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2009-02-28

第7艦隊


 民主党の小沢一郎代表が「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンス(存在)は第7艦隊で十分だ」と述べたそうだ(2月24日)。そして、我々が広布に走っている間、小沢は火消しに走っている。昨日からは「消防士・小沢」だ。


 私は「政権交替を確実視されて米国の向を事前アナウンスしたのかな?」ともった。そうでなかったとしたら、この発言だけで政治生命を絶たれかねない。一度アメリカに睨(にら)まれれば必ず葬られてしまう。


 個人的には小沢発言を評価する。「あ、そういう考え方もあるのね」とわせてくれるだけでも十分過ぎる価値がある。学会員もそろそろ本気で防衛について考えるべきだ。


 日本を取り巻く状況を極端な例で示そう。「絶対に喧嘩はしません」という平和主義者がいて、彼の背後には見るからに凶暴そうなやくざ者がガードを固めている。あるいは、「この車は法定速度を守ります」というシールを貼った乗用車が、猛スピードで走るトラックで運ばれている。ま、こんなじだろう。汚い仕事は他人任せ、軍事行動は米軍任せってわけだ。


 こんな国家が発する平和のメッセージにどんな力があるのか。平然と嘘をつきながら、綺麗事を述べているに過ぎない。


 もちろん軍備放棄という手もある。その場合は、中国支配下のチベットと同じ状況になることを認めたも同然だ。私は嫌だね。


 国際社会で軍事バランスが働いている以上は、軍隊を持つべきだ。国際社会において、我が国は北鮮ほどにもイニシアチブを取ることができていないのが現実だ。日本はジャイアン(米国)の顔色を窺うスネ夫みたいなもんだ。


 アメリカの第7艦隊よりも強力なものを私は知っている。それは「ウルトラマンA(エース)」だ。Wikipediaによれば、


戦力:兵力71000人分、艦船190隻分、航空機750機分、アメリカ第7艦隊以上の戦力を持つ。


 となっている。しかも、宇宙警備隊での役職が「支部長」となっている。今直ぐ学会に入ったとしても支部長になれるかも知れない。いや、私は今日からエースのことを「支部長」と呼ぶことに決めた。ウルトラ支部長――。


 そうか。そうだったのか。円谷プロは、このことを予見していたに違いない。つまり、だ。エースが体現していたのは「在日米軍」だったのだ。

佐藤秀峰


 漫画家。作品に『海猿』『ブラックジャックによろしく』などがある。私はどれも読んでいない。はてなダイアリーの紹介記事を見て、早速佐藤氏のサイトを覗いてきた。いやはや凄いね。とにかく「プロフィール」を読んで頂きたい。見事な漫画作品となっている。


 淡々と漫画を描き、淡々と編集部に抗議をし、淡々と闘う様がユーモラスに表現されている。数多くあったであろう葛藤はきれいさっぱり割愛されている。を打つのはその「無言のメッセージ」である。あたかも俳句のような世界だ。


 漫画ページが閉じれなくてあたふたしたが、「Esc」キーを打てば終了する。

アンベードカルを宣揚する 5


 アンベードカルは不可触民でありながら、ロンドン大学・コロンビア大学で博士号を取得し、ボン大学に留学した。そして上級法廷弁護士の資格を勝ち取った。だが決して順風満帆の人生を歩んだわけではない。結婚後は4人の子供を亡くし、茫然自失の日々を過ごしたこともあった。また、ガンディーを昂然と批判してからというもの、インド各界から罵を浴びせられた。アンベードカルは新聞を発行し言論戦を展開。孤軍奮闘しながら不可触民にエールを送り続けた。そして、アンベードカルは女を大切にした。


 夜10時、大会は終了し、アンベードカルは直ちに3000人の婦人が集う、インドではこの種の催しとしては初めての婦人集会に出席し演説した。彼は大勢の婦人たちを前に柔らかい口調で語った。

「皆さん自身、自分を不可触民だと考えてはなりません。先ず清潔に身を保つことです。タッチャブル女同様衣服を正しましょう。たとえつぎはぎだらけの衣服でもいい。清潔が大切なのです。どんな飾りを選ぼうと、どんな金属の装身具をつけようと、あなた方の自由なのです。に矜持をもって生活するよう努力してください」

「もしあなた方の夫や子が酔っぱらいであれば、決して妥協してはいけません。子供たちをなんとかして学校へやって下さい。教育は女にとっても必要なものです。読み書きを身につけることによって世の中がもっと広くなります。あなた方同様、子供たちの品を高めてやらなくてはなりません。それが子供たちが世に出てから役立つのです」

 翌早く旅立つ婦人たちを見て、人々は目を見張った。婦人たちは見違えるように身だしなみを整え、髪をくしけずり、胸を張って出発していったのである。アンベードカルの言葉は婦人たちのに深く刻まれ、その教えは直ちに実行に移されたのであった。


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール/山際素男訳(三一書房1983年)】


 アンベードカルの言葉と振る舞いは、創価三代の会長と完全に一致している。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

「生命を尊厳ならしめるもの」5 池田大作

2.人間主義運動としての革命の本質とその失敗

 ここにいう“革命”とは、いわゆる狭義の政治革命ではなく、的・宗教的変革である。たとえば、政治革命・経済革命であっても、社会の広汎な領域にわたる的変革をもたらしたものは、この中に含まれるが、あくまで的な変革に主眼がある。それは、本論の主題が“生命の尊厳”という理の解明にあることからいって、むしろ当然のことであろう。


高等宗教の誕生


 この観点から論ずるにあたって、まず取りあげなければならないのは、今日、いわゆる高等宗教と呼ばれるものが誕生する母胎となった、各種の宗教的・的変革運動である。これは、原始宗教における“生贄”の考法からの別離をもたらした。いわゆる原始宗教は、天地自然を、この世のすべてを包容し、限りなく与えてくれる“母”と考えた。とくに、人間への恵の源泉である大地を母とし、天空を父とするものが一般的であったようだ。“生贅”の血は、そうした一切を産み出してくれる母なる大地の胎内を饒(うるお)すとされたのである。“生贅”に捧げられた若者たちが、恐怖を抱かなかったのは、母なる神の体内に還るのだと考えたからである。

 それに対して、新しく現われた神は、人間に法と原理を与え、それに則って行動することを要求する厳しい父としての神である。幼児のように抱擁し、いつくしむ母ではなく、突きはなし、自立することを求める父親の神である。母なる大地の神が多様に富んでいるのに対し、父なる天の神は、唯一絶対の存在である。このような厳父としての神の概が、まずイスラエルの人々の間に芽生えたことは、けっして偶然ではなかったとわれる。なぜなら、彼らは、アブラハムの昔から、彼らを暖かく抱擁し、いつくしんでくれる大地を持たず、厳しい砂漠の空の下を彷復しなければならなかったからである。

 しかし、的に人間を自立へ導く法と原理をもった神として、明確にあらわれるのは、モーゼからである。この点について、エーリッヒ・フロムは、その著『正気の社会』の中で、つぎのように述べている。

「あらゆる生命の統一原理を代表し、目に見えぬ無限のものである神の概によって、自然の有限で雑多な世界、つまり物質の世界にたいする対極がつくられた。神に似せてつくられた人間は、神のもつ質を共有している。人間は自然から抜け出し、完全に生れ、完全に目覚めようと努力する。この過程は、中国では最初の一千年間の中期に、孔子や老子があらわれるとともに、つぎの段階に到達した。インドでは陀とともに、ギリシャではギリシャの啓蒙期の哲学者とともに、パレスチナでは聖書の予言者とともに、ローマ帝国では、キリスト教やストア主義のおこった新しい頂点とともに、メキシコでは、ケッツアルコートルとともに、アフリカでは、もう500年あとに、マホメッ卜とともに、つぎの段階に到達したのである」(加藤正明・佐藤隆夫訳)

 少し長い引用になったが、この変革の味を的確に表明しているとったので、そのまま写させていただいた。ただし、フロムが見落としている、一つの大事なポイントがあるとう。それは、人間が自然から抜け出し、目覚めるための努力であったという味では、これらはたしかに同等に論じられるであろうが、そこには根本的に相異なる、二つの方向があったということである。ここに挙げられているなかで、中国、インド、ギリシャのそれは、どこまでも、法ないし原理が根本で、孔子、老子、陀、そしてギリシャの哲人たちは、それを求め究めて、覚者として人々に伝えたのである。したがって、同じくこの法・原理を求めて究めれば、すべての人がこれらの覚者と等しい存在になりうるはずである。

 これに対して、聖書の預言者たちや、イエス、マホメット等といった人々は、神という実在が根本であり、その特別の寵によって、預言者となり啓示者となったのである。この場合、神は「原理を代表」する存在であるが、より根本的には神の志そのものが原理になる。これらの宗教の淵源である旧約聖書によれば、宇宙そのものが、神の「光あれ」「水の中に蒼穹(あおぞら)ありて水と水とを分つべし」「天の下の水は一処に集りて乾ける土顕るべし」等々の言葉によって生じ、形成されたのである。こののなかでは、誰でも法と原理を覚知すれば、イエスやマホメットと等しくなれるという考え方は、とうてい生まれてこないし、存在することを許されない。

 このことは、これらの新宗教が、旧来の原始的土俗宗教と対決する方式のうえに、大きな違いとなってあらわれていく。法や原理を根本とする宗教は、旧来の信仰的・哲学的に打ち破り、その上で、これらをその体系のなかに取りこんでいったのである。それに対して、旧約聖書から発した宗教は、そうした的・哲学的対決はなく、全能の神のもとへ行く、目のさめるような、救済の福音によってを奪うか、現実的なカの対決によって相手を圧倒し、服従させていった。これはまた、その後の歴史の展開にも、決定的な相異を生ずるのである。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-02-27

訃報


 酒井義雄さんが逝去。池田先生とは小学校時代の同級生で、「生命哲学の話があるので参加しませんか?」と19歳の先生を座談会に誘った方である。小説『人間革命』第2巻では「酒田義一」というで登場している。謹んでご冥福を祈る。

中川前財務相のG7出張、チャーター機代4100万円


 辞任した中川昭一前財務・金融担当相が先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)でローマに出張した際、往復のチャーター機代が6人で約4100万円かかっていたことが、26日午後の衆院予算委員会質疑で明らかになった。

 財務省の玉木林太郎国際局長によると、今回の出張費用は約6000万円。チャーター機の定員は8人で、中川氏や玉木氏、警護官、政務秘書官らが搭乗した。チャーター機以外を利用した出席者の費用は、フライト代と宿泊費など合わせて1300万円だった。

 同様にG7に出席した日本銀行11人の出張費用は約1300万円で、このうち飛行機代は約900万円だった。


【産経新聞 2009-02-27】

アンベードカルを宣揚する 4


 現在でもインドでは80%以上の人々がヒンドゥー教徒だ。アンベードカルもそうだった。不可触民を解放するために立ち上がったアンベードカル的に行き詰まってしまう。そして遂に「改宗も辞さず」と宣言した。


 彼のこの(※改宗)宣言はカーストヒンズー側に轟々たる非を巻き起こした。彼はその非に答えていった。

「自分だけ改宗すればいいのなら事は簡単だ。しかし不可触民階級はヒンズー社会の一員として扱われたがっている。そのために人間的権利、平等を求めて戦っているのだ。カーストヒンズーたちは、かれらの宗教はまたわれわれの宗教だといっているが、ではかれらの権利はわれわれの権利ではないのか。もしそうでないなら、これほどの差別をこうむりながら、どうしていつまでもその社会成員でいなくてはならないのか? 信者の間に差別をこしらえ、何千万もの人間を犬か何かのように扱い、ありとあらゆる差別を押しつける宗教は、宗教たるもののに価しない。宗教と奴隷制は両立しないものだ」


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール/山際素男訳(三一書房1983年)】


 痛烈な反論だ。アンベードカルは「カースト制度の根」を断ち切ろうとしたのだ。ヒンドゥー教に巣食う「差別」に鉄槌を下した。的な矛盾を衝かれたカーストヒンズーは動揺した。見事な動執生疑といってよい。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

「生命を尊厳ならしめるもの」4 池田大作

真理と美への奉仕


 神への奉仕から出発しながら、やがてそれ自体が神化されていったものに、右の“王”や“巨大機械”とならんで、真理や美・善といった価値理がある。前者を社会的側面における神化現象とすると、後者は文化的側面における現象といえる。もっとも、この二つは別個に独立したものではなく、緊密に結び合っており、むしろ、一つのものの異なった面であるとさえいえよう。

“王”や“巨大機械”の原理がアジア的専制社会で顕著に発達したのに対し、“価値理”の原理は、ギリシャやヘブライに誕生し、中世および近世ヨーロッパへと引き継がれていった。単純に区分することはできないであろうが、ギリシャ人が最も大きいウエイトを置いたのは“美”であったようにわれる。これに対してヘブライの永遠的な神への志向は“真理”の探求であったといえないだろうか。

“善”なる価値は、真理と美の追求の結果として、必然的にもたらされるもの、あるいは真理や美の探求それ自体が善であるとされ、“善”そのものを追求することはあまり行なわれなかったようだ。

