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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2009-06-05

ナクバ


 1948年、イスラエルが建国され70万のパレスチナ人が民になった。そのときの大虐殺をナクバ(NAKBA)という。カナファーニー少年も民の一人だった。我々はホロコーストは知っていても、ナクバを知らない。なぜなら、ナクバは今尚、進行中のため総括されることがないからだ。著者は虐げられるパレスチナ人に寄り添い、生涯を捧げた。そして、彼の車に仕掛けられた爆弾で吹き飛ばされた。幼い姪(めい)と共に。イスラエル情報機関による暗殺だった。享年36歳。アラブ文学の傑作が復刊された。世界が抱えた巨大な矛盾を知れ。

「悲しいオレンジの実る土地」(1963年)


 ぼくもまた、いつのまにかこみあげてくる嗚咽にむせんでいた。君の母さんは、いつまでも無言のままオレンジの実を見つめていた。きみ(ママ)の父さんの眼の中では、ユダヤ人に残してきたオレンジのありったけが、光を放っているように見えた。きみの父さんが、一本一本買い増やしていったオレンジの木の清らかな大粒のありったけが。それらのオレンジの木、一本一本がきみの父さんの顔に刻まれていて、国境監視所の将校の前に立った時でさえも、おさえることのできなかった彼の涙の中に、まだ去りやらずに残っていた。

 その日の午後おそくシダーに着いたとき、ぼく達は民になっていた。


 ぼく達はただ、なるがままされるがままになっていた。きみの父さんは、一遍に年をとってしまったかのようだった。彼はもうずいぶん久しく眠ったことがないように見えた。彼は路上に放り出された荷物を前にして、路端(ママ)に立ちつくしていた。もし彼のそばに行って何か言おうものなら、彼は必ず「おまえの親父が神(アッラー)を呪ったせいだ!」という悪罵をいきなりぼくの顔へ浴びせるだろうとえた。その罵倒の言葉が、彼の顔にありありと読みとれた。いや、宗教色の熱烈なまでに強い学校で育てられたぼく自身、あの時神というお方は、本当に人間を幸せにしたいとっているのだろうかと、疑わずにはいられなかった。ぼくは神というお方が、あらゆることを聞きもらさず、すべてを見てとっているということに疑いを持った。学校の教会でぼく達にくばられた色刷りの御絵(ごえ)は、子供たちに慈愛深く微笑みかけている主を描いたものであったが、それらの御絵さえ、保守的な系列の学校をもっと増やして肥えふとろうとするずるい人間たちの偽善と、変りないものにえた。


【『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー/黒田寿郎、奴田原睦明訳(河出書房新社、1978年〈『現代アラブ小説集 7』〉/新装新版、2009年)】

ハイファに戻って/太陽の男たち