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2009-06-25

誰に向かって発信するか


今、ネットで発信する意味」の続きを。


 文化というのは、まず“発信”にあるといます。“発信”するものがなければ、本当の文化とはいえないですね。“受信”だけでは不完全です。“受信”もして、“発信”もして相互に高まらなくてはいけない。


日曜てい談/聖教新聞 1994-10-16


 これは團伊玖磨(だん・いくま)氏の言葉である。文化とは共鳴を味する。ネットで何らかの情報発信をする場合、対告衆(たいごうしゅ)を定めるべきだ。刊誌『第三文明』みたいに中途半端なのが一番ダメ。


 同志に対してメッセージを送る場合は、やはり研鑚の積み重ねを公開すべきだろう。日常の活動というものは、よほどのや文章力がなければ陳腐なものとなってしまう。


 既に何度か書いた通り、学会員の最大の問題は「思想的格闘のなさ」にある。それゆえ、言葉に深みがない。中間幹部は皆、スポークスマンのような役割を演じてしまう。こうして「健全な懐疑精神」が失われてゆく。大疑が大悟に通じることを知っている人は少ない。

 発信する相手を学会員にしてしまうと、その他大勢の国民はシャットアウトされることになる。つまり、会合状態といってよい。多くの人に広く読まれることはない。すると、不特定多数の読者に対して発信する場合、やはり趣味や仕事をベースとした文章になってくる。これが実は、折伏の力となる。


 もっと簡単に言おう。「ものの見方」で勝負するのだ。「境涯によって世界は変わる」ことを証明する作だ。人のを動かすことはしい。そして、自分のを動かすことはもっとしい。その困に挑む自分自身の軌跡を、記録として残すべきだ。

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