 ともかく、真理の探求は、根本的には神そのものに迫ろうとする信仰であり、それに付随し、神の摂理を究め、証明しようとして宇宙、自然の真理の探求が行なわれ、もろもろの学問の発展をうながしていった。美もまた、神の摂理のあらわれた姿は本来、美しきものであると考えられ、さらに、神のこの世の支配を義づけるために、神の居処である神殿や寺院は、最大限の美しい匠で荘厳された。こうして、科学と技術、芸術が、神を中とし、信仰を基盤として発達していったのである。

 だが、宗教改革を経て、神の在りように対する考え方が変わった。つまり、神と地上の世俗との媒介者としての教会・寺院は、権威を失い、信頼されなくなってしまったのである。いかなる人も、神と直接にふれあうことができることとなり、その趨勢のおもむくところ、真理の探究、美の追求それ自体が、神に接する行為であると信じられるにいたったのである。したがって、真理を追求する人にとっては、そのこと自体が神聖なる営為であって、美を究め、その創造に献身することも、神聖なる使徒の振舞いとなるのである。

 科学至上主義、芸術至上主義が、近世から近代にかけてのヨーロッパ文明の巨大にして強力な柱となったのは、このような的歴史の背景があったことを知る必要があろう。そして、こうした、真理や美を至高の目的として仕える科学者や芸術家が、何を生み出し、人類をいかなる運命に巻きこもうとしているかは、いまさら論をまたない。

 もとより、彼らが生み出したものが、どう使われるかということは、彼ら自身の責任問題ではない。ここに、前述した、社会的側面のいわゆる“巨大機械”の原理が、その無気味な顔をのぞかせる。科学者の発見した真理や、その応用で創造された技術は、国家や企という“巨大機械”の手に移る。現代では、科学者の作それ自体が、膨大な資金を必要とするようになり、すでにその段階すら、“巨大機械”の支配下に組みこまれてしまっている状態である。

“巨大機械”の原理といい、真理や美・善の価値理といい、いずれも、超越的な“神”という一本の根から出たものである。原始の先祖たちが、神のためにおびただしい生資を捧げたように、今日にいたるまで、人類は、これら残虐な神の派生物に対し、生贅となることも、やむを得ぬこととしている。いな、自ら生贅となることを誉とさえ考える人も少なくない。

 ところで、生命の尊厳というは、現に生きているこの人間の生命が神聖であり、他の何ものをもってしても侵すことのできないものであるとする考え方である。したがって、それは、少なくとも人間文化の発祥以来、一貫して支配的に流れてきたもろもろの原理を、真っ向から否定し、180度転換するものなのである。もし、旧来の支配的考の流れの一端にしかすぎない“生命の尊厳”観――ルネッサンスや近代ヨーロッパのそれは、この域を脱しない――であるなら、真の味での生命の尊厳観とはなりえないであろう。

 つまり、そうした生命の尊厳への訴えは、圧迫へのプロテストではあっても、けっして、文明を転換させることはできない。まして、現代の人顆が直面している、これまでの文明を180度逆転させた、新しい人間文化を建設してゆく基盤と柱には、とうていなりえないのである。いってみれば、従来の文明のなかで叫ばれてきた“生命の尊厳”のは、せりあがった山塊の頂きにたまたまかかる雪の冠のようなものであった。それは美しいが、はかなく、最上層の特殊な人々のみが享受したにすぎない。これから築かなければならない文明は、その最も基底部から頂上にいたるまで、“生命の尊厳”という哲理の純白の結晶で築かれた高峯でなければなるまい。

 その前に、従来の文明において、以上に述べた生命軽視の基調のうえに、どのような形で生命尊厳観があらわれたか、そして、それはいかなる実体をもつものであったかを辿っておきたい。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-02-26

靖国合祀拒否の遺族敗訴 「英霊は苦痛」認めず


 靖国神社に「英霊」として祭られ続けているのは痛だとして、元軍人・軍属11人の遺族9人が、神社に合祀の簿から削除するよう求めた訴訟の判決で、大阪地裁(村岡寛裁判長)は26日、請求を棄却した。遺族は併せて神社と国に1人当たり100万円、計900万円の慰謝料も求めていたが、判決は退けた。

 合祀拒否をめぐって神社を被告とする訴訟で初めての判断だった。同様の訴訟は東京、那覇両地裁にも起こされている。

 裁判で遺族側は、承諾なく祭られ「故人を敬愛追慕する人格権」が侵害されていると主張。神社側は「誰を祭るかは宗教上の教義の問題」と反論した。

 国は80年代まで、氏や所属を記した「祭神票」(戦没者調査票)を神社に提供し、合祀簿に当たる祭神簿や霊璽簿づくりに協力。国は「合祀は神社の判断で、国は責任を負わない」と主張した。

 06年8以降に10人が提訴。うち台湾の男は訴えを取り下げた。


共同通信 2009-02-26】

アンベードカルを宣揚する 3


 アンベードカルは不可触民の背中を叩いた。否、鞭(むち)を入れたといってよい。


 アンベードカルは厳しく同胞に迫った。「失った権利は、簒奪者に嘆願したり、かれらの良に訴えたりすることによっては決して取り戻すことはできない。それを可能にするのは容赦ない戦いのみである」と。


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール/山際素男訳(三一書房1983年)】


 アンベードカルの言葉によって不可触民の背筋は伸びた。更にアンベードカルは背骨に鋼鉄の芯を打ち込んだ。自分達に権利があることも知らなかった不可触民は遂に目を覚ました。不可触民は自分達が「人間である」ことを自覚した。


 いつの時代も「簒奪者(さんだつしゃ)」は存在する。「容赦ない戦い」を起こせる人だけが、民衆を守ることができる。アンベードカルの言葉は我々学会員の背中をも鞭打つ。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

「生命を尊厳ならしめるもの」3 池田大作

“巨大機械”の誕生


 このような原始社会の風習は、その後の人間の歴史にも根強く残ってきた。時間的にみれば、人間の誕生以来の歴史の、おそらく99パーセントは、こうした原始的状態が占めてきたのである。いわば人間に体質化したものとして、それが、きわめて歴史の浅い文明化社会の底流をも強く規定しているとしても、なんら不議はない。

 文明化の歴史は、大部分が、神に対する奉仕のための工夫から始まったと考えられる。大がかりな建造は、まず神の住居を荘厳するためのものであった。ヨーロッパ先住ケルト民族のものとわれるドルメンやメンヒルは、たぶん、信仰の祭壇であったのであろう。エジプト、ギリシャ等に残っている古代の大建築も、大部分が神殿である。これは、のちに述べることと関係するが、エジプト王のためのピラミッド、ペルシャの宮殿の遺蹟も、いちおうは王を対象にしているが、その王とは、神そのもの、あるいは神の代理とされたのであって、これらの建造もまた、人々の宗教的情熱によってなされたのである。

 古代ギリシャの学問や芸術、文学もまた、神の栄光をたたえ、神の偉大さを証明することに主眼があった。ピタゴラスの学問の底流にあった神秘主義はその一つの典型である。ユークリッドの幾何学も、神の摂理の明噺さを証明しようとしたものであった。ホメロスの作品において、神々が演じている役割を考えてみるがよい。また、神々の崇高さと美しさをあらわすために、幾多のすぐれた彫刻が生まれ、神々のを慰めるために、競技や演劇が行なわれ、詩が朗読された。

 だが、文明の発達の結果は、人間の自然支配の力を増大し、神々への畏怖から人間を解放することとなった。人間に智と火を与えたプロメテウスは、神々からせられたが、智を得た人間は、もはや独自の道を歩みはじめたのである。アダムとイブは、智の果実を食べたあと、エデンの園から追放され、悩を負いつつ、自らのカで、生きていかなければならなくなったのである。これらは、神を中にした物語であるがゆえに、追放、処という形で語られているが、人間を中にみれば、人間が神の支配を脱し、自主独立の道を歩みはじめた過程を象徴しているといえまいか。

 人間のカの増大は、民衆のあらゆるカを組織的に統合し、ルイス・マンフォードのいう“巨大機械(メガ・マシーン)”を形成することによって、一つの極点に達する。この“巨大機械”の上に君臨する絶対君主は、神の地上における代理者、ときには神そのものとさえ考えられた。王は神聖視された権威によって、臣民の献身を得、臣民は、献身的な協力の成果という実質的利益とともに、神聖なる王の寵のもとにあるという理的充足を得たのである。

 しかしながら、神の代理、あるいは神そのものという尊厳を得たのは、あくまで王のみであって臣民は、それにつながる者として栄光を分かち持ったにすぎない。実質的には王以外の臣民の全ては王の権威とカを支えるための“巨大な機械”の部品でしかなかった。あるときは王の志一つで、あるときは機械の論理によって、この部品はいつでも取り替えられたり、つぶされたりした。

 この“巨大機械”の原理は、エジプト、バビロニア、アッシリア、ペルシャ、秦、漢、マヤ、アステカ、インカ等々の古代国家だけのものではない。近代以後、ふたたび強大化し、人間の生命の尊厳への圧倒的な抑圧となっている。近世ヨーロッパに端を発するナショナリズムは、その現実にあらわれた姿であり、その強大化の極限状況は、ナチズムとスターリニズムに示されたとおりである。

 いや、それは政治的な国家機構ばかりではない。経済的目的を追求する種々の機構――企もそうであり、労働組合や・学術団体といえども、巨大機械の原理と無関係ではない。現代を“組織の時代”といい、現代社会を“管理化社会”“情報化社会”というのは、現代文明が“巨大機械”の原理によっていかに深く侵蝕されているかを明白に物語っている。現代社会の人間は“管理化”によって行動を縛られ、“情報化”によって考や情をも統括されているのだ。

 もとより“文明化”された現代においては、ナチズムやスターリニズムの行なった大量虐殺は例外として、目に見える形で生贄が捧げられるわけではない。民衆の奴隷的あるいは献身的な労働によって、ビラミッドや神殿、長等を築くわけでもない。だが、国家志ののもとに、かつてとは此較にならない規模をもつ殺戮のための準備が大国によって着々と進められ、現に、局部的には殺戮と破壊の行為が公然と行なわれているのである。

 それだけではない。人間の福祉の向上を分として、国家や企は、自然を破壊し汚染して、人間の生存条件を急速に悪化させている。さらに、そうした国家的、企的諸活動を支えているのは、精神的に奴隷化された民衆の、一見主体的、能動的な献身努力にほかならない。



【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-02-25

民主:参院議員が会合「矢野元公明委員長の参考人招致を」


 民主党の小沢一郎代表と輿石東参院議員会長、西岡武夫参院議院運営委員長ら参院のベテラン議員が23日夜、東京都内のホテルで会談し、当面の国会運営について見交換し、言論活動を妨害されたとして公明党の支持母体、創価学会を提訴した矢野絢也(じゅんや)元公明党委員長の参考人招致を求めるべきだとの考えで一致した。

 出席者によると会合では、内閣支持率が急落した麻生太郎首相について「このままずるずるいくのが望ましい」との見が出る一方、世論への配慮などから「国会で何か仕掛けるべきだ」との指摘も出され、矢野氏招致が挙がった。


【毎日新聞 2009-02-23】

アンベードカルを宣揚する 2


“インド独立の父”マハトマ・ガンディーは不可触民制の廃止のために戦った。だが、一度としてカースト制度を否定したことはなかった。“偉大なる魂”はカーストの信奉者であったのだ。ガンディーが目指したのは、不可触民(アウトカースト=スードラ以下)をカースト内に収めることだった。不可触民というのはカーストの枠外に置かれた立場の人々だった。


 元々カースト制度はアーリア人のインド支配によって誕生した。現地人との混血を嫌ったアーリア人(白人)が自分達を「バラモン」と位置づけ、社会の階層化を図ったものだった。


 アーリア人がインドへ進出し始めたのが紀元前15世紀頃のこと。そして紀元前13世紀頃から現地人を奴隷化する。バラモン教(古代ヒンドゥー教)の聖典『ヴェーダ』は紀元前10世紀頃から紀元前5世紀にかけて完成する。アーリア人がカースト制度という奴隷制を完成させた後に釈尊が誕生する(紀元前463年中村元説〉)。だがインドにおいて仏教は紀元600年に亡び、その後ヒンドゥー教が興隆し現在に至っている。


 1947年429日、制憲議会は、「いかなる形における不可触民制も廃止し、不可触民への差別は罪とみなす」という宣言を行った。その後、アンベードカルネルー初代首相の下で法務大臣の要職を務め、憲法草案起草委員会の議長に任命される。こうして2500年にもわたる不可触民の歴史において、初めての曙光がもたらされたのだ。


 だが、は慣習に歯が立たないものだ。今から30年ほど前に起こった出来事を紹介しよう。これをもって2500年間もの間、不可触民がどのような目に遭わされてきたかを像して欲しい――


 女、子供を含めた11人の不可触民家族と仲間は、村のボスの家へ引き立てられた。家の前の広場には薪(まき)が山と積まれていた。

 ギャングたちが人びとを追い回している一方、村のカーストヒンズーは処刑の用をせっせと整えていたのである。

 処刑は残酷極まるものだった。

 新聞などでは、11人全員射殺し、ケロシン(灯油)を浴びせ、薪にほうりこんで黒焦げにしたとあったが、それは事実ではない。実際はもっとひどいやり方で殺したのだが、余りにもむごたらしいので書くのをひかえたのだろう。

