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2008-08-31

牧口先生に対し、宗門は「大居士」の戒名を拒否


 牧口先生の殉教に対して、宗門は、あろうことか、「獄死」を理由に、先生に「大居士」の戒を贈ることを拒否した。

 葬儀にも、所化小僧一人しか、よこさなかったのである。

 戸田先生は逝去後、「大居士」が贈られたが、牧口先生はその後も、「居士」のままであった。

 ようやく、1990年(平成2年)4戸田先生の33回忌の折、牧口先生に「大居士」が贈られた。

〈貞子さんは「これも池田先生の尽力のおかげです」と謝を語っている〉

 かえすがえすも、無慈悲で冷酷な宗門であった。供養を取るだけ取り、知らずにも、広宣流布を破壊する謀略に動いたのも、この年のことである。

 戒は、成の本義とは無関係であるが、邪宗門の実態を歴史に留めるため、あえて紹介させていただいた。


【信越代表者会議 2008-08-24 長野研修道場


 初めて知る歴史だ。戸田先生の33回忌の日、私は個人登山をしていた法要の後の御開扉を受けた。私は先生と共にいた。


 尚、この指導では若き日の激闘に触れられ、次のようなお話もされている――


 冬なのに、オーバーもなかった。そんな私を、奇異な目で見る人間もいた。


 これは今までに何度も語られている内容である。だが、本当のことはあまり知られていない。若き先生は貧しかったがゆえにオーバーも買えなかったわけではなかった。多分、昭和25年の冬のことであったと記憶している。先生はオーバーを入質して、戸田先生のお誕生日にお酒を贈られたのだ。先生は冬の銀座でリヤカーを引っ張ったこともあった。ランニングシャツ一枚の姿で。この時、昔の同級生と遭遇する。先生は目を伏せるどころか、大きなで「やあ、こんにちは!」と胸を張って挨拶をした。先生にとって闘とは、恥じるものではなく誇るべきものだった。

「ISO14001」について


 聖教新聞の秋季特別号の最終面左上に“「ISO14001」を取得”という見出しの記事がある。2004年(平成16年)に全国紙を発行する新聞社としては国内初とのこと。ISOに関しては「国際競争力をつけるため」という目で、各自治体が企に取得を促していた時期があった。輸出と関係ない企にまでが掛かっていたよ(笑)。ところがその後、ISO自体のコストが馬鹿にならないため、あっさりと継続をやめた企も多い。既に、ISOが社会的信用を高めるとはえない現状となっている。


 そもそも新聞社が、国際規格を取得することの味がわかりにくい。環境に配慮するというのであれば、紙媒体を減らしてネット配信にシフトすべきではないだろうか。


 そして根本的なことだが、「環境問題=善」というい込みを疑うべきだろう。地球温暖化の原因が環境破壊にあることは、まだ証明されていないのだから。


 京都議定書も日本にとっては極めて不利なルールとなっており、国内で真剣に取り組もうとする機運はまだまだ弱い。環境保全の技術革新で何とかなるだろう、という甘い惑もある。本気でやろうとするならば、企に規制をかけるしかない。


 聖教新聞社は、ISOを謳い文句にするよりも、コスト削減の事実を示すべきだろう。学会本部が数年前に大幅なコストダウンに成功したが、付け焼刃に過ぎず、後々コストが増えることが予されている。何人かの本部職員にその旨を伝えたが、どいつもこいつも「我関せず」という態度で驚かされた。

定額減税、今年度に実施…政府・与党が総合経済対策で合意


 政府・与党は29日午前、総合経済対策「安実現のための総合対策」について合した。

 公明党が要求していた所得税・住民税の一定額を減税する定額減税について、2008年度中に実施することで一致した。

 減税は単年度の措置として行い、規模は年末の税制改革協議の中で検討する。公明党は2兆円規模とすることを主張している。定額減税を除く、総合経済対策の事規模は総額11兆円強となる。

 総合経済対策は29日午後の政府・与党の会議で決定する。これを受けて、政府は総合経済対策の一部を盛り込んだ2008年度補正予算案を9召集の臨時国会に提出する。補正予算案の規模は2兆円弱で、定額減税は盛り込まない。

 定額減税は、中低所得者層の恵が大きい。公明党は09年1の通常国会の冒頭に、必要な税制改正法案と08年度の二次補正予算案を提出することを定している。同党は年末年始の衆院解散が望ましいとしており、衆院選前の定額減税を求めていた。伊吹財務相は29日の閣議後の記者会見で、定額減税の規模については「(対策には)含まれない」と語った。政府・自民党からは「低所得者に対象を絞った小規模な減税にすべきだ」との指摘が出ている。

 所得税・住民税の定額減税は1998年の景気対策で、2回にわたって総額4兆円の規模で実施した例がある。

 さらに、公明党の要求していた高齢の低所得者らを対象に一定額を支給する「臨時福祉特別給付金」も盛り込むことも決まった。

 経済対策はこのほか、高速道路料金の割引や輸入小麦の値上げ幅圧縮などを盛り込んだ。


【読売新聞 2008-08-29】


「単なる選挙目当ての政策だ」と指摘されても全く反論できないのが辛いところ。昨年、定率減税を廃止したのは一体何だったんだ? やることなすこと滅茶茶だな。

『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー


 ノーム・チョムスキーは世界的な言語学者。先生と同い年である。コソボ空爆9.11テロ以降、政治的に踏み込んだ発言が増えている。


 その代表が、アメリカ報道界の長老で、内政と外交政策の評論家にして自由民主主義の理論家でもあった、ウォルター・リップマンである。リップマンのエッセイ集を開いてみれば、あちこちに「自由民主主義の進歩的理論」というような副題が見つかることだろう。

 実際、リップマンはそうした組織的宣伝を進める委員会にもかかわっており、その効果を充分に認識していた。「民主主義の革命的技法」を使えば「合のでっちあげ」ができる、と彼は主張した。すなわち、新しい宣伝技術を駆使すれば、人びとが本来望んでいなかったことについても同を取りつけられるというわけだ。

 彼はこれをよい考えだとったし、必要だとさえっていた。なぜならば「公益に関することが世論から抜け落ちている」ように、公益を理解して実現できるのは、それだけの知をもった「責任」のある「特別な人間たち」だけだと考えていたからである。

 この理論からすると、万人のためになる公益は少数のエリート、ちょうどデューイ派が言っていたような知識階層だけにしか理解できず、「一般市民にはわからない」ということになる。こうした考え方は何百年も前からあった。

 たとえば、これは典型的なレーニン主義者の見方でもあった。革命をめざす知識人が大衆の参加する革命を利用して国家権力を握り、しかるのちに愚かな大衆を、知も力もない彼らには像もつかない未来へ、連れていくのだとするレーニン主義者の考えと、これはそっくりではないか。自由民主主義とマルクス・レーニン主義は、そのイデオロギーの前提だけをとってみると非常に近いのだ。私のうに、それが一つの理由で人びとは自由民主主義からレーニン主義、あるいはその逆へと、自分では転向したという識もなしにあっさりと立場を変えてしまえるのだろう。単に、権力がどこにあるかの違いだけだからだ。


 さて、これ(=リップマンの理論)で民主主義社会には二つの「機能」があることになった。責任をもつ特別階級は、実行者としての機能を果たす。公益ということを理解し、じっくり考えて計画するのだ。その一方に、とまどえる群れがいるわけだが、彼らも民主主義社会の一機能を担っている。

 民主主義社会における彼らの役割は、リップマンの言葉を借りれば「観客」になることであって、行動に参加することではない。しかし、彼らの役割をそれだけにかぎるわけにもいかない。何しろ、ここは民主主義社会なのだ。そこでときどき、彼らは特別階級の誰かに支持を表明することを許される。「私たちはこの人をリーダーにしたい」、「あの人をリーダーにしたい」というような発言をする機会も与えられるのだ。何しろここは民主主義社会で、全体主義国家ではないからだ。これを選挙という。

 だが、いったん特別階級の誰かに支持を表明したら、あとはまた観客に戻って彼らの行動を傍観する。「とまどえる群れ」は参加者とは見なされていない。これこそ正しく機能している民主主義社会の姿なのである。


 誰がどう言おうと、これは違法な占領であり、深刻な人権侵害である。そして、これは一つの事例にすぎない。もっとひどい事例もある。インドネシアは東ティモールを侵略して、約20万人を殺害した。この一件とくらべれば、どんな事例も些末に見える。アメリカはこれにたいしても積極的な支援を与え、いまなお外交と軍事の両面で強力に支援しつづけている。こういう例はいくらでもあげられるのだ。


辺見●宇宙の軍事化。それについてもっと説明していただけますか。


チョムスキー●ここ数年の、国連総会を見てみましょう。1999年以来毎年、総会で外宇宙条約が再確認されています。これは1967年に結ばれた条約で、宇宙の軍備を禁止しています。なぜ国連がこの条約を再確認することになったのか? それは、世界中の人が、アメリカが条約を侵そうとしているのを知っているからです。だから毎年投票が行われ、満場一致で可決されるのですが、アメリカとイスラエルだけは棄権しています。アメリカが棄権するということは、条約はおしまいだということです。アメリカ国内はもとより、ほかの国でも報道されていないかもしれないが、アメリカ合衆国は宇宙の軍備を計画していて、それは極めて危険なことです。

 迎撃ミサイルを備えるというのは、ほんの手始めにすぎません。政府がい描いていること――ちなみにこの情報は完全に公開されています。クリントン政権時代の文書があるのです――それは破壊力が高く、攻撃的な兵器を宇宙に配備することです。例えば大量殺傷力のあるレーザー兵器で、おそらく小型原子炉を載せている。そして精密な警報装置、つまり自動操縦で発射されることもある。制御は自動です。人間が行う必要はありません。すべてにおいて相当な迅速さが要求されるからです。地球的規模の破壊を保障したも同じです。工学の文献には、「標準事故」という用語がある。「標準事故」にはうまく対処しなければならない。複雑系のなかではかならず起こる類の事故です。いつ起こるかはわからない。しかし起こります。コンピュータを持っていたら、そのうちかならず標準事故が起こります。突然何も動かなくなる。複雑系とはそういうものです。


メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)

2008-08-30

公明・遠山氏、衆院転身へ 参院比例 草川氏が繰り上げ


 公明党遠山清彦参院議員(39)(比例代表)が近く議員辞職し、次期衆院選にくら替え立候補することが29日、明らかになった。遠山氏は衆院の比例代表九州ブロックの候補として選挙活動を始める。遠山氏の辞職に伴って、元党副代表の長老、草川昭三元参院議員(80)が繰り上げ当選する。

 遠山氏は91日にも記者会見を開いて衆院選立候補を発表する。遠山氏は平成13年の参院選で初当選し、当選2回。論客で知られ「若手世代のホープ」とされてきた。遠山氏を比例代表の九州ブロックで擁立することで、公明党現有議席3を上回る4議席の獲得を目指す。公明党がこのタイミングで遠山氏のくら替えを決めたのは、同党が希望する年内解散の流れを強めたいとの惑もありそうだ。

 一方、草川氏の繰り上げ当選は、公明党の執行部態勢強化につながる。草川氏は、自民党の古賀誠選挙対策委員長や青木幹雄元参院議員会長ら幹部と太いパイプをもち、小泉純一郎元首相周辺とも良好な関係を持っている。

 次期衆院選での政権交代を目指す民主党は、矢野絢也元公明党委員長の参院への参考人招致をちらつかせており、公明党は危機を強めている。このため、衆院議員時代に国対委員長を務めるなどした草川氏の手腕に期待するは強い。また、次期衆院選後には政局が一挙に流動化する可能があり、「キーマンの一人として活躍してほしい」(党関係者)とのも出ている。


【産経新聞 2008-08-30】

「広宣流布」は単なる“スローガン”ではない


「広宣流布」は、単なる“スローガン”ではない。言葉として、いくら高く掲げても味はない。具体的に一歩一歩、実現していかなければ、大聖人が開かれた無上の幸福の「大道」を後世に広げていくことはできない。それではあまりに、大聖人に申しわけない。このことは戸田先生も、厳しくおっしゃっていた。

 そして広宣流布は、この現実世界を舞台としての、軍との熾烈な闘争の連続である。正法の勢いが弱まれば、それだけの軍勢が勢いづいてしまう。

 ゆえに、現実のあらゆる局面において、「法は勝負」との証を示していかねばならない。闘争に闘争を重ね、勝ち抜いていく以外にない。個人幸福も社会の繁栄も、着実な広宣流布の発展も、その上にしか築かれていかないからだ。

 私どもにとっても本年は、ますます「正」と「邪」が明確になっていくに違いない。大聖人門下の誇りと確信に燃えて、誉れの広布の戦いに勇気凛々と臨み、堂々と勝利の栄冠を勝ち取ってまいりたい。


【第25回本部幹部会 1990-01-18 創価文化会館


 1990年(平成2年)のテーマは「原点・求道の年」だった。電話回線を使った音のみの“同時中継”から、現在の“衛星放映”となったのは前年の824日からのこと。「夢のような時代となった」というのが率直な実であった。


 先生が示した通り、年末の虚を衝くような形で日顕は書類1枚の郵送をもって総講頭を罷免(1990年1227日)。第二次宗門問題が勃発した。


 生物の真価は生存競争の中で発揮される。空間軸では弱肉強食のサバイバルが繰り広げられ、時間軸では淘汰という作用が働く。動物としては貧弱なヒトが淘汰に打ち勝った事実は、力よりも智が大切であることを示唆しているとう。情報化社会ともなれば、頭脳戦の様相を呈する。


「何が広宣流布だ。君に広布を語る資格があるのか!」――26歳の私は先生から叱責されたようないがした。前の年も、その前の年も、部としては総区で1位の成果を出していた。総区ったってその辺の総区じゃないからね。天下の江東区だよ。その驕り、甘え、油断を木っ端微塵にされた指導だった。


 当時の分区男子部長は鬼みたいに恐ろしい人だった。暴走族全盛期にあって、東京下町を席巻したグループの“頭”を張ってた人物だ。拳(こぶし)ひとつで生存競争を勝ち抜くタイプ(笑)。この先輩は私の顔を見るたびに、「小野、この間の先生の指導についてどうった?」と訊(たず)ねた。そして、必ず「俺はこうじた――」と。先輩も後輩も真剣勝負そのものだった。


 あの頃は渇した者が水を欲するが如く、先生の指導を求めた。少しでも手を抜けば、先輩から気合いを入れられた。先生は若き弟子に“哲学の芯”を打ち込まれた。そして我々は日顕宗に勝ったのだ。


 公明党が与党となってからというもの、学会員は“守り”に立たされる局面が増えている。なぜなら、勝利の目的が政権維持となっているからだ。そんな姿勢で広宣流布はできない。保守という姿勢は必ず腐敗する。学会は永久に革命の担い手でなければならない。

2008-08-29

『スピリチュアリズム』苫米地英人


 苫米地英人氏は、公安からの依頼を受けてオウム信者を洗脳から解いた人物。IQが極めて高い上、共感覚者でもある。内容は「反スピリチュアリズム」。江原啓之氏を始めとするスピリチュアルブームを徹底批判。オウム真理教に関しては、中沢新一氏が教義を支えていたことを糾弾している。教に関しても興味深い内容が多く書かれている。


 江原啓之氏などの言っていることは、宗教史的に言うと輪廻転生を前提としたヒンドゥー教的カルトです。実はスピリチュアルのみならず、流行っている新宗教はすべて差別的なを持つという興味深い共通点があります。それは「人間を超えた存在」という超人であり、選民です。もっとはっきり言うとナチズムに繋がるものです。

 そしてこれも彼らがよく口にする「守護霊」ですが、それは、元々はキリスト教的カルトにあるゴーストの概を、日本古来から存在する鬼神の概と結びつけたものです。


 東京・地下鉄大手町駅から歩いて1分、ビジネス街の一角に平将門の首塚が祀られています。そばにある三井物産の役員室は、全部そこにお尻を向けないように設計されています。つまりエリートビジネスマンが平将門の霊力を信じて畏れているということです。これは1000年単位で続いている迷信ですから、相当に強く洗脳が維持されていると言えます。

 国や地域で畏れる対象は異なっていても、現在生きている人類はすべてなんらかの迷信に洗脳されているとった方がいいでしょう。お互いがお互いを洗脳し合っているのです。洗脳状態をお互いが巧妙に維持し合っているというのが、この世の実情かといます。


 ある宗教団体をカルトと考えるか否かの判断基準は、ひとことで言うと、社会がすでに持ってる価値観からどこまで乖離しているかということです。フランス政府では判断基準を単純化して、その団体が地域社会、信者自身、信者の家族とトラブルを起こしているかどうかによってカルト認定の判断を行ないます。しかし、私の実としてはそのような基準を当てはめてカルトの本質的な適宜とすることには違和があります。なぜならその基準でいくと宗教でないどんな団体でもカルトとして認定できることになるからです。


 お坊さんでもほとんどの人が知らないようですが、「■(=卍の逆)」(鉤十字〈ハーケンクロイツ〉)はヒトラーがチベット密教に憧れてナチの旗に使ったのです。ヒトラーは超人の持ち主で、チベット密教はナチズムの元になったのです。有な神秘ゲオルギィ・イワヴィッチ・グルジェフが持ち込んだ神秘主義にヒトラーは憧れていました。グルジェフやヘレナ・ブラヴァッキーたちがチベットまで行ってきて、ヨーロッパに伝えたチベット密教が、おそらくドイツの神智学協会みたいなものを作り上げたと私は考えています。そのあたりででき上がった神秘主義と、バリバリの原理主義プロテスタンティズムが結びつくと、そのまんまヒトラーの超能力に繋がって、それが彼の優遺伝になるわけです。それを生み出した大もとはチベット密教です。少なくともチベット密教は私にとってはカルトです。

 私はことあるごとに「よくダライ・ラマにノーベル平和賞をあげましたね」と言うのですが、麻原彰晃が影響力を持っていく中でポイントになったのは、結局ダライ・ラマとの個別謁見でした。このことが日本のスピリチュアリズム史上非常に大きなターニングポイントだったといます。ダライ・ラマという人は西洋世界においてはある種スピリチュアリズムの本山のように見られている人ですが、彼が麻原の言わば「保証人」になるような担保を与えたことは間違いありません。ダライ・ラマはオウムから70万円しか受け取っていないことになっていますが、私が洗脳を解いた女幹部から聞いた話では、彼女だけでも億単位の金を持っていったということです。おそらく数十億円はつぎ込んでいるでしょう。


 しかし、脳機能学者の立場からは、物理環境と情報環境の差はまったくありません。環境は最初から情報だからです。先ほども言ったように、眼で見てで聴いて鼻で嗅ぎ、舌で味わい、手で触るという、すべてが脳で認識する情報です。物理的なものか情報なのかを区別することに味はありません。


 二つのことを事実として説明すればわかりやすいといますが、まずひとつはドーパミンをはじめとするありとあらゆる脳内伝達物質が、脳が壊れるときに大量に放出されます。ですからまず、気持ちが良い。脳幹の中の中脳のところ、VTA領域からいくつかの経路が伸びていて、脳幹の中のドーパミン細胞からドーパミンが大量に出ます。要するに、臨死体験のときは超大量の脳内伝達物質が出て、凄く気持ちが良い体をする。同時にありとあらゆる幻視・幻聴・幻覚が起こります。

 もうひとつは、時間が無限に長くなっていきます。時間覚が変わっていくわけです。たとえば走馬灯のように自分の人生の歴史を見るとか言いますが、それはあたりまえのことで、脳内の神経細胞が壊れるにあたってとてつもない脳内伝達物質が放出されますから、最後の最後に脳が超活化されるのではないかといます。線香花火の最後の一瞬のようなものです。すると、たくさんの記憶を同時に見る。脳は元々超並列的な計算機なのです。我々の脳はふだん生きているときは凄くシリアルに(ひとつずつ順を追って)認識しますが、つまり、ひとつのことを認識しているときは他を認識できません。それが臨死体験のときは、同時に全部認識するわけです。走馬灯のように一生を経験するというのは、一生をシリアルに経験しているのではなく、短い間に一生の体験を全部同時に認識するわけです。内省的には一生を全部ゆっくり体験したかのようにじています。時間覚がどんどん変わっていくからです。生という状態から限りなく死に近づいていく、死という接点に向かって永遠に近づき続ける接線のようなものです。死んでいく人にとって、体としての時間はとてつもなく長くなっていきますから、もしかすると死は永遠にやってきてないかもしれません。

スピリチュアリズム

2008-08-28

色々な仕掛け


 実は色々な仕掛けを施している。「創価スピリット」でしか紹介していない情報もあれば、リンクを辿らないと理解できないこともある。また、紹介した書籍を読まなければ知り得ないアイディアもある。あからさまに披露できない情報を、何とか伝える努力をしているつもりだ。かすった程度の人はいるが、私の図の全容を知る人はいまだにいない。キーワードは示しているんだけどね(笑)。

2008-08-27

『男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学』熊田一雄


 それでは、近代日本における覇権的男はいかなる種類のものだろうか。関東学院大学の細谷実の研究をヒントに私なりに考えてみた。それは時代に応じて微修正を繰り返しながらも、基本的には「忠臣蔵」という国民的物語(四十七士的男連帯)に代表される「地の系譜」と「集団主義」にかたちづくられているといえないだろうか(そしていまでも依然としてある程度まではかたちづくられている)。

 ここで言う忠臣蔵幻とは、1702(元禄15)年に起こった史実としての赤穂浪士討ち入り事件のことではなく、事件を題材に日本人が300年間にわたって、時代によって微修正を繰り返しながら延々と紡ぎ続けてきた「国民の物語群」総体のことを指す。討ち入り事件発生直後から、江戸の庶民の世論は四十七士をスーパースターとみなした。庶民はこの事件を幕藩体制に対する「叛乱」の物語としてとらえ、世論に配慮した幕府は事件を「忠義」の物語という解釈を与え、両者は吉良上野介スケープゴートとすることで一致し、この時点で四十七士は当時の日本社会の全階級から「男のなかの男たち」と称賛されることになった。


地の系譜」と「集団主義」の持続力を見せつけているのが、NHKのテレビ番組「プロジェクトX」(放映は2000年から)の国民的人気である。この番組では、「挑戦者たち」に女が参加していても、ナレーションは必ずといっていいほど「その時、ひとりの男が立ち上がった」で始まり、男の私生活(家事・育児介護)は基本的には切り捨てられている。もちろん、「集団主義」がある程度は後退し、「男女共同参画社会」と少なくとも表面ではうたわれる時代に対応して、時々アリバイ工作程度には男の私生活に触れることはけっして忘れられていないのだが。そして、「男の地」を貫き通して、「挫折から最後には再生した」男たちの「男泣き」で締めくくられ、集団主義の男の連帯が称揚され、中島みゆきの曲『地上の星』が、男たちを力づける「妹の力」(伝統的民俗信仰において兄弟を支える姉妹の霊力)として利用されている。


 先に、敗戦から高度成長期までの日本人男の「星一徹コンプレックス」という概を提出したが、ここでは、やはり「人種/ジェンダー/精神分析」という問題識から、『巨人の星』のような大メジャーではなくマイナーな作品であったが、当時の視聴者(アニメ放映は1968-69年)には強烈な印象を残したアニメ『妖怪人間ベム』を再考してみたい。この作品には、「早くアメリカの白人(男)なみになりたい」という当時の日本人、とくに子どもたちの屈折した欲望が、「早く人間になりたーい」妖怪人間たちの願望として、デフォルメされて描かれていたようにわれる。


 妖怪人間たちは、「人間(=この作品では事実上「白人男」のこと)たちに尽くしていれば、いつかは人間になれる」と信じて、人間の弱いに取り入った悪の妖怪たちを次々に退治していくのであるが(妖怪人間は人間には絶対に危害を加えない)、人間には謝されるどころか、いつも変身したときの「獣のような」醜い姿を嫌われ、白人男たちの警察に追われる身となり、最終回ではとうとう人間たちに、炎のなかで甘んじて焼き殺された(事実上の焼身自殺?)ことが暗示されている。現在、日本では、古典的アニメのリバイバルが盛んにおこなわれているが、『妖怪人間ベム』はメジャーなシーンでは復活していない。


男らしさという病?―ポップ・カルチャーの新・男性学

2008-08-26

メールを問題視する学会本部の意向


「メール」の問題


棚野男子部長●ところで男子部員から、こういうがありました。「学会員同士で、パソコンや携帯電話のメールを使って、情報をやり取りすることがある。ところが時々、自分の知らない人からのメールが『転送』されてくる。なかには“学会の指導”“学会幹部が内々で語った話”といったものもある。そういった情報は安易に信用していいのでしょうか」とあった。


正木理事長●私も同じことを聞かれたことがある。結論からいえば、どこまでも学会は、聖教新聞をはじめ、機関紙誌に掲載された指導が根本です。「いつ」「どこで」「誰が」がハッキリしない。出どころも、内容も、正確かどうか分からない。そういう情報は、混乱のもとになるだけだ。信用しないことです。


中村北海道男子部長●その通りですね。メールは、自分が受け取った情報を、簡単に他人に転送できる。その便利さがアダになって、わぬ問題が起きることがある。


三井婦人部長●今や社会でもメールをめぐるトラブルが絶えませんね。


棚野●たとえば、知らない人へ次から次へと転送される「チェーンメール」。いわゆる「不幸の手紙」のようなものだが、これが大問題になっている。


西山関西長●そうなんだ。大阪でも昨年秋、主婦の間で悪質なチェーンメールが広まって、大騒ぎになった。「幼児を狙った暴力事件が発生したから、このメールを友だちのママに回してください」と煽る事件が起こった。


中村●それに、国会を大混乱に陥れた「偽メール事件」というのもあったな(爆笑)。


棚野●怪しげな情報を鵜呑みにし、踊らされたら大変なことになる。その実例だ。


鋭く、賢明に!


原田●とにかく、情報氾濫の社会だ。情報は賢く、鋭く見極めていくことだ。


正木●だいたい、どこかに特別な指導がある、内々の教えがあるなんて騒ぎ立てること自体、根本の信が狂っている証拠だ。


中村●“坊主は信徒が知らない秘伝、秘法を知っている”なんて大ウソをついていた、日顕宗の連中と一緒だよ(大笑い)。


西山●ましてや、出所不明の情報を、無責任に不特定多数に流すなど言語道断だ。


棚野●そういう連中に限って、軽率。おっちょこちょい。我見。大物気取り。目立とう根。親分子分。学会の指導を真剣に聞けない。聞こうとしない。


原田●そんな情報に振り回されたら、結局は自分が損をするだけだ。踊らされては絶対にならない。


紙上座談会 2008-08-25】


 いやはや驚かされた。学会首脳のおつむは10年か20年ほど遅れているようだ。大体、メールというのはツールに過ぎない。例えば、先生や幹部の指導を電話で伝えることは珍しくないが、問題視されたことは一度もない。自分達は書類で「折々の指導」を配布してもらいながら、一方ではこんな世間知らずの言葉を吐いてみせる。学会本部としては、中央集権体制を維持しながら、情報寡占に持ってゆきたいのだろう。そうでないと、本部の権威が落ちるからだ。そこまでして、自分達の立場を守りたいのだろうか。まったくもって開いた口が塞がらない。


 はっきり書いておくが、学会本部にパソコンを導入した当時から、本部職員同士の連絡はメールで行うよう徹底されてきたのだ。そこには、キー操作を覚えさせることもさることながら、やはりコスト削減という目的があったことだろう。


 こうした聖教新聞の記事から窺えることは、「会員同士の自由なやり取り、なかんずくネットでの学会員同士の結合」を学会本部が阻害しようと目論んでいることであろう。


 学会員の大半から不評を買い、既に読んでいる学会員の方が少ないとわれる紙上座談会だが、酷い内容が続くようなら、聖教新聞社に抗議した方がいいだろう。このままだと、創価学会が笑われてしまう。抗議する際は以下の点について確認すること――

  • いつ、どこで、座談会が行われたのか?
  • 記者が編集しているのか?
  • 実際に発言したものと受け止めて構わないか?

