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2008-11-29

2008-11-28

2008-11-27

『石垣りん詩集』


定年


 ある日

 会社がいった。

「あしたからこなくていいよ」


 人間は黙っていた。

 人間には人間のことばしかなかったから。


 会社のには

 会社のことばしか通じなかったから。


 人間はつぶやいた。

「そんなこといって!

 もう四十年も働いて来たんですよ」


 人間の

 会社のことばをよく聞き分けてきたから。

 会社が次にいうことばを知っていたから。


「あきらめるしかないな」

 人間はボソボソつぶやいた。


 たしかに

 はいった時から

 相手は会社、だった。

 人間なんていやしなかった。

石垣りん詩集 (ハルキ文庫)

2008-11-26

『石垣りん詩集』


私の前にある鍋とお釜と燃える火と


 それはながい間

 私たち女のまえに

 いつも置かれてあったもの、


 自分に力にかなう

 ほどよい大きさの鍋や

 お米がぶつぶつとふくらんで

 光り出すに都合のいい釜や

 劫初からうけつがれた火のほてりの前には

 母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。


 その人たちは

 どれほどの愛や誠実の分量を

 これらの器物にそそぎ入れたことだろう、

 ある時はそれが赤いにんじんだったり

 くろい昆布だったり

 たたきつぶされた魚だったり


 台所では

 いつも正確に昼晩への用がなされ

 用のまえにはいつも幾たりかの

 あたたかい膝や手が並んでいた。


 ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて

 どうして女がいそいそと炊事など

 繰り返せたろう?

 それはたゆみないいつくしみ

 無識なまでに日常化した奉仕の姿。


 炊事が奇しくも分けられた

 女の役目であったのは

 不幸なこととはわれない、

 そのために知識や、世間での地位が

 たちおくれたとしても

 おそくはない

 私たちの前にあるものは

 鍋とお釜と、燃える火と

 それらなつかしい器物の前で

 お芋や、肉を料理するように

 深いいをこめて

 政治や経済や文学も勉強しよう、


 それはおごりや栄達のためでなく

 全部が

 人間のために供せられるように

 全部が愛情の対象あって励むように。

石垣りん詩集 (ハルキ文庫)

2008-11-25

『怒らない人』辛淑玉


 公明党が政権政党となったことでさまざまな既得権を手にした人たちもいるが、多くは、真面目に信をし、手弁当で働いている人たちだ。

 実は、私がいい人だなぁとう人の多くが「創価学会員」でもある。

 共に差別と闘い、在日の歴史に涙し、日本政府の欺瞞に一緒に憤り、少数者のためにを上げてくれる友人の多くが、学会員なのだ。そして、少なくとも私は、現在に至るまで、彼らから一度も学会への勧誘を受けたことがない。彼らは、自ら信じる教義に従って、自らの行動をしているからだろう。

 そんな彼らに支えられているのが、公明党である。

 平たく言えば、その政治の志は、庶民の平等覚と平和主義だ。だから、支持を集めようとすると、その志に忠実だというポーズをとり続けなければならない。殉教者は、猛烈な行動力を発揮するだけに、理にこだわる。だから殉教者の支持を取り付けるのは大変なのである。


 たとえば、盗聴法に反対して闘っているとき、公明党浜四津敏子代表代行は、集会で最初わたしの傍で威勢良く反対を叫んでいた。その筋の通った内容だけではなく、権力に対峙するその姿勢が何よりもかっこよかった。

 私はそれがうれしかったし、ほんとうに期待していたのだ。(中略)

 ところがその翌日、公明党は何の説明もなく、反対を撤回したのだ。敵の本丸から自民党の強者たちがずらりと動き出したとたん、あっという間に方針転換して、浜四津氏は盗聴法反対の戦列から消え去ってしまった。

 当初、鮮烈な反対のをあげていた彼女の姿は、一般の人々の脳裏に焼きついただろう。「ああ、やっぱり公明党は庶民の味方、正義の味方なんだ」と。

 しかし、党としての実態は決してそうではなかった。

 私には、いまでも、それが彼女自身のだったとはえない。というのも、その後自民党の右傾化した議員たちによる男女共同参画つぶしの嵐が吹き荒れたとき、体を張って女の側につき、女人権を守ろうとしたは浜四津氏だったからだ。


 民問題では公明党の議員に何回か陳情にいった。中には、すぐにも強制送還されるかもしれない人たちなど、切羽詰った状況も何度かあった。日弁連の集会や人権集会などで、同席した公明党の議員たちに直接働きかけたことも少なくない。しかし彼らは、「政党として、国会議員としてやることは、個人の問題ではなく『民(全部の)問題』の解決のために働くことですから(だから個人の問題にはタッチしないよ)」と語った。

 目の前にある、自分が出会った問題すら解決できないのに、構造的問題を解決などできるのだろうか。支援者が、「学会員だったら(助けてもらえたんでしょう)ねぇ」と吐き捨てるように言った言葉が脳裏に焼きついている。

 私は、「お前、戸田城聖牧口常三郎くらい勉強し直せ!」と喉まで出かかったが、やめた。その遺志を継ごうともわん奴らに言ってもせん無いことだからだ。

 せめて、公明党がケンカに勝つことでよい暮らしができるようになれば、と本当に信じている殉教者たちを欺かないケンカを、この政党はすべきではないだろうか。今の公明党は、最初にひろげた大風呂敷にあちこちほころびができ、風に吹かれてむなしくバサバサと音をたてているだけである。自民党みたいにむき出しの多数派強者のケンカを見せつけられる方が、まだそれに対する敵愾(てきがいしん)も生まれてくるだけまだましというものだ。


 カッコいいポーズだけとって、いざとなったらスーと逃げて、そして、マイノリティを欺いて、支持者をこき使う。その結果、自公連立によって可決された主な法律は次ページ以降のとおりだ。

 そして、いまや憲法改悪へと弾みをつけている。

 公明党の力なくして、これら悪法の可決はありえなかった。

 どこが「自民党の暴走を止めている」というのだろうか。止めてこの程度なら、公明党の能力がいかに低いかということだ。

 支持者たちは、ストーカーよろしく血反吐を吐く選挙を戦っているのだ。本気で支持者のために闘えないのなら、こんなポーズだけの公明党政治家に政治を語る資格などない。


怒らない人 (角川oneテーマ21)

2008-11-24

宗教施設の選挙利用調査を 民主など、公明揺さぶり


 公明党の支持母体である創価学会が所有施設を選挙活動に利用しているとして実態を調査するチームを立ち上げる構を民主党の菅直人、国民新党の亀井静香両代表代行が推進している。

 両党は麻生太郎首相を衆院解散・総選挙に追い込むための公明党揺さぶり策として、創価学会を相手に損害賠償請求訴訟を起こした矢野絢也元公明党委員長の参考人招致を求めている。調査によって招致の必要をアピールし、けん制を強める狙いだ。

 民主党の石井一副代表は「選挙になると、創価学会の施設には仮設電話が引かれ、24時間態勢で選挙運動に入る」と指摘。裏付けのための調査は「招致に現実味を持たせる」作戦だ。

 ただ、クリアしなければならない問題も。施設への人の出入りをチェックした場合、プライバシー侵害や宗教活動に対する妨害行為にあたる可能がある。小競り合いや告発合戦など泥仕合になる危険もあり、菅氏らは調査方法を慎重に検討している。