 ラジャン氏はそういい、彼の下(もと)に届いた報告を次のように語った。

 11歳になる少年を除いた大人10人は、男も女も、全員生きたまま手足を切断され、燃え盛る薪の山の中へ一人ずつ、順番に投げこまれた。もがきしんで転げ落ちるものは直ぐ焔(ほのお)の中へほうりこまれた。

 少年は生きたまま火中へ投じられ、数回にわたり焔の中から這(は)い出し、村人に許しを乞うたが、その都度火中に投じられ、遂に絶命した。

 芋虫となって焔の中を転げ回る人びとをクルミ(※シュードラ〈農民〉カースト)の女たちは長い棒で、ローストチキンを焙(あぶ)るように、屍体が黒焦げになり、識別不能になるまで丹に転がした。

 これが真相です。ラジャン氏は暗い笑みを唇の端に浮かべていった。

「この事件も、警察がかんでいるのです。いつだって、不可触民虐殺の背後にはカーストヒンズーと“警察”がいるのです」

 ラジャン氏は語り継いだ。

「ギャング共はの6時頃村へ乗りこんできたのです。間もなく不可触民の一人が8キロ離れたところにある警察署へ急を知らせました。その頃は雨季前で、道が通じていたのです。

 ギャングの襲撃を知らせにきた農夫に、署長はなんといったといます。

“500ルピー出せ。そしたら今直ぐにでも助けにいってやる”といったのです。

 署長の脇には、街の大ボスが椅子にふんぞり返り、署長と顔を見合わせニヤニヤしていた、とその農夫は証言しています」


【『不可触民 もうひとつのインド』山際素男〈やまぎわ・もとお〉(三一書房、1981年/光文社知恵の森文庫、2000年)】

不可触民もうひとつのインド 不可触民―もうひとつのインド (知恵の森文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

「生命を尊厳ならしめるもの」2 池田大作

1.人間精神の歴史と生命の尊厳観

“生贄”の論理


 人間精神の発展の初期段階において、尊厳なるものは、万物の根底にある“霊”であったと像される。とくに、自然界の力は、人間のカをもってしては、いかんともなしがたい強大な存在であり、抗すべからざる神聖なものと考えられたであろう。自然の圧倒的なカの前には、人間はただ畏れ従う以外になく、その怒りをしずめ、さらに、前もって怒りを誘発しないために、人間の犠牲(いけにえ)が必要であるとされた。

 その最も代表的な例として、ひろく知られているのは、アメリカ原住民の樹てたアステカ文明における生贄(いけにえ)の儀式である。彼らは、自らの信ずる太陽神ウィツィロボチュトリが与えてくれる超自然の力は、捧げられた人間の臓の数に比例すると信じた。少なくとも、毎の半分は生贄を捧げる儀式が行なわれたと伝えられ、捕えた他部族の兵士であることもあったが、多くはアステカの若者がこの生贄となったのである。生きながら胸を切りひらいて、臓を取り出し、ほとばしる血で祭壇を染める残酷さであるが、当の犠牲者も、民衆も、むしろ誉と考えるのみで、なんら疑を抱かなかったといわれる。

 しかし、これは、なにもアステカだけの特殊な風習ではない。やり方には差があっても、人身を生贄に捧げる風習は、あらゆる民族に共通のものであった。アステカの例がよく知られているのは、外部世界との接触がなかったために、純粋な形で残されていたからに過ぎない。いきなりこれに接したスペイン人征服者をはじめ、世界の“文明人”は、この風習の野蛮さに驚愕したが、何千年かさかのぼれば、いずれの民族もやっていたことだったのである。

 生贄を捧げる対象は、自然力を象徴化した神ばかりではない。生前に強大な権力をもった王侯たちが死んだ場合、その妻妾や召使いたちも、亡き主人の霊を慰めるために、生贄にされるのが普通だった。中国の殷代とわれる貴族の墓が発掘されたとき、おびただしい白骨の列が、その殉死のありさまを如実に物語っていた。わが国でも、古代には、同様の風習があったが、その残虐さへの反省から野見得禰の建言によって埴輪をもって代えるようになったという。ただし、野見宿禰建言説は、今日疑問視されているが、殉死の風習がかつてあったことは、間違いなく事実である。

 ともあれ、原始社会においては、天地自然の抗いがたいカや、人智をもって測り知ることのできない死者の霊といったものが、畏怖され神聖視された。これと尊厳観とはかならずしもイコールで結びつかないかも知れないが、そうした畏怖のなかに、尊厳とする考え方もおのずから含まれていたと見ることはできよう。そして、現実問題として、人間生命は、こうしたカや死あるいは霊というものの前には、まことに無力で、はかないものであるとされ、さらに、これらのカや存在を慰め鎮めるために、すすんで生きた人間の身体が、生贄に供されたのである。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-02-24

アンベードカルを宣揚する 1


 歴史は虚実によって織り成される物語である。しかも、少ない真実を数多くの嘘で飾り立てることが珍しくない。そして歴史の書き手は「政治」である。人でもなければでもない。歴史はいつの時代も勝者による「後出しじゃんけん」であった。負けた人々は「ずるいよ」と言うことすら許されなかった。


 歴史の捏造(ねつぞう)が現代でも、まかり通っている。まして情報化社会ともなれば、歴史を書き換えることなど一層たやすくなる。我々が受け取る世界のニュースは、主に欧米から発信されたものである。メディアや通信の技術も欧米から輸出された。バイアス(偏り)が掛かっていないわけがない。


 我々には、ルワンダ大虐殺も知らされなかったし、日本の刑務所が知的障害者の受け皿になっている事実も伝えられなかった。


 権力者が描く歴史と、民衆が知る歴史は異なる。その一つの証左として、私はアンベードカルを宣揚し、称讃したい。


 彼は文字通り寸暇を惜しんで生活した。時間と費用を節約するため昼食も抜いた。8時の開館を待ちかねたように図書館に入ると、夕方5時の閉館時間までほとんど休みなしに本を読み漁った。守衛に追い出されるように最後に出てくるのはいつもアンベードカルであった。頬はげっそりとこけ、疲労は色濃くにじみ出ていたが、ポケットは写し取ったノートで一杯だった。外の新鮮な空気を吸いながら30分ほど散歩をすると真直ぐ帰宅し夕食を取り、再び机に向った。夜10時頃になると空腹が彼を悩ました。彼の下宿の女主人は恐ろしくけちで、食はトースト1枚、小さな魚のフライに1杯の紅茶。夕食は一皿のスープに数枚のビスケットとバターという貧弱なものだった。飢餓に耐えかねると、友人から分けてもらったパパード(インド製の薄焼きせんべいのようなもの)を焼いて飢えをしのいだ。それからまた暁方まで読書をつづけるのである。同室の友人がいつ眼を覚ましても起きているアンベードカルの健康を案じいい加減に床に入るように忠告しても、アンベードカルは微笑し、「ぼくには時間が限られているんだ。お金が尽きてしまわない内にやらねばならぬ仕事が山程ある」というと、再び机に向った。


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール/山際素男訳(三一書房1983年)】


 アンベードカルは不可触民出身であった。不可触民とは、「触れるべからず」「近寄るべからず」「見るべからず」とされた人々のことだ。彼等は階級(カースト)の外側に置かれていた(アウトカースト)。


 だがアンベードカルは運命に抵抗し、大学に進学し、留学まで勝ち取った。彼は、不可触民に権利を取り戻すために刻精励する。


 アンベードカルは不可触民のために闘った。闘い抜いた。彼の足を引っ張ったのはマハトマ・ガンディーだった。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

「生命を尊厳ならしめるもの」1 池田大作


はじめに


 現代の文明社会において、それが直面している“危機”と称せられるものの実体は、とりもなおさず、尊厳なるべき生命が、あらゆる味で危殆に瀕しているということである。だが尊厳であるべき生命への侵害および軽視というこの風潮は、なにも現代に始まったわけではない。むしろ、文明の発祥以来、生命に尊厳が認められたことは、きわめて稀であったとさえいえるのではあるまいか。

 古来、尊厳なるものと考えられたのは、まず、神であった。神の姿やその特質についての考え方は、民族により、時代により、さまざまに異なるが、尊厳という比類を許さない絶対的価値が、神に対してのみ与えられたという点では一致していたと見ることができる。尊厳とは、ある味で神の代詞でさえあった。

 やがて、文明の発達とともに、人間社会がより大勢の人々のを持続的に統合することが要求されるにいたり、この神は、地上における“力”と密着する。すなわち、尊厳なる神の、地上に投影したものとして、王による統治が始まる。王は、神の子、神の代理人、ときには神そのものとして、尊厳を付与され、絶対的権力をふるうのである。古代ギリシャ人のいう、アジア的専制君主がそれである。そこでは、人民は、いな、大臣、将軍といえども、尊厳なる王に仕える奴隷でしかなかった。

 これに対して、古代ギリシャ人にとって、尊厳なるものは、いかなるものとして映ったか。美や真理、あるいは善といった、プラトンのいうイデーがそれであったと考えられる。各ポリス(都市国家)は、それぞれに守護神をかかげ、その神が体現するイデーに奉仕し、献身することを、市政の理としたのである。このギリシャ的倫理のもとでは、人々は神の尊厳を分かち持つことができたから、一応、理的には、人間の尊厳も可能であった。だが、それにしても、現に生きている生命そのものに基盤を置いた尊厳観ではけっしてなかったのである。

 歴史は、一貫して、こうした神に基盤をもつ尊厳観の展開であったといってよい。科学と技術は、本来、神の尊厳に奉仕するために生まれたのであったが、やがて、その発達は「神」をおおった神秘のベールをひきはがすにいたった。尊厳の淵源は多様化し、相対化して、空洞化したにもかかわらず、人間の奉仕と犠牲を求めるメカニズムは少しも変わらないばかりか、むしろ、より大規模になってきたとさえいえる。

 生命の尊厳という考え方、つまり、この世で尊厳なるものとは、人間の生命それ自体であるというが、今日にいたって“市民権”を得ようとしているのは、こうした歴史的推移の結果といえよう。もとより、それは生存の本能から発したものであって、過去においても少数の人々は、これを鋭く指摘してきた。だが、大多数の人々は、この点で自分が逆立ちしていることには、気づかないで来たのである。

 今日では、当然のことと考えられている、この生命の尊厳というも、その歴史は、きわめて浅いわけだ。しかも、現代人は言葉の美しさと快さに酔いしれるのみで、理を基づける実体に迫る術(すべ)を知らない。確たる実体の把握がなされない、単なる言葉としての理は、現実の前には、きわめて無力であり脆い。生命の尊厳という考え方が、あらゆる人間の営みの根源となり、現実的なカをもつためには、生命とはいったい、何であり、いかなる特質、内容をもち、あらゆる事象とどう関係するのかといった問題が、明確に理解されなければならないであろう。その上に立った生命の尊厳観にしてはじめて、社会的、文化的営為の上に、厳たる支配力を持ちうるにちがいない。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-02-23

杏殿御返事


 アンベードカル前を聖教新聞に載せた功績は大きい。気づいている人が少ないとわれるので私が顕彰しておく。


▼「この世には四つのタイプの人がいる」と釈尊は言った▼1.自分のためにも他人のためにも奮闘しない人、2.人のために奮闘するが自分のためにはしない人、3.自分のためには奮闘するが他人のためにはしない人、4.自分のためにも他人のためにも奮闘する人――もちろん、最後の自他のために戦う人こそ、「最高にして至高の人である」(アンベードカル著『ブッダとそのダンマ』山際素男訳)▼任用試験に合格した女子高等部員。当初は学校も遅刻、休みがちだったが、勉強会への参加で変わった。毎御本尊に向かい元気に登校。「何を祈っているの?」との母親の問いに「学校に行けない子のこと」と▼女子部の先輩の温かさに触れ、深遠な法を学ぶ中、努力の大切さや深き使命、そして何より人へのいやりのを胸に刻んだ▼“自分なんか……”という卑屈さをはねのけ、“自分こそは!”と向上に燃える姿も尊い。だが、法を求める人は、そこにとどまらない。“あの人、この人のために”と他者に尽くす生き方を志す▼御書には「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174ページ)と。人格を磨き、人としての最高の「振る舞い」を通し、自他共の幸福へ“奮闘”していきたい。(杏)


【「字の言」/聖教新聞 2005-11-28】

日本認知運動療法研究会会長による「パワーリハビリ」批判


 この他にも、マシンは既に錆(さ)びついていて、結局者を潤わせただけだという批判も多い(マシン購入や運営費などには補助金が出る)。高齢になると圧迫骨折をするケースが増えるが、これを防ぐには歩くのが一番よい。骨は適度なストレスが掛かっていないと弱くなる。身体もも使わなければ機能が低下してゆく。これを廃用症候群という。


 さらに、「学習の転移(tansfer of learning)」の問題がある。例えば筋力強化が他の運動技能の協調を向上させるかどうかについても否定的な研究が多い。ボールを投げるという近似した運動課題(例えば野球でのオーバーハンドとソフトボールでのアンダーハンド間)ですら類似がなく、学習の転移は生じないとされている。ある動作や行為を練習しても別の動作や行為が自然に獲得されることはない。水泳をしても野球は上手にならない。第二の運動療法理論である筋力増強理論の最大の欠陥は、こうした訓練の特異や学習の転移の問題、特に中枢神経と運動学習との関係が全く考慮されていない点にあると言える。

