Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2009-06-04

「対談 激動の時代と日蓮」高橋克彦(作家)×中島誠(評論家)


 国家が直面しつつある危機に『立正安国論』をもって警告を発した日蓮と行動をめぐり、高橋克彦氏と中島誠氏に語り合っていただいた。


立正安国論』の精神を現代に持ち込んで読む。


中島●NHK放送文化賞の受賞おめでとうございます。


高橋●ありがとうございます。


中島●昨年1日新聞のインタビュー記事で、高橋さんは「北条時頼時宗父子というのは、日本の歴史の中で、最初に具体的に国家識を持ちえた人ではないか」と指摘され、「新しい価値観を持つ若者に、私は未来を賭けたんですよ」とおっしゃっていましたね。私も、歴史小説とは、過去を現在に持ち込み役立てるためのものだといます。


高橋●時宗という人は長い間、日本では過小評価されてきたようにうんです。ひとつには『吾妻鏡』に時宗の私生活が書かれているのは数行しかないからでしょうね。父親の時頼のことは政治的な事跡や死去の模様も克明に書いてあるわけですが、時宗に関してはほとんど書かれていません。


中島●御家人に守り立てられたり、非常に貶(おとし)められたり、もうめちゃくちゃにもまれもまれて、34歳で夭逝(ようせい)するまで悩の連続で生きてきたから、時宗の独創的な働きというのは、あまり目立たなかったというのもあるんですかね。


高橋●いや、そういうふうに結局、後世の歴史家たちがイメージしているだけなんだといますね。実際には相当な策を時宗自身が自分の前で出していかないと、元寇というあれだけの大戦というのを指揮できないですからね。


中島●ああいう武者の全国動員体制というものをつくれたのはやっぱり、時宗の功績なんでしょうね。


高橋●そうです。にもかかわらず、時宗の描写が少ないのは、むしろ何か政治的配慮があって当時は書くわけにいかないことが多かったのではないかとうのです。まだフビライの来襲の危機が続いていたときで、そういうときに時宗の立てた策などを詳しく書くわけに行かなかったと言う事情があったともわれます。


中島●高橋さんの小説『時宗』の主人公は、時宗はもちろんですが、異母兄の時輔であり、もう一人は日蓮であったとっています。


高橋●あの時代を描くときに、今だから言えるんですけども、日蓮という存在が非常に怖かったわけですよ。要するに、宗教者を書くということが、たとえば宗教者に同調した立場で書いていくと、すごく宗教臭い小説になっていきますよね。かといって、元寇のときに、どうしても日蓮をはずせない。となると、今度は人間として、人間臭さみたいなものを出していこうとすると、また日蓮からはずれるんじゃないか。それでものすごくしんだんですよ。日蓮がいるために、あの鎌倉時代というのがやっぱり書きにくくなってはいますね。空海とかだったら全然平気なんですよ。


中島●司馬遼太郎の『空海の風景』は気楽だなあとう(笑)。


高橋●小説を書くにあたって、それまで歴史上の知識としてしかしっていなかった『立正安国論』を本当に一行ずつ、何度も読み返したんですよ。読み返しているうちに、なんだか寒気がするくらい、これは凄いなとおもったわけですね。こんな人がいるんだろうかと。当時の日蓮の立場にライブ覚で立って考えてみれば、明らかに一身を投げ出すというか死を覚悟してなければ書けない言葉なわけですからね。これをどう伝えればいいのか。

 結局、紀野一義さんの現代語訳を読んだのですが、これで『立正安国論』の全文を入れるしかないといました。読者が同じものを読んで、同じようにじてもらうしかないと。


中島●『立正安国論』は、単なる予言でも予測でもない。だけど現実の事実の順序というか、次々に起こる、天災人災、内乱、他国侵逼と、順序がピタッと合って予測されています。私の考えを言うと、今日の時代でも米騒動や関東大震災があって、昭和の初めに金融恐慌があって、満州事変があって、それで15年戦争に飛び込んで、敗戦になって行きますね。

 内乱こそなかったように見えるけれども、軍部が跋扈(ばっこ)して、治安維持法で数万人が逮捕されて殺されて、創価学会の初代の牧口常三郎会長なんかも獄死しています。歴史の方程式というか、あの『立正安国論』の凄さ、緊迫をいまさらのように私なんかはじるわけです。


高橋●一般的に、日蓮の『立正安国論』というのを大まかな知識で考えている人たちは、『蒙古襲来』を一般の国民が知っていて、その不安を煽るような形で出された「建白書」みたいに誤解している人が多いのではないでしょうか。


中島●日蓮は挑発的な扇動の人ではないですよね。


高橋●膨大な経典を引用しながら、そこから国家が直面しつつある危機を読み出して、警告を発したわけです。『立正安国論』なら、まだ読んでいてある程度の骨組みというのはわかるのですが、『開目抄』になると、もうこれは理解するというのは大変です。あれだけの経典を縦横無尽にわがものとしている人がいるというのは信じられないですね。

 小説を読む人というのは公平なわけです。だから読む人以上に、書き手が公平でなければいけないといういがあるんです。その上で日蓮の『立正安国論』が凄いと僕がったのは、その普遍があるからなんですよ。日蓮のなかに、い込みじゃなくて、非常に論理的・合理的な展開をする姿勢があったからです。そうやって、あれだけ強いことを書けるというのは凄いですよね。

 民衆にも最高権力者にも同時に命懸けの問答を


中島●佐渡流罪から生きて戻ったあと、幕府から寺も金もやると懐柔されます。換算すると60万両(約300〜450億円)ぐらいのおカネになるんですね。それを蹴って、鎌倉を出て身延に籠(こ)もる。


