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2009-03-31

音楽家の苛酷な訓練


 私が斎藤秀雄を知ったのは、民主音楽協会編『齋藤秀雄・音楽と生涯 心で歌え、心で歌え!!』(芸術現代社、1985年)を読んでのこと。若い私にとっては高価な本であったが迷わず予約注文した。そして、指揮者・小澤征爾を始めとする日本クラシック界の主要人物の大半を斎藤氏が育て上げたことを知った。また、戸田先生と同世代(1歳違い)ということもあって、本書を読んでいるとその姿がダブって仕方がなかった。世界に通用する弟子を育てたという点で、斎藤氏は空前絶後の人物といってよい。


(※留学中の)斎藤がいかにしんだか、私は西内荘一の中に若き日の斎藤を見たような気がした。

 西内は元新日本フィルハーモニー交響楽団首席チェリストである。西内の成功を見届けて斎藤は、それ以降、遅くチェロを始めた生徒をとることに自信をもった。福島県相馬出身の西内は、中学生のころまったくの我流でチェロを始めた。桐朋学園大学に入学したいと考えて、高校1年のとき夏期講習に参加した。

桐朋を受験するいわば田舎の人のための下準備みたいなものでした。『音楽教室』出身の人なら当たり前の聴音でも、ここでは、聴音ってなんだ、というレベルでした。僕の場合、聴音は労せずにできました。講習会が終わって1週間後に斎藤先生から手紙が来た。上京しろ、音はとてもいいのでこのままやめるのはもったいない、ただし、チェロはやめた方がいい、コントラバスなら入れるかもしれない、と。それで先生のお宅にうかがったんです。そのときちょうど音楽コンクールで1位になったばかりの岩崎洸さんがレッスンをしてらした。おまえと同い年でこんなに弾けるんだということを、僕の前で見せつけてくれたわけです。二人が話をしている音楽的なことが僕にはまったく理解できないんです。僕の場合は音程がとれるかどうかというレベルでしたから。それで僕はコントラバスでもなんでも、学校に入ってしまわないことにはどうしようもないと考えました。

 翌年1年遅れて桐朋高校音楽科に入学しました。チェロがやりたかったのですが、先生は、僕の生徒から落ちこぼれを出すわけにはいかない、ハイレベルなことまで教えたいのだから、小さいころからの生徒でないととらない、とおっしゃった。それで一度は諦めたんですが、頭には岩崎さんの演奏がこびりついていて……。そのうちチェロを教えてくれるまで僕は学校に行かないとストライキをしてしまったんです。1年留年しました。から晩までどこででもチェロばかり弾いていて、まわりの先輩たちが見兼ねて、斎藤先生に伝えてくれて、そんなにやりたいんだったら1年間やってみろ、それでだめだったら田舎に帰るか、コントラバスをおとなしくやれといわれて。1年後に、この斎藤が決断を下すから、大学生の倉田澄子さんについて習えといわれたのが始まりです。1年後18歳で弾いた曲は、『音楽教室』の生徒なら小学生くらいで弾けるような曲でした。それでやっと先生のレッスンが受けられるようになったわけです。灰皿投げられたり、譜面台蹴飛ばされたりしながら……。遅く始めているからできないのは僕だけですし、指の骨が固くなってますからったようには弾けないし、いやになってレッスンに行かないことがあったり、食事も喉を通らず、体重が30キロぐらいになってしまって、部屋にこもってただチェロばかり弾いているというような精神的におかしい時期もあったといます。先生は毎週のレッスンで一つのことを学んでいけばいい、というんです。10円玉の貯金のようなものだ、絶対に休みなく続ければ必ず大金になる、一度貯金をやめたら次もいいや今度もいいやとなってしまう、一度諦めると立ち直るのに時間がかかるから、今できなくても必ずできるようになるから諦めないでついてこいと言われました。それまでの時間が足りないというだけのことで、やめないでいてよかった。教え方が生徒によって違いましたから、僕を育てるやり方を先生が研究してくださったというのが、僕にとってよかったんですね。教えることに真面目な先生でした。亡くなる直前までソファーに横になりながらレッスンしてくださった。今でも夢に出てらして怒られます」


【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)】

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-03-30

斎藤秀三郎「天国に行ってからも勉強するよ」


 チェリストを経て指揮者となり、その後音楽教育に人生を捧げた斎藤秀雄の評伝。文句なしの傑作。私が読んできた伝記・評伝の中では頂点に位置する。「池田大作の評伝を書いてもらいたい」と本気でったほど。既に絶版となっているので、潮出版社あたりが版権を買い取るべきだ。斎藤氏は民音とも浅からぬ縁があり、本書でも数ヶ所にわたってそのことが記されている。また、父・秀三郎氏については、先生もスピーチで引用されたことがある。


 秀三郎は『和英大辞典』の原稿の執筆に昼夜を分かたず没頭しているところだった。大震災は正則英語学校も印刷所も焼失させた。『和英大辞典』の原稿の大半は灰燼に帰していた。辞書を著す場合、編者がいて複数の執筆者によって書かれるのが通例であるが、秀三郎の辞書は徹頭徹尾、全編彼の手によっていた。一人の助手にも手伝わせず、例文も彼自身により収集され、漢詩、和歌、諺、流行歌まで載せた類を見ないものである。

「天国に行ってからも勉強するよ」

「人間がこの世で成し遂げることのできる仕事などたかがしれたもの」

 秀三郎のうちには、教会的な信仰と違った形での信が生まれていた。

「人間は天職を全うするまでは決して死ぬるものではない」――そのいが灰の中から甦り、ふたたび秀三郎は気の遠くなるような作を開始していた。


【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)】

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-03-29

政界めざす「幸福の科学」が森田健作らを支援


 与党政治家幸福の科学(大川隆法総裁)詣でが続いている。

 大川総裁は昨年から政界進出志向を明確にし、「信者から総理大臣を輩出し、公明党の代わりの政党を」と言明している。前回の参議院選挙では自民党の丸川珠代氏らを組織的に支援し、結果的に丸川氏は当選。これ以降、逆風の与党関連の現職や立候補予定者が何人も幸福の科学と接触している。

 同教団発行の雑誌「ザ・リバティ」9号には、巻末9ページにわたって、次回総選挙もしくは千葉県知事選挙への出馬が取り沙汰される森田健作氏の特集が掲載された。破格の待遇であり、信者には、教団が推薦する候補とすぐにわかる。森田氏や丸川氏のように浮動票頼みの候補にとって、教団の組織的動員力と無償ボランティアによる選挙活動支援は非常に魅力的だ。

 以前、総裁の子いじめに遭った後、教団が支援するNPO法人いじめから子供を守ろう!ネットワーク」が設立された。ここは教団の別動隊といわれ、シンポジウムには丸川氏や地元の政治家が駆けつけて挨拶する。今秋には義家弘介・自民党参議院議員の講演が開催される予定だ。

 教団幹部は「信者の政治家は2桁はいる」と語っているとの話もあり、その一人が東京10区の小林興起氏らしい。だが教団は同時に、同じ選挙区から当選した小池百合子元防衛相とも接触しているという。教団幹部は「もし小林氏が憲法改正反対を唱え、小池氏が憲法改正を公約したら、その場合は小池氏を支援する」としているようだ。

 教団幹部は民主党の小沢一郎代表への激しい非を繰り返しているが、一応教団の主張に同調する候補には自民・民主を問わず支援するとのスタンス。大川総裁はそうした人々や独自候補を束ねて政党を立ち上げ、ゆくゆくは政界のキングメーカーとして君臨する夢を持っているのだろう。次回の総選挙でどれだけの候補が推薦を受け当選するのか、その結果が注目される。


『FACTA』2008年9月号

毎時作是念


 先生(※ペルフェッティ)からは、「何を見ても患者の治療に結びつけるように考せよ」と教えられた。ある脳科学の研究論文を読んだら、それをどのようにしたら治療に生かせるかを考える。哲学書、たとえばサルトルやメルロ=ポンティの本を読んだら、それをどのように治療に生かせるかを考える。スーパーマーケット子どもの玩具屋に入ったら、その商品や遊び道具をどのように治療に生かせるかを考える。ある絵画を見たら、その絵画が描かれた仕組みをどのように治療に生かせるかを考える。ある人間関係の現象を見たら、それをどのように治療に生かせるかを考える――。

 つまり、自分自身が生きて経験していることのすべてに、患者の治療に生かせるヒントがあると考えるということである。以来、どこに行っても、何をしていても、何を見ても、そこから治療について考える習慣がついた。


【『脳のなかの身体 認知運動療法の挑戦』宮本省三(講談社現代新書、2008年)】

脳のなかの身体―認知運動療法の挑戦 (講談社現代新書 1929) (講談社現代新書)

2009-03-28

沖浦板をウォッチしない


 学会の最高幹部も沖浦某の「人本迹論」を邪義と認定。ま、当たり前なんだけどね。

北条雋八さんと北条浩さん


 草創期を知る古参の先輩から、「北条雋八(しゅんぱち)さんは北条時頼の末裔(まつえい)だ」と聞かされたことがある。で、今調べてみた。どうやら違うようだ。


 北条ツネ子さん(雋八さんの姉)が貞明皇后(ていめいこうごう/九条節子)を折伏した。昭和16年8のことである。で、ツネ子さんが書いた宗旨建立七百年記法要に関する手記の末尾で、「北条つね子様(82才)は元子爵北条雋八御令嬢・北条時宗公の子孫に当られる」と聖教新聞が紹介している。伝説の原因はここにあった。そしてこの記事は更なる問題を生んでいる。記事冒頭では「北条元子爵御令姉つね子様」と書いておきながら、最後は「御令嬢」となっているのだ。Wikipediaによると、「娘 克子」となっているので、私は「姉説」を採用した(※後日、玉井禮一郎著『大石寺の「罪と罰」』たまいらぼ出版、1997年で確認したところ、どちらも「御令姉」となっていた。尚、同記事はいずれも「北條」を使用/428日訂正)。雋八氏は華族の一員であった。

 更にWikipediaでは、「伊達政宗の男系の子孫に当たる」としている。伊達政宗は、「伊達朝宗を祖とする伊達氏」とあるので、北条時頼とは関係がなさそうだ。


 第四代会長の北条浩さんは、雋八さんの甥(おい)に当たる。「先祖は河内狭山藩初代藩主の北条氏規」(Wikipediaによる)であり、さかのぼってゆくと、北条氏康北条氏綱北条早雲に至る。つまり、八王子城滝山城創価大学付近)の主は北条会長の先祖だったってわけよ。

 とすると、北条会長は「後北条氏」だから、やっぱり時頼や時宗とは何の関係もないことになる。


 ということで、都市伝説は打ち破っておいた。間違いがあれば、ご教示願う。

日本の権力構造


 この“システム”は、個人が、暴力にでも訴えないかぎり手も足も出せない、逃れようのない支配構造をさしていう時よく使われる用語である。さらに、それは民主的な政治の調整力の範囲を越える権力をほのめかすものである。私のいう〈システム〉は、時には騙されることもあるが、理屈というものをいっさい受けつけない代物である。これはたまたまそうなっているということなのだが、日本人は、個々人のいかなる力よりはるかに強い力をもつ社会・政治的な仕組みの存在をいつも頭におかねばならい状況下におかれている。したがって、その仕組みを変えるには、民主的な過程に訴えるのが理的だということについては、はっきりとは認識していないのである。だから、一つの政治組織としての日本を述べる時には、この“システム”ということばが、ひじょうに有効だとわれる。というわけで、“国家”でもなく“社会”でもない、それにもかかわらず、日本人の生き方を、また、だれがだれに服従するかを決定する機構(仕組み)をいうのにふさわしいものとして、あえて強調のかっこつきで〈システム〉と表現することにする。


【『日本/権力構造の謎』カレル・ヴァン・ウォルフレン/篠原勝訳(早川書房、1990年/ハヤカワ文庫、1994年)】

日本 権力構造の謎〈上〉 (ハヤカワ文庫NF) 日本 権力構造の謎〈下〉 (ハヤカワ文庫NF)

2009-03-27

週刊現代が逆転勝訴 公明党幹部の「メモ」持ち去り報道


 公明党幹部だった元参院議員ら3人が、矢野絢也・元同党委員長の自宅から手帳を持ち去ったとの「週刊現代」の記事で誉を傷つけられたとして、損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が27日、東京高裁であった。南敏文裁判長は3人が矢野氏を脅迫して手帳などを提出させた上、自宅に上がり込んでほかの資料も捜したと認定。発行元の講談社などに計660万円の支払いを命じた一審・東京地裁判決を取り消し、3人の請求を棄却した。3人は即日上告した。

 また判決は、反訴した矢野氏側の請求を認め、持ち去った手帳などを矢野氏に引き渡し、プライバシー侵害の慰謝料として計300万円を支払うよう3人に命じた。

 訴えていた元幹部は、元参院議員の黒柳明氏と大川清幸氏、元衆院議員の伏木和雄氏の3人。創価学会や同党に関する矢野氏の「極秘メモ」を持ち去ったとの同誌報道について「手帳を強奪した事実はない」と主張していた。

 判決は、3人が05年5、4回にわたり矢野氏の自宅を訪れ、要求を拒めば創価学会公明党員が危害を加える恐れがあると脅迫していたと指摘。矢野氏はやむなく手帳などを引き渡したが、3人はさらに矢野氏宅の本棚や引き出しなどを開けたと認めた。