 聖教新聞社の最大の問題は、過去データを公開してないことにある。組織における政治の変更もさることながら、記事自体に誤りが多過ぎることもその要因になっているとわれる。私は既に、先生のスピーチと一部の記事以外は殆ど読んでいない。なぜなら、「赤旗」的な記事が多過ぎるからだ。その最たるものが紙上座談会である。


 今は、ここまでにとどめておこう。ただし、いつの日か紙上座談会に対して私が鉄槌を落とすことになるだろう。

アフガニスタン内閣、駐留多国籍軍の地位見直しを求める


 アフガニスタン内閣は25日、米軍主導の多国籍軍による空爆で民間人への被害が相次いでいることを受け、アフガニスタン国内で活動する国際組織の地位を定める諸協定について、再交渉を求める向を明らかにした。

 内閣によると、見直しは特に、多国籍軍部隊の「権限と職責の制限」や民間人への空爆の中止、不法な拘束、一方的な家宅捜索に重点が置かれることになるという。

 アフガニスタン政府は24日、西部ヘラート(Herat)で22日に行われた多国籍軍による空爆によって、女子どもなど90人以上の民間人が死亡したと発表している。一方、多国籍軍側は、空爆はイスラム原理主義組織タリバン(Taliban)を標的にしたもので同組織の戦闘員30人が死亡したと主張している。

 政府系通信社が伝えた明によると、アフガニスタン内閣は同国の外務省と国防省に対し、「アフガニスタンの国家主権」に基づき国際組織関係者と話し合うよう指示したという。

 また、「アフガニスタン国内の国際組織の地位について、双務協定によって再度調整する必要がある」とするとともに、「多国籍軍部隊の権限と職責の制限について、国際法・アフガニスタンの国内法に基づいた双務協定で規制すべき」としている。


AFP 2008-08-26

金文字の日記帳に空白のページをつくるな


 一日一日の行動は、日記帳に書く書かないは別として、人生の金文字の日記帳である。同じい出といっても、映画を見たり、快楽のみでは、水泡のように消えてゆく、はかないい出である。

 どうせ同じ一生を過ごすならば、妙法流布という偉大なる行動の数多くのい出を残したい。まして青年は、将来その金文字の日記帳をひもといた時、ただの一ページといえども空白のページをつくるべきではない。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 この指導を知ったのは十代の時。震えるような激に身を貫かれた。特に最後の一文に至っては、その場で立ち上がって「ハイ!」と返事をしそうになったほどだ。


 私の両親は、支部制(昭和53年、1978年)となった時から支部長・婦人部長をしていた。私は中学2年生だった。物がついた頃から、夜、親が家にいることは少なかった。少な過ぎて覚えていないほどだ(笑)。私が小学校に上がる前から、母が布団を敷いて出かけ、弟二人の服を脱がせて畳み、寝かせるのが私の役目だった。小学5年生あたりまで、就寝は午後8時と決められていた。


 そんな両親のもとで育った私だから、男子部となるやいなや、鉄砲玉みたいに行ったまま返って来ない活動を展開した。初めの頃は空転することも多かったが、ギアが一旦はまり出すと面白いように結果が出た。


 上京して間もない頃、ある先輩から言われた。「小野君、20代でどういう歴史を残したかが大事だぞ」と。「30過ぎて人生の土台をつくろうとしても遅過ぎる」とも。その時、この指導をい出した。


 先生の指導と先輩の言葉が頭から離れなかった。しかし、人間の悲しい(さが)で、それなりの20代にしかならなかったような気がする(涙)。私が20代で成し遂げたのは以下のようなものだ――

  • 8世帯の本尊流布。
  • 御書全編読破2回。
  • 読書1000冊(学会出版物数百冊)。
  • 数十活動家を育成。
  • 数十の未来部員の育成。
  • 出席した座談会は、ほぼ100%盛り上げる。
  • 一通りの会館警備。
  • 本山警備。
  • 本部警備。
  • 対告衆(たいごうしゅ)として気合いを入れられまくる。

 こうして書いてみると、他愛のないことばかりだが、私の脳裏にはさまざまない出が去来する。たくさんの顔が浮かんでくる。


 他人の前で誇るために頑張るのではなくして、後から振り返ってみて、何歳の時に何をやったのかという鮮烈な事実が大切なのだ。その程度の歴史をつくらずして、学会員乗る資格はない。自分の弱さに負けているような者が折伏をしたところで、法を下げるだけだ。

『香水 ある人殺しの物語』パトリック・ジュースキント


 天才的な嗅覚を持つ男の一代記。舞台は悪臭紛々たる18世紀のフランス。「匂い」に取りつかれた男は、「匂い」でもって人々のをも操る。そして「匂い」のためとあらば、いかなる悪事もやってのける。典型的なサイコパスわれるが、めくるめく物語となっている。パトリック・ジュースキントの抜きん出たストーリーテリングもさることながら、池内紀の訳文が絶品。


 6歳のとき、彼は嗅覚を通して周りの世界を完全に了解していた。匂いによって知り、再び匂いで識別して、それぞれをしっかりと記憶に刻みつける。そんなふうにして彼はマダム・ガイヤールの家にあるものすべてを知り尽くしていた。シャロンヌ通りの北に関して、隅から隅まで舐めるように承知していた。人や石や木や茂みや屋根、またほんのちょっとした場所であれ、彼の鼻が嗅ぎわけないものはないのだった。何万、何十万もの匂いの種類を嗅ぎとって、はっきりと記憶のなかに収めている。その匂いを再び嗅いだとたん、当のそのものをい出すばかりでなく、い出したとたんに、まざまざとその匂いを鼻で嗅いだ。それだけではない。少年は空のなかで匂いを組み合わせるすべを得ており、現実には存在しない匂いですら生み出すことができたのである。いわばひとり当人が独習した膨大な匂いの語彙集といったところで、それでもっていのままに新しい文章を綴ることができるというもの。しかもこの幼さにしてである。ほかの子どもたちが、ようやく習得したことばでもって、およそたわいないこの世の認識の結果をたどたどしい作文に綴るのがせいぜいの齢ごろ。この点、グルヌイユの異才は、ときとして音楽の世界に現われる神童と較べるのがふさわしいかもしれない。メロディーやハーモニーのなかに音階のことばを聴きとって、みずからまったく新しいメロディーやハーモニーを生み出せる――ただし、あきらかに匂い語の方が音階のことばよりも、はるかに強烈で複雑だろうし、それにこちらの神童グルヌイユの場合、創造の傑作はただ彼ののなかにだけ表現をみて、当人以外の誰のにとどくわけでもなかったのである。


 この夜、グルヌイユには、いつもの物置小屋が宮殿にえた。木の寝床が天国のベッドだった。生まれてこのかた、彼はまだ幸せというものを知らなかった。ほのかな満足といったものを、ほんのたまに覚えたことがあるだけだった。だが、その夜、彼は幸せにふるえた。喜びのあまり寝つけなかった。二度目の生を享(う)けたかのようだった。いや、二度目というのはあたらない。一度も生まれたことがなかったのだから。これまで獣(けもの)同然に生きてきただけなのだから。今日という日によって彼は初めて、自分が実は何ものなのか知ったような気がした。つまり、天才にほかならない。いまや人生が味をもった。目的をもち、使命をもった。匂いの世界に革命を起こすこと。この世で自分だけが、そのための手段を所持している。このとびきりの鼻、途方もない嗅覚の記憶力。とりわけ重要なことは、マレー区の娘の匂いを、われとわが身に刻印として受けたことだった。そのなかには法の呪文のように、偉大な匂いを――二つとない芳香を生み出すはずのすべてがこもっている。こまやかさと力、持続力と多用さ、恐るべき抗(あらが)いようのない美というもの。彼はこれからの生のためのコンパスを発見した。世に聞こえた怪物たちは、きまって外的な事件によって螺旋(らせん)状をした精神のカオスに躍りこんでいったようだが、グルヌイユもまた同様の運命に遭遇したといえるだろう。生の方向が定まったとった日に運命も定まった。自分がこれまで、なぜこのように過酷な生を強いられてきたのか、いまや理由がはっきりとした。匂いの創造者たるべき人間である。その種の一人というのではない。古今を通じて最高の芳香を生み出す、もっとも偉大な香水調合師。


 つくれるとも、つくろうといさえすれば何百何千と、はるかにすばらしいものをつくってみせる。だがつくりたいとはっていなかった。グルヌイユはバルディーニのような市井の香水調合師たちと競争するなど少しも考えていなかった。富を稼ぎ出そうとはわない。ほかに生きるすべさえあれば、生活すらたよりたくないのである。自分の内面にひしめいているもの、それこそ地上のいかなる栄耀栄華よりも、はるかにすばらしいものとえてならない。これを香水によって表わしてみたいだけだった。だからしてバルディーニがつけた条件などは何てこともなかったのである。


香水―ある人殺しの物語 (文春文庫)

2008-08-25

2008-08-24

『穴』ルイス・サッカー


 だが、そんな呪いの話など、エリャは気にもとめなかった。まだ15歳だ。「未来永劫」と言われたって、火曜日から1週間と言われたのと大差ない。それに、エリャはマダム・ゼローニが大好きだった。喜んで山へ連れていくつもりだった。


穴 (ユースセレクション)

8.24


 今日、先生の入会記日。昭和22年(1947年)だから、満61年。通説だと釈尊は十九出家、三十成道、八十涅槃となっている。これだと、ピッタリ61年だが、実際は29歳で出家したようだ。ということは教史上、最も長きにわたって法を説いた人物ということになる。師、80歳。もう、ゆっくりして頂きたいと切に願う。

厚生労働省の内部試算 国民年金の積立金 2047年度に枯渇   

 基礎年金の国庫負担割合を将来も2分の1に引き上げず、現行の36.5%にとどめた場合、自営者らが加入する国民年金の積立金が2047年度に枯渇するとの厚生労働省の内部試算が23日、明らかになった。国民年金を含む全国民共通の基礎年金の給付財源が賄えなくなり、すべての公的年金の給付財源が不足する事態に陥る。

 政府は04年の年金改革で09年度までに国庫負担を2分の1に上げると決めたが、必要な2兆円余りの財源のメドは立っていない。現行では今世紀半ばから積立金を計画的に取り崩し給付に充てる予定だが、国庫負担を上げなければ、積立金の取り崩しが早まる。


【日本経済新聞 2008-08-24


 誰が厚生労働省の試算なんか信じるんだろうねえ……。どうせ、消費税アップのお膳立てをしようって魂胆なんだろうな。全く努力もせずに、国民の財布を当てにする姿勢が浅ましい。

言葉


 言葉は、世界を構築するためにある。そして世界は、言葉によって綴られる。

2008-08-23

「抜き書き」の効用


 抜き書きをしていると、読んだ時には気づかなかったことが浮かび上がってくるから不議だ。実際にペンで書き写せば、もっと伝わってくるものがあることだろう。やはり、「書写」という作に伴う“身体”は侮れない。


 具体的には、整理されていない考、格の悪さ、主張の曖昧さなど、マイナス要素が多い。そこに気づいた時、書き手の脳味噌に入り込んだような快がある(笑)。


 先生の文章が凄いのは、こうした点が全くないところだ。誰よりも、指導を入力してきたこの私が言うんだから間違いないよ。ただし最近のスピーチに関しては、聖教記者の手が入っているため無味乾燥な文体となっているのが惜しまれる。昭和期の指導にこんなことはなかった。


 というわけで、「言葉を綴ろう」と言いたい。動したテキストをなぞることで、新しい自分の言葉が生まれる。人間が言葉に生きる動物である以上、人間革命を支えるのは“新しい言葉”なのだ。

「抜き書き」について


 カテゴリーの「抜き書き」は、私が入力したテキストの一部を紹介したものだ。実際にはもっとたくさんある。あまり読者から反応がないことと、著作権上の問題を鑑み、今後は縮小する予定。二つ三つのテキストにとどめておこうとう。

20年先を目指し、獅子のごとく生きぬこう


 いつもいつも冴えゆく

  光と語りながらの

   雄々しき挑戦ありがとう

  二十年先を目指し

   獅子の如く

   太陽の如く

    共に生きぬこう


【『友へ贈る』 1978-05発行】


「20年先を目指しなさい」とは、昭和40年代の青年部に対する基本的な指針であった。信といっても、人物といっても20年見なければわからない。20年持続すれば本物である。赤ん坊だって、20年経てば立派な大人へと成長する。


 今、メディアで持てはやされている有人が、果たして20年後も同じ主張をしているかどうかはわからない。時に、全く正反対の立場となっていることも珍しくはない。時の本質――それは淘汰である。


 私は二十歳(はたち)を過ぎた頃、この指針を何となくノートに記した。当時はとてもじゃないが、光を見つめる余裕などなかった。ひたすら次の家を目指して家庭指導に明け暮れた。毎日が戦闘モードになっていて、戦うことに努力を要する段階は卒していた。


 先生の「ありがとう」という言葉が胸に染みるようになってきたのは、リーダーとしての孤独を知るようになってからのこと。ま、孤独といったって、寂しさなんぞとは無縁の質のものだ。大体、私には「寂しい」という情がないのだ。私は“広布のオズマ”だ(笑)。


 組織うように動かない時、リーダーは岐路に立たされる。「今までできなかったんだから、できなくったって仕方がないよな」という妥協の道と、「少々の反発があっても戦い抜く」という挑戦の道に分かれる。「少々の反発」と書いたが、実際には結構大変なんだよ(笑)。少々どころじゃない。だが、このハードルにつまずいているようだと、まともなリーダーにはなれない。


 結局、尻込みしたくなるような場面を、いくつ乗り越えたかで人の成長は決まる。へっぴり腰は何人いたところで役に立たない。斬り込んでゆく時、踏み込みが浅いと返り討ちに遭う可能が高い(笑)。


 20年先を目指して決するのは生やさしいことではない。3日分の決なら誰にでもできるけどね(笑)。20年間努力すれば、それが自分の(ごう)となる。20年後の本因を積んでいるとえば、どんな労にも耐えられよう。

2008-08-22

『無境界の人』森巣博


 裏街道を歩み続ける人特有の昏(くら)い力が、どこからともなく漂ってくる。ヤクザ、刑事、政治家およびその秘書たち、不動産者、土建者、霞が関のエリートたち、こういった人たちが共有する、虚構の権力に依存する生活形態が、そうさせるのであろうか。


 多分これは誤った仮説であろう。誤った仮説ではあろうが、わたしの四半世紀にわたるこの命題との血みどろの格闘の結果なのである。以下に書く。よろしくご検討ください。

 木から降りたサルがヒトである、という説をわたしは取らない。木から降りてもサルはサルである。ところがその木から降りたサルの中に、木に戻ることを拒否した一群のサルが居た。つまりわたしの説では、木から降りたサルの中で木に戻ることを拒否するという志を持った一群のサルが、ヒトになったのである。

 天敵から身を守る木という安全装置を拒絶したこの臍(へそ)曲がりの一群は、保身上、二足歩行という革命を始めた。視界が開けるからである。そしてこの二足歩行というパラダイム・シフト(枠組み移行)が、巨大な容量の頭脳を支えうる進化形態に繋がったのだった。


「恨晴らし(ハンブリ)」

 という言葉が韓国語にはあるが、それだ。「恨(ハン)」を持った者には、「恨晴らし(ハンブリ)」をするまで「恨(ハン)」が宿る。そして多くの場合、「恨」は内に沈殿してその者の生活すべてに負に作用する。「恨」を昇華させなければならない。


 伝説上の博奕打ちに、“ニック・ザ・グリーク”と呼ばれた男が居た。「ギリシャ人のニック」という味である。もっとも、正確に書けば、“ニック・ザ・グリーク”の渾(あだな)を持った著な博奕打ちは、過去二人存在している。

 一人は、第二次大戦直後、アメリカ北東部でならし、のちにラスヴェガスに乗りこんで活躍したポーカーのプレイヤーで、姓をダンダロスといった。この男は、結局、ダラスの「いかさまの天才」ジョニー・モスに叩かれ、1966年に、無一文で死体となって発見された。

 もう一人の“ニック・ザ・グリーク”は、コートダジュールを中としたヨーロッパのカシノで活躍し、ラスヴェガスへも数回の大勝負に遠征した。ニコラ・ゾグラフォスである。大学教授の一人子としてアテネで1886年に生まれている。この“ニック・ザ・グリーク”は、350枚までのカードなら、出た順序に従って記憶できた、という。何度も話題を持つ大博奕を打ち、そのほとんどに勝利を収めた、そうしたとんでもない稀有の運を持った男だった。アンドレ・シトロエン(あの自動車のシトロエン社のオーナー)が、当時としては最先端技術の自動車製造工場を、そっくりそのまま、青天井のバカラ勝負で失ったのだが、その失った相手とは、この“ニック・ザ・グリーク”だった。

 それほどの僥倖(ぎょうこう)を持った賭人にもかかわらず、“ニック・ザ・グリーク”は、その生涯に天国と地獄の間を73回往復した、と言われている。それが、博奕なのだろう。その“ニック・ザ・グリーク”が、次の言葉を遺している。

「穏やかたるを学べ」


 もっとも標準語という言い方はおかしいから、NHK訛りということにしておこう。


 ゴールドコーストでの不動産投資のぼろ儲けに眼をつけて、この頃、遅ればせながら、と参入してきた人がいる。「国際経営コンサルタント」の大前研一だった。大前は著な「国際経営コンサルタント」だったかもしれないが、いかんせん参入の時期が悪かった。バブル崩壊以前の「土地神話」さえ信じなければ、不動産投資の原則は三つしかない。一が、タイミングである、二が同じくタイミング、三は、一、二、のルールに従え、となる。つまり不動産投資とは、「時機を読む」、これに尽きる。

 ところが大前はバブルの最盛期に計画を立て、完成したのがバブル破裂以後だった。予定価格で買う奴など、居やしない。多額な負債を大前はゴールドコーストの土地開発で抱えたそうである(ジ・オーストラリアン紙、シドニー・モーニング・ヘラルド紙による)。この他、大前はアサヒ・ビールにつかませたフォスター社の株をはじめとして、いろいろな粗相をオーストラリアで行っているが、それはここでは触れない。


 いろいろな持ち株会社が交錯して複雑なのであるが、資本の流れを追うと、その謎が解ける。カシノ・オーストラリアには二つの大株主が存在する。ひとつは、オーストラリア・ペンション・ファンド(日本で言う厚生年金基金。老齢年金のための投資を行うオーストラリアの準政府機関)。もうひとつが、なんとヴァチカン財務部に行き着く。この二者でカシノ・オーストラリアの過半数の資本(つまり管理経営権)を握っている。畏れおおくもかしこくもカトリック教会が、カシノライセンスを寄越せと、国あるいは地方行政府にねじ込むのである。いや、失礼した、ロビー活動を行うのである(オーストラリア・クイーンズランド州ケアンズにできたリーフ・カシノには、持ち株会社も介在せずに、直接カトリック教会が10パーセントの資本参加をしている)。

 すなわちわたしがこのカシノの博奕で負けても、そのお金は、オーストラリアの老人福祉に使われるか、有りくも神様のところへ行くのである。もう死後のわたしには天国での居場所が用されているのだ。博奕ヲ止メマショウ、などと神を畏れぬ不届き者は、地獄へ行け。


 民族という概そのものは18世紀の西欧の発明であり、これは「血と土」を味するドイツ語のBlud und Borden(ブルート・ウント・ボーデン)およびVolk(フォルク)「民」からきている。これを明治前期に民族と造語した。現代中国語の民族(ミンズー)は、明治中期に日本から輸出された熟字である。それ以前の中国語にはなかった。昔から日本は原料加工製品輸出がうまかったのである。

 こうして幻の「日本民族」はできた。さて植民地ができると、そこに住む新日本人たちは、一体何になるのか? これにかかわり、「国体の本義」を考える人たちは悩んだ。研究者たちも迷った。喜田定吉(きた・さだきち)の著作を読むと、当時の知識人の困惑が掌にとるようだ。結局、ラ・フランス・メトロポリテーヌ(内地フランス)とラ・フランス・ドウトル・メール(外地フランス)というフランス型の植民地支配方式でごかました。ドイツ語の「血」の語源をここで落としたのであった。

単一民族」幻は成立したのだが、実は「血」を語ると、それ以前から不都合な部分があったからである。沖縄の人たちと、北海道のアイヌなどの先住民たち、あるいは小笠原の人々の存在だった。

 フランス型植民地支配方式とは、つまり「内地日本(人)」が、「外地日本(人)」(この場合は、鮮半島、台湾、樺太(現サハリン))を統治指導する、という考え方である。昭和になって、ついでに中国もまとめて指導してやろうじゃないか、というのが、いわゆる「大東亜共栄圏」論、「八紘一宇」論だ。この「八紘一宇」論が、実はそのまま現在の「大東亜戦争=アジア解放戦争」論に繋がっている。

「八紘一宇」論とは、つまり、わたしの言う「日本型中華」である。中華が蕃(蛮)を救済し、指導してやる、と言うのである。


 ところが「アメリカ人」というのは何であるのかは明確なのだ。これは、アメリカ合衆国の市民権保持者のことだ。合が成立している。

 それなら日本人とは何なのか? これが前述したようにわからない。とりわけ「日本人論」で述べられる日本人とは、まったく味不明である。なぜなら「日本人論」で述べられる日本人には、元在日鮮・韓国人であった20万人を越す「帰化人」は含まれていない。また日本国内のいわゆる少数民(族)である、アイヌ、ウイルタ、ニブフの人たちも除外されている。沖縄の人々も小笠原の人々もここには居ない。数としては少ないが、日本国籍を有する、日本国外にそのさまざまなエスニックな起源を持つ人々も包摂されていない。これは明確である。しかし右の人々はすべて日本国籍所有者であり、「アメリカ人」の定義に従えば、あるいは国民規定に従えば、「日本人」であるはずだ。それ以外の何者でもない。ところが「日本人論」では、これらの人々を除外したところから、「論」が出発しているのである。


 そしてここが重要なのだが、少数者が差別と排除によって抑圧される社会とは、実は多数者にも住みづらい社会であるのだ。多数者は少数者の抑圧に加担することによって、その事実に気づかない、あるいは気づかない振りをしているだけなのである。これはまったく、学校なり職場なりで行われる「いじめの構図」と同様であろう。


 日本企が一斉に売り出した開発物件の中から、不当に低評価を与えられたものを、こまめに爪で拾うようにして買い漁ったのが、香港、マレーシア、シンガポール系の資本であった。ひどい例だと、開発費用の20分の1程度の値段で買い取られたものもあった。「富の再分配」である。いいことだ。「富の再分配」が「貧困の再分配」(これをわたしは「貧困の近代化」と呼んでいる)に結びつかない限りにおいては、まことに恭賀の至り。


 体験は個のレベルで解体し、検証せよ。そして可能なら脱構築して再生せよ。


 実は20ドルの博奕でも、20万ドルの博奕でも、博奕の本質は変わらない。勝ちか負け、この二つの結果の一方のサイドを選択したというだけのことなのだ。

 ところが金額の大きい、乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負をする際、「20ドルの博奕でも20万ドルの博奕でも、その本質は同じである」という原則を忘れてしまう。

 乾坤一擲の「乾坤」とは、天地だ。天地を賭して勝負する、という味である。

「誰(たれ)か君主に勧めて馬首を回(めぐ)らし、真に一擲して乾坤を賭せん」

 韓愈(かんゆ)の詩だ。

 このい入れが、アドレナリンの分泌量を必要以上に増大させる。それが持ってはならない緊張に繋がる。

 どれだけ平静を装っても、やはり喉は渇ききり、動悸は高鳴る。自律神経の指示を無視して、頬の筋肉は歪み、微細に震えだす。頭の中は熱の靄(もや)におおわれ、どこか遠くの叫びが聞こえてくるようだ。

 この熱の靄が帯状となり、朦朧の薄闇で走りはじめると、これがわたしの言う「偉大なる空虚」。

 ニック・ザ・クリークの

「穏やかたるを学べ」

 も、おそらくわたしの「偉大なる空虚」と同質のものなのであろう。

無境界の人 (集英社文庫)

2008-08-21

洋上給油無償提供の自衛隊 イラクでは米から購入


 インド洋で米軍など複数海軍の艦艇に無償で燃料を提供している自衛隊が、イラク空輸では米軍から燃料を購入していることが20日、分かった。ガソリン価格が高騰し国民が困窮する中で、燃料の無償提供を続ける日本の“気前よさ”が際立つ形になった。 

 イラク空輸のため、隣国のクウェートにC130輸送機三機を派遣している航空自衛隊は、日米物品役務相互提供協定(ACSA)に基づき、有償支援を受けている。2006年度は米軍から航空燃料1840キロリットルの提供を受け、1億2600万円支払った。

 一方、インド洋に派遣されている海上自衛隊はテロ対策特別措置法(テロ特措法)に基づき、01年から昨年11まで艦艇燃料、ヘリコプター燃料など989回の洋上補給を行った。その分の燃料費224億円は、日本政府が負担した。

 今年1からの新テロ対策特別措置法(給油新法)でも燃料費は日本持ちで、パキスタン、フランスなど7カ国に8億円以上の燃料を無償提供している。

 イラクでは有償で購入、インド洋では無償提供と対応が異なることについて、防衛省幹部は「政策判断というほかない」という。給油新法は来年1で期限切れを迎えるが、秋の臨時国会では同法の期間延長を論議するか決まっていない。


東京新聞 2008-08-21】

クリスチャン


 クリスチャンは神には謝を捧げるが、人に対して謝することがない。私が見てきた人物はいずれもそうだった。多分、神への謝を強制されているためだろう。クリスチャンに対する質問は以下で十分――

  • 神はどこにいるのか?
  • 天地創造は1回きりだったのか? なぜ、追加作品がないのか?
  • アダムとエヴァ(イブ)がリンゴを食べてしまったのは、神の製造責任ではないのか?
  • 神をつくった存在は考えられないのか?
  • キリスト教の歴史は、戦争と人種差別に彩られているがどう考えるか?
  • 右の頬を殴っても構わないか?

化城


 化城とは、現代でいうところの「ランドマーク」である。時代がやっと化城喩品に追いつきつつあるようながある。

米大統領選:マケイン氏リード 激戦の様相に…支持率調査


 ロイター通信と米ゾグビー社が20日発表した米大統領選の支持率調査によると、共和党のマケイン上院議員が46%で、民主党のオバマ上院議員(41%)を5ポイント差で上回った。前回7調査ではオバマ氏が7ポイントのリードだった。オバマ氏がリードしている他の調査でも両氏の差は大幅に縮まり、激戦の様相を一段と深めている。

 調査の分析では、マケイン氏がロシアとグルジアの軍事衝突で存在を示したことなどが後押ししたとされる。経済対策でもオバマ氏に9ポイント差を付けた。オバマ氏は民主党支持層で9ポイント減らしたほか、支持基盤の35歳未満の若年・青年層で12ポイント、大卒などで11ポイント減少。幅広い層で下落した。

 他の最新調査では、ロサンゼルス・タイムズでオバマ氏が45%でマケイン氏(43%)に2ポイント差でリードしたが、6の12ポイント差から大幅に縮小。クイニピアック大調査ではオバマ氏のリードは7の9ポイントから5ポイントに縮まった。

 また、選挙情勢分析機関リアル・クリア・ポリティクスは、現時点で投票した場合、マケイン氏が激戦州オハイオやバージニア、インディアナで競り勝ち、選挙人の過半数に達して勝利するとの試算を発表した。


【毎日新聞 2008-08-21】


 支持率逆転を狙って、マケイン側がグルジア戦争を仕掛けたという説もある。オバマがハワイで夏休みを過ごす期間に合わせて。アメリカはかようなことを平然と行う国であることを知る必要があるだろう。例えばNATO(北大西洋条約機構)が行ったコソボ空爆は、アメリカのミサイル在庫処分が目的だった。アメリカは軍産複合体が基幹産であるため、常にこうした攻撃が必要になる。マケイン氏はベトナム戦争の英雄。いずれにせよ、マケイン氏が大統領になれば「戦争による経済復興」を選択したことになる。

『イメージを読む 美術史入門』若桑みどり


 美術史は、史や科学史や経済史や一般的な社会の歴史と同様に、人間の歴史の重要な一部であるから、これを欠いては人類の創造してきた世界の総体を理解することなどとうていできはしない。つまり、美術は人類の歴史のとても重要な資料なのである。そればかりでなく、美術史の知識や方法論というのは、過去の芸術作品を理解するばかりでなく、現在身の回りにたくさんあふれているイメージを解釈したり、イメージを作り出したりするためにたいへん役に立つものなのだ。

 企も役所も学校も、イメージを利用しなければ製品を売ることも、共同体をまとめることも、をひきつけることもできない。遠い過去から身近なところまで、われわれは無数のイメージに取り巻かれ、その影響を受け、それとともに暮らしているのである。


 実際、こういう宇宙的規模のコンセプトというものを描かせた法皇庁の力や、ミケランジェロの気迫といったものは、いまではもうどこでもだれによっても再現できないようなものです。なぜならば、もうそのような芸術を生み出していた社会的、文化的構造は消滅してしまったからです。古代ローマの栄光を受けつぎ、西欧文明の復興者になろうとしていたルネサンスの人文主義は消え、古代文明とキリスト教文明の偉大な統治を図していた法皇たちの野も消えたのです。ただ、残っているのは芸術です。

 この芸術のなかには、キリスト教がかかえている長大な時間がつまっています。芸術を理解するには、その芸術が生み出されたや時代を理解しなければならない。これはとてもはっきりしたことなのですが、忘れられがちです。芸術は覚でつくられ、覚で理解されるの文化だとう誤解がゆきわたっているからです。

 たしかにわれわれは一目でこの芸術に圧倒され、戦慄(せんりつ)さえ覚えるのですが、その理由を知るには知を働かせなければならない。芸術にいちばん似ているのは人間です。人間を一目見ただけでその威厳や美しさに戦慄することはよくあることです。でもわれわれが戦慄したのは、その人間の目の光や、身振りや、いったことばやしたことのせいなのです。人間は外観であると同時に複雑な味の発信体なのです。

 したがって、この芸術の常ならぬ偉大さは、その伝えている味の偉大さに由来する部分がすくなくありません。ですから、ほんとうに芸術をわかるためには、その味についても知らなければならないということになります。異なった文化を享受(きょうじゅ)するためには、異なった文化を理解しなければなりません。芸術とは、はっきりいいますが、つくるにせよ、享受するにせよ、きわめて的なことなのです。

(ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画について)


 えば、2000年以上にもおよぶ長い間、ユダヤ人や、キリスト教徒によって共有されてきた物語があるということは、彼らの精神的文化の厚みに驚嘆せざるを得ません。


 歴史学では、その本人またはその同時代人の資料がいちばん大事です。けれども、この絵の場合、その主題についてのどんな資料も残っていないのです。契約書もないし、ミケランジェロも口をつぐんでいます。キリスト教会は、この頃、ルターが出現する直前で、危険なことや、異端や、宗教裁判や、さまざまな流派が渦巻いていて、予断を許さない状況でした。

 彼が生きていた1475年から1564年という時代は、おそらく西欧最大の危機のひとつでした。彼は一生涯システィーナ礼拝堂に何を描(えが)いていたかいいませんでした。(中略)

 1498年にサヴォナローラが火あぶりにされ、1600年にはジョルダーノ・ブルーノが火刑に処せられ、1632年にはガリレオが裁判にかけられています。この有な絵のほんとうの味がわからなくなったのは、それが隠されたからです。これが書物だったら、だれにも味がわかってしまうから、『薔薇の前』のなかでボルヘがアリストテレスの本を隠したように、書庫のおくに隠すか、実際にたくさんの本がそうであったように焼かれてしまったでしょう。けれども幾重(いくえ)にも複雑な味をもった、曖昧(あいまい)な芸術作品は、解読するキーをもっていない人にはただの美しい画面にすぎませんから、生き残ったのです。


 実際に、中世では、教会に描かれた絵は「貧者の聖書」とよばれていました。文盲(もんもう)の庶民はこの絵をみて、聖書の教えを覚のすべてで体得したのです。なかでも、この礼拝堂の正面祭壇いっぱいに描かれたこの世の終末「最後の審判」は、多くの人びとを震えあがらせたにちがいありません。私たちも、この絵の前にたつと理由の知れない恐怖に襲われます。この宇宙の終末ということはだれもが恐れつつ予していることですが、われわれはそれをぼかして生きているというところがあります。


 このほかいろいろな論文をしらべてみると、初期の資本主義がさかんになってきて、キリスト教で禁じているようなさまざまな現世の利欲を追求し富や地位を築く信者が増加してくるにつれて、地獄はいきいきとした残忍なものになっていくようです。それはひとつには人びとの間に罪の識が強まってくるからでしょうし、またいっぽうでは救われたいという願望もはげしくなってくるのであろうとわれます。


 だがたとえどちらであっても、この絵のあたえる混乱した印象は、だれがほんとうに救済されるのかがはっきりとはわからなくなった時代の状況そのものを表わしているといえます。


 まず結論をいっておくと、レオナルド・ダ・ヴィンチは無神論です。ミケランジェロと同じ、あるいはルター、カルヴァンと同じ時代において、つまり科学も政治も道徳もすべてが神のにおいておこなわれていた、戦争さえもが神のにおいて、金儲けさえもが神のにおいておこなわれていたこの時代において、の底では神をもはや信じていなかったひとりの個人。これが浮かび上がってきます。

(レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」について)


 ひとつの結論をいってしまいますけど、レオナルド・ダ・ヴィンチが「モナ・リザ」に隠した謎とは、ひとくちにいえば神のいない宇宙観です。もしもこのとき彼が自分のっていることを言語でいっていたなら、彼は首がとんでいたでしょう。人びとはそこになにかが秘められていることを正しく読みとったのですね、そしてこれは謎だといい伝えてきました。


 ではまず、美術史がはじめてのあなた方のために、美術史上のレオナルドの一つの位置づけというものをみていただこうといます。まず年代をいわなければいけないのですね。彼は1452年に生まれています。ですからミケランジェロよりも20歳ぐらい年上です。この年代というのは決してばかにならない。

 たとえばあなた方が何年に生まれたか。その時代に、宇宙や世界で何がおこっていたか。戦争があったとか、ガガーリンが地球は青いといったとかいわなかったということは、とてもだいじなことなのです。年代はあなた方を世界史につなげる。ですから昭和とか平成とかいったとたんに世界史から切りはなされてしまう。自分がもしも1966年とか1970年とか1980年とかに生まれたというと、その年に横並びに世界史、人類史がどうであったかがわかります。たんに西欧中主義とかいうのではなくて世界共通年代ということです。

 つまり、彼が生まれたのは15世紀のなかば、それから死んだのが、1519年です。美術史上の時代区分をいいますと、ルネサンスが終わったのが1520年とされています。時間というのはゆっくりと流れていくものですから、ここからここまでがルネサンスで、ここからここまでは違うというのはもともと不合理ですが、それは人間の成長には個があるのに、一律に大学1年とか2年とかいうのと同じように不合理です。しかし必要な事です。それに支配されなければ、一種のマークとしては大変有効です。

 つまり、いまいちばんコンセンサスを得ているルネサンスの終焉(しゅうえん)は1520年、ラッファエッロの死んだ年ということになっています。いつはじまったかということは曖昧模糊(あいまいもこ)としていますけれども、ルネサンスが終わったとされているのは、何をもってそのメルクマールとしているかというと、ある人が死んだときに、よく、この人とともにひとつの時代が終わったといわれますが、まさにそのようにして、ラッファエッロの死をもってルネサンスの黄金時代の終焉(しゅうえん)とするのです。

 レオナルド・ダ・ヴィンチが1519年に死んでいるということも大きな味を持ってきます。ルネサンスの最盛期(さいせいき)を標(しる)したラッファエッロとレオナルドの二人とも死んでしまった。生き残ったのはミケランジェロだけです。ミケランジェロは1564年まで生きているのですが、この時期をもはやルネサンスとはいいません。その時期をマニエリスムといっています。マニエリスムはフランス語です。


