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2009-06-30

北条時頼と立正安国論


〈この男……何者なのだ〉

 時頼は背筋にしばしば寒気を覚えながら大部の書巻を読み終えた。

 夏も真盛りを過ぎて7も半ばだ。

 いよいよ日蓮が得宗被官(とくそうひかん)の宿屋光則(やどや・みつのり)を通じて『立正安国論』と題する問答仕立てのものを時頼に奏上してきたのだ。

 その分量の多さにまずは圧倒された。

 だが日蓮の言動に興味を抱いていた時頼は早速に目を通した。

 そして衝撃に襲われたのである。

 問答仕立てゆえに読みやすく、論旨も明快であるが、中身はすこぶる深い。おなじ僧の身なのでそれがよく分かる。

〈こんな者がこの世に居たとは……〉

 信じられない気持ちもした。(中略)


 まさに炎のごとく熱い舌鋒(ぜっぽう)だ。

 繰り返し読んでも唸るしかなかった。

 そしてこれは時頼への挑戦に他ならない。

 執権の上に立つ北条得宗の身でありながら出家した僧でもある時頼に日蓮は命を懸けて喧嘩を挑んできている。

 他の者がこれを読んでも遠い比喩としかじられないだろう。が、国の纏(まと)めを任せられている時頼にとってはすべてが現実である。(中略)


 書巻から目を離して時頼は大きなを吐いた。を集中したせいか頭の芯(しん)が重い。

〈途方もない男が居るものだ……〉

 そのいだけは時頼に強く刻まれた。


【『時宗』高橋克彦(NHK出版、2000年/講談社文庫、2003年)】

時宗〈巻の1〉乱星 (講談社文庫) 時宗〈巻の2〉連星 (講談社文庫) 時宗〈巻の3〉震星 (講談社文庫) 時宗〈巻の4〉戦星 (講談社文庫)

2009-06-29

耳を傾けよう


 いまだかつて政治が完璧であった例(ためし)はない。なればこそ、必ず政治の被害者・犠牲者が存在する。政治における“マイナス”は常に弱者に作用する。不況が続く今、大所高所から政治を論じるよりも、生活者の視点が求められている。そうであれば、高齢者やシングルマザー、病人や要介護者を抱えている人々の話にを傾けることだ。雰囲気だけの勢いが一番危うい。時に一方的な主張が敵を作る場合もある。人それぞれに生活の不如じている。それを聞き出すことが大事だ。相手が置かれている現状や悩みの本質がわからなければ、励ましようがないからだ。

2009-06-28

衆院選、8月2日か9日念頭=都議選直後の解散も−麻生首相


 麻生太郎首相は次期衆院選の日程について、東京都議選(712日投開票)前後に衆院解散に踏み切り、82日か9日の投開票を頭に与党内調整に入った。これまで与党内で有力だった「830日投開票」では、都議選の結果次第では自民党内の首相退陣論が噴出しかねず、政局が流動化する可能もある。政権の求力を保ったまま解散・総選挙につなげるには、8上旬総選挙とする方向で調整することにした。

 首相周辺は28日、投開票日について「82日か9日が基本線だ」と言明。都議選で自民、公明両党の与党が過半数を確保すれば、首相がその直後にも解散を決断する可能を示した。

 また、自民党の大島理森国対委員長は28日、青森県八戸市で講演し、「8にわたしたちの『お祭り』もやらなければならない。サミット(78日〜10 日、主要国首脳会議)に行く前か、帰ってからか、そう遠くないところに首相の決断が二者択一の中で行われるのではないか」と述べ、8上旬総選挙になるとの見通しを示した。 


時事通信 2009-06-28】

総選挙は8月2日か9日! 麻生首相、公明・太田代表に意向伝えた!


 麻生太郎首相(68)が26日の太田昭宏公明党代表との会談で、712日の東京都議選と衆院選の間隔を1か以上あけるのはしいとし、8上旬の衆院選を検討していることを伝えたことが分かった。首相は投票日を同2日か9日に定しているとみられる。選挙情勢の好転を待たずに党執行部刷新で選挙に向かおうとする首相の“決断”に、与党からは慎重論が続出。この日は、首相の面前で退陣を迫る“猛者”も現れるなど、まだ一波乱ありそうだ。

 与党関係者によると、首相は26日昼、太田氏と会談した際に、公明党がかねて衆院選と都議選の間隔を1か以上あけてほしいと要望していたことに触れ、要望を受け入れるのは困との認識を示した。太田氏は少なくとも都議選前の解散は避けるべきだとの向を伝えたが、首相は明確に答えなかったという。


スポーツ報知 2009-06-27

2009-06-27

8月2日選挙「間違いない」=民主・小沢氏


 民主党の小沢一郎代表代行は26日夕、福岡県柳川市の日本料理店で同党衆院選候補の支援者と懇談し、麻生太郎首相が衆院解散は「そう遠くない」と発言したことに触れ、「解散が来週かどうかは別にして、82日の投票はほぼ間違いないのではないか」との見方を示した。

 これに先立ち、小沢氏は鹿児島市で開かれた国民新党の集会で、「首相は何が何でも自分で解散する、何が何でも(7上旬の)サミット主要国首脳会議)まで首相でいたい、という二つの考えを合わせると、早めに解散するという結論に普通なら到達する」と指摘した。


時事通信 2009-06-26】

与党敗北後は野党で=公明代表


 公明党太田昭宏代表は26日、ラジオ日本の番組で、次期衆院選後の同党の対応について「自公(両党)で9年(連立を)やり、関係も成熟している。選挙は自公でやる。(自民党が)下野したらわれわれも野党ということになる」と述べ、民主党が政権を取った場合に公明党が連立を組む可能を否定した。


時事通信 2009-06-26】

家元制度の仕組み〜世襲という文化


「世襲」とは競争原理の否定であろう。しかし、その一方で競争原理のルールが定まっていない現実が存在する。「位置について、よーい、ドン」とスタートするわけだが、実は最初の「位置」が異なっている。


 血縁や地縁を重んじる文化は世界中にある。学閥閨閥(けいばつ)も同様。このように捉えると、人間関係の本質が利害関係であることがよく理解できる。


 世襲議員が当選するのは、暗愚な(と言い切ってしまうぞ!)選挙民が「きっと幼少の頃から帝王学を学んでいるに違いない」と錯覚しているためだろう。


 日顕宗との攻防において、我々学会員は代々坊主を嘲笑した。当たり前の話だ。どれだけおかしいかを示すべく私は新しい諺(ことわざ)を考えたほどだ。「坊主の子の小坊主が屏風(びょうぶ)に坊主の子の小坊主の上手な絵を描いた」と。チトしい。


 というわけで、本部職員の子弟が本部職員になるべきではない。なぜなら、代々坊主を批判できなくなるからだ。


 尚、株式会社という仕組みも家元制度と同様、資産を我が子に継承するのが最大の目的で、相続税対策といえる。現実は日本の大企はおろか、多国籍企の大半までもが世襲制となっている。


 貴族がどのようにして自らの資産と権益を代々継承してきたのか、その相続の方法をここでいちいちあげつらうことは控えます。ただ、親から子へと行われる権益の継承は、能や狂言、華道、茶道といった伝統芸能の世界を例にとれば、おおよその骨格がわかるはずです。

