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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2009-12-25

一体化


 我々は集団、組織、会社、国家に帰属することで自我の要求を充たしている側面がある。古来、我が国では見知らぬ人物に対して「どこの者(もん)だ?」と尋ねる。「誰だ?」とは訊(き)かない。重んじられるのは氏・素、家・格式という出自となっている。


 我々は御本尊に、御書に、師匠に、そして組織に依存している。大乗経典に描かれる弟子達は明らかに釈尊に依存していた。弟子達はひたすら「願わくは真実の教えを説き給え」と切望した。寄り掛かる弟子に向かって「止(や)みね善男子!」と釈尊は三度にわたって制止した。滅後末法の弘教を託されたのは今まで一度も見たことのない膨大な数の人々であった。しかも、その威風・貫禄は老いたる釈尊が子供に見えるほどであった。これが地涌の菩薩である。


 あなたはなぜ自分自身を、誰か他人や、あるいは集団、国と一体化させるのか? なぜあなたは、自分自身のことをクリスチャンヒンドゥー教徒などと呼ぶのか? あるいはまた、なぜ無数にある党派の一つに所属するのか? 人は、伝統や習慣、衝動や偏見、模倣や怠惰を通じて、宗教的、政治的にあれこれの集団と自分自身とを一体化させる。この一体化は、一切の創造的理解を終焉させ、そうなれば人は、政党の首領司祭、あるいは支持する指導者ののままになる、単なる道具にすぎなくなってしまうのだ。

 先日、ある人物が、誰某はこれこれの集団に属しているが、自分は「クリシュナムルティ信奉者(アイト)」だと言った。そう言っていたとき、彼はその一体化の味あいに全く気づいていなかった。彼は決して愚鈍な人間ではなく、読書家で教養もあるといった人物であった。いわんや彼は、そのことに決して傷的になっていたわけでも、また情緒に流されていたのでもない。それどころか、彼は明晰ではっきりとしていた。

 彼はなぜ「クリシュナムルティ信奉者」になったのか? 彼は、他の人間たちに従ったり、あるいは数多くの退屈な集団や組織に所属したりしてきたのだが、そのあげくに、ついにこの特定の人物に自分自身を一体化させたのである。彼の語ったところからみて、彼の旅は終わったもののようであった。彼は足場を築き、そして行き着くところまできたのである。彼は運び終えたのであり、いかなるものも彼を動かすことはできなかった。これからは彼は地良く腰を据えて、これまで語られてきたこと、そしてこれから語られるであろうことのすべてに、熱に従っていくことだろう。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】

生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉


生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より


生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より


(※いずれも同じ作品)

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