 3人は代理人弁護士を通じて「全く真実を無視した信じられない不当な判決。勝訴まで断固戦う」とのコメントを出した。

 講談社は「記事の正当を認めた極めて妥当な判決だ」とのコメントを出した。


日新聞 2009-03-27】

矢野元委員長が逆転勝訴 元公明議員3人に賠償命令


 自宅を家捜しされ、政界での活動などを記録した手帳を無理やり奪われたとして、矢野絢也元公明党委員長が、同党の元国会議員3人に1000万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は27日、矢野元委員長が敗訴した1審判決を取り消し、元議員らに手帳の返却と300万円の支払いを命じた。

 南敏文裁判長は「元議員らは矢野元委員長に対し、多数の創価学会員や公明党員が危害を加えるかもしれないと脅して手帳を渡させ、妻の部屋まで捜索してプライバシーを侵害した」と判断した。

 判決によると、元議員らは2005年5に4回にわたり、矢野元委員長の自宅を訪れ、手帳を持ち帰るな

どした。これに対し、週刊現代は同7「矢野極秘メモ100冊が持ち去られた」と題する記事を掲載した。

 1審東京地裁判決は「手帳は元委員長が自分ので渡したのに、記事で誉が傷つけられた」とする元議員らの主張を認め、元委員長や発行元の講談社に計約600万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じた。


共同通信 2009-03-27】

ピュタゴラスの定理


 ここで重要なことを一つだけ述べておこう。この定理は今後ともピュタゴラスにちなむものとして語られるだろうが、実はピュタゴラスより1000年も前に、中国人やバビロニア人はこれを利用していたのである。しかし、この定理がすべての直角三角形で成り立つことは知られていなかった。具体的などれかの直角三角形ではたしかに成り立つのだが、すべての直角三角形で成り立つことを示す手段がなかったのだ。この定理を発見したのはピュタゴラスだと言われるのは、この定理が普遍的に成り立つことを初めて示したのが彼だったからである。


【『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン/青木薫訳(新潮社、2000年/新潮文庫、2006年)以下同】


 ピュタゴラスの証明には反駁(はんばく)の余地がない。彼の定理はこの世のすべての直角三角形において成り立つのである。この発見の重大にかんがみ、神々への謝のしるしとして100頭の牡牛が犠牲に供されたといわれている。この発見は数学における一つの里程標であり、文明史的に見ても最大級の快挙といえるだろう。それは二重の味で重要だった。第一に、これによって証明という概が生み出されたこと。証明された数学的結論は、論理を一歩一歩積み上げることで得られるという味において、ほかのいいかなる真理よりも真である。哲学者タレスはすでに素朴な幾何学的証明をいくつか作り出していたが、ピュタゴラスは証明という概をさらに推し進めることによって、はるかに独創的な命題を証明してみせたのだった。ピュタゴラスの定理がもつ第二の重要は、抽象的な数学の方法を具体的なものと結びつけたことにある。ピュタゴラスは、数学的真理が科学の世界にも応用できることを示し、科学に論理的な基礎を与えたのである。数学は、厳密な出発点を科学に与えてくれ、科学者はこの堅固な基礎の上に、厳密にはなりえない測定と、完璧ではありえない観察とを付け加えてゆくのである。

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-03-26

言葉の目的は「相手を変えること」


 コミュニケーションの面から見れば、話しことばは、まずなによりも他者への働きかけです。相手に届かせ、相手を変えること。変えるといっても、行動を変えさせる、持っているイメージを変えさせるなどいろいろですが、とにかく変えることで、たんなる情や見の表出ではない。

 ですから、話しことばがもっともよく発せられる場合といえば、自動車が来るのに気づかないで歩いている人に「アブナイ!」とどなるときなどはその典型で、こんなときは、からだ全体が単一の目標に向かって躍り上がり、知らないうちに大ごえが出ている、というわけです。


【『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴の科学社、1975年/ちくま文庫、1988年)】

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)

2009-03-25

彼れを知り己れを知れば、百戦して殆うからず


 故に勝を知るに五あり。戦うべきと戦うべからざるを知る者は勝つ。衆寡(しゅうか)の用を識(し)る者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。虞(ぐ)を以て不虞を待つ者は勝つ。将の能(のう)にして君の御せざる者は勝つ。此の五者は勝を知るの道なり。故に曰わく、彼れを知り己(おの)れを知れば、百戦して殆(あや)うからず。彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎(ごと)に必ず殆うし。


【そこで、勝利を知るためには五つのことがある。〔第一には〕戦ってよいときと戦ってはいけないときをわきまえていれば勝つ。〔第二には〕大軍と小勢(こぜい)とのそれぞれの用い方を知っておれば勝つ。〔第三には〕上下の人々がを合わせていれば勝つ。〔第四には〕よく準備を整えて油断している敵に当れば勝つ。〔第五には〕将軍が有能で主君がそれに干渉しなければ勝つ。これら五つのことが勝利を知るための方法である。だから、「敵情を知って身方の事情も知っておれば、百たび戦っても危険がなく、敵情を知らないで身方の事情を知っていれば、勝ったり負けたりし、敵情を知らず身方の事情も知らないのでは、戦うたびにきまって危険だ。」といわれるのである】


【『新訂 孫子』金谷治〈かなや・おさむ〉訳注(岩波文庫、2000年)】

孫子 (ワイド版岩波文庫) 新訂 孫子 (岩波文庫)

(※左がワイド版、右が文庫本)

2009-03-24

「酒の席で信心の話をするな」と言われたことがある


 ご無沙汰してます。ここのところ「抜き書き」しか更新していないこともあって、時折お叱りのメールが寄せられる。一言でいえば、「何か書け」という内容である。返事を出しているときりがないので、無視を決め込んでいる。「てめえが何か書いたらどうなんだ?」ともう。


 私は現在、充電中なのだ。昨年からずうっと充電している。容量の大きい電池なんで中々満タンにならない。実は去年の4から読書三昧の日々を過ごしている。今年読了したのは43冊。挫折したものは15冊に上る。で、充電が完了したら、御書に取り組む予定だ。ただし、期待はするな(笑)。


 では本題に入ろう。若い頃、「酒の席で信の話をするな」と先輩から言われたことがある。私は生来、黙って「ハイ」と返事をすることのできない人間だ。返事をするのは簡単だが、確たる理由を知らなければ他の人にきちんと説明ができないからだ。若い私は理由や根拠を重んじた。わからないことは、どんどん訊いた。遠慮は一切しなかった。


「だって直ぐ喧嘩になるだろ」――それが先輩の答えだった。「そんなもんですかね」と私が言ってこの話は終わった。私が質問を畳み掛けない場合、それは「どうでもいいや」という味に他ならない。将軍学以外にはまるで興味がなかった。


 それから数年のうちに、幾度となく醜態を目撃した。昔は「飲み会にしか来ない男子部」もいた。また、酒の勢いを借りて先輩幹部に絡む者もいた。私も一度とばっちりを受けたことがあった。当時の地区リーダーが「何なんだ、その言葉づかいは!」と突然、私を怒鳴った。一応敬を表して「はぁ?」と一拍置いてから、私は怒涛の反撃をした。地区リーダーの単なる勘違いだった。謝ったが私は許さなかった。家に火を点けてやろうかと本気でった。


 当時の私は「信以外の話をする」なんてことはできなかった。頭のてっぺんから足の爪先まで“信の塊(かたまり)”と化していた。動いた分だけ成長し、学んだ分だけものの見方が変わった。


 部で忘年会をしていた時、途中で本部長が激励に訪れた。私がの底から尊敬していた本部長だ。「一言だけ」と前置きをし、皆の労をねぎらった。そして、「戸田先生は『男は王者の酒を飲め』と言われた。酒を飲んで乱れるようなことがあってはならない」と言って去っていった。カッコイイ。


 私がうに、「酒席で信の話をするな」という内容は、飲み屋に入るなり「今日は仕事の話は抜きで」と言うサラリーマンと変わりがない。きっと日本人は、日常の遠慮に隠れた弱い自我(あるいは被害者識)がアルコールの力を借りて噴出するのだろう。で、普段は口にできないことを吐き出した途端、引っ込みがつかなくなるのだ。


 明治維新の志士達が、「今日は維新の話はなしということで」と言って酒を酌(く)み交わすことがあっただろうか。あるわけがない。訳知り顔で世法を説く者は、所詮信が弱いのだ。普段から何でも言い合える関係であれば、何を恐れることがあるだろう。酒の肴(さかな)は、広布のロマンと幹部の悪口に過ぎるものはない。


【※以下のリンク先もよく読まれよ】

制約の一生で終わってもいいのか


 制約の一生で終わってもいいのか。

 道徳、法律、ありとあらゆる規則。

 その他、ろくでもない諸々の不文律

 あなたはそんなものに振り回され、

 過剰に適応して生きてきたのか。

 それで生きたと言えるのか。

 胸を張って言えるのか。


【『荒野の庭』言葉、写真、作庭 丸山健二(求龍堂、2005年)】

2009-03-23

諸君は永久に生きられるかのように生きている


 どんな人でも自分の地所をとられて黙っている者はないし、また領地の境界について、たとえ小さなもめ事が生じても直ちに投石や武器に訴える。だが、自己の生活のなかに他人が進入することは許している。いや、それどころか、今に自分の生活を乗っ取るような者でさえも引き入れる。自分の銭を分けてやりたがる者は見当たらないが、生活となると誰も彼もが、なんと多くの人々に分け与えていることか。財を守ることには吝嗇(けち)であっても、時間を投げ捨てる段になると、貪欲であることが唯一の美徳である場合なのに、たちまちにして、最大の浪費家と変わる。そこで、沢山の老人のなかの誰かひとりをつかまえて、こう言ってみたい。「あなたはすでに人間の最高の年齢に達しているように見受けられます。あなたには100年目の年が、いやそれ以上の年が迫っています。そこで、あなたの生涯を呼び戻して総決算をしてみませんか。勘定(かんじょう)してください。あなたの生涯のどれだけの時間債権者が持ち去ったか、またどれだけを愛人が、どれだけを主君が、どれだけを子分が、またどれだけを夫婦喧嘩(げんか)で、どれだけを奴隷の処で、どれだけを公用で都じゅうを走り廻って。これらに病気をも加えてください、私たちが自らの手で招いた病気を。また使わぬままに投げ出した時間をも加えてください。するとお気付きになるでしょうが、あなたが持つ年は、あなたが数える年よりも、もっと少ないでしょう。記憶をたどりながら、ご自身のことを再びい出してください。いつあなたは自分の計画に自信をもったか。自分が決めたように運んだ日はいかに少なかったか。いつ自分を自由に使うことができたか。いつ顔付きが平然として動じなかったか。いつが泰然自若としていたか。あなたがこんな長い生涯の間に行なった仕事は一体何であるか。いかに多くの人々があなたから生活を奪い去ったことか――失ったものにあなたが気付かないうちに。いかに沢山のものが無益な悲しみや、愚かな喜びや、飽くことのない欲望や、こびへつらいの付き合いによって持ち去られたことか。あなた自身のものが、いかに僅かしかご自身に残っていないか。そのうちお分かりのこととうが、あなたはまだ未熟のうちに亡くなることになるでしょう。」では以上の原因は何であろう。諸君は永久に生きられるかのように生きている。諸君の弱さが諸君の頭に浮ぶことは決してない。すでにどれほどの時間が過ぎ去っているかに諸君は注しない。満ち溢れる湯水でも使うように諸君は時間を浪費している。ところがその間に、諸君が誰かか何かに与えている一日は、諸君の最後の日になるかもしれないのだ。諸君は今にも死ぬかのようにすべてを恐怖するが、いつまでも死なないかのようにすべてを熱望する。


【『人生の短さについて』セネカ/茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳(岩波文庫、1980年)】

人生の短さについて 生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

(※左が茂手木元蔵訳、右が大西英文訳)

2009-03-22

創価学会:池田名誉会長、250回目の名誉学術称号


 創価学会池田大作誉会長が、デンマーク・南大から誉博士号を受けることになり、21日、東京都八王子市の創価大で授与式があった。海外の学術機関から受けた誉学術称号(誉博士や誉教授)は、75年から250を数える。今回は、教育や国際理解に尽くしてきた功績が評価された。来日した南大のラスムセン総長から証書を手渡され、「教育は青年の未来を無限に開く」と喜びを語った。


毎日新聞 2009-03-21

茂木健一郎の講演


 2008年1017日の「いかに生きるか」を聴いたが、実に素晴らしい内容だ。

教理


 見分けること、教理を見分けること。そうでないと、教理が旗印になってしまう。


【『蝿のしみ 断エリアス・カネッティ/青木隆嘉訳(法政大学出版局、1993年)】

蝿の苦しみ 断想

2009-03-21

内閣とともに沈没? 議席死守に悩む公明


 公明党が次期衆院選のマニフェスト政権公約)での目玉づくりに頭を痛めている。民主党の小沢一郎代表の公設秘書逮捕という敵失があってもなお、麻生内閣の支持率は低迷しており、「このままでは一緒に沈没するほかない」(中堅)情勢だからだ。

 たとえ自民党が大敗しても、公明党が議席を死守するための政策はないか。衆院選が半年以内に迫ってくるなかで、公明党は生き残りをかけて、政策づくりを急いでいる。

 今17日、公明党執行部が国会内で、小沢氏の秘書逮捕を受け、企・団体献金の規制強化を求める与野党から上がっていることへの対応を協議した。

「現行の政治資金規正法をちゃんと守っていれば問題はないはずだ」。政治とカネの問題をめぐり、選挙向けのアピール合戦が展開されることを危惧(きぐ)する幹部に、別の幹部がやんわりと制した。

「それは違いますよ。国民はこんなに多額の献金をもらっているのかとっているんですよ」

 企・団体献金を受けている自民党に気兼ねするよりも、ここは支持者や世論が評価してくれるかどうかで判断すべきではないのか――というわけだった。

 北側一雄幹事長は翌18日の会見で、企・団体献金禁止のための法改正に前向きな考えを示したが、あるベテランは「ウチは企からの巨額献金とは無縁なのに、選挙でのアピール材料としては弱すぎる」とためをついた。

