に訴えたのであるが、なかなか容れられない。そこで慶長4年(1599)、秀吉没後の豊臣政権で実権を握っていた内大臣の徳川家康に重ねて訴え出るのである。同年11、家康は日奥と本国寺を出て嵯峨小倉山に隠棲していた日しん(しん=示+眞)を大坂中に呼び出し、大供養会出仕の問題について、出仕グループの僧侶たちと対論をさせることにした。この対論を一般に大坂対論という。

 ここではもはや、不受不施が宗内制法と上、このどちらを選ぶかに関があった。すなわち、千僧供養会に出仕せよという家康の命令に従うのか、従わないのか、ということである。それゆえ、家康はじきじきに日奥らにむかって、「一度だけ出仕すれば、あとの出仕は免除しよう」、さらに「一飯を受けるのがいやならば膳に向かってただ箸をとるだけでもよい」とまで大幅に譲歩し、並居る大らもこれに従うようにと勧めた。日しんはこの譲歩案を受け入れるが、日奥は不受不施義の自己の厳格な主張を貫き通し、あくまで出仕拒否の態度を翻さない。ついに家康は激怒して、日奥法華宗王ときめつけ、「か様に強義(ごうぎ)を言ふものは、天下の大事をおこすべし。ただ流罪に行ふべし」(『御記』)と言い渡し、公儀への反逆のかどで、日奥袈裟・衣・珠をその場ではぎ取り、対馬への流罪を厳命したのである。


 日奥は、元和2年の著作とされる『宗義制法論』のなかで、身延山の現状を「今、身延山は伽藍軒を連ね、像光を並べるといへども、日乾の代に至つて、専ら祖師の法義を背き、飽くまで邪義を興ず。これ法断絶にあらずや。これ宗旨破滅にあらずや。悲しむべし、悲しむべし」と、するどく批判している。日奥が身延山はすでに謗法の地に堕していると非したことにより、諸国檀信徒の身延山への粗廟参詣は激減したという(高木豊「近世初頭における関東日蓮教団の動向」『史潮』80号、1962年)。これに対して、日乾ら受不施派は『破奥記(はおうき)』を著して日奥を激しく攻撃したが、少なくとも江戸時代初期の時点では、明らかに教団内の大勢は圧倒的に不受不施派が優勢であった。

 そのため、元和2年の「身延山久遠寺法度」によって日蓮宗の本山は久遠寺であること、末寺は本山の命に服従すべきことなどが定められ、こうした幕府の権威を背景としてその勢力を拡大していこうとしていた身延山久遠寺を中とする受不施派にとっては、日奥らのこうした行動は憂慮すべきものであった。そこで、かれらはその禁圧を幕府に訴えるのである。


 教団が成長して地位・権威を維持し、法華宗の教権を自覚するようになれば、公武・庶民も差別なく平等の存在であることに気が付くようになる。そこで、寛正7年(1466)216日、日蓮誕生の日に京都諸門流が一同に会して和合のための盟約を結んだ。


 それでは、法会自体は、どのように行われたのであろか。豊臣政権は、この千僧会への出仕を八宗に仰せ付けたと先の山科言経(やましな・ことつね)はその日記に記している。一般に八宗といえば、南都六宗三論宗成実宗法相宗倶舎宗華厳宗律宗)と天台宗真言宗の二宗を指していうが、言経の日記によれば、八宗は昔から京都にそろっていないので、新儀に真言宗・天台宗・律宗・禅宗日蓮宗(法華宗)・浄土宗・遊行(ゆぎょう/時宗 じしゅう)一向宗浄土真宗)の各宗に100人ずつの出仕を命じたとされているのである。千僧会は、文字通りでいえば1000人の僧侶による法会であり、一宗で100人だと800人となり数が合わなくなるが、結局は、この800人の僧侶の出仕でもって開始されることとなったのである。

反骨の導師 日親・日奥 (日本の名僧)

『梵漢和対照・現代語訳 法華経』植木雅俊・訳


 平安文学の例を挙げるまでもなく、『法華経』は教のみならず、各時代の文化にも大きな影響を及ぼしている。これまで3巻本の岩波文庫版がもっとも入手しやすかったが、その岩波書店から40年ぶりに新訳が刊行された。

 翻訳に際して文法的な正確さを期し、岩本訳の文庫版の間違いが全面的に直された。曖昧(あいまい)なところも明瞭(めいりょう)に訳されている。詳細な注の中でこれまでの翻訳のどこがどう間違っているのか、原文を引きながら詳細に説明されている。学問研究の謹厳さと誠実さには頭が下がる。

 8年にわたる翻訳だが、それが多忙な仕事のかたわらでなし遂げられたとは驚きだ。並みの研究論文を凌(しの)ぐ訳で、一日も早く文庫本にしてほしい。(競)


【毎日新聞 2008-07-13 東京刊】

法華経 上―梵漢和対照・現代語訳 (1) 法華経 下―梵漢和対照・現代語訳 (3)

2008-07-15

『脳のなかの幽霊』V・S・ラマチャンドラン


 医学部の学生にこの話をすると、たいていは、ガリレオの時代なら簡単にできただろうが、20世紀の現代では大きな発見はすでにされてしまっているし、高価な装置や細目にわたる測定なしでは新しい研究はできっこない、という反応が返ってくる。まったくどうかしている! 今日でも驚くべき発見は、つねに目の前にぶらさがっている。むずかしいのはそれに気づくことだ。たとえばこの何十年、潰瘍の原因はストレスであるとされてきた。ストレスによって過剰に分泌された胃酸が、胃や十二指腸の粘膜をおかし、潰瘍と呼ばれる特徴的なくぼみができるという説明である。そして治療法は、制酸剤やヒスタミン・レセプターの阻害薬の投与、迷走神経切断術(胃に分布して酸を分泌させる神経を切断する)、あるいは胃切除(胃の一部を切り取る)と決まっていた。しかしオーストラリアの若いレジデント(研修医)だったビル・マーシャル博士は、人間の潰瘍の染色切片を顕微鏡で観察して、ヘリコバクター・ピロリ菌という、健康な人に一定の割合で見られるごく普通の細菌がたくさんいることに気づいた。そして潰瘍の組織切片にこの細菌が再三見られるので、ひょっとするとこれが潰瘍の原因ではないかと考えるようになった。この考えを教授に話すと、「とんでもない。そんなはずはない。潰瘍がストレスで起こるのは周知のことだ。君が見たのは、すでにできた潰瘍の二次染だ」と言われた。

 しかしマーシャルは納得せず、常識に挑戦した。まず疫学的な研究をしたところ、患者のヘリコバクター菌の分布状態と十二指腸潰瘍とのあいだに強い相関関係が見られた。しかしこの所見では、彼の分野の研究者たちから受け入れられなかったので、やっきになったマーシャルは、培養した細菌をのみこみ、数週間後に内視鏡検査を行なって、胃腸菅のあちこちに潰瘍ができているのを実際に示した。その後に正式な臨床試験を実施して、抗生物質とビスマスとメトロダニゾ−ル(抗菌剤)を組みあわせて投与した患者が、酸阻害物質のみを投与したコントロール群よりもはるかに治癒率が高く、再発も少ないことを示した。

 この話を紹介したのは、新しい考えに対してが開かれた医学生やレジデントなら、そして高級な設備を必要としない研究なら、独力でも医療に大変革をもたらすことができるということを強調したかったからだ。研究にとりかかる際は、いつでもこの精神でいくべきだ。どんな真実が潜んでいるかだれにもわからないのだから。


 科学者ならだれでも、最高の研究が推論と健全な懐疑主義のあいだの論証から生まれることを知っている。


 私はK・V・シルヴェンガダム博士という教授が、患者のにおいだけで病を判定する方法を教えてくれたのをい出す。糖尿病のケトン症患者に独特のマニキュア液のような甘い。焼きたてのパンのようなチフス患者のにおい。気のぬけたビールのような嫌なにおいがする腺病。むしったばかりのニワトリの羽のようなにおいの風疹。肺膿瘍の腐敗臭。ガラス洗浄剤のようなアンモニア臭のある肝臓病患者。(最近の小児科医なら、シュードモナス染のグレープジュースのようなにおいや、イソバレリアン酸血症の汗臭い足のようなにおいを、これにつけ加えるかもしれない。)手の指を注深く調べなさい、とシルヴェンガダム教授は言った。肺癌になったとき臨床的な徴候があらわれるずっと前に、指と爪床の角度がほんの少し変化して、その予兆となることがあるからだ。驚くべきことにこの徴候――ばち指形成――は、外科医が癌を切除したとたんに手術台の上で、たちまち消えてしまう。この原因は今日もまだわかっていない。また別の師である神経学の教授は、パーキンソン病の診断をするときは目を閉じて患者の足音で診断するようにと、いつも強調していた(パーキンソン病の患者は特徴的な足を引きずる歩き方をする)。このような臨床医学の探偵めいた側面は、現代のハイテク医学のなかでは、滅びゆくわざであるが、私ののなかにはしっかりと植えつけられている。患者を注深く観察し、聞き、触れることで、そしてそう、においをかぐことでも、妥当な診断に到達できる。検査はすでに知っていることを確認するために使うだけだ。


 それぞれのニューロン(神経細胞)は他のニューロンと、およそ1000個から1万個のシナプスを形成している。シナプスにはオンとオフ、つまりあるシナプスが物事を刺激する信号を出す一方で、別のシナプスがそれを鎮める信号を出し、驚異的に複雑な出入りが進行する。砂粒くらいの大きさの脳の断片に、10万個のニューロンと200万本の軸索と100億個のシナプスがあり、それらがたがいに「会話」をしている。これらの数字をもとに計算すると、可能のある脳の状態――理論的に可能な活動の順列と組みあわせの数――は全宇宙の素粒子の数を超える。これほど複雑な脳の機能を、いったいどこから理解しはじめればいいのだろうか。機能を理解するためには、神経系の構造を理解することが不可欠なので、まず脳の構造をざっと見ることにする。脊髄の上には脊髄と脳をつなぐ延髄という部位があり、ここに血圧、拍数、呼吸などの重要な機能をコントロールするニューロン集団(核)がある。延髄の次は橋(きょう)という部位(ややふくらんだ部分)で、小脳に神経線維を送っている。小脳は脳の後部に位置するこぶし大の組織で、体の強調運動を助けている。これらの上に、二つの巨大な半球がのっている――かの有なクルミ形の脳半球である。半球にはそれぞれ前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉の四つの葉(よう)がある。

 あなたがテレビ番組の『ペイウォッチ』を見ているとする。さて『ペイウォッチ』はどこに局在しているのだろうか? テレビの画面で光っている燐光体のなかにあるのか、ブラウン管のなかを走っている電子のなかにあるのか。それとも番組を放送しているスタジオの映画用フィルムやビデオテープのなかだろうか。あるいは俳優にむけられたカメラのなかか?

 たいていの人は即座にこれが無味な質問であると気づくだろう。もしかすると、『ペイウォッチ』はどこか一カ所に局在しているのではなく(すなわち『ペイウォッチ』の「モジュール」というものは存在せず)、全宇宙に浸透しているのだという結論をだしたくなった人もいるかもしれない。だがそれもばかげている。それはや、私の飼い猫や、私が座っているソファには局在していないからだ(電磁波の一部がこれらに到達することはあるかもしれないが)。燐光体やブラウン管や電磁波やフィルムやテープは、どれもみなあきらかに、や椅子や私の猫にくらべれば、私たちが『ペイウォッチ』と呼んでいるシナリオに直接的な関係がある。

 この例から、テレビ番組がどんなものかを理解すれば、「局在か非局在か」という疑問が力を失い、それに代わって「どういう仕組みになっているのか」という疑問がでてくるのがわかる。


 右脳が左脳にくらべて情緒的に不安定な傾向があることは、かなり前からよく知られている。左脳に卒中を起こした患者は、不安や抑うつにおちいったり、回復の見込みについて気をもむことが多い。これは左脳が損傷を受けたために右脳が優になり、あらゆることに悩むようになったからだとわれる。この反対に右脳に損傷を受けた人は、自分の困った立場にまるで無頓着な傾向がある。左脳はあまり動揺しないのだ。


 さてここで、以上のことがもつ味をちょっと考えてみよう。これまであなたは、あなたの「自己」が単一の体にしっかりと固定されていて、その体は少なくとも死ぬまでは安定して持続しているという推定のもとで生きてきた。自己が体に「忠実」なのはあたりまえすぎて、疑うどころか、あらためて考えてみたこともないだろう。しかしこれらの実験は、まったく反対のことを示唆している――あなたの身体イメージは、持続があるようにえるにもかかわらず、まったくはかない内部の構築であり、簡単なトリックで根底から変化してしまう。身体イメージは、あなたが自分の遺伝子を子どもに伝えるために一時的につくりだした外形にすぎないのだ。


 ドイツの物理学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ(視覚科学の創始者)が知覚を「無識の推論」と呼んだのも、不議ではない。


 人間の視覚系は、眼球のなかでゆらめく、断片的なはかないイメージを基礎にして、経験からわりだした推測をするという、驚異的な能力をもっていることがあきらかになった。


 患者から得られた事実は、知覚と呼ばれるものが、実際は覚信号と過去に貯蔵された視覚イメージに関する高次記憶との動的な相互作用の最終結果であることを示している。(中略)私はこれらの大規模なフィードフォワードフィードバックの投射が、連続的な相互作用を主導する役割をはたし、それが真実のもっとも近くに接近することを可能にしていると考えている。あえて大げさな表現をすれば、おそらく私たちはいつも幻覚を見ているのであり、私たちが知覚と呼んでいるものは、どの幻覚が現在の覚入力にもっともよく適合するかを判断した結果なのである。


 正常なおとなが鏡像と本物の物体を混同することはめったにない。高スピードで近づいてくる車がバックミラーに見えたとき、ブレーキを強く踏む人はいない。車の像は前から急接近してくるように見えるのに、アクセルを踏んで加速する。同じように、もし洗面所でひげを剃っているときに泥棒が背後のドアを開けたら、ぐるっと振り返って立ち向かうだろう――鏡のなかの泥棒に襲いかかることはない。脳のどこかが「像は前にあるが、本物は後ろだ」という修正をしているにちがいない。

