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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2009-11-18

観心とは

 祝創立記日。私の入会記日でもある。そこで本日は出血大サービスだ。子供達に語ったクリシュナムルティの講話によって、私は初めて「観心本尊抄」の味がわかった――


 摩訶止観第五に云く〔世間と如是と一なり開合の異なり〕

「夫れ一に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千一念に在り若し無んば而已介爾有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可議境と為す此に在り」等云云〔或本に云く一界に三種の世間を具す〕(※小文字の箇所を〔 〕で括った)


【「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」238頁】


順応と反逆


 君たちは目を閉じて、とても静かに坐り、自分の思考の動きを眺めたことがありますか。自分の心が働いているのを眺めるというか、心が作動している自分を眺め、自分の思考は何か、感情は何か、どのように木や花や鳥や人々が見えるのか、どのように提案に応答し、新しい考えに反応するのかをただ見たことがありますか。やってみたことがありますか。やったことがなければ、君たちはとても多くのことを逃しています。自分の心の動きを知ることは、教育の基本的な目的です。自分の心の反応を知らないで、心が自分の活動に気づいていなければ、社会とは何かを決して見出せないでしょう。君たちは社会学の本を読み、社会科学を研究するかもしれません。しかし、自分の心の働きを知らなければ、社会とは何かを実際に理解できません。なぜなら、君の心は社会の一部だからです。【それ】こそが社会です。君の反応、信念、寺院に行くこと、着ている服、することとしないこと、考えること――社会はこのすべてからできていて、それは君自身の心で起きていることの複製です。それで、心は社会を離れてはないし、君たちの文化、宗教、さまざまな階級差別、大勢の人々の野心や葛藤の他にはありません。このすべてが社会です。そして、君はその一部です。社会の他に「君」はいないのです。

 そこで、社会はいつも若者の考えを制御しよう、形作ろう、型にはめようとしています。君たちが生まれて、物心ついた瞬間から、お父さんやお母さんは君たちに、何をすべきで、何をすべきでないのか、何を信じて、何を信じるべきでないのかを絶えず教えています。君たちは神がいるとか、神ではなくて国家があり、ある独裁者がその預言者である、と教わります。君たちは子供のときから、これらのものごとを注ぎこまれます。それは、君たちの心が幼なくて(ママ)影響を受けやすく、探求したがり、知りたがり、見出したがっているのに、その心がしだいに固まり、条件づけられ、形作られて、そのために君たちは特定の社会の型に合わせるようになり、革命家ではなくなるということなのです。君たちには型にはまった思考の習慣がすでに確立されているので、たとえ「反逆」するにしても、それはその型の中でのことなのです。それは囚人が良い食事や多くの設備を得るために反逆するようなものですが、いつも監獄の中なのです。君が神を求めたり、正しい政治とはどういうものかを見出そうとするときにも、それはいつも社会の型の中にあり、その型が「これが本当で、あれはまちがっている。これが良くて、あれは悪い。これが正しい指導者で、これらが聖人だ」と言うのです。君たちの反逆は、野心的でとても利口な人たちのもたらした革命なるもののように、いつも過去によって制限されています。それでは反逆ではないし、革命ではありません。それは単に、型の中での高揚した活動、より勇敢な闘いにすぎません。本当の反逆、真実の革命とは、型を破ってその外で探究することなのです。

 改革者は――それが【誰】であろうと問題ではありません――みんな単に監獄内の条件改善に関心を持っているだけでしょう。彼らは君たちに、順応しないようにとは決して言わないし、「伝統と権威の壁を破りなさい。心を捕えている条件づけを振り捨てなさい」とは決して言いません。しかし、それが本当の教育です。君たちがそのために詰めこみ勉強をした試験に受かったり、暗記したものを書き出すことを要求するだけではなく、心が捉われている監獄の壁が見えるように助けるのです。社会は私たちすべてに影響を与えるし、絶えず私たちの思考を形作ります。そして、この外からの社会の圧力が、しだいに内部として解釈されるのです。しかし、それはどんなに深く浸透しても、やはり外からです。そして、この条件づけを破らぬかぎり、内面というようなものはありません。君たちは、自分が何を考えているのか、ヒンドゥー教徒イスラム教徒キリスト教徒として、つまりたまたま属している宗教に立って考えているのかどうかを知らなくてはなりません。自分が何を信じていて、何を信じていないのかを、意識しなくてはなりません。このすべてが社会の型なのです。その型に気づいて、それを離れなければ、自分では自由だと考えようとも、やはり囚人であるのです。