 2下旬、国会内で開かれた公明党のマニフェスト作成本部の会合はいつになく熱を帯びた。

「昨年はわが党が定額減税を提案して、自民党をねじ伏せるというメークドラマがあった。そういう政策を考えなければいけない」

「もう1回、定額給付金を配ってはどうか」

 だが、政権与党は財政規律を無視するわけにはいかない。山口那津男政調会長はその場で「さらに定額給付金という話になれば赤字国債発行だ。大変なことになる」とたしなめた。

 党内では最近、都議選(712日投開票)が終了した後の衆院解散を望むが強まっている。

 背景には低い内閣支持率などがあげられるが、有権者のを射止めることのできる政策が見つからず、マニフェストづくりが航していることも、早期解散をめざしてきた公明党を躊躇(ちゅうちょ)させている。都議選の直前の5〜6に衆院選が行われることになれば、自慢の組織力も分散されかねない。

 選対幹部の一人は「最近は組織創価学会)が『いっそ都議選後にしてくれ』といっている」と明かす。

 太田昭宏代表は18日、外国人特派員協会で、党にとって望ましい衆院解散の時期を問われ、「勝てる状況を作ることが非常に大事だ。平成21年度予算案と関連法案が成立後はいつ何時選挙があってもおかしくない」と言葉を濁した。


【産経新聞 2009-03-20】


 赤字国債の発行について、山口那津男は何をもって「大変なことになる」と言っているのだろうか? 不況へのテコ入れ政策は、公共事・赤字国債の発行・利下げの三つしかない。本来であれば、今こそ赤字国債を発行すべき時なのだ。いまだに小泉路線を踏襲しているようでは、時節を弁(わきま)えていないも同然で、愚の骨頂と言ってよい。記事からは、公明党議員の無策ぶりが窺える。知恵(アイディア)を欠いた政治が国を滅ぼすことを知れ。

生と死が混じり合う世界


 同時に、次のことも言える。私がいま見ているコーヒーカップは、私側に見えるコーヒーカップのひとつの側面だけであるが、私は当然のことながら、そのコーヒーカップは円筒のような形をしており、私にいま「見えない」反対側の側面もたしかに存在していることを当然のように受け止めている。というよりむしろ、私にいま見えないコーヒーカップの側面があることは、それがコーヒーカップであることの当然の前提であり、その味では、私はいま現実には“知覚していない”コーヒーカップの裏面も同時に「見ている」と言ってもよいのではないだろうか。つまり、ということは、私が見ている世界のなかには、(見えないコーヒーカップの裏面等々といった)いわば無数の「無」がまぎれこんでいるのである。あるいは、私の見ている世界は、そうした無数の無によって支えられ、それとセットではじめて存在している、と言い換えてもよいだろう。

 このように考えていくと、私たちが生きているこの世界、「生」の世界は、「絶対的な有」というものではなく、むしろ「『相対的な有』と『相対的な無』が混じり合った世界」である、といえるようにわれる。

 ここまで考えてくると、では「絶対的な有」とはいったい何か、ということについて、まったく新しい見方が浮上する。結論から言うと、実は「絶対的な有」とは、究極におて「絶対的な無」と一致するのである。これは、物語の終わりのどんでん返しのように響くかもしれないが、少なくとも論理的に考えればそうなってくる。


【『ケアを問いなおす 〈深層の時間〉と高齢化社会』広井良典(ちくま新書、1997年)】

ケアを問いなおす―「深層の時間」と高齢化社会 (ちくま新書)

2009-03-20

技術と人間の価値は異なる


 二十歳(はたち)の頃、胸を震わせながら読んだ一冊。私の人格形成は本書に負う部分がある。「これぞ、創価班精神なり!」と日記に記した覚えがある。


(※梶井図書介〈ずしょのすけ〉との一本勝負に勝ち、主・水野監物〈けんもつ〉忠善から食禄500石で師範にとの御〈ぎょい〉を、隼人辞退する)

「あいや十時(ととき)氏しばらく」うしろから図書介がをかけた。「只今の勝負はまさしく拙者の敗北でござる。御前においてかく明らかに優劣がきまったからは、もはや師範の役は勤まり申さぬ。拙者は退身つかまつるゆえ、どうぞ御斟酌(ごしんしゃく)なくお受け下さるよう」

「……ほう」隼人は眼をみはり、びっくりしたようにふり返った。「只今の勝負に負けたから、もはや師範は勤まらぬと仰(おっ)しゃるか、……すると、仮に拙者が師範になっても、また別に兵法家がまいって試合をし、負ければ師範ができぬというわけですか」そこまでいうと、急に隼人の頬へかっと血がのぼった。かれは膝をはたと打ち、「ばかなことを仰しゃるな」と大喝(だいかつ)した。「兵法は死ぬまでが修行という。技の優劣は修行の励みでこそあれ、人間の価値を決めるものではないぞ。人の師範たる根本は『武士』として生きる覚悟を教えるもので、技は末節にすぎない。貴殿はその本と末とをい違えておる。さようなことでは、今日までの御扶持(ごふち)に対しても申し訳はござらぬぞ」

(「芋粥(いもがゆ)」)


【『一人ならじ』山本周五郎(新潮文庫、1980年)】

一人ならじ (新潮文庫)

2009-03-19

定額給付金詐欺:初被害 大阪の女性に「5万円で手続き」


 定額給付金の手続きを装い独り暮らしの高齢者が5万円をだまし取られる事件が19日、堺市であり、大阪府警は詐欺容疑で捜査している。給付金を巡る不審電話や戸別訪問が全国で相次ぐ中、警察庁によると実際に被害が出たのは初めて。

 府警によると19日午前9時ごろ、年配の男が堺市の80代の無職宅を訪問。「役所の者です。5万円もらえればすぐに給付金の手続きができます」などとうそを言い、5万円を受け取った。

 男は「10分程で戻る」と言い残して立ち去ったが戻らず、女が堺市役所に問い合わせて発覚した。堺市は3末から申請書類を発送し、支給開始は416日の予定。原則として金融機関の口座に振り込むという。

 堺市によると、男は60歳くらいで身長約170センチ。がっちりした体格だったという。

 警察庁によると、定額給付金支給をかたる不審電話などの未遂事案は、31都道府県で計107件が確認されている(19日午後4時現在)。現金自動受払機(ATM)まで誘導し振り込ませようとした手口もあるという。


【毎日新聞 2009-03-19】

若きカストロの雄弁


 裁判は、はじめ公開で、途中から非公開になった。1016日、カストロは、自分自身の弁護人として法廷に立った。約5時間、かれは熱弁をふるった。それは文字通りの熱弁であった。獄中にあって、いかなる本も読むことができなかったにもかかわらず、かれは古今東西の文献、キューバの統計を引用した。その博識ぶりは、驚嘆の一語につきるものであり、その弁舌の力強さは、27歳の青年のものとは信じられぬくらいだった。

 かれは、バチスタの悪を告発し、キューバの解放を訴え、最後にこういった。

「わたしを断罪せよ。それは問題ではない。歴史はわたしに無罪を宣告するだろう!」


【『チェ・ゲバラ伝』三好徹(文藝春秋、1971年)】

チェ・ゲバラ伝

2009-03-18

バブル崩壊後に導入された成果主義の失敗


 成果主義では単年度の結果で賃金を決めるから、2年がかり、3年がかりの研究開発プロジェクトや大口顧客の獲得戦略などが立てにくくなる。

 その結果、富士通ではヒット商品が出ないばかりでなく、製品の品質が落ちるという決定的な問題が発生するようになった。社員の労働力が低下し、製品に対する顧客からの情や不満が倍増した。自社の製品に自信を失った営部門は、売上げを維持するために、自社製品を他者のソフトウエアとパッケージ化して売るようになったという。

 かつて「ワープロといえば富士通のオアシス」といわれた、日本のトップ企の姿からは像もできないことである。

 また、成果主義は基本的に半年か単年度評価であるため、単年度では成果が出ないが、数年後には絶対に必要になるような仕事は誰もやらなくなり、目先の数字だけを追う社員ばかりになってしまった。

 年功序列型の終身雇用の時代には新入社員の教育・育成は、先輩社員の当然の義務と考えられていたが、成果主義が導入されてからは、誰も新人の世話をしたがらなくなったという。

 会社とは一定の目的をもって集団で動くものである。新人を育てる努力をしなければ、社内の先輩・後輩関係も育たなくなり、結局は部門の成績や会社全体としての績にもマイナスとなってしまう。

 1993年になって、富士通のほか、オリンパスをはじめ大手企が次々に成果主義を導入したが、この背景には当時、経団連が成果主義の徹底を促したことがあった。これにより、各社が慌てて成果主義を導入することになったのである。

 しかし、その数年後には、成果主義を取り入れた結果、マイナス面ばかり目立つ企が増えることになり、ほとんどの企で見直しが行われることになった。


【『敗者の論理 勝者の法則増田俊男(プレジデント社、2005年)】


 尚、増田俊男氏は現在、出資法違反を理由に投資家から告訴されている。

2009-03-17

服従とは、他人の行動を政治目的にむすびつける心理的メカニズム


 服従は、社会生活の構造の中で、これ以上ないくらい基本的な要素だ。あらゆる共同生活で、何らかの権威システムは不可欠だし、完全に孤立して暮らす人でもない限り、他人に命令されたら、反抗するにせよ従うにせよ、何らかの反応を示さざるを得ない。1933年から1945年にかけて、何百万人もの罪もない人々が、命令に従って系統的に虐殺されたことは、信頼できる形で証明されている。ガス室が作られ、絶滅収容所が警備されて、毎日ノルマ通りの死体が、器具の製造と同じ効率をもって生産されていた。こうした非人間的な政策は、発端こそ一人の人物の頭の中かもしれないが、それが大規模に実行されるには、ものすごく大量の人間が命令に従わなくてはならない。

 服従とは、他人の行動を政治目的にむすびつける理的メカニズムだ。それは人を権威システムに縛る姿勢上のセメントだ。近年の歴史上の事実や日常生活での観察から、多くの人々にとって服従というのが根深い行動傾向であり、それどころか倫理や同情、道徳的振るまいについての訓練を圧倒してしまうほどのきわめて強力な衝動であることが見てとれる。


【『服従の心理』スタンレー・ミルグラム山形浩生訳(河出書房新社、2008年)】


 歴史的著が復刊。冒頭の一文。

服従の心理 (河出文庫)

2009-03-16

自由主義型、権威主義型、自由放任型リーダーシップ


 ベルリン大学にいるときの(クルト・)レヴィンの研究は、動機づけ、記憶、人格理学、児童理学などに関するものであった。アイオワ大学では、彼の興味は社会理学に変わった。この変化は、1939年に最初の報告がなされたリーダーシップスタイルに関する一連の実験に見て取ることができる。この実験について、社会理学のある歴史家は「手法の大胆さという点で新境地を開いたもの」であると述べている。レヴィンは、亡命者としてドイツとアメリカの社会的な雰囲気の違いを体験しているので、異なったリーダーシップのスタイルが、ごく普通の人びとに大きな影響を及ぼすことにきわめて敏になっていた。彼は、学生だったロナルド・リピットとラルフ・K・ホワイトと一緒に、自由主義型、権威主義型、自由放任型という異なる三つのリーダーシップの効果を明らかにするための実験を行った。

 この3人の研究者たちは、11歳の少年たちが週に一度集まって仮面を作るなどのいろいろな活動をするクラブを作った。そして、このクラブを指導する大人が、この三つのタイプのリーダーシップを演じたのである。権威主義型のリーダーは、子どもたちの見を聞くことなく一方的に取り決めた。このリーダーは、子どもたちから距離を保ち、褒めたり批判したりはしたが、理由は述べなかった。民主主義型のリーダーのもとでは、リーダーとクラブメンバーが一緒に決定をした。リーダーはいつでも友好的で、子どもたちを励まし指導した。評価するときには、かならず理由を述べた。自由放任型のリーダーは、積極的な指導は何もしなかった。友好的ではあったが、子どもたちが求めない限り、特に積極的に情報を提供することはなかった。指導者は、クラブの間を巡回していたので、どのクラブも三つの種類のリーダーシップを体験した。子どもたちの行動は、この間ずっとシステマティックに観察されていた。その結果としてレヴィンの研究チームが明らかにしたのは、作の生産については、民主主義型のリーダーのグループと権威主義的なリーダーのグループがほぼ同じで、自由放任型のグループを上回るということと、民主主義的なグループのリーダーが最も好まれるとともに、権威主義的なリーダーの元ではメンバーの攻撃が高まるということであった。


【『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス/野島久男、藍澤美紀訳(誠信書房、2008年)】

服従実験とは何だったのか―スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産

2009-03-15

ラマヌジャン


「神についての索を表現しない方程式は僕にとっては無価値である」


【『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』ロバート・カニーゲル/田中靖夫訳(工作舎、1994年)】

無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン

2009-03-14

虚勢の権化


 アンドレ・ルイは、相手を、ばかばかしい男だとった。えらそうにするのは、値打ちのないことや弱さをかくすためだ、ということを彼は知っていた。そして、いまここに虚勢の権化を見た。それは尊大な頭のそらし方にも、しかめた眉にも、とどろきわたるの抑揚にも読みとることができた。従僕の目に英雄と映るのはむずかしいが──従僕は堂々たる全体をなしている部分部分が、ときどきバラバラになるのを見ているからだ──別な味で同じ現象を見ている人間研究家の目に英雄に見えるのは、もっとむずかしいことだった。