脳のなかの幽霊 (角川文庫) 脳のなかの幽霊、ふたたび (角川文庫)

リーダーの力を弱める分業化


▼「あの人のようになりたい」とえる大人が周囲にいない。中高生の5割がそう考えている。国立青少年教育振興機構の調査で分かった。大人との関わりが少ないから? 誇りを抱いて生きる大人が少ないから?▼内閣府の調査では、最近の世の中の出来事についての考え方に最も強い影響を与えたのは、小中高生すべてで、テレビだった。親や学校の教師と比べて2倍の影響力。人との交流より勝っているところが配だ▼そうした調査結果に一石を投じるエピソードが脳裏に浮かんだ。離島に住む高等部員から聞いた、創価大学を目指すきっかけである。島に戻ってきた創大生が家庭訪問してくれた。先輩の輝く姿にあこがれた。「創大に行って、お姉さんみたいに成長したい」と▼講談師で人間国宝の一龍斎貞水氏は、こう語る。「一生懸命に生きている大人が、真剣に話をして、子どもたちに何かを伝えようとする。それを子どもたちは理解する」(『心を揺さぶる語り方 人間国宝に話術を学ぶ 』)。懸命に生きる人ほど輝いている。そんな先輩が後輩に語る一言の影響は、計り知れない▼間もなく未来部躍進間。“未来の宝”に触れ合う機会を生かしたい。21世紀使命会や未来部育成部長ら、先輩の使命は限りなく大きい。(陸)


字の言/聖教新聞 2008-07-13】


 さあて、学会員メディアリテラシーが向上することを願って今日も綴っておくか(笑)。

  • 中高生の5割が「あの人のようになりたい」とう大人がいないというデータは示されているが、学会の中等部・高等部のデータが全く示されていない。
  • テレビの影響力が強いのは学会の未来部も同様だとわれる。
  • 「人との交流より勝っているところが配だ」→読書を奨励する時は、絶対にこういう書き方はしない。
  • 「創大に行って、お姉さんみたいに成長したい」→創大以外の大学を目指す場合は絶対に記事にならない。
  • 「一生懸命に生きている大人が、真剣に話をして、子どもたちに何かを伝えようとする。それを子どもたちは理解する」→引用するほどの文章ではない。何か付き合いでもあるのだろうか。
  • 「懸命に生きる人ほど輝いている」→記者子がそうでないことは明らかだ。これほどに響かない文章も珍しい。
  • 「21世紀使命会や未来部育成部長ら、先輩の使命は限りなく大きい」→組織内の分化を推進する結論となっている。

 学会の組織も情報化の波を避けることはできず、十数年ほど前から分化が進められた。教宣部・座談会推進長・新聞長・未来部育成部長など。当初は、正役職と同様の権威と責任を持つ、とされていたが、そんなにでかい顔ができる人はいなかった。


 最大の問題は教宣部だった。攻防戦を教宣部に丸投げしたため、正役職が教宣情報を学ばなくなってしまったのだ。


 昔は全部一人でやっていた。「できなくなった」という事実は、仕事量が増え、負担を強いている実態を物語っている。役割分担が進むほど、長の力は衰え、魅力が失われていった。


 再考の余地が十分にあるとわれるが、学会の組織は大きくなり過ぎたために急ハンドルを切れない。「報告を取るための活動」をもっと減らして、本物の人材育成を行うべきだと私はう。

小泉を待望する人々御中へ


 今頃になっても尚、小泉人気が衰えない。「待望論」まである。自民党内の論理であれば、「人気キャラ」ということで理解できる。しかしながら、国民の中にこうしたがあるのは問題だ。否、「間違いである」と私はう。これこそ「悪しきポピュリズム」の典型であろう。


 小泉政権は「小さな政府」を目指した。言葉の響きはいいが、こういうのには必ず抜け落ちているキーワードがある。補完すると「小さな予算の政府」になる。それでもって、「小さな政府」が胴元になって行われるゲームのルールが「新自由主義」である。これまた補完しておくと「新自由競争主義」ってことだ。マクロ経済の中で政府が占める規模が小さくなるから、日本に存在する資本は、「自由に分捕り合戦をしましょう」という話だ。


 本来であれば、予算を小さくするなら課税も低くするのが常道なんだが、何と増税論議がかまびすしい。しかも、借金をつくった張本人である自民党の連中が、それを言うとは片腹痛い。


 小泉・竹中コンビは米国からのリクエストに応えるべく、速やかに銀行の不良債権処理に取り組み、プライマリーバランスの黒字化を口実にして予算を削りに削った。


 新しい制度というのは、流行病(はやりやまい)に似ている。最初の犠牲者が年寄りと子供という点において。与党は、国民に支払うべき年金が滅茶茶になっているさなか、社会保障費を大幅にカットした。これによって、病院は経営が困になり、医師が不足し、救急搬送がたらい回しにされるという状況となった。また、介護を受けている高齢者は、買い物帰りの途中でヘルパーに見放され、車椅子を利用している人に至っては、自宅に入るだけで数十分を要する惨状が続出した。リハビリ医療は慢疾患の患者を切り捨て、大量のリハビリ難民を生み出した


「新・自由主義」の原理に則れば、医療も介護も競争原理にさらされ、混合診療の自己負担分が増えるようになることは明らかだろう。与党の狙いは、これからますます増え続ける高齢者を、まず医療保険から介護保険へ追いやり、続いて介護保険から民間保険へ締め出す目論見である。金持ちは最新の高度医療の恵に浴し、貧乏人は死ねというのが国家のであると受け止めるべきだろう。


 更に、災害医療の世界では「トリアージ」という選別法が導入され、優先順位が決められている。同様の発で、鳥インフルエンザ(日本で発生すれば64万人が死亡すると推定されている)のワクチンは絶対数が不足しているため、「社会機能維持者」が優先的に接種を受けることができる。で、どういう人々かというと、治安維持(消防士、警察官、自衛官、海上保安官、強制職員)、ライフライン(電気・水道・ガス・石油事者、食糧販売関係者)、国、自治体(議員、首長、公務員の危機管理担当者)、情報提供報道機関、通信事者)、輸送(鉄道・運送・航空・水運者)。「公務員の危機管理担当者」というのは殆どの公務員が該当する。これぞ、「鳥アージ」。


 世の中の仕組みは水面下で変わり、少しずつその姿を海面に現す。小泉改革がその典型だ。私は当時、全く気づかなかった。国会議員ですら気づいてない人が多かったことだろう。だが、改革案が法律として施行されると、否応なく切り捨てられる人々を目の当たりにする。


 私の眼には、小泉を待望する人々が、ツチ族であるという理由だけで隣人を殺戮したフツ族と重なって見える。自分の頭で判断できなくなると、メディア情報に翻弄されて、フラストレーションのはけ口を求めるようになるのだ。独裁者ヒトラーも、彼が率いるナチスも、選挙という民主主義の手続きを経て、ドイツ国民に信任された歴史を忘れてはなるまい。

2008-07-13

猛暑到来 浜松37.3、甲府36.1度 熱中症で搬送相次ぐ


 日本列島は12日、中四国から東日本にかけての広い範囲で高気圧に覆われ、梅雨の晴れ間が広がって気温が上昇。浜市の天竜で37.3度、甲府市で2位の36.1度、岐阜県多治見市と静岡県川根本町で36度と、各地で35度以上の「猛暑日」となった。熱中症の搬送も相次ぎ、東京都内の男が重体となるなど、本格的な熱中症の予防策が必要な時期だ。この日、都では大気が不安定となり、雷雨や強風を観測。ゴンドラが宙づりになるなどした。

 気象庁によると、ほかに猛暑日となった主な地点は、埼玉県の熊谷市35.8度、愛知県東海市と三重県桑市35.7度。多治見市以外は、今年最高の暑さだった。東京も、練馬区で35.7度と、都内では今年初の猛暑日を記録した。

 東京都大田区では、野球大会の開会式に参加していた東京実高校マーチングバンド部員12人が熱中症とみられる症状を訴えた。また、北区の路上では男(66)が倒れ、識不明の重体となり、日野市の川べりで植物を採取していた男(77)も重症となるなど、都内で32人が熱中症で病院に運ばれた。産経新聞の集計で関東1都6県で112人が搬送された。

 環境省などによると、熱中症は、暑さが体に慣れていないこの時期に危険が高まる。真夏の運動場や屋外だけでなく、ビルやマンションの最上階、体育館など気密の高い屋内でも起こる。高齢者や子供、肥満の人などは体温調節機能が弱まるため、熱中症になりやすいとされる。

 立ちくらみや目まい、筋肉痛が表れた場合、日陰やエアコンの効いた部屋に移動、冷水やスポーツドリンクで水分補給することが必要。ビールなどアルコール類は、尿の量を増やし、水分を排泄(はいせつ)してしまうので避けた方がよいという。


【産経新聞 2008-07-13】


 組織で注を呼びかけておきたい。特に高齢者は要注。水分補給はスポーツドリンクか水が好ましい。お茶も利尿作用があるので避けたいところ。

『人間 この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ


 今日一日で12000字の入力をした。全部紹介するとなると、やはり著作権が気になる(笑)。社会理学の重厚な内容。迷信を俯瞰し、誤信を顕微鏡で見つめ、「信じやすい」方向に傾きがちな人間理を検証している。訳文が洗練されていないのと、重複する語彙の多さ、読点のバランスの悪さなどが気になるが、内容を損ねるほどではない。社会理学からアプローチした「観心」的作に敬を表したい。これは凄いよ。


 誤った信は決して非合理が生じるのではなく、合理の欠陥から生じるのである。


 つまり、認知的な限界や推論能力の限界を論じる以前に、そもそも私たちが推論の基礎とするデータそのものに、歪みが内在しているのである。私たちが正しい判断や妥当な信を手に入れるためには、データのこうした歪みに気づいて、それに惑わされないことが必要なのである。


 誤信や迷信を許容していると、間接的にではあるが、別の被害を受けることになる。誤った考えを許容し続けることは、初めは安全に見えてもいつのまにかブレーキが効かなくなる「危険な坂道」なのである。誤った推論や間違った信をわずかとはいえ許容し続けているかぎり、一般的な考習慣にまでその影響が及ばないという保証が得られるだろうか? 世の中のものごとについて正しく考えることができることは、貴重で困なことであり、注深く育てていかなければならないものなのである。私たちの鋭い知を、いたずらに正しく働かせたり働かせなかったりしていると、知そのものを失くしてしまう恐れがあり、世の中を正しく見る能力を失くしてしまう危険がある。さらには、ものごとを批判的にみる能力をしっかり育てておかないと、善にもとづくとは限らない多くの議論や警告にまったく無抵抗の状態になってしまう。S・J・グールドは、「人々が判断の道具を持つことを学ばずに、希望を追うことだけを学んだとき、政治的な操作の種が蒔かれたことになる」と述べている。個人個人が、そして社会全体が、迷信や誤信を排除するよう努めるべきである。そして、世の中を正しく見つめる「の習慣」を育てるべく努力すべきであると私は考える。


 人は、偶然によるできごとがどのようなものであるかについて、間違った直観をもっていることが理学者によって明らかにされている。たとえば、投げ上げたコインの裏表の出方は、一般に考えられているよりも裏や表が連続しやすい。そこで、裏表が交互に出やすいものだという直観に比べて、真にランダムな系列は、連続が起こりすぎているように見えることになる。コインの表が4回も5回も6回も連続して出ると、コインの裏表がランダムに出ていないようにじてしまう。しかし、コインを20回投げたとき、表が4回連続して出る確率は50%であり、5回連続することも25%の確立で起こりうる。表が6回連続する確率も10%はある。平均的なバスケットボールの選手は、ほぼ50%のショット成功率なので、1試合の間に20本のショットを試みるとすれば(実際、多くの選手はこれくらいショットを試みる)、あたかも「波に乗った」かのように、4本連続や、5本連続、あるいは6本連続でショットを決めるようなことは偶然でも充分起こりうることなのである。


 セントルイス市にあるアーチ型の門は、視覚的錯誤を引き起こす世界一大きなもののひとつである。このアーチは、幅と高さがが等しいにもかかわらず、高さの方が長いように見える。重要なことは、幅と高さが等しいことを告げられてもなお、両者が等しいようには見えないということである。このように、錯誤は、単に注して見直すだけでは解消しない。きちんと測ってみないかぎり、両者が等しいことはわからないのである。


 重要な点はまさにここにある。後づけでならば、どんなデータでも最も特異な部分を見つけて、そこにだけ都合のいい検定法を施すことができるのである。しかしながら、正しい教育を受けた科学者は、(あるいは、賢明な人であれば誰でも)こうしたことを行なわない。というのも、統計的な分析を事後的に行なうと偶然の要因を正しく評価することができず、分析そのものが味のないものになってしまうことをよく理解しているからである。科学者たちは、上述のような見かけ上の偏りからは仮説を立てるにとどめ、その仮説を独立な一連のデータによって検証しようとする。こうした検証に耐えた仮説だけが、真の仮説として真剣に検討されるのである。

 不都合なことに、一般の人々の直的な判断は、こうした厳密な制約を受けることがない。ある結果にもとづいて形成された仮説が、その同じ結果によって検証されたと見なされてしまうのである。ここでの例がそうであるように、人々は、データを事後的に、また選択的に読み取ることにより、見かけ上の特異過大評価し、その結果、何もないところに秩序を見つけ出すことになってしまうのである。


 こうした予を行なう際に回帰効果を無視してしまうという傾向は、偏りの錯誤と同様に、代表制にもとづく判断のせいであると考えられる。予されるものと予の根拠となるものは限りなく類似しているはずだという直観が人々の判断に影響して、両者の得点をほぼ同じものとさせてしまうのである。身長195センチの父親に対しては、身長195センチの子どもが最も代表的だとわれてしまうのである。(実際には、身長195センチの父親を持つ子どもの大半は、これより低い身長となる。)ここでもまた、代表にもとづく判断が、過度の一般化を引き起こしている。