 ある動作や行為の学習を関節運動や筋力強化の側面のみから治療を説明することは不可能である。筋力増強理論では運動学習の易度、多様、代償、新奇などが考慮されていない。運動学習は環境状況としての文脈(context)や脳の運動プログラムの改変を無視して説明することはできない。

 筋力は動作や行為において必要な要素ではあるが、その観点のみから理論化することは誤った要素還元論であり、運動療法の総体を説明するパラダイムではない。それにもかかわらず、「デ・ローム神話」と呼ぶべき強固なは現在でも脈々と流れている。近年の介護保険における、老人に対する「パワー・リハビリテーション」がその典型である。


【『リハビリテーション・ルネサンス 心と脳と身体の回復 認知運動療法の挑戦』宮本省三(春秋社、2006年)】

リハビリテーション・ルネサンス―心と脳と身体の回復、認知運動療法の挑戦

2009-02-22

命日


 今日は古谷さんの命日。義母を見舞い、彼が守ってくれているようにじられてならなかった。御本尊経由で礼を述べておいた。いつものように少し高いで笑っていた。あの瞬間、この瞬間がフラッシュバックして映像が明滅する。私は彼より、既に8年も長生きしてしまった。その間に何をしてきたことだろう。慙愧のが雷のように走る。それでも、同志の契りは変わることがない。

小口偉一氏の晩年


 小口偉一(おぐち・いいち)氏には『創価学会 その思想と行動』(青木書店、1957年)という著作がある。


 東大宗教学科の元・主任教授の柳川啓一さんは、晩年はうつ病しみ、精神病院から出講していました。その前の主任教授の小口偉一さんは、晩年はアルコール依存症で、ウィスキーを飲みながら講義していました。現在の私立大学なら、二人ともクビでしょう。うに、柳川さんにせよ小口さんにせよ、超秀才であっただけに、「ついに自分には残る仕事がない」ことがよく見えて、耐えられなかったのではないでしょうか。


熊田一雄の日記 2009-02-10

私を手本として一部の衆生平等なること是くの如し


 昨日の続きだ。


 一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し(564頁)


 我が情はタイトルの如し。実は私もアンケートに答えている。で、「自分の信心は何点?」という設問だが、私は「70点」にした。30%ほどの遠慮や出し惜しみがあると自覚しているためだ。私よりも高得点の人が60人以上もいる。「なめんじゃねーぞ」と言っておきたい。


 私は青年部時代に四度、折伏全国制覇を成し遂げている。出席する座談会はほぼ100%盛り上げることができる。家庭指導は得中の得だ。御書の全編読破は2回行っている。そして、昨年は250冊の読書をしている。その上、料理にも挑戦中だ。私にできないことといえば、踊りくらいなもんだ。


 ま、そんなことはどうでもいいんだが、要はこうだ。私はそこそこ戦ってきている。訓練も受けてきた。で、私よりも上位役職の人を見て、「凄いな」とう人は100人中1人くらいの割合となっている。つまり、だ。私はそれなりに「前を歩いている学会員」といってよいだろう。


 中年期となった今、私と似たようなコースを歩む青年も中にはいることとう。殊に教学的な疑問に答える幹部が組織にほぼいない状態であることを鑑みると、私の考、及び葛藤を記しておくことも決して無味ではないことだろう。


 そんないと期待を込めて、しかるべき情報を提供し、しかるべき考の軌跡を綴ってゆきたいと考えている。

見宝塔品の奇跡的な二重構造


山●このように見てくると、〈多宝如来〉を案出したことがいかに秀抜な工夫であったかを、あらためて痛せざるをえませんが、「見宝塔品」の作者の天才的な頭の冴えは、この品全体にわたって発揮されています。

 それは、この品での事態の展開が、〈釈尊〉〈多宝塔〉〈多宝如来〉のそれぞれを、表面の叙述通りに受け取っても、世にも稀なほど壮大な情景を描いてくれるのに、〈法師〉に三者の象徴的実体が〈白蓮華〉〈紅蓮茎〉〈紅蓮華〉であると告げられると、一挙に別の華麗さに目を奪われてしまうという、奇跡的な二重構造を作り上げるように仕組まれていることです。

 このすばらしい仕掛けのおかげで、「見宝塔品」は〈日輪(=白蓮華)〉の〈開花力(=開悟力)〉の譬喩を述べることを免れながら、芸術的動で恍惚となった聴衆・読者のの奥深く、〈釈尊こそ自分たちにとっての太陽だ〉という確信を植えつけることができるようになったのです。

 ただし、この二重構造の下層の〈象徴的暗示〉の方は、十分な信仰と理解力を獲得した者のみに伝えようとしたことと、『法華経』に悪をもつ者の非を防ごうとしたこととのために、〈法師〉の指摘がない限り気がつかないように、上層の表現で蔽(おお)ってあります。

 この秘匿策が完全だったために、『法華経』が大乗仏教徒の共有の宝典となる一方で〈本来の『法華経』護持者集団〉が消滅してしまうと、〈サッダルマ=プンダリーカ〉の根本義を察知する人が、インドで絶えてしまったとわれます。

法華経』に関説する『大智度論』の作者・龍樹や、『法華経論』の作者・世親は、すでに、経題の真を見失っているようです。


【『蓮と法華経 その精神と形成史を語る山俊太郎(第三文明社、2000年)以下同】

2009-02-21

中国共産党長老『言論の自由を』 16人、胡主席に意見書


 元毛沢東主席秘書の李鋭氏(93)ら中国共産党長老16人が胡錦濤国家主席に政治改革の実施や言論の自由を求める見書を送っていたことが20日、中国筋の話で分かった。李氏のほか朱厚沢・元党宣伝部長(78)、杜導正・元新聞出版総署長(85)らが署。120日に提出、胡主席は同日に受け取ったという。

 見書は「トウ小平、胡耀邦両同志らが取り組んだ改革・開放政策で国力は増強し、庶民の生活も改善された」とする一方、「政治改革は停滞し、権力が市場に介入、社会矛盾が激化した」と指摘。共産党政権が打ち出した4兆元(約55兆円)の景気刺激政策に関して、政策過程の公開や党内の投票制度の実施を求めている。

 また、党の干渉を受けない権力監督機構を設立し、「マスコミの追跡報道を奨励し、圧力は絶対に禁じる」と強調。これらの方策で「絶えず発生する(暴動などの)群体事件を減らし、貧富の格差と官民格差を解消する」としている。李氏の家族は本紙に「見書は胡主席への手紙であり、詳細は言えない」としている。

 中国では昨年末、知識人が一党独裁の廃止を求める「08憲章」を発表。体制改革を求めるは党内外で高まっている。


東京新聞 2009-02-21】

右翼と日蓮思想


 宮台真司のテキストは興味深いものだが、社会におけるパラダイムシフトの有効に重きを置いたものであって、の正当に言及したものではない。ここ要注。宮台流のアジテーションであると私は読んだ。

クローズドスタンスから、ややオープンスタンスに変更


 ブログの方針を変えることを決した。ウソだ。本当は決なんかしてないよ。何となくそうすることにしただけだ。なぜか。それは私の人生が残り少なくなってきているからだ。多分あと40年くらいしかない。で、60歳を過ぎると認知障害も出てくることだろうから、本気で研鑚できるのも、あと15年くらいってわけだよ。


 ネットの世界は出たり入ったりする人が多く、素晴らしい内容のブログやサイトがあっても更新が滞っていたり、消失することが珍しくない。自由に発信できるというネットの特長を踏まえると、本来であれば独創的な研鑚がそこここで行われ、トラックバックが飛び交い、器用な連中が「まとめサイト」を構築してしかるべきなのだが、そのような状況にはいまだ至っていない。


 そんな背景もあってか、創価王道には一日約6000前後のアクセス数があるわけだが、こんなに来られてしまうと妙な責任が生まれる。いい加減なことを書けないのはもちろんなんだが、踏み込んだことも書けなくなってしまっている。なぜなら、不信を起こさせてしまえば、それは私の責任となるからだ。


 私はまともなリーダーだ。そして今、それをやめようとしている。そもそも、ネット上において私には何の責任もない。任命された覚えもないしね。組織現場で責任があるのは確かだが、見知らぬ誰かに対する責任はこれっぽっちもない。


 ということで、私の勝ちだ(笑)。私は一人の研鑚者として、時に我見を主張し、時に危うい情報を撒(ま)き散らすことになるだろう。信の肚(はら)が据わっていない若者はここに来るべきではない。


 学会員の最大の問題は、「的格闘のなさ」にある。現証優先という価値観が考停止状態を生んでいる。組織内にはびこる盲信の類いは目に余るほどだ。このような「組織文化」によって、信よりも活動に重きを置く指導がまかり通るようになったのだ。そして、功徳は経済的成功に成り下がった。


 私はを大にして言いたい。「組織の構成員であることをやめて、一人の弟子として決然と立ち上がれ」と。


 最後に一言。不信を起こす奴は勝手にしろ、だ(笑)。


 尚、完全なオープンスタンスにすることは絶対にない。それをしてしまえば、退転者が続出するだろうから(笑)。

法華経成立史


 ――成立的には「序品」というのは大分後なんだけれども、「法師品」までができ上がって、前に何を置くかというときに、しっかり構成されているというじがしますね。それからまた、「見宝塔品」以下の諸品(しょほん)ができたときに、これらの「序品」としてもおかしくないように改作されているのですが。


山●私の考える「法華経成立史」のあらすじでは、『原・法華経』は、


 1.「見宝塔品」の成立とともに、従来は“アグラ=ダルマ”とみなされていたそれ以前の「方便品」中の部分を『法華経』と認め、

 2.ついで「提婆達多品」(相当部分)が付加され、

 3.「如来寿量品」の成立によってほぼ原形を完成し、

 4.さらに「如来神力品」までの数品が第二期に追加されて現在の配置となり、

 5.一方では「化城喩品」が『原・法華経』より前に成立した「方便品」中の諸品の内容を要約した、「見宝塔品」以後のための「序品〜序経」として作られた。


 というものです。


【『蓮と法華経 その精神と形成史を語る山俊太郎(第三文明社、2000年)以下同】

2009-02-20

法華経と日蓮


山●そういう点、私にいわせれば羅什(らじゅう)訳はいいところも加わったけど、原文の『法華経』からも遠くて、あれだけ読んだらわかるはずがないというところがあるでしょう。それを――私は知るのが遅すぎたけれど――日蓮という方には、読み取っておられる凄さがじられます。

 また、この味の不完全から、天台智ギは、羅什訳を納得するために、中国では未曾有のスコラ哲学体系を樹立しなければならなくなったのだと考えます。


【『蓮と法華経 その精神と形成史を語る山俊太郎(第三文明社、2000年)以下同】


山●さっきもおっしゃったみたいに、日蓮という方は自分の体験でいろいろやってられて、自分ではわかっていても、それを言葉でいっても、体験で受けとめないとだめなものだから、かえって言葉でいうのは誤解されちゃうということによる躊躇もあったんじゃないかしら。

 とにかく何で日蓮があれだけ洞察力があったのか、末法の本とか、いろいろと考える立場ならばそれは当たり前なんだけど、大変な方だとう。

 だから日蓮を勇気と信と行動の人なんていう言い方は、ひいきのひき倒しとまではいわないけども、一番凄い部分を抜かしているというじがありますね。

2009-02-19

白蓮は「太陽」の象徴


山●小乗教や何かの宇宙の成住壊空(じょうじゅうえくう)なんていう考えではないかもしれないけど、普通の人の素朴な実とすれば、太陽でも白蓮でも、今ある以上どんな昔にもあったし、それからどんな未来にもあり続けるということは、釈尊と白蓮あるいは日輪というものを同一視するんだという基本の考えを、一言教えてもらえば、すっと納得がいくとう。

 そこのところで私は、『法華経』というのは最初から秘密教だったとうわけで、釈尊と多宝如来が白蓮と紅蓮の関係にあるなんていうことは、ちょっと読んだり聞いたりしただけじゃ、わからないでしょう。だけど、それを一言聞くと、すっかり納得がゆく。

 そこのところには、その人の根を見分けて、これには教えてもいいという人に教えると、すべてがすっきりしてくるというところがあったのでしょう。


 ――「法師功徳品」にしたって、「法師品」にしても、結構何もいいませんよね。一所懸命説くんだといっているけれども、何を説くかは全然いわずに……。だから、いっていること自体は、中味がわかる人には既に周知のことになってるんだけれども、ただそれを説けということだけが残っているんですね。


【『蓮と法華経 その精神と形成史を語る山俊太郎(第三文明社、2000年)】

2009-02-18

法華経には口伝があったと考えられる


 ――ところが、それ(※蓮)を隠さざるを得ない事情があった……。それは何だったんでしょうか。


山●一つの原因として、私は『法華経』というのは本来非常に革新的というか、当時の教とは違うことをいっているためだったと考えます。

 教説的に特別のことをいっているから、最初の頃の、おそらくで聞いている『法華経』でも、ただ聞いていたんではわからないという防備機構があったとうんです。だから、“サッダルマ=プンダリーカ”といっても、知らない人が聞いたら何のことをいっているのかわからない。本当にこいつは見込みがあるぞという人にだけ口伝する部分が、絶対にあったとうわけです。(中略)