【『スカラムーシュ』ラファエル・サバチニ/大久保康雄訳(創元推理文庫、1971年)】

スカラムーシュ (創元推理文庫 513-1)

2009-03-13

シエラレオネの少年兵


 ぼくの現実は「殺すか殺されるか」だった。それ以上のことなど考えられなかった。ぼくらは2年あまりも戦いつづけ、殺人が日常茶飯事になっていた。だれにも同情しなかった。ぼくの子ども時代は、知らないうちに過ぎ去り、ぼくのは凍りついてしまったようだった。昼と夜が繰りかえし訪れるのは、と太陽があるからだと知っていたけれど、今日が日曜日か金曜日かは、さっぱりわからなかった。

 これがあたりまえの生活だといこんでいた。けれども1996年の1下旬に、すべてが変わりはじめた。ぼくは15歳だった。


【『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア/忠平美幸訳(河出書房新社、2008年)】

戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった

2009-03-12

晩年のガンジーは若い女性に同衾(どうきん)を命じた


 晩年になって、彼の禁欲の誓いの守り方に、非が寄せられた。周知の通り、彼は、絶えず献身的な若い女に取り巻かれていた。彼は、彼女らを自分のベッドで寝させるのが習慣となり、彼を暖めるために、服を脱いで彼の裸体に身体をぴったり寄せて寝るよう要求した。ニルマル・クマル・ボーズという弟子が、この変わった習慣を暴露した。問いつめられたガンジーは、最初は、裸の女を横にして眠るということを昂然と否定し、その後、それはブラフマーチャリヤの実験であると言った。ボーズは、なんら精神のない実験のために女の身体を利用するのは、女軽蔑であると反論した。

 ガンジーは、若い女に自分の身体を洗ってもらい、マッサージをしてもらった。正統ヒンドゥー教徒も、厳しい禁欲を課されていた弟子たちも、これにショックを受け、ガンジーのブラフマーチャリヤの解釈を嘲笑した。ガンジーの姪アバ・ガンジーは、ボーズの暴露を確認し、結婚してからもガンジーと寝ることを習慣にしていることを認めた。もう一人の姪マヌも、1962年から1967年にかけて厚生大臣をつとめた女医スシラ・ナヤルも、ガンジーを暖めた女であった。スシラ・ナヤルは、最初はブラフマーチャリヤはいっさい問題にされなかったと断言した。ガンジーがそれを言い出したのは、人がこの習慣を聞きつけ、許しがたいとうようになってからである。彼の傍らに生活していた若い女は、彼とはかなり曖昧な関係を持っていたようである。


【『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ/今枝由郎訳(白水社文庫クセジュ、2002年)】

ガンジーの実像 (文庫クセジュ)

2009-03-11

親鸞と道元と日蓮


まえがき


 鎌倉時代には、世界の宗教史上にもまったく例をみないほど、すぐれた人材が相前後して輩出して、新しい教を展開した。この史上の景観は、偶然に展開したのではない。武士と呼ばれる新しい階級が、これまでの貴族の権力を押しのけて台頭し、貴族と結ぶ南都北嶺の教をささえてきた律令体制にかわる封建体制を建設した必然の結果として、新教の誕生を促したからである。古い教では、新しい時代の要求にはこたえられない。新しい時代は、また新しい宗教を要求するのである。

 律令体制から封建体制への変革期を迎え、武士階級がさっそうと歴史の舞台に登場しても、民衆の生活が目にみえて幸福になったわけではない。かえって、変革期に特有の新旧権力の相剋は、乱世を招き、惰眠をむさぼりつづけてきた王時代よりも、いっそう苛酷な境遇のなかへ、民衆をまきこんだ。加えて、続発する天災地変と飢饉疫癘(ききんえきれい)は、新しい時代の到来とはおよそうらはらに、多くの貧しい民衆を不幸のどん底へ突き落していった。当時の民衆にとって、生きるということは、どうすれば死なないですむか、ということにひとしかった。このような、限界状況へ追いつめられた人びとに、希望をあたえうるものがあるとすれば、教をおいてほかになかった。希望をあの世にかけるにせよ、この世につなぎとめるにせよ、民衆は、宗教なしに暗い絶望を明るい希望へ転ずることはできなかった。しかし宗教といっても、南都北嶺の古代教には、中世の人びとの肉体と魂の悩を解決する力は、もはやほとんどうせていたのである。

 このようなときに、土くさい坂東武者が台頭したことは、庶民のなかのエリートたちに大きな刺激と勇気をあたえ、世俗の権力を欲しないもの、あるいは昇進コースから疎外された失のものは進んで門に殺到した。門は、そいう人たちの欲求不満に、ある程度こたえてくれる世界でもあった。こうして教界には、錚々たる人材が集まったのである。

 鎌倉教のなかで後世に大きな影響をおよぼした人として、親鸞と道元と日蓮の3人をあげることは、こんにち学界の定説となっている。もっとも、鎌倉時代にまでさかのぼってみると、法然や一遍は親鸞より著であったし、道元は栄西のかげに隠れていた、といえる。日蓮になると、親鸞の場合もそうであるように、当時の史書には全然そのさえ記されていない無の凡僧にすぎなかった。ところが、いったん鎌倉時代が経過してみると、親鸞のは漸次、法然や一遍のそれを追いこし、道元の曹洞宗は栄西の臨済禅をしのぎ、日蓮の法華もせりあがって、比叡山の法灯をゆるがすようになる。

 開祖滅後の歴史的地位のこのような変動は、いうまでもなく、彼らを開祖とあおぐ教団勢力と布教活動の結果である。これを、後世に影響をおよぼした歴史的事実として重視するならば、親鸞、道元、日蓮の3人を鎌倉教の代表者とする理由は、じゅうぶんなりたつようにわれる。しかし、理由はただそれだけではない。彼ら3人の信仰の体系にふくまれた豊かな価値は、さまざまな制約と限界をもちながらも、現代の時点からも、客観的な評価にたえられるからである。これは、他の鎌倉時代の新旧教者の残した遺産にはみられない現象だといってよい。親鸞の抒情的な人間と愛欲との葛藤、日本人には珍しい道元の深い論理の索、そして日蓮の苛酷な受の生涯における自己形成へのひたむきな奮闘は、ただこのことだけをとりあげても、数世紀の時間の距離をこえて現代に訴える。親鸞、道元、日蓮の3人によって鎌倉教はの豊かさを増し、これまでの庶民不在の日本教に、はじめて庶民が救いの正客として招かれた。

 無から有は生じない。日本教の黎明を告げた鎌倉教も、実は南都北嶺の冥闇のなかからぬけだしてきたのである。とくに北嶺と呼ばれた日本天台宗の総本山比叡山は、新教の母胎となった。また天台・真言の二つの教の背景となった平安時代のふところのなかで、鎌倉時代をまっていっせいに開花する新教の芽が、徐々にはぐくまれてきたのである。

 本書は、新教におよぼした旧教の影響をとくに重視している。新教の栄光は開祖一代でつき果て、その滅後は、各教団がそれぞれ外郭的な発展をとげたにもかかわらず、その発展に見合うようなと信仰の遺産は発展させられなかったという観点を強調した。このことは、門下の力量不足や南北以降の時代の貴族的反動化のせいばかりではなく、さかのぼって探究すると、新教の開祖のと信仰の泉にも、神祇崇拝や王冥合の教説や密教的呪術との妥協が深く沈澱していたからである。

 私は本書をつうじ、彼らの教における新しさと同時に古さを摘出し、教に関を有する人たちに、鎌倉教の遺産を前向きに継承する仕方を考えてもらいたいとっている。戦前と戦後の断を無視する明治100年の掛けにおどらされて、当然、払拭されるべきはずの歴史の垢までが墨光を放って、人びとをふたたび悪しく魅了することのないよう、私はここで、鎌倉教の栄光と同時に、挫折の悲惨に眼をそらさなかったつもりである。もとよりその図は、鎌倉教を戦後の日本に正しく寄与させたい、ということ以外にない。本書を、鎌倉教の批判的な概論書、または入門書として読んでいただければまことに幸いである。

 なお本書では、原典からの引用は便宜上、新仮づかいに改め、漢文や和漢混淆文は和文にかえ、必要に応じて訳した場合も多い。

 最後に、本書の執筆をおすすめいただいた東京教育大学教授家永三郎氏に対して、からお礼を申しあげたい。


 1967年3下旬


著者


【『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』戸頃重基〈ところ・しげもと〉(中公新書、1967年)】

鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮

2009-03-10

「生命を尊厳ならしめるもの」15 池田大作

「殺」のを殺す


 人間は、生きるためには、他の生物の生命を犠牲とせざるを得ない。厳密な味で、生命の尊厳とは、生きとし生ける、あらゆる生命体について、その尊厳を認めるということである。ところが、人間は、一方で“生命は尊厳なものである”といいながら、他方では、その尊厳なる生命を大量に屠ることによって、自己の生命を維持している。いや、人間ばかりではない。ほとんどの動物は、その対象が動物であれ、植物であれ、生命体を自分の生命維持のための資源としているのである。

 自己の生命の尊厳と、一般的な生命の尊厳とは、ここで、重大なディレンマにおちいることになる。これは、人間を中にした場合、人間の尊厳という問題と、生命一般の尊厳という問題との矛盾になる。これに関連して、釈迦の言動を留めた書に、一つの興味ぶかい問答がある。それは、――ある人が、「生命は尊厳だというけれども、人間だれしも他の生き物を犠牲にして食べなければ生きていけない。いかなる生き物は殺してよく、いかなる生き物は殺してはならないのだろうか」と問うた。これに対して、釈迦は「それは殺すを殺せばよいのだ」と答えたというのである。

 質問のポイントは、殺してよい生き物と、殺してはならない生き物との区別を示せということにある。釈迦は、直接には、この質問に答えていない。だが、それは、はぐらかしたのではなく、より本質的に生命の尊厳というものを明らかにしているのだと、私は考える。

 生命の尊厳とは、あらゆる生命を尊厳と認める自身のの中にある。客観的にみるだけなら、いかなる生命も無常のはかない存在であり、悩におおわれ、悪に支配された存在にすぎないであろう。それが、人のに尊厳と映るのは、その人自身が、これを尊厳と見るからである。そして、そのいっさいの生命を尊厳と見るが、自己の生命を尊厳ならしめるのでもある。この客観と主観とが一体となったところに、真実の尊厳が現実化するのだといってもよい。

 こういえば、それでは尊厳と見たうえでなら、何を、どのように殺してもかまわないのかという疑問が起こるかも知れない。私はそれは違うとう。生命は、自己に関して、少しでも生きながらえようとする、自己維持の特質を本然的にもっている。いわゆる生存本能というように、識下の識にもそれはあるし、さらに深く、生命体の機能にもそれはそなわっている。他の生命を殺すということは、自己の生命のもっている、そうした特質、法則といったものへの違背になるわけである。そこには、単に、識の上での作為では変えられないものがあるとわれるのである。

 周知のごとく、キリスト教の原罪説は、アダムとイブが悪にだまされて、智の実を食べたことから、人類の罪が始まったとする。その智とは、善と悪とを判別する智であったという。このことは善悪の識が、人間のに罪を刻むのだということになろう。もし、そうであるなら、人間は、人間としての高度な精神機能を営みつづける限り、罪の消えることはありえないということになる。私は、そうではなくて、善と悪とをよく判断し、自らの醜さを深く省りみながら、しかも、その本源にある生命の尊厳を実しうるところに、人間の尊さがあるのだと考えるのである。

【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-03-09

キリスト教と仏教は共存可能


 キリスト教と仏教の時間観・世界観の相違を示した上で、広井良典索は新たな地平に至る――


 したがって、非常に奇妙な、突拍子もない考えのように響くことを覚悟であえて言うならば、キリスト教と教の時間観そして世界観は、内容的には互いに対立しつつも、人間あるいは個人にとっては両立ないし共存可能なものである、と私自身は考えたい。言い換えれば、キリスト教と教とは一人の人間にとって「二者択一」の関係にあるのではなく、したがって、象徴的に言えば、ある個人キリスト教徒でありかつ教徒であるということは可能なのではないだろうか。


【『死生観を問いなおす』広井良典(ちくま新書、2001年)】


 立派な見識だとう。先日、“学会員の最大の問題は、「思想的格闘のなさ」にある”と書いた。多分殆どの学会員はこの文章を読んで、「ケッ、馬鹿なことを言っちゃいけねえやい。五重の相対のしょっぱなは内外相対だよ」と考えたに違いない。これを考停止と言わずして何と言うのか?


