Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2009-04-30

大石寺の「寺社奉行」的構造 江戸期にみる創価学会破門の源流 2

 菅田正昭(すがた・まさあき=宗教史家・離島文化研究家)


『富士宗学要集・第9巻』に収録された〈異流義〉の歴史的資料というのは、当時の身延派や大石寺系の触頭の寺院が、自らの潔白の証明として寺社奉行へ提出した上申書が中になっている。その中には噂さ話程度のものを、まことしやかに報告したものまで含まれているようだ。また、〈三鳥派〉や〈堅樹派〉にたいする判決書も含まれている。いうなれば、弾圧した側の内部資料なのである。もちろん、今となっては、それも貴重な資料であるけれども、宗教弾圧された側の立場からみると、100パーセント信用することはできないのである。

 その点を頭に置かないと、自己の内なる異端の先例を、江戸時代の異流義に求めて告発することは、かつてソ連共産党の書記長スターリンが、自分の反対派にトロツキストのレッテルを貼って粛清したのと同じい精神構造ということになってしまうのである。〈三鳥派〉という称は、それほどの迫力あるスケープ・ゴートとしての機能を持っていたのである。江戸時代、大石寺を含めた日蓮宗〈各派〉の本山は、おのれの反対派を異端として葬りたければ、幕府権力である寺社奉行にたいして、誰某は三鳥派であると告発すれば、反対派は〈異流義〉中の〈異流義〉として粛清されてしまうのだ。すなわち、三鳥派という称の中には、それを生みだした大石寺を覆(おお)う暗黒の闇と、そこから発してくる大石寺の「罪と」が含まれていることになる。いうなれば、〈三鳥派〉とは大石寺法門における原罪ともいうべき存在であるといえるだろう。もちろん三鳥派は謗法中の謗法でもあるわけだが、それはひょっとすると宗門改革の原点の提示であったかもしれないのだ。

 そこを見ないで、〈異端〉的傾向に〈三鳥派〉のレッテルを貼り付けるのは、ヨーロッパ中世の女裁判と同じい精神構造の持ち主であることを、自ら告白しているようなものではないだろうか。あるいは、ほんとうは弾圧者なのかもしれない相手にたいし、あなたのほうこそ国家権力によって弾圧されているのですよ、と違い(ママ)して言っていることにもなりかねないのである。


【『大石寺の「罪と罰」』玉井禮一郎〈たまい・れいいちろう〉(たまいらぼ出版、1997年)所収】

大石寺の「罪と罰」

2009-04-29

4.24


 jigemon氏の日記に胸打たれる。


30年


 居なかった、知らなかったことは、免罪符にはならぬ。


地下者覚書 2009-04-24

大石寺の「寺社奉行」的構造 江戸期にみる創価学会破門の源流 1

 菅田正昭(すがた・まさあき=宗教史家・離島文化研究家)


 当然、その一方で、異端を排除していく気風も生じた。というよりも、正統識の純粋培養の中で、自らが異端派を創り出してしまうのだ。すなわち、三鳥(さんちょう)派とか堅樹(けんじゅ)派……等々の異端が興門派(とくに大石寺系)の中から生じてくる。

 三鳥派は大石寺18世の了源日精(1600-83)の愛弟子だった三鳥院日秀を派祖とするグループだが、寛文年間(1661-73)に初めて邪法として「仕置(しおき)」された。江戸時代、徳川幕府は切支丹(きりしたん)と不受不施(ふじゅふせ)と、この三鳥派を幕府指定の「邪宗門」としたが、この三つの宗教の場合、信徒の疑惑がもたれただけで逮捕し処することができた。

 とくに、三鳥派はまだ芽のうちに摘んでしまえとばかり厳しく弾圧され、そのあまりの厳しさのため、取り締まった側の寺社奉行にもその教義・行法(ぎょうほう)がわからなくなってしまった。いわば〈謎の宗教〉である。ただいえることは、宗祖日蓮へ回帰していく過程で日蓮そのものを突き抜け、当時の大石寺およびその周辺に漂(ただよ)っていた法華神道富士信仰の要素を強めてしまったらしいということだ。さらに、法の中で結束力の強化のため共同体的志向が濃厚となり、三鳥派の最期の組織者だった玄了は、流刑地の八丈島で一種の流人コンミューンを夢見て元文2年(1737)3の八丈島最大の流人騒動に巻き込まれて死罪判決を受け、半年後の同年1011日、底土(そこど)の断崖から荒波の洗う岩場へ突き落とされている。

 いっぽう、同じ大石寺系の堅樹派の場合、日蓮・日興・日目の御三尊の原点へ還ろうとする宗教改革から発したようだ。すなわち、自らの派の中に大石寺の信の堅い樹であることを示そうとしたのが、その改革運動の指導者の堅樹院日好(1739-1812)だった。しかし、宗旨人別帳による寺請制度というの〈国家教体制〉の中で、幕府の走狗と化してしまった大石寺は日好を異端派として告発し、寺社奉行の手に委ねてしまうのだ。

 こうして日好は安永5年(1776)2、37歳のとき三宅島へ流され、さらに島内から本土の信者組織に手紙を出した罪を問われて寛政6年(1794)8、利(と)島へ島替えさせられた。それは一種の目上の理由で、実際はその頃、三宅島へ相次いで不受不施やその他の宗教犯が流されていたが、幕府当局は彼らが三宅島で接触するのを恐れて、事前に「島替え」をしたらしい。そして日好は、利島の日蓮宗・長久寺の過去帳によれば、文化9年(1812)128日、行年74歳で遷化(せんげ)している。

 その後、幕末の嘉永2年(1849)4、堅樹派の在家組織「完器講」の講主・(後藤)増十郎が三宅島へ流されている。彼は明治3年に赦免されて東京へ戻って布教を再開するが、創価学会の前身の創価教育学会を創立した牧口常三郎日蓮正宗へ導いた三谷素啓(みたに・そけい)という人は、一説ではこの堅樹派=完器講の系統から出てきたといわれている。


 いま、わたしの机の上に一冊の本がある。堀日亨/編『富士宗学要集・第9巻 資料類聚2』(創価学会昭和53年12刊)である。わたしはその214〜246ページを、しばしばめくることがある。そこには「上編 第十章 異流義」として、三鳥派と堅樹派のことが紹介されているからである。

 もともと、わたしは大石寺法門とは無縁の人間である。にもかかわらず、大石寺法門の〈異端〉である三鳥派と堅樹派に興味をおぼえるのは、彼らがわたしの民俗学のフィールドである伊豆諸島へ流されていたからである。すなわち、流人研究をしている過程での、あくまでも一種の副産物なのである。そして、不受不施や、吐菩加美(とほかみ)神道の井上正鐵(まさかね/1798-1861)、如来教の金木大隅(かねき・おおすみ/1781-1849)、烏伝(からすづたえ)神道の梅辻規清(うめつじ・のりきよ/1798-1861)らと同じように、彼らにい入れをしてしまったのである。

 ここで注目しなければならないのは、この本が大石寺法門の異端派を「異流義(いりゅうぎ)」の辞でよんでいることである。じつは、江戸時代、教各派の本山は自己の内なる異端の発生を、「新義異説」とか「異流義」として寺社奉行へ告発すれば、切支丹や不受不施や、三鳥派でなくても「遠島」にしてもらうことが可能であった、という事実である。この「異流義」の罪で流刑にされた宗教犯が最も多かったのが、不受不施を除くと、三鳥派・堅樹派を含めた大石寺系だった、ということである。いうなれば、〈異流義〉という語の中に、大石寺が持つ闇の部分というか、罪との契機が内包しているのである。したがって、三鳥派や堅樹派の人びとの・志操をみようとはせず、ただたんに大石寺の宗教的権威に寄りすがっての、ア・プリオリな〈異流義〉判断をしてしまうと、その人は江戸時代の寺社奉行の位相に自らを置いてしまうことにもなりかねないのである。


【『大石寺の「罪と罰」』玉井禮一郎〈たまい・れいいちろう〉(たまいらぼ出版、1997年)所収】

大石寺の「罪と罰」

2009-04-28

記事訂正


 以下の記事を訂正した。重要な訂正なので参照されたし。

身体感覚の喪失体験


「私は混沌とした融合しそうな世界から、私を私自身として浮かび上がらそうとした。しかし、それは徒労であった。一瞬気力が失せた時、私は世界に融合した。あたかも流れてとけ込むようであった。世界にとけ込みながら私は発病したとった。私はどうなるのだろうか。私と密な関係にあるみんなに、何も残せないままで消える。私はうつろいでいて、やがて、無になった。そして無であることすらも消えてしまった。

 無限なのか瞬時なのか、時の流れがじられない。そこに消えていた私が、私というものになって点のように生まれてきた。私というものが流れに添って(ママ)モコモコと肥大化してきた。私というものができ上がったようである。私があるのは分かるのだが、私がいるのが分からない。私は私の所在を突き止めようと、必死にもがいた。

 私がどこにも位置しないで、暗黒の中で浮遊し漂っていた。識だけがあり、その識が不安定というものでつくられていた。不安定であるというその識は鮮明であった。鮮明であるがゆえに、とどまることのできる位置を必要としていた。

