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2009-03-08

思想ではなく理論が方法を規定する


 これは凄い一言だ――


 もっと明確に語ろう。リハビリテーション医療はリハビリテーションに基く社会復帰の手段であって、運動療法理論に基く治療ではない。ある治療が科学的であるためには、ではなく理論が不可欠である。なぜなら、は方法論を規定しないが、理論は方法論を規定するからである。


【『リハビリテーション・ルネサンス 心と脳と身体の回復 認知運動療法の挑戦』宮本省三(春秋社、2006年)】


 中々出てくる言葉ではない。著者は、リハビリ専門家達がに安住し、具体的な治療法を追求してこなかったことを糾弾している。


 多くの学会員は「理」を軽んじる傾向が強い。私はこの年齢になって、ようやく理論や概の重さをじるようになった。セオリー(理論)がメソッド(手法)を生む。


 道徳がなぜ広まらないのか? それは、具体的な方法論がないからだ。日蓮法が卓越しているのは「如説修行」を説いているからなのだ。私はこれを21歳の時に知った。「如説修行抄」を諳(そら)んじるほど読み抜き、語句の味を調べ、同志と徹底して議論した果てにつかんだ。ま、当時の私にとっては一種の「悟り」といってよかった。つまり、宗教とは具体的な修行法を明確に説いたものであって、それがなければ単なるといったレベルに過ぎないということだ。


 日蓮大聖人は「要」を好まれた(336頁)。だから、修行法も自行化他・信行学とわかりやすい。誰もが実践できる。二百五十戒も五百戒もあったら大変だ。観観法も面倒臭い。


 人生とは「(ごう)の集積」である。これを修行というで染め抜くのが我々の人生だ。同じ行為であっても、理論や概の裏づけがあれば一層深くなるのは当たり前だ。なぜなら、一つ一つの行為に根拠が与えられるからだ。


 指導・激励に具体のない幹部は、自分の人生を信で開拓していないも同然だ。

リハビリテーション・ルネサンス―心と脳と身体の回復、認知運動療法の挑戦

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