 いまだに芸術というもの、あるいは広くは学問というものを教えるほんとうの形式について、二つの概があります。生活をともにし、師と弟子が人間的交流の中でいわば口伝えに学問や知識や技術を伝えあい、教育の場がそのまま作品創造の場であるという工房のと、多くの教授たちが教壇(きょうだん)に立って体系化された知識を口頭で講義して、教授と弟子のあいだには、せまくて深い川があってそこをわたることはできない、という一種の威厳を持った知的な教育体制、つまり工房とアカデミーという二つの考え方があって、芸術大学ではいつでもその論議がくり返されます。


 いっぽうヴェッロッキョは、ブルジョワのために描(えが)いていた。モノを作り、運び、売り、儲(もう)ける。現実のなかにまみれている市民の精神を代表している。ほんとうらしいという実が大切でした。リアリズムは、労働者や市民のものです。

 現実を必要としているのは、泥の中に手をつっこんで、重い荷物を運んで働いている人たちです。現実を直視し、現実を計算して、お金にかえていく人たちが、いつもリアリズムをになっている。労働者であったりブルジョワジーであったりする。逆にいうならば、ルネサンスの中でも市民と職人を対象とした作品には、真にリアリズムが味をもっていたということができる。


 一口にいえば、古典様式の特徴は「バランス」ということだといます。この「バランス」は、ルネサンス古典様式の理論家とされているレオン・バッティスタ・アルベルティの『絵画論』によると、「部分と全体の比例、部分と部分との比例」のことです。これは、個人と全体の比例にもたとえられる、市民社会と市民のモラルを支えている基本理でもあります。このあと、強大な権力によって国家を支配する絶対主義王政の時代には、まさに、圧倒的な過剰さと複雑さをもつバロックが時代を表現するようになるのをみれば、支配的な時代精神が、支配的な様式を作り出していることがわかります。


 火、空気、水、土というこの四元素の中で、彼は何にいちばん興味を持ったかというと、彼の科学的な手稿(しゅこう)の中でもっとも多い記述が水です。

 彼は水にたいしていちばんおおく実験を行い、水にたいする考察がいちばんおおいのです。もちろんほかもやっていますけれども、なぜ彼は水に固執したのか。ほかの元素よりもなぜとりわけ水にひかれたのかということを、ケネス・クラークが分析しています。これはすぐれた「レオナルド・ダ・ヴィンチ論」です。

 彼はこういっている。レオナルドが水に関をもち、水に興味をしぼりこんだ最大の原因は、彼の手稿をよく読んでみればわかる、と。彼が一貫して興味をもったのは、いうなれば、プリンシブル・オブ・コンティニュイティ。つまり連続の原理だったと。そしてその連続というものは、とくに水のもっている質であると。

 彼の水の研究の根本にあるものは、水が空気とまじり、それから土をさらってすべてを連続的に変化させていくという質であって、ケネス・クラークによれば、レオナルドのあらゆる関のうちでもっとも長くとりつかれていたものは水の運動である。なぜならば、それは水が自然の推進者であったからであり、水が動かざる元素ではなく、連続的なエネルギーの体現者であったからです。

 レオナルドにとっては神秘的で連続的な過程が、大地をすりへらし、土を海へと運んでいき、究極において地球を作り変えただけではなく、蒸発してさらに昇り、雨が雲から降り注ぎ、降った雨が大地をすりへらし、山をくずし、町を埋め、ふたたび海へと流れ、かつまた太陽の熱におうじて雲の中へと吸い上げられていく。

 つまり水はもっともはげしく大地の上下をめぐる。その質を変えながら、水蒸気になりそしてまた液体になり、しみ込み、流し込み、物を崩壊させる。

 彼がイタリアに住んでいたからこういう結論になるわけですね。テキサスに住んでいたら、こうはいかなかったかもしれない。デッサンのなかで、雨が大量に降ることによって谷と谷のあいだの町がいっきょに壊滅するというカタストロフを描いている。イタリアではありがちなのです。そのように、たえず質を変え、天と地をめぐるヘルメス(天と地をめぐり姿を変えるギリシアの神)的エネルギー元素として、彼は水に非常に興味をもったのです。

 そしてこの水のはてしない動きと生成は、人間の死と生の連続に似ているというわけです。そして彼はついにこういっているのです。水は時には走り、時には止まり、時には生命の原因となり、時には死の原因となる。そして時には大洪水をもってひとつの町を埋める。水がなければ人は生きられない。生命の原因であり、同時に死の原因である。走ったり止まったり澱(よど)んだりして、結局は空に昇りかつまた降りてくると。


 この(レオナルドの空のアカデミーの紋章と、「モナ・リザ」の胸着の)無限組み紐紋というのはケルトから端を発していて、ケルト人にとって無限組み紐紋というのは水の表象だったのです。水というのは切れません。大地をながれ、蒸気になって空に上がり、雨となってまた大地に帰る。連続の原理を彼は紐によってあらわしているのです。ですから先ほどの「モナ・リザ」の組み紐というのを、ひとつの連続の原理のあらわれとして考えて、その水の原理を胸につけている女とはだれでありうるか、ということを考えるわけです。


 アルプスの南にあるのは古代ラテン世界であり、地中海です。輝く地中海が何を表徴(ひょうちょう)するかというとラテン古代です。それはギリシア・ラテン文明であって、たんなる地誌学的地中海ではなくギリシア、ローマ。プラトンソクラテスアリストテレス、さらにアウグスティヌス、プロティノス、それから数多くのローマン・カソリック神学者たちによって築き上げられた壮大な形而上学的世界。古代文明に接(つ)ぎ木されたキリスト教世界。13世紀にダンテを生み、ジョットを生み、15世紀にマサッチオ、レオナルド・ダ・ヴィンチを生んだ、輝かしいルネサンス文明の都、ローマおよびフィレンツェとなるわけです。

 ラテン世界、イタリアというものは、もはやひとつの抽象的観であって、アルプスの北にいる人たちにとっては、アルプスの向こうに開ける古代の文明を味します。文明の核に接近しようとすれば、あるいは少なくとも自分もなんらかの西洋文明の光に浴したいとえば、このアルプスをこえなければならないというのが、アルプスの北の文化人たちの同じいでした。


 みなさんは『薔薇の名前』というウンベルト・エコー(ママ)の原作になる映画をごらんになりましたか。あのなかで、古いカソリックの、禁欲的で、規則だらけの修道院生活を統括しているボルヘという盲目の僧が、アリストテレスの書物を読むことを阻止する。それを読んだ僧侶がつぎつぎに殺されるというのが筋になっていますが、まさにあたえられた知識、それはもっぱら教会の信仰と秩序の保持にとって必要な知識のみを許し、それ以外の知識を有害として隠蔽(いんぺい)する、という構造をよく示していました。


 歴史とは過去を正しく理解することで、現在の価値の基準で裁くことではないのです。


 神によってつくられた動かない世界にかわって、それ自身のうちにたえまなく変化し、創造し、崩壊する運動をもった世界がここに表現されています。このようなダイナミックな世界観は、コペルニクス、ケプラー、ジョルダーノ・ブルーノ、ガリレオによっておしすすめられて、ついに、ギリシア以来の世界観を変えたのです。ここでは自然の背後にあってすべてを動かしているのは自然であって、もう神ではありません。はてしない宇宙のなかで、主人公は自然と人間なのです。


 画家がただ見えたものを描いた場合にも、彼がなぜそれを見たのか、どのように見たのか、というところにこそ、写真とはちがう創造の義があるのです。人間のつくったものは、みななんらかの味があります。人生をどう見ていたのか。自然が平和なものと見られていたのか。赤い花ではなく黄色い花を描いたのはどうしてなのか。なぜわれわれがそれを見て楽しくなるのか。

 絵を見るという行為は、いつでも、作者の見た目で、世界を見るという行為です。また、見る人間もそこに参加します。そうして、今度は自分の目でそのイメージから自分の味をひきだすのです。そこにはいつでもさまざまな体験や情や経験をもった人間のコミュニケーションが成立します。そして人間はいつでも、ことばによってのみコミュニケーションをするのではなく、ことばにならないものを、イメージによって伝えてもいるのです。

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2008-08-20

『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル


 階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能のレベルに到達する。


 やがて、あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められる。


 仕事は、まだ無能レベルに達していない者によって行なわれている。


「ウォルト・プロケットの昇進はどう説明がつくんだ? ヤツは絵に描いたような無能でお荷物だったから、経営陣は上のポストに祭り上げたんじゃないのか?」

 これはピーターの法則に当てはまらないのではないかということで、よく受ける質問の一つです。この現象から詳しく見ていきましょう。ちなみに、私はこれを「強制上座送り」と呼んでいます。

 まずは質問です。プロケットは無能なポストから有能なポストへ異動したでしょうか? 答えは「ノー」です。彼はたんに、生産の低いポストから別の生産の低いポストに移されただけです。また彼は今の地位で、以前より大きな責任を負うことになったでしょうか? 「ノー」です。彼は新しいポストで、以前より多くの仕事をこなすことになるでしょうか? やはり答えは「ノー」です。

 強制上座送りは「擬似昇進」なのです。周囲にはその真がわかるのに、プロケットのような社員のなかには「出世だ!」と喜んで、疑うことを知らない者もいます。しかし、擬似昇進の主たる狙いは、階層社会の外にいる人間を欺(あざむ)くことです。はたで見ている人をだませれば、作戦は大成功というわけです。

 しかし、目の肥えた階層社会学者はだまされません! 階層社会学的に言えば、昇進と認めてよいのは、有能さを発揮していたポストからの異動に限られるのです。


 階層社会学によれば、大きな組織の上層部には、立ち枯れた木々のように無能な人々が積み上げられていることがわかっています。組織の上層は、祭り上げられた者と、これから祭り上げられる予備軍とであふれ返っているのです。ある大手家電メーカーには副社長が23人もいるということです。


「水平異動」も擬似昇進の一種です。階層を昇るわけでもなく、しばしば給料も据えおかれたままで、無能な社員が新しく長ったらしい肩書きを与えられて、社内の隅っこの部屋に仕事場を移されるというものです。


 ある官庁の小さな部署で、82人の職員が、別の部署に配置転換になりました。高給の恵まれた待遇で一人残された管理職は、何もすることがなく、部下が一人もいない状況に置かれています。これは階層構造的には、頂点の冠石があっても下を支える礎石がない宙ぶらりんのピラミッド状態と言えます。

 このような興味深いケースを、私は「管理職の空中浮遊」とづけています。


 病院に話題を移しましょう。病院が、事故でケガをした人をすぐに治療せず、まず山ほどの書類に必要事項を記入させることはよく知られています。「起きてください! 睡眠薬を飲む時間ですよ」という看護婦の話も聞いたことがあるでしょう。


 私は、このような行動パターンを「職的機械反応」、そういう行動をする人を「職的機械人間」とづけています。職的機械人間にとっては、明らかに目的よりも手段が味を持つのです。書類そのもののほうが、本来その書類が必要とされている理由よりも大事なわけです。

 こうした機械人間にとって、世の人々は親切に助けてあげる対象などではありません。それどころか、形式、儀礼、自分の所属する階層社会、そして自分自身を維持していくのに都合よく使えばよい材料でしかないのです!

 職的機械人間は、顧客や患者や被害者の視点から見れば、無能にえます。ですから、読者のみなさんが次のような疑問を持ったとしても不議ではありません。

「どうしてこんなにも多くの職的機械人間が出世できるんだ? この人たちにピーターの法則は当てはまらないのか?」

 この質問に答える前に、逆に一つの質問をさせてください。

「有能かどうかの判定を下すのはいったいだれなのでしょう?」


 社員が有能か無能かを決定するのは、外部の人間ではなく、その組織の内部にいる上司です。もし上司が有能なら、部下の労働の成果を見て評価するでしょう。たとえば、治療を適切に行なったとか、ソーセージを作ったとか、テーブルの脚を取りつけたとか、組織の目的の達成に向けて何をしたかが問われます。つまり、有能な上司はアウトプット(生み出したもの)で部下を評価するのです。

 しかし、無能レベルに達してしまった上司の場合は、組織の自己都合という尺度で、部下が有能かどうかを判断します。つまり、組織の規則や儀礼を様式を支える行動こそが有能のあかしとされるわけです。迅速であること、丁寧であること、年長者に礼儀正しく接すること、社内文書を適切に処理できることなどが高く評価されます。つまり、無能な上司は部下をインプット(取り入れたもの)で評価するのです。


 ここまで見てきたように、ピーターの本末転倒人間(またのを職的機械人間)には、自主的に判断を下す能力がありません。常に組織のルールや上司の指示に従うだけで、決断はしません。これが階層社会では有能と判断されます。したがって、本末転倒人間は昇進の対象になるのです。彼は昇進を続けることでしょう。ただし、不幸な昇進によって、自分で決定を下さなくてはならなくなったときが年貢の納めどきです。そこで彼は無能レベルに到達することになるわけです。

 つまり、職的機械人間もピーターの法則の例外ではないということになります。

 私は学生たちに、常々こう言っています。

「有能か無能かは、見る人次第で変わる。善悪の観もそうだし、美識だってそう。ついでに言えばコンタクトレンズもそうだ。どれもこれも見る人の眼のなかにあるんだから!


 以上の事例が示すことは、たいていの階層社会にあっては、有能すぎる者は無能な者よりも不愉快な存在だということです。

 通常の無能人間は、これまで見てきたとおり、クビの対象にはなりません。たんに出世できないだけです。ところがスーパー有能人間は、解雇されてしまうことが少なくありません。なぜなら、スーパー有能人間は階層社会を崩壊させ、それゆえ、「階層は維持しなければならない」という「階層社会第一の掟(おきて)」に違反するからです。


 最も単純な例として、二つのポストしかない階層社会を考えてみましょう。命令にきわめて従順だった者は上のポストに昇進し、こんどは命令を下さなくてはならなくなります。

 これと同じ理屈が、もっと複雑な階層社会にも当てはまります。服従する者として有能な人間は、上級ポストへの昇進の可能が高くなりますが、最終的には指導者として無能ぶりを露呈してしまうことになるでしょう。


 現代の階層社会は、ルールや伝統や事細かな法律などで縛られているため、高位のリーダーであっても、だれかをどこかに導くリーダーシップなど必要ないのです。とにかく前例に従い、規則を遵守し、群れの先頭にちょこんと立って流されているだけです。船首を飾る木彫りの像が船を先導していると考えるなら、彼らも確かに組織を指導していると言えなくもありませんが。

 こうした環境下では、真のリーダーの出現は恐れられ、不快なものとされるのがおわかりいただけるでしょう。この現象は「ボス犬恐怖症」というで呼ばれていますが、階層社会学的に正確に言えば、「ボス犬恐怖症コンプレックス」となります。そこには、ただボス犬を恐れるのではなく、「負け犬だとっていた犬が、ボス犬になってしまったらどうしよう」という屈折した強迫観が働いているのです。


 私の講義中、ラテンアメリカ出身の学生セサル・イノセンチがこんな質問をしました。

「先生、いくら勉強してもわからないので教えてほしいのですが、この世界を動かしているのは、マヌケそうに見せかけているけれども本当は賢い人間なのか、それとも本当にマヌケな人間たちなのか、どっちなんでしょう?」

 彼のこの質問に、多くの人たちが抱いている考えや情が凝縮されています。この問いに対して、いかなる社会学もまだ一貫のある答えを見いだしていません。


 政府というものは、民主主義であれ独裁主義であれ、あるいは共産主義であれ自由競争主義であれ、各階層に無能さが行き渡ってしまうと、それに耐えきれなくなり、いつかは転覆の危険にさらされるものなのです。


 フロイトと同様にポッターも皮肉っぽい理学者(あるいは理学者っぽい皮肉屋)ですが、鋭敏な観察力と、イメージ豊かで記憶しやすい造語を駆使して観察結果を表現した点で、フロイトにまったく引けをとりません。ポッターの造語で最も有なものは「ゲームズマンシップ」(勝利至上主義でゆがめられたスポーツマンシップ)でしょう。


 連戦連勝の軍司令官、成果をあげた教育長、好績に導いた会社社長――こうした人たちは、無能に達するのに必要な時間がなかっただけなのです。

 あるいは、もし有能な労働組合の幹部や大学の学長がいたとすれば、彼らは、その組織に十分な数の階層がなかったために、無能レベルに達しないで終わっただけのことなのでしょう。

 こうした人々を、頂上有能の状態にあるといいます。


 階層社会学は人間の本を明らかにしてくれます。つまり、人間は絶えず階層をつくり続け、それを維持する手段を求め続け、それなのに逆に階層を破壊しようとする指向があるというのです。ピーターの法則と階層社会学は、すべての社会科学を統合する要素を持っています。

ピーターの法則

2008-08-19

「明」


 会。もとの形はメイ(=囧+)に作り、囧(けい)ととを組み合わせた形。囧は窓の形。窓から明かりが入りこむことを明といい、「あかり、あかるい、あきらか、あける、あかす」などの味となる。古い時代の中国北部の黄土(こうど)地帯では半地下式の住居が多く、竪穴を中に作られた部屋の窓は一つであり、そこから入る窓明かりを神の訪れとみたてて窓のところに神を祀った。それで神のことを神明という。


【『常用字解白川静

「知」


 会。矢(し)と口とを組み合わせた形。矢は神聖なものとされ、誓約のときにそのしるしとして矢を用いるので矢(ちか)うとよみ、矢を折ることは誓うときの所作(しぐさ)であった。口はサイ(Uの真ん中に横棒)で、神への祈りの文であり祝詞(のりと)を入れる器の形。神に祈り、神に誓うことを知といい、「あきらかにしる、しる、さとる」の味に用いる。神に誓ってはじめて「あきらかにしる、さとる」ことができるのである。また「政(まつりごと)を知らんとす」のように「つかさどる」の味にも用いる。智のもとの字は、矢と干(かん)と口とを組み合わせた形で、矢のほかにさらに聖器としての干(たて/盾)を加えて神に誓うことを示す字である。知が主として「しる」として動詞に用いるのに対して、智は「ちえ、ちしき」と詞的に使用する。


【『常用字解白川静

「妙」


 形。音符は少(しょう)。少に眇(びょう/ちいさい)・秒(びょう/かすか)の音がある。〔玉篇〕に字を■(=玄+少/みょう)に作り、「精なり」とし、「今、妙に作る」という。〔広雅・釈詁〕に「好なり」とある。「すぐれる、くわしい、たえ、うつくしい」の味に用いる。


【『常用字解白川静

提案:創価大学で花火大会を


 創価大学のグランドで花火大会を行うことを提案したい。駐車場は全部開放する。市民が創価大学と触れ合うことで、理解を深め、親近を覚えるようになる。市民が誇りにえるような大学のあり方を模索すべきだろう。そのためには、市民に尽くす営みが必要だ。世界中の花火師を招くぐらいのスケールでやってもらいたい。創大界隈は暗いため、夏の夜空に花火が一層の彩りを施すことは間違いない。

矢野問題「徹底追及」を指示 民主・小沢代表


 民主党の小沢一郎代表が19日の党幹部会で、公明党委員長の矢野絢也(じゅんや)氏の参院への参考人招致について「公明党がどう対応するかによって、厳しく求めていかなければならない」と述べ、徹底追及を指示した。

 民主党執行部は「公明党が自民党と連立を組んでいる以上厳しくあたる」(鳩山由紀夫幹事長)方針でまとまっている。公明党と支持母体の創価学会の関係や矢野氏が評論活動を中止させられたとして学会を提訴した事情などを追及することで、公明党を揺さぶり、自公連立の足並みを乱すのが狙いだ。矢野氏も参院への招致に前向きに応じる姿勢を示しているが、民主党が実際に招致に踏み切るかどうか焦点となる。

 民主党は6、菅直人代表代行らが呼びかけ人になって、国民新、社民党など野党の有志議員とともに矢野氏を招いて勉強会を開催しており、8中にも世話人会を開いて勉強会を再開する方針だ。


【産経新聞 2008-08-19】

「祈」


 形。音符は斤(きん)、斤に圻(き/かぎり)・沂(き/ほとり)の音がある。古い字形には、單(単。上部に二本の羽飾りがついている楕円形の盾〈たて〉の形)や神に対する誓いのことばを味する言をそえた字形。また旗の形をそえた字形がある。そのことから考えると、祈は軍の遠征や狩猟の成功を祈り願う字のようである。のちすべてのことについて「いのる、もとめる」の味に使われるようになった。


【『常用字解白川静

校正完了


 見出しを2段に変更したため、空マスを削除する作を続けてきた。先ほどやっと終了。徒労に近い労作だが、妥協を排すためには致し方ない。「俺って、偉いなあ」と本気でうよ(笑)。

『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二


 子どもたちのなかには養女がいます。メムナちゃんといいます。妻エリザベスさんの姉の娘です。

 3歳になるメムナちゃんですが、彼女もまた、反政府軍によって右手を切り落とされていました。

(こんなに小さな子が逆らうはずもないのに、なぜ? 兵士たちは狂っている…)

 わたしはこの時、自分の腕がじーんと痛くなるのをじました。

 メムナちゃんがおそわれたのは、1年前のこと。

 勢いにのった反政府軍が、地方から首都フリータウンへ攻め入ってきた時のことです。

 反政府軍の残酷なやり方はこれまでよりも激しくなっていました。無差別に銃を乱射し、家に火をつけ、逃げまどう市民たちをつかまえては、列にならばせました。そしてまるで流れ作のように手や足を切り落としていったといいます。(中略)

 エリザベスさんはその時のことを話してくれました。

 自分たちをおそった反政府軍の兵士は、10歳前後の子どもたちのグループだったといいます。

「そのグループはジョンダとよばれていました。リーダーは12歳と聞きました。」

 私は一瞬、自分のを疑いました。

「子どもの兵士だったのですか?」

「銃を持っていたのはほとんどが10歳前後の子どもたちでした。

 最初、わたしたちはメムナの家族といっしょにモスクにかくれていたんです。

 でも、ジョンダ・グループの子ども兵士たちに見つかって、わたしたち全員が建物の外に出されて、ならばされました。

 小さな体なのに大きな銃を持った子ども兵士たちは、わたしたちの列に向かっていきなり銃を撃ち始めました。

 その時、メムナは泣いていて、母親がかばおうとしました。すると、彼らは母親を撃ち、メムナを連れて、その場を笑いながら去っていったのです。」(3日後に右手が切断されたメムナちゃんが発見される)


 初めのうち、人数の少なかった反政府軍は兵士の数を増やそうと、村という村をおそって、子どもたちをさらって行きました。

 そして、ジャングルで子どもたちを兵士にするように訓練したのです。大人とちがって、武器を持っていなければ子どもたちは相手からあやしまれることはありません。相手を偵察するスパイ役にはもってこいです。

 また、体が小さくすばしっこい子どもたちは、遠くの敵からは攻撃されにくく、大人の兵士よりも活躍します。そのため、たくさんの子ども兵士が戦闘の最前線に送りこまれることになりました。

 兵士になった子どもたちは、大人の兵士に教えられたとおりに村をおそい、家を焼きはらい、人々の手足を切り落とす戦闘マシーンになって行きました。

 反政府軍に使われた子ども兵士の年齢は10歳から16歳。その数は、5000人以上と言われています。


 二人と話をしているうちに、わたしはあることに気がつきました。

 二人の体に、ミミズ腫(ば)れのような大きな引っかき傷があるのです。

 最初は(ジャングルややぶの中でくらしていたのだから、木の枝とかで引っかいた時の傷なのかな?)とっていました。でも、それらは自然にけがをしてついた傷ではありませんでした。

 ムリアの左まぶたのすぐ下に、三日月の形をした傷がありました。気になったわたしは、たずねてみました。

「その傷はどうしたの?」

「カミソリで切ったんだ」

「えっ、自分で? どうして?」

「カミソリで切って、そこに麻薬をうめこむんだ。うめこんでぬい合わせる。

 麻薬を入れられると、とても正気じゃいられない。殺したいとった相手をすべて撃ち殺してしまうんだ。」

 子ども兵士たちが、麻薬を飲んだり、鉄砲の弾につめられた火薬を飲んでいるという話は聞いたことがありました。

 でも、まさか体に傷をつけてうめこんでいるなんて話は今まで聞いたことがありませんでした。

「だれにやられたんだい?」

「最初は戦いに行く前に大人の兵士にやられたんだ。

 使うのは細かい粉にした麻薬だよ。ここでは麻薬はどこででも手に入るし、お酒よりも安いからみんな使っていた。」(中略)

「麻薬をうめこまれると、もう頭の中がグルグルになって何がなんだかわからなくなる。

 そしてものすごく人を殺したくなる。だれを殺すのも怖くなかったし、自分が死ぬことも怖くなかった。なんの情もなく、急にただ殺したいってうようになるんだ。」


 チェマ神父は言います。

「子どもたちを救わなければいけません。本当に平和を願うのなら、兵士だった子どもたちへの見方を変えなくてはいけません。

 確かに、彼らは罪をおかしたかもしれません。でも、彼らは同時に犠牲者なんです。子どもたちは強制されて兵士になったのです。人殺しが好きな子なんて、どこにもいないのです。」

 わたしは、アンプティ・キャンプで出会った右手と両を失ったサクバーさんとの会話をい出しました。わたしが、

「もし、今、子ども兵士が目の前にいたら、言いたいことは何かありますか?」

 とたずねた時のことです。

 サクバーさんは答えました。

「おれはこううよ。彼らはまだ幼い子どもだし、何も知らずに兵士として使われたんだろう。

 もし、その子がおれの目の前にいたとしても、おれは彼を責めない。たとえ、そいつが知っている子だったとしても、おれは何もしやしない。

 おれたちはこの国に平和がほしいんだ。何よりも平和なんだ。それがすべてさ。

 彼らを許さなきゃいけない。でも、絶対に忘れることはできない。答えはいつも同じだよ。

 理由は、この右腕さ。

 起きると、おれはどうしてもこの切られた右腕を見てしまう。いやでも見えるからな。もともとおれには、2本の手があったんだ。だから彼らを許せても、絶対に忘れはしない。」

ダイヤモンドより平和がほしい―子ども兵士・ムリアの告白

2008-08-18

『一日一書』石川九楊


 京都新聞に連載された一面コラムを編んだもの。一日一字の書をカラー図版で紹介。150字足らずのコラムは寸鉄人を刺すが如し。余白の多さが、豊かさを物語っている。秋に差し掛かる今こそ、ゆっくり味わいながら読みたいものである。日蓮聖人の書字も二つ紹介されている。筆のスピードと勢いが強烈な回転運動を生み出している、と。


 日本人の描いた〈風〉なら、江戸時代の僧・良寛(りょうかん)が書いたこの〈風〉が一番。

 筆尖(ひっせん)が紙に垂直に打ちこまれる第一画の起筆(きひつ)の確かさがいい。加えて、第二画の転折(てんせつ)以降の、世界にうちふるえる繊細さがまたいい。孤独の痛さに耐え切る強さと世界を慮(おもんぱか)る弱さの合体した姿が美しい。書は環境の芸術なのだ。外の風はまだ冷たい。風邪を引かれないように。


 日蓮宗の寺院では、うねった字画の一部を極端に伸ばし、俗に「髭題目(ひげだいもく)」と呼ばれる「南無妙法蓮華経」の文字をよく見かける。むろんその基(もと)は日蓮の字。図は日蓮神国王御書の中の〈蓮〉。

 猛烈な速度で次々と言葉が溢れ出てくる。それを書きとどめんとして、筆はとてつもない速度で回転、連続する、熱狂の書。今日は日蓮の誕生日。


 自然の中の崖に刻(ほ)ったものを摩崖(まがい)、いまだ碑の形式の整わないものを刻石と呼んで碑と区別する。


 書くことは、欠く、掻く、画く、描くに通じるかくこと。土地をかくことが「耕」。「晴耕雨読」は、耕すことが書くことを含し、東アジア漢字(書)言語圏に格別の言葉である。


 最近は青春の終焉が語られるようになったが、青春はもとは朱(あか)い夏、白い秋、玄(くろ)い冬と一連の春のニックネーム。


 今日から鮮通信使展が始まるが、信義を通じる「通・信」。現今の誤りと偽りの情報の飛び交う「通信」ではない。


 秦の始皇帝時代の文字統一(字画文字の成立)によって古代宗教文字は神話を脱した。それでも薄皮一枚の下に隠れている象形は書史上、ときおり姿を現わすことがある。


「義(ただしい)」は、犠牲として神に捧げる「羊」と、これを切る鋸(のこぎり)「我」のの合体した文字。「義」には悲劇がつきまとう。


 今日、比叡山に文字文明研究所が発足。文字の象徴は水平と垂直の組み合わせ「十」。これに肉の加わった書の象徴は「×(ばつ)」。東アジアを象徴する〈文〉字は、楷書中の楷書、九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)(632年)のそれがもっともふさわしい。

「文」は胸部に文身(入墨)をもつ人の正面像が起源。入墨は無文字時代に、身体に掻きつけたひとつの物語。


 紙なき時代の書物は細長い木片を編み、連ね、ぐるぐる巻いた。一冊、一編、一篇、一巻の言葉はここから生まれた。


 魏(ぎ)の曹真残碑(そうしんざんぴ)(3世紀前半)の類型化した隷書体の〈公〉。〈○=□=ム〉は宮廟の庭。〈ハ〉は壁。したがって「公」は宮廷。

 人騒がせな教科書は公を、反対派は私を強調するが、公と私の中間の公共領域こそ豊かでありたい。クラブや自治会勉強会、研究会、組合が自立不羈(ふき)の力をもち活き活きと活動する社会がいい。


 彼岸の入り、墓参り。墓は一種の石碑。かつて行臥(いきだお)れの死者は埋めて木札を立てた。目印というより死者の霊を鎮めるため。それがケツ(渇のサンズイをキヘンにした文字)、現在の卒婆。木製のケツが石製のケツ(イシヘン)となり、形式を整えて碑となった。碑文、遺書など書は死に親しい。書は、死から生を逆照射する。


 それにしても最近は沈黙と静慮の時間が少ない。たまにはひとり静かに飲む時間をもちたい。


 天下を統一した始皇帝は、文字、度量衡(どりょうこう)も統一。度は物差(ものさし)、量は枡(ます)、衡は秤(はかり)。基準の統一が大陸全土に共通を生み出した。この歴史を欠く欧州は多数の国に分裂したまま。中国と欧州は同じような大陸の違った二つの姿。その違いの鍵は文字にある。


 図版は何? 花押(かおう/書き印)と答えた人は相当に書を知る人。だが、実は僧・日蓮の〈妙〉の字。

 猛スピードで書かれたため、〈女〉と〈少〉が一体化。〈女〉は〈め〉に、〈少〉は第一筆の突き出した〈の〉に変容。その最終筆に始まり右にはり出すループは余力の〈、〉と次画への連綿。時代の速度に抗う風景である。


 書の道具のひとつに硯屏(けんびょう)がある。硯の前に立てると上部に流線形の気流が生まれ、下の硯に塵が落ちない。冒、風邪の季節。風はストレスの元。枕元に屏風を立てると温かい空気だまりができて、風を引かず、病人には薬。

一日一書

2008-08-17

『遺言 桶川ストーカー殺人事件の深層』清水潔


 ストーカー規制法がつくられるきっかけになった事件である。埼玉県上尾警察署は当初から被害者の話にを傾けていなかった。被害者が殺害された後も捜査は遅々として進まなかった。それどころか、図的に捜査をしていなかったような形跡すら窺える。犯人を特定し居場所を発見したのは、何と写真週刊誌『FOCUS』の現場記者だった。ところが上尾暑の警察官は、この記者の情報提供にすらを貸さない始末だった。結局、記者は知り合いの新聞記者から捜査当局に情報を伝えてもらった。この間、『FOCUS』は犯人を特定する情報を掲載せず、捜査の進捗を待った。イエロージャーナリズムにも善が存在することを示す貴重なノンフィクションだ。


 かつて、「この国の週刊誌の定冠詞はいつも“三流”だ」と言った人がいた。「一流」週刊誌など存在しないのだ、と。私もそうう。報道される中身ではなく、メディアの形式で一流だの三流だのと区別をするならば、週刊誌はいつまでたっても報道機関として「三流」でしかないではないか。