 たとえば、家元制度では、その技と知識、地位、暖簾などが親から子へと世襲されますが、一方でその技と知識は先生から弟子たちへとも伝えられます。家元を維持するために、多くの弟子を獲得しなくてはなりませんから、これは当然のことです。

 ところが、家元制度の世襲を守るためには、まず、家元の跡継ぎの子どもよりも技量が上というお弟子さんを、絶対につくらないようにしなくてはなりません。そうしないと、家元の家元たる理由が失われてしまいます。

 つまり、伝統芸能の世界においては、相続知識としての秘伝は一子相伝であり、かつ家元という地位の継承権とともに受け継がれます。このようにして地位の継承権を守るからこそ、権力もお金もすべてそこに集中する仕組みが維持できるわけです。

 制度的な身分を失った貴族の場合も、彼らがその権力の承継を続けていくことができるのは、伝統芸能の場合と同様、その承継者にだけそっと伝えられる「秘伝」が存在するからです。土地や金などの財務以外に、いったい何があるのかといえば、一般人には手の届かない人脈であり、密約ということになるでしょう。


【『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人(ビジネス社、2008年)】

洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて

2009-06-26

2009-06-25

誰に向かって発信するか


今、ネットで発信する意味」の続きを。


 文化というのは、まず“発信”にあるといます。“発信”するものがなければ、本当の文化とはいえないですね。“受信”だけでは不完全です。“受信”もして、“発信”もして相互に高まらなくてはいけない。


日曜てい談/聖教新聞 1994-10-16


 これは團伊玖磨(だん・いくま)氏の言葉である。文化とは共鳴を味する。ネットで何らかの情報発信をする場合、対告衆(たいごうしゅ)を定めるべきだ。刊誌『第三文明』みたいに中途半端なのが一番ダメ。


 同志に対してメッセージを送る場合は、やはり研鑚の積み重ねを公開すべきだろう。日常の活動というものは、よほどのや文章力がなければ陳腐なものとなってしまう。


 既に何度か書いた通り、学会員の最大の問題は「思想的格闘のなさ」にある。それゆえ、言葉に深みがない。中間幹部は皆、スポークスマンのような役割を演じてしまう。こうして「健全な懐疑精神」が失われてゆく。大疑が大悟に通じることを知っている人は少ない。

 発信する相手を学会員にしてしまうと、その他大勢の国民はシャットアウトされることになる。つまり、会合状態といってよい。多くの人に広く読まれることはない。すると、不特定多数の読者に対して発信する場合、やはり趣味や仕事をベースとした文章になってくる。これが実は、折伏の力となる。


 もっと簡単に言おう。「ものの見方」で勝負するのだ。「境涯によって世界は変わる」ことを証明する作だ。人のを動かすことはしい。そして、自分のを動かすことはもっとしい。その困に挑む自分自身の軌跡を、記録として残すべきだ。

2009-06-22

2009-06-21

2009-06-20

25歳の女性に贈る一冊


 山口絵理子は小学生時代、いじめに遭った。6年間、給食を食べることができなかった。中学生となり非行に走った。高校時代は柔道に挑戦。埼玉県で優勝し全国7位に輝いた。偏差値40の工高校から慶応大学に進学。カナダへ留学した際に鬱病となった。在学中にラテンアメリカ向けの援助や融資を行う米州開発銀行で働く機会を得た。だがそこは、国際貢献とはばかりで発展途上国の現場から懸け離れていた。インターネットで「アジア 最貧国」と検索。現れたのはバングラデシュという国だった。彼女は1週間後に航空券を手配した。大学の卒が迫った。バングラデシュの大学院に進学した。そして、バングラデシュの特産品であるジュート(麻)でバッグを作った。こうして「マザーハウス」の社長となった。そんじょそこいらに転がっているサクセスストーリー(成功物語)ではない。泣きながら全力疾走し続ける乙女の見事な半生記だ。25歳の日本人女性がたった一人でバングラデシュを豊かにしようと奮闘している。


 バングラデシュと見てきた現実の中で自分の人生に最も影響を与えたものは、明日に向かって必死に生きる人たちの姿だった。

 食べ物が十分でない、きれいな服もない、家族もいない、約束された将来もない。そして生活はいつも政治により阻害され、きれいな水を飲むにも何キロも歩かなければならない。そんな人たちが毎日必死に生きていた。


 ただ生きるために、生きていた。


 そんな姿を毎日見ていたら、バングラデシュの人が自分に問いかけているような気がした。

「君はなんでそんなに幸せな環境にいるのに、やりたいことをやらないんだ?」って。


【『裸でも生きる 25歳女家の号泣戦記』山口絵理子(講談社、2007年)】

裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記 (講談社BIZ)


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2009-06-17

2009-06-16

心からの叫び


 君の胸から出たものでなければ、

 人の胸を胸にひきつけることは決してできない。(「ファウスト」第一部544-5行)


【『ゲーテ格言集』ゲーテ/高橋健二編訳(新潮文庫、1952年)】


ゲーテ格言集 (新潮文庫)

2009-06-15

虚実混合している伝統的日蓮思想観


 私は教の専門家ではないので、本書(※ジャクリーン・ストーン著『Original Enlightenment and the Transformation of Medieval Japanese Buddhism(本覚と中世日本教の変容)』)の学問的義を論ずる資格はないが、私の問題関上には大きい義を持っている。私の個人的関創価学会義を現代の文化、社会の中で解明するということにあるが、創価学会がその母教団である日蓮正宗の伝統的教義に固執していることに関しては、以前から疑問を持っていた。特に明治以降の教学や日本教の学問的成果と、それらの学問が成立する以前の室町、江戸時代に形成された宗学の間には大きなギャップが存在することを、創価学会が無視しつづけることは困であろうとっている*1

 日蓮正宗の宗学への批判は、まず現代の日本研究者の文献学的考察から生じている。浅井要麟、執行海秀などから始まる日蓮遺文の文献学的考察が明らかにしたことは、現在日蓮遺文として使用されている文献には、通常の歴史学における文献考証の基準から見ると、明らかに日蓮自身の著作とは認められない文献が数多く含まれているということであった。室町時代に日蓮に仮託されて偽作された日蓮遺文が、その後の宗学形成期に日蓮自身のを示す文献として使用され、日蓮宗各派の宗学の基礎となっていた。

 現代の日蓮研究は、このような歴史的経過によって虚実混合している伝統的日蓮観を、どのような方法論によって日蓮自身のを明らかにするかという反省から生じている。その一つの方法論は、歴史学的にも珍しい事例である豊富な日蓮の真筆文献を基礎にして、そこから日蓮を再構成しようという試みである。


【『東洋哲学研究所紀要第 18号』宮田幸一】

告別式


1901年12)17日の葬式は、彼(※中江兆民)の遺言により、一切宗教的儀式を排するために、「告別式」という形で行われた。これが日本における「告別式」の始まりである。然るに、すべてをあいまい化してしまう日本人は、やがて「告別式」のほかにも依然二重の手間をかけて「葬式」は行い、兆民の考えた「告別式」と別の形態のものにしてしまった。

 兆民は墓さえ作らせなかった。


【『人間臨終図巻』山田風太郎(徳間書店、1986年/徳間文庫、2001年)】

人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫) 人間臨終図巻〈2〉 (徳間文庫) 人間臨終図巻〈3〉 (徳間文庫)

