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2009-05-04

戦争犯罪の心理的矮小化


 こんな話のとき、それでもなお私は小島さんの罪の識に分け入る質問を続けた。

「それは血のつく手をイメージするのですか? それとも、殺される中国人の顔ですか?」

「血です」

「手のほうですか。相手のことはわないのですか。自分のことしかわないのですか」

「兵隊の手に血がつくわけですよ。

 それで私がうのは、われわれが帰った後、あのグシャグシャになった死体を家族が見つけて引き取っていく。その時の悲しみがどんなものだったかとうと、もう眠られなくなっちゃうんですよね。家族は泣いて泣いて、グシャグシャになった胸を見て、気が狂ったのではないかと……」

 ここでも小島さんは、残された家族の情という回路をへて、行為の残忍さを語っている。殺される者の無、人間がこれほども理不尽になれることへの絶望についてじとり、その上で、遺族の悲痛について像しているのではない。私はあえて問いかけた。

「今のお話を聞いていても、殺された人間が抽象化されていて、顔がじられない。殺されている人の顔はい出さないんですか?」

「顔はい出しませんよ。むしろ刺した部分です」

「そういう味では、やはりモノですね」

 小島さんは黙ってしまった。


【『戦争と罪責』野田正彰(岩波書店、1998年)】

戦争と罪責

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