 もう一つは、果たして『法華経』の時代に影絵芝居というものがあったかということを考えるんですけれどね。『法華経』は戯曲的といったって、余りにもスケールが大き過ぎて、人間では演じられないし、人形芝居でもできないでしょう。しかし、影絵芝居を使うと、宝塔が出現して〈二並座〉なんていうのもやれたんじゃないかと。


【『蓮と法華経 その精神と形成史を語る山俊太郎(第三文明社、2000年)】

2009-02-17

1月のプレス機械受注額、98%減 設備投資の低迷映す


 日本鍛圧機械工会(鈴木康夫会長)は16日、1のプレス機の受注額が前年同比98.2%減の3億8000万円となったことを明らかにした。板金機械を含む鍛圧機械全体では80.6%減の72億円。いずれも1986年の統計開始以来、過去最低の受注額、過去最大の下落幅で、深刻な設備投資の低迷が浮き彫りになった。

 プレス機は7割が自動車、2割が電機メーカー向けに供給されている。1は新規受注がほぼ止まり、キャンセルも急増。自動車用パネル成型で使うプレスのほか、家電部品や携帯電話機のリードフレームなどを加工する精密小型プレスなどが激減した。「3までは底が見えないような状況」(同工会)という。

 プレス機は10に前年同比52%と受注額が急減して以降、1166.7%、1287.9%減と急落が続いている。プレス機大手のコマツやアマダなどは受注残があるため工場の休止には至っていないが、2以降、一部の期間従員や派遣社員の削減を決めている。


【日本経済新聞 2009-02-16】

GDP「戦後最大の危機」 昨年10〜12月期、年率12.7%減


 内閣府が16日発表した2008年10〜12期のGDP(国内総生産)速報値は、物価変動の影響を除いた実質で前期比3.3%減、年率換算で12.7%減となった。マイナス幅は第1石油危機に見舞われた1974年1〜3期(13.1%減)に次ぐ大きさ。2けたの減少は約35年ぶりで、戦後2度目だ。経済成長の要である輸出は過去最大の減少率を記録し、世界的な景気後退の波が直撃した日本経済を浮き彫りにした。

 今年1〜3期も大幅な改善は見込めず、初の4期連続のマイナス成長が現実味を帯びている。与謝野馨経済財政担当相は会見で「戦後最大の経済危機だ」と明言した。

 GDP悪化は自動車や電子部品などの輸出が13.9%減と急減したのが主因。設備投資は5.3%減で4期連続のマイナス、個人消費は0.4%減だった。実質GDPを押し下げた寄与度は「内需」がマイナス0.3%、輸出から輸入を引いた「外需」がマイナス3.0%となった。

 物価変動を反映し生活実に近いとされる目GDPは1.7%減(年率6.6%減)。総合的な物価動向を示すGDPデフレーターは前年同期比0.9%上昇した。08年暦年の実質GDPはマイナス0.7%で、9年ぶりのマイナス成長。一方、10〜12期の米国の実質成長率は年率3.8%減、ユーロ圏(16カ国平均)は同5.7%減で、日本経済の不振ぶりが際立っている。


フジサンケイ ビジネスアイ 2009-02-17

法華経の精神


山●それで中村元先生とかいろいろな方が教えて下さっていることですが、案外、初期のジャイナ教教はいっていることは同じだし、用語も共通のものが多い。それだけではなく、バラモン教などのいったことと違うことが強調されているけど同じところもいっぱいあって、本当の釈迦如来というかゴータマという人は非常に人格的な化力が強い、いい味でのカリスマではあったんだろうけど、何が独特の教説であったかは、あまり分からない可能もあるとうんです。(中略)

 だから無明の除去(※十二因縁)――現代の言葉でいえば理によって真実を覚知しそれに基づいて生きるというのは――理主義としては非常にいいけど、それを全ての人間に要求するとすれば大体不可能だということから、どうも釈迦教というものは理の形で、ごく少ない人にはかなりの程度に実践できるにしても、普通の人にはできっこない、あまりにも厳しいし、またある味では、人間について楽観視しすぎている教えだったという気がするわけです。

 そのために密教に至るまで、お互いに全く違う、お釈迦さまがおそらくいわなかった教えによって救われようという、いろいろな分派が生じちゃったとうんです。

 そこへいくと、『法華経』は、お釈迦さまの『法華経』で説かれたことをから信ぜよということをもっとも重要視していて、知による無明の根絶を不可欠とする、それまでの教というものとはつながらないんですね。それでも、一つだけいえるのは、お釈迦さまがいなければ『法華経』もできなかったことは確かだから、そういう味で釈迦教の延長上にあることも間違いないとはうけども、やっぱりダルマというものに対する信頼を徹底的に持つことで『法華経』精神が成り立つのではないか。


【『蓮と法華経 その精神と形成史を語る山俊太郎(第三文明社、2000年)】

2009-02-16

サッダルマ=プンダリーカ


 第三文明社は本の作り方が拙い。本書の場合、不要なまでに厚い紙を使用している。また、対談であることを強調し過ぎて、文章がおかしくなっている箇所が山ほどある。更に、対談者が山俊太郎氏と互角に渡り合えるほどの知識を持ちながらも前を伏せている。とにかく、「本を作り上げる」情熱がまったくじられない。今時は、素人だってもっとまともなものが作れるだろう。だが、それでも本書の価値は高い。山俊太郎氏はケンカも強いらしいよ(笑)。


山●いままでの、“サッダルマ=プンダリーカ”の解釈は、つぎの五つに要約されます。


 1.白蓮華のような妙法

 2.妙法すなわち白蓮華

 3.妙法の体現としての白蓮華すなわち釈尊(=妙法蓮華すなわち釈尊)

 4.『法華経』の精神を実践する信者すなわち妙法蓮華

 5.森羅万象すなわち妙法蓮華


 私も、“サッダルマ=プンダリーカ”のこれらの多義は、もちろん肯定します。ただ、古代のインドの『法華経』の秘奥への参入を許された信者にとっては、3の見解が基本であり、それが『法華経』形成の構力の一大要素として作用した証拠が、『法華経』自体の中にありありとしていると主張したいのです。


 ――日蓮大聖人は、『法華経』を迹門と本門と二つに分けてきましたが、日蓮大聖人の不議なところは、一応、迹門、本門と分けるのですが、「宝塔品」から「寿量品」「神力品」に至るいわゆる“虚空会の儀式”といわれる虚空で行われる儀式にも一つの焦点が当たっていて、それがより掘り下げられて本尊に至るのですが、そのあたりが先生の蓮の研究の結果からも浮かび上がってきて、これはおもしろいといました。

 というのも、(※刊誌『第三文明』の)連載では、大ざっぱにいえば、先生のいわゆる“アグラ=ダルマ(最高の法。「方便品」中の部分は、最初これを総称としていた)”の部分、「方便品」から「人記品」に至る聞授記の部分と、サッダルマ=プンダリーカの部分、虚空会で展開される部分とは、後者が、前者の主張を補強し根拠づけるもので、一応は独立の『原・サッダルマ=プンダリーカ』として発達したのが、後で合体して、後者の称が前者を含む総題となったということ、また「宝塔品」と「提婆達多品」が後者のグループの中での成立が最も古いということが述べられていました。日蓮大聖人の御書を通して浮かび上がってくる大聖人の『法華経』の見方というものと比較してみても、何か不議な類似がある、とじたものですから。


【『蓮と法華経 その精神と形成史を語る山俊太郎(第三文明社、2000年)】

2009-02-15

キリスト教と仏教における時間観の相違


 そうした両者の根底にある相違とは何か。これは、表現することが非常にしいが、あえて一言で述べるとすれば、両者とも、すでに述べてきた「存在の負価」というところから出発しながら、


 キリスト教……現象世界を「超越」の方向につきぬける

  (→超越的な視点からの世界の把握)

 教……現象世界を「内在」の方向につきぬける

  (→宇宙的生命との一体化)


 という、異なったベクトルに向かうものである、ということができるとわれる。


【『死生観を問いなおす>』広井良典(ちくま新書、2001年)以下同】


 非常に単純な言い方が許されるとするならば、教が志向するのは、いわば“時間が生まれる以前の世界”であり、キリスト教が志向しているのは、“時間を前提としつつ、それを超え出た世界”である、という対比ができるとわれる。

 このうち教については、教は「内在」の方向をつきぬけていくベクトルをめざすから、当然のことながら、私たちの生きている現象世界、つまり「時間」によって秩序づけられた世界は、一つの仮構(フィクション)あるいは派生的な現象として退けられる。そうすると、より根源的な「現在」の世界――ある味で、赤ん坊や動物が生きているような、世界との直接的な接触や生の欲求に委ねられた世界――が開ける(〈原・現在〉)が、教はさらにこうした次元もつきぬけていき、いわばそうした「現在」すらも生まれる前の場所を志向する。

 他方、キリスト教の場合には、目指されるのは「超越」の方向であるので、教の場合のように「時間」ないし時間ということが虚妄として退けられる、ということはない。むしろ人間の、あるいは世界の時間的正確ひいては「歴史」ということは積極的に強調される。先ほど、人間という生き物の特質は、世界を「目的−手段」の構造において生きることである、と述べたが、この構造が、もっとも超越的な視点のもとで、人間の歴史あるいは宇宙の歴史全体に及ぼされるのである。宇宙の歴史は神の志の実現という「目的」に向けた巨大な物語、ドラマとなる。

 以上ごく大まかにまとめたように、キリスト教と教では、その「時間」をみる角度は根本的に違っている。しかし、さらによく見てみると、両者は実はある共通のものを見ているのではないか、ともえてくる。それは端的に言えば「時間を超えた存在」となるということであり、一方(教)はそれを「仮象としての時間」“以前”のもの、いわば時間の根底へと向かうことで、他方(キリスト教)は、時間という存在を認めつつ、いわば時間の境界のその果てにあるものを志向することで、つかもうとしているのである。

死生観を問いなおす (ちくま新書)

指導力不足教員は450人=2年連続で減少


 チト、古いニュースで恐縮だが紹介しておこう。あなたの組織に「指導力不足幹部」はいないかね?(笑)


 都道府県・政令指定市の教育委員会から「指導力不足」と認定された公立学校の教員が、2006年度は450人で、2年連続で減少したことが12日、文部科学省のまとめで分かった。うち6割が在職年数20年以上のベテランだった。

 指導力不足教員は、ピークの04年度が566人、05年度が506人。同省は「03年度から本格運用が始まり、数字がある程度落ち着いた」と分析。年代が高い理由は「子どもの変化に指導法が追い付けない面がある」とみている。

 指導力不足の例は「1人の児童に掛かりきりで他を放置」(小学校・50代男)、「考えを深めさせる適切な質問が出せず、校務も責任をもって遂行できない」(同・50代女)、「教科と関係ない無駄話が多く、生徒が聞いていなくても一方的に授を進める」(中学校・40代)など。

 年代別にみると、40代が45%で最多。50代が38%、30代15%、20代2%。男が7割を占める。校種別では小学校50%、中学校26%、高校15%。

 教委別では、千葉県が最多で22人。以下三重県19人、福岡県18人、愛知県と横浜市各15人などと続く。静岡市は2年連続でゼロだった。

 指導力不足と認定され、06年度の研修対象になった教員は335人。うち研修を受けて現場復帰したのは101人だが、07年度も研修継続となったのは99人、退職も104人に上った。他の教員は事務職に転任するなどした。

 一方、06年度採用の2万1702人のうち、1年間の試用期間を経て正式採用されなかった教員は、前年度より89人増え、過去最多の295人。うち84人が精神疾患などの病気による依願退職で、自殺者も2人いた。


時事通信 2007-09-12】

2009-02-14

タントリズム(密教)

 タントリズムにあっては、すべてがシンボルに置きかえられる。世界ももシンボルとなる。シンボルあるいは記号の集積の中で、タントリズムの儀礼あるいは実践が行われるのである。後ほど考察するマンダラも、シンボルあるいは記号の統合された集積にほかならない。かたちのあるもろもろのもの(諸法)が、かたちあるままで「熱せられて線香花火の火の玉のように震えながら」シンボルとなるのである。


【『はじめてのインド哲学立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社現代新書、1992年)】

はじめてのインド哲学 (講談社現代新書)

「無言の叱責」宮本輝


 厳しく叱らなければならないときに優しく包み、大きく包容しなければならないときに叱責する。

 どうも人間というものは、そんな間違いを犯しやすい。

 スポーツでも似たところがあり、勝って勝って勝ちつづけることによってさらに強くなる時期もあれば、負けを繰り返すことで強くなる時期もある。

 勝たなければならないときに負け、負けなければならないときに勝つと、大成しない。

 おそらく、私のそんな考えは誤っていないとう。

 私は37歳で、自分の人生体験を人さまに教訓めいて語る資格はまだないが、37年という短い歳の中で味わった最大のやさしさとは何であったかをい浮かべてみたい。

 私は昭和47年の10、25歳のときに、日蓮正宗創価学会に入信した。

 自分が、得体の知れない奇妙な病気にかかったことが一番の動機であるが、これほどまでに世間やマスコミに攻撃されつづける宗教は、あるいは途轍もない哲理を掲げているのかもしれないとじたからであった。