 だが、この桶川の事件に関わってみて私のったことの一つは、その分類の弊害が如実に現れたのがこの事件だったのではないか、ということだ。官庁などが発表する「公的な」情報をそのまま流して「一流」と呼ばれることに甘んじているメディアの報道が、その情報源自身に具合が悪いことが起こったときどれだけ歪むか。情報源に間違った情報を流されたとき、「一流」メディアの強力な力がいかに多くのものを踏み潰すか。

 本書のもう一つの目的は、警察という公的な機関と、それに誘導された「一流」メディアが歪めた、この事件の本当の構図と被害者像を改めて伝えることにある。


 翌日、詩織さんは母親と共に警察に向かった。


 管轄の警察は埼玉県上尾暑。なんという運命の皮肉か、後に詩織さん自身の殺人事件の捜査本部が置かれることになった警察署だった。

 詩織さんは2日間そこに通った。2日目は父親も加わり、3人で警察に説明した。自宅に乗り込んで来た3人の男達とのやり取りを録音したテープも持って行き聞いてもらった。聞いてもらえば分かってもらえるはずだとっていた。

 ところが、警察の反応は冷たいものだった。

 このテープを聞いた若い警察官は、「これは恐喝だよ恐喝」と言ってくれたが、年配の刑事は、「ダメダメ、これは事件にならないよ」と取り合いもしなかった。

 その上、相談に乗ってくれるどころか、詩織さん達は信じられないような言葉を浴びせられたのである。

「そんなにプレゼントをもらってから別れたいと言えば、普通怒るよ男は。だってあなたもいいいしたんじゃないの? こういうのはね、男と女の問題だから警察は立ち入れないんだよね」


 例えば、小の車の中での二人のやりとりを録音したものもあった。島田さんはそれを聞いたことがあった。すさまじいものだったという。泣きながら別れて下さいと哀願する詩織さんに、小は大でわめいたり怒鳴ったり、そして時には大笑いまでしながらこう言ったのだ。

「ふざけんな、絶対別れない、お前に天が下るんだ」

「お前の家を一家崩壊まで追い込んでやる。家族を地獄に落としてやる」

「お前の親父はリストラだ。お前は風俗で働くんだ」

 このテープを聞いても上尾署のその刑事は「これは今回の件とは関係ないね」と聞くを持たない。詩織さんと両親は、二日間一生懸命事情を説明したが、結局「事件にするのはしい」で済まされてしまった。

 テープは警察で一応預かるというが、何かをしてくれるとは到底えなかった。詩織さん達は、警察に失望して上尾署を後にした。


 支局などない我々は、日本中の警察を廻って取材をしている。だからこそ分かるのだが、過去の経験で言わせてもらうと、埼玉県警の雑誌取材の対応ぶりはワースト3に入る。

 ちなみに他の二つは「一見(いちげん)さんおことわり」の京都府警と「本部に行って」の北海道警である。


 しかし、私が驚いたのはそれからだった。1時間も話をしたあとだったろうか。そろそろ失礼しようかとっていた矢先だった。雑談の中で私がポロリとこぼした言葉から、私はいもかけない事実にぶちあたった。

「そういうえばニセ刑事まで来たそうですね。告訴を取り下げてくれとかって……」何気なくそう言った私に返ってきたご両親の返事はこうだった。

「いえ、それを言ったのは本当の刑事さんです。私達の告訴の調書を採った人です」

 一瞬私はその言葉の味が分からなかった。どういうことだ。それでは本物の刑事が、一度受理した告訴を取り下げさせようと言ってきたというのか。何だそれは。そんなことがあるのか。

「告訴は取り下げてもまた出来るとも言ってました」

 そんなわけはない。刑事訴訟法では一度取り下げた告訴はその件で再度告訴出来ないとちゃんと書いてある。では刑事が、嘘をついてまで告訴を取り下げさせようとしたというのか。


 詩織さんが島田さんに、陽子さんに言い遺したのはまさに「遺言」だった。そして島田さん達は、そのすべてを私に託したのだ。「三流」週刊誌記者の私に……。

 あのカラオケボックスで涙を浮かべながら言った島田さんの言葉が頭に甦っていた。

「あの警察ではダメなんでしょうか」

 今ならはっきり答えられた。

 ダメだ。

 それが私の結論だった。

 私は長い間、事件、事故、災害と、いわゆる警察現場を渡り歩いて来た。毎週毎週、日本中をである。複雑な事件も何度見聞きしたか分からない。犯人と言い合いをしたこともあるし、事件の被告がヌレ衣を着せられただけで全くの無実であることを証明したこともあった。捜査と取材、やっていることは違っても、そこいらの所轄のデカさんよりはよっぽど件数も修羅場も踏んできたつもりだ。

 だから分かる。上尾署はダメだ。救いようがない。誰かがなんとかしなければ、あそこはこのまま逃げ切るつもりだ。


 いくらやっても私との距離をまるで詰めようとしない副署長。怒鳴っている私を無視して事務仕事に没頭する他の刑事や職員達。なんなんだここは。

 あの日、詩織さん達がここに相談に来て、絶望したのがよく理解できた。ここはまったくダメだ。「人間」がいないのだ。詩織さんは二つの不幸に遭遇した。一つは小に出会ったこと。もう一つは上尾署の管内に住んだことだ。


 私のところに情報を提供してくれた人達は口を揃えてこう言うのだ。

「最初は警察に連絡したんです。でももう嫌です。何から何まで聞くだけで、こちらには何も教えてくれない。向こうが困った時だけ呼び出されるんです。それなのになんであんなに偉そうな態度なんでしょうか……。私達の協力が小にバレて、狙われたって助けてくれないんでしょ。詩織さんもそうだったじゃないですか。だから前なんて言いたくないんですよ。それにいつまで小和人を放っておくんですか。私達だって怖いんですよ……」事情の差はあれ、趣旨はみな同じだ。みんな事情がある中で、なんとか事件を解決して欲しいとうからこそ情報を提供しているのだ。


 後日、竹村(泰子・民主党)氏は質問を行うまでの経緯をこう話してくれた

北海道に戻って自分の家で『ザ・スクープ』を見たのがきっかけです。翌日から東京で資料を集めてFOCUSを読みました。これが本当ならひどい話だ。こんなことがあっても良いものか、といました。そんな折、予算委員会で質問時間があったので、この問題を取り上げることにしたんです」

「質問後、マスコミの取材依頼が殺到し、賛成や激励の電話も頂きました。あの事件がここまで国民的関事になっていたとはわなかったですね。最大の問題は市民が恐怖をじたら、結局は警察以外は頼るところはないわけでしょ。それがこんな状態では市民としてはどうしようもないですね」

「殺人事件の捜査でも、圧倒的な権力を持っているはずの警察が、たかが写真誌の取材にも及ばなかったというのは一体どういうことなのか、これは構造的な問題が露呈しているということの一つの事案でしょうね。私が問題にしたかったのはそういうことなんです」

 言いたいことを、バッサリ言ってもらえた、そんな爽快さだった。「ブロードキャスター」「ワイドスクランブル」と来て、「ザ・スクープ」でようやく火が点いた。また、「何か」が事態を動かし始めたのだ。私は少し、元気を取り戻していた。まだまだ大きな火になるはずだ。

 この日をきかっけに、国会は「ストーカー法案」立法に向けて動き始めた。


 県警のある幹部が、

「遺族達は、実行犯達が逮捕された時には菓子折りを持って上尾署にお礼に来た。謝されていたはずだ」

 と記者に打ちする。するとそれはそのまま新聞記事になるのだ。もちろんこんな事実はない。見事なまでの嘘である。しかし、警察官が言うだけで記事になるのだ。

 幹部はさらにこんなことも平気で新聞記者に話していた。

「まぁ誤解を与えるような言動はあったかもしれない。でも3に入ってから猪野さんのご両親と会い、納得してもらった。今はお父さんも『早合点、誤解だった。そんな話はなかったような気がする』と言ってくれてるし、お母さんも『私もそそっかしいから勘違いしていたかも』と言ってくれています」

 これも全部嘘である。当時私は、これらの話を猪野さんに一つ一つ確認を取っていた。まったくのでっちあげであった。


 何気なく手に取った新聞の一面には眠気を吹き飛ばすような記事が掲載されていたのである。

「『告訴状』調書、勝手に改ざん」という見出しのその記事は、上尾署の捜査員が詩織さんの告訴を単なる被害届に変えるため、調書を勝手に書き換えてしまったことを伝えていた。

 なんなんだこれは。

 私もそんなことまでは予していなかった。県警は、告訴を取り下げさせようとしたことを隠しているものだとばかりっていた。そのために嘘をついているのだとっていた。だが、実際に行われていたことは、はるかに悪質だった。調書を書き換えたというのなら、「告訴取り下げ要請」をしただのしないだのという話ではない。警察が勝手に取り下げてしまっているのだ、事件そのものをなくしてしまったということではないか。小に対する捜査が進むわけがない。


 市民が恐怖を覚え、助けを求めに行くとしたら、そこは警察署しかない。管内に住む住人の生命財産を守ること。それこそ警察官としての最も重要な任務ではないのか。そんなことは小学校の教科書にだって書いてあるだろう。しかし上尾署が必死になって守ろうとしたのは、「楽な仕事」や「誉」や「地位」であって市民では決してなかったということだ……。


 詩織さんが友人に頼まれ、事件の1年前にやむなく2週間だけ勤めたアルバイト先を記者達に流したのも警察だ。そこが酒を出す店であったばかりに「風俗店」と呼ばれることになるのは承知の上でだ。

 詩織さんが殺害された直後、各社の新聞記者の夜廻りを受けていた捜査員は、接触してくる記者達になんと言い続けていたか。

「あれは風俗嬢のB級事件だからね」

 失礼な話ではないか。このマスコミへの誘導ぶりはなんなのだ。何を図して普通のお嬢さんをある型にはめたがるのか。

 飛びついたマスコミもマスコミだった。これらの話がどんどん増殖を重ね、ワイドショーや週刊誌、スポーツ紙を飾っていった。「風俗嬢」だの「ブランド依存症」だの、悪があるのかとさええるほど、警察協力のもと立派な虚像を描いてくれた。別の言い方でもよい。見事に多くのメディアがこの罠に落ちていった。なんとも皮肉なことに、詩織さんの誉をめちゃくちゃにしたかった小和人の希望は、警察とマスコミによってかなえられたのだ。久保田(実行犯)逮捕直後には、日本一の発行部数を誇る新聞までもが詩織さんのことを「ホステスとして働いていた」と書いたほどだった。

遺言―桶川ストーカー殺人事件の深層 桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2008-08-16

創価ルネサンス後


 創価ルネサンスは終わった。既に「創価ルネサンス」という言葉が使われなくなっているのがその証拠だ。で、次に何が来るかといえば、「ポスト・モダン」や「脱構築」ということになるだろう。ここで必要とされるのは竜樹のごとき“知の人”だ。大乗仏教を体系化したのが竜樹という個人であったことを忘れてはなるまい。また、当然ではあるが、人というのは機運が盛り上がる中で登場するものだ。「日蓮法の脱構築」という姿勢が個々に求められよう。


 組織全体だと、どうしても教学のハンドリングが遅くなる。広宣部なんぞはオートバイのように急カーブを描いて曲がることもできるが、超大型バスであれば少しずつゆっくりとハンドル切るしかない。


 結局、というものは組織トップダウンで行えるような代物ではない。トップダウンで行うべきは人事などの組織改革である。つまり、新しい教学運動はボトムアップでしか成立しないということになる。しかしだ、現実に会合で過激な発言をすれば、オジサン、オバサンは凍り付いてしまうことだろう(笑)。やっぱりできないわな。じゃあ、どこでやるのかと言えば、これはもうネットしかない。否、そのためのネットであるとう。


 まだまだ、傍観者が多い現状ではあるが、誰かが旗を振り続けるしかない。

始まった「貸し渋り不況」


 銀行よ、いい加減にしろ!――。こうした憤怒のが中小企ばかりではなく、上場企からも上がっている。銀行の「貸し渋り」による「黒字倒産」が急増しているからだ。


カネ余りの銀行が…


 企倒産が激増し、とくに7は今年最多。上場企もバタバタといき、7末時点で10件と昨年同の6件を大きく上回った。負債総額も膨らんで、前年同比3155億円超の6653億円にのぼる。

 8になってもこの勢いは止まらない。12日もコンタクトレンズ製造販売の「ヤマト樹脂光学」が、226億円の負債を抱えて自己破産した。

 上場企幹部の批判をまとめると、「不動産であるというだけで、融資をしない」「企の現状をいくら詳細に説明しても全く聞く気がない」「気にしているのは、他の銀行が(ウチに)追加融資するかどうかだけだ」などというものだ。

 民間調査大手の東京商工リサーチの調査によれば、7の主な大型倒産企の4割以上が「黒字倒産」とみられるという。先のヤマト樹脂光学も黒字倒産だ。

 ゼネコン上場企役員が打ち明ける。

「あるマンション会社が融資を申し込むと、在庫を売ったら貸してやると言われてしぶしぶ叩き売った。すると、銀行はキャッシュができたんだから、借金を返せと迫り、結局、融資をしなかった」

 これじゃ、黒字企が倒産しても不議ではない。

 元銀行マンで作家の江上剛氏が銀行を糾弾する。

「今の貸し渋りは、債務超過に陥っていた10年前と大きく違う。銀行の金庫には貸出先のないカネがジャブジャブしている。単に不良債権をつくりたくないという保身だけで企に資金を貸さないのです。しかし、銀行が立ち直ったのは、国民の血税である公的資金の注入があったからこそです。個別企の現状を無視した今のやり方を見ていると、融資すればカゼで済む企を、あえて不治の病にしているように映る。こんな状況が続けば、必ず“貸し渋り恐慌”がやってくる」

 ガンバル企を応援するのが銀行ではないか。「路チュー不倫」している頭取には、貸し渋りでズタズタにされている企のことなど頭にないのだろう。


【日刊ゲンダイ 2008-08-13】


 またぞろ、クレジット・クランチ(信用収縮)に傾きそうな予。この手のキーワードは政治的な惑で決められているが、本来であれば「信用危機」「信用麻痺」と表記すべきだ。


 バブル崩壊後の不良債権は200兆円とされたが、実に60兆円がヤクザ絡みであった。このため、「ヤクザ・リセッション」という言葉も生まれた。バブル経済におけるヤクザの役割と、バブル後のこうした事実を踏まえると、新自由主義の先鞭をつけたのは暴力団なのかも知れない。


 尚、以前から経済の世界では「関東は警察が取り締まり、関西はヤクザが仕切る」と言われている。


 銀行は財務省によってコントロールされている。そして財務省は、米国ののままに操られている。国内企に貸し出さないとなれば、マネーは海の向こうを目指して動き出す。郵貯銀行の資金を目指して、いよいよハゲタカどもが急降下し始めることだろう。

2008-08-15

『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 沈黙も一つの答えなのだ。


 本書はホロコースト産を分析し、告発するためのものである。以下の各章では、ザ・ホロコーストがナチ・ホロコーストのイデオロギー的表現であることを論証していこうとう。大半のイデオロギーと同じようにこれも、わずかとはいえ、現実とのつながりを有している。ザ・ホロコーストは、各個人による恣的なものではなく、内的に首尾一貫した構造物である。その中教義は、重大な政治的、階級的利益を支えている。実際に、ザ・ホロコーストがイデオロギー兵器として必要不可欠であることは、すでに証明済みだ。これを利用することで、世界でもっとも強力な軍事国家の一つが、その恐るべき人権蹂躙の歴史にもかかわらず「犠牲者」国家の役どころを手に入れているし、合衆国でもっとも成功した民族グループが同様に「犠牲者」としての地位を獲得している。

 どちらも、どのように正当化してみたところで上辺だけの犠牲者面(づら)にすぎないのだが、この犠牲者面は途方もない配当を生みだしている。その最たるものが、批判に対する免疫だ。しかも、この免疫を享受している者はご多聞に漏れず、道徳的腐敗を免れていないと言ってよい。この点から見て、エリ・ヴィーゼルがザ・ホロコーストの公式通訳者として活動していることは偶然ではない。彼の地位がその人道的活動や文学的才能によって得られたものでないことは明白だ。ヴィーゼルが指導的役割を演じていられるのは、むしろ、彼がザ・ホロコーストの教義を誤りなく言語化しているからであり、そのことによってザ・ホロコーストの基礎となる利益を得ているからである。


 私の両親は、死ぬまで毎日のようにそれぞれの過去を追体験していたが、晩年には、大衆向けの見せ物としてのザ・ホロコーストにまったく関を示さなくなっていた。父の親友にアウシュヴィッツの収容所仲間がいた。買収など考えられない左翼の理主義者で、戦後のドイツからの補償金も信に基づいて受け取りを拒否していたのだが、最後にはイスラエルのホロコースト博物館「ヤド・ヴァシェム」の館長になった。父はから失望し、なかなか認めようとしなかったが、最後にはこう言った――あいつもホロコースト産に買収された、権力と金のために信を曲げたのだ、と。ザ・ホロコーストの演出が一層ばかげた形を取るようになるにつれ、母は皮肉を込めて、「歴史など戯言だ」というヘンリー・フォードの言葉を引いた。わが家では「ホロコースト生還者」の話はどれもこれも――収容所にいた者やレジスタンスの英雄の話もすべて――特殊な、捻れた笑いの種になった。ジョン・スチュアート・ミルがはるか昔に理解したように、継続的な批判に晒されない真実は、最後には「誇張されることによって真実の効力を停止し、誤りとなる」のである。


 しかしごく最近まで、ナチ・ホロコーストがアメリカ人の生活に登場することはほとんどなかった。第二次世界大戦の終結から1960年代の終わりまで、このテーマを取り上げた書籍や映画はほんのわずかだったし、この問題を扱う講座のある大学は合衆国中で一つだけだった。1963年にハンナ・アーレントが『イェルサレムのアイヒマン』を出したとき、引用できる英語の研究書は、ジェラルド・ライトリンガーの『最終的解決』とラウル・ヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の二つしかなかった。そのヒルバーグの著にしても、やっとのことで日の目を見たものだった。コロンビア大学でヒルバーグの論文指導をしたフランツ・ニューマンはドイツ系ユダヤ人だったが、「君は不幸になる」と言って、この問題で論文を書くことを何とかいとどまらせようとした。原稿が完成しても、どこの大学や大手出版社も手をつけようとしなかった。ようやく出版にこぎつけたが、『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』はほとんど注目されず、たまに取り上げられても批判的なものがほとんどだった。


 ナチのユダヤ人絶滅計画が公の場で語られなかった本当の理由は、アメリカ・ユダヤ指導者層の体制的順応政策と、戦後アメリカの政治風土だった。国内問題でも国際問題でも、アメリカ・ユダヤのエリートたちは、アメリカ当局の方針に忠実に従った。そうすることで、同化による権力への道という伝統的な目標が実際に促進された。冷戦が始まると、主流ユダヤ人組織もこの争いに飛び込んでいった。アメリカ・ユダヤのエリートたちがナチ・ホロコーストを「忘れた」のは、ドイツ(1949年からは「西ドイツ」)が戦後アメリカの重要な同盟国となり、アメリカとともにソヴィエト連邦と対峙するようになったからだ。今さら過去をほじくり出しても何の役にも立たないばかりか、問題を複雑化するだけだった。

 わずかな留保条件を残したのみで(それでもすぐに破棄された)、主だったアメリカ・ユダヤ人組織はすぐに政府方針に従い、ほとんど脱ナチ化していないドイツの再軍備を支持した。アメリカ・ユダヤ人委員会(AJC)は、「新方針および戦略的アプローチに対して組織的に反抗すれば、アメリカのユダヤ人は多数派を占める非ユダヤ人から孤立してしまい、戦後国内で達成してきた実績が危うくなる」として、まっ先にドイツとの再同盟の利点を説いた。シオニズム推進派の世界ユダヤ人会議(WJC)とそのアメリカ支部は、始めはこの方針に反対していたが、1950年代初めにドイツとの補償条約が調印されると反対をやめた。


 アメリカ・ユダヤのエリートたちのあいだで最終的解決の話題がタブーだったのには、もう一つ理由がある。左翼のユダヤ人が、冷戦でドイツと同盟してソヴィエト連邦と対峙することに反対で、こちらはナチの問題を持ち出すことをやめなかったからである。ナチ・ホロコーストの記憶は共産主義の理と結びついた。ユダヤ人と左翼を同一視するステレオタイプの見方に縛られて――実際に1948年の大統領選挙では、進歩派候補ヘンリー・ウォーラスの得票数の3分の1はユダヤ人によるものだった――アメリカ・ユダヤのエリートたちは躊躇なく、同胞のユダヤ人を生贄として反共産主義の祭壇に捧げたのである。危険分子と疑われたユダヤ人の簿を政府機関に提供することで、AJCとADLは積極的にマッカーシーの女狩りに協力した。AJCはローゼンバーグ夫妻の死刑を容認する一方で、間機関誌『コメンタリー』に、夫妻は「本当の」ユダヤ人ではないという社説を掲載した。

 国内外の左翼とつながっていると見られることを恐れた主流ユダヤ人組織は、反ナチだったドイツ社会民主党との協力にも反対し、ドイツ製品の不買運動や元ナチ党員の合衆国入国に反対する大衆デモへの協力までも拒んだ。その一方で、プロテスタント牧師で反ナチ運動の指導者だったマルティン・ニーメラーは、ナチ強制収容所で8年を過ごし、当時は反共産主義運動に参加していたにもかかわらず、訪米中にアメリカ・ユダヤの指導者たちから誹謗中傷された。ユダヤのエリートたちは、自分たちの反共姿勢の信用度を上げようと躍起になり、ついには「共産主義と闘う全米会議」のような右翼過激派組織に参加して財政的に支えるようになり、ナチ親衛隊の元隊員の入国も見てみぬふりをしたのである。


 すべてが変わったのは、1967年6の第三次中東戦争(六戦争)からだ。誰に聞いても、ザ・ホロコーストがアメリカ・ユダヤ人の生活と切っても切れないものになったのはこの紛争後のことだという見がほとんどだ。標準的な説明では、この変化は、六戦争におけるイスラエルの極度の孤立と脆弱さがナチによる絶滅計画の記憶を蘇らせたため、とされている。しかし実際は、この分野は当時の中東における力関係を表わしてはいないし、アメリカ・ユダヤのエリートたちとイスラエルの間の深まりゆく関係の本質も伝えてはいない。

 主だったアメリカ・ユダヤ人組織は第二次世界大戦後、冷戦でのアメリカ政府の優先事項に従ってナチ・ホロコーストを軽視した。そしてそれとまったく同じ理由から、イスラエルに対する姿勢についても、彼らはアメリカの政策と歩調を合わせたのである。アメリカ・ユダヤのエリートたちは最初、ユダヤ人国家というものに根深い不安を抱いていた。その最たるものは、ユダヤ人国家が「二重の忠誠」という嫌疑を裏付けることになるのではないかという恐れだった。(※イスラエルは国家成立後、西側陣営に加わったものの、イスラエル指導層のほとんどが東ヨーロッパ系の左翼であったため、ソヴィエト陣営につく懸を払拭できなかった。当時はアメリカもイスラエルとは距離を置いていた)


 1960年代初頭のイスラエルは、アイヒマンを拉致したことで、AJC元代表のジョゼフ・プロスカウアー、ハーヴァード大学の歴史学教授オスカー・ハンドリン、ユダヤ人が社主を務める『ワシントン・ポスト』紙など、各方面のユダヤ人エリートからさんざんな批判を浴びた。精神分析学者で社会学者のエーリッヒ・フロムは、「アイヒマンの拉致は、まさにナチが犯した罪とまたく同じ不法行為である」と述べた。


 六戦争以後の主流アメリカ・ユダヤ人組織は、アメリカ・イスラエル同盟を確かなものとすることにすべての時間を費やした。ADLの場合、イスラエルや南アフリカの情(諜)報部とともに広範な国内調査まで実施している。また1967年6以降、『ニューヨーク・タイムズ』紙がイスラエルを取り上げる回数が劇的に増加した。『ニューヨーク・タイムズ・インデックス』を見ると、1955年も1965年もイスラエルの項目は60コラムインチだった。それが1975年には、260コラムインチにもなっている。1973年のヴィーゼルは、「いい気分になりたいときには『ニューヨーク・タイムズ』のイスラエルの記事を見ることにしている」と言っている。ポドレツと同様に六戦争では多くの主流派アメリカ・ユダヤの知識人が「宗教」を発見した。ノヴィックによれば、ホロコースト文学の第一人者ルーシー・ダヴィドヴィッチは、かつては「イスラエル批判の急先鋒」だった。1953年には、一方で故郷を追われたパレスティナ人に対する責任を回避しながら他方でドイツに賠償金を要求することはできない、「道徳はそんなご都合主義のものであってはならない」と、イスラエルを痛烈に批判していた。それが六戦争のほぼ直後には「熱なイスラエル支持者」となり、「現代世界における理的ユダヤ人像へ向けた組織パラダイム」だとして、イスラエルを熱烈に称賛するようになるのである。


 ノヴィックが述べているように、「(1967年の)この戦争以前にもアメリカのユダヤ人がイスラエルの利益のために動員されたことはあるが、明確にホロコーストに言及したものは驚くほど少ない」。ホロコースト産は、イスラエルが圧倒的な軍事的優位を誇示した後になって発生し、イスラエルが勝利に気揚々とするなかで花開いたのである。標準的な解釈の枠組みでは、この矛盾を説明することはできない。


 黒人、ラティーノネイティヴ・アメリカン、女ゲイレズビアンも含めて、自分たちは犠牲者だという非をあげるグループのうち、ユダヤ人だけは、アメリカ社会において不利な立場におかれていない。実際には、アイデンティティーポリティクスとザ・ホロコーストがアメリカのユダヤ人に根づいたのは、犠牲者としての彼らの立場が理由ではない。理由は、彼らが犠牲者ではなかったからだ。

 反ユダヤ主義の障壁は第二次世界大戦後、急速に崩れ去り、ユダヤ人は合衆国内の階層を上昇した。リプセットとラーブによれば、現在、ユダヤ人の年収は非ユダヤ人のほぼ2倍だ。もっとも富裕なアメリカ人40人のうち16人はユダヤ人だし、アメリカのノーベル賞受賞者(科学および経済分野)の40パーセント、主要大学教授の20パーセント、ニューヨークおよびワシントンの一流法律事務所の共同経営者の40パーセントもユダヤ人である(以下、リストは延々と続く)。ユダヤ人であることは、成功への障害になるどころか、その保障となっている。多くのユダヤ人は、イスラエルがお荷物だったときには距離をおき、資産になったら途端にシオニストに生まれ変わった。それとまったく同様に、彼らはユダヤの民族アイデンティティーが負担だったときにはこれを遠ざけておきながら、資産になったら急にユダヤ人に生まれ変わったのである。


 イスラエルの著ライター、ボアス・エヴロンは「ホロコースト識」について、その実体は「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観である。その真の目的は、過去を理解することではまったくなく、現在を操作することである」と喝破している。ナチ・ホロコーストそのものは、本質的にはいかなる政治的課題にも奉仕するものではない。イスラエルの政策を支持する動機にもなれば、反対する理由にもなる。しかしイデオロギーのプリズムを通して屈折させられるとき、「ナチによる絶滅の記憶」は「イスラエル指導層と海外ユダヤの掌中の強力な道具」(エヴロン)として働くようになる。すなわち、「ナチ・ホロコースト」が「ザ・ホロコースト」になったのである。


 第二次世界大戦の余韻が残っていた時期、ナチ・ホロコーストはユダヤ人だけの事件とは考えられていなかったし、ましてや歴史に唯一無二の事件という役割をあたえられてなどいなかった。組織的アメリカ・ユダヤはむしろこれを普遍的な文脈に位置づけることに腐していた。ところが六戦争後、ナチの最終的解決の枠組みに過激な変化が起こった。ジェイコブ・ネウスナーは当時を振り返り、「1967年戦争以後に登場し、アメリカのユダヤを象徴するものとなった主張がいくつかあるうちで、最初の、そしてもっとも重要なもの」は、「ホロコーストは……人類史上に比べるもののない唯一無二のもの」という主張だった、と述べている。また歴史家デイヴィッド・スタナードはその啓発的な論文で、「ホロコースト聖人伝作家の小規模産が、神学的熱狂の精力と創を総動員して、ユダヤ人の経験は唯一無二のものだと言い張っていた」と嘲笑している。要するに、唯一無二のものという教義は味をなさないのである。

 根本的に言えば、あらゆる歴史的事件はどれも唯一無二であって、少なくとも時間と場所はすべて違っている。またすべての歴史的事件には、他の事件とは違う固有の特徴もあれば共通する点もある。ザ・ホロコーストの異様さは、その唯一を無条件で決定的なものとしていることだ。無条件の唯一を持った歴史的事件などあるだろうか。概してザ・ホロコーストについては、この事件を他のできごととまったく違う範疇に位置づけるために、固有の特徴ばかりが取り上げられている。しかし、他の事件と共通する多くの特徴が些末なものと認識されなければならない理由は、決して明らかにされない。


 ヒトラーの最終的解決を題材にホロコーストの主要教義を露骨に押し出した文学作品は、学問的には無価値なものが大半だ。実際ホロコースト研究の分野は、まったくの嘘とは言わないまでも、ナンセンスなものであふれかえっている。特に顕著なのは、そうしたホロコースト文学を育てている文化環境である。

 ホロコーストのでっち上げで最初に大きく取り上げられたのは、ポーランドからの亡命者イェールジ・コジンスキーの書いた『異端の鳥』だった。この本を「英語で書いた」理由についてコジンスキーは、「情を交えず、母語につきものの情的な含に縛られずに書きたかった」からだと説明している。しかし実際にコジンスキーが書いた部分は――そこも本当に自分で書いたかどうか自体まだ未解決なのだが――ポーランド語で書かれていた。この本はコジンスキーの自伝的作品という体裁をとっていて、子どもだった第二次世界大戦中にポーランドの農村地帯を一人でさまよっていたときのことを綴っている。しかし実際のコジンスキーは、戦争中ずっと両親と暮らしていた。


『断片』(ビンヤミン・ヴィルコミルスキー著)はまったくのでっち上げではあるが、それでもホロコースト回録の原型を踏まえている。最初の舞台は強制収容所で、そこではすべての看守が狂ったサディスティックな怪物で、ユダヤ人の新生児の頭蓋骨を楽しげに砕いていく。しかし、ナチの強制収容所を描いた古典的な回録の記述は、どれを見ても、「サディストはほとんどいなかった。いてもせいぜい5〜10パーセントだった」というアウシュヴィッツの生還者エラ・リンゲンス=ライナー博士の言葉と一致している。ところがホロコースト文学では、ドイツ人サディストがまさに至る所に登場する。ホロコースト文学は、ザ・ホロコーストの唯一無二の非合理とともに、ホロコースト実行者の狂熱的な反ユダヤ主義をも「証明する」という二重の役割を負っているのである。(中略)

 半ば狂人、半ばペテン師のヴィルコミルスキーは、戦争の間中スイスにいたことが分かっている。彼はユダヤ人ですらなかった。


 第一の疑問は、なぜこの国では首都にまで、連邦政府が資金を出して運営するホロコースト博物館があるのかということだ。連邦議会議事堂からリンカーン堂まで、ワシントン最大の通りであるザ・モールがまっすぐに伸びているが、そこにこの博物館があって、しかもアメリカ史上の犯罪を記する博物館が一つもないというのは大きな矛盾だ。像してほしい。もしドイツがベルリンに、ナチによる虐殺ではなく、アメリカの奴隷制やネイティヴ・アメリカンの殲滅を記する国立博物館を作ったら、偽善だとして囂々(ごうごう)たる非がアメリカ中に沸き起こるはずだ。(※ジミー・カーターが、ユダヤ人の資金提供者への見返りとしてつくった)


