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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2009-05-16

帰京


 本日夕刻、帰京。メールをくれた方々に謝。


 札幌は寒かった。旭川では雪が降ったそうだよ。


 昨日、先生よりお見舞いの品が届けられる。あまりの速さにビックリ仰天した。「福光和楽」の押印和紙が午前中に、そして「健康山 三世栄光 大作」(※裏書/小野家の栄光を祈りつつ)の短冊と、先生がご祈された際に使われた紙(※父の名前が記されている)が夜届いた。夜、母に御礼の報告書を書かせる。


 実家で都合7時間ほど題目を唱えてつくづくったのは、「倒れたのが母でなくてよかった」ということであった。父は題目の鬼なんで、母が倒れたら子供達はあまり祈らなかったことだろう(笑)。「お父さんがやってるから、いいや」ってね。また、父は非常に恐ろしい存在なのでコミュニケーションを取りにくい。


 だから、小野家の宿命転換ということを考えると、父が倒れたことに味があったとえてならないのだ。更に識不明であったことも功を奏した。会話ができたら、またぞろ喧(やかま)しいことを言い続けたことだろう。誰も本気で配しなかったはずだ。


 我が家にあって父は「強さ」の象徴であった。その鉄拳と信には誰もかなわなかった。私が逆立ちしても足許にも及ばない。


 大体、母を含めた家族全員が「こんなに近くでお父さんを見たのは初めてだ」と口々に言っているのだ。


 私が付き添っていた時、ナースから「ご長男さんは東京から来られたんですってね。大変でしたね」と言われたので、「いやあ、死んでから来ようとったんだけど、親戚の伯母がうるさいから仕方なく来たんですよ」と応じた途端、親父は左腕をピクピクと動かした。多分、私を殴ろうとしていたのだろう(笑)。


 前に置かれた押印和紙の味を考えた。最初に見た時、「福はら光お(父方の従弟)と和子(母方の従姉)は楽しむ」とわず読んでしまった。いかんいかん、ギャグをひねり出している場合ではない。


 前にも書いたが、私は23歳の時に家を飛び出して、それから父と会ったのは結婚する時だった。実に17年ぶりの再会だった。ま、長男の私がこんなもんだから、どんな家庭か像がつくだろう。信だけでつながっている殺伐とした家族関係だった。その上全員が幹部なもんだから、殺伐の度合いに拍車がかかっている。


 我々兄弟は親元から巣立って外で戦ってきた。その「福運の光」を「一家和楽」のために結集せよ、と先生は教えて下さっているのだ。普通であれば、「和楽福光」となりそうなもんだ。「福光和楽」との言葉は従果向因をも示しているようにずる。


 初めの内は「長寿」や「健康」という言葉がなかったので、「あれ?」とった。ただ、「和楽」という文字を見て、「先生はやっぱりお見通しなんだな」ともじた。父が倒れた間で祈りながら、謝のが込み上げてきた。