 回帰の概を本当に理解できていないときに人々が直面する二つの問題点のうちのもうひとつは、「回帰の誤謬」として知られている。回帰の誤謬というのは、単なる統計学的な回帰現象にすぎないものに対して、複雑な因果関係定したりして余計な「説明」をしてしまうことを言う。素晴らしい成績の後、成績が落ち込むと怠けたせいであるとされたり、反対に、凶悪犯罪が頻発した後で犯罪件数の減少が見られると、新しい法律のい施行が効を奏したためと考えられるたりすることである。回帰の誤謬は、偏りの錯誤と似たところがある。どちらも、偶然に生じたできごとに人々が余計な味づけをしてしまう現象だからである。統計学的な回帰の結果生じたにすぎない現象に、無理な説明づけをしようとするあまり、間違った信が形成されることにさえなってしまう。


 言い替えれば、回帰効果は、「ほめることをし、することをほめる」ことに一役買ってしまうのである。

 こうした現象を見事に示してみせた実験研究がある。この実験は、参加者に教師の役割を演じてもらい、コンピュータが演ずる架空の生徒たちをほめたり、叱ったりするものであった。コンピュータが演ずる生徒は、毎8時20分から8時40分までの間に登校し、その登校時刻がディスプレイに表示される。教師は、生徒が8時20分から8時30分までに登校して来るよう努めなければならない。生徒の登校時刻が表示されるごとに、参加者は、生徒をほめるか、叱るか、何もしないかのどれかを選択できる。そこで、生徒が8時30分より前に登校してきた時には、参加者は生徒をほめ、遅刻してきた時には叱るであろうと予される。しかし、実際には、生徒の登校時刻は実験前にあらかじめ決められており、実験に参加した被験者がほめたり叱ったりしても、まったくその影響はない。それにもかかわらず、回帰効果があるために、生徒の登校時間は、遅刻して叱られた後では向上し(つまり、平均の8時30分の方に回帰し)、早く登校してほめられた後では悪くなる(つまり、ここでも平均の8時30分の方に回帰する)ことになる。さて、こうした実験の結果、参加者の7割が「叱ることの方が誉めることよりも登校時刻を守らせる効果がある」という結論を出した。回帰によって生じた、ほめることと叱ることの見かけの効果にだまされてしまったのである。


 しかしながら、ここでハッキリさせておかなければならないのは、そうした証拠は、その信が正しいことを保証はしないということである。イメージ・トレーニングを行なっていた癌患者が癌を克服した例は、イメージ・トレーニングが癌を治すことに役立つということの、必要条件ではあっても、十分条件ではないからである。(イメージ・トレーニングを行なわなくても治った患者がいるかも知れないし、トレーニングを行なっても治らなかった患者がいるかも知れない。)不幸なことに、人は必要条件を満たす証拠と十分条件を満たす証拠との区別が手で、その結果、ある信が正しいかも知れないことを示唆しているに過ぎないデータに強く印象づけられてしまうのである。


 ある政策がとられたことの効果を評価しようとする際に生ずる根元的な問題点は、その政策がとられなかった場合にどうなったかについての情報が得られないということである。複数の政策が実行に移される場合にも、統制された実験研究のように比較しやすいようになされるのではなく、互いに協調しあうようになされることになる。別の政策がとられたとしらどうなったかが不明であるために、よい結果がもたらされた場合でも悪い結果になった場合でも、採られた政策の巧拙の判断はきわめてしいことになる。もともと良い結果が起こる可能が高かった場合には、疑わしい政策であっても、結果的に良い成果が得られ、政策は賢明なものであったと解釈されがちになる。反対に、もともと良い結果が得られにくい状況では、最善の政策が採られても失敗に終わり、愚策という烙印が押されることになったりする。


 生きるということは、トレード・オフ〔=あちらをたてればこちらがたたず〕の連続である。いかなる利益に対しても、常になんらかの損失が伴うものである。ほとんどの仕事は、急いでやれば正確さが失われる。正確にやるためには、ゆっくりやらねばならない。成功して事が拡大していけば、成功の原動力であった会社内の家族的な人間関係は保てなくなり、上役との結び付きも希薄になる。人間は卓越した知能を持つ動物であるが、生物学者の弁によれば、そうした知能の発達に欠かせなかった大きな脳を進化させるためには、狭い産道を抜けられるよう未熟なままで出産する必要が生じ、結果的に、まったくの無力な状態で異常なほど長い乳幼児期を過ごさざるをえないという代償を被ることになった。

 トレード・オフは、日常の判断や推論においても生じてくる。何ごとかについて判断をしたり決断をしたりするとき、私たちは、いろいろな便宜的規則や方略を使ってしい問題を単純化し、問題を解くための労力や負担を軽減している。こうした方略を用いることは、多くの場合有益であるが、問題を単純化することから生じる利益は、ときに単純化に伴う誤りが必然的に生じるという代償の上に成り立っている。言い替えれば、人間の判断には、容易さと正確さとのトレード・オフがあるということである。


 こうした考えは、一面のできごとにはよく当てはまるのである。一面のできごとというのは、ある一面が生じた場合にだけ、注目され印象に残るようなできごとを言う。たとえば、「風呂に入っているときに限って電話がかかってくる」という情が生じる背景となる一連の経験について考えてみよう。もし入浴中に電話がかかってきたとすると、そのことは、注目され記憶に残りやすい。というのも、風呂の中で、電話を取るべきかどうか迷ったり、濡れたまま急いで電話口に出て、寒いいをしながら話したり、さらには、せっかく風呂場から出てきたのに、電話が切れたしまって腹を立てたり、といったことが起こるからである。反対に、入浴中に電話がかかってこなかった場合には、それは、できごととして記憶されることはないであろう。別に何も起こらないからである。論理的には、こうした「非生起」も「生起」も、同様にひとつのできごとに違いないが、現象学的にはそうではないのである。


 たとえば、「ケネディ大統領の暗殺はオズワルドの単独犯行ではない」という考えを信じたいと考えている場合には、「どんな証拠がCIAの陰謀説を支持するだろうか」と自問することになる。ここで、こうした質問それ自体が歪みを含んだものであることに注していただきたい。こうした質問は、私たちの注を肯定的な証拠に向けさせると同時に、自分が望む結論に反するような情報からは遠ざけるように働くからである。そしてほとんどの場合、質問を肯定する証拠が、少なくともいくつかは見つけられるものであるため、こうした質問を一方の側からだけすることによって、真実であって欲しいとうことがらをたやすく正当化することができるのである。


 結局、信じたいと臨むことの影響の多くは、判断基準や解釈を巧妙に変化させるという、比較的目立ちにくいところで働いているのである。


 誇張と省略という比較的単純なプロセスが、こうして、科学的な実験結果の報告から他人の噂まで、私たちが人づてで「知る」ことの多くを歪めていることになる。こうした人づての話は、次々に語り継がれていくたびに、元々の事実からの隔たりも大きくなりがちである。そして、語り継がれていく過程で紛れ込んだ誤りが修正されることは稀である。


 この章を通じて論じてきたことの中に示唆されているのは、人づての情報に含まれる誤りがしばしば誤信の原因となっているということである。誤りを含んだ情報から、正しい信が作られるはずがない。私たちが得る結論は、依って立つ情報の正確さによって決められる。信とは、結局のところ、個人的な(人づての)情報の「不可避な産物」なのであるから。


 私たちは、自分の信じる考えに反するような情報を遠ざけることが多いため、自己の信を支持する議論や証拠ばかりを偏って取り入れている。その結果、こうした偏りのない情報に接していた場合よりも、自己の信がより支持されているようにじられ、そこから、一般に広く認められている王にじてしまうのである。さらには、偏った議論に接するだけでなく、私たちは偏った人々と見を交換もしている。民主党員は仲間の民主党員とつき合うし、体力トレーニングに熱な選手は同じ考えの選手と仲間を作る。実際、信や価値観や習慣が似ているということが、私たちが友達を作るときの主要な決定因のひとつである。こうした結果、自分と同じような考えを持っている人の割合を推測するときに、どうしても自分と同じ考えを持つ人をそうでない人よりもたくさんいつくことになってしまう。そのため、自分の考えをあたかも多くの人に共有されている当たり前のものであるかのようにじられてしまうのである。こうしたメカニズムによって総誤認効果が起こることを最も直接的に現わしている例として、自分の知っている人の中に喫煙者が多いほど、総人口に占める喫煙者の割合も大きいと推測する傾向が見いだされている。


 大統領補佐官のこうした内情告白から明らかなように、反対見を述べずにいることは、直接的に重大な結果を引き起こすことにもなる。しかし、本書の目的に関して言えば、反対見を述べないことには、より間接的ではあるがもっと広範囲に及ぶ悪影響も存在する。見の不一致があっても、そのほとんどは表明されることがないままであるために、私たちの持っている信や考えは、健全な討論や批判によって正しく修正される機会を失ってしまうのである。また、そうした討論がなされないために、自分の信が他人にも共有されているという謝った認識が生み出されることにもなる。そして、そのことが、自己の信を不当に強めることにつながり、結局は、その正当についての論理的問題点や経験的な矛盾点に対する抵抗力を高めることになってしまうのである。


 実際、患者の相対的症状に発作的な変化が起こった直後にある「処置」が施されると、それに引き続いてどんな変化が起こっても、その処置が有効であることの証拠と見なされてしまうものである。症状が回復すれば、すでに述べたとおり、これは正にその処置のおかげであると見なされる。症状が変わらなかったとしても、その処置は有効であったと見なされることがある。その処置は、症状の悪化を食い止め、容体を落ち着かせる効果があったと考えられるからである。さらに、使われた処置の有効に対する確信が充分に強い場合には、その処置の後で症状が一層悪化したり、患者が死んでしまったりしたときでも、処置の有効は否定されない。そうした完全な失敗例が起こっても、処置方法に対する信頼を傷つけないような説明が可能だからである。そうした処置に用いた薬の量が足りなかったのかも知れないし、そうした処置をとるのが遅すぎたのかも知れない。こうした合理化は、効果がない健康法への誤信の維持にも大きく関わっている。


 癌患者に対するインタビューによっても、多くの患者が病気になった原因の一部が自分の個人的な生活態度にあると考えていることが明らかにされている。病気になっただけでも不幸であるのに、その病気になった原因が自分の精神的欠陥にあるという悩がさらに加わっているのである。病気の犠牲者本人にさらに自分自身を非させる。これ以上残酷なことがあるだろうか?


 しかしながら、こうした偶然とはえないできごとは、本当に偶然だけで起こり得ないものなのだろうか? こうした偶然の一致の多くは、実は、ったほど特別なことではない。統計学の講義でよく使われる「誕生日問題」は、そのことを示す良い例である。何人かの人が集まったパーティーで参加者の中の誰か2人の誕生日が同じということが起こる確率を推測してみよう。パーティーの参加者がわずか23人でも、同じ誕生日の組ができる確立がほぼ50%になることがわかると、たいていの人はびっくりするであろう。さらに驚くことは、参加者が35人だとすると、誕生日が同じ組ができる確率は85%にまでなるのである。パーティーでたまたま誕生日が同じ人がいたといって驚くことがあるが、別にそれは特別なことではないのである。


 このように少し冷静に考えてみれば、それぞれの偶然が生じる確率は確かに小さいかも知れないが、それぞれの確率の和集合はかなり高いものであることがわかるはずである。それにもかかわらず、不議な偶然が重なったときに、同様のできごとすべての和集合ではなく、その積集合の方を評価してしまう直的傾向があるために、私たちはびっくりしてしまうのである。このことは、誕生日問題について考えてみるとわかりやすい。この問題を解こうとする人の多くは、ある特定の人がその人と同じ誕生日の人とペアになる可能(およそ1/365)が小さいことはすぐに気づくが、23人の人からどれだけ多くの組み合わせができるか(253通り)について考えることを忘れてしまうのである。

 最後に、人々が偶然の一致に出会ったとき、不議な力の働きをじたくなるもうひとつの理由として、そうした体験が強い動を引き起こしがちであることも重要である。「重大な」結果は、同様に「重大な」原因によって引き起こされているはずであると人々は考えがちであるため、動的な偶然の一致にも、単なる偶然だけでない何か動的な原因を求めてしまうのである。

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

2008-07-12

蟹工船ブームも背景に? 共産党の新規党員9000人増加


 共産党の第6回中央委員会総会が11日、党本部で始まり、志位委員長は、新規党員が昨年9の第5回総会時から約9000人増えたことを明らかにした。

 同党によると、党員数は1990年の50万人をピークに下落に転じ、2000年以降は38〜40万人で横ばいで低迷が続いていた。しかし、昨年9の第5回総会以降、毎連続して1000人規模で増え、計9000人増加したという。

 志位氏は幹部会報告で「(小林多喜二の)『蟹工船』が若者を中にブームとなり、マルクスに関が集まり、テレビ局は『資本主義は限界か』という企画を立てる。共産党がこれまで体験したことのない新しい状況だ」と指摘。さらに年内に2万超の新規党員を獲得する目標を掲げた。

 一方、志位氏は、来年1に党大会を3年ぶりに開催し、衆院解散・総選挙に向けた態勢作りを急ぐ考えを明らかにした。

 そのうえで、次期衆院選に向けた構えとして、政府・与党との対決姿勢とともに、民主党への批判を強める方針を示した。小選挙区比例代表並立制では、自民、民主両党との違いを示さなければ、埋没しかねないとの危機からだ。

 志位氏は「民主党は自公政権との対決戦術を前面に押し出し、政権交代すれば政治が変わるということを唯一の売りにしているが、政治がどう変わるのか中身を明らかにできない。自民党と同質同類だ。民主党への批判を進めることが大切だ」と強調した。

 共産党は第5回総会で、次期衆院選では比例選に重点を置くため、全300小選挙区で候補擁立を目指す方針を転換し、約140小選挙区に絞り込む戦略を打ち出した。このため、民主党から「政権交代という一点で共闘できるのではないか」(幹部)と期待するが出ていた。


【読売新聞 2008-07-11】

創価学会・公明党問題の真の論点


【小林節(こばやし・せつ)】慶応大学教授。弁護士。日本海新聞・大阪日日新聞客員論説委員。1949年東京都生まれ。1977年慶応大学法学部博士課程修了。ハーバード大学客員研究員。法学博士。『憲法守って国滅ぶ』(KKベストセラーズ)、『そろそろ憲法を変えてみようか』(致知出版社)ほか多数。


