Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2009-10-22

時間に関する考察


 全然まとまってないのだが、忘れないうちにメモしておく。


 過去と未来と現在とは三なりと雖も一念中の理なれば無分別なり(562頁)


 時間について調べている中で見つけた御文。これは凄い。


「夫れ法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(256頁)と撰時抄にあるが、を学ぶ際にまず時間を勉強しなさいよ、って話は聞いた例(ためし)がない。流転する時代、刻々と変化しゆく人生にあって、万物は成住壊空のリズムを奏でながら諸行無常へと向かう。そして日蓮大聖人は三世常住の生命観を顕された。


 種脱相対の一面は、どっちが永遠を説いているかってな話だ。要約すると「五百塵点劫vs久遠元初」で大聖人の勝ちってわけだよ。ここで重要なことは、いずれの時間も「過去」を示している点である。現代的な覚でいうと、永遠ってのは未来を象徴しているように考えがちだ。ここで一つの結論を出しておこう。すなわち、時間とは過去であり、歴史と記憶の中にしか存在しない。これが「中の理」ということだ。


 を称する十号の中に「善逝(ぜんぜい)」とある。とは、「善く逝った」存在であるというのだ。これには、社会的差別(=カースト制度)を正当化するための輪廻転生論を破折する味が込められていた。つまり、「輪廻からの脱却」である。また、如来は元々「如去(にょこ)」と称した。ね、後ろ向きでしょ(笑)。だから、過去なんだよ。橋から川下を眺めているような位置関係だ。如々として去る――。


 ちなみに御書の検索結果は以下の通り――

  • 過去 186(過去世 2)
  • 現在 97(現世 50/今生 108/今世 20/一生 56)
  • 未来 135(来世 35/後世 54/後生 138/未萠 8/将来 6)
  • 久遠 153
  • 三世 216

 法の示す永遠が「過去への原点回帰」であることは、まだまだ索を要する。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20091022/p2