*1:歴史的に見るならば、創価教育学会は牧口の『尋問調書』に示されるように、日蓮正宗の信仰に価値創造論を加えた在家教団体であった。しかし戦後戸田城聖創価学会の独自の宗教法人資格を取得するために日蓮正宗と合した3項目により、創価学会日蓮正宗の教義を信奉することを義務づけられた。戸田や池田大作日蓮法を現代の文化状況に適合させるためにさまざまな現代的解釈をしてきたが、日蓮法の教義解釈権については、第一次宗門問題後に確認されたように、日蓮正宗の教導権を認めざるを得ず、日蓮正宗の教義を検討することは不可能であった。第二次宗門問題以後、法主の権限をめぐる教義的解釈問題などから、日蓮宗教学への学問的検討が可能となり、2002年には創価学会の規則から正式に日蓮正宗への言及部分が削除され、教義的にも独立した。今後創価学会が独自の教義を再構築するにあたって、私は、教、日蓮、歴代会長による現代的解釈の三つを統合する必要があると考えている。その場合に、現代の教学、歴史学の成果をある程度踏まえて現代の学説に大きく離反しないようにすべきだと考えている。

2009-06-14

2009-06-13

今、ネットで発信する意味


 やや遠回しに書くが、言わんとすることを汲み取ってもらいたい。


 私が日々、ダラダラと駄文をしたためているのは、他に書く人がいないからである。本来、私が好むのは「最近の指導の流れ」や「広布史」、はたまた「読書を通した法談義」、「世の中の変化の底流にあるもの」といったテーマなんだよ。結局のところ、会合で話す内容と軌を一にしている。


 折に触れて相談メールが寄せられるため、どうしても更新せざるを得ない。なぜなら、同じ悩みを抱えているメンバーが他にも必ずいるとっているからだ。このようにしてブロガーは「更新輪廻」に陥る(笑)。


 Webの可能が本当にわかっている人はまだ少ない。そして現在のWeb自体がまだまだ未成熟である。世論を動かすような潮流ができるに至っていない。個人的には、社会のヒエラルキーを乗り越え、地域をも飛び越える可能があるとっているのだが、いまだに線路や駅ができる段階となっていない。


 ITで重要なのは、I(情報)であってT(技術)ではない。IT革命の本当の主役はまだ現れていない。IT革命は世の中を変える。しかし、主役が現れるのはこれからである。新産が生まれるのも、これからである。


【『ドラッカー入門 万人のための帝王学を求めて』上田惇生〈うえだ・あつお〉(ダイヤモンド社、2006年)】


 人々の興味や関を巧みに交通整理する仕組みが求められているとう。既得権益にしがみつき、政府から保護されているテレビ局などは、まだまだネットに対して及び腰だ。彼等は儲かっているため、ネットで何かを創出するほどの力は持っていない。そして、プロと言われている人々にも期待できない。なぜなら、彼等はコンテンツを商品としてしか考えることができないからだ。時代の動向を変える決定打はサブカルチャーから生まれる。主役は無の青年だ。残なことであるが、既に私は無壮年となってしまった(涙)。


 以前、「はてなに結集せよ」と呼びかけたことがある。また、「創価データベース」への参加も呼びかけたが、このに反応したのはわずか3人だった(「私見:舎衛の三億」)。本当に人がいない。


 どんな形でもいいから、ネットでアクションを起こすことだ。多分、ネット上のコミュニティはこれからクローズドスペースに移行すると私は予測している。学会員にしても同様だ。そうでないと、個人情報がさらされる危険が拭えないし、踏み込んだ見のやり取りが不可能となる。この私でさえ、随分と遠慮しながら書いているのだ。新入会のメンバーや活動していないメンバーに不信を与えるわけにはいかないからだ。


 というわけで、何らかの自己紹介程度になるようなブログくらいは立ち上げておくべきだとう。どうしても不安な人は、はてなであれば非公開という設定もあるから、日記代わりに記すのもいいだろう。


 私個人としては、読書チームと議論系のMLをゆくゆくは立ち上げたいと考えている。

ドラッカー入門―万人のための帝王学を求めて

文字と如是我聞


釈尊、イエス、ソクラテスはなぜ文字を残さなかったのか?」と同様のテーマを取り上げた小林秀雄の講演。舎利弗君から教えてもらった。小林秀雄の講演はいつ聴いても、私の脳味噌を掻き回し、シナプスの配列をがらりと変えてくれる。

本居宣長―講義・質疑応答 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 3巻)

2009-06-12

「私(わたくし)」とは真の個性


 然(さ)り気(げ)ない表現だが、孔子の「我レヲ知ル者ハ、其レ天カ」(※『論語』)という言葉にしても、然り気がない言い方でしょう。この死を得る工夫がひそかに練られる所は、この作家(※志賀直哉)の全作品の歴史が創られて来たその内省と同じ場所であることを、とくとい描いてみるなら、個を捨てて、主義や綱領に従ったが為に、内省による智を失って了(※しま)った集団や組織の動きが、どんなに上手に建設的歴史の恰好(かっこう)をしてみせようが、容易にごま化されるような事はないでしょう。(講演「生と死」)


【『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』(新潮社、2004年)】

小林秀雄全作品〈26〉信ずることと知ること

2009-06-11

矢野元公明委員長が勝訴 記事で名誉棄損と賠償命令


 矢野絢也元公明党委員長が、企の課税逃れなどに関与したかのような刊誌記事で誉を傷つけられたとして、発行元のリベラルタイム出版社(東京)に2200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は10日、220万円の支払いを命じた。謝罪広告掲載の請求は棄却した。

 問題となったのは、刊誌「リベラルタイム」が矢野元委員長について2006〜07年にかけて掲載した記事4本。

 本光一郎裁判長は「いずれも元委員長の社会的信用を低下させ、誉棄損に当たるのは明らか。内容も真実と認める証拠はない」と指摘した。

 判決によると、発行元は、元委員長に関し「企者一族の課税逃れに絡んで多額の報酬を得た」「自宅に数億円の札束が運び込まれた」などと報じた。


共同通信 2009-06-10】

釈尊、イエス、ソクラテスはなぜ文字を残さなかったのか?


 長年にわたる疑問が氷解した。またしても悟りである(笑)。ざまあみろってえんだ。

 これらの人々は人類の教師ともいうべき存在でありながら、著作を一つも残さなかった。「孫子の兵法」でを知られる孫武(紀元前5世紀頃)も文字は残していない。


 カール・ヤスパースはこの時代を「枢軸時代」とづけた。文字がなかったわけではないから、図的に書かなかったことが像される。


 私は昨年来、「とは物語である」と考えるようになった。優れた芸術作品にはおしなべて物語があることは誰もが認めるところだろう。しかし私に言わせれば、科学・政治・経済に至るありとあらゆる人間の営為が、これ物語である。それをシンボリックに表現したのが「因果」という言葉だ。


 釈尊は経典を残さなかった。文字にしなければ正確が損なわれることは承知していたはずだ。初めのうちは、インドカースト社会の上層階級に専有されることを嫌って文字にしなかったと私は考えていた。だが、どうもすっきりしなかった。一旦つかまえた疑問を私が手離すことはない。そして25年を経た今日、やっと答えがわかった。