 人間には皆、信教の自由が保障されている(憲法20条)。だから、誰でも自分が「正しい」とう教義を信じそれを実践する組織に参加する自由がある。それは、かつてのオウム真理教のような犯罪集団でない限り、各人の自由で、他者(特に国家)が介入すべき事ではない。


 だから、日蓮法(の現代版としての池田法)を信ずる人々が創価学会に集うことはその人々の自由である。


 そして、創価学会が、教義である立正安国(つまり、国家権力が正しい考え方に従ってこそ、国民が大切にされる平和な時代が来る…という考え方)を実践するための政党(つまり公明党)を作ったのも、その信者たちの自由である。


 その結果、公明党の候補者の選定から選挙運動に至るまでを創価学会が担うのは、信教の自由の一環であるとともに会員たちの参政権(憲法15条)の行使でもある。


 にもかかわらず、創価学会に批判的な人々は、同会と公明党の親密な関係を、あたかも重大な秘密(つまり悪事)ででもあるかのごとく指摘(つまり暴露)してみせる。それに対して創価学会は、そのような事実が現に存在しそれは上述のように何もやましい事ではないのに、あたかもそれを後ろ暗くっているかのように隠そうとする。


 また、一般に宗教というものは、本来的に堕落した存在である人間の人格の向上を助けるものであり、そういう味で、修行の手段、訓練として各人の「自己否定」を求めるものである。その点で、それが宗教政党であっても、議員という権力的地位を経験した者は、ともすると傲慢(ごうまん)になりがちで、その点を宗教上の指導者が厳しく指導することはあるだろう。それに対して、政治家が「信者」としての敬虔(けいけん)さを取り戻せばよいのだが、人間としてのプライドが先行して自己否定できず反発した場合には、宗教側は、原則どおり、退(ひ)くに退けない状態になってしまうだろう。


 だから、それが、「限度」を超えて法的紛争になってしまった場合に法廷で判断されるのは仕方ないとしても、そのような宗教的本質の紛争を、他党が党利党略から議場とマスコミを使って裁こうとすることは、慎むべきであろう。


 他党(特に野党)が公明党に問うべきは、「人権と平和」の公明党が政権に参加したことによりこの国が良くなったか?である。


【大阪日日新聞 2008-07-08】

本尊供養御書


 須弥山に近づく鳥は金色となるなり(1536頁)


 類似した御文も挙げておこう。

  • 衆鳥須弥山に近ずきて同色となるがごとく(1290頁)
  • 衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし(1319頁)
  • 須弥山に近づく衆色は皆金色なり(1405頁)

 対告衆(たいごうしゅ)である南条平七郎は詳細が不明。南条家の人物と推測されている。御本尊を授与されていることから、ひとかどの信徒であったことは確かだ。冒頭に「法華経御本尊供養」とある通り、供養に対する返礼のお手紙。


 須弥山とは「崇高なるもの」の謂いか。御本尊とも、妙法とも、日蓮大聖人ともいえる。大切なことは「近づく」こと。男子部で御本尊から遠ざかっている者はいないか?(笑)


「善き人に親近せよ、善きに触れよ」とも読める。


 悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る(31頁)


 人生は“誰と出会うか”で決まる。我々は偉大なる師匠と巡り会うことができた。あとは、善き先輩、善き友と交わりながら、「師に近づく闘争」をすればよい。交友を選べ。悪い人物と付き合えば、必ず自分も黒くなってゆくからだ。

『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ


 3分の1読了。恥ずかしながらプリーモ・レーヴィの作品を読むのは初めて。15年ほど前に買った『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』も読んでなかった。ナチスものを読むには体力が必要だ。また、V・E・フランクルの『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』を超える著作はないものと勝手にい込んでいた。


 先日、研鑚板に「学会員はもっと自省的であるべきだ」と書いた。信仰とは“内省の力”といってもいいだろう。己への掘削力を欠いて、人生を潤す泉が湧くことはない。


 プリーモ・レーヴィの省察は読み手を震え上がらせる。行間はもとより文字と文字の間にまで、死の臭いが立ち込めている。彼が厳しく糾弾しているのは、ナチスの犯罪ではなく“人間の罪”だ。何よりも恐ろしいのは、死者に寄り添い、死者の代弁を行うことによって、自分が“生き永らえた事実”をも罪と自覚していることだ。


 レーヴィは、己を掘り下げるあまり、地中を貫いて底なしの深淵にまで辿り着いてしまった。ナチスが犯した罪は、ありとあらゆる善悪を飲み込むブラックホールだった。レーヴィが掘り下げた穴は、万人が抱える闇の領域にまで達した。


 イタリアのトリノから連行されたユダヤ人は600人。アウシュヴィッツから生還したのは、わずか3人だった。その一人であったレーヴィは、1987年411日、巨大な闇を胸に抱えたまま自宅のアパートから飛び降りて死んだ。


溺れるものと救われるもの

田原総一朗「前原誠司の勇気に応えよ」


 ちなみに、以下の言葉づかいはおかしい――


 政権をとったあとたちまち君子豹変するような、みっともない真似をせずにすむ。


君子豹変」とは良い味の言葉である。

2008-07-11

読む政治:ねじれ国会で行き詰まり感 「自公後」探る公明


 公明党自民党と組むことで、自らの政策を実現するという基本戦略を立ててきた。ところが参院選で与党が惨敗し、民主党が主役の一角を占める「ねじれ国会」では、行き詰まりが漂う。自民・民主の大連立構の中で、外されかける場面もあった。次期衆院選では、政権交代の可能も指摘されている。このままでは将来的な展望が開けないと、党内では「ポスト自公連立」を探る動きも語られ始めた。


表向きは蜜関係


「何を話したのか、物議を醸してますよ。冗談ばかりじゃ3時間も持たんでしょう……」

 522日の衆院本会議場で、自民党の麻生太郎前幹事長は、公明党太田昭宏代表の席に立ち寄り、探りを入れた。同17日、太田氏と福田康夫首相は公邸で、日本酒を飲みながら長時間、会談したからだ。

 会談後、政界には衆院選のタイミングや内閣改造について見が交わされたとの観測が広がった。これを皮切りに、6に入ってから首相と太田氏は官邸や国会内で5度も会談している。

「私のせいで労をおかけした。私がしい時にをかけ、的を射た政策提言も持ってくる。皆様方は、日ごろから生活者視点です」

 620日、首相は国会閉会のあいさつに国会内の公明党の控室を訪れ、頭を下げた。

 ガソリン税暫定税率維持のために改正租税特別措置法を3分の2条項で再可決。道路特定財源問題の矢面に立ったのは、公明党の冬柴鉄三国土交通相だ。後期高齢者医療制度では、与党として逆風を浴び続ける。

労をかけた」との首相の言葉は本音であろう。

 しかし、旧新進党の結成に加わった公明党幹部は「かつての野党暮らしで、何の政策実現ができたというのか。しくても今さら野党には戻れない」と話す。自民党幹部も「衆院選まで公明党が離れることはあり得ない」と断言する。


中堅議員「衆院選戦えない」


 こんな公明党福田政権との固い関係に、一石を投じる発言が飛び出した。

福田首相の手で衆院解散になるのか、内閣支持率が低迷して福田首相が代わり、次の首相で解散になるか、それも分からない」

 公明党神崎武法前代表が2日、千葉県市原市の講演で首相の進退に言及したのだ。

 公明党内には「支持率が低迷している福田首相では絶対に選挙は戦えない。このまま衆院選に突っ込んでもいいのか」(中堅議員)というが強い。

 立場上発言しにくい太田代表ら執行部に代わって、神崎氏が党内の不満を代弁してみせたとの見方が有力だ。

「衆院選挙の顔を誰にするか」は、自民党にとって政権維持の肝となる戦略テーマ。それだけに党内では退陣を口にするのは、はばかられる空気がある。

 町村信孝官房長官は3日の記者会見で、「首相の出処進退にかかわる話について、何を言うのも自由だが、一切コメントしない」と不快をあらわにした。

 神崎氏には代表時代の01年、森喜朗首相(当時)退陣の引き金を引いた「過去」がある。この年も参院選が7に迫り、支持率が1けたに落ち込んだ森内閣への不満がくすぶっていた。

 神崎氏は講演で「自民党の自己改革に期待したい」と、暗に首相交代を求めた。それをきっかけに「森降ろし」の大合唱が始まり、森氏は4に退陣に追い込まれた。


幹部「民主は嫌っていない」


 公明党内では衆院選での与党敗北を定し、政界再編が現実味を帯びて語られ始めている。5末、国会内で数人の幹部が顔を合わせた際に、一人からこんな言葉が飛び出した。

「民主党だって我々を決して嫌がっているわけじゃない。民主党が政権を取ったら、いずれは組んだらいい。その時は執行部が全員辞めようじゃないか」

 同席した一人は「半ば本気で話を聞いた」という。

 自公路線を主導してきたベテランが一線を退き、中堅・若手に民公路線の推進役を担わせるシナリオだ。

 公明党の支持母体である創価学会幹部は「民主党との関係が元々深い関西などでは、支持者の中にも『一度、民主に政権をとらせてみては』という外にある」と話す。

 民主党が政権をとれば、公明党は民主党との関係を再構築しなければならない。自民党が比較第1党になり、公明党を加えてぎりぎりで過半数を維持しても、ねじれ状態は変わらない。「その時こそ政界再編が起きる」と指摘する自民党議員は多い。その時、公明党はあくまで政権を志向するのか。

 一方、昨年来、公明党との対決姿勢を見せてきた民主党内には、「投票率さえ上がれば公明党票は大きな影響力を持たない」(幹部)と、公明党に秋波を送る空気は薄い。

 臨時国会の運営の中で、民主党が創価学会を支持母体にする公明党との対決姿勢を強めれば、選挙後の両党の関係にも影響を与えるかもしれない。

 先行きの見えない政局の中で、公明党悩は深い。


公明党関連の主な動き

  • 92年6 宮沢内閣で国連平和維持活動(PKO)協力法が自民、公明、民社3党の賛成で成立。「事実上の閣外協力」と指摘される
  • 93年8 非自民連立の細川内閣が発足し4人が入閣
  • 94年6 自民、社会、新党さきがけ3党連立の村山内閣が発足。野党に転落
  • 94年12 新生党、日本新党、民社党などと新進党の結成に参加。参院議員の一部と地方議員は「公明」を結成
  • 97年12 新進党が解党
  • 98年1 旧新進党の衆院議員が「新党平和」、参院議員は「黎明クラブ」(すぐに公明に合流)をそれぞれ旗揚げ。衆院議員の一部は自由党結成に参加
  • 98年11 新党平和と公明が合流して公明党を結成
  • 99年10 自民、自由、公明連立政権(小渕内閣)がスタート
  • 00年4 自由党が連立を離脱。自由党から分裂した保守党が加わり、自公保連立政権(森内閣)が発足
  • 03年11 保守党が改組した保守新党が自民党に合流。自公連立(小泉政権)始まる
  • 06年9 太田昭宏氏が党代表就任
  • 07年7 自公両党が参院選で惨敗(安倍政権)。民主党など野党が参院で過半数に
  • 08年4 衆院山口2区補選で自民党公認候補敗北

【毎日新聞 2008-07-06東京刊】


 恋さんからの情報。多様な見が表に出てきたのは好ましい。

イー・モバイル端末とPCセットで100円ポッキリ! 量販店大手


 ビックカメラコジマなど家電量販店大手は10日、イー・モバイルのデータ通信端末と超小型パソコンを100円でセット販売するキャンペーンを始めた。

“激安価格”の仕組みはこうだ。イー・モバイルが同日導入した新料金プランは、2年契約を条件にパソコン代金から6万9600円を割り引く一方、約3メガバイトの無料通信分を含む額基本料は2900円と、現行より900円高くした。

 基本料金を引き上げ、毎一定の割合で端末代金にあてる点で、割賦販売に似た手法だ。3メガバイト以上の通信を行うと通信量の増大につれて料金も高くなるが、6880円を上限に使い放題となる。

 東京・有楽町のビックカメラ有楽町店本館で10日、データ通信端末と台湾のアスース社製の超小型パソコンをセットで100円での販売を始めた。

 11日には、ソフトバンクモバイルがアップル社製「アイフォーン」を発売するほか、ウィルコムもPHS機能内蔵の超小型パソコン「D4」を投入するなど、携帯各社がパソコン並みの機能を持つ通信端末の販売競争に入る。イー・モバイルは端末購入の初期費用を事実上無料にし、他社に対抗する狙いだ。


【産経新聞 2008-07-10】

「99ブルース」佐野元春


 今でも時々聴く曲だ。渇いたニヒリズムが溜まらん(笑)。Micro君にも、こういう曲を作ってもらいたい。


 全てはMoney この街はFunny

 いつもなやませる

 大切なキャッシュカード クレジットカード

 永遠に夢は買えない

 得気な顔した この街のリーダー

 シナリオのチェックに忙しい

 ユーモアもない 真実もない

 フェイクしたスマイルはとても淋しい

 フェイクしたスタイルはとても淋しい

 いつも本当に欲しいものが

 手に入れられない

 あいかわらず今夜も 口ずさむのさ

 99Blues


「得気な顔した この街のリーダー」が間抜けな幹部をわせる。

Cafe Bohemia

2008-07-10

一般人はそこまでネットを使わない その二


一般人はそこまでネットを使わない」の続きを。


 一般人が「はてなブックマーク」を使ってないことを、私は知っていた。なぜなら、「創価王道の人気エントリー」を見れば一目瞭然で、私のブログの人気記事を支えているのは、ことごとくアンチの連中となっているからだ。


創価wiki」の頃は、ページごとのアクセス数をランキング表示できた。残ながら、はてなにはこの機能がない。そこで、初めて訪れた人に対して、最も閲覧されているとわれるページを表示するには、はてなブックマークしか手段がない。


 はてなスターをつけてくれる人がいるから、少なからずはてなに登録している学会員はいるわけだ。ひょっとしたら、私の呼びかけに応じてくれた人かも知れない。


 そこで、勝手なお願いとなるが、可能であれば気に入った記事に対して、はてなスターよりも、はてなブックマークをしてもらえると助かる。多少なりとも、道標(みちしるべ)になればとっている。