 私が小説家になろうと決したのは、それから3年後であり、『螢川』で芥川賞を頂戴したのは、さらに3年後であった。

 芥川賞を受賞して半年ほどたった頃、私は創価大学池田大作先生とお逢いした。


 池田大作氏は、私にとって師であるから、ここでは先生と書かせていただくことにする。

 よく晴れた日で、大学の構内には、私と同年齢の友人たちが集まって日なたぼっこをしたり、とりとめのない話に興じたりしていた。

 すると、遠くから池田先生の近づいてくる姿が見えた。

 先生は私たちの前で立ち停まり、ひとりひとりに近況を訊き、激励し握手を交わした。

 だんだん私の方に近づいてくる。

 ところが、先生は私には目もくれず、私をとぱして、隣の青年と話をし、これから大学生たちの催すフェスティバルを一緒に見ようと誘った。

 私だけを外してである。

 私は先生と一瞬目が合うたぴに何か喋ろうとするのだが、ロを開きかけると、先生はじつにあざやかに視線をそらしてしまう。

 とりつく島もない。

 みんなは先生とともに去ってしまい、私ひとりが残された。私は腹が立った。

 先生が、わざとそうしたのであることは判った。

 判っただけに、よけい腹が立ち、「なにが池田大作だ。えらそうにしやがって」とったのである。


 私は電東に乗ってホテルヘ帰る道すがらも、ホテルに帰り着いてからも、腹が立って腹が立って仕方なかった。

 しかし、時間がたつにつれ、なぜ池田先生が、私にそうしたのかを考え始めた。

 私は、自分が少し恥ずかしくなってきた。

「俺は芥川賞作家なんだぞ」という言葉が、私の中から聞こえてきたのである。

 自分は、なんといやらしい顔をして、先生の前に立っていたことだろう。

 先生は、そんな私のすべてを、瞬時に見抜いたのだ。

 ああ、俺はなんというちっぽけな恥ずかしい人間だろう。

 俺は自分の頭のうしろに、「芥川賞作家でござい」という看板を立て、弟子の分際で師を待ったのだ。

 それに気づくと、私は転げ廻りたいほど、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくなったのである。

 あした、たとえ池田先生に「宮本輝なんか知らないよ」と門前払いされようとも、自分は自分の非を遠くからお詫びし、ご挨拶をして大阪へ帰ろうとった。


 翌日、私は再び創価大学へ行った。

 ちょうど大学祭の日で、先生には来客が多かった。

 しかし、校舎の廊下で私は先生とお逢いすることが出来た。

 先生は私を見るなり、自分の方から歩み寄ってこられ、

「きのうは、ごめんね」

 と小で言われたのである。

 私はまだ何も言っていない。

 自分の驕りや非礼を反省しお詫びする言葉をひとこともロにしていないのである。

「私ときみとのあいだには、世間の肩書きなんか、何の関係もないんだ」

 そう言われたのであった。

 私はこの7年前の出来事を生涯忘れないだろう。


 あのとき、池田先生に叱られていなかったら、私は青二才の分際で、芥川賞の看板を楯に一人前の作家づらをして闊歩し、天下を取った気分で驕りたかぶるつまらない作家のままで終わったに違いない。

 あのときの、先生の無言の叱責は、おそらく、私のこれまでの人生で受けた最も大きなやさしさである。


 ――世間の肩書きなんか、何の関係もない――。

 これは人生を考えるうえでも、深い味を持つ言葉だとう。

 この小さな地球の、あまつさえ、たかが小島でしかない日本で、一時的にもてはやされ、肩書きを冠せられたとて、それがいったい何だろう。

 そして、その肩書きの上にふんぞりかえり、えらそうな口をきく連中が、この日本という小島の中にも、うようよしている。

 人間は、どうしようもなく、そのように出来ているのだ。

 叱られたことのない人は不幸である。しかも、叱るということはしい。

 本当の愛情がなければ、本当の叱責など出来はしない。

 真のやさしさとは何かを考えるなら、そこには、真の叱責とは何かについていを至さなければならない筈なのである。


 最近、私の義姉が離婚した。

 4人の子供は義姉が育てることになった。

 上は中学1年生の男の子、下はまだ2歳にもならない女の子である。

 私はその子供たちの父親の役を果たさねばならなくなった。

 近くに住んでいるので、ひんぱんに遊びにくる。

 私の子とケンカもする。

 だいたい私の子の方が悪い場合が多いけれど、あきらかに、義姉の子が悪いときもある。

 だが、私は自分の子は叱れても、義姉の子を上手に叱れない。

 とりわけ、上の子はこれからしい年代に入るので、気を遣ってしまう。

 私は父のいなくなった甥や姪たちの、父親代わりになるつもりだが、どうしても本気で叱るのが恐いのである。

 だから、ついお小遣いを与えたり、やさしく笑って誤化してしまう。

 けれども、そのやさしさが、真のやさしさではないことを知っている。

 当然、子供たちもじるであろう。

 叱ることよりも、やさしく接する方が簡単なのである。


 いま、人々は叱ることが下手になった。

 裏返せば、真実のやさしさをも忘れたと言えるかもしれない。

 校内暴力の問題は、その象徴のような気がする。

 人に物をほどこすことでその善行に酔うのと同じ次元のやさしさが、あちこちに見受けられる。

 しかし、人間を育て、蘇生させ、勇気づけるやさしさは、そんなうわっつらなものでは決してないのだ。

 強力なエネルギーを必要とし、深い懐を必要とし、まず先に相手を理解することが必要になってくると私はっている。

 ところが人間は、烈しい自己との闘いなどまったく放棄し、やさしくしよう、やさしくされようと願っている。

 そんなやさしさにすら、人はあざむかれる時代になったのではあるまいか。


【『PHP』昭和60年10号】

2009-02-13

グーグルカレンダー「流出」1500件…利用者誤って「公開」


 検索大手グーグルが運営するインターネット上でのスケジュール管理サービス「グーグルカレンダー」で、個人情報が誤って公開されてしまうケースが相次いでいる。

 読売新聞で確認できただけで、九つのカレンダーで1500件以上のスケジュールが誰でも閲覧可能な状態になっていた。同社は今上旬、こうした事実を利用者に説明しないまま、他人のスケジュールを検索できる機能を廃止したが、アドレスさえ入力すれば閲覧できる状態は今も続いている。

 グーグルカレンダーは、ネット上でスケジュール管理できる無料サービスで、登録IDなどを打ち込めば、自宅のパソコンや出先の携帯電話でも自由に利用できる。データは自分のメモ代わりに使うばかりでなく、仲間同士でスケジュールを共有することもできる。

 初期設定画面には「特定のユーザーと共有」と「公開」という項目がすぐ近くにあり、これらの項目にチェックを入れなければ複数の端末での利用や、仲間同士でのデータ共有ができないと錯覚しやすい。ところが、「公開」を選ぶとすべての利用者が閲覧できる状態になってしまう。

 徳島県内にある病院の男外科医(39)の場合、昨年4から患者や病などを記載したスケジュール約150件を誤って公開。中には「人工肛門(こうもん)」などの手術を患者と共に公開してしまったケースもあった。病院では「個人用のスケジュールだったので、まさか他人が見られるとはわなかったようだ」と釈明しているが、患者にどう対応するかは未定という。

 東北地方の法律事務所では、30歳代の弁護士が、依頼人の前や打ち合わせ予定、裁判日程などを公開。個人を特定できる情報も交じっており、この弁護士は「事務所内だけで共有していたつもりだった。ネット上に情報を預けるのは危険だ」と悔やむ。

 このほか、九州のある企ではボーナス支給日を、都内のネイルサロンでは、「客に不満な顔をされた場合」の料金対策など内部の連絡内容などを、それぞれ閲覧できる状態にしてしまった。

 グーグルは今初旬、キーワードを打ち込むだけで他人のスケジュールを検索できる機能を中止したが、「具体的な個人情報の漏えいについては把握していない」(同社日本法人の舟橋義人・広報部長)として、利用者に変更の理由などは説明していない。アドレスを直接入力すれば現在も閲覧は可能なため、今でも気がつかないまま公開設定にしている利用者は、情報を流出させる危険が続いている。

 グーグルを巡っては、地図情報サービス「グーグルマップ」で昨年、家庭訪問用に作られた地図から児童や生徒の自宅情報などが流出するトラブルが発覚したばかりだった。

 舟橋広報部長は、検索機能の廃止について「利便を高くするための改良」と説明している。


【読売新聞 2009-02-13】

2009-02-11

春解散遠のき、焦る公明 都議選との「ダブル選」懸念


 麻生内閣のさらなる支持率低下に、公明党が焦りを募らせている。支持率が回復せずに予算成立後の「春解散」が見送られれば、公明党が嫌がる7の東京都議選との「ダブル選挙」の可能が出てくるからだ。

「本予算と関連法案が成立した段階で、総理の解散の判断が可能になる」。公明党の漆原良夫国対委員長は9日の記者会見で、首相の専権事項である衆院解散の時期にあえて踏み込んだ。

 公明党が「春解散」にこだわるのは、都議選との重複を避けるため。都議選は中選挙区制のため、自民と公明の候補者も激しく競う。「都議選で殴り合っている最中に、総選挙で自公協力なんてできない」(幹部)というわけだ。

 もしダブル選挙になれば、しわ寄せを最も受けるのは、東京12区から立候補する太田代表。地盤の北区と足立区西部は都議選で自民、公明、民主、共産などの候補が争う。ダブル選挙になれば、太田氏の選挙の自公協力は崩壊しかねない。公明党幹部は「自民票がなければ太田代表は落選する」と警戒を隠さない。

 支持母体の創価学会は、政界進出のきっかけとなった都議選に全国の支持者を総動員する。75日予定だった都議選の投開票日が1週間後の12日になったのも、「春解散」に照準を合わせる公明党が、都議選と組織力が分散するのを避けるために働きかけたからだった。

 しかし、内閣支持率下落で「春解散」の大前提が崩れてきた。「支持率14%では解散はできない」。麻生政権を我慢強く支えてきた党幹部からは悲痛なが漏れる。公明党は「ダブル選挙は絶対反対」と自民党側に伝えており、「常識ではダブルは考えられない」。ベテラン議員は「今後も支持率は上がらない。解散はどんどん先延ばしになる」として、9の任期満了に近づくとみている。


日新聞 2009-02-11

『勝海舟』子母澤寛


 子母澤寛は厚田村出身。幼少の頃より戸田先生と親交があった。意外と知られていないが、実は一度入会している。二十歳(はたち)の頃、北海道にいた私は江戸っ子のべらんめえ調に胸を躍らせながら本書を読んだ。それから数年後、まさか勝海舟が生まれた地域で仕事をするようになるとは夢にもわなかった。勝海舟生誕の地は墨田区両国4丁目25番地。地図の左側にある本所坂町公園というのが吉良邸の跡。また、両国2丁目9番地には第三代会長就任式が行われた旧日大講堂があった。


「お前、溜飲の下がる味合を知ってるかえ、今の中(うち)、じっとして、う存分、踏んだり蹴ったりされていなくちあその味合がねえじあねえか、なあに、なにをどうされたって、高々20年か30年の辛抱だ、今にこの勝麟太郎があ奴らの足許から、いやっという程引っくり返して泣きべそをかかせてやるよ」


【『勝海舟子母澤寛(新潮文庫、1968年)以下同】


「事を成すは人にあり、人を動かすは勢にあり、而して勢を作るまた人にあり」


「え、戦あね、気の持様だ。もう止(や)めるだろう、いつ止めるだろう、そんな事を考えちゃあ、考げえた方が敗けるんだよ。とことん迄対手(あいて)をやっつけなくちゃあ止めねえ覚悟が第一だね。その覚悟せえしっかりしてれあ戦あきっと勝てるもんだよ」


「全く人がない。出来る奴はいる、策の立つ奴もいる。智の溢れる奴もいる。外交折衝の巧みな奴も――。が、赤誠の人物がいない。今の世の中あ、智や策ではいけねえのでんすからねえ、素っ裸で、対手(あいて)にぶつかっていける人間、それがいない」

勝海舟 (第1巻) (新潮文庫) 勝海舟〈第2巻〉咸臨丸渡米 (新潮文庫) 勝海舟 (第3巻) (新潮文庫)


勝海舟 (第4巻) (新潮文庫) 勝海舟〈第5巻〉江戸開城 (新潮文庫) 勝海舟〈第6巻〉明治新政 (新潮文庫)

2009-02-10

新しいことが「できる」と考えるとできる

 独創を推し進めていく段階では、新しいことが「できる」と考えるとできるし、「なにもできない」と判断すればできないという岐路に立たせられることがある。

 ここで大事なことは、早急に「できない」とあきらめないことだ。「できない」と考えていて何かをなすことはまずありえない。「できる」と考えていた場合にのみ、「できなかった」場合と「できた」場合が生じてくるのである。つまるところ「できる」と考えていない限り、独創の華はうまれないということである。


【『独創は闘いにあり』西澤潤一(プレジデント社、1986年/新潮文庫、1989年)】

独創は闘いにあり 独創は闘いにあり

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-02-09

稚児とは僧侶の恋人だった


 壮年部はここまで勉強するのだよ(笑)。ちなみに「衆道」(しゅどう=少年愛)の開祖は空海とされている。女犯(にょぼん)の罪を回避するための少年愛だとすれば、より罪深いと言わざるを得ない。で、これって稚児貫首と関係があるのかね?