 私は遊離していた。暗黒に浮かんでいるようであった。不安とか恐怖とは異なる、ネガティブ情が生まれてきた。やがて私とネガティブな情とが分離した。分離してもそれはいずれもが私であった。私は細分化していくのであった……。

 私の体が椅子のようなものに座っていた。座っているというよりも置かれているようであった。重いというじだけが何とか伝わってきた。体がまったく力の入らない状態で、椅子にボッテリとへばりついていた。そこでは再び考えることができた。私はどうなったのだろう。私は死ぬのだろうか。そうだ、私は死につつあるのだ……これは確信であった。ここで少し記憶を辿ることができた。時間識することがわずかだができたのだ。私には妻も子どももいるのだ。いいのだろうか、私、30歳、そう私は30歳なのだ、これからなのに、これからなのに、これからなのに……。

 私は私の全体の輪郭をじとることができた。それは覚の輪郭であった。薄ぼんやりと外の世界が、私に伝わってきた。そこでは世界が断片化されていた。断片のひとつひとつが、見え隠れしていた。やがてすべての断片が寄り集まって、それが一枚の大きな世界になった。紙をクシャクシャにしたようなものが動いた。そいつが私に覆いかぶさってくるようだ。そいつは人らしかった。平面的ではるが、2カ所が大きくへこんでいた。

 何かが私の中に入ってきた。それはだった。私はうつろであった。世界にものがぽつぽつ浮かんできた。それらは平坦な世界から、浮かび上がってきて、三次元の形状を持つのであった。人の顔の輪郭がはっきりしてきた。左手に強い痛みをじた。点滴の針があらぬところに刺さっていた。私ははっきりと背中をじた。それはまぎれもない私の背中であった。

 私に覆いかぶさっていたのは私の友人だった。大きくへこんでいた2カ所は彼の目と口であった。〈気がつきましたか〉と友人がをかけてくれた。ようやく麻酔からさめることができたのだ。とてつもなく長い痛であった。夢なのか、考なのか、幻覚なのか、幻なのか区別がまったくつかなかった」


 これは、手術を受けた患者が、麻酔から醒めた時の様子を語ってくれたものです。


【『自閉症の子どもたち は本当に閉ざされているのか』酒木保〈さかき・たもつ〉(PHP新書、2001年)】

自閉症の子どもたち―心は本当に閉ざされているのか (PHP新書)

2009-04-27

社会的チキンゲーム


国際政治学者●チキンゲームでは、どちらかが避けなければ二人とも死んでしまうわけですが、これが多人数になったものを「社会的チキンゲーム」と呼びます。

 社会的チキンゲームでは、誰か一人が全員の利益になるような犠牲にならなければなりません。もし誰も犠牲にならなければ、全員が被害を受けるのです。


司会者●具体例で説明していただけますか?


国際政治学者●有なのは、誰か一人が犠牲にならなければ沈んでしまう救命ボートの状況ですね。もし全員がボートにしがみついていたらボートは沈んで全員が溺れてしまう。


【『理の限界 不可能・確定・不完全高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、2008年)】

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

2009-04-26

精神疾患は脳の病気か?


 驚くべきことに、ほとんどの精神疾患患者で、化学的なバランスのくずれがあるという確かな証拠はなにもない。それにもかかわらず、多くの医師は患者に、化学的なバランスのくずれがあるというふうに説明する。だが、生きている人間の脳の化学的な状態を評価するための検査法は、存在しないのが現実だ。死亡した精神疾患患者の脳において、ある種の神経伝達物質の活の過剰・不足があったという報告はあるが、そのような関係が見つからないという研究者もいて、決定的ではない。せいぜいのところ、多数の患者から得たデータの平均的な傾向ということにすぎないし、こうした研究において多くの患者の脳の神経化学的現象は調べたところまったく正常だったので、彼らの精神的な問題が化学的なバランスのくずれからきていると論じるのはしい。

 また、「正常な」人、すなわち精神障害の病歴がない人の脳の神経伝達物質の活が過剰または不足の兆候があることさえある。さて、ここで一つ認識しておかねばならないのは、化学的な異常がある種の精神疾患の発生と大いに関連があるということが明らかになったとしても、それをどう解釈すべきかがわかったわけではないということである。そのような化学的な「異常」は、病気の原因というより、ある精神疾患にともなうストレスや行動上の特色によって引き起こされたのかもしれない。さらに、向精神薬自体が、化学的なバランスのくずれを生じさせることもあることもよく知られている。精神疾患の「原因」と「結果」が混同されがちである。


【『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン/功刀浩監修、中塚公子訳(みすず書房、2008年)】

精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構

2009-04-25

小説『人間革命』全12巻を3ヶ月間で読む


 前回の「観察者であれ」を書いたところ、数件の情が寄せられた。曰く、「一年で何もつかめなかった私はダメなのでしょうか?」と。返事を出す気にもならないので、ここに書いておこう。ダメだね。ああ、ダメだとも。ダメ×2(「ダメダメ」と読んでね)野郎だな。


 一年間も働いて、仕事ができないサラリーマンが存在するだろうか? いるわけがない。もし、いたとすれば即刻クビになっていることだろう。人件費を初めとするコストが損益分岐点を割ってしまえば、企の存続自体が危うくなる。


 致命的なのは、「ダメなのでしょうか?」と自分の評価を他人の手に委ねている点だ。「自分のレッテルくらい、自分で貼れ」と言っておきたい。私がダメだと言ったところで、「ようし、じゃあ俺が、小野の主張を引っ繰り返してみせる!」という程度の根を見せたらどうなんだ?


 弱い人間は惰弱な行為によって、弱い人間としての(ごう)を強化していることに気づいていない。言っていいことと、悪いことがあるのだ。


 では、「人材育成マニュアル」の第3回目を始める。


 小説『人間革命』全12巻を3ヶ間で読破すること。『新・人間革命』は後回しで構わない。まずは、『人間革命』からだ。


【※余談になるが数年前、一番下の弟から「『人間革命』第2巻の単行本が発行されていないが、何か理由があるのか?」と尋ねられた。私は答えられなかった。そんな事実すら知らなかったのだ。で、今再び調べてみた。何と、『人間革命』の単行本はすべて絶版となっていた。売り上げが問題なのか、宗門に関する記述が問題なのかはわからない。だが、いずれにしても聖教新聞社の姿勢はよくない】


 私が初めて『人間革命』を読んだのは高校3年の時だった。前に紹介した通り、私は自立した暁には別の宗教に鞍替えしようと目論んでいた。しかしながら、学会のことすらよくわかっていなかった。で、創価学会以上の宗教を探すためにも(笑)、まず学会のことを知ろうとったのだ。1巻から2巻までが辛かった。3巻で山本伸一という青年が登場した。私は母(当時、支部婦人部長)に訊いた。「山本伸一って人は今でもいるの?」と。母は高笑いしてから答えた。「馬鹿でないの、お前。池田先生のことに決まっているでしょ」――この時の私の衝撃は、「ゲッ」という文字を2万ポイントにしたようなものであった。私は「小説」だとばかりい込んでいた。先生も「前書き」でそう書いていた。もしも、18歳の私が先生に会う機会があったとすれば、「先生、ずるいよずるいよ〜」と言って先生の脇腹を肘(ひじ)でつついたことだろう。


 そして一気に読了した。私の人生はその時決まった。否、私自身が変わってしまった。私はバレー部の部室で、毎日のように『人間革命』の講義をした。動のあまり、現代国語の先生に文を提出しようとしたほどだった。念の為、母に相談したが、後日「お父さんが、やめておけって言ってたよ」ということで結局出さずじまいに終わった。


 翌年も、翌々年も私は読んだ。というわけで、3年間続けて、小説『人間革命』を読むことを提案しておく。ちなみに私は7回読んでいる。

権威に取り込まれる様相


「無責任の構造」は、じつは長い時間をかけて作られている。

 いちばん最初になにか問題が起こり、それを提起した人がいるとする。そうすると上部から働きかけがあり、

「君の言っていることはわかる。しかし、急にはどうにもできない。いますぐこれに対応するということになると、そのために社全体がどうにもならなくなる可能もある。ここは少し時間をくれないか。君がこれをいま主張すると、社内には不穏分子がいてそれに便乗したり、マスコミの格好の餌食になったりしかねない。長期的には君の指摘のようになるようにしようじゃないか」

 というようなことで、一度「静かにする」ようにソフトな圧力がかかる。

 それで、いったん、主張を収めると、したたかな上部なら、それに直接報いたりしない。直接報いたりすると、そのことが、「黙ることにした」ことの罪悪を刺激して、逆効果になりうることを経験上、知っているからである。したたかな上部なら、しばらく時間が経過した後に、間接的な方法でひかえ目な程度に報いてくるのである。

 ここで、「時間の経過」「間接的な方法」「ひかえ目な報酬」が大切な三要素である。時間が経過するうちに、「上もきちんと考えているのだろう」「自分の言ったことは、とりあえず味があった」という具合に、「黙ることにした」ことへの内的合理化をし始めるからである。「間接的な報酬」は、自分が買収されたというような罪悪を弱め、「自分は会社に(人材として)買われているのだ」という自己認知の材料となる。そして「ひかえ目な報酬」がそれらを内的価値として内面化させるのである。