成果主義は強者の論理と化す


 自戒味を込めて書いておこう。トーマス・ギロビッチ著『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』を読んでいて、ふとったことを。


 どんな組織でも成果が求められる。学会の場合は因果律や諸法実相というのせいで、言いわけができない仕組みになっている(笑)。「無理です」「できません」という言葉の使用が認められないため、やたらと「厳しい」を連発する有り様だ(笑)。


 最もわかりやすい成果として、弘教と結集が挙げられる。どちらも広宣流布に直結していてわかりやすい。私は10代の頃から、「会合の内容を面白くすれば、必ず結集はよくなる」「自分自身が面白い人間であれば、人を引きつけることが可能だ」という“面白主義”に徹してきたため、結集で困ったことはない。


 折伏については、会長勇退の翌年から開始された江東男子部の9年連続全国制覇の9年目の時に江東区へ引っ越して、4世帯の弘教を果たした。分区男子部長の時にも、江東総区で3連覇を成し遂げている。聖教啓蒙も江東男子部として、間5000部の啓蒙を2回やっている。部平均に換算すると72部という計算になる。


 ちなみに私の青年部時代において、関西に負けたことは一度もない(笑)。競(せ)ったことは一度だけある。だから、東京を牽制する味で関西を持ち上げるのは大いに結構だとうが、あんまり図に乗っている奴を見ると、「何が“常勝”だ、こおーらあーっ!」と怒鳴りつけたくなるんだよね。もちろん、巻き舌で(笑)。


 そんな私から見ると、現在所属している組織は目を覆いたくなるほどの惨状で、「ひょっとして、同じ団体の邪宗じゃないのか?」と疑いたくなるほどだ。活動という活動が“ごっこ”にしか見えない。初めて参加した座談会では、副区長が「それぞれのペースで頑張りましょう」と指導を結んだ。危うく噴き出すところだったよ。方面幹部とも色々な話をしたが、独特の地域組織の発展を妨げているとのことだった。


 というように、強い組織で育つと弱い組織を見下すようになる。成果主義が強い上下関係をつくるのだ。


 しかし、である。私が出してきた成果というのは、一つのルールによるものだ。青年部時代の折伏戦であれば、部平均というのがそれ。ここを疑う人が誰もいない。例えば、地区平均や部員平均にした方がより平等な計算になるのは明らかだ。順位も当然入れ替わることだろう。更に、3年・5年・10年というスパンで計算すれば、本当に強い組織が判るはずだ。強い組織といっても、所詮強いリーダーで決まる。長が代わった途端、弱くなる組織も多い。


 そんな風にして別の角度から見ると、私みたいに威張っていてもしようがないし、成果が出ないからといって腐る必要もない。本当の勝負は長い目で見なければわからないからだ。飛び上がる時には必ず屈(かが)む必要がある。


 私の知るハワイの乙女(22歳)が今年、4世帯目の折伏を成し遂げた。しかも、私の誕生日にだ。私はまだ1世帯もやってない。今度、メールで彼女に指導を受けようとっている。

反逆者に人権はないのか?


 ないんだよな、これが。例えば、「急告! 反逆者・原島嵩が死亡」を読めば一目瞭然だろう。脳梗塞を患い片麻痺(左右の半身麻痺)となるケースは珍しくない。更に、失語症や嚥下(えんげ)障害を伴うことは既に常識であり、寝たきりになれば褥瘡(じょくそう=床ずれ)ができることも、よく見られる症状だ。また、糖尿病による視覚障害は年間3000人となっている。


 こうした症状を抱えている学会員はたくさんいる。私の地区にもいるよ。反逆者を叩くためとはいえ、病気=という単純な図式にしてしまうと、多くの学会員が対象者となってしまう。一歩間違えれば、要介護者となることがと受け止められる可能も出てくる。


 そして、学会員は「を喜ぶ体質」がある(笑)。「ざまあ、見やがれ!」なんてね。「御本尊様、もっと悲惨を!」(笑)。他人の不幸を願う生命は何界なんだろうね?


 元々、祈りと呪術には密接な関係があった。しかしながら、現代社会にあって呪詛(じゅそ)を奨励するような姿勢が微塵でもあれば、世界宗教へと飛躍することはできない。かえって憎しみの連鎖を強化してしまうだろう。


 以上、いつくままに所を綴っておいたが、メディアリテラシーの一助になれば幸いである。疑え、疑え。嘘を疑え、図を疑え。疑わずして、健全な「信」は育たない。自分の頭で判断しなければ、ルワンダのフツ族のようになる。

『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』松永和紀


 ニセ科学情報が国会でもまかり通っている例として、青山二三議員(166ページ)、あきら議員(185ページ)の発言が取り上げられている。支持者としては恥ずかしい限りだが、事実なんだから仕方があるまい。両氏は、間違いを指摘されたことに対する謝の手紙を著者に出すべきだろう。宮台真司氏が愛読している『食品の裏側 みんな大好きな食品添加物』もバッサバッサと斬りまくっている。


(フジテレビ系列「発掘! あるある大事典II」の“納豆ダイエット”で捏造があったことが報じられた日に、著者は畜産セミナーで講演を行っていた)

 会場から質問のがあがりました。

「メディアは農に関する知識を持たず、初歩的な質問を繰り返した挙げ句、間違ったことを書く。どうしたらあのような報道を止められるのですか。界として何をしたらよいのでしょうか」

 これに対して私は、「恥ずかしいことですが、マスメディア自身に改善能力はないかもしれません。まず皆さんが、正しい情報を、誠をもって公開し、消費者に届けることが大事です。メディアの人たちは勉強しようとしないので、勉強する場をお膳立てしてあげることも効果があるでしょう。一部の界は、メディアセミナーを定期的に開いて一定の効果をあげています。情けないのですが、そういう場をこちらから用してあげなければならないのが、メディアの実状です」と答えました。


 科学はそれほど単純ではありません。さまざまな条件や量の大小などによって良くも悪くもなります。白か黒かではなく、グレーゾーンが大部分なのです。

 マスメディアは、このグレーゾーンをうまく伝えることができません。多種多様な情報の中から自分たちにとって都合の良いもの、白か黒か簡単に決めつけられるようなものだけを選び出し、報道します。メディアによる情報の取捨選択のこうしたゆがみは、米国では「メディア・バイアス」と呼ばれています。


 捏造をののしるだけではダメです。情報の受け手が単純さを求めるのをやめ、メディア・バイアスを識して、溢れる情報に疑問を持ち、質(たち)の悪いものについては「番組の途中でチャンネルを変える」「週刊誌を買わない」などと行動しないと、メディアは何も変わりません。


 納豆ダイエット事件を機に、他のテレビ局や週刊誌、新聞などが「あるある」を非する側にまわりました。堂々と批判する姿に、私は複雑ないを味わいました。これらの媒体も、似たようなことを何度もやってきているからです。


 典型的なのは、動物に食品添加物を大量に食べさせて死なせる急試験の結果をもとにして、「○○を食べさせたら、ラットやマウスに深刻な健康被害が出て死ぬ。だから危険な物質だ」というもの。

 1999年に発行され、大ベストセラーになった『買ってはいけない』(「週刊金曜日」編)でも、このトリックが使われました。この種の実験は、有毒がいつ出るか、つまりどの量で死ぬかを確かめるために行われます。人に換算すれば、一日に食品添加物を何百グラムも強制的に食べさせるような実験です。


 本当は、人がマウスやラットに比べて鈍である場合も多いのです。(中略)

 しかし、なるべく安全寄りの考え方に沿って、動物で調べられた無毒に1/100をかけ算して一日摂取許容量とします。物質の特によっては、1/100ではなく1/1000をかける場合もあります。

 そして、農薬や食品転換物として使用しても、絶対にこの一日摂取許容量を超えることがないように、使い方や使う頻度などをコントロールしていくのです。その結果、一つの加工食品に含まれる食品添加物や野菜の残留農薬は極めて微量になります。

『買ってはいけない』が使ったトリックは、この一日摂取許容量の何百倍、何千倍というような量の食品添加物を食べさせた実験をもとに、極めて微量の使用を非したものでした。この本がベストセラーになったため、多くの科学者が危機を覚え、このことを批判しました。ところが、同じ手法を用いて、化学物質を危ないと決めつけるような報道が後を絶たないのです。


 どうも、この騒ぎ(環境ホルモンの社会問題化)を環境庁や研究者などが図的に煽ったふしも見られます。

 一部の研究者にとって、この時代はまさに研究費バブルでした。大手化学企の環境安全対策を担当し、退職後は化学品全分野のコンサルタントをしている西川洋三氏が著した『環境ホルモン 人を「撹乱」した物質』(日本評論社)によれば、政府は98年環境ホルモン対策に百数十億円の補正予算を計上。翌年以降も年額70億から80億円の予算を費やして、2002年まで委託研究を行い、多くの研究者が研究資金を受け取っています。研究者が人びとの不安を煽れば煽るほど、国が予算を捻出し研究費が潤沢になる、という構図です。(中略)

 人に対する環境ホルモン作用が確認された物質は、現在のところありません。


 食品添加物に関する間違った報道はまだまだ多く、きりがありません。では、食品添加物にはなんの問題もないのでしょうか。

 そんなことを言うつもりはありません。実は、安部(司)氏の著書の中には傾聴に値する見もあるのです。(中略)

 しかし、主張に科学的な間違いが多いため、食品界では安部氏に対する反発が広がっています。また、著書によれば安部氏の経験が20〜30年前の出来事であるにもかかわらず、現在の問題のように語られることも反発を招いています。


 食品添加物に詳しい藤田哲さんが、刊誌「食品と科学」(食品と科学社)2006年1号で、興味深い指摘をしています。(中略)

 藤田さんは、コンビニエンスストアセブン-イレブン2001年に保存料不使用の方針を打ち出し、03年にはローソンも追随したことを問題視しています。多くのコンビニは保存料を使わない代わりに、調味料であるアミノ酸の一種グリシンや酸味料の酢酸ナトリウムなどの抗菌を利用するようになったというので。これらも食品添加物です。

 藤田さんはこう書きます。

「これらの代替物の効果は、ソルビン酸には太刀打ちできませんので、保存期間が短くなり、食中毒を避けるために食品の廃棄率が高まります。多量に使えば味も悪くなるので、何とも無駄な選択にわれます。どちらが本当に消費者のためになるのか、ここでは科学的考が欠落しています」


 現在、食品廃棄は大きな社会問題となっています。農水省の調べでは、年間に1136万トンも発生しており、内訳は食品製造490万トン、食費卸売75万トン、食品小売260万トン、外食産310万トン、そして、食品製造などではリサイクルの割合が比較的高いのですが、食品小売ではリサイクル率が22パーセント、外食産では12パーセントしかありません。


 私は、しい農に果敢にチャレンジしている多くの有機農家を尊敬していますが、残ながら中には農薬がどれほど危ないかを力説して他の農家を貶め、「だから有機農は素晴らしい」と主張するタイプの農家がいるのです。

 彼らは現在、農薬を使っていないのですが、農薬に関する最新知識を持ちません。彼らが語る危ない農薬、危ない農は、往々にして20年前、30年前の農の姿です。たしかにその頃は、リスクの高い農薬もあり、使用した農家が亡くなるような事故も多く起きました。その反省を踏まえ、農薬の制度は大きく変わり、現在は多くの毒試験をクリアしないと農薬としての使用を認められません。農薬の安全は格段に上がっています。


(氾濫する科学情報を識別するための十カ条)

 1.懐疑主義を貫き、多様な情報を収集して自分自身で判断する

 2.「○○を食べれば……」というような単純な情報は排除する

 3.「危険」「効く」など極端な情報は、まず警戒する

 4.その情報がだれを利するか、考える

 5.体験談情的な訴えには冷静に対処する

 6.発表された「場」に注目する。学術論文ならば、信頼は比較的高い

 7.問題にされている「量」に注目する

 8.問題にされている事象が発生する条件、とくに人に当てはまるのかを考える

 9.他のものと比較する目を持つ

 10.新しい情報に応じて柔軟に考えを変えてゆく

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書 (298))

国交省職員、官舎に“大麻部屋”…鉢植え55本や種


 国土交通省近畿地方整備局職員が自宅官舎で大麻草を栽培していたとして、近畿厚生局麻薬取締部は9日、同整備局大戸川ダム工事事務所主任の藤田健司容疑者(43)(大津市一里山)を大麻取締法違反(栽培)容疑で現行犯逮捕した。

 藤田容疑者は「約2年前から栽培し、2回収穫して紙に巻いて吸った」と供述しているといい、同取締部は日常的に使用していたとみて調べる。

 発表によると、別の大麻事件の捜査で容疑が浮上し、同取締部が9日午前、一戸建て官舎の藤田容疑者宅を捜索したところ、鉢植えにした高さ20〜60センチの大麻草55本と種十数粒が見つかった。藤田容疑者はインターネットなどを通じて種を入手し、1部屋を栽培専用に使っていたという。

 動機について、藤田容疑者は「大麻に関する本を読み、幻覚をじることに興味を覚えた」と話しているという。近畿地方整備局によると、藤田容疑者は1990年4に採用され、2005年4から同工事事務所でダムの用地買収に携わっていた。