 理由や根拠を自分の頭で考えなくなると、知らず知らずのうちに教条主義と化す。そう、ドグマだ。ドグマはプロクルステスのベッドのように、あらゆるものを鋳型(いがた)にはめ込もうとする。鋳型からはみ出た場合は容赦なく押し込み、余分なものは切り捨てられる。何にも増して恐ろしいのは、こうした行為に及びながら安閑としていることだ。


 広井良典の達観は、キリスト教と教を「結合する方向」へ考を進めている。その姿勢に私はを打たれるのだ。


 もちろん、キリスト教と教を併せて信じることなどできるはずがない。キリスト教が教の影響を受けているという指摘もある(堀堅士著『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』第三文明レグルス文庫、1973年/エリザベス・クレア・プロフェット著『イエスの失われた十七年』立風書房、1998年)ことを踏まえると、キリスト教側から教に何らかのアプローチをするのが自然だろう。


 このような新しい見解が、東洋哲学研究所あたりからバンバン出るようになれば、学会の教学も懐(ふところ)が深くなるのだが。

死生観を問いなおす (ちくま新書)

「生命を尊厳ならしめるもの」14 池田大作

十界論に見る生命観


 文学を識の流れとしてとらえた、マルセル・プルーストの言葉に次のような一節があった。「私は、ただ一人の男ではない。私のの中を、ぴったりと列を組んだ兵隊の行進が、何時間も何時問もよぎってゆくのである。ある瞬間に私のをよぎる兵隊の格が、その時の私のなのである。ある時には、ひどく興奮した男たちが、または無関な男たちが、さらに次の瞬間には娯妬ぶかい男たちが私のを通りすぎてゆく。だが驚いたことに、嫉妬ぶかい男たちは、それぞれ別な女に嫉妬の炎をもやしているのである」

 たしかに、私たちは、自分のを冷静にふりかえってみるとき、瞬間瞬間、さまざまなが入れかわり立ちかわりして、とどまることがないのに気づく。スポーツや娯楽に興じているときの自分と、不愉快なことがあって怒っているときの自分、不幸な人のために役立ってあげることができて満足している自分と、のどが渇いたとか空腹だとかで、飲み物や食物を欲しているときの自分等々というように、さまざまに異なる。そのような変化のなかにも、一貫した自分があるのにちがいないが、瞬間瞬間の変化は、自分でも驚くばかりである。

 私は本論で、人間の尊厳への第一段階の運動として、旧約聖書を基盤とした一神教と、教そして中国の孔子、老子を挙げ、その後、一神教世界がどういう変遷を辿ったかを通観した。そして、教と孔子、老子のについては“神”ではなく“法”を根幹にしたものであったことのみ述べておいたが、この中でも教は、生命そのものを解明し、そこから自己完成の原理を導き出そうとしたものであったといえる。この教の説く哲理は、いかにも深遠で複雑なのであるが、こうした生命の多様を分析し、整理した概に十界論がある。十界の称は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・聞・縁覚菩薩で、この一つ一つの前は、日本人には馴染みの、いわば抹香臭さをじさせるものだが、生命の多様な実体を、見事に分析してみせた、合理的な索の結晶であると私にはえる。

 かんたんに、この内容、特質を紹介すると、地獄とは悶する生命であり、餓鬼とは貪欲な衝動の生命である。畜生とは、目先のことに捉われる愚かさ、修羅は闘争の、いわゆる平常の静かな人間らしいが人間界、喜び楽しむ生命が天界である。以上を六道といい、日常的な人間生活は、この六道を転々としているというのが、「六道輪廻」である。このように、瞬間瞬間生命が変転するのは、外界の縁によるが、受動的に、あるがままに生きている限り、この六道の範疇は出られないというのが、「六道輪廻」ということである。聞以上の生命は、自ら自己変革の志をもって、能動的・主体的に縁をつくり、実践していくときに、はじめて覚醒させることができる。聞とは先覚者の教えを求め、それに習って自己を変革しようとするであり、縁覚とはいわゆる飛華落葉の自然現象・宇宙の姿にいを凝らし、自ら覚りを得ようとするである。広い味では、書を読み、学問することに喜びを見出していく生命も聞といえるし、芸術的創造活動や、自然界や社会の現実の中から真理を究めることに無上の喜びを覚えるのは縁覚といえるであろう。

 界とは、宇宙と生命の本質、究極的真理を体得し、自己の不滅と、宇宙との一体を悟り究めた、絶対的なの状態である。それはいっさいを包容し、いっさいを生かしていく無限の智をともなう。教が説く、究極の理、自己の完全とは、この界の生命を確立することである。ここに理をおいて、自己変革に挑む道程の生命を、教は菩薩と呼ぶのである。広い味では、すべての生命に尊厳を認め、その幸福のために尽くす、無辺の慈悲が菩薩の生命である。母がわが子の幸せを願う、限られた対象に向ける慈愛も、「菩薩の一分」と説かれる場合もある。

 ともあれ、教は、界の生命を顕現することを理と説くが、元来、この十界は、すべての人、すべての生命体にそなわっているものであって、たとえば地獄の生命が悶のであるからといって、これをなくすことはできないとする。生命体とて現実に存在する限り、しみ悩むことは避けられない。欲望もまた、生命体の機能として、必然的にそなわっているものである。逆説的ないい方になるが、こうした悩があればこそ、楽しみが楽しみとしてじられるのであり、欲望があればこそ、満足が味わえるのである。

 要は、地獄の生命におおわれ埋没してしまったり、餓鬼界の食欲な衝動に支配されるのでなく、界の生命の確立をめざし、菩薩界の生命活動を基軸として、こうした十界の生命を賢明に、主体的にリードしていくことである。ここに、カントのいう「自己白身の完全と――個人幸福」を同時に具現する、実践的哲学の原理がある、と私は考えたい。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-03-08

思想ではなく理論が方法を規定する


 これは凄い一言だ――


 もっと明確に語ろう。リハビリテーション医療はリハビリテーションに基く社会復帰の手段であって、運動療法理論に基く治療ではない。ある治療が科学的であるためには、ではなく理論が不可欠である。なぜなら、は方法論を規定しないが、理論は方法論を規定するからである。


【『リハビリテーション・ルネサンス 心と脳と身体の回復 認知運動療法の挑戦』宮本省三(春秋社、2006年)】


 中々出てくる言葉ではない。著者は、リハビリ専門家達がに安住し、具体的な治療法を追求してこなかったことを糾弾している。


 多くの学会員は「理」を軽んじる傾向が強い。私はこの年齢になって、ようやく理論や概の重さをじるようになった。セオリー(理論)がメソッド(手法)を生む。


 道徳がなぜ広まらないのか? それは、具体的な方法論がないからだ。日蓮法が卓越しているのは「如説修行」を説いているからなのだ。私はこれを21歳の時に知った。「如説修行抄」を諳(そら)んじるほど読み抜き、語句の味を調べ、同志と徹底して議論した果てにつかんだ。ま、当時の私にとっては一種の「悟り」といってよかった。つまり、宗教とは具体的な修行法を明確に説いたものであって、それがなければ単なるといったレベルに過ぎないということだ。


 日蓮大聖人は「要」を好まれた(336頁)。だから、修行法も自行化他・信行学とわかりやすい。誰もが実践できる。二百五十戒も五百戒もあったら大変だ。観観法も面倒臭い。


 人生とは「(ごう)の集積」である。これを修行というで染め抜くのが我々の人生だ。同じ行為であっても、理論や概の裏づけがあれば一層深くなるのは当たり前だ。なぜなら、一つ一つの行為に根拠が与えられるからだ。


 指導・激励に具体のない幹部は、自分の人生を信で開拓していないも同然だ。

リハビリテーション・ルネサンス―心と脳と身体の回復、認知運動療法の挑戦

「生命を尊厳ならしめるもの」13 池田大作

生命の尊厳観と自己変革


 ちょうど、現代人のは、法と秩序の復活が自由の喪失になることを危惧しつつ、しかも、その再建を願わずにいられないといった状態にあるといえないだろうか。したがってここで明らかにしなければならないのは、人間の自由が抑圧され、奪われるのは、いかなる場合であり、どのような宗教であれば、いわゆる人間としての自由を奪うことなく、しかも、確固たる基盤を人間存在に与えてくれるかということである。その場合、尊厳なるものを外界の事物や、超越的な存在に求めるのでなく、生命そのものを尊厳とするのでなければならないことは、すでに述べたとおりである。これまでの宗教において、人間の自由が抑圧され、歪められたのは、その説く尊厳なるものの実体が、あくまで現実の人間を肯定したところにあったからである。

 人間の自由への願望を満たしつつ、しかもその精神の拠りどころとなるべき宗教は、生命それ自体を、そのあるがままの全体において尊厳とするものでなくてはならない。もとより、それだけでは、いっさいが自由である代わりに、それを自己の昇華のための規範とすることは不可能である。生命とは、あらゆる要素と可能を秘めた、複雑にして多様な存在であるが、どのようになることが望ましいかを描くことはできるはずである。たとえていえば、種々の欲望は、あらゆる生命に本然的にそなわる特質である。だからといって、欲望に無制限に身を委ねれば、まわりの人々を傷つけ、わが身を滅ぼしてしまう。そこに、欲望を賢明にリードできる理なり道徳律といったものが、その人の生命に内在化しなければならない。

 これは、まことに複雑にして解な課題であるが、そこに生命ないし人格の理像を描き、この理を自己の生命に実現することをめざして、自己変革に挑むのである。それは自身における“尊厳”を、単なる一般的原理としてのそれから、具体的現実としてのそれへ転換するものとなろう。それと同時に、他に対しては、どこまでも、その生命を尊厳と認め、その幸福を願って行動していくべきである。なぜなら、その人の信から行動として体現化されたものは、同時にその信をより深め、生命自体を変革していくからである。

 カントが「君は、君の人格の中にある人間と、また他のすべての人の人格の中にある人間とを、常に同時に目的として取扱い、けっして単に手段として取扱わないように行為せよ」といい、「人間にとって、目的であるとともに、同時に義務であるところのもの」は「自己白身の完全と――他人の幸福である」というのも、まったくこの味であるとう。しかしながら、「自己自身の完全」とは、いったいどういう状態をいうのか。これが明らかにされなければ、この議論は、単なる概の提示に終わってしまうであろう。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-03-07

小沢代表 「辞めるべきだ」57% 民主、支持率も下落


 毎日新聞は6、7両日、電話による全国世論調査を実施した。民主党の小沢一郎代表の資金管理団体を巡る政治資金規正法違反事件を受け、小沢氏が代表を辞めるべきかどうかを聞いたところ、「辞めるべきだ」が57%で、「辞める必要はない」の33%を上回った。事件に関する小沢氏の説明に対しては、「納得できる」12%、「納得できない」79%。このほか、政党支持率で民主党が2の前回調査比7ポイント減の22%で、2ポイント増の自民党と同率になるなど、民主党に厳しい数字が並ぶ結果となった。

「麻生太郎首相と小沢氏のどちらが首相にふさわしいか」との質問への回答は、小沢氏が12ポイント減の13%で、ほぼ半減。麻生首相は2ポイント増の10%、「どちらもふさわしくない」は12ポイント増の73%だった。

 この質問は昨年9の麻生内閣発足以来続けており、当初は麻生首相が42%、小沢氏が19%だったが、首相の発言のぶれなどを受けて昨年12に小沢氏が逆転。前回は小沢氏がリードを17ポイントに広げていたが、今回は3ポイントまで縮まった。

「次の衆院選で自民党と民主党のどちらに勝ってほしいか」との質問への回答は、自民が7ポイント増の29%、民主が11ポイント減の40%だった。「今、衆院選が実施されるとしたら、比例代表でどの政党に投票するか」は、自民が2ポイント減の20%、民主が8ポイント減の28%。

 いずれも依然、民主党が上回ったものの、広がる傾向にあった両党の差が縮まった。「今回の事件を次期衆院選の投票の判断材料にするかどうか」への回答は、「する」が43%、「しない」が51%。判断材料とする層の「民主離れ」が進んだとみられる。

 四者択一で質問した「衆院解散・総選挙をいつ行うべきか」への回答は1.「09年度予算成立後の4ごろ」33%、2.「直ちに行うべきだ」30%、3.「任期いっぱいまで必要ない」18%、4.「今年夏ごろ」11%――の順だった。

 一方、麻生内閣の支持率は前回比5ポイント増の16%、不支持率は7ポイント減の66%。支持率は発足以来初めて上昇したが、低い水準にとどまった。


【毎日新聞 2009-03-07】

アインシュタインとデカルトは「観心本尊抄」を志向していた……多分


 こういうことは断言しない方が知的に見える。ってなわけで、絶対的確信を込めて「多分」と言っておこう。


 アインシュタインは相対理論を「不変理論」という前で提案した(ブライアン・グリーン著『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』による)。ここでいう「不変」とは光速度のことである。不変真如の理。観心とは「観測者の」か(笑)。


 そして、デカルトの主著『方法叙説』の正確なタイトルは『理を正しく導き、すべての学問において真理を探究するための方法の叙説』(澤瀉久敬著『「自分で考える」ということ』による)。もうね、「観心」そのものだよ。


 あとは学生部の諸君に任せたぞ。私にはどちらも読む予定がない。

相対性理論 (岩波文庫) 方法序説 (岩波文庫)

「紙copi」Firefox用アドオン


 今の今まで知らなかったよ(涙)。これを使えば、HTMLのまま保存できる。注が必要なのは、作データフォルダのパス指定を自分で設定すること。有料版にすると、PDFはおろかFlashファイルまで保存できるようだ。そのうち買うことにしよう。

日蓮大聖人はサンスクリット語が読めた


 吃驚(びっくり)仰天した。山俊太郎著『蓮と法華経』(第三文明社、2000年)で紹介されていた。鎌倉時代にありながら、大聖人はコスモポリタン(国際人)であった。


 天竺の梵品には車の荘り物其の外聞信戒定進捨慚の七宝まで委しく説き給ひて候を日蓮あらあら披見に及び候(1584頁)

座談会の歴史


大善生活実験証明座談会が行われた時代背景」の記事を訂正する。以下の情報を那由他楽人君から教えてもらった――


 牧口はこうして個人的に折伏をつづけていたが「そろそろ座談会折伏をやろう」と弟子たちに呼びかけ、戸田の経営していた時習学館を会場にしたり、改築した自分の家で、2〜3人の人を集めて座談会を開きはじめた。昭和7年の終わりごろであった。

 この座談会方式は、牧口の教育者としての体験から来ているといわれ、一対一ではなく、参加者全員が対話に参加できる座談会形式が、もっとも人びとを納得させることができるという主張から生まれたものだった。以後、この“座談会”は、創価教育学会、そして戦後の創価学会の一貫して変わらぬ言論戦の“主戦場”となったのである。


