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2008-09-23

【国民新党代表代行】証人喚問問題で選挙応援持ち掛け暴露


 国民新党の亀井静香代表代行は23日、長野県塩尻市で講演し、麻生新政権について「解散や国会召集日まで(公明党の支持母体である)創価学会の言いなりだ」と指摘。その上で公明党について「矢野絢也元公明党委員長の証人喚問が『嫌だ』と言って、(喚問をやめる条件に)国民新党への選挙応援を持ち掛けてきている」と暴露した。

 亀井氏は、公明党側からの働き掛けについて「次期衆院選で国民新党の亀井久興、糸川正晃両衆院議員を応援するとの話が来た」と明らかにした。その上で「自民党は公明党に振り回されている。そんな政党に(麻生)政権が振り回されていいのか」と批判した。

 矢野氏は「言論活動を妨害された」として創価学会を提訴しており、亀井氏は民主党の菅直人代表代行らと共に臨時国会でこの問題を追及する構えを示している。


【毎日新聞 2008-09-23】

退転と不退転について


 ティラデンテスにとって、かつての同志の変など、小事であったに違いない。彼は自らの死をも超えて、祖国ブラジルの独立と自由を夢見、確信していた。死んでゆく彼のはどこまでも強く、勇気と慈愛の魂にあふれていたのである。

 ティラデンテスに報われたものは「死」であった。しかし彼は、「」の勝利、「魂」の勝利を勝ち取った。「」の強さこそ勝利である。革命精神を捨て、同志を裏切った者は、「死」は免れたかもしれないが、既に「敗者」であった。彼らは、「敗北」の汚を永遠に背負ってゆくことになった。

「勝利」も「敗北」も、「敵」も「味方」も、「幸福」も「不幸」も、すべて我が身の胸中、「一念」にある。外面に現れた姿は、一つの仮の姿にすぎない。真の実像は、「」の中に深く刻まれているものである。その味で、ティラデンテスこそ、真の勝利者であった。


 1792年421日、ティラデンテスは46歳で処刑された。ポルトガル政府は見せしめのために、彼の故郷で(原文は「に」)遺体をさらしものにした。そして、子孫3代にわたって制裁を加えることを決めたという。

 しかしブラジルの民衆は、一人の真の勇者を決して忘れはしなかった。彼の志は多くの人たちに受け継がれた。

 革命の火種は、やがて赤々と燃え広がり、ティラデンテスの死からちょうど30年後、ブラジルは独立を達成するのである。


東京・小金井圏青年会議 1990-01-28 小金井池田文化会館


 私の世代であれば「ティラデンテスの指導」を知らぬ者はいない。いたとすれば、そいつは田舎者(もちろん差別用語)だ。前を田吾作に変えるべきだと言っておこう。


 今、ネットで調べたんだが驚くほど情報が少ない。一般的には「チラデンテス」と表記されているようだ。ティラ=抜く、デンテス=歯で「歯抜き」。つまり、歯科技術を持っていたジョアキン・ジョゼ・ダ・シルバ・シャビエルの俗だ。ま、渾(あだな)といっていいのだろう。


 アメリカ合衆国の独立が1783年、フランス革命の発端となったバスティーユ牢獄の襲撃1789年のこと。つまり、ティラデンテスはナポレオンと同時代を生きたことになる。ポルトガルからの独立を夢見たティラデンテスは「貧しい」という理由でスケープゴートにされた。裕福で士でもあった他の9人も死刑になるはずだったが、結局、国外追放ということで落ち着いた。ティラデンテスはリオのランパドーザ広場で絞首刑となった。遺体は見せしめのため八つ裂きにされた。この広場は現在「ティラデンテス広場」とづけられている。

 調査は以上だ。本題に入ろう。疲れてきたので手短に書く。


 私は二十歳(はたち)の頃、会う人ごとにこんな質問をした。「『御本尊を踏まないと殺す』と言われたらどうする?」と。「エー、突然そんなこと言われてもなあ……」「と言ってる間に殺されるよ。さあ、どうする!」。少年部時代からの知り合いであるSがこう言ったのを今でもはっきりと覚えている。「その場で踏んで、家に帰ってから懺悔の唱題をする」。Sよ、お前ってやつは……何て正直者なんだ。この時、Sはまだ活動していなかった。


 我々は手がつけられないほど安易な姿勢で「不退転」を口にする。そのくせ実際は、勤行さぼりまくりの「退転の日々」を優雅に過ごしたりしている。退転と不退転の間には無限の距離が存在する。多分、エベレストの山頂よりも遠いよ。


 私がここで提示したい疑問はこういうことだ。「退転したっていいじゃないか」。相田みつをが既に言っていたかも知れない。私はなにも「ものわかりのよさ」を奨励しているわけではない。ただ、何とはなしに、もっと再チャレンジを認めてやってもよさそうなものだ、と考えているだけなのだ。ところが、人間社会(特に宗教団体)で「裏切り」は道徳にもとるものの最たる行為とされている。「裏切り者には死を!」ってじだよな。


 御書を開いても「退転することなかれ」のオンパレードである。ではなぜ、「退転しても構わないけど、また戻って来るんだよ」とは言われなかったのか? こういう自問自答をしないから、君の対話には説得力がないのだよ。淫祠邪教に洗脳された信者みたいのが学会には多過ぎる。まったく反吐(へど)が出そうだ。


 生命尊厳を説く法が、殉教を奨励する。この矛盾の中に鍵が隠されている。殉教者は遺された人々の魂に火を点ける。ティラデンテスも吉田松陰も同じ方程式だ。イエスソクラテスも同様だ。たとえ殺されたとしても、断固として曲げない信が人々の背骨に鋼鉄のごとき芯を打ち込むのだ。一人の死が万人の生に生かされる――これが殉教の本質であろう。


 と書いていて気づいた。不退転のゴールはエベレストの山頂である。つまり、そこで待ち受けているのは“確実な死”に他ならない。不退転=殉教である。今日は冴えているぞ。


「中々折伏が決まらなくて」とか、「うちの組織は人材が少ないんだよね」とか、「近頃はクソみたいな幹部しか見当たりませんなあ」とか、「新聞啓蒙さえすりゃあ、いいのかよ!」とか言っているようじゃ、エベレストの麓をうろうろしているようなレベルだろう。諸君を「1合目グループ」と命しよう。


 エ? 何? 私? そうだなあ、私のレベルはどうだろうね。青年部時代は「歌って踊れる創価班」を目指していたのは確かだ。本部担当の総括を降りる際、「安室奈美恵のような若い女と結婚する予定である。これからは私のことを“亀戸のサム”と呼ぶように」と皆に強要したことも間違いない。後輩を殴ったり蹴ったりしたのも事実である。ということで、私のレベルを公正に判断すると、4合目くらいでしょーな。


 誤解のないように断わっておくが、私の能力があと60%ほど未開発であるという味ではない。あと60%ほど、私の知らない妙法と師弟の世界があるだろうとの予測である。


 人生は短い。余命3ヶも、余命3年も、余命30年も大した差はない。生まれたばかりの赤ん坊だって、余命70年なんだよ。こんな短期間で誰もがになれるというのは真っ赤な嘘だ。なれるはずがない。そんなものは「創価都市伝説」だ。なぜなら、になれるのは不退転で一生を歩み続けた人だけなのだから。