「ホロコースト時代について誰もが認める専門家」として判断を任されたヴィーゼルは、ユダヤ人が最初の犠牲者であると強調した上で、「そしていつものように、ユダヤ人だけでは済まなかった」と主張した。しかし、政治的に最初に犠牲となったのはユダヤ人ではなく共産主義者だったし、大量殺人の最初の犠牲者も、ユダヤ人ではなく障害者だった。

 またジプシーの大量殺人が突出していたことも、ホロコースト博物館としては認めがたいことだった。ナチは50万人のジプシーを組織的に殺害したが、これは比率で言えば、ユダヤ人虐殺にほぼ匹敵する犠牲者数である。


 賠償金問題は、ホロコースト産について他では得られない洞察をあたえてくれる。すでに見たように、冷戦で合衆国と同盟することで、ドイツは急速に国際社会に復帰し、ナチ・ホロコーストも忘れ去られた。にもかかわらずドイツは、1950年代初頭に諸ユダヤ人機関との交渉に入り、賠償金協定に調印した。ほとんど外的な圧力なしに、ドイツは今日までおよそ600億ドルを支払ってきている。

 これをまずアメリカの記録と比べてみよう。インドシナにおけるアメリカの戦争の結果として、およそ400〜500万人の老若男女が殺された。ある歴史家は、アメリカが引き揚げた後のヴェトナムはどうしようもないほど援助を必要としていた、と振り返る。


 南部では、農村1万5000ヵ所のうち9000ヵ所と農地2500万エーカー、さらに森林1200万エーカーが破壊され、150万頭の家畜が殺された。娼婦となった者は20万人、孤児が87万9000人、身体障害者が18万1000人、未亡人は100万人と推定された。北部でも6ヵ所あった産都市はすべて大打撃を被り、地方の町も同様だった。さらに農村地域も5800ヵ所のうち4000ヵ所が大きな被害を受けた。


 しかしアメリカは一切の賠償金支払いを拒絶し、カーター大統領は「破壊は相互的だった」と述べた。クリントン大統領の国防長官ウィリアム・コーエンは、「もちろん戦争それ自体のための謝罪は一切」その必要を認めないと宣言し、「これによって両国がともに傷を負った。彼らには彼らの傷があり、われわれにはわれわれの傷がある」とした。


 ドイツでの奴隷労働交渉でアメリカ代表団の団長を務め、請求会議とも密接な関係にあったアイゼンスタットのこの発言から計算すれば、7〜9万人の20パーセントとして、ユダヤ人の下奴隷労働者で存命しているのは1万4000〜1万8000人だったと考えられる。

 ところがドイツとの交渉に入ると、ホロコースト産は、存命するユダヤ人の元奴隷労働者13万5000人に対する補償を要求した。ユダヤ人と非ユダヤ人を合わせた存命の元奴隷労働者は、総数25万人になっていた。つまり、存命するユダヤ人の元奴隷労働者の数が1999年5から10倍近くも増加し、しかも、ユダヤ人と非ユダヤ人の比率も大きく変わっていたのである。実際に、もしホロコースト産の言うことを信用すれば、ユダヤ人の元奴隷労働者は、今の方が50年前よりも多いことになる。


 しかし、スイスとドイツに対するゆすりは序曲にすぎなかった。最大の山場は東ヨーロッパに対するゆすりだった。ソヴィエト・ブロックの崩壊により、かつてヨーロッパ・ユダヤの中地域だったところに魅惑的な展望が開けてきた。「困窮するホロコースト犠牲者」という殊勝げなマントに身を包み、ホロコースト産は、すでにして貧しい国からさらに数十億ドルをむしり取ろうとしている。情け無用のやりたい放題に目的を追求することで、ホロコースト産は、ヨーロッパでもっとも反ユダヤ主義を煽る存在となってしまっている。


 生還者でもあるある弁護士は警告する。「ホロコースト産はすべて」世界ユダヤ人会議が「作ったものだ。ヨーロッパで反ユダヤ主義が醜い姿で蘇ってきているのは……彼らのせいだ」。


 ホロコースト記日以外にも、全米で17の州が、学校でのホロコースト企画実施を命じるか推奨するかしており、多くの大学がホロコースト研究の口座を設けている。『ニューヨーク・タイムズ』にホロコースト関係で大きな記事が出ない週はほとんどない。ナチの最終的解決を扱った学問研究は少なく見積もっても1万以上はあるだろう。これをコンゴでの大虐殺についての研究と比較してみよう。ヨーロッパがコンゴの象牙およびゴム資源を開発するなかで、1891年から1911年までにおよそ1000万人のアフリカ人が死んでいった。しかし、このテーマを直接取り上げた英語での研究文献は、2年前に1件あったきりである。


 ホロコーストの犠牲者にまだ補償金が分配されていない段階で、残余分が「おそらく数十億ドル」になることがどうして分かるのか、誰が考えても不議だ。さらに言えば、どれだけの人数が受給資格を満たしているかさえ、まだ分かってはいないのである。それともホロコースト産は、初めから「おそらく数十億ドル」が残るのを知っていて、「困窮するホロコースト犠牲者」ので補償金を集めたのだろうか。ホロコースト産は、ドイツやスイスの和解案が生還者にごくわずかな額しか割り振っていないとして、強い不満を訴えた。しかし、なぜ残余分の「おそらく数十億ドル」を使って分配金の不足分を補填しないのかは、明らかにしていない。

 予されたことだが、これにホロコースト生還者たちは激怒した。


(スイスからの和解金12億5000万ドルの内)8億ドルから正当な請求をすべて処理した後に残る金額、すなわち和解金の「残余分」は、直接ホロコースト生還者にか、またはホロコースト関連の活動に携わる各ユダヤ人組織に分配されることになっている。しかし現実には、残余金はほぼ間違いなくユダヤ人組織に流れる。決定権を持っているのがホロコースト産だということもあるが、当分の間は分配が行なわれないというのもその理由だ。実際に分配が行なわれる頃には、本当のホロコースト生還者はほとんど生きていないだろう。

ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち

2008-08-14

秋葉原事件


 口角泡を飛ばす状態にはなってないが、最近では最も昂奮を覚えた内容。東浩紀1971年生まれ)の天才ぶりが堪(たま)らん。田原総一郎が馬鹿に見えるほど。以下の発言に私は震撼した――


 結局電車の暴力で皆が見て見ぬふりをするのは、「共通の価値観」がなくなったため。(中略)

 皆が同じ慣習や同じマナーを持っているという前提、そういうことへの信頼がなくなってしまえば、当然(居合わせた人々が)注はできなくなる。

 http://www.nicovideo.jp/watch/sm8576641

私の好きなもの


 蝉(せみ)が好きだ。ミミズも捨ていが、やはり蝉だ。3年から17年もの間、地中でじっと黙って過ごし、出てきた途端、全身を震わせて鳴き始める。奴等(やつら)の喚(わめ)きで、多分太陽の温度も2〜3度上がっていることだろう。まるで自然の調和を掻(か)き乱すような大である。私のには、「ふざけんなよ!」とか「やってられるか!」とか「なめんじゃねえ!」という風に聞こえる。散々、ギャアギャア騒いだ挙げ句、彼らはコロッと仰向けになって死んでいる。この潔さが堪(たま)らない。人生の最終章を蝉のように終えることができれば、こんな幸せなこともあるまい。

グルジア軍拡、米に責任とロシア ブッシュ大統領に反論


 ロシアがグルジアに侵攻した南オセチア自治州情勢で、ロシアのラブロフ外相は13日、ブッシュ米大統領が同日の明でロシアに停戦順守を強く要求したことに反論し、ロシアの警告にもかかわらず米国はグルジアの軍備を増強する「危険なゲーム」に手を貸してきたと批判した。

 グルジアに対するロシアの大規模な軍事介入に国際社会の非が高まる中、グルジアの軍拡への米国の責任を明確にすることで、今回の軍事介入を正当化する狙いとみられる。

 ブッシュ大統領は、ロシア軍が停戦合に反してグルジアの港湾都市ポチを制圧しているとの情報があるとし「ロシアは約束を守らなければならない」などと警告。これに対しラブロフ外相は「米大統領のスピーチライターの質に驚く」と皮肉り、ポチにロシア軍はいないことを強調した。

 外相はまた、米国が2002、03年にグルジアへの兵器供給と軍隊訓練に乗り出した当時、ロシアが「グルジアが冒険する恐れがある」と警告したのに聞き入れず、今回の事態に至ったと指摘した。


共同通信 2008-08-14】


 尚、イスラエルもグルジアに兵器を輸出している。米国が世界を掻き回すのは、いつもこの手である。米国の基幹産軍産複合体である。つまり、常に戦火が絶えないように世界をリードすることが、グローバリゼーションにおけるアメリカの役割となる。

『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ


 ルワンダでフツ族によるツチ族の大虐殺が行なわれた1994年、RPF(ルワンダ解放戦線)を率いるポール・カガメ(現ルワンダ大統領)は実に37歳の青年リーダーであった。本書で多数引用されているカガメの発言は、軍人でありながら哲人政治家の趣がある。


 教室の中へ、死体のあいだにそっと足を踏み入れたとき、まだたくさん像しなければならないことがあった。死者たちと殺人者たちとは隣人同士であり、同級生であり、同僚であり、ときには友人同士であり、親類の場合さえあった。死者たちは破局の何週間も前から殺人者たちがおこなう軍事訓練を見ていたし、それがツチ族を殺すための訓練だということも知っていた。それはラジオでも放送されており、新聞でも報じられており、みなおおっぴらに話していた。ニャルブイェの虐殺の前週、ルワンダの首都キガリで殺害ははじまっていた。フツ至上主義に反対するフツ族は公式にツチ族の「同調者」とされ、虐殺がはじまるとまっさきに殺害された。ニャルブイェでは、ツチ族の人々から保護を求められたツチ族市長は、教会に避するように勧めた。ツチ族がその言葉に従うと、数日後市長が先頭に立って殺しにきた。市長は兵士、警官、民兵、それに村人たちを率いていた。武器を配り、仕事をやりとげるようにと命令を下した。それだけでも充分だったが、市長はみずから数のツチ族を殺したという。

 ニャルブイェの殺戮は一日じゅう続いた。夜になると殺人者たちは生き残った者のアキレス腱を切り、教会の裏で宴会を開いた。大きな焚火を起こして犠牲者から略奪した家畜をあぶり、ビールを飲んだ。そしてには、犠牲者の悲鳴を子守り歌にどれだけ寝られたかはともかく、二日酔いで目覚め、戻ってきて殺害を再開した。毎日毎日、毎分毎分、ツチまたツチ。ルワンダのいたるところでそれが起きたのを知っているし、いかに起きたかを聞いているし、ほぼ3年にわたりルワンダ各地を見てまわり、ルワンダ人たちの言葉にを傾けてきたから、いかに起きたかを説明できるし、これからするつもりだ。だがそれでもこの恐怖――愚かしさ、もたらした破壊、どうしようもない邪悪さ――がいささかでも薄れるわけではない。


ルワンダの文化は恐怖の文化だ」とンコンゴリは続けた。「みんなの言葉を覚えている」ンコンゴリはも絶え絶えの色を作り、顔を絶望に歪(ゆが)めた。「『どうか祈らせてくれ、それから殺してくれ』それとも『道ばたで死にたくはない。自分の家で死にたい』」元のに戻して続ける。「そこまで虐げられ、諦めてしまったら、もう死んだも同然だ。ジェノサイドがすごく長いあいだ準備されていた証拠だよ。厭(いと)わしい恐怖だ。ジェノサイドの犠牲者たちは、ただツチ族だというだけでも死ぬものだといこまされていた。あまりに長いあいだ殺されつづけてきたので、とっくに死んでしまっていたんだ」


 マナセはルワンダで殺されたのが「わずか100万人」だと聞いて驚いたという。「ここだけで何人が殺されたか、何人が鳥に食われたか」実際、ジェノサイドによる死体は鳥たちへの贈り物だった。だが、鳥たちは生存者たちを助けてもくれた山火事から逃げ出した動物たちをあさる猛禽類とハゲタカが火事の最前線を空に作るように、絶滅作戦のあいだのルワンダでは、虐殺現場の上空で沸騰するノスリ、トビ、カラスの群は空に描いた地図となって、森に逃げて生きのびたサミュエルやマナセらに「立入禁止」区域を告げてくれたのだ。


 ルワンダの歴史は危険なものである。すべての歴史がそうであるように、ルワンダ史は権力をめぐる争いの連続であり、そして権力とは自分の物語を他者の現実に押しつける能力でもある――たとえ物語が、しばしば、その血で書かれたものであったとしても。


 民族主義は民族主義を生む。ベルギー自体が「人種」の境界線によって分断された国家だった。ベルギーではフランス語系の少数派ワロン人が何世紀にもわたり多数派フラマン人を支配していた。だが長い「社会革命」の結果としてベルギーは大いなる人種平等の時代に入っていた。第二次大戦後ルワンダにやってきたフラマン人牧師たちはフツ族に情移入し、政治的変革の志を高めようとした。同時に、ベルギーの植民地政府は国連の信託統治下に置かれ、それはすなわちルワンダ独立に向けて準備を整える圧力味した。フツ族の政治活動家は多数派による支配と、自分たちの「社会改革」を求めはじめた。だが、ルワンダにおける政治闘争は決して平等を求めるものではなかった。問題は二つに分かれた民族のどちらが支配的地位につくかだった。


 1994年のルワンダを、外の世界は崩壊国家がひきおこす混乱と無政府状態の典型だと見なしていた。事実は、ジェノサイドは秩序と独裁、数十年におよぶ現代的な政治の理論化と教化、そして歴史的にも稀(まれ)なほど厳密な管理社会の産物だったのだ。


 そうした(ラジオからの)メッセージ、そして社会のあらゆる階層の指導者たちからの命令によって、ツチ族の虐殺とフツ族反体制派の暗殺は各地に広がっていった。民兵たちの手本にならい、フツ族は老いも若きも仕事にとりかかった。隣人が隣人を自宅で切り刻み、同僚が同僚を職場で切り刻んだ。医師が患者を殺し、教師が生徒を殺した。多くの村ではわずか数日でツチ族の人口がほぼゼロになった。キガリでは、囚人たちが釈放されて労働班を編成され、道路沿いにならぶ死体を片づけた。虐殺にともなうレイプと略奪がルワンダじゅうに広がった。酔っぱらった民兵集団は薬品店から略奪したドラッグで景気をつけ、虐殺から虐殺へと駆けまわった。


 何度目かにオテル・デ・ミル・コリン(※映画『ホテル・ルワンダ』の舞台となった実際のホテル)を訪れたとき、ウェンセスラス神父はポール・ルセサバギナ(※映画『ホテル・ルワンダ』の主人公)に、聖家族教会に来て一杯飲まないかと誘った。だがポールは決してホテルを離れようとしなかった。これにはウェンセスラス本人も最後には謝したはずだ。自分自身の母親の身柄をホテルに預けていたのだから。実際、フツ至上主義政権の関係者にもツチ族の妻をミル・コリンに送った者は多かった。このことはホテル全体の安全に大きく寄与したが、彼ら自身は恥じていたようにポールにはじられた。「ウェンセスラスは自分には母親を守る力がないとわかっていた。だが彼はあまりにも傲慢だったから、母親を連れてきたときにはこう言ったんだ。『ポール、うちのゴキブリを連れてきてやったぞ』理解できるか? 自分の母親をそう呼んだんだ。ツチ族だったから」


 1994年414日、ベルギー人PKO兵士10が殺害されてから1週間後、ベルギーはUNAMIR(国連ルワンダ支援団)から離脱した――フツ至上主義者たちが狙っていたとおりになった。政府の臆病さと無駄になった任務に怒り、兵士たちはキガリ空港の滑走路で国連のベレー帽を破り捨てた。1週間後、1994年421日、UNAMIRの司令官ダレール少将は、充分な装備の兵士わずか5000人とフツ至上主義者と戦う許可さえ得られれば、ただちにジェノサイドを止められる、と述べた。わたしが確認した軍事アナリストの中にダレールの判断を疑う者はおらず、多くはその分析に同した。RTLMのラジオ放送施設が、明白かつ容易な最初のターゲットになる。だが、その同じ日、国連安保理事会はUNAMIRの要員を9割削減する決議を可決した。UNAMIRは270を残して撤退することになり、残った兵士にも砂嚢(さのう)の裏に隠れて事態を見守る以上のことはできないような命令を与えた。

 国連軍のルワンダ撤退はフツ至上主義党による最大の外交的勝利であり、その責任はほぼ完全に米国にある。ソマリアでの大失敗の記憶がまだ生々しかったホワイトハウスは大統領決定指示(PDD)第25号なる文書を起草したところだった。これは要するに米国が国連平和維持活動への関与を避けるべき理由をまとめたチェックリストである。ダレールが求めた増援と攻撃指令が米兵を必要とせず、その任務が正確には平和維持活動ではなくジェノサイド防止であろうが、そんなことは関係なかった。PDD第25号には同時にワシントンの政策決定者が「政策言語」と呼ぶものまで含まれ、米国は自分が参加したくない任務を実行しないよう他国にも働きかけるべきだ、とうながしている。実際、クリントン政権下の国連大使マデリーン・オルブライトはルワンダにわずか270の基幹定員を残すことにすら反対した。


 UNAMIR兵力が削減されてから1週間後、ルワンダにジェノサイドの圧倒的証拠が積み上がっていくのを目のあたりにして、チェコスロヴァキア、ニュージーランド、スペインの大使がついに国連軍の帰還を求めると、米国は任務の指揮権を要求した。だが、指揮すべき任務などなかった。安全保障理事会は、当時たまたま都合よくルワンダが非常任理事国の議席を占めていたために、「ジェノサイド」という言葉を含む決議を通すことすらできなかった。ご立派な活動は4から5になっても続いた。ルワンダのジェノサイド指導者たちが最後に残ったツチ族の完全な根絶に向けて国じゅうを動かそうとしていたとき、513日、安保理事会はUNAMIRをふたたび増強するかどうかを投票で決定しようとしていた。オルブライト大使は投票を4日引き延ばすことに成功した。そして安保理事会は5500のUNAMIR兵士を展開することに同した。ただし――アメリカの主張を受け入れ――ごくゆっくりと。

 かくして5は6になった。そのころにはうんざりしたアフリカ8ヶ国は、ワシントンが装甲兵員運搬車を50台提供してさえくれれば、ルワンダに部隊を送る用があると宣言した。クリントン政権は同した。だが勇敢なアフリカ人に装甲車を貸し出すかわりに、国連にリースすることにした――米国が未払いの分担金数十億ドルをかかえているにもかかわらず――輸送費と部品代込みで1500万ドルで。


 6頭には、国連事務総長は――そして、ときにはフランスの外務大臣ですら――ルワンダでの虐殺を「ジェノサイド」と呼んだ。だが国連人権高等弁務官はなおも「ジェノサイドの可能」という言葉の方を好み、クリントン政権は実際にGではじまる言葉の不適切な適用を禁止した。ホワイトハウスに認可された公式の言い方は「ジェノサイドの行為が起こったかもしれない」である。国務省報道官のクリスティン・シェリーは、610日の記者会見でこの言葉じり問題を追及され、ジェノサイド行為がどれだけ起こればジェノサイドと言えるのか、と質問された。シェリーは自分は「その問題に答えられる立場にはない」として、弱々しく付け加えた。「我々が使用している用語の中には、その使用にあたって一貫を保とうとしているものがある」ジェノサイドの行為とはなにかを定義せよと迫られ、シェリーは1948年のジェノサイド条約による罪の定義を持ち出した。


 報道官が言わんとしていたのは、もしそれがジェノサイドであるなら、1948年のジェノサイド条約の定めるところにより、条約加盟国は行動しなければならない、ということだ。ワシントンは行動したくなかった。だからワシントンはそれがジェノサイドではないふりをした。このやりとりにおよそ2分かかったとすれば、ルワンダではその間およそ11人のツチ族が殺されていたことになる。


 UNAMIRに対する情はもっと微妙である。カガメはダレール将軍のことは人間的に尊敬しているが、「かぶっているヘルメット」には敬は持たないと言う。ダレール本人にも直接そう言った。「UNAMIRはここにいた、武装して――装甲車や戦車やありとあらゆる武器があった――その目の前で人が殺されていった。わたしなら絶対にそんなことは許さない、と言った。こう言った『そうした状況下では、わたしはどちらの側につくかを決める。たとえ国連の指揮下にあったとしても、わたしは人を守る側につく』たしかダレールには将軍としてそういう状況に置かれること自体が恥だ、とまで言ったはずだ。無防備な人々が殺されていき、自分は装備を持っていたのに――部下の兵隊もいたし、武器もあった――その人たちを守れないなどという状況には」

 ダレール自身もこの見には同しているようだった。ジェノサイドから2年半たってから、ダレールは語っている。「この制服を脱ぐ日が来たら、わたしは自分の魂に、トラウマに……とりわけ数知れないルワンダ人に答えなければならない」ターコイズ作戦に従事していたフランス軍兵士たちの中にも、悩みしむ魂はあった。「我々は騙されていた」1994年7頭、やつれ果てたマチェーテ傷のツチ族生存者の集結地点で、ティエリ・プリュノー曹長は記者に対して語った。「これは我々が信じるように言われていた話とは違う。我々はツチ族がフツ族を殺していると聞いていた。フツ族が善玉で犠牲者だと信じていたんだ」不満を持つ者もいたかもしれないが、ターコイズ作戦は大きな成果をあげた。ツチ族の虐殺をさらに1ヶ続けさせ、ジェノサイドの命令者たちが多くの武器を持ったままザイールへ逃亡する安全な通路を確保したのだった。


 1997年の9、コフィ・アナン事務総長からベルギー議会での証言を禁じられる以前に、元UNAMIRのダレール将軍はカナダのテレビ番組に出演してルワンダでの冒険について語った。「わたしにはすべての責任がある。10人のベルギー兵士の死について、それ以外の人々の死について、医薬品不足から病気になったり負傷した部下たちについて、殺害された56人の赤十字職員について、追放され民となった200万人について、そして殺害された100万人のルワンダ人の死について――それはわたしの任務が失敗に終わったからであり、自分自身がその責任に深く関わっているとじている」

 ダレールは国連のシステムに「責任を押しつける」のを拒んだ。そのかわりに安全保障理事会と国連総会の参加国の責任だとした。もし、ジェノサイドを目の前にして、加盟国が兵士を危機にさらすのをためらうのならば、「それなら兵士を送るのはやめて、ボーイスカウトを送ればいい」――キャンプで各国がやっていたのは基本的にそういうことである。ダレールは制服姿でカメラに向かっていた。胡麻塩頭は短く刈っていた。四角いアゴをしっかり突きだしていた。胸には勲章の花が咲いていた。だがダレールは興奮して語り、注深く選んだ言葉もに負った傷や憤怒を隠してはいなかった。

 ダレールは語った。「わたしにとって、ルワンダ人の境に対する国際社会、とりわけ西側諸国の無関と冷淡さを悼む行為はまだはじまってもいない。なぜなら、基本的には、非常に率直に兵士らしい言葉遣いで言わせてもらえば、誰もルワンダのことなんか知っちゃいないからだ。正直に言おうじゃないか。ルワンダのジェノサイドのことをいまだに覚えている人は何人いる? 第二次世界大戦でのジェノサイドをみなが覚えているのは、全員がそこに関係していたからだ。では、ルワンダのジェノサイドには、実のところ誰が関与していた? 正しく理解しているかどうかわからないが、ルワンダではわずか3ヶ半のあいだにユーゴスラヴィア紛争すべてを合わせたよりも多くの人が殺され、怪我を負い、追放されたんだ。そのユーゴスラヴィアには我々は6万人の兵士を送りこみ、それだけでなく西側世界はすべて集まり、そこに何十億ドルも注ぎこんで解決策を見いだそうと取り組みつづけている。ルワンダの問題を解決するために、正直なところなにがおこなわれただろうか? 誰がルワンダのために嘆き、本当にそこに生き、その結果を生きつづけているだろうか? だから、わたしが個人的に知っていたルワンダ人が何百人も、家族ともども殺害されてしまった――見飽きるほどの死体が――村がまるごと消し去られて……我々は毎日そういう情報を送りつづけ、国際社会はただ見守っていた」


(国連人権監視団の監視員の証言)

「荷物の上を歩いても、たぶん下には死体がある。でも罪悪じている暇はない。荷物は役に立たないし、その上を歩くのは命を救うためだから」

「死体の上を歩くのは生きているということだった。しばらくすると、それも人生の一部になった。死人は死人だ。それはどうしようもない。生きている人相手だって、なにほどのことができるわけでもない。水をやるくらいだ。それが唯一の薬だった。奇跡のように効いた。人混みの中に落ちて死んだような顔の子供がいる。そこに水を数滴垂らすと、まるで――あああっ」花が咲く映像を早回しで見るかのように、アレクサンドレは顔をふくらませ、いすの中で背を伸ばした。

「そこでふりむくと、次の瞬間には水をやった人たちがみんな死んでいる」

「うん」とアニック。

「死体が」アレクサンドレが言った。

「喉を槍で貫かれた男がいたんだけど、わたしは手を出さなかった。それから死ぬほど笑った。笑いがとまらなくなってしまった。わたしは怪我人の中にいて、その中でわたしはただ笑いころげてた。このわたしが! 以前は注射で気を失ったりしてた、それが今マチェーテの傷を縫っている。考えられるのはただ、包帯をこう巻くべきかしら?」――水平な軌道で手をまわした――「それともこっち?」――垂直に。

「日曜日に車で離れるときも、道路沿いに人がいっぱい、死人や怪我人が転がっていた。普段なら、もっと軽い怪我人でも、車を停めてなにかしらする。でも、ぼくらはなにもしなかった。ただ放置していた。すごく嫌な気分だった。あれが罪悪なのかどうかわからないけど、すごく嫌な気分だった」

「ヤー」とアニック。「あれはひどかった。ただ運転していった。人が多すぎた」

「人が多すぎた」とアレクサンドレ。涙が目からあふれだし、鼻をつたって、唇を潤していた。

「自分のがどう働いていたのかよくわからない。ともかくわからない。人が死んでいるのを見ると、この先にはまだまだ死体が転がっているんだろうってう。1973年にアテネで、車で道路を封鎖したら、戦車が来て車ごと押しつぶしていったことがある。11歳か12歳のときだった。いっぱい人がいた。みんな死んでいて、先に行けばもっともっとたくさん死体が転がっていた。死体が当たり前になってしまった。銃で人が殺される映画はいくらも見た。でもこれは本物の死だ。押しつぶされるのは。キベホでは、二度目の攻撃のとき、地獄のように撃ちまくってた。像もつかないような勢いで。RPAはひたすら撃ちに撃ちまくって、どこを撃ってるか見もしない。ぼくはそのとき外に立っていて、雨が降っていて、ぼくがってたのはただ、雨に濡れたくないってだけだった。銃撃のことなんか考えもしなかった。地獄のように撃ちまくってたのに。雨に濡れたくない――それしか考えていなかった」

「罪悪じなくてもいいのよ。わたしたちはたくさんの命を救った。役に立たないときだってある。なにもできないこともある」

「あのさ、RPAは――あいつらは怪我人を拾い上げて、肥溜めの中に放りこんでた。まだ生きてるのに。知ってるかい?」

「ヤー。あれはひどかった」

「ぼくは裁かれたくない」とアレクサンドレは言った。「ぼくを裁かないでくれ」


 両手両足が切り落とされていた。これはジェノサイドのあいだ、ツチ族に加えられたお定まりの拷問だった。背の高い人々(※ツチ族)を「見合った背丈に縮める」という発で、野次馬たちがまわりに集まって囃(はや)したて嘲笑し、犠牲者が身悶えしながら死んでゆくのを見て歓をおくった。


 戦うのが好きかと訊ねたことがある。「ああ、それかね。わたしはひどく悩んだよ。わたしはひどく怒っていた。正しい理由があれば、わたしは今でも戦う。いつだってだ。その点に疑問を抱いたことはない」戦いに長けていたのは確かである。軍人専門家はルウィギェマが残した烏合の衆から軍隊を作り上げた手腕、そして1994年の作戦行動を天才の技だと絶賛する。わずか数門の迫撃砲手榴弾ロケット・ランチャー、それに主としてアメリカ人の武器専門家に「ただのクズ」呼ばわりされる中古のカラシニコフ機関銃のみという火器しか持たずに戦いを完遂したことはさらに伝説を高めた。

「問題は装備ではない」とカガメは言った。「問題はつねにその背後にいる人間だ。彼は自分が戦っている理由を理解しているか?」カガメの考えでは、志堅固で規律正しく、同じ政治的理に献身する兵士たちは、つねに自分自身の権力を維持する以上の目的を持たない腐敗した政権の兵士を打ち破れる。RPFは軍隊を野外大学に変えた。戦争のあいだ、士官も配下の兵士たちも、軍事訓練だけでなく定期的に政治セミナーへの参加も義務づけられた。みなが自分の言葉で考え話すように、党の方針に従うよう命じられながらもそれを問い直し議論するように求められた。「集団責任を持つよううながしてきた」とカガメは説明する。「わたしはすべての場所で、RPFでも、政府でも、軍でも、自分の第一の責任はみなに責任を取れる力を与えることだとっている」(※カガメは32歳で野戦指揮官となった)


 何度か、(カガメと)並んで座っているとき、わたしはもう一人の有な、背が高く痩せっぽちの民主主義の戦士のことを考えていた。エイブラハム・リンカーンはかつて言った。「野と才能を持った者はもはやあらわれないだろう、というのは世界の歴史が語っていることの否定である。そして、そうした人々はあらわれるや、先人たちがやったのと同じように、支配の情熱を満たそうとするだろう……その代価が奴隷を解放することであれ、自由人を奴隷にすることであれ」


 それでもルワンダの捜査官たちは400人ばかりの主要ジェノシダレ(ジェノサイド実行者)――首謀者と主要な道具たち――のリストを作りあげた。だが全員国外に逃亡しており、ルワンダの司法の手は及ばなかった。1994年に就任した新政府は、まず最初の仕事として、国連に対して逃亡したフツ至上主義指導者を逮捕して国内で裁判にかけるための協力を求めた。国連はそれに応じるかわりにルワンダ国際刑事法廷を設置した。これは実質的には90年代はじめ、悲惨のユーゴスラヴィア内戦のために設置された国際戦犯法廷の付属品だった。「我々は逃亡した者を逮捕し、我々自身の法廷で正式に裁く手助けを求めた」とあるルワンダ外交官は言った。「だが安全保障理事会は“ユーゴスラヴィア”という文字の下に“ルワンダ”と書き加えただけだった」

 国連が協力を拒んだのはルワンダ政府にとっては侮辱だった。国連法廷の存在そのものがルワンダの司法には正しい裁定をくだすことはできないという示唆であり、ルワンダでおこなわれる裁判はまったく国際水準に達していないと前もって告げようとしているかに見えた。


 ルワンダの指手配リストの大多数はザイールとケニアに住んでいた――悪高い独裁者モブツ・セセ・セコとダニエル・アラーブ・モイの両大統領はハビャリマナと親しく、未亡人のマダム・アガートを宮殿に招いていた。モブツはハビャリマナを「弟」と呼んでいた。ハビャリマナの亡骸(なきがら)はゴマへの大量流出にまぎれて国境を越えて、モブツの私有地に建つ霊廟に葬られた。ルワンダにおける国連の訴追チームのリーダー、オノレ・ラコトマナナにザイールやケニアにいる犯罪者をどうやって起訴するつもりなのか訊いた。「引き渡しを定めた国際協定には彼らも署している」だがほぼ2年のあいだ、自身が1997年にその地位を追われるまで、ラコトマナナはザイールにたった一人の捜査官を送り込もうとすらしなかった。一方で、1995年10には、ケニアのモイ大統領は国連法廷を「無計画なプロセス」だと攻撃し、「召喚状を持った人間は誰一人ケニアに入れないし、ここにいる人々を捜査させるつもりはない。決してだ。そのような人間が来れば逮捕されるだろう。我々は頭を下げてはならない。我々を侮辱することは許されない」