【『革命の大河 創価学会四十五年史』上藤和之、大野靖之編(聖教新聞社、1975年)】


 ということで、座談会が始まったのは昭和7年(1932年)ということで決まり。で、本格的な座談会運動となったのは昭和12年(1937年)9以降となる。


 牧口先生を悩ませていたのは、「座談会を推進できる幹部が少ない」ことだった。つまり、立派な座談会を開けるリーダーがいれば、広宣流布は推進できるということである。座談会の重要を理解している幹部は、今でも殆どいない。

「生命を尊厳ならしめるもの」12 池田大作

宗教的信の問題


 生命の尊厳ということは、あらゆる生命は尊厳であるということである。そこには、尊厳視すべきであるという味を含んでいる。尊厳視すべきだということは、尊厳じうる識をもたないものには、所詮、無味であるから、人間をその主体として、はじめてこの理が存在しうることも、いうまでもない。そして「あらゆる生命」ということは、自己の生命のみであってはならない。自己と関係の深い人々の生命のみであってもならない。さらに、人間生命のみであってもならない、ということである。

 ところが、現実問題として、同じ人間同士でも、好をもてる人もいれば、どうしても好をもてない人もいる。単に情的な好悪の問題でなく、生命の安全を脅かしてくる人の場合もある。まして、他の動物などにいたっては、その生命を尊厳と認めようといっても、とうてい無理だという場合が少なくはない。したがって、あらゆる生命に尊厳を認めるということは、それを信とする以外にない。そうと決めるということである。これは、もはや、経験的な次元から帰納的に出てくることではない。自ら定めた信であり、そこから、演繹的に、これを規範として行動し、生きる姿勢を確立していくのである。

 古来、こうした尊厳観が本来、宗教や哲学を基盤として出てきたのは、このためといってよい。また、こうした人生の規範、人間としての拠りどころを説き示したものが宗教であり、その本質を探求しようとしたものが、哲学にほかならない。

 宗教は、それぞれに、尊厳とすべきものを立てた。多くの場合、人間は罪を負ったものであり、悪に染まった存在とし、尊厳なるものは、天上あるいは彼岸にあると説いた。そして、そうした遥か彼方の尊厳なるものに自己の生命を帰することによって、罪の重荷を取りのぞき、浄化されて、その栄光にあずかることができると教えたのである。この救いの約束のもとに、人々は、現実の人生に規範を定め、一種の安と充足をもって、生活を営むことができた。今日、そうした宗教が凋落してしまった原因は、もちろん宗教自身にもあるが、人々の関が現実生活に集中してしまったことにもよる。秩序や法を失った社会が成り立たないように、人間の精神世界も、拠るべき規範を失ったときには、混乱し停滞して、行きづまってしまうものである。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-03-06

定額給付金の第一号が青森県・西目屋村の山下好恵さんに

給付金最速ゲット78歳おばあちゃんが麻生首相、小沢代表に注文


 マグロとイカと牛肉と―。総額2兆円規模の定額給付金は5日、全国に先駆けて青森県西目屋村と北海道西興部(にしおこっぺ)村で支給が始まった。全国一番乗りで給付金を手にした西目屋村のリンゴ農家・山下好恵さん(78)は「ありがたいことです」と謝しつつも、麻生首相には消費税増税案の中止を訴え、民主・小沢代表には「政治とカネ」の問題について注文を付けた。

 カラフルな花柄のパーカ姿の山下さんは、定額給付金が入った封筒を大事そうに両手に受け取ると「どうも、すいません」と2度、深々と頭を下げた。すったもんだの末、支給が決まった給付金を全国で初めて手にしたのはリンゴ農家を営むおばあちゃんだった。

 秋田県との県境、世界自然遺産「白神山地」のふもとに位置する人口1592人の西目屋村。この日、148世帯が計697万6000円の支給を受けた。

 住民税の申告のため午前9時半頃から役場を訪れていた山下さんは、約2時間前から給付金支給の窓口に村民約20人と共に並び、正午に「全国最速」の称号をゲット。夫(84)の分と合わせて4万円が入った封筒を関和典村長から受け取った。

 取り囲んだ報道陣の取材に「ありがたいことです。謝、激」と手を合わせて拝むポーズで答え「ウチに帰ったら壇に上げたい。で、少しずつ食事代に使って、いつもより豪華な刺し身を食べたいです」とホクホク顔。大好きなマグロとイカのお造りを楽しみにしているそうだが「私、ホントはお肉も大好きでねえ。ステーキとかねえ」とテレながら牛肉にも色気を見せた。

 しかし、山下さんの胸中が喜びだけに包まれているわけではない。帰宅し、壇に封筒を供えた後、複雑な気持ちも吐露した。「(給付金は)うれしいけれど……。消費税が上がらないか(配)ねえ。今5%ですけど、麻生さんに10%なんかに上げられちゃうとねえ。農家は厳しい。もう春になるけど、まだ雪はいっぱいですよ」。リンゴと野菜を「ちょっとだけ」生産している山下さんにとって切実な問題に、わず本音が漏れた。

 政治に期待するいも強いだけに、民主・小沢代表の公設第1秘書逮捕のニュースには憤りを隠せない。「ホントのこと言うとねえ、政治の人が逮捕されたり、ちょっと(問題だよ)ね。それより、みんなお互いに平和に暮らせるようにしてほしいです。こんな村でもケンカがあるんです」。私利私欲を満たすためではなく、国民一人ひとりのことを考えた政治を―。給付金を受け取った78歳のリアルな願いだった。


【スポーツ報知 2009-03-06】

大善生活実験証明座談会が行われた時代背景


 座談会がいつ頃から開かれるようになったのか、あまり定かではない。「昭和7年 座談会開催」と記している資料もあるようだが、私の手元にはない。

 ここまでが「第一の鐘」の時代である。同志糾合は遅々として進まなかった。牧口先生は教育革命から宗教革命へと舵(かじ)を切った。この的な変化が理解できず、学会から遠ざかっていった青年教師もいたようだ。また、戦争に徴用される会員もいた。


 どうすれば折伏が進むか――。会員の成長にを砕く牧口が、それに明確な解答を与えた。それが昭和12年9「創価教育法の科学的超宗教的実験証明」とのタイトルで発行された小冊子であった。


【『革命の大河 創価学会四十五年史』上藤和之、大野靖之編(聖教新聞社、1975年)】


 つまり、学会の座談会運動は昭和12年(1937年)より開始されたと考えていいだろう。論の展開もこの頃からだとわれる。そして、以下のような時代背景もあった――


『生活の探究』(島木健作著、昭和12年)の続編が出てさかんに版を重ねていたその年(昭和13年)の秋に、この小説とは趣きを異にした『生活の発見』という書物が出版されて、それもまた1年あまりで十数版を売りつくした。著者は中国からアメリカへ渡った中国人林語堂(リン・ユータン)で、その内容はいかにも中国の文人らしく“生活の哲学”を軽妙洒脱な筆で説いたものだった。『生活の探究』と『生活の発見』、前後してこの4冊(『生活の発見』も続編と合わせ二巻仕立てだった)が、ともにベストセラーとなったことに、私はあらためて興をひかれる。なぜなら、両者はともにけっしてたんなる処世術を、すなわち、うまい世渡りができる技術を教えようとするものではなかったからである。いや、まったく反対である。要領よく人生を生き抜ける術を処世術というなら、この両書はそれとはおよそ正反対な不器用で実用にならぬ、教養の書ともいうべき格のものだった。だから読者が求めたのは、こうすればこんなにうまくゆく、などといった功利的なノウ・ハウではなく、そんな技術(テクニック)などまったく眼中にない生きることへの根源的な味への問いかけであり、その解答だったといえる。つまり、人びとは軽薄に生きる技術を、ではなく、真面目に生きる知恵を探究しつづけたのである。


【『生き方の研究』森本哲郎(新潮選書、1987年)】

「生命を尊厳ならしめるもの」11 池田大作

3.生命の尊厳を考える視点

規範としての尊厳観


 すでに述べたように“生命の尊厳”という理を確固たるものにするには、生命とは、いったい何であるのか、を明らかにしなければならない。ただ、その前に、尊厳とはどういうことなのかという点について、明確にしておく必要がある。文字通りの味は「尊く、厳(おごそ)かなこと」であるが、それだ

けでは、あまりにも漠然としている。これについて、カントは『人倫の形而上学の基礎づけ』で、次のように述べている。

「目的の王国においては、すべては価格を有つか、あるいは尊厳を有つかである。価格を有つものは、その代りに、他の何ものかを等価物として置くことができる。それに反し、すべての価格を越えて尊いもの、したがっていかなる等価物をも認め得ないものは、尊厳を有つのである」(高坂正顕訳)

 つまり、カントによると、尊厳とは、いかなる等価物をも置くことができないこと、あらゆる価格を越えたものということである。とするならば、尊厳ということは、そのもの自体において付随する特質ではなく、そのかけがえのなさをじてくれる、識者との関係において成り立つものである。卑近な例でいえば、きわめてありふれた万年筆であっても、長い間使って愛着があるとか、それがその人にとって生涯忘れることのできないい出の記であるとかいった場合、どんなに大金を積まれても手放せないということもあろう。それは、その人にとって、それなりに“尊厳”をもっていることになる。

 同様のことは、動物についてもいえるし、人間については、なおさらである。一人の人間は、さまざまな味で、いろんな人と深いつながりがある。そうした、関係のある人々にとって、その人の存在は、他に代えられないものである。このため、その人が死んだり、遠い土地へ去ったりすると、の中に空洞が生じたようにずるのである。関係が親密での中に占めていた比重が大きければ大きいほど、そのあとの空洞も大きいわけである。そういう味では、あらゆる人が、それなりに尊厳をもっているし、あらゆる動植物や物体も、尊厳を秘めているということができる。ただ、その尊厳が、事実の上で、つまり実的な識として具現するかどうかは、それをずる人のによるといわなければならない。

 しかしながら、いわゆる“生命の尊厳”ということは、こうした情と同等に論ずべきものではない。個人的な向や、生活経験の結果として、具体的な個々の人間・生命にずる尊厳ではなく、普遍的な理として、具体的な行動や態度の起因となるものである。もし、そうでなければ、その生活経験や個人向から、ある物体や人間あるいは理に尊厳を認める人が、そのゆえに他の人々の生命を犠牲にするといったことも、当然ありうるし、それを容認することは、生命の尊厳という理にかけられている期待を裏切ることになってしまうからである。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-03-05

アンベードカルを宣揚する 10


 反応があまり芳(かんば)しくないので、これをもって最終回とする。「目が開かれました」「歴史が人物の虚像を描くことを知りました」――などといったメールが2000通ほど来るとっていたのだが、1通も来なかった。ま、ネットの世界なんてそんなもんだろう。これ以降は別ブログで続けることにする。


 ガンディーを批判したことによってアンベードカルはインド中から集中砲火を浴びた。しかしアンベードカルは一歩も退かなかった。更に独立インドがアンベードルの知を必要とした。ネルー政権下でアンベードカルは法務大臣となり、制憲議会からは憲法草案起草委員会の議長に任命された。数千年にわたる不可触民のしみを背負った男は、文字通りたった一人で憲法草案を書き上げた。妻にも先立たれた(※その後再婚)。長年にわたる闘争で身体はボロボロになっていた。それでもアンベードカルは、インド社会を揺り動かす行動を起こした――


 30万を越す人びとの注視の中、83歳の老僧チャンドラマニの先導で厳かに式は進められた。像の前にひざまずくアンベードカル夫妻にパーリ語で三帰依文(・法・僧に帰依する誓い)を唱え、五戒(殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒に対する禁戒)を授けた。夫妻はマラーティ語でその聖句を復唱し、像に白蓮を供えた。かくてアンベードカル教教団入門(改宗)が告げられ、「アンベードカル万歳、陀万歳」の大歓が会場をゆるがした。

 アンベードカル夫妻にD・ヴァリシンハから像が贈られ、アンベードカルは壇上から人びとに呼びかけた。

「不平等と迫害を味する古い宗教を捨て今ここに私は生れ変った。私は化身の哲学を信じない。陀はヴィシュヌの化身という伝承は誤りであり、かつ有害である。私はもはやヒンズーのいかなる男神・女神の信者でもない。私はシュラーッダ(ヒンズー教の祖霊祭)を行わない。私は陀の八正道を厳守する。教は真の宗教であり、智識と正道と慈愛の三原理に導かれた人生を今後歩むであろう」

 その後、彼はヒンズーの神を拝まないという22項目からなる誓いをくり返した。動の余りそのは途切れがちであった。

 つづいてアンベードカルは、教に入信するものは起立せよと呼びかけた。そのに全員が起ち上り、アンベードカルに唱和して入信を宣誓した。

 かくして約30万の人びとがアンベードカルと共に教に帰依したのである。


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール/山際素男訳(三一書房1983年)】


 舎利弗と目連アンベードカルには敵(かな)わなかった。不可触民を3000年の軛(くびき)から救ったアンベードカルが今世の使命を果たしたかのように逝去したのは、教に帰依してからわずか2ヶ後のことであった。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

「生命を尊厳ならしめるもの」10 池田大作

侵蝕される生命の連鎖


 これは、理的・精神的な人間の崩壊現象であるが、生理的・肉体的にも、人間をむしばむ、恐るべき現象が顕われてきた。産の発達によって、自然が破壊され、生活環境が著しく汚染されはじめたのである。産が自然のリズムに秘められたカを、そのまま活用していた段階では、破壊も小規模であり、汚染も、自然現象の流れの中で還元され、再生されることができた。しかるに、科学技術の発達によって、本来、地上の生命的世界にとっては、異物である重金属や、石油を原料とする高分子化合物が、生命の連鎖の中にまぎれこみはじめたのである。