 このようにして、「無責任の構造」を内面化させた人は、次に自分と同様の問題提起をする人に、同じようなアプローチをする。

「君の言っていることは正しい。じつは、俺も、同じことを2年前に提起したのだよ。けれども、これは急には解決できない……」

「俺のアドバイスを聞け。それが結局君のためだということは俺がいちばんよく知っている……」

 という具合である。なんのことはない。2年間、問題の解決に向けて具体的な努力が皆無であったことはさておいて、「無責任の構造」の手先に、いつの間にかなっているわけである。


【『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一〈おかもと・こういち〉(PHP新書、2001年)】

無責任の構造―モラル・ハザードへの知的戦略 (PHP新書 (141))

2009-04-24

創価学会の日


 那由他楽人君が興味深いことを書いていた。

 早速調べたところ、「創価学会の日」という言葉が公式に使われたのは、会長勇退の翌年に当たる昭和55年(1980年)であることが判明した。


 この“「創価学会の日」記勤行会”は関西文化会館で開催された(参加者2000人)。東京にとっては痛恨の歴史といってよい。


 ともあれ、戸田先生の広布への宣言の日である「5.3」を、私は「創価学会の日」と決めさせていただいた。

 毎年、この「5.3」を迎えるたびに、私どもは「偉大な自覚」と「偉大な確信」を一段と強めながら、晴れ晴れと集い、また、晴れ晴れと出発してまいりたい。

「自覚」ある人は強い。不屈である。無限の知恵が湧いてくる。そして、「確信」ある人は強い。何ものも恐れない。無量の力があふれてくる。無辺の福運に包まれてゆく。

 それが、偉大なる御本の「子」としての、素晴らしき功徳であり、栄誉なのである。


【「創価学会の日」記勤行会 1989-05-03 創価大学中央体育館】


 5.3の淵源は昭和26年53日にあり、この時、創価学会発迹顕本した。

真理


 私が真理を発見したのではない。真理が長い間の隠蔽(いんぺい)に耐えかねて、私に語りかけてきたのである。


【『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛(新潮社、1972年/新潮文庫、1981年)】


隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

2009-04-23

社会的成功


 功徳が社会的成功を味するようになってから、組織の序列は信以外の何ものかに変わった。それ以降、成果主義とは組織内における社会的成功を味するようになった。私はこれを“法の資本主義化”とづける。矮小化された教義はわかりやすいが、法の豊かな精神を奪い去った。そして、数字だけが求められた。人材は皆、広布の営マンと化した。人間よりも力が幅を利かせた。組織は人柄のいいのび太よりも、結果を出せるジャイアンを求めた。また、わしい成果を出せない組織はドラえもんを求めた。ポケットから出てくるのは啓蒙用紙だ(ニヤリ)。


 真の功徳は言葉にならない。これを「妙」と称する。功徳とは競うべき質のものではないのだ。御書に云く、「一生はゆめの上明日をごせずいかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給うべからず」(1163頁)と。大聖人は「乞食(こつじき)」になることを容認されている。「乞食」になることが謗法とは一言もいっていないのだ。つまり、乞食=法華経に傷をつける、という構図になっていない。であるがゆえに、たとえホームレスになったとしても、功徳を引き出すことは可能である。ま、聖教新聞の記事にはならないだろうけどね(笑)。本当の功徳は、自分と御本尊だけが知ればいい世界だ。

隠れているもの、見えないもの


 ホースの角度をちょっと変えると、縁側からも小さな虹を見ることができた。太陽の光の七つの色。それはいつもは見えないけれど、たったひと筋の水の流れによって姿を現す。光はもともとあったのに、その色は隠れていたのだ。たぶん、この世界には隠れているもの、見えないものがいっぱいあるんだろう。虹のように、ほんのちょっとしたことで姿を現してくれるものもあれば、長くてつらい道のりの果てに、やっと出会えるものもあるに違いない。ぼくが見つけるのを待っている何かが、今もどこかにひっそりと隠れているのだろうか。


【『夏の庭 The Friends』湯本香樹実(徳間書店、2001年)】

夏の庭―The Friends 夏の庭―The Friends (新潮文庫)

(左が単行本、右が文庫本)

2009-04-22

大胆と臆病


 グッピーを、コクチバスと出会わせたときの反応によって、すぐ隠れる個体を「臆病」、泳いで去る個体を「普通」、やってきた相手を見つめる個体を「大胆」と、三つのグループに分ける。それぞれのグループのグッピーたちをバスと一緒に水槽に入れて放置しておく。60時間ののち、「臆病」なグッピーたちの40パーセントと「普通」なグッピーたちの15パーセントは生存していたが、「大胆」なグッピーは1匹も残っていなかった。


【『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ/長谷川眞理子、長谷川寿一、青木千里訳(新曜社、2001年)】

病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解

2009-04-21

志を継ぐ


 2世の生きざまを教えられる。己(おの)が命を軽くしてまで、父は子に忠のあり方を教えた。周五郎の作品には、「の凄まじさ」がある。


 光圀(※みつくに)は胸いっぱいの動にうたれていた。人間のがこれほどひとすじにつき詰められるものだろうか、この君こそといきわめ、まずおのれの命を抛(なげう)って子孫の生きる道を示す。戦場ならかくべつだが、太平の世にこれだけの覚悟をつけるのはたやすいことではない。――かえすがえすも惜しい者を殺した。まざまざと十六年まえの後悔をいうかべながら光圀はしずかにうなずいた。(「水戸梅譜」)


【『日日平安』山本周五郎(新潮文庫、1965年)】

日日平安 (新潮文庫)

2009-04-20

パフォーマンス


 数日前から、「ブリテンズ・ゴット・タレント 2009」の映像を何度も繰り返し観ている。わずか2〜3分の時間でここまで人を動させることができることに、改めて驚かされる。しかも素人にもかかわらずだ。私はテレビを殆ど観ない。テレビのコンセントを外してから半年以上になる。そんな私を釘付けにする何かが「ブリテンズ・ゴット・タレント」にはある。既に何十回も観ている。


 まずは、父と子のアイリッシュ・ダンス。座談会に来てもらいたいものだ――

 続いて本格派のダンス。いやあ、凄いよ――

 時にはこんな厳しい場面もある――

 そして、今回優勝したのは47歳の女だった――


47歳独身女、世界を驚かす=英TV番組で超絶歌唱力披露


【ロンドン】英国のオーディション番組に出た47歳の冴えないじのスコットランド人女が、見事な歌いっぷりを披露して世界中にセンセーションを巻き起こした。動画投稿サイト「ユーチューブ」では16日までに、この女のビデオクリップが1200万回以上も再生され、クリップを見た米女優デミ・ムーアは動のあまり涙したほど。さっそく録音契約の話が持ち上がっているという。

 この女はスコットランドのウェストロージアンで慈善事ボランティアをしているスーザン・ボイルさん。先週、グラスゴーの会場で行われた番組では、歌う前に舞台裏で「『ペブルズ』というの猫と暮らしているの。結婚したことはないし、キスしたこともないわ。大勢の聴衆の前で歌いたいとっていたの」と話したボイルさんだが、いざステージに登場すると、その冴えない様子に客席からは忍び笑いが漏れた。

 しかし、英ミュージカル女優エレイン・ペイジのようになるのが夢と語ったボイルさんがミュージカル「レ・ミゼラブル」の「アイ・ドリームド・ア・ドリーム」を歌いだすと、3人の審査員は明らかにショックを受けた表情となり、観客は総立ちになった。審査員のピアース・モーガン氏は「この番組を3年やっているが、疑いなく最大の驚きだ。歌う前はみんながあなたのことを笑っていたが、今はもう誰も笑っていない。すごいことだ」と絶賛。PA通信によると、別の審査員サイモン・カウエル氏は録音契約に向けて動いているという。

 番組が民放テレビのものだったためか、英国ではライバルのテレビ局がボイルさんのことをあまり取り上げなかったのに対し、米国の CNNテレビやサンフランシスコ・クロニクル紙、オーストラリアのヘラルド・サン紙などはこぞって報道。また、映像クリップを見たデミ・ムーアは「涙が出た」とネット上にコメントを寄せた。ボイルさんが歌ったのと同じ歌は英国でシングルのヒットチャート入りをしたそうだ。


AFP=時事 2009-04-17

 その他の映像は、こちら――

 もっと観たい人は、番組公式サイトのトップページ右上の画面から。

2009-04-19

無責任の構造


 組織のあるところには、必ず「無責任の構造」がひそんでいる。この問題は人間社会の永遠普遍の悩みであり、課題である。しかし、現在の日本の産界を見ると、バブル経済の時代にそれが深刻化して今日の大きなツケになっている観が強い。

 一連の証券会社の不祥事は、特定の顧客にだけ損失補填をしていたという「無責任の構造」を抱えていた。銀行の不祥事は、融資審査で本来はとおしてはいけない案件をとおし、不良債権化する可能の高い融資案件は自社系のノンバンク押しつけていたという問題に代表される。乳製品会社の不祥事は、品質管理に関わる管理基準を守らないことが日常化していたところに端を発する。自動車メーカーはリコール隠しをし、老舗百貨店の倒産は、無理な経営展開を大規模にしすぎ、ワンマン体制のため、それにノーを唱える人がいなかったという構造の結果である。