 アフリカの実力者たちの互助組織となる古株同士のネットワークを眺めながら、カガメは「アフリカの兄弟からさえ裏切られたという気持ち」を吐露し、不吉なセリフを付け加えた。「あいつらに、ここで起こったことは他でも起こり得るんだと教えてやらねばならない――他の国でも起こり得るんだ――そのときには我々に泣きついてくることだろう。明日にも起こるかもしれない。それは一度起きたし、ならばもう一度起きるかもしれない」


 キチャンガに着く数日前、国境なき医師団の救援チームがモコトの修道院へ向かったが、道路は2体の焼死体でふさがれていた。両手、両足、器が切り取られ、胸が裂かれ、臓がえぐり取られていた。救援チームは死体を10体まで数えたが、その程度ではすむまいと睨(にら)んだ。少なくとも100体はあるはずだ。修道院にいるあいだ、ブッシュの中に隠れていたツチ族の負傷者たちが出てきた。首の後ろだけ覆っている裸の少年がいた。押し当てていた布が落ちてわかったが、少年は首をほとんど切り落とされかけており、脊髄と頭蓋骨が見えていた。医師に縫い合わされ、わたしが見たときには少年はキチャンガの緊急野戦病院のまわりをおそるおそる歩きまわっていた。


 さるアメリカ人外交官が説明してくれた。「ときには、主の御をなすためには悪と踊らなければならないこともある」少なくとも、この点ではフランスも同見だった。フランスはフツ至上主義者の最大の支持者でありつづけた。カガメの警告に対するフランス政府のアフリカ専門家たちの反応は、「やらせてみればいい」であった(1995年、フランスの新大統領ジャック・シラクはビアリッツで開かれたフランス語圏アフリカ諸国リーダー会議にルワンダの新大統領パストゥール・ビジムングを招かず、会議の冒頭にはみずから音頭をとってハビャリマナ大統領のい出に黙祷を捧げた――そのにおいておこなわれた虐殺の犠牲者にではなく)。


 カガメは語った。最初は「人道に対するきわめて重い罪をおかした人々」の取り扱いは「国際社会全体の責任」なのだろうと考えていた。「だがそうはならなかった。となれば考えをあらためて、もう一度戦争をするまでだ」


 数ヶ前、南キヴ州で戦闘がはじまる少し前に、カガメは二人の自軍兵士の話をしてくれた。一方の兵士は最近カガメ宛てに手紙を書いて「家族の中で生き残ったのが自分一人であり、ジェノサイドのあいだ自分の家族がどう殺されたかを知っており、だがそのことについて誰の責任も問わないことに決めた、と語っていた。そのかわりに自分の命を奪うことにした、もはや生きている味はなにも見いだせないから」手紙は兵士の自殺後に発見された。カガメの理解したところでは「彼は誰かを殺そうとっていたのだが、それをやめてかわりに自殺することにしたのだろう」もうひとつはバーで3人を殺し、2人に怪我を負わせた士官の話だった。兵士たちが男を殺そうとすると、彼は「まず自分の説明を聞いてくれ、それからなら殺されてもかまわない」と言った。そこで兵士たちは士官を逮捕し、士官は説明した。「人殺しどもがのうのうと歩きまわってるのに、誰もなにもしない。俺はもうこれ以上我慢できないから、あいつらを殺したんだ。さあ、どうとでもしてくれ」


 1994年、ルワンダにおける絶滅作戦のまっただ中、パリから武器がモブツの仲介者を介して東ザイールへ空輸され、そのまま国境を越えてジェノシダレに渡っていたとき、フランスのフランソワ・ミッテラン大統領は――〈フィガロ〉がのちに報じたところによれば――「ああした国では、ジェノサイドはそれほど重要なことではない」と述べた。その当時、そしてそれ以降の行動あるいは不行動によって、世界の他の列強も同見であることを示した。


 理屈では、コンゴでの虐殺問題を片づける一番いい方法は調査である、とカガメは認めた。「だが今きみに話したようなこうした背景があり、そこに党派性があり、国際社会の上層部にさえ政治的動機にもとづく主張があるから――我々は決して裁かれることのない裁き手を相手にしているのだ。だがそれでも彼らはひどくまちがっている。一番悪いのはそのことだ。わたしは信じられなくなった。わかるだろう、1994年からのルワンダでの経験から、わたしは国際機関にまったく信を置けなくなった。ほとんど信じられない」


 1997年のあいだずっと、そして98年のはじめまで、ほとんど毎日のように同様の残虐行為が続いた。いいときには、週にわずか1人2人殺されるだけだったが、ときどき数百人が死ぬ週もあった。


 希望という軍勢は、忠誠を誓うのはとてもたやすいが、実際に動かすのは困である。だからルワンダに希望が残されているかという問いには、もうひとつの挿話で答えさせてもらうことにしよう。1997年430日――これを書いているほぼ1年前のことである――ルワンダのテレビ局がジェノシダレ一味にいた男の告白を放送していた。彼らは二晩前にギセニィの寄宿学校を襲って17人の少女と62歳のベルギー人尼僧を殺した。この二度目の学校奇襲だった。1回目では、キブイェで16人の生徒が殺されて20人が怪我を負った。

 テレビの囚人は、この虐殺はフツ至上主義者の「解放」作戦の一貫なのだと説明した。150人の民兵団はもっぱら旧FARとインテラハムェから構成されていた。ギセニィの学校の襲撃では、キブイェが襲われたときと同じく、10代の少女ばかりの生徒たちは寝ているところを叩き起こされ、分かれるように命じられた――フツ族とツチ族に。だが生徒たちは拒んだ。どちらの学校でも、自分たちはただルワンダ人であると少女たちは言った。そのため全員が無差別に殴られ射殺された。


 最悪なのは、自分が見殺しにしていたことすら知らなかったという点だ。当時国連高等民弁務官の地位についていたのは日本人外交官緒方貞子である。彼女は日本の国連外交のチャンピオンであり、国内の政治家官僚の腐敗と無能とは一線を画した存在ではなかったのか? 100万人が死ぬあいだ彼女はなにもせず、殺害犯たちに「人道援助」をおくり、そのことを日本人は誰一人気にもとめていなかった。それはなにを味するのだろう?

(訳者あとがき)

ジェノサイドの丘〈新装版〉―ルワンダ虐殺の隠された真実

2008-08-13

『キリスト教思想への招待』田川建三


 しかしキリスト教の方は、何せ古今東西2000年にわたって、非常な広がりを持って存在してきたものである。イエスという一人の人間とはわけが違う。これだけ巨大な広がりであれば、数多くの害悪も流してきたし、うさんくさい部分、くだらない部分も大量にある。けれども他方では、現在の人類にとっても極めて貴重なものの考え方や姿勢がいろいろと伝えられている。


 このつきあいきれないじに輪をかけてくれるのが、現代のアメリカのキリスト右翼の動向である。いまだに、学校教育でまともな生物学を教えることに反対するとか、しかもその反対の仕方がいかにも愚劣で、そのくせやたらと右翼的に勢力をひろげて、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てて圧力団体を形成する。この種の宗教右翼と、ネオコンとかあだをつけられた軍国主義的政治右翼とが裏でつるんでいるとなると、ますますうさんくさい。


 海を見よ。海岸の法則によってさえぎられている。どんな木であろうと見るがよい。いかに大地の内側から生気を与えられていることか。大洋を見よ。定期的な潮によって満ちたり引いたりしている。泉を見よ。絶えることのない水脈によって安定している。川に注目してみよ。常に活発な流れで動いている。では、山々のきっちりした配置、丘のうねり、平野の広がりについてどう言うべきか。動物たちが互いに対して身を守るためのさまざまな防具の一つ一つについてはどう言おうか。あるものは角で武装し、あるものは歯で身を守り、あるものは蹄の上に立つ。あるいは刺を持ち、あるいは足の速さや翼で飛んで逃げ出す。しかし何よりも、まさに我々人間の形の美しさが制作者である神をあかししている。まっすぐな姿勢、立った顔、目は見張台の上みたいに身体の最上部に位置し、他の器官もすべて砦の中のようにうまく配置されている。(『オクタヴィウス』ミヌキウス・フェリクス)


 この人、テルトゥリアヌスと並んで、いわゆるラテン護教家の代表的人物の一人である。護教家というと聞こえが悪いかもしれないが、歴史的概としての護教家と現代の護教家はまったく関係がない。現代の護教家というのはいわば悪口のレッテルで、古くさい(ないし一見古いように見える)教義や伝統に固執し、ないし実際には自分たちの単なる精神的保守主義が知的怠慢を保持するために目上古い教義や伝統に託してしがみつき、なりふりかまわず、あらゆる屁理屈を弄して、ないし理屈も言わずにひたすら頑固に、宗教的に見えるい込みを言い張る人たちのことであるが、歴史的な味での護教家はそういうのとは関係がない。古代キリスト教史の一時代を画し、重要な貢献をなした人々のことである。


 古代人が、をふるわせて、一つ一つの収穫のたびに、この自然をたまわったことについて謝していたことを、今、我々はい出してみる必要があろう。彼らは、その自然を与えて下さった神様に謝した。我々も、同様にその神に謝しようではないか。神なんぞ存在しなくてもかまわないから。


キリスト教思想への招待

2008-08-12

ロシア大統領、停戦を決定 グルジア情勢


 インタファクス通信によると、ロシアのメドベージェフ大統領は12日、南オセチアにおける平和回復のための軍事作戦を終える決定を下したと述べた。セルジュコフ国防相らの報告を受けたあと、「作戦は目標に達した」と指摘し、「停戦」を宣言した。ただ、グルジア側から攻撃を受けた場合は反撃すると述べた。


【日本経済新聞 2008-08-12】

東京新聞が血液型で政治家を占う愚挙


 東京新聞がオカルト全開。今度から「東凶新聞」と乗ったらどうだい? 同一企である中日新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井も同様。せっかくなんで、全文転載しておこう。1ヶ所でも「ヘエ」とった人は、教学をやり直すべきだ。


【政治】理研究家・御瀧政子さん/Q.福田さんは典型的なA型?


 夏休み真っ盛りの時期です。今回は少し軟らかく政治を考えてみようと、血液型を取り上げてみました。福田康夫首相はA型、小沢一郎・民主党代表はB型です。理研究家の御瀧政子さんと一緒に、血液型で二大政党のトップの格や行動を分析してみました。〈記者・清水孝幸〉


清水●血液型の話が流行(はや)っていますね。まずそれぞれの特徴から。


御瀧●最初にできたのはO型だといわれています。私は「狩猟民族」がルーツだとみています。獲物を追い続けるのに必要な、行動的でパワフルな気質が持ち味です。

 A型は「農耕民族」。農耕には、毎日欠かさず水をやったり、雑草を取ったり、地道な作が必要です。周囲の人との協力も必要なので、多少、気に入らない相手とでも我慢して付き合っていきます。

 B型は「遊牧民族」。環境の変化に応じるために、自由な発力と、必要なら単独行動もいとわない個人主義的な考え方が発達しています。

 AB型は分類がうまくできないのが特徴。どの文化にも客観的に適応できる天才タイプです。


清水●「慎重居士」の異を持ち「石橋を叩(たた)いても渡らない」といわれる福田さんは、やはり典型的なA型ですか。


御瀧●典型的どころかその傾向に拍車がかかっていますよね。A型は農耕民族ですから、天候ひとつを読み誤っても収穫がなくなってしまうので慎重。何事もなかなか決められない。福田さんは長男ですよね。冒険は絶対にしない長男気質もじます。今後も全く新しいことはやらず、保身だけに走るといますよ。


清水●福田さんはみんなの見を聞いて、まとめる調整型ともいわれますが。


御瀧●血液型別にどんな職種が向いているか説明するときに、O型はリーダーで、A型は補佐役だといいます。A型はまとめ上手で、人の見をよく聞きますが、その半面、聞き過ぎてリーダーシップを発揮できない部分があります。福田さんもそんなじでは。

 なぜ、人の見を聞くかというと、責任を取りたくないから。人の見を聞いていれば、何か問題が起こったとき、だれだれが言ったじゃないかと言い訳できます。長男気質の福田さんは自分がいい子でありたいので、自分で決断したことが失敗し、責任を取ることをしたくないんですよ。


清水●軸足の定まらない経済政策はそういうじですね。小沢さんのB型はどうですか。「剛腕」とか「原理主義者」といわれますが。


御瀧●遊牧民族は風や空や草を見て、どう行動するか判断します。福田さんみたいに優柔不断だったら、全員が飢え死にしちゃいます。ですから、いつも自分で決断し、自分で進めていく。B型は独断、即決、行動的。その分、他人の見は聞かないことがあるから、剛腕といわれます。

 B型もリーダーの資質はありますが、O型のようにまとめ上手ではありません。だから、早とちりしたり、唐突な行動に出たりします。昨年、小沢さんは自民党と大連立しようとして、党内で猛反対されて断しましたよね。B型ではありがちなことです。


清水●民主党は、B型の小沢さんをO型の菅直人代表代行と鳩山由紀夫幹事長が支えています。相はどうですか。


御瀧●この組み合わせだと、B型が孤立しやすいです。仲良くやっているように見えますが、内実はどうか……。3人ともお山の大将で、けん制し合っているから、誰かが突出することがないだけではないでしょうか。


清水●鳩山さんも菅さんも、小沢さんが民主党に合流するまで、散々、煮え湯を飲まされてきましたからね。ところで、小沢さんは最近、剛腕というより、選挙対策の全国行脚など地道な行動が目立ちますが。


御瀧●B型は行動力のある割に、とてもデリケートで、失敗すると傷つき、反省するんです。小沢さんが大連立に失敗して辞表明したのも、安倍晋三前首相が政権を投げ出したのも、B型らしいといました。


清水●首相にふさわしい血液型は。福田さんのA型と小沢さんのB型なら、どちらが首相向き?


御瀧●歴代首相を見ると、やはりリーダータイプのO型が多いですよ。A型かB型といわれれば、日本人の4割はA型ですから、国民の気持ちが分かるA型の首相の方が有利でしょう。

 B型は少数派なので、B型の首相は浮いた存在になる可能があります。安倍さんが「美しい国」って言っても、国民は醒(さ)めてましたよね。ただ、日本も即断、即決のリーダーが必要な社会になれば、B型の首相が求められるようになるかもしれません。


みたき・まさこ/東京都生まれ。理研究家。作家。ヒーリング・クリエーター。フジテレビ系情報番組「とくダネ!」の「きょうの占い!血液型選手権」を監修。著書に「『だから、B型だ』って言うな!」「『やっぱ、A型だ』って言うな!」「『ほらっ、O型だ』って言うな!」「恋のメソッド」「の本」など多数。


【東京新聞 2008-08-12】


 大体ね、血液型占いを採用しているのは日本のテレビ局だけ。そもそも、人間の格を4種類で分類できると考えること自体がおかしい。何が理研究家だよ。ただの占い師じゃねえか(笑)。


 人間を四つの型にはめ込む考が、物事をどんどん単純化してはばからない。海洋民族は血液型から完全に無視されているようだ。噴飯物の記事ではあるが、大事なことはオカルトまがいの血液型占いで、新聞社が首相の行く末を占うほど、福田政権が落ちぶれてきたことだろう。


血液型占い関連リンク

2008-08-11

2008-08-10

「11月23日総選挙説」が急浮上


 内閣改造が終わって、永田町の関は「選挙がいつか」に絞られつつある。「年内選挙」説だった自民党の古賀誠選挙対策委員長が突然、「任期満了」とか言い出したが、公明党幹部は「年内、それもなるべく早い時期に」とか言う。

 そんな中、麻生幹事長は5日、「解散の時期に関する発言を慎むように」と通達した。わざわざ火消しに回るところがますます怪しいが、ここにきて急浮上しているのが1123日選挙説だ。

「この日は大安だし、勤労謝の日で、3連休の真ん中になる。行楽日和になれば、選挙への関は薄れる。投票率を下げたい自公が考えそうな日程です」(関係者)

 1123日説の根拠はもうひとつある。4日に福田首相と会談し、総合経済対策の指示を受けた与謝野経財相が「お盆前にもきちんとした骨格を作る向」を言い出したことだ。お盆前といえば、今週中だ。そういえば、二階経産相も「積極的な対策を夏休み返上してでもお願いしたい」と述べた。

 猛烈な勢いで、景気対策が前倒しで具体化しつつあるのである。

「こんなに急ぐ理由はひとつしかない。改造後、間髪入れずに大型景気対策をぶち上げ、9には臨時国会を召集、直ちに補正予算を仕上げてしまう。その勢いで内閣支持率を5割近くまで上げて、直ちに解散・総選挙というシナリオです。この間、民主党はひとつもニュースを出せませんよ。代表に小沢氏が無風再選するのであれば、なおさら、話題は乏しくなる。一方、与党は連日、景気対策をアピールできる強みがあるのです」(自民党経済閣僚関係者)


これなら公明党も文句なし


 11選挙であれば、公明党も文句なし。民主党や国民新党がもくろむ矢野絢也元委員長の喚問も阻止できる。もちろん、テロ特措法の延長問題も選挙後に先送りできる。

「11ならば、インチキ景気対策がバレる配もない。景気対策といっても、世界経済の混乱が要因だから、根本的な解決策はない。原油高対応の資金支援や中小企資金繰りのための政府系金融機関の融資増額が関の山。カンフル剤みたいなものだから、切れしないうちに選挙をやる必要があるのです」(永田町関係者)

 姑な自公が考えそうなことだが、それでも自公が勝てる見込みはあまりない。


【日刊ゲンダイ 2008-08-07

庶民を見下す学歴至上主義は本末転倒


 先生は、こうも述べておられた。

「日本の教育の普及は、明治以降、急速に進んだ。

 戦後、大学も増大した。しかし、それが人間の幸せに本当にはつながっていない。

 大学生の数は増えても、人格も、智も、見識も乏しい人間が増え、学歴自体が目的になってしまった」

 本当に鋭い先生であられた。

 学歴史上主義は、人間を狂わせてしまう。

「いい大学を出たから、私は偉い」。そうやって庶民を見下すような人間を生み出すだけならば、何のための教育か、わからない。

 大学は、大学に行けなかった人たちのためにある――私は、この信でやってきた。庶民に尽くす指導者を育てるのが、真実の大学教育なのである。


創価大学創価学園合同研修会 2008-08-05 学会本部】


 創大生に対する破折だ。今は師匠がうるさく言ってくれるから、まだブレーキがかかっているといってよい。しかし、注する人がいなくなれば、釈尊滅後の二乗のような存在となりかねない危険をはらんでいる。


 具体的に書いておきたいことは山ほどあるが、私は慎ましい格なので控えておこう。ただ一つ本質的なことは、創大と信は何も関係ないということだ。もちろん、学歴と信も同様である。


 学会の人事学歴が考慮されるようになったのは、公明党が結成されてからのことである。

 しかしながら、人材育成に関する指導は一貫していて、大きくぶれることはなかった。

 気づいていない人も多いだろうが、聖教新聞紙上では既に学歴を紹介していない。原田会長が就任した時でさえ学歴は書かれていなかった。


 学歴よりも信があるかどうかである。頭の良し悪しよりも、現実に戦っているかどうかである。エリート識はあって構わない。だが、「誇り」となるか「慢」と現れるかは紙一重だ。創大生は絶対にい上がるな。21世紀の僧侶となる覚悟で身を慎み、民に仕える一生を選べ。

孫文「害を除くのは急がねばならぬ」


 中国革命の父・孫文(そんぶん)は、国を衰亡させる愚行を呵責(かしゃく)し、「害を除くのはとくに急がなければならぬ(伊藤秀一訳「理建設」、『孫文選集 第2巻』所収、社会社)と訴えた。

 戸田先生も、まったく同じいであった。

 悪は早く見抜け! 悪は早く追い出せ!──と。

 絶対に「後回し」にしてはならない。

 広宣流布を妨げる動きは、断じて排するのだ。隙を見せてはならない。

 悪が威張り、増長すればするほど、学会が行き詰まってしまうからだ。

 ウズベキスタンの大詩人ナワイーは巧みに綴っている。

「毎日毎日、私利私欲の網ばかり編んでいる人は、最後には、自分が、その網にかかってしまうだろう」と。

 また、インドの非暴力の闘士ガンジーは「堅固さと勇敢さは、敵対者にも深い印象を与えないではいないものです」(田中敏雄訳注『南アフリカでのサッティヤーグラハの歴史 2 非暴力不服従運動の展開』平凡社)と述べている。

 諸君は生き生きと、民衆の中で光る大指導者になっていただきたい。強い信をもって、堂々たる姿で、悠然と生き抜くのだ。


【青年部代表研修会 2008-08-01 学会本部】


 厳しき指導を拝すたびに、私は焦燥の虜(とりこ)となる。果たして悪を見抜ける幹部がどれだけいることか。善でも悪でもない中途半端なサラリーマンみたいな連中が殆どだ。破折精神など組織のどこを探しても見つからない。注や指摘すらなくなってしまった。結局のところ、幹部に対する求力の低迷が組織の弱体化につながっている。


 恐ろしいのは、こうした指導が単なる“精神論”として受け止められ、「現実は違うんだよなあ」とあきらめてしまう姿勢だ。既に小悪人は掃いて捨てるほど存在する。一旦任命してしまうと、一定期間は変えるわけにいかないという幹部の都合がまかり通っている。降格人事・役職解任となると、任命者の責任問題ともなりかねない。


 適当な正義を叫んでいる奴等は山ほどいるが、しむ会員のを傾ける者は少ない。悪を見抜いたところで、ケリをつけることができる人はもっと少ない。悪い幹部を糾弾したのはいいけれど、とばっちりを受けて尻尾を巻いてしまう者が大半だろう。


 組織の抱える問題が象徴しているのは、「序列によって炙(あぶ)り出された人のの恐ろしさ」である。大体のケースが、無責任な幹部の不作為によって放置されている。悪と戦っていない幹部の言葉は、吹けば飛ぶように軽い。あまりの軽さで空の彼方に消えてしまう。


 純粋なまでの正義は、絶対に悪を許さない。なぜなら、悪を容認すれば、自分自身が悪に染まってしまうことを知悉(ちしつ)しているからだ。

2008-08-09

河野澄子さん死去:義行さん「妻にありがとう」――松本サリン事件被害者/長野

取り乱すことなく


「限りあるエネルギーをより有義なことに使いたい」――。本サリン事件被害者の河野義行さん(58)が献身的に看病を続けてきた妻澄子さん(60)が亡くなった5日。自宅前で会見した義行さんは「妻にありがとうと言いたい。支えてくれたたくさんの人たちにもありがとうと伝えたい」と愛妻への謝を語った。


 記者団の取材に応じた義行さんは「この日」を覚悟してか、取り乱すことなく淡々と質問に答えた。


 義行さんは今年6本サリン事件が起きた日に合わせて5冊目の著書「命あるかぎり 本サリン事件を超えて」(第三文明社)を上梓(じょうし)した。識が戻らないまま還暦を迎えた妻に謝の気持ちを改めて伝えるためだった。同書には「家族を支えているのはあなた(妻)だよ。子供や世の中の人もあなたの存在に励まされているんだよ」と記した。


 義行さんは14年にわたった闘病生活について「識を回復する闘いだった。そして(ようやく)自由に動ける日となった」としみじみと語った。


 この日は、県警幹部らが弔問に訪れた他、オウム真理教(アレフに改称)元代表で新団体「ひかりの輪」の上祐史浩代表(45)が、本市の河野さん宅を訪ねた。義行さんは「元オウム真理教信者らに恨むという考えはない」と語った。


家族の時間


「やっと帰れたね」。5日本市内の自宅に迎え入れた妻澄子さんの亡きがらに、河野義行さんは優しく語りかけた。14年の寝たきり生活を経て「やっと自由になった」と河野さん。「やっと」という言葉の重みに圧倒された。


 先、河野さんに「交流する元オウム真理教信者に会わせてほしい」と頼んだ。澄子さんを見舞いたいともった。「彼、今度来ますよ。一緒に飲みましょう」と応じてくれたが、実現しなかった。


 澄子さんが帰宅し、家族の時間が再び始まった。家には、バッハのミサ曲が重く響いている。


自戒


「憎しみよりも、妻をう気持ちにしたい」。河野義行さん(58)がこう語った言葉が忘れられない。本サリン事件の容疑者扱いされた精神的痛は計り知れない。それでも「限りある時間を無駄にしたくない」と、常に前を向き続けた。


 その忍耐力で、報道は大きな教訓を得た。刻一刻と変化する情報を追う新聞記者には発信の迅速さが求められる。一方で、裏付けなど慎重な報道の重要を改めて強く認識することができた。


 事件から14年たった今こそ、当時の教訓を風化させず、しっかりと胸に刻もうと自戒した。


【毎日新聞 長野版 2008-08-06】


命あるかぎり―松本サリン事件を超えて

露・グルジア 全面戦争の危機 南オセチア被害拡大


 グルジアによる同国北部の親ロシア分離派地域、南オセチア自治州への大規模攻撃に対し、ロシアが8日、現地に戦車部隊を増派するなど介入に乗り出した。2004年にグルジアで親欧米のサーカシビリ政権が誕生して以降、悪化の一途をたどっていた両国関係が戦争状態に突入し、「ロシアの火薬庫」とも呼ばれるカフカス地方全体の情勢が急激に緊迫化する危険が高まっている。

 サーカシビリ大統領が明らかにしたところでは、ロシア軍の戦車など150両が自治州に侵入、さらにロシア軍機がグルジア領空を侵犯して居住区域を攻撃している。大統領は米CNNテレビに「ロシアは我々の領土で戦争を行っている」との認識を示した。

 南オセチアの大統領を自称するココイティ氏は、グルジア軍による戦車やロケット砲、空爆で数百人の犠牲者が出たとしている。ロシアが同自治州に展開する「平和維持部隊」では10人が死亡、30人以上の負傷者が出ているといい、ロシアは「自国民保護」を目に報復に出た形だ。

 グルジア領内の親露分離派地域であるアブハジア自治共和国と南オセチア自治州は、今年2のコソボ独立宣言に触発されて独立を求める動きを加速。ロシアはグルジアの北大西洋条約機構(NATO)入りを阻止すべくこれら地域への支援を強め、両国関係は冷却の度を深めていた。サーカシビリ大統領は、両地域の支配回復を公約に掲げ、広範な自治権付与を軸とする交渉を訴えていた。グルジア側は南オセチア攻撃について、国際的な関を集めるべく北京五輪の開催時期に合わせたとする見方もある。


【産経新聞 2008-08-09】

2008-08-08

岡田英弘


 岡田英弘の『世界史の誕生』を、平和提言に採用すべきだとう。「世界史はモンゴルのチンギス・ハーンに始まる」との卓見は、日蓮大聖人の出現と規を一にしていて興味深い。その味からいえば、大聖人は教の“世界史化”を行ったと見ることもできよう。

人材の城を築く


“人材のを築く”とは、御本尊を持(たも)ち、人間革命しきった社会の指導者、すなわち妙法の将をキラ星のごとく輩出することだ。人材のは、万事を成就させゆく出発であり、終点でもある。勇気だけで智がなくては蛮勇になってしまう。智だけで実践力がなければ、観的な実証のないカラ回りとなってしまう。結局、智勇兼備でなくては真の人材とはいえない。

 信を貫いてゆけば必ず人材になれると、否、人材なりと確信して前進してゆくことである。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 人材というものは実に不議で、誰かが育ち始めると次々に育つものだ。人と人との触発が連鎖反応となるのだろう。要は、“最初の一人”をどう育て上げるかが問われる。


 人材がいるかいないかではなく、「育てる人」がいるかいないかである。ニンジンだって、私が料理するのと、一流シェフが料理をするのとでは大きく異なる。素材の力を引き出す調理法と組み合わせが大事。


 人材育成しく考えることはない。色んなところを突っついてみりゃいいんだよ。で、相手の反応を待つ。この「待つ」行為がポイント。今時ときたら、幹部という幹部が締め切りに追われているから、待てないんだよなー(笑)。でね、突っつくところがなくなったら、足の裏か脇の下でもくすぐってやればいいよ。必ず笑うから。

 人を育てることは自分を育てることに通じる。若いメンバーは、ちょっとしたきっかけで驚くほど成長するものだ。


 今の青年部が可哀なのは、夏期講習会や文化祭に匹敵する舞台がないことだ。夏期講習会なんか、参加しただけで仮面ライダー並みに“変身”するメンバーたくさんいた。「伝統の夏」は「人材育成の夏」であった。


 真夏の太陽を浴びて、蝉が賑やかに鳴いている。お互いに“脱皮”の夏としよう。

『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠


 ちなみに「脳の大型化」は第2章で見るが、約240万年前以降のことだ。「複雑な言語の使用」は、化石からは読みとりにくいが、最新の証拠によると7万5000年前ごろには獲得していたらしい。


 アフリカの外に人類が進出するのは約180万年前以降のことだ。人類は誕生してから500万年間、アフリカで生きていた。


 文化人類学者が世界中の849の文化の夫婦関係を調べたところ、83%に当たる708の社会が一夫多妻の制度を持っていた。一夫一婦制はわずか16%の137ほどだった。ちなみに一婦多夫も四つの社会にはあった。


 進化は目的を持って進むのではなく、遺伝子に起きる偶然の変異、それがもたらす体や行動の変化がそもそもの始まりだ。生物は目標を持って、何かをする「ために」進化するわけではない。「ある遺伝子の変異で獲得した質が、そうでない個体よりも優位だった(つまり繁殖に成功した)かどうか」が問題だ。


 地球の生命の歴史40億年を1年のカレンダーに見立ててみよう。そうすると、人類が誕生した700万年前は、1231日午前8時30分ごろになる。大晦日の、1年のやり残したことにいを馳せるころ、ようやく人類は生まれたことになる。

 その一歩手前はどうだろうか。人類に最も近縁なチンパンジーやゴリラなどを含む類人猿が誕生するのは、約3000万〜2500万年前だ。これは、1229日の午前7時ごろだ。

 さらにさかのぼってみる。一般的にサルと呼ばれる霊長類が繁栄するのは、約6500万年前以降のこと。カレンダーをめくると、1226日午前2時の少し前だ。サルが生まれるのは、仕事納めを直前に控え、深夜を通り越した未明の残をしているころだ。


 現生人類の脳は体重のわずか2%を占めるに過ぎないのに、その消費エネルギーは全体の20〜25%に及ぶ。安定して栄養を取り続けないと大きな脳を維持できない。現生人類ほどの大きな脳を持たない原人でも、消費エネルギーは全体の17%になるという試算がある。脳を働かせるためのエネルギーは、ほかの霊長類では8〜10%、哺乳類では3〜5%ほどだ。


 大きな脳を支えたエネルギーは、高カロリーで栄養に富んだ食糧と考えられる。

 それは肉だ。100グラム当たりのカロリーを比較すると、肉は200キロカロリーだが、果実は50〜100キロカロリー、葉にいたっては10〜20キロカロリーしかない(『日経サイエンス』2003年3号より)。


 第一線の研究者が秀才カンジ君に教えてもダメだったことなどから、多くの研究者は、チンパンジーは石をハンマーとして使って木の実を割ることはできても、鋭い切れ味を持つ石器を作り出すことはできないだろうと考えている。目標とする石器の形をい浮かべ、それを作り出すためにどのような角度で石を打ち合わせるべきなのか、といった像力が及ばないのかもしれない。


 進化したばかりの原人は、肉食獣が食べ残した死肉を集めていたと考えられている。原人は長距離を走り抜くことでハイエナよりも早く獲物にたどり着けるようになったのかもしれない。おかげで、人類はアフリカの草原で優位に立てたという。

「長距離走こそが、人類進化の原動力であった」

 そんな可能が浮かび上がってくる。


 夜の闇をたいまつで照らし、活動時間が長くなったかもしれない。火を使うことでコミュニケーションが活発になったともいわれる。囲炉裏ばたに人が集まり、世間話に花を咲かせるようなものだ。当時の人類は現代人のような複雑な言語を話せなかったとされているが、みんなが暖を求めて集まってくれば、それまでにはなかった互いのコミュニケーションが促された可能がある。


