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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2009-05-22

「死の幻影」2


 この第1回めの手術で私は5200ccの血を失った。もちろん、もし、そんなに大量の血がなくなったら人間は生きておられない。つまり私は、あらかじめ輸血であつめた血の量を慥(たし)かにこえる他人の血液を、新たに体内にそそぎこまれたわけで、それによって生きていることができたわけである。長時間の全身麻酔と大量の輸血、これが私の数時間にわたる手術を支えていたのだ。そして、この長時間全身麻酔の技術開発が、肺外科の進展に全く新しい局面を開いたのである。戦後かなりの期間は同じ手術と言っても、肺そのものを手術するというのでなくて、肋骨を何本か切って病巣のある肺の部分をおしつぶす手術、つまり胸郭成形だったのだが、それは全身麻酔の技術がまだなかったために、言ってみれば、人間が識を失うか失わないかのほぼぎりぎりのところで麻酔をやめて骨を切ったのであるから、どれくらい手術そのものが痛なものであったか像することができる。

 いつ、どこらあたりから識がもどりはじめたか、私ははっきりと言うことができない。いや実際は、手術室の前の部屋で医師に起こされて、どうやら礼を言ったらしいのだが、全く覚えていない。まして、私が看護婦を見て、びっくり仰天するようなことを口走ったかどうか、わからないのであって、これは困ったことである。しかし、長い長い廊下をストレッチャーで運ぱれて帰ってくる時、私は最初のを聞いている。そこを気をつけて、と言うのである。廊下は、木のつぎ目が多くて、ほんのちょっとでもガタンとゆれると、それは私にこたえたらしいのだ。らしいというのは、廊下を運ばれながら、ガタンとするたびに痛い、痛い、と言ったことを記憶しているからである。それからまたすぐ記憶はなくなる。

 次は、何人もの手でストレッチャーからふとんごとかかえあげられ、そして、ベッドに移された時、私は、誰にも多分かぼそい悲鳴としか聞えなかったであろうが、痛い、痛い、と言ったのである。そしてまたすぐ識はなくなった。この時はまだ麻酔の残りで、其の痛を私は味わってはいなかったとう。

 10日の深夜から識がもどってきたが、それと共に痛が来た。それは怒涛といってよかった。それに襲われると、眼の前も頭の中も、真赤になった。血の色である。私はふんづけられ、くちゃくちゃにまるめられ、ひきちぎられ、たたきつけられ、うなりをあげた。その極限で識はもうろうとなり、幻影じみたものをたびたび眺め、そして昏睡した。また識がもどってきて、私をふみくだく。私の胸からつき出しているドレンの管に、私が、うっ、と言うたびに血がふき出しているらしい。私は胸の中にたまっている血が喉へつきあげてくるのがわかるが、咳をすることが全くしくてできない。そして、熟練したおばさんが私の胸をかるくおしながら血を吐かせる。おばさんが隣のおばさんに、囁くように言うが、眼を閉じてうめいている私のにとてつもなく大きく聞える。

 ――血がとまらないのよ、ドレンの管へびゅっびゅっと、ほら、こんなに、こんなにたまってしまって。

 そして痛みの極みに達した時、私はすうっと飛びはじめたのをじたのだ。いまにしてえば、これは多分幻覚だろうとうのだが、私は、その時、私の姿をはっきり見た。私がこなごなに割れて、燃えつきた黒いかたまりになって、果てしない空間を、とてつもない速さで飛んでいくのである。私は地球を離れたとじていた。ガガーリンは、地球は青かった、という言葉を人間の歴史に刻んだ。私は空間を飛びながら、ああ、おれの地球はあたたかだった、とっていた。ほんとにあたたかい星である地球の大地、そこから私は離れて、いまとても寒い、とった。とてもつめたい。いっそうつめたいところへ飛んでいく。そして私の前方は無限の宇宙空間であり、うす青い色からしだいに濃い青へ、そして黒々とした色へとつづいていた。そうだ、このまま飛びつづけてあそこへおちこんだ時、あの手術室のマスクの中で、突然、何もなくなってしまったように、おれは、パタッとなくなってしまうのだ。こうやっていって、そしてパタと。これが死なんだ、と私ははっきりった。

 その時、私はもう自分の痛すらじ得ないもうろうたる状態にあったらしい。

 ――そうか、こんなぐあいなのだな、しくてしくて、というのはあるところまでで、そして、そこを越えるとこんなふうにぼうっとしてきて、そして飛びはじめて、飛びつづけて、あの青黒く果てしもない空間の中でパタと、と私はった。

 そうか、かつて、手術を受けても死んだ人たちは、いまのおれと同じここまで来て、そして、ここから先へ、あの黒い空間の淵へ行ったんだな、そうか、こんなぐあいだったのか。それが、死だったのか。

 そこから不に私は、全く強引に、荒々しくつれもどされた。私は全然知らなかったが、レントゲンの器械をおして技師が入ってきていたのだ。私の、手術直後の内部の状態を正確に見るために、深夜、ベッドの上で写真をとるのである。これは、私をひきもどす人間の手だった。私の襟をしっかりつかみ、彼は少しばかり私を起こしたらしい。しかし、私は、肉と皮をばりばりはがれるような痛みで悲鳴をあげた。それはどうもになっていないらしかった。斜めに起こされた私の背中にかたい大きな板がさしこまれ、そして、写真をうつされると、私はもとのようにねかされた。私はもうあのつめたい空間にはいなかった。地球の上で、ベッドの上で、身動き一つできずにうなっていた。私はまた痛にひきちぎられていた。


【『生命の大陸』(三省堂、1969年)/『死 私のアンソロジー7』田道雄編(筑摩書房、1972年)】

生命の大陸 生と死の文学的考察


死 私のアンソロジー7

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