 稚児とは、女人禁制の寺院において僧侶の恋人役をつとめた美少年のことであって、出家行者のために寺に入った小坊主とは違う。台密(たいみつ)僧の個人的な“囲い者”であり、「幽玄(ゆうげん)を専(もっぱ)らにする身」(守覚法親王〈しゅかくほっしんのう〉『右記』〈うき〉)の、文字どおりの“恋童(れんどう)”なのである。

 天台では、この稚児を観音菩薩(如輪〈にょいりん〉観音)の化現(けげん)とみなして崇拝した。稚児はただのの相手にとどまるものではなく、僧侶たちの前に現れた神にほかならなかった。

「稚児を持つ者は早く果菩提を証す。善く稚児を持つは斯(かく)の如く、悪(あし)く稚児を持つ者は道の種因(しゅいん)と成るべし。稚児は聖(ひじり)の為なり。稚児なくんば聖あるべからず、聖なくして稚児あるべからず」(『弘児聖教秘伝』)

 叡山では、稚児との情交の道――これを衆道(しゅどう)といった――を悟りへの近道と口伝し、平安の昔から連綿と伝承してきた。寺院の奥深くで密かに口伝されてきた愛の世界のうちでも、最も歴史が古く(インド以来の伝統がある)豊かな内容をもつものは、まさしくこの衆道であった。


【『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』(学研ブックス・エストリカ、2006年)】

2009-02-08

師曠


春秋左氏伝の魅力と怪


 春秋左氏伝には怪事とよんでもさしつかえないようなことがいろいろ書かれている。

 そのひとつに、

「石がものをいった」

 ということがある。そのことがあったのは魯の君主の在位年次でかぞえてゆくと、昭公の8年目(紀元前534年)のことである。問題の石は、魯の国内にあったわけではなく、晋の魏楡という邑(まち)はいまの太原市(山西省)にあったわけだから、ずいぶん北でおこった怪事が晋の首都の新田(しんでん)につたえられたことがある。

 そのとき晋の君主は平公(へいこう)であり、かれは側近の師曠(しこう)に、

「なぜ石がものをいったのか」

 と、問うた。師曠は音楽家であり、琴の手であるが、博識であり批判力旺盛な人であるから、すぐさま、

「石はものをいうことができません。あるいは神が憑(つ)いたのかもしれません。そうでなければ、民のききちがいでしょう。わたしはこういうことをきいたことがあります。事をおこなうのに時に適(あ)っておらず、怨嗟(えんさ)が民間に生じると、本来ものをいうはずのない物がものをいうことがある。ところで今お造りの宮殿は高大でぜいたくなものです。民力は尽きはて、怨嗟がつぎつぎにおこり、民は死にかけております。石がものをいうのも当然ではありますまいか」

 と、いって、平公をいさめた。

 天変地異為政者の失徳をあらわしているといわれる。怪異なことがおこったときもそうである。

 平公は師曠の諌言にをかさず、石がものをいったという怪事を軽視して、豪華な宮殿を完成させた。が、そのことから晋の君主の権威はめだっておとろえるようになった。


【『春秋の色』宮谷昌光(講談社、1994年)/初出は『小説現代』1993年9号】

2009-02-07

ゼロに関する覚え書き その四


西洋が「ゼノンのパラドクス」を解けなかったのはゼロを否定したため


 無限と空虚には、ギリシアを恐れさせる力があった。無限は、あらゆる運動を不可能にする恐れがあったし、無は、小さな宇宙を1000個もの破片に砕け散らせる恐れがあった。ギリシア哲学は、ゼロを斥けることによって、自らの宇宙観に2000年にわたって生きつづける永続を与えた。

 ピュタゴラスの教義は西洋哲学の中となった。それは、宇宙全体が比と形に支配されているというものだった。惑星は、回転しながら音楽を奏でる天球の一部として動いているのだった。だが、天球のむこうには何があるのか。さらに大きな天球があり、そのまたむこうにはさらに大きな天球があるのか。いちばん外の天球は宇宙の果てなのか。アリストテレスやその後の哲学者たちは、無限の数の天球が入れ子状になっているはずはないと主張した。この哲学を採用した西洋世界に、無限を受け入れる余地はなかった。西洋人は無限を徹底的に排除した。というのも、無限はすでに西洋の根元を蝕みはじめていたからだ。それはゼノンのせいだった。同時代人から西洋世界でもっとも厄介な人物と見なされていた哲学者だ。


【『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ/林大訳(早川書房、2003年)、以下同】


 ギリシア人はこの問題に悩んだが、その根源を探り当てた。それは無限だった。ゼノンのパラドクスの核にあるのは無限である。ゼノンは連続的な運動を無限の数の小さなステップに分割したのだ。ステップが無限にあるから、ステップが小さくなっていっても、競争はいつまでもつづくのだとギリシア人は考えた。競争は有限の時間のうちには終わらない――そうギリシア人は考えた。古代人には無限を扱う道具がなかったが、現代の数学者は無限を扱うすべを身につけている。無限は注深く処理しなければならないが、征服できる。ゼロの助けを借りれば。2400年分の数学で武装した私たちにとって、振り返って、ゼノンのアキレス腱を見つけるのはむずかしくはない。


 ギリシア人はこのちょっとした数学上の芸当をやってみせることができなかった。ゼロを受け入れなかったため、極限の概をもっていなかった。無限数列の項には極限も目的地もなかった。終点もなく小さくなっていくようにわれた。その結果、ギリシア人は無限なるものを扱うことができなかった。無の概について索はしたが、数としてのゼロは斥けた。そして、無限なるものの概を弄んだが、数の領域の近辺のどこにも無限――無限に小さい数と無限に大きい数――を受け入れようとしなかった。これはギリシア数学最大の失敗であり、ギリシア人が微積分を発見できなかったただ一つの理由だった。

 無限、ゼロ、極限の概はすべて結びついて一束になっている。ギリシアの哲学者は、その束をほぐすことができなかった。そのため、ゼノンの問を解くすべがなかった。だが、ゼノンのパラドクスはあまりにも強力だったので、ギリシア人は、ゼノンの無限を説明して片づけてしまおうと繰り返し試みた。しかし、妥当な概で武装していなかったので、失敗する運命にあった。

異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-02-06

口先だけの革命の本質は反革命


「我々は口ではどんな格好のよい事も言える。しかし、問題は実践だ。君達は準備討議の時、たくさん立派な事を言った。でも実際行動はまるで正反対だ。働けば疲れる。コヤシは臭い。臭くないと言ったら嘘だ。しかし、疲れるのを嫌がったり、臭い仕事から逃げるのは問題だ。それに、疲れる仕事、臭い作も誰かがやらねばならない。僕はそういう仕事こそ進んでやるべきだとう。それを一つの鍛錬の場とい、喜んでやるべきだ。それでこそ進歩するんだ。口でいくら進歩すると言っても、結局は実践の中で努力して、初めて実現するんだ。口先だけの革命の本質は、不革命か反革命なんだ」(※中学生の発言)


【『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃(中央公論社、1971年)】


青春の北京 北京留学の十年

2009-02-05

権威の行き過ぎに対する最強の砦


個人が権威に対抗しようと考えるならば、最もよいのは、その集団のなかから自分のことを支持してくれる人を見つけるということである。お互い同士が手を取り合うということこそが、権威の行き過ぎに対して私たちが持ちうる最強の砦なのである」(スタンレー・ミルグラム


【『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス/野島久男、藍澤美紀訳(誠信書房、2008年)】

2009-02-04

内在的な宗教的指向と外在的な宗教的指向


 彼(※ゴードン・オルポート)は、内在的な宗教的指向と外在的な宗教的指向を測定可能な方法で区別できるようにしたのである。内在的な宗教的指向の人とは信仰の中核にある価値に深く関わる人のことで、外在的な宗教的指向の人とは、自己の地位を得たり他者に受け入れてもらったりという目標のために宗教を利用する人のことである。


【『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス/野島久男、藍澤美紀訳(誠信書房、2008年)】

服従実験とは何だったのか―スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産

2009-02-03

『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし


 昨年、玉野和志氏(首都大学東京教授)が『創価学会の研究』(講談社現代新書、2008年)を上梓。私は『東京のローカル・コミュニティ ある町の物語 1900-80』(東京大学出版会、2005年)を読んでいたので結構期待していた。一度メールのやり取りをしたことがあるので、あまり悪くは言いたくないが、はっきり言ってクソだった。その辺のオッサンが「趣味で写生をしております」ってなじのレベルだわな。大学生論文並み。創価学会アウトラインをなぞってみただけ。社会学的調査がデータを重んじるのは理解できるが、玉野氏の見識から下された判断がどこにも見られない。つまり、「絵が描けてない」んだな。

 そして玉野本で紹介されていたのが本書である。既に入手困となっているため、読みたい人は図書館で借りるといい。1963年415日の発行である。私が生れる3ヶ前だ(笑)。当時は知識人という知識人がマルクス主義になびいた時代であった(多分)。執筆者の一人はマルクス主義者であることを宣言している。「ケッ、赤かよ」と見下すことは簡単だ。しかし、本書のテキストには確かなが横溢(おういつ)している。そして恐ろしいことに、マルクス主義(全員じゃないかも知れないが)の懐の深さまでが窺えるのだ。自分達の思想のために創価学会を利用しようとする魂胆が全く見られない。そんなところから、彼等のが民衆を見据えていたことがわかる。竹中労著『仮面を剥ぐ 文闘への招待』(幸洋出版、1983年)と双璧をなす作品であると言っておこう。


 学会の用いる折伏は、単なる説得ではない。一個の人格を社会的、経済的、理的諸要素、それも主として弱点から攻撃し、批判し、いわば逆さにふって血も出ないところまで追いつめる激しさと執拗さをもっている。背後には確固とした対話の技術を準備している。

 このことは、伝統的に対話の習慣に馴れていない、“ものいわぬ”日本の民衆を、驚愕させ、呆れさせ、果ては反発させる。人生の途上に現れた異質の体験なのだ。(柳田邦夫)


【『折伏 創価学会と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし(産報ノンフィクション、1963年415日)以下同】


 そうして、人間のに、自己の創り出した個人のタテマエとは別の、巨きな、安のできる、強いタテマエをとり入れていく衝動が潜在するようになってくる。強弱の差こそあれ、誰にでもこの衝動は存在する。そしてこの衝動をよりよくみたしてくれる条件は、そのタテマエに体系があり、実績があり、組織(仲間)があるということになろう。なぜならば体系がないということが個人的経験主義の限界であるからであって、体系のあるタテマエは、体系のないタテマエよりは、強靭で柔軟に富むはずである。そしてタテマエだけでなしに実績があるということは、そのタテマエの正当を合理的に納得せしめる上に重要な役割を果すのである。(森秀人)


 わたしはあるチンドン屋の娘を知っている。チンドン屋夫婦の子として生れ育ったかの女には大きな劣等が渦巻いていた。頭もいいほうではない。学校にも行けなかった。貧困が家庭を破壊していたのだ。くわえてかの女は弱身で蓄膿症をはじめいくつかの病気をかかえていた。わたしはそんなかの女と、ときおりあう。かの女は女中のごとく家の中のこまごまとした仕事やチンドン屋仲間の飯づくりに多忙であったが、映画や小説が好きで暇さえあれば楽しんでいた。

 わたしがそういう映画のをきいても、批評はおろかもいえなかった。ただ読み観るというだけの話だった。強い見があるわけでもないかの女にはそれが、他のふつうのひとたちと同様、とうぜんのことであった。

 しばらくわたしはかの女と会わないでいた。わたしはかの女の存在を忘却していた。ふつうの、平凡な、ありきたりの娘だったので、軽い同情があっても、忘れるのがあたりまえだ。ところがしばらく会わないでいると、かの女のほうから訪ねてきた。顔がいきいきとしている。さては、恋人でもできて劣等から解放されたのかな、とった。映画の帰りだという。そうしてペラペラと、その映画の批評をする。わたしはあっけにとられるいでかの女をみつめた。かの女は、その映画の主人公の生き方を痛罵しているのである。わたしは愉快になって、ひとつふたつ反問すると、まえにはわたしの説明を素直にきいた娘なのにむきになって、反論して、自説を固く守る。それでいて、つっけんどんな調子はまったくなく、柔軟な口調である。わたしはますます驚いた。劣等で口もきけなかったあの娘が、いま面前で、にこやかに微笑してい、自信をもって、映画批評をしている。ひらかれた瞳は、まっすぐにわたしの眼に注がれ、まばたきもしないのだ。