共同通信 2008-11-24

2008-11-23

可延定業書


 夫れ病に二あり一には軽病二には重病・重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す何に況や軽病をや、に二あり一には定二には不定、定すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す何に況や不定をや(985頁)

  • 真蹟/中山法華経
  • 日なし/文永12年(1275年)説と弘安2年(1279年)説とがある。
  • 対告衆/富木常忍妻

「病」と「」を対比させているのは、近因と本因を示したものか。そう考えると、定=先天的な病気、不定=後天的な病気とも考えることが可能だ。更に発展させると、定=遺伝的要因、不定=環境的要因としてもいいようにう。ただし、御書本文では不軽菩薩が「法華経を行じて定をのべ給いき」と書かれていることから、寿命を指していることが明らかである。

『仏教は本当に意味があるのか』竹村牧男


 しかしながら最近、大乗仏教が多かれ少なかれ関係していると見られる信仰は、部派教団にも出家者にも、実は一様に浸透していたのだということが明かされつつある。あるいは教団を基盤とするということの味が大きく変わろうとしている。釈尊法身を見つつ、かえってはむしろ否定して、真の法身・法そのものを伝道しようとしたのが、大乗の有力な流れを構成するということも見られる。釈尊以来の教の流れの中には、教学中の部派教だけでなく、出家を含む様々な人々の様々な種類の活動があったのであり、その中の一つのうねりとして大乗運動が出てきたと見る見方が今後有力になるかもしれない。


 さらに、歴史的真実よりも宗教的真実を重んじるとき、必ずしも釈尊に帰れは説得力を持たないこともありうることである。我・法の二空を説き、無住処涅槃を説き、他者への慈悲と永遠の利他活動を説く。こうした大乗仏教は、宗教としては一定の原始教や部派教よりも勝れているという判定は、大いにありうることである。人間として、虚に宗教の深みを問うとき、たとえ『阿含経』や『ニカーヤ』が釈尊の語ったことを確かに記録にとどめているとしても、時に非説とも批判される大乗経典の方によりを打たれ、より銘を受けるものがあることお否定しえない事実である。


 私は、その宗教の開祖であることだけをもって、あるいは教団の正統だけをもって、無条件にその価値があるとは考えない。そういう考え方は、一種の権威主義であろうとう。それ自身の価値に拠るのではなく、外的要件によって価値を認める権威主義は、宗教の世界の最も対極にあるものとう。


 それにしても一体、なぜ大乗仏教はこのようなを説いたのであったろうか。

 よくいわれるのは、後世の人々が釈尊を神格化していって、そのように超人的なをつくりだした、というものである。釈尊(歴史上)を信仰し、釈尊を讃仰するあまり、等身大の釈尊をはるかに超える空上の存在を付与していったのだ、というのである。に釈尊の遺骨をお祀りすることによって、民衆はそこに現存する釈尊を得し、常住の釈尊を見出していったであろうことはよくうなづけることである。

 こうした経緯も、確かに全然なかったわけではないのであろう。しかしその神格化が、ひとえに外側からの陀の讃美にすぎないものであって、しかも大乗仏教はこの立場での陀を受けいれたにすぎないのだとしたなら、大乗仏教は釈尊を慕う人々の共同幻にすぎず、単なる誇大妄、空にすぎず、かえって教としての内実を何も持たない、ということにならざるをえない。

 果して、常住の大悲としてのは、単に像上の、実のところ虚妄な存在であり、実はそれほど味を持たないものなのであろうか。それともそうでないのだろうか。この問題を我々は真摯に考えてみなければならない。

 このことについて、私自身が考えるところは、次のようである。

 まず、文学と歴史と宗教ということをよくよく考えてみなければならない。大乗仏教には、教文学運動が相当流れこんでいる。伝文学の燃灯明授記物語や、釈尊の過去世物語等々、文学の中での釈尊の追求が大乗仏教の基盤となっているといっても過言ではない。

 たとえば、大乗仏教で強調される十地(の修行の道程)や六波羅蜜(の修行の徳目)は、教文学で用いられたもので、この一事を見ても、大乗仏教徒文学運動の密接な関係を見ることができる。あるいは、大乗仏教興起の一つの淵源をなすと考えられているには、その欄楯や壁面等には、本生譚や伝がレリーフで表現されていて、のガイドはくり返しその釈尊を民衆に語った。そうした中で、釈尊のあるべき姿が深く追求されていった、と考えられている。

 そのように、文学運動における釈尊の追求は、宗教的にあるべき釈尊、真実の釈尊の追求であり、決して単なる讃美、神格化ではない。むしろこの追求の中で、人間の真実に出会っているのであり、人間存在の奥深くに隠れていた真実を掘り出しているといいうる。とすれば、大乗経典の釈尊ないし陀(阿弥陀等)の物語は、その真実(リアリティ)の神話的投影であるといえよう。


 いずれにせよ大乗経典は、何らかの形で、その旗印の下に集まってきた人々の宗教体験を描いていることはまちがいない。彼らは初め、どこかで歴史上の釈尊その人と確かにつながっていたであろう。部派教団の中で修行した、しかも独自の覚体験を有するに至った人々であったり、釈尊の説法を何らか独自に伝承している人々であったかもしれない。あるいは、文学の領域を借りながらその本質を追求するなど、歴史上の釈尊を深く志向する人々であったりしたであろう。彼らの真の釈尊、真のの追及は、やがて、決定的に歴史上の釈尊を超え、あるは歴史上の釈尊を包摂するを見出し、それを語りはじめたのであった。それは、どこまでも明確な自覚を伴う宗教体験に基づくと考えられ、その限り、決して味のないものとはえないのである。

 そればかりか、私自身はむしろ、その大乗仏教徒たちの宗教体験こそを重視したいとう。それは次の理由からである。

 まず第一に、私は、単に実在の釈尊が説いたからと絶対だ、という立場はとらない。釈尊が説いたいうそのこだけを理由にして、ある教えを絶対とすべきではない。それは、釈尊という権威に追随するのみで、何も内容の吟味が果されていないからである。このことは、正統教団というものが仮にあるとして、正統だからという場合も同じである。


 しかも仮にこれに拠るとしても、釈尊は十二縁起を悟ったのではなく、覚ってから十二縁起を観察したのである。


 大乗仏教は必ずしも歴史上の釈尊に真実のを見るのではなく、むしろ文学運動の中で自覚されたを積極的に語るのであった。もちろんそこには、覚体験、宗教体験の中に自覚されたを表現するという味合いがあったにちがいないが、それを文学的な形式の中に語ったのも事実であった。たとえば、『無量寿経』の法蔵菩薩−阿弥陀の物語りには、おそらくは伝文学の燃灯明授記物語のモチーフが相当流れこんでいる。


 では、以上をふまえて、大乗仏教徒の信仰共同体(あるいは修証共同体)はどのように考えられるべきであろうか。『宝論』でも、三宝の中で、「僧」宝が語られていた。「僧」とは「僧伽」、つまりサンガのことであり、修行者の共同体、教団のことである。ただし『宝論』では、サンガではなくガナという語が用いられている。ガナは、サンガより規制のゆるやかな集団とも目されている。菩薩ガナの語はよく用いられているのである。つまり大乗仏教では、自らの教団のありようを、サンガよりはガナに求めていた。