 では、その「物語」はどこから来るのか。近代の小説が「著者」という起源によって創出されるのに対し、「物語」は作者不詳だ。その起源は定かではない。物語はつねに、かつて誰かから聴いた話だ。そして、その誰かは別の誰かからその物語を聴いたにちがいない。(※アントン・シャンマース著『アラベスク』で)「ぼく」が語る物語が、かつてユースフ叔父さんが「ぼくたち」に語ってくれた物語であるように、幼いユースフ叔父さんもまた、別の誰かからそれらの物語を聴いたにちがいない。物語は、時と場合に応じて変幻自在に語られる。同じ物語がいつも同じように物語られるとは限らない。「ぼく」もまた、やがてそれらの物語を「ぼく」流にアレンジしながら、誰かに語り直すだろう。語られる物語のなかに、その物語を聴き、語り継いできた複数の語り手、複数のが存在し、一つの物語には無数の物語が存在するのだ。


【『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房、2008年)】


 つまり、だ。釈尊は「大いなる物語」の原型を示し、自らが亡き後も陸続と現れるであろう弟子達が友に語り広め、子に語り継ぐことをひたすら信じ、物語の継承作の中に法が脈動することを知っていたのだ(←断言)。


 五十展転の功徳の物語は、吹が伝わる様相を示している。そこに求めらるのは正確よりも、むしろ語り手と聞き手の間に交流する激や動なのだ。そして釈尊は、万物と万物が相互に関係し合う実相を「縁起」と説き明かした。凄い。釈尊は凄すぎる。


 岡真理の「それらの物語を『ぼく』流にアレンジしながら」という指摘は、我見を味するものではない。物語に示された原理を、自分らしく豊かに表現するという味であり、我々にとっては「功徳体験談=人間革命の物語」となる。


 釈尊の教えも、弟子達の「無数の物語」によって支えられている。否、それ自体が八万法蔵となってゆくのかもしれない。そして、それら「無数の物語」の結晶が大乗仏教であったのだ(←またしても断言)。大乗仏教が無署であるのも全く同じ理由からであろう。


 人は深い動を覚えると、じっとしていられなくなる。自行化他とは単なる修行の規範ではなくして、人間に本然的に備わる能動をも味している。躍動する生命からほとばしる言葉が友の胸を打つ。大きい音が出るか、小さい音が出るかは、飽くまでも語り手次第である。


 釈尊の言葉は、2000年を経た今も尚、時代を超えて人々の胸を震わせている。


【※岡真理著『アラブ、祈りとしての文学』の前に、広河隆一著『パレスチナ 新版』、ガッサーン・カナファーニー著『ハイファに戻って/太陽の男たち』を必ず読んでおくこと。テーマは全く異なるがの闊達さ――あるいは物語を読み解く達人――という点で、友岡雅弥著『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』、広井良典著『死生観を問いなおす』などと岡真理のアプローチは共通している】

アラブ、祈りとしての文学

2009-06-10

2009-06-09

偉大な使命感が悪条件をはねのける


 人間は、どのような境遇、悪条件の中にあっても、大目的に目覚め、偉大な使命をじて立ち上がった時には、必ず大きく成長できるものである。


【『指導メモ』1966-06-01(聖教新聞社)】


 人は行き詰まると目の前しか見えなくなる。ま、袋小路みたいなものだ。逆に言えば、目の前しか見えていないからこそ行き詰まっているとも考えられる。


 大目的に目覚めるとは、苫米地英人流に言うと「視点を高くする」ことだ。すると、壁を見下ろすことができる。それどころか、壁の向こう側に続く遥かな道も見渡せる。後は、壁を踏みつけるか、乗り越えるかというところに落ち着く。


 使命と聞いてい出すのは井上靖著『蒼き狼』(文芸春秋新社、1960年)だ。主人公のテムジン少年(=ジンギスカン)は自分の出自に疑を抱いていた。「自分は誰の子なのか」――。テムジンは「蒼き狼」の末裔(まつえい)であると自ら決めて、生涯を懸けて証明しようとした。


 10代から教学を学び始めて、まず驚かされたのは自分が地涌の菩薩であるという事実であった。「ゲゲッ、俺は俺じゃなかったんだ! 地涌の菩薩だったんだあー!」ってな具合だ。その時、私はハヤタ隊員ではなくウルトラマンとなった。


 それからというもの、妙な自信が芽生えた。少々の困ったことくらいで動じなくなった。なぜなら、私は地涌の菩薩であるからだ(笑)。


 一文字隼人(いちもんじ・はやと)が悪党を目の前にして悩むだろうか? 悩まないね。だって、仮面ライダー変身すりゃいいだけだもの。だから、私は小さなことで悩んでいるメンバーを見ると、嘆かわしくて仕方がなくなる。変身を忘れた一文字隼人は、歌を忘れたカナリアよりも悲惨だ。


 変身したい人は、今直ぐ自宅の壇の前に集合せよ!

蒼き狼 (新潮文庫)

「人間 池田大作」


 当初、アメリカで放映され、その後日本でも深夜に放送されたと記憶している。ニコニコ動画なんで、悪辣なコメントは無視して宜しい。一々、目くじらを立てるんじゃないよ。


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人間池田大作―私の見た素顔

放火


 まったく御書の通りだ。マッチポンプを繰り返す詐欺師に騙されるな。


 讒言(ざんげん)の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと、さもあるらんとて日蓮が弟子等を鎌倉に置くべからずとて二百六十余人しる(記)さる、皆遠島へ遣(つかわ)すべしろう(牢)にある弟子共をば頚(くび)をはねらるべしと聞ふ、さる程に火をつくる等は持斎者が計事なり其の余はしげければかかず(916頁)

2009-06-08

破良観等御書


 組織利用に加担する諸君へ今日も御聖訓を贈ろう。私はミスター親切だ。


 而(しかる)を此の邪義を人に信ぜさせんために或は大日如来より写瓶(しゃびょう)せりといゐ或は我まのあたり霊山にして・きけりといゐ或は師の果和尚(けいかわじょう)の我をほめし或は三鈷(さんこ)をなげたりなんど申し種種の誑言(おうげん)をかまへたり、愚(おろか)な者は今信をとる(1292頁)


【通解】その上この邪義を人々に信じさせるために、あるいは大日如来から相承した法門であるとか、あるいは霊鷲山で目の当たりに聴いた法門であるとか、あるいは師匠果和尚が自分を褒めたとか、あるいは唐から日本に投げた三鈷の金剛杵(こんごうしょ)が高野山にあった等のさまざまな嘘の話をつくったのである。それを愚かな人々は今も真実であるとっているのである。


「写瓶」は瓶(かめ)から瓶へと移すことで相承の。「法水写瓶(ほっすいしゃびょう)」って聞いたことがあるでしょ。三鈷は三鈷杵(さんこしょ)のことで、真言密教の祈祷に用いる道具(※詳細は「三鈷の松と飛行三鈷杵について」を参照されよ)。


 悪党は必ずデマを流す。誑言(※「きょうげん」とも読む)の誑は「たぶらかす、いつわる」とのである。正面から対決したのではかなわないから嘘をつく。そして今度は自分でついた嘘が因となって、事実を図的に歪(ゆが)めて解釈するようになる。これがまた次の因となって、更なる嘘を撒(ま)き散らすのだ。かような人物にとって真実とは、自分を大きく見せることだけであるがゆえに、いかなる嘘をつこうとも全部自分の中で正当化できるのだ。彼にとってそんな真似は飯前であり、些末なことに過ぎない。自分に注目が集まれば目的は達成される。