 かの女は、やがて平和であるとか、ふつうの日本人のまず口にしない言葉を平気で使いだした。使命というようなききなれぬ言葉も使った。そのときはそれでかの女は去っていった。わたしは間もなく、かの女が創価学会にすでに入会している信者であることを知った。入会前のかの女と、入会後のかの女の、その見事な変貌ぶりに、わたしはあらためて創価学会のちからを知った。まさにかの女は、ふつうの人から、信の人に、かわったのである。

 自殺でもしなければよいが、とわたしはっていた。そんなかの女が、見事に、自分を回復したのである。あの暗い、蔭のような存在であった日本の娘が、平和を説き、法を説くのである。わたしには法のことなど、どうでもいい、一人の日本の娘が、自分でちゃんと大地に立った、という事実が動をあたえるのだ。(森秀人)


 邪教であろうとなんであろうと、創価学会のいうとおり信すれば人間とその社会が幸福になるものならば、それはいいことだ。商人の口車にのって買った品物がよいものならばそれはそれでいい。そうして、現実に、創価学会に入って自信をもち、明るく、幸福そうになった多くの人間がいるのである。すくなくとも創価学会は、自殺王国の日本にあって、自殺者の数をできるかぎりすくなくした第一の団体であることに間違いはない。学会がファシズムにおもむくことを恐れるまえに、われわれは、われわれの喪失した人間の原理について、もう一度ふかく反省しなければならない。果してわれわれは、あの信者たち以上に生きているのであろうか。あの信者たちのように自信をもって、動し、欲求し、行動しているのであろうか。人間としてどちらが、解放されているのであろうか。戸田城聖ではないが、勝負してみなければならぬだろう。そうして負けたとったら一度は創価学会に入るべきである。負けぬとった者は、自分の考える〈創価学会〉を創るべきである。どちらでもない者は、黙って沈黙していればいい。それが自然の掟なのである。(森秀人)


 創価学会の運動は、進歩でもなく反動でもなく、現実の運動である。現代における、人間の欲望の表現である。現代という、怪物のごとき存在を、欲望の視点から人間化する、人間の営為である。したがって、創価学会の矛盾を指摘することなどは、無益である。なぜなら現代の矛盾をそのまま内包するのが学会だからである。創価学会は特殊なものではない。かくれた潜在的な現代潮を、学会は顕在化した。それはそれで、自動的に、新たな矛盾の世界を開拓していく。その矛盾の激化だけが未来にひかえている。(森秀人)


 かれらはもう〈ふつうの人〉ではない。ふつうの日本人ではない。ふつうの日本人とはまったく別な視角をもちタテマエで生きている。かれらは自分たち特有の規律をもち、それで日常生活をしている。大鵬のファンは信者にもいる。かれらだってテレビをみる。そうして大鵬が負けると「残だなあ、あいつが入信していれば負けんのに」と口惜しがるのだ。相撲解説者のいうことをそのままうのみにはしない。そういう味で、かれらはふつうの日本人の無に対応している一群の家である。(森秀人)


 古めかしい老人ばかりの共産党や社会党、それに反して、池田会長をはじめ全幹部中7割ちかくが昭和生れという創価学会。とくに池田大作昭和35年、34才(ママ/正しくは32才)の若さで会長になったとき、世間はアッといった。そうして100の理事の主な者は、昭和生れのさっそうとした若者でしめられていた。牧口門下生のロートルを、戸田門下の若手がしのいだのである。奇しくもこのころ、共産党では「10年以上の党歴」がなければ中央委員(学会の理事相当)になれぬ、という規約を発表している。

 この若さこそ、今日の創価学会の中、青年部90万(学会発表)という成果の主因である。(森秀人)


 高見順が創価学会に要求するもの(※『中央公論』昭和37年8号誌上で学会幹部と対談した/秋谷永、渡辺克、篠原誠、小林俊子)、それは一言でいえば、清く貧しく美しき宗教なのである。その宗教は寛容で、おおらかで、平和的なものでなければならない。作家・高見順のそれが〈宗教観〉である。しかし学会側がいうように、なぜ学会がそうでなければならないことがあろうか。そんな宗教は、高見順およびそれと同じ教養ある人々にとっては望ましい、というよりは安のいける宗教だからである。

 しかし創価学会は、むしろ、そうい精神主義的宗教と対立したが故に民衆をとらえたのである。対立したりケンカしたりすることを極端に忌み嫌う日本の風土ゆえに、ぎゃくに根を下したのである。高見は寛容というが、寛容を説くことが現代、いかに非民衆的なことかわかってはないのだ。権力を持ち、資本をもつ者のあのごうまんな非寛容は、まさに民衆の寛容と忍耐の上に成立しているのである。おおらかな気持、なんでも許しちゃう精神、清貧の、それこそもっとも望ましい、と考えるのは支配者のみである。(森秀人)


 わたしはそれほど多くはないが、学会の信者と交際した。座談会にも出席し、幹部とも話した。ある座談会で、わたしは一人の美しい女の信者と知りあった。美しいというのはなにも顔だけのことではない。

 わたしは無神論者で、彼女は様を信じている。これほど大きな違いはないはずだ。しかしわたしはそれが人間をほんとうにへだてるものではないということを知った。つまり、彼女は多くのふつうの日本女よりも鮮やかに生きていたのである、わたしにはそれがなによりも動的であり美しいことにえた。わたしは多くの工場、多くの農漁村を歩いている。日本の民衆を誰よりも知っていると自覚している。そういうわたしが、彼女のなかに、本来の人間をじた。人間の初じた。

 宗教は彼女を盲目にしなかった。宗教はぎゃくに、彼女の人間としての誕生をうながした。それは恐らく、彼女が入信してほどへぬ平会員であるということも影響していよう。たとえ下役でも幹部ともなれば、どこかしら人間的でない、悟ってしまった者の傲慢の影がある。それはどこかスターリンの横顔に似ている。自己のであらゆる事物を説明しうるという自負と自信が、その人間を盲目にしないはずがない。

 ところが彼女は、いつもせっせと折伏教典を読み、鉛筆をなめなめ考えているといったふうであった。わたしのひとひねりした問に、わからなくなると、素直にわからなくなったと笑って告げた。そうして、きっと支部長さんならわかるはずだと、自信をもっていう。そうしてわたしをある日、その信頼している支部長にあわせた。しかし支部長もついに私の地の悪い問を答えきれなかった。

 そんなことがあっても、彼女の信仰はすこしもおとろえない。彼女には信仰の正邪が問題ではなかったのだ。信じていることで、いきがいができている、そのいきがいを愛しているといったふうであった。彼女はわたしを折伏しようとはしなかった。話していても、ときおり信者であることをさえ忘れるほど、自由に彼女はあった。わたしはそういう彼女を信じた。わたしはいつも混迷のなかにいるけれども、ひとつそういう信仰によみがえるものがあった。恐らく、彼女はわたしの信仰を見抜いていたのである。彼女以上に、わたしが迷いかつ信仰していたことを。

 大衆は創価学会を恋しているのだ。わたしはこのとき以来、祈りを忘れた者らとは無縁でありたいと固くうようになった。そうして科学的合理的哲学への不信を深めていった。わたしはあるとき次のように書いた。「哲学の有効を一面的に過信するという現今の風潮下にあって、ひとびとはいたずらに精緻な哲学の創造と学習に余がない。哲学にたいするかかる迷信は、哲学の始源(ママ)をひとびとが忘却し、哲学の初を裏切るところからでてくる。〈正確な哲学〉へのこのような希求は、崩壊過程における現代人の悩みの表現である。ひとびとは真理を入手したがり、一刻も早く真理を入手して安したがっている。その衝動の底辺には、哲学的真理の有効へのやみくもな盲信がある」

 たしかに合理的は、歴史の一時期において有効であったことがある。だがその時期でも、合理は、今日のごとき傲慢さとは縁がなかった。人間の生きる味、生きていく悩、そうして生きていく美しさという問のまえに謙虚であった。現代の合理は、もはやそういう機能を失い、ひたすら頽廃の道を歩んでいる。そこでは人間的な動よりも、物質的利益をのみ追求する非美学が形成されている。

 創価学会に対する批判が、もしかかる合理のみによって行われるならば、わたしはむしろ学会の大衆の側につくしかないであろう。(森秀人)


 人間はひとつの世界観によって生きなければならないが、既成教は確固たる世界観をあたえてはくれない。いわゆる身延派のひとたちや旧信徒のように、信仰は何でもおなじだろうというような「根づよい保守的な態度とともに、宗教にたいして、よくいえば寛容、悪くいえば、だらしない態度」(小口偉一、佐木秋夫共著『創価学会 その思想と行動』青木書店、209頁)をゆるしておくようなニッポンの伝統的宗教からは、生きる世界観をみつけることはできない。創価学会はこのようなニッポン的風土にたいして宣戦を布告する。(しまね・きよし)


 信仰以外の具体的な対外的生活は、学会の責任ではなく、個人の責任であるという、いわば責任分限論は、天皇制識からはうまれてこない。天皇制は無責任の体系といわれているように、むしろ無限責任天皇をのぞいた各自・各集団が相互にもっている体系である。(しまね・きよし)


 原因はいろいろ考えられるが、やはり学会が折伏した人とされた人とのパーソナル・コミュニケイションを通した指導を中として座談会をひらいているのにたいし、共産党はむしろパーソナルな結びつきを拒否し、個人組織に解消してしまう形で、細胞会議をもっているからではないか。(しまね・きよし)


 ニッポンの庶民には、一対一で真理をかたる伝統がない。世間話はするけれども、面倒くさい理論的なはなしをする習慣をもっていない。したがって、創価学会が一対一で、真理を積極的に主張する風景は、一般庶民にとっては異様なじにうつることであろう。折伏が善良な庶民から好まれないのは、たんに折伏が「しつこい」からではなく、会話の内容を日常的なものから質的にかえなければならず、それが保守的な生活覚をもっている庶民にとっては、あまり望ましくないのである。(しまね・きよし)


 彼(牧口常三郎)の考えかたには、明治末から大正はじめに流行したウイリアム・ジェイムズのプラグマティズムの影響がある。(鶴見俊輔)


 山下(肇)の証言を私は素直に受け入れることができる。というのは、山下より2年遅れて、私が彼とおなじ中学校に入学することができたのは、戸田外著の時習館式(ママ)の国語ならびに数学の参考書に助けられたからだったので。それらの参考書は、受験勉強の書であるにもかかわらず、人生経験から勉強に入るように仕組まれていた。私は、小学校でビリから5番だった自分が、この参考書を与えられて急に勉強に対する欲の動き出したのをおぼえている。(鶴見俊輔)


 なぜ日蓮宗(※北一輝、石原莞爾、宮沢賢治、妹尾義郎、立正佼成会創価学会日本山妙法寺など)だけが近代日本において、としての活力を保ち得たのか。その答えは、ほかの教諸流派とちがって、日蓮宗が、外国人であるシャカから日本人である日蓮に、崇拝の対象を移し、日本の問題を宗教的関の中にすえたことにある。日本をどうやって救うか、それが宗教としてのもっとも重要な問題とされた。正しい方向から政府がそれた時には、政府をいさめ正さなければならぬ。国家をいさめ正すことを宗教者の任務とし、そのことに命をかけたところに、日蓮の本領があった。そしてこれは、近代の市民の政治的権利の自覚ときわめて近しいものなのだ。(鶴見俊輔)


 敗戦当時ただ一人の非転向信者しか残らなかった状態から、戦後18年目現在の信者数1000万人に、どうして飛躍することができたか。それは創価学会が、自民党、改進党などの保守政党にも増して、また共産党、社会党などの革新政党にも増して、また総評や日教組などの進歩的労働運動に増して、戦後の空白を埋めることに成功したからである。(鶴見俊輔)


折伏 創価学会の思想と行動

2009-02-02

2009-02-01

松下幸之助氏を先生につないだKさん


 下が育ててきた社員のなかに学会員がいた。彼は、その社員から、法の理や伸一の指導、学会の運動などについて、話を聞いていた。“尊敬するわが社の会長に、偉大なる法を知ってほしい”とのいで、社員は懸命に語ったのであろう。


【『新・人間革命』新世紀 37/聖教新聞 2009-01-05


 これは、下電送の社長を務めたKさんである。20年以上前になるが、私は録音された体験談を聴いた。下電送が新聞1ページを60秒で送信できるファクシミリを開発。1年間の交渉の末にいよいよ契約となった時、わぬ展開となった。取引先から「お前のところの社長は学会員らしいな」と情が出始めたのだ。挙げ句の果てには下電送の労働組合までが問題視し、下本社が身上調査まで行った。そして、下幸之助氏までもがKさんに何度も言を呈した。Kさんはわず下氏を折伏してしまった。下氏は口を噤(つぐ)んだ。それ以降、社内からの反発もピタリとなくなった。数ヶ後、下氏が「池田先生とお会いしたい」とKさんに電話をしてきたのは1971年(昭和46年)228日のことだった。「お父様」の件(くだり)にもKさんは同席している。「下氏の頭がおかしくなったのか?」とKさんが仰天したほど唐突な発言だったようだ。実はこの時の会見で、下氏はトイレへ行こうとして倒れている。咄嗟(とっさ)に先生が下氏を支え、事なきを得た。下氏は半年後、400の社員を前に、先生のこと、創価学会のこと、創価大学のことを1時間半に渡って語ったそうだ。