 最近は、大乗はセクトではなくスクールであったという見方もある。


 この戒律(律)は、そもそも出家修行者の修行共同体(サンガ)の運営規則のようなものであった。もし戒(シーラ)と律(ヴィナヤ)を分けて言えば、戒は個人道修行を守ろうとする徳目であり、律は共同体の秩序を維持するための規則集といえよう。大乗戒といえども、出家者には、元来小乗教のサンガの律であったものが適用されたのである。いうまでもなくそこでは、独身を守り、私有財産を持たないなど、厳しい行持が要求されたのであった。


 このように見てくると、釈尊その人の教は決して、諸行無常・諸法無我・一切皆・涅槃寂滅に終わるものではない。人間の究極の到着地が、灰身滅智や無余依涅槃にあることを、釈尊その人が本当に説いたのかどうかは、『スッタニパータ』からは疑わしい。むしろ我執を脱却して涅槃に一如するという考え方の方が、梵我一如の、無我という衣装で飾った変装で、真の無我に徹していないのではないか。インド社会の中にあって、釈尊の独自の立場が知らず知らず伝統(ブラーフマニズム)による変容を被っていたということも、決して考えられないことではない。当事者は、真剣に教の独自を追及しているようで、実は無識の惟様式に規制されていたということも十分考えられることである。仮にそうだとしたなら、大乗仏教は、真実の釈尊の立場を教にもう一度取り戻そうとする運動であった、といいえよう。少なくとも『スッタニパータ』を見る限り、絶対の主体の自覚と実現にこそ教の核があったのである。それは、どこまでも無一物の中に現成するのであり、たとえば大我を認めて絶対の主体とするのではない。むしろ一切の分別、外的にも内的にも、対照的把握を一切逸脱したところに自覚される主体そのものである。主体そのものであるが故に、それは何びとの傭い人でもないのである。


 一体、そのようなを何故おこすのかというと、具体的に利他の活動に専しているの姿を見て、私もそのようになりたいとおのずからわさせられるからである。それが大乗ということなのである。の側からの恵みによって、自他不二の事実に眼を開かせられ、自利・利他の主体として実現したいと願うようになる、ここに菩提を発すということが成就してくるのである。大乗仏教は、この自己の転換を、最大の課題としたのであった。この菩提を発すということがあれば、修行はほとんど完成したと同じである。

仏教は本当に意味があるのか

2008-11-22

内閣人事局設置先送り…省庁調整が難航、予算間に合わず


 政府が2009年度に設置を予定していた国家公務員の幹部人事を一元管理する「内閣人事局」について、設置が10年度以降に先送りされる見通しとなった。

 省庁間の調整が進んでいないことに加え、新組織の規模など具体的な制度設計が遅れ、年末の予算編成に間に合わないためだ。

 政府首脳は22日午前、「09年度中の設置は極めてしくなった」と記者団に明らかにした。甘利行政改革相が、近く麻生首相と会談して、最終決定する。

 政府は内閣人事局の設置を先送りする代わりに、国家公務員制度改革のスケジュールを、当初予定していた5年間から、4年間程度に短縮した工程表をつくり、改革のスピードを遅らせない姿勢を打ち出す方針だ。

 今年6に施行された国家公務員制度改革基本法は、「縦割り行政」の打破をめざし、施行後1年以内をめどに、内閣人事局を内閣官房に新設するための関連法案を提出するよう定めている。しかし、福田前首相の辞任など政局の混乱や、人事権を奪われることになる各省の抵抗などで、具体的な制度設計作は、ほとんど手つかずの状態になっていた。


【読売新聞 2008-11-22】

試論:ゲーデルの不完全性定理と仏法


 ちゃあんと「試論」と書いておくよ。それでも不信を起こすような者がいるなら、勝手にしろ、だ(笑)。新しい知識が脳内を嵐のように駆け巡っているのだが、如何せん閃(ひらめ)きが出てこない。ってなわけで、悪い頭でいくら考えても仕方がないので、メモ書きを残しておこう。


 クルト・ゲーデルの不完全定理については以下のページを参照されよ――

 第一不完全定理 システムSが正常であるとき、Sは不完全である。

 第二不完全定理 システムSが正常であるとき、Sは自己の無矛盾を証明できない。


 ゲーデルはウィーン大学博士論文で完全定理を証明した。この時、23歳。そして、24歳で不完全定理を発表。それまで営々として築き上げられた数学のを木っ端微塵にした。人類を真理へと誘(いざな)う人物のメッセージは、いつの時代も衝撃的な破壊力に満ちている。スクラップ・アンド・ビルド。粉々になったのは、過去の常識、旧習、い込み、錯覚など、それまで“正しい”とされてきた価値観だ。


 ロバート・オッペンハイマーが「アリストテレス以来の最大の論理学者」と称賛すると、アインシュタインの共同研究者ジョン・ホイーラーは「アリストテレス以来の最大の論理学者と呼ぶくらいでは、ゲーデル過小評価しすぎだ」と述べた。天才的と称される学者のはるか彼方に君臨したのがゲーデルだった。


 ゲーデルは神の実在をも証明しようと試みた。だが、不完全定理は神をも天上から引き摺り下ろそうとする――


 ニューヨーク州立大学の哲学者パトリック・グリムは、1991年、不完全定理の哲学的帰結として、神の非存在論を導いている。彼の推論は、次のようなものである。


 定義 すべての真理を知る無矛盾な存在を「神」と呼ぶ。

 グリムの定理 「神」は存在しない。


 証明は、非常に単純である。定義により、すべての真理を知る「神」は、もちろん自然数論も知っているはずであり、無矛盾でもある。ところが、不完全定理により、ゲーデル命題に相当する特定の多項方程式については、矛盾を犯すことなく、その真理を決定できないことになる。したがって、すべての真理を知る「神」は、存在しないことになる。

 ただし、グリムは、彼の証明が否定するのは、「人間理によって理解可能な神」であって、神学そのものを否定するわけではないと述べている。


【『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論高橋昌一郎(講談社現代新書)】


 ということは、だ。法にも当然、“解決できない矛盾”が存在すると考えられる。「“欠けるところがない”から円教って言うんだろ? エ、これじゃあ、月の家円鏡だわな」と私は呟いた。特に深い味はない。


 ぐらついても倒れないのが私の信条だ。ぐらつきを前傾姿勢に転じて、加速度を増すのは私の得とするところだ。ざまあみやがれ、ゲーデルめ!