 中枢神経を冒す水銀、激痛を伴って骨を軟化させ、背丈が縮んでしまう“イタイイタイ病”を起こすカドミウムなどは、そうした重金属類の代表である。高分子化合物の例としては、DDTやBHCなどの殺虫剤、PCB等の薬品類がある。いずれも、動植物の体内に吸収されるが、元素である重金属は当然、高分子化合物も、きわめて安定した構造をもっているため、破壊されないまま、それらの動植物を食べた人間の体内に取りこまれ、蓄積されていく。その蓄積量が、ある許容限度を越えると、悲惨な症状を呈し、廃人にしてしまうか、死に至らしめるのである。

 もとより、具体的にそうした症状があらわれたという例は、いまのところ、限られた地域の、限られた人々にしか見られない。だが、汚染は、地域差はあるにせよ、地球的規模で進行しており、その進行の速度は、年々加速されている。もし、このまま進んでいくならば、やがて、被害は、全人類の上にふりかかってくるにちがいない。繁栄のための生贄というには、原始社会の生贄に比べても、あまりにも悲惨であり、残酷ではないか。

 ともあれ、近代以後の科学技術のカによる物質的豊かさへの努力は、それが人間の幸福、生命の尊厳を現実に保証するであろうと信じられたからこそ、飽くことなく続けられてきたのである。ところが、その繁栄を謳歌している産社会において、精神的にも、肉体的にも、尊厳なるべき生命に対する深刻な破壊が生じてしまった。それは、文明時代に入って以来、大部分の人々を導いてきた、短絡的考――すなわち、社会の体制、機構を変えれば幸福は保証される、とか、物質的に満たされれば幸せになれる、といった考え方――の根本的欠陥を露呈したものといってよい。

 社会体制と幸福、物質的豊かさと幸福とは、直接に結びつくものではなく、人間生命という、捉えがたいが、無視することのできない実体が、その間にあることを識せざるを得なくなったのである。いな、それは、単に中間にあるなどというものではない。実は、この“生命”こそ、いっさいを包含する全体であり、生命の尊厳をこそ、何よりも優先して考慮しなければならないことが明白となったのである。もとより、そうした考え方は、過去にも幾多のすぐれた人々が提唱してきたことも事実である。言いふるされたことでもあり、当然の道理でもある。

 それにもかかわらず、なぜ言いふるされるのみで実現しなかったか。なぜ当然の道理が現実にならなかったか。それを私は、人間の原始以来の基本的考と、社会原理、文明の理のなかに、これを根本的に否定する要因があることを示した。そして一方、この当然の道理を実現するために、さまざまな形で、変革の試みがなされたけれども、これらの人間の考や、社会原理、文明の理そのものを変えることはできず、今日にいたった失敗の歴史を明らかにした。この失敗の原因をひとことでいうなら、人間生命の核的把握がなされなかったことにあるということである。

 実体への核的把握と程遠い、たんなる抽象的な言葉や、盲目的・受動的に身をゆだねた信では、現実変革のカとはなりえない。生命とは何か、なぜ尊厳であるのか、また、いかに行動し、どのように社会と文明を創造することが、生命の尊厳という原理を保証するのかという、明確な識と、能動的な行勤があって、はじめて、生命の尊厳は確たる実体をもつことができるのである。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-03-04

アンベードカルを宣揚する 9


 ガンディーは、不可触民が独立した政治的権利を手に入れることを死に物狂いで阻止しようと試みた。自身の人気をテコに、何が何でもカースト制度を守ろうとした。


(※英国首相による)コミュナル裁定は大きな政治的危機に発展し、アンベードカルはその渦中に巻きこまれようとしていた。

 即ち、ガンディーは1932年1再開した不服従運動の廉で逮捕され投獄されていたが、獄中にあっても不可触民ヒンズーをカーストヒンズーに結びつけようとする彼の決を捨てず、3初め、不可触民ヒンズーをカーストヒンズーから分裂させる試みには死を賭して闘うとイギリス政府に通告していた。

 コミュナル裁定が公表され、不可触民に分離選挙があたえられるのを知った彼は、それが撤回されるまで死の断食に入ると宣言した。しかし、回教徒、シク、クリスチャンへの分離選挙については反対を特に唱えなかった。

 ガンディーの“死の断食”宣言が正当といえないもうひとつの理由は、少数コミュニティ委員会で首相に下駄を預ける書類にサインをしたのは他ならぬガンディーであった。その限りでは彼はその裁定に従うべきなのに、政治的境を打開するため世界の眼をインドに引きつけ、アンベードカル図を挫く賭(ママ)に出たのである。

 ガンディーの宣告は当然のことながらインド中を驚愕させた。ガンディーと政府に対し、断食中止を求める公開アピールが各地で出され、明が次々と新聞に掲載され、祈祷会が随所でもたれた。ヒンズー社会に大きな混乱と理的緊張が高まった。不可触民への残酷な仕打ちには少しもを動かされなかったカーストヒンズーたちは、その政治的指導者の生命の危険の前にパニック状態に陥ってしまったのである。


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール/山際素男訳(三一書房1983年)】


 これが「マハトマ(偉大な魂)」と呼ばれた男の正体だ。


 分離選挙とは、不可触民が独自の候補者を立てて、かつ、独自の選挙を不可触民だけの選挙区内で実施しようという方法である。

【「松本勝久の部屋」による】


 ガンディーは「死の断食」をもって、不可触民の自由を奪おうとしたのだ。ガンディーこそ「カースト制度の奴隷」であった。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

「生命を尊厳ならしめるもの」9 池田大作

“豊かさ”のもたらす危機


 ただし、すでに述べたように、それは手放しで楽観できる事態でないことも事実である。いわゆる“巨大機械(メガ・マシーン)”としての国家は、その威力をそがれたとしても、企をはじめとする種々の組織がある。しかも、国家権力それ自体が、理学的な巧妙な手段を駆使して、人々に自律的・能動的に行動しているとわせながら、結果的には部品化し、奴隷化していく可能も、今日では、むしろ増大しているからである。

 さらに、科学と技術の発達によって、人間の基本的欲求の一つである、物質的欲望が大幅に充足できるようになったが、このことは、多方面にわたって、広汎な変革の波を及ぼしている。すでに述べた、ヨーロッパ諸国民の世界征覇も、そのキリスト教的生命観による優越、使命とともに、科学の発達による技術のカがあって、はじめてなしえたものであった。また、近世以来のナショナリズムの潮流が、深刻な挫折をきたしたのも、二度の大戦においてくりひろげられた、科学技術の巨大な力による破壊と殺戮の恐ろしさが、大きな要因となっている。

 人間に幸福をもたらすと信じられた科学技術の発達は、こうした悲惨な戦争と結びついてなしとげられてきたものである。科学技術の与えてくれる恵は、それが、戦争のために急激に発達したことが原因であった。したがって、逆に、現在の福祉は、やがて、いつ恐るべき災禍に変貌しておそいかかってこないとも限らないのである。

 科学が発達し、真理が解明されることは、人間にとって、より大きなカの獲得を味する。

 しかし、真理の究明は、無条件に“善”とはいえない。力は使い方によって、善にもなれば、悪にもなる。問題は、使う者の、すなわち人間の本であり、それをリードする道徳律、世界観、生命観の問題となる。

 さらに、ここにもう一つ、新しい問題が生じてきた。科学技術のカが戦争という破壊や殺戮に使われることが“悪”であるということは、まだ容易に判断できる。では、物質のより豊かな生産のために用いられることは、そのまま“善”といえるだろうか。普通に考えれば、無条件に“善”であるはずである。貧困、窮乏は、戦争、病気とともに、人間の最も普遍的な不幸の原因であった。科学の成果が産において技術化され、物資を豊富に、しかも安価に生産し、提供できるようになったことは、この貧困、窮乏を追放して、人間に幸福をもたらしてくれるはずであった。ところが、ここにも、複雑で深刻な問題が生じてきたのである。

 たしかに、窮乏のために生きるか死ぬかという追いつめられた状況では、物資の供給は、幸福に直結する。だが、平常の事態においては、窮乏というものは、相対的なものである。人より豊かになりたい、人より優れたものを持ちたいというのが人間の本であって、その願望が満たされない限り、たとえ、あり余る豊かさの中にあっても、不満や貧窮は、つねにつきまとう。そして、比較的安易に欲望が満たされるとわかると、次から次へと欲望をかきたて、その欲望を追求せずにいられなくなる。もはや、こうなると、人間は欲望の奴隷に堕してしまい、の平静も、精神的な充実の欲も失ってしまう。人間精神の内面からの崩壊が進行しはじめるわけだ。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-03-03

小沢代表の会計責任者逮捕へ=西松建設OB団体から献金−東京地検


 小沢一郎民主党代表の政治団体が準大手ゼネコン「西建設」(東京都港区)から違法献金を受けていた疑いが強まったとして、東京地検特捜部は3日、政治資金規正法違反容疑で、小沢代表の資金管理団体「陸山会」会計責任者の大久保隆規秘書と同社前社長国沢幹雄被告(70)ら2人を同日中にも逮捕する。特捜部は同日、東京都港区にある陸山会の事務所に家宅捜索に入った。

 関係者によると、西建設はOBの政治団体をダミーに与野党幹部らに多額の違法献金をしていたが、会計責任者は献金が同社からの献金だと認識していた疑いがあるという。


時事通信 2009-03-03】

アンベードカルを宣揚する 8


 ガンディーは「インド独立の父」であり、「老獪(ろうかい)な政治家」でもあった――


 アンベードカルはタイムズ・オブ・インディア紙にこの会議(第二次円卓会議)についてこう書き送っている。

「われわれは確かな情報によって、ガンディー氏が回教徒代表と交渉の際、かれらの要求する14項目を受け入れる条件として、不可触民階級ならびに少数コミュニティグループの要求に反対するよう回教徒側に求めた、という事実をつかんでいる」「はっきりいえば、ガンディー氏らのやり方は、皆が賛成なら自分も賛成しよう。しかるのち賛成した連中を密かに買収して反対派に回させ、不可触民階級の対抗者としか交渉できないように仕向けるという方法だ。ガンディー氏は不可触民階級の友として振舞わなかったばかりでなく、正直な敵としてすら振舞わなかった」


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール/山際素男訳(三一書房1983年)】


 アンベードカルの舌鋒は鋭い。多くの不可触民がガンディーの欺瞞に気づき始めた。そしてインド国内では、アンベードカルに対する非中傷が満ち溢れた。時にマスコミは「アンチアンベードカル・キャンペーン」を張った。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

「生命を尊厳ならしめるもの」8 池田大作

市民革命とナショナリズム


 ヨーロッパ近世に始まった絶対王政に対しては、国によってさまざまな形をとったが、いずれも人間としての権利を掲げて、革命が行なわれた。イギリスにおいては清教徒革命に始まって、何度か試行錯誤を重ねながら、議会制民主主義が確立されていった。フランスでは、1789年の大革命によって一挙に爆発し、共和制からナポレオンの帝政、そしてまた共和制、王制と変動を重ねる。ドイツは、王政の確立自体が遅れ、革命も、20世紀に入って、第一次大戦の終幕とともに起こる。ロシアの場合、もっとも強力な帝政が続くが、やはり、20世紀初頭にいたって、大革命が起こり、共産社会へと移行する。

 王政の圧迫に対して抵抗の中核となった人々も、国によって異なる。イギリスでは貴族階級が中になり、フランスはブルジョア階級が主体となった。ドイツ革命は軍人によるものであり、ロシア革命は、労働者、農民が中となった。しかし、たとえばイギリスの場合も、貴族による革命というだけではとどまらず、徐々に、一般庶民、労働者の権利要求へ波動は伝わっていったのである。

 こうして、この一連の動きは、神の権威を後ろ楯とした王制の横暴に対して、自国内で起こった、民衆の“生命の尊厳”への戦いであったといえる。

 この変革の歴史によって、たしかに王政は崩れた。だが、民衆のに根ざしたナショナリズムは、なくなったわけではない。むしろ、民衆が国政の前面に出ることによって、かえって、ナショナリズムは、民衆のに浸透し、いっそう強力になったといっても過言ではない。こうして、極度に高まり、強化されたナショナリズム相互の対決が、二度にわたる大戦を惹き起こしたのである。大戦後の今日、ようやく人々が骨身にしみてじていることは、偏狭な国家主義、ナショナリズムこそ、人間の尊厳にとって、もっとも恐るべき侵害者であったということではあるまいか。

 残ながら、かつてヨーロッパ人のを冒したナショナリズムの熱病は、アジア、アフリカ、中南米諸国に伝染してしまったようだ。第二次大戦後、アジア、中近東に頻発しつづける戦乱と、根深い国際的緊張は、他にも種々の要因が絡まってはいるが、根本的には、この病いの染に由来しているとわれる。それが、今後、どのように変革されていくかはわからないが、世界の諸民族のに、次第にナショナリズムの偏狭、国家権力のというものに対する認識と、拒絶反応に似た情が拡がりはじめていることに、私は希望を寄せたい。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-03-02

アンベードカルを宣揚する 7


 初めての会談でアンベードカルはガンディーに対して真っ向勝負を挑む――


「あなたは、会議派は力を欲したのだ、だからそんな条件を課すわけにはゆかなかった、とおっしゃるかもしれません。だとすれば、会議派は道義よりも力を選んだということになります。あなたは、イギリス政府はを変えないとよくおっしゃいますが、私にいわせれば、われわれの問題に関してヒンズーはイギリスと同じです。かれらがどこまでも頑なでいる限り会議派もヒンズーも信ずることはできません。われわれは自立、自尊を信じるものです。私たちはマハトマも、他の指導者たちも信じる気になれません。非礼を承知でいわせていただければ、マハトマは束の間の幻影のように、人を迷わすが、実際には何も変えはしないということを歴史は証明するでしょう。会議派の人びとは何故私に反対し、裏切りもの(ママ)呼ばわりするのでしょうか?」