 北イラクのシャニダール洞窟で発掘された化石はネアンデルタール人(※約20万〜3万年前)のイメージを大きく変えた。見つかった大人の化石は、生まれつき右腕が萎縮する病気にかかっていたことを示していた。研究者は、右腕が不自由なまま比較的高齢(35〜40歳)まで生きていられたのは、仲間に助けてもらっていたからだと考えた。そこには助け合い、介護の始まりが見て取れたのだ。「野蛮人」というレッテルを張り替えるには格好の素材だった。


 さらに時代をさかのぼる約2万3000年前に、麦をすりつぶしてパンを焼いていたこともわかってきた。


 チンパンジーなど類人猿の染色体は24対だが、人間は23対。人類は、進化の過程で類人猿の2本の染色体が一つになって2番染色体(23対のうち2番目に大きい染色体)になったので一対少ない。700万年の人類進化のなかで、いつ染色体の数が減ったのかはわかっていない。

 染色体の数が違うとはいえ、塩基の数は人間もチンパンジーも約30億個で、ほぼ変わりない。両者の間の遺伝情報(塩基)の違いは約1.23%に過ぎない。


 やっかいなシラミなのだが、人類史を研究するうえでありがたい特徴も持っている。それぞれのシラミの種が、ほぼ決まった寄生先を持つことだ。例えば、人類に寄生するシラミはチンパンジーなどほかの動物には寄生せず、逆に、ほかの動物の寄生するシラミは人類に寄生していないらしい。

 人類とチンパンジーが枝分かれする前、共通の祖先として暮らしていた時代、ある一種類のシラミがこの共通祖先に寄生していた。人類とチンパンジーがそれぞれに枝分かれして独自の道を歩み始めると、それに歩調を合わせるように、シラミも人類にだけ寄生するものと、チンパンジーにだけ寄生するものに分かれたようだ。


 マスメディアが発達した今日であれば文化の共有を語るのはやさしいが、それまではいかにして文化を共有していたのか。

 これを説明するモデルが二つある。一つは人間が移動することによって文化が広がったとする考え方。もう一つはバケツリレーのように人間は動かなくても少しずつ文化が伝わっていったとする考えだ。

人類進化の700万年―書き換えられる「ヒトの起源」 (講談社現代新書)

2008-08-07

『戦後青春 食わず嫌いのスーパースター』岡庭昇


 いかにも戦後らしく、転形期の民衆運動が数多く派生した。わたしなどが一時期加盟した「新日本文学」もそのひとつだった。だがついに半世紀の後から見て、戦後一貫して活動を持続する自前の運動は創価学会だけだといっても過言ではない。


 わたしは当時(※1970年代)、左翼誌の代表的な一つである同誌(※「現代の眼」)の常連執筆者だった。同誌で「週刊誌時評」を連載していたとき、週刊誌各誌にあまりにも「創価学会叩き」が多いのであきれた。いったいどういう事実を指して「批判」しているのか検討しようとしたが、これだけ登場しているのに証拠が分からない。その結論に誰が責任を持つのか。肝のことが不明なものばかりで、驚きかつあきれる他はなかったのである。その上、判で捺したように、結論は「ともかく否定」なのだ。いかに論拠が不明でも、創価学会はとにかく悪いのである。


 杉浦(明平)は言った。ついこないだまでは人前で見を述べるなど及びもつかなかった庶民が、創価学会に入ると堂々と主張するようになる、そのことに何よりも刮目(かつもく)した、と。


 公明党は、自民党のコバンザメになりたがっているわけではない、と断言し得るか。反面ではこれは、創価学会は好きだが公明党はぞっとしないとわたしのようにいっても、ひどく軽薄になるのかも知れないという危惧につながる。その上でいうのだが、あるいはこれは、学会がさしかかった隘路として、いま迫られている課題かも知れないのだ。


 もともとがわたしのこの著書は、型破りの文芸評論家によってゲリラ的に捉え返された「キッチュとしての戦後史」を目指しているので、非論理的ごった煮は了解いただきたい。もともとこの本の最初に置きたかったのは次の一行である。

 何よりも池田大作とは、一個の祈る身体であった。


 池田をどう見るかではない。池田から見る、そのとき世界はどう転換するか。この像力の転換こそが、広く市民社会に要請されているものだ。


戦後青春―食わず嫌いのスーパースター

2008-08-06

お世話になったB長さんが逝去


 先ほど知らされた。無。奥さんも長期にわたって入院しているとのことで、既に識はない模様。東京の下町に引っ越した時からお世話になった夫妻で、私はオジサン、オバサンと呼んでいた。


 男子部の本部長をしていた時、ブロック座談会に招かれたことがあった。私が所属するブロックであり、「このブロック出身であることを私は忘れたことがない。本部内で一番いいブロックである」と語った。その時、オジサンは両手を挙げて「ワーイ」とを出して喜んでいた。子さんよりも若い私に対して、いつも敬語を崩さなかった。家では常にオバサンからいじめられていた。


 謙虚真面目、温厚篤実な人柄は誰からも愛されていた。普段から背筋をきちっと伸ばしていた姿が忘れられない。あの柔和な瞳を再び見ることができなくなるとは……。謹んでご冥福を祈る。

世界史とはモンゴル帝国以後の時代


 ヘーロドトスと『旧約聖書』、「ヨハネの黙示録」に由来する地中海=西ヨーロッパ型の歴史の枠組みと、『史記』と『資治通鑑』に由来する中国型の歴史の枠組みをともに乗り越えて、単なる東洋史と西洋史のごちゃ混ぜでない、首尾一貫した世界史を叙述しようとするならば、とるべき道は一つしかない。文明の内的な、自律的な発展などという幻を捨てて、歴史のある文明を創り出し変形してきた、中央ユーラシア草原からの外的な力に注目し、それを軸として歴史を叙述することである。この枠組みでは、13世紀のモンゴル帝国の成立までの時代は、世界史以前の時代として、各文明をそれぞれ独立に扱い、モンゴル帝国以後だけを世界史の時代として、単一の世界を扱うことになる。


【『世界史の誕生岡田英弘

中央ユーラシアから世界史は始まる


 ここに、地中海型の歴史と中国型の歴史、東洋史と西洋史の矛盾を解決し、単一の世界史に到達する道のヒントがある。それは、中央ユーラシアの草原の道である。


【『世界史の誕生岡田英弘

モンゴル帝国が中国文明と地中海文明を結びつけた


 歴史は文化であり、それを産み出した文明がおおう地域によって、通用範囲が決まるものである。歴史を持つ二大文明である地中海=ヨーロッパ文明と中国文明は、それぞれ前5世紀と前2世紀末に固有の歴史を産み出してから、12世紀に至るまで、それぞれの地域でそれぞれの枠組みを持った歴史を書き続けていた。それが13世紀のモンゴル帝国の出現によって、中国文明はモンゴル文明に呑み込まれてしまい、そのモンゴル文明は西に広がって、地中海=ヨーロッパ文明と直結することになった。これによって、二つの歴史文化は初めて接触し、全ユーラシア大陸をおおう世界史が初めて可能になったのである。


【『世界史の誕生岡田英弘

マルクス主義者に都合が悪い中国史


 ヨーロッパ式の時代区分が中国では成立しないということは、日本のマルクス主義の歴史学者にとって何とも都合の悪いことであった。歴史が時代ごとの段階を踏んで一定の方向に「発展」するのでなければ、最終段階の共産主義社会に到達する見通しは立たないわけである。歴史は善悪二つの勢力の闘争であり、それには一定の「発展」の方向があり、最終段階で善の勢力が勝利して世界が静止し、歴史が終わる、というは、ペルシアのザラトゥシュトラ教で最初に現れたもので、マルクス主義の空もその系列に属する。このでは、社会の発展段階に基づく時代区分は、ほとんど歴史学の窮極の目的で、それさえできれば共産主義社会がいつ到来するかも予言できることになっていた。そのため中国史で発展段階による時代区分ができないという実情に絶望したマルクス主義の歴史学者は、中国の社会には発展がない、停滞が際限なく続いていると言い出す始末であった。

 こうした混乱はすべて、地中海型の歴史観を普遍的な歴史観といこんで、それによって中国型の歴史を割り切ろうという、気の毒な日本の東洋史学者たちの空しい努力が産んだものであった。


【『世界史の誕生岡田英弘

ロシアと中国にはモンゴル帝国支配の後遺症が


 ロシア人と中国人は、いずれも中央ユーラシアの草原の道の両端に接続する地域に住んでいる。そのため両国民とも、国民形成以前から繰り返し繰り返し、草原の遊牧民の侵入と支配を受けて、その深刻な影響の結果、現在の姿を取った。長い長い間、ロシアでも中国でも、支配階級は外来者であり、ロシア人とか中国人とかいうのは、被支配階級の総称に過ぎなかった。そのためロシア人にも中国人にも、無責任・無秩序を好むアナーキックな格が濃厚であり、強権をもって抑圧されなければ秩序を守ろうとはしない。こうした格は、個人の自発と責任観を前提とする資本主義には向いていない。これもモンゴル帝国の支配の後遺症である。

 1206年のチンギス・ハーン即位に始まったモンゴル帝国は、現代の世界にさまざまの大きな遺産を残している。実にモンゴル帝国は、世界を創ったのである。


【『世界史の誕生岡田英弘

海洋国家が栄える


 20世紀末の現在では、世界の三大勢力はアメリカ合衆国であり、日本であり、ドイツを筆頭とするECである。これらはすべて、本質的には海洋国家である。アメリカ合衆国は大陸国家のように見えるが、実はその文明は大西洋岸と太平洋岸に集中していて、中間は空白である。その世界制覇の力の根源は、圧倒的に強大な海軍力にある。日本が海洋国家であることはいうまでもなく、第二次世界大戦の後の日本の経済的成功は、資源の輸入と製品の輸出に、海運を利用したことに原因があった。西ヨーロッパでも、大西洋への出口が広い順に、まず英国、次にフランス、次にドイツという順番で工化に成功していて、この3国がECの中核を成している。

 注目すべきことは、アメリカ合衆国も、日本も、ECも、かつてのモンゴル帝国の支配圏の外側で成長してきた勢力であり、一様に資本主義で成功している事実である。


【『世界史の誕生岡田英弘

大陸帝国と海洋帝国


 モンゴル帝国の弱点は、それが大陸帝国であることにあった。陸上輸送のコストは、水上輸送に比べてはるかに大きく、その差は遠距離になればなるほど大きくなる。その点、海洋帝国は、港を要所要所に確保するだけで、陸軍に比べて小さな海軍力で航路の制海権を維持し、大量の物資を低いコストで短時間に輸送して、貿易を営んで大きな利益を上げることが出来る。これがモンゴル帝国の外側に残った諸国によって、いわゆる大航海時代が始まる原因であった。


【『世界史の誕生岡田英弘

民族という観念は19世紀に生まれた


 民族という観は、19世紀に発生した、ごく新しいものである。現在の世界で通用している国家の観自体も新しいもので、古くは国家に当たるものは、君主の財産の観であった。フランス革命で初めて、領地・領民から君主を抜きにした「国家」の観がはっきりした形を取り、その核であった君主の代わりとして、「市民」(シトロワイヤン)が国家の主権者であるというが誕生した。目に見えた人格を持つ個人である君主と違って、この市民というものはつかまえどころがなく、誰が市民で誰が市民でないかもはっきりしない。それで「市民」に代わって、一つの国土、一つの国語を共有する「国民」(ネーション)が構成する「国民国家」(ネーション・ステート)だけが本物の国家であるという(国民主義、ナショナリズム)が出て来て、フランス革命以前の君主の領地・領民も、実はすでに国民国家であったかのごとく解釈されるようになった。

 そうなると、必然的に、国民国家を作りたいけれどもまだ作れないという人々の集団が現れる。それを日本語で民族というが、この言葉は20世紀初めの日露戦争のあとで生まれた日本人の造語で、ヨーロッパ語にはそれに相当する言葉がない。現代中国語の「民族」(ミンズー)は、日本語からの借用である。


【『世界史の誕生岡田英弘

ロシアもモンゴル帝国の継承国家


 ロシアも、モンゴル帝国の継承国家である。これは、東スラヴ人とフィン人を、スカンディナヴィアから来たルーシが支配して作った国である。しかしルーシには統一がなく、リューリク家の公たちがばらばらに、それぞれの都市を支配していて、1237年のモンゴル軍の侵入を迎えた。これ以後、ルーシは黄金のオルドのハーンたちに臣従して、いわゆる「タタルの軛(くびき)」の時代が500年間も続くことになった。「タタル」とはロシア語で、トルコ語を話すイスラム教徒のモンゴル人を指した言葉である。


【『世界史の誕生岡田英弘

ローマは帝国ではなかった


 そういうわけで、ローマ「帝国」とローマ「皇帝」はどちらも誤訳で、明治時代の日本人が、中国史の知識をあてはめて西洋史を理解しようとしたの産物ではあるが、こうした誤訳は、現在に至るまで、日本人の世界史の理解を誤るという、悪い影響を残している。


【『世界史の誕生岡田英弘

遊牧民は自由で気位が高い


 遊牧生活はこうした質のものなので、一箇所に人口が集中すると、草の量が足りなくなって、生活を支えるのに十分な数の家畜が飼えない。そのため一緒に遊牧するのは、せいぜい数家族どまりである。言い換えれば、遊牧民が暮らしていくためには、大きな組織や社会の統合は必要がない。家畜だけあればいいのである。だから独立経営の遊牧民は自由で気位が高く、農耕民が共同作の植え付けや灌漑や取入れのために、組織への屈従に甘んじなければならないのとは、大違いである。


【『世界史の誕生岡田英弘

2008-08-05

インド系言語はアーリア人によるもの


 西の方でヨーロッパに入るのとほぼ同時に、南の方でも、インド・ヨーロッパ語を話すアーリア人が、イラン高原から南下して、インド亜大陸の北部に入り、ドラヴィダ語を話していたインダス文明のハラッパーやモヘーンジョ・ダロなどの都市を滅亡させた。このアーリア人の言語が、のちのヴェーダ語やサンスクリット語など、インド系の言語の祖先になった。


【『世界史の誕生岡田英弘

元号は君主が時間の支配者であることを示す


 この「正統」の観のもう一つの表れは、時間の数え方である。君主の在位年数を基準にして年を付ける紀年法では、即位の年(即位称元)、もしくはその翌年(踰〈ゆ〉年称元)を元年とするが、これは君主が時間の支配者であることを示す。初めは一代に元年は一つであったが、漢の文帝の時、前164年に太陽が子午線を一日に二度通過する(日再中)という現象があったといって、翌年をもって第二の元年(改元)とした。次の景帝も二回改元をしているが、さらに次の武帝は6年ごとに改元を繰り返したあげく、前110年の封禅を機会に新しい元年を元封元年とした。これが元号の始まりである。これ以後、皇帝の元号を使わない者は、皇帝が時間を支配する権利を認めない者であるから、皇帝に敵対する反逆者ということになる。後世、日本の遣唐使が決して国書を持って行かなかったのは、国書には日付が要る。日付を唐の年号で記載すれば、日本の天皇が皇帝の臣下であると自ら認めることになり、日本の年号を使用すれば、唐の皇帝への敵対行為になるからであった。


【『世界史の誕生岡田英弘

「正統」と「伝統」


 そうした実状にも拘らず、『史記』が夏・殷・周を、実際に中国を統治した秦の始皇帝や漢の皇帝たちと並べて、「本紀」に列しているのは、「正統」という理論に基づくものである。いかなる政治勢力でも、実力だけでは支配は不可能であり、被支配者の同を得るための何らかの法的根拠が必要である。中国世界では、そうした根拠が「正統」という観である。唯一の「正統」(中国世界の統治権)が天下のどこかに常に存在し、それが五帝から夏に、夏から殷に、殷から周に、周から秦に、秦から漢に伝わった、というのである。この「正統」を伝えることが「伝統」である。

「伝統」の手続きとしては、世襲が原則である。五帝は黄帝とその子孫であり、帝堯は帝舜に、帝舜は禹に「禅譲」したのだから問題はない。問題は武力で夏を倒した殷の湯王と、殷を倒した周の武王が、どうして「正統」を承けたと認められるかである。これには、王の「徳」(エネルギー)が衰えると、「天」がその「命」を革(あらた)める(取り去る、「革命」)。そして新たな王が「天命」を受け(「受命」)、それに「正統」が遷る、という説明がつく。


【『世界史の誕生岡田英弘

「歴史」は「ヒストリー」の訳語として作られた日本語


「歴史」という言葉は、漢字で書いてはあるが、中国語起源のものではない。現代中国語で「歴史」(リーシー)というのは、日本語からの借用である。日本語の「歴史」は、英語の「ヒストリー」の訳語として明治時代に新たに作られた言葉で、それを1894〜5年の日清戦争の後、日本で勉強した清国留学生たちが、中国に持ち帰ったのである。


【『世界史の誕生岡田英弘

ヨーロッパは神であり善、アジアはサタンであり悪という構図


 ところで、不幸なことに、ヘーロドトスの対決の歴史観と、キリスト教の歴史観とは、きわめて重要な点で一致していた。それは、「ヨハネの黙示録」の、世界は善の原理と悪の原理の戦場である、という二元論である。これとヘーロドトスの、ヨーロッパとアジアの対決の図式が重なり合うと、すなわち、ヨーロッパは善であり「主なる神」の陣営に属する。これに対して、アジアは悪であり「サタン」の陣営に属する。世界はヨーロッパの善の原理と、アジアの悪の原理の戦場である。ヨーロッパの神聖な天命は、神を助けて、悪の僕であるアジアと戦い、アジアを打倒し、征服することである。ヨーロッパがアジアに対して最後の勝利を収めた時、対立は解消して、歴史は完結する、というになってしまう。このは、11世紀にヨーロッパで高まって、イスラムに対する十字軍という形をとったが、それで終わりではない。15世紀に始まる大航海時代に、アジア、アフリカ、アメリカに進出したヨーロッパ人の世界観も、全くこのキリスト教の歴史観そのままであった。現代においても、対決こそが歴史である、という地中海型の世界観は、絶えざる対立と、摩擦と、衝突の最大の原因であり続けている。第二次世界大戦の後は、「主なる神」の側に立つアメリカ・西ヨーロッパ陣営と、アジアの「サタン」の側に立つソ連・中華人民共和国・北鮮・北ヴェトナム陣営の対立は、半世紀にわたって歴史そのものであった。1990年を境にして、対立がアメリカ・西ヨーロッパ側の一方的な勝利に終わったことが明白になると、アメリカ・西ヨーロッパには、別のアジアの悪の僕が必要になった。そこに起こったのが、同年のイラクのクウェイト侵略である。アメリカ・西ヨーロッパが珍しく一致協力して湾岸戦争を戦ったのは、この戦争が「主なる神の御使たちとサタンの使たちの戦い」だったからである。

 湾岸戦争がヨーロッパ(アメリカ・西ヨーロッパ)の勝利に終わって、アジア(イラク)が打倒された後、あれほど戦争の遂行に協力した日本が、アメリカ・西ヨーロッパから露骨に警戒されるのは、日本がアジアの国である、という単純な理由からである。アジアの国であるからには、表面はともあれ、潜在的にはアメリカ・西ヨーロッパの敵であるはずだ、というのが、地中海世界のキリスト教歴史観の論理の明快な結論である。いかに日本が国際社会で誠実に努力しても、日本がアジアの国であることをやめるか、またはキリスト教歴史観よりもはるかに強力な歴史観を創り出さない限り、アメリカ・西ヨーロッパから敵視される運命を逃れることなど出来るはずがない。


【『世界史の誕生岡田英弘

国家によるキリスト教への迫害


 ユダヤ人のための宗教であったキリスト教が、ユダヤ人以外のローマ帝国の人々にも広まり、国家によるキリスト教徒の迫害も始まった。殉教者の事蹟のうち、伝説ではなくて事実であることが確かなものは、みな2世紀の後半から後である。

 ついでに言うと、俗説では、64年のローマ市の大火のあと、皇帝ネロが、キリスト教徒の放火であるとして、最初の迫害を行ったことになっているが、これは嘘で、ネロのキリスト教徒迫害という事実はなかった。当時のローマ市内には、まだキリスト教徒はほとんど居なかったのである。


【『世界史の誕生岡田英弘

ユダヤ人のアイデンティティ


 ユダヤ人のアイデンティティは、このバビロニア捕囚の時代に始まったものである。


【『世界史の誕生岡田英弘

『旧約聖書』は歴史ではない


 これは神学ではあるが、歴史ではない。百歩を譲って、これも一種の歴史だということにしても、ヤハヴェはイスラエル人だけの神であり、『旧約聖書』はヤハヴェ神とイスラエル人だけについての書物なのだから、せいぜい国史、それもひどく偏った、空的な国史としか呼べない。

 成立の時代こそ、『旧約聖書』はヘーロドトスの『ヒストリアイ』よりも140年ほど早い。しかし、アジアとアフリカをおおうペルシア帝国と、ヨーロッパを代表するギリシア人の対立を扱ったヘーロドトスの物語が、本当の味での世界史であるのに比べて、イスラエル人だけについての『旧約聖書』は、あまりにも視界が狭すぎる。そんな『旧約聖書』が、ヘーロドトスに始まる地中海文明の歴史文化に影響を及ぼすようになるのは、言うまでもなく、キリスト教を通してである。


【『世界史の誕生岡田英弘

地中海文明ではアジアとヨーロッパの対立こそが歴史の主題


 ヘーロドトスの著書が、地中海文明が産み出した最初の歴史であったために、アジアとヨーロッパの対立こそが歴史の主題であり、アジアに対するヨーロッパの勝利が歴史の宿命である、という歴史観が、不幸なことに確立してしまった。この見方が、現在に至るまで、ずっとアジアに対する地中海世界、西ヨーロッパの人々の態度を規定して来ているのである。


【『世界史の誕生岡田英弘

ヨーロッパ対アジア 敵対の歴史観


 この『ヒストリアイ』の書き出しでヘーロドトスが、ペルシア人の学者の説にかこつけて打ち出している見方は、世界はヨーロッパとアジアの二つにはっきり分かれ、ヨーロッパはアジアと、大昔から対立、抗争して来たものだ、という主張である。この見方が地中海世界の最初の歴史書の基調であったために、ヨーロッパとアジアの敵対関係が歴史だ、という歴史観が、地中海文明の歴史文化そのものになってしまった。

 この敵対の歴史観は、西ヨーロッパの古代、中世、近代を貫いて、現在の国際関係の基調であり続けているが、あまりにもそれが普及し過ぎたために、かえって西ヨーロッパも、我々日本人も、その他の国民も、そういう歴史観が地球上をおおっている事実にさえ気が付かずに暮らしている。しかしこのヘーロドトスの歴史観と、それが創り出した地中海文明の歴史文化は、これまでに世界中で多くの不幸な事件を引き起こして来たし、これからも多くの悲劇の原因になり続けるだろう。


【『世界史の誕生岡田英弘

ヘーロドトス以前に歴史の観念はなかった


 地中海文明の「歴史の父」は、前5世紀のギリシア人、ヘーロドトスである。ヘーロドトスは、アナトリアのエーゲ海岸の町ハリカルナッソス(現在のトルコ共和国のボドルム)の出身で、その著書『ヒストリアイ』は、ペルシア戦争の物語である。

「ヒストリア」(単数形、「ヒストリアイ」は複数形)というギリシア語は、英語の「ヒストリー」、フランス語の「イストワール」の語源だが、もともとは「歴史」という味ではない。ギリシア語の「ヒストール」は「知っている」という味の形容詞、「ヒストレイン」は、「調べて知る」という味の動詞である。それから出来た詞が「ヒストリア」で、本当は「研究」という味である。ヘーロドトスは、自分が調べて知ったことについて語る、という味で、著書に『研究』という題をつけたのだったが、これが地中海世界で最初の歴史の書物だったために、「ヒストリア」という言葉に「歴史」という味が付いてしまったのである。このことは、ヘーロドトス以前には、歴史の観が、まだ存在しなかったことを示している。


【『世界史の誕生岡田英弘

2008-08-04

今回の人事の裏を読む! 内閣改造2つの事情


 それは、公明党が内閣改造に強く反対し、むしろ福田首相の早期退陣を求めていたからだ。

 事実、洞爺湖サミットが終わって以後、公明党の幹部から、福田首相、あるいは、福田内閣に対する強い批判のが目立っていた。

 実は、公明党は、福田内閣の支持率がじわじわ下がっていることに相当いら立っていて、洞爺湖サミットの成果を見て判断すると、態度を決めていた。

 ところが、洞爺湖サミットの成果は芳しくなく、新聞各紙が調査した内閣の支持率は上がらなかった。

 それを見て、公明党の幹部たちは、様々に福田・自民党との「違い」を表明し始めていた。


田原総一朗

『まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違う』マーカス・バッキンガム&カート・コフマン


 世界中の最も優秀と評価されているマネジャーのあいだに共通点はほとんど見あたらない。別、人種、年齢など、どれをとっても千差万別だ。実際の行動スタイルも違えば目標も異なっている。しかし、こうした違いはあってもただ一つ、並外れて優秀なマネジャーには共通点がある。それは、新しく何かを始めようとするときに、まず、伝統的常識であるはずのルールをことごとく打ち破っているということだ。


 緯度と経度の概は、すでに紀元前1世紀に存在していたが、1700年に至るまで、経度を正確に計測する方法がなかった。つまり、どれほどの距離を東あるいは西に自分たちが移動しているのか、だれ一人確証が持てなかったのだ。当時、クロウズリ・シャヴェルのようなプロの船乗りたちは、移動距離を推定するために2種類の方法を使い分けていた。一つは平均の速度を推定する方法、もう一つは物差し代わりの棒切れを船から海に投げ込み、それが船首から船尾まで到達する時間を計る、という方法だ。


 けれどもこういった、いわば「ニンジン」は、果たして効果を上げているのだろうか。本当に、最も生産の高い従員だけを惹きつけ、引き留めてくれるのだろうか。あるいは、単にだれ彼なく捕まえる、つまり生産の高い従員と渡り鳥兵(「何もしない給料泥棒」を決め込み、幸せな気分でいる怠惰な人たちを指す軍隊語)の両方とも捕まえてしまう餌なのだろうか。


 ソフトウエアのデザイナーであれ、配送トラックの運転手、経理係、あるいはホテルの客室係であれ、現在の世のなかの仕事で最も重要な側面は、トマス・スチュワートがその著書『Intellectual Capital(知的資産)』で述べているように、「人間の最も根源的な仕事、つまりじること、判断すること、創造すること、そして人間関係をつくること」ということだ。これは、現在の企価値の大部分は「その従員が頭のなかにしまっているノウハウ」にあるという味だ。


 舞い上がっていたほこりがおさまり、視界が開けると、そこに発見があった。すなわち職場の強さを測るための質問はわずか12項目に集約されるという発見だ。これら12の質問は、自分自身の職場について知りたいことのすべてを引き出せるわけではないが、「ほとんどの」情報と、そして最も「重要な」情報を把握することができる。最も才能のある従員を惹きつけ、仕事を任せ、そして引き留めておくのに必要な本質的要素を計測してくれる。これらの質問とは次のとおり。


 Q1 仕事の上で自分が何をすべきか、要求されていることがわかっているか

 Q2 自分の仕事を適切に遂行するために必要な材料や道具類が揃っているか

 Q3 毎日最高の仕事ができるような機会に恵まれているか

 Q4 最近1週間で、仕事の成果を認められたり、誉められたりしたことがあるか

 Q5 上司や仕事仲間は、自分を一人の人間として認めて接してくれているか

 Q6 仕事上で自分の成長を後押ししてくれている人がだれかいるか

 Q7 仕事上で自分の見が尊重されているか

 Q8 会社のミッション/目的を前にして自分自身の仕事が重要だとじられるか

 Q9 仕事仲間は責任を持って精一杯クォリティーの高い仕事をしているか

 Q10 仕事仲間にだれか最高の友だちがいるか

 Q11 最近半年間で、自分の進歩に関してだれかと話し合ったことがあるか

 Q12 仕事の上で学習し、自分を成長させる機会を与えられたことがあるか


 これら12の質問は職場の強さを測るために最も簡明で、最も正確な方法だ。


 しかし、給与・手当の仕組みを世のなかの水準まで引き上げることは、正しいやり方ではあるけれども、それだけで十分とはとうてい言えないのだ。この種の問題は球場への入場券のようなものだ。つまりゲームには参加できる、しかしだからといって入場券が勝利をおさめるための力になってくれるわけではない、ということだ。


 人は会社を辞めるのではなく、そのマネジャーと別れるということだ。かつては優秀な人材を引き留めるために莫大な金が投入されてきた。給与を上げ、特典を与え、高度なトレーニングを提供するなどの手を打つためだ。ところが定着率は、たいていの場合マネジャーの問題なのだ。もし定着率が悪かったら、まずマネジャーに注を向けるべきだろう。


 シャロンの会社は、総合的な績とその従員を優遇する文化の両方の観点から、見るべきところが非常に多い企だ。ところがその巨人の奥深いところ、つまり経営陣やウォールストリートの目の届かないところで、一人の個人がその企の力と価値を衰えさせていたのだ。シャロンが言うように、そのマネジャーは悪い人ではないのだが、悪いマネジャーなのだ。どうしようもない配役ミスで、今では次々と才能のある従員を追い出すことが日課になっている。


 もし以上12の質問すべてに肯定的な回答をすることができるなら、そのときは頂上に到達したことになる。自分自身の狙いは明確だ。絶えず達成を味わうことだ。それはまるで毎日毎日、最高の自分が要求され、最高の自分がそれに応えているといった覚だ。周りを見渡すと他の人たちもまた、自分自身のしい仕事に欲的に取り組んでいるようだ。仲間同士の理解と共通の目的を基礎にして、これらの登山家は先を見据え、積極的に将来の課題に取り組もうとする。頂上に長くとどまっているのは容易なことではない。足場はぐらつき、強い風がさまざまな方向から襲ってくる。しかし頂上に立っているときに味わう気分は何ものにも変えがたい。


 つまり、キャンプ2とキャンプ3に対する回答がどれほど肯定的な場合でも、低地での要求が満たされないままで長く放置されればされるほど、本人は消耗して生産が下がり会社を離れる可能が高くなる。


 大半の組織にはパフォーマンスの評点が存在していた。生産と利益を計測する評点、歩留まりや欠勤率、労災事故の評点、そしておそらく最も重要なのは顧客や従員自身のフィードバックを反映する評点だ。われわれはこれらの評点を使ってすぐれたマネジャーを抽出した。


 マネジャーとリーダーの違いは、一般に考えられているよりもはるかに奥が深いのだ。この違いをないがしろにしている企は、そのためにしむことになるだろう。

 すぐれたマネジャーと優秀なリーダーのあいだに存在する最も重要な違いは、その関を集中させている対象だ。

 すぐれたマネジャーは「内側に」目を向ける。会社の内部を見る。個人一人ひとりの目標や仕事のスタイル、必要、そしてやる気の違いに目を向ける。これらの違いは小さく些細なものだが、すぐれたマネジャーは自らこれに注を払う必要を自覚している。これらの些細な違いを理解することによって、一人ひとりがその独自の才能をパフォーマンスに反映させられる正しい方向を見出すことにつながるからだ。

 優秀なリーダーは、これとは反対に「外側に」目を向ける。競争の状況を見つめ、将来や前進のための新たな道筋に目を向ける。世のなかのトレンドに目をつけ、そこにさまざまな結びつきや切れ目を探して、抵抗が最も弱いところで自分たちの有利な点をうまく活かそうとする。リーダーは明確なビジョンを持っていなければならず、戦略的な考えを展開し、組織の活化を図ることが必要だ。この役目をうまくこなして初めて、これが企の死命を制する役割となることに疑いの余地はない。ところがこの役割は、一人の個人の才能をパフォーマンスに活かすというしい課題とはまったく何の関係もない。