 私はこの数年、なぜ大聖人曼荼羅を図顕し、唱題行を勧めたのかについて考を巡らしてきた。実は、釈尊や天台の法に「祈り」ってないんだよね。で、鎌倉教全体が密教の影響を色濃く受けているため、「密教っぽくなったのか?」なんてったりもした。


 例えば、「偶像崇拝」という言葉がある――


【アイコン】Icon


(中略)このIconなる英語は、実は、「イコン」すなわち、ギリシア正教でいうところの「聖母像や殉教者の肖像画」と語源を同じくしている。

 つまり、キリスト教圏に住む英語国民にとって「アイコン」は、相当に宗教味を帯びた言葉なのである。

 であるからして、漢字および文化圏に住む者の一人として、私は、い切って「アイコン」を「曼陀羅」と訳してみたい衝動に駆られるのであるが、そういうことをして界に宗教論争を持ち込んでも仕方がないので、このプランはあきらめよう。

 さて、「イコン」は、聖書主義者あるいはキリスト原理主義者の立場からすると、卑しむべき「偶像」である。

 彼らは、イコンに向かってぬかづいたりする人間を「アイコノクラスト(偶像崇拝者)」と呼んで、ひどく軽蔑する。なぜなら、偶像崇拝者は、何物とも比べることのできない絶対至高の存在である神というものを、絵や彫像のような卑近な視覚対象として描写し、そうすることによって神を貶め、冒涜しているからだ。しかも、偶像崇拝者は、もっぱら神の形にだけ祈りを捧げ、神のみ言葉にを傾けようとしない愚かな人間たちだからだ。

 ……ってな調子で、融通のきかない原理主義の人々はコしいことを言っているが、一般人は、ばんばん偶像崇拝をしている。

 結局、偶像は、迷える仔羊たちに「神」を実させる道具として有効なのだ。というよりも、形を持たないものに向かって祈ることは、並みの人間にはなかなかできないことなのである。


【『コンピュータ妄語録小田嶋隆(ジャストシステム)】


 つまり、もしも曼荼羅が絵像や木像であったなら、これは完全な偶像崇拝となってしまう。ところがどっこい、大聖人の曼荼羅は文字である。「文字即実相なり」(383頁)。


 面倒臭くなってきたので、結論に入ろう。


 ゲーデルの不完全定理が証明したのは「理の限界」だった。それゆえ、法理論にあっても矛盾は存在することだろう。それを打ち破るのが三大秘法なのだ。つまり、「事の一念三千」の当体となる“行為”という別次元から、法理を証明するのだ。ここまでいついてやっと気づくのだが、三大秘法そのものはではない。「場(ば)」であるとするのが相応(ふさわ)しいとう。


 不完全定理は、理の一念三千を説いた法華経迹門の限界を示している。そして、私の疑問の一つは氷解した。めでたしめでたし。

2008-11-21

徳島の連続ビル爆発事件で容疑者を逮捕


 徳島市の徳島県日中友好協会が入ったビルと創価学会徳島文化会館の玄関が10、爆発物で相次いで壊された事件で、徳島県警は21日、同市不動東町2丁目の無職堀太(たか)アキ(「アキ」は日の下に高)容疑者(35)を爆発物取締則違反と激発物破裂の容疑で逮捕した、と発表した。「市販の爆竹を使って自宅で爆発物を作った」と話し、容疑を認めているという。

 捜査本部によると、堀容疑者は1013日午前1時20分ごろ、県日中友好協会が入るビル(同市南内町1丁目)のドアに爆発物を仕掛けて爆発させ、同日午前4時半ごろにも約3キロ離れた創価学会徳島文化会館(同市南沖洲5丁目)のドアを爆発で壊した疑いが持たれている。


f:id:sokaodo:20081121202346j:image


 動機については「長くなるのでゆっくり話す」と言っているという。

 同15日早、地元の徳島新聞社や四国放送が入る新聞放送会館(同市中徳島町2丁目)に、「民族義勇軍 山雄」を乗り、創価学会と中国を批判して犯行をほのめかす明文が届いていた。捜査本部によると、堀容疑者は犯行明を出したことも認めているという。


日新聞 2008-11-21(※写真は山形新聞)】

2008-11-19

2008-11-18

「星の流れに」菊池章子


 先生が当時、聴いていたとわれるバージョン。

D

偽メール問題の永田前議員が自殺未遂


 偽のメールをもとに国会で質問した責任をとって辞職した民主党の永田寿康前衆議院議員が、先週、福岡県内で自殺を図っていたことがわかりました。

 民主党関係者などによると、永田寿康前議員は今12日昼頃、福岡県宗像市にある医療法人所有の保養所で手首を刃物で切り自殺を図りました。命に別状はないということです。永田前衆議院議員は39歳で、2000年に千葉2区で初当選を果たし、過去3回当選しています。

 しかし、おととし、ライブドアの堀江元社長の偽メールを国会で取り上げて議員辞職に追い込まれ、当時の前原代表など民主党の執行部も総退陣しました。

 関係者によると、永田前議員は福岡県内の選挙区で国政選挙への出馬を模索していたということです。


TBS News i 2008-11-18

入会記念日


 本日、創価学会創立記日。そして、我が入会記日でもある。左上に掲載している写真を撮った直後のこと。45年目を迎えた。学会創立は、『創価教育学体系』の発刊日(昭和5年、1930年)となっている。発会式は昭和12年(1937年)の12である。

『創価教育学体系』は、若き戸田先生の奮闘によって刊行された。この時、30歳。

 その後、42歳で牧口先生と共に獄へつながれ、45歳で出獄された。今の私の年齢である。わずか13年間で75万世帯の折伏を成し遂げ、霊山へと旅立たれた。池田先生が薫陶を受けたのは実質10年だった。


 21世紀に入ってからというもの、歴史に残るような舞台が少なくなっているようにじる。先生の功績にオンブに抱っこじゃ、あまりにもみっともない。後世の学会員から、「池田門下生は、師匠の晩年にあって失速した」なんて言われたら、カッコ悪いからね。


 時代の変革は一人の小さな力を奮い起こすところから始まる。毎日が創立記日、毎日が入会記日とのいで、新たな挑戦を開始してゆこう。

霊は存在するのか?


 先生は霊界があるといますか。そう尋ねる人が多い。そういう時には、「もちろんある」と胸を張って答える。そもそも「ない」ものについて語ることは不可能である。それなら、どこにありますか。頭の中にある。そう答えると、それは「ない」ということだとうらしい。では聞くが、直線はどこにあるか。家の柱。では虫メガネを持ってきて柱を丁寧に観察する。とうてい直線とは言えない。デコボコしている。定規でまっすぐ線を引く。これは直線か。虫メガネで見たら、とてもそうは言えない。

【『カミとヒトの解剖学養老孟司


カミとヒトの解剖学 (ちくま学芸文庫)


 こうなると、霊はいないという言葉の味がなくなる。お釈迦様のいうように実在はしていなくても、それを見て恐怖におののく人がいて、また、それと闘って勝てば消滅できるし、負ければ死んでしまう僧侶がいる以上、霊はいるというべきなのだ。「霊は存在するが、その実体は空である」というのが正確な表現であろう。もしくは「霊に実体はないが、世俗的には存在する」ということである。情報空間(仮空間)にしか存在しないが、物理的に実在するのと同じ影響を生身の身体に与えるということだ。

 ここに洗脳の危険がある。

【『洗脳護身術 日常からの覚醒、二十一世紀のサトリ修行と自己解放』苫米地英人


洗脳護身術―日常からの覚醒、二十一世紀のサトリ修行と自己解放

2008-11-16

2008-11-15

2008-11-13

訃報


 長峰亘さんが本日、老衰のため逝去。享年88歳。神田學志さんの後を追うように逝かれてしまった。私を訓練してくださった方々が次々と亡くなってゆく。中年期の過酷さをい知る。明日は江東区の日。

2008-11-12

2008-11-11

沖浦克治氏の「人本仏迹論」を正す


 Web上で珍説を振りかざす沖浦克治氏に対して、詳細な破折が行われている。私からも「組織利用」である旨を再三にわたり綴ってきたが、いまだに応援している学会員が存在する。以下の文章を読んで再考されるよう望む。