 しかし、私たちのほとんどは、監獄内の反逆に関心を持っているでしょう。私たちは、より良い食事やいま少しの明かり、もう少し空が見えるような大きめの窓をほしがります。カースト外の人たちが寺院に入ってもいいとか、いけないとかに関心を持っています。特にこのカースト制度を倒したいと思っても、一つのカーストを倒す最中に、もう一つの「優れた」カーストを生み出してしまうのです。それで、囚人のままなのです。監獄の中に自由はありません。自由は壁の外、社会の型の外にあるのです。しかし、その型から自由であるには、その内容全体を理解しなくてはなりません。それは、自分の心を理解することなのです。現在の文明や、この伝統に縛られた文化、社会を生んだのは心です。それで、自分の心を理解せず、共産主義者、社会主義者、あれやこれやとして単に反逆するだけでは、ほとんど意味がありません。それで、自覚を持ち、自分の活動と思考と感情のすべてに気づいていることが、とても重要であるわけです。そして、これが教育でしょう。なぜなら、充分に自分に気づいているとき、心はとても敏感で、とても機敏になるからです。

 やってごらんなさい――遠い未来のいつの日かにではなく、明日か、この午後に。部屋にあまりに多くの人がいたり、家がいっぱいならば、そのときは自分一人で出てゆき、樹の下や河岸に坐って、自分の心の働くようすを静かに観察するのです。働くようすを訂正せずに、「これは正しい。あれはまちがっている」と言わずに、映画でも見るようにただ眺めなさい。映画館に行くとき、君は映画に出演はしていません。男優と女優が出演していて、君はただ眺めているだけです。同じように、心の働くようすを眺めなさい。それは本当に興味深くて、どんな映画よりもはるかに興味深いのです。なぜなら、心は世界全体の残滓であり、人間の経験してきたすべてを保持しているからです。理解できますか。君の心は人類です。そして、このことを知覚するとき、君は無量の慈悲を持つでしょう。この理解から大いなる愛が出てきます。そのとき、美しいものを見るとき、君は美しさとは何かを知るでしょう。(※強調点の箇所を【 】で括った)


【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ/藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】


 又云く「故に止観の正しく観法を明かすに至つて並びに三千を以て指南と為す乃ち是れ終窮究竟(しゅうぐうくきょう)の極説なり故に序の中に「説己中所行法門」と云う良に以所有るなり請う尋ね読まん者に異縁無れ」等云云。(238-239頁)


 問うて曰く出処既に之を聞く観心如何、答えて曰く観心とは我が己を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し、設い諸経の中に処処に六道並びに四聖を載すと雖も法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界百界千如一念三千を知らざるなり。(240頁)


 数(しばし)ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋(いか)り或時は平に或時は貪(むさぼ)り現じ或時は癡(おろか)現じ或時は諂曲(てんごく)なり、瞋るは地獄貪るは餓鬼癡は畜生諂曲なるは修羅喜ぶは天平かなるは人なり他面の色法に於ては六道共に之れ有り四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。(241頁)


→「自分のの反応」


 所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う、又迹化の大衆は釈尊初発の弟子等に非ざる故なり、天台大師云く「是れ我が弟子なり応に我が法を弘むべし」妙楽云く「子父の法を弘む世界の益有り」、輔正記に云く「法是れ久成の法なるを以ての故に久成の人に付す」等云云。(250頁)


地涌の菩薩は、「伝統と権威の壁」「を捕えている条件づけ」という大地を割って出現した。


 経に云く「余のを失える者は其の父の来れるを見て亦歓喜し問訊して病を治せんことを求むと雖も然も其の薬を与うるに而も肯えて服せず、所以は何ん毒気深く入つて本を失えるが故に此の好き色香ある薬に於て美からずと謂えり乃至我今当に方便を設け此の薬を服せしむべし(251頁)


→「毒気深く入つて」監獄を六道輪廻


 伝教大師云く「此の法華経は最も為れ解なり随自意の故に」等云云、夫れ在世の正機は過去の宿習厚き上教主釈尊多宝十方分身の諸地涌千界文殊弥勒等之を扶けて諌暁せしむるに猶信ぜざる者之れ有り五千席を去り人天移さる況や正像をや何に況や末法の初をや汝之を信ぜば正法に非じ。(241頁)


→「本当の反逆、真実の革命」であるがゆえに、爾前教という既成概に囚われた五千人の増上慢には理解できなかった。


 当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。(254頁)


→これが「真実の革命家」の姿。折伏とは「反逆」のことである。


 一念三千は情非情に亘る(239頁)


 金■(金+卑/ぺい)論に云く「乃ち是れ一草一木一礫一塵各一各一因果あり縁了を具足す」等云云。(239頁)


 天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。(254頁)


→「天晴れぬれば」森羅万象の諸法にありのままの実相を見出すことができる。万物のが光り輝く荘厳な世界が出現する。


 追伸――友岡さんと行き来のある方がいらっしゃったら、以上の内容をコピーしてお送り願いたい。

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

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