 すぐれたマネジャーによる才能の定義はこうだ。「生産の向上に役立つ考え方やじ方、あるいは行動の習慣的パターン」。ここで強調されるのは「習慣的」という言葉だ。自分の才能とは、自分自身が頻繁に繰り返している習慣的な行動のことだという。メンタル・フィルターを持ち、それ以外のものは無識のうちに捨て去ってしまう。人の顔だけではなく、同時に前を覚えられるという努力のいらない能力は、ある種の才能だ。調味料棚の瓶をアルファベット順に並べたり、衣裳戸棚にカラーコードをつけようという気になるのもある種の才能だ。クロスワードパズルが好きなのも、危険を冒したくなるのも、短気な格も、やはり才能だ。生産の向上に役立つ習慣的な行動はどんなものでもすべて才能だ。非凡なパフォーマンスを生むカギは、言うまでもなく、自分の才能と職務との一致を探ることにあるのだ。


 新生児の脳には1000億個のニューロンがつまっている。脳細胞の数は銀河系の星の数よりも多い。これらの細胞は子供の時代に誕生と死を定期的に繰り返すが、細胞の数そのものはほとんど変わらない。これらの細胞がを形成する材料となる。けれども細胞そのものはではない。子供のはこられの細胞と細胞のあいだにづいているのだ。つまり細胞同士のつながりのなかにある。シナプスのなかに存在している。

 誕生してから15年のあいだにこれらのシナプスの結合が完成して、ドラマが始まるのだ。


 子供が3回目の誕生日を迎える頃までに、完成された結合は桁外れの数になる。1000億のニューロンの一つひとつが1万5000のシナプスを形成する。

 しかしこれでは多すぎる。頭のなかを駆けめぐる膨大な情報で溢れ返ってしまう。これらの情報すべてに自分なりの味を持たせることが必要だ。自分なりの味だ。したがってそのあと10年前後のあいだに、この結合のネットワークは、自分の頭のなかでさらに磨きをかけ、そして整理統合することになる。強力なシナプス結合はますます強力になり、弱い結合は次第に消滅する。ウェイン・メディカルスクールの神経学教授、ハリー・チュガニ博士は、この淘汰の過程を幹線道路のシステムにたとえてこう説明した。

「最も交通量の多い道路は拡幅する。ほとんど使われない道路はそのまま放置される」


 いやり用に四車線道路を備えることができれば、周りの人たちの気持ちを自分のもののようにじることができるだろう。これとは対照的に、いやり用に荒野ができあがってしまうと、情的には何もじることなく、不適当な人に対して不適当な時間に不適当なことをいつまでたっても話し続けるだろう。別に悪気があるわけではない、ただ自分に送られてくる情の信号の周波数にうまく合わせる能力がないだけだ。同様に、論争に適した四車線道路を備えていれば、その人は実に幸運で、議論の最中にその頭のなかから次々と完璧な言葉が吐き出されてくる。論争用に荒野しか持っていない場合、その人の脳は、肝の勝負を決めるその瞬間に活動を停止してしまい、その口からはまったく言葉が出なくなるだろう。

 これらの脳の道路が、その人のフィルターなのだ。その本人を他でもないその人自身にする行動の習慣的パターンを作り出している、ということだ。どの刺激に反応し、どの刺激を無視すべきかを指示している。どの分野にすぐれているか、どの分野は不得かを規定する。その人の気持ちや欲を盛り上げるのも、無気力や無関にさせるのもすべてこのフィルターなのだ。


 知識というのは単に「知っていること」にすぎない。知識には2種類ある。「事実についての知識」つまり知っていることと、「経験的知識」すなわち実践のなかから理解したことの2種類だ。


 看護婦を例にとろう。大手の健康管理会社との共同作で、ギャラップは世界で最高の看護婦の何人かを調査するチャンスに恵まれた。その調査の一貫としてわれわれは調査対象となっている優秀な看護婦グループに対して、100人の患者に注射をするように依頼した。それと同時に観察対象としている、仕事のあまりできない看護婦グループにもその同じ患者、同じ人数に注射をするよう依頼した。注射の作手順がまったく同一であったにもかかわらず、患者からは、最高の看護婦の方がそうでない看護婦よりも注射で痛みをじなかったという報告が返ってきた。なぜか。痛みを和らげるために、最高の看護婦は何をしたのか。注射針を刺すのに特別なテクニックでもあるのか。柔らかいガーゼを使いながら消毒薬を塗ったのだろうか。

 まず、そんなことはないだろう。すべては、注射針を皮膚に突き刺す直前に看護婦が患者にかける言葉が原因なのだ。平均的な看護婦は患者に対して明るい口調でこんなふうに説明していた。「配ないですよ。ちっとも痛くありませんから」。そして事務的にてきぱきと針を突き刺す。

 一方、最高の看護婦は、患者にこれとはまったく違った接し方をしていた。注射針の刺し方には差がないのだが、注射をするところにまで持っていく組み立て方がはるかに行き届いていた。「ちょっと痛いですよ」と言いながら「でも配しないで。できるだけ痛くないようにしますから」。

 最高の看護婦は人づきあいに適したいやりの才能に恵まれている人たちだ。看護婦には注射が痛いものだとわかっており、それぞれが自分なりのスタイルで、患者とその痛いといういを共有しなければならないとじている。驚いたことに、この看護婦の言葉が患者の痛みを和らげているのだ。


 自分だけのすばらしいフィルターに恵まれながら、その恵みのためにかえって他人のフィルターを理解する能力の欠如に呪われてしまう。本物の個孤立することがあるのだ。


 マネジャーはリモートコントロールを利用して管理をしなければならないだけではなく、自分から出す信号に対する部下一人ひとりの反応の仕方のわずかな違い、そしてその違いが重要であることもよく認識しなければならない。


まず、ルールを破れ―すぐれたマネジャーはここが違う

2008-08-03

「清河(チョンハー)への道」新井英一


 歌を聴いただけで、「俺には、この人を折伏することはできないだろうな」とった。それほど凄いだ。ウルフこと新井英一。何と45分もある一曲だ。よほどの体力がないと聴けない。

清河(チョンハー)への道

歴史のないアメリカ合衆国は強大な軍事力で対抗


 日本と西ヨーロッパは、歴史のある文明である。これに対して、アメリカ合衆国は、18世紀の当初から、歴史を切り捨てて、民主主義のイデオロギーに基づいて建国した国家である。現在は解体したソ連が、マルクス主義のイデオロギーに基づいて建国した国家であったことは言うまでもない。ソ連の前身のロシア帝国は、本来モンゴル文明の一部でありながら、その歴史を否認して、地中海文明の歴史を借りて来て接ぎ木しようとして、結局うまく行かなかった国家であった。それをロシア革命で歴史を切り捨てて、イデオロギーに置き換えた国家がソ連であったのである。

 現代の世界の対立の構図は、歴史で武装した日本と西ヨーロッパに対して、歴史のないアメリカ合衆国が、強大な軍事力で対抗しているというのが、本当のところである。


【『世界史の誕生岡田英弘(ちくまライブラリー、1992年/ちくま文庫、1998年)】

歴史は強力な武器


 歴史のある文明と、歴史のない文明が対立するとき、常に歴史のある文明の方が有利である。一つの理由は、紛争が起これば、歴史のある文明は、「この問題には、これこれしかじかの由来があるので、その経緯から言えば、自分の方が正当である」と主張できる。歴史のない文明には、そうした主張に反論する有効な方法がない。

 もう一つの理由は、歴史のある文明では、現在を生きるのと並んで、過去をも生きているので、常に物事の筋道というものを考える。物事に筋道があるとすれば、過去を自分のものにすることによって、現在がよりよくわかり、さらに未来の予測も可能になるはずである。実際には間違ったシナリオを立てているかも知れないが、それでも未来に対して、何とか備えることは出来るのである。

 ところが、歴史のない文明では、常に現在のみに生きるしか、生き方はない。過去と現在、現在と未来の関連があいまいなので、予測の立てようがない。脈絡なく起こる次々の出来事に対して、出たとこ勝負の対応しか出来ない。方針を前もって決められず、常に後手後手に回る結果になる。(中略)

 歴史は、強力な武器である。歴史が強力な武器だからこそ、歴史のある文明に対抗する歴史のない文明は、なんとか自分なりの歴史を発明して、この強力な武器を獲得しようとするのである。そういう理由で、歴史という文化は、その発祥の地の地中海文明と中国文明から、ほかの元来歴史のなかった文明にコピーされて、次から次へと「伝染」していったのである。


【『世界史の誕生岡田英弘(ちくまライブラリー、1992年/ちくま文庫、1998年)】

対抗文明としての歴史文化


 歴史という文化は、地中海世界と中国世界だけに、それぞれ独立に発生したものである。本来、歴史のある文明は、地中海文明と中国文明だけである。それ以外の文明に歴史がある場合は、歴史のある文明から分かれて独立した文明の場合か、すでに歴史のある文明に対抗する歴史のない文明が、歴史のある文明から歴史文化を借用した場合だけである。

 たとえば日本文明には、668年の建国の当初から立派な歴史があるが、これは歴史のある中国文明から分かれて独立したものだからである。

 またチベット文明は、歴史のないインド文明から分かれたにもかかわらず、建国の王ソンツェンガンポの治世の635年からあとの毎年の事件を記録した『編年紀』が残っており、立派に歴史がある。これはチベットが、唐帝国の対抗文明であり、唐帝国が歴史のある中国文明だったからである。

 イスラム文明には、最初から歴史という文化要素があるけれども、これは本当はおかしい。アッラーが唯一の全知全能の神で、宇宙の間のあらゆる出来事はアッラーのはかり知れない志だけによって決定されるとすれば、一つ一つの事件はすべて単独の偶発であり、事件と事件の間の関連を論理によってたどろうなどというのは、アッラーを恐れざる不敬の企てだ、ということになって、歴史の叙述そのものが成り立たなくなってしまう。(中略)

 しかし、もっと大きな理由は、イスラム文明が、歴史のある地中海文明の対抗文明として、ローマ帝国のすぐ隣りに発生したことである。地中海文明の宗教の一つであるユダヤ教は、ムハンマドの生まれた6世紀の時代のアラビア半島にも広がっていた。ムハンマド自身もその影響を受けて、最初はユダヤ教の聖地であるイェルサレムの神殿址に向かって毎日の礼拝を行っていた。


【『世界史の誕生岡田英弘(ちくまライブラリー、1992年/ちくま文庫、1998年)】

インド文明は歴史を持たなかった


 インド文明には都市があり、王権があり、文字があったのだから、歴史も成立してよさそうなものである。それなのに、歴史という文化がインドについに生まれなかったのはなぜか。この謎を解く鍵は、インド人の宗教にある。

 イスラム教が入って来る前からのインドの宗教では、教でも、ジャイナ教でも、ヒンドゥ教でも、輪廻サンサーラ)のが特徴である。六道衆生(天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の6種類の生物)は、それぞれの寿命が終わると、生前に積んだカルマ)の力によって、あるいは上等、あるいは下等の生物の形を取って生まれ変わり、一生を再び最初から最後まで経験する。この過程は、繰り返し繰り返し、永遠に続くのである。この考え方で行くと、本来ならば歴史の対象になる人間界の出来事は、人間界の中だけで原因と結果が完結するのではなくて、神や、鬼や、幽霊や、ほかの動物や、死者たちの、人間には知り得ない世界での出来事と関連して起こることになる。これでは歴史のまとまりようがない。その上、この考え方では、時間の一貫した流れの全体は問題にならなくて、そのどの部分もそれぞれ独立の、ばらばらの小さなサイクルになってしまう。つまり、初めも終わりも、前も後もないことになって、ますます歴史など、成立するはずがない。

 もう一つ、インド文明に歴史がない原因として考えられるのは、カースト制度の存在である。カースト制度の社会の生活の実では、自分と違うカーストに属する人間は、同じ人類ではなく、異種類の生物である。しかもそのカーストは際限なく細分化して、ほとんど無数にあるものなので、カーストの壁を越えた人間の大きな集団を扱うのが質の歴史は、こういう社会ではまとまるはずがない。カーストを認めないイスラム教が入って来て、初めてインドで歴史が可能になったのは、その証拠である。


【『世界史の誕生岡田英弘(ちくまライブラリー、1992年/ちくま文庫、1998年)】

2008-08-02

歴史に不可欠な要素=暦と文字


 ただし口頭伝承だけでは歴史は成立しない。暦と文字の両方があって、初めて歴史という文化が可能になる。


【『世界史の誕生岡田英弘

歴史は文化である


 歴史とは何か。

 普通、「歴史」と言うと、過去に起こった事柄の記録だといがちである。しかし、これは間違いで、歴史は単なる過去の記録ではない。

 歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである。

 ここでは先ず、歴史は人間の住む世界にかかわるものだ、ということが大事である。人間のいないところに、歴史はありえない。「人類の発生以前の地球の歴史」とか、「銀河系が出来るまでの宇宙の歴史」とかいうのは、地球や宇宙を一人に人間になぞらえて、人間ならば歴史に当たるだろうというものを、比喩として「歴史」と呼んでいるだけで、こういうものは歴史ではない。

 歴史が、時間と空間の両方にかかわるものだ、ということは、広い世界のあちこちで、またこちらで、あるいは先に、あるいは後に、いろいろな出来事が起こっている、そうした出来事をまとめて、何かの順番をつけて語るのが歴史であるということであって、これには誰も異論はあるまい。

 ただ、歴史が対象とする時間と空間が、どちらも一個人が直接体験できる範囲を超えた大きさのものであることは、きわめて大事なことである。全く一個人の体験の範囲内にとどまる叙述は、せいぜい日記か体験談であって、とうてい歴史とは呼べない。自叙伝は一種の歴史と見なしてもいいが、それは自叙伝を書く当人が住んでいる、より大きな世界の歴史の一部分を切り取って来たものだからである。

 歴史の対象になる世界は、一個人が到達出来る範囲をはるかに超えた大きなものである。その中のあちらこちらで同時に起こっている出来事を、一人が自分で経験することは不可能だし、自分が生まれる前に起こったことを経験するのは、なおさら不可能である。そういう出来事を知るためには、どうしても自分以外の他人の経験に頼らなければならないわけで、他人の話を聞いたり、他人の書いたものを読んだりすることが、世界を把握し、解釈し、理解する営みの第一歩になるのである。

 ところで、時間と空間では、空間のほうがはるかに扱いやすい。自分の両手のとどく範囲を超える空間は、歩いて測ることが出来るし、遠い所でも何日かかければ、行って帰って来ることも出来る。つまり空間は自分の体で測れる。

 ところが時間のほうは、そうはいかない。時間は、行って帰って来れるようなものではない。その上、時間は、覚で直接とらえられるものではない。何か運動している物体を見て、その運動した距離に換算して、初めて「時間の長さ」をじることが出来る。言い換えれば、我々人間には、時間を空間化して、空間の長さに置き換えるしか、時間を測る方法はない。

 それではどうすれば時間の長さを測れるかというと、それには規則正しい周期運動をしている物体を見つけて、その周期を単位にして、時間を同じ「長さ」に区切るのである。(一日、一一年


【『世界史の誕生岡田英弘

13世紀初頭、現在の西欧諸国は成立していなかった


 13世紀の初めの西ヨーロッパの情勢をひと口で説明すると、イタリアという国もなく、ドイツという国もなく、フランスという国もなく、英国という国もなく、スペインという国もなかった、ということになる。こういう、今日の我々になじみの国々は、みんなもっと後になって出来たものである。



【『世界史の誕生岡田英弘

西暦1200年前後、インドではイスラム教が優勢に


 ヒマラヤ山脈の南の北インドの平原では、それまで教が優勢であったが、この20年ほど前から、グール家のムハンマドという、イスラム教徒のアフガン人の首領が、騎兵隊を率いてアフガニスタンから北インドに侵入して来て、インド人の王たちを征服し、広大な領土を獲得していた。これを境にして、インドでは教よりも、イスラム教のほうが優勢になり始めていた。1206年、ムハンマドはグールで暗殺され、アフガニスタンのグール家領は、北方のホラズム帝国に併合される。しかしムハンマドが北インドに残した王国は、彼の奴隷であったトルコ人の将軍クトゥブ・ウッディーン・アイバクが引き継いで、デリーの都に奴隷王を建てた。このデリー・スルターン国は、1290年まで繁栄するのである。


【『世界史の誕生岡田英弘

「歴史」は中国世界と地中海世界から誕生した


 必要なのは、筋道の通った世界史を新たに創り出すことである。

 そのためにはまず、歴史が最初から普遍的な質のものではなく、東洋史を産み出した中国世界と、西洋史を産み出した地中海世界において、それぞれの地域に特有な文化であることを、はっきり認識しなければならない。この認識さえ受け入れれば、中央ユーラシアの草原から東と西へ押し出して来る力が、中国世界と地中海世界をともに創り出し、変形した結果、現在の世界が我々の見るような形を取るに至ったのであると考えて、この考えの筋道に沿って、単一の世界史を記述することも可能になる。


【『世界史の誕生岡田英弘

『世界史の誕生』岡田英弘


〈狐〉が選んだ入門書』で紹介されていた本である。50ページほど読んだが、こいつあ凄い。まとめて入力するのが惜しまれるため、『青い空』同様、独立した記事として紹介しようとう。

世界史の誕生 (ちくま文庫)

『2010年 資本主義大爆裂! 緊急!近未来10の予測』ラビ・バトラ/ペマ・ギャルポ、藤原直哉訳


 著者はヒンズー教徒で一日に4時間も瞑をしている。「予言本」といきや、内容は驚くほどしっかりしている。それも当然。著者はアメリカ在住の経済学者だ。「直観で読み解く世界経済」といった趣がある。紙質とフォントは、まるでダメ。出版元の見識を疑う。翻訳も及第点以下。


 私は、2006年2刊行の著書『資本主義消滅 最後の5年』(あ・うん刊)の冒頭で、「この5年間に起こること」と題し、次の5つの予告をおこなった。


 第1の予告――原油価格は、1バレル100ドルを超える

 第2の予告――米経済は2006年後半から、長期リセッションに入る

 第3の予告――2010年、資本主義消滅へ

 第4の予告――米・中、冷戦状態でチャイナリスク爆裂

 第5の予告――破滅から黎明へ。光は極東の日本から


 ここで、これからの世界激変の過程について、新たに10の予測を掲げておこう。


 予測1 原油価格は100ドルを超えて高騰し続ける

 予測2 「サブプライム住宅ローン危機」は再三爆発する

 予測3 2008年、米大統領選挙は民主党の勝利

 予測4 アメリカの大企の破綻が続発する

 予測5 日本の好況は2008年半ばか末まで

 予測6 2009年に、イランが新たな中東の火種となる

 予測7 アメリカの資本主義は数年内に終焉する

 予測8 2009年後半から2010年前半に世界的な重大危機

 予測9 中国にも2010年に危機到来

 予測10 日本で新たな経済システムの胎動が起こる


 ここで明らかにしておきたいのは、共産主義も資本主義も、崩壊の引き金となるのは「極端な集中」だということだ。


 ユダヤ教キリスト教、イスラム教の3つに共通するのは「一神教」だということ。そして、3つの異なる宗教が、いずれもエルサレムを「聖地」の一つとしていることだ。

 もともと、この3つの宗教は兄弟のようなもので、歴史上、お互い争闘戦を繰り返してきた。身近で似たような存在だからこそ、ますます目障りにじるという「近親憎悪」のような関係だ。


 だが、私のグリーンスパン前議長に対する最終的評価は、

「アメリカの二つのバブルを生み出し、最終的破綻へと導いた張本人」

 というものだ。


 再び、富裕層に手厚い減税がおこなわれ、当然ながら、社会的格差はさらに拡大したということだ。このグリーンスパン式の手法は、「富裕者への奉仕」といわずしてなんといえばいいだろうか。


 原油価格は1998年に1バレル10ドルという世界的な下落を経験した。


 一(いっちょう)、アメリカで「住宅バブル」、「石油バブル」の二つのバブルが崩壊しはじめ、株が暴落、経済全体が混乱する状況になれば、アメリカ政府は、貿易赤字の元凶である「中国を叩く」という行動にでることは間違いない。


 中国の国家林局は、中国全土の27.4%がすでに荒れ地状態であることも認めている。あれだけ広大な国土がありながら、人が住むのに適した環境=緑と水が豊富にある土地は、日本の国土の2倍程度しかないという。


 しかし、相変わらず「自転車操」の財政であることに変わりはない。日本の財政危機は、GDP(国内総生産)比で見るとその深刻さがわかる。

 日本の国債依存度は約150%。それに対して、不況で悩むイタリアで120%、ドイツ70%、「財政」と「貿易」の双子の赤字で、行き詰まっているアメリカでさえ62%というレベルだ。

 今後も、国民への負担=「痛み」が増加する一方の日本の財政、経済のゆくへは、限りなく赤信号に近いといえるだろう。

 今後、日銀が金利を上げた場合、赤字国債の利負担も増える。金利が1%上がれば、国債の利は年間1.5兆円増える計算なのだ。

歳出削減」などと政府は言い続けているが、政治家官僚の「ザル経理」、「公金の無駄づかい」、「家賃ゼロなのに数千万円の事務所費」の政治家たちの素行を見れば、これが単なる「かけ」に過ぎないことは明らかだ。


2010年資本主義大爆裂!―緊急!近未来10の予測

内閣改造:公明、強気の対応 伊吹幹事長外しを要求――改造人事


 今回の内閣改造と自民党役員人事で、与党である公明党は、従来にない条件闘争の姿勢を取った。臨時国会の召集時期などで対立した伊吹文明氏を幹事長から外すよう暗に求め、その結果を見極めるまでは入閣候補も固めなかった。結果的には従来どおり1人が入閣し、福田政権を支える向を示したが、自公の間に生じた火種はくすぶり続けそうだ。


 公明党太田昭宏代表は1日、斉藤鉄夫氏の環境相就任が決まった後、「環境は、現在の内閣にとっても、日本にとっても、極めて重要なので希望した。政権を支えることは当然で、むしろ公明党が政権をリードしたい」と述べ、政権を支える欲を強調した。


 しかし、公明党が入閣候補に斉藤氏を決めたのは、1日午後になってから。複数の党幹部によると、党執行部は前日、伊吹幹事長が交代しないなど改造が小規模だった場合、冬柴鉄三国土交通相の留任を求めることも検討していたという。


 支持母体の創価学会からも「閣外協力に転ずるべきだ」とのが党に多数寄せられ、公明党首脳も「うちが閣僚を出さない選択肢もあるのではないか」と周辺に漏らしていた。


 背景には、公明党選挙戦略がある。創価学会が本部を置く東京都で来夏行われる都議選に全力を注ぐため、期間をおいた年末から年明けの衆院解散・総選挙を求める向だった。


 そうである以上、来年1で期限切れとなる新テロ対策特別措置法を衆院の3分の2で再可決する事態は避けたいのが本音。木庭健太郎参院幹事長はBS放送で「わざわざ3分の2をやったうえでの選挙は考えにくい」と強調していた。


 これに対し、3分の2での再可決を前提に、臨時国会の8下旬召集を強く主張したのが伊吹氏だった。反発を強めた公明党は公然と9召集を主張した。内閣改造をめぐっても「改造ありきではない。支持率が上がるかがポイントだ」(山口那津男政調会長)などと慎重な対応を求める発言を重ねた。


 結果的には公明党向に沿う形で、自民党幹事長は麻生太郎氏に交代した。だが、公明党幹部は「新テロ対策特措法への対応などは未知数」と述べ、自民党の新執行部の対応を見守る方針だ。自民党幹部も「環境相は、これまで公明党議員が就いた国交相や厚生労働相より軽い。政権への関与が薄くなる印象だ」と述べ、公明党側が政権と微妙な間合いをとったと見ている。


【毎日新聞 2008-08-02 東京刊】


 恋さんからの情報。

2008-08-01

戦時中の逮捕者について


早くも歴史修正主義か?」を書いたところ、貴重な見が寄せられたので紹介しておく。


創価学会の歴史と確信」には、「21のうち19まで退転したのである」とあり、その直後に「会長牧口常三郎理事戸田城聖、理事矢島周平の3人だけが、ようやくその位置に踏みとどまったのである」と続いてますから、座談会もこの表記方法を踏襲し、「幹部21」に牧口先生は入れてないのだといますが。


 これが事実なら、やはり座談会の記事は間違いではないことになります。


プリン


 戦時中の弾圧については、私もいろいろ調べたことがあります。というのも、平成15年度の任用試験テキスト「創価学会の歴史」に以下の記述があったからです。


「最終的に幹部の逮捕者は21人に上りました。不敬罪と治安維持法違反容疑を理由としたものでした。厳しい取り調べのなかで、最後まで信を貫き通したのは牧口先生戸田先生だけでした」(この記述は、それ以降の任用試験にも見られます)


 平成15年当時、私は西野辰吉著『戸田城聖伝』(レグルス文庫)を読んで矢島周平氏が退転しなかったことを知っていたため、疑問にって方々調べました。その結果判ったのですが、「戸田城聖伝」と「富士宗学要集」では内容が異なるのです。以下に逮捕者を記します(敬称略)。


富士宗学要集

 牧口常三郎、戸田外、寺坂陽三、神尾武雄、矢島周平、木下鹿次、有村勝次、陣野忠夫、中垣豊四郎、稲葉伊之助、片山尊、野島辰次、本間直四郎、岩崎洋三、美藤トサ、森田孝、堀宏、小林利重、金川末之、安川鉄次郎、田中国之


戸田城聖

 牧口常三郎、戸田外、寺坂陽三、神尾武雄、矢島周平、木下鹿次、有村勝次、陣野忠夫、中垣豊四郎、稲葉伊之助、片山尊、野島辰次、西川喜右衛門、岩崎洋三、美藤トサ、森田孝、堀宏、小林利重、金川末次、安川鉄次郎、田中国之


 まず宗学要集では、4に逮捕された本間直四郎、北村宇之のうち、本間直四郎は法者に入っていますが、北村宇之は入っていません。戸田城聖伝では、本間、北村を「21」に数えず、宗学要集にはない西川喜右衛門のがあります。


 ただ、どちらの場合も「牧口先生を含んだ21」となっており、「創価学会の歴史と確信」における「21のうち19」とは誰なのか、明確には判りません。


那由他 楽人

『〈狐〉が選んだ入門書』山村修


〉こと山村修氏の遺作となった。享年56歳。新しい文はもう読めない。


 私のいう入門書はちがいます。むろんある分野やことがらを対象にして、一般の読書人向きに書かれた本ではあります。あくまでも平明な文章でつらぬかれた本でなければいけません。しかし右のように、何か高みにあるものをめざすための手助けとして、階段として書かれた本ではありません。

 そうではなく、むしろそれ自体、一個の作品である。ある分野を学ぶための補助としてあるのではなく、その本そのものに、すでに一つの文章世界が自律的に開かれている。いがけない発見にみち、読書のよろこびにみちている。私が究極の読みものというとき、それはそのような本を指しています。そして、そのようにいえる本が、さがしてみれば、じつは入門書のなかに外に多いのです。

 もちろん手引書であってもいいのです。もしも階段そのものが美しく、かつ堅牢につくられていれば、それもまた一つのりっぱな作品です。


〈だが突然、私は読書のことを考えた。読書がもたらしてくれるあの微妙・繊細な幸福のことを。それで充分だった、歳を経ても鈍ることのない喜び、あの洗練された、せざる悪徳エゴイストで清澄な、しかも永続するあの陶酔があれば、それで充分だった〉

(『罰せられざる悪徳・読書』ヴァレリー・ラルボー、岩崎力訳)


 武藤康史は1958年生まれ。文芸評論家ですが、私はそのを、はじめは安原顕編集の「マリ・クレール」や蓮實重彦編集の「リュミエール」などに載った書評文の筆者として知りました。なんて魅力的な文章を書く人だろうと嘆したものです。

 ゆたかな学殖のためでしょう、どんなにみじかい一文にも、かならず創見がふくまれている。あえて古めかしいことばやいいまわしを忍び込ませ、それを厭みでなく、かえって新鮮に、おもしろくひびかせる。武藤康史は学殖のひと、文章のひとです。


 かつて作家の橋本治が敬語について書いているのを読み、ふかく納得させられたことがあります。敬語とは、人と人との距離を確保するためにつかうものである。ときには厭な相手を遠ざけるためのものである。つまり他人が「へんな風に」侵入してこないように戸締まりをするための言葉が敬語だ。橋本治はそう書いていました。

 敬語とは「距離」だ。この人の書いたもののうち、私はその指摘がいちばん好きです。


 敬語というものが、橋本治のいうように、人と人とのあいだの「適切な距離」を守り、保障してくれるものだとすれば、敬語がこわれることは「距離」がこわれることになります。たしかに一大事。


 哲学者の西田幾多郎が、京都大学退職のおり、「回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向かって一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである」と語っています。


 私はここに、ともかく手当たりしだいに濫読せよとすすめる評論家たち(たくさんいます)の無責任さとは画然とちがう、読者に対する誠実さをじます。藤井貞和のいうように、手にふれるものを何でも自由に読もうというのは「放恣(ほうし)」であって「自由」ではなく、「秩序のない乱読は乱雑な文化人を作りだすだけ」なのです。


 国文学者の久保田淳と歌人の俵万智との対談(久保田淳座談集『心あひの風』所収、笠間書院)を読んでいて、なるほどやっぱりそうか――とったことがあります。詩歌というものは暗記すべきものだ、ということです。俵万智は師である佐佐木幸綱から、人の歌を批評するときは「ぴたっと頭から最後まで」きちんと引用しなくてはいけない、うろ覚えで言ってはいけないと教えられたそうです。久保田淳も、「(歌は)からだで覚えなくてはいけないといます」と語っていました。


 窪田空穂『現代文の鑑賞と批評』を読んでいると、あるものを鉛筆を手にして描きながら見るのと、鉛筆を手にしないで見るのとでは、まったくちがうというポール・ヴァレリーの文章(『ドガに就て』吉田健一訳、筑摩書房)をい出します。

 いかに見なれたものでも、いざ鉛筆をもって素描しようとすると、それは必ず、いままで知らないでいた相貌をあらわす。「志して見ること」は、自分がすでに見ていて、よく知っているとっていたものを著しく変換せずにはおかない。たとえば「親しい女友だちの鼻の形」も、志して見るのでなければ、まったく知らずにいるのとおなじである、とヴァレリーはすこしばかりユーモアもまじえて書いています。


 歴史を考えるとき、モンゴルのように、それまで周縁的としかわれてこなかったもの、むしろ排除されてきたものを軸として、歴史の見かたをガラリと転回させることができる。『世界史の誕生』を読み、私はそのことに動するのです。史料の徹底的な探索をもとに、だれもいもしなかった方向へ歴史イメージをかえてしまう。地道な学問的努力と、史的像力の切っ先のするどさにを打たれるのです。


 じっさい、自伝的歴史エッセー『絶望の精神史』を読んでいると、金子光晴がたえず「世相の変転相」をみつめて、否、にらみつけて、目をそらすことがないのをじさせられます。それをもっとも象徴的にしめすのは、この一冊の山場ともいえる関東大震災をめぐるくだりでしょう。(中略)

 金子光晴の真骨頂は、そうした「世相」のさらに向こうに、人々をおそった測りがたい失墜を見通し、きっかりと明晰な理知で分析するところにあります。


 たとえその頃岩田靖夫の懇切な文章があって、読むことができたとしても、さまざまな人間的・社会的な関係の渦のなかに放りこまれて生きることがなければ、とうていそこに書かれていることは理解の外だったといます。

 おそらく年をとるうち、つまりは関係のなかで生きるうちに、はじめてついてくる筋肉というものがある。的な筋肉です。


 そこで著者はケネス・クラークの「レオナルド・ダ・ヴィンチ論」を引きつつ、レオナルドが水に興味をしぼりこんだ最大の要因は、水のもとプリンシブル・コンティニュイティ、すなわち連続の原理であると書いています。水は大地をすりへらし、土を海に運び、蒸発してさらに昇り、雨が雲から降りそそぎ、降った雨が山をくずし、町を埋め、また海へと流れ、ふたたびまた太陽の熱によって雲のなかへと吸い上げられる。そうした水こそ「自然の推進者」であり、「連続的なエネルギーの体現者」であって、まさしくそこにレオナルドがとりつかれたいわれがある、と。


“狐”が選んだ入門書 (ちくま新書)