2008-11-10

麻生が青ざめた 自民党最新世論調査の中身


現職閣僚の半分が落選危機


選挙管理内閣」だったはずの麻生首相は、相変わらず解散から逃げ回っている。麻生を解散回避に走らせた決定打になったのが、自民党の最新世論調査だ。10中旬に調査したものだが、内容は見るも無残。小選挙区は現有の219議席から135議席に激減と出ているのだ。

 町村前官房長官が「私も含めて全滅する」と予言した北海道は、中川昭一財務相以外は全敗。ほかにも、1議席しか維持できない地域がゴロゴロ。岩手山形福島、山梨、長野、奈良、徳島、香川、佐賀、長崎、大分沖縄の12県にも上る。新潟と滋賀の両県にいたっては議席ゼロの壊滅だ。

 現職閣僚の“ 成績”も散々で、半数がバッジを失いかねない異常事態。圧勝が予されるのは、野党候補にトリプルスコアをつけている麻生と小渕少子化担当相の2人だけ。中川昭一財務相(+3ポイント)や鳩山総務相(+1)は薄氷だ。佐藤勉国家公安委員長はマイナス3ポイントも水をあけられていて、落選必至。ほかにも古賀誠選対委員長(−1)、久間元防衛相(−6)、山崎拓元副総裁(−3)、赤元農相(−6)、石原宏高代議士(−6)と負けこんでいる。

 公明党幹部連中もボロボロだ。太田代表は対抗馬さえ決まっていないのに12ポイントもリードされ、赤羽副幹事長(−7)と冬柴元国交相(−1)も負け組だ。

 解散から逃げても上がり目はない。麻生が政権をブン投げる日は刻一刻と近づいている。


【日刊ゲンダイ 2008-11-07】

2008-11-09

細田・自民幹事長「年内解散ない」


 自民党の細田博之幹事長は9日、民放の報道番組で、解散の時期について「年内は今やない。もうちょっと先に延びた」と述べ、年内解散の可能を否定した。自民党幹部は同日、「(解散は)来年度予算と関連法案が成立してからだ」と語り、総選挙は4以降との見通しを示した

 細田幹事長は番組で、麻生首相が11総選挙を見送ったことについて「解散して民を問うことが最も望ましい。ところが国際的な通貨、金融の大問題が発生し、総理が責任を持って対応しなければいけないと考えられた。総理の最終的な判断だ」と説明。

 その一方で、「私は今でも早期解散をすれば良かったし、そうすべきであるという考えは変わっていない」と強調した。


日新聞 2008-11-09】

阿部日顕の「カマシ」発言


 この影響かどうかはわからぬが、新しい『広辞苑』に「かます」という言葉が採用された。

2008-11-08

「里の秋」Viento


 アルバム『森の歌』所収。Viento九州を中に活動しているユニット。オカリナケーナサンポーニャという楽器は中米・南米発祥でありながら、日本人の地よく響く。高温多湿な空気を、乾いた音が振るわせるせいだろうか。素朴な音を発する楽器であるが、奏者の吉川万里はタンギングを抜いたり、図的にタイミングをずらすことで、曲に深みをつけている。ぼーっと聴いていると気づかないが、物凄く計算されている。それにしても映像が素晴らしい。NHKでそのまま使えそうだ。


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檜山先生


 池田先生師。小学校5〜6年時の担任。檜山浩平(ひやま・こうへい)。先生の随筆などで折に触れて紹介されている。世に功成りを遂げた人物は多い。だが、生涯にわたって小学校の師を大切にする人を私は知らない。


 今年の112日、私の小学校時代の師である檜山浩平先生が逝去なされた。

 蒲田の羽田第二尋常小学校(現・糀谷小学校)で、5年生と6年生の2年間、担任をしてくださった先生である。

 この檜山先生のことを、私は一生涯、忘れることはない。

 昭和48年の秋、檜山先生の故郷である栃木の学会の会合に、先生ご夫妻をご招待申し上げたことも懐かしい。

 私は多忙のため、残ながら同窓会にも出席できずにきた。しかし、友人たちが師のもとに集まって、私のことに話が及ぶと、先生は決まって、「池田君は来なくてもいいんだ。世界の平和のために、世界中を回っているんだから」と言ってくださったそうだ。

 師というものは、深き慈愛と理解をもって、教え子を一生涯、見守ってくださることを、私は深く知った。

 先日、先生の奥様から、過分な御手紙を頂戴した。檜山先生を偲びつつ、謹んでご紹介させていただきたい。

「何時(いつ)も主人と話して居りました。池田先生が見守ってくださるから有いですね、と。

 告別式には、先生から頂いた弔電を一番先に読ませて頂きました。身にあまるお言葉で、必ずや主人も喜んで聞いていたでしょう。私は涙がこぼれて止まりませんでした」

 そして、奥様は、こうも綴ってくださった。

池田先生が小学6年生のお正、お友達と、家を訪ねて来てくださいました。

『先生、母が作った海苔です。食べてください』と頂いた海苔。東京にはこんなおいしい海苔が出来るのかと喜んで、ご馳走になったのを覚えています」

「20数年ぶりで、池田先生に宇都宮でお会いしました時は夢のようでした」

「先生は、日本の指導者、世界の偉大なる指導者になられました。毎号の『創価学会ニュース』も、先生ご夫妻が写っていると言って、嬉しそうな顔をして眺めて居りました。

 偉大なる教え子を持った主人は幸せ者でした。池田先生、奥様、本当に有うございました」

 最良の師のを噛みしめながら、私は毎日、追善させていただいている。


【「随筆 人間世紀の光」共戦のが光る香川 2004-03-21 聖教新聞


忘れ得ぬ


 教員の皆さん方は「人間教育の指導者」である。「創価教育の黄金柱」である。

 多くの学生から、「あんなに温かい、いい先生はいない」「この先生に出会うことができて本当に良かった」とから慕われる教師になっていただきたい。

 私にも、忘れ得ぬ師とのい出がある。

 小学校の5年と6年のときの担任は、檜山浩平(ひやまこうへい)先生であった。

 6年生の修学旅行のときである。友だちにおごってばかりいて、お小遣いを使い果たしてしまった私を、檜山先生はじっと見ておられた。

 そして、「池田君、君のお兄さんたちは、戦争に行っているんじゃないか。お父さんや、お母さんに、おみやげを買ってあげなければいけませんよ」と言われ、陰でそっとお小遣いをくださったのである。

 決して私を特別扱いされたのではない。

 日ごろから、一人ひとりの生徒に、それとなく気を配り、家庭の状況などにも細かに配慮してくださっていた。

 卒後も、お会いするたびに、温かなで包んでくださった。

 檜山先生は、私が世界の平和のために、各国を回っていることを大変に喜ばれていた。

 あるときは、「高木(こうぼく)は風に妬(ねた)まれる」との言葉を引いて、励ましてくださったこともある。

 昨年1に安らかに逝去された先生。折あるごとに私のことを懐かしく語ってくださっていたとも、うかがっている。

 あまりにも大きな、わが師のを噛みしめながら、私はいつも追善をさせていただいている。


【創価教育代表協議会 2005-07-27 聖教新聞


 先日も紹介したが、イギリスで最も偉大な教育者と謳われるトーマス・アーノルドについて話しておきたい。〈19世紀、門「ラグビー校」の校長として活躍〉アーノルドの教え子たちは、彼を一生涯、慕い続けた。よき先生に巡り合った教え子とは、そういうものだ。