 もっと、わかりやすく述べよう。


 その上このチケットを買わせるために、あるいは「会長勇退の時から坊主の正体を見破っていた」とか、あるいは「会館で勝手に録音したテープを引用して文末に(趣)と書く」とか、あるいは「師匠の田山氏が自分を褒めた」とか、あるいは「チケットを大量購入した人に、ゆくゆくはプレミアがつくであろう限定ブルゾンを進呈する」とか……。


 こうして嘘の因果が無限に連鎖してゆくのだ。


 第二の法華経の怨敵は経に云く「悪世中の比丘は邪智にして諂曲(てんごく)に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の充満せん」等云云(226頁)


 第二の敵(道門増上慢)は、狡賢(ずるがしこ)く、がへつらい曲がっていて、いまだ得てもいない悟りをこれ得たりと言って、慢が充満する――スケールは小さいけれど、大聖人の指摘はかの人物の正体を見事に言い当てている。

2009-06-07

経済


 来週からマーケットが落ち込むという噂あり。「100年に一度の暴落」が本当であれば、これからまだまだ下げるはずだ。

常忍抄


 組織利用に加担する沖浦一派諸君へこの御聖訓を贈る。私に騙されたとって、3000回読んでごらんよ。ものの道理が少しは見えてくるはずだ。


 の習いは善を障(ささ)えて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候(981頁)

信ずる者は常に勝つ


 更に誉会長は、師の広宣流布への精神を述べつつ、

 1.“いざ”という時には、「獅子」のでいかなくてはならない。自分を守ることに汲々として、あっちに付いたり、こっちに付いたりするような、信のない、臆病な人間であってはならない。私は何があっても信強盛に、常に戸田先生の弟子らしく「獅子」として進んできたつもりである。

 2.広布の組織においても、“互いに信しているから、言わなくてもわかっているだろう”というのは間違いである。正しいことを明快に言い切っていくのが、指導者の責任である――などと語り励ました。


戸田先生生誕90年記の懇談会/第3回懇談会 1990-02-11 東京学会別館】


戸田先生生誕90年記念の懇談会/第2回懇談会」の翌日に開催された会合。紹介された内容は大綱のみと察する。厳しい指導は公(おおやけ)にされなくなった。不信を起こすメンバーが出てくるからだ。そしてインターネットを中とした情報化社会は、組織から口伝を奪い去った。


「正しいことを明快に言い切って」ゆくのは、身についてしまうとしいことではない。何がしいかというと、「自分を正しく律して」ゆくことなのだ。自信がないから言い切れない。「嫌われたらどうしようかな」などと考えてしまう。大した好かれているわけでもないのにね(笑)。


 訓練期間においては、一つ一つを経験しながら、一つ一つの勝利を積み重ねてゆくしかない。この間の勝負どころを曖昧にした人物は、後々困る羽目となる。目の前の山を識し、踏破するだけの脚力が求められているのだ。


 獅子の部分に関しては、「先生、何を今更……」といういが拭えなかった。だが、壮年部へ以降してからわかるようになった。そして、引っ越してからもっとわかるようになった。こういうのは、わかっても嬉しくないね(笑)。


 大人は狡賢(ずるがしこ)くて卑怯だ。世渡りみたいにして組織を泳いでいる幹部も多い。幹部の前ではニコニコと愛を振りまき、いなくなった途端陰口を叩き出す婦人部は掃いて捨てるほどいるよ。


 こんな連中が後輩を守れるはずもない。彼等が守るのは自分の立場だけだ。


 外と関係ないように見えるだろうが、喧嘩(けんか)の強いリーダーは会合を盛り上げることができる。なぜなら考えようによっては、会合も参加者との喧嘩であるからだ。折伏も当然喧嘩である。牧口先生は「後の喧嘩を先にするのだ」と最初にきっちり破折しておくべき姿勢を教えられている。

2009-06-06

断絶された「私」


 断絶の向こう側にあるのは、他者のだけではない。そもそも、私たちの主観的体験は、全く脳の中の神経細胞が作り出す脳内現象である。脳内現象である以上、「私」という識と、広大な世界は本来的に断絶している。脳という神経細胞のかたまりから身体中に張りめぐらされた神経細胞のネットワークが終わるところから、断絶は始まる。「私」の主観的体験という視点から見れば、神経系が終わる所で「私」も終わる。だからこそ、私たちは「現実自体」を知り得ない。私たちの脳は、この絶対的な断絶を与えられた条件として進化して来たのである。


【『脳と仮茂木健一郎(新潮社、2004年/新潮文庫、2007年)】

脳と仮想 脳と仮想 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-06-05

ナクバ


 1948年、イスラエルが建国され70万のパレスチナ人が民になった。そのときの大虐殺をナクバ(NAKBA)という。カナファーニー少年も民の一人だった。我々はホロコーストは知っていても、ナクバを知らない。なぜなら、ナクバは今尚、進行中のため総括されることがないからだ。著者は虐げられるパレスチナ人に寄り添い、生涯を捧げた。そして、彼の車に仕掛けられた爆弾で吹き飛ばされた。幼い姪(めい)と共に。イスラエル情報機関による暗殺だった。享年36歳。アラブ文学の傑作が復刊された。世界が抱えた巨大な矛盾を知れ。

「悲しいオレンジの実る土地」(1963年)


 ぼくもまた、いつのまにかこみあげてくる嗚咽にむせんでいた。君の母さんは、いつまでも無言のままオレンジの実を見つめていた。きみ(ママ)の父さんの眼の中では、ユダヤ人に残してきたオレンジのありったけが、光を放っているように見えた。きみの父さんが、一本一本買い増やしていったオレンジの木の清らかな大粒のありったけが。それらのオレンジの木、一本一本がきみの父さんの顔に刻まれていて、国境監視所の将校の前に立った時でさえも、おさえることのできなかった彼の涙の中に、まだ去りやらずに残っていた。

 その日の午後おそくシダーに着いたとき、ぼく達は民になっていた。


 ぼく達はただ、なるがままされるがままになっていた。きみの父さんは、一遍に年をとってしまったかのようだった。彼はもうずいぶん久しく眠ったことがないように見えた。彼は路上に放り出された荷物を前にして、路端(ママ)に立ちつくしていた。もし彼のそばに行って何か言おうものなら、彼は必ず「おまえの親父が神(アッラー)を呪ったせいだ!」という悪罵をいきなりぼくの顔へ浴びせるだろうとえた。その罵倒の言葉が、彼の顔にありありと読みとれた。いや、宗教色の熱烈なまでに強い学校で育てられたぼく自身、あの時神というお方は、本当に人間を幸せにしたいとっているのだろうかと、疑わずにはいられなかった。ぼくは神というお方が、あらゆることを聞きもらさず、すべてを見てとっているということに疑いを持った。学校の教会でぼく達にくばられた色刷りの御絵(ごえ)は、子供たちに慈愛深く微笑みかけている主を描いたものであったが、それらの御絵さえ、保守的な系列の学校をもっと増やして肥えふとろうとするずるい人間たちの偽善と、変りないものにえた。


【『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー/黒田寿郎、奴田原睦明訳(河出書房新社、1978年〈『現代アラブ小説集 7』〉/新装新版、2009年)】