高橋●60万両ですか。


中島●山籠もりして一人でいるわけではなくて、『御書』という形ですが、書簡とか論文を通してオルガナイザーとしての全国的な活動というのを始めるわけですね。弟子も身延において落ち着いて育てられたのはこの時ぐらいでしょう。


高橋●宗教者のことを小説のなかで絶賛していくと、読者がもう単純に、この人は信者なんだなとしか、まずわないですよね。そのために非常に小説が書きづらくなります。日蓮にしろ、親鸞にしろ、法然にしろ、だれかのことを素材にしようとして、ただ単純な人間的興味で書いていこうとっても、それは初めからフィルターをかけられて読まれちゃいますのでね。だから書き手のほうも踏み込めない部分があるんですよ。


中島●なるほどね。たんなるオマージュ(尊敬や称賛)じゃだめなわけ。小説にならないわけですよね。


高橋●そう、ならないんですよ。だから身延時代のあたりとか、日蓮悩だとかしさとかについて、いろんな手紙にも本当は踏み込んでいって、なぜ日蓮があえて、こういう道を選んだのかというところまで書きたかったんですよ。僕は基本的に、日蓮という人は、あの時代の最大の知識人と認識していますからね。


中島●私は丸山眞男をちょっとかじって、非常に動したのは、鎌倉教というのはヨーロッパ流に言うと宗教革命であり、そのあとの戦国時代の後、安土・桃山のルネッサンスを準備したんだというわけです。「世界的普遍宗教」すなわち〔普遍的世界〕を日本が独自に初めて誕生させたのだと。

 丸山眞男さんがいっているのは、日本史における問答体の系譜ということです。民衆を相手にした問答と最高権力者に対して命懸けでやる問答と、両方を同時にやった人というのはあまりいないですよね。一身にして宇宙全体のものを相手にするというかね、命を賭して。これは希有なことだったなとうんです。


高橋●『立正安国論』は問答体ですね。日蓮の教養を考えると、どんなディベート(討論)をやっても負けるわけがないといます。凄いですね。どうして一人の人間があそこまで多くのものを自分の中に取り込めるのだろうかといます。


現実と向き合う宗教は何かを見抜く


中島●本当に国を憂え、そして世界の平和を願うということを、貫徹して、人々にわかるように語る人間というのは、今の日本にはちょっと欠落しているのではないかなとうのです。

 極端なロマンチシズムと極端なリアリズムのあいだの媒介者になるというか、仲立ちするというね。それは国家識と民百姓識と、いろいろなものを繋げる役目というのがありますでしょう、本来の宗教はね。そういうことをこの『時宗』から教わりましたね。


高橋●いやいや、そういっていただけると、なんだかもううれしくって、なんかちょっと胸が詰まりますけれども……。

 僕らの世代は宗教に対してあまりにもガードを作りすぎていますね。それでいて、たとえば宗がなにであるかも禅宗が何であるかもわからないし、お寺も全部同じように見えてしまう。

 自分の先祖代々の宗派すらよくわからない。僕は初めて日蓮の『立正安国論』を読んで理解できたんだけれども、つまりは宗というのは、極楽浄土の問題ですよね。

 要するに、いまはしいけれど、来世にはいいことがあるんだという。そういう宗教はいかんと日蓮は言っているわけですね。現実に向き合えということをいっていますね。

 ああいう国が続いていて、自分たちの民の生活が逼迫しているときに、先の極楽浄土に救いを持たせる宗教というのは、やっぱり理論に過ぎないんですよね。それを日蓮はちゃんといっている。

 こうした点をわかりにくくさせているのは、単純に僕らの側が宗教を知らなすぎるだけだということです。


中島●なるほど、よくわかります。


高橋●だからいまの新興宗教をいろんな味で嫌いなのはね、すぐに現実逃避する。たとえば3000人の天国の席が用されているとか、地球が終わりになって、その後に自分たちの本当の姿があるんだみたいなことをいって、若者たちがはまってしまったりする。

 テレビまで占いをやっているのもおかしい。日蓮が置かれていたときとすごく似ているとうんですよ、今の新興宗教のあり方というのは。

 小説を書くということは、どれだけ書こうとしている対象の人物に自分が近づけるかという問題です。何も勉強をしないで他力本願的に救いを求めて、今の社会の破滅を願うような一部の若者の風潮は非常に問題です。

 自分が何も努力していないから、世の中面白くないわけですよ。それをすべて社会のせいにして、こういう社会はなくなってしまったほうがいいみたいにおもっている。

 そんな時代を作っていく大人たちへの怒りを僕はやっぱりじたし、それは日蓮が、はいかん、といった根底に一番大きくあった問題だといますよ。


中島●日本人は他力本願が好きですね。他力本願を裏返すと、自分以外の他者のオール否定なんですよ。人のせいにするんですね、政治が悪いとか、何が悪いとか。

 ところで、長編の歴史小説はこの次は何をかかれる予定ですか。


高橋●当分、やはり、蝦夷というか、東北あるいは地方で抗(あらが)った人間たちといいますか、これらを自分の中のテーマとして考えています。今度は蝦夷から国の問題になっているので、そこまでいってしまったら、さらに前に進まなきゃいかんのかなという気はあるんですけどね。


【『第三文明』2002年7号】

時宗〈巻の1〉乱星 (講談社文庫) 時宗〈巻の2〉連星 (講談社文庫) 時宗〈巻の3〉震星 (講談社文庫) 時宗〈巻の4〉戦星 (講談社文庫)