【読売新聞 2008-07-09】

2008-07-09

2008-07-08

「irie Got〜ありがとうの詩〜」Def Tech Live in 沖縄


「めざましテレビ」(フジテレビ系列)のために作られた曲。ライブでは最後に歌い手と聞き手が逆転し、互いに拍手をして終わる。味な演出だ。今更ながら解散が悔やまれる。


 人は何かに縁してが変わっていくこと

 分かっている でも分かってないけど

 決してあの人だけは自分勝手じゃない

 痛みを伴わない音楽は僕は好きじゃない

 自分の矛盾を肯定する大人だけにはなりたくはない

 OH 尊敬する人よ今日も我が友に贈ろう

 共々いこう「自分以外 師匠

 すべての人々に謝しよう

 必ず何か教えてくれてるよ、気付いてよ

 誰かのせいにするのはもうやめよう

 こりごりだよ


 皆で言おう歌おう本当は愛が足りないと

 だからイヤなやつになっちゃうの

 もっと必要とされたいの


 誰だって認められたいよ

 他の誰かじゃだめなの

 一人の人を大切にしよう

 励ましてくれてありがとう

Def Tech OKINAWA LIVE

光沢昭義記者殿御返事


 米国政治には今や、シンクタンク(政策研究機関)の存在が不可欠となった。


【「ニュースの眼」/聖教新聞 2008-07-08】


 これ、本気で書いてんのかね? 何十年も前からそうなってるよ。バブル絶頂期にあって、日本の銀行は世界を席巻していた。そして、日本の銀行を狙い撃ちにしたBIS規制(自己資本比率8%〈この数字には何の根拠もなく、当初、日本とフランスは反対していた〉)を考え出したのも米国のシンクタンクだ。日本のシンクタンクは企の調査部門みたいなものだが、米国の場合、内政から外交に至るまで戦略の高い政策が練られる。また、一般企からシンクタンクへの寄付には優遇措置があり、非課税扱いとなる。政府が実際に政策として採用するともなると、優秀な人員や寄付が集まる。このため、シンクタンク同士の政策競争は凄まじく、まさにマーケット(市場)の様相を呈している。ついでに書いておくと、欧米を理解するためには、“結社の文化”を知る必要がある。無知は無恥に通じる。光沢記者の勉強不足を戒めておきたい。

『日蓮「立正安国論」全訳注』佐藤弘夫


 国家主義から解放し、虚坦懐に真に迫る。地震・疫病・飢饉そして承久の乱。専修流行による教の大衆化。国家存亡の危機にあたり、日蓮が鎌倉幕府に対して提出した社会安穏の見書を徹底的に精査。


日蓮「立正安国論」全訳注  (講談社学術文庫 1880) (講談社学術文庫 (1880))

2008-07-07

一般人はそこまでネットを使わない


 インターネットを「使えない人」が像以上に多い。特に学会員の場合は(笑)。何を隠そう「Twitter」というのは私も知らなかったよ。RSSリーダーは、はてなアンテナしか知らない。でも、skypeは使っているよ。結局、使える人間はますます活用し、使えない人は死ぬまで書類作りしかできないんでしょうな。こうして、どこの世界でも格差が生まれる。

「最後の授業」ランディ・パウシュ


 薬王さんのブログで知った。私よりも3歳年上の方である。以下、Amazonより――


全米600万人が涙した、ある大学教授の「最後の授


 今日の次には明日が来て、その先にも新しい日が待っている。そうやって、当たり前のように人生は続いていく。しかし、これから先もずっと続くとっていたその人生に「終わりの時」があると知ったとき、あなたは何を考えるだろうか――。


 2007年918日、ペンシルベニア州ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学の講堂で、一人の教授が「最後の授」を行った。

 教授の前はランディ・パウシュ。46歳。最後の授をするにはまだ若すぎるパウシュだが、彼にはこのとき、長年親しんだ大学に別れを告げざるをえない事情があった。膵臓から肝臓へと転移したガン細胞医師から告げられた命の刻限は――「あと3ヶから半年」。

 こうしてパウシュの最後の授は始まった。スクリーンに映し出された演題は『子供のころからの夢を本当に実現するために』。それは、「最後の授」であると同時に、幼い3人のわが子に遺すためのメッセージだった。


 パウシュが幼いころに抱いた夢は、たくさんある。無重力を体験する。NFLの選手になる。ディズニーのイマジニアになる……。そのほとんどは実現し、いくつかは失敗のうちにも自分を成長させる糧となった。パウシュは言う。

「夢を叶える道のりに障害が立ちはだかったとき、僕はいつも自分にこう言い聞かせてきた。レンガの壁は、僕の行く手を阻むためにあるんじゃない。その壁の向こうにある何かを自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスを与えているんだ」。


 両親の教え、家族の愛、同僚たちの支え。そうやって、人は人と関わりながら生きていく。自分の夢を叶え、周りの人が夢を叶える手助けをすることで、明日を生きるエネルギーを手に入れる。

 人生の幕切れがそう遠くないと知りながらも、パウシュは自分を「本当に幸せ者だ」と言う。最後の授は、自分の人生をこんなにも素晴らしいものにしてくれた人々への謝であふれていた。


 講義を終えたパウシュを迎えたのは、講堂を埋めつくした聴衆のスタンディングオベーションだった。全米中のメディアがこの授について報じ、2500万人以上がテレビ番組でパウシュの姿を目にした。インターネット配信された講義の模様は、600万ものアクセス数を獲得した。


 この本は、パウシュの最後の授の記録であり、「つづき」でもある。講義を行うにいたった経緯、講義では語られなかった家族へのいなど、新たに書き下ろされた部分も多い。

 読む者のに残るのは、「死ぬ」ということではなく、「生きる」ということについての、パウシュの力強いメッセージ。夢を実現することの大切さ、人生の喜びについて、ユーモアあふれる語り口で講堂を沸かせたパウシュのづかいが、ページをめくるごとに伝わってくる。

 DVDには、日本語字幕のついた「最後の授」が収録されており、笑いと涙で包み込まれた講堂のライブが味わえる。

最後の授業 ぼくの命があるうちに DVD付き版

2008-07-06

急告! 反逆者・原島嵩が死亡


【『フェイク』第962号(発行=2008-07-06)】


学会、正信会、日顕宗と渡り歩き無間地獄


脳梗塞、失明、鬱病、狭症、腎・肝臓病にしむ


 不知の退転・反逆者である原島嵩が6日午前6時前、入院先の立川の病院で死んだ。享年69歳。最近は自力では寝返りもできないほど衰弱し、床ずれも酷い状態で病床に横たわっていたが、最後は淋しい孤独死だった。長期にわたる病・病のため、生前から顔色はどす黒く、落ちくぼんだ両目は濁り、頬は痩(こ)け、口元も垂れ下がり、貧相な顔をしていた。


 死者に鞭打つような悪口雑言は書きたくないので、原島の生き様をありのままに記して、後世への戒めとしておきたい。


 原島は昭和13年1110日に東京・大田区生まれ、翌14年1112日に入会。親のによる入会で、本人は信も信もなく、その一生は裏切りの連続で、退転・反逆の報いによって、死後は無間地獄へと堕ちて行く、余りにも悲惨なの生涯であった。


 原島は、昭和31年に教学部講師、同34年に教学部助教授、同37年には教学部教授に抜擢され、同年に学生部副部長にもなった。同39年3早稲田大学商学部を卒し、4には聖教新聞社に入社。同43年12に教学部長、同44年総務、同45年に理論室長、同47年に教学部師範になった。


 ここまでが師に守られ、同志に支えられての原島の栄光の時であった。この後は学会の教学部長でありながら、金に目が眩(くら)んで、師や同志を裏切り、極悪ペテン師・山崎正友の手先に成り下がって資料を盗み出し、正信会に移って学会批判を繰り返すなか、厳しいの連続で体調を崩していった。


 原島は糖尿病のため50代の時に重症の眼底出血、60歳で硝子体出血。平成9年9には母親が死んだが、その葬式にも行くことが出来なかった。


 また、糖尿網膜症に加え「これだけ進んだ症状も珍しい」と診断された程の白内障で、脳神経も患って平成16年、両目は失明状態に陥った。正信会を裏切って日顕宗の妙縁寺の法華講になったが、の現証は全身に現れた。


「生き地獄」のしみ


 糖尿腎症で以前は1日3回、自分でインシュリンを注射していたが、最近は人工透析を続け、身動きもできないため紙オムツをつけていたようだ。肝臓病も肝硬変の直前まで進行し、不安神経症、鬱(うつ)病、狭症に加え、平成17年10と11に二度の脳梗塞。その後遺症のため言語障害が起き、呂律(ろれつ)が回らず、よだれも絶えず垂れ、タンがつまり、左手、右足の麻痺が生じて会話もできず、食事もノドを通らない日々で、まさしく生き地獄しみが続いていた。


 更に、腰にできた酷い褥瘡(じょくそう)に8年間もしみ、三度の手術は全て失敗し、逆に酷くなった。左のの鼓膜には穴が空き、右は老化が進んで、殆ど聞こえない状態。パーキンソン病(手の震え、動作の鈍さ、歩行困、幻覚症状)も患い、五も内臓も破壊された原島は無間地獄へと旅立った。


 この76日は奇しくも牧口・戸田先生の殉の日であり、裏切り者への両会長の強い叱責がじられる。

力ある者は、はみ出してしまう


 普通の学会員は、組織が敷いたレールの上を進んでいる。ところが、ある程度の力量があると、余計なことにまで手を伸ばす。このようなタイプの面々は、ホバークラフトのように水面でも陸上でも走ってしまう。時に誤解されることも珍しくない。


 結果的に、レールの上をひた走る木っ端役人の方が評価されがちだ。将に度量がなければ、人は生かせない。現在の組織は、多様な人材を輩出するのではなくして、画一的な官僚に仕立てる傾向が強い。「桜梅桃李」と言いながら、個が評価されることは、まずない(笑)。


 開拓者が道をはみ出さずして、大道は開けない。横道や裏道にまで発展して、人々が住む“面”が形成されるのだ。官僚主義に毒されている組織は、「奥の細道」しかできないだろう。

誕生日


 本日、45歳となる。今世は90歳まで生きる予定なんで、今日から後半戦に突入。

【※年齢一覧表を参照のこと】


 戦後の焼け野原の中で戸田先生は内に向かって法を説き、池田先生が世界に打って出られた年齢である。40代見識が問われる年代ともいえよう。それにしても、あと5年で50歳となる実が全く湧いてこない。人は年相応に齢(よわい)を重ねることができないと見える。その中途半端さを抱えたまま今世を終えることなかれ。

SNS引っ越し


 SNSの引っ越しを決めた。フレカラ!を使っていたんだが、広告の多さと、小さなフォントにウンザリ。フォーラム機能がさほど利用されなかったことを鑑み、はてなグループを採用することにした。SNSは、非公開ブログ連合となる。

2008-07-05

『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン


 ルワンダもの2冊目読了。レヴェリアン・ルラングァ著『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』とは全く正反対の内容だった。男と女の違いか。虐殺者を許すか許さないか――これが、神への信不信を決定づけている。イマキュレーの家族は全員殺された。


 もはや何一つ変えることが出来ないときには、

 自分たち自身が変わるしかない

――ビクトール・E・フランクル

 殺人者たちは、家から出て行きました。

 私たちは、またをすることが出来ました。

 でも、彼らは3カのあいだに、何度も何度もやってきたのです。

 私は、神様に助けられたと信じています。

 そして、そのクローゼットの大きさほどしかないトイレの中で7人の女たちとともに恐怖に耐えながら過ごした91日のあいだに学んだのです。

 生かされたということは、ただ助けられたのとはまったく違う味を持っているのだと。

 このレッスンは、私の人生を永久に変えました。


 少女のころの私は、美しい風景や親切な近所の人たち、そして両親と兄弟たちの深い愛だけしか知りませんでした。

 人種差別や偏見などということは考えられませんでしたし、人々が違う部族に属しているのだということさえ気づきませんでした。学校に入るまでは、ツチとフツという言葉さえ聞いたことがなかったのです。


「ツチは立て」

 4年のクラスのうち、6人のツチの子どもたちがとびあがり、6個の椅子が床にこすれる音が響き渡りました。

 それまでずっと母のいる学校に行っていたので、一体何が起こったのかわかりませんでした。私は10歳で、年上の子どもたちのための学校での最初の日のことでした。


 ドイツの植民地になった時、また、ベルギーがその後を継いだ時、彼らがルワンダの社会構造をすっかり変えてしまったということも知りませんでした。

 それまで、ツチの王が統治していたルワンダは、何世紀ものあいだ平和に仲良く暮らしていたのですが、人種を基礎とした差別的な階級制度に変えられてしまったのです。

 ベルギーは、少数派のツチの貴族たちを重用し、支配階級にしたので、ツチは支配に必要なより良い教育を受けることが出来、ベルギーの要求にこたえてより大きな利益を生み出すようになりました。

 ベルギー人たちが人種証明カードを取り入れたために、二つの部族を差別するのがより簡単になり、フツとツチのあいだの溝はいっそう深くなっていきました。これが、フツの人たちのあいだに絶え間ない恨みとして積み重なり、大虐殺の基盤になったのです。


 でも私は、まだ、ツチとフツの部族のあいだにどんな違いがあるのかわからなかったのです。

 ツワは、彼らの低い身長から簡単にわかりますが、ツワが学校に来ることはめったにないので、ほとんど見たことがないのです。

 ツチとフツの違いを見分けるのはもっと大変です。

 ツチは、背が高く、色があまり黒くなく、平たい鼻をしていると言うのですが、そんなことはちっともあてになりません。フツとツチは何世紀にもわたって人種間の結婚を繰り返してきたので、遺伝子は大いに入り混じってしまっているのです。

 フツとツチは同じキニヤルワンダ語を話し、同じ歴史を共有し、同じ文化なのです。同じ歌を歌い、同じ土地を耕し、同じ教会に属し、同じ神様を信じ、同じ村の同じ通りに住み、時には同じ家に住んでいるのです。


「いいや、お前は大げさすぎるよ。みんな大丈夫さ。前より事態は良くなっているんだ。それにこれは、単に政治のことだからね。子どもたち、配はいらない。みんなうまくいくさ。大丈夫」と、父は私たちをなだめました。


「一人の男の人は、ツチの証明書を出したんです。そうしたら、私たちの見ている前で、彼らはその人の頭を切り落としたんです」と、ソランジュは身震いしながら、かすれたで言いました。自分の目で見たことが、いまだに信じられないというように。

「彼らは、フツでも、証明書を家に忘れてきただけで殺してしまうんです。私は、男の人が殺されたのを見ました。彼はフツなんです。でも彼らは知らなかったんです。私よりもほんの少し背が高いのですが、それだけなんです。彼らは、ツチのスパイだと言って、その人をその場で撃ち殺したんです。

 それから他のフツも、ツチを殺すのは間違っていると言っただけで殺されました」


 二人の姉妹は、南への道で、あまりにたくさんの死体が道路に転がっていたので、それが死体だったと気づくまでに時間がかかったほどだと言いました。

「ものすごくたくさん。それがうずたかく積み重なっているので、私たち、はじめは何かぼろきれの山かゴミだとったんです。でも近づいて、窓を開けてみた時、何だかわかりました。車のエンジンの音よりもハエがブンブン言う音の方が大きかったのです。