 民間企だけではない。警察までもが、刑事事件の被害者家族からの捜査依頼に対応せず、しかも被害届の改ざんまでしていたという。さらに、医療現場も、投薬ミスで患者を死亡させるという、恐るべき「無責任の構造」を呈している。私が事故調査委員として関わりをもったJCOの臨界事故(1999年)もじつは、この種の一つにすぎない。

 これらも、まだまだ氷山の一角にすぎないだろう。

 このような事例は、外形的には「不正な状況判断」と「倫理規範違反」という形をとっているが、実際には、盲目的な同調や服従が理的な規範となり、良的に問題をじる人たちのを圧殺し、をあげる人たちを排除していく構造をもつ。

 これを本書では「無責任の構造」と呼ぶ。

「無責任の構造」は、人間社会が古くからもつ病巣の一つである。

 一つ一つの社会的無責任には、その無責任に内部でをあげようとして、さまざまな形で圧殺されてきた多くのなきがある。良の喘(あえ)ぎがある。

「無責任の構造」は、その構造を容認する人を飼い慣らす。飼い慣らされることを拒否した人は、自己の良を鈍麻(どんま)させて沈黙したり、あるいは、職場を去ることを余儀なくされたりして、システムから除外されていく。そのような形で、「無責任の構造」は静かに増殖し巨大化するのである。


【『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一〈おかもと・こういち〉(PHP新書、2001年)】

無責任の構造―モラル・ハザードへの知的戦略 (PHP新書 (141))

2009-04-18

喧嘩


 閉ぢようとするをどうしても明けようとする

 さういふ喧嘩の出来る奴だ。


【「ミシエル・オオクレエルを読む」/『高村光太郎詩集』高村光太郎(岩波文庫、1981年)】

高村光太郎詩集 (岩波文庫)

2009-04-17

組織の存在価値は外部世界にある


 ドラッカーはさらに説く。実は、顧客よりもさらに重要な人たちがいる。ノンカスタマー、すなわち顧客になっていて不議でないにもかかわらず、顧客になっていない人たちである。変化は、彼らノンカスタマーから起こる。


【『ドラッカー入門 万人のための帝王学を求めて』上田惇生〈うえだ・あつお〉(ダイヤモンド社、2006年)以下同】


 ドラッカーは、組織の存在価値は組織の外部の世界にある、組織の成果は外部にあると口を酸っぱくしていってきた。組織は一義的には社会のためのものである。そこにいる人たちのためのものではない。しかしこの当然のことが忘れられる。顧客よりも上役という考では明日はない。

 これは何も企に限ったことではない。あらゆる組織についていえることである。公僕たる政府機関にその事例が見られるとあっては、何をかいわんやである。

ドラッカー入門―万人のための帝王学を求めて

2009-04-16

校正


 幼い頃から本に慣れ親しんできたせいか、私は誤字に敏である。

 一度誤字に気がつくと、活字といえども「間違いがある」という前提で読むようになる。本を開くたびに、「疑って掛かる」態度がしぜんと身につく。一冊の本を読み終えるまでに数十ヶ所の誤りを見つけることも珍しくはない。これが、いい加減な仕事ぶりのバロメーターになっているともう。もちろん、著者ではなく出版社の。


 時折、出版社に教えてあげることがある。私はミスター親切だ――というのは嘘だ。「これほどの良書に瑕疵(かし)があってはならない」という場合に限り、メールで連絡する。


 少し前になるが二つの出版社に連絡をした。河出書房新社の編集部からは翌日に丁重な返事がきた。そこにはミスの経緯まで紹介した上で、「原文との確認作を行った私の責任です」と綴られていた。これについては増刷分から訂正される予定。一方、PHPは梨(なし)のつぶて。二度と教えてやるものか。


 教訓――誠実な対応が味方をつくり、不誠実な対応が敵をつくる。そして責任の強い人は潔い。

感化


 ジョセフは馬小児(ましょうじ/※下僕の前)に祈祷を教えた。ジョセフは毎日早く起きて、諳記している聖書の文句を繰返し唱えた。それを聞いている間に、馬小児の気持は次第に平穏を取戻して来た。ジョセフの様子にはいささかも取乱したところがなく、常に快活であり、下僕に対しても丁寧であった。頸と手につながれた重い鎖を、かたわらから支えてやろうとしても、着物を着かえる時と身体の運動をする時の外はいつもことわった。

 ――私は罪深い罪人である。この罪はこの世において贖(あがな)わなければならない。

 こういってジョセフはひたすら、カトリック戒律を守った。肉類は一箸も手をつけずにそのまま馬小児に与えた。獄中で暦もなく、日取りを間違えて精進潔斎の掟を破りはしないかと恐れたのである。独房の中は、もはや牢獄ではなくて神聖な宗教の道場であるかに見えた。

 スーヌ一族の財産没収の結果、奴碑として主人の所有物にすぎなかったこの下僕馬小児も、当然ジョセフから取上げて他の新しい主人に下賜された。彼は独房の勤務から解放され、2年余の監禁生活から自由な社会に送り出された。しかし彼は別にそれを幸福だともじなかった。かえってこのいやりの深い主人から離れるのが辛かった。彼は早速西洋人の天主堂に駆けつけて洗礼を受け、看守の兵隊に頼んで、高塀の穴から主人の面影を伺うのを唯一の慰みとしていた。


【『雍正帝(ようせいてい) 中国の独裁君主』宮崎市定〈みやざき・いちさだ〉(岩波新書、1950年/中公文庫、1996年)】

雍正帝―中国の独裁君主 (中公文庫)

2009-04-15

ダイエットという脅迫観念


 ダイエット脅迫からくる摂食障害、そこにはあまりに多くの観たちが群れ、折り重なり、錯綜している。たとえば、社会が押しつけてくる「女らしさ」というイメージの拒絶、言い換えると、「成熟した女」のイメージを削ぎ落とした少女のような脱─的な像へとじぶんを同化しようとすること。ヴィタミン、カロリー、血糖値、中脂肪、食物繊維などへの知識と、そこに潜む「健康」幻の倫理的テロリズム。老いること、衰えることへの不安、つまり、ヒトであれモノであれ、なにかの価値を生むことができることがその存在の価値であるという、近代社会の生産主義的な考え方。他人の注目を浴びたいというファッションの識、つまり皮下脂肪が少なく、エクササイズによって鍛えられ、引き締まった身体というあのパーフェクト・ボディの幻。ボディだってデザインできる、からだだって着替えられるというかたちで、じぶんの存在がじぶんのものであることを確認するしかもはや手がないという、追いつめられた自己破壊と自己救済の識。他人に認められたい、異にとっての「そそる」対象でありたいという切ない願望……。

 そして、ひょっとしたら数字フェティシズムも。識的な減量はたしかに達成をともなうが、それにのめりこむうちに数字そのものに関が移動していって、ひとは数字の奴隷になる。数字が減ることじたいが楽しみになるのだ。同様のことは、病院での血液検査(GPTだのコレステロール値だの中脂肪値だのといった数値)、学校での偏差値、競技でのスピード記録、会社での販売成績、わが家の貯金額……についても言えるだろう。あるいはもっと別の原因もあるかもしれないが、こういうことがぜんぶ重なって、ダイエットという脅迫観が人びとの識をがんじがらめにしている。


【『悲鳴をあげる身体』鷲田清一(PHP新書、1998年)】

悲鳴をあげる身体 (PHP新書)

2009-04-14

パレスチナの現実


 世界の現実も知らずに、“世界広布”を叫ぶ学会員が多すぎる。私も含めて。


 彼の子は「平和の種子(シード・オブ・ピース)」という国際的な非暴力の平和運動に属していた。それはすべての対立を、対話によって解決しようという運動だった。

 1999年「平和の種子」に参加するイスラエルのユダヤ人と、占領地のパレスチナ人、そしてイスラエルの中のパレスチナ人たちが、一緒にアメリカに行って、キャンプを過ごした。そこで自分たちの言い分を相手にぶつけて、徹底的な話し合いがされた。理解はなかなか深まらなかった。

 やがてキャンプが終わった後、パレスチナ人の民キャンプにユダヤ人の若者が訪ねたり、反対に民キャンプの少女がユダヤ人の町を訪ねていくようになった。そこは昔の自分の父親、母親が追い出された町だった。若者たちの間で、すこしずつ相手への理解が始まった。(中略)

 アラバ村の14歳の少年は、このキャンプに参加していた。

 そして第二次インティファーダ(※民衆蜂起)が勃発する。

 彼のアラバ村に、イスラエル兵が押し寄せてきて、銃を発射し始めたとき、彼はパレスチナ人の若者たちに石を投げるのを止めさせようとした。挑発には乗るな、ほかの解決の仕方をとるべきだと彼は叫んだ。

 イスラエル兵が村に突入した。石を投げた若者たちは逃げた。少年は捕らえられて銃で殴られ、倒れた。すべては父親の目の前で起こった。イスラエル兵は銃をつきつけた。少年は「お父さん! 助けて」と叫んだ。そのあとイスラエル兵は彼に実弾を発射した。


【『パレスチナ 新版』広河隆一〈ひろかわ・りゅういち〉(岩波新書、2002年)】

パレスチナ新版 (岩波新書)

2009-04-13

観察者であれ


 本テキストは学会2世、3世を対象としている。なぜなら、私が2世であるためだ。つまり、学会員ではない立場を経験したことがない。若くして入会したメンバーについては、同様の先輩に当たった方がいいかもね。


 人材となるべき姿勢を示す。それは、徹して「観察者であれ」ということだ。自己主張は控えよ。君の価値観はまだ形成されてないのだから。自分の判断力を過信してはいけない。むしろ、判断力を欠いている事実を受け容れるべきだ。


 若さとは伸び行く力であり、拙(つたな)さでもある。これが現実だ。若いというだけで可能があるのは確かだ。しかしよく考えてみよう。一枚の紙にだって可能はある。文豪によって作が書かれる可能もあれば、単なるゴミになる可能もある。後者の可能の方が高いとうがどうだろう?


