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2009-03-05

アンベードカルを宣揚する 10


 反応があまり芳(かんば)しくないので、これをもって最終回とする。「目が開かれました」「歴史が人物の虚像を描くことを知りました」――などといったメールが2000通ほど来るとっていたのだが、1通も来なかった。ま、ネットの世界なんてそんなもんだろう。これ以降は別ブログで続けることにする。


 ガンディーを批判したことによってアンベードカルはインド中から集中砲火を浴びた。しかしアンベードカルは一歩も退かなかった。更に独立インドがアンベードルの知を必要とした。ネルー政権下でアンベードカルは法務大臣となり、制憲議会からは憲法草案起草委員会の議長に任命された。数千年にわたる不可触民のしみを背負った男は、文字通りたった一人で憲法草案を書き上げた。妻にも先立たれた(※その後再婚)。長年にわたる闘争で身体はボロボロになっていた。それでもアンベードカルは、インド社会を揺り動かす行動を起こした――


 30万を越す人びとの注視の中、83歳の老僧チャンドラマニの先導で厳かに式は進められた。像の前にひざまずくアンベードカル夫妻にパーリ語で三帰依文(・法・僧に帰依する誓い)を唱え、五戒(殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒に対する禁戒)を授けた。夫妻はマラーティ語でその聖句を復唱し、像に白蓮を供えた。かくてアンベードカル教教団入門(改宗)が告げられ、「アンベードカル万歳、陀万歳」の大歓が会場をゆるがした。

 アンベードカル夫妻にD・ヴァリシンハから像が贈られ、アンベードカルは壇上から人びとに呼びかけた。

「不平等と迫害を味する古い宗教を捨て今ここに私は生れ変った。私は化身の哲学を信じない。陀はヴィシュヌの化身という伝承は誤りであり、かつ有害である。私はもはやヒンズーのいかなる男神・女神の信者でもない。私はシュラーッダ(ヒンズー教の祖霊祭)を行わない。私は陀の八正道を厳守する。教は真の宗教であり、智識と正道と慈愛の三原理に導かれた人生を今後歩むであろう」

 その後、彼はヒンズーの神を拝まないという22項目からなる誓いをくり返した。動の余りそのは途切れがちであった。

 つづいてアンベードカルは、教に入信するものは起立せよと呼びかけた。そのに全員が起ち上り、アンベードカルに唱和して入信を宣誓した。

 かくして約30万の人びとがアンベードカルと共に教に帰依したのである。


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール/山際素男訳(三一書房1983年)】


 舎利弗と目連アンベードカルには敵(かな)わなかった。不可触民を3000年の軛(くびき)から救ったアンベードカルが今世の使命を果たしたかのように逝去したのは、教に帰依してからわずか2ヶ後のことであった。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

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