 私もいまだに、小学校時代の先生方のことを鮮やかに覚えている。〈創立者の小学校入学は昭和9年(1934年)〉

 小学校1年が手島(てじま)先生、2年が日置(ひおき)先生。ともに女の先生であった。

 3〜4年の時は、竹内欽吾(きんご)先生。

 5〜6年の担任は、檜山浩平(ひやまこうへい)先生。檜山先生は、私の成長と活躍を大変喜んでくださり、昨年亡くなられるまで、折に触れて交流させていただいた。

 続く高等小学校の2年間は岡辺克海(おかべかつみ)先生である。

 当時、戦火の色は、年を追って濃くなっていった。私は4人の兄を戦争にとられ、長兄をビルマで亡くした。

 しかし、師の方々のことは、あの暗い時代にあって、明るく温かいい出として、今も胸に残るのである。


【創価一貫教育協議会 2005-09-24 聖教新聞


 広宣流布の道に安逸はない――それが、山本伸一の信であった。

 伸一は、(1973年)10正本堂建立一周年の記行事に参加するために来日した世界各国のメンバーの指導に力を注ぐとともに、「創大祭」に出席するなど、創価大学学生や教職員の激励に時間を割いた。

 そして、11の6日には、宇都宮市の栃木県体育館で行われた第1回栃木県幹部総会に出席したのである。

 伸一の栃木訪問は、1967年(昭和42年)4以来、実に6年7カぶりであった。

 栃木県は、工場の誘致や都市化が進み、便利さと引き換えに、それまであった地域的な連帯や伝統文化などが、次第に失われつつあった。

 そのなかで同志は、地域社会に、新たな人間のネットワークをつくり、「人間の都」を築こうと懸命に活動に励んでいたのである。

 午後6時過ぎ、会場の体育館に到着した伸一がロビーに入ると、そこに初老の紳士と婦人が立っていた。尋常小学校時代の師である檜山浩平とその夫人であった。

「檜山先生! 奥様!

 わざわざおいでいただき、ありがとうございます。お会いできて嬉しくっております。お元気でしたでしょうか」

 檜山は、伸一が羽田第二尋常小学校(現在は大田区立糀谷小学校)の5、6年生であった時の担任であった。

 伸一は、檜山が栃木県内の小学校長を最後に、定年を迎えたと聞き、“できることなら一目お会いし、御礼を申し上げたい”とい、栃木県幹部総会に招待していたのである。

 檜山は喜び勇んで、バスで1時間半もかけ、わざわざ夫妻で駆けつけてくれたのだ。

 教え子をうその真に、伸一は、胸が熱くなった。彼が差し出した手を、檜山は嬉しそうに握り締め、何度も頷いた。

 伸一は、檜山夫妻を丁重に控室へ案内した。

 お世話になった先生のには、生涯をかけて報いていこうというのが、伸一のいであった。

 報は、人間の人間たる証といえよう。

 典にも、釈尊は「報者」(返しをする人)と呼ばれたと説かれている。


 山本伸一の担任をしていたころ、檜山浩平はまだ25〜26歳であった。長身で眉が濃く、額の広い、精悍な顔立ちの青年教師であった。

 悪いことは絶対に許さぬという厳しさと、温かさを併せもった教師であり、児童の誰からも慕われていた。

 長い歳は、彼の広かった額をさらに広く光らせていたが、その目には、教え子への深い慈愛があふれていた。

 檜山は、目を細めながら語った。

「……ご立派になられて。大変なご活躍、嬉しく、誇りにっておりますよ。

 先生の本は読ませてもらっています。トインビー博士とも対談をされたんですね」

 伸一は、敬愛する師に「先生」と言われ、いたく恐縮して答えた。

「はい。人類の未来のために、真剣に語り合いました。檜山先生が、私のことを、そこまで知ってくださっていることに動しました。

 教え子をいつまでもい、大切にしてくださる先生の優しさに、打たれます」

「檜山先生」についての伸一のい出は、数限りなかった。

 よく檜山は、吉川英治の小説『宮本武蔵』を、授の合間に読んでくれた。身振り手振りを交えての朗読は、臨場に富んでいた。

 伸一は、武蔵と小次郎の決闘の場面など、自分がそこにいるようないにかられ、胸を躍らせて聴き入っていたことが忘れられなかった。

 また、ある時の授で、檜山は世界地図を広げると、児童たちに「どこに行きたいか」と尋ねた。

 伸一がアジア大陸の真ん中辺りを指差し、「ここです!」と答えると、檜山は会の笑顔を浮かべて言った。

「そこは、敦煌といって、すばらしい宝物がいっぱいあるところだぞ」

 そして、子どもたちの夢の扉を開き、好奇を呼び覚ましながら、シルクロードについて語るのであった。

 牧口常三郎は「教育の根本は児童のもっている天を発揮させ、興味をもたせることがまず大切である」と述べている。

 檜山は、まさに、その達人であり、伸一も檜山によって、どれほど多くのことに興味を覚えたか計り知れなかった。


「檜山先生」とのい出のなかで、山本伸一が絶対に忘れることができないのが、6年生の修学旅行でのことであった。

 関西方面への4泊5日の旅であったが、伸一は母親がやりくりして持たせてくれた小遣いを、1日目で使い果たしてしまった。

 同級生との泊まりがけの旅行の嬉しさからか、菓子などを買っては気前よく友人たちに分け与え、あっという間に、小遣いは底をついてしまったのである。

 担任の檜山は、そんな伸一の行動をじっと見ていた。彼は、旅館の階段で伸一を呼び止めた。

「山本君、君のお兄さんたちは、戦争に行っている。

 だから君は、せめて、お父さんやお母さんに、お土産を買って帰らなければいけませんよ。少しでも、ご両親に喜んでいただくのです」

 伸一は“そうだ。先生の言われる通りだ”とったが、次の瞬間、小遣いを使い果たしてしまったことに気づいた。

 労して小遣いを工面してくれた母の顔が浮かんだ。しょんぼりした。

 檜山は微笑みを浮かべて、伸一の腕を引き、階段の陰に連れて行った。

 そして、そっと、紙幣を伸一の手に握らせた。 「これで、家族にお土産を買っていきなさい」

 1円札が2枚あった。当時の1円は、子どもにとっては、かなりの大金であった。

 檜山は、教え子には、分け隔てなく接する教師であった。

 しかし彼は、友人に菓子を振る舞う伸一のい、その家庭状況もよく理解し、深く配慮してくれたのである。

 家に帰った伸一は、母に土産を渡し、そのことを話した。母は、彼を見つめて言った。

「ありがたいことですね。檜山先生のごは、決して忘れてはいけませんよ」

 人間としてを忘れるな――それが母の教えであった。

 伸一が小学校を卒したあと、檜山は、学童疎開で静岡や秋田に行き、戦後は、故郷である栃木に戻った。そして、定年を迎えたのである。

 伸一は、「檜山先生」の、あの遣いを、忘れることはなかった。折に触れて、深い謝のいを込め、近況を伝える便りなどを出し、交流してきたのである。


 山本伸一は、「檜山先生」が、かつて教室で、「人材は宝である」と慨深く語っていたことが忘れられなかった。

 また、檜山は「平和のために尽くす人材を育てるのが教育である」との信をもっていた。そのいは、子どもたちのにも強く伝わってきた。それは伸一にも大きな影響を与えたといえる。