 君は学会のことを知らなければ、信のこともよくわかっていない。一番肝なことは、「よりよい人生を獲得するために、学会が使えるかどうか」である。君はたまたま学会員の家に生まれただけであって、自ら信仰を選択したわけではない。何を隠そうこの私も自立した暁(あかつき)には、「もっと楽な宗教」に鞍(くら)替えしようとたくらんだこともあった。本当の話だ。少なからず功徳があることは少年時代から確信していたが、五座三座の勤行(当時)が面倒で仕方がなかったのだ。


 学生部や男子部の先輩は温かく君を迎えてくれることだろう。だが実際の君は戦力ですらない。結集の頭数に入っている程度の存在だ。その立場を逆手にとって客観的に観察するのだ。最初のうちは傍観者であっても構わない。


 一人ひとりの先輩を、一回一回の会合を観察する。いい人もいれば、ろくでもない奴もいるだろう。歓喜に満ちた会合もあれば、参加したことを悔やむような退屈な会合もあるに違いない。その時々に自分がじた理由を見極める作が不可欠なのだ。もう少し具体的に言えば、「自分だったら、こうするのにな」というアイディアを練る作だ。


 観察する期間は一年だ。ま、もっと短くても構わない。一年で何もつかめないような者は、何年経ってもダメだろう。


 また、勇んで観察しなければならない。遠慮なくどんどん先輩の懐(ふところ)に飛び込んで、信と学会の何たるかを学ぶべきだ。物理学の世界において温度は粒子の平均エネルギー――すなわち速さ――に変換される。遅い行動は熱を失ってゆく。


 十界論から展開すれば、論理(聞)→直観(縁覚)→行動(菩薩)という軌跡を辿るのが理だとう。

真の思索者は権威を認めず


 したがってこのかぎりでは、真の索者は君主に類似している。彼は誰の力も借りず独立の地位を保ち、自らの上に立つ者はいかなる者も認めない。その判断は君主が決定する場合のように自らの絶対的権力から下され、自分自身にその根拠をもつ。すなわち君主が他人の命令を承認しないように、索者は権威を認めず、自分で真なることを確かめたこと以外は承認しないのである。

 ところが、その他大勢的な頭脳の所有者たちは、世間通用のあらゆる見や偏見、権威にとらわれていて、法や命令に黙々と服従する民衆に近い。(「索」)


【『読書について』ショウペンハウエル/斎藤忍随〈さいとう・にんずい〉訳(岩波文庫、1960年)】

読書について 他二篇 (岩波文庫)

2009-04-12

不完全性定理


 このように、いかに題であっても、数学の問題は、真か偽のどちらかに違いない。したがって、数学的真理は、いつかは必ず証明されるようにわれる。

 ところが、実は、そうではないのである。不完全定理の重要な帰結の一つは、数学の世界においても、「真理」と「証明」が完全には一致しないことを明確に示した点にある。しかも、ゲーデルは、ただ完全に一致しないという結論だけを示したわけではない。彼は、一般の数学システムSに対して、真であるにもかかわらず、そのシステムでは証明できない命題Gを、Sの内部に構成する方法を示したのである。

 つまり、命題Gは、真であることはわかっているが、数学システムSではとらえきれない。それでは、SにGを加えて、新たなシステムを作ればよいとわれるかもしれない。しかし、その新しい数学システムには、さらに別の証明不可能な命題を構成できるのである。これをいくら繰り返して新たな数学システムを作っても、ゲーデルの方法を用いて、そのシステム内部でとらえきれない命題を構成できる。したがって、すべての数学的な真理を証明するシステムは、永遠に存在しないのである。


【『ゲーデル哲学 不完全定理と神の存在論』高橋昌一郎(講談社現代新書、1999年)】

ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論 (講談社現代新書)

2009-04-11

「創価スピリット」が3000部に


 4月9日に発行したNo.1305で、3005部となっていた。何だかんだと言いながら、発行してから5年半も経過している。最近は発信が滞っているが、何とか頑張ってゆきたい。購読者の方々により御礼申し上げる。尚、メールマガジンにそのまま返信すれば、私にメールが届くようになっている。ご見があれば、ご遠慮なく。

信賞必罰


 規律や信賞必を欠いて、組織の目的は果たせない。孫子といえば必ずこのエピソードが語られる。後世の創作だとわれるが、考えさせられることが多い。尚、現在に伝えられる孫子兵法を編んだのは、『三国志』に登場する曹操である。


孫子伝(『史記』巻六十五)


 孫子、〔そのを〕武という者は、斉(せい/今の山東省)の人である。兵法によって呉(ご)の国(長江下流地方)の王である闔廬(こうろ)にお目見えした。

 闔廬「そちの書いた十三篇は、わしもすっかり読んだが、〔実戦ではどうか、〕ちょっとためしに軍隊を指揮して見せてくれるかな。」

 答えて「よろしゅうございます。」というと、

 闔廬「女どもでためせるかな。」

 「よろしゅうございます。」

 そこで、特に許可を与えて宮中の美女を呼び出し、180人が集まった。孫子はそれを〔左右の〕二隊に分けると、王の愛姫(き)二人をそれぞれの隊長とならせ、一同に戟(ほこ)を持たせると、さて命令を下した。

 「お前たち、自分の胸と左右の手と背中とを知っておろう。」

 婦人たちが「知っております。」というと、

 孫子「前の合図をしたときは胸を見よ。左の合図をしたときは左手を見よ。右の合図をしたときは右手を見よ。後の合図をしたときは背中を見よ。」

 婦人たち「かしこまりました。」

 〔太鼓の合図の〕取り決めがいいわたされると、そこで〔兵士を統率するしるとして王から賜わった〕■(金+夫/おの)鉞(まさかり)をならべ、再三訓練して何度も申し伝えたうえで、はじめて右の合図の太鼓をうったが、婦人たちはどっと笑った。

 孫子「取り決めが徹底せず、申し伝えた命令がゆきとどかないのは、将軍〔たるわたくし〕の罪だ。」

 またくりかえして再三訓令し何度も申し伝えたうえで、左の合図の太鼓をうったが、婦人たちはまたどっと笑った。

 孫子「取り決めが徹底せず、申し伝えた命令がゆきとどかないのは、将軍の罪だが、すっかり徹底しているのにきまりのとおりにしないのは、監督の役人の罪だ。」

 そこで左の隊長と右の隊長とを斬り殺そうとした。呉王は高台の上から観ていたが、自分の愛姫(き)が殺されそうになったのでびっくり仰天、あわてて使いの者をやって伝えさせた。

 「将軍が立派に軍隊を指揮できることは、わしにはもうよく分かった。わしはこの二人の女がいなければ、ものを食べてもうまくない。どうか殺さないでほしい。」

 孫子「わたくし今や御命令をうけて将軍となっております。将軍が軍中にあるときは、君主の御命令とてもおききできないことがあるものです。」

 ついに二人の隊長を斬り殺して見せしめにすると、その次ぎの者を隊長とならせた。こうしてまた太鼓をうつと、こんどは婦人たちも左右前後から膝まずき立ち上りまで、みな定めどおりに整然としてをたてるものもなかった。

 そこで、孫子は使いをやって王に報告させた。

 「軍はすっかり整備されました。王さま、ためしに下りてきて御覧下さい。王さまのお望みどおりに動かせます。水火の中に行かせることでも、できましょう。」

 呉王は〔愛姫を殺されたのでがはれず〕「将軍は休をとって宿舎に帰られたい。わしは降りていって観る気がしない。」

 孫子「王さまはただ兵法のことばづらを好まれるだけで、兵法の実際の運用はおできにならないのですね。」

 こうして、闔廬は孫子が軍隊の指揮にすぐれていることを知ったので、ついに彼を〔呉の国の〕将軍とならせた。〔呉の国が〕西の方では強い楚の国(長江中流地方)を撃破してその都の郢(えい)に攻めこみ、北の方では斉(せい/今の山東省)や晋(しん/山西省・河南省)の国に勢威を示して、諸侯のあいだで有になったのも、孫子の働きによるところが大であった。


【『新訂 孫子』金谷治〈かなや・おさむ〉訳注(岩波文庫、2000年)】

孫子 (ワイド版岩波文庫) 新訂 孫子 (岩波文庫)

(※左がワイド版、右が文庫本)