ハイファに戻って/太陽の男たち

2009-06-04

「対談 激動の時代と日蓮」高橋克彦(作家)×中島誠(評論家)


 国家が直面しつつある危機に『立正安国論』をもって警告を発した日蓮と行動をめぐり、高橋克彦氏と中島誠氏に語り合っていただいた。


立正安国論』の精神を現代に持ち込んで読む。


中島●NHK放送文化賞の受賞おめでとうございます。


高橋●ありがとうございます。


中島●昨年1日新聞のインタビュー記事で、高橋さんは「北条時頼時宗父子というのは、日本の歴史の中で、最初に具体的に国家識を持ちえた人ではないか」と指摘され、「新しい価値観を持つ若者に、私は未来を賭けたんですよ」とおっしゃっていましたね。私も、歴史小説とは、過去を現在に持ち込み役立てるためのものだといます。


高橋●時宗という人は長い間、日本では過小評価されてきたようにうんです。ひとつには『吾妻鏡』に時宗の私生活が書かれているのは数行しかないからでしょうね。父親の時頼のことは政治的な事跡や死去の模様も克明に書いてあるわけですが、時宗に関してはほとんど書かれていません。


中島●御家人に守り立てられたり、非常に貶(おとし)められたり、もうめちゃくちゃにもまれもまれて、34歳で夭逝(ようせい)するまで悩の連続で生きてきたから、時宗の独創的な働きというのは、あまり目立たなかったというのもあるんですかね。


高橋●いや、そういうふうに結局、後世の歴史家たちがイメージしているだけなんだといますね。実際には相当な策を時宗自身が自分の前で出していかないと、元寇というあれだけの大戦というのを指揮できないですからね。


中島●ああいう武者の全国動員体制というものをつくれたのはやっぱり、時宗の功績なんでしょうね。


高橋●そうです。にもかかわらず、時宗の描写が少ないのは、むしろ何か政治的配慮があって当時は書くわけにいかないことが多かったのではないかとうのです。まだフビライの来襲の危機が続いていたときで、そういうときに時宗の立てた策などを詳しく書くわけに行かなかったと言う事情があったともわれます。


中島●高橋さんの小説『時宗』の主人公は、時宗はもちろんですが、異母兄の時輔であり、もう一人は日蓮であったとっています。


高橋●あの時代を描くときに、今だから言えるんですけども、日蓮という存在が非常に怖かったわけですよ。要するに、宗教者を書くということが、たとえば宗教者に同調した立場で書いていくと、すごく宗教臭い小説になっていきますよね。かといって、元寇のときに、どうしても日蓮をはずせない。となると、今度は人間として、人間臭さみたいなものを出していこうとすると、また日蓮からはずれるんじゃないか。それでものすごくしんだんですよ。日蓮がいるために、あの鎌倉時代というのがやっぱり書きにくくなってはいますね。空海とかだったら全然平気なんですよ。


中島●司馬遼太郎の『空海の風景』は気楽だなあとう(笑)。


高橋●小説を書くにあたって、それまで歴史上の知識としてしかしっていなかった『立正安国論』を本当に一行ずつ、何度も読み返したんですよ。読み返しているうちに、なんだか寒気がするくらい、これは凄いなとおもったわけですね。こんな人がいるんだろうかと。当時の日蓮の立場にライブ覚で立って考えてみれば、明らかに一身を投げ出すというか死を覚悟してなければ書けない言葉なわけですからね。これをどう伝えればいいのか。

 結局、紀野一義さんの現代語訳を読んだのですが、これで『立正安国論』の全文を入れるしかないといました。読者が同じものを読んで、同じようにじてもらうしかないと。


中島●『立正安国論』は、単なる予言でも予測でもない。だけど現実の事実の順序というか、次々に起こる、天災人災、内乱、他国侵逼と、順序がピタッと合って予測されています。私の考えを言うと、今日の時代でも米騒動や関東大震災があって、昭和の初めに金融恐慌があって、満州事変があって、それで15年戦争に飛び込んで、敗戦になって行きますね。

 内乱こそなかったように見えるけれども、軍部が跋扈(ばっこ)して、治安維持法で数万人が逮捕されて殺されて、創価学会の初代の牧口常三郎会長なんかも獄死しています。歴史の方程式というか、あの『立正安国論』の凄さ、緊迫をいまさらのように私なんかはじるわけです。


高橋●一般的に、日蓮の『立正安国論』というのを大まかな知識で考えている人たちは、『蒙古襲来』を一般の国民が知っていて、その不安を煽るような形で出された「建白書」みたいに誤解している人が多いのではないでしょうか。


中島●日蓮は挑発的な扇動の人ではないですよね。


高橋●膨大な経典を引用しながら、そこから国家が直面しつつある危機を読み出して、警告を発したわけです。『立正安国論』なら、まだ読んでいてある程度の骨組みというのはわかるのですが、『開目抄』になると、もうこれは理解するというのは大変です。あれだけの経典を縦横無尽にわがものとしている人がいるというのは信じられないですね。

 小説を読む人というのは公平なわけです。だから読む人以上に、書き手が公平でなければいけないといういがあるんです。その上で日蓮の『立正安国論』が凄いと僕がったのは、その普遍があるからなんですよ。日蓮のなかに、い込みじゃなくて、非常に論理的・合理的な展開をする姿勢があったからです。そうやって、あれだけ強いことを書けるというのは凄いですよね。

 民衆にも最高権力者にも同時に命懸けの問答を


中島●佐渡流罪から生きて戻ったあと、幕府から寺も金もやると懐柔されます。換算すると60万両(約300〜450億円)ぐらいのおカネになるんですね。それを蹴って、鎌倉を出て身延に籠(こ)もる。


高橋●60万両ですか。


中島●山籠もりして一人でいるわけではなくて、『御書』という形ですが、書簡とか論文を通してオルガナイザーとしての全国的な活動というのを始めるわけですね。弟子も身延において落ち着いて育てられたのはこの時ぐらいでしょう。


高橋●宗教者のことを小説のなかで絶賛していくと、読者がもう単純に、この人は信者なんだなとしか、まずわないですよね。そのために非常に小説が書きづらくなります。日蓮にしろ、親鸞にしろ、法然にしろ、だれかのことを素材にしようとして、ただ単純な人間的興味で書いていこうとっても、それは初めからフィルターをかけられて読まれちゃいますのでね。だから書き手のほうも踏み込めない部分があるんですよ。


中島●なるほどね。たんなるオマージュ(尊敬や称賛)じゃだめなわけ。小説にならないわけですよね。


高橋●そう、ならないんですよ。だから身延時代のあたりとか、日蓮悩だとかしさとかについて、いろんな手紙にも本当は踏み込んでいって、なぜ日蓮があえて、こういう道を選んだのかというところまで書きたかったんですよ。僕は基本的に、日蓮という人は、あの時代の最大の知識人と認識していますからね。


中島●私は丸山眞男をちょっとかじって、非常に動したのは、鎌倉教というのはヨーロッパ流に言うと宗教革命であり、そのあとの戦国時代の後、安土・桃山のルネッサンスを準備したんだというわけです。「世界的普遍宗教」すなわち〔普遍的世界〕を日本が独自に初めて誕生させたのだと。