 伸一は、檜山と語り合いたいことはたくさんあったが、既に栃木県幹部総会は始まっていた。

 伸一は、最後に、檜山に言った。

「檜山先生、本日は、本当にありがとうございました。今日の私があるのも、先生のお陰でございます。

 先生の教え子として、誇りをもって、社会のために尽くし抜いてまいります。先生のごは決して忘れません」

 そして、深々と、丁重に頭を下げた。

 檜山は、成長した教え子の姿に、無量の面持ちで、笑みを浮かべて語った。

「どうか、体を壊さないように頑張ってください。もっとも、休む暇もないようですが……」

 どこまでも教え子をいやる檜山のが、伸一の胸に熱く染みた。


 伸一は、「檜山先生」だけでなく、自分が教わった先生方全員に、強い謝のをいだき、深い義をじていた。

 いや教師に限らず、自分がこれまでに関わったすべての人に、同じいをいだいていた。

 それは、法者としての、彼の信によるものであった。

 法の基本には、「縁起」というがある。それは「縁りて起こる」ということであり、一切の現象は、さまざまな原因と条件が相互に関連し合って生ずるという味である。

 つまり、いかなる物事も、たった一つだけで成り立つことはなく、すべては互いに依存し合い、影響し合って成立することを、法では説いているのである。

 人間もまた、自分一人だけで存在しているのではない。あらゆる人に助けられ、影響や恵を受けて、生きているのだ。

 その考えに立つならば、父母、兄弟、教師はもとより、あらゆる人びとに、自ずから謝のをいだくことになる。


【『新・人間革命  第18巻』「師」の章】

2008-11-07

税金無駄遣い1253億円 前年の4倍、過去最悪


 会計検査院は7日、官庁や政府出資法人などの2007年度の決算検査報告を麻生太郎首相に提出した。税金の無駄遣いなど不適切な経理処理は計981件、総額は約1253億6000万円に上った。愛知、岐阜など12道府県の不正経理問題では、計約11億3700万円の不正を指摘した。うち国庫補助金が計約5億5600万円で、残りは自治体単独の事費。

 指摘総額は過去最高で、前年度(約310億円)の約4倍。検査院は「登記するよう法務省に求めた国有財産の価格(約313億円)などが含まれており、総額が膨らんだ」と説明している。12道府県の不正経理は全容が判明。架空発注などで支払った公金を者の口座にプールする「預け金」は、6府県で計1億円以上が指摘された。検査院は残る35都府県も調査する。

 報告によると、不正経理の調査は12道府県を選び、02−06年度に国土交通、農林水産両省が交付した公共事の補助金を含む経理処理を対象に実施した。

「預け金」のほか、虚偽の書類を作り、契約とは別の物品を納入させる「差し替え」など、不正経理の5つの手口を中に調べた。その結果12道府県すべてで不正があり、岩手、栃木、長野、愛知、京都、和歌山の6府県で計約1億400万円の「預け金」が判明した。

 不正額は愛知が約3億1000万円(国庫補助金は約1億3000万円)、次いで岩手が約2億300万円(同約1億700万円)。「預け金」は愛知が約6500万円、岩手が約3500万円。愛知は「預け金」を「裏金」と認めたが、岩手など5府県は「裏金ではない」としている。

 補助事と関係ない用務の出張旅費に補助金を充てるケースが12道府県すべてで見つかり不正額は計約4億9500万円だった。

 検査院は、指摘総額のうち約377億円は、法令違反などがあり「不当」としたほか、1946−06年度の報告で指摘後も国庫に返還されていない債権など計約131億8000万円(計465件)を初めて報告に盛り込んだ。


決算検査報告

 国の予算などが適切に使われたかチェックする会計検査院は、国の機関と国が2分の1以上を出資する法人などの決算を検査、毎年秋に首相に報告、内閣が国会に提出する。不適切な事案を指摘内容により「不当事項」「処置要求」などに分類し、国会から検査要請があった事案や国民の関の高い問題は「特定検査対象」として盛り込む。


【中日新聞 夕刊 2008-11-07】

2008-11-06

2008-11-05

米大統領選:人種超え「変革」選択 オバマ氏当選


 4日投票の米大統領選で民主党のオバマ上院議員が勝利したことで、米国民は「ブッシュ政権8年間」に明確な決別を告げた。イラク戦争の長期化や経済の先行き不安などで閉塞(へいそく)を強める米国民は、「変革」を掲げたオバマ氏に米国の再生を託した。歴史的な人種の壁を乗り越えた初の黒人大統領の選出により、米国は新たな時代に一歩を踏み出す。

 選挙戦の流れを決定づけたのは経済問題だった。8に米国の失率は6.1%と過去5年で最悪を記録。9中旬からの金融危機の深刻化とウォール街の株価大暴落で有権者の「変革」への期待に火がつき、オバマ氏が支持を伸ばした。

 オバマ氏は危機に際し、「(1929年の)大恐慌以来、最も深刻な金融危機」とする明を発表し、事態の深刻さを強調した。一方のマケイン氏は、「米経済のファンダメンタルズ(基礎的諸条件)は依然強い」と主張。有権者の将来への不安を前に「経済オンチ」ぶりを露呈した。

 国民の不安と不満が高まるなか、オバマ氏は有権者の「反ブッシュ」情を効果的に支持拡大につなげた。9下旬のテレビ討論会で、金融危機は「ブッシュ大統領の8年間の失政の結果」と批判し、マケイン氏をブッシュ大統領と一体化する戦術で攻めた。

 選挙戦では米国民の求める変化の「度合い」も問われた。オバマ氏は経済における「政府の役割」や福祉政策の充実を打ち出した。目指すのは米国の「抜本的な変革」だ。

 これをマケイン氏は「大きな政府」「危険なリベラル(左派)」と批判し、自らは共和党の基本路線を踏襲する「小ぶりな改革」をアピールした。だが米メディア出口調査によると、候補者選びで重視することに「変化」を選んだ人は35%で、そのうち9割がオバマ氏を支持。米国民は、より大きな変化を求めたといえる。

 マケイン氏は共和党初の女副大統領候補としてアラスカ州のサラ・ペイリン知事を起用。話題を集めて一時は支持率でオバマ氏を上回ったが、「資質」に疑問が集まり、効果は持続しなかった。

 選挙戦を通して、米国自身の「変化」も試された。オバマ氏は黒人と白人の両親を持ち「人種を超えた(ポストレイシャル)候補」とも呼ばれる。白人を敵視する旧来の黒人指導者らとは一線を画すからだ。

 オバマ氏は黒人奴隷の子孫ではない。しかし、米国民がオバマ氏を最高権力者に選んだことは、奴隷制度という歴史の「負の遺産」を引きずる米国にとって歴史的な大転換と言える。

 出口調査によると、今後数年間で人種問題が「改善される」と予測した人は約半数。その7割がオバマ氏の支持者だった。だが残る半数は「同じ」か「悪くなる」と回答。人種問題をめぐる認識の格差を浮き彫りにした。

 選挙前の各種世論調査によると、オバマ氏の主な支持基盤は若者や大卒以上の高学歴層、黒人だった。実際の投票では、社会的価値観において保守的で人種の違いに敏だといわれる労働層も、政策面での期待からオバマ氏を支持した。米国そのものが「変化」を起こした選挙だった。