2009-04-10

ライサ夫人


 そして、ゴルバチョフという人物を知る上で鍵を握っているのは、実は、亡くなった奥さんのライーサ・マクシーモヴァなんです。

 ゴルバチョフはモスクワ大学の法学部を卒しているのですが、ソ連時代の法学部というのは実は成績の一番悪い人の行くところだったんです。なぜかというと、法律を修めてもKGBか内務省以外に就職する先はないんです。たとえば弁護士になったとしても、ソ連では法廷で決めることといえば離婚の調停ぐらいしかなかったんです。ですから、法学部というのはあまり出世にも繋がらず、パッとしなかった。

 では、どの学部が一番出世に繋がるかというと、哲学部なんです。哲学部の中に科学的共産主義学科というのがありまして、そこを出ると共産党中央の中でも非常に上に行くんです。ゴルバチョフの奥さんのライーサは、その哲学部出身なんです。しかも、ソ連で最初に社会学を専門的に研究して、それで初めて世論調査をやった一人なんです。いま、全ロシア中央世論調査センター所長のユーリー・レバダという、ソ連時代からの世論調査の父のような人がいるんですが、私は彼とモスクワ時代に非常に親しくしていまして、彼から聞いた話ですが、このライーサの経歴と人脈が、大変ゴルバチョフの役に立ったのです。


【『国家の崩壊』佐藤優宮崎学(にんげん出版、2006年)】

国家の崩壊

2009-04-09

人材の定義


 それでは、「人材育成マニュアル」を始めよう。尚、ここでいうところの人材育成とは、“自分が育つ”という味であり、“後輩を育てる”ためのものではないことを明言しておく。そして、対象は23歳までの青年とする。24歳以上のメンバーについては、自分で何とかしろ。


 鯖君からの提案があったので、まず人材を定義しておこう。


 人材とは、「自分を変えたいと切望する人」である。有り体(てい)にいえば、「戦う人であり、勝つ人である」と規定できる。で、何と戦うのか? 「変わらない自分自身」と戦うのである。これを、「(自分が)人間革命できる人であり、(他人を)人間革命させられる人」とも言い換えることが可能だ。


 理由は至って簡単だ。釈尊は王子という立場を捨てて、生老病死を解決しようとい立って出家した(四門遊観)。つまり、社会(あるいは世界)を変革するために、まず自分自身を革命しようとしたのだ。


 一方、日蓮大聖人は「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと」(888頁)じた。日本というのは社会であり世界である。なぜ日本一の知恵者となる必要があったのか? それは日本を変革するためであった。だからこそ、「現在の自分」を「日本第一の智者」と変える必要があったのだ。


 正義の味方は必ず「変身」している。悪を討つためには「自分が変わらなければ」ならないのだ。


 人材となるべき要件は、「現在の自分を嫌悪する」ことである。今の自分に満足できない人こそ人材である。

卑怯を憎む


 父(※新田次郎)の価値観の筆頭は「卑怯を憎む」だった。母(※藤原てい)が常に私の喧嘩を制止したのに比べ、父は喧嘩を教材として卑怯を教えた。

 私が妹をぶんなぐると、母は頭ごなしに私を叱りつけたが、父はしばらくしてから、「男が女をなぐるのは理由の如何(いかん)を問わず卑怯だ」とか「大きい者が小さい者をなぐるのは卑怯だ」などと諭した。兄と庭先で喧嘩となり、カッとなった私がそばの棒切れをつかんだ時は、「喧嘩で武器を手にするのは文句なしの卑怯だ」と静かに言った。卑怯とは、生きるに値しない、というほどの重さがあった。学校でのいじめを報告すると、「大勢で一人をやっつけるのはこの上ない卑怯だ」とか「弱い者がいじめられていたら身を挺してでも助けろ。見て見ぬふりをするのは卑怯だ」と言った。

 小学校5年生の時、市会議員の子でガキ大将のKが、ささいなことで貧しい家庭のひ弱なTを殴った。直ちに私がKにおどりかかって引きずり倒した、と報告した時など、父は相好を崩して喜び、「よし、弱い者を救ったんだな」と私の頭を何度もなでてくれた


【『祖国とは国語』藤原正彦(講談社、2003年)】

祖国とは国語 祖国とは国語 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-04-08

桜花爛漫


 創価大学の桜が見事に咲き薫っている。今日、仕事の関係者二人を伴って、正門から池田記念講堂までを歩く。私自身、咲いている桜を見るのは初めてのこと。よく手入れされていて、見事な枝ぶり。低い枝が伐採されているため、広々とした空間が形成されている。時間が許すならば、牧口記会館から創大正門を経て、栄光門まで歩くことを勧める。

連続爆破で懲役9年=中国政府への憤り「酌量余地なし」−徳島地裁


 徳島市の日中友好協会が入ったビルや創価学会関連施設で爆発物を破裂させたとして、爆発物取締則違反罪に問われた無職堀太■(日の下に高)被告(36)の判決公判が8日、徳島地裁であり、畑山靖裁判長は「独り善がりな考えから起こし、一歩間違えれば人身に危害を及ぼす危険な犯行」として、懲役9年(求刑懲役12年)を言い渡した。

 チベット問題を契機とする中国政府の対応に憤りを覚えたとする被告の動機などについて、裁判長は「酌量の余地はない」と指摘。爆破後、犯行明文をマスコミに送り付けたことについても、「広く社会の恐怖や不安をあおるもの」と非した上で、「同種の犯罪を防止するためにも厳重な処が必要」と結論付けた。


時事通信 2009-04-08】

人材育成マニュアルの作成


 このブログに書く気が中々起こらない。理由は簡単だ。古本屋のブログにせっせと書評らしきものを書いているため、こちらにまで手が回らないのだ。そうかといって別段困っているわけでもない。


 私もいつの間にか40代半ばとなった。ま、その辺の男子部幹部と比べてもパワーが劣るとはえないが、明らかに成長しなくなっている。詳しいことは、「40代」の指導を読んでくれ給え。


 最近読んだ宮本省三の言葉に私は衝撃を受けた(「思想ではなく理論が方法を規定する」)。私がモヤモヤと考えてきたことと、それよりも一歩進んだ具体が示されていたからだ。


 踏み込んだことを書いておこう。学会の基礎教学では、法華経迹門で理の一念三千が説かれ、その後本門において事の一念三千が説かれたと教わる。つまり、内容と時系列という二面から本門が勝(すぐ)れていることになっている。だが実際は違う。釈尊自身が説いたとされる片言隻語を、後世の弟子が総体的な理論として構築したのだ。


 簡単に言えば、事とは行為であり、理とは言葉であろう。釈尊は悟りを得た。すると、今度はそれを言葉にする必要が生じる。この時点においても、事→理という時系列となることが明らかだ。


 池田門下生にとって最大の課題は、日蓮法の完璧な体系化と、日蓮法を師弟という一点から捉え直した池田(=創価法)の理論化であると私は考えている。それには、100年単位の時間を要するかも知れない。


 で、間違いなくそれは私の仕事ではない(笑)。それほどの研鑚もしていないし、知識もない。ってなわけで、自分にできることを考えてみた。そこで、「人材育成マニュアル」を作ることをいついた。たとえ拙いものであったとしても、作っておけば後々誰かが直してくれることだろう。


 中年期となり記憶力も落ちてきている。若き日の闘争をい起こしながら、二十歳(はたち)前後の青年に向かって、「人材と育つ」具体的な手引を書き残しておこうとう。


 明日か、来週か、来から始める予定(笑)。

我々はどこから来たのか


 1897年には、タヒチで素朴な生活を送るというポール・ゴーギャンの夢が幻影であることが明らかになった。彼は病気になり、気消沈し、金もなくなった。1898年の211日の夜、ひ素を入れた薬箱をポケットにもって家の裏山に登った。飲んだ毒の量が多すぎたのか少なすぎたのか誰にもわからないが、彼はそれを吐き出し、数時間そこに横たわったのち、暗澹たる気分のまま体を引きずって家に帰った。

 彼の自殺の試みは失敗に終わったのだが、この試みは彼が生き続ける上で大きな証しを残した。自殺の前に彼は、4メートルの粗い麻布に描かれた風変わりな絵を画いた。そしてその上に、彼によれば署として、次のように書いた――(※原文省略)われわれはどこから来たか? われわれとは何か? われわれはどこへ行くのか?