 アンベードカルの顔面は紅潮し、眼は熱を帯びて輝いていた。しばしの沈黙の後、渋と憤りをこめていった。

「ガンディージー、私には祖国がありません」

「何をいうのかね、博士。あなたには祖国があるではありませんか。円卓会議でのあなたの働き振りについての報告書で、あなたが立派な愛国者であるということを私はよく知っています」

「あなたは、私に祖国があるとおっしゃいましたが、くり返していいます。私にはありません。犬や猫のようにあしらわれ、水も飲めないようなところを、どうして祖国だとか、自分の宗教だとかいえるでしょう。自尊のある不可触民なら誰一人としてこの国を誇りにうものはありません。

 この国が私たちにあたえる不正、虐待は余りに大きく、識的、無識的にこの国に反逆するようなことになったとしても、その罪はこの国にあるのです。裏切り者と罵られても私は構いません。その責任はこの国にあるのですから。

 もし、あなたがいわれるように、この国にとって愛国的となるようなことを私がしたとするなら、それは私自身の良に恥じないからそうしたのであり、愛国からではありません。長い間虐げられつづけた同胞に基本的人権をかち取るためなら、この国のためにならないことを幾らでもやってのけるでしょう。それが罪になるとはわないからです。もし私のこれまでの行為が国にとって有害でないというのなら、それは私の良によったまでのことです。私は私の良の命ずるままにこの国に害をあたえず、同胞の基本的人権獲得に戦ってきたにすぎません」

 このアンベードカルの言葉によって会談の空気は気不味いものになった。人びとの顔色は変り、ガンディーは落着きを失いはじめた。


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール/山際素男訳(三一書房1983年)】


 こうしてガンディーは、アンベードカルが不可触民出身であることを知った。ガンディーはカースト制度を死守すべきであると考えていた。彼は不可触民をマスでしか捉えていなかった。あるいは、「塩の行進」も偉大なパフォーマンスだったのかもしれない。


 アンベードカルが発した「私には祖国がありません」という一言の重みには、ガンディーですら言葉を繕(つくろ)うことができなかった。所詮ガンディーはカースト制度の上位に所属する人物に過ぎなかった。不可触民が置かれた現実を知らなかった。


 ここからアンベードカルは、徹底してガンディーと闘うことになる。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

「生命を尊厳ならしめるもの」7 池田大作

ヨーロッパ・ヒューマニズムと世界侵略


 近世王権の確立と拡大の歴史は、国によって、それぞれ事情が異なる。スペインはイベリア半島からアラブ勢力を駆逐して確固たる基礎を築き、世界の富を求めて海外に進出した。フランスは、百年戦争を経て、まず国土を確保し、重農政策によって富を増大した。

 イギリスは、羊毛増産から絨維産、鉄綱産へと、産革命を中核に、やがて“世界の工場”として巨大なカを蓄えていった。世界を舞台にした活動では、無敵艦隊を破って海洋軍事力の主導権を握り、スペインに代わって植民帝国のチャンピオンとなった。ロシアは、もっぱらイギリス、フランスに学んで、文化的向上を図る一方、東方シベリアに進出し、広大な国土を領するにいたる。

 ドイツは宗教改革の結果、新旧両派に分かれた宗教戦争の舞台となり、悲惨な破壊をこうむる。元来、オーストリア、ドイツは、神聖ローマ帝国の本拠として、中世を通じて世俗的帝王権の中枢であったが、封建領主の支配体制が根強く、絶対王政の樹立は、立ち遅れたのである。そうした諸侯割拠の体制が、宗教戦争を目とする諸外国の介入と戦乱を許してしまったといえる。ともあれ、こうした事情で、ドイツ、オーストリアは、国内の統一、世界進出において、他国に遅れをとることとなる。

 ルネッサンスの先覚者であったイタリアも、ローマ法王庁の権限が強く、くわえて、各都市が自治権をもっていたため、相互の争いをくりかえし、そこに、フランス、ドイツ、オーストリア等の勢力が介入して、王政の確立、統一は、もっとも遅れてしまった。その他のオランダ、ベルギー、北欧や東欧諸国などについても、筋からいえば触れなければならないところであろうが、本論の主旨には影響がないので略すことにする。

 ともあれ、こうして成立した近世・近代のヨーロッパは、中世のそれとは著しく異なったものとなった。中世ヨーロッパが、キリスト教の信仰と、教会の支配体系のもとに統合され、コスモポリタン的な雰囲気をもっていたのに対し、近世・近代のそれは、ナショナリスティックな割拠体制になってしまったのである。その一方で、ヨーロッパ各国は、アジア、アフリカ、そして新大陸アメリカに進出し、世界のヨーロッパ化の歴史が始まる。

 彼らは、その旺盛な物欲と支配欲に促されて、こうした世界の各地が、あたかも無人の地であるかのように、自国の領土に取りこんでいった。その底流には、ヨーロッパ人のみが人間としての尊厳をもち、他の民族は、ヨーロッパ・キリスト教民族のために仕えるべく、神より定められた人種であるという考え方があったことは否めない。いいかえると、ルネッサンスと宗教改革によってあらわれた「人間の尊厳」観が、あくまでキリスト教の神の寵を基盤としていたことから来る限界が、ここに、はからずも顕在化したのである。

 ヨーロッパ人が“暗黒大陸”と呼んだアフリカにも、すでに立派な黒人王国があった。未開のジャングルや砂漠地帯でも、黒人たちは、きちんとした法と慣習をもって、部族的な秩序ある社会生活を営んでいたのである。アジアにいたっては、ヨーロッパより造かに古くから開け、体系化された文明社会であったことは、いまさらいうまでもない。また、“新大陸”アメリカも、すでに数万年来、モンゴル系人種がベーリング海峡を渡って住みつき、独自の壮大な文化を築いていたのである。だが、ヨーロッパ諸国民は、そうした文化に何らの敬を払うこともせず、原住民族の権利を顧慮することもなく、神と王のにおいて、自国への併合を進めていった。こうして、アメリカにおけるアステカ、インカ等の王国、アフリカの黒人社会、インドのムガール帝国、そして、やがて中国の清王が、あるいは破壊され、あるいは破壊にまでいたらずとも、無残な侵略を受けたのである。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】

2009-03-01

アンベードカルを宣揚する 6


 ガンディーとアンベードカルが初めて会談した――


(※1931年)814日、改めてアンベードカルは数人の部下と共にマニブヴァンを訪れた。

 アンベードカル一行が部屋に案内された時ガンディーは会議派メンバーたちと歓談していた。アンベードカルたちはガンディーに一礼し床に敷いてある毛布に腰を下ろした。

 これは、非回教徒、非ヨーロッパ人指導者、代表たちを扱うガンディー独特のやり方なのだが、つまりしばらく相手を無視したまま、ガンディーはそれまでの相手と談笑しつづけた。その非礼にアンベードカルの供たちははらはらしながら事態を見守っていた。初対面のアンベードカルにやっと向き直ったガンディーは、世間並みの挨拶を交わすと、本題に入った。

「ところで博士、あなたの方から何かいうことはないのですか?」やにわにガンディーは尋ねた。

「あなたの方で御自分の見を聞かそうと私をお呼びになったのではないのですか? あなたの方からおっしゃって下さい。それとも何か質問して下されば、それについて、私の方からお答えしましょう」アンベードカルはいった。


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール/山際素男訳(三一書房1983年)】


 この時ガンディー61歳、アンベードカルは40歳だった。南アフリカへ留学した際、ガンディーは有色人種であることを理由に、車掌に一等車から突き落された。ガンディーの人権闘争はこの体験から始まっている。しかし、ガンディーは自身の内部に巣食う差別識に気づいていなかった。あるいはガンディーの考える人権は、国内と国外で異なるのかもしれない。


 そしてガンディーは、アンベードカルが不可触民の生まれであることを知らなかった。自分と同じバラモン階級だとい込んでいた。多分、アンベードカルの学識がそうわせたのだろう。


 国内では人気・実力を極めた老獪な政治家の前で、不可触民の若きリーダーは微塵も恐れることがなかった。なぜなら、アンベードカルは不可触民の悩を背負っていたからだ。一身の栄誉栄達を願うなら、ガンディーに擦り寄った方が賢明であった。だが、アンベードカルはそうはしなかった。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

「生命を尊厳ならしめるもの」6 池田大作

教会支配からの脱皮


 とくにキリスト教は、イエスを単なる預言者とせず、神と、神の子イエス、そして、聖霊との三位一体を教義とした。そこから、さらにその地上における代理者としての教会の権威が絶対化され、中世ヨーロッパの教会支配が確立されたのである。あらゆる学問や芸術は、神学に仕える侍女とされ、独自の発展は、強大な力によって抑圧された。ルネッサンスと宗教改革によって象徴される近世啓蒙運動は、こうした教会の絶対主義的支配から信仰と学問・芸術を人間の手に取りもどそうとするものであった。

 宗教改革は当然のこと、ルネッサンスさえも、いわゆるキリスト教信仰からの解放をめざしたものではなかった。ルネッサンスを代表する偉大な芸術家の作品は、いずれも、神の栄光や聖書の中に説かれている物語を題材としており、壮大な寺院建築を飾るために創造されたものである。哲学者や科学者が、真理の探究に情熱を傾けたのは、ほかならぬ神の摂理の正しさを裏づけるためであった。たしかにマキァヴェリのように、きわめて冷やかな無神論者もいたことは事実である。だが、それは、あくまでも例外的存在にすぎなかった。大部分の科学者や哲学者・芸術家は、敬虔な信仰者であり、むしろ、その信仰の情熱こそ、彼らの索や研究、創作活動を支えるエネルギーの源であったことを知っておく必要があろう。

 それにもかかわらず、彼らが築いた績は、結果として人間の偉大さを謳いあげることとなった。ルネッサンスの芸術家たちが描き刻んだ神や天使の像は、人間らしい魅力にみちあふれ、ときには、生ま生ましいまでの人間味をさえたたえている。神の摂理である真理の探究は、信仰によって得られるのでなく、理による人間の索と研究によって得られるのだということを前提として、はじめて成り立つ。人間らしさ、人間の理が、あらゆる理を、はるかな頭上の天国から、この地上に引きずりおろしたのである。

 さらに、宗教改革は、信仰そのものを、教会という媒介者を経ないで、直接に人間と神の接する場に置いた。これによって、神は、神を信ずる人間のに存することとなった。そればかりでなく、このことは、やがて、人間がこの世界においてなす、あらゆる善なる行為が、神の寵につながるのだという考え方に発展していく。つまり、敬虔な祈りだけが、神のに叶った、祝福された行為なのではなく、学問も、芸術も、生産活動も、商活動も、直接、神の恵みと祝福を受けることができるのである。

 このように、ルネッサンスおよび宗教改革は、ヨーロッパ・キリスト教世界においては、人間の尊厳を現実化するための、画期的な前進の一歩となった。あくまでも神を中とし、神の摂理によって一切が決定されるとした中世のに対して、ルネッサンスのは、人間の自由志を前面に押しだしたのである。宗教改革は、信仰そのものを人間のに帰せしめる結果となった。その味で、宗教改革は、もとよりその起こった動機はまったく異なるが、ルネッサンスの志向したものを、信仰の分野に実現したということができる。

 ところで、こうしたルネッサンスの的変革を理解するために、その一例としてピコ・デラ・ミランドラを一瞥しておきたい。ピコは、人間の識や行動が、星の位置などによって決定されるという、中世の信仰に対して、自然現象は物質界の法則にしたがうものであり、人間は自らの経験と志によって欲し行動すると主張した。これを裏づけるために、ピコは、聖書の天地創造説に新しい解釈を施す。――神は創造の日の最後に人間をつくり、それまで個々の存在に分け与えていた一切を人間に与え、自らの似姿とした。そして、最初の人間アダムを世界の中央にすえ、お前はお前の自由に自らの本を形成してよい、お前自身が自らの創造者、形成者であれ、そのために自分は、あらかじめ定められた特定の使命、特質を付与しないのである――と告げたというのである。

 このピコ・デラ・ミランドラは、ルネッサンス以後の・学問の展開に対し、一つの重大な転機となった。自然現象を物質界の法則にしたがうとしたことは、のちの自然科学の発達にとって、的基盤となった。ケプラーは、ピコを指して、自己の先駆者と呼んだと伝えられる。また、人間は自らの創造者であり、形成者であるとする考え方は、神の支配から脱して、自らの権利を確立しようとしたルネッサンス的人間像を、象徴的にあらわしているといえよう。

 だが、ルネッサンスも宗教改革も、神の支配を基調とするキリスト教世界という体制内の変革の域をあくまで出なかった。たしかに教会の権力およびドグマによる支配は、大きく揺るぎ、崩れかけた。だが、それは、人間の自由の増大へはつながらず、世俗的王権という新しい支配体制のなかに組みこまれていった。教会が占めていた“シーザーのもの”はシーザーに奪い返されたのである。しかも、この“シーザー”は、新しい装いをもって現われてくる。すなわち、かつて教会が自らの世俗的支配権を増すために用いた「王権神授」の原理を、今度は王権が自身のために活用して、神によって基づけられた王権としてあらわれる。近世絶対王政がそれである。


【『生命の尊厳/人間の世紀 第1巻』時実利彦編集(潮出版社、1973年)第8章に所収】