【毎日新聞 2008-11-05】

2008-11-04

2008-11-03

沢村賞に楽天の岩隈が初受賞


 プロ野球創設期に活躍した故沢村栄治投手(元巨人)を記して、シーズンで最も活躍した先発完投型投手に贈られる「沢村賞」の選考委員会が3日、東京都内で開かれ、全会一致で楽天・岩隈久志投手(27)を選出した。岩隈は初受賞で、楽天勢でも初めて。

 選考では、日本ハム・ダルビッシュ有投手とのダブル受賞を推す見もあった。ダルビッシュは北京五輪で約3週間チームを離れながら、12球団最多の10完投をマークし、選考基準の7項目もすべてをクリアした。

 最終的には、5位に低迷したチームにあって、パ・リーグで23年ぶりの21勝を挙げた岩隈の奮闘が高く評価され、単独受賞が決まった。


【産経新聞 2008-11-03】


 プリン君からの情報。

イエロージャーナリズムにも良心は存在する


 埼玉県で起こった桶川ストーカー事件。ストーカー規正法のきっかけとなった犯罪である。容疑者を特定し、居場所までつきとめたのは写真週刊誌『FOUCUS』の記者だった。


 被害女は、両親を伴って何度も埼玉県上尾警察署へ足を運んで相談をしていた。ところが、刑事はけんもほろろの対応を繰り返す。そして女子大生は刺殺された。


『FOUCUS』の記者がこの事件を追い続ける。被害者の知人友人から取材をし、現場周辺で情報収集をする。そして遂に容疑者をつきとめた。記者はスクープを断し、上尾警察署に情報を提供しにゆく――


 いくらやっても私との距離をまるで詰めようとしない副署長。怒鳴っている私を無視して事務仕事に没頭する他の刑事や職員達。なんなんだここは。

 あの日、詩織さん達がここに相談に来て、絶望したのがよく理解できた。ここはまったくダメだ。「人間」がいないのだ。詩織さんは二つの不幸に遭遇した。一つは小に出会ったこと。もう一つは上尾署の管内に住んだことだ。


【『遺言 桶川ストーカー殺人事件の深層』清水潔】


 後日、判明するのだが、上尾署は告訴状の調書まで改竄していた。更にあろうことか、被害女の両親には告訴を取り下げるようそそのかしていた。


 そうまでして守ろうとしたものは一体何であったのか。警察の体面、署内におけるヒエラルキー、公務員としての立場、老後の年金……。自分達の利益のために上尾警察署の警察官は、一人の女子大生を死へと追いやり、遺族の情をも踏みにじった。上尾警察暑に「人間」はいなかった。そこにいたのは「組織の奴隷」だけであった。


 記者の情報は一顧だにされなかった。それでも、記者はあきらめきれず、大手新聞社の知人を通じて警察に伝えることができた。一人の記者が調べられることすら、捜査本部は調べられなかった。実は調べる気もなかったのだ。


 私は全く知らなかったのだが、ストーカー行為をしたのはやくざまがいの男だった。手下まで使って嫌がらせを繰り返した。女にとっては、街でを掛けられ、カラオケに行ったことが人生の命運を分けてしまった。


 組織には人間をロボットにする力がある。そして、権力は人間を手段化する。悪は芽の小さいうちに、叩き破っておくべきだ。そうでないと、死人が出るということだ。

遺言―桶川ストーカー殺人事件の深層 桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

植木雅俊氏が毎日出版文化賞(企画部門)を受賞


『梵漢和対照・現代語訳 法華経 上・下』=植木雅俊・訳(岩波書店)


経典理解と見事に呼応

 法華経は、大乗仏教を代表する重要な経典だ。わが国では鳩摩羅什(くまらじゅう)による漢訳が読まれてきた。訳だが、19世紀にサンスクリット原典が見つかり、テキストを対照してより正確な味を研究できるようになった。

 植木氏は独学で教学を学び、30代後半に東方学院の門を叩(たた)いて、中村元院長の教えを受ける。中村院長の励ましのもと、サンスクリット語の学習を始め、以来寸暇を惜しんで研鑽(けんさん)すること十数年、独力で法華経の現代語訳を完成させた。一個人の仕事として、まれに見る偉である。

 翻訳は、徹底した経典理解と呼応する。植木氏はまず、経典を《白蓮華(れんげ)のように最も勝(すぐ)れた正しい教え》と訳す。法華経の中については《三乗のすべてを一仏乗に導く。そしてすべてを成させる》のが《法華経の目指したことであった》とする。くっきりと力強い理解である。

 今回の訳は、信仰をもつ人びとにとってはもちろん、一般読者にも大いに有益だ。地味だが有義な企画を進めた版元の英断も、企画部門の受賞にふさわしいと判断された。(橋爪大三郎


毎日新聞 2008-11-03

法華経 上―梵漢和対照・現代語訳 法華経 下―梵漢和対照・現代語訳

2008-11-02

2008-11-01

何をもって戦うか?


 普通であれば武器だ。世界中には様々な挨拶の様式があるが、これらは全て武器を持っていないことを確認する味があると言われる。握手、ハグなど。日本古来のお辞儀は、多分急所である頭を差し出すことで相手の警戒を解こうとしたものだろう。「叩いても、よござんすよ」ってなじだろうか。


 文明は武器をも発達させた。たったの3000年で、木石から鉄器へ、火から核爆弾へと変貌した。武器に求められるのは殺傷力である。科学技術の進歩を致死の高さが証明するのだ。


 しかし、だ。武器がなかったら何をもって戦うだろう? 肉体だ。では、囚(とら)われの身となったら、どうする? そもそも、戦う場面なんてあるのだろうか。あるんだよ、これが。


 フランス人っていうのは、おかしいとったら一人でも闘う。

 それがフランス革命を起こしたこの国の伝統で、

 フランス人が一番大切にする気質です。

 1940年、わたしがドイツ軍に捕まった時、それはちょうど結婚した

 ばかりの時期でしたから、指に新しい結婚指輪をつけていたんです。

 で、それを見つけたドイツ兵は、無理矢理、指輪を指から盗ろうとした。


 もう頭にきてねぇ。一人でも闘おうと決しました。


 捕虜になると、最初に顔写真を撮られます。

 ナチスの連中はたかだか証明写真だっていうのに、

 わたしの身体をカメラの前に置き、ものすごい力で両脇から押さえつけてきた。

 フランス人なら絶対こんな時、闘わなくちゃいけない。

 だから、わたしはシャッターが押される瞬間、カメラの前で目一杯

 舌を出してやったんですよ。……こんな風にね。

 もちろん殴られて、再度写真を撮られることになった。

 でもわたしは抵抗をやめませんでしたよ。

 何度も何度も、彼らが諦(あきら)めるまで私は舌を出し続けた。


 独裁とは一人でも闘う。


 小さなことかもしれませんが、

 それがフランス人の矜持(きょうじ)なんです。


【『この大地に命与えられし者たちへ』写真・文 桃井和馬(清流出版)】


 ベロを出した普通のオジサンが写っている。少しピンボケした写真が、妙に臨場を高めている。オジサンは殴られても殴られても尚、ベロを出し続けた。フランス人のエスプリここにあり、だ。


 創価学会の原点は、戸田先生獄中の悟達にある。であれば、学会の歴史は獄中から始まった事実を忘れてはなるまい。


この大地に命与えられし者たちへ