 そして、何百という犬が死体を食べていたんです。争いながら。気持ちが悪くなりました。国じゅうが腐った肉の匂いでいっぱいなんです」


 私はただちにそれ(2冊の分厚い英語の本と辞書)を開きました。見慣れない言葉にワクワクしながら、まるで金で出来ているかのように扱いました。アメリカの大学から奨学金をもらったような気分でした。

 祈りの時間は少なくなりましたが、でも、勉強しているあいだ、神様は一緒にいて下さるとわかっていました。


 私は、他の女たちが、眠っているか、ぼんやりしている時に、新しい宇宙を探検し、一日じゅう、祈りを唱え、真夜中過ぎまで窓から漏れるかすかな明かりで、もうこれ以上目を開けていられないというまで本を読み続けました。一瞬一瞬、神様に謝しながら。


 6中旬、隠れてから2カ以上が過ぎた時です。

 私は、牧師子のセンベバが窓の下で友達と話しているのを聞きました。

 その近所で最近あった殺戮について、目撃したり、あるいは誰かから聞いたりしたもので、その恐ろしさは今までに聞いた中でも最悪でした。

 私は、少年の一人が、まるでサッカーゲームのことでも話しているような調子で身の毛のよだつような恐ろしい出来事を話すのを聞いて、吐いてしまいそうになりました。

「一人の母親が捕まえられたんだ。彼らは次々にレイプをした。その女は、どうぞ子どもたちを向こうにやって下さいと必死で頼んだ。でも、彼らは、その夫と3人の小さい子どもののどもとに大鉈を突きつけて、8人から9人がレイプするあいだ、彼らに見させたんだと。それで、終わった時に全部殺したんだ」

 子どもたちは、よりしんで死ぬように、足を叩き切った後、生きたままその場に放置され、赤ん坊は、岩にうちつけられ、エイズにかかっている兵士は、病気がうつるように10代の少女をレイプするように命令されたのでした。


 ここに来てはじめて自分たちを見たのですが、あまりのショックにも停まるほどでした。私たちは皆死人のようでした。頬はこけ、目は窪み、頭は中に何もない空っぽの頭蓋骨のようで、肋骨は皮膚から突き出し、服は、箒(ほうき)の柄から垂れ下がっているかのようでした。

 私の体重は、ここに来た時は115ポンドでした。出た時には65ポンドでした。


 僕は、彼を藪に隠れながら引きずって、誰も僕たちを知らない場所の病院に運んだ。そうして、ローレンが僕たちをフランス軍が来るまでかくまってくれたんだ。

 それは恐ろしいことだった。彼は我々をかくまって命を助けてくれた。でも、僕たちは生きていることが痛だった。ローレンは、毎、我々を起こしてお早うって言うんだ。それから出かける。何時間もツチ狩りをするためにね。僕の家族を殺した奴らと一緒にだ。

 彼が夕方返ってきて夕食を作る時、洗い落とせなかった血が飛び散った跡が、手にも服にもついているのが見えるんだ。僕たちの命は、彼の手の中にあったから、何も言えなかったけれど。どうして、そんなことが同時に出来るのか、僕にはわからないよ」

生かされて。 (PHP文庫)

シンガポールが日本を抜く 1人当たりGDP


 アジア一豊かな国はシンガポール――。国際通貨基金(IMF)の調査で、2007年のシンガポールの1人当たり国内総生産(GDP)が3万5000ドルを超え、日本の約3万4300ドルを抜くことが明らかになった。資源に乏しいシンガポールは積極的な外資・外国人の誘致策で経済の活化に取り組んでおり、市場開放が後手に回った日本との違いが鮮明になった格好だ。

 シンガポールの1人当たりGDPは6年連続の増加。同国は07年課税分から法人税率を2%引き下げ18%に低減。所得税も最高税率20%で相続税もない。太陽光発電など先端技術企資産管理ビジネスなど製造金融の誘致も盛んだ。


【日本経済新聞 2008-07-05】

2008-07-04

2008-07-03

福田首相、自らの手で解散を 小泉元首相が講演


 自民党の小泉純一郎元首相は3日、都内で講演し、衆院解散・総選挙について「(福田康夫首相が)自分の手では行わないと言ったら、また新しい首相に変えるのか、という問題も出てくる」と述べ、有利な時期を選んで首相自ら解散に踏み切るべきだとの考えを示した。

福田降ろし」に向けた与党内の動きを事前にけん制したとみられる。

 内閣改造に関しては「今の閣僚はよくやっているが、自前の人事ではない点もあり、しい」としながらも「(衆院議員の)任期はあと1年しかないので、改造すれば自分の手で解散するとう人が多くなる」と、改造を促した。

 首相が決断すれば支持するので、毅然(きぜん)と決断してほしい」と強調。「首相の最大の力の源泉は解散権と人事権だ。これで失敗したら退陣しかない」との認識も示した。


【日本経済新聞 2008-07-03


 社会保障をズタズタにした張本人がしゃしゃり出てきた。危険な兆候をじる。

正高信男殿御返事


 今日付の聖教新聞「文化」のページに関する反論を。


 私たち人間の子どもでも、生まれて後、泣き以外に出す最初の“言葉に類する音”は、やはり「クー」という風に表現するものであることに気付くだろう。


 私は弟妹3人を育ててきたが、全く気づかなかった。そもそも、「気付くだろう」という書き方がおかしい。データはないのか? 個人的な印象だと「アー」だとう。


 サルから人類が誕生する過程で、私たちの祖先が地球上に出現するよりはるか昔に、サルたちが仲間同士でコミュニケーションをはかる中で、地域内の方言が誕生したことが、今日の言語をもたらす一大契機となっている、と推測されるのである。


 これまた、何の根拠も示されていない。サルに方言があるのは、リーダーの影響が大きいと考えることも可能だ。現代人だって、テレビやラジオがなければ、発音の地域差が生まれることだろう。


 むしろそのころまでは、言語の大事な役割は、何かを表現するというより、もっと別のところにあったのだろう。それは共に生活する仲間同士が、同じ種類の音を使うことから生ずる“連帯”のような気持ちの共有である。むろん連帯のウラには、異なる発音をする「よそ者」への排斥・反が存在する。


「だろう」と推測した後で断定している。よそ者を排斥するのは伝染病を防ぐ目的の方が大きいのではないか(『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのかシャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス著)。


 それ(ふるさとの訛〈なまり〉)をにしたくて、わざわざ同郷の人間がいそうな鉄道の駅まで出向いてしまう。


 そんなことは絶対にないよ(笑)。私は道産子だが、どこの駅まで行けばいいのか?


 そう、私たちは高度な社会を持つがゆえにこそ人間たり得る存在なのであるけれども、その強い絆を作り出し、かつ常に確認する上で、何にもまして重要な役割を果たしたものこそ、共同体ごとに独自の変化を遂げた、微妙に異なる音コミュニケーションの様式だったのだ。


 発が逆だとう。人間(=巨大かつ複雑な脳)だからこそ高度な社会をつくり出したのだ。方言の独自は、気候もさることながら、都市部との距離や交易などの影響が強いことは容易に像できる。現代においても、職によって独自の言葉が使用されるケースは珍しくない。


 そしてそのルーツをたどると、ニホンザルの「クー」における「方言」に行き着く。彼らにこの可能が誕生した時、言葉の進化の歴史は大きく一歩を踏み出したのである。


 人間の赤ん坊が発する「クー」の地域差を示さずして、この結論である。「クー」という音が言語であるかどうかも理解しにくい。鼻を鳴らしただけでも同様の音が出る。


 総じてどこをとっても根拠が薄弱で、違和だらけの文章だ。興味がある内容だけに残でならない。


 Amazonの評価を参照したところ、やはり私と同様のが綴られている。

富田林市役所に車で特攻「死ぬつもり」


 大阪府南東部にある富田林(とんだばやし)市役所の正面玄関に630日、LPガスボンベ3本など大量の引火物を積んだ乗用車が突っ込んだ。運転していた無職男(61)がライターを取り出して暴れるなどしたが、駆けつけた府警富田林署員が現行犯逮捕。「福祉関係で恨みがあり、死ぬつもりで突っ込んだ」と供述しており、あわや爆発炎上の大惨事となるところだった。

 20キロのLPガスボンベが3本、灯油らしき液体が入った10リットルのポリタンク3個。さらにカセットコンロのボンベに液体入りのペットボトルを粘着テープで巻き付けた“手製爆弾”が5セット…。

「最悪の場合、市役所に壊滅的なダメージを与えた」と捜査関係者も震え上がるほどの引火物を後部座席に満載した車が、轟音(ごうおん)とともに富田林市役所に突っ込んだ。

 威力務妨害と建造物損壊の現行犯で逮捕されたのは、同市西板持町の無職、I容疑者(61)。

 調べでは、開庁して間もない630日午前9時10分ごろ、正面玄関の幅約2.5メートルのガラス製の2重扉を破って停車。エンジン部分から煙が上がり、運転席からヘルメット姿の男が「爆破したるんや」と叫びながら降りた。男がライターを取り出した瞬間、市の契約職員(61)が突進。もみ合い中、男は“手製爆弾”を投げつけたが不発。市職員(35)も加勢して男を取り押さえ、通報で駆けつけた富田林署員が逮捕した。

 I容疑者は「(知人女の)福祉関係のことで恨みがあった。死ぬつもりで突っ込んだ」などと供述。取り押さえた契約職員と市職員の2人がガラスの破片で足を切るなどの軽傷を負った。

 同市によると、井川容疑者は知人女介護保険認定や生活保護をめぐり、市側とトラブルになっていた。

 市高齢介護課の職員(50)は「1回の相談で3時間はしゃべった。説得に労したのを覚えている」などと証言。富田林署によると、昨年2には家庭のトラブルで自宅を訪れた市職員への暴行容疑で逮捕された。

 約500人の職員が働く同市役所は、旧庁舎が4階建てで、新庁舎が5階建て。井川容疑者は受付フロアのある旧庁舎に突っ込んだ。当時、同フロアには市民1人、職員ら3人がいたが、市民にはけがはなかった。


【サンケイスポーツ 2008-07-01】


 後日、包丁を5本所持していたことも判明した。会館警備は厳重な姿勢で臨め。常に不測の事態に備えよ。不審な人や物を見逃すな。

コックリさんの思い出


 正式には「狐狗狸さん」。フウム、漢字で書くとと天狗と狸が繰り広げる三国志みたいな印象を受ける。


 コックリさんが流行ったのは私が小学5年生の時だった。五十音の文字と鳥居のようなマークを書いた紙が不吉この上なかった。私は学級代表(いわゆるクラス委員)をしていたので参加することを控えた、というのは真っ赤な嘘。やはり、少年部の直が「謗法」であることを告げていた。


 小学生の間でもブームになったのは、つのだじろう著『うしろの百太郎』で取り上げられたためだ。クラスのあちこちでコックリさんが行われていた。ある時、悪友から「おのっちょ(私の仇)も一緒にやろうぜ」と誘われたが、「そんな下らねーこと、やってられっか」と断った。すると先方が「さては怖いんだろう?」とけしかけてきた。そこまで言われて引き下がっては師子の子である少年部の沽券(こけん)に関わってくる。私はを決した。


 私が10円玉に指を乗せるや否や、スルスルと動き出した。周りにいた連中が歓を上げる。「すげえーーーっ!」。「ようしっ、お前ら、どんな質問でもしてみろ」と私は煽った。10円玉の上に置かれた私の爪は、結構な力を入れているため白くなっていた(笑)。


 その内、私の手口を知った男子が真似をし出した。コックリさんは格闘技さながらの様相を呈した。時々、10円玉が弾かれて飛んでゆくこともあった。私は「なんぼのもんじゃい!」と気勢を上げた。


 謗法は避けるべきだが、恐れるあまり臆病になってしまっては元も子もないことを私は学んだ。

『反社会学講座』パオロ・マッツァリーノ


 昭和50年代の後半には校内暴力の増加が社会問題としてクローズアップされていました。横浜銀蝿が人気を博し、ツッパリがブームになったのも、この頃でした。それまでは、教師が生徒を殴るのが普通だったのが、ここから立場が逆転し始めたのです。

 青少年の反抗がブームや流行というのもおかしな話ですが、60年代学生運動だって、大部分の若者にとっては一時の熱に浮かされたブームだったのです。その証拠に、学生運動家もツッパリもほとんどが、ブームの終焉とともに平凡なサラリーマンになっているのです。

 不議なことに、こういった、ファッションで反抗を試みていた人たちというのは、就職すると見事なまでに体制に順応します。企が社員に課す、人権侵害も甚だしい研修、軍隊式特訓、カルト宗教もどきの行を、嬉々としてやるのですから。


 いまから2000年前ちょっとのこと、ベツレヘムの地に男の子が生まれました。彼は29歳まで両親の家に住み、たまに父親の大工仕事を手伝うくらいで、ぶらぶらしていました。30歳でようやく家を出て本格的な布教活動に精を出しますが、わずか2年ほどで、生涯独身のまま死刑にされてしまいました。

 このように成人後も親と同居する独身者を、近年の日本では「パラサイトシングル」と呼んでいます。ですからイエス・キリストは世界初――かどうかはともかく、世界一有なパラサイトシングルであることは確かです。なにしろ全世界で20億人の信者から愛されているのですから。

 布教活動で有になったのも、故郷ではイエスの評判は芳しくなかったと伝わっていますが、それはたぶん、故郷の人たちは彼がパラサイトシングルでフリーターだったことを知っていたからでしょう。


 読売新聞の調べでは、2002年12の時点で、国会議員の2割がいわゆる世襲議員でした。毎日新聞の2000年調査によりますと、全国の都道府県議会議員では14%、政令指定市議会では13%が、親子代々、もしくは親子三代にわたって議員をしているのです。東京、大阪、古屋、千葉などの都市部では、この割合は国会議員と同等の20%台に跳ね上がります。

 世襲はなにも、政治家だけにかぎりません。通産省(現・経済産省)の『総合経営力指標 製造編・小売編』で、企の社長の実態も明らかになります。平成6年、一部上場、二部上場の488社中、二代目社長は111人。23%が世襲社長だったのです。


 バカ子は、日本の伝統なのです。商売などで立派に身を立てた親の子がまた優秀では、未来永劫その家系だけが繁栄し、不公平のままです。たまに出来の悪いこどもが現れて家が没落することで、よその家系にチャンスがまわってくるのです。バカ子こそが、社会の公平を実現するカギなのです。


 働け、もっと働け、あくまで働け。

 労働が自由を生む。


ビスマルクナチス強制収容所に掲げられていた標語】


 14世紀、ルネサンス期になると、アルベルティーなる人物が「時は金なり」というキャッチフレーズコピーを使い始めます(ただし「時は金なり」を本格的に広めたのは、元祖ベストセラービジネス書ライターでもあった、18世紀アメリカのフランクリンです)。神の所有物であった時間を、人間が労働のために売り買いするようになったのです。労働者時間で管理されるようになりました。ルネサンスというのは、人間の尊重、個の解放などを目指した文化の革新運動だったはずです。でも、尊重・解放されたのは金持ちだけで、貧乏人は皮肉なことに、一層キビシク管理されるようになったのです。


 アメリカの白人は、低賃金労働力を確保するために、アフリカから黒人を連れてきて奴隷として働かせるという荒技を考えました。しかし残ながら明治時代、すでにアメリカでも奴隷は解放されていました。がっかりした明治政府は、日本人を奴隷化することにしたのです。それがつまり、教育です。こどもの頃から、勤勉さこそが美徳であると、叩きこむようになったのです。

 これはわりと簡単なことでした。すでに日本人には、金に執着しないのが美徳だ、との考えが浸透していました。なにしろ「宵越しの金は持たねえ」が江戸っ子気だったのですから。あとは、労働の素晴らしささえ刷りこめば、低賃金労働を尊ぶ理単純労働者の出来上がりです。

 もともとが素直な日本の民衆は、すっかりのせられてしまいました。明治19年までは役人は1日3時間しか働いていなかったのに、工場労働者は1日10時間働いていました。そして、はた、と気づくのです。おや? 江戸時代よりいっぱい働いて収入も増えたのに、なぜ前より生活がしくなったんだ?


 はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る


 萩原朔太郎と同時代の歌人、石川啄木の歌です。江戸時代には、こんな内容の詩や歌はほとんどなかったはずです。富国強兵策は、文字通り国だけが富んで国民にはなにも恵をもたらさなかったのです。

 ただし、ここでのためにいっておかねばならないことがあります。石川啄木はずいぶん悲壮漂うことをいっとりますが、彼自身が貧乏だった理由は、芸者遊びが大好きだったせいなのです。啄木は友人から借金してまで、芸者遊びのどんちゃん騒ぎに明け暮れていたとのことで、いいかげん野郎どもの旗頭みたいな男です。同情や尊敬は不要です。むしろ、日本ダメ男列伝に列せられるべき人物なのです


 私は、基本的に人間というのは、いいかげんで適当で間抜けな存在だと考えています。だからこそ人間という生き物はおもしろいのです。近頃の小説やテレビドラマには、前向きにがんばる真面目人間ばかりが出てきて、必ず努力が報われる結末になります。そんなものを見て、なにがおもしろいのか、私にはさっぱりわかりません。むしろ、それこそ石川啄木のように、めざましい績も残すけど、じつは二枚舌でいいかげんなやつみたいな、そういう変わったキャラクターが出てくるのが、フィクションのおもしろさ、豊かさなのですが。道徳的な型にはまったキャラクターにしか情移入できないのは、現代人のがにぶってきている証拠です。

「人間いいかげん史観」によって歴史を見ないから、多くの歴史家や有識者が歴史認識を誤り、互いの解釈をめぐってギクシャクするのです。「新しい歴史教科書」問題もそうです。擁護派、反対派、両者ともに頭が偏見で凝り固まっています。彼らは、昔の日本人を偉人か犯罪者のいずれかに決めつけようとして争っているのですが、なんともバカげた論争です。どちらでもありません。昔も今も人間は等しくいいかげんなのです。


 日本の憲法には「納税は国民の義務」という条文がありまして、例によってお上に従うのが大好きな日本人は、これをありがたく遵守しています。一方、アメリカ合衆国憲法には「議会は税を課し徴収することができる」としかありません。

 欧米諸国において憲法とは、国民の権利と国家の義務を規定したものなのです。日本はまるっきり逆。国民に納税しろと命じるずうずうしい憲法は世界的に見てもまれな例です。

 スペインの憲法には「納税の義務」が記されていますが、税は平等であるべしとか、財産を没収するようなものであってはならぬなど、国家に対する義務も併記されています。日本では納税しないと憲法違反となじられますが、役人が税金を湯水のごとくムダ遣いしても憲法違反にはならず、はなはだ不公平です。

 一方的に国民に納税を要求する取り立て屋のような憲法があるのは、日本・韓国・中国くらいものですから、こんな恥ずかしい憲法はもう、即刻改正しなければいけません。


「いいかげん」が否定的に使われるようになったのは明治以降、「適当」が否定的な味を持ったのは戦後になってからです。


 フランスには、いわゆる日本式のアルバイト・パートという労働形態そのものがありません。JETRO(日本貿易振興会)パリセンターのレポートです。


 で「パートタイム労働」と言った場合、純粋に契約労働時間が他の社員より短いというだけの味で、原則として「正社員(CDI)」は「期間限定社員(CDO)」である……したがって、ではマクドナルドにいる労働者もスーパーのレジ打ちも全て正社員なのである……たとえ1日の契約であっても社会保障・労働保険加入は必須であり、社会保障に入らない雇用(すなわち「闇労働」ということになるが)など考えられない。


 日本だって本当は、週五日フルに働いているフリーターやパートなら、社会保険や雇用保険に加入できるはずなんです。加入の基準があいまいなので、ほとんどの会社がしらばっくれているだけです。


(1億円以上の資産を持っている人に年金は支払わないという著者の私案に対して)また、こういう反論もあるはずです。「真面目に働いて老後の資金を貯めておいた者が年金をもらえず、老後の資金も貯めてないような遊び人がもらえるのは不公平じゃないか」。これは二通りの味で間違っています。

 まずひとつには、真面目に努力をしたからといって、成功するとはかぎらないということです。中根千枝さんがかの有な『タテ社会の人間関係』で書いているように、日本には、人の能力は平等で、努力によって結果が決まるという考えが根強く残っています。だから、貧乏なのは努力が足らないからだ、なんて暴論・結果論がまかり通ってしまうのです。

 現実には、どんなに真面目に努力しても、自力で老後の資金を1億円も貯められない人がほとんどであり、だからこそ救済措置として年金制度があるのです。65歳時点で1億円の資産を持っている人は、人生の勝ち組です。勝ち組になった人には、社会に貢献・奉仕する義務があるんです。会社案内のパンフレットに「当社は広く社会に貢献し……」なんて企を書いておきながら、自分だけは勝ち逃げしようなんてのは許されませんよ、社長さん。

 もう一つの理由。現在日本が不景気なのは、個人消費が冷え込んでいるせいだと前回いいました。遊び暮らしていた人は、積極的な消費活動を行って日本経済を破綻から救っていたのです。もちろん、年金保険料だけはきちんと納めることが絶対条件ですが、それ以外の収入はすべて使いきって65歳時点でスッカラカンになっている人にこそ、その功績をたたえて年金をあげるべきなのです

反社会学講座 (ちくま文庫 ま 33-1)

2008-07-02

成長の陰に過酷11時間労働、ヤマダ電機「ただ働き」問題


 午前9時から午後8時まで、家電メーカー従員はただ働き――。公正取引委員会は家電量販店最大手のヤマダ電機に排除措置命令を出し、「ただ働き」にメスを入れた。同社は「売上高3兆円企を目指す」と拡大路線を一代で突き進んできた。家電メーカーより立場が強いといわれるようになった家電量販店の急成長の背景には、外な落とし穴があった。

 公取委は昨年5、ヤマダ電機に立ち入り検査を実施。「納入者にただ働きを強いた」という違反事実だった。公取委は同社が取引先の従員を店舗の新装オープンや改装オープンの際、商品の陳列や補充、自社製品以外の営セールに動員している事実をつかんでいた。

 その実態は午前9時〜午後8時まで「ただ働き」という過酷なもの。納入者は全部で約370社あったが、うち約250社がヤマダ電機の要請に応じた。

 派遣は同社本社のバイヤーらがメールやファクス者側に店舗や日時を連絡して要求。新規開店は1店当たり約600人、改装オープンでは約300人が「ヘルパー」として働かされた。ただ働きに応じた者には大手メーカーの従員も含まれているという。

 公取委の立ち入り検査を受けると、通常は即座に違反行為をやめるケースが多い。しかし、同社は代わりに「日当5000円、プラス700円の給食代」を支給する方法に変更。新装、改装オープン時に取引先従員を動員するやり方自体は改めなかった。この額についても、公取委幹部は「通常必要な費用には不十分」と断言している。

「昔メーカー、今販売店」。こういわれる家電界での現在の力関係が問題の背景にある。あるメーカー関係者は「量販店では大なり小なりヤマダ電機と似たケースは聞いたことがある」と打ち明ける。 

 公取委幹部は「界最大手のヤマダ電機が悪しき商慣習を改善し、家電量販店界全体に良い影響が出ることを期待する」と指摘しているが、他の種でも、売り場面積は小さいが、納入者に大きな力を持ち、ディスカウント競争のため無理な取引を強いる事例は目立っているという。


【産経新聞 2008-06-30】

信・不信


 人は信ずることによって、信じられないことを実現しようとする。つまり、信じられないことを実現するために信ずるのだ。信深き人とは、誰よりも不可能を可能にする人の異である。何というパラドックスの妙か。

2008-07-01

熊田一雄のブログ


 てんてんさんの掲示板で知った。熊田氏は愛知学院大学文学部宗教文化学科准教授牧口先生に関するテキスト多し。「すべてを表示」をクリックすれば記事一覧が表示される。トップページにもリンクを追加した。

夏も値上げの嵐 食品・電気・ガス…


 食料品や日用品、電気・ガス代などの値上げが止まらない。原油や穀物相場の高騰を反映し、7からも「再値上げ」を含めて様々な価格引き上げが予定されている。消費者は「買い控え」の姿勢を強めているが、者による転嫁の動きは続きそうだ。

 食品界は「再値上げ」が相次いでいる。味の素とキユーピーは昨夏に続いてマヨネーズの値上げを実施。紀文食品は2に練り製品の値上げに踏み切ったばかり。日清オイリオとJ-オイルミルズの食用油の値上げは今年に入って4回目だ。投機資金の流入だけでなく、新興国での消費量の増加などが背景にあり、「価格に転嫁せざるを得ない」(キユーピー)。

 原油高の影響で71日から値上がりする電気やガスの料金は、今後も上昇が続きそうだ。6下旬時点で172.0円だったレギュラーガソリンの全国平均小売価格(1リットル、石油情報センター)は、7の元売り各社の卸値引き上げで180円突破が確実と見られている。

日新聞 2008-07-01】

掲示板考


 Web上には色んな掲示板がある。当然ではあるが色んな掲示板があっていい。参考までに以下のスレッドを紹介しておく。

「創価仏法研鑚掲示板」過去ログ倉庫より】

フィードバック考〜一方通行の組織はワンパターンの出力しかできない


 以下のテキストに注目した人はどれくらいいたかな?


 フィードバックというのは、一方通行だった情報の流れが、枝分かれして、前のほうに戻されたり、逆流したりする回路だ。こうなると、単純な一方通行とは違うやり方で情報が処理されるようになるよね。

 一対一じゃない情報の伝達を支える仕組み、そう、脳のような複雑な装置に絶対に必要な条件が「フィードバック」ってわけ。日本語だと「反回回路」と言うんだけど、こうした情報が「行ったり来たり」する回転が最低限必要なの。それによって情報を分解したり、変調したり、統合したりできるってわけ。情報のループを描かないとブラックボックスはワンパターンの出力しかできない。(脳内の1個の神経は1万個の神経に情報を送っている)


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【『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線池谷裕二


 ここんところあまり使用してないスキャナーで図まで取り込んであげたんだから、少しは謝しないさいよ(笑)。


 この図に注目されよ。脳の神経が、どのような情報のやり取りをしているかを示したもの。そして、1個の神経が何と1万個の神経とこのようにつながっているわけだ。


 地球の人口140億人だと仮定する(本当は66億8000万人)。で、私の友人が1万人いたとしよう。この状態で「伝言ゲーム」をしている様子を像してみよう。しかも、途中にいる者同士であれば誰に対してでも確認して構わない。こんな作が脳内で瞬時に繰り広げられているのである。


「行ったり来たり」する回転作がないとワンパターンの出力しかできないという指摘は重要。この“反回”が殆どの組織にない。あるとすれば、それは地区・ブロックというレベルになる。


 つまり、学会本部から入力された情報は、全く反芻(はんすう)されることなく、そのまま支部にまで落ちてくる。まさに「落ちてくる」という表現がピッタシだ。重力以外の力は働いていない(笑)。まるで隕石のようだ。


 なぜ、このような事態となっているのか。それは、打ち出しが「折伏」「新聞啓蒙」「公明党支援」「友好対話」といった単純な内容しかないためだ。この内容に疑問の出る余地はない。“ワンパターン”と化した出力は、会員のモチベーションを高められない。「動機が欠如した活動」によって会員は「仕事をやらされている」ような覚に陥る。


 本来であれば、中間幹部による“味付け”があってしかるべきだ。同じ肉や野菜であっても料理人の手を通せば、全く違うものとなる。よくよく考えれば、味付けや加工こそ人類の文化そのものであろう。


「美味しそうだな」とえば誰もが食べるだろうし、「面白そうだな」とじれば誰もが参加する。組織を引っ張るのはリーダーの情熱ではあるが、そこに企画構成力という智が必要だ。


 幹部に智があれば、どんな見や質問も歓迎される。なぜなら、見や質問にこそ本当の智が隠されているからだ。これがフィードバックである。


 団結している組織に共通するのは、一段飛び、二段飛び、三段飛びのフィードバックが自由に繰り広げられていることだ。「幹部にものを言いにくい」雰囲気がある組織は、必ず崩壊する。