 丸山眞男さんがいっているのは、日本史における問答体の系譜ということです。民衆を相手にした問答と最高権力者に対して命懸けでやる問答と、両方を同時にやった人というのはあまりいないですよね。一身にして宇宙全体のものを相手にするというかね、命を賭して。これは希有なことだったなとうんです。


高橋●『立正安国論』は問答体ですね。日蓮の教養を考えると、どんなディベート(討論)をやっても負けるわけがないといます。凄いですね。どうして一人の人間があそこまで多くのものを自分の中に取り込めるのだろうかといます。


現実と向き合う宗教は何かを見抜く


中島●本当に国を憂え、そして世界の平和を願うということを、貫徹して、人々にわかるように語る人間というのは、今の日本にはちょっと欠落しているのではないかなとうのです。

 極端なロマンチシズムと極端なリアリズムのあいだの媒介者になるというか、仲立ちするというね。それは国家識と民百姓識と、いろいろなものを繋げる役目というのがありますでしょう、本来の宗教はね。そういうことをこの『時宗』から教わりましたね。


高橋●いやいや、そういっていただけると、なんだかもううれしくって、なんかちょっと胸が詰まりますけれども……。

 僕らの世代は宗教に対してあまりにもガードを作りすぎていますね。それでいて、たとえば宗がなにであるかも禅宗が何であるかもわからないし、お寺も全部同じように見えてしまう。

 自分の先祖代々の宗派すらよくわからない。僕は初めて日蓮の『立正安国論』を読んで理解できたんだけれども、つまりは宗というのは、極楽浄土の問題ですよね。

 要するに、いまはしいけれど、来世にはいいことがあるんだという。そういう宗教はいかんと日蓮は言っているわけですね。現実に向き合えということをいっていますね。

 ああいう国が続いていて、自分たちの民の生活が逼迫しているときに、先の極楽浄土に救いを持たせる宗教というのは、やっぱり理論に過ぎないんですよね。それを日蓮はちゃんといっている。

 こうした点をわかりにくくさせているのは、単純に僕らの側が宗教を知らなすぎるだけだということです。


中島●なるほど、よくわかります。


高橋●だからいまの新興宗教をいろんな味で嫌いなのはね、すぐに現実逃避する。たとえば3000人の天国の席が用されているとか、地球が終わりになって、その後に自分たちの本当の姿があるんだみたいなことをいって、若者たちがはまってしまったりする。

 テレビまで占いをやっているのもおかしい。日蓮が置かれていたときとすごく似ているとうんですよ、今の新興宗教のあり方というのは。

 小説を書くということは、どれだけ書こうとしている対象の人物に自分が近づけるかという問題です。何も勉強をしないで他力本願的に救いを求めて、今の社会の破滅を願うような一部の若者の風潮は非常に問題です。

 自分が何も努力していないから、世の中面白くないわけですよ。それをすべて社会のせいにして、こういう社会はなくなってしまったほうがいいみたいにおもっている。

 そんな時代を作っていく大人たちへの怒りを僕はやっぱりじたし、それは日蓮が、はいかん、といった根底に一番大きくあった問題だといますよ。


中島●日本人は他力本願が好きですね。他力本願を裏返すと、自分以外の他者のオール否定なんですよ。人のせいにするんですね、政治が悪いとか、何が悪いとか。

 ところで、長編の歴史小説はこの次は何をかかれる予定ですか。


高橋●当分、やはり、蝦夷というか、東北あるいは地方で抗(あらが)った人間たちといいますか、これらを自分の中のテーマとして考えています。今度は蝦夷から国の問題になっているので、そこまでいってしまったら、さらに前に進まなきゃいかんのかなという気はあるんですけどね。


【『第三文明』2002年7号】

時宗〈巻の1〉乱星 (講談社文庫) 時宗〈巻の2〉連星 (講談社文庫) 時宗〈巻の3〉震星 (講談社文庫) 時宗〈巻の4〉戦星 (講談社文庫)

2009-06-03

深き信心の眼を


 戸田城聖第二代会長の生誕90周年を記しての第2回懇談会が、10日午後5時半過ぎから、池田誉会長が出席し、東京・信濃町の学会別館で開かれた。

 その際、誉会長は参加者と厳粛に三座の勤行をするとともに、戸田第二代会長をしのびつつ、師の指導を語り伝えておきたいとし、約1時間にわたり大要、次のように語った。


 1.「『組織の眼』だけではなく、常に『信の眼』で人を見なければならない。特に役職は高くなくても、また役職はなくても、本当に真面目な信の方がおられる。その方々を尊び、からたたえ、励まし、守っていくが、自分自身の信の証であることを忘れてはならない」

 2.「広宣流布のために、常に行動していく人は、まことの大聖人の門下であられる。これこそ学会にあっては私の真の弟子である。広宣流布の行動をしているように見えながら、すべて自分自身の利害のために動いている人は、私の敵である」と厳しかった。

 3.「私がいなくなった後、悪い幹部も出るに違いない。口のうまい人、学会を利用して自分の利害を考える人等々――常に青年は、濁ったそれらの人々を見抜き、戦っていかねばならない。そうでなければ、正法の永遠も、信の正しさも証明できなくなってしまうからである」と指導された。私は青年として、こうした悪しき幹部とも徹底して戦ってきた。

 4.「母親は子供をいくら叱っても配ない。しかし、父親が叱ることは非常に危険な場合がある。鋭敏な子供は、母親の叱り方には愛情をじる。父親から叱られると、重圧をじてひねくれたり、反抗をしたがるものである。この点、子供を育てる場合、よくよく気をつけるように」

 5.「夫の力が社会で『十』のうち『五』くらいの存在であっても、妻が聡明であれば『八』までの力を出し、生かすことができる。反対に、夫が『十』の力のある存在であっても、妻が愚かであると『五』とか『四』とか『三』の存在に引き下げてしまうものである。

 また、夫人が非常識であれば、夫をダメにしてしまう。夫人が聡明で、夫に言うべきことをきちんと言っていけば、夫もどんどん伸びるものだ。

 要するに、“夫に力がある”とか“人より偉い”といって見栄を張ることは、愚かさの象徴である。自惚(うぬぼ)れと非常識は皆から嫌われ、暗い人生の方向に追いやられてしまう場合がある」と、妻の信、聡明さがどれほど重要であるかを厳しく注されていた。

 6.「金銭にだらしのない家は不幸である。決して栄えない。金銭、そして一日一日の生活を大事にしていく家庭は健全である。して家計簿はつけるべきである」と言われていた。我が家は今でもその通り実行している。


 更に誉会長は、「人の格は、中々変わらないものだ。ゆえに『相手が変わる』ことを望むのではなく、自分が力をつけ、成長していくことである。それが、環境を変えゆく原動力となる」「情報化時代である。情報をいかに速く、正確につかむかで、事の成否が決まってしまう場合があまりにも多い」「何事も明快に話し、指導していかねばならない。それがの雲を晴らし、確信の行動を生むのである」など語った。


戸田先生生誕90年記の懇談会/第2回懇談会 1990-02-10 東京・学会別館】


 この手の指導は理由があって箇条書きとなっているのだ。求道心次第で受け止め方には決定的な差が生じる。文字だけ読めば、幾度となく紹介された内容である。


 振り返ると、1989年12の終わりに日経平均株価は3万8957円の天井をつけてから暴落した。翌1990年の101日には1万9781円まで下がった。そして、1991年から「失われた10年」が始まったのだ。