【『内なる目 識の進化論』ニコラス・ハンフリー/垂水雄二訳(紀伊國屋書店、1993年)】

内なる目 意識の進化論

2009-04-07

フィールドを選べ


 先日、日新聞の社員が2ちゃんねるに差別的な書き込みをしたことが報じられた。「インターネットウォッチ」(2009-04-01)を読む限りでは、2ちゃんねる側はマルチポストを問題視したようだが、日新聞の記事は差別表現を謝罪している。何ともチグハグな格好だ。そして当然ではあるが、会社が一々謝罪するようなことでもなかろう。


 面白かったのは、ほとんどの大手企がアクセス規制をかけている2ちゃんねるの側から、日新聞社のリモートホストが規制されたことだ。「目糞(めくそ)鼻糞(はなくそ)を笑う」というのとはちょっと違う。「万年筆がゲロに嫌われる」といったところか。


 書き込みをした人物は「49歳」と紹介されている。若造でなかったことに私は驚いた。「馬鹿に付ける薬はない」とはこのことだ。


 とは言うものの、似たような学会員は多い。ろくでもない掲示板に書き込みをして、レスポンス(反応)があることに気をよくし、ズルズルダラダラと味のないやり取りを続ける人々がいる。


 私は、「フィールドを選べ」と言っておきたい。行く場所や、やり取りをする相手を選ばなければ、妙な影響を受けてしまう。教学力が乏しく判断力を欠いた者は、あっと言う間に翻弄される羽目となる。


 特に昨今は沖浦某なる学会員が、「法華講員との対論」という目で全国から学会員を集め、自分が主催する演劇公演チケットを10枚、20枚という単位で販売した事実が判明している。沖浦某本人は「組織利用ではない」と強弁しているようだが、なぜ対論と同じ日に同じ場所(沖浦某自宅)で行ったのかは一切説明していない。私のもとには複数のメンバーから相談が寄せられている。


 私がこう言ったところで、やはり多くの人々は行きたい掲示板へ好き勝手に行くことだろう。それこそがその人の「命の傾向」なのだ。ブレーキをかけることができない。頭じゃわかっているんだが行動が伴わない。こうした悪癖が人間革命を妨げていることも自覚せずに。


 学会員におけるネット第一期はとっくに終わった。私は10年前から見てきたので知っている。SF研がなくなった時点で終了したものとっている。昔は猛者(もさ)がうようよしていた。私が主催したML(メーリングリスト)や掲示板なんか、その後に立ち上げたものだ。


 だから、もうネット上に大した学会員はいない。私が今日まで続けて来られたのは、ひとえに相談メールが数多く寄せられるためだ。少なからず数十人か数百人のメンバーにとっては、組織の堤防が決壊してつかまる物すらない状況に置かれた中で、一本の杭(くい)のような役目は果たしてきたことだろう。


 そうでもなきゃ、こんなに続かない。書くってえのあ、中々大変なんだよ(笑)。

スペンサーとポール少年


 初めて読んだパーカー作品がこれ。「字の言」でも何度か取り上げられている。20代でスペンサー・シリーズの大半は読んだ。そして今も読み続けている。スペンサーは自立した男同士として、ポール少年に接している。


「どうしてぼくのことを放っておいてくれないんだ?」

 私はまた彼の横に腰を下ろした。「なぜなら、お前さんが生まれた時からみんなが放ったらかしておいて、そのために今、お前は最低の状態にあるからだ。おれはお前をそのような状態から脱出させるつもりでいるんだ」

「どういう味?」

「お前が関を抱く事柄が一つもない、という味だ。誇りを抱けることがまったくない。お前になにかを教えたり見せたりすることに時間をさいた人間が一人もいないし、自分を育ててくれた人々には、お前が真似たいような点が一つもないのを見ているからだ」

「なにも、ぼくが悪いんじゃないよ」

「そう、まだ今のところは。しかし、なにもしないで人から見放された状態に落ち込んで行ったら、それはお前が悪いんだ。お前はもう一人の人間になり始めるべき年齢に達している。それに、自分の人生に対してなんらかの責任をとり始めるべき年齢になっている。だから、おれは手をかすつもりでいるのだ」


【『初秋』ロバート・B・パーカー/菊池光訳(早川書房、1982年)】


初秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫―スペンサー・シリーズ)

2009-04-06

死のシンボル化によって宗教は発生した


 そう考えると、ヒトの進化の過程で、もし抽象化ということが最初に起こったとすると、それは死を巡ってではないかとわれるのである。抽象化というのは、言い換えればシンボル能力である。十分なシンボル能力はまだ無かったとはいえ、その萌芽はすでにネアンデルタール人にあらわれているのではないか。だから抽象化能力あるいはシンボル能力の具体的な入口は、じつは「死」だったのではないか。なぜなら、死とは前述のように、抽象的であって具体的であるからである。具体と抽象をつなぐ質を、死はいわば「具体的に」そなえている。自己の死と他人の死を巡って、ヒトのシンボル能力発現の最初の契機をそのまま素直に発展させたもの、それこそが宗教ではないのか。

 もちろんその後、宗教は進化する。したがって最初の契機についての識は、ほとんど宗教から失われているのかもしれないのである。だからいまの宗教を考えたのでは、発生時の事情はかえってわからない可能すらある。話が飛ぶようだが、言語をわれわれは既成のものとして利用している。だから言語がいかに発生したかについては、ほとんど識が無い。というより、どう考えたらいいか、よくわからないらしい。


【『カミとヒトの解剖学養老孟司(法蔵館、1992年)】

カミとヒトの解剖学 カミとヒトの解剖学 (ちくま学芸文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-04-05

転落した瞬間


 仮に20メートルの高さ(8階程度)から飛び降りると、地上までに2秒程度時間がかかる。この間、人は何をじるのだろう。(中略)

 建築現場から転落した鳶職の男は、転落した瞬間、このままでは後ろ向きで頭から落ちると考え、右足でビルを蹴って身体を反転させ、着地したときに器具で怪我をするといけないからと、手に持っていた道具をビル側に放り投げ、周囲の様子を見渡して向かいの建築現場の男と目を合わせ、駅のほうにいる5〜6人が自分のほうを見ながらワイワイ騒いでいるのを確認し、頭のなかでは足を犠牲にすれば助かるだろうと計算し、柔道の経験があることから着地する瞬間の受け身の姿勢までイメージし、また、その日ドライヴに行く約束をしていた友人の配までする、ということを落下する数秒の間でしていたという。とにかく、落ちる速さの何倍ものスピードで頭のなかが回転していたというのだ。

 しかし、ここまで冷静でいられるのは、「鳶職は落ちるかもしれないことを前提に仕事をしている」という彼の言葉通り、普段から落下について識していたからだろう。

 結局、彼は恐怖じずに落下、脊髄を損傷し、車椅子生活を続けているそうだ。


【『自殺のコスト』雨宮処凛〈あまみや・かりん〉(太田出版、2002年)】

自殺のコスト

2009-04-04

沖浦某の教学力


 過去における私とのやり取りを紹介しておこう。沖浦某の主張は十年一日の如く何の進展も進化もない。ネットに参加したばかりの若いメンバーが篭絡(ろうらく)されないよう、再度注を喚起しておく。決定的なのは、沖浦某が私からの質問に答えることができず、「私にはしすぎますので、子にバトンタッチ致します」と書いていることだ。この程度の教学力で教義の根幹に対する所の類いを書き散らす人物なのだ。こうなると、教学ではなく驚愕だ。論ですらなく、主張ですらない。本人自身が「所の件ですね。所です。所で問題提起しています」と書く始末である。よくよく吟味し、正邪を峻別されるよう強く望む。

5月解散論 公明『困った』 自民幹部 『6月7日』投票打診


 自民党内で浮上している5解散論に、公明党がヤキモキしている。東京都議選(712日投開票)と、衆院選の時期が重なる可能があるからだ。同党の本音は実は4解散だった。だが、麻生首相が2009年度補正予算案の国会提出を表明したことでこれは絶望的となり、公明党も解散戦略が描けないでいる。

 太田昭宏代表は3日の記者会見で、5解散論について「東京都議選と衆院選が重なることは望ましくない」と色。その上で「首相との間でそういう発言をしたことはある。理解いただいているのではないか」と首相も公明党向を分かっているといわんばかりだった。

 太田氏の発言の背景には、公明党が自民党サイドに、都議選前に衆院選を行うなら「5中の投開票まで」との向を伝えてきたことがある。公明党は都議選前の衆院選ならば、二つの選挙の間隔を「1カから1カ半は空ける」(幹部)ことを大前提としてきたためだ。

 だが、5解散ならば、投開票は6にずれ込む。仮に5中旬衆院解散、6中旬の投開票となれば、都議選と衆院選の間は1カを切ることになる。太田氏の発言は5解散論への警戒にほかならない。

 一方で、公明党内には自民党内に5解散の機運が高まれば、容認せざるを得ないのではないかとの空気もある。ある公明党有力幹部は最近、複数の自民党幹部から「67日(投開票)まで待てないか」と打診もされたという。この日程だと、公明党は衆院選から都議選まで約1カ時間を確保できる。

 ただ、これは公明党にとってはギリギリの日程。支持基盤の末端まで運動を浸透させるには「時間が短すぎる」のは確かだ。

 補正予算案を提示直後の解散に期待も残していたが、首相は先の記者会見で、補正成立への欲も表明。5解散論は公明党にとって気乗りしない解散戦略で、5解散論の強まる自民党内の変化を期待を込めてみつめている。


東京新聞 2009-04-04

魔女狩り


 本書は、「海外派遣メンバー研修会」(1991-01-16、東京・新宿区内)のスピーチで引用されている。


 裁判はすべて終わり女たちは焼かれた。裁判官たちは慰労宴の席につき、焼かれた女の数だけキリストの国が浄化されたことを喜びあった。(中略)女が果たさねばならぬはまだ残っていた。逮捕から処刑までの、いや、処刑が済んでいま係官が開こうとしている慰労会費を含めての、すべての経費の女自弁の件が残っている。逮捕、尋問、拷問の手数料、獄内の食費、自分の首を絞めた縄代、自分の五体を焼いた薪代、油代、それに裁判官、下役人、処刑吏の日当や旅費、……それらの一切を、処刑された女は死後において弁済しなければならなかった。


【『女狩り』森島恒雄(岩波新書、1970年)以下同】


 異端者の没収財産に対する裁判官の執着には、はなはだしいものがあった。異端者の死骸に付随する財産没収権を獲得するために、すでに腐敗しかけている屍体を聖職者同士が奪い合うことは珍しくなかった。また、審問官たちは、裁判の結果を待たずに財産没収を執行したこともある。


「残忍な屠殺(とさつ)によって罪なき人びとの命が奪われ新しい錬金術が人血から金銀をつくる」

魔女狩り (岩波新書)

2009-04-03

死して光る


 アインシュタインの相対理論によれば、光の速度に近づけば近づくほど時間の流れは遅くなってゆく。そして、「光は年をとらない。ビッグバンで生じた光子は、今日でも当時と同じ年齢なのだ。光の速さでは時間は経過しないのである」(『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』ブライアン・グリーン/林一、林大訳/草社、2001年)。


 また、死ぬ瞬間には大量のドーパミンが放出され、時間はゆっくりと流れるそうだ(『スピリチュアリズム苫米地英人/にんげん出版、2007年)。


 人は死んで光になるのだ。八王子を流れる浅川のきらめきを見ながら、私はそう確信した。

都議選との近接反対、首相は理解=解散時期で公明代表が明かす


 公明党太田昭宏代表は3日午前の記者会見で、衆院選の時期について「(712日投開票の)東京都議選と重なるのは望ましくない」と述べ、都議選との同日や投開票日が近接するのは避けたいとの立場を強調した。その上で、「そういう話を麻生太郎首相としたことはあり、理解いただいているのではないか」と述べ、解散時期で既に首相と協議したことを明らかにした。 

 両選挙の間隔をどの程度空けるかに関しては、明言を避ける一方、「どこかでつぶやいたことが自民党に伝わっているのではないか」と述べ、自民党執行部は承知しているとの見方を示した。


時事通信 2009-04-03

カヌス・イウリウスの最期


 一体、カヌス(・イウリウス)が処刑までの10日間、なんの不安もなく時を過したことを君は信ずるだろうか。おそらく、その間この大丈夫の言ったことは、また行なったことは、またどんなにか平静であったかは、本当のこととはわれないであろう。百人隊長が一群の死刑囚を刑場に引っ立てながら、カヌスの呼び出しも命じたとき、彼は将棋(しょうぎ)を楽しんでいる最中であった。前を呼ばれた彼は、将棋の駒を数えて、勝負相手にこう言った。「わしの死んだあとで、お前はわしに勝ったなどと、嘘をついてはいけないよ。」そして百人隊長に軽く会釈しながら言った。「貴公は証人になってくれるだろう。わしのほうが歩(ふ)一つ勝っていたのだと。」カヌスがその将棋盤で楽しんでいたと君はうか。実は、もてあそんでいたのだ。彼の友人たちは、このような大人物が失われることを悲しんだ。ところがカヌスは言った。「どうして君たちは悲しいのか。君たちは魂の不滅であることを疑うのか。わしは間もなく、そのことを知ることになろう。」そして死の間際でさえ真理の追究を止めず、自己の死から問題を求めることを止めなかった。刑場に一緒に付いて行ったのは、彼の哲学の教師であった。余り遠くないところに小高い丘があって、そこにはわれらの神なる皇帝に毎日生けにえが献げられていたのである。そこまで来たとき教師は彼にたずねた。「カヌス様よ、あなたは今何を考えているのですか。」するとカヌスは、「私は、あのまたたく瞬間に、魂が肉体を去って行くのが見えるかどうか、この目でしかと確かめようとっているのです」と答えた。そしてもし何かを探り出したならば、友人たちを歴訪して魂の真相を知らせると約束した。見よ、ここ嵐の真っ只中にある平静を。見よ、永遠の価値をもつを。それは真実を論証するために自己の悲運を呼び寄せ、あの最後の段階にあっても、今まさに立ち去らんとする魂のことを探究し、単に死に至るまでのみならず、死んでからさえも何かを学ばんとするである。彼ほど永い間哲学者であった例は外にはない。このように偉大な、しかも尊敬をもって語るべき人物を、そうそう急いで見殺しにすべきではない。われわれはあなたを、万世にわたって銘記するであろう――燦然(さんぜん)と輝く巨星よ、ガイウス粛清の大なる犠牲よ。(「の平静について」)


【『人生の短さについて』セネカ/茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳(岩波文庫、1980年)】

人生の短さについて 生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

(※左が茂手木元蔵訳、右が大西英文訳)

2009-04-02

後輩逝く


 神々しいばかりの相に涙を禁じ得ず。実に立派な姿であった。私は、彼の額に手を当てて称(たた)えた。身体は柔らかいままだった。「やわらかなる事兜羅緜(とろめん)の如し」(1316頁)。憔悴(しょうすい)しきった表情の母親から、「遺体のでん部が紫色になっていた。そこまで子は題目を唱え抜いた」と伺った。父親からは「お前からの影響を一番受けていたな」と。私は彼のことを小学生の時分から知っていた。そして壮年部となった際に、彼が男子部の地区リーダーをしている地区へ私が地区部長として派遣されることになった。私の厳しい訓練に彼は泣きながらついてきた。


 彼は一昨年の4に入院。その中で折伏を成し遂げた。紹介者会館に来ることができなかったが、友人は勇んで入会した。真面目で一途な男であった。それでいて、配りのできる優しい面を持ち合わせていた。いつも全身で「ハイッ!」と返事をしていた。古谷さんを喪って以来、12年ぶりに私の頬を涙が流れた。明日より再び、君との共戦を開始しよう。

数学世界の厳しさ


 我々に、これほどの学ぶ姿勢や真剣さがあるだろうか?


 この年齢(※50代)になると、仕事がうように進まなくなる。独創力が落ちるというより、肉体的粘りがきかなくなる。数学の問を解決するには、何週間も何カ間もそれだけに集中しなければならない。目の覚めている間はもちろん、睡眠中でも考え続けるほどでなければ、なかなか本質に迫れない。肉体的粘りは、精神的粘りとほとんど同じものだから、それがきかないとそこそこのところで諦めてしまうことになる。そのうえ年齢による諸疾患が現われやすくなる。高血圧、糖尿、コレステロール、臓、痛風など、体調を気にしていては、長期間にわたるしゃにむの集中はできない。新しいことを勉強しても、記憶力減退のためなかなか身につかない。

 数学が若者の学問と呼ばれるのは、このためである。事実、数学史上で、50歳以降に大発見がなされたことはほぼ皆無と言ってよいのである。

 仕事が以前に比べ進まなくなると、まず焦燥にとらわれ、ついで至上の価値と信じてきたものを生み出せなくなった自分に、嫌悪をずるようになる。適当に価値観を修正し、後進の育成や公的活動あるいは趣味などに、関をうまく転換できる人は軽症ですむが、そうでない人は被害妄にとりつかれたり、些細なことに苛立ち、他人を恨んだり攻撃したりする。温厚とわれていた人が突然激昂したり、良識派としてきこえた人が、非常識なことを主張して譲らなかったりするから、周囲は唖然とするのである。


【『天才の栄光と挫折 数学者列伝』藤原正彦(新潮選書、2002年)】

天才の栄光と挫折―数学者列伝 (新潮選書) 天才の栄光と挫折―数学者列伝 (文春文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-04-01

訃報


 本日、青山君が逝去。一時は余命2ヶと言われたが、1年以上も寿命を延ばした。


 君は勝った。断固として勝った。私は君の勇姿を忘れない。

日本人戦犯に関する周恩来の指示


 友岡雅弥著『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』(第三文明社、2000年)で紹介されていた一冊。


 戦時中、日本兵は中国で暴虐の限りを尽くした。強姦、拷問は日常的に行われ、訓練と称して銃剣で刺殺し、医学講習の一環として中国人の人体を利用した。それどころか、自分の慰み者としていた中国人女を殺害した挙げ句、遺体を肉片にばらして部下に食べさせた下士官もいた。そんな鬼畜の如き日本兵を中国は丁重に扱った。なぜか――


 なお、中国政府は日本人戦犯の改造を行った上で、戦争犯罪について判決を出したいと考えていたが、それをいかにして行うか、計画があったわけではないようだ。ただし、日本人戦犯の処遇に直接あたった周来の理主義が色濃く出ている。

 撫順管理所の孫明斎所長、金源副所長、曲初副所長らが『覚醒』のなかの論文で述べており、またハルビンで金源さん(後に所長)に直接話をうかがったところによれば、周来は東北人民政府の公安部に対し、「外部に対して厳重に警護し、戦犯たちの安全を確保する。一人の逃走者も、一人の死亡者も出さず、内部は緩やかにし、殴ったり、人格を侮辱したりしない。彼らの民族的な風俗、習慣を尊重し、面から彼らの教育と改造を行う」とまず指示したという。


【『戦争と罪責』野田正彰(岩波書店、1998年)】


 日本人犯罪者に対しては、中国特有の洗脳は行われなかった。ただ静かに自省を求めただけだった。その一方で日本軍のスパイ行為を働いた中国人は次々と処刑された。

戦争と罪責