 景気が冷え込み、リストラの嵐が訪れる直前に、先生は信の基本を打ち込まれた。これは今だから理解できることだ。この頃、ある青年実家に教えてもらったのだが、「本部幹部会で先生は、『バブルが弾けた』と明快に仰った」そうだ。私は全く記憶になかった。


 大変なご労をされた方も多かったこととう。それでも我々は、日顕宗に鉄槌を加え、四月会と戦った。失われた10年は、学会にとって激動の10年だった。この間に私は、男子部の部長から総区副青年部長となっていた。あっと言う間に駆け抜けた10年だった。迷っている暇すらなかった。


 師の指導を軽々しく受け止め、浅はかに考えていたメンバーは皆、落伍していった。我々はどんなに頑張っても、自分の境涯の範疇(はんちゅう)でしか判断できない。しかし、広布最前線で闘争し抜く時、自分の境涯を打破せざるを得なくなる。その時に指導の本質が少しわかるようになる。理が事になる瞬間といえよう。


「わかったつもり」になっている幹部が一番危ない。

2009-06-02

三度の高名と身延入り


 個人的に「三度の高(こうみょう)」を胡散臭くじて仕方がなかった。若い頃からだ。何とはなしに、三回注しても幕府がを傾けなかったから、大聖人がケツをまくって身延に引っ込んだ――という具合に考えていた。大体さ、「三度諌めて……」ってえのあ、臣下のあり方を説いたものだ。私の不勉強もあって、「職を辞す」という話は聞いたことがあるが、「山に引っ込む」というのは御書以外に知らない。


 もう一つ前々から気になってしようがないのは、日蓮大聖人の国家観である。教科書では、1590年に豊臣秀吉が天下統一を成し遂げたと習った。大聖人の時代は秀吉よりも300年以上前である。鎌倉時代における国家識とはどのようなものであったのか。はたまた、国家の行く末を案じたのは大聖人特有の視点だったのか。


 大体、三度目の国主諌暁は佐渡流罪赦免直後の文永11年(1274年)4平左衛門尉に対して行われている。で、身延山入りは5のこと。私が一番不審なのは、流罪を許されてから、どうして山奥に引っ込む必要があるのか、ということに尽きる。


 だから、何となく我々が抱いている印象というのは、多分間違っている。鎌倉を離れて、晩年に至るまで身延で人材育成をされたことは事実だ。だが、それだけではあるまい。


 ここからは私見である。組織でペラペラと話すんじゃないよ。大聖人はきっと、三度の高で政治革命を断されたのだとう。時の権力者がダメだったのか、政治状況がダメだったのかはわからない。いずれにせよ、政治主導による立正安国の道は閉ざされた。そこで大聖人は、身延で戦略を練られたのだと私は考える。


 振り返れば、佐渡流罪以前までは社会悪と真っ向から対決することでセンセーショナルな言論闘争を展開したと見ることも可能だ。「間違った社会」を徹底的に否定することで動執生疑を起こそうとされたのかもしれない。これは、人権や表現の自由といった概すらない封建時代の権力者からすれば、テロ行為も同然だ。


 つまり大聖人は、身延山に入られてからは「民衆による革命」を目指したのだとう。政治闘争から闘争へとパラダイムシフトをされたのだろう。


 戦略とは作戦であり政治である。これに対して信は人間である。この兼ね合いがしい。中道とはセンターラインではあるまい。大乗的見地に立った正道のことだ。戦略は組織を志向し、組織は兵士と官僚を求める。「人間らしい組織」を維持できるかどうかで、学会の発展は決まる。


 外典に曰く未萠をしるを聖人という内典に云く三世を知るを聖人という余に三度のかうみようあり一には去し文応元年[太歳庚申]七十六日に立正安国論最明寺殿に奏したてまつりし時宿谷の入道に向つて云く禅宗宗とを失い給うべしと申させ給へ此の事を御用いなきならば此の一門より事をこりて他国にせめられさせ給うべし、二には去し文永八年九十二日申の時に平左衛門尉に向つて云く日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界反逆とてどしうちして他国侵逼とて此の国の人人他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし、建長寺寿福寺極楽寺長楽寺等の一切の者禅僧等が寺をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ、第三には去年[文永十一年]四八日左衛門尉に語つて云く、王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりともをば随えられたてまつるべからずの無間獄禅の天の所為なる事は疑いなし、殊に真言宗が此の国土の大なるわざはひにては候なり大蒙古を調伏せん事真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば頼綱問うて云くいつごろよせ候べき、予言く経文にはいつとはみへ候はねども天の御気色いかりすくなからずきうに見へて候よも今生はすごし候はじと語りたりき(287頁)


 夏の桀王を諌めし竜蓬は頭をきられぬされども桀王は悪王竜蓬は忠臣とぞ云う主君を三度諌むるに用ゐずば山林に交れとこそ教へたれ何ぞ其の非を見ながら黙せんと云うや、古の賢人世を遁れて山林に交りし先蹤を集めて聊か汝が愚に聞かしめん、殷の代の太公望は・渓と云う谷に隠る、周の代の伯夷叔斉は首陽山と云う山に篭る、秦の綺里季は商洛山に入り漢の厳光は孤亭に居し、晋の介子綏は緜上山に隠れぬ、此等をば不忠と云うべきか愚かなり汝忠を存ぜば諌むべし孝をはば言うべきなり(493頁)


 本よりごせし事なれば三度国をいさめんにもちゐずば国をさるべしと、されば同五十二日にかまくらをいでて此の山に入る、同十に大蒙古国よせて壱岐対馬の二箇国を打ち取らるるのみならず、太宰府もやぶられて少弐入道大友等ききにげににげ其の外の兵者ども其の事ともなく大体打たれぬ、又今度よせくるならばいかにも此の国よはよはと見ゆるなり、仁王経には「聖人去る時は七必ず起る」等云云、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治するに由るが故に乃至他方の怨賊来りて国人喪乱に遇わん」等云云(923頁)


 本よりごせし事なれば日本国のほろびんを助けんがために三度いさめんに御用いなくば山林にまじわるべきよし存ぜしゆへに同五十二日に鎌倉をいでぬ(928頁)

相談急増、子どもの貧困も チャイルドライン10年


「親が失して高校を退学する。悔しい」。子どもの悩みを電話で聞く特定非営利活動法人NPO法人)「チャイルドライン支援センター」(東京)にこんな相談が舞い込んでいる。センターができて10年、相談電話への着信件数は77万件を超すが、最近は貧困問題の訴えも目立つ。

 センターは英国の団体をモデルに設立。各地の市民団体と連携し、地元や近県にいる専門の相談員が悩みを聞く。

 人間関係いじめ、恋愛、の悩みなど内容はさまざまで、この1年は貧困問題が増えた。小学生から「お父さんが工場を辞めさせられ、お母さんもパートが駄目に」「友達が急に転校してお父さんが『気の毒に。不況のせいだ』って言う」という相談もあった。

 清川輝基代表理事は「これまでなかった傾向。誰かに話したいとき、気軽にかけて」と話す。

 2007年度に13万5000件だった着信件数は08年度は18万件に急増。今年5から、無料でつながるフリーダイヤル(0120)997777の本格運用も始まった。受付は日曜を除く毎日午後4時から同9時。


共同通信 2009-05-30】

2009-06-01